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「さ」


2025年鑑賞作品

サンセット・サンライズ
2024年 139分 日本 カラー
監督:岸善幸 脚本:宮藤官九郎
撮影:今村圭佑 音楽:網守将平
出演:菅田将暉 井上真央 竹原ピストル 山本浩司 好井まさお 藤間爽子 茅島みずき 白川和子 ビートきよし 半海一晃 宮崎吐夢 少路勇介 松尾貴史 三宅健 池脇千鶴 小日向文世 中村雅俊


2025/1/21/火 劇場(TOHOシネマズ錦糸町オリナス)
お気楽コメディだと思っていたら、そうじゃなかった。いや、お気楽コメディの側面は確かにある。でもその笑わせる部分に紐づいた背景は、人間の愚かさだったり、哀しい過去だったり、そうしたものにしっかりと結び付けられていて、凄いと思った。
喜劇とはそういうもの。笑わせるのが一番難しいっていうのは、そういうこと。そのバックグラウンドは悲劇と同じぐらい、いやそれ以上にしっかりと作られていなければいけないし、理解や共感がなくてはならないから。

二つのファクター。震災とコロナ。舞台は三陸の地方都市。いや、田舎町と言った方が正しいかもしれない。
震災の記憶を誰もが色濃く持っている。ヒロインである百香(井上真央)が震災で失ったものがなんなのか、最初は判らないけれど、次第次第に……この町のマドンナである彼女に岡惚れする独身男たちの結束や、父親ではなく後に舅だと知れる章男(中村雅俊)の話から判ってくる。

「モモちゃんの幸せを祈る会」の男たちが手をこまぬいている限りは、彼女はこの哀しさの中から抜け出るきっかけさえなかった。そこにやってくる、ザ・よそ者の晋作である。
東京のでっかい企業に勤めていることが後に知れることになる晋作は、彼ら地方民から見ればエリートサラリーマンで異次元の存在だっただろうけれど、後に知れる前に、晋作はするりと彼らの信頼を得てしまう。

晋作を演じる菅田将暉氏が、ちょっとオドロキの垢ぬけなさで、えーっ、こんなに土くさい菅田氏、見たことない!と喜んじゃう。
もともとイケメンという訳じゃないと思うが(いやその……何でもかんでもイケメンでひとまとめにするのは違うと思うからさぁ)、それにしても、なんつーか、イモっぽい!釣りで日焼けした様子といい、基本釣りファッションで、もちろんしっかりとプロフェッショナルに固めているんだけれど、実用スタイルでファッショナブルじゃないし、本当に、釣りを愛し、海を愛し、だからこの三陸に来たんだ!!というのが、その単純スタイルを納得させちゃう奇跡の素朴さ。

彼がクライマックスで叫ぶように吐露する、震災もコロナもどうでもいい、そんなこと気にしたこともない、ただここが大好きなんだという台詞が、それまでのコミカルに封じ込められた中で苦しく哀しい記憶を、それを生真面目に抱えてなきゃいけないと無意識に思っていた彼らを、こんなシンプルな言葉で救うのが、すんごく刺さるのだ。

おっといけない、とっととオチに行ってはいけない。そもそも、この三陸の小さな町の役場に勤めていた百香が、社会問題となっている空き家解決の担当者になるところから始まる。
百香自身も空き家を持て余していた。しかも新築。家具も家電も装備済み。百香は章男と一緒に暮らしていて、観客の目からも、二人は親子なんだろうと思っていたんだけれど、違った。漁師である章男の船に飾られていた写真が、カメラがしっかり寄らないから気になっていたんだけれど、彼にとっての息子と孫、百香にとっての夫と子供たちが命を落としたんであった。

晋作はというと、コロナ禍によって彼が勤める大企業は完全リモートワークが出来ちゃう整備が整えられてて、これ幸いと好きな釣りが出来る移住を検討、そこに百香の提示した“神物件”がヒットしちゃう。
まさかこんなにすぐに希望者が現れ、しかもまさかこんなにすぐに来ちゃうとは思わなかった百香、しかもそれが東京の人であることに、焦ってしまう。あ

ぁそうだ、まさにこのコロナ禍の時の、地方と首都圏のケンアクな関係性だ。都会で蔓延しているコロナ菌、帰省するな、地方に来るな、という大合唱、あの子帰省してたんだってよ、とこそこそ陰口をたたかれていたという話とか。
村社会という以上に、人間ってこんなに情報に左右されるんだ、あの時の未知のウィルスに対する恐怖の感情って、まるでSFみたいだなと思って、それが判りやすく、都会の人間への拒絶になっていたことを思い出してしまう。

まさにその図式ではある。百香は晋作に対して、まるでバイキン扱い、これ以上近づくなと、会話もスマホ、除菌スプレーをまき散らし、とにかく2週間、この家から出るな、と厳命する。
もちろん東京にいた晋作だって、すっかりリモートワークだったし、状況は判っていたけれど、リモートワークだったら地方でもオッケっしょ、という逆転の発想で移住を思いついた訳で、そうか、多少なりとも地方の住民感情を伝え聞いていなければ、こういうことになるのか。

いや、あの時、こういう状況は報道されてもいた。晋作が、先述したように、クライマックスで叫んだように、そんなことはどうでもいいと、今なら素直に私たちも飲み込める当然の価値観を、ナチュラルに持っていられたからこそ、彼はこんな仕打ちにもめげず、2週間隔離という厳命もいい感じに自分勝手な判断で破りまくって、結果的にこの地になじみまくってしまう。

リモート会議の分割画面、何か今となってはすっごく懐かしい。もちろん、今でも行われているのだろうけれど。社長が登場して、こっそりみんなが離脱しまくって晋作と社長が二人きりになっちゃうとか、このコロナ禍で生まれたリモート会議システムをみんなが共有していなければ、これでユーモアを産み出すことも出来ない。
晋作が海の幸の食卓にご満悦で、そこにタコが送られてきて吸盤すいつきまくりのタコとプロレスか!という格闘する場面を同僚たちがボーゼンと眺めているシュールなシークエンスとか、最高なんだよなぁ。

おっと、脱線してしまった。そう、社長が興味を示すんである。地方の空き家物件に格安で移り住んで豊かな生活を送っている晋作に、コロナ禍で進んだリモートワークと全国の空き家問題がビッグなビジネスチャンスを産み出すと。
これってめちゃくちゃリアリティあるし、実際に会社ごと本社を地方都市に移したという話も聞くし、本当に進んでいる話なのかもなぁ。

地方の空き家問題は数十年前から聞いていて、その解決策なんて思いもよらない、というのが都会信仰が強い私たち昭和世代の認識だったけれど、ネットが普及、コロナ禍以前からどこにいても仕事は出来る、というのが、大手企業、IT企業中心に急速に広まった。
正直、私が従事している現金主義、アナクロニズムな卸業界はまだまだ難しいのだけれど、でも入院中でもパソコンを持ち込んで出来る仕事があるだなんてことが、少なくとも事務方には大いに助けになったし。

晋作のガッツ、というか、そこまで考えていなかったのかもしれないけれど、目の前に海があるのに釣りができないなんて、地元民と接触してはいけない、でも地元の海ならいいでしょ、という言い訳から、サングラスに帽子という怪しさ満点の姿で、結局市場にまでウロウロしちゃう。
独身男チームから、市場よりスーパーの方が安いのが判ってないからよそ者だ、と断定されるあたりが、あぁ、あるあるだなぁと思って。それでも晋作にとっては東京の価格に比べて激安なのだ。

つまりはさ、そんなことを調査しちゃうほどに、男たちは晋作のことが気になっていて、そこんところに隔離期間を終えた晋作が無邪気に飛び込んでくると、これもこれもと“おもてなしハラスメント”をぶちかましちゃう。
東京ではこんなもの食べれねーだろ、塩辛は日本酒とか甘い甘い、白ワインとのマリアージュだとか、あぁ見ているだけでこの店に飛んで行きたくなる!

コロナ禍以降、今でも被災地は、原発もあったし、観光事業は苦しい状況であると思う。何度も言っちゃうけどクライマックスで晋作が言ってくれた、そんなことはどうでもいい、ここが好きなんだという、それだけの魅力を、知ってほしいと思う。

晋作の同僚たちが空き家ビジネスのためにやってきて、東北六県が言えないぐらいのレベルに独身男チームはイライラしたりもするけれど、でもそれは、東北民がじゃぁ、東海、近畿、北陸、四国、九州等々、ちゃんと言えるのかということでさ。
私が東北に住んでいたこともあって、一時はそうしたことにイライラしたこともあったけど、私だって言えないもんなぁということに気付くと、それきっかけに、知りたくなるっていうこともあると思う。知りたいとか、住みたいとかっていうのは、地理的知識じゃなくて、震災のこともよく判ってない、考えてもいない晋作のような人が、きっとその場所の魅力を百パーセント純粋に見つけてくれるのだと思う。

晋作が東京の人だと言われ、舞台となるこの地方都市で暮らす人々は、産まれてからずっとここに住んでいて、東京からコロナを持ち込むなと罵倒し、都会民は、被災地の人たちは何でもやってもらえるのが当たり前だと思っていると苦言を呈する。
辛い。どちらも判ると言えば判るけれど、なんていうか……。私はどちらでもないのだ。今はうっかり東京に住んでるけれど、地方民。でもそれも、転勤族の子供で、地元というところがなくて、地方からも都会からも、お前は違うだろと言われている感が常にある、ずっとある。

だから、本作での、都会に対するコロナ菌扱いに対しても、被災者が被害者ぶってると思われているということも、どちらもめちゃくちゃ判る、苦しい、哀しいんだけれど、どちらに対しても、真の当事者になれない苦しさがある。
それを晋作は、都会側の人間であって理不尽なことを言われて、態度とられて辛かったに違いないのに、ふわりと乗り越えちゃう。そのコツを教えてほしいと思っちゃう。だって、除菌スプレー浴びせられた最初から数えて、とにかくひどい対応だったのに。そんなポジティブになれないよなぁ。

一番大きかったのは、晋作の隣の家(とはいえ、田舎だからそれなりに離れているけど)のおばあちゃんの存在だったと思う。いろいろ事情は察しただろうけれど、問題の空き家に越してきた晋作に差し入れをくれたところから交流が始まり、料理をしたり、縁側で一緒にご飯を食べたり、パチンコに通う彼女を送り迎えするまでになり、家族の話とか、いろいろ聞いて信頼された。
パチンコ屋で倒れた彼女を救急車で付き添い、その葬儀の場面から一気に物語が動き出す。

都会に住むおばあちゃんの家族は葬儀に来れなかった。でも、代わりに、というか、晋作の勤める大企業の社長が訪れ、空き家ビジネスが具体的に動き出す。
このおばあちゃんの家がまさに、キーポイントになる。この町の空き家事情を網羅して、すぐ住める、軽い修復が必要、大きな修復が必要、といったランク付けがなされ、それによってトラブルも発生するのだけれど、このおばあちゃんの家が、いわば、ロールモデルとなった。

近年は寄り付いていなかった息子たちが、最初は残置物はすべて捨てていいと言っていたのに、見ていくうちに、その想い出に、落書きとかさ、シール貼られているタンスとかさ、ぐっときちゃって。
でも一年に一度ぐらいしか帰れない、家は人が住まなければ荒廃してしまう。ならば、この状態をいい感じに残すリフォームをし、帰省する期間以外を貸し出すのはどうか、と晋作は提案するんである。
ビジネスなのだから、それなりに残すとはいえリフォームは完璧に美しく、昭和女子的には正直、全然残ってないやんか、と思っちゃったんだけれど、どうなんだろう……。難しいなぁ。

この活躍により、一時本社に戻された晋作が、再び神物件にアクセスし、プロポーズしていた百香と再会、籍は入れないという選択を舅も理解するという、あたたかなハッピーエンド。
ひとこと言いたいことがあるとすれば、モウカザメの心臓、東京でも食べられるよ!ウチの店でも仕入れてるし、大手とか、高級な店とかではないかもしれない、むしろ東京下町、心ある伝統を受け継ぐ店で、食べられると思います。
レバ刺しが永遠に食べられなくなった絶望を救ってくれたあの時を、思い出すなぁ。めちゃくちゃウマいよ、ぜひ食べてみて!!!★★★★☆


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