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「う」


2024年鑑賞作品

ウェディング・ハイ
2022年 117分 日本 カラー
監督:大九明子 脚本:バカリズム
撮影:中村夏葉 音楽:
出演:篠原涼子 中村倫也 関水渚 岩田剛典 中尾明慶 浅利陽介 前野朋哉 泉澤祐希 佐藤晴美 宮尾俊太郎 六角精児 尾美としのり 池田鉄洋 臼田あさ美 片桐はいり 皆川猿時 向井理 高橋克実 八木将康 川野直輝 山田佳奈実 おくつようこ 大森つばさ 久保田磨希 中川大輔 伊勢志摩 永島聖羅 鈴木もぐら 水川かたまり 岡野陽一 ヒコロヒー 河邑ミク


2024/7/31/水 録画(日本映画専門チャンネル)
劇場版の「架空OL日記」でバカリズム氏の才能をようやく知ったもんだから、しかもそれを、公開よりずっと後、コロナ禍に放映されていたものを観たもんだから、そっからすっかり出世してこの豪華キャストの映画の脚本家として抜擢されていたのを知らなんだ。
公開当時の予告編は観ていたのに、脚本バカリズム氏、というのにピンと来ていなかった。こういう映画こそスクリーンで堪能すべきなのだよなぁ。

篠原涼子氏主演ということだけれど、確かに最後まで見ればそんな気もするけれど、すべての人が主人公みたい。中盤までは特に、篠原氏の登場場面も少ないので、主演??と思っちゃうぐらい。
結婚式のトラブルを題材にするといったらそりゃぁ誰もが「卒業」の花嫁奪還を想起し、それをしっかり組み込みつつ、でもそれはサイドストーリーなのだというあたりが心憎い。

そして、結婚式のトラブルということから凡人が想像するのはヤハリ、漫然としたスピーチにあくびをかみ殺すとか、つまらない余興で場が冷え切るとか、ケーキ入刀やキャンドルサービスといった、新郎新婦が主人公となるイベントなのだから必須なのだけれど、結構これこそが見てられないとか。
それを、すべて、見事にくつがえして見せて、それこそをトラブルにしてみせるという発想が天才的過ぎて。

結果的に、素晴らしい披露宴となるそのトラブルというのは、時間が押していること。実にシンプル。それを完成させるために、見事に伏線が張られまくっている。
新郎が挨拶を頼んだ上司、乾杯の音頭は新婦の上司、新郎新婦の出会いVTRを作った新郎の後輩らが、自分たちの完成度にこだわって実に1時間もの時間が押してしまう。
それ以降の余興やスピーチを、ウェディングプランナー、篠原氏演じる中越らが削ることなくどう短縮していくか、そのことによってより感動が高まるといミラクルを産み出していくか、というスリリングな展開!

トップバッターを任されるのは、新郎の高校時代の後輩で、バラエティ番組のディレクターをしている相馬。正直、彼のところだけがあれ?と思ったのはあるんだけれど……。
本当は映画を作りたい、高校時代ロシア映画に目覚めて、でも今は下品なキャプションの色をチョイスしたりするときに、何やってんだ……と思ったり、している。

そこに先輩からの、相馬らしく自由に作っていい、という紹介VTRのオファー。彼が作り上げたのは、高校時代に憧れたロシア映画そのものの、なんつーか前衛的な画作りで、映画の観客であるコチラ側は正直ポカン。
スタンディングオベーションされて、スタッフも涙するようなものには到底思えなかったから、これは彼の妄想に違いないと思ったのに、その後の展開からすると、どうやらマジらしいのだよ……ね??

その後、新郎の上司が、職場での自分の落ちた立場を取り戻すためにと、徹底的にお笑いの研究をして練り上げたスピーチ、その彼に触発されて、即物的な乾杯挨拶を考えていた新婦の上司が、頭をフル回転させて彼もまた見事に当意即妙な乾杯音頭をとり、拍手喝さい。
この二人が終わった時点で1時間押しが判明し、つまりそれだけウェディングプランナー側もすっかり彼らに魅了されていた訳で、その後の時間をどうまとめあげるか、というミッションが湧き上がるのだ。

やっぱりこれは、バカリズム氏が芸人さんだから、お笑いに対する情熱をこの二人にメチャクチャ託してて。
お笑いのメソッドというか、本当に、アカデミックと言いたいほどに、詳細に分析していて、それを新郎の上司は事前の準備で、新婦の上司はその場のアドリブで、ってうのがさ、芸人さんのありとあらゆる能力をちりばめたいという感じがひしひしと伝わってくる。

だからこそ、その前に立たされた映像作家がどっかイジられているように感じるのは……これでスタオベされねーだろと思っちゃうのは……映画ファンとしては、哀しかったなぁ。
この中でマジに素晴らしいVTRで感動させるというのは、コメディとしては違うのかもしれないけど、うーん、でも、マジに感動VTRにしてほしかった気がする。

まぁそれは、おいといて……その後の時間短縮ミッションは本当にワクワクした。お見事。削るんじゃなくすべてをやり切る、短縮し、コラボすることで、二倍にも三倍にも完成度、迫力、盛り上がるという、これは、仕事とかすべてにおいて、見習わねばいけないと思わせる素晴らしさである。
和太鼓とダンスとマジックとマグロ解体ショーを一緒にしちゃうなんて、それだけ聞いたらマジでギャグだけど、スクリーンのこっち側で観ている私たちも思わず感動してしまう奇跡のコラボレーション。
マグロ解体していた新婦のお父さんが、マジックのイリュージョンで思いがけないところに飛ばされるといういきなりのファンタジーもあれど、これもまた、新郎の叔父さんがやりたがっていた縄抜けイリュージョンを想起させるのだから抜け目がなさすぎる。

その縄抜けの縄が、叔父さんが未練がましく持って来ていた縄が最後の最後で活躍するという、もう伏線の嵐で言いきれないのだが、ここでちょっと軌道修正。
そもそも新郎は、結婚式はやりたくなかったんだよね。まぁ気が進まない程度、というか、興味がない、というか。お金もかかるし。
でも、結婚式をやらないことが、夫婦のその後に関わってくることを経験上知っていた。そして、結婚式のあれこれを決める煩瑣に向き合わなければ、それもまた同じことであることも。

前半部分の、結婚式に向けての彼のやる気のなさ、あるいは彼女のやる気満々は、まぁよく聞く話ではあるけれど、いまだにそうなのか、とちょっとがっかりする部分もあったりして。結婚式に興味のない女子もいるだろうし、結婚式をやりたい、こだわりたい男子もいるだろうと思う、思いたい。
ちょっとね、こと結婚式に関して女子だけが前のめりという図式が、将来の夢はお嫁さん、だなんていう昭和時代を思い起こさせちゃって、フェミニズム野郎はケッと思っちゃうのだ。

でも最終的には、ミラクルな結婚式に彼も感動したのだし、そんなヤボなことは言いっこなし。それに良かったのは、式場の見学の時に、ちらちらと映りこんでいた他のカップル、それが男性同士だったことが、それを別に揶揄することなく描いていたのは、ああ、いいなぁと思って。
しかもこの時彼らが手にしていた引き出物アイテムが最後に効いてくるんだから、もうホントに伏線の嵐すぎる!!

なんてめんどくさい含みを持たせるのは苦手なので(爆)、二人が引き出物としてチョイスしたのはパンツ、なんだよね。男物、というんじゃないだろうな、引き出物なんだから。ユニセックスなボクサーパンツ。
引き出物は悩ましい、想像がつく。かさばらないもの、重くないもの。負担にならないという点では消えものがいいとも思うが、この二点で引っ掛かることが多い。消えものじゃなくても、負担に思われるものは避けたい。

そういう意味で普段使い出来て荷物にならないものといったら確かにパンツはいい。こっぱずかしいデザインでも、下に履いちゃうのならば人に見られることもないんだし。
でも、この引き出物が本当に有効であったことは、ラストのラスト、見事なオチで示されるのだけれど。

ようやくサイドストーリーにたどり着くことが出来た。そうよ、卒業よ。新婦の元カレの花嫁奪還作戦よ。でも結局それは、実行されることはない。てゆーか、間が悪すぎてあれこれしている間に、元カレ君はうっかりご祝儀泥棒に遭遇し、追っかけっことあいなるんである。
結婚式のタイムバトルだけで相当なボリュームなのに、サイドストーリーながら一本の映画になり得る展開を持ってくるのが凄すぎる。しかも、ノーテンキで間の悪い元カレに岩ちゃん、ご祝儀泥棒に向井理というイケメン極まりない二人を配置し、二人とも基本バカっつーか、特に元カレ岩ちゃんのアホさ加減が愛しく、ホントにこれで一本映画を作ってほしかったぐらい!

元カレ岩ちゃんが卒業よろしく元カノの結婚式に乗り込もうと思ったのは、同じ時を大学サークルで過ごした仲間たちとの温泉旅行で知らされたからであった。仲間たちはあくまでノリで、冗談でそそのかしたに違いないのに、なんかうっかり、俺が彼女を救い出す!!とか思ってしまった。
このあたりをリアルに深堀りしたら、ないないない、ということにはなるが、岩ちゃんと向井理という稀代のイケメン二人にくっだらない追っかけっこをさせるという贅沢極まりない展開こそが、しかもそれがサイドストーリーだというのが最高なんだから。

仲間との温泉旅行で、牡蠣が食べられない友人のをぶんどって食べまくって。しかも生牡蠣だからさぁ。都合6個は食べたんじゃない?確かにこれはハッキリとした伏線。新鮮な牡蠣であったって、6個は食いすぎさぁ。
ご祝儀泥棒との追っかけっこの途中で何度もトイレに駆け込んで、最後は、この泥棒の顔にまたがってブシュ―!!そして仲間が待つ小さな車に乗り込んで、臭い臭い言われながら、引き出物を開けてみると……仲間たちがいらねぇと笑う中で彼は、助かった、という最高のオチ!

そしてそうそう、新郎の叔父が未練がましく持ってきた縄抜けイリュージョンの縄が、半ばムリヤリ招待させられた、新郎の仲間たちが集うバーのマスターの、「ボーイスカウトやっていたから」という縄投げによって、泥棒キャッチ!伏線多すぎるわ!!
新婦が元カレ来ていたことも知らずに、知らぬが仏でお礼を言えなくて残念とか言っている、作り手側の優しさすぎよ。

ラストは、この急場を見事乗り越えた中越さんが、次の現場のトラブルに駆り出される。このオチで篠原氏主演というスタンプを押したような感じだけれど、やっぱりやっぱり、すべての登場人物が主人公と言いたいぐらいの素晴らしい配置で、本当にそれこそがミラクルだった。
コラボレーション余興のシーンは本当に素晴らしいエンタテインメント、見ごたえあったなぁ。★★★★☆


海の沈黙
2024年 112分 日本 カラー
監督:若松節朗 脚本:倉本聰
撮影:蔦井孝洋 音楽:住友紀人
出演:本木雅弘 小泉今日子 清水美砂 仲村トオル 菅野恵 石坂浩二 萩原聖人 村田雄浩 佐野史郎 田中健 三船美佳 津嘉山正種 中井貴一

2024/12/8/日 劇場(TOHOシネマズ錦糸町オリナス)
キョンキョンにもっくんだなどと言ってはいけないか、でもそう言いたくなるほどのこの豪華布陣。それぞれに役者のキャリアとして素晴らしい実績があるけれど、大人の役者となってからの共演は初めて見るかもしれない。
いつもながらテキトーに情報が頭をかすめていたので、キョンキョンが倉本聰脚本の映画に出演、画家の物語らしい、ぐらいしか判ってなくて、ポスタービジュアルをなんとなくしか見てなかったから、勝手に吉川晃司だと思い込んでた(爆)。ヒドい。白髪のイメージだけだろ、ちゃんと顔見ろや。

すみません、本当に、久々に朝イチ映画に頑張って行ったので、途中から眠くなっちゃったのは事実かも(恥)。いっちばん大切な、キョンキョンともっくんの再会シーンに眠気ピークで、必死に耳だけでもと二人の会話に集中していたが、そこで大した話をしていなかったような(言う資格あるか!!)。
なんていうか……過去に恋人同士だったという二人が、ある事件によって離れ離れになってしまったという二人が、でもその恋愛は当時燃え上がっていた、のか?というのは全く示されないので、つまりはこの物語は贋作ミステリー、二人の画家、男のロマンという身勝手さによるので、あ、口が滑りました。身勝手というのは本作が描こうとしているところじゃないと思うんだけれど、それを勝手に感じちゃったのが多分、いけなかったのね。

ていうか……なんか最初からマンガチックというか、小泉今日子氏がどこか確信犯的にマンガチックに演じている気がした。いや、冒頭だけだったかもしれないんだけれど。占い師に結婚生活や心に秘めている男性のことを指摘されて、面白いことおっしゃるわね、オッホッホ、みたいな、懐かしき大映ドラマみたいなお芝居だったから、あれれと思った。
だって占い師て。その後はそんなマンガチックなお芝居はしないんだけれど、むしろそれはスイケンと呼ばれる中井貴一氏にバトンタッチされた感はあるかなぁ。

もっくん演じる天才画家、津山竜次の“番頭”、つまりマネージメントを手掛ける彼は、竜次の才能にほれ込んだあまりに、これはまぁオチバレだけれど、彼が竜次を贋作作家に仕立て上げたということ。模写の絵画にその作者のサインを書き入れて世の中に送り出した。
それは、竜次を画家として生計を立たせるためだったのかもしれないけれど、こんな才能のある人が、世の中に認められないなんておかしいと、感じているようにも見えた。それは腐女子的勘繰りを付け入らせる隙があるんだけれど、なくはないとは思ったけれど、倉本先生自身に絶対にそんな気分はないことは判っているから、やっぱり違うんだよなぁ。

倉本先生はこんな多様性の時代が来るなんて思っていらっしゃらなかったと思うから、女性の描き方は、今やなんだか懐かしいような気持になるというか。
そもそもの、キョンキョン演じる、大家の画家の妻である安奈は、同じ学生同士であったと言っていたと思うんで(すみません、だから私、うろ覚え(爆))、彼女自身が美大生、そして今キャンドル作家になっているんだから当然そうしたアイデンティティはあるんだけれど、ある筈なんだけれど、結局は偉大なる画家の妻であることでしかない、世間的にはそうでしかない。

それはいいのよ、いいというか、いまだに日本はそーゆー国だから。でもそれを、彼女自身が、自分もクリエイターなのに、というアイデンティティを、そのプライドを夫によって浸食されていることを、自覚していない筈はないんだけれど、正直感じられなかったのが、歯がゆい。そんなことを描くだけの尺がなかったのかもしれないが、彼女がキャンドルアーティストだという描写が単なる飾りのように見えてしまったのがむしろ辛かった。
いや、そんなことはない。過去の恋人に知らず知らず似てしまった、だって今の老いた姿を知る由もなかったのに、という、ロウが溶け出すと涙を流し出す老人のキャンドルが、死にゆく彼の枕元に置かれるのだから、充分に意味があるのは判る、判るのだけれど……。
つまりね、安奈だけじゃなく、あと二人主要人物として女性が登場するんだけれど、その二人のキャラクターも、同性としてはなんだかなぁと思ってしまったもんだから。

この二人は、対、というか、光と影、というか、でもそれは、男性側から見た視点でのそれである。竜次は画家と同時に彫師でもあって、それが本作をサスペンスめいた色合いにもするのだが、正直それもなんだかなぁと思うんだけれど(爆)、まぁそれは好みの問題かもしれないから。
清水美砂氏がなまめかしく演じるザ・水商売の女性、牡丹。自分の立場を若く瑞々しいバーの店員、あざみに奪われたと知り、なげやりに酒をかっくらい、自殺死体で発見されちゃう。

またまたオチバレで言っちゃうと、牡丹は竜次の彫りカタログとして全身をささげてて、その死体を発見した警察官が驚きの報告をするシーンがあるのだけれど、刺青マーケット事情をこんな下っ端警官が判っていたとは思えないんだよなぁ。めちゃくちゃ説明パートに聞こえる。
そもそも牡丹が自死まで選んじゃうというのがどうしても解せなかった。いや、これが、そうね、半世紀前ぐらいの映画なら、あるかもしれなかった。若い女の肌に自分の価値が奪われる。それはセックスの対象から外れるよりも辛いかもしれない。愛どころかテクニックさえ、及ばない、冷酷な老いの宣言なのだから。

竜次自身が彼女を見限った訳じゃなくて、スイケンが、つまりセンセイの番頭が推薦しただけなのだという逃げがまた憎たらしい。腐女子の希望を叶えてもくれないこのオッサン二人は、新旧の女二人を知らず知らずのうちに冒涜したことも気づかずに、男のロマンに溺れたまま、竜次は死んでいくのだから。

あぁ、だから私はしっくり来てなかったのだ。死にゆく男のロマンに付き合わされるほど女はヒマじゃない、と言いたいのだ。なぜ牡丹は死んでしまったのだ。マジで解せない。こんな身勝手な男どもにとって彼女の死なんぞヘでもない。実際、竜次もスイケンも彼女の死にまるで言及しなかったじゃないか。
牡丹は自分の代わりとなったらしい若い女、あざみに、先生に抱いてもらいなさい、という。あんなに女を優しく抱く男はいないわよ、と。結果的に竜次はあざみを抱かない。もう病に侵されていてそれどころじゃなくなっているからなのだけれど、あざみの方は裸でセンセーの身体をあたためたり、まぁ正直ヤル気マンマンであり。

彫師にとって極上の身体を持つあざみに、一時はモネの睡蓮を超える睡蓮を彫ろうと思っていたと語る竜次だけれど、そうしなくて良かった、と言い残して死にゆく。センセーの死に泣き崩れる、何一つ汚されず、冒されなかった清廉潔白な乙女の姿は、牡丹は勿論、最強である筈のかつて愛した恋人の安奈も軽々と超えてしまう。
でもそれは、でもそれは、この三人の女を、結局は冒涜しているとしか思えず、なのにこの三人が彼を愛していた、愛している、という図式が成立しちゃうのが、本当に腹立たしく感じてしまう。

贋作を描かれたのに、その見事さにショックを受けた安奈の夫、田村が、画家の良心という、結局は世間に向けたへりくだりで告白したところから始まるこの物語は、美とは何か、ということがその言葉通り語られる壮大なテーマ性があるのだけれど、それが描けていたのかどうか……。
素晴らしい才能を持ちながら貧困ゆえにキャンバスさえ買えず、教授の絵を盗んで塗りつぶし、その上に描いた絵が大絶賛を受けてしまった、後に、その事実が発覚、画壇に上ることさえなく姿を消した竜次。
その竜次の恋人だった安奈は、彼を糾弾した側の田村と結婚し、今や政治家がレセプションに訪れるような回顧展を開く大画家の隣に、結婚生活は破綻しているのに、和服姿でにっこりと笑っている。

夫には別に家庭があり、自分たちにはいない子供もいるのに、夫は対外を気にして離婚に応じず、つまりは仮面夫婦を続けている。この要素はかなり重大で、これだけで一本の映画が作れるぐらい。
だって、つまりは妾状態を強いられている夫の愛人とその子供がいる訳で、その子供の方がやってらんねぇよ、と思うだろうに、描き方としては、離婚もさせてくれない、仮面夫婦を続けさせられている安奈ばかりが被害者で、あっちの人たちは登場すらしない。作劇的にはスムーズなのだけれど、やっぱり納得できない。

先述した竜次側の女二人も同じで、やっぱりさ、どんな映画でも、それがどんなに、フェミニズム無視なマッチョな映画でも、どこかに女の気持ちを、感情を、満足させられるところがあるかないか、だと思うんだよね。それは本当に、ささいな、隙間的なことだと思うんだけれど……それが、なかったんだよなぁ、正直。
何度も言っちゃうけど、一番なんで??と思ったのは牡丹が自死したことだった。しかも、竜次に抱かれなさいよ、と、女はセックスが上手な男に抱かれるのが最高の幸せ、みたいにあざみに告げた後に死んでしまう、というのが、本当に、許せないというぐらい、腹立たしかった。

あぁ、なんか、曲解も甚だしいのかもしれない。でも、正直な気持ちかなぁ。竜次の画家っぷりも、いまわの際、余命いくばくもないのだからこれだけ劇場型になるのは当然とも思うけれど、そう、それこそ、冒頭のキョンキョンのマンガチックを継承してここに集約されている感が凄くあって、段々引いちゃったのは正直、ある。もって半年のがんを患い、口から血を吐き、その血の色が自分が求める赤色だとか、マジで大映ドラマかよ、と思う。
絵の良し悪しというか、美術、芸術の良し悪しと言うのは古今東西、めっちゃ言われるところだから、こういう作品を大作チックに作るのは、意外と難しいことなのだということが判ってしまった、ということなのかもしれない。★☆☆☆☆


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