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「お」


2025年鑑賞作品

おいしくて泣くとき
2025年 109分 日本 カラー
監督:横尾初喜 脚本:いとう菜のは
撮影:山崎裕典 音楽:上田壮一
出演:長尾謙杜 當真あみ 水沢林太郎 芋生悠 池田良 田村健太郎 篠原ゆき子 安藤玉恵 尾野真千子 美村里江 安田顕 ディーン・フジオカ


2025/4/21/月 劇場(TOHOシネマズ錦糸町オリナス)
観終わってデータをチェックして、あ、この監督さんの作品、結構追いかけてた、私!と気づいた。いつものことだが時間が合って飛び込んだので、情報を入れていなくて、しかもチケットカウンターで、タイトルなんだっけ、「悲しくて泣くときお願いします!」とか言っちゃって、悲しくて泣く、ってそのまんまやん、と自分にツッコミ入れたりして。

そうかそうか、「こはく」「こん、こん。」の監督さんだった。なんか腑に落ちた。
本作は、結構泣かせに来ているというか、バック音楽がかなり大げさにかかってくるし、イジメシーンがベタだったり、クライマックスの、絶対に破綻するに決まっている二人の逃避行もまたベタベタだし、いつもの私ならケッと言いそうなもんなのだが、なんか不思議に、素直にじんと来てしまって、あぁ、いいなぁ、と思ったのだった。この監督さんと知れば、まさにその感じこそなのだと腑に落ちたのだった。

主演のお若い二人はとても瑞々しく、特に男の子の長尾謙杜君はお芝居の初々しさがドキドキするぐらいなのだが、逆にこうしたお芝居を見せてくれる若い役者さんって、今なかなかお目にかかれない気もする。みんな上手いから。
いや、ヘタというんじゃなく(爆)、この役そのものの、純粋でまっすぐな男の子を体現してくれている。

この物語は30年の時を経ていて、彼の30年後をディーン・フジオカ氏が演じているというのが、イケメントゥイケメン。冒頭はディーン氏演じる心也が切り盛りする、こども食堂を兼ねたカフェのシーンから始まるのだが、かなり衝撃的である。だっていきなり車が突っ込むのだもの。
店中がぐちゃぐちゃになり、テレビ取材がやってきて、心也がインタビューに応える。そのニュースを見て訪ねてくる女性がいる……という頭とお尻を挟んで、30年の月日が描かれる。

オチバレでもないので、この頭とお尻を言っちゃおう。心也は父親から引き継いでこども食堂をやっている。そこに食べに来ていたのが同級生の夕花とその幼い弟。後に明かされるところによればこの弟は再婚した義理の父の連れ子で、酒浸りのこの父親は夕花に当たり散らし暴力をふるう。
冒頭で、30年行方不明の姉が今年も見つからなかった、と訪れる弟がまず現れる。今も、30年前も、この弟はクズ父親と自分のせいで、お姉ちゃんが辛い目に遭ってしまったことを申し訳なく思っているのだ。
その30年前は、本当に幼い、小学校低学年な感じの弟で、僕のせいで、と思い悩み、こども食堂でもおかわりを遠慮するような健気さ。

弟の来訪のシーンから始まったから、最終的にこの弟とも再会させてほしかったなぁと思ったのはあったかなぁと思う。本作にはまぁ色々、そんな具合に言いたいことはあるのだが、でも前述したように、なんかぐっときちゃう、愛おしいと思っちゃうんだよなぁ。

心也は幼い頃、母親を病気で亡くしている。最愛の母。授業参観に来てほしいと指切りげんまんしたのに、それはかなえられなかった。それ以来、心也は軽々しく約束をしない決心をしている。
夕花と出会って、お互いはぐれもの同士心を通わせ、これまたベタに図書館の誰もいない書棚の隙間で距離を詰めて(いや、このベタさがイイのよ)、思いっきりザ・青春の恋物語なのに、それぞれに、親由来のしんどい思いを抱えすぎてる。

心也はその愛ゆえだからまだいいけれど、夕花は、庇護が必要である子供、という立場故に、理不尽に苦しめられる。
子供と言ったってもう、高校生だ。精神も肉体も充分に大人なのに、社会に出ていない、自立生活を出来ていないというだけで、親という名の、大人という名の暴力にさらされる。

ちょっとね、ひやりとしたのだった。性暴力があったらどうしようって。もちろん、肉体的暴力、精神的暴力で充分に追い詰められるのはそうなんだけれど、女の子が義理の父親に暴力をふるわれる、となると、やはりヒヤリとする……。
母親が出てこないのもちょっと気になったんだよね。結果的に夕花が30年も行方不明になった、というのが、血がつながっている母親がいる筈だったら、なかなか理解しがたい状況ではあったから。

子ども食堂、当時はそうした概念が浸透していなかったから、子どもごはん、として提供していたのだが、心也は学校で偽善者とののしられ、店に来ている同級生から、自分が行っていたことをバラしただろうと責められ、暴力、机への心無い落書き、本当にツラいんである。
でも何か……そうね、30年前という設定もあるのかな、先述したように、どこか懐かしくベタなイジメ描写で、店に来ていた同級生と後に照れくさい和解をするあたりまで、これぞエモいっていう感じなんである。

夕花とその弟もまた、店の常連だったのだけれど、二人は会釈をするぐらいの関係性だった。同級生にいじめられるのもあるし、心也は子ども食堂の息子、ということに辛くなってきていたから……。

今や完全に受け入れられている子ども食堂の、その始まりはきっとそうだったんだろうと思う。いや、今だってそうかもしれない。心也の父親を演じるヤスケンが、めちゃくちゃ滋味深くて、散々言っちまった、ベタさや危うさを、彼の滋味深い芝居がすべて拾い上げてまとめ上げてくれる感じがする。
夕花とその弟、自分の貧しさを恥じている同級生、その他、ここに来るすべての子供たちの事情をこのお父ちゃんは詳しく知っていて、でも何も言わずにいくらでも食べていけと笑顔で、看板メニューのバター醤油焼うどんを提供するんである。
この焼うどんこそが30年後、夕花の失ってしまった記憶を呼び覚ます。嗅覚、味覚、店の間取り。帰宅した心也が消えていった階段の先。

おっと、感動のラストにうっかり行ってしまいそうになった。えーとね、心也と夕花は、お互いはぐれもの同士、学級新聞委員を押し付けられるのね。結局、この新聞の完成を見ることは出来ないし、いつの間にか、二人がヒマだからヒマ部、という展開に落ち着いちゃうのだが。
これはちょっともったいなかったなぁ。どこに取材に行くとか、誰かに助っ人を頼むとか、そういう会話も垣間見えていたから、彼らと同じように孤独を抱えているキャラクターと相まみえることも期待できたんだけれど。原作はどうか判らないけれど、映画作品となると難しいということなのかなぁ。

夏休みとなり、ヒマ部の活動として映画に行こうと決死の勇気を振り絞った心也だけれど、私の方から連絡するね、と夕花は言ったきり、音沙汰ナシ。
父親の粋なはからいで、デートに誘いに出かけたら、クズ義父に暴力を振るわれているところに遭遇、先述の同級生に助太刀され(コイツ、男気あるのよ〜)、遠い所へと、海へ向かって一両列車にゆられてゆく。

海とかさ、祖父母のところに遊びに行ったところだとかさ、何の目算もないのに、とにかく遠く遠く逃げればなんとかなると思い詰めるとかさ、今でもそんな、眩しいぐらいなピュアな気持、あるのかなぁ。
乗り合わせた、いかにも喪服な女性、演じるは安藤玉恵氏、凄くイイ。姪の49日なんだと。事故で亡くなったんだと。あなたたちと同じ年ね、と言って。

生きていればいいことがある、そう言った女性に、そうでしょうかと夕花は問い返した。女性は、何か汲んでくれてたのか、そうよ、と断言してくれた。
このシーン、凄く良かった。もちろん、夕花は心也の勇気に背中押されたのだけれど、それが一番だけれど、第三者の大人、自分のことを、自分の事情を何も知らない大人に、生きていればいいことある、とまじりっけなく言ってもらえたことはとてもとても、大きかったに違いない。

こういう場面で、こういうこと言える大人になりたいとメッチャ思う。身内の大人では出来ない力ってあると思うから。
もちろん、本作の、心也の父親、ヤスケンは、息子の背中をメッチャ押してくれる、凄くいい父親。今日は帰れない、その事情は今は言えない。でも自分を信じてほしい、という心也に、このバカ息子と言いつつ、信じてる、と言ってくれたの、凄く良かった。

めちゃくちゃイイんだよね、このお父さん。幼い頃に妻が死んで、やっぱり子供って、お母さんの方が上位、絶対だからさ。それを充分判っていて、だから、妻が先立ってしまって、子供が自分以上にキツいっていうことも判ってる、それがとってもイイんだよね。
心也が、学校でキツい目にあって、子供ごはんはもうやめてほしいと言った時、台風で、もう客が来ないからと店じまいして、明るいうちに飲むビールは最高だとか言って、でも外は台風で暗くて、ヤスケンは、いや、ヤスケン演じる父親はゆっくりと、語ったのだった。

奥さんと約束したこと。それは、自分の意志でやることはやるんだと。外野から言われる偽善だのなんだの、ということには言及しなかった。言い訳は、絶対にしなかった。そして、息子のお前が辛いなら、やめてほしいというなら、俺の意志で辞めるよ、と言ったのだった。

凄く、良かったなぁ、ヤスケンのこの芝居、芝居と言いたくないぐらいに、なんか、間合いというか、台風で外が暗いけど昼間のビールと言って、クッとしみじみ飲み干す感じとか。
結局というか、結果として、心也は30年後になった現在、父親の意志を引き継いで同じ場所で子ども食堂を営んでいる。そしてこの場所で、あの逃避行の末に行方不明になってしまった夕花を待ち続けている。

夕花は、自身で警察に電話をして、自らを保護させた。父親の暴力から逃れた、ということがあったからだろう。それにしても心也ってば、その経過中居眠りして全然起きないっつーのはどうなのよとも思うが、まぁそれは言わない言わない。
それから30年、彼女の行方が知れなかったのは、執拗に追い回す父親によって、殴られて後頭部を打ち、記憶を失ったからなのだと。うわー、久々に見たわ、半世紀前的少女漫画チック展開!

テレビのニュースを聞いて、女性が訪ねてくる。工務店を経営しているのだと、理由は聞かずに、修復をタダで任せてほしい、交換条件があるのだと言うんである。
冒頭でそれが示された時には、なんか詐欺かなんか?と観客であるこっちも面食らったけれど、物語が進むと、そらまぁ、察しはついてくる。

この女性は、夕花の娘。夕花は心也との逃避行の時、海辺の素敵なバルコニーのついたお家に心奪われた。いつかこんな家に住みたいと言っていた。
その後、記憶を失ってしまったけれど、建築士になりたいという夢は失っておらず、工務店を経営するまでに至った。そして彼女の娘が、あのニュースを見て、もしやと思い訪ねてきたのだった。

なもんで、このラストシーンは、記憶を失った夕花が、娘によって導かれ、30年ごしの記憶を取り戻す感動シークエンス。いろいろ??な部分はあった。義理の父親に殴られて頭打って記憶喪失、その後行方不明、娘も母親の本当の名前を知らなかったとか、なんでそうなるの??とか。夕花の事情を汲んで、身内から遠ざけたとか??でも役所の手続き的なものとかさぁ……。
まぁその、そうした、ヤボなことは考えちゃうけど、考えちゃうんだけど、結果じんわりしちゃったのよ。ラストシークエンス、そりゃさ、ディーン氏、オノマチ氏じゃぁ、そりゃもうそうなっちゃうじゃん。
バター醤油焼うどん、タイムリープしたかのごとくの、30年ごしのカットバック。かつての初恋は、お互い信頼できるパートナー、子供たちを得て、笑顔で迎えられる。最高っす!★★★★★


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