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「り」


2007年鑑賞作品

リアル・フィクション/SHILJE SANGHWANG/REAL FICTION
2000年 84分 韓国 カラー
監督:キム・ギドク 脚本:キム・ギドク
撮影:ファン・チョリョン 音楽:チョン・サンユン
出演:チュ・ジンモ/キム・ジナ/イ・ジェラク/ソン・ミンスク/キム・ギヨン/ミョン・スンミ


2007/3/7/水 劇場(渋谷ユーロスペース/キム・ギドク監督特集/レイト)
いまや恐ろしいほどの完成された作家性を持っているギドク監督が、どこか若さに溢れた学生映画のようなアイディアのこんな作品を、初期には生み出していたことにちょっと驚く。
もう一人の自分、というより、隠している心の暗部、といったもの、それは無論、誰でも持っているものだけれど、それをドッペルゲンガーのように具現化させる。
ここにはギドク監督作品に必ずあるものが、何もない。娼婦もいないし、水のイメージもない。一番大きいのは、主人公が男性であるという点。勿論、他作品でも女性をメインにしながらも、そこには彼女と関わる男の意識こそがハッキリと見えてはいたけれど、主人公も、あぶり出していく意識も、男性、というのは、他には殆んどない。「春夏秋冬そして春」ぐらいか。でもあれだって、水のイメージはハッキリとあったし、女性も関わってきていたし、やっぱり全然違う。

広場で、青年が似顔絵を描いている。美青年ではあるけれど、何だか無気力で、客に対してもお愛想ひとつ言うわけでもない。肖像画屋(っていう表現もへンだが)やヤクザが、そんな彼をことあるごとに小突いている。彼は何ひとつ反応することなく、ただ目の前の客を黙々と描いている。
そんな彼を、黙ってカメラで撮影している白いワンピースの少女がいる。ファインダーを覗きながら、彼の周りをぐるぐると回る。……一体どういうことなのか、なんだか不思議な構図。
撮られている彼は彼女に頓着することもなく、しかし、信頼関係のもとに撮られているという風でもない。そして周りの雑音がバンバン入ってきて、いつもある程度の距離を保った引きの画で、なんだかドキュメンタリーのように思えるんである。

その少女は、彼がひとしきりヤクザに絡まれた後、彼の前に座る。描いてもらう。「本当に上手ね」そして、「あなた、いつも騙されるのね」と言い、「お金がないの。別の方法で払うから、ついてきて。きっと気に入ると思う」とさっさと歩き出した。
「いつも騙される」と言われているのに、彼は彼女についていった。彼女に騙されるとは思っていなかったんだろうか。“別の方法で払う”だなんて、身体で払うと言っているようなものだ。彼もそう思っていたんじゃないのか。それともただ、無気力に彼女についていっただけなのか。
彼女が入って行った建物には、「もう一人の自分」と書かれたモノクロのチラシが貼ってある。一瞬、そのチラシに足を止め、彼女について入っていく彼。
誰もいない暗いステージに、一人の男が彼を迎えた。挑発し、銃を突きつけ、殴り、蹴った。なす術もなく、抵抗する力もなく、やられるがままの彼。一体彼は、なぜこんなにも無力で、無気力で、無抵抗なのか。

実際、似顔絵を描いている時も、まるでやる気がなさそうに見えた。ヘッドフォンで常に外界から自分を閉ざしていた。そのヘッドフォンは公衆電話を盗聴しているんだけど、かといってそれに興味深そうでもなく、うつろな目で、目の前に来た客を淡々と写し取るだけだった。
その場所を牛耳っているヤクザや、勝手に彼のマネージャーになって稼ぎをピンハネしている肖像画屋がいいように彼を利用しているのに、それを気にしているのかいないのかも判らずに、ただ小突かれ、カネを取られ、つまらなそうに描くばかりなのだ。
そしてここで彼は、最初のうちはその延長線上で、この男にただただやられるばかりだったのだが……。

このステージ上の男は、ひたすら彼を挑発にかかる。カメラを回している白いワンピースの少女の前で彼をはがいじめにし、ムリヤリ彼のモノをしごいたりなんてことまでする。これにはさすがの無気力青年も顔をゆがめ、床に倒れこんで泣き出してしまう。
男は、彼の人生を全て知ってる。軍隊時代に年下の男にアゴで使われたことも、親友に恋人を取られたことも、レイプの疑いをかけられて刑事から散々暴力を振るわれた上、容疑が晴れたら「これで何か食いな」とはした金で片付けられたことも。
今のカノジョでさえ、他の男と浮気している。それら全てが、今の彼の無気力につながっているのだ。人生のどん底、彼はそう思ってる。そんなことさえ、口に出さないけれど。

男にひとつひとつ暴かれていく彼は、まるで忘れていたことを思い出すように、その憎しみの感情を甦らせていく。無気力だった顔がこわばり、憎しみによって生き生きとしだすのは皮肉なのか。
男に渡されたカラの拳銃で、そのにっくき奴らを一人一人片付けていく。引き金を引いてもカチャリと軽い音がするだけで、これはストレス発散の自己啓発セミナーなのかと思っていた矢先に……その拳銃が火を吹き、男は倒れた。
返り血を浴びた彼は呆然として、そこを飛び出す。
少女はその間、ずっとカメラを回し続けていた。この事態にも、眉ひとつ動かさず。

彼はまず誰の元に行ったんだっけ……彼の稼ぎをピンハネしている肖像画屋のところだったかな。ちょうど、このスタジオにヌード写真を撮りに来ている女がいて、先に払って、としきりにコイツに言っている。単なる肖像画屋ではなく、なんかこすい商売をしていることが覗われるんである。
そこに訪ねてくる彼。このこすい肖像画屋をぶっ殺す。そして出て行く。次のターゲットに向かって。カーテンから中を覗き、驚いた顔をするヌードになった女。しかし冷静に、コイツの尻ポケットから札束の入った金を抜き取っちまうんである。

そして彼は、現カノの元に乗り込む。の、前に描かれるのは、この現カノが男とヤッている場面。切り花を敷きつめて、その上で激しく絡み合っている。背中にささったバラのトゲをこの男にとってもらう彼女。
男は「良かったか?」と聞く。……一番サイアクな質問だ。黙ったままの彼女に、「あいつより俺が好きだろ」彼女は黙って頷く。本気なのか、この場を治めるためなのか判らないけれど、サイアクな浮気をしていることは判る。
浮気男が出て行き、彼女が片づけをしているところに、彼が入ってきた。あまりにも直後だったのでうろたえる彼女。彼は床に散らばった花の下に、脱ぎ捨てられたパンティを見つけてしまう。
そして浮気男が忘れていった携帯に、そいつから電話がかかってきた。「今度は百合の花の上でヤろう。いい匂いがするぜ」。彼は逆上して電話を切り、引きつった顔の彼女に、あの無表情で迫っていく。
彼は彼女を殺した。その死体は、浮気のベッドになっていた切り花によって、やけにアーティスティックに飾り立てられている。駆けつけた刑事は、「イイ女だ」とながめる。ソイツこそ、無実の彼を拷問した刑事だった。

彼は、恋人を横取りした昔の友人の元に向かう。そいつは彼女と結婚したけれど、その後別れてしまっていた。幸せであってくれたなら諦めもついたのに……彼の中では、それが一番苦しい記憶だったらしい。
この友人は、精力剤に使うヘビの輸入販売の会社に勤めている。インチキでニセモンを高額で売りつけるような会社だが、その中でもコイツは役立たずである。
久しぶりに会った彼に対して、後ろめたい気持ちを抱えている友人は戸惑いを隠せない。彼はなぜ彼女と別れたんだと聞く。あっちから誘ってきたんだよ、それにアイツはカネが目的だったんだ。漫画房なんて、カネが稼げるわけがない、そう友人は悪びれずに言い、精力剤のヘビを勧めまでするんである。
彼は、友人の持っていた毒蛇の入った袋をコイツの頭からかぶせ、ぐるぐる巻きにしてしまう……ここでは、ちょっとワザとらしさが目立ち、ヤラれる友人が自らやられやすいように動いているのが見えてしまう。
断末魔のあがきを見せる友人、そこから立ち去る彼、を俯瞰で見せるのは効果的だけど、クロースショットから俯瞰への流れも、キッチリ教科書どおりという感じで、判りやすいけど、スリリングじゃない。今のギドク監督なら、こんな構図は多分使わないんじゃないかなあ。

更に彼は向かう……今度は、その元恋人のところへ。
彼女がやっている「漫画房」ってのは、どうやら漫画喫茶、いや、漫画図書館といった雰囲気。可動書棚も使ってギッシリと漫画が詰め込まれた一室で、彼女がつまらなそうに店番している様子がまず描かれる。
この漫画房、時間ではなく冊数で料金が決まるらしい。それじゃ、一冊だけで時間を潰す輩は出てくるだろう。
実際、いつもいつも同じ一冊ばかりを読んでいる男がいる。オタク、もう、見ただけで判る。イケてない髪型に古くさいメガネに極めつけはザック、あまりにも判りやすいアキバ系、ま、アキバじゃないけど。
しかもコイツ、この彼女に懸想しやがって、「結婚して、一緒に店をやろう!君はレジに座っているだけでいい」と彼女をヤッちまおうとさえする。彼女は悲鳴をあげ、このオタク男を撃退するんだけど、コイツの台詞ときたら、何なの。じゃあ、お前は何すんだよ。この店での仕事といったら、レジに座って本を元の位置に返すだけじゃないの。

そんな彼女の、乾いた日常がまず示され、そして彼がやってきた。一目見て驚いて目を見張り、客で来ていた子供たちを帰す彼女。
今までの流れから、彼は当然彼女もまた憎んでいて、血の目を見るんだとばかり思っていたら、彼は元恋人である彼女に対してだけ、愛しげに接するのだ。
彼女は夫と別れ、夢だった漫画房を切り盛りしてはいるけれど、家賃も滞っているようなお寒い状況で、だからこの再会はやけにドラマティックに思えた。
彼女もまた、その孤独を、そして彼に対する引け目を、久しぶりに会ったかつて愛した人に、おずおずとながらも、待ちかねたように全力でぶつけているように見える。彼はそんな彼女を抱き締め、キスをし……その後の暗示は、カットされる。それが怖い。ただ彼女との気持ちを確かめあったと、なぜ思えないのだろう。
だって、そのシーンの他は、彼の持った拳銃は例外なく火を噴いているんだもの。

彼が広場の席を外している間に、客の椅子に座っていた女もその標的になる。多分彼女は描いてもらうために待っていたのではなく、ただ椅子が空いていたから座っていたのだろうと思われる。席に戻ってきた彼は、黙々と描きだす。彼女は受け取り、金も払うけれども、少し離れた場所で、彼から確実に見える場所で、その絵を破り捨てるのだ。
こういうことは、結構あることなのかもしれない。今までの彼なら苦々しく思いつつも、見過ごしていたのかもしれない。しかし「もう一人の自分」を見つけてしまった彼は、それが出来なかった。エンピツを尖らせ、彼女の後をつけてトイレに入り、ざっくりと突き立てた。

そして彼は、軍隊時代にヒドイ扱いを受けた、今は肉屋で腹ぼての女房とのほほんと暮らしている男を冷凍庫に閉じ込め、無実のレイプ容疑で拷問した刑事(コイツがまた、そんなこともあったかな、みたいな小憎らしい態度なのだ!)を消火器で殴り殺し、ショバ代をまきあげるヤクザ三人組を飲食店の中で次々に射殺する。
そして……あの少女が、相変わらずカメラを構えて彼についてきていることに気づく。この、一人外側にいるかのような態度をとり続ける少女は、そのシンプルな白いワンピースのいでたちもあって、まるで幽霊のように気味悪い印象になってくる。
だって、彼女は目の前で人が殺されても、叫び声ひとつ上げず、カメラを回し続けているのだもの。

そして、ついにイラだった彼によって、少女が犠牲になった。その時ばかりは、少女の怯えた表情がとらえられた。この時も彼女が落ち着き払っていたら、もっと怖かったかもしれない。
カメラは床に落とされ、彼女の血溜まりが出来た。床に落ちたカメラは、ナナメの角度で、彼が去っていく姿をとらえていた。
……ていうショットもね、ありがちだよね。これも今のギドク監督ならやらないような気がする。なんか、感覚がことごとく若い感じがするのよね。

あの広場に戻ってくる。彼が殺したはずのヤクザが、相変わらずならず者ぶりを発揮している。え、なんで!?コイツらは彼が殺したはずじゃなかったのか……。
しかし三人が絡んでいるのは彼ではなく、やはり同じ広場でぬいぐるみを売っている男である。この男だけがショバ代に応じず、脅しにもヘコヘコ頭は下げながらも、のらりくらりとかわしてきた。彼からは容易にカネを巻き上げるヤクザが、この、単なるオッサンからはなぜ取り立てられないのか。別に強くもないし、弁が立つわけでもない。ただ、のらりくらりと交わし、殴られてもヘコヘコしているだけなのに。
しかしこのオッサン、豹変する。彼が、いわば“フィクション”の中でしか豹変できなかったのに、オッサンは、いきなり体当たりでヤクザを刺し殺し、及び腰の子分たちに、捨て鉢の威嚇をするんである。それを彼は見ているのかいないのか、かなり遠目の俯瞰なので判らない。そうこうしているうちに、ホワイトアウトし、カット!の声がかかる。
そうだ、フィクションからリアルに戻ってきたかと思いきや、これもまたフィクションだったのだ。

最初は、白いワンピースの少女が彼を追うドキュメンタリーを撮っているのかと思った。彼も撮られるがままだったから、了承済みなのかと思ってた。
でも、違う。彼女は彼にターゲットを絞り、ただ勝手に撮り、そして彼の中の「もう一人の自分」を引き出したのだ。何が起こっても、彼女はただ、ファインダーを覗きながら、淡々と彼の周りを回る。ぐるぐるぐるぐる回る。
彼が人を殺してさえ、全く動じずに、撮る。彼女の存在こそが、フィクションの証しだったのだ。だって彼の殺しは結局、“フィクション“だった。「カット!」の声がかかって、全てが判明した。
でもその「カット!」の前のホワイトアウトが、気にならなくはなかった。あれは、リアルをフィクションとする儀式としての幕で、彼にとってはこれは現実であり、決して幕引きなどされていなかったんじゃないの。

それどころか、ステージの男によって示された彼の過去だって、事実だったのか。「リアル・フィクション」であり、カメラを回す少女が既にフィクションを現わしている状態では、それさえも明らかではない。
あるいは、現場でカメラを回すだけで、ドキュメンタリー(あるいはニュース映像)であると思い込んでいる傲慢を、シニカルに示しているようにも思える。
後に彼があの男がいた場所に行っても、そこには貼られていたチラシも何もかもがなくなっている。全てが、夢のように消えていた。

「リアル・フィクション」どんなにリアルでも、リアルではない。
これはあくまでフィクション。それは、映画そのものがそうだということが最終的なテーマということだろうか。
あの、これは来るな、と思った「カット!」の声と、スタッフが集まるラストシーンに、そう感じた。
ただ、主演の彼にテレビカメラが集まった時、彼が撮影を終えて笑顔を見せるでもなく、劇中の延長線上のように硬い表情を崩さないままなのが、ちょっとドキリとした。
映画から外れても、彼が、劇中の彼のように、どこか暗示にかかっているように見えて。

ザ・フィクションとでも言うべき現在のギドクワールドは、そのフィクションを極限まで突き詰めているからこそ出る恐ろしいまでのリアリティがある。
それを思うと、この学生映画のような作品が、この先のギドク作品を予言しているようで、非常に興味深い。★★★☆☆


リトル・ミス・サンシャイン/LITTLE MISS SUNSHINE
2006年 100分 アメリカ カラー
監督:ジョナサン・デイトン/ヴァレリー・ファリス 脚本:アイケル・アーント
撮影:ティム・サーステッド 音楽:マイケル・ダナ
出演:グレッグ・キニア/トニ・コレット/スティーブ・カレル/アラン・アーキン/ポール・ダノ/アビゲイル・ブレスリン

2007/1/31/水 劇場(渋谷シネクイント)
今回の賞レースでの、いわばダークホース的存在って感じかしらん。アメリカ映画にしては、ちょっと意外なタイプの映画の快進撃。アメリカ映画的なコミカルと明るさがありながらも、ヨーロッパ的なシニカルや暗さがその中にずっしり内包されているというか。
ただひとり明るい存在だったはずの一番下の娘でさえ、最後には人生とか社会の荒波にもまれて下に突き落とされてしまうという……でも皆して下に突き落とされたはずなのに、その最後はなぜか明るく、むしろマトモに戻ったような気になってしまう、やはりそこらへんはポジティブなアメリカ映画なんである。

最初っから、自殺未遂の鬱病の叔父さんを、その妹が迎えに行くところから始まるんである。その始まりはいっきなりシリアスである。目を離したらまた自殺を試みる可能性があるから、ナイフやハサミは決して周りに置かないでください、そんな忠告を受けて、兄のフランクを迎えに来たシェリル。
そしてこの新しいゲスト、フランクが加わることになるフーヴァー一家。父親のリチャード、母親がこのシェリル。ヘロイン中毒でむっちゃエロジジイの祖父と、物静かっていうにはあまりに静かすぎる息子のドウェーン、そして下の娘のオリーヴ。
物語は、このオリーヴのミスコン参加が軸に、展開されていくのね。

オリーヴはまだ小学校1、2年そこそこで、こんな小さな女の子たちのミスコンが行われているというのもオドロキだが(ミスコンっつーか、ダイレクトに美人コンテストね)、彼女はミスコンのビデオを観ながら受賞した時の驚き方までをも熱心にシュミレーションしているんである。
でもね、後に彼女が参加する決勝大会で、「ひとりだけレベルが違う……」と父親のリチャードが娘が傷つくのを心配して参加を取りやめさせようとするように、そんな感じのコじゃないのよ。

それは、彼女がミスコンに出る、それも決勝大会へ!という設定から、え?彼女が?と抱いていた疑問。
おっきなメガネをかけている時の方がカワイイ。よほどの近視なのか、メガネを取ると目が小さく見えるんである。
メガネをかけてると、目がくりくりと大きく、まっすぐで子供らしく、大人が微笑んでしまうような女の子。
つまり、そういう部分で選ばれたんじゃないかと思えるような。彼らが住んでいるアリゾナはそんな、平和な田舎町ってことなのかもしれない。

地方予選で2位だったオリーヴが、1位の不正が発覚し、繰り上げ当選になっての決勝大会出場、てなわけなのだが、そのあたりもビミョーだよね。2位だから、こういう子供らしいコを選んでおいてもいっか、ということだったのかもしれないし。
ま、とにかく、そんなわけで彼女が決勝大会出場とあいなり、孫と共にミスコンに賭けてきた祖父は当然行く!と大はりきりだし、こんな状態のフランクをドウェーンと共に残していくわけにもいかず、結局家族全員でミニバスを運転し、会場へと向かうことになるんである。

なのにこの車、途中でブッ壊れちゃって、下り坂、あるいは押しての勢いでしかエンジンがかからなくなっちゃう。んで、押して押して、エンジンがかかってから皆が順番に飛び乗るわけ。時には肝心のオリーヴを忘れちゃうなんてベタなお約束もありつつも、これがなんともはやユーモラスで、道中何度も繰り返すうちに何だか家族の絆が深まっちゃうのよ。
それでも会場に着くまでには、一波乱も二波乱もあるわけ。とにかくエロジジイのおじいちゃんは、オリーヴがヘッドフォンで音楽を聞いているのをいいことにエロ話を連発、ドウェーンに向かって、「15で童貞?できるだけ沢山の女とヤれ!」としつこく言い、フランクにエロ本を買ってこさせたりするありさまである。
ドウェーンが15歳っていうの自体が、ちょっとオドロキだけど……。あ、だって演じる彼、実際は軽くハタチ越えてんじゃん。いくらなんでもサバ読ませすぎだろー。

父親のリチャードは、自分の企画が出版されるように友人を頼りに売り込んでて、その契約が取れるか否かの瀬戸際にあり、旅の最中もそのことばかりを気にしてる。自信満々の「成功への9段階のプログラム」ってヤツなんだけど、友人の反応はニブく、どうも雲行きが怪しい。
しまいには業を煮やして、モーテルで客から借りたバイクに乗り、契約相手のいる高級ホテルに半ズボン姿で乗り込むなんてハズかしいことまでする。しかもその友人から、「どこの社にも企画が通らなかったんだよ!」と失笑まじりに言われるもんだから、勝ち組の論理で生きてきたこの父親は叩きのめされちゃうのだ。

しかもリチャード、義弟であるフランクとはとにかくソリが合わない。自分を落伍者だとまで言うリチャードにフランクはかなりムッときてて、結構ケンカ売っちゃうんだよね。
レストランでアイスクリームを食べようとするオリーヴに、フランクは学者らしく「アラモードは当世風という意味」などと講義すると、父親は「アイスクリームの主成分は脂肪と糖分。つまりこれを食べるとデブになる。ミスアメリカはデブか?」などと応酬。ヤなやっちゃなー。勝者となるために子供らしい欲望も取り上げるなんてさ!
父親の言葉に、一度はアイスクリームを諦めるオリーヴだけど、「やっぱり待って!」と言って幸せそうにスプーンを突っ込むところが、カワイイのよね。
さて、そのオリーヴを演じるアビゲイル・ブレスリンは今回の賞レースの助演女優賞を騒がせている小さな女優。タイトルはオリーヴの参加するミスコンの大会名だし、彼女の存在がとにかく大きいのだ。

パイロットを目指して沈黙の誓いを9ヶ月も守っているお兄ちゃんのドウェーンは、世間ばかりか家族を拒絶してる雰囲気だし、父親は弱者を拒否する差別的でイヤなヤツ。
母親はまあマトモな大人だけど、そんな夫に最近とみにイライラしているみたいだし、祖父は常に文句ばかり言っているガンコな、しかもエロジジイ。
そして新しく入ってきた叔父のフランクはといえば、人生を賭けた仕事を失い、同時にゲイの恋人へ失恋により、自殺未遂しちゃった鬱病患者と、あまりにもネガティブ。
なのに、オリーヴだけは太陽のように明るいの。父親が叔父を否定してもそんなことどこ吹く風で、天真爛漫に自殺未遂の理由を聞いたりする。そしてソレに対しても驚きはするものの、スポンジのように何もかもを吸収する。
子供って、素晴らしいな。いや、オリーヴだからか。

そして彼女が、子供ながらも押し殺した不安を、旅の途中のモーテルで、父母がケンカしはじめて動揺したのか、信頼するおじいちゃんにぶちまけるシーンがまた、いいんである。
「おじいちゃん、私、かわいい?負けたらどうしよう……。」感情が高ぶって泣き出す。えー!これって演技!?マジ泣きにしか見えない!恐るべき小さな女優!
パパは勝ち組しか認めてない。もし自分が負けて負け犬になってしまったら、パパに愛してもらえなくなるのだろうか……。
「お前は身も心も本当にキレイな女の子だよ」本当のミスコンはそここそを見なければいけないのに。
もちろん、おじいちゃんだから、孫は一番に可愛い。でもそういうことじゃなくて、「負け犬っていうのは、挑戦する前に諦めるヤツのことだ。オリーヴはそうじゃないだろ?お前は誰よりも可愛いよ。明日は楽しんでこい」と励ましてくれる。でもその翌朝、おじいちゃんはベッドの中で動かなくなってるんだ……。

って、ええっ!?おじいちゃん、死んじゃうのかい!しかもその死体を家族みんなで越境させようとするのにはビックリ!
それはもう、大会開始時間が迫ってて、すぐに出かけなければ間に合わない。一時は諦めようと思ったんだけど、オリーヴの晴れ姿をずっと楽しみにしていたおじいちゃんのためにも、連れて行きたいとリチャードは主張したのだ。でも、病院の事務方はとにかくシビアで、全然融通をきかせてくれないわけ。
事務的に「沈痛に処理」しようとして、事務的、のボロが出ちゃう女性担当官がコワかったなー。そこをなんとか、と食い下がるリチャードに一転、声を荒げて「今日亡くなったのは、お父様だけじゃないんですよ!」って、ええぇ……それはいくらなんでも……。

で、リチャードは渡された書類に一切サインせずにゴミ箱に投げ捨て、窓からおじいちゃんの遺体を運び出すという暴挙に出る!
モロモロの契約書にサインしなければ、州間ではタッチできないってことなのか。だからあんな無謀な策に出られたんだ。日本じゃ考えられないアイディアだけどねー。
日本なら、浪花節で乗り切っちゃった気がする。それこそ死んだおじいちゃんに孫の晴れ姿を見せてあげたい、みたいな。
結局、コンテストの最中、おじいちゃん車に置き去りだから、あんま意味なかったけどさ(笑)。

今回、一番この旅に乗り気じゃなかったお兄ちゃんのドウェーンなんだけど、この旅の中で一番翻弄され、成長を遂げるのは彼だったかもしれないな。
ドウェーンはパイロットを目指し、ニーチェに傾倒して沈黙の誓いを立てている。母親のシェリルはフランクを家に連れてきた時、この息子の部屋に泊めることにし、「物静かな息子だから大丈夫」などと言う。9ヶ月も喋ってないなんて、物静かにも程があるだろー。
でも彼は、フランクと心を通わすんだよね。最初こそはぎこちなかったけど……。夕食のシーンなんて、テーブルの向こう側に二人して隣り合ってこっち向いて座って、何を喋ることもなく(まあ、ドウェーンは喋らないんだけど)じっと固まっているのが可笑しくてさ!
その席で、あまりに強者の論理ばかり振りかざすリチャードにヘキエキして、「いつもこんな感じなのか?」と思わずドウェーンに聞くフランク。“家族も含めてみんな大嫌いだ”と筆談するドウェーンに、フランクはため息まじりにナットクしてしまう。
就寝前、“自殺しないでね”というメモを見せるドウェーンに、「君に迷惑はかけないよ」と返すフランク。すると、“地獄へようこそ”フランクは、「君の言葉は深いな。哲学的だ」なんか二人、通じてるよなー。

でもね、ドウェーン、家族もみんな大嫌いと言って、パイロットになりたい願掛けってタテマエでずーっと口を聞いてないけど、実はいいお兄ちゃんなんだよね。
ミスコンなんてクソだと思ってても、妹の夢のためには同行することに(パイロットスクールへの入学という条件付きとはいえ)同意するし、おじいちゃんが突然死んでしまった時、妹に「ママをハグしろ」と(もちろんメモで)指示を出すと妹は素直にそれに従うあたり、口をきかなくったっておにいちゃんとの信頼関係が確立されているっていうのが判るしさ。
そして、何よりそれが顕著に判るのは、彼が実は色弱でパイロットにはなれないと判った時なんである。
そうなんだよねー……これが旅の途中で判るっていうのも、しかも会場に到着寸前で判るっていうのも、あまりに出来すぎっちゃあ、出来すぎなんだけど。

それまでの静けさがウソみたいに取り乱すドウェーン。車の中で暴れまくる。土手の下に転がるように落ちていって、もうイヤだ、もう行かない。頼むからボクを一人にしてくれ!と実に久しぶりの声を出す。
でもね彼、家族の誰の説得もきかなかったのに、オリーヴがそっとそばに来て黙ってハグしただけで、気持ちを切り替えたんだよね。
ここまで妹の夢を叶えるために来た。彼だって9ヶ月も黙って黙々と身体鍛えたりして、パイロットの夢への思い入れは強かったはずなのに、そうやって切り替えられるのが、いいお兄ちゃんとしての成長を遂げたって感じなんだよな。ちょっとじーんとしちゃう。

途中、クラクションが壊れてナサケナイ音を連発させるもんだから、白バイに止められて危うく遺体が見つかるか!というハプニングもある。路肩に止められるミニバスを引いたカメラがとらえると、バックにゆっくりと動いている重機がやけにユーモラスである。
しかしその危機を救ったのが、おじいちゃんがフランクに頼んで買い求めさせたエロ雑誌だったっていうのがナイス!「俺の大好きな雑誌だ」とニヤニヤする警官に、アイマイな微笑みを浮かべてゴマかすしかないリチャード。しかもその下からフランク用のゲイポルノ雑誌まで出てきて、警官が面食らうのには爆笑!
そういやあ、この雑誌を買った時、フランクは失恋相手と彼をとられたライヴァルに再会してて、逆にその時にはストレートのポルノ雑誌に好奇の目を向けられていたんだよね。
でもその時、ある意味フランクはようやく現実を見つめることが出来たのだし、それもまたおじいちゃんのおかげだったってことなんだ。

そういやさ、あのとにかくイヤなヤツでしかなかったリチャードもさ、おじいちゃんが死ぬ直前になってようやく同等というか、理解し合えたのよね。
それが、リチャードが転落したことによって同じ位置に並んだ、というのはなんとも皮肉だけど……あ、でも最初から高いところになんていなかったのか。登れもしない高いところに憧れて足場の悪い上級者用コースをムリして登ってただけ、ってなコトなのよね。
とにかく勝ち組礼賛者だったから、義兄であるフランク(兄じゃなくて、妻の兄に対してよ!)に平然と落伍者呼ばわりするトコから、なんてイヤなヤツだなと思ってさ、よくぞこんな素直なオリーヴが育ったもんだと思ったけど、彼もまた負け犬に転落したわけで。バカにしていた義兄や父から急に同情の目で見られて、いたたまれなくて。
父親から、「よく頑張った」と言われて頷くしかないなんてね……。
「諦める人こそが負け犬なんだ」それは、おじいちゃんが孫娘に言っていた台詞なのに、今度は彼が娘に対して言うなんてね……。
あ、そうか。自分の父親であるこのおじいちゃんに、彼はそう言われて育ったんだな、きっと。で、その部分を忘れてて、勝ち組にならなきゃという一身で頑張ってたんだ。

ギリギリでミスコンの会場に乗り込むと、それまでスッカリ忘れてたけど、オリーヴってやっぱり、ミスコンなんて雰囲気のコじゃないのよね。
他の女の子たち、というより会場の雰囲気そのものがあまりにもハリボテのようにツクリモノなもんだから……。大人のミスコンの外見だけをそのままコピーしたような、ケバいメイクにくるくるに巻いた髪、ハデな衣装で色っぽい流し目を送る女の子たち。
その中で、オリーヴだけがナチュラルメイクでまっすぐな髪を束ねただけ。しかもキューピー人形みたいなキュートな幼児体形。でも大人の目からは、こんな女の子こそがカワイイと思っちゃうのに。

水着から始まる衣装の数々もオリーヴだけが地味で、舞台上で彼女は居心地が悪くなってくる。司会者も絡みづらそうだし、何より客席から見守る父親がハラハラ。母親は楽屋で待機しているし、お兄ちゃんとフランクはこの華々しい雰囲気がニガテでロビーや会場の外で待機しているもんだからさ。
しかし、ラストに逆転一発!いやいやブーイングの嵐!?自慢の特技を披露する、ってな段になり、もうレベルが違い過ぎるから、恥をかくだけだからやめようという家族の声を尻目に、落ち着いた表情で壇上に上がるオリーヴが披露したのは、あのエロジジイが振りつけた、トンでもないセクシーダンス!
この“ハレンチなダンス”には、ミスコンの化けの皮、はがれたり!と思って、もー、拍手喝采!

これに対してね、審査員のオバサマが即座に目くじら立てて、「あんなハレンチな子、つまみだして!」と言うのが、象徴してるのよね。だって、ほんの子供が踊っているダンスなんだよ?いわば、大人のパロディであるダンスを“ハレンチ”だと言うってことは、このミスコンの、大人のまねっこしているケバい女の子たちが、まさにそれを売り物にしているのを承知しているってことじゃない。つけまつ毛して、大人に流し目してウインクしたりさ。それって、小児ポルノになりかねない。

でもそれを、あまりに直球に示されたから反応したんでしょ。答えはこれだろ!みたいな。あのエロジジイがそこまで判って考えた振りつけかどうかは定かじゃないけど、そのナイスな皮肉が引きずりおろされそうになった時、娘への、そして妹、そして姪への愛情だけで、阻止し、家族みんなしてセクシーダンスを壇上で披露するヘタレな感じがなんともいいのよねー。おっかしいんだけど、なんか泣き笑いしちゃう。
しかも、更にいいのがね、審査員に招かれてた、オリーヴが憧れているミス・カリフォルニアだけがそのダンスに眉をひそめず、笑顔でノリノリで拍手してたことなんだよね。
それは、ミス・カリフォルニアだから、そんな態度をとっちゃいけないってことだったのかもしれないけど、笑顔だけじゃなくて、手拍子までしてくれてたのがさ。
そして、遅刻したオリーヴたちを融通を利かせて受け入れてくれたスタッフのおじさんも、ただ一人、大拍手してくれてたのも、なんか笑っちゃいながらもジンとくる。
彼もまた、このうそ臭い子供ミスコンに違和感を感じてたんだろうな。

二度とカリフォルニアのミスコンに娘を出すな、というお達しを受けるも、まあ、無事葬儀の手配もすんだし、家族は仲良く帰途に着くんである。
失ったものは、沢山ある。死んでしまったおじいちゃん。流れてしまった出版の企画、夢だったミスコンの優勝とパイロット……でも、何か、目に見えないものが確かにその手の中にある。
人生も家族もなんだか可笑しなことばかりだけど、案外捨てたもんじゃないのだ。★★★★☆


竜馬暗殺
1974年 118分 日本 モノクロ
監督:黒木和雄 脚本:清水邦夫 田辺泰志
撮影:田村正毅 音楽:松村禎三
出演:原田芳雄 石橋蓮司 中川梨絵 松田優作 桃井かおり 粟津號 野呂圭介 田村亮 外波山文明 山谷初男 天坊準 田中春男 平泉征 石井[尢宜]一 伴勇太郎 秋元健 西村克巳 赤石武生 田中筆子 川村真樹

2007/5/24/木 東京国立近代美術館フィルムセンター
「原田芳雄と石橋蓮司が白塗りで抱きあっている」と聞いた時から、その理由だけで、うう、これは観たいぞ!と思ってしまったのは、そりゃあまりにも不純な動機だったのであった。有名な映画であり、やっと「スリ」で黒木映画の面白さ、凄さに目覚めた私にとっては憧れの映画でもあったけれど、なんせ私はスバラシく歴史に疎いもんだから(もー、日本史も世界史も散々な成績だったさあ)幕末、新撰組、薩摩藩、坂本竜馬などなど、ファンの多いこうした世界の映画を観ることに腰が引けていたのも事実なんである。

とまあ、こうして書いていてもかなり腰が引けているのだけれど(爆)。でも多くの映画や小説がそうであるように、誰に、なぜに竜馬が暗殺されたのかというナゾを様々に推測する点に焦点が置かれているんであって、更に言えば、それによってあぶりだされる、恋や友情といった青春の物語なんである。と言ってしまうにはやはりかなりの異色さが漂うのだが。いや、異色というより異様といった方が正しいだろうか。異様な気迫。

まず、このモノクロ。そしてタイトルクレジットの出方といい、折々に差し挟まれる、「竜馬は……ナリ」「当時は……ナリ」というサイレント時代みたいな解説字幕も、時代劇華やかなりし頃の映画を模している風があり、並々ならぬ挑戦的なものを感じるんである。ああでも、こういうのってATG的挑戦的視線って感じもする。他の映画と同じことはやらない!っていうような気迫は、ATGが製作したどの映画にも感じるものだからなあ。
そして、男優たちのギラギラしたパワーに圧倒されるんである。やはり、今の俳優には残念ながら感じられない、身体からじわりとにじみ出す、言いようのないギラギラ感である。
特に竜馬に扮する若き原田芳雄のギラギラ感ときたら、容赦ない。それでいて女にヨワい男の飄々とした軽みも持ち合わせているんだから、ああやはりこの人は、黒木監督に愛された男なだけあるんである。ふんどしいっちょの後ろ姿で、ぷりぷりとしたお尻からやたらに長い骨ばった足がにょっきりと生えているセクシーショット?にもドキドキとしてしまう。いやあ、男の野性味っつーのはこーゆーことなのよね。

竜馬暗殺の謎解きでこの映画が最も斬新なのは、幕府が手を下したとする通説には従わず、「倒幕派内の内ゲバである」という仮説を打ち立てたところにある、という。……って言われても、だから私は歴史に疎いから、ダメなんだってば。そういやあ途中、「侍同士の内ゲバによる抗争もしょっちゅう……ナリ」とかいう解説も差し挟まれる。冒頭、竜馬はそうしたキナくさい空気を感じ取って、逃げ出してきたわけだ。

彼を追うのはかつての同志であり親友である、陸援隊々長・中岡慎太郎。これを演じているのが石橋蓮司。わ、若い!って当たり前だけど、そして確かに石橋蓮司の顔なんだけど、なんか石橋蓮司って今の顔で完成形みたいなイメージがあったから、若い、完成されていない顔の彼が、この揺れ動く中岡にシンクロしてやたらにカワイく見えてしまうのはおかしいのかしら。
いや、おかしいよなあ、確かに。だって石橋蓮司の若い頃の映画だって結構観ている筈なのに、なんでそう思うのかしらん。
ああそうか……原田芳雄が、彼も若いんだけど既にビシッと完成されている感じがするからかもしれない。そしてこの役柄、竜馬を斬れと仲間たちからヤイヤイ言われて、斬るさ!と言いながらも友情の気持ちがどうしても捨てきれずに、訪ねてみたらいなかったとか、あるいは竜馬に言いくるめられて結局は最後まで彼に刃を向けられない中岡が、やっぱりなんともカワイイんだよなあ。

そしてもう一人、薩摩藩士の肝いりで竜馬をつけねらっている、右太という少年。演じているのがなんとまあ、松田優作である。松田優作が少年という設定なのも驚くが、彼が原田芳雄や石橋蓮司から「あのワッパ」と呼ばれるのにも驚くんである。
右太は実は、竜馬が逃亡先でちゃっかりねんごろとなった、幡という女の弟である。瀬戸内の漁村から出てきた右太が、殺し屋という稼業についてしまい、しかしそのことにもまだ葛藤があり揺れているのを竜馬などは見抜いていて、アッケラカンとした口調で寡黙な彼に何かと話しかけたりするもんだから、右太はなんだかいつのまにかペースに巻き込まれ、気付くと(って略しすぎだが、まあそんな感じ)同じく言いくるめられた(ってわけでもないのだが)中岡とともに三人、行動を共にしているんであった。
うっそうとした黒々と重たい髪の毛の下から、鋭いながらも戸惑いを見せる小さな瞳が印象的な松田優作。若さゆえのギラギラはありながらも、今の自分の立ち位置に不安や疑問も感じてる。野菜売りのおばあちゃんを抵抗されたハズミでうっかり殺してしまった時に見せる、激しい動揺がそれを如実に示している。

しっかし中岡慎太郎に扮する石橋蓮司の、竜馬への思いが深いゆえの優柔不断さが、実にチャーミングなのよね。
今の幕府はぶっ潰さなければいけない。その点では竜馬の思いと一致している筈なのに、それによって新たな権力が生まれることにまで思いを馳せている竜馬に、「お前も権力のことしか考えてないのか!」と単純な理想主義者である慎太郎はくってかかる。竜馬が言葉を尽くして自分の考えを説明すれば、そりゃ彼だってそれが竜馬の思慮深さだということぐらい判るんだけど、そのことによってやはり竜馬より自分が劣っていると思うのがイヤなのか、判っているハズなのに、裏切り者!とばかりに抗いまくるのよね。
いや、多分慎太郎は心の中では、さすが我が友、竜馬だと思っているんじゃないかと思われるフシもある。そんなアンビバレンツな思いを抱えながら、目的は同じなのに敵同士になってしまうこの切なさ。しかし竜馬に肩入れする慎太郎を、彼がどんなにそうじゃないと言ったって仲間たちが見抜かないはずもなく、監禁状態におかれてしまうのね。

さて、本作の白眉はなんたって、そんな慎太郎に会いに敵地に乗り込む竜馬が、集団舞踏“ええじゃないか"の群れに紛れて、白塗りで女装し、あられもなく踊りまくるクライマックスなんである。もうひたすら、ええじゃないか、ええじゃないかと囃したてながら、白く塗りたくって着物もはだけまくった群集が踊りまくり、町を練り歩く。それは町人たちが心待ちにしている一大イベントらしく、あまたの人々が両手を突き上げてええじゃないかを連呼するそのエネルギーたるや、スクリーンからあふれんばかりなんである。

それにしても、これほど白塗りの女装が似合わない人もいない原田芳雄、もうそのカッコをしただけで爆笑必至。このおぞましい(笑)いでたちでよくもまあと思うんだけど、彼はまんまと敵地に乗り込み、慎太郎を救い出すんである。そして慎太郎も白塗りの仲間になり、右太もまた白塗りにさせられ、逃亡する白塗り男の三人の風体は、だって、原田芳雄、石橋蓮司、松田優作ってなメンツだよ!!そりゃー、強烈に異様に決まってるでしょ!
松田優作の白塗り女装姿が拝めるとは、いやあ、驚いた。映画の世界ってのは、ホント奥深くて驚くわ。唇の真ん中だけ紅を差すっていう舞妓メイクを男がやると実にマヌケで、白塗り男が現われる場面だけで噴き出してしまうのよ。

しかし石橋蓮司はミョーに似合っているのよね。若い頃の石橋蓮司って、確かにガタイは大きいんだけど妙に繊細なトコがあって、なんか、似合っちゃうのが不思議。それはつまり、竜馬に対しての慎太郎というのがやはりそういう、親友なんだけどネコ役的な部分があるからなのかしらん。
それを示すように、白塗りのままの二人が抱きあって寝ているという衝撃のシーンが!いやこれは、爆笑のシーン!しかもそれがね、先に示した価値観の違いで、斬るか斬られるかの大喧嘩をした後で、もう疲れて寝入っちゃっている、みたいな雰囲気で、石橋蓮司が原田芳雄の胸にすがりつくような形で腕を回して寝ているんだもん!もうこれは完全にネコでしょ!いやー、笑った。
目を覚ました慎太郎が狼狽して慌てて身を起こそうとするところを、竜馬は女を抱いている夢でも見ているのか、半分寝ぼけて彼のあられもないところをまさぐろうとするもんだから更に爆笑。しかも二人、白塗りなんだよ!もー、こんな衝撃の場面、見られないって!

一方で二人は、一人の女をめぐって争う仲でもあった。いや、争っていると思っているのは慎太郎の方だけか。竜馬とかつて関係があった妙とお互いに思いあっているのに、慎太郎は妙がいまだ竜馬のことが好きだと思い込んでて、竜馬がいくら言って聞かせてもダメなわけ。
で、そのことで口論になり、身を潜めている土蔵の中、渡した板の上で決闘状態になる二人なんだけど、偵察していた男が連絡に現われると竜馬ったらあっさり「おぅ」と身を翻しちゃうもんだから、慎太郎が呆然と立ち尽くしてしまう、という場面も可笑しくってね!やっぱり慎太郎は竜馬に可愛がられているというか、からかわれているというか、つまりは敵わないんだよなあ。
それに、竜馬は逃亡先で肌を合わせた幡に情を感じている。ケラケラと笑い、ひとときもじっとしていないような彼女、竜馬にすがりついてすやすやと眠る幡に、「ぬくい女だな……」といとおしげに見つめてる。しかし彼女もまた、のっぴきならない状態にあった。彼女の客であった新撰組隊士・富田三郎を、痴話げんかのハズミで殺してしまったのだ。

薩摩に帰って臨戦態勢を整える、という竜馬に、彼女を連れて行かないのか、と問う慎太郎、そして「俺を連れて行くとなぜ言わないんだ!」とダダッ子のような、今にも泣き出しそうな顔で言うもんだから、ビックリしちゃうんである。な、なんてカワイイことを言うんだ!というか、やはり慎太郎の本音はそこにあったのか。敵味方になるんだと、もう最後の夜だから忌憚なく飲もうと言ったのに、酔いに任せてしかそれを言えない慎太郎の可愛さに胸がキュンとなってしまうんである。ああ、石橋蓮司をカワイイと思うなんて、思ってもみなかったさあ……。

しかしその夜、右太が殺され、そして竜馬と慎太郎も突然押し入ってきた何者かに殺された。頭からバッサリかち割られた竜馬の、目を見開いた顔に黒々と流れ出る鮮血。真上からのアングルで捕らえ、畳にまるで墨汁のような血だまりが出来ている中にバッタリと倒れている二人の画は、血が真っ黒に見えるコントラストのハッキリとしたモノクロの異様な迫力とあいまって、一幅の画のように美しくさえ見える。
一人、逃げることができたのは幡。ええじゃないかの群に紛れて、振り返り振り返り、消えていく。たった一人の目撃者が消えたことで、この事件は謎となった、という結末。

竜馬が「オレだ、竜の字だ」と慎太郎に言うシーンが好きなのよねー。いかにも二人が長年の親友、って感じで。慎太郎に狙われても動じず、「今まで何度も斬られそうになってる」と泰然自若としている竜馬が、このひと言で慎太郎と一気に気持ちを通じ合えるのがさ!
そして、おっぱいもバッチリ出しまくりの幡を演じる中川梨絵は、さすがロマポルの人気女優ってだけあって、躊躇がなく、そのアナーキーな演技は本作を象徴する要ともなっている。
寝ている自分を竜馬がそっと置いて出て行く場面、静かに目をあける表情や、二人の非業の死を見届けて、ええじゃないかの群に紛れて去っていく、その振り返った、遠くを見つめる瞳といい、アッケラカンと笑って、おっぱい丸出しで竜馬に迫りまくるシーンとの対照で、心に残る。ヤラしいけど、ヤラしくない、何か突き抜けたカッコよさがあった。★★★★☆


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