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パーフェクト・キス 濡らしてプレイバック
2023年 69分 日本 カラー
監督:吉行由実 脚本:吉行由実
撮影:小山田勝治 音楽:
出演:花音うらら 小池絵美子 広瀬結香 市川洋 安藤ヒロキオ 野間清史 河野宗彦 吉行由実 森羅万象
その対照にいるのは、いとこの瑠美である。母方のいとこなんだろうな、小百合の母親の娘への束縛に同情し、私の親もまぁまぁそうだったけど、飛び出しちゃった、と語るということは、母親同士が姉妹なのかな。束縛系母親としての同志関係だが、この瑠美は判りやすくデカパイのカラミ要員。
小百合も婚約者の平川とのセックスシーンが早々に描かれるものの、好きでもない相手とのセックスはちっとも気持ちよくないし、マグロ状態の小百合のシークエンスは、ピンクの需要として、男子観客はどう思うのか、それでも興奮するのだろうか。
女としては、なんか辛いというか、こんな場面でも男子が興奮するのなら、キツいなぁと思うのだが。
小百合は教師になりたかった。教職もとっていた。だけど、家庭教師をしていた男の子にいきなりキスされ、それを彼の母親に目撃され、小百合の母親もそれを彼女のせいにし、父親の経営する塾の事務職に押し込める。
冒頭、実家を訪れていた小百合が、父親から授業のコマ数に講師が足りないことを聞いて、私も入れるよと申し出ているのだから、彼女は教職への欲求があるに違いない。でも、それが描かれるのがこの冒頭一発だけなのはもったいないけれど……。
母親は即座にそれを否定。父親は娘の小百合のことをちょっとは心配している風はあるんだけれど、結局は最後まで積極的には口出ししないんだよね。
まぁそれは、この夫婦が仮面夫婦であること、小百合の実の父親でないことがラストに明かされるにしても、でもちょっと、心を寄せたような言葉もあったから、消化不良というか、力になれないならそんな中途半端に口出しするなよとも思ったが。
母親は小百合の行動を束縛しまくる。ランチだの、買い物だのに付き合わせまくる。どうやらメディアにも積極的に出ている女性学権威の教授らしく、娘をその宣伝材料にもしようとする毒親である。
ただ……これだけの重要な役割を担うこの母親を演じる女優さんが、かなりお芝居がツラいものがあって、えーこんなんなら、吉行監督自身が演じてほしかった!!とか思うが、そうか……もう20代の娘を持つお年じゃないんだなぁ……時が流れるのは早い……。
前半のシークエンスで、メイン女子三人がそれぞれにカラミを披露するのだけれど、まさにこれが、それぞれのキャラクターを紹介しているんである。
前述のように小百合と平川のセックスはちっともエロじゃない。平川は小百合がこの場をやり過ごしていることすらわかってない。
瑠美は年の離れた夫と巨乳をゆらしてガンガンやっている。この夫を深く愛しているだけに、持続力が足りない夫では満足できなくてセフレを持っているのだが、それを探偵を使っての証拠を夫から突きつけられ、万事休すと思いきや、俺を捨てないでくれ!!と夫にすがりつかれるんである。
夫を演じるベテラン、森羅万象氏がさすがいい味出していて、愛し合っているのにセックスですれ違う瑠美と夫の物語を見たかったと思っちゃうのは、まぁ、この夫の方に年齢が近いからだろうなぁ。
そして小百合の母親は、この時は相手の顔が見えなくて、実は平川だったことが明らかになるのだが、SM女王様コスプレでぺ二バンまで装着して男をいたぶりまくっている。本当にキャラそれぞれの個性が良く出ているカラミシーンなのが面白い。
セフレがめちゃくちゃイイから、手放したくない、ラブホを使うと足がつくから、と瑠美が小百合に相談して、それなら、と小百合は一人暮らしの部屋を提供する。見返りに、つぶさにレポートをくれと。すげーな。思いつかない展開。自分のベッドで、片方はいとことはいえ、セックスしているだなんて絶対ヤだけどなぁ……。いやまぁ、いとこ同士の信頼の関係もあるのかもしれんが。
瑠美からのレポートで小百合は、かつての教え子君との妄想を高まらせる。キスしかしていないのに。それは何度も繰り返されるのだ。きっと真夏。夏休み。窓から降り注ぐ陽光、セミの声。唇を押し付け合うだけの、不器用なキス。それを小百合は何度も何度も思い返しては、まるでその時、セックスまで至ったかのように自らを慰めちゃう。
判る、と言っちまうのがハズいが、これぞ女子的妄想爆発である。まるで死んでしまった恋人を思い返すように小百合はこれをオカズにオナる訳だが、うっかり、その本人が現れちゃう。
母親と買い物に出かけた合間に。その本人、弘樹はあの事件の後、親に失望して進学をせず、働いて自分の店、バーを開いたのだという。
あのキスが忘れられずに、そして教師をしたい気持ちも持ちながらも、母親の束縛に抗えない小百合が、道を断たれた、ある意味犯人的存在である弘樹に再会し、彼はそれを断ち切って自立しているのを目の当たりにして、恋心再燃、性欲自認、独立心爆誕、となるという、なかなかの忙しさ。
あのエモエモのキスシーンが何度も繰り返され、それだけでオカズになるぐらいのもやもやおぼこ娘の女の子を主人公に仕立て上げると、周囲がこれだけ濃ゆい感じにならなければ成立しないのかと、結構アゼンとする展開が続く。
小百合が瑠美にセフレとの場所を提供した、そのセフレが、小百合が思い続けていた教え子の弘樹だったことが判った時は、はぁあ??とのけぞるほどビックリ。
まぁそりゃまぁ、ピンクはカラミが必須で、そのためにはあらゆる状況が用意されるとはいえ、小百合がそれを特にショックもなく受け入れるのは、それはさすがに……。
いやでもそれは、いとこの瑠美を信頼していることや、瑠美が夫を心底愛していて、あくまで弘樹とはセフレとしての間柄だと納得しているからだろうが、うーん、でも、気持ち良くないセックスしか経験のない小百合が、ずっと思い続けていた男の子がいとこのセフレだったことを、すんなり受け入れちゃうのか……うーむ。
瑠美はエステティシャンとかそういう感じなのか、小百合にあやしげなバストアップオイルとかプレゼントしたり、小百合の想い人が弘樹だと思い当たると、ほとんど3P状態で小百合を攻略にかかるんである。
このシークエンスはなかなかに凄い。これが、男性監督だったら、私、激おこだったかもしれない、なんて思っちゃうのは、それこそ昭和的女子の頭固い感じだろうか??
瑠美がまず、あやしげなアロマバスで小百合の性欲を高まらせて、小百合のおっぱいをモミモミするところから始まって、弘樹が足からマッサージし、瑠美は退場するに至る。一歩間違えれば犯罪の匂いがしちゃう流れである。
小百合を演じる花音うらら氏が桃色の身体を真白なバスローブに包んでモヤモヤもだえまくるところまで持っていくんだから、こ、これは、ちょっと犯罪かも……??
そしてようやく、想い人とのセックスが叶い、セックスって、こんなに気持ちいいものだったんだと、瑠美に吐露する小百合、という形に落ち着いて、そうか、良かったのか、でも良かったのか??とちょっと心配にもなるのだが。
小百合には、もっと大事な問題が待っている。母親との対決である。ずっと、思い通りにされ続けていた母親に、初めて反駁を試みると、思いがけない事実が母親から吐露される。
母親の不倫によって彼女は産まれた。その不倫相手の教授が、自分の教え子をあてがった。つまり小百合の両親は完全なる仮面夫婦、男女の関係がないから、父親は時折顔を出すのみなのだった。
ピンクの尺では父親との関係性を描くのは難しかったのだろうけれど、でも、この偽装結婚に同意したのだから、娘に対する懺悔は欲しかったと思う。
そりゃ愚かだったのは不倫して子を宿した母親だけれど、それを彼は受け入れたのだから、母親だけに娘への束縛という形をとらせて、母親だけの責任みたいにしてほしくなかった気はする。
小百合は、瑠美に応援される形もあって、まず母親との決別に勇気をもって向かう。まさかの、婚約者の平川がぱんついっちょで現れる。おいおい、親子どんぶりかよ。てか、イトコどんぶりからの親子どんぶりかよ。
冷静に考えれば、母親の恋人を娘の結婚相手にあてがうという、吐き気を催す衝撃展開なのに、おめーがうっかり出てきたからだろ、とでもいうように平川は母親にビンタされて、えー??てなコミカルリアクションで終わらせちゃうだなんて、ちょっと許せんのだが……まぁでも、このコバンザメ的男は、誰しもから大した存在意義を見出されてなかったから、まぁいいのかなぁ。
小百合が意を決して、ほぼ初恋の人である弘樹の経営するバーに向かい、確実にワザと酔いつぶれる。でも、紳士的な弘樹は何もしない。そしてあれこれあった後、小百合は再訪。
ちなみに……このバーの店内の様子が、布を貼ったり電飾を張り巡らせたりといった、ザ・急ピッチで作り上げたダサさで、なんか文化祭の出店みたいで、結構気がそがれてしまう。バーは雰囲気が大事なのよ、しかも好きな男の前で酔っぱらうんだからさぁ。
最初に訪れた時も、再訪時も、えげつないぐらいに、外で歩くのははばかれるぐらいの、塗り絵に出てくるシンデレラぐらいの非現実的なドレスとアクセサリー姿、なんである。
ちょっと、笑っちゃうんだよな。本作は一体、どういうスタンスでいるんだろう。女の子の、真の性欲、妄想を置いていながら、可愛い花音うらら氏を着せ替え人形のようにとっかえひっかえして、最後はピンク映画観客の需要を本当に満たしたのかと心配になるような、キャラメルのような甘い、まぁ言ってしまえばゆるいセックスシーンで終わるもんだから。★★★☆☆
でも、思いがけない物語に驚いてしまったというのがまず正直なところ。直木賞原作だというんだから知らない私が無知なだけなんだろうけれど、こんなちょっと、かつての角川ファンタジーみたいな設定で直木賞というのが、いや、ヘンケンだけど、驚きというか。
ちょっと試し読みが出来たんで覗いてみると、文字として読むと、この思い切った設定が映像として描かれよりずっとシリアスというか、クールというか、どこかぞわっとするような雰囲気さえも感じさせて読ませる。こういうところが小説世界と映画世界の違いなんだろうなぁと改めて思ったり。
それを十二分に判っているからこそ、映画となった本作では、それこそかなり思い切った、夢の中ファンタジックをナンセンスコメディのように描く尺が結構長かったりするのだろうか。
これは計算されていないと出来ないことだと思う。だって安っぽくなる危険性アリアリだもの。物語のキモのシリアスとこのコミカルナンセンスのバランスが奇跡的に素晴らしくて。
そのコミカルナンセンス、夢の中ファンタジックは、いきなり冒頭から展開する。幼い兄と妹、そこへ現れる、妹の結婚相手。これは実際に、大人になった妹、フミ子の結婚相手、太郎。
兄、俊樹はこの夢の中で、死んでしまったお父ちゃんとお母ちゃんからフミ子のことを頼むでぇ、と笑顔で託されている。そして物語のラスト、これが構成として見事に収斂されていて、大事なキーマンがお父ちゃんとお母ちゃんと共に俊樹の夢の中に現れ、いわば成仏する形で空へとキラキラ去っていく。
その描写は確信犯的可愛らしい安っぽさで、リアルな生霊としての彼らが俊樹と相対している、というんじゃないということを明確に示しているんだけれど、でもやっぱり、彼らの心の中では本当なんだと。それはまさに、本作の、その驚きの設定そのものにつながることだから、上手いなぁ、と思って。
驚きの設定、それは、幼いフミ子の中に、事件によって殺されてしまった若きバスガイドの女の子の記憶が、というか命が、入り込んでしまったということ。確かにこういう事例は、まことしやかに語られるところではある。判りやすく前世の記憶とか、こんな風に他人の記憶が入り混じっているとか。
まさしく都市伝説的な怪しさで、これを、先述したように文章でなら、力量のある書き手によって読ませることも出来るだろうけれど、映像って、やっぱりその点難しいと思ったから。
この感じ、ちょっと試し読みしただけでも、ホラー、というよりオカルト的な、宗教的洗脳的というか、そんな怖さがある。幼いフミ子が夜中突然吐いてから、大人びてしまったとか。
映画となった本作でも、そうした空恐ろしさは確かにあるんだけれど、その怖さをそこまで再現しようとしなかったんじゃないかと思う。
幼いフミ子を演じる小野美音嬢がとてもとても可愛くて、それはまさに、そんな、重たい秘密を一生懸命に守っているけなげな可愛さ。思いつめた黒目がちの瞳、への字、というより、富士山のようなぎゅっと閉じられた覚悟の唇、彼女に課せられた大きな重責に、抱きしめて頭をなでなでしてあげたい気持ちになる。
ノートに書き連ねられた繁田喜代美の文字といい、彼女の中に大人の女の子の記憶が入り込んでしまったことといい、ホントにホラーチックな怖さが確かにあるんだけれど、彼女のいたいけなかわゆさですべてが浄化してしまうんだよなぁ。そしてそこからつながる、大人のフミ子の物語なのだ。
妹のフミ子を守るために、高校も中退してあくせく働いてきた俊樹にとって、幼い頃知ってしまった妹の秘密は、忘れることなどなかったに違いないけれど、忘れたつもりでいたんだろうと思う。
大阪の下町、兄妹二人仲良く慎ましく暮らす狭いアパート。行きつけのお好み焼き屋は俊樹の同級生女子の実家で、この同級生女子、駒子を演じるファーストサマーウィカ氏がめちゃくちゃイイんだよね。彼女はこんな秘密を知る由もないんだけれど、知らないんだけれど、彼ら兄妹のことを誰よりも判っている。それは、俊樹のことをきっとずっと好きだからということもあるんだろうけれど。
彼女だけじゃなく、父親であるお好み焼き屋のおっちゃんも、そして結婚式に集ってきた誰もが、この兄妹のことを見守り続けてきたことが判るから、結婚式シーンは落涙必至なのだ。
でも、その、いわば判りやすい、地元のコミュニティから離れたところに、フミ子のもう一つの家族がある。これは予告編でも示されていて、なんだかサスペンスチックで、えーなんか、大丈夫かなぁと思っていた。でもこれが、これがね……。
もうオチバレで書いちゃってるから。つまり、凶悪な事件によって殺されてしまった繁田喜代美という女の子。その記憶が、命が、フミ子が産まれる時にちょうど喜代美が運び込まれてきたところにバッティングし、スイッチしてしまった、という展開。
あのぶつかりそうになったストレッチャーはそういうことだったのか、とこれまた後に回収されて腑に落ちる。喜代美の記憶を物心つくあたりに突然授かったように受け取ったフミ子は、兄やんに懇願して、繁田家族が暮らす彦根へと連れて行ってもらう。
喜代美の父を演じる酒向芳氏がもう……。彼には助演男優賞をあげたい。本作は勿論、鈴木亮平氏であり有村架純氏ではあるけれど、本作の酒向氏には心打たれまくって、泣きに泣いたのは彼の存在、彼の芝居こそにであった。
殺された二日後に結婚式を控えていた、というのは、激高する兄やんに叩きつける感じでフミ子が明かすことだけれど、それを明かさなくったって、この哀しき父親の姿には、もう……。
幼き兄妹が訪ねた時、ガリガリに痩せて、ガイコツみたいだと俊樹が思わず言ってしまうぐらいの、まぁ白メイクも作用していたのもあろうが、本当に生気を失っていて、スラリとした長身もあいまって、うっわ、ノスフェラトゥみたい!と思ったぐらい。その姿でホラー、オカルトを感じたぐらい。
その登場シーンから始まったから、彼が、フミ子の中の娘を感じとり、すまないと思いながら彼女と文通を続け、突然命が絶たれた娘、喜代美を、その成長を見守り続ける喜びをもってこれまで生きてきたのだと判ると、もうダメ。
そりゃ判る、俊樹の、兄やんの、ずっと隠してたのかと、騙し続けていたのかと激怒するのは。判るから、俊樹の激怒も判るから、でもその前でひたすら頭を下げ続けるこのお父ちゃん、そしてその娘と息子がたまらなくてさぁ……。
ところで、花まんまというのが何なのか。これまた感涙必至、泣かせやがって!!というアイテムなんである。花で作ったまんま。幼い兄妹が繁田さんを訪ねた時、フミ子が兄やんに必死に頼み込んで、食べ終わった弁当箱に詰めて届けさせたのが、お花でお弁当を模して作った花まんま、なのであった。
この時点で、繁田父も、その娘と息子も、これは喜代美が届けてくれたものだと確信し、この、信じがたい現象を受け入れてこっそりフミ子と交流を続ける訳なんだけれど、それを、うん、やっぱり、兄やんには、そして母親にも言えなかった、ということなんだろうなぁ。
これだけ信頼あるお兄ちゃんに……でもそりゃそうか、一生のお願いと言って連れて行ってもらった最初の旅の時、もう会わないと約束したのだから。
フミ子の結婚相手、大学院でカラスの研究をしている太郎がイイんである。カラスの言葉を解するんだという彼を、そりゃまぁ当然、兄の俊樹はほんまかいなといぶかるんだけれど、その才能を生かして彼らのピンチを切り抜けるし、その才能は繁田家息子の大学教授も認めるところで、その時交わした名刺(飛び出たカラスがデザインされている名刺、めっちゃ可愛い!)によって、クライマックス、フミ子の結婚式に繁田一家を間に合わせるのだから!!
結婚式、フミ子は繁田一家を呼びたいと思った。喜代美が結婚直前に凶刃に倒れたから。繁田父に、自分の中にいる喜代美のウェディングドレス姿を見せたいと思った。自分の中にいる喜代美。フミ子はこの時点で、そういう感覚でいたと思う。
薄れゆく喜代美の記憶と存在。きっともっと幼い頃、若い頃は、喜代美は一心同体でいたんだろうと思う。だからこそ、急に大人びたフミ子に周囲も戸惑ったのだから。
それを自身の内部でコントロールできるようになって、兄やんにも秘密にして、フミ子はもう一つの家族とつながり続けた。でも、兄やんとの約束を守って、会ってはいなかった。
でも、自分の中の喜代美が薄れていくことを実感し、結婚が決まって、最初の最後で会おうと決めた。兄やんには秘密にしたまま、の筈だったのに……。
それを察知してしまって、幼い頃以来数十年ぶりに彦根の繁田家に乗り込んで、ひたすら頭を下げる繁田一家に、やりきれない思いをぶつける俊樹。フミ子と合流して、彼女の訴えに耳を貸さない俊樹。仲のいいきょうだいだったのに、悲しすぎる決裂。
フミ子がこっそり、俊樹にナイショで繁田家と連絡をとり続けていたのは確かに良くなかったというか、そうせざるを得なかったから、なんだけど。でもフミ子は、自身の中の喜代美さんが薄れていく、失われていく、というのがなかったら、このまま秘密にし続けていたんだろうと思う。
これは、日本的、アジア的かな、成仏システムっつーか、ある一定期間過ぎたら、ありがとう、じゃぁ次のフェーズに行きます、みたいなさ、のがあるんだろうなぁ。
フミ子自身が、繁田のお父さん、お兄さん、お姉さんを結婚式に呼びたいと言っていたんだから。そしてそれに反発した俊樹だけれど、妹のことを思ってビッグサプライズで繁田一家を迎えに行く。
温泉旅行に行っていて留守だったり、式を行うホテルを間違えたり、もうさぁ、ベタなアクシデントの連発なのよ。でもそれを全部乗り越えて、ギリギリ、てか、遅刻したけど、あぁ、繁田のお父さんをフミ子のバージンロードのおともに歩かせることが出来たのよ!!
フミ子、いや、彼女の中にいる喜代美、彼の娘と腕を組んでのバージンロードだった。酒向芳氏の感極まった表情が胸に迫ったし、もうここで終わりでいいやと思うぐらいだった。
結婚式のスピーチ、兄やんである俊樹が用意していた原稿は今の自分とは違う気持ちだからと、思いのたけをぶつけ、フミ子、演じる有村架純氏が必死に耐えながら控えめな涙をハンカチで押さえ続けるの、最高だった。
最後の最後、退席する出席者たちのおみおくりの場面、繁田一家に対してフミ子が、どちらからいらしたんですか?彦根?そんな遠くから!!と、ザ・他人行儀に挨拶する場面に、うっわ、キツい、これはキツい!!と胸にナイフが刺されたような思いだった。
フミ子自身、喜代美さんの記憶が薄れゆくのを自覚していたからこそ、急ぎ繁田一家とコンタクトをとって、兄やんとも共有していたのだけれど、でもこれは……キツかった。この時の、繁田父を演じる酒向芳氏のお顔は忘れられないし、でもそれは一瞬で、丁寧に両手で握手を交わしたのが、フミ子は満面の笑み、繁田父は永久の別れの笑み、たまらなかった。
帰りの列車の中、引き出物を確認する繁田娘のドリさん、花まんま、なのであった。丁寧に詰められたお花でお弁当を表現している、花まんま。これはヤバい。めちゃくちゃ、泣いてしまう。
この時点でのフミ子は、この引き出物をなんでこれにしたのかも、忘れているということなのか。自分の中の人格を成仏によって失ってしまったというのは、なんだか哀しいけれど。
いやぁ……酒向氏が、本当に胸にきちゃって、主演の二人を食っちゃったなと思った。ファンタジー色が強かったからどうかなと思ったんだけれど、やっぱり役者の力って凄い。★★★★★
瞽女、という言葉を初めて知る。ごぜ、と読むのだということも。この瞽、という字がどう入力したら出て来るのかわからなくて、太鼓の鼓の下に目、と調べてようやく出てきた。
母子家庭だったおりんは、ある日、母親がいなくなった。娘を捨てたのか、日本海の波にさらわれたのか、判らない。生まれつき全盲である彼女をどうしたらいいのか、村の人たちは困り果てていた。
そこに、富山の薬売りの男が訪れる。目の見えない女たちは瞽女と呼ばれ、音曲の芸を身につけ、旅をしながら門口を回り、施しをもらう。行商のお得意先で知っていた彼は、おりんを連れて行ってくれるんである。
瞽女のこの生き方、まるで修行僧のようと思ったら、確かにそれは間違っていなかった。めくらには地獄が見えないように、阿弥陀様が目を潰してくださったのだと、そんな諭し方が描かれる。言ってみれば、神の使いだと。
だから、穢れは絶対に許されない。幼かったおりんが成長し、真冬の雪道を裸足にわらじで歩けるようになり、そんな旅の途中、雪にほとほとと赤い血を落とす。その時、親方さんが教えてくれるんである。赤子を産めるようになったのだと。
それを、彼女は宿業だという言い方をした。瞽女は決して男と寝てはならぬ。寝てしまったら、追い出される。つまり、タイトルとなっているはなれ瞽女になる。
おりんが幼い頃にも、腹ぼてとなって追い出された女がいたし、おりんが旅の途中行き合う瞽女(樹木希林!)も、はなれ瞽女だということは、皆、男に身をゆだねてしまった故なのであった。
おりんを演じる岩下志麻氏は、初潮が来る年齢、そして男に抱かれたいうずきを押さえられない経過を経るのだから、10代半ばから10年間ぐらいを演じていると思われるのだが、もう見た目で、ちっがーうと思っちゃうのは仕方なし。
調べてみると当時36歳。それでなくてもその端正な美貌は大人びて見えるのだから、さすがにそんなおぼこな女の子はムリがあるのだが、霧立ち込める川の中、行水をしているシーンの、ちいさめおっぱいのスレンダーでストイックなヌードがとても美しく、道行きを共にしている原田芳雄が仏さんだと見とれるのは納得。
岩下志麻様は確かにそんなセイクリッドさがある。エロも似合うけど、でもこの硬質な美貌は、男を、いや、女もかもしれない、寄せ付けない、聖なるオーラがある。
でもおりんは、男に抱かれたくて、うずうずしてて、そんな中で原田芳雄演じる仙蔵(これは偽名)に出会っちゃう。うわーうわーうわー。めっちゃ男盛り、女盛りの二人。実年齢は一つしか、違わないんだね、役柄的にはやっぱりおりんさんの方が結構下な感じがするが。
本当に、ほんの行きずりに出会った感じだった。おりんさんも仙蔵もその日暮らしの旅の空。仙蔵は偽名で、実は脱走兵として追われていることが知れ、それも事情があって、金持ち息子の身代わりとなったことが明かされる。
シベリア出兵に恐れおののいて、脱走兵が頻発しているのだと、軍の幹部が警察と密かに情報共有している場面が描かれる。招集されれば絶対に逃げられない、名誉なのだと飲み込んで出征する様子ばかりがドラマやなんかで描かれるから、そうか、そりゃ逃げる人もいるだろうだなんてことを、思い至ったりする。
そうしたことは、聞かなくはなかった。でも、絶対に捕らえられて、重罪に処されるから、そんなバカなことをするのが愚かだと思っていた自分に戦慄する。軍国日本に強制されて、死地に赴くのに抵抗するのが愚かだと思うだなんて……サイアクだ。
瞽女と脱走兵の哀しき道行きは、でも、幸せだった。仙蔵は下駄を売って稼ぐからと、おりんの瞽女稼業を辞めさせた。身体を売ってはいないけれど、女郎と同じように酒の場で芸を披露するし、若く美しいおりんさんにそういうカン違いで寄ってくる男は大勢いて、だからこそはなれ瞽女になる女たちも大勢いるんだろう。
二人は明らかに好き合っている、その想いをお互いに共有もしていたのに、仙蔵は、寝てしまったらその先が長くない。ずっとお前といたいから、寝ないんだと言った。判る、めちゃキュンとくる。でもさ、それは永続的なの?ずっと、お兄ちゃんと妹のままなら、幸せだというの??
この旅の途中、先述した、夕暮れの川での行水シーン。美しい裸体に仙蔵が仏様だと見とれた場面。仏様だから、余計に手を出せなかったのかなぁ……でも、おりんさんはずっとヤリたくてたまらなかったのにさ!!(言い方……)。
もちろん、愛する兄さんとしたかったに違いないけれど、それがかなえられないまま、仙蔵は地元のヤクザにショバ代をせびられたことからトラブルになって警察にしょっ引かれる事態になってしまう。
いくら待っても帰ってこない兄さん、優しくしてくれた行商の男、あぁ、危ない危ないと思っていたら、ヤラれちゃう。しかもサイアクなことには、それが、おりんさんのヤリたい、つまり性欲が高まっちゃったから、受け入れちゃった、そう、レイプじゃなかったってことなんだよね……。
仙蔵はそうは思わなかった、おりんさんが凌辱されたと思って激高して、ソイツを刺し殺しちゃう。でもそれは、どっちにしても関係なかったのか。おりんさんの気持ちがどうあれ、オレの女とヤリやがった、ということなのか。この点は、女にとっては重要な違いだけれど、男にとっては、どうでもいいことなのかなぁ。
脱走兵としても追われる立場となった仙蔵と、いつ再会できるかも判らず、おりんは旅を続ける。初めて出会う他のはなれ瞽女、目を閉じっきりのおりんとは違って、目は開いているけれど、どこを見ているのか判らないような視線、光は感じられる、と語るたまである。
若き日の樹木希林氏、そのまんま樹木希林なんだけど、めちゃくちゃチャーミング。おりんさんが愛する男と再会した時には、おりんさんがもう夢中になって、たまのことを全然顧みないのも気にせず、お幸せに、と笑顔で去っていくのも素敵。でも、当然、幸せになんかそんな簡単になれる訳もないのだった。
たまといっとき、道行きを共にする中で、かつてのおりんさんをほうふつとさせる、目の見えない幼い女の子を連れてくる彼女の祖母、というシークエンスがある。たまは、自分ははなれ瞽女だから、添え状を書くぐらいしか出来ない、と、決して断った訳じゃないんだけれど、その後バツンとカットアウトされ、この幼い女の子とおばあちゃん、抱き合って断崖絶壁から海へと身を投じてしまう。
断った訳じゃないのに。ハッキリとした行き先が確約できなければダメだったのか。たまとおりんは打ちのめされる。自分たちが殺してしまったんじゃないのかと。
これは、これは……。こういう時代、本当にあったんだろう。まず女というだけで、そしてハンディキャップがあると更に、身を預けられる確約がないと即、死につながるという時代が。生き延びられたとしても、人としての欲求、つまりアイデンティティが切り捨てられるという時代が。
仙蔵が、実は脱走兵であったということが、瞽女であるおりんの過酷な人生に負けないぐらい、この時代のリアルな残酷さを描いてくる。彼を追うエリート兵隊さんが、小林薫。若すぎて顔がまだ出来上がってない。そのスラリとしたスタイルで、あぁ確かに小林薫氏だと納得するけれど。
おりんに手を出した行商人をぶっ殺したことで、追われる身となった仙蔵は、同時に脱走兵であったことも合致されてしまう。いつか、必ず再会しようと約束したおりんと仙蔵だけれど、そら当然、その再会の時には、張られている訳でさ……。
それでも、それでも。たった一晩、再会したおりんと仙蔵が、やっと会えた、待っていた、見つけた、と、抱擁しあい、もういいでしょと。寝たらその先が短いからとかいいでしょと、ようやく成し遂げる。
追い詰められ仙蔵、それは偽名の、本当は貧乏で、金で兵役に売り飛ばされた名もなき男。でもとても美丈夫で、印象の強い男で、だから足がついてしまった男。
マジの吹雪すさぶロケーション、幼い女の子をその状況において裸足ぞうりで歩かせるリアリティ。改めて、篠田正浩監督の作品をしっかり勉強しなければ、と思う。この監督と奥さんである女優のコンビ、知っているつもりでいたけれど、知らなかった。やっぱりすごい。★★★★☆
でも確かに、そこからはすぐなんだよなぁ。仙蔵の言うことは図らずも当たってしまうのだ。
運命の二人は引き裂かれ、小林薫演じる袴田の恩情によって最後ひとめだけ交わすことができるけれど、その後離れ離れ。おりんさんは、一度は元居た瞽女の親方さんを訪ねてみるけれど、もうそこには誰もいなくて、さまよって、ラストは、肉体労働の男たちが見上げる山の森にひっかけられた赤いぼろぎぬ、その下には哀しきしゃれこうべ。
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