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雨ニモマケズ
2024年 90分 日本 カラー
監督:飯塚冬酒 脚本:飯塚冬酒
撮影:岩川雪依 田村専一 音楽:
出演:安野澄 諏訪珠理 上村侑 木村知貴 山中アラタ 中野マサアキ 和田光沙 福谷孝宏 深来マサル 山崎廣明 宇乃うめの 三森麻美 片瀬直 富岡英里子 笠松七海 生沼勇 神林斗聖 南條みずほ 小寺結花 尾込泰徠 梅垣義明 東ちづる
これは凄い、凄いんだけど……思いっきり、手持ち(だよね?)カメラの手ぶれで酔ってしまって困った。これはね、凄いのよ。ものすごく緻密な計算で、動線、人物の動き、会話、すべてを寸分たがわず整えなきゃいけない。
凄いことは判ってるんだけど……酔いました、完全に。頭痛くなっちゃって、後半は見事なゴスペルライブを数々見せてくれただけに、健全な状態で堪能したかった!というウラミが残る。
これこのままワンカットで行くのか……もしかして最後まで?と不安を覚えてしまったが、良かった、開場までの流れだけだった。良かったとか言うなって話だけど(爆)。
これねぇ……クリエイターとしてこれをやってみたいんだろうなと思う。一度はやってみたいんだろうなと思う。でもこうして撮りきることが出来ても、それだけで成功じゃないと思うんだよなぁ。「アイスと雨音」が、まさにこのワンカット映画を、本当に最初から最後まで完璧にやり遂げたことを思い出すと、奇跡の所業だと改めて思ったり。
で、すみません、私が単に三半規管が弱いだけということかもしれないし(爆)。ゴスペルをテーマとした映画は、まさにそれこそ「天使にラブ・ソングを…」以外に思いつかないかも。だから日本映画では初めての出会い。監督さんはまさにまさに、ゴスペルと共に生きてきた経歴のお人なんだ……。
この物語、東ちづる氏演じるゴッドマザー的存在が亡くなって、その1年後のメモリアルコンサートという設定、そのまんまじゃないにしても、多かれ少なかれ、事実、真実が盛り込まれているように感じる。ゴスペルという、いわば海外文化に対しても日本の重鎮みたいな輩がいて、梅垣義明氏演じるそうしたうるさ型が、こんなものはゴスペルと認めないよ!とか、めっちゃありそう―!と思う。
ゴスペルのことは全然知らないのだけれど、後半の、あらゆるグループがパフォーマンスを畳みかけるのを体験すると、ゴスペルに限らずどんな分野も、伝統を大切にしつつ、それを打ち破る新しい波、その闘いがあれど、皆がそれを愛している、ということがあるんだなぁと思う。
正直、かんっぜんにウーピー・ゴールドバーグをモノマネしたアフロウィッグで楽屋でわちゃわちゃしているそれなりの妙齢女性たちから始まるし、彼女たちは客席で弁当を食べていてスタッフに注意されたりするし、うっわ、どうしよう、こういうおばちゃん物語に付き合わされるのかと(言い方……)思ったりしたのだが、彼女たちの中にも物語があるし、そして何より、これからこのゴスペルシーンを担っていく若者たちの葛藤の物語こそが、あるんであった。
東ちづる氏演じる増渕麗の没後1年のメモリアルコンサート。彼女の息子、タツヤがとても印象的。特に説明はないけど、多分一人息子で、多分母子家庭。演じる諏訪珠理氏がとても繊細な独特のオーラを放っていて。まさに彼がそのまま、一篇の詩のようである。
正直、タイトルとなっている宮沢賢治の詩、そしてラストにタツヤがそれを一人、ステージで朗読するのも、な、なんで?いきなりここだけ物語と乖離してるやん、と思ったのだけれど、今こうして改めて考えてみると、母親が亡くなって、身の置き所がないようにこの会場の片隅にいて、でも母親と関わった人たちが、つかず離れず彼のことを気にしていて、そしてその人たちも自分たちの人生がそれぞれにあって……という中に、タツヤの内向的なオーラで雨ニモマケズを朗読すると、そういうことなのかも……と、いや、どういうことなのかよく自分でも判んないんだけど(爆)、とにかくとても、雰囲気があったから。
カメラがとらえる、一瞬一瞬の主人公という登場人物が、つまりメインとして紹介されている人物が実に22人もいて、この紹介を鑑賞前に見た時には、うっ、これは、私の苦手なオムニバス的なヤツかも、と身構えたのだが、そうではなかった。
本当に、流れていく。人生のように。この、1人の愛すべきゴッドマザーのメモリアルに集まった人々の、観客も含めてすべての人たちに一人一人、尊い人生があって、それを代表する形で、22人の一瞬の人生が切り取られる。
序盤のそれを任されたのが、スタッフとして忙しく立ち働く南で、増渕麗の息子、タツヤをはじめあらゆる人たちから、今日歌いたかったんじゃないの、と問いかけられるのだが、そのたびに今日は裏方だから、と返すんである。
本当に、繰り返し、そのやりとりが描かれるから、彼女はなぜ今日は裏方なのか、裏方だけに専念することを選んだのか、ものすっごく気になっちゃうが、それが一切明らかにされないのは、うーん、どうなのかなぁ、とはちょっと思ったかなぁ。
22人の登場人物それぞれが主人公として物語があるから尺が足りないのかもしれんが、回収できないのなら最初から投げかけないでよとも思うし……。だってかなり思わせぶりな感じだったからさ。今日歌えない理由が何かあったんだと思うじゃん。しかも彼女は、22人の中で最も多く登場、まんべんなく走り回るから余計に。
南を何くれとなく気にかけているディレクターの山田さんは、重鎮のあしらいもそれなりにこなすし、南へのおごりもデートじゃないからね、なんて付け加えたり、一見ちょっとチャラそうにも見えるんだけど、彼が一番、周囲が見えている。それは、最後の最後、増渕麗のビデオメッセージの撮影者として、彼女から呼び込まれてちらりと出演もする信頼関係で、もう一気にそれが証明されている。
チャラそうと言えばもう一人、女性アイドル、ユイのマネージャーとして来ている鎌田がまさにそうで、もうね、今や古臭いと思うんだけれど、今の時代、自分のやりたい歌だけやっていきたいだなんて、甘いんだよとかさ、そんなこと押し付けるオメーが今の時代判ってねーわ!と吠えたくなる。
ユイはミナトに、……彼とはどういう関係だったのか、すみません、頭が痛くてちょっと眠くもなっちゃって(爆)、追いきれてないんだけれど、でも男女のあれとか、そういう感じではなかった。表現者として生きていきたいと思ってて、でもそれが、若さゆえ大人に搾取されそうな状況にあって。
ミナトは……劇中の感じでは彼が本当はどうしたいのか、ちょっとスカして大人の前では発言している感があるから判らないんだけれど、ただ、素直に、今この場で、表現したいことをしているということこそが、大事なことなんだということなのかもしれないと思う。
ユイはそれがずっと出来なくて、商業ベースに乗っても、売れなくて。彼女のことを何にも判ろうとしない傲慢強欲高圧なマネージャーに反抗する形で、Tシャツにデニムで、ギターを抱えてステージに上る。彼女がそもそもどういう活動、アイドルとしてキラキラだったのかなと推測はされるけれど、これまた判らないままだったので、ちょっとモヤっとする部分はあった。
でもまさに、それに反抗してギターで弾き語りをするユイは、めちゃくちゃオンリーワンで、素晴らしかった。演じる南條みずほ氏は、そうねやっぱりシンガーソングライターだという。そうだよね!
ゴスペルを習っていた筈だけれど、披露する歌にはゴスペル色はなくって、本当に私(わたくし)の世界に自ら降りていく、覚悟を感じるパフォーマンスで、聞き入っている聴衆の表情で、それが本物だと、確信できた。
なのにこのクッソマネージャーは、今更自分の歌をやりたいだなんて愚かだと腐す。おーまーえー、オメーが彼女の実力を魅力を引き出せなかったから今この状況にあるってことを、判ってねーのか!!
いやその……売れる売れないってのは、難しい問題はあるんだろうけれど、本作の監督さん、50過ぎてるとトークで語っていたから私と同世代、昭和世代の、パフォーマーをちっとも尊重せずに、戦略のコマのように扱っていたのを、子供ながらに感じていたエンタメ業界を、反映している感じがする。
だけど、今は違うよねとも思うので、ちょっと違和感はあったかなぁ。それともこんな昭和臭、いまだにあるの?だとしたら、かなり問題だと思うけれど……。
ユイに助言する、ゴスペルパフォーマーであるミナト。すみません、多分このあたりがめっちゃ睡魔に襲われてた(爆)。どうやら出自も含めてのあらゆるプレッシャーにさいなまれていたキャラクターらしい。
柳楽優弥っぽい濃いめのイケ男子で、フィルモグラフィー見る限り、遭遇している筈なのだが、今回お顔とお名前が初めて一致したかも。
ベテランの音響スタッフが、奥さんの出産を控えていて、でも仕事中だからと着信に出なくて、なら電源切っとけよとちょっと思うのだが(爆)後輩男子が代わりに出て、ヒーフーを代打するシークエンスが、ちょっと良かったかな。
ベテランスタッフは、私よりも10ぐらいは下かなと思うんだけれど、きっと監督さんの、私と同じ世代であろう監督さんの価値観を、つまりは昭和的価値観をちょいとかぶせられている感があったけれど。40ぐらいの男子だったら、ベテランであってプライドがあっても、こんな昭和な対応とるかなぁと思うし、とってほしくないとも思うけれど、まぁとりあえず、新しい命が産まれて良かった良かった。
ゴスペルのパフォーマンス、それも数々のグループのクライマックスが圧倒的で、私が酔ってしまった前半のワンシーンワンカットも意欲的で、唯一無二の作劇だと思った。ゴスペルライブ、行ってみたい。★★★☆☆