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「お」


2004年鑑賞作品

オアシスOASIS/
2002年 132分 韓国 カラー
監督:イ・チャンドン 脚本:イ・チャンドン
撮影:チャ・ヨンテク 音楽:イ・ジェジン
出演:ソル・ギョング/ムン・ソリ/アン・ネサン/リュ・スンワン/チュ・グィジョン/キム・ジング/ソン・ビョンホ/ユン・ガヒョン


2004/4/6/火 劇場(渋谷Bunkamuraル・シネマ)
私は今まで一体、何を見てきたんだろう。映画の何を、人生の何を見てきたんだろう?
映像というのは、とても説明的なメディアだから。説明的、違うな、一発でそうと思わせてしまうメディア。テレビもそう。そうして映像が最優先に社会には氾濫していて、見えているもの全てがそうした映像としてとらえられてしまう。
人間の気持ちを表情で捉える。表情で判ったり、いや判ったような気がしてしまう。
今までは、バツグンの表情を見せたり、微妙な言い回しをする役者さんこそが、名優なんだと思ってた。そしてひいてはそういう人こそが、魅力的な、人間的な、“人間”だと思っていた。
でも違うんだ。それは見えている部分だけ。とても判りやすい部分だけ。苦労しなくても、汲み取れるから、五体満足な人間はそっちに傾いてしまう。風ですぐ向きを変える風見鶏みたいに。
五体満足って、そんなに人間であることにおいて、必要なことなんだろうか。そう思っているから、だから、五体満足であることで、そこからたった一つ、あるいは二つと欠けている人たちに対して、傲慢になってしまうんではないか。

これは、コミュニケーションとディスコミュニケーションの映画。身障者という問題は確かに重くのしかかっている。でもそれはそういう根本的な、ほんのちょっとしたことなんじゃないかって、思いもする。
自分の知らない世界の人間に対して身構えてしまうこと。それは相手が外国人だったり、年代の違う人だったりする時と、もしかしてそう大差はないんじゃないかと、ふと思った。今まではそれとこれとは別問題だと思っていたのだけれど。
私はやっぱりこの、コンジュのような脳性麻痺の人と、ジョンドゥのように上手くコミュニケーションはとれないと思う。でもそれは、そういう身構える、言ってしまえば人見知り性格の作用も大いに働いている気がする。ただ、社会が、こうした人たちを排除するDNAが刷り込まれているせいで、人々が、そういうこととは違うと、思い込まされているんじゃないかと思うのだ。
だって、ジョンドゥがあまりにも、あっさりとコンジュの心の中に入っていけるのだもの。唖然とするほどに。

とはいえ、二人の出会いは結構キッツイ導入である。ムショ帰りのジョンドゥが、体が満足に動かないコンジュに近づき、性欲のままに犯してしまうのだから。正直かなりの間……中盤あたりまでは、ジョンドゥに対して何だこいつ、最低、と思っていた。彼が主人公で、どうやって共感させるつもりなの、やってみろ、監督、みたいな。
でも、この出来事が、コンジュにとってはジョンドゥを受け入れる大きな要因だったのだ。
それを納得するのは、いやさせるのは、本当に大変だ。だってそんなの、いち女として許せることじゃない。でも……物語もクライマックスになり、コンジュとジョンドゥが愛し合うようになって、本当の意味でのセックスをして……で、ジョンドゥがレイプ犯だと誤解されて捕まった時、刑事が彼に問い掛ける台詞でハッとするのだ。
「あんなのに、性欲がわくか?」そう、刑事は言うのだ。
コンジュとジョンドゥの関係を、ここに至るまで丁寧に見せられているからこそ、この刑事の言葉にひどく憤るけれども、でも、コンジュが最初にジョンドゥに犯された時……飲み込んだけれども同じことを思っていなかったとは、言えない。そして……そんな自分が恥ずかしくて、恥ずかしくて、たまらないのだ。
コンジュが、自分を一人の女として見てくれたジョンドゥに心を開いたのが、あまりにも切実に判ってしまって。
一人の女として始まって、ジョンドゥはコンジュを一人の人間として対等に付き合った。そして恋に落ちたのだ。

ビジュアルは、もの凄く、キツい。コンジュは重度の脳性麻痺で、身体を動かすことはもちろん、顔の筋肉さえも満足に動かせない。つまり……正直に言ってしまえば、異様なのだ。
見たことがないわけじゃないけれど、見慣れていないから、正直、ひいてしまう。怖いという気分も起こる。そんな自分にやだやだと思いながらも、しばらくはその気分が続いてしまうのだ。
ものすごい、冒険だと思う。こんな映画を作ってしまう。ドキュメンタリーならともかく、劇映画で、しかも恋愛が大きな要素になっている映画で、身障者の中でもビジュアル的に一番難しいタイプを持ってきたこの気概。だけどそれだけに、監督の気迫が、もの凄く感じられる。
それに応えたコンジュ役のムン・ソリのすさまじい演技。全ての役者は彼女の演技に嫉妬するだろう。本当に、凄い。
でも、見ていくと、次第に慣れていってしまう。今までは、見えるもの、見えて判りやすいものに侵食された世界に生きていたから、そうなるまでには時間がかかるけれど、監督の手腕はさすがで、観客をその領域にまで連れていってしまうのだ。

時々、コンジュは“五体満足”な女の子になる。これはコンジュの幻想なのか、ジョンドゥのそれなのか判らないけれど、ふっと普通に立ち上がり、可愛らしい表情を作れる女の子になって、ジョンドゥとキスしあったりする。
その時思わずホッとしてしまう自分に嫌気がさしてしまう。監督がこんな風に演出で手助けして、理解のスピードを早めているんだなと思いつつ、そんな手助けがなければ判らない自分に、そして(理不尽だけど)監督にも腹がたってしまう。
彼女は、身体や表情が上手く動かせないだけで、普通の、クレバーでオシャレで、ユーモアの機転もきく、ステキな女の子なのだ。そしてそのこわばる身体や顔を、必死に動かそうと努力して、……生きている。
脳性麻痺という病気について、ごめんなさい、私不勉強でよく知らないんだけれど、劇中の人たちの認識みたいに、知的な遅れがあるんだと、思い込んでいた。あるいはそういう人もいるのかもしれないけど、このコンジュは違う。だったら、一体、私たちと何が違うというのだろう。
いや、知的に障害がある人たちだって、じゃあそれが、具体的にどう、どの部分で私たちと何かが違うと言い切れるのか。
だって、人間として、一生懸命に生きているのは、同じじゃない!

コンジュはこの病気のために、屈辱的な扱いを受けている。兄夫婦は彼女を汚いアパートに置き去りにして、豪華な障害者用マンションでイイ生活を享受している。調査が入る時だけコンジュを呼び寄せて偽装工作するのだ。
コンジュの住んでいるアパートの隣の住人は、この兄夫婦にコンジュの世話をまかされているんだけれど、つまりは食事を運ぶだけである。まるで、ノラ猫の世話とおんなじ。コンジュがいるというのに、どうせ判ってやしない、とばかりにシケこんでセックスまでやらかす。
まるで、人間扱いとは思えない。見た目で、コンジュが頭の弱い、かわいそうなコだと断定してしまっているのだ。
……ということを、私たちは、まるで当たり前のようにしているのだろう。いや、しているのだ。運良く“五体満足”に生まれたというだけで。なんて……恥ずかしい。
コンジュはジョンドゥに、働けることがうらやましい、と言う。ジョンドゥはあまり器用なタチじゃなくて、働くのも苦手なんだけど、このコンジュの言葉にハッとした表情を見せる。そして観客の私たちもハッとする。自分で自分を養えるということが、どんなに幸運なことかということ。

上手く動かせない筋肉を必死に動かして、必死に伝えようとしている。
こんな努力を、私たちは果たして、したことが、ある?
表情を作るのが困難な彼女だけれど、見続けていると、今本当に楽しそうに笑っているな、とか、何か言い出そうとしているな、とか、判るようになる。 でも、それには、相手に対するまっすぐな情熱が、必要なのだ。私たちは、ジョンドゥのそれを借りて、ようやくその領域に連れて行ってもらえた。
ジョンドゥは最初から、彼女をいち人間としてみている。あるいは、いち人間としか、見ていない。
これは凄い才能だと思う。彼はどこか子供っぽい無邪気さで、そのせいで前科を重ねるような人生を送ってきたともいえるのだろうけれど、でも家族が大好きで、人間が大好きで、だから、コンジュに対しても、まるで邪気のない興味で入り込んでいった。

彼が刑務所に入っていたのは、コンジュの父親を車でひき殺した罪だったのだけれど、それは兄の罪を彼が自らかって出て身代わりになったのだ。
でも、そんなジョンドゥを、彼に助けてもらったはずのお兄さん、そして家族はうとましがる。確かにジョンドゥは子供のまま大人になってしまったようなところがあって、メイワクをこうむることもしばしばなのだけれど。
でも、お母さんの誕生パーティーにジョンドゥがコンジュを連れていった時、実際に罪を犯したお兄さんが、アテツケだと激怒したのは……本当に、醜い人間、醜い私たちを見せつけられて、しんどかった。
ジョンドゥは本当に、大切な友達のコンジュを連れて行っただけなのだ。
でも、お兄さんは、ジョンドゥが罪をかぶってくれたことをいいことに、自分の犯した罪を忘れ去ろうとしていた。
コンジュは見た目、確かに判りやすいアテツケだ。その判りやすさでしか見ていない。“五体満足”な人間は。
哀れむことが、正義だと思ってる。恥ずかしいことに。
そのことが自分の弱みをあぶりだされることを、卑怯だと憤る。どちらが卑怯なのか……それはあまりにも、明らかだ。

心から信頼しあって、愛し合うようになって、コンジュは今度は自分からジョンドゥを誘った。「女から一緒に寝ようというのがどういうことか判らないの?」と。粋なこと言うコンジュ。
でもその場面を入ってきた隣人に(世話してやっているという名目で、どんな時でも勝手に入り放題)見られてしまう。ジョンドゥはコンジュをレイプしたとして、連行されてしまう。
ジョンドゥは何も弁解しない。ただ弱々しく笑い続けているだけで……彼が受けた前科もこんなことだったんじゃないかって、思ってしまう。
コンジュはジョンドゥを助けたくて、そうじゃないってことを言いたくて必死に頑張るんだけど、ただただカワイソウな被害者に仕立て上げられ、言葉を搾り出す前に勝手にフォローされ、一言も伝える事が出来ない。

あんまりだよ。

いろんな屈辱がコンジュにはあった。でも、この場面が一番ヒドイって思った。自分のことを他人が説明してしまう。思ってもいないことを。アイデンティティの崩壊。屈辱の中でも、これだけは彼女自身の強い意志で何とか保ってきていたのに。
コンジュは思いっきり身体を動かし、暴れまくる。このもどかしさを、憤りを、何とか判ってほしくて。
子供の時、こういうことって、あった。自分の言いたいことを判ってもらえなくて、勝手に解釈されちゃって、どうしようもなく、憤ったこと。
でも、コンジュはしっかりとした大人なのだ。なのに、“五体満足”な“オトナ”から、子供に押し込められているのだ。
果たして、“五体満足”な人間が、本当に大人だって、言えるのだろうか?

クライマックスシーン、思い出すだけでも、もう涙が噴き出して、困る。逮捕されたジョンドゥ、脱走してコンジュのアパートの外にたどりつく。コンジュが部屋に影を作るのが怖いと言っていた、枯れ木の枝にのぼり、かたっぱしから切り落とす。
もうこれだけで涙腺爆発なのに、それに気づいたコンジュが、彼女は身体も声も上手く動かせないから、ジョンドゥにありがと!って気持ちを伝えるために、枕もとのラジカセを大音量にして、必死で窓のところに持っていくのね……ああ、ダメ、思い出しただけで本当に涙、噴水状態。なんていい恋をしてるんだろう、二人は。ラストシーン、ジョンドゥの手紙を読み、自分の部屋をぎこちないながらも丁寧に掃除するコンジュ。何だか幸せで、幸せで、ジョンドゥがいつか出所して、コンジュと再会する日を一緒に待ちたくって、たまらない。

「ジョゼと虎と魚たち」をついつい、思い出してしまった。そして、辛くなった。一人じゃ外に出られない女の子が男の子に連れ出してもらって、空を見あげてたまらない目をする場面なんか、まるでそのままかぶるかと思うぐらい。ジョゼ虎は私、大好きだし、とても素敵な作品だって思ってる。でも、満足に動けない女の子と健常者の男の子との恋、という共通項があるこの作品が、いわゆる障害者映画として、やっぱりどうしても……生ぬるいということは、本作を観てしまうと否めないのだ。
本作の障害者描写は、本当にリアルで生々しくて、こう言ってしまうのは本当に恥ずかしいけれど正直、ビジュアルとしては見るに耐えない、のは否めない。宣伝写真はコンジュが“五体満足”な女の子になったスチールばかり選んでて、ちょっとズルな気もしちゃうけど、とにかく観なきゃ判らないんだものね。大体私自身が拒絶反応なかなかとれずという情けなさだし……。

日本のフィクションの障害者映画、あるいはテレビドラマなんかも、どうしてもビジュアル的にウツクシイ方向に行きがちだ。足が悪いとか耳が聞こえないとか、ビジュアル的に問題のない範囲に収まってしまう。
それはやはり、映像の、ダイレクトな効果があるから。ことに恋愛なんかがからんでくると、どうしても冒険が出来ない。
でも、イ・チャンドン監督は冒険をしてしまった。しかも乗り越えてしまった。
なぜ、足が悪いとか耳が聞こえないとか、そういう“ビジュアル的に問題のない”障害者とこうまで差別されてしまうのか。
劇中、コンジュはジョンドゥの家族たちにあからさまに冷たい目で見られる。本当に、汚いものを見る視線で。
人間が、いかに目に見えるものを信仰してるかがよく判る。これこそが本当に映像信仰の悪しき影響なのだ。口ではそうではないと言いながら……でもそれを、まさにその、映像作品で描いてしまうイ・チャンドン監督!
日本のクリエイターたち!これは死ぬほど、死ぬほど嫉妬すべきことなのだよ!!

壊れた鏡が陽の光に反射してキラキラ光り、自由な鳩や白く可憐な蝶々になる、美しい幻想CGが、コンジュの気持ちを思わせて……たまらなかった。★★★★★


オーバードライヴ
2004年 分 日本 カラー
監督:筒井武文 脚本:EN
撮影:芦澤明子 音楽:遠藤浩二
出演:柏原収史 鈴木蘭々 杏さゆり 賀集利樹 ミッキーカーチス 小倉一郎 諏訪太朗 石橋蓮司 阿井莉沙 新田弘志 新田昌弘 木下伸市

2004/10/13/木 劇場(テアトル新宿)
せっかくのナイスな設定なのに、キッチュな傑作が生まれそうな予感がしたのに、もったいない、もったいないよ!だって、津軽三味線だよ?売れっ子ギタリストが、突然下北半島に拉致されて、津軽三味線ワールドにはまって、津軽三味線バトルに巻き込まれていく、なんて、すっごくナイスなのに。しかもその導入部分ときたら、タクシーに乗って「シモキタまで」と言ったら下北半島に連れて行かれる、その時点では、こりゃクる!と思ったのに。しかもしかもそのタクシーの運ちゃんであり、スカウト?マンであり、元天才的な津軽三味線奏者がミッキー・カーチスというアヤしさまでくれば、そりゃあ期待するよお。柏原収史だってこのおバカな世界にノッてやろう!って意欲満々の演技だったじゃない。

うー、テンポが悪すぎる。こんな奇想天外な話をゆっくりつなぎすぎる。何でこんなフツーに語っちゃうの。何でこんなにフィックスにこだわるの。画面が動かないったらありゃしない。後半出てくる劇中映像の吉田兄弟の演奏シーンの方が(当然フィックスにもかかわらず)よっぽど躍動感があるんだもん!吉田兄弟は、津軽三味線の正規の演奏スタイルに異を唱えた唯一の存在。つまり、激しい演奏に従って上体をも激しく揺らすのもオッケー、という。でも本作は一応その点は正しい津軽三味線の演奏スタイルにのっとって、座ってビシッと上体はまっすぐ、目線もまっすぐ前。そういう、津軽三味線の正式な形でフィックスにこだわってるのかもしれないけど、でもマジメなドキュメンタリーを作ってるわけじゃないでしょお。何も画面までそれに従わなくてもいいと思うんだけど、頑として画面は揺れない、動かない……で、ユルユルのつなぎ。……でもさあ、これ、設定自体がぶっとんでるじゃない。バトルの相手なんて、悪魔に魂売ってただならぬ瘴気を漂わせながら、しかも顔に白塗りメイクしてんだぜ?(しかもそれを演じるのが、正統派の実力派津軽三味線演奏家だってんだから!)そんな男との対決でもぜっんぜん画面動かないなんてー。それならそれこそ吉田兄弟ばりに演奏自体自由に動いても良さそうなもんだと思ったけど……まあそれはいいとしても、画面、もう少し動かしてよ!カッティング、もう少しエッジを効かせてよ!ただただセロハンテープでくっつけてくようなつなぎ方で、何かぜえんぜんノれないんだもん。

……それにね、やっぱり津軽三味線の世界なら、津軽弁でやってほしかった。だってそれでなきゃ、主人公の弦が東京から下北半島まで連れてこられた意味ないじゃない?津軽三味線というだけなら、別に津軽じゃなくたってあるわけだし……“津軽”まで連れてくるんだったら、そして地元の派閥争いに巻き込まれるなら、当然津軽弁ワールドにも巻き込むべきでしょ!そんでその中で唯一標準語の主人公が右往左往するのがホントでしょ!とは言いつつ、本作に登場するホンモノの津軽三味線奏者の中に一人も青森人がいないのが寂しいところなんだけど……。
うー、だって、津軽弁って、日本の中で一番カッコイイ言語なのに!(と私は固く信じてるのよ)ヒロインの女の子なんてべったべたの現代風の東京喋りでさあ……彼女だってこの地で生まれ育ったって設定なんでしょ。何で津軽弁じゃないのよッ!おもいっきりフツーに標準語にしちゃって……面白くなりそうなのを取りこぼしてるんじゃないの?

でもね、確かにそれほど青森であることに執着してるようには思えなくて。というのも、東京の、美潮とジンのエピソードも平行して描かれてるから。弦だけにウエイトをさいているわけじゃないんだよね。こんな面白い設定なのに!それももったいないし、この青森⇔東京の挿入のテンポも悪いんだよなあ……むしろ、東京でのフツーの流れに引きずられて、せっかく面白くなりそうな青森でのムチャクチャ(なはず)の展開が、フツーになっちゃったって感じもするし。

そう、シモキタ→下北沢→下北半島までは、すっごく期待しちゃった!東京には六本木があり、青森にはその半分の三本木がある、と言ったのはかっぺいさんだったけど(って、意味ないけど)。はじまりは、人気ユニットのゼロデシベルの新曲製作記者会見。ボーカルの美潮は、レポーターたちのツッコミにキレて、ギタリストの弦にその場で突然クビを言い渡す……まあ、二人は付き合ってたわけだけど、ていうか、美潮にムリヤリつき合わされていたわけで、最近二人の間には不穏な空気が漂っていた。もともと弦はインディーズで、自信満々にプレイしていた男。その弦をモデルあがりの美潮とキーボーディストで作曲家のジンが、メジャーデビューに誘ったのだ。自信家、というよりうぬぼれやの弦は、そんな環境でギターを弾くこと自体、プライドが許さない部分があったんだけど、そこはそれ、コイツときたらかなりイイカゲンな男だからさ……。
で、そんな彼がいきなり下北半島に拉致されるのである。連れてきた運チャンは津軽三味線の後継者を探しているという、五十嵐五郎というジジイ。冗談じゃない、帰る!といきまく弦なんだけど、番犬のボブが怖いのと、そのジジイの娘、晶が美少女なのが大いに手伝って、ずるずるそこにとどまることになってしまって……で、津軽三味線への道、とばかりにスポ根並の特訓が始まるのだ。

と、言いつつも、この、“三味線修行のハードさ”もまた、テンポが悪くて全然大変そうに見えないのね。だって、せいぜい怠けながらうさぎ跳びしてるぐらいなんだもん。で、もうダメだとか言われたら、何だよそれ!って感じで。海の沖の岩場に一人残されて、陸の晶に聞こえるまで三味線を鳴らせ、という場面も、まあ合成バッチリのチープさは確信犯だからイイけど、それならホントここもちっとは画面動かしてくれよ!ガチッと固まったまま動きゃしなくて、見てる方は、まだかよ、終わんないのかよ、と本気でタイクツ。すべてにおいてこういう感じなんだよなあ……手法はね、やたらと入れてくるの。ちょっと欲張り気味に。弦をそそのかすアニメキャラが頭上を駆け巡ったり、サイレント映画風に処理してみたり。盛り込みすぎじゃないかなあ、何か、散漫。でもこれもやっぱりつなぎ方の問題だとも思うけど……リズムが悪いんだもん、なんともはや。
講談風の和風ラップを披露するキテレツ和服の“歌姫”が、折に触れて展開を説明してくださるんだけど、これもね、もうちょっと面白くなっても良さそうなもんなんだけど。こういったすべてにおいて……チープなのか作りこんでるのか、中途半端でノリきれないというのが正直なところ。おバカな、くだらないものを作るっていうんなら、これだけの手法を駆使してるんだから思いっきり徹底してほしいのに、津軽三味線の世界に敬意を払ってるのかなんか知らんけど、その点がなあんか及び腰。もお、歯がゆいのよ!!

このジジイは自分の後継者を探すために、これまでも多くの見込みのありそうな奏者を拉致してきたんだという。最初はね、それも面白かったのよ。「何だっけ、あの麻婆豆腐みたいな名前の」「ヨーヨー・マですよ!世界的なチェリストの!」っていうね、娘婿とのおバカな会話がね。でもこれも、その後再三しつこく押してくるほどに笑えなくなるんだよなあ。海での特訓を乗り越えた弦に「バン・ヘイレン君以来じゃないか」とか、ダブルネックの三味線を取り出した晶が「ジミー(ペイジ)おじさんが使ってたの」とか……もういいよ、とか思っちゃうのね。最初の、ヨー・ヨー・マのくだりで全部出しちゃえばよかったのに。この辺にも散漫さが漂うのだー。うーん、でももういいよ、と思っちゃうのは、このノレないテンポのせいだとは思うんだけど……。

このダブルネックの三味線というアイテムも、もったいないんだなあ。弦は三味線王者決定戦“アルティメット大会”の秘密兵器としてこの三味線を持ち込み、決勝戦で高らかにかき鳴らす……のはほんの一瞬で、敵の倉内宗之助にあっという間にうちまかされちゃう。まあつまり、弦は自分がギタリストだったから、6本の弦があるこの三味線なら戦える!と持ち込んだわけだけど、ここで戦うのはギターではなく三味線なわけで、彼は全く邪道なことをしようとした……ということを考える間もなく、あっという間にやられちゃう。おいおい!そういう含みも何も持たせないで、何のためにこのダブルネックが登場したのか訳わからん!

それにさ、ヘンだよね。だってこの大会のために、弦は晶から猛特訓を受けてるんだよ?猛特訓には見えないけど……つまり、弦は晶とデートしてもらうために頑張るわけ。予選突破でデートしてくれるっていうんだから、もしや優勝したらあわよくば……みたいな。動機は不純でも、晶は弦に魂から響かせる演奏を伝授しようと、頑張ってる。三味線の心を教えようと、ヌンチャクふりまわして、「ドント・シンク。フィイール」とどこかできーたような台詞までのたまう。……で、何でその大会の決勝戦に秘密兵器だ!とばかりにダブルネックを出してくるのか、ちょいと展開上おかしいよねえ?
でもこの特訓場面もなあ……そもそも、ヒロイン役の杏さゆりがヘタすぎるんだもん。しかも美少女としてのパンチも効いてない。こんな風にギャグにしてもブルース・リーを出してくるんなら、それぐらいの衝撃が欲しい。うー、そもそも、ギャグのタイミングがいつもいつも悪すぎるんだもん。キスとクルマエビのギャグにしても、そうよ。弦がおねだりしたのは、勿論口づけのキス。弦と晶がいざキスせんとしようと抱き合いくるくる回る妄想シーン、に弦の口にキスの天ぷらがくわえられ……「そのキスじゃないよ!」うっ……タイミングはずしまくってるじゃないのよお。大体そんな妄想シーンはいらんわい!

この大会には美潮とジンも見に来ている。というのも全くの偶然で、弦のいない中、曲作りに煮詰まっていたジンがある関係者から吉田兄弟の映像を見せられ、何かの可能性を感じて、この大会に足を運んだのだ。で、美潮もまた、弦がいなくなって手を出した男にも振られて、一人じゃどうにもならなくってジンを追っかけてついてきた。……そもそも美潮はこのジンが好きだったらしい。でも振られた。彼には美潮を抱く気持ちなんて起こらなかったから。そう泣きながら彼女に迫られて、腰引け気味に「考えておくよ」と言うジンに、「ベッカムの上に入れておいてよ!」……んん?
どうやらこのジン君はゲイなの?聞き逃しそうになったぐらい、あまりにサラッと流したけど。でもそのキャラ設定に一体何の意味があったのかなあ……例えばジンが弦のことを友達以上に好きだったりとか?でもそういう展開、どころか含みも何もなかったぞ……何なの、この意味のなさは?

何だかなあ……それに、美潮とジンが、この大会に弦が出ている、しかも決勝戦に進んでる!って気づく場面もあまりにユルすぎるよ。ビックリ加減がショックなさすぎ。「……あいつ、こんなところで何してんだ?」とほけっとジンがつぶやく、だけでオワリかよ!ここはひとつの見せ所じゃないのお。うー、観客がそう期待、というか予測しているだけだけどさあ、いちいち気が抜けるんだよなあ。
あのね、それにね、ジンはこの大会に、弦のライバルである大石聖一郎を関係者から紹介されて見に来てるわけなのね。で、大石はあの魂を売った男、宗之助に敗れてしまうんだけど、ジンはこの大石に関して、「お、この子か」と言って、演奏テクニックに少々感心するだけで……オワリかよ!まあ、ジンがこの大会に足を運ぶキッカケに過ぎなかったわけだけど……あんたホントに津軽三味線の音にピンときてここに来てんのかいと言いたくなっちゃう。

でもその点に関してもねー。宗之助を打ち破って優勝した弦は再びゼロデシベルに戻り、ジンはこの津軽三味線からインスピレーションを得て新曲を完成し、最後にはそれを披露してくださるんだけど……津軽三味線、間奏にただ入れられてるだけじゃないの。これが津軽三味線からヒントを得て作られた曲??イントロなんか、なんかの曲にソックリだったりするんだけど……。それにさ、もともと美潮が、弦への腹いせに「私、ギターの音大ッキライなの!」と言い放ち、「次の新曲にはぜったいギターは入れません!」と言ってたわけでしょ。で、心ならずとは言いつつ、弦は津軽三味線への道に入ったわけで、で、しかも、弦のギターがなくて煮詰まっていたジンは津軽三味線に「目からウロコ」だったわけで、だったら当然、出来上がった新曲は、弦が最初から最後まで津軽三味線で押すべきなんじゃないの??「ギターの音は入れない」という公約を粋な形で守ることになるし、津軽三味線をマスターした甲斐もあるってもんじゃない……ホントに思いっきりフツーにギター弾いてやがるし。しかも間奏の津軽三味線のところだけいきなり袴はいて正装になっちゃうのがさ、そこまではいかにもJ−POPのミュージック・クリップって感じなのが、何それ、結局津軽三味線とこだけはギャグかい!みたいな……がっくり。

津軽三味線の新田親子、というのは初めて知った。親が倉内宗之助役。またずいぶんメイクさせちゃって……。大石聖一郎役の息子はスナオな演技がカワイイ。うん、ちょいと美少年だしね……うーん、知らなかったなあ。こんな子がいるなんて。
それにしても、世界的奏者、木下伸市まで本人役で出してきてからに……ああ、もったいない!★★☆☆☆


オールド・ボーイOLD BOY/
2003年 120分 韓国 カラー
監督:パク・チャヌク 脚本:ワン・ジョユン/イム・ジュンヒュン/パク・チャヌス
撮影:チョン・ジョンフン 音楽:チョ・ヨンウク
出演:チェ・ミンシク/ユ・ジテ/カン・ヘジョン/チ・デハン/オ・ダルス/キム・ビョンオク/イ・スンシン/ユン・スギョン

2004/9/28/火 試写会(霞ヶ関イイノホール)
うー、悔しい。原作がいいと、思いたい。ああ!どうして、日本の漫画が原作なのに、日本で作れないの!どうして売っちゃったの!もうこれからは売らないでほしい、悔しい!
何で韓国映画に対してはこんなに悔しいと思うのかなあ、不思議。中国映画や台湾映画にはそんなこと、思わないのに。というか、脅威。ここ数年でどんどん入り始めた韓国映画が非常に完成度が高くて、隙が全然ないから。悔しいけど、今の日本映画にない隙のない作品作り。しかもカンヌで賞とっちゃって、しかもしかもそれが日本の漫画原作ってなったら、もう歯軋りするほど悔しいのよお。リメイク権は日本の原作者に言ってほしい……あ、でも原作とは結構違えているという……うう、くそお、更に悔しいじゃないのっ!

理由も判らずに、本当に突然、15年間も監禁された男の物語。導入部からまず上手い。これは監禁がとかれたばかりの男の姿。高層ビルの屋上で、今にも落ちんとする男のネクタイをつかんで仁王立ち。この時にはこの男の状況なんか判らないから、いきなりで一体どういうことなのか、全然判らない。ただ、ドギモを抜かれる。上手い。
上手いと言えば、このオ・デスを演じるチェ・ミンシクも悔しくてはったおしたくなるほど上手い。確かに、“理由も判らず15年間も監禁された男”など、モデルとして参考になる人物などいやしない。彼の言うとおり、彼が演じるそれが正解となる、それは同時に演者としてものすごいプレッシャーになるに違いない。彼はまさに想像力とアイディアと気迫でそれを乗り切った。モジャモジャの頭に、歯を剥き出しにして、壁を殴り続け、身体を鍛える主人公。一年ごとに刺青を入れ、膨大な自伝を書き、壁をガリガリ掘り続けながら、いつか出る時がきたら、絶対にその犯人を殺してやる、それだけを生きがいにしながら、永遠に続くかもしれない時間を、生きた。

“もし、15年だと先に判っていたら、あきらめがついた?”
どうだろう……判らない。理由の見当がつかない15年なんて。
突然解放されるオ・デス。全く、脈絡もなく。きちんとした服や携帯電話にカネ、生活に困らない手配がすっかりされている。一人の若い女の子と出会う。謎めいた出会いだが、色々あった末、敵ではなさそうだということが判った。いや、それどころかこの女の子と心を通わす。愛し合うようになる。
監禁から解けても、広い監獄になったようで居心地が悪い、とつぶやくオ・デス。常に犯人の視線を感じる。とにかく、あの15年の理由が知りたい。
15年間食べ続けたギョーザの味を手がかりに、犯人を突き止める。恐るべき監禁ビジネスの実体。その経営者をシメあげ(歯をペンチで抜くのはヤメてー)、たどりついたのは、同じ高校出身のウジンだった。
そう、案外と早く犯人は判ってしまうんである。一にも二にもぶっ殺してやろうとするオ・デスにウジンは不敵な笑みを浮かべて言う。
俺を殺してしまえば、なぜ監禁されたのか、判らないだろ、と。
お前は、その謎を知りたいと15年間思ってきたんじゃないか、と。
15年というのは、漠然とした年数ではなかった。そこには驚くべき残酷な復讐の計画があったのだ。

でも私、……そう、ごめんなさい。こういう性質の映画にいきなりネタばれ、オチばれはご法度だと判っていても、ここで早くも言っちゃうけど、最終的には、結果的には、オ・デスにとってこれは、“残酷な復讐”じゃなかったんじゃないの?って思ったのだ……勿論、それこそがこのオチのオチたるゆえんなわけだけど。15年は、オ・デスの娘が成長する時間。犯人であるウジンは、催眠術でオ・デスと娘を運命的に出会わせた。そして二人は愛し合うようになった。……精神的にも、肉体的にも。
オ・デスにも見覚えがある、娘が幼い頃の家族写真から始まって、パラパラとめくっていくと、次第にその娘が成長してゆく。だんだんともうひとつの、見覚えのある顔となる。それは……激しく愛し合った、若き恋人ミドの顔に!
この時のオ・デスの悲痛な絶叫、そしてアクシュミにもウジンは悲嘆に暮れるオ・デスに、盗み録りした二人のあえぎ声まで聞かせてどん底に突き落とす。私、この時点でね……思っちゃったのだ。オ・デス、何もそんなに悩むことないじゃない?って。

うう、そんなこと思っちゃうなんてそれこそご法度なのかなあ。確かに禁断の関係には違いないよ。でも嫌がる娘を陵辱したわけじゃないし、お互いに愛し合うようになったわけだからさあ……。だって、言ってしまえば「血だけ」だもの、禁忌するところなんて。
まあ、母と息子だと、母は出産という事実で子供をもっと強烈に認識するところがあるからまた違うと思うけれど、父っていうのは、そういう実感が伴わないから、禁断性はもう少し薄いような気がするというか。それに欧米の宗教なんかだったらこういう近親相姦って価値観としてさらにヤバいんだろうけれど、仏教社会って、文化としてそういうの結構あったんじゃないかって気もし……あ、でも韓国ってキリスト教徒が圧倒的に多いんだっけ。
でも結局はオ・デスも、恋人としてのミドをとった。衝撃的だったのは、こっちのオチの方だったかもしれない。オ・デスは催眠術師に頼んで記憶を失うことを決断する。ミドを愛するようになった自分までを残し、娘だと知った自分を切り離した。……後者の“自分”が雪原に雪男のように幻の足跡を残して去ってゆくラストは、降りしきる雪と、純白の雪模様、そして後ろから抱きつき涙を落とすミド、と……まるで夢のように、美しかった。

おっと、いきなりラストまで言っちゃった。早いよ!その前にたっくさん言うことがあるんだってば。
だから、なんでウジンがこんな15年にもわたる復讐をしたかっていう話である。ウジンとオ・デスは同じ高校の生徒だった。ウジンは実の姉と愛し合う関係になった。それを聞き伝えたオ・デスはまあつまり……噂の発信源になってしまったわけ。しかもこの姉は妊娠したと思い込み、ダムから身を投げてしまうのだ。
“妊娠したと思い込む”そう、妊娠ではなかった。今やなつかし響きの“想像妊娠”である。そして一人で死にに行ったのではなかった。最後まで彼女は愛する弟にその手を握られていた。私は後悔していない。私のことを忘れないでね。そう言って……ついに弟の手は離れ、彼女はダムへと落下していった。
覗き見されるウジンと姉の禁断のシーンはしかし、美しい。清楚なワンピース姿の姉。その美しい姉に思慕の念を向ける弟。白いソックス。弟の手をくすぐったく払いのけながらも、自ら誘うように外す胸のボタン。ほろりとこぼれる可憐な乳房に吸い寄せられるウジンの唇……禁断、なんだけど、その秘密の場面はなんだか崇高に思えるほどなのだ。
ウジンは何にショックだったんだろう。噂が流されたこと?姉が死んでしまったこと?本当は妊娠していなかったこと?……そう言いはしたけれども、どれも違うような気がする。
ウジンは心のどこかで「後悔はしていない」と身を投げることを決心した姉を引き止めることが出来なかった自分を、最も憎悪していたんじゃないんだろうか。オ・デスに対する憎しみは、それから目をそむけるためのスケープゴートだったんじゃないだろうか。
確かに、自己憎悪に真正面から向き合えるほど、強い人間なんて、そうはいない。

一方で、ウジンはこの苦しみを共有する仲間がほしかったのかもしれない。一人じゃ耐えられなかった。オ・デスに近親相姦の禁断を犯させるため、15年も待った。仲間が出来ると思えば、15年も耐えられた。
でも、ちょっとした、いや、大きな違いがある。ウジンも言っていたこと……オ・デスは知らずに娘を愛した。ウジンは姉として彼女を愛したこと。
ウジンはそのことに誇りを持っているようだった。そして知らずに娘と関係を持ち、ショックを受けるオ・デスを冷笑した。でも、でも……この場合、幸せなのはどっちなの?
だって、姉さんは、確かに弟だったけど、純粋にウジンという一人の男の子を愛したんじゃないだろうか。
ウジンは違ったかもしれない。あくまで姉さんだから愛したのかもしれない。成長するのが遅い男の子。彼の中にひっかかるものがあるとすれば、この部分だったんじゃないか。姉さんを一人で死なせるしか出来なかったのも、彼が弟であり、恋人ではなかったから。
成長したウジンは、あの時、一人の女性として彼女を愛したかったと、悔やんだかもしれない。
だから、悲嘆にくれ、愚かにウジンにすがるオ・デスに噴き出し笑いをおさえながらも、彼をうらやましいと思ったかもしれない。
だって、結局、オ・デスは、ミドを愛しているから、親子の関係の方をこそ切ったのだから。
ウジンにはそれが出来なかった……。その結末をウジンは見届けなかったけれど。

そう、ウジンは自らの頭を銃弾で撃ち抜く。それまでは事実を知ったオ・デスに、長年の復讐してやったりと憎たらしいほど満足げだった。この事実をミドにも知らせようとするウジンにオ・デスは取り乱し、彼を罵倒したかと思えば一転卑屈になって靴をなめまわし、果てはウジンが「俺のペニスじゃなく、お前の舌(おしゃべり)が姉さんを殺したんだ」と言われたからと、自分の舌をハサミで切るという暴挙にまで出る(……エグい場面はそれまでも多かったけど、これはサイアク)。
でも、オ・デスのこの予想外の行為に……まるで嬉しげに笑いをこらえるウジンは、なんだか、どこか、不思議に、哀しげにもみえた。ウジンはミドに、(あの写真の入った)箱を開けないようにと告げてくれる。
そして、その後、ウジンは自殺、するのだ。
この、最後の優しさが入っていたかどうかは判らないけれど……復讐をとげた15年後に、姉のとむらいが終わった15年後に、彼が彼女の元に行くこの最期は、完璧な、彼の計算の中だったと思う。だって、ウジンはいかにも完璧主義者だった。摩天楼をのぞむペントハウス、仕立てのいいスーツ、ぞろりと揃ったカフスボタン……でも、孤独だった。その孤独までもが、完全だった。最後の最後まで、ウジンは完全に自分の計画を、思いを、やり遂げたのだ。

ミドが箱を開けたかどうかは判らない。でもミド、知っていたような気がする。箱云々の前から。女の子は案外と、そういうコトは気にしないもんである。言ってみれば、たまたま愛した人が父親だった(不倫の言い訳みたいだけど)、そんな程度。
だって、ミドが白い羽を背負うシーンが出てくるじゃない?あの、オ・デスが連れ去られた雨の晩、彼が一人娘へのお土産に買った白い羽だ。
一体どこから出てきたのか、それともあの時友人が送り届けてくれたのか、判らないけど、あの時点でミドが事実を既に知っていたような気がしてならないのだ。
そう、ウジンも言っていたけれど、運命的に出会ったからといって、愛し合うかどうかは判らない。それは、とても難しい可能性なのだ。
二人が親子であったということは、この運命にさらに運命度を濃くしたようにも思う。血でもなんでもいい、つまり二人はそれだけ離れられない運命の相手だったということ。
それに、オ・デスとセックスした時、ミドが痛がったのが……ありゃ、彼女ひょっとして処女だった?と思って……初めての相手が父親で、愛する人で、もう運命度数の針、振り切っちゃってるもの。
あのラストシーンに至るまで、一体どれだけの月日が経っているのかわからない。たった数日のような気もするし、何年も経っているようにさえ思える。オ・デスの決心を全て知って受け止めているようにさえ思えるミドの涙と抱擁……幸福なラストシーンだった。

監禁前と監禁後のウェイトの違い、そして顔つきの違い。凄まじい演技魂でオ・デスを生きるチェ・ミンシクに圧倒される。そしてもうけ役とはいえ、不気味で哀しくて繊細でずぶとくて残酷で……という複雑な役を演じるユ・ジテにも驚く。だって彼「春の日は過ぎゆく」の時とぜっんぜん違う!ずいぶん、ヤセたんじゃないの?
まるで緩みのない構成、緊張感の持続、それでいてギャグも効かせて、そしてこのシックな画といい、そして役者といい……ツッコむところが、ないよ!悔しい!★★★★☆


犯された白衣
1967年 57分 日本 モノクロ/カラー
監督:若松孝二 脚本:若松孝二 足立正生 若松孝二 唐十郎 山下治
撮影:伊東英男 音楽:高村光二
出演:唐十郎 小柳冷子 林美樹 木戸協萬子 三枝巻子 弥生京子 坂本道子 佐藤愚作 田中角造 荒船又十郎 椎名左遷男 愛知健太郎 三木良助 吉田信衛門

2004/9/21/火 劇場(銀座シネパトス/若松孝二監督特集/レイト)
若松孝二監督の鮮烈なバイオレンスは、いつだってこっちの心臓に容赦なく銃弾を撃ち込んでくるんだ。時々やんなるくらい難解に思えるんだけど、銃弾のような映像はいつだって矢のように貫いてくる。この作品だって、正直ワケ判んないと思った、最初は。いや今だって正直ワケ判んない。だけど、だけど、だけど……なんだってこの人はこうも狙い撃ちに心臓を撃ち抜いてくるんだろう。
“シカゴで起きた看護婦大量殺人事件が発想のヒント”なのだという。そこでは、この作品と同じように、一人の女だけが、殺されずに残されたんだという。そして……それがなぜなのか、判ったからこの作品を作ったのだと。そのあまりの自信満々に、正直、バカヤロウ!と言いたくもなるけれど……だけど、だけど、だけど……なんだってこの人は……もう!その答えが、こんなにも、絶望的に、美しいの。

冒頭、ヌードのコラージュとその写真にほほをよせる男のカットが延々と続く。この男は唐十郎であり、キャストクレジットはなんと、“美少年”!この繰り返しはかなり執拗で、作品のテーマなんだろうとは思いつつ、正直ゲンナリする気分もおこる。しかし、こんなことでゲンナリさせられているような映画では、なかったのだ。
この冒頭は後から思い起こすと、更に意味ありげに思える。母性に対する憧憬?それが募りに募り、裏切りを覚えた時に芽生えた、反比例的に突出した絶望と更に発展した欲望?などと……。

思えばこの男、どこから来たのだろう。このカットの後、フラフラと夜をさまよっている。夜……モノクロのせいか、そうでなくても始終夜のように思える。彼がさまよっていたのは、看護婦寮の周辺。
深夜である。寮では同僚のレズビアンセックスを見つけた仲間たちがひそかに盛り上がっていた。
深夜、という特別な世界が、大胆にさせたのか。外でフラフラしているこの“美少年”を彼女たちは引き込む。面白いものを見せてあげるからと。
彼は、それを見せられ、しばらく凝視していたものの、突然、激昂し、持っていた(!?)銃で片方の女を撃ち殺す。今から思えばそれは、彼の中にある母性への憧憬を、強烈に裏切ったからだったのかもしれない。そう、彼は、ヌード写真に興奮するというより、ほほを寄せ、安堵の表情を浮かべていたのだから。

そこから彼は、おびえる女たちを容赦なく撃ち殺してゆく。女たちの中にはいちかばちか、と思ったのか、寝巻きを脱ぎ捨て、彼を押し倒した者もいて、成功したかと思いきや……尻から撃ち込まれた。柱にくくりつけられて、カミソリで衣服を破かれながら皮膚まで切り裂かれ、なぶり殺される女、が最もキツい描写である。いや、描写されるわけではないんだけど、絹を切り裂くような悲鳴が連続して聞こえ……そして、突然カラーになると、どうしよう……息をのむほど“美しい”、括りつけられた柱から釣り下がった血みどろの彼女が。震えながらその悲鳴を聞いていた女は、彼を糾弾し、私には子供がいる、子供のために自分を助けて、と懇願する。判る、判るけれども、彼にとっては子供をタテにとった命乞いにしか聞こえなかったんだろう。母性に対する憧憬を裏切られ続けた彼の絶望、だったのかもしれない。この女、「私たちは白衣の天使なのよ」と言った。男は、さげすむように「……天使?」と返した。命の惜しい女は震え、怯えて、「天使じゃないわ」と訂正した……逃げまどうこの女に「ゲスめ」とつぶやき、正面から撃ち抜く。

そして、たった一人の女が残された。ずっと、恐れることなく、彼をじっと見つめていた、一人の女が。

こんな風に……若松監督作品は、いわゆる成人映画だけど、何だかちっともエロじゃない。女のハダカは満載に出てくるし、カラみの場面も満載に出てくるけど、エロじゃないのだ。残酷といえば、残酷。女は容赦なく殺され、切り刻まれ、血みどろ。豊満なヌードもそうでないヌードも血塗られる。容赦なく。衝撃のバイオレンス。矛盾するのかもしれないし、矛盾というところからさえ遠く離れているのかもしれないんだけど、そこには完璧なまでのストイックが漂う。そして、若松監督独特の、突如として挿入されるパートカラー。血みどろは、いつだってモノクロの中の、墨汁のようなどす黒さ、怨念のような恐ろしさ。それが暴力的にガシャリとカラーになって、非情なまでに美しい血の衣装になる。

男は、言った。君をこの血で飾りたいから、君以外の女を殺した、と。まさに、血の衣装。何よりも美しい、女が毎月流してきた、無数の生まれたかもしれない子供を殺してきた、血を、思う。
なんてことを思うのは、やはりラストシーンの、女の腕の中で胎児のように丸まっている男の姿、のシーンが脳裏に焼きついて離れないからだと思う。その周りには、男が殺した“白衣の天使”たちが、その白衣もつけず、一糸まとわぬ姿で血まみれになり、取り囲んでいる。花のように、時計のように……女の中で、いつ産まれるとも知れずに永遠に近い時を待っている、子供である男。

女は、言った。女は男を見つめ続けていた。男は彼女以外の女たちを次々に殺して……彼女だけが残った。「なぜ、私だけを残したの?」「君を飾りたくて」「それでなぜこんなに沢山の人を殺すの」男の指を噛む。にじむ一滴の血。「これだけで充分なのに」微笑む彼女。
何という、何という、詩的な言葉なの!こんな会話が、これだけの恐ろしい殺戮の後に続くなんて、信じられない。この言葉以降は、まるであの殺戮がウソのように、詩であり、哲学である世界が繰り広げられるのだ……という段になって、あの殺戮場面さえも、そうだったんだって、思う。あれは、詩だったのだ、哲学だったのだ。引きまくったりして……まんまと若松監督にしてやられた!

「ほら、君は僕に飾られたかったんじゃないか」「どうして?私はあなたのこと知らないのに」この会話、この会話!男に組み伏され、殺される女たちの後に、男にこう言い放つ女のなんというクールさ!それでいて、この彼女は、永遠のような包容力を見せるのだ……だって、女は、男を、産むんだもの。
そう、この男が、どこから来たんだろう、って思っていた。彼は、産まれるのを待っていたのかもしれない。毎月流す血、子供である自分を殺し続ける女を復讐のように殺し、自分を生んでくれる女を、捜していた。だなんて……語りすぎだろうか。

若松監督にはいつだってあの頃の時代の気分があって……それはこの作品がまさにオンタイムで記憶している、社会主義的な、気分である。ラストはこの作品と関係あるのかさえよく判らないんだけど……突入するヘルメットの男たちなぞがカッティングされ、社会主義がどうのというニュース音声が途切れ途切れに聞こえてくる。どうしても否定しきれない時代のファクターなのだと思う。私には、判らないとしか言いようがないのが、クヤしい。★★★☆☆


奥様ご用心POT−BOUILLE
1957年 115分 フランス=イタリア モノクロ
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 脚本:ジュリアン・デュヴィヴィエ/レオ・ジョアノン/アンリ・ジャンソン
撮影:ミシェル・ケルベ 音楽:ジャン・ヴィーネ
出演:ジェラール・フィリップ/ダニエル・ダリュー/ダニー・カレル/ジャック・デュビー/アヌーク・エーメ/ジャーヌ・マルカン/アンリ・ヴィルベール/クロード・ノリエ/ジャン・ブロシャール/ミシュリーヌ・リュシオニ/オリヴィエ・ユスノ/ミシェル・グルリエ

2004/10/28/木 劇場(有楽町スバル座)
きゃー!やだー!ジェラール・フィリップが、ヤラしいー!稀代のハンサムで、上品な雰囲気に酔わされてきた彼が、ここまで徹底的に女ったらしの役なんて。いや、思えば彼の役はいつでも女ったらしだったような気はするけれども(笑)、それは仕方ないよねー。だって彼みたいなハンサムが女ったらしにならないわけにもいかないもん。じゃなくて!そういうんじゃなくて、それがもう、公認というか、ノリノリというか、最初っからやる気マンマンというか、色目使い放題というか、罪の意識?何それ?って感じっていうか、ああ、でもそうだ、こんなヤツなのに憎めないのはジェラール・フィリップだからなのねー!出会う女たちは100パーセント、まるで避けられない交通事故にでもあったみたいに彼にコロリコロリと参っていくんだけど、彼のことを恨む女性は誰もいないの。それどころか貞淑で控えめな人妻なんか、ムリヤリ奪われたキスひとつで、彼に深い感謝を示す始末で。という役はアヌーク・エーメだったな。勿論、一番の美女だけど、あのアヌーク・エーメが案外と脇役。メインに絡んでこないの。ちょっともったいない?

フィリップ演じるのは、野心満々の青年、ムレ。いや、この場合の野心は、女に対してじゃなくてね。女に対してはもう生まれながらに野心満々なんだけどさ(笑)。南仏の田舎で織物の仕事に従事していた彼、その大胆な営業手法が認められ、ここパリにのし上がってきたのね。住処とするアパルトマンに入るなり、出入りする美女たちに実に満足げな彼。
その中には、適齢期の娘を二人抱える売り込み真っ最中のかなりゴーインなオバサンがおり、ムレに真っ先に目をつけるのだ。下の娘、ベルトもこの色男にひと目惚れ。しかしこのオバサン、判ってないの。娘たちが行き遅れているのは、自分の傲岸不遜な態度のせいだってこと。この強圧的な女房にいつもブチブチ文句を言われている父親にはそのことが判ってて、何とか娘たちを守ろうとするんだけど、もう弱くてさ……娘たちも父親のこと「カワイソウなお父さん」と呼ぶ始末で。
ムレが相手にするのは行き会う女たちほぼ全てなんだけど、その中でメインとなるのがこのベルト。この子ね、最初のうちはキスの経験もまだのウブな子で、ムレのことを考えるだけでボーッとなるような感じなんだけど、結局ムレとは結婚できず、母親の押し付けで財産目当てにブ男と結婚させられちゃって、もうそれからは開き直っちゃって、堂々とムレと不倫を重ねちゃう。あの純真でウブな女の子の影はどこへやら。ひたすら浪費を重ねて仕事もせず、それをとがめる夫には、当り散らす始末。うわあ……彼女の母親に結局はソックリじゃあないの。

このベルトの夫、オーギュストがカワイソウでさあ。彼、別にそんな言うほど、ブ男じゃないよ。まあ、ちょいとチビだけど。ムレほど如才なくはないけど仕事も熱心だしさ、何よりこんなウダツの上がらない男のところにヨメにきてくれた可愛いベルトに感謝して、「少しは僕のこと、愛してくれる?」なんて泣かせるじゃないの。それなのに、まー、この女ったら、自分がチョイと可愛いからって、もう最初っからこのダンナにあーあ、みたいな感じがアリアリなのよ。ホント、かわいそう……。
最もかわいそうだったのは、ついにムレとベルトの不倫現場を押さえてしまったオーギュストが、謝れ!とムレに言っても、なぜ自分が謝るんだ、ボクはベルトを幸せにしてあげていたのに、と返される場面(いくらハンサムでもこれは……あまりにもイイ面の皮だよなー。フィリップじゃなかったら、もうお前、何だよ!というところだが)。やぶれかぶれに決闘を申し込むも、女たちが同情するのはムレにばかりで、しかもオーギュストは自分の店を建て直してくれた、この優秀な営業部員を手放すのも惜しく、結局はムレに有利な形で決闘はウヤムヤに。最後までカッコ悪くさせられちゃうの。しかもベルトは夫がどうしても嫌いだから!などと自分の不義もタナにあげて実家に帰っちゃうしさ。まあ……もともとはこのバカな母親が悪かったんだけどさあ……。

という、話をメインにしながら、同時進行で次々と女をモノにしていくんだよ、このムレって奴はさあ。欧米の挨拶で、女性の手の甲に男性がキスするってあるじゃない。あの時点で彼、もう目つきがヤラしい(笑)。しかも、彼が手え出してるのって、みーんな人妻ばっかりじゃないの。なるほど、「奥様ご用心」なわけだね。だってあのベルトにしたって、彼女が独身の時は思わせぶりにファーストキスを奪うだけで、彼女の母親が結婚相手にと望んでいると知るとアッサリと戦線離脱。あ、あまりにも……。人妻ってことは、それだけ彼の自由を縛られないってことなんだよなあ。夫とは別の、恋人、と見ているベルトだけれど、ムレにとっては彼女は人妻で犯している罪は同罪だからとばかりに、彼女に縛られず、あちこちの女に手をつけちゃう。それが困ったことにさ、優雅なの。そこはもう、ジェラール・フィリップだからさあ……無理やり抱き寄せる手は女性の肩をぐぐっと引き寄せ、その手はそのまま実にいやらしーく女性の全身をなでさすり……しかし、確かにいやらしーく、なんだけど、彼がやっていると、うう、これがなぜか上品でダンスを踊っているみたいですらあるんだわ。頬に触れる手、さよならをする手、投げキスをする手、ああッ!くそう!なんて優雅なの!まるで曲線の方程式に従って動いているみたい……ああ、悔しいけど、そりゃこれには抗えん。無理矢理抱き寄せられたって、無理矢理キスされたって、まるで自分が望んでいたみたいに錯覚して、ヘロヘロと腰砕けになっちゃうのもムリないわ……まったく罪な男なんだから!

ムレは最初、エドワン夫人が切り盛りしている「婦人の幸福」という店で働いていたわけ。彼のセールストークと斬新な展開で店は大繁盛。つーか、彼、売れ残りの生地を、いかにご婦人たちに自分が望んでいるかのように買わせるかっていう、詐欺師まがいの技術に長けているわけよ(笑)。エドワン夫人は、そんなムレの実力に瞠目し、仕事のパートナーとして彼と今後の話をする。ムレの夢は壮大で、隣の競合店を買い取って、店を近代的に大きくしよう!と目を輝かせる。ちなみに、この隣の競合店っていうのは、ベルトが嫁いだオーギュストの店で、この「婦人の幸福」よりずっと老舗。青年らしい野心がキラキラしているムレに、エドワン夫人だって仕事のパートナーとしてのたくましさ以上のものを感じとっていたはず。
でも、ムレが例によって例のごとく、密室でエドワン夫人に迫りまくると、彼女は冷徹に拒否する。もともと、鉄の女とでも言うべき、厳しい女性、というのがウリだったのね。病に臥せった夫のかわりに、女一人がこの店を切り盛りしていくには、それは必要なことだった。正直、エドワン夫人だってこのハンサムな社員に心惹かれなかったわけもないとは思うんだけど……でも、それまで女に拒否されたことなどないムレはプライドを傷つけられたのか、それだけで店を辞めるとか言い出すわけ。お、お前なー……。去るものは追わず、でエドワン夫人も彼を深追いはしない。その時点では確かに、優秀な社員を失った、ぐらいにしか考えてなかったのかもしれないけれども……。

ほおんと、ムレってばヒドい奴でさー、よりにもよって、自分が潰そうと提案したそのオーギュストの店に入り込んじまうのよ。ちょうどオーギュストの父親が死んだのをいいことに、自分がこの店を救ってあげましょう、みたいなさ。で、エドワン夫人の店を圧迫せんとばかりにロコツなセールスを展開するわけ。……まあ、商魂たくましいムレにとっちゃ、それは当然の行動で別にそう深く考えているわけでもなかったのかもしれないけど。そんな中……今度はエドワン夫人のダンナが死んでしまう。しかもムレの方もベルトとの不倫がオーギュストにバレてしまう。でも、ホラ、先述のように決闘がウヤムヤになっちゃったじゃない?まあ、ムレとしてはちょっとカッコいいことをテキトーに言いながらも、もうパリはいいや、オサラバ、みたいな感じだったんだけど、そこへ決闘の話を聞きつけて心配したエドワン夫人がムレを呼び出すわけ。彼女はそう……もうバカだねー、やっぱりこのハンサムな元社員が忘れられないわけよ、ずっと。で、戻ってきて欲しいと。決闘なんてやめてくれと、涙ながらに懇願するのね。でさあ……ムレってばさあ……もう決闘はヤメになったのに、それをおくびにも出さず、僕がこの店を去った時から、もう僕はいない者なんですから、死んだってかまわないでしょ、みたいに、彼女の気持ちを薄々判ってるのにそーゆーこと言うわけよ!で、あなたはお金のことしか考えてないから……みたいにさ。ず、ずるい……そうやって、エドワン夫人から彼への愛の言葉を引き出すわけッ!あ、あんたねー、あんたねー!!!もおお、ジェラール・フィリップじゃなかったら、本当にもう、なんてヤな奴なのッ!

で首尾よく彼女の言葉を引き出し、唇を奪い、そして……ああお前、この店の後釜に座る気なのかよ……もしかして、あの時拒絶されたプライドを長い時間かけて取り返したってことなのー!?いや、だってね、ベルトとエドワン夫人の話ぐらいしか書けなかったけど、もうムレったら、行き当たる女性、行き当たる女性、手をつけなければ失礼、とばかりにある意味公平に手を出しまくってて、ああ、人妻の、チラリと見えるバストトップがー!じゃなくて!ああ、ジェラール・フィリップの、はだけた胸元の胸毛がー!じゃなくて!だから、その、つまり、そうなわけ。だからこのラストも、どこか行き当たりばったりというか、まあ最後に落ち着いたのがたまたまエドワン夫人だったかなー、みたいな、すっごく皮肉なものを感じさせちゃってさあ……ううう、この女衒!女たらし!でも素敵なのよね……困ったことに。乱れた着衣にささっとスリムなジャケットを羽織るのがこれほど優雅に決まる人もいないのよね。ああ、本当に、ジェラール・フィリップは罪な男じゃ!

しかし、ジェラール・フィリップ、ほっんとうに、ヤラしかったな……。★★★☆☆


おこんじょうるり
1982年 26分 日本 カラー
監督:岡本忠成 脚本:岡本忠成
撮影:田村実 伊丹邦彦 音楽:木下忠司 池田正義 鏑木創
声の出演:長岡輝子 小野寺かほる 木村富穂 後藤哲夫

2004/8/6/金 東京国立近代美術館フィルムセンター(日本アニメーション映画史)
先日、この岡本忠成の初期〜中期の短編集を観て、もうすっかりハマリまくったので、一般的に最も認知度が高いらしい本作が含まれた今回の三本は、当然足を運んだのだった。前回観た中にも浄瑠璃調の作品というのはあって、いわゆる前勉強があったのは、良かった。これがまさしく岡本作品の真骨頂だというのが、よく判るもの。浄瑠璃、なんて言ったってねー、現代の私たちにはそうそう縁がないものじゃない?でもそれをスルリと見せちゃうんだな、そしてそれでワクワクさせちゃうんだな、そして最後は……あーん、どうして哀しいの、哀しいなんて、ヤだよお……でもそれも昔話の切なさをしんみりと漂わせて、いついつまでも忘れないの。昔話っていうのは、そりゃ文字通り昔から語り継がれる話なわけだけど、でも現代でも新しく作られるものがあるのなら、こんな風なものであってほしい。きっと本当に昔にあったと信じられて、ドキドキワクワクして、笑って、泣いて、胸がほんわかするようなさ……!

素朴な土人形のあったかーい手触り、その動きのぎこちなさ加減が優しいの。回想場面にはこれまた懐かしい味付けの、線描画風の動画が入る。同じアニメーション(動画)でも使う話やテーマによって素材を変える真の職人アニメーターである岡本監督の手腕が冴えまくる。確かにこの世界はセル画じゃ出ないのだ。
何たって、このホンモノの津軽弁の語りが素晴らしいじゃないの、素晴らしいじゃないのッ!私はね、この場で何度も言ってきましたよ、アイマイな、“東北弁”なんて言われることに、んなもなあ、ないんだと、違うんだと再三言ってきましたよ。これこそが、ホンモノなんだなあ!ま、話がイタコのばさまの話だからさ、“東北弁”なんかじゃ当然困るわけで、もう根っから、ステキなステキな津軽弁なの。ばさまの元にくるきつねのおこんも、カワイイカワイイ津軽弁なの。ああ、もお、たまんない。私は津軽弁のファンだからさあ、たまんないのよ。もうそれだけで胸がきゅーんってなっちゃう。

イタコのばさまはね、今はもうすっかり衰えちゃって、占いもことごとくハズれるし、体も弱ってふせってる。そこに、きつねの子供がひょいとしのんでくるわけ。イタコのばさまにとっては、きつねってのはいわば敵よ。狐つきだといって、何度もお祓いした天敵。でもばさまはこのきつねの子供にありったけの食べ物あげて、今までの罪滅ぼしだあ、って言うのね。でもきつねは行こうとしない。ばさまの病気を治したくて来たんだ、って言うのだ。このきつねっ子の特技は、浄瑠璃で病を治すこと。浄瑠璃で??と目を丸くするばさまの前でろうろうと披露するその浄瑠璃の素晴らしいこと!

この浄瑠璃には本当に、心打たれるのよ。子ぎつねの、かわいらしい、女の子みたいな声でね、手足ほかほか!なあんて歌い上げられちゃったら、本当に治りそうな気がするよ。ここは津軽弁じゃない(笑)くっきり、はっきりした美しい日本語で、これもまたステキなの。この浄瑠璃でしゃっきり元気になっちゃったばさまは、その力に驚き、そしてきつねっ子に感謝する気持ちもあって、このおこんを山に帰したくなくなるのね。おこんも、ここにいれば食べ物に苦労することもないしなあ、なんて打算的なことも思って(笑)、おらも、帰りたくねぐなった!とばさまの元にいることを決意するのだ。

それ以来、おこんはばさまの背中にこっそりもぐりこんで、病人の枕もとで口パクで浄瑠璃をうなり、次々と命を助けて大反響。お礼の食べ物でばさまの家はあふれかえり、ばさまはおこんに心から感謝する。それに、子供のいないばさまにとって、このおこんは本当に、子供のように可愛くって、おこんも慕ってくれて、とてもとても、幸せな生活を送っているわけ。ばさまの今までの人生の中では、きっと一度だってなかったであろう生活を。
そんな中、ばさまの神通力のウワサがお上にも届き、幼い姫様の原因不明の病気を治すよう、使いが来る。でもその時、ばさまは何だかイヤな予感がするのだ。今回ばかりはやめた方がいい。断ろう、って。
でも、おこんは大丈夫だ、と言い張る。おこんはね、いっくらお礼にたくさんの食べ物をもらっても、自分が食いしん坊だから、ばさまに迷惑をかけてると思ってるわけ(うー、カワイイ……泣かせるッ!)。ばさまに早く楽させてやりたいって……ううう、なんて、なんって、イイ子なの、もお、きつねなのに(?)おこん!それに何たってお上の命令だから……伝えに来たサムライは断れば斬る!ってな勢いだし、仕方なし、ばさまとおこんは城に出向く。

姫様の病気は見事治り、殿様はあっぱれを繰り返し(いきなり出てくる!)、侍女たちがずらりと取り囲んで拍手喝采し(これまたいきなり出てくる!(笑))、やんやの宴の後、ばさまとおこんは沢山のほうびをもらって城を後にする。あの胸騒ぎは気のせいだったなあ、なんて言って。
でも、気のせいじゃなかったんだ。山道の帰り道、一服しようと立ち止まった時、お殿様からもらった小判がざらざらとこぼれ落ちる。それを御者が見てしまって……当然、ばさまめ、これをおらによこせ!とこうなるわけ。それまでばさまの背中でじっと息をひそめていたおこんなんだけど、なんだけど……ばさまの危機!と本来のきつねの怖さをシャーッ!とばかりに見せつけて(ちょっと、コワい)、御者を追い払う。
でもね、でもね……この時に力を使い果たしてしまったのか、あるいはあの御者の男に反撃されたのか、とにかくおこんはこのことで……我にかえったばさまが慌てて駆けつけてみると、もう、もう……虫の息なの。ぐったりとしたおこんを抱き抱えて、死ぬんじゃねえ、と繰り返すばさまの悲痛な叫び……でも、判っちゃうの、ああ、おこんは死んでしまうんだって。大好きな、大好きなばさまのために死んでしまうんだって!こんなの、こんなのないよお!

ばさまはね、何とかおこんに助かってほしいって思って……、懸命に、おこんの十八番の浄瑠璃を歌うのね。いつもおこんに、ばさまはヘタクソだなあ、って言われていた浄瑠璃。相変わらずヘタクソなんだけど、だけど……おこんは凄く、嬉しいのね、涙を落とすの。ばさまに、何で泣くんだ、って言われておこん、今まで人のために何度も浄瑠璃を歌ってきたけど、自分のために歌われたのは初めてだ、嬉しいって……泣くの。ぐったりと、なりながら。
うそでしょ、おこん、死なないでよお、ってもう、……泣いちゃった。でも、おこん、死んじゃう。そしてその後の語りは、その後、ばさまも後を追うように死んでしまった、って……でもその死に顔はとてもとても穏やかで幸せそうだったって……。ええ?こんな哀しいラストなの、って思うけど、哀しいけど、幸せなような気もし……何だかもう、判んない!でも、でもとにかく、ばさまとおこんは、親子同等、いや、親子以上の関係だったよね、おこんもばさまも幸せだったよね?

ああ、何か、日本な世界だなあ。日本人で、良かったなあ!★★★★★


お父さんのバックドロップ
2004年 98分 日本 カラー
監督:李闘士男 脚本:鄭義信
撮影:金谷宏二 音楽:coba
出演:宇梶剛士 神木隆之介 南果歩 奥貫薫 コング桑田 荒谷清水 AKIRA 田中優貴 清水哲郎 上村響 アブドーラ小林 井上勝正 みとし Badboy非道 シャドウWX 谷口裕一 村上健 バーブ佐々木 アジヘイ 黒天使沼澤邪鬼 山川竜司 登坂栄児 小林淑希 平良千春 榊英雄 宇野和男 神津三季 エヴェルトン・テイシェイラ 磯部清次 新屋英子 中島らも 笑福亭鶴瓶 筒井真理子 南方英二 生瀬勝久

2004/10/21/木 劇場(渋谷シネアミューズ)
クスリによる逮捕から復帰したと思ったら不慮の転倒での死亡、と、あまりにあまりに残念な人生の最後だったらもさんで、なんか後味悪かったなあ……なんて思ってたんだけど、彼の死後出てきたこの映画化作品、らもさんもチョイ役で出てて本人も絶賛のこの映画がもー、よくて、そんな後味の悪さもすっかり吹き飛ぶくらいで。本当に、らもさん、どうして死んじゃったの。この映画の公開の時に舞台挨拶で姿をあらわして、この映画のこと、この物語のこと、語ってほしかった。中島らも、完全復活、って言ってほしかった。この映画観た人、きっとみんなそう思ったと思う。

プロレス映画といえば、つい先ごろの「MASK DE 41」があって、これもくしくもお父さんがレスラーとして頑張る話。共通点はいろいろあるんだけれど、やっぱりテイストが全然違う。だってさー、大阪なんだもん。私、正直大阪はあんまり得意じゃないんだけど……でも悔しいけど、こういう世界観は大阪にはかなわないよね。この可笑しくて切ない大阪弁ワールド、そういう空気をかもし出す点において、日本中のどこの言葉もかなわない。どんな苦しい状況でもノリとツッコミが必ず存在してて、笑かしてやわらげて、そういうウィットがなんと子供の時点できちっと成立しているんだもの。なんかもお、うらやましいなあ。

子供!そーよ、このね、主人公、牛之助の一人息子、いやこの子こそが主人公であると言いたい、一雄役の神木隆之介君、ああなんとカワイイこと!カワイイ!カワイイ!女の子みたーい!このコテコテ大阪弁ワールドの中にあって、ひとり気取った東京弁なのもカワイイ!ああ、愛しい半ズボン、まつ毛長くて音のしそうなまばたき、色白にサラサラヘアー、「トーマの心臓」の中にいそうだよ、もう……何やってもカワイイ。
一雄はお父さんがキライなのね。プロレスやってるお父さんがキライなの。つい1年前、お母さんを亡くしてる一雄。お母さんが大好きだった一雄。夜な夜な隠れてお母さんと自分が映ったビデオを見てる。

彼が引っ越してきたボロアパートの、同級生の哲夫は、逆にお父さんを亡くした母子家庭。こちらはプロレスフリークで、父親がレスラーの一雄をひたすらうらやましがる。彼は焼肉屋を一人で切り盛りする英恵の一人息子で、じっつにマセガキなんだけど、最初からこの東京っ子の一雄に「ま、一枚どや」とクールミントガムを差し出し「美味いやろ、大人の味や」なーんて言っちゃって(笑)、即、友達になっちゃうのね。一雄は見るからに東京っ子で、学校でもいじめられてしまうんだけど、この哲夫と、“社長”と呼ばれている社長の息子と友達になる。いやー、定番の少年三人組!クラスの女子が体育館に呼ばれたことを、「正月と同じくらいめでたいらしいで」と聞きつけた“社長”「いいなあ、月経」「いいやろ、月経」と三人でうっとりして話すシーンに大爆笑、三人してオモチャのサングラスかけて、ヒッチハイクよろしくトラックを止める場面なんてもお、カワイイったらないの。

でも、この三人は三人してバリバリのいじめられっこなのだ。
逆上がりが出来ない三人に、これ見よがしにイヤミを言う見るからにいじめっ子の憎まれっ子。まあ、それに対して“社長”は「逆上がりが出来んくらいでクヨクヨすんなや」と一雄に言い、「お前が言うな」と哲夫に突っ込まれるんだけど(笑)。
いじめられるのは三人が皆と違うから……哲夫は普通の子の様に見えているんだけれど、ある日一雄に深刻な顔してこう告白する。「俺の死んだお父ちゃん、韓国人やってん。ハーフやで。かっこええやろ」いや、見た目に判らなければかっこええかどうかは……うーん。
でも、こんなさばけて、開けたように見える大阪でも、その子供社会にはやっぱりこういう問題は潜んでいるんだね……って、当たり前か。なんか、なんていうか、大阪ってそういうの、ないような気分がしてた。
この事態は後にまた大きく急展開するんだけど、それはまあ、後述ってことで。

主人公、下田牛之助役は、宇梶さんである。「MASK DE 41」のトモロヲさんと違って、もう最初っからある程度レスラー体型だし、最初っから強そうだし、あの顔の濃い感じなんかピタシよねーと思う。彼は新世界プロレスナンバーワンの実力派レスラー。でもこの新世界プロレスっていうのがなんというかもうショボいというか切ないほどというか……各地の巡業の様子が、目も当てられないありさまでさ、閑散とした駅前スーパーでの特設リングとか、海岸で漁師のおっちゃんたちの前でとか、総じて客たちは全然見る気なんてない、ぼけーっと彼らの試合を眺めるともなく眺め、拍手も歓声も何もない。一人裏方に徹する菅原は渋い顔で電卓を叩き、「しょっぱい客にしょっぱい試合やな」とぶつくさ。

ただただプロレスを愛して仕事をこなすレスラーたちと違って、この菅原の苦悩は大きい。後に牛之助に「結局カネか」と言われて衝突する場面で、「そうじゃ、金じゃ!わしはお前らを食わせにゃならんのじゃ!」と激昂する場面なんか実に判りやすいけど、そう、もうこの新世界プロレスは見るからにキュウキュウなのだ。
そのため、菅原は以前から牛之助にヒール転向を懇願している。
客を呼ぶためには、悪役も必要。しかしマジメな気持ちでプロレスに向かっている牛之助にとって、どうしてもそれをのむことが出来なくて……。
この菅原を演じるのが生瀬さんでね。もお、彼がまたイイのよー。まあったく、でっかい目ぇ見開いちゃってさあ、レスラーたちがパンツ姿やいいとこジャージ姿の中、彼だけ白いシャツの胸元開けて、黒い上下でちょっと、カッコイイのよ。それにいつも怒ってるのに、なぜだかカワイイ。怒ってる生瀬さんて、カワイイのね。

結局、牛之助はヒール転向をのむのだ。というのも、菅原が仲間のレスラーを一人、引退させようとしたから。まあ、菅原だけの意向ではなく、そのレスラー(一人、大阪訛りじゃない、なんか東北訛りっぽい純朴そうな人)も、自分に限界を感じて、引退しようと考えていたって言うんだけど、何たって純粋にプロレスを愛し、仲間を大事に思っている牛之助だから、そんなの許せないわけ。で、彼を辞めさせないかわりに、望みどおりヒールに転向してやる、ということになる。
牛之助らしいよな……で、彼は町の理容院に入る。いかにもショボくれた床屋さん。そこの、聞いてんだか聞いてないんだか判んないような店主が、特別出演のらもさんである。「キンパツにしてくれ」という牛之助のオーダーにこのオヤジ、なんと雑誌のやり方を見ながら調合するんである!出来上がった頭はキンパツというよりまっ黄っ黄。そして牛之助はさらに自分で歌舞伎風のメイクをほどこし、「やりすぎかな……」と言いつつ、鎖鎌をぶんまわしながらリングに上がる。それを遠くで見守る菅原は苦笑いしながら「やりすぎや」(笑)。

一雄はプロレスが大嫌い。しかもこともあろうにお父さん、ヒールにまで転向してしまった。そして更に……クラスメイトにナイショにしていたはずのこの事実がもれていた。それはクラスのいじめられっ子に“社長”が陥落してしまったのだ。“社長”と呼ばれながらも、気の弱いこの子が、使いっぱしりみたいになって、脅されながら先頭切って一雄の机にラクガキしたり、するのね。頭に血がのぼりやすい哲夫は“社長”を責めたてるんだけど、一雄はそれを指示していたいじめっ子の元に向かう。「謝れ!」そう繰り返し、振り上げたスプーンをその子の手にグサッ!!うわッ!
慌てて駆けつけた牛之助、「……親子で凶器はマズいやろ……」の言葉には思わず笑っちゃうんだけど、でも、この凶器親子(笑)の距離は実に微妙である。年中巡業でろくろく一雄の面倒は見てやれず、祖父にまかせっきり、家事はこの一雄にまかせっきり、つい先日も、親交を深めようとキャッチボールをしたら「ムリにお父さんやらなくていいよ」と一雄に突き放される。実は一雄のために再婚話も考えている牛之助なんだけど、それを鋭くかぎつけた一雄に激しく拒否されてしまう。

……だって、やっぱり死んじゃったお母さんの存在って……死んじゃってるから余計に、大きいんだよね。
牛之助は一雄に聞いてみる。「お父さんのこと、キライか」一雄は即答「キライ」。牛之助は嘆息し、「身もフタもないがな」とつぶやく。「お父さんがプロレスラーだからか」「そう」それに対して牛之助は、これは当番みたいなもんなんだと、皆がお花の当番できるわけじゃない、便所掃除の当番もいる。お父さんは便所掃除の当番のようなものなんだと説明する。すると一雄は「だから、運動会に来なかったの。だから、お母さんが死んだときも来なかったの。プロレス、好きなんでしょ。お父さんなんて大嫌い!」駆け出してしまう……。
あちゃー……こりゃ、マズい。マズいなあ……一雄の気持ち、痛いほど判るし……それに牛之助の気持ちも、そして死んじゃったお母さんの気持ちも判っちゃう。
だってさ、自分の死に目にも来れなかった牛之助だけど、それは彼女が望んだことだし、そんな牛之助だから、このお母さんは愛していたに違いないんだもの。
そして不器用な牛之助。自分がプロレスに打ち込むことでしか、家族への愛情を示せなかった。妻は判っていてくれたけれど、そんなこと、まだまだ子供の一雄に判るわけもなくて。
で、牛之助は一大決心するのね。クライマックスに!

落ち込む一雄に、更に拍車をかける出来事が。おじいちゃんが牛之助の試合を録画するのに、一雄が大切にしていたあのお母さんが映っているビデオを使ってしまったのね。ビデオテープのツメを折るということを知らなかった彼。「おじいちゃんなんか死んじゃえ!」と口走って、牛之助からビンタをくらってしまい、そのままテープを抱えてアパートを飛び出してしまう。電気屋のオッチャン(鶴瓶さん!)に何とかならないかと何度も懇願するんだけど、何とかなるわけもない。そのまま冷たい雨の中、テープを埋めているところに哲夫の母親、英恵に行き会うんである。
この英恵を演じる南果歩がね、彼女がまたすっごく良かったのね。普段はもうコテコテの大阪女、焼肉屋を一人切り盛りして息子を育てる肝っ玉母さんよ。でも女っ気マンマンで、いつも水商売みたいなハデなカッコにハデな化粧して、カワイイ一雄にほおずりなんかしちゃってさ。あ、このシーンが最高だったな。朝、一雄と哲夫に向かって歯を磨きながら階段の上から手を振ってるわけ。その脇の下には……一雄が「カビが生えてる」!!!哲夫は「毎晩そるんやけど、朝には伸びてんねん」うわー、果歩さん、その脇の下は……ハズかしすぎる!

えーと、物語の進行から思いっきり脱線しちゃったけど、プロレス好きの哲夫が一雄のお父さんに憧れているように、このハデだけれどしっかりおかあちゃんである英恵に一雄もまた、まぶしい思いを抱いているのだ。彼の亡くなった母親とは明らかに違う種類だけど(笑)。でもね、この雨の中英恵の傘の下に連れられて歩く一雄、こんな風に言うんだ……「いつも優しいわけじゃなかった。お父さんとケンカもしたし、ぼくのこともぶったりした。でも、大好き。でも、もういないんだ……」英恵は一雄をぎゅっと抱き寄せる。うん、やっぱり一雄は英恵に、生きて、生き生きと輝いていた自分のお母さんを重ねて見ていたんだね。
英恵は牛之助の幼なじみで、お互いにまあちょっとした感情も抱いていたりして。微かにイイ雰囲気になったりもするんだけど、あのマセガキの哲夫がうっかりジャマしちゃうこともあって(スゴい表情で合図する英恵に、すーっとドアの中に隠れていく哲夫!)その関係はまだまだである。でも、明らかに英恵の方は牛之助のこと……ね。なんだよね。

クライマックスは、牛之助があまりにも無謀な挑戦をする試合である。世界ナンバーワンのスーパー空手家との異種格闘技戦!牛之助はピークはとうに過ぎた中年レスラーであり、どう考えてもムチャな挑戦である。ヘタすりゃ死んでしまう。カネのために動いている菅原でさえ、お前はアホかと、死んでまうわと必死に止めるんだけど、牛之助は聞かない。
この試合だけは見に来いと菅原に言われる一雄は、黙ったまま……いつものように父親のロッカールームにタオルと着替えを持ってきていて、そのロッカーの扉に自分と母親の写真が貼ってあることに気づくのだ。
そうだよ、一雄、ようやく気づいたの、バカー!
汗だくで特訓を続ける牛之助のところに、彼の父親、松之助が陣中見舞いにやってくる。
「お前はどうしたいんや」そう、聞いてみるじいちゃん。
「一雄に尊敬されたい」牛之助は答える。そのために、それだけのために、死ぬかもしれない試合をしようと、彼はしているのだ!
「ぜいたくやな」そんな風に返すじいちゃんなんだけど、でもその息子の頭をぽんと叩いて去ってゆく。じいちゃん、カッコええよ!普段はかなりのボケジジイだけどさっ(笑)。
そしてそして、運命の試合の日……。

リングに出て行く直前、武者震いする牛之助に菅原が声をかける。「俺はお前が最強やと信じとるからな」「……俺がお前の期待を裏切ったことがあるか」「何べんもあるわ」大阪特有の、ちょっと毒の効いたユーモアが心をほぐす。牛之助は、「俺に万一のことがあったら、あとのことはよろしく頼む」そう言い残して……リングへと向かう。
登場した牛之助、マイクパフォーマンスでこう宣言する。「俺は今日、死んでしまうかもしれない。本当に怖い!」客席は殆どがスーパー空手家、カーマンを見に来ているわけで、こんな彼の台詞に失笑する。でも牛之助は続ける。「死んでしまうことより、リングに上がれなくなることが怖い。俺にはここしかないから」次第にシーンとしてくる場内。そして牛之助はこう続けるのだ……「俺は今日、たった三人のために闘う!自分自身のため、死んだ嫁さんのため、そして息子のため」テレビを見ていたじいちゃんが、「俺は入っとらんのか」というのには爆笑したけど、その隣では、思いがけず自分のことを言われた一雄が一瞬動きを止め……そして英恵は客たちとテレビで応援をしながら、この言葉にちょっとだけ、寂しそうな顔を見せる。

そして試合開始!
もうね、全然勝負にならないの。相手が強すぎるんだもん。牛之助、棒立ちで、ただただ必殺技を受けてしまうばかりなの。あまりに痛ましくって、見てられない。
でもバッタンバッタン倒されても、脳天に必殺かかと落としくらって、もうムリだってぐらいでも、絶対起き上がるんだもん、牛之助えええ!ああもう、胸が熱くなっちゃうよ、ボロボロに泣いちゃう。ああーもおお!
これは、「MASK DE 41」よりも相手との力量の差が歴然としているから、判官びいきの刺激度がより高くって、だから、最初はカーマン目当てで牛之助を失笑していた会場もね、もう牛之助!牛之助!コールなのよ。だって、あんなかかと落し、ふつー、一発喰らったらアウトでしょって感じなのに、牛之助、もうフラフラで絶対勝ち目ないのに立ち上がるんだもん、立ち上がるんだもん!そりゃあ、会場味方につけるよ、この牛之助コールの鳥肌の立つこと!

もう、本当に死んでしまう。心配したじいちゃんが、一雄と哲夫にこの試合をやめさせるよう、会場に向かわせる。哲夫は入り口で止められちゃったけど、一雄はするりと中に走り入っていく。リングに近づく。血まみれのお父ちゃんを呆然と眺める。「もう、ヤメてよ。もう、いいよ、ヤメて、死んじゃうよ!!!」涙ながらに訴える一雄、ああもう、カワイイんだから!
あんなにキッパリと「お父さんなんて大嫌い」と言っていたのに。でも、お母さんの次、かもしれないけど、当たり前、お父さんだって大好きなんだよね、本当はそうだったんでしょ、そうでしょ?
もう、大好きな人に死んでほしくないんだもん。そうだよね、そうでしょ?

一雄の姿を認めたとたん、牛之助、歯の抜けた血まみれの口でニカッと笑い、そして体勢をととのえて……奇跡の必殺逆転バックドロップッ!目を回したカーマンだけど、もちょっと待ってたら起き上がったのかもしれないのにね(笑)。でもここは牛之助の逆転勝ち!ってことで、大急ぎでって感じでレフリーがカンカンカン!そして牛之助がガッツポーズ!会場大、大興奮!リングに上がった一雄を肩車して、両手を振り上げる牛之助……ああ、ああ、流れる涙が気持ちいいぜー!ここで終わらずに、最後は焼肉屋での大盛り上がりの打ち上げで、牛之助がイモムシみたいに包帯だらけになっているあたりはお約束だけど、このお父さんにかいがいしくおかゆを食べさせる一雄が、あーん、もう!そして、“社長”とも仲直りするの。“社長”がおそるおそる来ていて一雄に「おめでとう」って言って……一雄はニッコリし、「ま、一枚どや」とクールミントガムを差し出す。あ、一雄、大阪弁になってる!大阪弁の一雄もメチャかわゆいよー。この大団円もまた、お約束だけど、ああ、流れる涙にクスッと笑っちゃうのが気持ちいいー!

1980年。ちょっと恥ずかしさもともなうあのキラキラの80年代だけど、こんな世界の中で子供時代を過ごせたコトは、うん、ちょっと、幸せだったかもしれない。★★★★★


お友達になりたい
2004年 86分 日本 カラー
監督:荒木太郎 脚本:藤川美和
撮影:小山田勝治 音楽:
出演:佐々木麻由子 藤川美和 大野金繁

2004/7/27/火 劇場(シネアートン下北沢/レイト)
今最も興味のある人の一人が、この荒木太郎監督なんである。ピンクの人だからナカナカ観ることが出来なくてクヤしい思いを常々しているんだけど、今回は初の一般映画ということで!まさに満を持して、だと思う。勿論、彼はピンクを主軸にこれからもやっていくだろうし、そこで培われたものっていうのはピンクだからこそ発揮できるものも多くあるだろうからそれはそれでいいんだけど、これを機にもっともっと一般映画も果敢に撮ってほしいと思う。それに、そうなれば、荒木監督のピンク作品も一般劇場でかかる機会が増えると思うもん。

それに、だって、予想以上の作品だったし。一般映画、でも本当にいきなり一般的じゃなく、ピンクの香りも少しは残しているんだけど(望月監督みたいにピンクをまんま一般映画に持ち込むっていうんじゃなくてね)そこはそれ、セックスが人間の日常や人生にとって普遍的に関わってくるものなんだっていうのは、やはりこれだけピンクで撮っているからこそ出せるものなんだっていうのを、凄くよく感じさせる出来栄えになってたから、ああ、さすが荒木監督だ、って思って……。荒木監督の凄さっていうのは、観る機会のあったいくつかの作品でも本作でも感じるのは……ある種の人間哲学があるというか、難解ではないんだけど、単純でもない、自然に感じ、考えさせるような深さがあるところなんじゃないかと思うところがある。恋愛や感情も勿論深く関わってはくるんだけど、それ以前に、というか前提としての人間哲学がある、そんな感じ。

本作でメインの三人が結ぶ関係というのは、恋愛や友情や感情というだけで語るには手におえない、というか、かなり難しいものがある関係だと思うんだけど、そういう荒木作品に感じる人間哲学、運命の縁(えにし)みたいなものが、もちろんセックスも絡んで、すっと納得できる描写というか仕上がりになっているのは、凄いと思うんだ……だってこれって、客観的に観ればちょっとした乱交状態だし、そんなさらっと納得できるものには出来ないと思うよ、普通は……やはりこういう部分は撮り続けてきた力がモノを言うんだなあ。

それでいったら、やはり主演の佐々木麻由子の上手さもまた大きく支えていると思う。言わずと知れた、ピンク界の実力派女優。だから彼女の上手さは多少なりとも判っていたつもりではあったけど、こうして一般映画の中の、ま、つまりは一般女優として彼女を見て、改めてその上手さを感じることになるのだ。通常の演技部分で、まずナチュラルに上手いし、そしてやはりこれは培われたもの、夫を亡くした、しかしその夫は冷え切った関係だった、そして今、心と体に揺れている大人の女、という色香は素晴らしいのだ。彼女がソウイウ場面で見せる上気した顔には以前も驚いたことがあったけど、そういう生々しさを感情と肉体とに宿らせる女優として、私は彼女以上の人を、知らない。

佐々木麻由子演じる佳恵が、亡き夫の三回忌法要を終えたところから話は始まる。和服の喪服姿、なんだけど、その胸元はちょっと不自然なくらいに開いていて、そして何だか上気した顔で、もう既に何かの予感を感じさせる。未亡人の色香とはこういうこと、みたいな、にじみ出る芳香。
しかし、今彼女が“つきあっている”相手と肉体関係はない。チャットで知り合った、元映画監督だという榊という男と、電話でイチャイチャ(つまり、テレフォンセックス)はするものの、最近、実際に会ってみたら、借りてきたネコのようで、手を出すどころの騒ぎではなかった。そのことで佳恵はこの榊に改めて好感を持つ。でもやはり、恋人というわけではない。
そこに現われる第三の人物。佳恵の住むマンションに越してきた若い女、容子は、榊の自己破産を担当する弁護士事務所に勤めており、しかもかつて、佳恵の亡きダンナと不倫関係を持っていた過去があった。この三人の偶然の、不思議な縁を得て、話は回り始める……。

案外、この榊というのはカヤの外なのかもしれない。狂言回しというほど外にはいないけれど。佳恵と容子は、過去には佳恵のダンナ、そして今はこの榊と、同じ男を二度までも共有するような関係なのである。佳恵は容子のことを知っていた。その声に聞き覚えがあった。一度、家に電話をかけてきたんだという。不動産業者と部屋を見に来ていた容子とエレベーターホールですれ違った時、その声を知っていることを即座に思い出した。

声を覚えているなんて、ちょっと、艶めかしい話である。
実際、ちょっと艶めかしい関係、なのだ。いや、まんまレズビアンとかそういうわけじゃない。せいぜいが軽い口づけ程度。温泉場で背中の流しっこをしながらそんな風になって、「ヘンな気持ちになってきちゃった」とは言うもののそこまでで(このへんは一般映画テイストかな)ちょっとはぐらかすように、バシャバシャとはしゃいだりする。熟れた大人の女と張り切った若い女の美しいヌードがまぶしい。
ま、何たって佳恵のダンナを寝取った女だから、それなりの修羅場はあるものの……それを静めたのは佳恵の、佳恵からの容子をくみ倒してのキスであった。この時点では言葉を封じるために、みたいな雰囲気はあったものの……どこか見透かされたように容子は佳恵への思いを語り出す。
一人で凛と生きる佳恵が本当に好きになってしまったんだと、だから同じマンションに越してきたんだと。友達になりたかったんだと。
涙ながらに語る容子の告白、二人のただならぬ雰囲気にそっと席を外して窓の外を見る榊、榊は二人の絆を橋渡す役目なのだ……セックスによって。

それにしてもこの榊というオジサンは不思議な存在。自己破産してるし、映画監督っていったって、今までに監督したのはたった一本っきり。ショボくれてもおかしくないのに、この美女二人を相手にしているんだから。
冒頭、首吊りをしようとする場面は出てくるけど、それもたった一回っきりで、そこにかかってきた電話に出ているくらいだから、ま、死ぬはずも、ないんである。
佳恵とはそれなりに感情を共有しあってる。でも手を出すことは出来ていない。一方で容子とはアッサリ関係を持ってしまう。しかもそれを、これまたアッサリ佳恵に報告するんである。佳恵は多少は動揺しながらも、自分は怒る立場でもないから、と、その後そんなことがあっても、まるで泰然自若としている。
容子が佳恵への思いを語ったのは、この榊と容子の情事が発覚して(発覚っていうか、榊はまるで隠す気がないんだから)三人が一同に介した場面。そこで佳恵と容子は不思議な友情以上、恋愛未満な関係を築くのだ。

いや、それでいったらこのトライアングルはどの線をとってもそうである。容子は榊と再三寝るけれども、だからといって彼のことが好きだというわけではない。かといって嫌いというわけでもない。そういうのとは違うベクトル、自分と近しいというか、親愛の情があって、それをセックスという表現に置き換えている感じである。
……というのを、スンナリ観客に納得させてしまうというのがスゴイと思って。だって、白髪で小太りのサエないおっさんと、結構カワイイ女の子がセックスする関係をそういう風に見せるのって、とても難しいと思うんだけど……それをやってのけちゃっているんだもの。
それに関しては榊役の大野金繁も勿論だけれど、やはり容子役の藤川美和のナチュラルかつ的確な演技と、存在感が大きい。でも!この人、基本的には役者としてはシロウトで、ふくおか映画塾の主宰(!)で本作の脚本も担当!す、凄いなー!もうこういうの、無条件に尊敬しちゃう。ふっくらとした唇に目が行く大きめの口、ベテラン佐々木麻由子に対して気負わない演技、弾ける肉体、そして何といってもその可愛らしさが、女優としての器を感じさせたのに、そんな才能まであるとは。だってこの脚本はホントに素晴らしいと思うよ。いやー、もう、才能あるのね、嫉妬しちゃうなあ?

榊は今は営業をしていない古い料亭の二階に寝泊りをしている。寝泊りっていうか、今は何もやっていない状態。電気も通っていないこの部屋で夜はロウソクを点して、本を読み漁っているような生活だ。
この、誰もいない、ガランとした料亭、という雰囲気がまず何とも言えず隠微である。二階の窓からは、少々荒れてはいるもののすがすがしい日本庭園が臨む、どこか異空間のような場所。
クラシック音楽にのめっていたらしい容子が作ってしまった多額の借金。しつこい取立ての電話。そういう意味で、容子と榊は似た者同士ではあったのだ。全てをリセットして出直すことを決意した容子は榊の元を訪ね、二度目のセックスをする。彼女はそこで初めてイッた。

その直前に、佳恵と榊もついに初めてセックスした。取立ての電話にナーバスになった容子が佳恵を訪ねてきて、佳恵が容子の部屋の留守番をしていた時に、容子のためにと金を用立てた榊がしのんできたのだ。無防備に寝ている佳恵をそっと愛撫して……寝ていながらヌレているのを確認した彼は、どこかレイプめいても見えるやり方で、彼女に挿入する。
目覚めた彼女は動揺し、少々抵抗する様子も見せながらも、指を噛み、みるみる顔がピンク色に染まって……そう、彼女も今まで夫とは経験したことのない絶頂を感じてしまう。
こういうあたりは、さすがピンクで鍛えられた佐々木麻由子。ずっと好感を持っていた相手。テレフォンセックスもしている相手。容子とは寝ている相手……その彼と結ばれるのはこんな風にせわしくではあるけれど、でもイッてしまう。やはり、好きだと思う。そして彼が管理人の仕事を得て、あの料亭から出て行ってしまう。というだけで、彼女と会えなくなるのかという点については、明言していないのだけれど……確かに“あの料亭”というのは、独特の雰囲気があるのだ。

その料亭で、榊と佳恵は別れのセックスをする。
それは濃密で、感情的で、……そしてそこに、実家に帰る、とその朝に家を出たはずの容子がやってくる。榊に改めて別れを言うつもりだったのか、あるいはもしかしたら、この場に佳恵がいることを察知していたのかもしれない……幸せそうに交わる榊と佳恵を、これまた幸せそうに、正座して、見届ける容子。
次のシーンでは、榊はもう出て行ってしまっていて、佳恵と容子が残されて、で、実家に帰る、と言っていたはずだった容子は、佳恵の花の買い出し(フラワーアレンジメントを職業としている)についていく、と言う。じゃ、行こう、と佳恵も快活に応じる。次のシーンでは、海を臨んだ一面の菜の花畑の中を、二人が笑いながら駈けながら、服を脱ぎ捨てハダカになって、笑いあい、ラストカットとなる。

これは、やはり、佳恵と容子のラブストーリーだったのかもしれない。
二人のそういうシーンは、決定的なものは出てこないけど、本当にリリカルに描写されるだけなんだけど、それぞれがセックスする榊との関係は二人をつなぐ、つなぎとめるものでしかないように、思えてくるのだ。
物語をずっと通じて咲き乱れる桜。佳恵の職業であるフラワーアレンジメントによる、花の氾濫……ビニールハウス一面の胡蝶蘭、そしてこの、ビーナスが二人、全ての境界から開放されたようなラスト。

やはり、荒木太郎監督は興味津々なんである。
敬愛する佐野和宏監督も、もっと撮って、こういう風に一般進出してくれればなあ……。★★★★☆


音楽喜劇 ほろよひ人生
1933年 110分 日本 モノクロ
監督:木村荘十二 脚本:松崎啓次
撮影:鈴木博 音楽:兼常清佐 紙恭輔 奥田良三
出演:藤原釜足 千葉早智子 大川平八郎 徳川夢声 横尾泥海男 吉谷久雄 関時男 中根竜太郎 丸山定夫 古川緑波 大辻司郎 間英子 神田千鶴子 双葉芳子 堤真佐子 宮野照子 三條正子 堀越節子 菊池のり子

2004/2/27/金 東京国立近代美術館フィルムセンター
上映終了後、出口に向かう人の波の中でいかにもオッチャンという感じの中年男性が「こりゃいかにもくだらない映画だったなあ」ともらし、連れはちょっと困った風に「……まあ、こういう時代だったんだから」と返す場面に遭遇して……。最初のオッチャンのそのいかにもアクビまじりの言い方にちょっとカチンときつつも、うーん、私もちょっとアクビまじりに観てたしなあ……と苦笑。日本最初の音楽喜劇、という触れ込みの本作、そういう割にはリズムが悪いのよ、多分。音楽のリズムはおいといて、物語のリズムというかテンポが。ぎこちないっていうのかなあ。“新派、花柳界のスタア多数出演”みたいにクレジットされているんだけど、役者陣、いや全体の作りというか雰囲気かな、ぎこちないの。何かこう、こなれていないというか、突き抜けないというか。話自体は小洒落てて、ドタバタありドラマチックあり、最後にはホロリともさせるんだけれど、それだけにこのぎこちなさはどうも観ていて居心地が悪くって。

主人公のトク吉を演じるのは、数々の映画でそのお名前を拝見している藤原釜足。これがデビューで、しかも主演。その後の名優も最初はこんなにぎこちなかったのねえ、なんて。そう、この作品のぎこちなさは彼のぎこちなさによるところが大きかったりして。ぎこちなさというよりは初々しさなのかな。彼は駅でアイスクリームを売って歩くお兄ちゃん。恋する相手はビール売りのカワイイエミ子ちゃん。そう、本作はビール会社とのタイアップ映画ということで、ビール、ビール、ビールなのである。ビール会社、エビスビールだからつまりはサッポロだわな。こういう記録的な意味で、本作は確かに興味深い位置付けにある。それにこの映画、いい意味でのツクリモノっぽさが色濃いのも面白い。カキワリ!!って感じ。主要な舞台となる駅のホームは、「ようよう駅」これはやっぱり……酔う酔う駅、なんだろうなあ。まるで厚紙で作ったような“サラリーマン電車”がのほほんと到着。発車する電車に向かって走ってビールを手渡したり。“明るい清潔感を出すために壁や柱を白く塗った”というその印象は、清潔感よりも、そんなちょっとポップなオモチャ感覚の方なんだけれど、それもまた楽しい。ワゴン式の生ビールもそんな感じ。ビア・ガールともいうべきエミ子ちゃんはバド・ガールのいやらしさと違ってレトロでポップですっごいかわいい。うん、こんな女の子にならビールを注いでほしいと思っちゃうんだな。

トク吉はエミ子に、いつか僕がお金持ちになったらビアホールをいっしょにやろう、と口説くのだけれど、エミ子は右から左で聞いちゃいない。だってエミ子には恋人がいるんである。音楽学校に通っているアサオ。トク吉と違っていかにもおぼっちゃまでスマートな青年。アサオはエミ子に捧げる歌「恋の魔術師」をレコード会社に売り込んで大ヒット。しかしそのことで音楽学校を追放させられてしまう。彼との別れに涙するエミ子をなぐさめるためにトク吉はエミ子の売るビールをしこたま飲み、泥酔して仕事をクビになってしまう。行く当てもなくふらふら歩きまわるトク吉。川で魚釣りをしている浮浪者を真似て釣り糸を垂れてみたら、何と大きなダイヤモンドの入った箱を釣り上げた!それを探していた泥棒二人組との追っかけっこ。うう、こういうスラップスティックの場面でテンポが悪いのが致命的だなあ……。藤原釜足のちっちゃさはいかにもスラップスティックが似合いそうなんだけど。引きでノンビリ撮っているせいなのか、カッティングがゆるいせいなのか。まあでも……これはそれこそ現代式の忙しいカッティングに慣れているせいでそう思うのかもしれないけど……ここはかなり、アクビモード。

泥棒から逃げて偶然飛び込んだ宝石屋で、これが盗まれたダイヤだと判り、巨額の謝礼金をもらった二人。トク吉はこれでエミ子にプロポーズできると意気揚揚。しかしその頃、エミ子はトク吉の謝礼金どころではない、あの大ヒットのおかげで夢の印税生活を手に入れたアサオとハッピーウェディングと相成っていたのであった。意気消沈のトク吉だが、その時あの泥棒たちがアサオの印税金を狙ってアサオの家に強盗に入ろうとしていることを耳に挟んでしまう。

ここからの展開はね、ちょっと、良かった。泥棒が入る前に、二人の新居に忍び込んだトク吉。それにしてもあんな口だけ隠した簡単な変装で声もそのまんまなのに、エミ子がトク吉に全然気づかないのが切ないというか、あんまりだけど。トク吉は二人に、金はあるのか、その金は人目につかない場所に隠しておいて、この部屋から一歩も動いてはいけない、と忠告する。強盗(はその後入ってくる男たちなんだけど)にそんなこと言われて、訳も判らず従う二人。その間にトク吉は泥棒たちを脅かして追い出す様々な仕掛けを用意する。蹴飛ばしそうなところに猫を仕込んだり(ねこー、かわいいっつーの)家中に紐を張り巡らしてヤカンやらバケツやらいっぱい吊り下げて、ピアノの鍵盤を叩く仕掛けまであるあたりもシャレてて、ヤツらを待つ。この感じが「ホーム・アローン」に似ていると指摘されているところがあったけれど、確かにナルホド。で、その場合、こちらがオリジナルな訳だ。うーん、ちょっと感動。そして泥棒たちをみごと撃退。でもアサオとエミ子は結局はトク吉が泥棒だったと思ってて、全てが去った後、不思議に魅力的な仕掛けのしてある部屋を呆然と見つめ、盗まれているのがエミ子の写真だけだった、という事実に「ヘンな泥棒ね」とエミ子はその仕掛け椅子に座って、カランカラン、とにぎやかな音を鳴らすのだ。ファンタジックで、ちょっと切ない。

ラストは立ち直ったトク吉が自分の夢を、あの相棒の浮浪者と共に叶えてビアホールをオープンする場面。ホールの名前はエミコ。そして店内にはあの盗んだ彼女の写真。オープン記念に無料飲み放題を掲げて店は大繁盛。粋なジャズ楽団が演奏する中、大いに盛り上がる。たまたま通りかかったアサオとエミ子。自分の名前がついた店に、あらやあね、と照れるエミ子だが、よもやその名前が本当に自分から取られたんだとは思いもしない。アサオは中に入ってみようと誘うのだけれど、それより早く家に帰りましょう。また泥棒に入られちゃうわよ、と二人はその店の横を通り過ぎてゆく。そんなことも知らずにトク吉は彼女のことを思って涙を流しながら(やけに号泣!)ビールをあおる。笑顔で。彼女のことを思い出しながら。

途中、仕事帰りのレビュウガールを口説く男として古川ロッパが登場する場面が面白い。歌でナンパするロッパにレビュウガールも歌で返す。そして二人仲良さげに暗闇へと消えていくんである。古川ロッパ、動いている彼を見るのは実は初めてだったりして。やっぱり記録的価値あり、かな?★★☆☆☆


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