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「ら」


2007年鑑賞作品

ラブソングができるまで/MUSIC & LYRICS
2007年 104分 アメリカ カラー
監督:マーク・ローレンス 脚本:マーク・ローレンス
撮影:ハビエル・ペレズ・グローベット 音楽:アダム・シュレシンジャー
出演:ヒュー・グラント/ドリュー・バリモア/ブラッド・ギャレット/クリステン・ジョンストン/キャンベル・スコット/ヘイリー・ベネット


2007/4/27/金 劇場(有楽町丸の内プラゼール)
ドリュー&ヒューの顔合わせは、もっと早く実現しても良かったぐらい、共通するフィーリングの持ち主。勿論、アメリカとイギリスという違いがあり、それが今まで意外に実現しなかったカベなのかもしれないけど、こうして同じフレームで見ると、本当にしっくりとくる。
イヤミのない親近感、隣にいるお兄さん、お姉さんな感じ、なのよね。
しかし不思議だよな。だってことヒューに関しては、完璧な美男子スターで出てきたハズなのに、なぜそんな感じがするのであろう。彼、年を経るほどどんどんロマンティック・コメディになっていくよなー。「モーリス」出身とは思えない(古い)。
まあ、整ったハンサムであればあるほど、役柄を広める意味合いでそっちの方向に逆に傾いていく傾向は確かにあるけど(ジュード・ロウとか)ヒューの場合は彼自身が持つ素のキャラクターのせいのように思う。そのタレ目も要ポイントである。

それにしても、80年代のポップスターというのがね!まるで彼にアテ書きしたようにピッタリ。そりゃ、ヒューが歌を歌っているところなんて見たことはないんだけれども、やっぱりこれも、彼のイギリスのバックグラウンドかなあ。カルチャークラブとか、そんな匂い?かの頃の流行りの、来たるべき20世紀を意識したようなデザイン。フィッシャーのだまし絵をほうふつとさせるような、白の目立つモノクロ。しかしポップなテクノっぽさとか、日本のYMOに通じるようなさ。
冒頭のPVなんて、実によく出来てるんだよね。ヒューもちゃんと若く見えるし(笑)、あの頃の曲調、あの頃のアイドル的ファッションやその見せ方、ちょっと陳腐なストーリーをその中に組み込みながら歌う構成とか、実に80年代っぽいテレくささ。だけど、それを堂々とやれるある意味での洗練が、あの頃にはあったよね。今ではそれをテレもせずにやるのは、困難だもの。

なんか今はこんな風に、80年代を恥の時代みたいに語る感じがあるみたいなんだけど、その頃子供時代を過ごした私としては大いに遺憾なんだよな。少ないおこずかいを握りしめて、レコード(これも古いのだが……(涙))を買ってたんだもの。
まあ、洋楽はあんまり聴いてなかったけど……。
知的で攻撃的な70年代と、虚無を獲得して成熟した90年代以降に挟まれて、バブルに浮かれてアホな感じのする80年代って感じなのかなあ。いや、バブルは90年代か。でもその前哨戦というか。
ヒューの演じる80年代のポップスターは、ニュー・ロマンティックと呼ばれるジャンルで、それはイギリス発祥、デヴィッド・ボウイに影響を受ける流れだという。
やっぱりね。イギリスの要素が、ヒュー演じるアレックスには濃厚なのね。

んでもって、ドリューである。ドリューと歌モノといえば何たって「ウェディング・シンガー」よね。彼女のハツラツとしたキャラクターと歌モノというハレの雰囲気がよく似合う。
正直、本作はストーリーも感情の盛り上がりも、私的には今ひとつピンとこないんだけれど、彼女の元気な可愛さによく似合う、ポップソングというのは嬉しいマッチングである。
「2番目のキス」の時のドリューは、大人っぽくなったということなんだろうけど、頬とかスッキリ痩せちゃってキャリアウーマンという役どころだったりして、なんからしくなくってもったいないな、と思ったもんだった。だけど本作では頬のふっくら加減も戻って、詩の才能にまだ目覚めていない市井な女性だというのがドリューの親近感のわく魅力にそっていて、やっぱりこういうのが似合ってるよな、と思う。それでいてに過去にちょっとキズ持つ身であり、というのも、年相応に用意されているしね。

物語は、もはや忘れ去られた80年代のアイドルバンド「POP」のボーカル、アレックスの現状を映し出す。
仕事といえば、同窓会や遊園地での営業。まあそれでも、かつて熱狂的に女の子をキャーキャーと言わせた彼だから、かつての女の子達は懐かしのアイドルにキャーキャーと言ってくれて、今はそこそこにカネのある彼女たちだから、彼の生計も何とか立っている。
しかしアレックスにはまだまだプライドちゅーもんがあり、懐かしのスター番組の出演は拒否するんである。
いや、それがただの「懐かしのスター番組」なら、カムバックのチャンスとばかり喜んでオッケーしたんだけど、その内容が、「かつてのスター同士ボクシングで闘って、勝った方だけが歌える」という、あまりにイタイ内容だったもんだから……。
まあ、それが彼の実情。しかしそこに思いがけない話が舞い込んでくる。
今をときめく歌姫、コーラがアレックスのファンで、彼に新曲をオファーしてきたのだ。
つっても、それは7人競合のコンペ形式だったのだけれど。
しかし、これは願ってもないチャンス、アレックスは実に久しぶりに作曲にとりかかる……。

で、この歌姫、コーラは無論、かなりのキーパーソンなのだが、演じるヘイリー・ベネットは私も知らないし、今回のオーディションで抜擢された無名の役者(というべきか、歌手というべきなのか)なんである。
その決断にはちょっとオドロキだが、彼女がちょっと、イイんだよな。
コーラが今ヒットさせているのは、ちょっと理解に苦しむようなブッディズムバリバリの曲である。坊さんたちをダンサーとしてはべらせ、合掌しながらクネクネと踊りまくり、その仏の愛でカタルシス、というかオルガスムスを得るような、信仰心とバチ当たりとが紙一重の楽曲。後に彼女がマジソン・スクエア・ガーデンでライヴをする時にも、ステージの真ん中にデカい大仏様が鎮座し、それが現われた途端、客席のファンたちは失神しそうなぐらいの感極まった表情を浮かべるというアブなさ。アレックスも、「イケイケブッディスト」などと彼女を評するぐらいなんである。

しかしアレックスが彼女とよーく話してみると、なんかあんまり仏教のことも判ってないし、普通にロマンチストな可愛い女の子だったりするんだよね。
と、いうのは観ている時には判りようもないんだけど、でもそういう要素を確かに感じさせる彼女。
売れっ子の歌姫だから、アレックスやソフィーとも忙しい時間の合い間しか話も出来ないんだけど、まだまだ若い女の子の素直さや焦りを、カリスマ性の中にほの見えさえる。あまり派手な顔の作りじゃない彼女が、バリバリに踊りまくってオーラを発しまくるのにも、ちょっと目を奪われちゃう。

さて、アレックス。彼には作曲の才能はあるけれども、作詞はカラキシである。売れっ子の作詞家を呼んで書いてもらうも、彼曰くのヒップな歌詞に、80年代ミュージシャンのメロディアスな旋律はどうにも乗りにくい。
しかしそこに現われたのが、植物係のアルバイトで現われたソフィーだった。彼の曲を聴きながら自然に口をついて出た彼女の言葉に、アレックスは耳を止めた。売れっ子作詞家のとってつけたような詩とは違って、女の子の心のウチを覗き込んだようなセンシティブな言葉。
作詞家は、おセンチな曲が作りたいなら勝手にしろ、とばかり出て行ってしまう。アレックスはソフィーを引きとめようとするんだけど、なぜか彼女は私に詩なんか書けない、と頑なに拒否するばかり。

しかしソフィーの姉がかつてアレックスの熱狂的なファンだったことで、ソフィーは姉と二人、彼のライヴ、というか、ある学校の同窓会のステージに出かけていくんである。
かつての女子学生は熱狂的にノリノリ。かつての男子学生たちは、どこかシラけて遠くから見てる感じだというのが、なんともはや80年代がそのまま年取った感じだよなーと思う。あの頃は男の子にとってのアイドル、女の子にとってのアイドルは完全に分かれてたもんなー。
アレックスはどこか違和感を感じながら、ちょっとワザとらしくセクシーに腰を振ってみたりする。かつての女子学生はボルテージ最高潮。しかし彼はそれで腰を痛めたりする(笑)。

この、“どこかに違和感を感じながら”を感じさせる、ヒューの苦笑交じりのパフォーマンスが爆笑モノ。
勿論ちゃんと踊ってるんだけど、なんか見てるこっちが頬を染めちゃう(笑)。
だけどステージに押し寄せるかつての女子学生たちの熱狂ぶりときたら、今のヨンさまに浮かれるおばさまたちの比ではないんである。
ことに、ソフィーのお姉さんが凄い。プロレスラーばりの巨体でムリヤリ彼女たちをかきわけ、一番前に乗り込み、ステージ上のアレックスをはったと見つめながら、彼とデュエット状態で熱唱するのだから!

で、まあこのことが理由って訳じゃなく、アレックスはソフィーをなんとか口説き落として、二人の曲作りがスタートするんである。
この時点でソフィーは自らの過去を明かしてないんだけど、彼女の今の状況がなんとなくヘンだな、って感じはしてるんだよね。痩身エステを経営している姉の仕事を手伝ってはいるものの、友達の仕事の穴をうめたり(アレックスとの出会いとなった植物係ね)、いい年をしてフリーターみたいな趣。

アレックスが指摘したように、確かにソフィーには物を書く才能があったはずなのだ。しかしそれを、一人の男によって潰されてしまった。
それは、いまやベストセラー作家の大学教授。ソフィーが大学時代、教え子だった彼女は、彼に恋をした。しかしある日、彼の婚約者が現われて修羅場になり、結局ソフィーはフラれてしまった。彼の書いた小説はソフィーを題材にしており、その中で彼女は教授を誘惑して作家になろうという、実力もないのに野心だけがある女として描かれているんである。姉が痩身エステを経営していることや、彼女の髪の色やクセまで全て同じ。
ソフィーはそれですっかり打ちのめされて、もの書きの夢から遠ざかっていたんであった。

そんなソフィーに、コーラの歌を書くことで見返してやろう、とアレックスは力説。かくして二人は徹夜で作業を進め、ギリギリに完成したデモテープを専用ジェットに乗り込む直前のコーラに手渡し、彼女から、「この曲を待っていたのよ」という最高の言葉と抱擁をもらうのだ!

この、二人の共同作業の過程こそ、この映画のキモである。まさに邦題が物語っているとおり、いや、原題も物語っているかな。
原題は、「音楽と詩」まさにそのことで、作業中アレックスとソフィーは激突、まではいかないけど価値観の相違を見、だからこそ、それを突き破った時に名曲が生まれるわけだ。
音楽はセックスのようなもの。詩は恋愛の感情そのもの。
チャチャッと詩を作って、なんて、最初のうち言っていたアレックス。
だけどソフィーは、気持ちがノらなければ、言葉なんて出てこない、と拒む。

男と女の恋愛に対する思いの違いが、実に顕われてるよな。セックスで達する男と、感情で達する女。音楽と詩は、男と女そのものなのかもしれない。
それがかみあわない歌も確かにある。あの売れっ子作詞家が作ってきた、アメコミに出てくるようなセクシーな女がクネクネしているような詩なんて、まさしく男の作ったセックスそのものの詩。それとアレックスのメロディーがかみ合わなかったということは、やはり彼のメロディーはソフィーの詩を待っていたのだし、彼はフィジカルなセックスだけの男じゃなかったということなのだね。
それを双方で担当し、素晴らしい歌が作り上げられた時、最高のセックス=恋愛が生まれる。
実際、その時、二人は最高のセックスをする。
それからが、問題なんだけれど。

おっと、アレックスとソフィーが結ばれるには、ひとつの出来事がありまして……コーラに曲を採用されたことを祝おうと、アレックスのマネージャー夫婦と二人が食事をしていたレストランに、ソフィーのトラウマの男、あの大学教授が現われたのだ。
とたんにソフィーは萎縮して、トイレに閉じこもってしまう。
彼に会ったら言いたいことはいっぱいあった。頭の中でシュミレーションしてた。なのに……震えるソフィーにアレックスは、言うべきだと、今がチャンスなんだと励ます。ボサボサのカッコに臆するソフィーのためにマネージャーの奥さんが着ていた赤いドレスを借りて、意を決してソイツの元に行くソフィー。だけど……やっぱりノドがつまっちゃって、言えないのだ。
見かねたアレックスが彼女の気持ちを代弁しようとすると、この男ってば、サイテーなことに、「誘惑してきたのは向こうだ」、ってこの期に及んでまで言いやがる。
女が男にホレて、キモチを寄せるのが誘惑だっていうのか。それで向こうが仕掛けてきたから悪いというのか。オマエはその時、自分が婚約者持ちだということを隠して、その誘いにぬけぬけと乗ったというのに!?

このサイテー男に殴りかかってしまうアレックス。
アレックスの部屋に帰ってきた二人、ソフィーは、「彼は、まだ私に影響力がある」と落ち込んでいる様子。でも、アレックスはとにかく憤ってて、なんであんなサイテー男にこだわっているんだ、と息まく。
ソフィーはアレックスのキズを冷やしながら、あなたは勇敢だったわ、と……まあ、そんなこんなでなんだかそういう雰囲気になっちゃって、二人はピアノの下でメイク・ラブ。
ピアノの下でのメイクラブはロマンチックだけど、起きた時に頭をぶつけないようにね、と思ってると案の定、翌朝、二人ともしっかり頭をぶつけて起床である。

さて、流れにまかせてセックスした後が、恋愛に発展するかどうかの瀬戸際なんだけど、その日、遊園地で興行のあったアレックスについていったソフィーは、彼女の前もあってか懐メロスターである自分に自嘲気味のアレックスに、「メロディに意外性があって、とても新鮮だった。誇りを持つべきよ!」と背中を押すのね。
それは多分、彼が聞いたことのない言葉だったんじゃないのかな。彼もまたソフィーと同じく、どこかでアキラメと妥協の気持ちで来ていたんだと思う。ソフィーが言うようなこと、考えたこともなかった。でも音楽を捨て切れなかったから、自分にはそれしか出来なかったから、ここまで細々とやってきたってことを、忘れてたんだよね。

流れでのセックスはしかし、そこまで高まっていた二人の気持ちでもあったことをここで確認した、と思ったんだけど、まだひと波乱あるんである。
コーラが二人の曲を採用してくれたのはいいんだけど、インドのリズムとダンスでメチャクチャにアレンジされちゃって、アレックスのメロディアスな旋律も、ソフィーの繊細な詩も、まるで意味をなさなくなっちゃってたのだ。
確かにコーラがどういうキャラかを紹介する登場の曲は、まさにブッダエロテロリストとでもいった趣で歌詞の意味も何もないのだが、二人で作ったこの歌を、そんな風に意味のないものにされてしまうことを、ソフィーは憂えるのね。
しかしアレックスは、ソフィーがコーラに物申そうとするのを止めるんである。
「君のキャリアはたった6日間だろ!」そう言って。
彼の言うことは判るけど、ムダにキャリアを重ねたことで見えなくなってしまった部分があるってことだよね。
それにコーラはなんたって、アレックスのファンで、歌を作ってほしいと依頼したんだもの。
同時に依頼している人たちが沢山いたとしても、きっと彼女は、最後の最後に届けてくる彼の歌が、自分の待っている歌だと信じていたんだもの。
「この曲を、待っていたのよ」あの台詞を思い出せば、きっとそうだもの。

コーラから追加の歌詞を依頼されて拒絶するソフィーに、アレックスはついつい言ってはいけないことを言ってしまう。
「僕もあの本を読んだ。彼の言うとおりだ。君は出来ないことに逃げ出す。そんなのは完璧主義じゃない。ワガママなだけだ」
泣きながら出て行ってしまうソフィー。作詞能力ゼロのアレックスは万事休す、恐る恐るコーラのレコーディングスタジオに出かけていって、「単語を並べただけなんだけど、逆に斬新じゃないかと……」と申し出ると、意外やコーラからは、「もう、ファックスもらってるわ」と。
コーラが歌いだした追加の歌詞は、ソフィーの心の叫びが綴られていた。
駆け引き(交渉)よりも、ヒラメキがほしい。インスピレーションとネゴシエーションと韻を踏んだ言葉の響きがくすぐる。
アレックスはすぐにソフィーと仲直りをしようとするんだけど、彼女は姉の出す新支店の支店長に決まったといって、首を横に振るばかり。なすすべもない。
これはもはや修復不可能かとも思えたのだが……。

いよいよ新曲お披露目の、マディソン・スクエア・ガーデンでのコーラのライヴである。新聞にはアレックス参加の記事。臆するソフィーだけれど、姉家族と共に出かけて行く。
コーラがアレックスを紹介する。彼の書いた曲だという。ソフィーの名前が出てこないことに姉は憤り、ソフィーはもうダメだとばかり会場を辞しようとすると……。
披露されたのはコーラの新曲ではなく、アレックス一人だけの弾き語りだった。それはソフィーへの思いを綴ったラヴソング。
作詞の才能のない彼は、ただただ彼女との思い出をぎこちなく綴るだけで、それはソフィーと姉たちにしか判らない内容なんだけど、なんだか聴衆も聞き入ってしまう。
涙を浮かべて戻ってくるソフィー。

うーん、でもまー、ここ、そんなに聞いてて感動的だったわけでもなかったけど。
バックステージに飛び込むソフィー。アレックスと抱き合い、そこで聞こえてきたのが、アレックスとコーラのデュエットによる新曲。コーラは作詞者としてソフィーの名前をコールする。あの怪しげなインドのアレンジが消えていた。
アレックスは、コーラを説得したんだという。彼女は素直でロマンチスト、だから判ってくれたと。必殺の殺し文句は、ソフィーを取り戻すため。その一発。
アレックスの背中を押すソフィー。ステージでコーラとのデュエットをする彼を笑顔で見つめる。セクシーなダンスもなく、なんのてらいもないデュエットだけど、ソフィーが心を込めた詩がダイレクトに伝わってくる。
客席には最初にイケイケの作詞をした、あの売れっ子作詞家もいて、なんとなーくフクザツな表情で聞き入っている。

彼が、この曲が採用されたと知った時、「おセンチな歌が採用されておめでとう」と皮肉な言葉をぶつけたけど、それって確かに言いえて妙だよな、とも思う。
確かに欧米のヒット曲とか直訳してみると、意味ないとまでは言わないけど、かなりナンセンスな言葉のゴロだったりすることが多いような。
それを暗に批判しているようにも思える。こういう歌詞作りって、日本の方が理解出来そうな感じ。
でも、日本みたいにそういう感情の流ればかりで、ハッキリとしたコンセプトが見えにくい歌ばかりってのも、問題だと思うけどね。

歌の途中でバックステージに帰ってきて、ソフィーと抱きあうアレックス。それをステージからニコニコと見つめるコーラ。うーん、なんという判りやすい大団円。
ラストクレジットでは、アレックスとソフィーが一緒に暮らし始めて共同作業をしている様子が描かれる。二人のトリビアがプロフィールさながらに描かれていく。アレックスがかつてのスターだったこと、ソフィーがあのベストセラー小説のモデルだったこと。そして二人は数々のヒット曲を連発し、あの小説の映画化は大コケで、評論家からも酷評されたこと。
ドリューは可愛かったし、ヒューとのコンビネーションもバツグンだったけど、恋の盛り上がりのドキドキがあんまり感じられなかったのは、あまりに二人のコンビがバッチリすぎたからなのかなあ。まあ、楽しかったけどね。★★★☆☆


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