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「め」


2002年鑑賞作品

牝臭 とろける花芯
1996年 61分 日本 カラー
監督:瀬々敬久 脚本:井土紀州 瀬々敬久
撮影:斉藤幸一 音楽:
出演:穂村柳明 槇原めぐみ 川瀬陽太 伊藤清美 下元史朗 伊藤猛 小水一男


2002/11/26/火 劇場(有楽町シネ・ラ・セット/PINK FILM CHRONICLE 1962〜2002/レイト)
この日、トークショーに来ていた瀬々監督が「パクッてすみません」と何度も連呼していたその元ネタは松本大洋の「鉄コン筋クリート」。パクッているといっても、ここまで有名な作品を、なんだからある意味罪は薄い?とか言いつつ、私はこの原作は未読だったので、……しかしこれに関しては、未読だというのはさすがにどうかなあ、と思い、それにやはり瀬々監督がいかに、あるいはどこまで自分の世界に引きこんだかっていうのに興味がわいて、とりあえず一巻だけ、とコミックスを買い、読んでみた。全くの知識なしに映画を観ている時には、キャラクター造形(特に主人公二人)は確かに特異で、これが松本大洋味なのかなと思ったものの、それ以外……神話的な、観念的な匂いがして、その中に現代社会にチクリと刺す毒針のような痛烈さがあるというこの感覚は瀬々監督そのものという感じがしたんだけれど、原作を読んでみると、その感覚がそれほどハズれてはいなかったのでは、と思う。でも瀬々監督が松本氏のファンだ、というのにはやはり似た感覚を持っている、という自覚もあるのかもしれない、とも思う。

今回、このピンク40年特集に本作を持ってきたのは、やはり今年「青い春」「ピンポン」と松本氏原作の映画がヒットしたことに対して、なんだろう。なんたって、それよりも前に松本氏の原作で映画が作られたことなんて、もしかしたら、松本氏本人だって知らないかもしれないのだ。いや、多分、知らないんだろう。了解とってたら「パクッてすみません」だなんて言う筈ないんだから……(しかも、観客に口どめしてんの(笑))。時代はいつだろう、やはりこれは近未来か。だだっぴろい、生活のにおいのしない、熱のない、半破壊状態の街。そこを根城に、いつか海の向こうに行くことを信じて、そのための資金を稼ぐ二人、カラスとカモメ。サスペンダーつきのダブダブのハーフパンツに迷彩柄のバンダナまいたりして、その戦闘態勢の男子小学生、といった趣のいでたちは、そのものズバリ、原作の二人の少年、クロとシロソックリ、しかし、上半身裸になってジャブジャブ水を浴びているのを見ると、その下には驚くほど豊かな胸(なのは、カモメの方。ベリーショートで顔立ちも男の子っぽいのに、凄い巨乳)が息づき、まろやかな二の腕と下腹部は、まさしく女の子の持ち物なのだ。

「男にはチンチンはあるけど、オマ×コはないんだって。でね、女にはオマ×コはあるけど……」「知ってるよ、そんなこと」こんな風に、原作にもある台詞がアレンジされて、しかし女の子に置き換えられた本作で使われると、その意味は当然、違ったものになってくる。カモメはこんなに立派な女の身体を持っているのに、まるでその意識がなくて、というより、カモメの会話とその喋り口調はどこか壊れているのだ。一方のカラスは、カモメから「カラスは強いからなあ」とリスペクトされるリーダーの器。海を越えて飛んでいける自転車が出来るまで、と二人は強奪を繰り返しているんだけど、カラスにはそんなことは無理だってことが先刻判ってる。でも、カモメが本気だってことも、判ってる。カラスはこの街を離れる気はないし、そしてカモメのことが……それは、本人に言えないまま。原作のクロとシロは実際に空を飛ぶことが出来る。そういう特異なワザを持つ少年たち。しかし、カラスとカモメはケンカは強いけど、空を飛ぶことは出来ない、普通の人間。移動手段は空を飛ぶ感覚に確かに近いかもしれない、自転車。その自転車が本当に空を飛ぶ日がくると、カモメは信じている。

トークショーで瀬々監督が語っていたことから、松本大洋の、これまで映画化されたものだけを観ていても、そこには共通した要素があることに今回初めて気づく。陰と陽を思わせる二人の主人公。その決別と融合。陰と陽は、一人の中にある二つの要素。二人で一人のこのカラスとカモメも、引き離されることによって、そのことを真の意味で理解することとなる。お互いを渇望する心を。カモメのようにあからさまに相手に対する親愛の情など示せなかったカラスの方が、カモメに対して強い渇望の念を抱いていたことを。カモメがいなくなったカラスは、まるで悪魔がとり憑いたように人を襲う。わずかなカネのために殺戮し、顔中を真っ赤な血でベタベタに汚してしまう。……そんなカラスに本当に悪魔が降りてきてしまう。しかも、隠し続けてきた彼女の中の女(弱さ、と言ってもいいかもしれない)を彼は意図も簡単に引き出す。スリムな黒づくめのその悪魔(川瀬陽太氏。若い頃から凄い迫力)は、彼女の前にひらりと現われて、唇を奪い、「オレは女じゃない!」と叫ぶカラスを執拗に追い続け、ついには衣服をはぎとり、一糸まとわぬ姿にまでして、“注入”する。……悪魔を。そう見えてしまう、どうしても。ただのセックスではなくて。カラスの頭の中には、ある幻想が流れている。ゆらめく水色の中で、これまた一糸まとわぬ姿になって泳ぐ自分とカモメの姿。その幻想は、カラスに去られ、一緒にいた夫婦も殺され、呆然となっているカモメにも流れ込んでいる。

あの喋り方、あの無邪気な感じ。ちょっとアタマが弱そうなこのカモメに、カラスの方こそがホレこんでいること……ああ、本当に「ピンポン」のペコとスマイルの関係がストレートに思い出される。こっちが先にあってこその、「ピンポン」だったのかあ、まさしく……。何でも知っているカラスよりも、カモメが知っている、真理があったのだ。「カモメが言っていたのは、本当だったんだ。この街にもイルカがいるって……」その意味が、壁画に描かれたイルカのことなのか、幻想の世界で泳いだこの二人のことだったのか……でも、この水の中の裸の二人、本当にイルカそのもの、だったよね。まろやかな線で包まれて、水の中をすいすいと駆け抜けていって、本当にきれい。そしてシャチを思わせるアクマからカモメがカラスを助け出す。

カラスとカモメに一目置いていて、二人には手を出さないこの街のヤクザの組長に下元史朗氏。あー、もう、私はこの間っから下元史朗氏を見るとドキドキしちゃってたまらないのだ。視線鋭くギラギラした下元氏もカッコいいけど、こんな風にニコニコしてて、でも破滅の運命が待っている男、メチャクチャ色っぽくて素敵。スポーツ新聞の星占いで子分や自分の運命を読んじゃうような(原作に沿ってるけど、イメージはだいぶ違う)彼が、子分に裏切られたことに気づいて、でも騙されたフリしてやって、泥酔して、入り込んだ地下道に座り込んで、言うのだ。「今、ここでお前がやろうとしていることを、やってみろ」ひるむ子分に「今日のかに座の運勢、最悪なんだよ」と、うながす。おとめ座の子分は、ぶるぶる震えながらこの親分に銃を撃ちこむ……ああ、破滅の美学だなあ、なんて素敵……。この地下道?の場面、ひたひたと水で湿ってて、暗いブラウンの影で覆われてて、で、その中に赤い三角錐がずっと並んで、ほのかに光ってて……で、その中で崩れ落ちるこの組長と、呆然と立ち尽くす子分がいて、っていう図がもうとにかく美しいのだ、ヤバいくらい。

この組長ね、カモメと離れて荒れてたカラスに優しく声をかけて、その女の証拠であるひっそりとふくらんだ左胸に手を当てて、この街と同じ鼓動だ、なんていって、包容力と色気と、寂しさとがないまぜになってる男で、本当に素敵なんだ。で、彼が殺された直後、なぜかそこにはカラスがいて、殺した子分はもういなくなってて、もう一人の子分に犯人だと思われて、刺されてしまうんだけど、でも、死なない。カラスはその後も矢を撃たれたり何だりするのに、一向に死なないのだ。そうして傷に苦しんだり悪魔に犯されたりしているカラスと呼応するかのように、離れたところにいるカモメも苦しんだり悶えたりしている。やはり二人は心も身体も共有しあっているのだ。

親分を殺したこの子分もまた凄かった。彼は、組長のことを、殺したくなんてなかったのだ。でも、「神のお導きで……」だなんて言うアヤしい男に、妻子を殺すと言われて……。組長を殺した後、彼は呆然と、ひたすら呆然としてて、気持ちを奮い立たせようとしているのか、これはどうかっていうような目も覚める真っ黄色のシャツ着て、でも目はうつろで、これから一緒に逃げようとしているおなかに子供を宿した女を車に置いたまま、金を調達してくる、とその場を辞す。その彼を、バックミラーでじっと、じっと見送る女。彼女は車の中の後姿で、そしてそのバックミラーに彼女の顔が映っている。その顔は、彼はもう帰ってこないって、女の直感で悟ったような顔。そしてその通りになってしまう。彼は組長殺しを依頼したあの怪しげな男と相討ちになって、死ぬ。彼は、妻とよりも、親分と心中することを選んだのかもしれない。

ベリーショートで全身明るいカモメとは対照的に、量の多い黒い髪にその顔が隠れがちになってるカラスがとても印象的。より女っぽい身体を持っているのはカモメの方なのに、女であることで屈してしまうのは、このカラスの方なのだ。カラスはずっとカモメを守ってきたと思っていたのに、真の意味で守られていたのは、カラスの方だったのだ、と……。舞台はお台場。当時はまだ何やかんやと造成中で、車はひっきりなしに通るものの、全てが中途半端で、監督が言うように、作りかけは壊れかけのように見える街。そのくせ、どこかピカピカと新品の匂いがしている。思い出した。私、一度だけお台場行ったことがあるんだけど……あまりに完璧にピカピカすぎて、息がつまって、用事を済ますとどこも見ずに逃げるようにその場を去ったんだっけ。作りかけの頃から、お台場ってそんな匂いがしていたんだ。人間がいるのに、人間の匂いがしない。海があるのに、海の匂いがしない、……そんな感じ。そのお台場を瀬々監督のカメラが覗くと、ガラスを通して観ているみたい。冒頭、カラスとカモメが大地に横たわっているクローズアップから始まるんだけど、その場面は緑のフィルターがかかっているのだ。緑というのは初めて観た気がする。凄く新鮮だった。そして黄色だったり、青かったり、どの画面もみんなそんな風にガラスのフィルターを感じさせる。不思議に透明で、不思議に遠い。★★★★☆


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