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「ら」


2002年鑑賞作品

Laundry ランドリー
2001年 126分 日本 カラー
監督:森淳一 脚本:森淳一
撮影:柴崎幸三 音楽:渡辺善太郎
出演:窪塚洋介 小雪 内藤剛志 田辺謙一郎 村松克己 角替和枝 西村理沙 木野花


2002/5/14/火 劇場(渋谷シネ・アミューズ)
種類わけすれば好きな映画だし、すんなり好きになりたい映画でもあったんだけど、なんかねー、いろいろ、次々、ツッコミたくなっちゃうの。ツメが甘いのか、あるいはそのあたりも判った上での確信犯なのか、どうも判然としない。

●洗濯物を届けてくれただけの男の子を、なぜすんなりお茶に誘って自分の部屋に入れちゃうのか?

まあ、それはいい。そんなことを言ったら、ボーイ・ミーツ・ガールの物語は成立しなくなってしまう。でも、初対面であの状況でいきなり部屋に入れるかなあ。それだけ水絵が人淋しかったってことなのかなあ。それとも彼に対するインスピレーション?

●水絵が失恋した彼は、妻がいるのになぜあんなふうに切羽詰まって彼女に告白したのか?

だって、そうでしょ。結婚しているのに、あの告白の仕方はいくらなんでもヘンじゃない?お互いに知り合って、結婚しているんだからいけないんだけど、好きになっちゃって、どうしようもなくて、っていうんなら判るけど。確かにあの告白の仕方……閉店間際の花屋、店員の彼女に、今日中に好きな女の子に花を届けて欲しいんだ、と言って、ラッピングしている彼女自身の名前を書いたメモを渡す、っていうのは素敵なシチュエイションだけど、それを妻帯者がするの?結局、子供が生まれるまでの間の恋人にされていただけで、あのやり方はないんじゃない?

●東京で花屋に勤める、という夢は、失恋だけで(しかも相手から告白されて始まった恋愛)そうもあっさりと終わってしまうものなのか?
●田舎に帰って、工場に勤め始めるはずが、水たまりを踏んだだけで気持ちがなえちゃうとはどういうこと?
●結局、バス会社に勤めることになる彼女が、訪ねてきた彼とともに東京に戻ってきて、これまたあっさりとその仕事を放棄しちゃっているのは、どういうこと?

……なぜこうも、このヒロインは仕事に対する気持ちがイイカゲンなのだろうか……。
“水たまりを踏んで”というのは、無論、その前に、田舎に帰ろうと決心する水絵が、この水たまりを飛び越えられたら私は変わる、とまあ自己暗示みたいな感じで、テルの目の前で飛び越えることに成功し、とても喜んで、気持ちを切り替えることが出来た、とまあそういうエピソードがあるからなんだけど、でも、水たまりを踏んじゃって、ああ、やっぱりダメなんだって、そりゃほとんどコントじゃないんかい!しかも次に勤めたバス会社も、またしても洗濯物を届けてくれちゃったテルについて殆どノリで東京に出てきて、まあ一日二日休むぐらいなのかと思っていたら、ずーっと彼にくっついたまま鳩の飛ばし屋のサリーんとこに一緒に居候しちゃうって、そりゃ、おかしいだろう、普通!仕事はどうしようとか、このまま彼について仕事はやめてしまおうとかいう悩みも一切なく、殆ど欲望の趣くままであるっつーのが、子供じゃないんだから……。それに、テルに対して、私、変わった?と聞くぐらいだから、ちゃんと仕事して、ちゃんと生活している自分に自信が出てきていたのかと思ったら、これだもんなあ。

●なぜ妹はあんなに姉に辛く当たっていたのか?そしてなぜ急に素直に打ち解けちゃったのか?

これは本当に、ナゾ。まあ、その前に妹が親にくってかかるシーンで、こともあろうにこの親までが、あの子は普通じゃないんだから仕方ない、なんて言うぐらいだから、もともと水絵はどっか精神的に弱い部分があったのかもしれない。そんな姉を持っていること、その姉が東京から戻ってきちゃったことを恥ずかしがり、いやがっているのかなあ、と思ったら、何のきっかけもなく、急に気持ちをほどいちゃうんだからナゾである。まあ、水絵が一生懸命この妹に話しかけたから、ということなのかもしれないけど、それが説得力を持つにはあまりに唐突。

●なぜ水絵はテルが壊したガラスの置物を店員に申告せず、ポケットに入れちゃったりしたのか?

1.お金を持っていなかったから。
2.水絵の盗癖が直っていなかったから。
……なのか?うーむ、うーむ、うーむ。1はいくらなんでも人間として最低ラインの常識を破ることになっちゃうし。2にしたって、水絵の盗癖は失恋が発端となった彼女自身の心の弱さが生み出した病気で、この時点でテルと一緒で幸せだったはずの彼女にあるべきものじゃない。あるいは、テルがこのガラスを壊してしまったことで、動揺して再発しちゃったの?そんなあ、そこまで弱いのはもはや反則じゃないの?

●いくら前科があったとはいえ、盗みで一年間も入れられちゃうものなの?

これについては本当に知らないので、純粋な疑問。

●一年間水絵がいない間、車も運転できない(よね?多分)テルがどうやってあの仕事で生計をたてていたのか?

水絵がつかまって、彼がかつていたコインランドリーに戻ってきたから、ここで誰かに助けられちゃうのかな、と思ったらそういう描写もなく、水絵が帰ってきたときには鳩飛ばしが上手くなってたから、そのまま仕事を続けていたんだろうけど、車を運転できないと、この仕事って難しいよね、恐らく。ただ、彼が一人でもやっていける強さがあること、その上でラストシーン、水絵にプロポーズする言葉がより感動的に響くから、いいんだけど。これも本当に純粋な疑問で。

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軽く知的障害のある男の子がピュアな、天使みたいな存在で周囲を癒しちゃう、というのは正直危険な設定ではある。見え方は確かに美しいけど、最近はこういう描写にうるさいから。ただ、以前まではこうしたキャラは女の子に多く振られる傾向があって、ちょっと頭のヨワい女の子を純粋な娼婦としてあがめるみたいな設定が出てくると、ほっんとに腹が立ったもんなんだけど、あ、逆だ、と思って……その見え方がそう、確かに美しく、魅力的だったから、少々悩んでしまった。コレを是としていいのかなあ、って。でもこの“軽く知的障害のある”っていうのも、はっきりとそう言っているのではなく、彼自身が、周りはみんなそう言うんだ、みたいにあいまいにボカすだけで、それを唯一ハッキリと知っているであろう彼の祖母は話だけで実際には登場しないってあたりに、もどかしさというか、逃げを感じちゃうんだよね。現実の辛さに当たりそうになると、何だかうまーくかわされて心地よくされちゃうような、もどかしさ。確かにその優しい手触りは心地いいんだけど、彼らが確かにそこで傷ついているのにその表現すらあいまいになってしまう気がして、どうもしっくりこない。

ただ、確かにいい雰囲気の映画ではあるんだ。この男の子が誇りを持ってコインランドリーの見張り番をしているはじまりから、そこに集う人々が偏見なく彼と仲良く言葉を交わしていたりするのもすっごくイイし。花の写真を撮るのが好きで、半ば強引にテルに手作りのアルバムを見せる角替さんなんて、いい味出しちゃってるのよね、ホント。何と言っても嬉しいのは、連戦連敗のボクサー、田鍋謙一郎で、だって彼って「洗濯機は俺にまかせろ」で主人公の友達だった、あの彼でしょ!「洗濯機……」の彼が、コインランドリーに通っている、ってんで私はもう心の中で手を叩いて喜んじゃったよ。しかも彼がまたまた、イイんだわ。勝てなくて、キレて、乾燥機の中に閉じこもっちゃう。テルは彼とは親友のように仲が良くて、だからそんな彼の気持ちを尊重して、そのまま中にいさせてあげる。しまいには居心地よくなっちゃったのか、その中でカップラーメン食べたりまでしちゃう(笑)。

常連さんとは違う水絵が入ってくる、日常に吹いてくるザワザワした予感の風。初めて触れる女性の手にドキドキするテル。自覚のないまま、水絵に対して真摯な行動をとるテルに、ヒッチハイクで乗せてくれた鳩の飛ばし屋のサリーが「そういうのは地球じゃ愛っていうんだ」と教えてくれる。メモをとってそれをそのまま水絵に伝えちゃうテル。このサリーに扮する内藤さん、ステキなんだけど、「俺は優しいわけじゃないんだからな」と繰り返すその台詞が、もちろん逆説的な響きをこめて言わせているのは判ってるんだけど、どうも好きじゃない。テレにしては直截すぎるのかなあ……二度目には、判った、クドい、とか言いたくなっちゃう。それさえなきゃ素直に好きなキャラなんだけど……。人物の造形って、難しい。

テルは両親の記憶が封じ込められているし、死んじゃった祖母以外に身寄りはないらしい。祖母の死後はぽーんと世の中に放り出されてしまう。この単純さもいささかファンタジックに過ぎるが、ただテルの、居場所を常に探している浮遊感はとてもよく伝わる。彼はコインランドリーでは自分専用の椅子を大事に使っていて、アンティークショップでも真っ先に見つけるのはすわりごこちの良さそうな椅子である。そしてその場で水絵が捕まり、雨の中泣き叫びながら(いい演技)帰ってきた、差し押さえられたコインランドリーをムリヤリ開けた彼が探し当てるのは、あの椅子。椅子というのは、自分の場所を確定できる場所なのかもしれない。小さな小さな場所だけど、確実にそこだけは自分の場所だと信じられる場所。あるいは、自分自身を投影する場所。

テルや水絵の逡巡するさまを象徴するかのような、「口笛の上手い男の話」。突然入ってくるアヴァンギャルドなアニメーション。個性的だけど、戸惑う。この話の挿入にしても、このアニメにしても、この物語の中ではあまりに唐突で、どれだけの意味を付加しているのかも疑問で、その分だけ上映時間が長くなっちゃったんじゃないか、って気がするぐらい。そこから派生する、テルの見た夢……美しい海岸に打ち上げられたテル、というのも、画としてはとってもとっても美しいんだけど、それこそ“悲しい物語なのか楽しい物語なのか判らない”というぐらいに、意味付け、位置付けができなくて、戸惑ってしまう。

この作品が成功しているとすれば、それは窪塚洋介&小雪のキャスティングと、この洗練された音楽(クロージングテーマ含む)。ニットの三角帽がとっても似合っている、いつもいつも同じ格好をしている(でもそれこそ洗濯機でジャブジャブ洗えそうな生成りの風合いがいい)のが純粋にキャラクター的にさえ思われるテルを演じる窪塚氏、「GO」では脇役たちが良過ぎたから、いささか埋もれがちだったんだけど、ようやく主役としての彼を魅力的に捕えることが出来た。その作り込みは好感が持てる絶妙なラインで、まさしく感性と、その感性をコントロールできる力を感じる。肌がポヨポヨにきめ細かくてきれいで、長いまつ毛に縁取られた瞳は音のしそうなまばたきして、女の子みたいな可愛らしさと安心感が宿る、こういう男の子に癒されたいッ!という女子の願望をつつきまくる。そして小雪。私は彼女を見るといつも「あ、夏川結衣」と思ってしまうんだけど……よく似てるんだよね、エクボの出るところまでが。涙っぽいところも。小雪さん自身もこのキャラには共感できなくて役作りには苦労したみたいだけど、その“共感できなかった”というところに共感するし、その上で役の感情にシンクロしようと誠実に努力したことで、水絵に魂を吹き込むことに成功したのだろう。実際、展開的にはいろいろツッコミたくもなるが、彼女の演じる水絵に関しては何も文句なし。淋しい女の美しさがじわじわくる。

それにしても女の恋愛体質はいやだよー!だって、だって結局そういうオンナなんだもん、この水絵って。こういうキャラを男ではなかなか想像しづらいあたりが、余計にイヤなんだよー。★★★☆☆


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