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「ふ」


2022年鑑賞作品

冬薔薇(ふゆそうび)
2022年 109分 日本 カラー
監督:阪本順治 脚本:阪本順治
撮影:笠松則通 音楽:安川午朗
出演:伊藤健太郎 小林薫 余貴美子 眞木蔵人 永山絢斗 毎熊克哉 坂東龍汰 河合優実 佐久本宝 和田光沙 笠松伴助 伊武雅 石橋蓮司


2022/6/19/火 劇場(池袋シネマ・ロサ)
これが伊藤健太郎氏の復帰作ということになるのだろうか??どこか幼い端正な顔立ちの彼は映画で何本か観たが、これ以前の最後に観た「のぼる小寺さん」のような、さわやかな男の子のイメージがやはりあったので、本作にはちょっと驚かされた。
無論、彼が起こした事件のことはあるし、元通りさわやかな男の子として戻ってくることは難しいだろうとは思ったが、その彼に手を差し伸べ、というか、伊藤健太郎という役者にこそ興味を示し、一本の映画を作るために、彼の話をじっくりと聞き、監督自身でオリジナル脚本を描き上げたという経過を聞いて、更に驚いてしまった。

なんというか……感銘を受けてしまった。清新なだけでは、役者は作られない。時には黒い経験を経たならば、それが役者としての深みに返ってくる。
こんな愛情を授けられた彼が、いわば自分の内面に降りていくような芝居を、大御所たちにもまれながら必死に探って、今後どうなっていくのかが、ものすごく興味がある。

どことも知れぬ港町だが、彼らの会話の中に横須賀が出てきたり、横浜駅が映し出されたり、その近郊の町なのだろうとは思う。思うが、まるで一種のファンタジーのようにさびれた、殺伐とした町である。
伊藤氏演じる淳がフラフラと暮らす、人がほとんど歩いていない中途半端な街というか飲み屋街というか、その中でこれまたチンケな詐欺や恐喝をなりわいにして生きている、ゴミのような連中の下っ端として淳は存在する。

威張り散らしている美崎という彼らのボス格(永山絢斗君とは、ちょっと気づかなかった!)の男は卑怯なヤツで、ケンカや盗んだ通帳での引き出し、果ては殺しまでも自分では決して手を汚さず、手下や血のつながらない妹をあごで使う。
そのくせ彼もまたその上に使われる身で、路地裏で上納金を渡しながらこびへつらい、その上の男はうっとうしげに彼を追い払う。
そしてこの男にだってその上がいるんだろうと容易に予測される薄汚く貧しい路地裏であり、このヒエラルキーはひょっとしたらたどってたどって、日本の政治家トップにまで行きつくんじゃないかという、そのヒエラルキーのどこかに組み込まれてしまったらもう一生そこから抜け出せないんじゃないかという絶望を感じる。

実際、最終的に、淳は抜け出せなかったのかもしれないと思う。途中経過を今ちょっとすっ飛ばして言っちゃうと、一度は足抜けしようとしたこの群れ、逃れようとした美崎に、最後の最後に見つけられた。
でもそれは、私たちも、淳自身も予想していた形じゃなかった。淳と同じように、甘えていた周囲の人間たちすべてに見捨てられた者同士として彼らは結びついた。
つまり……ヒエラルキーから抜け出せなかった者同士として。でもそれが、決して不幸な訳じゃないのかもしれないという驚きの、こんな導き方は今まで見たことのなかった奇妙な、不思議に美しいのかもしれない友情のようなものとして。

すっ飛ばしすぎてしまったから元に戻す。淳の両親は土砂を運ぶ大きな船を操る海運業である。景気が良かったころは相当にブイブイ言わせていたらしいが、それもまた淳の祖父の時代である。
船長である淳の父親と同じキャリア年数で働き続けている従業員たち、跡継ぎを諦めている父親と共に、もう先は確かに見えていた。

淳の上に兄がいたのだけれど、この船の中で起きた不慮の事故で、幼くして亡くなっていた。後に語られるところによると、つまりは長男、跡継ぎを失ったことで、淳の両親は打ちひしがれ、もう一人の息子のことを思いやる余裕もなかった。
ありていに言えば、捨て置いた。両親ともどもそれに自覚があるぐらい、明確にそうだったのだ。そう思えば淳が今やさぐれているのも判らなくもない。存在さえないとされているも同然だったのだろうから。

淳が後に決死の覚悟で父親にぶつかった時に言った、なんでもいい、何か言ってくれよ、という言葉の切実さ。否定でも罵倒でもなんでもいいのだ。言わなくてもお前の馬鹿さ加減は判るだろうという逃げこそが淳を傷つけるのだ。
いい年して子供か、と言ってしまえばそれまでだけれど、兄の死によって、すべてが持っていかれ、兄は死んでも生きているのに、自分は生きているのに死んでいる、そんな風に淳は思い続けていたんじゃないのか。

美崎のすぐ下を担う、淳にとってはアニキ的存在の玄さん、演じる毎熊氏が魅力的である。コワモテの彼はこうしたチンピラ兄さんが判りやすく似合うのだけれど、その奥の優しさが垣間見えて、演じるキャラクターの様々な陰影を、ギャップ萌えで見せてくれる。
玄さんは本当は、したくなかったことばかり。ケンカで相手を痛めつけるのも、淳のイトコを殺してしまうのも、したくなかった。
淳のイトコ殺しは、このイトコが美崎の妹をレイプした……いや、未遂に終わったのだったか、とにかくそんなキチクな所業に出て、ドラレコの投稿サイトから突き止めて、美崎はコイツを殺せと玄さんに命じたんであった。

このイトコ、彼の父親、つまり淳の母方の叔父が淳の父親を頼って親子してこの街にやってきた。なんとオドロキ、真木蔵人。確かに顔立ちを見ればそうだが、すっかりくたびれた初老の男として登場するもんだからビックリである。でもそうか……そういう年になるのか……白髪頭のせいでよけいに老けて見せているというのはあるにしても。

淳のイトコの貴史は、教員であったのが生徒に手を上げたことで職を失ったと最初は聞いていた。この地では塾講師の職を得ていた。事情と見た目のマジメそうな雰囲気からすれば、今の時代の先生は大変だよねえと同情しそうになるのだが、事実は違っていた。手を上げたんじゃなく、手を出した、んである。
息子が誰かに殺された、その理由も謎のまま、ということになって、叔父は淳に事実を苦しげに告白する。ひょっとしたらそのことが関係しているのかもしれないけれども、犯人を知っているんなら教えてくれ。必ずソイツを殺すから、と。

淳は、幸か不幸か、本当に中途半端なヤツだったのだ。イトコのようにキチクにもなりきれない。親に反抗して学費を食いつぶしているのだって、親に金を出してもらってる甘えっ子に他ならない。
年増女をだまくらかしてこれまた学費という名のただのカネをくすねて結局さぼりまくっているのも、親の代わりの庇護者を、セックスを代償に得ただけの話だ。

この年増女(と言うには失礼だが、淳の年齢に比すればやはり……)多恵子が実は弁護士で、淳にホレこんで庇護者となって卒業まで面倒見ようとしていたのに、裏切られたことで冷静に逆上(矛盾しているけれどまさにそんな感じ)、きっちり訴えて出てくることで淳も、両親も追い詰められる。
でも母親は冷静だった。彼女の真意を、愛情を淳がちゃんと判っていれば、理解していれば、それは私たち親が与えられないそれだったからこそ、この泥沼から抜け出せたのに、それだけの人に出会っていたのに、ということなのだ。

どこかに人生のチャンスは、こっそりと転がっている。淳は中途半端なろくでなし。そう断じてしまうのはカンタンな青年。無責任で、何も考えてなくて、親や女から金をせびり、友人に迷惑をかけて、結局はすべてを失ってしまう。そう断じてしまうのはカンタンだし、結果を知っても、彼がとった行動の選択は、甘えだと言われたってしょうがない。
でも、一桁の年齢であっただろう幼い頃から、兄の死による自身の存在自体の否定を、しかも今の今までの、実に10年以上食らってきたと考えれば、これで素直に育てよというのは、酷な話なのかもしれず……。

淳がずるずると群れていた美崎たちグループも、そういう意味で似たり寄ったりだったのだろうと思う。玄さんは、父親が残したバーを、今はシャッターを下ろして美崎たちとの打ち合わせに使っているそこを、再開したいと思い続けてた。
父親が残した、ということは、父親は亡くなったのか、いなくなったのか、幼い娘だけが彼の係累として登場し、シングルファザーとなった経緯も、ザンコクなまぜっかえしをする美崎の言葉からは真実が見えてこない。

美崎は血のつながらない妹を、どうやらそういう意味ではなく愛しているらしいことが、妹からの、でも私はムリ、という台詞で明らかになる。切ない、というより、苦しい、残酷でさえある。
最終的に妹は玄さんとその幼い娘と共に、この地を出て行ってしまう。玄さんは、ずっとずっとそうだったけれど、美崎に命じられるままに汚い仕事をし続けて、その最後が禁断の殺人で、だからこそ、もう開き直った。美崎に脅されるいわれはなんかない、そのことにようやく気づいた逆転劇だった。

イトコが殺されるのを、いわば予感しながらも助けられず、何者でもないアイデンティティの喪失に逃げ続けていたことに直面し、ようやく親に向き合い、みっともないけれど正直な気持ちをぶつけて、淳は新天地へ向かう決意をする。
専門学校の同級生が家業を継ぐということで、そこで雇ってもらおうと、いや、雇ってくれる確約を得たと信じたんである。友達と思っていたのは淳の方だけだった。確約を得たというのもそうだった。

これはね……淳ばかりを責められない。こういう、後出しじゃんけんというか、マトモな人間側であるという優越を振りかざして、社交辞令だろ、ホントにそう思ってたのかよバーカ、友達なんて思ったことないよ、ていうバズーカ砲っつーか、散弾銃っつーか、こんなん、あまりに卑怯、これこそ人間としてクズ、安全な位置にいて、最後の最後まで引っ張って、信じてたのかよバーカだなんて、ひどすぎる!
そらまあ、淳の甘さこそがあったにしてもさ……さんざん迷惑かけて、更に都合よく頼ろうなんて、というのは、そりゃそうさ。でも、そう思っていたんだったら、切るべきでしょ。本気だったなんて思わなかった、迷惑だ、だなんて、確かにそれまでの淳のいい加減さを理由にしたのは判るけど、人はいつ本気になるか判らないんだよ……。

ああでも判らない。私もそうしちゃうかも、いや、そうしちゃう。裏切られ続けていたら……でもそうならさ、連絡を絶つべきじゃない。受けて、こんなひどいこと言うなんて、それまでの善行が一気に帳消しになっちゃう。

だからね、先述のとおり、最後の最後、ちょっと考えられないけれど、淳が拾われるのは、救われるのは、クズ男だと思っていた美崎だった。つまりはさ、マトモな人間たちはすべて淳にとっては味方にならなかった。彼を救ってくれる人は、社会的に言うマトモな人間じゃなかった。
パラドックス。逆説。多様性。人によって、誰かにとって、いわゆる社会的なまともな人間が、必要な、大事な存在になるとは限らない。あまりそれが偏りすぎると、事件性を帯びてしまうとは思うけれど……。

なんか、清新さとか、正しさとか、それはあくまで客観を必要とするものだし、時代性を鑑みると即座に答えの出ないものだし。
それが、本作に描かれている、景気のいい時代から取り残された海運業であったり、人から蔑まれる裏社会とか、必要、と言ってしまったらアレなんだけれど、いわゆる社会悪がゼロになるのがいいのか、あり得ないことだけれど、そういうバランスというか、考えてしまう。★★★☆☆


プラン75
2022年 112分 日本 カラー
監督:早川千絵 脚本:早川千絵
撮影:浦田秀穂 音楽:レミ・ブバル
出演:倍賞千恵子 磯村勇斗 たかお鷹 河合優実 ステファニー・アリアン 大方斐紗子 串田和美

2022/7/4/月 劇場(新宿ピカデリー)
超齢化社会の抜本的解決のために、75歳以上の高齢者に生死の選択を与える……この架空の近未来が、本当に、今まるで日本で起こっている社会問題のように、ぞっとするほどの現実味をもって迫ってくるのは、無論、隙なく世界観を作り込んでいることもあろうが、監督さんが語っていたように、まさに今、日本がその思想の方向性を、是としかかっている瀬戸際にいるからだということを、痛切に、あらためて感じる。

そう……監督さんの言葉を読むともうそっちに引っ張られちゃうからと思って、書く前はダメだと思って慌てて途中でやめたけど、小泉元首相が放って高遠さんたちを四面楚歌にした忌まわしき言葉「自己責任」は、後に問題視されるどころかその思想性を拡張し、相模原の事件が起き、性的マイノリティは生産性がないという政治家の発言が産まれた、監督さんの想いにいちいちそうそうそうそう!!と思っちゃったからさあ。

実はね、本作の発想はその点で今の社会を映す、凄く斬新にも見えながら、実は日本社会に(もしかしたら世界的にかもしれない)根強くはびこっている思想ではある。
姥捨て山伝説がまさにそうである。名作映画がのちのちその後の物語そして製作された時は、実は生き残っていたおばばたちがえっらくパワフルに闘うなんていう展開に、なぁんとなく鼻白んだのは、あの伝説は伝説ではなく、今の日本社会でもしつこく生き続けている、役立たずの老人は死ね、という社会的思想を全く無視して、社会派を気取っていたからに他ならないのだ。

老人ではないけれど、近作でも同じ問題を憂いて描かれた作品があった。あさこ姐さん熱演の「鈴木さん」。ある年齢に達した独身の女がそのコミュニティから駆逐されるというディストピアファンタジーは、まさにその年齢の私を震え上がらせるに充分だった。まさにまさに、生産性のない、子供も産まずにのうのうとしている女。

誤解を恐れずに言えば、姥捨て山の発想から本作に通じる、高齢者への冷ややかな視線……それこそ、老いては子に従え、だ……は、もう伝統文化というか、いや、この伝統文化は改めるべきだ、という前向きな視点で語られる時代に来ていると思うんだけれど。
「鈴木さん」の、子供を産まない女への排除思想こそが、私には恐怖だった。そしてその先には、多かれ少なかれ、世界中のどこでもある、それこそザ・生産性のない老人への冷ややかな視線が待っている。まさにダブルパンチである。そのダブルパンチを負っているのが、本作の主人公、倍賞千恵子様演じるミチであるというのが、大きいんである。

ミチはホテルの清掃員として働いている。同じ年ごろの同僚たちはみな元気で、話の内容からは問題の75は越えているのだろうが、現代の多くの70代がそうであるように、そんな、死ぬだのなんだの、まだまだ働いて、人生を謳歌する気まんまんである。
女性であればそのエネルギッシュさはさらにである。そういえば、この非情なる選択にさらされる男性側で深く描かれるのはひとりだけで、もう自分は一人で、誰も親身になってくれる身寄りもいなくて、みたいな感じで描かれる。女性のパワフルさに比してなんとなくそうかもと思っちゃうのは、ひょっとしたら偏見かも知れない。監督さんが女性だから、ちょっと、ヒヤリとしたりもしちゃう。

倍賞氏演じるミチは、家族のために生きてきた女性が陥りがちな、子供や孫に迷惑をかけないために、という縛りがない、結婚はしたけれど上手く行かず、子供もいなくて、という人物像にしているってところが、結婚は今のところしてないし、もうさすがに子供もね、というお年頃のアラフィフ女子としては、ぐっとくるところがあるのだ。
今、日本社会は、マジにこーゆーおっそろしい高齢者社会の解決策を選択しそうなほどの状況と思想に満ち満ちている。表面上は、定年年齢を引き上げて、高齢者に長く働いてもらって、という、なんつーかおだておだてな政策をとってるけれど、なんか、きっと、それが本音じゃないんだろうなというのを誰もが感じているから、この思い切った設定が荒唐無稽に感じないんだろうと判るから、戦慄するのだ。

おだておだてな政策の裏の本音が、本作で打って出ている“思い切った政策”てのにあって。
しかもそれが、国会を通っちゃった後は、それまでは一応、物議をかもしたとか、賛否両論だったとか語られはするものの、それこそ日本人の悪しき慣習、通ってしまえば我関せず。
従うしかないんじゃない、という、粛々と制度を推し進める自治体スタッフやら、やたらおだやかなキャンペーン映像やらの恐ろしさ。

本作はさらに、明確にそうだとは示さないんだけれど、格安の合同火葬、合同墓というサービスの中の暗部に、産廃業者に、つまりゴミとして遺体を処理させる仕組みがあることも示される。
本作は主演は倍賞氏だけれど、彼女のシークエンスと、プラン75のスタッフであるヒロム(磯村勇斗)の疎遠になっていたおじのシークエンスとで、問題点を切り分けて描いていく。
自分自身の人生を働いて稼いで、そりゃ哀しい過去もあったけど、今生活している自分になんの問題点もなかった筈だったミチ。
ただ、本作はすでに、この忌まわしきプラン75たる政策がすっかり推進され、むしろ75歳も過ぎて生死の選択の悩みもせずにのうのうと生きてんのか、みたいな視線と、この政策を盾に、ちょっとしたトラブルやクレームを言い訳に高齢者ワーカーを斬って捨てる。毒々しい花束を押し付けて、お疲れさまでした!!と感謝ヅラして。

生死の選択って、凄い怖い言葉だ……一見して、自由な選択と見えながら、てゆーか、ほんっと、こーゆー、一見してのオブラートに包んで、日本という排他的社会は、マジに平気でこーゆーことしそうだ。生死を選択するのが自由だなんて、死を選択できるから死んでよねと言ってるってことじゃないの。
だって死にたい人間なんていない。そりゃさ、悩みを抱えてたりとか、そーゆーことにまで話を広げるとまた違う。また違うからこそ、そこにかこつけて、死ねと言っている。それってつまり、“また違う”事例にだって簡単に広げられるということだ。悩みを抱えて死にたいと思っている人の肩をポンポンと叩いて、生死の選択は自由ですよ、ても言えるってことでしょ!!

再び、姥捨て山を思う。弱者の代表として、そして先行きが短いという判りやすさとして、つまりはスケープゴートにされるのはいつだって高齢者であり、それは単なる入り口でしかない、弱者排除の言い訳でしかないことを、きっと常にそうであったことを、現代を振り返ってみて改めて思う。
ミチが、かつてのそうしたテーマに描かれる高齢者とは違って、係累がいないというのが、独身者や、性的マイノリティや、ハンディキャッパーやといった、あらゆる人たちの橋渡しになっているのが今までと一番違うところと思う。

ミチは再就職があまりにも上手く行かなくて、一緒にやめた同僚たちともその後上手くつながれなくて、何か心弱くなってしまって、プラン75の申し込みをしてしまうんである。結局は殺される、施設に送られて薬でゆっくり殺される。
そうそう、もう一人の主人公と言うべき人物がいる。フィリピンから出稼ぎで介護職に就いているマリアである。重い病気を抱える子供のために、在日の同郷人から割のいい仕事を紹介されるのが、プラン75に応じることを選択した高齢者たちの後処理、ビジネスライクに、遺品の整理まで含めて、ベルトコンベア式に看取るんである(看取る、という言い方はどうにもしっくりこないが……)。

この選択をする高齢者たちは、ミチのように単身なのか、家族がいても疎遠なのか、判らないけれども……無造作に残された遺品のバッグの中からは、高級な時計やらアクセサリーやら、時には大金も入っていたりする。
マリアは先輩おじさんから、死んでしまった人も浮かばれる的なことを言われて、おずおずと高級そうな時計を手にするのだが、最後に彼女が発見した数十枚の万札はどうしたのか……。

ここにもシニカルな視点がある。墓には持っていけないという台詞は、私も冗談交じりによく言うところである。どの時点で、いわゆる金目の物、財産を、誰かに残すのか、それとも捨て去るのか、国に寄進するのか……。それこそ、こんな政策を通して自分たちを殺しにかかる国に残そうなんて“愛国者”がいるとは思わない。
それこそ、百年前なら判らない。盲目的に、天皇陛下、お国のために、姥捨て山だってそういう思想の元に通っちゃっていたんだろうから。でも皮肉だよね。あの頃は、若き命が国のために散ることを推奨し、今は老いた命がそれに代わる。お国のために、という思想はある意味一緒なのだから。

偶然、自分の元に手続きに来た放浪の叔父を、ヒロムが最後の最後で、死んでしまったことを確認した後でさえ、せめてまっとうに火葬に、と決死に連れ出す。
そしてミチの方は、プラン75の申し込みをして、その最後までをサポートするコールセンターの“先生”、毎回たった15分のおしゃべりをするだけの女の子のヨウコと、夫との思い出の場所であるボウリング場につき合わせたりする。

それは当然、“情が移る”から、タブーだった訳で。死にゆく決心をした高齢者の気をそらせちゃいけない。上手く誘導しなければいけない。ミチと心を通わせた後、なんとかビジネスライクに電話を切った後も、後悔して、ミチと連絡とろうとしてもつながらなくて、もんもんとしていたヨウコ。
新人教育をしているそんな会話を何とも言えない、苦虫をかみつぶしたっていうのも言いきれない、ばきゃろー!!みたいな表情で彼女が聞いてて、カメラ目線でにらみつける。

何か機械の故障があったのか、ミチは眠りから入る死への道筋にたどり着かないまま……隣で横たわる、ヒロムの叔父の死にゆく姿を、驚愕の、恐怖のまなこを見開いて眺めていた。
人の死を、しかも、人の手で下される、自分たちが死ねと言われる死を目の当たりにする恐ろしさ、想像もしたくないし、出来ない……。

でもさ、ミチの同僚たちは、この年頃のあっけらかんとしたオバチャン気質で、民間サービスの豪華なとこで死ねるんならいいじゃない、食事も最高なんだよ、無料で体験できるんだよ!!なんて情報交換してた。それがどこまで本音かは判らないけれど、どっちもあるのかなというか……。
日本って、闘わない国だからさ。なんか知らない間に理不尽な政策やら条例やらが通ってて、えーっ、と思っても、結局自分がそれにかかわらなかったのが悪かったからなとか思って、受け入れちゃう。そんな具合に、こんな、75になったら死ねという制度だって、すんなり通っちゃう未来が見えちゃうんだよ。そういう国なんだもの、日本って!!

でも、この10年ぐらいで、すこうし変わったような気もしてる。それこそ私の時代は、子供を産まないままの独身女、それが老いちまう独身高齢女性はいわずもがな、ハンディキャッパー、性的マイノリティへの風当たりどころか、それすらない、全無視の時代だった。
無視から偏見の時代に移行してそれはすごくつらかったけれども、ようやく、こんな風にようやく、ヤバいんだよ、今が踏ん張り時、ここで変わらなきゃマジでヤバいんだよ!!と言える時代になったんだと思い、それは本当に……私が絶望を感じていた時代にはなかったことだから、本当に、本当に私、頑張る、頑張りたい、発信するし、闘うぜと思った!!★★★★☆


ブレット・トレインBullet Train
2022年 126分 アメリカ=日本=スペイン カラー
監督:デビッド・リーチ 脚本:ザック・オルケウィッツ
撮影:ジョナサン・セラ 音楽:ドミニク・ルイス
出演:ブラッド・ピット ジョーイ・キング アーロン・テイラー=ジョンソン ブライアン・タイリー・ヘンリー アンドリュー・小路 真田広之 マイケル・シャノン バッド・バニー ザジー・ビーツ 福原かれん サンドラ・ブロック

2022/9/14/水 劇場(TOHOシネマズ六本木ヒルズ)
意外と面白く観られた、だなんて失礼なこと言っちゃう(爆)。これまた、自分ではなかなかチョイスしない、友人とご一緒したがゆえ。ワレラの世代のスターだもの。彼がもう60になんなんとしていることを知るとなんという感慨か。
しかしあんまり変わらない、というか、本作のコミカルな作風の中の主人公である彼は、劇中、老眼をことさらに強調する場面はあるものの、やっぱり若いんだよなあ。さして変わらない年の真田広之氏が、役名からして長老、もうすっかりおじいちゃん呼ばわりされるのと非常に対照的。

えてしてアジア人っつーのは年より若く見られがちだけれど、ここでは逆転現象、というか、いや、ある程度の年を経るといきなり禅の世界つーか、仙人めいちゃうというか、ひょっとしたらそういうイメージが西欧からはあるのかもしれんなあ。
ブラピ演じるレディバグは禅の庭とか見て心を鎮めたいとか言うし、未知のエキゾチックなものへの憧憬を感じなくも無かったりして。

つーか、そんなことは何の関係もないのだが。ネタバレ禁止とのきついお達しだが、オチまでたどり着いても今一つピンと来てなかったので、わざわざ丁寧にオチまで解説してくれているサイトを探し出して読みふけってしまう。すみませんね、オチバレで。
一つのブリーフケースをめぐって、殺し屋同士が殺し合う事態となるそのすべての筋書きを、諸悪の根源、ホワイト・デスが仕組んでいた。その理由は、愛する妻が死んでしまったのは、殺し屋たちの責任。殺し屋という存在をまとめて抹殺するために、意味ありげなブリーフケースを奪い合わせて、殺し合いをさせた、という図式。

うん、そうだった。確かにそう説明されていた。間違ってなかった。……結局これが、その理由で??……と思ってしまって、納得できないもんだから、もうどうしようもないもんなあ。
納得できる理由である必要はないのかな、このハリウッドハチャメチャアクションでは。でも原作は緻密なストーリーテリングが魅力の伊坂氏なのだし、実際の原作はどうなっているんだろう、読んでみたい、と一緒した友人とも意見が一致したり。

頭空っぽにして楽しめばいいだけなんだろうね。新幹線の中での、時には外側でのアクション、いや、これは新幹線と言っちゃいけない。見るからに新幹線だけど、新幹線ナメてもらっちゃ困るぜよ、というムチャのし通しだから。
新幹線は日本が誇る素晴らしき高速鉄道のブランド名。そう……高速鉄道、としか言ってなかった気がする。新幹線と言っちゃいけないのよ。だって新幹線の窓ガラスは、どんな衝撃でも割れる訳ない。新幹線のスピードに外側からはっしとしがみついて、この時点でこともあろうになのに、そのまま窓ガラスを割って入るとか、走行中に窓が開いてドアにしがみついてうわー!とか、ないないない!

いやその……それを言っちゃあ、楽しきエンタメ作品は作れないから、だから、“高速鉄道”なのよね。ソックリだけど。派手にラッピングして、椅子の感じとか絶妙に違うし、そのラッピングされたキャラクター、いかにも日本が作りそうなゆるキャラ……でもそれも、そのいかにもが、微妙に違うというか……。
やっぱりアメリカ風味の、ちょっとシャープなキャラ風味なんだよね。でもメチャ可愛いくて、車中にもんわり巨大な着ぐるみ(その中に殺し屋が潜んでるんだけど)でキツキツにいてるのが、シュールなキュートさでたまらない。そしてクライマックスでは、このもんわり巨大なクッションがレディバグの窮地を救うのだから。

そもそもレディバグは殺し屋なんて立派なもんじゃない。今回だってブリーフケースを奪うってだけの依頼だったし、それもドタキャンの代打だった。つまり彼は人違いで恨まれ、殺されかけ、こんな理不尽な目に遭う訳なんである。
彼は何度となく自分の運の悪さを嘆くし、まったくその通りなんだけれど、結局はそれでも生き延びてっちゃうという強運の持ち主で、彼の周りで続々と死んでっちゃうのが、ちょっとシャレにならないわ、と思うぐらい。

双子の殺し屋、として紹介される。双子、うっそお、である。全然似てない。人種も違う。キャラクターとしてのネーミングなんだろう。レモンとタンジェリン(みかん)。だっさ、ってなネーミング。全編通してそのネーミングへのツッコミが繰り返され、だからこそだんだん愛着がわいてくる。
ベビーフェイスのふとっちょブラックのレモンは、きかんしゃトーマスのキャラクターに当てはめて人を判断する。シールを持ち歩いて、お前はこれだと、ぺたんと貼る、子供みたいと思うが、それが不思議に、百発百中なんである。

そして、こーゆー殺し屋、ハリウッド映画には、いるいる、こーゆーキャラ出てくるよね、という、見た目は可愛い女子高生風。なんかクリスティーナ・リッチを思い出しちゃうような、童顔だけど一筋縄ではいかないオーラ満タンのミニスカ女子。
実はホワイト・デスの娘であり、お兄ちゃんばかりを溺愛する父親を恨んでの、この参戦である。つまり、父親を殺す、と決意しての。なのに父親の方は、彼女のウラミのキモであるお兄ちゃんこそが、愛する妻の死因となっていることで、彼が予想外に死んでしまっても、そもそもこの殺し合いゲームのコマに使っていたにすぎないこともあって、ぜんっぜん、気になんない。

そのことをこの娘は知っていたのかどうか……。まぁさ、結果的にはハチャメチャに殺し合う、ないない、とツッコミどころ満載の、インチキジャパニーズワールドなところこそが魅力の世界観なのだから、こんな情緒的なところをマジにとらえるべきではないとは思うんだけどさ。
でも、殺し屋たちは皆チャーミングなキャラクターの持ち主で、誰かを愛してやまない不器用さが故に死んでいっちゃうのがなんともやるせないんだもんなあ。

おっと、そもそもの始まりを言い忘れていた。ここは日本。なんたって真田さん。真田さん演じる長老(エルダー)と呼ばれるオーラ満点、過去ありありそうな、意味ありげな足を引きずるその過去が気になって仕方ないっつー、判りやすっ!と言いたくなるキャラ付けだが、真田さんだから、とにかく素敵、カッコイイ。
彼の息子である木村のさらに息子、つまり長老の孫のワタルが、高層から落っこちて、意識不明の大けが。父親のホワイト・デスを殺させるために、ワタルを突き落として人質にして、木村に犯人を追わせる形でおびき寄せる、というのがプリンスと父親から命名されているホワイト・デスの娘、である。正直、めっちゃ冒頭のこのあたりのスタンスから、ついていけなくなってるから、もうどうしよう(爆)。

真田さんの息子、重要な日本人役である木村、誰誰??……失礼ながら、正直この役柄には、日本の役者を起用してほしかったなあ……。私が知らないだけで、ハリウッドではスターなのかしらん……。
私が気づかなかっただけで、友人から教えてもらって、アメリカで認知度のある日本人キャストが重要なキーパーソンとして配置されていることを知って、おおーとは思ったけれど、このメイン中のメインの、しかも日本人中の日本人であるキャストにはやっぱり……いろんな役者さんを当てはめて想像しちゃうもん。

でも結局、日本が舞台、ではなく、日本っぽいところが舞台、というか、そこを追求しないからこその魅力だってのは、判るからさ。リアルな日本を舞台に、なんて思ったら、そもそも本作は作れない。
先述した、新幹線なめんなよ、と言いたくなる描写は無論だけれど、ファンタジー、なんだよね。パラレルワールドと言いたいぐらい、日本のような、日本ってこんな感じという誰かが思っている、別の世界。金髪ミニスカの車内販売員なんてありえない、なんて言っちゃったら、もうおしまいだもの。

車内に日本人全然いないなあ、というのも最初こそ違和感があったけれど、結局殺し屋ばかりの布陣になり、ホワイト・デスがどっかからかは席を買い占めてて、殺し屋アクションのやりまくりになる。それでもせっかく日本が舞台になってるんだから、日本人乗客とのエピソードが欲しかったかなあ。

先述したけれど、ありえない、新幹線なめんなよ、という、ただの脆弱な列車扱いしてるだろ、という、なんかこういうね、列車アクションはフツーに見覚えあるから、それを、新幹線と言わないまでも、絶対新幹線だろという設定でやるの、マジやめて、という、怒涛の後半である。
キツかったのは、逆方向からくる列車と衝突、脱線する場面だった。そう……鑑賞後、友人が、あの場面で福知山線の脱線事故を思い出してしまったと言っていて、本当にそうだと。
しかも、キャスト達が乗ってる列車はまさに殺し屋だけが残されているけれど、正面衝突しちゃう列車は、そうじゃないでしょ、ってことでしょ!!と思って、なんか見た目、画面の迫力だけでやっちまうけど、観客はそこまで考えますよと、思っちゃうんだよな……。

いやマジで、プリンスちゃん(女子高生スタイルのホワイト・デスの娘)を死なせることはなかったんじゃないかなあ。難しいところではある。死なせなくても、というキャラばかり、殺し屋なのに全員、人情派で、うっかり死んでしまう哀しさを深く考えてしまうと、えーっ!と思うキャラばかりだった(たっくさんいるんだけど、言い切れないので割愛)。
やっぱそのあたりの扱いの仕方が、アメリカと日本の、いやアジアの、違いのような気がする……。えーっ!プリンスちゃん死なせて、それですっきり溜飲下がるなんて、思えない思えない!!

その後、プラピと彼のエージェントであるサンドラ・ブロックの小粋なやり取りで上手く締めちゃうけど、えー、ちょっと考えられない。そりゃレモンのプリンスちゃんに対するにっくき思いは判るけど、お互い事情はアリアリな訳だし、殺してスッキリはないよ……。
これは言っちゃいけないのかもしれんが、やっぱり女の子ラブのこちとらとしては、レモン、ウラァ、許せねー!!と思っちゃうよ……。

世界観はフィクショナル、アニメチック、ネオンカラーがてかてか光ってる、ファンタジーだってことは判っちゃいるけれど、でも絶妙に、日本だとか、新幹線かもとか、ヤクザの義理人情の世界を、ヘタにリアリティたっぷりに描いてくる。
真田氏もそこんところは心得てて、決してリアリティある日本じゃないけど、日本的価値観の部分、殺陣シーンは絶対に手を抜かない、刀の処置とか、絶対に、正式に見せる、ってのがひしひしとつたわってきてさ、素晴らしかった。
作品ごとに、その作品が示したい方向性、フィクショナルなことの中でも、ここだけは抑えなければいけないポイント。今、真田さんだけが、その担い手であるんじゃないのかなあ。その先の後継者が育っているのだろうか。

なんか全然、書ききれなかったけど、ちょっと怖い目をしたゆるキャラ、もももんが可愛くって、可愛いけどちょっと怖くって、なんか、ホラー映画で、可愛い着ぐるみとかお面とかかぶって、実は!!みたいな王道を思い出しちゃった。でも、ただただ可愛いばかりだったんだけどね。★★★☆☆


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