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「か」


2005年鑑賞作品

鍵がない
2005年 83分 日本 カラー
監督:山田英治 脚本:山田英治
撮影:柳橋伸幸 音楽:川嶋可能
出演:つぐみ 大森南朋 目黒真希 高野八誠 藤真美穂 川村亜紀 太田千晶 松田賢二 小栗万優子 金剛地武志 MAGUMI&Unscandal 光石研


2005/10/18/火 劇場(渋谷シネ・ラ・セット)
鍵がない、だなんて、「傘がない」のパロディかしらん、なんて思いながら観始めると、本当に冒頭、雨の降る駅の改札出たとこで、傘を持っていないヒロインの前を、色とりどりの傘たちが行きすぎる。みんな単色で、だから本当に色とりどりで、なんだかお伽噺チック。この物語、淡くリアルな痛みを感じながらも、そこここにファンタジックな要素がちりばめられていて不思議な味わいがあるんだけど、それをもう最初からふんわりと提示しているような感じ。
そう、最初はホントに「傘がない」ところから始まったのだ。1年前を思い出すヒロイン、美沙子。今と同じように彼女は傘を持っていなくて、次々と傘を開く人たちを恨めしそうに眺めながら一人立ちすくんでいたのだ。美沙子は大急ぎで走って閉まった店の軒先に雨宿りをしながら、駅の方をぼんやりと眺めている。あの頃の自分が見える。
この、ちょっと唐突な客観性がまた不思議さをかもし出す。こんな風に語りだしていくから、しまいにはバスがタクシーみたいに元カレの家の前で止まってくれても、その中でミラーボールが回って生ライヴが始められてもさして疑問に思わなくなるのかもしれない。おっと、それはまた先の話だけど、でもそんな風に、随分と思い切ったファンタジーを入れてくるんだよ。

あの時、同じように傘のない男性が佇んでいて、そこに傘を届けに来たのは小さな女の子だった。小さな傘をくるくると回して、彼女に傘を差し出したのはその女の子だった。一見して判る父子家庭。その女の子はきっと一目見て美沙子を気に入ったのだ。子供の直感というのはなかなかあなどれない。
だから、だから、ね、あの少し哀しい予感を含んだようなラストを見ても、美沙子が全てを振り切って一歩を踏み出す勇気を得たんだと思っても、それでもやっぱり、良介とヨリ戻しちゃえばいいのに、結婚しちゃえばいいのに、この子の母親になってしまえばいいのに、ってついつい思ってしまうのね。

だって、この娘、お父さんの新しい彼女にはどうもなじめない。見るからにクールな彼女だし、子供扱いもあんまり上手くなさそう。
いや、この新しい彼女だって、ちょっとカワイソウなんだけどね。子供扱いが上手くないのは、そりゃ仕方がない。向き不向きっていうものがあるし、彼女自身子供を産んだ経験があるわけじゃなく、そして恋人の娘とはいえ……他人の子供で、いわばその子にとって自分はライヴァルのようなものなんだから。
それにこの娘は、大好きな美沙ちゃんからの電話にもう気もそぞろだし。でもこの子も子供ながら気を使ってるのが判ってさ、いや判るからこそ、この新カノもたまらないんだよね。ムリして自分につき合ってくれてる感じが判るんだもん。
この新カノが、気を使って話しかける良介に「ムリしなくていいよ」と言いつつ、一人家にたどり着いた時、「ムリしてるのは私の方かも……」とつぶやくのには、なんだか胸が痛くなる。しかもさっきまでの完璧メークもどこへやらで、クールなメガネを外した彼女は弱々しげで。

おっと、ごめんごめん、本筋を置いて、いきなり先の、ワキの話ばかりしちゃった。ちょっとこの新カノも印象的だったもんだから。
それというのも、この良介という男がそういう意味でどこか頼りなさげなところがあるからなのかもしれない。彼は自分が好きな相手、というより、この娘の母親になってくれる女性、を探している向きがなんとなく感じられる。そりゃ致し方ないことだし、それがあからさまってわけじゃなくて、ちゃんと恋人に対しても愛情を向けるけれど、あからさまじゃないだけに、自信のない女は少し、考えてしまうのかもしれない。

そう、多分、美沙子もそうだった。彼女は今、鍵をなくして自分の部屋に入れないでいる。もうかなり夜もふけている。携帯のバッテリーも切れて、友人に助けを求めることも出来なくなってしまった。現代は、携帯がなくなっただけでカンタンに連絡が途切れてしまう寂しい時代。
ただ、今の彼女にはただひとつだけ手段があって……それはかつての恋人、良介に預けっぱなしにしていた部屋の鍵、である。
夜の道を当てもなく歩く彼女の目の前に電話ボックスが出現して、あそこまで10歩で行けたら電話をかけてみようと思うのである。1、2、3……行けちゃうんだよね。
そんなことをしている間にも、彼女は一度思い出してしまったら堰を切ったように止まらなく、良介のことを思い出している。あの出会いと、娘も交えて三人、穏やかで幸福だった時。
偶然近くのマンションに住んでて、仕事の遅い良介のために娘を預かっていた。その間、本当の母娘みたいにスッカリ仲良くなった。美沙子は育児雑誌なんか作っているけれど、経験がないし、勉強になります、なんて上手い言い訳を言いながら、良介との距離がこんな風に近づいていくのが嬉しかった。
寝入ってしまった娘を抱き抱えて、美沙子とキスしようとする良介、間にはさまった子供が二人の唇の距離をさえぎらせるシーンは、ちょっとドキドキなんだけど、もしかしたらあのシーンが象徴していたのかもしれない。

良介のプロポーズに即答できなくて、二人に別れが訪れた。でもあの時、黙り込んだ彼女に、「……そうだよね。こんな若いのにいきなり母親になれなんて、ムリだよね」と良介がそんな風に言わなければあるいは……などとも思う。
やっぱりその一点に絞られてしまうのかって。そう決めつけられちゃうのかって。美沙子が本当はどう思っていたのかは判らないけど、私はそれが見ていて何となく……哀しかった。そうじゃないのに、っても思った。
「美沙ちゃんが私のママになればいいんだよ」そんな会話に、なんのわだかまりもなく美沙子も笑顔でうんと答えていた。その気持ちはきっとウソじゃなかったと思うの。
だってこの子は、自分のママになってくれる人を、直感でもう選び取っていたんだもん。良介ではなく、この子こそが美沙子を見つけ出したんだもん。

鍵をなくした、ただそれだけで、もう会うこともないと思っていた恋人のことを思い出し、連絡をとろうとすることで、何も変わらないと思っていた日常が、この一晩悩みあぐねてくるりと変わってしまうのかもしれない。
良介と連絡をとりながらも、その部屋の中に新しい彼女の気配を敏感に察して、自分もとっさに新しいカレがいるなんてウソついちゃって、それでもどうしよう、どうしようと行きつ戻りつしている美沙子の前に、様々な人たちが行き過ぎる。
電話ボックスの順番待ちをしていた男性。それこそ今どき携帯も持っていないらしくって、多分どうやら……相当貧乏。電話口では田舎の母親に「CDも出したし、忙しい」なんて威勢のいいことを言いながら、「俺、群馬に帰ろうかな……」とふいに本音が飛び出す。でも電話の向こうの母親は、「いいよ、忙しいんだろ?母ちゃんはお前が好きなことやって成功していればそれでいいよ」と息子の気持ちに気づかず、いたわるような言葉をかけてくる。
ちょっと、この彼は印象的だったな。彼はストリートミュージシャンで、その後、美沙子がとぼとぼと歩く後ろを、彼女の心情を歌ったような歌をギターの弾き語りしながらついて歩く。でも美沙子はまるで振り返らずに行ってしまうんで、彼は立ち止まる。とそこには、美沙子と同じようにしょんぼりと座り込んでいる別の女性がいて、こんどはこの彼女の周りをくるくると回りながら歌う。こんなヘンなヤツもいないと思うんだけど(笑)、でもこの歌がフシギにいい歌でね、心に染み入る優しい歌でね、その女性はだんだんと笑顔になっていく。

あるいはまだ良介に連絡をとる前、時間つぶしに入った喫茶店で、今まさに別れ話をしているカップル。この二人の会話も印象的というか、何かいろいろと身につまされる思いがするの。男の子の方は、「お前と別れて、新しく始めたいんだ」と言う。もう汗かいて、かなり必死である。「なにを?」そうクールに切り返す女の子に、彼は「……」と何も言えずに黙り込んでしまう。「今までだって、何にも続かなかったじゃん。結局同じでしょ。今のままでいいじゃん。ゼイタクを望んでいるんじゃないんだよ。このままでいいと思ってるの」
一見、男は、やりたいことが何も判らなくて、このしっかりモノの彼女に呆れられているように見えるんだけど、でも実際は、この彼女が彼の発展を、とめてしまっているのかもしれない。だって、何がやれるか判らないけど、今の事態を打開したいという彼の気持ちは判るんだもん。
この男の子の方と、美沙子は夜のバス停で行き合う。一瞬、運命の出会いかと思いきや、男の子は別れようと思っていたはずの彼女を道の向こうに見つけ、駆け出し、ラブラブにヨリを戻してしまう。それも美沙子の落とした100円玉を拾ってそのまま!
「百円……ひゃくえん!」と叫ぶ美沙子がユーモラスというか、哀れというか。

夜のコンビニで立ち読みする美沙子の前に、見覚えのある男性が現われて、窓越しにオフレコで「これって、運命?」と言う。それに対して美沙子が黙って首を振ったりなんていうシーンもある。なんていうか、……この一晩に、みんな、運命を変える出会いを探しているのかと思うと、寂しかったり。
それは美沙子のように、過去にもう一度すがろうとする自分を戒めているのかもしれないし。でも過去を振り返るのも決して悪いことじゃない。そこを見直してみれば幸せを置いてきたことだってあるかもしれない。
あー、やっぱり私、美沙子と良介にヨリを戻してほしいって、思ってるんだな。だってさあ!

クライマックスは、先に書いちゃったけどタクシーと化したバスで、美沙子はそこで後押しされて良介の家のドアの前まで行くんだけど、シチューの匂いをかぎつけて(でもそれは実は隣の部屋からの匂い)勝手に妄想膨らまして、意気消沈して戻ってきちゃう。そこでやけに親身になる運転手さん(光石研)がかなり面白い。肉まん手渡してくれたりして、身の上話を語りだす。しかも美沙子の隣に座り込んで。驚いた美沙子が運転席を見ると、無人のまま絶妙のハンドルさばきを見せている……もう、完全にファンタジー。
彼は若い頃、情熱のまま突っ走って、でも親や世間に負けて子供を堕ろさせてしまったことなんかを話す……でも今の美沙子にとってはそんなこともあんまりもう、どうでもいいっていうか……バスの運転手さん、結局は聞いてくれてアリガト、なんて立場逆転しちゃって。そうして美沙子はバスを降り、公園で一人ぼんやりと座り込む。自販機が目に入る。ジュースでも買おうとお財布を開けると、そこになくしたはずのカギが!

ええー!?じゃあ今までお財布開かなかったの?そういやあレストランでも結局何も頼んでなかった気もするし、電話もカードでかけてた気もするし(携帯持ってるのにテレカを持ってるのがフシギだ)バスは無料タクシーと化してたし(笑)。あ、あ、でも、その前に、バス停でバスを待ってた時に、100円を取り出したのってお財布からじゃなかったっけ?
まあ、いいか……。
そういやあ、ことあるごとに美沙子、バッグの中にバラバラと入れてあるキャンディを嬉しげに口の中に放り込むじゃない。あのシーンもちょっと、印象的だよね。ちょっとヘコんだ時に、キャンディを口に放り込めば、少し元気が出る。そんなところが女の子っぽくて、可愛い。

そう、女の子はそんな不思議な強さがあるんだよなあ。
鍵が見つかったことで、もう一気に元気を取り戻して、もう私は大丈夫、とつぶやいて……あの夜の闇の中で、一年前のことなんか思い出して妙に気弱になっちゃった自分を笑い飛ばすかのように、元気に歩いていく彼女。その彼女に良介は、ポケットの中に預かりっぱなしだった鍵を忍ばせて会いに来る。
バッタリと行き会う二人。「鍵は?」問い掛ける良介。「あった!」元気よく答える美沙子に、一瞬、戸惑ったような顔を見せて、ポケットの中にチャリンと……鍵を落としこんでしまう良介。そして、カットアウト。
このラストは、二人の展開に含みを持たせているのか、それとも本当にもうこれで全てが終わりなのか、どちらともとれるような微妙さ加減なんだけど……ただ、間違いなく美沙子は、「もう大丈夫」が強がりじゃなくて、本当の一歩を踏み出してるし、一方で良介は一年前と同じ悩みのところでまだぐるぐる回ってる感じだし。
希望としては、一歩を踏み出した美沙子が、そんな良介をその悩みの輪から引っ張り出してくれたらいいのになと思うんだけど。

超絶に大森南朋に母性本能をかきまわされた「春眠り世田谷」の監督さん、ここでの大森南朋は父親役だから、そこまでの頼りなさはないにしても、鼻血ブーなシーンはちょいちょい用意されて大森南朋ファンを喜ばせてくれるんである。新カノを膝の上に引き寄せて、「(ビデオ)せっかく借りたんだから一緒に観ようよ」というシーンには、まさに鼻血ブー!
でも彼女は「ごめん、明日早いの」と。「え……午後出社って行ってたじゃない。」この大森南朋の戸惑いの表情ってのが母性本能熊手でかきまわすのよねー。

そうそう、娘に寝物語で聞かせる「なめくじキャサリン」って話がまたフシギな味わいでね。手書きっぽいアニメーションを添えて静かな大森南朋の語りが心地よい。なめくじキャサリンは透明だから、今まで誰も気付いてくれなかった。だからなめくじキャサリンは寂しくて、友達がほしかった。ある日電車に乗って彼女は旅に出る。遠くに海が見える。海が両手を広げて自分を呼んでくれているように思えた。初めて出来た友達、そう思って彼女は嬉しくて、海の中に入っていく……当然だんだん彼女の体が溶けていってしまう。でもキャサリンは幸せだった。自分の体が海と同じ青に染まって溶けていくのが、初めて出来た友達に受け入れられ、海そのものになるのが嬉しくて。
何かこれも切ない話っていうか……この話をこの小さな女の子がお気に入りだっていうのも。夜の闇の中に溶けてしまいそうになりながら、自分の運命を変えてくれる人を探し求めている、この大人たちをも思わせちゃうし。

一年前のことを引っ掻き回すつもりもなかったのに。閉まっておいたのに。ふと思い出したその日に、鍵がないことに気づいて始まる小さな心の旅。
一晩で、人生の色々を考える。やっぱりあの人が運命の人だったんじゃないかとか。それは夜のマジック。でも夜が明けると、そして鍵が見つかると、そんな思いも不思議とどこかにサッパリと飛んでいってしまう。
そこに男と女のすれ違いが生まれて……でもすれ違うから、違うから、お互いを愛しいと思う。
相変わらず頼りない表情がステキな大森南朋と、相変わらずキュートながら、ほのかに色っぽくなっちゃったつぐみちゃんが、この淡色の世界にふんわり降りてきていた。★★★☆☆


カンフーハッスル功夫/KUNG FU HUSTLE
2004年 分 中国 カラー
監督:チャウ・シンチー 脚本:ツァン・カンチョン/チャン・マンキョン/ローラ・フオ
撮影:プーン・ハンサン 音楽:レイモンド・ウォン
出演:チャウ・シンチー/ユン・チウ/ユン・ワー/ドン・ジーホウ/シン・ユー/チウ・チーリン/ブルース・リャン

2005/2/2/水 劇場(有楽町丸の内TOEI)
大ブレイクした前作「少林サッカー」までは確実に変わらぬチャウ・シンチーの世界を突き進んでいたのが、本作は何か違うような気がするのは、ハリウッド資本だからなのかなあ……いや、多分、シンチー自身がずっと切望していたという“カンフー映画”だからだろう、とも思われ。いや、そう言ったって、そこはチャウ・シンチーだから、それこそこの作品の惹句である「ありえねー」ナンセンスをひたすら驀進しているんだけど、でも「ありえねー」だなんて、今までのシンチー映画はまさしくそれで、むしろ本作はその「ありえねー」をあまり実感できずに観てしまうというのかなあ。いやいやいや、これが「ありえ」るわけはそりゃないんだけど、なんつーか……しみじみ観てしまうのね。ああ、シンチーってば本当にカンフーが好きで、カンフーの達人を尊敬してるのねー、みたいな。今までのナンセンスの大秀逸さが、そのナンセンスを最大限に際立たせる超絶スピーディーにあったとしたら、本作は、じっくり見せちゃう。多分それは、シンチーがカンフーを、カンフーの達人をじっくり見てくれ!という意識があるせいなんじゃないかなー、などと思う。カンフーシーンになると、そのバックで展開されているナンセンスさを同時に感じることが出来なくて、割とカンフーに集中しちゃうんである。生身のアクションが真骨頂であるカンフーに、その迫力を失わずCGとワイヤーアクションを悪びれなく使えるのは(まあつまり、ヘンにスタイリッシュに昇華させずにね。ハリウッドの中のカンフーみたいにさ)シンチーのセンスだろうけど、「少林サッカー」の時には確実にあった、ブラックユーモアとナンセンスを同時進行させるようなことが出来ない……カンフー、じっくり見ちゃう、見せちゃう。スピーディーの面白さがスローダウンすると、笑うタイミングもこれほど難しいものかと思っちゃった。それまではとにかくアタタタタ!って感じで笑いのツボを攻撃されて、休む間もなかったくらいなのに。

ストーリーラインとしては「少林サッカー」と大して変わらないものがあるのかもしれないなあ、などとも思う。で、このスローペースだと観客がヘタに物語を追っちゃうから、その話はあまり……なので、結構ダレちゃう、のね。キャラも、シンチーのカンフーへの尊敬の念から、往年のスターをはじめ、強力なのが多数揃えられているんだけど、それがかえってさばききれてないのかもしれない。
主人公であるはずのシンチー自身がクライマックスまではまるで脇役なのも、どうもしまらない原因かなあ……面構えが強烈なだけでは、なかなかコメディというのは難しいのね。
それにしても!チャウ・シンチーはそこんとこが実に……そう、平凡なハンサムであることが返って効を奏していて、ギャップが生み出す可笑しさがあるんだよね。
貧民街、「豚小屋砦」と、そこを襲う、マフィア?(うーん、というより暴力団というかテロリスト集団というか。彼らは殺戮やりたがりで、実際何をやりたいのかよう判らん。殺して金が集まるわけでもないだろうけど……判りやすく悪の集団、悪が勝つ世の中、を象徴しているのかな)斧頭会はまさしく強烈に対照的で、それを象徴するかのように、双方には実に個性的なメンメンが集まっている。カンフーの達人なのにオカマそのものにナヨナヨしているオジサン、とか、それもまたギャップを追究していながらあんまり笑えないのは、やはりコメディセンスの問題なんだろうか……。
そんなメンツよりもシンチーのキャラの方がずっと笑えるのは意外でもあり、そここそが彼の強みなんだろうなー。

シンチー演じるシンの登場は、華麗な足裁きでサッカーボールを操るものの、「サッカーはもうやめた」と、グシャリとボールを地面に押しつぶす場面から始まる。自身で作り上げた傑作を越えるという勝利宣言かあ!?とちょっとドキドキとしたりしたんだけどね……。
子供の時から人生に負け続けてきた小物の彼。社会で勝つのは悪、だから悪になるんだと斧頭界の一員だと名乗ってこの豚小屋砦にチンピラさながらに乗り込むでしょ。それまでは斧頭会に相手にもされていなかった、貧しくも平和な街を乱したのは他ならぬコイツなわけだが、でもこの街が平和を享受していたのは、ケンカばっかりしている騒々しい街なんだけど、住人たちが正義感にあふれてて、街の結束が固くて、悪などもとから寄せ付けなかったから、かもしれんのだ。
シンチー演じるシンは、この時はまだ目覚めていないから(クライマックスまで目覚めない……ずっと脇役なんだよなー)、強気な街の人々にこてんぱんにやられちゃう。勝とうと思って次々に弱そうな人を戦いの相手に指名するダメダメぶりだけど、その指名された相手が出てきてみると……チビに見えたのが実は座っててすっごい大男だったり、じーさんやガキがムキムキの筋肉をたずさえて出てきてみたり、こういうナンセンスが間断なく繰り出されれば、私の笑いのツボは容赦なく押されるんだけどさ。

で、強がりつつ尻尾巻いて逃げ出そうと思ったら、この砦の強烈管理人のオバさんが登場し、スリッパでひっぱたかれてあえなく逃げ出すと……このオバさん猛スピードで追っかけてくる。シンも猛スピードで逃げ出し、そのスピードは車のスピードも越え、オバさんは意味なくひねり宙返りを繰り出し……まあ、このあたりも笑えるっちゃ笑えなくもないんだけど。
でも、前半でついつい吹き出しちゃったのはあの一場面だけだったな……斧頭会の一員となるためにもう一度この豚小屋砦に相棒とともにおそるおそる乗り込んだシンが、ナイフを投げると跳ね返って自分に突き刺さり、相棒に後を頼むと、彼のナイフもことごとくシンに突き刺さり、ナイフだらけで痛みをこらえるシンの顔のミョーなゆるさったら、ないの。いきなりナイフを抜き取るこの相棒に、オイ!と言ったら「あ、ごめん」ともう一回突き刺すのにはさすがに吹き出しちゃったよ!でもこの場面ぐらいなんだよね、ホントに可笑しかったのって……。

この平和な街が気に入って住み着いていた、戦いを放棄した三人のカンフーの達人が最初、斧頭会のメンバーをことごとく破り去るから、この三人がメインの話なのかと思いきや、次にはもうあっというまに敗れ去ってしまう。うーむ、でもその破り去る相手の戦法というのがこれが最も……引いちゃうっつーか、なんつーか。盲目の二人の刺客で、琴の術を使ってエイヤア!とばかりに矢だの岩だの、挙げ句の果てにはミイラかゾンビか、みたいなものまで空間から出してくるんだけど、これはさあ……シンチーのマンガチックなナンセンスは私、大好きだけど、これって、なんかヘタにアクションモノのゲームみたいで、ナンセンスさが薄くって、何か、つまんない。

この三人が倒されちゃったことで、彼ら以上の達人であることをひた隠しに隠してきた管理人夫婦が立ち上がる。この管理人夫婦は結構、好きだったな。最初はね、完全なるカカア天下に見えるわけ。いや、まあ、カカア天下には違いないな……ダンナの方が女好きで、ほっぺにチューのあとなんかつけてきたらもう大変、部屋から投げ飛ばされて地上に激突し、しかもその頭の上にダメ押しの植木鉢が投げつけられて、頭の上に一輪の花が植わっちゃう、という寸法で、このダンナ、めっちゃ弱いように見えていたんだけど、その弱さこそが実は達人だったのね。クネクネとかわしまくる太極拳の達人。その一方でこのキョウレツな管理人のオバさんは、「獅子の咆哮」と呼ばれる、すさまじい破壊力の声が武器。

でね、カカア天下に見えてたこの夫婦が、実はかなりのラブラブだってのが、イイのよねー。常にカーラー巻きっ放しのこの奥さんとダンスなんか踊って、でもそこからまた、窓から放り投げられるダンナさんなんだけど(笑)。二人とも、復讐のための戦いはやめたんだと、そして二人もまたこの平和な街にひっそりと(?)住んでいたけど、この三人がやられちゃったことで、立ち上がるわけ。斧頭会が用意した最強の達人と対決するために。
で、この最強の達人を見つけ出すのがシンの仕事になる。いわば斧頭会のメンバーとなるための試験。ところでこの映画自体、様々な映画へのパロディがあるみたいなんだけど、唯一確かに判ったのは、ここで出てきた、血が滝のようにあふれ出てくる「シャイニング」のそれだけだったわ、私……ダメね、相変わらず。で、まあ、とにかく、ここで、一見風呂上りのオヤジみたいなオッサンを見つけてくるシン、このオッサンこそが最強の達人だったんだけど、何を思ったのか、シンってば、あの管理人夫婦がやられそうになったとこを、このオッサンを死に物狂いで殴りつけて、助けちゃうのね。で、当然シンは反撃をくらい……これは死ぬだろってぐらいに、このオッサンに地面にめり込むまで殴りつけられるんだけど(小さな木片で、こん、と抵抗を試みるシンが、可愛くて好きっ)管理人夫婦に助けられ、しかも驚異の回復力で息を吹き返し……しかもそのことで彼の中の如来神掌が目覚めることとなる。

悪から、善へ。秘められた才能の開花。そして、悪や善ではなく、強い相手と戦いたいだけだというカンフーの達人たち。このあたりは、ブルース・リー信者のシンチーらしいところで。
そう、やーっとこっからがチャウ・シンチーがヒーローとしてあばれまくってくれることになる。はー、待ちくたびれたわ。
如来神掌とは、その名のごとく、如来神の掌の気をいただく拳法である。まあつまりは、マンガチックで空想上のそれとして、そんなことを信じていた子供の頃のシンはバカにされまくっちゃったんだけど、それを彼は今ここで自分のものにするのだー!オッサンに頭突きかまされて、びゅーんとばかりに空に飛んでくシン、ずーっとずーっと高−く登ってゆき……すると、白雲がお釈迦様の形に!
思わず神妙に合掌するシン……バカバカしくもシンチーの顔が大真面目なので、こっちもついつい厳かな気分になったりして(ホントかー?)と、と!彼はびゅーん、と地上に舞い戻り、その手のパワーで圧倒的な破壊力を見せるッ!
ああもう、あの巨大な掌の跡が、大地にばん!とばかりに突き、巨大な掌の跡そのままに建物を突き抜ける、壮大なバカバカしさがたまらなく好きだわー。
なんでこんなもんがここまで可笑しいかって、そりゃ、一番高みのもの……宗教の、お釈迦様の、悟り、とこのナンセンスのギャップが、あまりにも、宇宙的なほどに、かけはなれているからだろうなー。
お釈迦様の、あの手が、カンフーの型と重なるというのが、心憎いアイディアでさ。
でもホントは、こんな解読めいたことをしなくても、理由なくバカ笑い出来たシンチーワールドが好きだったんだけどね……。

今回のヒロインもカワイイ子だけど、前作同様ハンディキャップ(とかコンプレックスとか)があるっていうのは、シンチー好みなのかしらん。喋れない(耳の聞こえない?)女の子。小さい頃、如来神掌を頑なに信じ、ヒーローになるんだと決心していたシンが助けた女の子、である。でも今回のヒロインは少林みたいに劇的に克服するというドラマチックさがないんで、今ひとつ印象というか、必然性が薄い。
でもそれでも、二人の思い出のペロペロキャンディーから、シンとその相棒が飴屋を始めて、そこでまた二人が運命的に再会する、というのは、シンチーのギャルソン姿が可愛く似合ってて、なかなか良かったけどさ。
今回のシンチーはホント、ハンサムだったわねー。カンフー映画には不可欠な中途半端な長髪が、ハンサムっぷりに拍車をかける、そういうタイプのカンフー役者は今までなかなかいなかったからねー。
その寝ぼけたような顔がまた母性本能をくすぐるのよ。
脱ぐと実にいい身体!あのカンフー服が実に素敵に似合うのよー。いやー、キャラ確立という点では本作でようやくシンチーがピシャリとはまった気もし。今まではそのナンセンス・センスの素晴らしさにこのヤサ男の風貌が埋もれちゃってた感じだったから。んん?てことは、やっぱりナンセンスは今回やっぱり……弱かったのよね。★★★☆☆


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