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「て」


2008年鑑賞作品

デトロイト・メタル・シティ
2008年 104分 日本 カラー
監督:李闘士男 脚本:大森美香
撮影:中山光一 音楽:服部隆之
出演:松山ケンイチ 冠徹弥(声) 加藤ローサ 秋山竜次 細田よしひこ 鈴木一真 高橋一生 宮崎美子 加藤諒 大地洋輔 大谷ノブ彦 美波 大倉孝二 岡田義徳 ジーン・シモンズ 松雪泰子


2008/9/5/金 劇場(錦糸町TOHOシネマズ)
いまだにホント、不思議な俳優だと思うんだけど、なんか徐々に、一番作品を待っている人じゃないかしらん、松ケン。
この役なんか、Lに匹敵するほどのハマリようで、それが同様に白塗りで、もとの印象を消し去る役だってことが奇妙なようで、彼の魅力を端的に示しているように思う。
この人っていうのはスターとして不可欠な筈の個性を身につけないところが魅力になっている、稀有な人なんだよね。ひと言で行ってしまえば柔らかさなんだけど、そうカンタンに言い切れない底知れなさが魅力。
作品ごとに全く顔が違って見えるところなんか、20代の頃、ガンガン飛ばしていた浅野忠信のようでもあり、そう考えると彼の今後は本当に楽しみになってくるんだよね。

で、本作。もう予告編から爆笑必至の世界観。正直、観た後の印象では、よくあるガッカリ系の映画のように、予告編で面白いところを全部紡いじゃってるじゃん、という気もしたんだけど。
つまり、予告編のドライブ感の方が本編を上回っちゃっている感があったんだけど、でもそれでも、そこは松ケンのなりきりぶりで持ってっちゃったんだよなあ。
そりゃここまで徹底したメイクをしちゃえば、誰だって素とはガラリと印象を違えちゃうけど、その元の“ゴボウ君”である根岸君の状態からして既に、いくらギャグマンガが原作だからってと思うぐらいの暴走気味のなりきりぶりで、それがワザとらしくも見えず本気で根岸君になりきっているように思えるのも凄くて。

で、その根岸君の中身のまんまで180度どころか、四次元的に違う世界のキャラ、クラウザー様になってしまうこの衝撃。
しかし更に凄いのは、確かに中身は根岸君のまんまのクラウザー様だから、そのことに落ち込んだり、恋のトキメキにウキウキしたりするギャップに笑わせられる一方で、クラウザー様そのもののキャラに彼が没頭する、つまり、クラウザー様に外見も中身も100パーセントになりもするもんだから、もう二重人格どころじゃなくてさ。
それは、根岸君が元来マジメな性分であることと、好みの違いはあれ、音楽を愛していることが絶妙にリンクするが故の、変身なのだよなあ。
そしてそういう資質は、なんだか役者としての松ケンの柔軟な魅力にも通じるかも??なんて、それってもうすっかり松ケンにハマってるってことじゃん(汗)。

根岸君が大分の田舎から、母親に見送られて東京へと出てくるシーンから始まる。マッシュルームカットで、オシャレな生活を夢見ている彼は、オシャレな音楽で身を立てたいと願ってる。ソフトで心地よいポップスを心から愛し、大学の同好会でも尊敬される存在だった、んだけど……。
なぜだか、何がどうしてそうなったのか、映画ではぜっんぜん語られないけど(まあ、原作で語られているかどうかも判らんが……)彼は、そんな自分の志向する音楽とは正反対どころではないぐらい違う世界の、悪魔系魔界系破壊系地獄系、もうどう表現したらピタリとくるのか判らないけど、ヘヴィなデスメタルロックの世界で、カリスマ的な人気を博してしまうのだ。そのバンドがデトロイト・メタル・シティ=DMC。

このデスメタル系にも想起させるミュージシャンはいるけど(実際、KISSのジーン・シモンズが特別出演してるぐらいだし!なんてシャレの判る人なんだ。スゲー!)、根岸君がもともと憧れているオシャレ系音楽は、そのものズバリ、90年代に世を席巻した渋谷系と呼ばれるものであり、彼の口からも小沢健二 、コーネリアス、カヒミ・カリィといった代表的なミュージシャンの名前が出てくる。
根岸君の携帯の着メロは、今もCMで耳なじみのあるフリッパーズギターの「恋とマシンガン」だし。あの頃は、そんな心地のいい音楽が皆の欲求と一致した、いわば幸福な時代だったのだよなあ。

原作がいつの時代を設定しているのかは判んない。それこそ、そんな渋谷系の時代なのかもしれないけど、今こうして、突出したミュージックシーンもないような時代だと、あの心地よさが力を持っていた時代って、ほおんとに、幸福だったような気がするのね。
でも一方で、それに対するデスメタル、という図式は、所詮その世界が生ぬるいと断じているようにも感じるし。
でもそこまで極端になると、それがギャグになるっていうのが、この作品の根幹の部分であったりするっていうかさ。

確かに渋谷系の音楽が、音楽だけではなくライフスタイルも牽引する世界に、当時の若者(私もかろうじて入ってた(汗))は、憧れたし、そんな風になりたいと願ってた。
でも一見、優しくてラクに見える世界も過酷で、渋谷系で最前線にいた人が、……だったり、あるいは最初からそれを持ち上げた世間なり私たちなりが、その真の価値や意味するところを判ってなかったりしたってことが、今になってあぶり出されてきた気がするんだよなあ。

それに対するデスメタルっていうのが、まあどっちにしろ私は専門外だから(逃げを打ってるわけじゃ……打ってるんだけど(爆))、反社会的な図式に見えながらも、それがエスカレートすると地獄だの魔界だのと、思いっきり世界を作っていけるあたりがツッコミどころ満載のギャグにも通じ、つまりは意外に許容範囲が広いあたり、強烈に見えて、生き残っていく世界観なのかも、と思う。
だって、ピアノ教室のガラス窓をへだてて、苦悩したりウキウキダンスしたりする魔界メイクのクラウザー様に、子供が怯えるギャグシーンなんて、真剣にデスメタルを追求している人だったら、怒りそうなもんじゃん……(しかし、この場面は、ほんっと最高!)。
でもそんなクラウザー様に、デスメタル対決で、ジーン・シモンズ扮するジャックは引導を渡しちゃうんだもん!(おっと、それは後述)

クラウザー様に時にはなりきりながらも、もとはゴボウ君である根岸君は、常に苦悩しているんである。女を次々にレイプするなんて伝説のクラウザー様に、レイプなんて……ボクは童貞なのに……なんてね(笑)。
ことに、大学時代から彼にとってのマドンナだった相川さんが、自分の作っていたオシャレな音楽のファンだった、のみならず、どうやら好意を寄せてくれていたらしいこと、再会した今もまんざらでもないらしいことを感じ取って、根岸君は有頂天になりながらも、同時に苦悩のどん底に陥る。
そりゃそうだ、今の彼は、彼女の嫌悪する音楽をやっているんだから。
タワーレコードで偶然再会し、DMCは「殺害」とか「レイプ」とか、サイテーだよね、と言う彼女に、彼もまた賛同するしかない。ひたいに「殺」とか書いて、バカみたいだよね、と。それはお前だろうと……(笑)。
でもこの台詞って、最終的に、その「殺」って言葉を、ジャックと対決するために「KILL」と書き換えることが、ファンに「クラウザー様は本気だ!」と叫ばせて(……その程度でかよ!)、すんごいエポックメイキングな要素になっているんだよなあ。

相川さんと再会したタワレコでインストアライブがあるのに、カフェでのデートを約束したがために、必死にライヴ会場とオシャレなカフェを行き来する場面は、サイコーに可笑しい。
ある意味、DMCのファンはすんごい、寛大だよね。クラウザー様が中座しても、また一人レイプしてきたんだ、さすがクラウザー様とか、勝手に擁護しちゃうんだもん(擁護なのか!!??)。
道路を挟んだ会場とカフェとの間を、段々メイクも衣装もアヤフヤな状態で行き来する彼は、白塗りのメイクも落としきれず、ブーツを脱ぎ忘れ、衣装の上から慌てて私服を着て、そのいかり肩を「最近、鍛えてるから」と苦しすぎる言い訳。
しかしそれを、「そうなんだ」と笑って納得する相川さん、アンタ、天然にもほどがあるだろ!!!(爆笑)

もともと相川さんは、根岸君がやっていたオシャレ系音楽が好きで、そんなオシャレを紹介する雑誌の編集部に勤めていたりするし、オシャレなマルチプロデューサーとイイ感じになったりしてて、根岸君をやきもきさせるのだ。
このプロデューサー、アサトヒデタカ氏は根岸君にとってもアコガレの存在で、だから彼女とのデートで彼のプロデュースするオシャレ系ショップに行った時も興奮状態だったし、ミュージシャン志望ならそこの簡易ステージで歌ってみないと言われて、もう気合い入りまくりだった。
でも、ブリブリ歌う根岸君に客は引きまくりで、アサト氏も、お遊戯はやめてくれないかと冷たく言い放つ。
そうなのよね……客観的に見ても、オシャレ音楽をやろうとしてる根岸君はかなりサムい。
ただ、そんな根岸君を、相川さんはやっぱりうっとり気味に見つめてて、彼のこと、好きなんだよなあ。
やっぱりちょっと、彼女は変わっていたのかもしれない(爆)。そのあたりの表現はあまり大げさにはしない、加藤ローサはあくまでカワイイマドンナ。

でもそんな相川さんにアサト氏は目をつけて、彼女を遊園地デートに誘う。
そのことを彼女から知らされた根岸君は、しかし止めることが出来ない。
つーか、その時、彼の後輩である佐治君が、根岸君が目指していたオシャレ系音楽で成功を収めつつあって、なんか彼はショックを受けちゃったんだよね。
しかもそのデートを追跡してみたら、遊園地でイベントライブをする佐治君にも遭遇しちゃうしさ。
でも佐治君、根岸君のことすごい尊敬してて、だから今、こうして音楽やってるんだもん。で、相川さんをつけていた根岸君に気付いて追って、トイレまで追いつめて、しかしトイレから出てきたのはバッチリコスチュームとメイクのクラウザーさんで!!!
苦し紛れにもほどがあるだろ!メイク道具はまだしも、なんでそんなかさばるような衣装を持って歩いてんの!とゆーか、そんな衣装を持ち歩いている風情じゃなかったじゃん!(爆笑)

でもね、こんなオシャレ系の音楽をやっている佐治君なのに、デスメタルなんて軽蔑したって良さそうなのに、彼は驚きながらも、クラウザーさんですよね?と握手を求めるのよ。やっている音楽は違うけど、その圧倒的な存在感に、凄いと思っていたって。
この台詞、観てる方にはすんごい、染みたんだけど、受けるクラウザー=根岸君は割とスルーしちゃって、ちょっと残念な気も。
イベントに緊張している後輩に、歌ってみろよと心の中では先輩の気持ちで、クラウザー様は言う。彼好みの心地いいオシャレな曲に、ノリノリで踊り出す。それに合わせて、後輩も踊る。(感動的なだけに……バカバカしく、いや、バカバカしいのに感動的(笑))
「クラウザーさん、なんだか僕の尊敬する先輩に雰囲気が似てる」と彼は感慨深げな面持ちで、探しに来たメンバーと共に、ハレの舞台へと去って行く。

そして根岸君は、クラウザー様の姿のまま、相川さんにベタベタするアサト氏にブチ切れ。その流れで?なぜかショーステージに乱入、そこで特撮スターとして仕事していたのは、クラウザー様を心酔するメタル野郎たちで、クラウザー様のご登場に感激した彼らは、泣き出す子供たちを、更にシメあげるという暴挙に(笑)。
そして、DMCならびにクラウザーのアラワザにガマンの限界だった相川さんは、この異様な状況を特に疑問に思うこともなく(ってあたりがスゴイのだが、そこらへんを強調しないのも惜しいような気も)、クラウザー様にくってかかる。
一気に素の根岸君に戻って、虚を突かれてしまう彼。時は台風のような嵐が吹き荒れて、銅像が倒れてくるのから、相川さんをかばう根岸君、もとい、クラウザー様。「僕だって、こんなこと、したくないよ」その声音は、根岸君だった。彼女は気付いてしまう……。

根岸君はもう絶望して、田舎に帰っちゃうのね。もともとそれまでも、狂信的なファンよりも、更にキョーレツに思い込みの激しい女社長に苦しめられていた。
彼女は根岸君がデスメタルに才能を示していると確信していて……何をしてそう思ったのか定かではないんだけど、単にちょっと脅せば言うことを聞くからっていうんじゃないのと思わなくもないんだけど(爆)、でも、デスメタルの純粋なる信者である彼女には、なんか、超越した眼力が備わっていたのかもしれない。
この女社長を演じる松雪泰子のぶっ飛びぶりは、イヤー、最高である。松ケンにさんざ火のついたタバコを押し付けたり飛ばしたり、更に蹴り倒し、押し倒し、その現場を見られて相川さんに誤解されるなんて悲劇もあり。

「お前を真のデスメタル野郎に調教してやる!」と、高笑いしながら根岸君の部屋をメチャクチャにし……連れてくるのが獰猛そうなドーベルマンだっつーのが、なんかあまりにベタで(爆)。
しっかしこの場面、脱色した髪にハデなメイク、革のミニスカにアミタイツ姿で根岸君にまたがり、彼のシャツをはだけまくっているってんじゃ、そりゃー、オシャレ系に生きてきた相川さんが「サイテー!」と逃げ去ってしまうのも、仕方ないよな……。
音楽を作る原動力は恋なんかじゃない、憎しみだと、根岸君はこの辛すぎる体験から奮起してしまう。それが、女社長の言うところの、根岸君の才能ってヤツだったのかもしれない。

なぜか全国区にのしあがってしまったDMCは、その流れを受けて続々と生まれたメタルバンドを潰すツアーを敢行。
ラップ対決でドベタなダジャレを繰り出すクラウザー様に、「ラップなんてダジャレだろ」っていう本質を突きつけちゃってて、爆笑。
更に衝撃、いや笑撃だったのは、ガールズバンドのライヴに乗り込んだ時。中空のゴンドラでスタンバってたクラウザー様、いや根岸君は「DMC=デタラメ・マザコン・チェリーボーイ、ウマイこと言うよなー」とノンキにウキウキしてて(やはり根岸君はM気味だよな……)、しかし「クラウザー、ここから飛び込むんだよ」「ええっ!?そんなのヤダよ!」
しかしムリヤリ押し出された彼の首には、チェーンが巻きついて、首吊り状態!!!そんなクラウザー様の自虐的なお姿にも、大興奮のDMCファンのバカモノら!!
ステージでガンガン演奏してた女の子たちも「なんて恐ろしい男なの……」とおののいているけど、実際のクラウザー様……いや根岸君は「苦しい……死ぬ……助けて」とマジで死にそうになってぷらーんとぶら下がっているっていうのが、爆笑だけど、でも、危なすぎるわ!!

で、なんかエピソードが大分前後しちゃったけど、そう、疲れ果てた根岸君はDMCを捨てて田舎に帰っちゃう。
のどかな、自分の居場所。なついてくれる牛がまず、自分を癒してくれた。しかし、家に帰ってみると、母親がDMCのTシャツを着てて、しかもそれはファンクラブとかそういう限定したところでしか買えないもので、その原因は、弟がDMCに心酔したからだったのだ。
しかもその素直で可愛かったはずの弟、クラウザー様に心酔するがあまり、学校にもロクに行かず、家の手伝いも拒否して、ワガママ放題の状態だという。

根岸君は自分のせいでそんなことになったと苦悩する……かと思いきや、その後の行動が早い(笑)。
クラウザー様として弟の前に “君臨”し、見事な鎌さばきを見せて草むしりをし、農機をブイブイ運転し(まるで農家の息子!と絶叫する弟が(大笑))、そうした全てに、デスメタルへの理由づけをする。
帝王学を学んで世界を征服する、そのために大学に行ったんだとして勉強もするべきだと諭し、まさか兄だと思ってない弟は、ボクが間違ってました!と心酔しちゃうんである。
しかも、ダサイと断じていた兄の髪型が、「あれは高度な公然ワイセツの形だ!」チ×コの形だと(ギャー!)。そう言われてみれば似ている(爆)って、そう聞いたら、もうそうしか見えなくなるじゃん!しかも、×××の状態に!!!!おおーいい!!
……こんな風に説得させられればねえ……ラクかもしんないけど。でも、この場面は、田舎ののどかな風景とのギャップと、ありえないぐらい即信じちゃう弟のリアクションともなって、すんげー、面白いけどさ。

更に、その翌日、家族一緒に正座して、日本の朝食を満喫しているのも可笑しすぎる。デスメタルメイクで正座して、お茶碗のゴハン、食べるなー!!
でね、お母さんは、多分、気づいてたんだよね。いや、それを明確に示唆するトコはなかったけど、絶対、気付いてたと思う。
弟がクラウザー様によって改心し、クラウザー様と入れ替えに根岸君が戻ってきて、お母さんは息子を散歩に誘うんだもん。
そこは、彼女が息子に渡したお守りをもらった神社。上京する息子に長寿のお守りなんて関係ないだろ、と苦笑した根岸君。そして、この時も手渡されたのは同じ、長寿のお守りだった。
クラウザーさんに会ったら、渡してと言われた。いくら東京にいるっていったって、フツーに生活してたら会えるわけない。だからつまり、お母さんは最初から、息子が帰郷する前から、気付いてたんだよね。東京で活躍しているDMCのクラウザー様が、愛する息子だってこと。

東京のメンバーから荷物が届く。そこには、自分の夢を叶えてくれるのはクラウザー様しかいない!という熱い思いがこもってた。
ま、いつも「ブルマ食いたい」とつぶやいているドラムのヘンタイ野郎は、餞別のブルマを送ってきてるんだけどさ。
いつもいつも、「そんなんじゃ、濡れねえんだよ!」とタバコの火を飛ばしてくるドSな女社長も、DMCのCDに、「NO MUSIC NO DREAM」とマジックで大書してその中に収めていた。その台詞は、根岸君の口癖。彼にとってはその音楽は、オシャレ音楽だったわけだけど、でも、それはみんなにとってのクラウザー様なのだ。

根岸君は東京に向かう。な、なぜかもう、電車の中でクラウザー様になっちゃう(早すぎだろ!)新幹線では、運転席に陣取る(ナゼ!!)それを、どこかでキャッチした狂信的なファンが、写真を撮って(どうやってだよ!!)仲間たちにメールで送ってくる。
これはまさしくクラウザー様!と歓喜し、お迎えにあがるファンたち。東京駅からクラウザー様のカッコのままで全力疾走(!!!タクシーとか乗ったほうが早くねえか……)。
歌舞伎座の横を通り(えっ)、勝鬨橋を渡り(ああっ)、月島もんじゃストリートを爆走!……そこまで行ったなら、築地の市場ぐらい、横切ってくれよお……。

そしてデスメタルの帝王、ジャックとの対決を迎える会場へ到着、もうそこからは壮絶なメタル対決になるんだけど、ちょ、ちょっとこれが、私……ちょっとカッコイイかもとか思ってしまった。
うう、飲まれてる……飲まれてるぞ、私!すっかり私もこの、クレイジーな信者たちと同じ気持ちになっちゃってるじゃないのお。
でもこのライヴシーンは、まあナンセンスな要素がハッキリありつつも、なんかそれも含めてカッコイイと思ってしまうほどの畳み掛けるカットで、凄い迫力でさ!まあ、狂牛を「べえべえべえ」と手なづけちゃうクラウザー様はアレだが……。

そこへ、相川さんも駆けつけてくる。遊園地でのクラウザー様が根岸君だと気づいて、そしてこんなに沢山のファンにとっての夢が彼なのだと気づいて、彼女もまたいつしか「GO TO DMC!」と叫んでる。
ステージの大爆発で倒れたまま動かないクラウザー様は、しかしファンの声の中に相川さんの声を聞き、立ち上がる。
そして感動的なのは、自分の後を継いでくれと、ジャックから命であるギターを譲り渡されたこと!しかしそこで、「今こそ、僕の音楽を判ってくれる!」と思ったクラウザー様、もとい根岸君、うう、悪い予感……。

♪甘い、甘い、甘い恋人ー

やってもうた……。あの、腰をクネクネさせて、ウキウキと歌う根岸君、しかしそのカッコはクラウザー様なのだよっ!!!
唖然とし、これもまたクラウザー様の試練なのか、と必死に耐えながら、その甘すぎるラヴソングにおげーと吐いちまうファンたち。それでもクラウザー様についていくんだな、君たちよ……。
その中で一人嬉しそうな顔をしているのは、「このメロディ……やっぱり根岸君!」とそう、相川さん。そしてクラウザー様がまたクラウザー様としてバリバリメタルを歌いだすと、ファンを掻き分け掻き分け、ステージに上がる。
「根岸君!」しかしもはや根岸君はクラウザー様であって、相川さんのスカートをめくってひよこのパンツを公衆の面前にさらすのだった。ブラックアウトし、「ヒドイ、根岸君!」(爆笑)

「お父さんのバックドロップ」の監督さんか!どっかで見た名前だなーとは思ってたけど。いやー、ハード系コメディに長けた監督さんなのだな、なんかそういう個性を持ったコメディ作家が出てくるのは嬉しい。
ちょっと台詞(特にファンの)聞き取りづらくて、ソンしてるかもとは思いつつ。

それにしても、松ケンはホント、キレイな指。デスメタルミュージシャンの指じゃないよなー。ま、そこんところも根岸君とのギャップを伝えているかも?★★★★☆


出れない
2008年 60分 日本 カラー
監督:福居ショウジン 脚本:福居ショウジン
撮影:田沢美夫 音楽:
出演:溝手真喜子 伊藤主税 福山知沙 河端保成 中村研太郎

2008/6/3/火 劇場(シネアートン下北沢/レイト)
福居ショウジン!この名前を某ミニシアターのロビーに貼ってあるポスターに見かけた時は、俄かに信じられなかった。
ううう、もっとちゃんとアンテナを張っておかなければならない。普段、テリトリー内の上映予定ばかりをちょちょいと調べる程度だから、ちょっとエリア外だったりすると、こんなウッカリ見逃しを起こすのだ。

それにしても福居ショウジンの新作とは。彼の名前を一体何年、聞かなかったのだろう。と、チェックしてみると、12年!もうそんなになるのだ。
しかもその12年前、突如として現われて残されたたったニ作品のインパクトがあまりにも大きく、次回作を心底心待ちにしていたのに(その12年前の映画メモに、“!”三つつきでそう書き残されてたのね)なんとそれまでに12年の歳月がかかってしまったとは。
私事であるけど、つい最近、DVD移行のためにビデオを整理していたら、「ラバーズ・ラヴァー」が出てきて、福居ショウジン監督、ホントにあれ以来新作出していないんだよね?とネットで追いかけたばかりだったのよね。

当時、塚本監督を筆頭にして、爆音メタル系ムービーともいうべき超攻撃的映画がサブカルを席巻した中でも、塚本監督よりも突出して過激で、研ぎ澄まされた感性を持っていた福居ショウジンに、私は魅了された。
今よりもずっと未熟で幼い映画ファンだった私に、映画の可能性と危険さを突きつけてくれたのだ。

で、ドキドキしながら足を運ぶ。再降臨の場所はひっそりと、友達の家のようなシネアートン下北沢。それはまるで、人知れず始まった革命の予感のよう。
新作として作られた、つまりはメインである「the hiding 潜伏」よりも、このオマケ的作品に、私は福居ショウジン復活の衝撃を受けた。まあ、上映順がこっちが先だったからかもしれないけど(爆)。
確かに、「潜伏」の、哲学的な倫理観みたいなものの方が、本来の福居監督を色濃くにじませているのかもしれない。

この「出れない」はもともとはホラーもののOVとして作られているだけに、観客を怖がらせるという基本をまずは押さえているし、確かにそういった判りやすさが観客を取り込む突破口を開いている感はある。
「実はこの男は死んでいたんだ」という、ホラー的なオチもキッチリと用意されているし、それを示唆する、ウェブカメラの前を横切る正体不明の影以降の映像は、どんな怪物が出てくるのかと、心臓が口から飛び出しそうになるぐらい怖い。
でも結局、意図的にホラーチックなのは、二度横切った影だけ(と、ラストにヒロインの肩に手を置く男……こっちはマジに心臓止まった)だし、その他はストイックと言えるほどに、一部屋限りのシチュエーションに徹底している。
このタイトル通り、彼は出れない(出られないと私は言いたいが……でも今は、その方が違和感があるんだろうな)んであり、その設定一発がどうしてこんなに恐ろしいのか。

これは劇場公開において編集しなおされたリニューアル版であり、オリジナルではタケシのサイトを閲覧しているアキコの視点からの物語であるという。本作にも勿論、パソコンのこちら側でタケシが狂気に陥っていく様を心配して見守り続けるアキコは登場するし、いや、登場するどころか、非常に重要な相手役である。
でも、本作を見てしまうと、これがそもそもアキコ側から語られた物語であるということに驚かざるをえない。やはりそのあたりは、OVの想定する観客層を考えてのことなのだろうか。

タケシも、そしてアキコも引き込もりである。いや、タケシが自身を引きこもりと称しているのに対して、アキコは「あの人も私と同じ、ニートなんだよ」と表現しているのには、二人の間の温度差をちょっと感じもする。
どう違うのかと言われたらなんだけど、あくまで個人的なイメージで、「引きこもり」には「ニート」よりも若干、差別的、あるいは自虐的な感じを受ける。
実際、タケシは「何年も人と喋ったことがない」のに対して、アキコの元にはその登場から既に友人が彼女の元を訪ねてきているし、アキコがタケシを心配していることを、こんな人に巻き込まれたらヤバいよ、と、まあその偏見はどうあれ、心配してくれる友達が、アキコにはいるのだもの。最初から最後までひとりぼっちのタケシとは大きな違いがあるのは明らか。

というか、そもそもどういう設定なのかってことだよね……いやー、つい興奮して先走ってしまいました。
アキコがいつも閲覧している、タケシのサイト。この時点ではアキコは彼の名前さえ知らない。
ドラというハンドルネームでタケシは、「種をまいて○日目」という、植木鉢に定点カメラを置いた動画サイトを運営している。
運営、なんてもんじゃない。ホントにそのウェブカメラに対してコメントをやりとりするだけ。自分の顔も出さないし、声も出さない。引きこもり歴3年にもなるタケシは、ネット上でさえ、誰かと話をするのが怖いのだ。

ある日、ネットが、テレビが、電話が、携帯電話さえもつながらなくなる。何が起こったのか。
古いラジカセを引っ張り出して、ノイズだらけの放送をようやく受信するタケシは、自分の住む杉並区で、テロと思しき事態が発生していることを知る。しかもそうした通信手段の遮断だけではなく、毒ガスが巻かれ、多数の死傷者が出ているというんである。
窓ガラスを目張りし、水をためて待機していろという放送、怯えながらその指示に従うタケシ。しかしあまりに外との連絡がつかないことに不安と焦りが増大した彼は、カーテンの外に歩いている男を見つけ、窓ガラスをドンドン叩いて助けを求める。
窓を開けようとガムテープを外そうとしたその時、道を歩いていた男はバッタリと倒れた。恐怖に驚愕するタケシ。

このあたりから、タケシの精神は尋常を欠いてくる。 もともと、あまりに閉ざされた生活だった。それこそ、テレビやネットや電話が遮断されただけでイラ立つというのは、いかにも現代人っぽいんだけど……でも、しかも外に出られない、というのなら、確かに手のほどこしようがないのはそうなんだけど。
ただ、タケシが全然人とは没交渉で、どうやら家族ともあんまり連絡をとっていない風であり(それは後に明らかにされる遺書替わりの自殺ビデオでの感じや、死後三ヶ月もたっても部屋が放置されていることから推測される)、だからテレビやネットはともかく、電話がつながらないことにそんなに焦ることには、ちょっと意外な感じがしたんだよね。
携帯でつながれる人がいるんだったら、こんな焦りや、いやそもそも自殺なんて図らなかっただろう……。

いや、判らない。彼が自殺ビデオに残した独白には、「集団自殺にも応募したけど、連絡が来なかった」ということだった。つまり彼は、孤独に耐え切れなかったのだ。死ぬ時ぐらいは、孤独から抜け出したかった。
死ぬ時も一人か、と自嘲的につぶやいたタケシ、いろんな死に方を考えたけど、キレイに死ねて、誰かに発見されることを考えて……と部屋での練炭自殺に決めた。誰からも発見されないことを極度に恐れた。管理人さんや、せめて家族は連絡がなければ心配するだろうと。
それでも「気づかないかな……」と泣きそうな顔を見せた。タケシにとって死ぬことより、そのことの方が恐怖だと、はっきりと知れた。

だーかーらー。また思いっきり先走ってるってば。それはオチでしょ!もう言っちゃいけないってば。って、最初から思いっきり言ってるけど……。
福居監督の真骨頂、爆音ムービーは、外の情報が全く判らない、世界がどう変わっているのか全く判らない恐怖を、爆音という、いわば大ざっぱな手法によって、しかし実に繊細に表現してくる。
全ての生活音が必要以上に大きくとらえられているんだけれど、最も耳障りで……という言い方はちょっと適当ではないかもしれない。つまり、気持ちをざわめかせまくったのは、水の音、なんである。

最終的に、杉並区の水に幻覚剤が含まれているという、いわば“オチ”を待たずとも、水の不気味さ、通常は静かで穏やかなイメージだけに、それがカンタンに恐怖に転換する鮮やかさを見せつけられる。
むしろ、幻覚剤云々のことが判明する前から、水は怖かった。水道からほとばしる攻撃的な音。毒ガスに怯えて、風呂場に張った水の中に沈んだ彼の頭がぬーっと出てきたり、自分が操作していないのに突然シャワーから水が出てくる音とか。それは確信犯的なホラーの構図なのに、暴力的ともいえるその音で、心臓が破裂寸前になるのだ。
確かに、「サイコ」が先鞭をつけたからか、シャワーというのは無条件に怖いっていうイメージはあるけれども……。

突然つながらなくなったタケシ=ドラさんをアキコは心配する。ひょっとして杉並区なのかもしれない……。突然つながったものの、向こうからのコメントの送信は出来ないようである。
とりあえず書き込むアキコ。同じニート同士であることを察知していたアキコは、顔も見えないタケシにシンパシーを感じていた。
ウェブカメラは作動しているらしいと、タケシはアキコに助けを求める。ただ一人、外とつながった人。いや、それ以上に、恐らくこの3年で初めて関わった人。
微かではある、でも確実に、ここには淡い、恋愛感情のような雰囲気が感じ取れる。
こんなパニックな状況、そして人と関わることを恐れる引きこもり同士だから、自身でそれを認識することも出来なくて、第三者、いや第四者ぐらいの立場である観客が、それをうっすらと感じ取ることが出来る程度なんだけど、うっすらとだけに、せっかく通じ合った二人の結末が、あまりに哀しいのだ。

アキコが「こんな非常事態だから、音声を生かしませんか」と言って、そして彼女の方は顔と声をまずさらす。タケシは即座にそれが出来ない。
でもこの殺伐とした、そして恐怖にさらされた一人暮らしの男の部屋に、パソコンの画面の中とはいえ生身の女の子の顔と声が現われたことに、少なくとも観客は淡いロマンスを感じ取ってちょっとした感動を覚える。それがそうすんなりと運ばないことが判っていても。
実際、タケシの部屋にはヌード女性のピンナップなどが飾られていたりもするんだし(まあ、それ以外のオタクっぽいアイテムの方が多いけど)決して、不毛という訳じゃないと思われる。あるいは、それがこの作品の唯一の救いなのかもしれない。

次第にタケシは幻覚、幻聴にとらわれるようになる。最初に現われたのは、空腹を満たすために食べていたインスタントラーメンとレトルトのゴハン。ちょっと席を外して戻ってきたら、ラーメンとゴハンは腐敗とカビで見るも無残な光景になっていた。
絶叫するタケシ。でもこの光景は、まだ彼の幻覚という訳じゃなかったのかもしれない。この場面はもう一度繰り返される。それは……自殺を図った彼が発見された時の、テーブルの上の惨状と同じだったのだ。

もう死んでしまっている筈のタケシとネットを介して交信していたアキコ、次第に狂気の度合いを増してくるタケシに必死に話しかける。
電源を切ってもコンセントを抜いても、何度もスイッチが入って、爆発音のようなノイズが流れてくるテレビ。ドアの外には誰もいないのに、狂ったように聞こえてくるノックの音。
究極の恐怖の故か、ついにウェブカメラの前に、恐怖に歪んだ表情で食いつかんばかりに訴えかけるタケシ。殆んど密室での一人芝居のような彼の演技は、マジでヤバイ境界線を完全に振り切っており、準備されたホラー的な仕掛けより数十倍の恐怖を持って訴えかけてくる。

ウェブカメラの中のタケシ、もうすっかり正気を失った彼の前を二度横切る肌色の影。
「見た?」「見た……」ネットのこちらがわのアキコとサトミは驚愕する。
もうこれは、いつバケモンが出てもおかしくない!と思った瞬間、タケシの絶叫からバッとカットが切り替わり、映画の冒頭に戻ったかのような彼の日常が描かれる。
魚肉ソーセージにかぶりつきながら、ネットを眺めているタケシ。ノックの音に怯えて押し入れの中に隠れた彼、あれ?時間が戻ったと思ったのは気のせいだったかな……と思ったら、ドアがガチャリと開く音。
うわ、何が出てくるんだ!と腰が引けまくっていたら、やってきたのは管理人のオジサン。その後ろにはアキコとサトミ。

そこに至って二人は、タケシが実は三ヶ月も前に自殺してこの世を去っていたことを知るんである。
つい昨日、彼と話したんだと、アキコは信じられない。サトミもまたそうではあるんだけど、友人を心配する彼女は、もうこれ以上関わるべきじゃないと彼女を諭す。
それでもアキコは、彼の部屋に無造作に置かれていたビデオカメラを、持ち帰ってしまった。その中に、練炭とクスリと酒で気を失う直前までの、彼の独白が映っていたのだ。

誰もこの映像を見ないかもしれない、と泣き笑いのような顔で言うタケシに、ビデオを見ながらアキコは「私が見たよ。だからもう、寂しくないよね」と話しかける。
突然ブツリとカットが引きになり、ベッドに腰掛けてビデオカメラを見ているアキコの傍らにタケシがすっと立って、彼女の肩に手をかけている一瞬のショット、うっ、うううう、本気で心臓、止まりかけた……。

終わってしまえば、杉並区を襲ったテロというのだって、本当だったのかとも思ってしまう。いやその時はもう生きてはいなかったタケシだけではなく、アキコもサトミもそれは認識して、だからこそタケシを心配して助けようと思っていたのは事実なんだけど。事実?それさえも……この物語自体が意識的に閉じられているし、ノイズだらけのニュースだけで、リアルな死者はタケシの見た倒れた通行人の男だけだし、しかもこの時点でのタケシ、死んでるし。
今の現代、こんな狭いスポット集中のテロっていうのも、確かに現実味のある話で、ヘタに現実味があるからこそ、囲い込んでしまうと、リアルなお伽噺に転換してしまう怖さがあるのかもしれない。

でも私はね、すんごくラブストーリーだなと思っちゃったんだよね。ノイズやホラーやせっぱつまった演技に圧倒されつつも、その思いを消すことが出来なかった。
ラストだって、彼が彼女を迎えに来たぐらいに思っちゃった。それこそがホラーなのだろうけれど……。★★★★☆


天保六花撰 地獄の花道
1960年 103分 日本 カラー
監督:マキノ雅弘 脚本:鈴木兵吾
撮影:三木滋人 音楽:鈴木静一
出演:市川右太衛門 中村賀津雄 若山富三郎 近衛十四郎 東千代之介 丘さとみ 淡島千景 月形龍之介 山形勲

2008/2/14/木  東京国立近代美術館フィルムセンター(マキノ雅広監督特集)
うっ、ちょっと判りづらい。カラーだと人の見分けもしやすいし楽勝だわ、と気楽に構えたのが良くなかったのか。台詞の聞き取りづらさと、いくつもの話が同時進行するのと、そして何より……直次郎というクズ男がどこまで考えてかんでいるのかが、どーにもアホな私にはなかなか判りづらかったせいがあるらしい。
この直次郎という男……ほんっとにクズで、まあそれは後にじーっくり詳述するけどそれを演じているのがまー、若くて可愛くて見る影もないほどの(笑)、中村賀津雄で、ほんっとに、見る影ない(爆)。いやー、きいちのぬりえのような可愛らしいお顔。まさかこれが後に渋いバイプレーヤーのあのお顔になるなんて、予想もつかない。

冒頭に飛び込んでくる若いお侍から物語はスタートするものの、彼が物語の全てに絡んでくる訳ではないところも、そう思い込んで見始めてしまって判りづらさを増大したか。
刺客に追いかけられている彼は、松江藩から父の仇を討ちにやってきた金子市之丞。しかしその父に公金横領の罪をなすりつけた家老、北村大膳は彼の仇討ちを察知、その前に亡き者にしようと追ってきたというのが後に明らかになる。

この冒頭は、実に鮮やかな始まりである。獅子舞いの中にかくれて風呂屋に入り込んだ彼、番台のオヤジが事情を知ってるのか知らないのかがよく判らないけど、中の市之丞はうまく摩り替わって物陰に姿を潜める。
そんな彼にふいと声をかけていたのが、ひとり昼風呂を楽しんでいた河内山宗俊。
彼はとっさに隣の女風呂に声をかけて舟ぎんの女将、おぎんだけしかいないのを確かめ、市之丞をかくまう。
目を白黒させて「ひどいわ、だんな」と言いつつ、湯船から白いうなじを見せるおぎん=淡島千景の色っぽさ。

実はこの、市川右太衛門扮する河内山宗俊が、どういう人物なのかがなかなか判りづらいところも、筋立ての判りづらさにつながっているのよね……なーんて、私がさっと判断出来ないだけだけどさ。
表向きは寺の坊主。それにしても派手。実体はそれを隠れ蓑にして、結構あくどいヤクザ稼業。彼は何度も自分のことを悪党だと言うし、なんたってどーしよーもないクズ悪党、直次郎を可愛がっているあたりが確かに悪党っぽいんだけど、具体的に彼が真の悪党か否か、一体この町でどういった存在なのかがなかなか見えてこないのが、ちょっと困るあたり、なのよね。

まあとにかく……河内山は市之丞の話を聞き憤慨、助立ちすることを約束する。
偶然なのか何なのか、同時進行している河内山の友人の森田屋が抱える問題が、市之丞とつながってくるのね。森田屋は悪党仲間……って訳なのかしらん、兄貴と呼んでいるしなあ。
抜け荷とか後ろ暗いことをやって後には獄門台に送られる人物なのだが、彼が幼少のみぎりに別れ別れになった妹が、吉原一の花魁、三千歳ではないかと身元を調べていたところだったのだ。
で、森田屋がいたのが松江。調べてみると彼ら兄妹の母が、市之丞の母付きの女中だったことが明らかになる。
つまり、河内山はタダでは動かない。あとから市之丞にたっぷり礼をしてもらうのをもくろんで大芝居を打つんだけど……これが切なくも、上手くいかないってところが見せ場なのね。

とゆーのも、この河内山、確かにきっぷが良く、どーんと構えた大人物ではあるんだけど、なんせ女心の(というか、恋心の)判らない朴念仁。
彼の家にはストーカー(だよなー、まさしく)からかくまってやっているお春という茶屋女も同居しているんだけど、彼女の心がどうやら河内山にあるらしいことも彼はとんと気づかず、お歯黒の“婆”(女中頭、といっても彼女しかいないけど)から「ホント、ダンナは何にも判っちゃいない」と嘆息される始末。

いや、彼も判っている部分はある。それはおぎんが彼にホレていること。そして彼も彼女にホレているのだが……どんなに涙ながらに、彼女からしなだれかかられても、どうしたことか彼は彼女に手を出せない……その気持ちに応えられないのだ。
もー、観てるこっちが、こんなちょっと触れたら水がしたたりそうなイイ女からすり寄られているのに、なんで手を出さないんだとやきもきするほど、もー、本当に演じる淡島千景の色っぽさといったらない。
しかも彼女が河内山の寝所に「呼んでくれると思ったのに……」と涙ながらに忍び込むのって、つまり、そーゆー意味な訳で、もー、なんでガッツリいかないのだっ!女にここまで言わせといて、つーか、もう彼女の中が燃え立っているのが見えるぐらいなのに!とヘタなラブシーンより生々しい彼女の内側がめらめらにじみ出ててドキドキしちゃうのだ。
しかも彼女、部屋の外で明け方近くまで待っていることが判るのは……困り果てた河内山がヤボにもがらりと窓を開けると朝日が差し込んで、鳥がチュンチュン泣き出すからなのだ。もー、もー、もー、上げ膳食わぬは男の恥ってね!

まあ、そのことはおいといて(いやー、もったいない)。一方で対照的なのは直次郎。彼は女と見りゃ誰彼かまわず口説き落とす、のが登場シーンから描かれる。一応本命は三千歳なんだけど、それだって吉原一の花魁を自分にホレさせているという奢った気持ちがあるんじゃないかと思われているぐらいなんである。
ほかの女を口説き落とそうとしたら失敗し、そこへ酒を運んできた“おたふく”少女にまで手を出そうとする鬼畜。
しかし演じる中村賀津雄が、お人形さんのようにカワイイ青二才なんだから困っちゃう。
でもね、ホントにどーしよーもないヤツなの。彼は盲目の按摩と組んで、女犯を犯した生臭坊主を探しだしてはゆするというケチなことをやっている。しかもそのカネを独り占めして按摩に逆に因縁をつけ、川に突き落とすなんていうひどいこともヘーキでやってのける始末なのだ。まあそれが後に彼の首をしめるのだが……。

しかもお春をつけまわしている吉十郎が問屋の跡とり息子なのをイイコトに、お春を連れ出してやるからと騙くらかして100両もの金を持ってこさせるほどの鬼畜。しかしそれをこの按摩に横取りされて、殺されかけるんだけどね。
直次郎は大膳一味から接触を受け、河内山らの情報を売る……ていうことなんだよな、後から考えれば。どーもあらゆることが同時進行しまくりなので、直治郎のウラギリが明確に見えてこなくてさ。
まー、それでなくてもどーしよーもない男なので、それにめくらましされるということもあるんだけど。

河内山は市之丞の名前で三千歳を身請けするのね。森田屋は早晩捕らえられる身。自分が兄とは名乗れないと、森田屋から懇願されていたから。
河内山としちゃ、弟分の森田屋から大事な妹を預かったのだから、直次郎のような男とは手を切らせて市之丞と添わせようともくろむのだが……市之丞のような固い男が逆に、男にちやほやされることしか知らない三千歳の琴線に響くだろうと自分の計画にニンマリするぐらいなのだが……つまりこのあたりが河内山のヤボなところで、そんなにカンタンじゃないのだ、女心は。
三千歳は直次郎にホレている。それがどんなに河内山には理解しがたいことでも(直次郎に目をかけてはいても、彼がどーしよーもない男だってことは判ってるのよね)、ホレた恋心は根強いモンなのだ。

ある意味市之丞の方が、そのあたりのことは判っていた。彼はこの年になるまで女を買ったことさえないウブな男だけれど、彼が、河内山への恩義を充分感じていながらもどうしても三千歳を連れて行くことを拒否するのは、彼女の気持ちを市之丞の方が充分に判ってやっているからということなのだ。泣かせるじゃないの。
確かに河内山の望むように三千歳が市之丞の心根に説かされてくれてればなあ。

ま、ちょっと話をすっ飛ばしたけど……。
ドハデな法衣をまとって寛永寺の僧に化け、びびりまくる直次郎を供の侍に仕立て上げて、松江藩邸に乗り込む河内山。藩主に直々に、北村大膳の悪行を進言するのに成功したのもつかの間、彼らの正体を見破った大膳一味に取り囲まれる……しかしここからは河内山=市川右太衛門の芝居もかくやという大見得切りのシーンで見せまくり、しかもそれを戻ってきた直次郎が得々として婆やお春に再現して聞かせ、自分の手柄かのようにそっくりかえってひっくり返っちゃう、というのとその場面とが交互に示されるのが実に絶妙なのだが。
まあったく直次郎、その場ではびびりまくって腰が引けまくっていたくせにさあ。うーむでも……彼が憎めないヤツっていうのは、確かに判る気はするんだよな。

その場は北村大膳の“冥加金”で一旦ことを収めるも、河内山と直次郎は何たって騙りを行ったんだから、役人から追われる身になったのは必定。
河内山はこの金を直次郎に渡し、三千歳のことは諦めて、上方にでも行って達者で暮らしてくれ、と言い渡す。泣きながら拒絶する直次郎に、どうでも俺の言うことを聞くんだ、頼む、と。
どうしても河内山は、彼のことが可愛いんだよね。自分たちが窮地に陥っているのが恐らく……直次郎の告げ口が元になっていることも判っているだろうに。

で、河内山と市之丞はまんまとズラかろうとしていた北村大膳の元に斬り込み、無事父の仇を討ち果たす。
しかし河内山はお尋ね者になってるんだから、そして森田屋も逃亡先で役人に捕まってしまうし……。
しかもしかも直次郎は、アレほど言ったのに三千歳のことが諦められなくてズルズル江戸にい続けるし、市之丞は三千歳を引き受けてくれないしで、これほどの男の河内山なのに、上手くいかないことだらけ。なんか河内山がね……憤りを通り越して哀しそうな顔になってくるのが見てられなくてさ……だってこんな、大の男が、しかも“悪党”がさあ。

しかもしかも哀しいのは、この直次郎との一騎打ちのラスト。河内山はね、「自分の言うことを聞かなかったら、ただじゃおかない」と言って送り出したけど、でも直次郎をどうこうしようなんて気はなかったに違いなのに、この直次郎って男がもう、腰抜けでさあ。
三千歳を連れ出して逃げようと思って忍んできたのに、河内山に見つかるや否や、違う、三千歳に別れを言いに来ただけだ、金なら返す、頼むから殺さないでくれ!と、懐からジャラジャラ金を撒き散らして、後ずさって泣き叫ぶっつー、もー、みっともないったらないの。

でね……これは直次郎が告げ口したからかどうかは判らないんだけど……(まあ、やりかねないけど)もう通りの向こうにまで、民家の屋根屋根にまで御用提灯が無数に揺れていてさあ……まるで美しい蛍の群れでも見ているような、圧倒的な画なのだ。
足にすがりつき、殺さないでくれと泣き叫ぶ直次郎に、どんなに静かにしろと言っても聞かない……刺し違えそうになって、彼を殺すしかなくなってしまったのだ。信じられないように目を大きく見開いて、橋の欄干から川に落ちる直次郎。もう、ホンットに、……お前はバカだっ!

騒ぎを聞きつけ、飛び出してきたおぎんと三千歳、ここで大見得切るあたりが市川右太衛門の真骨頂という感じか。
先に地獄に行ってるぜ、と橋の上からおぎんに目配せする河内山に、涙ながらにおぎんは、私も、私もすぐに……とむせび泣く。
河内山は、嬉しいねえ、だけど俺の行くのは極楽じゃない、地獄なんだぜ、とからりと笑って言い……でもその目にはなんだか涙が光っているようにも見える。
蛍のように奥まで無数にきらめく御用提灯に向かって、悠然と立ち去る河内山、朗々と歌まで歌って……。そしてエンド。
最後まで女心の判らないヤツだったけど、そういうヤツこそが、男の結びつきを大事にするヤツが、そして悪党が、女の心をくすぐるモンなのよね。やっかいだわね、もう。★★★☆☆


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