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「ほ」


2005年鑑賞作品

亡国のイージス
2005年 113分 日本 カラー
監督:阪本順治 脚本:長谷川康夫
撮影:笠松則通 音楽:トレヴァー・ジョーンズ
出演:真田広之 勝地涼 寺尾聰 佐藤浩市 チェ・ミンソ 安藤政信 吉田栄作 谷原章介 豊原功補 光石研 岸部一徳 原田美枝子 原田芳雄 中井貴一


2005/8/29/月 劇場(有楽町丸の内ピカデリー1)
なあんか、難しくってよく判らないわあ、とか最初のうち思いながら観てた。あ、嘘、最初のうち、じゃないや。全編そうだった。まあつまりは私の頭の悪さなんだけどさ……こういう、組織内組織に、外の組織が絡んで、その中のナントカいう役職の人がどこの部署でどーのこーの……とかやられると、ほんっとに判んなくて、泣きそうになっちゃう?いやいや……。ところで、同じ潜水艦モノで、同じ原作者の「ローレライ」は時代物で結局はファンタジーで、正直なんじゃこりゃー、と思ったものだけど、本作は現代物でこういうこともありそうな気もし、リアリティがあるので、その点は確かに面白い。うん、それに、これはやはり阪本監督の手腕と思われる。組織や専門用語の複雑さなんかものともせずにバリバリ物語を語ってゆく手腕は。

それにね、そう、映像がね。本作は海上自衛隊初の全面協力なんだって?あれ?ってことは「ローレライ」はそうじゃなかったの?確かに本作と「ローレライ」の映像を比べちゃうとそれも納得って感じだけど。だって「ローレライ」はリアルだとか迫力だとか言われてはいたけど、正直ゲームCGって感じの質感にゲンメツしちゃってたんだもん。本作はそう感じるところが、皆無。そりゃあCGを使ってないわけはないんだけど、それを全然感じさせない。やはり、極力ホンモノとして撮っているんだろうなあ。潜水艦内部の、どんな働きしててどうでこうで、なんて全然判んないけど、ガンガンカットを割って突き進んでいくから、なんだかそれだけでワクワクしちゃうし。
そういや、「ローレライ」で(ついやたらと引き合いに出しちゃうけど)最も脱力したのは、潜水艦という男の世界に女がメインで入り込んできていたことだった。でね、本作はその点確かにまっこと男の世界なんだけど、やっぱりちらっと女が出てくるんだよね。女である私がこんなこと言うのも何なんだけど、女が出てくると正直……冷めちゃうんだよなあ。しかも本作のその女工作員の存在の意味がなんだかよく判らず、彼女は何のために登場したの?女である意味はなんだったの?と凄い考えちゃって難儀しちゃったよ。解説の人物相関図を見てみると、北朝鮮工作員だという……っていうのも映画を観ている時には判らない。この事件の首謀者、ヨンファのイイ人らしいけど、それが突っ込んで語られることもない。如月君に水中キスしてるのは何ゆえ?それともあれは人工呼吸なの?うーん、判らない。
そんなことに気をとられてしまうから、やっぱり女が出てくるのは困っちゃうんだよなあ。

まあ、そのことは話の本筋とはなんら関係はないんだけど。舞台となるイージス艦「いそかぜ」は、専守防衛の象徴であり、海上自衛隊の主力護衛艦。システムの一部である情報処理や武器官制装置などにより、高い捜索能力と防衛能力を持つんだという。
防衛ってゆーか、ストレートに攻撃能力、なんだよね、と思う。やっぱり自衛隊は軍隊なんだな、とも思ってしまう。で、原作者が、このイージス艦を実際に動かしてみたかったんだろーなー、などと思ってしまう。そんな気持ちをつい感じてしまうのね。
あるいはもっと言っちゃえば、こんな能力があるのに、使わずにいるのはもったいない、って思っているみたいっていうか……。
そういうことも含めてなんだけど、なんだか原作者が、いやこの物語の世界観かな、戦争をやりたがっているみたいに思えちゃって……それは、それこそが、男性が、いや、オトコノコ的感覚でこういう緻密な潜水艦にロマンを持ってワクワクしているのと通じているような気がして。
確かに、すっごく映画的ではある。これだけの素材を映画に描かない手はないと思う。けれど……。

劇中で語られている国家や理想に対する見解も、判るんだけど何となく違和感なんだよね。これもやっぱり男性的と言えるのかなあ。国家の責任能力や、国家への誇り、「守るべき国家」などという言い方もしてる。
そしてそれらが今の日本には全くないから、そんなんで世界進出なんてしてしまったから、私たちに誇るべきものは何もなくなってしまった、と語ってる。そう述べた防大生の論文がすべての発端となっている。その論文自体に本作が是非を問うているわけではないんだけれど、日本人、誇るべきもの、が、「国家」という言葉と、イコールではないにしてもリンクされていることに、それ自体に、私はなんとなく……違和感、というか、ちょっとした寒気も覚えるのだ。
ま、だからこそこの物語が成立しているとも言えるのだけれど……だって、かの恐怖政治のお隣りさん、北朝鮮の対日工作員ヨンファは、その「国家」という言葉にこそ反応して彼に近づいたに違いないんだし。

今の日本人の、私たちが、「国家」という言葉を使うことって、殆んどない。それに対する意識や誇りや責任感覚も正直、ない。で、日本の中で唯一それがある場所といえば、それは、自衛隊や、ひいては殺されてしまった彼のような、理想高い防大生、なのかもしれないと思う。
ただ、唯一その意識を持っているその場所は、その性質は間違いなく、軍隊なのだ。
そしてその「国家」という言葉に反応して近づいてきた工作員も、戦争でしか世界を変えられないと思っているのだ。
その工作員ヨンファは、東京を壊滅できるほどの強力な毒ガス、グソーを手に入れ、日本最新鋭の護衛艦、いそかぜを乗っ取り、首都圏に向かってミサイルの照準を合わせた。
なんたって最新鋭システム搭載だから、この護衛艦を乗っ取られてしまったら、政府はとても手出し出来ない。
ヨンファの要求はえーと、何だっけ、ちょっと今ひとつ忘れちゃった。オイオイ!そここそがこの話の大事なとこなのに!あ、ひとつは思い出した。この防大生の論文を主要新聞全紙に掲載しろっていうんだった。
もうひとつは何だっけ……このグソーに関することだったけど。

で、ヨンファはこのいそかぜを乗っ取るにあたって、副艦長の宮津を引き入れている。彼とその部下と共に艦長を殺し、この船を乗っ取り、幹部以外の乗務員を全員離艦(この字でいいの?)させたんである。
宮津というのは、あの論文を書いた防大生の父親である……。
実は、ここんところが最もピンとこなかったのだ。おいおい、一番大事なとこなのに!つまり、宮津がどうしてヨンファにこの乗っ取りを口説き落とされたのかということである。彼はまさに国家のために働いていたわけであって、その国家によって息子が殺されたと知り、それまで信じていたものが180度変わってしまったからこそ、そのギャップの激しさもあってなんだろうけれど、この息子さんはほんとに政府によって抹殺されたんだっけ?見ていてもどうもそのあたりが判然としなくって、あれ?ヨンファが殺してしまったんじゃなかったっけ?確かそうだよね?でも宮津には政府(国家)によって殺された、と言ったんだろうなあ……でもそれを、宮津が何でそんなにあっさりと(でもないんだろうけど)信じ、艦長を殺してまで、そして罪のない人々を危機にさらしてまで、この見知らぬ男の言うことを聞いているのかが、今ひとつ、納得がいかなくて。
ま、そこんところがかの国の洗脳能力だっていえばそれまでなんだけど……常にクールな表情を崩さないヨンファ=中井貴一と、常になんだか後悔しているような哀しげな顔をしている宮津=寺尾聰、なもんだから、余計になんとも解せないのよね。

逆に思いっきり判りやすいのは、そうそう、やっと主役のご登場、仙石先任伍長役の真田広之である。ああー、もう何とカッコイイのだ。やはり男はこれぐらいの年になってからじゃないとダメだわね。彼と常に行動を共にする、この事態の秘密を知って動いているワカゾー、如月(勝地涼)がいるんだけど、仙石に向かって命令口調でモノを言う彼に、「その言葉づかいは何とかしろよ。俺はお前より大分年上だろ!」などと再三気にするあたりがなんともオチャメでカワイイんである。このカワイさは、やはりまず熟したカッコよさがなくてはならないのよー。如月役の勝地君は若くてキレイな顔立ちだけど、真田さんと一緒じゃいかにも分が悪いよねー。やはりキャリアはモノを言う!
そういやあこの映画、名優だらけの二世俳優ぞろいだけど、その中で、一人のぼりつめた真田さんである。ま、別に二世であることなんか意味はないけど、あらためて、今の代表的名優って、二世だらけだなーなんて思ったもんだからさ。

仙石が如月と出会う場面は印象的である。若い乗組員たちが陸でケンカ騒ぎを起こして、その中心人物が如月だった。彼は一人で相手をかたっぱしからのしたんだという。何とか警察沙汰にしないようにと土下座で事態を収める仙石に、「いつも土下座するんですか」と如月は物怖じせずに言うんである。
仙石が命じた甲板掃除に如月が従事している時、仙石が夜の海をスケッチしている。それが第二の出会い。「毎日見ているのに、どうしてもこの色が出ないんだ」と言う仙石に、色のアドヴァイスをする如月。ためしに描かせてみるとバツグンに上手い。「こんなところにいる場合じゃないだろ」と言う仙石に如月は「ここ以外、行くところがないですから」と言う。仙石は「……俺もだ」と返す。
このささやかな出来事が、二人を結びつける。仙石は最初何も知らなかった。何も知らない状態で、まずウソの情報を宮津らから植え付けられた。潜入していた如月を狙った“事故”が、他の乗組員を犠牲にしてしまったから、どうしても訓練の続行に納得のいかない仙石を、彼らは引き入れようとしたのだ。しかし、テロリストだと彼らが言う如月は逆に、宮津らこそがそうだという。対日工作員ヨンファは、FTG(海上訓練指導隊)の溝口なのだと。

最初、宮津らの言うことを信じて、如月の通信機をぶっ壊してしまった仙石が、そのことを責められて「今更言うなよ」という場面の真田さんのカワイさも異様に好きである。あー、つまり私は真田さんが好きなのよ。だってカッコイイんだもん。
それに、真田さん扮する仙石先任伍長が一番、一般的な私たちの気持ちに近いからさ。彼は艦を取り仕切るクルーたちのトップではあるけれど、いわゆる幹部ではないし、自衛隊にはいるけど、国家とかそんな大きなものよりも、仲間達とか、家族とかが大事なわけ。ヨンファたちに強制離艦させられるも、「忘れ物だ」と海に飛び込み(如月からもらった絵筆を胸もとに入れて。カッコイー!)、いそかぜに単身戻るのは、「これは俺の船だ」から。そしてこの船を守るのが、「俺の任務だ」から。徹頭徹尾その主張で押し通して戦い通すこの先任伍長が、どんな大義名分よりカッコイイのは、その言葉に血と肉を感じさせるからなんだろうなあ、と思う。実感できない国家やなんかより。

でもヨンファは、その「国家」こそが実感できるものである世界に生きているわけで。彼の盗み出した毒ガス、「グソー」を使うぐらいしないと、確かにあのお隣りさんの国は変わるのは難しいかもしれない。そういう、実感として持てるものを持っている者同士の仙石とヨンファがクライマックスの死闘を繰り広げるのは当然のことなのかもしれないと思う。それにしてもこの死闘は凄い。巻き込まれる形でグソーを受け損なって頭打って死んじゃう、弱々しげな幹部候補生がちょっとカワイソ……。
で、そんなことをやっている間に何気に如月君は瀕死のケガしちゃってるしさ。っていうか、あのケガは死んでるだろう……普通……最終的に助かったらしいのが凄いけど。彼はね、「撃たれる前に撃つ」というやり方を仙石に叱られちゃったのだ。撃つ気のない人間を、撃ってしまったから。「撃つ前に考える、それが人間だろう!」ってね。でもそれがアダになって、如月君は撃たれる前に考えちゃって、撃たれてしまう。「考える前に、考えるんだよ!」と言う仙石の言葉はその場となってはギャグになりかねない……この辺はシビアというか、結局「戦争」は先制攻撃じゃなければ意味がないと言っているに等しいからさ。それこそ、前半だけなら、ヒューマニズムな論で済んでたんだけど……でも、それはシビアというよりは、絶望、に近いかもしれない、とさえ思えてしまう。だって、「やられる前に、やる」戦争って、思いっきり、最近のアレが思い当たっちゃうじゃない。そしてそれが今どんな結果を招いているの?ここでその論を、ハッキリと否定しているわけでもないらしいのが何か、凄く、怖く感じられちゃって……。

あ、そういやあ、“現場”ばかりを書いちゃって、忘れてたわけじゃないけど、その外の、政府の方も面白いんだった。直接情報を受け取って、総理大臣以下の閣議を通さずに指示を出す、防衛庁情報局内事本部長の渥美に佐藤浩市である。彼は国家や国民や平和ということを、この事態になって思い悩んでいて、内閣情報官の瀬戸(岸部一徳)とそんな話をする場面が印象的である。瀬戸が言う台詞がね……「平和っていうのは、戦争と戦争の隙間にあるものだと思う。俺はそれでいいと思うよ」つまり、平和が日常なんてことこそがウソだと。あるいは、平和が日常だと思っている民族にはいずれ戦争がくるということかもしれないし……人間は戦争ばかりやってる愚か者だってことかもしれないし、あるいはもっと強烈に、戦争のなんたるかも知らない今の日本人こそが愚かだと言っているのかもしれないし……。平和、というものを正しく理解するには、その逆の、平和じゃない状態、戦争、を判っていなければ確かに成り立たないのだ。でもこの矛盾を、一体どう解決すればいいというのだろう……戦争をすれば判るよ、っていうわけでもないだろうに、と思いつつ、なんだかそうこの作品は言っているみたいで、怖い。

個人的にはこんな総理大臣いるのかいと思うような(いや、実際はこんなもんなのかもと考えると面白いかも)ざっくばらんな総理大臣、原田芳雄が楽しい。それと、グソーを殲滅させるテルミット・プラスという爆弾を投下するための爆撃機を操縦する、航空自衛隊のパイロットが真木蔵人っつーのはいかにもだわねー。んで、もうホント、直前で、重傷の仙石による必死の手旗信号、「グソー確保」を通信衛星が読み取って、テルミット・プラスの投下をまぬがれるの。ああー、真田さん、カッコイイんだから!

いや、ここでは終わらない。真田さんが一番カッコイイのはやはりラストシーンである。ケガの療養中なのか、如月から郵便がきていて、その中に、絵を描いている仙石の後ろ姿のスケッチが入っているんである。それを見て、そうか……みたいな安堵と、俺も頑張ろう、みたいな笑みを浮かべる真田さんが良くってねー!やはりこういう男に日本の未来は託すべきなのだ。ああ素敵。

うーん、でも基本的に、やっぱり難しくてよく判らんかったさ……。★★★☆☆


僕の恋、彼の秘密17歳的天空/FORMULA 17
2004年 93分 台湾 カラー
監督:DJチェン 脚本:ラディ・ユー
撮影:チェン・フイション 音楽:ジョージ・チェン/ホン・チーリー
出演:トニー・ヤン/ダンカン・チョウ/キング・チン/ダダ・ジー/ジミー・ヤン/ジェイソン・チャン

2005/12/13/火 劇場(新宿武蔵野館)
宣伝で見えているカラーと全然違うんだもんなあ……これはちょっとサギだよー。でも、17歳的天空っていう原題もそんなことを思わせるリリカルさで素敵なんだけど、でもやっぱりそんな、ときめくようなボーイズ・ラブじゃないもん!いや、メインの二人はかなり真剣にリリカルな恋の気持ちを演じているからそう言ってしまうのはやはり失礼かなあ……それだけに、この二人の演技を汲んであげるような作品世界にしてほしかった、というかさ、そういう演出をつけているなら、このバカっぽさは一体……!?それともテレなのかなあ、どっちにしろもったいない。こういうのは軽妙だとか遊び心とは言わないよ。センスのない、アホっぽさです。吉本じゃないんだから、なんであんな周りの人間をコテコテにしてしまうの?

と、思わずイカってしまった。いや、イカってるわけでもないというか……脱力しちゃったの。主役の二人はまあ確かにいいのだ。プレイボーイのバイの方はちょっとヤボなホストっぽくて見ててハズかしいけど、二人の気持ちが急速に高まっていく様は見ていてドキドキするし。でもティエンを応援する側の友人たちがあまりにバカっぽい……三人、いるのよ。そのうち二人はキャラまでもアホっぽい。オネエ系のCCと、水泳のコーチの男は筋肉バカって感じ。でもね、ティエンの中学時代の同級生で、居候させてくれるユーはそんなことないのよ。女の子顔の美少年。ティエンがユーの勤めるバーに訪ねて行った時、殆んどトランス状態でカウンターの中で踊りまくっている彼の登場シーンは、おおっ!カッワイイ美少年じゃん!と思わず今後の展開を期待したわよ。実際ユーは遠距離恋愛しているカレシがいて、毎回ジュ・テームだのサランヘヨだのと世界各国語で愛してるを言ったりして(日本語はなかったな)、回想シーンで出てくるそのカレはかなり美形だし、更に言うと距離が離れすぎて二人は壊れてしまうわけで、いいじゃん、こっちも美しい展開にしてあげればいいじゃん、と思うのに、失恋したユーはすっかりアホ面さらして呆然とするばかり、という状態でさ、もったいない、というより、こんなんだったらメイン以外語るなよ……とか思っちゃう。

回想シーンがバカバカしいのはユーに限ったことではなくて、メインの二人に関してもそうなのだった。バイがいかにして一夜限りで美少年をポイ捨てするプレイボーイになったかというのを、ラショーモンよろしく伝説の観点からと、バイの親友の(つまりこちらが真実)観点からとが語られるんだけど、もう全然本気でやる気ないの。バックは闇で、すっごい大げさな演技つけるしさ。……うーん、ちょっとウンザリしちゃうんだよなあ。
こういう作品の作り方って、ちょっと前、ま、今でもかもしれないけど、香港でかなり荒っぽく雑に大量に作られた映画の感じに似てるんだよな。
思いっきりバカバカしく作って、でもテーマやメインの役者は結構マジに描かれてたりしてさ、全編をこの調子で作ってくれればよかったのに、って思うわけ。

一応最初から話を追ってみるか……。冒頭は、ティエンが夢から覚めるところから始まる。プールの中にざぶりともぐると、イイ男が一緒にもぐってきて水中で柔らかなキスをかわす。ハッと目が覚めるティエン。布団の中をのぞきこんで叫び声……おいおい、もしかして夢精ってこと?最初っから生々しいなー。
どうやら夏休みらしい。ティエンは大学生、だよね?で、パソコンの出会い系サイトで知り合った“獣”とラブラブメールを交わしてる。台北で会おう、そんな話になって、ティエンはこの田舎町の夏休みから飛び出すわけ。
そうなんだよねー、最初はこの出会い系サイトで出会った男と会うために台北に来た筈だったんだよねー。でもこの男とは喫茶店の一シーンで終わってしまう。というのもティエンは彼のヤろうぜって誘いを断わったから。ティエンの愛読書は「愛とは信仰なり」。愛してなければセックスなんてするべきではない、と信じているピュアな男の子であり、今まで恋の経験はないのだ。
……恋をしたことがないってことは、彼はでもゲイだという目覚めはあるんだから、それってつまり男への欲望はあるってことなんだよね。あ、それが冒頭で示されているわけかあ。でもだからこそ、「愛とは信仰なり」などと本にしがみついている彼は何かちょっとバカバカしいような気もするんだけどね……ま、そこんところが若さってことなんだろうけど。

で、アッサリ最初の目的をスルーして、でも夏休みだし、せっかく台北に出てきたしってことなんだろう、かつての同級生、ユーの家に居候しながらバイトをすることに決める。で、このバーでチラリと顔を見かけ、その噂を耳にしたバイの登場。いかにも世慣れた美青年という感じ。うーん、でもその唇の厚さがちょっと惜しい!っていうか、だからちょっと古くさいアイドルみたい!その長髪は後に出張シーンなども出てくるエリートサラリーマンとしてはちょっとムリあるだろ!

ティエンが働き始めるのはスポーツクラブ。そこでバイと再会を果たすのである。それにしてもねー、ティエンの目的はバレバレ。トレーニング機械の拭き掃除なぞしながら、男たちの股間や筋肉ばかり凝視してるんだもん。顔は、見ないのよ。そういう部分的なトコだけ。しまいにはその造形を覚えて顔も見ずにその人が誰か、名前を呼びかけたり。おいおい、どこがピュアな男の子なんだよ!
この街で知り合ったユーを始めとした友人たちは、「僕はバージン!」と叫んだティエンを心配するのね。恋をする前に経験しておいた方がいいとでも思ったか、とにかく早く彼をオトコにしてやらなくては、と、“水道管工事”なんぞを手配させる。いきなり色気エロエロでやってきて、入ってくるなり上半身ハダカになり、濡れたからふいてくれないか、とティエンに迫り、この体に触りたいんだろと挑発する……って、オカしいだろ!それでもクラクラきちゃったティエンはその手に落ちそうになるんだけど、こらえる。まあ初体験がこんなコテコテじゃねえ。

で、スポーツクラブでシャワーが出ない、とこちらもまた上半身ハダカに腰にタオルを巻いた状態でバイが現われたのだった。お互い目を見合わせて、固まっちゃう。ティエンはただのバイト君なんだし、そんな技術的なことは判らない筈なのにフラフラとシャワー室に行って、ガチャガチャやっているうちに突然シャワーがふりそそぐ。それを二人して濡れながら止めようとする……濡れる美少年と美青年。おおぅ。
濡れながら二人顔を見合わせる。おっ、この雰囲気はヤバい!と思ってると、そこに、バイの友人がやってくるのね。ティエンは我に返ってその場を辞する。でも彼の中にバイに対する思いと、そして、これは後にバイにぶつけられるんだけど、この友人がバイの恋人ではないかと、シャワー室にまで一緒に入ってくるなんて、みたいにヤキモキしてるわけ。

ティエンがあのプレイボーイ、バイにホレたことで友人三人はそりゃもう大反対。バイがいかにヒドいプレイボーイかをことこまかに説明する。それによると、バイはかつては純真な青年だったんだけど、恋人に裏切られ、その恋人の相手と寝て冷たく振ることで復讐をとげた。それ以来愛が信じられなくなって、美少年と一夜限りの関係しか結ばなくなったんだというのだ。
ある日、ティエンはバイとエレベーターに乗り合わせる。バイの友人も乗ってるけど、とにかく気詰まりでシンとしたエレベーター内。ティエンが降りようとする直前、バイが思い切ったように声をかける。「シフト、変えたの?」ハッとしてふりかえるティエンの目の前でエレベーターのドアが閉まる……。
あれ以来、ティエンとバイがこのスポーツクラブでは会っていないということだよね。友人のアドヴァイスを受けてティエンはシフトを変えたのかな……でもティエンの中でバイの存在は大きくなっていくばかり。でもユーは段々、ティエンの気持ちを応援するような感じになるのね。ティエンが「僕とバイはお似合いだと思う?」とユーに相談すると、「身分違いだからって諦めるなら、それは本当の恋じゃないのよ。でも悩んじゃう。それが恋なの」などと応えてやるユー。

一方でバイの方はカウンセリングなぞに通ってる。セックスは出来てもキスは怖くて出来ない。それをコレで練習しなさい、と大きな鏡やマネキンを抱えて往来をとぼとぼと帰ってゆくバイの姿はかなり可笑しい。
ある日、マネキンを抱えて交差点にさしかかったバイは、カップラーメンのダンボール箱を抱えたティエンと遭遇する。二人の間には知らないオジサンが(笑)。必死にティエンに話し掛けようとするも、なかなか声が届かず、間のオジサンがお互いの通訳?をしてくれる。年齢を重ねた彼にしてみれば、ハッキリしない若者たちが歯がゆくて仕方ないらしい。友人が失恋したから家に帰らなきゃ、というティエンの台詞を、友人、というところをはぶいてバイにつたえ、「失恋して傷ついている時が口説くには狙い目だぞ」などとアドヴァイスしてくれるんだから!このオジサンを迎えに、やっぱりオジサンの恋人がやってくる……って、台北はゲイしかおらんのか!いや実際、見事なまでに女が出てこないもんね。ていうか、それって逆にかなり不自然だぞ!

その時バイの名刺を渡され、後で電話をかけると約束するティエン。この時、交差点で別れながら、電話をかけて!とバイがジェスチャーで、耳のところで受話器を振る仕草をするのがうーむ、いくら純な恋に目覚めててもやっぱりプレイボーイよねー。でも交差点のところにマネキンを忘れて慌てて取りに戻るのが笑えるけど。だってマネキン、画面の手前に置かれて、片手を挙げて二人を見送っているみたいなんだもん。ちょっとウケた。
でもティエン、電話をかけられないのだ。ユーが失恋したってこともあるんだけど……その後スポーツクラブの帰り際にバイが現われて声をかける。固まるティエン。「電話、くれないね」この静かなひと言がちょっとドキッとする。実際、この二人のシーンではバカなギャグは一切なくって、本当にもどかしい気持ちを手探りで進んでる初恋そのもののウブさなんだよなあ。「しようと思ったけど……しなかった。そして……」「そして?」「名刺をなくした」ふっと笑い合う二人。そしてティエンのバイクに二人乗りして街を疾走する。いやあーん、ちょっと鼻血もんー!

二人色々な話をする。やはりちょっとまだ気まずげながら、お互いのこと知りたくて、階段に二人座りながら。アイスを食べているティエンの腕をつかむと、ハッとしたティエンのアイスが落ちたりなんかして、歯がゆいっつーか、やっちゃえっていうか、もうさあ!もう、顔が、顔がね!近づきすぎってぐらいでね!ていうか、二人すんごい至近距離で隣り合って座ってんのよ。だから話し掛けようと相手の方に顔を向けると、相手も向けてると、もう顔が、ていうか唇が!でもその度に顔を正面に戻してって繰り返して……あー、あー、もうもどかしい!ここまで来たらキスしない方が不自然でしょ−!さっさとしろー!
でも、ここではそれはない。しかしこの“キスしない方が不自然”が伏線になっているんだよね。ティエンが「日本で買ったラッキーコンドーム」を持ってティエンの家の近くをウロウロしていて、落としてしまい、暗闇の中必死にさがしてる。その時バイがマネキンを捨てに?表に現われる。お互い、何をしていたのか見られたかと思って戦々恐々……でも、そんなやりとりも何だかもうどうでも良くなって……だってお互い、何がしたいのか判り過ぎるぐらい判っちゃってるんだもん。ティエンが、「もう、ガマンするのはよそう」そう言うと、バイが彼の目を見つめ、恐る恐る、といった感じで唇を重ねてくる。もうこうなったら後はせきを切ったように止まらない。キスを繰り返しながらティエンを部屋に入れ、服を脱がせている間も唇を重ねあい、ベッドイン。

でもその朝が明けると、シアワセいっぱいで目を覚ましたティエンと対照的に、目を開けて彼の顔を確認した途端、おびえたような顔をし、ティエンがシャワーを浴びている間に姿を消してしまうバイ。無邪気にバイの服を、GUCCIをジューシーなどと言って着せ替えごっこしているティエンのところに、バイの友人がやってくる。シャワー室でもエレベーターでも一緒にいたあの彼だ。どうやらこういうことが起きる度、この友人が尻拭いにやってくるらしい。「事情があって、彼は来られない。「誤解するな」と伝えてくれと」
衝撃を受けるティエン。「判った。もうこれきりだ」そう言ってトランクスに“ジューシー”のジャケットをはおったまま飛び出してしまう。
友人がとった措置は、きっといつものことだったんだろう。でもバイは彼に怒るのね。ティエンに何を言ったんだと。どうやら今回はいつもと違うと友人も察知するんだけど、それで傷つくぐらいなら恋なんかするな、と一喝する。どうも、語られている巷の“伝説”と事情が違うらしい。

ところで、このバイの親友だけはひょっとしたらゲイじゃないのかなあ。本気で恋しちゃったバイにキスの特訓をせがまれて、絶対ムリ!とか拒否して、でも悩み倒している親友に、よし来い!と覚悟したように腕を広げるシーンとか、イイ奴なんだよね。

友人と急ぎ出張に出かけるも、心ここにあらずのバイ。そして一方、傷心のティエンの敵を打つべく、友人三人がバイの帰還を待ちわびている。しかしこれがオマヌケで……帰ってきたバイと友人の前に覆面してわらわらと現われた三人が浴びせたスプレーにも二人はキョトン顔。三人が判らない言葉で話す二人に、「北京語で話しなさいよ!」とキレるのはCC。彼らは国際派なのねー。
「大丈夫か、と」友人。「僕は、冷たい、と」バイ。
あのスプレーはカラースプレーとか催眠スプレーじゃなくて、ただの筋肉を冷やすスプレーじゃないの……アホか。

三人はとにかくどういうことなのかと。なぜティエンを捨てたのかと問い詰めるのね。苦渋の表情を浮かべるバイ。友人が彼を代弁して話し始める。
バイが今まで美少年を一夜限りで捨ててきた理由は、自分が愛した人たちは皆不幸になってきたから、愛する人を不幸にするのが怖かったからだというのだ。
っていうからもっとシリアスに、死んじゃうとかそういう不幸かと思ったら、せいぜいケガするぐらいなんだからガクッである。
でもそこんところがこのコメディなのよね。

まあとにかくそういう理由で。でもCCは怒っちゃう。「トラウマだなんだって、逃げてるだけでしょ!」って。
そんな風にお説教されたりして、いや、っていうか、もうバイはティエンへの気持ちを今までの少年たちに対してのように振り切れなくて、ずっと思い悩んだ顔して、で、一人瞑想にふけって、こんなことを心の中でつぶやくのだ。
「普段は神様にお祈りなんてしません。でも……10数えるうちに、もう一度僕にチャンスをください」
これで、本当にその通りになっちゃうんだから、少女マンガよねー。
閉じていた目をゆっくりと開いたバイの視界に映ったのは、歩道橋の上にエスカレーターで上っていくティエン!
バイは走り出す。橋の上でティエンを捕まえる。
「ごめん、愛してる」うおおお!
驚いたティエン、「君はどうかしてるよ!」そう言ってきびすを返す。バイは何も言えず、ただそこに佇んで……ええ!?これで終わっちゃうわけじゃないでしょまさか!ティエンはハラハラしながら見守っている友人たちに向かってスタスタ歩いてくるんだけど……そこに、通りすがりのカブに乗せてもらって追いついたバイが車の往来を突っ切り、後ろからタックルするかのようにティエンを押し倒す!キャアア、萌え萌えー!!

そこでちょこっとひと悶着あるものの(忘れた)とにかくハッピーエンドに収まって、美青年カップルが誕生するというわけさあ。

本題に入るまでが長いオネエ系のCC役のダダ・ジーは、急性心臓病で3月に死んじゃったんだって!ショック!テンション高すぎたんだよー。★★☆☆☆


星になった少年
2005年 113分 日本 カラー
監督:河毛俊作 脚本:大森寿美男
撮影:高瀬比呂志 音楽:坂本龍一
出演:柳楽優弥 常盤貴子 高橋克実 蒼井優 倍賞美津子

2005/8/19/金 劇場(錦糸町シネマ8楽天地)
カンヌで一躍有名になった柳楽優弥の注目すべき最新作で、二本目の主演作、ということで……。でも今回、彼は確かにこの中でも少年としての成長をあますところなくスクリーンに刻みつけてはいるんだけれど、カンヌで演技での賞をとったのがあれっ?と思うほど演技的にはまだまだ発展途上というか、成熟するまでには至っていないんだな……というのが正直なところだった。彼と同じような年で、ガールフレンド役として萌え萌えの美少女ぶりを発揮している蒼井優ちゃんと一緒のシーンだと特にそれを感じるのは……蒼井嬢は割と自然体の演技に見えて、実はとても完成度の高い演技力を持っているんだと改めて気づかされたりしたから。柳楽君もどっちかといえば存在感を重視するような自然体派ではあるんだけど、彼一人にまかされるようなこうした主演作だと、せりふに頼る部分がどうしても大きくなり……台詞回しが、結構、キツいんだよね。だから逆に、台詞を使わないところや、タイ語の台詞のところなんかは、その力強い大きな瞳と、劇中でもぐんぐんと成長を遂げているのが判る、まさしく思春期の彼の少年としての存在感が前面に出ている。台詞、言わない方がいいよな、などと思っちゃう。うーん、でもやはりこれは演出の力もあるんだろうなと思う。ひたすら、リアルを心がけた是枝監督のあの奇蹟の世界観と、物語の筋を追うことが大前提のこれとは違うんだもの。この監督さんの名前聞いたことないしなあ……そこここにちりばめられる小さなギャグもすべりがちだしさあ。

でもこの物語、確かに映画にしたくなるのは判る。で、この実在した少年は、「小象物語」で東宝と縁があり、これを東宝が映画にしたというのも、なかなか感慨を覚えたりもするのだ。しかもこの坂本哲夢という、21歳で死んでしまった青年が、私とおんなじ年の生まれだったんだと知り(うーむ、思いっきり年バレ)、そうかあ……などと思うところがあるんである。生き急いだというわけではない。あくまでも不慮の事故での死だったんだし。でもこういうのってホント不思議だと思うんだけど……やっぱり運命とか神様っているのかなって。21歳で亡くなってしまっても、彼は常人なら遂げられないような人生を残した。自らの意思でタイに飛び、修行を積み、日本初の象使いとなって、やはり日本初の象のショーを成功させ、そして日本での象の境遇を哀しんで、タイでのような、ゆったりとした象たちの余生を語った彼の人生は、日本での象たちの境遇に目を向けさせたに違いないんだし。夢を持っていた彼が、そんな若くして死ぬと思っていたわけはない。けれど……やはり運命の不思議を感じずに入られない。

彼、哲夢が象使いを目指したのは、劇中ではまず、象の言葉が彼には聞こえた、というところから始まる。動物プロダクションを経営している彼の家庭、母親は上の子供二人を連れて、今のだんなさんと再婚している。この継父とはなかなかうまく打ち解けられていないし、学校でも、「動物臭い」といって遠ざけられている。哲夢のプロダクションにいる象がテレビに出ているということで近づく女生徒なぞもいるのだけれど、「……でもやっぱり、ちょっと動物の匂いするよね」とつぶやく。哲夢は「……人間だって臭いじゃないかよ」とごちるのだ。
日本人ってさ、まあ日本人に限らないのかもしれない、都会に暮らすようになると、どんどん無味無臭になるっていうか、そうして生きている実感も失われていくって感じがする。哲夢がつぶやいた、「人間だって臭いじゃねえかよ」という言葉は、そうした生きている匂いではなくて、うそ臭い、生きている匂いを嫌って放っている匂いのことを言っているのかもしれない、と思う。ちょっとね、話は違うかもしれないけど、仕事でも、イヤな匂いのつく仕事って嫌われるじゃない。私のいる河岸もそうだし、食肉関係とか、まいろいろあると思うんだけど、でもそういうのとも通じるような気がするのだ……哲夢はその匂いも含めて動物が大好きなんだし、それを恥じたりしない。そのために友達は少ないかもしれなくても、実際にできる友達は、それは本当の、真の友達なんだから。

劇中では、日本で出来る友達は描かれない(ガールフレンドは出来るけど)のが少々気になるところではあるんだけど、留学先のタイではかけがえのない仲間ができる。なにせ、目的を同じうしているんだから。
いやでも……タイでの少年たちは、貧しい家計を助けるために象使いになろうとしていたりするんだから、志を持ってやってきた哲夢でさえ、そこではまだまだ甘かったんだろうとは思う。それに関して哲夢がどう思ったかとかが今ひとつ触れられないのにはちょっと不満だったりしたのだけれど。
日本では象の言葉も聞こえたのに(プロダクションに来た象に、「こいつ、凄いおしゃべりだよ」というシーンは印象的)、ここで哲夢は自分の世話する小象、ファーとなかなか気持ちを通わせることが出来ない。哲夢の言うことを聞かないファーに振り回されっぱなしなんである。
それは、哲夢が、ファーが母親と引き離されたところをまず見てしまった気後れがあったのかもしれないと思う。
どの象も、まず母親から引き離されるところから始まるんだという。母親は悲しげに鳴き、小象も必死に母親と離されまいと鳴く。でもそうしないと、人間が象を使うことが出来ない。それは本当に本当に哀しい儀式で。
それでも象を崇めるここタイでは、象の余生は保証されている。人間に奉仕してくれた象に対する感謝の念がそうさせるのだと思う。日本に帰ってきた哲夢が、日本での象が、そんな哀しい儀式を経て人間に尽くしてくれた象が、寂しく象舎で死んでゆくことを憂いたのは、当然のことだったのだ。

ここタイで、本当に哲夢、いやさ柳楽少年は成長を遂げるんだよね。劇中では1年半の留学、ロケとしては2ヶ月に過ぎなかったということだけど、でも日焼けして、たくましくなって、タイ語を流暢にあやつるようになる柳楽君は、驚異的な成長を遂げる思春期をスクリーンに刻み付けていて、これって、贅沢なことだよな、と思う。
まあでも……哲夢は最初地元の料理も食べられなくて……それはいかにもなゲテモノ料理だったからなんだけど、そのいかにもなって描写もアレだと思うし、それを拒否する彼の表情は相変わらず今ひとつポカンで、こういう時ぐらい、もうちょっとダメそうな顔してくれないと、その後食べられるようになる成長とのギャップが感じられないんだけどなあ。
このあたりは、監督、もちょっときちんと演出してくれよ、とか思ってしまう。
あのトカゲの姿焼きみたいのは、確かに食べられるようにはなるだろうとは思うけど、昆虫の唐揚げみたいのは、その後食べられるようになったのかしらね?

言葉も不自由だし、現地の料理も食べられないし、小象にも嫌われて、そりゃ少年たちだって哲夢をどっか軽蔑のまなざしで見てもおかしくないわけで。だから彼らが哲夢に現地で信仰されている白象の幻を出するのは、まあそりゃ、からかいのためだったんだろうとは判るんだけど、なんか少々優しすぎるよーな気がしないでもないんである。
そこで哲夢は、「たとえ、若くして死んでしまったとしても、象と仲良くなりたいです!」と叫ぶ。彼の先行きをダイレクトに暗示させるような言葉でドキッとするけれど、なんかまんまだな……って気もする。
でもそれが叶ったかのように、行方不明になったファーの声を聞いて哲夢は走り、そうして激流に飲まれたところを(ここはちょっと迫力)ファーに助けられて、ようやくファーと心を通わすことが出来るのだ。
この時、ゆっくりと歩く象にまたがって哲夢を探す仲間たちが、実にのんびりとしててイイんだよな。
そして哲夢は一年半の留学を終える。その間、象となかなか心が通わない悩みや、友達との交流を綴った手紙を、故郷の姉だけが読んでいる。母親は相変わらず無関心に見えるんだけど……それはこの姉が、あるいは哲夢も、お母さんは自分たちに関心がないから、と思い込んでいたからかしらん。

でもさ、やっぱり、子供を思わない親なんていないよ。
この母親は、確かに子供の世話も放り出して、自分の夢に没頭していた。でも子供が可愛くなかったはずはない。哲夢を見てるとね、彼の不器用さはお母さん似なんじゃないかって思うのだ。
実際、彼はお母さんに憧れていた。たとえ自分たち子供をほっぽり出しても、昔からの夢を実現する母親に、人間として尊敬を抱いていたのだ。
哲夢が象使いを目指したのは、お母さんがあまりにも象が好きだったことへのちょっとした嫉妬もあっただろうし、 その上で、そんなお母さんの夢を継ぎたいんだ、とガールフレンドに語っていた。
それを、哲夢の死後、お母さんはそのガールフレンドから伝え聞いて、嗚咽を抑えることが出来ずに号泣する。
実際、ここが最大の号泣ポイントなんである。不思議なことに、哲夢が死んでしまった場面ではそれほど涙が出るわけではないのだ。確かにここも泣きポイントではあるんだけど……特に、哀しげに鳴きながら、哲夢の棺に鼻を絡ませて離そうとせず、イヤイヤをするようにはたはたと大きな耳を振りながら、その目からも涙を流しているランディの姿なんて泣かずにはいられないんだけど……。
でも、この時には、突然の息子の死にお母さんは涙目にはなっているけど、どこか呆然としてるばかりって印象だった。で、この動物プロダクションが移転することになり、すっかり片付けが終わったところでこのガールフレンドの蒼井嬢が訪ねてくる。そして、哲夢のその言葉を伝えるのね。

あ、なんか途中を思いっきりすっとばしちゃった。タイから帰国した哲夢の話。象使いとして使命に燃える哲夢が学校もそっちのけで象の調教に没頭する、んだけど、母親はあまりいい顔をしない。哲夢を学校に行かせるために、タイから象使いを雇い入れたりする。これって哲夢にとってかなりプライドが傷つくことだと思うんだけど……哲夢はそんな彼らとも上手くやっている様子である。
継父との確執もあるのね。もともとこの継父とはあまり腹を割って話しているという感じはない。残念ながら、最後までその印象はぬぐえない。ドラマ(映画?あれって戦争中の象さん、花子の話だよねー)の撮影で言うことを聞かないランディの指示で対立し、あろうことか哲夢に「連れ子のお前たちを救ってやったのは誰だと思ってるんだ!」と怒鳴ってしまうこの継父。
でもまあ、哲夢はこの継父も尊敬していたとは思うけど。だって彼のことを散々情けない呼ばわりする母親に、「それでも好きで結婚したんでしょ」と言い、確かに経営能力はないながらも、動物をひたすら愛している継父に、忙しくなってくると動物たちの世話すらほったらかしになってしまう母親と比して気持ちをよせているのは判るからさ。
でも、それだけに、この継父とのきちんとした交流がないまま終わってしまったのは残念なんだけどね……。

哲夢が自らの力で、日本初の象さんショーをやる場面はそれまで哲夢が学校もほっぽりだして象に没頭していた母親に何らかの思いを抱かせる場面でもある。
この時、継父が、ほら、哲夢頑張ってるよ、ってな顔を母親に向けるから、まあ継父との間柄はそれなりに修復していると思ってもいいのかなあ……あいまいだけど。
この場面に限らず、哲夢を始め、子供たちに暖かい愛情を注いでいる祖母の賠償美津子がなんたって印象的である。ああ、賠償美津子、華やかなイメージのあった彼女が、なんかすっかりあったかいおばあちゃんになっていることに、今更ながらショックに近い感慨を覚えずにはいられないんである。
象に没頭する哲夢に母親が、「あの子、だんだん普通じゃなくなっていくわ」と言うのに対して、「仕方ないでしょ、アンタの子だもん。認めるしかないのよ。私だってそうしてきたもの」と返すシーンはいかにも親子の愛情たっぷりで、ここはさすがベテラン女優の賠償美津子の見せどころなんである。
実際、役者としての力をきちんと見せてくれたのは、賠償美津子と蒼井嬢だけだったって気がするもんなー……。

哲夢が、象さんショーを披露する動物園で、コンパニオンをしていた女の子に声をかける、これが蒼井嬢なわけね。
ストンとした膝丈の純白のワンピースに同色のヘアバンドをほどこした蒼井嬢は、そのいでたちに負けないくらいの白く柔らかそうな肌とはかなげな細いサラ髪で、何か、見るたびに美少女度が高くなってるぞお!
彼女は、動物業者が誤まって轢いてしまったフラミンゴをゴミみたいに廃棄する場面に遭遇して、怒り心頭である。相当の動物好きらしい彼女、こういうバイトをしているのもそのあらわれだろうけど、「動物業者は、動物を商品としか思ってない!」と。
同級生たちから動物がクサい、汚いとしか言われなかった哲夢にとって、動物の迫害に憤っている彼女との出会いはまさに運命的だったんだろうな。
柳楽君が蒼井嬢に対して、「デートしようよ」と言う!キャー!
デートったって、彼の家に招くってだけなんだけどさ。

チャキチャキとした母親を演じる常盤貴子は今までの印象よりは良かったけど、そもそもこんな大きな年の子供のいる役としては若すぎて、かなり違和感があったかなあ……単純計算で、ヤンキーにもほどがあるだろ!って感じなんだもん。それとね、宣伝写真であった、上半身ハダカの柳楽君、劇中ではなかったじゃん!などと憤慨してしまう私はショタのヘンタイなんだろうか……。★★★☆☆


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