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2003年鑑賞作品

NOVONOVO
2002年 98分 フランス カラー
監督:ジャン=ピエール・リモザン 脚本:ジャン=ピエール・リモザン/クリストフ・オノレ
撮影:ジュリアン・ヒルシュ 音楽:
出演:アナ・ムグラリス/エドゥアルド・ノリエガ/ナタリー・シャール/パス・ベガ/エリック・カラヴァカ


2003/7/7/月 劇場(シネセゾン渋谷)
5分で記憶をなくす男、という設定と、予告編の不思議なリズムに惹かれて足を運んだ。主人公となる男、グラアムが、ヒロイン、イレーヌを二度、屋上に案内するシーン。一度目に彼女は伸びをしたとたんブラのホックが外れてしまい、そして彼はまた屋上を案内し、彼女が「もう一度?」と噴き出すシーンである。本編で見るとニュアンスは少々、違っているのだけれど、このシーンに見られるエドゥアルド・ノリエガの戸惑ったような、思い悩むような表情とたたずまい、イレーヌを演じるアナ・ムグラリスの、すがすがしく明るいエロティックさが、この作品の魅力をひと言で言い当てている気がする。

もうひとつ、興味を惹かれたのがエドゥアルド・ノリエガ。彼はアレハンドロ・アメナーバル監督チームの作品でしか観たことがなく、ということは何だかいつもミステリの中にいる彼であって、まずフランス映画という中に、そうした軽さと洒落た中に彼がどうやって存在するのかに興味があった。彼は確かにスペイン俳優の、そうした濃さや熱さを持ってはいるけれども、例えばそれが、アントニオ・バンデラスほどに顕著ではなく、知性のある野性、とでもいった風情で、それはスペイン映画とか、あるいはアメナーバル作品とかではない場所に行った時に、面白い化学変化を起こすような予感がしたから。で、それは見事に当たってくれた。彼の独特の甘さは実に魅力的である。ほどよい毛深さもイイ感じである。空手をやっているという設定のせいかどうかは知らないけれど、身体も結構引き締まっている。で、である。いやー、惜しげもなく見せてくれるわ、オールヌードを!まさに、本当に、しっかりと、何も隠さずのオールヌードだもの。きゃー。最近は映倫も規制がゆるくなったのねー?とやたら喜んでしまう私。い、いや、別にノリエガのナニが見たくて足を運んだわけじゃないんだけど!?それにヒロインであるアナ・ムグラリスも上から下まで惜しげもなく披露してくれて、彼女の真白い、華奢な肉体は美しいんだけど、でも不思議と可憐とか清楚とかではなくて、そういう(どういうって、そういう、よ)筋肉をしっかり蓄えている土台を感じさせるのがやっぱフランス女優。

5分で記憶をなくしてしまう記憶障害のグラアムは、常にメモを残しながら生活をしている。仕事はコピー係。コピー室のホワイトボードには隅々までいっぱいにメモが書かれており、彼自身も常にメモ帳を携帯している。請け負った仕事、出会った人々、そうしたものを書き留めておかなければ忘れてしまうから。いや、そのメモを見返しても、ああそうだった、などと思い出すことはないのだけれど……。この記憶障害の設定は、「メメント」を思い出し(しかもあれでさえ、10分あった)、しかしそれがミステリではなく、全くのラブストーリーに絞って展開されているあたりがフランス映画だな、と思う。しかも、5分である。いくらフランスとはいえ、愛を語るのに5分は大変なんである。

しかしここが、この物語のテーマとも言うべき非常に重要なところ。グラアムとイレーヌは出会い、イレーヌはマンネリにならない常に新鮮な恋愛に魅力を感じるものの、毎朝自分の顔さえ忘れてしまうグラアムに不安を覚え、一方のグラアムはイレーヌのことを何とか忘れたくなくて、イレーヌ、イレーヌと5分ごとに言ってみたり、メモに書きなぐったりする。そうしているうちに、少しずつ変化が現われる。確かに新しく積み重なった記憶は5分ごとに忘れ去ってしまう彼なのだけれど、気持ち、感情、そうしたものが、彼の中に蓄積されていくのが判るのだ。このあたりは繊細な演技を見せるノリエガの真骨頂。記憶は積み重ならずとも、愛は積み重なる、と確信させてくれる。思えばそれはこの病気でなくても同じ。5分ということはなくても、人は日々、何をやったかとか、そんなことは忘れてしまっても、愛する人への気持ちを忘れるなんてことは、ないから。実はちゃんと普遍的な愛を語っていたりするんである。

しかし難しいのは、この記憶障害のあり方というのが、忘れることも、忘れはしないのか、自分が忘れる病気だってことを、忘れないのか、という点である。そのあたりも、自分の病気にはっきりと立ち向かえない男として、ノリエガは実に微妙な演技で見せてくれる。彼は定期的に病院に通っている。それも書いておかないと忘れてしまう。彼はなぜ自分が病院に通わなくてはならないのか、それも判っているのかどうか、その表情からは微妙である。さまざまな写真を見せられる。病気以前の出来事、一般的な事件とか、そういうものは問題なく覚えているのに、自分個人のこと、結婚していた奥さんとか子供とか、そういったことはきれいさっぱり忘れてしまっている。ここもまた、不思議である。例えば言語とか、一般的な生活や社会のこととか、そういったことは覚えているのに、個人的な人間関係や何かは抜け落ちてしまうなんて。人間の脳の複雑さを感じる。病院でそんな彼のことをじっと見つめている奥さんは、なぜ自分や子供のことだけを忘れてしまっているのだろう、と思っているに違いない、と思う。ここでも愛の問題の難しさは発生していて、確かにそれまで積み重ねてきたはずの愛が失われ、彼は他の女性とゼロから愛を積み重ねている。絶対だと思っていた愛が、この病気の前では普通に生活することにさえ、負けてしまう、必要とされなくなってしまう残酷さ。

新しい愛を積み重ねるイレーヌも、奥さんと立場は違うとはいえ、その不安は同じだと言っていい。彼女は彼の胸にマジックで自分の名前を書き、枕もとには「横にいるのはグラアムが恋しているイレーヌ」と書き残し、積み重ねては崩れる愛を、何とか失うことのないように、と必死である。奥さんの方もまた、グラアムの親友で彼をこんな目に合わせてしまった張本人であるフレッドと新しい愛を積み重ねている。これもまた、不可思議である。そして、イレーヌが来るまでは職場でグラアムを独り占めにしていた女上司。彼女は、こんな状態の彼にオルガスムスを与えてやれるのは自分だけだと思っていた。5分ごとに記憶を失う彼に、もう今までのような愛などは持ち得ないと。しかしコピー室で自分の顔や局部をコピーし、イレーヌに届けるグラアムを見て彼女は動揺する。5分しか記憶を持たない彼が、確かに確実にイレーヌへの愛を積み重ねているのを目の当たりにする。嫉妬した彼女は、イレーヌを解雇してしまう。

離れ離れになってしまったイレーヌが、しかしそれでもへこたれずに、ナビゲーションシステムと無線連絡で、グラアムをつなぎとめるのは痛快である。でも一方でそれは、そうしていなければ、常にグラアムにささやき続けなければ自分のことを忘れてしまう不安を感じてあまりある。それはグラアムの方も同じで、イレーヌへの愛を自覚し始めているからこそ、自分の病気のせいでそれを簡単に失ってしまうのではないかと怖くて、常に彼女とコンタクトをとるのである。5分ごとに失うものも、ずっと思い続けていれば問題はない、と。まるでそれは、遠距離恋愛で、自分の気持ちにも相手の気持ちにも不安になり、いつもいつも連絡をとり続けている恋人同士のようである。やはり、普遍的な人の感情がそこに、切実に凝縮された形で描出されているのだ。

しかし、その無線も取り上げられ、果てはグラアムの命であるメモも奪われてしまう。それはグラアムが、奥さんに対して、自分のことを忘れてほしい、とそう告げてしまったから。グラアムはひとり、全くのサラの状態で放り出される。果たしてイレーヌのことを覚えていられるのだろうか……観客は不安になる。グラアムは行きずりの女性たちに声をかけられるも、子供のように女の膝で眠るばかりで、セックスをしようとはしない。彼は思い出さなければならない何かが確かにあって、それを必死に取り戻そうとしている。グラアムの息子は、父親である彼を探そうと、イレーヌの元を訪れる。そしてあのナビゲーションを譲り受け、父親を探す旅に出るのである。

グラアムは無論、彼のことも、街の中で出会っても自分の息子だと思い出すことはなかった。けれどグラアムとこの息子が再会した時、グラアムは彼が自分の息子であることを思い出すのだ。グラアムは素裸(うふっ)で夜の砂浜に横たわっている。その彼を息子が見つけ、後ろからそっと抱きしめる。と、グラアムは目を覚まし、彼が自分の息子であることを、唐突に思い出す。それは同時に、息子への愛の感情もまた、取り戻すことでもある。グラアムと息子は、砂浜で逆立ち歩きをしたり、親子の時を過ごす(ノリエガ、ハダカのまんまー、いやん)。グラアムは言う。イレーヌのことを、怒っているのか、と……。息子は首を振り、そこには確かに復活した親子の関係性がある。だけれどもそれはちょっと、残酷である。だって、同じ家族だったのに、奥さんとはそれが復活できなくて、息子とは出来るなんて、やっぱり血のつながりが大事であって、夫婦なんて他人なんだということなのかな、なんて思って。そりゃ、イレーヌと新しく築き上げた愛が本物だということなんだけど、でも奥さんの方にも新しい愛を用意しているというのが、その問題からの逃げであるようにも、ちょっと……感じてしまう。

あるいはこの時、息子の登場によって、グラアムは完治したとも言えるのかもしれない。それもまた、血の力か。病院側に再び捕えられそうになったグラアムは息子の助けでそこを逃げ出す。そしてイレーヌと再開する。その時二人はお互いに名乗ったりも何もしないし、一見、グラアムは彼女のことをやっぱり忘れているんではないかとも思われるような節があるんだけれど、でも彼と彼女の目が合った時、何も言わずに二人は唇を重ねる。いや、重ねるなんてもんじゃない、奪い合う。それはまさしく渇望した末の情熱的なキスであり、その後二人はそれぞれの車に乗って彼女の家へと向かうのだけれど、まだ記憶障害が残っているのか、駐車券を探し回る彼に、イレーヌは祈るように、思い出して、と念じる。また自分のことを忘れてしまうのを恐れているんだろうな、と思う。しかしグラアムは探すのを中断して、強引にポールを突破してしまう。驚く彼女もまた、彼と同じ行動をとる。いまだに彼は5分ごとに記憶をなくしているのかもしれない。だけど、彼女への愛の存在のありかは、その行動がすべてを語ってあまりあるのだ。痛快な結末。

フランスは新しい愛に対して、迷いがないのね、ホント。それがはっきりとうらやましいと感じるかどうかは悩むところだけど。★★★☆☆


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