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まる
2024年 117分 日本 カラー
監督:荻上直子 脚本:荻上直子
撮影:山本英夫 音楽:
出演:堂本剛 綾野剛 吉岡里帆 森崎ウィン 戸塚純貴 おいでやす小田 濱田マリ 柄本明 早乙女太一 片桐はいり 吉田鋼太郎 小林聡美
丸、ああ、丸。そんなところも本作は内包しているのかな。いろんな意味が考えられる。それこそ、凡百な言い方で言うと、映画は見る人の数だけ答えがあるというのが、本作ほど、それよね!と思われるものはないと思う。
ベテランになってからこんな鋭敏な感性の作品を作るのも凄いし、だからこそこんな豪華なキャスティングも実現する。
もし本作のアイディアを、それこそキャリアがなくって客寄せ出来ないキャスティングで作られていたら、全然、ぜんっぜん、クオリティが違っていた筈。
まぁそりゃ当然だよね、作り手のキャリアのクオリティ、演者のキャリアのクオリティ。それが、こんな不可思議な、哲学のような映画を、しっかり商業ベースに乗せて、作る、作ることができる。まさに理想形。
などと、つらつら言っちゃうほどに、うっわこれって、本当に挑戦的だと思ったから。
堂本剛氏を招聘する、こんな大スターをと思ったが、彼は確かに大スターだけれど、言われてみれば俳優業は近年、どころか相当期間、してないし、確かにそういうイメージ。
ミュージシャン、いや、それを内包したまさにアーティスト。でも圧倒的大スター。そんな、いわばねじれたキャラクター性が本作の主人公、沢田に見事に浸透している。
ぴったりとか、そのものとかじゃなく、彼独特の、じんわりと浸透している感じ。全編無表情にも見える独特の彼の真顔が、ホント、こんな芝居できる人いないよと思ってしまう。
そう……真顔というか、つまり沢田は、脚本上の台詞からすれば、怒ってる時も、拒絶している時もあるのに、常にフラットで、感情を立ち昇らせているように見えない。だからこそ沢田の周りの人間が、まるで彼の代わりに怒っているかのようなんである。
そもそもの物語の始まりからしてそうだった。沢田は人気現代美術家のアシスタントとして働いている。その美術家が指示をし、製作はすべてアシスタントたち。
沢田はその中でもいかにも年長だし、若手たちがぶーぶー言うのにも、そんな不満を言うのこそが不思議だとでもいうように、淡々と仕事をしていた。
後に沢田の個展をぶっ壊すことになるパンク女子が言うには、沢田はこきつかわれているだけ、アイディアもパクられているのになぜ平気なのかと突っかかる。
実際そうした、彼女が言うところの“搾取”がどの程度行われていたのかは判らない。沢田が有名になったとたん、自分がクビにしたくせに、私が育てたと言っても過言ではないとかしれっと言いやがるこの美術家はそりゃ腹が立つけれど、でも、沢田自身が立つ気がなければ、それまでってことなのだ。
そんな沢田は自転車乗っててよそ見して、……それは、この始まりと、そして終わりでも同じことが繰り返され、それは彼が、創作欲を掻き立てられるイメージに気を取られてよそ見してガシャーン!と自爆事故であった。
だからさ、沢田は、あんな表情なくてダルッとして見えるけれど、めっちゃくちゃ、クリエイトしたい人なんだよね。それは劇中、めちゃくちゃ示されるんだけれど、なんたってこの真顔だから、なかなかそれに観客側がシンクロしていくのが難しい。堂本剛氏独特のオフビートが充満しまくっているから。
そんな、オフビートに対抗、というか、対照的に登場するのが、ボロアパートの隣人、横山である。演じるのは綾野剛氏。これまたビックリのビッグネーム。まさに沢田とは対照的な激情型で、それに反発する形で、沢田の贋作を安っぽく量産して、ばらまきまくるというのがクライマックスに用意されている。
その時はさすがに、沢田も怒るけれど、でもやっぱり、横山がそれまで表出していて、その後もし続ける怒りの表現に、沢田は勝てる訳がない。
でその、沢田の贋作、つまり、沢田が思いがけず世の中の寵児となったのが、まる、なのであった。怪我をして職場をクビになり、部屋の中に入り込んだ蟻を囲い込むように丸を描いていった。逃げる蟻をまた、囲って、なにか、神の啓示があったかのように、丸を描いていった。
それを、いつもガラクタを持ち込んで質屋じゃないんだからと言われる古道具屋に預けたら、現代美術キュレーターに高く売れちゃったと言う。怪しげなアートディーラーから、一枚100万で買い取るから描いてほしいと依頼され、無名の謎の天才として急に持ち上げられていることを知った沢田は、一躍時の人となるのだけれど……。
普通に考えて、丸を描いただけで一枚100万、ぼろもうけと思うし、欲が出て、望まれる丸が描けなくなるであろうと予想できる。そしてまさにそれはそのとおりになるのだけれど、金に欲が出るとか、この生活から抜け出したいとか、そもそも、あの職場でバカにされていたことをウラミに思っていたとかいうことが、沢田を演じる堂本氏から全く感じられない。
本当に、そうしたことに無頓着というか、無関心に生きているのが、ハッキリと意識的に示されているのが、独特というか、孤高なのだと思う。
確かに沢田が依頼されてから描く丸は、欲にまみれていたと思う。いや、というか、望まれる丸が判らなくて、彼が今まで得た経験や技術であらゆる丸を描いてみた、ということなんだろうと思う。
だから、別にガッカリした訳じゃなくて、その後彼が部屋中に、部屋中どころか屋上にまで出て描きまくる丸は、もしかしたら沢田自身が初めて得た創作衝動だったかもしれない。
そんな沢田の思わぬ感情をあぶりだすことになるが、一見していかにもイカれている隣人の横山。ほんっとうに対照的な激情型で、対照的すぎる沢田がうっとうしげにするのはめっちゃ判るのだけれど、でも彼がいなければきっと沢田は、丸への、つまり創作衝動も、得ることがなかったように思う。
横山はメチャクチャメンドクサイ、というか、ハッキリ危険人物なんだけれど、漫画家を目指しているという彼の作品は、一見しただけで沢田を驚かせるほどのクオリティなのだ。
技術はある、けれども……ということなのかもしれないけれど、でもきっと、横山の世渡り下手が原因なのだろうと思われると、それは沢田がまさにそうであり、沢田がにわかに脚光を浴びたのは、本当に、偶然というか、神のおぼしめしというか、確かに世の中って、結局それでしかないのかもしれないと思ったり。
才能があってもなくても、やる気があってもなくても、頑張ってもいなくても。そんなこと言っちゃたら身もふたもない。努力は報われないと言っているようなものだけれど、でも実際、そうなのだもの。
才能、それは確かに作用するけれど、こうした現代美術の世界は殊に判らない。権威のある人や団体が認めたとたんに、子供の絵のようなものが急に意味あるものに見えてくる。一人の解釈一つで、変わってくる。
それは、こうして字面で書いてみるとなんて愚かなことと思うのだけれど、映画として、映像として、実写として見せられると、沢田の描いた丸が、横山が描いた丸とは違うと思っちゃうし、沢田が描いた丸も、邪心が混じったそれは尊く思えなかったり、それを拳でぶち破ったらとたんに意味あるものに見えてしまったり。
芸術と名がついたとたんに、他者の評価がデフォルトになってしまう。沢田は、結局はどう思っていたのかな。沢田が美術家アシスタントをクビになってからアルバイトに入ったコンビニ、相変わらず、というか、全編真顔のままの沢田=剛君なのだけれど、不思議とこのコンビニで働いている時の彼は、自分自身というか、いい感じに気が抜けている気がした。
先輩アルバイトのモー君を演じる森崎ウィン氏がとっても良くて。彼自身のルーツであるミャンマー出身のキャラクター。独特の発音を客から悪意あるからかわれ方をしているのを紳士的にさばいているのを見て、沢田は日本人として恥じて、謝るんである。
ことさらにこの二人の仲が深まる訳ではないんだけれど、なんか、イイんだよね。モー君が心波立つ時に唱える仏教の精神を、沢田も教わる。それ以外に沢田がことあるごとに唱える諸行無常の教えもまた、繰り返し繰り返し、積み重ねられる。
沢田は自身の創作のアイデンティティも、金への欲も全くなかったけれど、何か彼にとって、満たされないものがあったように思う。それが何なのかを、周囲の人間によって、そしてこの、思いがけない状況の変化によって、強制的に明らかにしようという外部の圧力。それは決して、沢田自身が望んでいたものではなかったんじゃないかという不条理さ。
沢田の才能、というより、金の匂いを嗅ぎつけて、画廊の女主人が囲い込んでこぎつけた個展に、かつてアシスタントの同僚だった女性が、搾取反対のスローガンをかかげて乱入、作品をメチャクチャに汚してしまう。これはなかなかに……。
雇用主の横暴に怒った先への行動。つまり沢田の無気力さに対する抗議でもある訳なんだけれど、同じクリエイターとして創作物を破壊するというのは、あり得ないアウト。あぜんとしてしまう。
この彼女の思いというか立ち位置は、どういったところなのだろう。沢田への憤りもあるのだろうけれど、この暴挙は沢田が取り込まれた(と、彼女が思い込んでいる)、美術を価値ではなくカネだと思っている世界への反発、いや、嫌悪、いやいやそれ以上に、宣戦布告だと思うのだが。
だから、そのために沢田を利用したというかさ、あの時の、目が合った二人の想いは、どうだったんだろうと思って……。
映像事業は判りやすくカネとの契約関係が一般人にも想像出来るけれど、アート社会はホント、判らないから……。
勉強になったけれど、なにか、哀しかった。堂本剛という唯一無二のスターを口説き落とした意味を、ほんっとうに理解した。
あ!柄本明氏に言及しそこねた!彼が予言していたのは地震の起こる日だったのか。傾いたボロアパートの不安定さも、本作に緊張感をもたらしていたように思う。★★★☆☆