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「ね」


2023年鑑賞作品

猫と鰹節 ある詐話師の物語
1961年 106分 日本 カラー
監督:堀川弘通 脚本:沢村勉 東善六
撮影:完倉泰一 音楽:黛敏郎
出演:森繁久彌 三木のり平 千葉信男 伴淳三郎 ミッキー・カーチス 森川信 草笛光子 団令子 乙羽信子 中島そのみ 賀原夏子 春江ふかみ 市原悦子 西村晃 丘寵児 松本染升 トニー谷 柳谷寛 藤岡琢也 由利徹 南利明 小西ルミ 園田あゆみ 清水由 芝木優子 瓜生登代子 小池朝雄 宮田芳子


2023/6/4/日 劇場(神保町シアター)
このタイトルだけで検索かけると、猫に鰹節をやってはいけない、てなソースに行きついちゃうのが可笑しいが、猫と鰹節、つまり好物に飛びつく猫=カモを狙った、いやそれとも鰹節がカモでそれを狙っている猫が彼らなのかな?
詐欺師の男たちのハチャメチャ物語。いや、劇中では詐話師、と表現していた。言い得て妙。口先三寸で金が欲しくてたまらない人間たちを吊り上げる。

モリシゲ、草笛光子、団令子の三点セットが、この特集で出会った何本かの立て続けである。そこに!あーもう、「珍品堂主人」でのカップリングでめちゃくちゃホレこんだ、モリシゲ&乙羽信子のカップリング!!
基本はカモとなる草笛光子とのやり取りなのだけれど、乙羽信子はモリシゲの、うーんあれは、正式な奥さんじゃなくて、愛人というあたりなのかな?ぜえったいに外で浮気をしてきたに違いないモリシゲを、だったら確かめてやるとばかりに、枕を叩きつけてそこに寝ろと言う。つまり、つーまーりー、女を抱いてきたなら満足しちゃってて、疲れちゃって、私とエッチできないだろ、違うってんならヤリやがれ!!ということ!最高すぎる!!
もう乙羽信子がメチャクチャ可愛くて、このクズ男に惚れ切っているのが判って、それがクライマックスにもつながるから、もう涙出ちゃう。

乙羽信子の可愛さに血迷ってしまった(爆)。冒頭、印象的な始まり。これから始まる映画は、人間がカネに支配されている、この世はカネ次第だということをお見せしましょうと、講談よろしくたっぷりの白ヒゲを蓄えたモリシゲが口上を述べるんである。
そして場面はごった返す駅。大荷物を抱えた商人(うっわ、そうだ、西村晃だ!!)に言葉巧みに近づくのがそのモリシゲ、冒頭の風貌とは全然違う、人好きのする、つい釣り込まれてしまう、あのチャーミングなモリシゲ演じる善六である。

仕入れ金をたんまり持っていることを同業者のようなフリして言葉巧みに白状させ、簡単にその金が二倍になる仕組みがあるとささやく。こんな話に乗る人がいるかと思うが、詐欺師、いや、さすが詐話師、押しては引く話術がスバラシいんだもの。
これは後段、簡単にカネもうけをしようとする新参がワラワラ現れ、彼らの口上を、そのまま書き写したマニュアル棒読みみたいな、そんな輩たちに遭遇し、もう詐話師の時代は終わりかもしれない、みたいな哀切な雰囲気を醸し出しつつ終わるのが切なく、上手いんだよな。

おっと、いきなりラストに行ってどうする。もう、お見事な彼ら詐話師チームのカモの囲い込みよ。
冒頭の西村晃演じる商人に何がどう起きたのかは明かされない。ただ彼は顔面蒼白になって飛び出してきて、やられた!!とおまわりさんに縋りつき泣き崩れる。

まず、声をかけるのがモリシゲ扮する善六、芝居に加担する赤バッチ(三木のり平)に玉子どうふ(千葉信男)、運転手のポチがミッキー・カーチスだというのが、全然気づかなかった、若すぎて!!めちゃくちゃ青二才で、にーさんたちによしよしされているからこそ、最後の最後、彼がひっくり返す、いや、彼をそそのかした女がひっくり返すのか(爆)。
そうなのよ、本作は、男の詐欺グループがカモのカネをだまし取る活劇だけれど、結局、女たちにしてやられる、女は強し!の物語だから、胸がすっとするのよね。

でもそれで、死人が出ちゃうのはツラかったなぁ……。見るからに鈍重に見える、ふとっちょ玉子どうふ。不慮の事故(とは言っても、かつてひっかけたカモと警官に追いかけられての転落事故なのだが)で死んでしまった彼に、忘れ形見の娘がいる、という展開。
結局は娘なんかじゃなく妾であり、生きるために仕方なくの借金があるとウソ八百のこの娘っ子に、玉子どうふ自身は知ってて騙されたフリをしていたのか、どうか……。

そこにつけいったのが、同じチームのいっちゃん下っ端の青年、ポチであり、成り上りたい彼がその娘、じゃなく妾といい仲になり、善六から大金を巻き上げるというラストである。
上手くいったと言いながらも、ポチもまた腰が引けている。女は怖い、と。

だから、またしてもオチに行きがちだな(爆)。草笛光子ですよ、もう。そのポチが持ち込んできた話だった。皆から軽んじられているポチの情報だから聞き流していたんだけれど、彼が用意していた写真に善六は目を奪われる。
絶世の美人。そら草笛光子だもの。タクシー運転手をしているポチは、彼女とパトロンとの会話を聞いて、バーのマダムである章子がたんまり小金を貯め込み、パトロンから融資を引き出して、合わせた金で自分の店を持ちたがっている情報を善六たちに提供するんである。

絶世の美人をカモにするということこそに、善六は色めき立ったに違いない。だって、彼女からすっかり金を巻き上げ、しかもそれが彼女自身の責任だと思い込ませて、その弱ったところを頂いちまおう、というところまで算段が出来ていたんだから、そらーウハウハである。
女の弱みに付け込む善六=モリシゲのやらしさ、すっかり信用しているつけこまれた章子=草笛光子のしっとり、そしてエロな美しさ。

一夜を共にして彼女の前から姿を消すんだけれど、騙していた、という決定的な証拠をわざわざ提示するのは、あれはなんなの、自己顕示欲??
ただ行きずりに姿をくらませばよかったのにとかつい思ってしまうが、まーそうしたら、章子が善六に恨みを持って、再会した時に仇みっけた!!という具合にはならないから、物語の展開上、難しいことではあるんだけれど……。

それにしても、章子をだまくらかす一連のシークエンスはもう、圧巻!!まず、彼女が雇われマダムになっている店にいちげんさんの客としてしれっと訪れる。
女性下着を作っている会社だと言って、ホステスのスカートを慣れた手つきで(爆)めくりまくり、パンティーはいてないんじゃないかと、今の時代では完全セクハラアウト(爆爆)。なのにモリシゲがやると、ホステスがキャーキャー喜んでいるのがあながち商売上だけとは思われないのが罪というか、さすがというか。

鷹揚にかまえたマダムの章子、演じるのが草笛光子なのだから、そんな、騙されるなんて、と思うが、現ナマを積み上げて、手札をこっそり教える詐欺賭博で一気に稼げちゃう様を目の前で見せられて、コーフンしちゃって、コツコツ貯めた預金をおろしちゃって、巧みに自分の責任にされて、そっくりすられちゃう。
ボーゼンとした章子=草笛光子の美しいお顔に、スケベジジイのモリシゲ、いやさ善六は、この顔が見たかった、と、もうその後のヤル気マンマンよ。そして実際ヤっちゃうし(爆爆)。

でも結局、章子にも、愛人の砂子にも、仲間の忘れ形見だと思いこまされて、実際はしたたかな愛人だったこずえにも、すっかりしぼりとられちゃう。いや、砂子だけはしぼりとったんじゃなくて、女たちに鼻の下のばしてるヤツにキーッとなって、大バクチの大クライマックスの時に、警察に通報しちゃった、という切なさなのだけれど……。

そう、もうね、いろいろ大きな展開があるから、言い逃がしまくり(爆)。えーとね、まず、章子から金を巻き上げ、ヤリ逃げした後、化粧品会社の慰安旅行に参加していた善六たち(これもまたカモなんだろうけれど、どういうお得意様なのかよく判らん)の、どんちゃん騒ぎに、偶然パトロンと来ていた章子が遭遇する。
章子に気づいて、うっわ!とどんちゃん騒ぎの踊りまくりからなんとかはけようとするも、押し戻されて、再三目が合って、どうしようもなくなる展開が面白すぎる。こーゆーところが、ホンット、モリシゲの巧みさなんだよなー。

章子につかまり、詰問されて、開き直った善六は、詐話師としての手の内、ネタも白状して、開き直っちゃう。章子は警察に通報しようとするも、思いとどまる。自分のカネを取り戻すために、善六を泳がす決意をしたんである。
一見して、善六にホレた弱みのそれのようにも見えるし、二人で計画した大バクチで善六を裏切って、金を持ち逃げしようとした事実もあるから相反したものはあるんだけれど、結果的には、やっぱり、善六が嘆息するように、女には勝てない、という落ち着きどころ、なんだろうなぁ。
まぁ、女自身としては、なんか簡単に片づけられちゃった気はしないでもないけど。

だって、私のだーい好きな乙羽信子扮する善六の愛人さんが、彼女は善六が結局章子とよろしくやっていることに怒りを覚えて、許せなくて、この大バクチ、めちゃくちゃ大掛かりな、大人数をひっかける、つまり愛する男の大きな舞台を、嫉妬によってメチャクチャにしただなんてさ、ちょっとないかなぁ、とも思っちゃったのさ。
乙羽信子なら、しないよそんな無粋なこと!!と思っちゃうのは、可愛い彼女に肩入れしちまう女の子好きの悪いクセかも(爆)。

結果的には女たちの強さが、詐話師の、詐欺男たちを、苦境に落とし、恐怖に陥れ、女には勝てない、という結論には至るものの……そこにはお金という、この世で最もスッキリと価値を解決できるものが介在にするにしても、なにか、なにか……ああ結局、愛がほしかったのかも、女って、ヨワいわね(爆)。
だってさ、確かに善六は、モリシゲだから、博愛だから、女たちを等しく愛しているけれども、騙し騙されのスリリングな駆け引き相手の美女、章子=草笛光子に最後の最後に、もうしょうがないですネという顔をして終わる。
古い感覚かも知れないけど、やっぱりやっぱり、どこかぬか床くさい、待ち続ける奥さんめいた、でも妾の砂子=乙羽信子にシンクロしちゃうよ。小金をためるデキる女のように見えて、あっさり騙される章子のギャップ萌えはあるけれど、そのギャップ萌えはやっぱり、男に対してのそれだもん。

結局私は何を言いたいのやら(爆)。本作の魅力は、詐話師たちがいかにカモをだまくらかすか、という、その手練手管の鮮やかさにあったのに、アホな私はその手腕を上手く文字おこし出来ない時点でもうダメだし(爆)、そうなると必然的に、私のだーい好きな可愛い女の子たちに加担しちゃうよねえ。

そうそう、なんか水着バーみたいなところに繰り出すシークエンスもめっちゃ強烈だった。水着姿の女の子たちがいわばホステスで、ダンスしたり接客したり。当時の水着だからアンダーはブルマー的だけど、でもお腹出したトップスとパンツであり、キャーキャー言いながらおじ様たちにしなだれかかり、触られまくりの接客、ドギモ!!水着はオールドファッションだけど、接客は今じゃアウトなヤバすぎ!!
そのギャップを飲み込めなくて、今の現代がむしろ、これに比べりゃ保守的なのかも、と……。いやー……やっぱ改めて、黄金期の映画はハンパないわ。★★★★☆


眠る村
2018年 96分 日本 カラー
監督:齊藤潤一 鎌田麗香 脚本:―(ドキュメンタリー)
撮影:坂井洋紀 音楽:本多俊之
出演:

2023/8/6/日 録画(日本映画専門チャンネル)
さすがの東海テレビのドキュメンタリーシリーズ。本当に見応えがあった。なんてイヤな国に住んでいるのだろう、私は。いや、私もそのイヤな国のイヤな日本人なのだ。
冤罪事件での闘いを描いたドラマは、ドキュメンタリーやドラマ化映画化含め沢山あって、それこそ最近は袴田事件のことが改めてニュースになったばかり。まだ言うか検察、もういい加減にしろよ、と思うのは、それこそ数十年も経った先の私たちが、そうした映像作品で知るからだ。そうでなければ有名な事件であったとしても、その切実さは伝わらない。卑怯だけれど、自分じゃなくて良かった、と思うぐらい。

そう……名前だけは聞いたことがあった。名張毒ぶどう酒事件。ぶどう酒、という言い方がとてもいにしえで、ああ遠い昔の物語だなぁと思った。
確かに遠い昔の物語だけれど、こうして丁寧に掘り起こしてみると、その当時の村人たちが目の前にした、その突然の凄惨な現場が目の前に蘇ってくるようだ。

何十年も先に、しつこく、彼らにとってはしつこく感じられるマスコミに対して、自分たちはこの目の前でそれを見たんだから、と言う。一生忘れられない、と言う。
でも少し弱気である。もうあと5、6人、当時の現場にいた年寄りが死んでしまえば、もう消えてしまうんだと。子供や孫たちは、その場面を見ていない子孫は、事件を知っていても、結局は見ていない、なかったことになる、と。

果たしてそうだろうか。そうじゃないからこそ、こうして、この事件をないものにしてはならないという人々が動くんじゃないだろうか。
本作は、誤解を恐れずに言えば非常に、エンタメとして非常に優れている。いわばミステリーなのだ。山深い集落、二つの部落はほとんど親戚関係のような仲の良さ、舞台となったのはその仲の良さが象徴されるような、懇親会だった。
公民館に長机を並べ、ささやかなおつまみと、一升瓶で酌み交わされるお酒。男性には日本酒、女性にはぶどう酒がふるまわれ、そのぶどう酒に毒物が混入され、5人が亡くなってしまう。

真実はどうかなんて、判る筈もない。タイムマシンはないのだから。奥西勝なる青年の自白によって彼が犯人とされるのだが、彼が強要されての自白だと訴えた裁判の一審で、その彼の言葉を裁判長は採用し、無罪を言い渡す。
そんな経過があったとはメチャクチャ驚いた。だって一審だよ?闘って闘って勝ち得た無罪判決じゃなかった。でも結局これが、逆に検察や裁判官のプライドを損ねたのか。

何度も言うように真実がどうかなんて、判らない。ただ……本作で繰り返し語られるのは、自白が、自白だけが最重要証拠として採用されることなのだ。
そんなバカな。ワレら頭の悪い民衆だって判ってる。凡百の刑事ドラマでだって、物証がなければ立証できないというのは常識じゃないか。
自白は最も危うい、何の証拠にもならない、警察や検察のエゴであると。それを指摘するのが裁判官であり裁判長であり裁判所であると信じているからこそ、闘うのに。あまりにもむなしい。

でもそんなことは、まるで当然のこと、クズ国家のクズ司法として当然のことなのだという前提のもとのように弁護団は闘うし、この裁判や弁護団と関係のない、見解を聞くためにインタビューする人たちは、かつての検察、かつての裁判官が弁護士になり、自白を重用する検察と司法のなれあいを、その裏側を語る。
だからこそ彼らは、それが嫌で、許せなくて、弁護士になったのかとついつい熱くなるが、そうかもしれんが、どこか彼らも達観している。とりあえず自白があるから、というなれ合いに対して、ハッキリと糾弾するでもない。立場上難しいのかもしれないけれど、客観的にみる私たちには恐ろしくて仕方がない。

奥西氏が犯人と特定され、執拗な追い詰めによって自白を強要されるに至るのは、繰り返し、あらゆる方面から検証される。妻と愛人がこの事件で死んだ。観客としてはえっ?と思っちゃう。

恥ずかしながらもうそこで差別意識が発動する。当時の写真や映像に映る奥西勝氏はちょっと池部良を思わせるイイ男で、不謹慎にも、こんな事件で犯人でイイ男……ドラマティック…とか感じてしまう。
当時の様子を聞いて回ると、村人の一人は、自分たちは女たちを助けようと必死だったのに、あいつはぼんやり突っ立ってるだけだった、とそれこそが犯人の証拠のように語る。

でも、なんて言うのかな……そんなことを語る、当時は青年である今は老人の男性も、奥西勝が犯人に違いない、もう終わらせてほしい、と迷惑気味に語るおばあさんも、その誰もが、奥西氏が最初の自白をしたのちにくつがえしたことや、あらゆる科学的検証でどんどん、彼の自白が信用のおけるものではなくなっていることを、知らないのか、知らないフリをしているのか……。
多分、耳に入れないようにしているような気がする。奥の手のように、奥西だけが毒物を持っていたんだから、ととくとくと語る男性は知っているのか。その後何度も再審請求するたびに証拠ととして提出される化学的結果に基づいて、奥西氏が持っていた毒物が混入されたものと違うことを。
知らないのか、知らないふりをしているのか、知ることが怖くて放棄しているのか、とにかく彼らの中では時が止まったままなのだ。

誰か一人、この村からお縄が出るしか方法がないと語ったのは当時取材に行ったNHKの記者の男性。真犯人じゃなくていい、そんな口ぶりだった。それだけで村の平穏が保たれるからと、村人たちにとってはそれこそが重要なのだろうと。
ちょっとウィキなんぞ探ってみると……そこらあたりはホントか嘘か判らないけれど、奥西氏が逮捕された時は、その家族をサポートする態勢だったのだという。奥西氏が否認して、がらりと変わったのだと。村八分、墓を掘り起こされて畑に放り出される、座っていれば蹴飛ばされる、ガラスが破られる。……メチャクチャわかりやすく、村八分。

後に、村人たちの供述が、奥西氏の否認を境に、いわば検察の都合のいいように、酒を運んだ時間帯やらなんやらが、ころりころりと変えられていることが、弁護団によって、そして本作の製作スタッフによって明らかになってゆく。
それはその裁判のために追究された当時に俎上に載せられたのだろうが、今もまた村人たちは本作の製作スタッフに、知らない、覚えてない、そうだったかな、と繰り返す。

不思議なのは……取材される彼らが何度も繰り返し吐露するように、もう終わりにしたいんだと、覚えてないし、奥西が自白したんだから、やったと言ったんだから、それで終わりだろうと言いながら、なのに、この映画の取材を受けることなのだ。
もちろん、優秀なドキュメンタリー作品をいくつも排出する東海テレビさんは、しっかりと彼らと信頼関係を結び、じっくりと話し合った上でカメラを回していることは想像に難くない。焚火を囲んで餅を食べたりする輪にも入り、カメラに映らないスタッフにも分けてくれるなんて場面さえある。

スタッフからしつこく聞かれるおっちゃんが、もう撮影すんなと言葉だけは荒っぽく聞こえても、その口もとは穏やかに緩み、なんだかんだ言葉を発してくれる。
それが、何度聞いても、本質から逃げているようにしか思えないにしても、発してくれる、のは、察してくれよ、と訴えているように思えなくもない、と思うのは、うがちすぎだろうか??

奥西氏が犯人だとされたのは、冒頭のシークエンスで、他に誰もいないと、消去法だと、捜査関係者さえそんな風に言うもんだから本当にビックリした。消去法で死刑囚にされちゃ叶わない。
そりゃ、愛人を持つような女関係のだらしなさはけしからんかもしれないけれど、ナレーションを担当する仲代達矢氏は、男女関係がおおらかな場所だったようだ、とさらりと口にする。
それ以上言及することはないけれど、村人の誰もが知っていたんだし、清算するための大量殺人なんて考えられないというのは、信憑性がある。

確かに、難しい問題だけれど、村人たちはこの女性関係によって奥西氏が犯人だとは言わない、ただ彼が捕まったから、と言うにとどまっていることが、確かにずっと、気になっていた。
取材した記者が、明らかに警察は焦っていたという。そして消去法で奥西を犯人に仕立て上げた。消去法、というのは、明らかにその言葉が関係者から吐かれた。他にしそうな人がいないからと。

ゾッとする。本当に、消去法で死刑になっちゃ、たまらない。消去法だけじゃなかったらしいことが、この事件をなかったことにしたい当時の関係者ではなく、若い世代の登場によって、明らかになるというほどではないけれど、客観的な視点を持った人物によって明らかになる。
それは当時、中毒になって入院し一命をとりとめた、その母親のお腹にいたという男性である。もう56歳。つまり事件から56年が経っている。彼は確かにその事件を目にしてはいないし、母親がもし一命をとりとめず死んでしまっていたら、自分はこの世にいない訳だから、もっとキーッとなってもよさそうだけれど、とても冷静で、母親がその事件のことを語ろうとしなかったことを彼なりに分析し、母親にインタビューし、奥西氏の当時の立場を調査し、犯人に祭り上げられてしまった状況を、推測したり、するのだ。

彼の存在が本当に、面白かった。この集落、分家の立場の彼は発言権もなく、友人もいなかったことは、他の第三者の口からも証言される。
そう聞くと、二つの部落が親戚関係のように仲が良かった、という最初の前提が、裏側からまったく違って見える。仲が良いなかで、居場所のなかった奥西氏のことを思う。
そうした彼が、女性にモテて、その関係も皆に知れ渡っていて、もしかしたら、もしかしたら、その立場を利用した誰かがいないとは限らない。でもそれは、何十年も先の、勝手なこと言うワレラな訳だけど。

いっちゃん最初の裁判で、無罪を言い渡されたことが、メチャクチャ大きくて。その後、何度再審請求しても棄却される。裁判に持っていかれることなく、再審自体が棄却されるんである。
科学的根拠を、その時代時代の最新科学技術によって提示しても、自白してるだろ、と棄却される。しんっじられない。日本はこんな社会なの。科学的に証明されているのに、強要された自白が根拠に値するなんて、本当に信じられない。

先述したけれど、科学的根拠が、ミステリドラマの謎解きよろしく、次々と展開するから、エンタメとしてめちゃくちゃ面白い。これだけの科学的根拠、そしてその中で、当時の警察、検察が偽造した、これこそ犯罪でしょ!というのが明らかになるのに、いやーそれでも、自白の重要性が揺るぐことはないとか、しんっじられないことをヘーキで言う裁判長のしれッとした顔!!
おめーは、おめーこそは親族に、ヤメてよお父さん!と言われないのかなと思うが、それこそこうした作品に触れなければ、死刑囚は死刑囚、さっさと死んじまえと思うのか……ああ!!

奥西氏の妹さんが、今闘っている。もう90近い。彼女は自嘲気味に、裁判長は自分が死んで、再審の繰り返しが終わるのを待っているんだと吐露する。獄中死したお兄ちゃんの無念こそが、その言葉にとって代わるのだろう。
獄中死した、その遺体が運び出され、棺の中の奥西氏の死に顔を映し出すのには息をのむ。人の死んでしまった顔って、当たり前だけど本当に、死んでしまった顔。有機物ではなくなっている顔っていうのが生々しく、ここまで彼は、死ぬまでやっていないと言い続けてきた半世紀以上だったのか。

子供さんもいるのだが、長男さんは病死、長女さんは……劇中触れられなかったけれど、やはり……でもどうかどうか、名誉が回復された暁には、と思うけれど……。★★★★★


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