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「ひ」


2025年鑑賞作品

光る川
2024年 108分 日本 カラー
監督:金子雅和 脚本:金子雅和 吉村元希
撮影:山田達也 音楽:高木正勝
出演:華村あすか 葵揚 有山実俊 足立智充 山田キヌヲ 橋雄祐 松岡龍平 石川紗世 平沼誠士 星野富一 堀部圭亮 根岸季衣 渡辺哲 安田顕


2025/4/3/木 劇場(渋谷ユーロスペース)
私、この監督さん初見。てか、なぜ出会えてなかったんだろう。本作にも出演しているヤスケンが出ている作品だってあったのに。タイミングとか公開規模とかですぽっと出会えていない監督さんって時折いるんだよな……年々、様々な公開スタイルが広まって作品数もめちゃくちゃ増えているしさ。

と恨みがましい言い訳をしてしまうのは、本当に、驚いたからなのであった。何、この荘厳な、壮大な、厳しい、美しい、日本の原風景のロケーションは!こんなすさまじい景観をぺろりと当り前みたいにカメラに映してしまうのが信じられない!「祖谷物語 -おくのひと-」以来かも、こんな凄いロケーション映画は。

時に日本の自然風景というのは海外の、大陸のそれと比べて矮小と思われがちなところもあって、なんつーか、自己卑下な国民性っつーか。
でも狭い国土に山と海がぎゅっとしている日本って、こんなにも、奇跡的な、それこそ古事記や日本書紀を思わせるような奇跡の美しい場所があるんだということを、改めてというより、初めて知ったぐらいに驚いたのだった。

しかもそこで繰り広げられるのは、時空を超えちゃう。そんな展開だということに気付くと、いやいやいや、それは危険でしょと思う。一歩間違えれば一気に安っぽくなってしまう危険な設定と思う。それこそ、たっぷりお金のある商業映画であったって、踏み外すぐらいの危険さだと思う。
なのに、この奇跡の原風景の中に、時空を抜けていく何かが確かに存在していると感じさせてしまう。これは凄い……ウブな演技に打ち抜かれちゃう有山実俊君の存在があったにしても、これは凄い。

そもそもの手前側の時代が現代ではなく、1958年という、戦後からほどない時代だというのも、難しいと思うんだけれど、里山で慎ましく暮らす一家族、というミニマムな世界を丁寧に作り込んで、するりとその時代感に入り込んでしまう。
そんな昔の物語、なのに、目に染みる緑、どこまでも透き通る川の水、険しい山道、遠くから聞こえてくる草笛、何もかもが鮮やかに美しすぎて呆気に取られてしまう。

そしてその鮮やかな美しさは、更にその時代から、……どれぐらい前になるんだろう。貧しくも美しい里の娘、お葉と、山の木を伐採し、木工品を作って渡り歩く木地屋の青年、朔の悲恋は、紙芝居屋さんが見せる、この地にあった本当の物語として語られるけれど、おとぎ話感満載である。

でもその紙芝居に魅せられた幼い男の子、ユウチャである。紙芝居だったのが、彼の目に、いや観客の目に、実際のお葉と朔の物語が映し出される。お互いに相容れない里と木地屋、うわ、これってまんまロミジュリやんか。
それ以上に、日本、いや、アジア、いやいや、世界中どこにもあるだろう、土着的な偏見や差別が、こんな美しい山と川の中で繰り広げられちゃう。

お葉の弟、枝郎は声を失っている。これまたなんとも神秘的である。怪我をして、今は声が出ないんだと説明される。
手前の時代のユウチャは、普通におしゃべりしている可愛い男の子だけれど、川の上流から流れてきた木椀を返さなければ、この地に洪水が起き、拾った者の家族のうち一番弱いものが連れ去られてしまう、という伝承をおばあちゃんから聞き、けなげにも上流の、奇跡のように美しい淵に返しに行くのだが、その間、声を出すことを禁じられ、まさに、枝郎と同じ状態になるんである。

声を奪われている枝郎と、けなげに我慢して我慢して、厳しい道行きを無言のまま行くユウチャと。御伽噺だけど、ファンタジーだけど、子供は、現実世界よりそうじゃない世界に、まだ産まれてから時間が経ってないから、物理的に近いから、こういうの、なんか、信じられちゃう。
紙芝居の中に、自分とリンクする少年を見出し、そのお姉ちゃんがロミジュリさながらの悲恋に落ちていくのを、じっと黙って、見守っている。

木地屋、というのは、本当に存在していたのだという。この日アフタートークがあって、原作はあるのだけれど、そこから自由に膨らませ、でもしっかり時代設定や民俗学的見地のリサーチが入っているんだと。
お葉の父親をヤスケンが演じていて、彼は決して厳しい父親ではない、むしろ優しい父親なんだけれど、お葉が木地屋の青年と恋に落ちたらしいことを知ると、狼狽し、それだけはダメだと声を荒げる。いや、むしろ必死に自分を鼓舞して娘の恋心を阻止するかのようである。

現代から見ればあまりにもアホらしい偏見だけれど、被差別部落の問題が私の子供時代にはまだまだ(もしかしたらいまだに)語られていたこの矮小ニッポンの村社会では、自由恋愛よりも、この里で好きでもない男と所帯を持つ方が娘にとっての幸せだと、父親は本気で思う、そんな世界だったことは、ギリギリ、私ぐらいの世代には、苦々しくも、判っちゃう。

清冽な川の上流からどんぶらこ、と流れてきた木のお椀の美しい造形に、お葉は目を奪われる。上流までたどっていくと、これは自分が作ったものだ、という、木地屋の青年、朔と出会う。

これがねぇ……。フィルモグラフィを見ると、この葵揚君には何度も遭遇している筈だし、確かに見覚えはあるような……(自信ない)。お顔は確かにこの時代にいたであろうリアリティの、美しくも素朴なお顔立ち。しかしすぐに目が行くのは、腹掛けをしていても隠しようもない、ぱぁん!と弾けそうな胸筋、こちらはむき出しの二の腕の筋肉。
後の展開で、里の娘と結ばれたいなら、教え込んだ技術を置いていけ、と親方から腕を切り落とせと(ヒドい!!)と言われた時、最初は腰が引けて、彼女との別れを選択したけれど、やっぱりお葉と一緒になりたいと、親方の前にぐっと差し出した二の腕の決意の美しさに、倒れそうになるぐらいだった。

朔とお葉が一緒になれるのか否か。紙芝居で語られたのは、いや違った、紙芝居の途中から、ユウチャがその世界を、まるでドキュメンタリーのようにその目に見たのだから。朔はお葉の元に行けず、お葉は淵に身を投げた、とユウチャが聞いたのは、おばあちゃんからだったか。

根岸季衣氏。最高。ただの言い伝えだと息子が諫めるのも聴かず、上流からのお椀は返しに行かなければ洪水が起き、その家族の一番弱い人が連れていかれる。私は息子が返しに行ってくれたから助かったんだと、言い募る。
それが、……決して狂ってるとかじゃないというか。彼女自身、それがファンタジーであることはきっと半分理解しているんだと思うんだけれど、でも一方で、山の神、森の神、といった、生まれ育ったその身に沁みついた、説明のつかない恐れというものは、消し去れないんだと思う。

現実社会で声高に主張は出来ないけれど、でも譲れない恐れ、それは、イコール信仰だと思うし、この美しい里山へのそれだとも思うんだけれど、一時のよそ者として木地屋を排除したんだろうなぁと思うと、同じく里山を愛する人同士だったのになぁ……。

だから、手前の時代、1958年の、ユウチャの父親は、この山の木の伐採について、村人たちと悩ましい協議を重ねているという。好景気で考えもせず木々を伐採すると、山の保水力が低下し、洪水が起きる。こうしたメカニズムは、恐ろしいことに、本当に最近ようやく、語られてきた感がある。
でも本作で描かれているように、いにしえに存在していた木地屋という人たちはそれが判っているから、永続的よそ者の孤独を背負って、山を、木々を、尊重して、渡り歩いてきたのだ。

なんという切なさ。お葉と朔の恋は、とても初々しく、双方ともにしっかり芯のある若者だから、大丈夫大丈夫、二人やっていけるよ!!と思うけれど、それは、時代、あぁ、どっちがいいんだろう。
他人や社会と全く没交渉、二人だけが幸せならいいという今の社会と、身内やコミュニティと否応なくつながりがある時代と。

ちょっと、そこから離れよう。本作のクライマックスは、双方の時代で二役を演じる、有山実俊君の、おばあちゃんから洪水を止めるために送り出されたユウチャの、大冒険なんである。
下流でお椀に汲んだ水を一滴もこぼさずに、あの奇跡の淵に返しに行けだなんて、おばあちゃんがそれを口にした時、観客のこちとらは思わず、そんな無茶な!と映画館の中で声に出そうになったわよ。ムリムリムリ、あんな険しい山道を、いたいけな男子がお椀に満たされたお水を一滴もこぼさずに川の上流まで持っていくなんて!!

という、浅はかな観客の想いを見透かすように、ユウチャは慎重に慎重に、実に慎重に歩を進める。これもアフタートークで話されていたことなんだけれど、そもそも身体能力が高い有山君は、監督、スタッフの心配をよそに、軽々と山道をかけていったということだから、だからこそ撮れた奇跡の道行きである。

紙芝居で、そしてお祖母ちゃんから聞かされていた悲恋の物語を、時空を超えてユウチャが改変した、ということで、いいんだよね?朔が吹けなった草笛をユウチャが吹き、待ち続けていたお葉と朔をユウチャ=枝郎が結びつける。

アフタートークでユウチャの父役の足立智充氏、母役の山田キヌヲ氏が登場なさってて、めちゃくちゃ面白かった。ユウチャの母は劇中病弱でずっと臥せっているんだけれど、息子が自分のために大冒険して帰ってくると、メチャ死にそうだったのに、外の、橋まで出迎えてくる。
父親は、もうこの父親はメチャクチャイイのよ。古い伝承と、今の時代で揺れ動く。しかも彼自身、息子のユウチャと同様、お椀を返しに行った経験があると。心配して息子を探しに出かける、しかももう、豪雨豪風な訳よ。ここはちゃんとお金使ってくれたね。びしょぬれ父と息子の、言葉は少ないけれど無事でよかった感じが、もうホッとしたし、良かったなぁ。

山田キヌヲ氏演じるお母さんが、咳しまくってて、ずッと臥せってる。もう、死ぬカウントダウンぐらいの勢いである。でも、ユウチャが無事帰ってきて、暴風雨の中お父ちゃんがユウチャをおぶって帰ってきたのもウルウルだったけど、でも結局、川向うで待っているお母ちゃんにうわーっ!て駆け寄って、抱き合って、さらわれちゃうのは、お父ちゃん、頑張ったのに!って。でもまさに、連れ去られる寸前のお母さんは、息子によって生きる魂を吹き込まれたのだろうなぁ。

そのお父ちゃん役、足立智充氏。確かに今まで、クレジットでメッチャお名前見てたし、確かにお顔も拝見していたのに、お顔とお名前一致してなかった、ごめんなさい!アフタートークでめっちゃ笑顔で、作中とのギャップにヤラれて萌えまくっちまいました。素敵!!★★★★★


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