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「な」


2023年鑑賞作品

NAGISA なぎさ
2000年 89分 日本 カラー
監督:小沼勝 脚本:齊藤猛 村上修
撮影:田口晴久 音楽:遠藤浩二
出演:松田まどか 佐々木和徳 稲坂亜里沙 吉木誉絵 片桐夕 根岸季衣 松本智代美 芦川よしみ 佳那晃子 柄本明 石丸謙二郎 つまみ枝豆 島村勝 出光元 深水三章 鏑木貴 渡部祐希


2023/9/12/火 録画(日本映画専門チャンネル)
なんだか勝手に本作が小沼監督の遺作のように思い込んでて、そうだ、確かにその後に「女はバス停で服を着替えた」があった、観た観たと思いだした。
私にとって小沼勝監督というのがもうもうもう、ロマポル作家の中でも一番と言っていいぐらい大好きな監督さんだったので、その小沼監督が子供を主人公にした映画を作った、というのが当時すっごく意外で、気にはなっていたけれどスルーしてしまったことを、今更ながらに後悔。
今更ながらと言いながら、ずっと気になっていたから、あれが最後の作品、みたいな印象があったのかなぁ。

スルーしてしまったのはやっぱり、ロマポルの傑作を数々産み出した小沼監督がなぜ子供の映画をという、怖気づいた気持ちも確かにあったかもしれない。
まぁなんという、珠玉の映画なのだろう!そしてこれが、もう20年以上前の作品だということにも改めて驚く。もうそんなに経ってしまったのか。そして、今年の初めに小沼監督は亡くなってしまったから、60代そこそこで現場から離れてしまったことがもったいなくて、だってこんな、新たな可能性も産まれていたのに。

海外の映画祭で受賞したというのもうなずける、本当に珠玉の秀作。舞台が1960年代の江ノ島で、製作された2000年からも遠い昔ではあるんだけれど、今から20年以上も前の子供たちの顔は、やはり今とはちょっと違って素朴で、1960年の子供たち、と言われてもうなずけるものがあるのだ。
夏、真っ黒に日焼けして、海へと続く道を全速力で駆けてゆく。女の子二人、「恋のバカンス」を振り付きで熱唱しながら、若い男女がどっさり青春を謳歌している海水浴場を練り歩く。

12歳という設定だったのか。今の感覚だと少し幼く見えるような気がするのは、やはり1960年代という舞台設定だからだろうか。
映画の中のキスシーンはなぜ首を傾けるのかとか、フエラムネをぴゅーぴゅー鳴らしたり、居酒屋を切り盛りするお母さんが常連客とイチャイチャ(と彼女には見える)したりするのにヘキエキしたり。

今の12歳ぐらいなら、中学生直前、もうそれなりに世間のあれこれが見えていそうな気もするが、どうだろうか。
東京から帰省してきたお金持ち少女に庶民感覚の彼女たちが振り回されたり、“不良少女”のイトコ、麗子から大人の入り口を垣間見たり。そして何より……ひと夏といえば、恋である。淡い淡い恋。そして、まさかの結末を見せる恋。

初めて姿を見せた時は、いかにも青っ白い少年だった。色も真っ白で、女の子みたいにつばの広い帽子をかぶっていた。
彼もまた東京からの避暑客。それだけで、地元民で真っ黒に日焼けしているなぎさたちにとっては、憧れながらもどこか警戒しちゃうような存在。

でも、彼が現れたのはなぎさの、いわばプライベートビーチ、なぎさと友達の典子しか知らないところだったんじゃないか。岩場を抜けたところにある、静かで慎ましい海岸。そこでなぎさはスクール水着に着替え、沖に浮かんだ岩場までを元気よく泳いでいた。
そこに現れた、いかにも都会っ子の洋。海岸の漂流物を収集している、という、いかにも東京のもやしっ子(1960年代ぽく言うとさ)の彼に、海で泳がないなんて!となぎさはコーチを買って出る。

結果的には洋の、かけがえのない時間が、裏テーマというか。なぎさは様々な人たちと関わり、それぞれの人たちに映画一本分描けると思うぐらいのドラマがあるけれど、この物語の中で、一生を終えてしまった洋に関しては、その感を強くする。
だって、どんどん変わっていくんだもの。あんなにも青っちろい少年だったのに、健康的に小麦色になり(この当時はまだ日焼けはポジティブなものだったのだ)、身体も引き締まっていく。
これは……撮影自体、とても丁寧に、時間をかけて行われたんではないだろうか。洋はそんな風に……大人に、男に、なっていくんだもの。

いや、その途中だった。まだ、その兆しが見え始めたところだった。なぎさは、ハリウッド映画の中で観た、首を傾けたキスや、イケイケいとこの麗子ちゃんが彼氏としているキスを見て、なんだかもやもやとしていた。
お金持ち少女の真美から、キスを見たことがあるかと問われ、首を傾けるキスなんてキスじゃない、と斬って捨てられた。波打ち際で洋と向き合い、思わず、といった感じで唇を重ねた時、これは映画のキスだから、と、否定の意味でなぎさは言ったけれど、映画のキスは、嘘のキスだからという言い訳だろうけれど、そうじゃない、そうじゃない。

なんという甘酸っぱさ、そして切なさ。一方でなぎさは、この夏、勤労少女である。商店街のショウウインドーに飾られたポータブルレコードプレイヤーに一目ぼれである。そのために夏休み中、おばさんの経営する海の家でバイトをするんである。
今ならそれこそ、労働法なんたらと言われちゃうだろうなぁ。しかも一日働いて、はいお給料、と渡されるのは百円玉二枚なんだから、6000円以上するプレーヤーに到達するのは長い道のり。
でもこれこそ、労働の価値というもの。大人たちにビールやおでんや焼きそばやカレーライスを運ぶ中で、結構早めにコツをつかみ、おばさんから、よっ、看板娘!と声をかけてもらえるようになる。

麗子とその彼氏に感化され、せっかくレコードプレーヤーのために貯めたお金を取り崩してパーマをかけちゃったり、彼らに誘われた海辺のパーティーでビールを飲んじゃったり。あ、でも、ビールを飲んじゃった、というのは、麗子と一緒にハッキリそう見えたけれど、あえて追及はしてなかったな。
むしろここで彼女を驚かせたのは、初めて飲んだコーラ。うえーっ!と目をむくなぎさの表情に、なるほど、この当時初めて入ってきたニューカルチャー、その驚きが、背伸びして入り込んだ大人の世界の中で味わってるんだ。

彼女が憧れてやまないレコードプレーヤーでかけた曲で、若者たちにまじってなぎさもまたゴーゴーと踊りまくる。彼女にしてみれば、パーマ、ビール、恋人のキスを間近で見たり、思いっきり“不良”を経験した一夜なのだろうけれど、麗子もその彼氏も、その友達たちも、なぎさに悪いことを教えたりしないし(麗子がビールを飲ませたのは、まぁ、彼氏と仲直りするためにバディとしてなぎさに勇気をもらうためだった、と解釈しておこう)、みんないい人たちなんだよね。
それは、なぎさの母親や、おばさんや、友達の親たちといった、さらに上の大人たちもそう。それはもちろん、なぎさがいい子だから。店の手伝いもするし、欲しいもののためにアルバイトをするなんて考え方は、なかなか出来ない。

そういう意味では、友達の典子や、お嬢様の真美は、いわゆる恵まれた、子供らしい環境にいるのかもしれないけれど、典子と真美の違いもまた、興味深い。
典子は真美のお嬢様生活に無邪気に入り込んだけれど、なぎさは一度、拒絶した。でも真美から改めて誘われると、一気にそのお嬢様生活に陥落した。ピアノの発表会で着たドレスを着させてもらって有頂天になったり、お紅茶とケーキにうっとりしたり。

真美は自分の生活がウソだらけだと、なぎさがうらやましいと言い、典子よりなぎさちゃんと仲良くなりたかった、だってあの子、タイクツなんだもん、とか言い放つ。
この危険な発言の時点でなぎさは真美にどうこう言うことはなかったので、ハラハラしながら見守っていたが、わざわざ真美に鉄槌をくだすようなヤボな展開はせず、真美はただ、妄想癖のあるおしゃまな女の子として彼女の母親たちに処理され、なぎさは典子との友情を回復する。
少し……引っかかる気持ちはなくもない。真美の心中の複雑さは、同年代の友達たちには理解されず、大人たちにあの子はヘンだからと説明され、つまり大人たち、親たちにも軽く見られ、子供の夢想癖だと断じられ……なんか、うっかり結構キツいような気もするのだが。

なんといっても、洋の悲劇の死、なのだ。まさかそんな展開になるなんて、思わなかった。その直前、なぎさはいつも泳ぎを教えるために行っている秘密の海岸で、彼と対峙して、いつものように無邪気に会えなかった。
不良にしてください!と美容室でパーマをかけてもらって、その姿が自分じゃないみたいで臆したのか、どうなんだろう……帽子を深くかぶらせて、自分を見ないで、って言って、明日またね、と言ったのだ。

この時の会話……なんだか、自分がヘンなんだと、言うのが、この年頃の女の子のナマな感じというか……。別に、何がある訳じゃない。不良になって不良パーティーに参加したって、大人のキスをうっかり垣間見ちゃったぐらいで、彼女を取り巻く大人たちは、若い大人もベテランの大人もみんな優しくて、なぎさを悪い世界に陥れたりしない。でも、なのか、だからこそ、なのか……。
あんなにも泳ぎが上手くなった洋なのに、毎日なぎさと共に練習して、すっかり日焼けして、筋肉質にしゅっとした美少年になった彼が、なぜ、なぜ、思いがけず波にさらわれてしまったのか。

東京から来た、身体の弱い、海辺に来たのは漂流物コレクションのためだけだった少年。様々な形の石や流木に命を見出した彼は、なぎさとの出会いの中で、腕白な勇気のある自分を見出し、大人の男になっていった。
彼が死んでしまった後、季節が終わり、海の家をたたんでいるなぎさとおばさんのところに現れたのが、洋の父親。漂流物コレクションの中で、ぽっかり空いている日は、それは、……なぎさとキスした日、だったのだろうか。映画のキスだから、本当のキスじゃないから、だなんて好きだからキスしたという否定にもならないじゃない!!

劇中、エサをやっていた野良猫のミューが姿を消す。なぎさは友達の典子とチラシを作成して街中に貼り、探し回るのだけれど戻ってこない。ほんのささやかなシークエンスなのだけれど、シニア猫と暮らす私としては、見逃せない、というか……。
ラスト近くになり、ささやかな街の小さな路地に、次々と野良猫さんたちが姿を現し、まったりと彼らの時を過ごしている描写が現れる。ミューを探し続け、ついには戻ってきてはくれないんだけれど、こうして野良猫さんたちは、自我を誇りに生きていて、エサを食べに来なくなったからって心配されるなんて心外だとでもいうように、ゆうゆうと路地を闊歩したり、寝そべったりしている。

あぁなぜ、公開時、気になっていたのに劇場に足を運ばなかったのか。こんなにもずっと、心の片隅にこびりついていたのに。子供映画の傑作の中に間違いなく加えられた。ラストテーマソングのクリス&ベッツイの聖なる歌声が胸に響く。★★★★★


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