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「あ」


2025年鑑賞作品

アイチェルカーレ
2025年 60分 日本 カラー
監督:小池匠 脚本:浅見サト 小池匠
撮影:西岡空良 音楽:佐藤太樹
出演:雪乃しほり 吉川流光 河路由希子 中川可菜 中神円 小野匠 村松和輝 仁科かりん 小島彩乃 松瀬吹蕗 山口森広 井筒しま 木村知貴


2025/3/10/月 劇場(新宿K's cinema)
このタイトル、どういう意味なんだろうって、まず公式サイトに飛んでったが、そのサイト自体とても簡単なもので、タイトルの由来も載ってない。ざっと検索したらすぐに出てはきたんだけれど、まぁつまりは造語で、わざわざ作中でも、オフィシャルサイトでも触れるようなことはヤボだということなのかもしれない。
ミステリアス、とまでは言わないけれどとても雰囲気のあるタイトルで、それは本作の、取りようによってはいろいろ意味深に深堀り出来ちゃいそうな作品世界に似合っている。

ちょっとね、ホント、取りようによっては少し怖い妄想も出来ちゃうかもと思ったんだよね。主人公マナが一緒に暮らしていたあいが突然姿を消し、その行方を追う物語なのだけれど、マナがまるで恋しているかのように描写するそのあいという女の子は、顔を見せない。いつも画角から見切れている。
最初からそうだから、そしてそれは最後に顔を見せてエンド、といった雰囲気ではなかったから、あ、これは最後まであいの顔は見せないんだと不思議と理解出来てしまう。
でも、ならば、なぜそうするんだろうと、まだ顔を見せる可能性はあったのに、見ている間中それを考えていたように思う。

だって、本当に、不思議なんだもの。そもそものマナとあいの出会いは、甘やかな、いい時代の少女まんがのボーイミーツガールのようだった。友人に連れられてきたクラブのカウンターで身をすくませていたマナに、あいが声をかけた。騒音で聞き取れず、あいはカセットレコーダーに声を吹き込み、イヤホンの片方をまなの耳に装着させ、かちゃり、と再生させたのだった。
その途端、周囲の騒音は一瞬の静寂となり、あいの声がマナの中に駆け抜けた。ラーメン食べにいかない?そんな他愛もない台詞だけれど、まさにこれはナンパ、いや、愛の言葉とさえ、マナの表情から受け取れてしまう。

腐女子はついついそんな妄想をしがちであるが、でも、マナはあいに恋していたとしか思えないんだよなぁ。あるいは、もうひとつの、先述したようなちょっと怖い妄想も浮かぶのだけれど。オチバレでもないのか、オチがなんなのかもないのだから、でも、最後まで顔を出さなかったあいは、本当に存在していたの?と思っちゃったのだ。
確かにあいを知る人たちは次々に登場する。それは、マナがあいを見つけ出したくてコンタクトをとる人たちなのだけれど、誰もあいの行方を知らないし、あの子ならそんな風にふいに消えるだろうと言うし、それは彼女のお兄ちゃんでさえ、そう言うのだ。

マナはまず、あいと出会ったクラブに赴く。誰もがあいのことを知っているけれど、どこか雲をつかむよう。スタッフの女の子が、裏アカ知ってますか、と突然不穏なことを言う。全然動かしてなかったけど、と確認してもらったら、「二児の父」ナントカというアカウント名の男性とコンタクトをとっている。
すわ浮気!と思うあたりが昭和の女(爆)。でも、マナだって、その恐れは感じていたに違いない。そもそもあいがSNSをやっていたことさえ(ほとんど動かしていないにせよ)知らなかったのだから。
そして、それを知っているクラブのスタッフ女子に対するマナのどこかおどおどとした視線は、嫉妬のようにも、恐れのようにも感じられて。

そして、その「二児の父」さんに会ってみる。待ち合わせの恐る恐る加減がマナの、示されてはいたけれど、内向的で、人付き合いが苦手で、でもあいと出会って幸せで、あいともう一度会いたいと願う必死の熱意が出ていて、ドキドキしてしまう。
そしてなんと予想外の展開、いや、もう一人の主演は宣材写真とクレジットに登場しているから判ってたけど、黒いフレンチブルドッグの女の子、とうふの登場。なんと、あいが、友人が受け取るからと譲渡の手続きをしていたんである。

プロデューサーさんの愛犬であり、だから実名のとうふ、であり、雪乃しほり氏とダブル主演として堂々クレジットされているんである。
この日、トークイベントでプロデューサーさんの前抱えのバッグにおとなしく収まり、その穏やかな姿は劇中のとうふそのもので、あぁ確かにこのとうふちゃんをスクリーンに登場させたいという、いわば飼い主の愛という名のエゴ(いやその)は判るわなぁ、と思ったり。

その経緯を知ると、このとうふに、どこまでの意味を持たせていたのか、癒しの存在としてパーフェクトだったから何もそんな、意味もなく深掘りしなくても良かったのかとも思うけれど。
でも……やっぱり、さぁ。あいを徹底的に見切れさせ、それはある意味その存在を否定することでもあり、いわばその代わりとしてこの愛らしいとうふがマナのもとに授けられるのだから、やっぱりそこには意味合いを感じずにはいられないじゃない??

マナは犬が苦手で、だから突然とうふを引き渡されて困惑しかなかった。恐る恐る遠巻きに見て、部屋で一緒にいてビクビクしている始末だった。
女の子二人が同居していたちんまりとしたアパートで、ワンコを飼ってて大丈夫なのかなと、昭和おばちゃんは現実的な心配をしてしまう(爆)。そして、とうふがマナに訴えてるのは散歩だろうなと思うと、怪訝げに遠ざけるマナに、それぐらいは察しておくれよ……とハラハラしたり。

とうふに、あいが宿っている、とまで考えるのは危険かなぁ。あいはマナに、マナに見せたい場所を見つける旅に出る、とカセットテープに言い残して姿を消した。その声はとても明るくて、その身勝手さを糾弾する気持ちを失わせるほどのものだったし、それってまさに、マナに対するあいの愛の言葉としか思えなかった。

そしてあいはマナにとうふを残したのだった。中盤、あれは夢だったんだろうと思うんだけれど、初売りに行く約束をしたのになかなか起きないあいに、マナが起こしに来る場面。あいは、とうふと散歩に行ってきなよ、と告げて、マナはとうふに引っ張られる、とうふ目線のカメラワークで、ぐんぐん引っ張られる。
あれは……引っ込み思案のマナを、あいがいなければ外に出かけることも躊躇していたマナを、連れ出すために、とうふを授けたということに見えちゃう。だとしたら、あいは本当に存在したのか。誰もがあいのことをこんな人物だったと語るけれど、その自由人っぷり、奔放っぷりは、まるで夢のようで、現実味がないっちゃ、ない。

特に、マナが発見した、あい所蔵のカセットテープから突き止めて会い行った「もう年単位で会ってないかもしれないけれど、近くに感じている友人」だと語った女性、特に台詞に出す訳でもなかったけれど、マナの嫉妬というか苛立ちは、なんか凄く感じられちゃって……それとも、そんな風に受け取ってしまう私が、腐女子的妄想に傾きすぎなのだろうか??
でもさでもさ、もう言いたくて言いたくてたまらんから言っちゃうけど、いわばオチというか、結局あいが見つからなくて、残されたカセットテープを聞いたり入れ替えたりレーベルを書きかえたりするんだけれど、そこでね、タイトルを書き直す。仁藤愛、水本愛、これは……。

あいであり、マナであり。この表記はオフィシャルサイトなり、ネット上のデータでそうと知れるけれど、確かに劇中では音でしか判ってなかった。
マナが、帰ってこないあいのことを思いながら、最初に出会ったクラブのカウンターで、開店前の静かなその空間で、どこか所在なげにカセットテープを入れ替え入れ替えしている。そしてそのタイトルにそれぞれ書かれた名前、マナ、あい、それは同じ愛、という漢字。

これを、どうとるのか……。最初から二人も、あるいは周囲も、普通に認識していたのか。それとも二人だけの秘密、つまり運命のように感じていたのか。
さらにさらにそれとも、鑑賞中ずっと感じていたことだったけれど、あいは本当にいたのか。マナの中に疑似恋愛的に登場した、自分の分身としての“愛”じゃなかったのか……。

うがちすぎ、妄想しすぎ、考えすぎ。そうねそうね。とうふワンコの可愛さを愛でればそれでいいのよね。
でもさ、女子のいわば、本質の怖さを本当に判っているか否かで、いくらでも妄想のベクトルは広がっちゃうんだもの。見切れたあいがラスト、帰ってきたらしいことを、ハッピーエンドととらえていいのかどうか……。★★★☆☆


雨ニモマケズ
2024年 90分 日本 カラー
監督:飯塚冬酒 脚本:飯塚冬酒
撮影:岩川雪依 田村専一 音楽:
出演:安野澄 諏訪珠理 上村侑 木村知貴 山中アラタ 中野マサアキ 和田光沙 福谷孝宏 深来マサル 山崎廣明 宇乃うめの 三森麻美 片瀬直 富岡英里子 笠松七海 生沼勇 神林斗聖 南條みずほ 小寺結花 尾込泰徠 梅垣義明 東ちづる

2025/2/10/月 劇場(新宿K's cinema)
前半、30分くらいかなぁ、ワンカットで撮っているんだよね。開場前の準備、リハーサル、来場者の案内、舞台監督の怒号、出演者のワガママ放題、大物ゲストに浮足立ったり、宅配弁当屋さんに横柄な態度をとった芸能マネージャーが組み伏せられたり、どうやら不倫男女の、その奥さんがにこやかに現れたり、というのを、メインとなる人物をすれ違うたびに切り替えて、会場内をぐるぐる、あらゆるところを、表も裏も回りながら、カメラが追っていく。一度もカットをかけることなく。

これは凄い、凄いんだけど……思いっきり、手持ち(だよね?)カメラの手ぶれで酔ってしまって困った。これはね、凄いのよ。ものすごく緻密な計算で、動線、人物の動き、会話、すべてを寸分たがわず整えなきゃいけない。
凄いことは判ってるんだけど……酔いました、完全に。頭痛くなっちゃって、後半は見事なゴスペルライブを数々見せてくれただけに、健全な状態で堪能したかった!というウラミが残る。

これこのままワンカットで行くのか……もしかして最後まで?と不安を覚えてしまったが、良かった、開場までの流れだけだった。良かったとか言うなって話だけど(爆)。
これねぇ……クリエイターとしてこれをやってみたいんだろうなと思う。一度はやってみたいんだろうなと思う。でもこうして撮りきることが出来ても、それだけで成功じゃないと思うんだよなぁ。「アイスと雨音」が、まさにこのワンカット映画を、本当に最初から最後まで完璧にやり遂げたことを思い出すと、奇跡の所業だと改めて思ったり。

で、すみません、私が単に三半規管が弱いだけということかもしれないし(爆)。ゴスペルをテーマとした映画は、まさにそれこそ「天使にラブ・ソングを…」以外に思いつかないかも。だから日本映画では初めての出会い。監督さんはまさにまさに、ゴスペルと共に生きてきた経歴のお人なんだ……。
この物語、東ちづる氏演じるゴッドマザー的存在が亡くなって、その1年後のメモリアルコンサートという設定、そのまんまじゃないにしても、多かれ少なかれ、事実、真実が盛り込まれているように感じる。ゴスペルという、いわば海外文化に対しても日本の重鎮みたいな輩がいて、梅垣義明氏演じるそうしたうるさ型が、こんなものはゴスペルと認めないよ!とか、めっちゃありそう―!と思う。

ゴスペルのことは全然知らないのだけれど、後半の、あらゆるグループがパフォーマンスを畳みかけるのを体験すると、ゴスペルに限らずどんな分野も、伝統を大切にしつつ、それを打ち破る新しい波、その闘いがあれど、皆がそれを愛している、ということがあるんだなぁと思う。
正直、かんっぜんにウーピー・ゴールドバーグをモノマネしたアフロウィッグで楽屋でわちゃわちゃしているそれなりの妙齢女性たちから始まるし、彼女たちは客席で弁当を食べていてスタッフに注意されたりするし、うっわ、どうしよう、こういうおばちゃん物語に付き合わされるのかと(言い方……)思ったりしたのだが、彼女たちの中にも物語があるし、そして何より、これからこのゴスペルシーンを担っていく若者たちの葛藤の物語こそが、あるんであった。

東ちづる氏演じる増渕麗の没後1年のメモリアルコンサート。彼女の息子、タツヤがとても印象的。特に説明はないけど、多分一人息子で、多分母子家庭。演じる諏訪珠理氏がとても繊細な独特のオーラを放っていて。まさに彼がそのまま、一篇の詩のようである。
正直、タイトルとなっている宮沢賢治の詩、そしてラストにタツヤがそれを一人、ステージで朗読するのも、な、なんで?いきなりここだけ物語と乖離してるやん、と思ったのだけれど、今こうして改めて考えてみると、母親が亡くなって、身の置き所がないようにこの会場の片隅にいて、でも母親と関わった人たちが、つかず離れず彼のことを気にしていて、そしてその人たちも自分たちの人生がそれぞれにあって……という中に、タツヤの内向的なオーラで雨ニモマケズを朗読すると、そういうことなのかも……と、いや、どういうことなのかよく自分でも判んないんだけど(爆)、とにかくとても、雰囲気があったから。

カメラがとらえる、一瞬一瞬の主人公という登場人物が、つまりメインとして紹介されている人物が実に22人もいて、この紹介を鑑賞前に見た時には、うっ、これは、私の苦手なオムニバス的なヤツかも、と身構えたのだが、そうではなかった。
本当に、流れていく。人生のように。この、1人の愛すべきゴッドマザーのメモリアルに集まった人々の、観客も含めてすべての人たちに一人一人、尊い人生があって、それを代表する形で、22人の一瞬の人生が切り取られる。

序盤のそれを任されたのが、スタッフとして忙しく立ち働く南で、増渕麗の息子、タツヤをはじめあらゆる人たちから、今日歌いたかったんじゃないの、と問いかけられるのだが、そのたびに今日は裏方だから、と返すんである。
本当に、繰り返し、そのやりとりが描かれるから、彼女はなぜ今日は裏方なのか、裏方だけに専念することを選んだのか、ものすっごく気になっちゃうが、それが一切明らかにされないのは、うーん、どうなのかなぁ、とはちょっと思ったかなぁ。
22人の登場人物それぞれが主人公として物語があるから尺が足りないのかもしれんが、回収できないのなら最初から投げかけないでよとも思うし……。だってかなり思わせぶりな感じだったからさ。今日歌えない理由が何かあったんだと思うじゃん。しかも彼女は、22人の中で最も多く登場、まんべんなく走り回るから余計に。

南を何くれとなく気にかけているディレクターの山田さんは、重鎮のあしらいもそれなりにこなすし、南へのおごりもデートじゃないからね、なんて付け加えたり、一見ちょっとチャラそうにも見えるんだけど、彼が一番、周囲が見えている。それは、最後の最後、増渕麗のビデオメッセージの撮影者として、彼女から呼び込まれてちらりと出演もする信頼関係で、もう一気にそれが証明されている。

チャラそうと言えばもう一人、女性アイドル、ユイのマネージャーとして来ている鎌田がまさにそうで、もうね、今や古臭いと思うんだけれど、今の時代、自分のやりたい歌だけやっていきたいだなんて、甘いんだよとかさ、そんなこと押し付けるオメーが今の時代判ってねーわ!と吠えたくなる。
ユイはミナトに、……彼とはどういう関係だったのか、すみません、頭が痛くてちょっと眠くもなっちゃって(爆)、追いきれてないんだけれど、でも男女のあれとか、そういう感じではなかった。表現者として生きていきたいと思ってて、でもそれが、若さゆえ大人に搾取されそうな状況にあって。

ミナトは……劇中の感じでは彼が本当はどうしたいのか、ちょっとスカして大人の前では発言している感があるから判らないんだけれど、ただ、素直に、今この場で、表現したいことをしているということこそが、大事なことなんだということなのかもしれないと思う。
ユイはそれがずっと出来なくて、商業ベースに乗っても、売れなくて。彼女のことを何にも判ろうとしない傲慢強欲高圧なマネージャーに反抗する形で、Tシャツにデニムで、ギターを抱えてステージに上る。彼女がそもそもどういう活動、アイドルとしてキラキラだったのかなと推測はされるけれど、これまた判らないままだったので、ちょっとモヤっとする部分はあった。

でもまさに、それに反抗してギターで弾き語りをするユイは、めちゃくちゃオンリーワンで、素晴らしかった。演じる南條みずほ氏は、そうねやっぱりシンガーソングライターだという。そうだよね!
ゴスペルを習っていた筈だけれど、披露する歌にはゴスペル色はなくって、本当に私(わたくし)の世界に自ら降りていく、覚悟を感じるパフォーマンスで、聞き入っている聴衆の表情で、それが本物だと、確信できた。

なのにこのクッソマネージャーは、今更自分の歌をやりたいだなんて愚かだと腐す。おーまーえー、オメーが彼女の実力を魅力を引き出せなかったから今この状況にあるってことを、判ってねーのか!!
いやその……売れる売れないってのは、難しい問題はあるんだろうけれど、本作の監督さん、50過ぎてるとトークで語っていたから私と同世代、昭和世代の、パフォーマーをちっとも尊重せずに、戦略のコマのように扱っていたのを、子供ながらに感じていたエンタメ業界を、反映している感じがする。
だけど、今は違うよねとも思うので、ちょっと違和感はあったかなぁ。それともこんな昭和臭、いまだにあるの?だとしたら、かなり問題だと思うけれど……。

ユイに助言する、ゴスペルパフォーマーであるミナト。すみません、多分このあたりがめっちゃ睡魔に襲われてた(爆)。どうやら出自も含めてのあらゆるプレッシャーにさいなまれていたキャラクターらしい。
柳楽優弥っぽい濃いめのイケ男子で、フィルモグラフィー見る限り、遭遇している筈なのだが、今回お顔とお名前が初めて一致したかも。

ベテランの音響スタッフが、奥さんの出産を控えていて、でも仕事中だからと着信に出なくて、なら電源切っとけよとちょっと思うのだが(爆)後輩男子が代わりに出て、ヒーフーを代打するシークエンスが、ちょっと良かったかな。
ベテランスタッフは、私よりも10ぐらいは下かなと思うんだけれど、きっと監督さんの、私と同じ世代であろう監督さんの価値観を、つまりは昭和的価値観をちょいとかぶせられている感があったけれど。40ぐらいの男子だったら、ベテランであってプライドがあっても、こんな昭和な対応とるかなぁと思うし、とってほしくないとも思うけれど、まぁとりあえず、新しい命が産まれて良かった良かった。

ゴスペルのパフォーマンス、それも数々のグループのクライマックスが圧倒的で、私が酔ってしまった前半のワンシーンワンカットも意欲的で、唯一無二の作劇だと思った。ゴスペルライブ、行ってみたい。★★★☆☆


アンジーのBARで逢いましょう
2025年 88分 日本 カラー
監督:松本動 脚本:天願大介
撮影:福本淳 音楽:
出演:草笛光子 松田陽子 青木柚 六平直政 黒田大輔 宮崎吐夢 工藤丈輝 田中偉登 駿河メイ 村田秀亮 田中要次 沢田亜矢子 木村祐一 石田ひかり ディーン・フジオカ 寺尾聰

2025/4/17/木 劇場(シネ・スイッチ銀座)
凄い良かった。日本でもこんな映画が作れるんだと思って。それは勿論、草笛光子という稀有な存在があるからであり。
だってオリジナル作品というのが嬉しいじゃないの。インディーズ系ではなく、こんな大女優を招聘した商業映画でベストセラーの原作もない、オリジナル作品というのは昨今、本当にお目にかかれないから。

確かに日本なのに、日本のさびれた地方の街角なのに、草笛氏演じるアンジーが風に吹かれてやってくると、まるでラテンアメリカの風が吹いている感じ。それは終始作品をご機嫌に彩る音楽がまさにそのテイストで、ワケアリ女、アンジーに草笛氏、めちゃくちゃ似合う、めちゃくちゃ素敵!
彼女の低い声、ぱしりと断定する物言い、鋭い眼光、でもチャーミングな物腰と笑顔。一瞬一瞬が本当に画になる人で、それは監督さんもオフィシャルサイトで語っていたし、本当にそう。リヤカーの後ろに真っ赤なドレス姿で後ろ向きに座って、ぴらぴらと手を振る、その姿がなんてキマって、粋なんでしょう!

まさに風に吹かれてやってくる。徹頭徹尾、めちゃくちゃオシャレ、いや、オシャレという言葉じゃ追っつかない、着こなす、んじゃなくて、このドレスが彼女のためにかしづいているような。

すっかり廃屋状態のバー、不動産屋の札がぶら下がっている。その不動産屋に乗り込んだアンジーは無造作に札束をばん!と叩きつける。失礼ながらこんなご高齢の、とか不動産屋の主人は言うが、その一瞬だけだった。彼女に実年齢の失礼なんぞを言うのは。
後に登場する、彼女に騙された詐欺集団はまさに、こんなバァサンに、と侮ったに違いないが、アンジーとひとことでも言葉を交わせば、アンジーはアンジーという存在であるというだけですべてを超越していることが判るのであった。

この物件はワケアリで、なんか次々不審死やら自殺やらを遂げているってんで、それもあって不動産屋は駐車場にでもするべきだと難色を示すんだけれど、そこに現れたオーナーが、あぁ、大好き寺尾聰!!!もう一目見ただけで、あなたに貸します、と即決。
あっけにとられた不動産屋主人が外に出て一服つけながら、二人があっという間に打ち解けて話が盛り上がっている様子を窓越しに眺めて、いくつになっても年上の女がいいのかねぇなどとつぶやくから、あれっと思った。昨今は多様性が叫ばれる時代、それを入れ込まなければという義務的な感覚を感じることが、それもなぁと思いもするけれど、でもとにかく、感じちゃったのであった。

この主人、このオーナーのことが好きなのでは……。それはうがちすぎだったのかもしれない。最後までそんなことは示唆されないし。でも、このバーのお向かいの理容室の一人息子、青木柚君演じる麟太郎が、幼なじみの男子を思い続けていることがこの物語のひとつのメインになっているから、その橋渡しになっているような気もしたのだった。

そう思えば、麟太郎の母親、お向かいの理容室の女主人の満代も、ダンナを自殺で亡くしていて、もうすっかり恍惚の人になってしまったかつての姑から人殺し!!と追いかけまわされるという地獄のシークエンスがあったり、麟太郎が恋している先輩の妹が同級生で、プロレスラーを夢見て兄の特訓を受けていたり、何よりアンジーが店の改装のために声をかけるのがホームレスたちで、実は手に職を持っている男たちが人生を取り戻したり。
アンジーは狂言回し、というか、触媒というか、彼女によって人生があぶりだされ、輝きだす、という構成ではある、確かに。アンジーは謎だらけだし、どこか御伽噺チックなキャラクターで、そのまんまディズニーランドのアトラクションにいそうなぐらい。

でもやっぱり、やっぱりやっぱり、彼女が絶対的な主人公。凄く不思議なんだけど、だって彼女自身に何があったかとか、その人生とか、全然判らないのに……それこそさ、この年齢の女性が一人、知らない街に現れるだなんて、普通に考えれば警察沙汰(違う意味で確かに警察沙汰だったんだけど)だけれど、そんなヤボなことは考えに浮かばない。
象徴的なのはラストで、この街を後にしたアンジーが広大な自然の山道で、ヒッチハイクする、なんとまぁ羽織袴姿でバイクをぶっ放すディーン・フジオカに拾われ、イカしたお姉さんとしてニケツするっている、さいっこうのラスト。まさにこれが、アンジー、演じる草笛光子様でしか作り上げられない女性像!

興奮しすぎて、すっ飛ばしてしまった。そうそう、ワケアリのアンジーだけれど、まずはホームレスの職人たちを雇いあげ、ボロボロの店を少しずつ作り上げていくんである。六平直政氏、黒田大輔氏、工藤丈輝氏のそれぞれ個性爆発のキャラクター。
特に工藤氏演じる、ひとこともしゃべらない、麿赤児を思わせる前衛舞踊を披露する男が、凄く良くて。いい感じにファンタジーで、いい感じにリアリティ。現実社会に適応できないんだけれど、すさまじい才能を持っている、それを披露する場がない、てか、披露する気もない、ナチュラルボーンアーティスト。
アンジーは職人としての六平氏をまずスカウトしたけれど、彼はホームレスの仲間たちを数珠つなぎに紹介して、その中に、この孤高の芸術家がいたんであった。

彼は、通常でも、詐欺師グループを撃退する時にも、そしてすべてが終わり、大都会の雑踏の中でパフォーマンスを披露して拍手喝さいを受けている時も、まったく変わらず、同じく、彼自身の表現を披露している。
言葉を発さないから判らないんだけれど、だからこそ彼のアイデンティティはずっと揺るがなく一定していて、ホームレスでいても、アンジーに雇われて働いても、その中で思いがけず人とふれあいが出来ても、そしてその一連の非日常が終わり、さぁこれからどうしようか、と思い切って都会でのパフォーマンスに踏み出ても、変わらなくて、踏み外さなくて、凄く良かった。
誰かに出会って、きっかけになって、変わって、それもまた、素敵だけれど、そして彼もそれはあったけれど、自分自身を見失わない、それはまさにアンジーにつながると思ったし。

でもやっぱり、麟太郎である。高校三年生。家は理容室。彼が恋する幼なじみの先輩は、あれは墓石屋なのか……でも彼は自分のクリエイティビティを追及している感じ、そして妹はプロレスラーを目指して兄に特訓を受けている。
何気ない感じで描写するんだけれど、この兄妹は、幼なじみだからさ、麟太郎が兄にずっと恋しているのを知っているし、リンタロウもこの二人に自分の気持ちがバレているのを判っているに違いない。

高校三年生、恋する兄はもう、家業を継いでいる、妹は明確な夢を持って上京を決めている。
麟太郎は恋する先輩にどうするんだと問われて、実家の理容室を継ぐのかと問われて、何も言えなかった。だって、彼にとって大事なのは、将来の職業ではなく、彼への恋心であり、それゆえの自身のアイデンティティだから。

不思議なのは、絶対的主人公であるアンジーは、麟太郎のこの決定的アイデンティティティは、結局、知らないままなこと。不思議だなんて、ちっとも不思議じゃないか。そんなことは些末なことなのだ、アンジー=草笛光子氏にとっては。
麟太郎が母親に決死の思いでそのことを告白すると、母親は、知ってたよ、とこともなげに言った。ことさらに、こともなげに言ったのだろうと思うけれど、それは息子の気持ちを和らげるという意味であり、本当に、そんなことどうでもいいことだと彼女は思っているだろうし、実際、そのとおりだし。

でもまだ、過渡期なのかな。麟太郎がこの地方の町から東京へと出ていく決意をするのは、どうでもいいと思っていることがデフォルトであるところへ行きたい、その場所でこそ自分のアイデンティティが確保されるのだと思ったからなのだろうと思う。
そんな風に、明確に明文化して思ったんじゃないかもしれない。でも苦しい、この思いを、いわば異質な、異星人的なアンジーと出会ったことで、麟太郎は自身と向き合ったっていうことなんだろうなぁ。

麟太郎を演じる青木柚君が、自分自身の想いを耐え切れなくって、持ちきれなくって、うわーーーっ!て走る、全力疾走する場面が、凄く、良かった。凄く凄く、良かった。もうね……こういう瞬間って、もう大人になるとないよ。ないんだよ。
走るしかない、全速力で走るしかない。そして、すべてを放出して、自分の内面に降りていって、何かを見つけ出して、人生が始まる。そしてその人生の転換期、瞬間に、アンジーに出会った。このトンでもないマダム、トンでもない経歴の彼女を、詐欺師集団から逃げ出させるなんて経験をして、麟太郎、もう無敵じゃないの!!

廃墟寸前だったバーを、ホームレス職人たちをスカウトし、見事素敵な店によみがえらせた。それまでにいろいろあって……アンジーに魅せられた人たちが、ささやかなオープニングパーティーに呼ばれる。そしてそこで、アンジーが実は、詐欺師集団を逆に騙して大金をせしめて逃亡中、という事実が明らかになってきて、ルパン三世さながらの逃亡エンタテインメイトが繰り広げられる。

凄くね、いい意味でのわざとらしさというか、予定調和がイイなと思った。この廃墟と化したバーは、呪われていると思われるぐらいの不慮の事故や自殺が続いていて、石田ひかり氏演じるキッツい信者が、キッツい行者を呼んで勝手にお祓いしようとするシークエンスがあって、これって描きようによっては危ないし、今の時代、取り上げるのさえ難しいと思うんだけれど、あっけらかんとコメディにしたおしたことが、凄いと思って……。
このキャラをわざわざ作り上げたのに、コメティとして受け流すって、今の時代、なかなか勇気のいることだし、技術のいることだと思うんだけど、サラリとやっちゃったことに、スゲーと思っちゃって。

今の時代、いかにも今の時代の問題をしっかり入れているし、その問題提起から目をそらしていないのに、とてもハッピーで、いい意味で現実感がないから救われた。
直面しなくていい、さらりと受け流してほしい。でも判ってるよという、もうこれはマジックだよね、奇跡に近い、それをアンジーはまき散らして、そして去って行った。羽織袴のディーン・フジオカのバイクにニケツしてさ!マジ最高!!★★★★★


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