home!

「る」


2025年鑑賞作品

ルノワール
2025年 122分 日本 カラー
監督:早川千絵 脚本:早川千絵
撮影:浦田秀穂 音楽:レミ・ブーバル
出演:鈴木唯 石田ひかり 中島歩 河合優実 坂東龍汰 リリー・フランキー Hana Hope 高梨琴乃 西原亜希 谷川昭一朗 宮下今日子 中村恩恵

2025/6/24/火 劇場(TOHOシネマズ日比谷シャンテシネ)
衝撃の前作「プラン75」がとてもハッキリとしたテーマと物語の方向性だったので、まったく違う変化球を投げてきたことにまず大いに驚かされた。
そして、最初は気づかなかったのが、あれ、大人たちスマホ使ってないよね、テレビがブラウン管、懐かしの超能力番組、これはもしや……と思ったところへとどめの伝言ダイヤル。

劇中、ハッキリと明言はしていなかったけれど、後から確認してやはり、80年代が舞台なのであった。えー、なんでなんで、この時代を選んだの?この時代のこのぐらいの年の子供、めっちゃ私なんですけど!と思っていたら、監督さん、私より4つ下、なんとほぼ同世代ではないか……。凄い長編デビュー作でぶっこんできたから、お若い方なのだとばかり思っていた(いやきっと、「プラン75」の時もおんなじ驚きをしていたのに、忘れているだけなのだろう……)。
そうか……いや、なんかそう思うと、フキという少女に監督さん自身が投影されているのかもと考えると、なんというか、凄く胸がきゅっとしてしまう。

フキはとても想像力豊か。冒頭の、彼女がゴミ捨て場で大人にとがめられ、その晩に侵入者によって首を絞められ殺されてしまい、お葬式にまで至るもんだから、観客はビックリ仰天なんだけれど、これは彼女の夢、というか、妄想、というか。
それを大人びた文章に仕立て上げて作文として皆の前で発表する、という次のシークエンスにまたたまげてしまう。担任の初老の男性教師は、その才能をほめながらも、みなしごに憧れたり、親を殺したりしちゃう作文を書くフキを心配して母親に進言する。

この時の母親の対応はフキの自由な発想を柔軟に受け止めているように見えたのだけれど、展開が進むと、どうやらそうじゃないことが判ってくる。親もまた生ぐさいまでの一人の人間であって、子供のことなんてある程度はどうでもいいと思っているのだ。
それが悪いことだなんて思わない。子供だって、そう思っているからこそ、自由な妄想の中に翼を広げるのだから。でもそれが出来たのは、情報過多の中に溺れてしまう今の時代ではなかったからだというのは、当時の子供だった私にはとてもとても共感できること。
客観的に見て、今の時代の親子はとても距離が近いと思う。良くも悪くも。そして私たちの時代は、そりゃそれぞれ違うけれども、子供の世界と大人の世界はとても距離があった。良くも悪くも。

フキのお父さんは余命いくばくもないんである。これまた衝撃的な、お風呂場で血を吐いたのか、真っ赤にそまる浴室、救急車を呼んだからという母親、フキは呆然としているようにも、慣れているようにも見えるけれど……この冒頭近くのシークエンスは、フキを追うカメラがグラグラと揺れ、不穏さを充満させる。
だからさ、これもフキの夢なのかと思ったのだ。もうね、どこまでが夢で、どこからが現実なのか判らない。見たところフキは一人っ子で、すべて自分自身で対決し、大人に対峙し、解決しなければならない。その中に、彼女自身を救済するかのように、するりと非現実が入ってくる。

いつもフキは、肩が下がった、つまりサイズの合わない単色のポロシャツとハーフパンツスタイルである。これまた、昭和のフツーの子供の感じを思わせる。だからこそ対照もある。
あれは学童的なところなのか、いろんな年頃の子供たちが集う中で、英語を学んだりするところ。そこでいかにもお嬢様然とした女の子と仲良しになる。こんなことを思うのはいけないんだけれど、客観的に見て、釣り合わない。生活のレベルが一見して違う。フキから、ちょっとムリヤリのように仲良くなった感があって、そこに凄く、危険を感じた。何かが起こると思った。

このお嬢様な女の子は、フキを家に招待する。まずその場面が異様なんである。お母さまが手作りしたらしいショートケーキを、フキはこんなウマいもんない、とばかりにむさぼる。でも同席しているお父様が手をつけないのを見て取ったお母さまが、失敗したかしらね、と全員の皿を下げてしまうんである。そしてお父様は窓の外でウォーキングマシンでトレーニング。こ、コワっ……。
フキの家庭も決して幸せとは言えないけれど、夫婦間が明らかに破綻しているのが子供の目から見ても明らかなこの裕福な家庭なのだ。

そしてフキは……あぁなぜ、そんな残酷なことをするの。鏡台の引き出しから発見した、母親と男とのいかにも探偵が撮ったみたいな写真、それを遊びの偶然みたいにして、娘に発見させる。

その前段で、フキがこの裕福なママからレースのついた可愛い靴下をプレゼントされる場面があって、フキは無造作に真っ黒に汚れた靴下を脱いで、この優雅な家庭のテーブルクロスがかかったテーブルの上に置いちゃうのだ。あぁ。
そしてさらにその前段で、フキはこのお友達と戦争資料館みたいなところに出かけて、ショッキングな資料映像を見ながらフキはぼりぼり食べているお菓子を友達にも勧めるのだが、彼女は倒れてしまう。

フキはそれ以降もさまざまに、ヒヤリとする経験をしていくんだけれど、このシークエンスが一番、見ていてキツかった気がする。
フキと比べて友達の女の子が戦争の残酷さを理解していたからだとか、だからフキが無神経だからとか、そういうことじゃない。フキと同じ時に子供だった私だって、どれほど戦争の残酷さを理解していたかどうか。

どこかの時点で、急にスイッチが入ったように理解して、ショックを受けて、戦争はダメだと思った記憶はあるけれど、それはフキの年頃よりもう少し、後だった気がする。
いくら教育的に押し付けても、自分の中で咀嚼できる能力が高まらなければ、判らないのだ。だからそれまでの年頃の子供は無自覚に残酷で、興味のままに行動するけれど、その結果がどうなるかまで、計算できない。

きっと今の時代はそれを、注意深く、見守る教育方針が出来上がっているのだろうと思う。でもそれは、子供の成長、大人になる助けに本当になっているだろうか。
フキの家庭のように、お父さんが余命いくばくもなかったり、きょうだいがいなかったりすると、それによって湧き上がるあれこれがあるけれど、じゃあお父さんが健在だったり、きょうだいがいたら良かったのか、というと、その時に生じる問題が先送りされるだけで、結局は皆、それなりに問題に立ち向かわなければいけないのかと思う。

一人奮闘するお母さんは、管理職に抜擢されたばかりで、部下からのパワハラを告発され、強制的に研修に行かされるんである。当時の社会人事情はさすがに判らないけど、この部分はちょっと、現代的かなという感じがする。
メンタルケア的な場所だったから強気な彼女は反発して、なぜこんなところに行かされるのか理解できない、という態度を取り、だから付け込まれた、と言う訳でもないのか、とにかく講師の男性とイイ仲になってしまう。

この男を演じるのが中島歩氏というのが、もーさー、こーゆー危うい男は彼にやらせたら一発だよね!そんでもって、怪しげな健康食品、つまりがんに効く、的なヤツさ。
あったあった、この時代。死にたくないがん患者に、死んだらもう使えないんだからと金を供出させる卑劣なやり口だと、子供心に憤っていた記憶がある。この健康食品を扱っていたのが講師の妻で、お父さんはそれに飽き足らず、更に怪しげながんが治るというものに100万もの金をはたいて、夫婦仲が膠着することになる。

結局はさ、フキのお母さんは、夫が治ることを願って、講師の妻から買ったんじゃないんだよね。講師とラブになってしまったから、なんだよね。講師の妻に乗り込まれる、お決まりの修羅場シーン、この当時の、バブルで稼いでいる女の、派手な襟飾りのスーツが目に眩しい。バブルでイケイケとはいい、この時代に踏ん張っていた女性は、尊敬しかない。
だって私の親世代でしょ、あり得ないぐらいに思っていたもの。女性が社会に認められて働いているだなんてことが。だから絶望していたんだもの。

フキの無邪気な告発によって、友達の家庭が崩壊し、引っ越していった。フキはそれをどこまで理解していたのか判らないけれど……。
お父さんが危なくなる最中に、フキは伝言ダイヤルにのめり込む。老若男女の欲望や寂しさが吹き込まれた声。性的欲求に対するサービスではあったと思うけれど、そうではない、フキのような女の子の不安や寂しさに響いたからこそ、あんなにもあのサービスは続いたのだろうと思う。

でもやっぱり、フキが引っかかってしまった男は、いや、フキを釣りあげたのは、つまり、フキのような幼い女の子をターゲットにしていたのは、性的な欲求があったから、なのであった。
めちゃくちゃハラハラした。フキは優し気な青年の声に惹かれ、親御さんが心配するから友達に会うと言って出てきて、というのに従って、お出かけする。とっておきのワンピースと、あの裕福な友達からプレゼントされたキラキラのカチューシャをして、友達のお母さんからプレゼントされたフリフリの真っ白なソックスをはいて。

結果的には、何をされた訳ではなかった。自宅まで連れ込まれたし、肩を抱かれたし、キスされるかも、という至近距離までもいった。
でも、口くさいよ、と彼は笑い、お風呂場で歯磨きしてくれて、でもこれはさ、ここからそういう場面に至る雰囲気がマンマンだったから、ハラハラしていたんだけれど……。

そこに、彼の母親が、どうやら予定外に突然帰ってきて、フキは裏口から帰されたんであった。きっと、駅からの道筋が判らなかったんだろう。トンネルを通り、だだっぴろい競馬場に行きつき、訓練中と思しき真っ白いお馬さんに遭遇する。
フキはお馬さんとか、動物の声真似が得意なのだ。伝言ダイヤルでもそれを披露して、気に入られて、だからこんな、危ない瀬戸際にも来ちゃった訳なんだけれど。

この冒険、というか、家に帰りつくまでの長い長い旅路、ここも夢か妄想が入り込む。どこまでがそうだったのか……。
だだっぴろい競馬場、雨に濡れる帰り道、橋の上でへたり込んでいるフキを見つけ出し、おんぶして帰ってくれた父親、というところからは、完全に夢か妄想であったと思うけれど。

そして翌朝の描写も。朝食の場面。それこそ朝食だなんて、この家庭ではもうあり得ない風景だった。そうね、まさに昭和のこの当時の、父親はどっかり座って新聞なんか読んで、母親が忙しく給仕して。ちんまりと座っているフキは、この映画を作り上げた監督のあの当時の子供、そして私もそうだったから、こうして大人になって思い返すと、めちゃくちゃ、いろいろ、感じてしまう。
あの時、母親はどう考えていたのだろうかとか。私の母は専業主婦だったから、フキの、働く母親とは違うんだけれど、だからこそ、よく考えていた。女は結婚しなければ生きていけないのかなぁ、とか、考えていたから。

フキの暮らす、二階か三階上の女性との出会い。フキが催眠術に凝っていた時で、この女性は、夫を不慮の事故で亡くしていて、その直前に些細なことで夫婦喧嘩をしていて、それがしこりとなって彼女の中で残っている。
この作品の冒頭でフキが見ているというテイで流れる、世界各国の泣き叫ぶ乳幼児のビデオ映像は、この彼女の夫がこっそり所蔵していたもので、彼女はそれにドン引きしてしまって、ケンカになって、夫が不慮の事故で死んでしまった。

冒頭に示されるし、中盤で描写されるフキと彼女とのシークエンスは、フキの催眠術にわざとかかった形で吐露する彼女の想いが生々しくて、夫婦の問題というよりも、乳幼児が泣き叫ぶ映像を隠し持ち、それを見てどういう種類の満足感を得ていたのか、と彼女が想像してしまうのも判るし。
制服的なことなのか、性的なことなのか、どちらにしても、イヤだと思うのは判る、判るけど、でもそれは、開示しなければ判らないことだし、それこそ個人の自由だからさ……判るけれど、イヤな気持ちになるのは判るけれど。そういう、イヤな部分は誰しも持っているし、見せたくないし、見せないし。

フキの父親は亡くなり、英語教師にフキが慰められるシーン、これもなかなかに考えさせられる。フキは、英語のコミュニケーションとして夏休みの出来事として語ったに過ぎないのに、先生は、私も子供の頃お父さんを亡くしたの、とフキをハグするんである。この時のフキの、忖度しなきゃね、という表情が本作のすべてを示していると思って。
フキは、今この時の子供として、彼女自身を生きるしか出来なくて、それがすべてで、お父さんが亡くなったことは確かに哀しいとは思うけれど、きっとそれどころじゃなくて、いや、もうこの時点では乗り越えている、ということなのだと思う。

ここまでに彼女に課せられたあれこれはメチャクチャ大変で、いっちばんキツいと思ったのは、お父さんが病院から一時帰宅した時、イライラした奥さんに疲れ果てた彼が目にしたのは、用意された喪服。鴨居にかけられた黒い和服なんであった。
そしてそれを、フキも目撃し、これはさぁ……娘に課するにはあまりに辛い所業だよ。フキはぱちりと部屋の電気を消して、寝ようよ、と言った。ツラすぎる……。

きょうだいがいるのもいろいろ大変ということも聞くが、一人っ子で奮闘するフキを見ていると泣きそうになる。私はお姉ちゃんがいてよかった。
そして、インティマシーコーディネーターがついているんだということを、クレジットで知って、性的な描写までは至らなかったと思うけれど、ハラハラしたあの場面、しっかりサポートがついていたんだと安心する。いやー。時代や文化をあれこれ飛び越えて、メチャ意義のある作品。★★★★☆


トップに戻る