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熱のあとに
2023年 127分 日本 カラー
監督:山本英 脚本:イ・ナウォン
撮影:渡邉寿岳 音楽:岡田拓郎
出演:橋本愛 仲野太賀 木竜麻生 坂井真紀 木野花 鳴海唯 水上恒司
一応概要だけでもと事件の経過や裁判の様子を読んでみたりもしたけれど、恋愛関係になった(いや、女子の方だけそう思っていたのか)ホストを客である女子が刺し殺そうとした、その現場でタバコをふかしてた、そんな外枠だけであるようにも思った。
もちろん、好きになりすぎて、一緒に死ぬことで自分のものになるとかいう部分も踏襲されてはいるけれど、その台詞もこうして書いてみるとなんとよく聞く言葉だろうと思うけれど、本作の、その女子となる沙苗がそれをつぶやくと全く違ったニュアンスに聞こえてくる。
ほんの5年ほど前の事件で、あまりにも直近なので、インスパイアされた、というスタンスで自由な創作で映画を作っちゃう、ということに違和感というか、危険なものを感じなくもない。
実際の人たちは今生きて、更生の道を歩んでいる訳だし、事実を基にした、という創作物は、ドキュメント的性質がないのならば、ある程度時間が経っていてほしい気はする。
ただ……本当に外枠だけと、感じたから。その外枠で、愛という、あまりにもおぼろげではかないものをなんとか投射しようと、彼や彼女はもがいている。愛なんて、目にも見えない、触れもできない、ひょっとしたら存在さえしていないかもしれない、傲慢と言い換えられるものなのかもしれないのに。
ということを、描こうとしたのだろうかと思う。沙苗を演じる橋本愛氏の芝居は、真実の愛を自分だけが知っているのだという、それだけ聞けば熱の塊なのに、うつろで、ひんやりとしていて、この世に生きていないみたいである。
このキャラクターの描出は、演出なのか、彼女自身の役作りなのだろうかと、興味がわいてしまう。なんていうか……あえて観客に共感させないようにする感じがしたから。
愛するホスト、隼人を刺し殺そうとした沙苗、母親に伴われて気乗りのしない見合いをし、その相手である健太もまた友人の代役で来たという気楽さだったのだが、次のシーンでは二人は結婚している。
沙苗の母親はいかにも娘を厄介払いしたいような感じだったし、沙苗自身も、後々描写されるように、隼人への愛にがんじがらめになって、結婚なんてする気もなかったのにしたのは、健太から追及される様に、檻の中に閉じ込められた方がラクに生きられるということだったのだろう。
だけど、健太はなぜそれに同意したのだろう。恋愛期間が描かれることもないし、こんな過去を持つ沙苗と結婚するという決意は相当のものだと思われるのに、それだけ、受け入れる覚悟があったに違いないのに、後々彼女が隼人への未練を口にし出すと、かなり陳腐な言葉で彼女を罵倒するのが、アレっと思ってしまって。
でもそれも、計算のうちなのかもしれない。沙苗の、隼人に対する、客観的に見れば愚かな愛というものは、他のパートナーが存在しなければ、しっかりと浮き彫りには出来ないのだから。
沙苗は心療内科と思しきカウンセリングに通っていたのだから、彼女自身、自分の中の愛への認識と、他者が持つそれとの違いを知りたいと、見極めたいと思っていた部分はあったのかもしれない。正直、それはあんまり感じられなかったから、なぜ医者の元に真面目に通って、ぼんやりと独白を続けるのかしらんとは思ったけれど。
健太との結婚は、でも一見して幸福そうであった。林業を営む彼との住まいは、かつてペンションだったとおぼしきオシャレな一軒家だった。
でも、恐るべき隣人がやってくる。そもそもその登場が不穏である。健太の客だった。庭の木の伐採を頼まれていたのに、訪いを入れても全然出てこない。なのに家の中からはピアノ音楽が聞こえてくる。
カギがかかっていない家に入ってみるとレコードがかけっぱなし、すわ事件かと思ったけれど、家の中には誰もいない。開けっ放しの裏口から山へと分け入ってみると、害獣のワナにかかっちゃってる足立よしこがいた。健太まで別のワナにかかっちゃう。
この奇妙な出会い、よしこの正体が判っちゃうと、なんと奇妙な出会い。もう早速オチバレで言っちゃうと、彼女は隼人の妻である。この地で沙苗に遭遇するなんて、偶然というには……なんつーか、彼女は凄く怖いのだ。何をする訳じゃない。でも、猟銃を扱っているということはそんな資格を持っている、でもそんな人物が、急に沙苗の前に現れるっていうのが、めちゃくちゃ怖い。
沙苗に対して自分の正体を明らかにするのも、草むらの中、飛び立つ鳥たちに発砲して、イノシシを撃ちたかったんだけどな、だなどとあっけらかんと言い放った後なんである。
そんな具合に、沙苗にとっては隼人との愛は二人だけの宝石のような事実であり、それが事件として取りざたされている今になっても、やっぱり沙苗にとってはその想いは変わらなかった、のだろうことが、健太にも、観客にも、段々と判ってくるんだけれど、でもやっぱり、そういう訳にはいかないじゃない。
いや、なんていうのかな……最初はね、沙苗の、あるいは演じる橋本愛氏の芝居が、狂気じみていて、リアリティがないと思った。思ったというか……最後までそれはそうなんだけれど、つまり、思い込んでいる、私の愛こそが本当の愛で、健太との結婚生活や、隼人の妻であるよしこに対しても、その姿勢を崩さない。でもそれは、とても子供じみた、相手からのレスポンスを考えない、一方的で傲慢なもので、バッカじゃないの、と思う、思うんだけれど……。
そうした観客の想いをくみ取るかのように、健太やよしこが、実にまっとうな言葉で、ただの片思いで勘違いしているだけだとか、身体を売ってまで貢いで騙されていただけだとか言い放ってしまうと、実にまっとうで、そのとおりだと溜飲が下がる筈なのに、なのに、なんて陳腐な考え方、そんなんに本当の愛は負けない、とか、沙苗が乗り移ったかのように考えてしまう。
いやいやいや、そんな訳ない、健太やよしこが苦悩する愛こそが本物だと思いたいのに、それはつまり……理解の範疇にある愛だから、納得できてしまう愛だから、愛というものはそんな簡単なものではないと思う、思いたいからこそ、沙苗の極端な真実の愛に傾きそうになってしまう。単なる、単なる、身勝手な傲慢な愛が故に、相手を殺しそうになっただけだというのに。
存在さえ危ぶまれる、真実の愛というものを、その手につかみたいからこそ、翻弄されてしまうのか。うつろな表情で愛を求め、親の求めという言い訳の元にぬくぬくとした結婚という檻の中に入り、自らその中に入ったくせに夫を他人扱いする。
常に苗字呼びする沙苗に健太がいら立つのは当然のことだ。そもそもの見合い相手だった鈴木さんでも、小泉さんでも、健太さんと呼んでほしいならそれでも、どうでもいいのだ。
でも健太だってどうだったんだろう。友人の代わりに見合いを引き受け、沙苗の抱えた事情を受け入れて結婚した彼の事情は正直見えてこない。それだけの大恋愛に発展した訳もないのだ、今も沙苗は隼人を愛しているのだから。
いや、でもどうだろう。正直、ラストの沙苗の豹変、というのは言い過ぎかもしれないけれど、都合よく健太の元に帰ってくる描写は、上手く呑み込めなかった。
ここで実際の事件の経過を持ち出すのもアレだけれど、愛する男を刺すまでの情念を燃やした女子が、かなり早い段階で、言っちまえば刺して血を流して苦しんでいる男の様子に動揺する形で、自分の愚行に気付いたっていうことの方が、実際にリアルなのだろうと思った。その後はまるで別の人間を見るかの如く、客観的に自分のその時の状況を語っている実際の彼女こそが、リアルなのだろうと思った。
でもこれを、事件にインスパイアされたという形で映画にするってことになったら、そのリアルこそ、陳腐に思えてしまう。そして沙苗を取り巻く人たちに、陳腐さながらの台詞を言わせまくってしまって、現実の事件の彼女も、映画となった沙苗も、映画となった関係者も、一体どこに共感できるのか、判らなくなってしまう。
そんな風に、真実など、簡単に形には出来ないのだ。事件をニュースで見ても、インスパイアされてクリエイトしても、その中で役者さんたちが決死の覚悟で役を生きても、どこにも真実は得られないのだ。
愛の形をどうにかその手にするために、沙苗にとっても健太にとってもよしこにとっても大事な、欠かせない、そもそもの原因となる人物、隼人が、最後までその姿を現さないというか、金髪の後ろ姿を見せるばかりで、時にまるで影武者のように、新人ホストだという男が沙苗をナンパしたりもして、こんな重要人物なのに、まるで顔を見せないのだ。
沙苗に刺されて血だらけになり、トイレの床で動かなくなっているパンイチ姿の衝撃のオープニング、その後何度も、その金髪の後ろ姿が沙苗の目の前をかすめるのに、どんな顔の男なのか、まるで判らない。
よしこの夫だと知れて、ベランダで日向ぼっこする場面が出てきても、沙苗に傷つけられた痛々しい腹部の傷があらわになっても、サングラスをかけて日光浴しているのんきさなのだ。
ラストもラスト、行方不明になっていた隼人に沙苗が会いに行くプラネタリウムで、沙苗とハグしあった隼人の涙を流したお顔は映し出されるけれども、顔の上半分だけだし、泣いた真意も判らない。
そもそも行方不明になったこと、沙苗と会ったこと、その理由も判らんし、冒頭死にかけていたところからラストに至るまで彼は、彼自身の真意を明かすことのない、いや、明かすことを許されない存在、いわば依り代だったのだろうかと思う。
沙苗の、よしこの、健太の、それぞれが信じている愛というものを、時に肯定的に、時に否定的に、照明するための存在。だから……沙苗もよしこも彼を愛していると言いつつ、彼らの愛を実証するための材料に過ぎず、だから声も発せず、顔を見せず、ささやかな抵抗としての涙しか流すことができない。
だからこそラスト、沙苗が、健太が言っていた、たわむれの愛の解決法をかかげて、私がこれまで信じていた愛の定義は違ったのよ、とあっさり取り下げるような、確かにドラマティックなラストだけれど、そりゃないよと、正直ほんっとうに、そりゃないよと、激怒に近い気持ちになったのは事実。
いやそれは……沙苗のキャラ設定というか、彼女は一見、そのうつろさが強固な自我の表明のようにも見えるんだけれど、落ち着いて言動を見てみればブレブレだし、川に入り込んで身投げしようとするとか、勝手にやってろよ、とか思っちゃうし、インスパイアというあいまいさが言い訳になっているんじゃないかと思っちゃう箇所が何度となくあった。
沙苗という特殊な人物像に愛という大きなテーマを任せるなら、それこそ狂気なほどの信念を持ってほしかったと思う。★★★☆☆
本作はでも、その前になんだか、漫才みたいなのだ。スランプに陥った中年脚本家の智也が、開店休業状態の先輩脚本家にアドヴァイスを請う、というのが基本ライン。
この二人が、というか、この二人を軸にしたすべての会話がまるで漫才。ボケとツッコミが途切れなく続いていく。そういう意味ではどこか舞台的な雰囲気も漂う。
時に、これはどう思うかと、ピンクのカラミシーンを先輩に見せて、指導を仰ぐ。そうした映像の挿入があったりすると、それこそ現代のお笑いにもある、ピン芸人の総合芸術的ネタのようにも思えるし。
しかも、そのサンプルとなるカラミシーンに出てくるのが、豪華極まりない。まず切り込み隊長が辰巳ゆい先生、レジェンド倖田李梨師匠、ロリロリなあけみみう、栄川乃亜両嬢。智也はそれをつまらなげに先輩に見せて教えを請うのだが、いやー、充分充分、満足なエロじゃないの。
なのにため息ばかりの智也は確かに、先輩の言うように、中2を取り戻すべきなのかもしれなかった。だってあんなエロエロな奥さんがそばにいるのに、彼はすっかり戦意喪失状態なのだもの。
エロエロ奥さん、先輩に言わせれば、あんなエロい女がそばにいて、セックスレスになっているなんておかしいんだと言う。
神納花氏演じるその奥さんは、まぁ確かに男の目から見ればエロいのかもしれないけれど、客観的に、同性の目から見れば天然というか、隙ありまくりなことに自分自身が気づいていないというか、そんな感じにも思える。いや、かなり確信的にクネクネとした芝居をしているから、エロい奥さんを演じている、というテイなのかもしれない。
セックスレスであることを、おずおずと申し出る奥さんに対し、脚本が書けないストレス、その仕事内容がセックスそのものであることである智也は、奥さんとのセックスの最中にぶつぶつと、脚本のことに頭が飛んじゃって独り言を言ったりするんだから、これは即アウト案件。
正直、奥さんがこの状態に対してキレないことが不思議だと思っちゃうが、この奥さんはそうね……なんていうか、ファンタジーなのかも。脚本家の男二人(後に男優一人プラス)がピンク映画という夢の世界に存在してほしいと思うエロい奥さんファンタジー。
ヤボなことは言いたくないけど、結婚して10年ぐらい経つのだろうと思われる40代夫婦が、お子をなしていないことを、望まなかったのか、望んだけれど得られなかったのか、そうした葛藤がまるでないっていうのは、ファンタジーなんだよね。
先輩脚本家は更にそうかもしれない。奥さんに逃げられた、とだけ、今一人、生活保護を受けた方がいい状態にまで落ち込んでいる。
ハゲ散らかしてメタボなオッサンの彼だが、それなりの結婚生活をしていたのなら、この年代ならもはや自立した子供がいておかしくない、むしろそれに触れないことが不自然なぐらいなのに、触れないんだよね……ファンタジーなんだよなぁ。
確かに、子供というファクターを持ち込んだら途端に、夫婦間、あるいは年齢を経てのセックスという問題は語られづらくなるから、だからこその選択なのだろう。
でもそうなると、女性はファンタジーになるよね。他人からはエロいエロいと言われる奥さんが、夫側からはそうは見えない、というか、共に生活をしていく中で、自分自身の問題でいっぱいいっぱいになって、こんなエロい奥さんがいるのに、それを享受していなかった。
それどころか、自分の仕事が仕事だから、奥さんとセックスしても、ト書きばかりが頭に浮かんでしまう。こう書いてみると、確かに異常事態ではある。
先輩脚本家が、若い男優(細川佳央)を巻き込んで、智也の不毛な状態を脱するために必要なのは嫉妬だと。ヤキモチだと。他の男に奪われる焦燥を味わわせて、奥さんへのエロい情熱を呼び覚まそうと計画するんである。
それが、タイトルにもなっているネトラレなのだが、結局タイトルどおり妄想であり、寝取られることはない。ただ、若い男優は、自分はプロの役者なんだからマジになることなんかない、芝居ですから、と余裕しゃくしゃくで豪語していたくせに、沼に落っこちちゃうんである。
彼が奥さんと二人で仲良く台所に立っていたりしても、ちっとも嫉妬しないでのんびりゲームなんかしちゃってる智也に業を煮やして、わざわざ自分から提案して、報告をあえてしないとか、智也は家を空けた方がいいとかアドヴァイスしちゃって。
なのに結局ミイラ取りがミイラさ。奥さんに恋しちゃって、智也に離婚してください!と土下座する。ヤッてもいないのに。そう、寝取ってもいないのにさ。
と、こう改めて書いてみればタイトル通りネトラレは妄想だし、すべてにおいてプラトニックが過ぎる。カラミシーンはサンプルとしての映像と、智也が悩みながら愛する奥さんとするセックス、のみ。結局ふらちなセックスは何一つないじゃないの。
まぁさ、奥さんは、ちょっとアイデンティティは感じられないさ。友人がやっているカフェでバイトしていると聞いて、先輩脚本家が、その現実味のなさに、カフェで働いている奥さんは見送ってチューするんだろ、と智也に冗談交じりにけしかけたのが思わずうなづいてしまうように、なんだか絵空事奥さんなのよね。
恐らくそれは、狙っているのだろうと思う。若き役者青年が、その役者たる自分にプライドを持って、これは仕事だと、夫をやきもきさせるための関係性を奥さんと作るのが仕事なんだと思っていたのに、冷静だと思っていたのに、この絵空事天然エロの奥さんに陥落してしまう。
ヤッてないのよ、脚本の読み合わせの相手をお願いしただけ。奥さんが完璧に暗記して読み込んできたことに単純に感動しちまう彼。そして智也に、離婚してください!と土下座するまでに至ってしまうんである。まさしく絵空事の真骨頂。
なんか、こうして書いてみると、展開はなんかね結構、波乱万丈なんだよね。でも、冒頭で書いたように、基本漫才ベースだし、奥さんは天然で何も気づいていないようだし、……フェミニズム野郎としては、そんな奥さんのキャラ描写に歯がゆさを感じるのが正直なところだし。
結局は、智也と奥さんの、シンプルなラブストーリーだったのかな、という気持ちもある。セックスしてくれない夫に、自分に飽きたのかと恐れる妻、仕事が上手く行かなくて、そんな状態で愛する妻とのセックスに集中できなくて、ふがいない自分が許せない夫。
シンプルに、ただ好き好きと言い合っていた頃は、シンプルに好き好きとセックスが出来ていたのに。まさに、まさに、その時に戻るのだ。それには、こんな奇妙な、仲間たちの協力が必要だった。その仲間が、マジに彼女に恋してしまって、傷ついちゃったなんていう代償もあった。
智也が、今まではダルダルな格好をしていたのに、オシャレな帽子と白のタートルネックのニット、黒地に白の細いストライプジャケットという、攻めたオシャレをして玄関の前で待っている。妻もまた、ピンクのガーリーなインナーに落ち着いたパープルを羽織って。
最初のデートを再現しようというのだった。ファーストキスも、その時だった。ぎこちなかったけど、たまらなくドキドキしたあのファーストデートをたどり、最後はラブホテル、その看板の前のツーショットを先輩と後輩男優に送り付け、二人はラブな関係を取り戻すんである。
男性側に優しいというか、俺たち苦労してるんだよ、という感じで、奥さん側からしたらたまったもんじゃないと思うのだが、まぁそれを言うのもヤボというもんなのだろう。
40過ぎての、子供をなしていてもそうでなくても、その夫婦関係が、こんな風にシンプルにラブとセックスでつながっていてほしいと、ファンタジーかもしれないことを思う独女としては、いろいろ考えるところはあった作品。マジメすぎる?★★★☆☆