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森崎書店の日々
2010年 109分 日本 カラー
監督:日向朝子 脚本:日向朝子
撮影:猪本雅三 音楽:野崎美波
出演:菊池亜希子 松尾敏伸 奥村知史 吉沢悠 岩松了 田中麗奈 内藤剛志
ヒロインの貴子が叔父の古書店に入るなり「カビくさい……」と言い、それに対して叔父の悟が「しっとりとした風情があるとか言ってくれよ」(あ、この台詞、絶対違う、自信ない……)と苦笑気味に言い、貴子がゴメンと謝るシーン、彼女も叔父も実はそれほど本気で言っている訳ではなくてね。
というか、貴子の方だってカビくさい、という言葉にその通りほどには嫌悪感があった訳じゃなくって、叔父の言うほどまではその時には感じなかったものの、ここは自分が知らなかった世界だなあ、という本能的な反応のように思えた。
そしてその、懐かしいような愛しいような、でも異空間である世界観は、確かに市川監督が紡ぎ続けてきたものだったのだ。
そう思えばヤハリこの作品は、神保町の劇場で観とけば良かったな、と思う。
ていうか、いつのまにやら神保町に映画館が出来ていたなんて知らなかった。そこで観たなら、もっとずっと臨場感があったに違いないのに。惜しいことしちゃったかな。
ところで、この監督さんは今回が初見。そしてヒロインは、映画初出演で初主演だというから勿論初見である(と思ったら、「ぐるりのこと。」で見ている筈らしい(汗))。そういう意味ではとても新鮮な気持ちで見られる。
本作のヒロインは、年恰好的にもいくらだって人気の女優さんをキャスティング出来たと思うけれども、このヒロインには、やはり手垢がついていない人が正解だったと思う。
昨今はモデル出身だと言ってもきらびやかな美貌ばかりでなく、市川実日子嬢のように面白い個性を持った女の子が女優として花開くことがあるので面白い。
貴子を演じる菊池亜希子嬢も、本作ではすっかり世界に染まってしまっていて、この後彼女がどんな風に花開いて行くのか判らないけど、面白い、と思う。
あのね、貴子は地味な女の子なんだよね。もう冒頭で失恋しちゃうから、さらにミジメな感じなんだよね。で、失業までしちゃって、「家賃も何もかもタダ」という言葉に誘われるがまま、叔父の古書店に住み込むことになる。
今まではろくに本も読んだことのない彼女がどんどん、この古色蒼然としたセピア色の古書店にしっくりくるようになる。衣装までもが、落ち着いたセピア色になる。
最初はあくびばかりしていたのに、それこそ勧められるがまま本を読むようになる。没頭する。ますますセピア色の世界にしっくりくるようになる。
正直、この居心地の良いままでいいとも思ったけれど、彼女は物語の最後、この場所を出て行くことを決意する。のは、決してこの場所を否定しているのではなく、彼女にとっては許されるばかりの場所では成長できないと思ったから、だと思うけれど……。
私ならきっと、ずるずるべったりここにいちゃうな。だって、いつまでもいていいって、叔父さんは言ってるんだもの。
神保町というところは、確かに世界的に見ても特異な場所なんだろうと思う。なかなか行く機会がないけれど、私も好きな町だ。
卒論のために、神保町で谷崎全集を古書で買い揃えたことを懐かしく思い出す。教授がね、卒論を書くなら全集は手元に置くべきだと言ったんだよね。で、日文やってるなら神保町の古書街は行っとかなきゃダメだと。
確かに谷崎の完全なる全集は現在の出版では手に入らず、古書でということになるんだけれども、実際古書で、パラフィン紙に包まれたケース入りの何冊もの本を買い、二重の紙袋を下げて古書店を後にした時の昂揚感ときたら、なかった。
まさに当時刊行された、旧仮名遣いのままの古書、付録の全集通信もひとつひとつキチンとついていて、心躍らせたものだった。
セピアに色が変わってパリパリとした手触りになる、あの古い紙の、まあカビくさいとも言える紙の匂いが、すんごく好きだった。
そうだ……今住んでる場所は、学生時代よりずっと神保町に近いのに(考えてみれば、ホントに、最寄りの駅から電車でほんの10数分の距離だ)、行ってなかったなあと思う。
劇中で叔父の悟が、ブックオフぐらいは行くけど、と言う貴子に、そういう場所には何十年も前の本はないんだよ。まあ、需要がないからだけどね、と返す台詞を聞いて、それこそブックオフ御用達の私は思わず首をすくめてしまった。
ブックオフに流れている本だって、生まれては消える刹那の運命の中にかろうじてその存在を示しているのに、神保町はそれをもっともっと長いスパンで、大きなたゆたう波のように存在している稀有な街なんだと、思い出した。
あの町に行けば、確かに、ここにしかない一冊に出会える。あのパリパリとした手触りの古書の匂いを思い出して、たまらなく行きたくなった。
私もイナカモノだけど、地方の人間にとっては、東京はイコール、コンクリートジャングルで、人が冷たくて、みたいな印象があると思う。だけど、東京ほどそうした“コンクリートジャングル”の隙間や陰に、こんな暖かな時間の蓄積を感じられる場所を持っている街はないだろうと思う。
そう、私はイナカモノだけど、一つの帰る場所はない、移動し流浪する環境だったから、常に今いる場所に執着する、せざるを得なかったから、余計にそんな東京の隙間の暖かさに、惹かれた。
確かに東京は変わり続けている。流動している。それは本作も意識して描いていることだという。実際には存在しないという悟の経営する森崎書店は、そういう意味では、実際に存在しないということさえ、それほど大した問題ではないのだ。
こういう書店が神保町にはあまたあるし、その中で消えていく店もあるけれども、人の記憶に残っているなら、それは確かにそこにあったのだもの。
そう、ホント、そういう意味では、こうして映画に刻まれた森崎書店は、これ以上なく“ここにあった”店なのだ。埃っぽくカビくさくて、でもその匂いが心地いい、本当に小さくて狭くて、宝物のような店。見ているだけで、涙が出ちゃう。
この原作自体がちよだ文学賞受賞作品ということで、映画を神保町が全面バックアップ。古書の入札場面なんてそうじゃなければ見る機会などなくって興味津々だし、街に古書が溢れかえる古書まつりのシーンは、本当に圧巻。
古書まつりってあるのは知ってたけど、こんなにスゴいんだ……東京にずっと住んでるのに、これに行ったことなかったのは失敗したなあ。一度絶対行かなければ。
実際、ずっと東京に住んでいる貴子だって、こんな街があること自体知らなかった。最初は戸惑うけれど、何せ時間は有り余るほどあるから、他の古書店を訪ね歩いたり、喫茶店に入ったりして時を過ごす。
店番しながら、あるいは喫茶店や自分の部屋でゆっくりと本のページをめくる貴子=菊池嬢の姿は実に絵になる。
どんな本を読んでるかとか、特に明確にしないのがいいんだよね。思わず気になって、彼女が手にとった本の背表紙を頑張って読み取ろうとしたけど、ことごとく失敗(爆)。
でもさ、本の中から押し花が出てきたり、読み手が感銘を受けたと思しき、赤鉛筆(ってところが、イイよね!)の傍線が引っ張ってあったりするのは、古書のエピソードとして実に王道で、キュンとくる。
傍線を引っ張ってたのは、見ることと自分が受ける感覚についての一文で、なかなかに印象的だったけど、詳細は忘れた(爆)。
それより単純に、押し花の方がちょっとグッと来たなあ。だってさ、あの本もセピア化、パリパリ化してたし、相当、もう、何十年ってスパンの古い本でしょ。
でもページの間から出てきた押し花は、空気が閉じ込められてて鮮やかな色を失ってなくて、まさに、その時を封じ込めた、押し花をしのばせた読み手の思いが、ページの間からふわりとたちのぼってくる感じがしたんだもの。
貴子がこの町に来てからは、特に大きな展開が待っている訳ではないのね。彼女が次のステップ、仕事を決めてこの場所を出るという決断をするまでは、店番をしたりおいしいコーヒーを飲ませる店でまったりしたり、そんな日々なのだ。
でも、ここに来た理由に至っては、ちょっと陳腐な恋愛ドラマチックな事情があった。貴子自身は付き合っていたと思い込んでいた……いや、客観的に見ても、この状態は付き合っていると言うであろう相手からデート中、「俺、結婚することになった」と突然告げられるんである。
しかもその相手は「カノジョだよ」つまり、貴子は恋人ではなかった、少なくとも彼にとってはそういう認識ではなかったんである。
そんなことをアッケラカンと言った後に彼は、「それで今日はどうする?おまえんち、行く?」と特に悪びれもせずに言うんである。
つまりこれって、思いっきり、単なるセフレってことだよな……。ショックを受けた貴子は、彼の結婚相手が同僚だってこともあっていたたまれずに会社まで辞めちゃって、心配した母親から叔父に相談が行き、この状態にあいなるのだが、正直すべてがすべて、貴子に同情できる訳でもない。
そう、正直、このキビしい時代に、こんな理由で会社を辞めるのも解せない……などと思うのは、そんな恋愛体験もロクにしてないナマクラ人生を送っている私が言うべきことではないのだろうが(爆)。
それにね……こういう場合、こんなヒドイ男に憤るべきなんだろうけれど、確かにヒドイ男なんだけど、そうしきれないんだよね。
彼と貴子が相対しているシーンは冒頭のわずかな時間だけなんだけど、その場面で自分の興味あることばかり喋る貴子に彼はウンザリ気味で、で、彼が自分が感動した映画の話をすると、貴子は「SFとかはちょっと……」ともう最初っからシャットダウンなんだもの。
まあ、彼が貴子の話を全く聞いていない状態なのもアレだけど、でもそれは多分、今までずっと、そんな具合に、貴子は彼の反応も特に気にせずに自分の話ばかりしていたんだろうな……という雰囲気があって、彼の話に最初っから乗り気じゃない風なのが、余計にその感じを加速させるのだ。
彼が話す映画っていうのが「ブレードランナー」で、彼はそれをレンタルで借りてきたと言い、「20年前の映画」なのにこんなにスゴい、何度でも観たい、と興奮している。この映画の時に青春時代を過ごしていた当方としては、なんとも隔世の感を感じるというか……(笑)。
でも思えばさ、「ブレードランナー」は、東京の近未来を映した映画で、その中でさえ、近未来都市、東京の流動的な姿が予言的に示されていたのだよね。
そしてある意味あの映画以上に東京は近未来化し続け、そして予想とは反して、古い文化や街並みもしぶとく残り続けた。なんか私はそれが、「ブレードランナー」を出してきた理由のような気がして、嬉しかったんだなあ。
しかして物語のクライマックスでは、貴子の話を聞いて憤った悟おじさんが、ソイツにはちゃんと謝らせなければいけない、と彼女を促がして彼の家に乗り込むシーンが用意されているんである。何か重いものを抱えている貴子に、打ち明けてごらん、と話させるところまでは予測出来たけど、正直この展開は予想外だった。
押しかけてもこの男は決して自分の非を認めようとはせず……ていうか、彼の中では、貴子が本気だったという認識がなかったんだから仕方ないとも言えるのだが……貴子が涙ながらに彼に訴えるのも「私はあなたが好きだった。私はモノじゃない」ぐらいの描写で終わってしまうのは、逆に痛々しい気がした。
そう、まるで、この時点で彼女もようやく、自分が彼にとってはモノ(セフレ)に過ぎなかったことに気付いた、というか、直面できた感があって……。
悟おじさんは、姉である貴子の母親から彼女の窮状を聞いて店に迎え入れるんだけど、貴子の母が、何とかしてくれないかとまで言ったかどうかは微妙なんだよな。恐らくそこまでは言ってなくて、悟の独断で貴子を招き入れたんじゃないのかなあ。
「僕は夜には国立の家に帰るし、好きに使ってくれていいから」と、物置状態になっていた店の2階の部屋を提供する。でもこの台詞自体、同居じゃないから心配しないで、と言ってるようだよな、と思ったのはハズれてはいなかったらしい。
彼は結婚はしたらしいんだけど、現時点で奥さんはいないらしいのが、喫茶店のマスターとの会話で明らかになる。出ていったのか、まさか死んだ訳じゃないだろうな、理由は明らかにされない。
喫茶店のノートには、若き日の彼が奥さんと一緒に来た幸せな記憶が残されている。
感じとしては、子供もいなさそうなんだよね。彼の「夜は国立の家に帰るから」という台詞がやけに気になったのは、古色蒼然とした古書店の店主に納まりながらも、演じる内藤氏から隠しようもなくにじみ出てしまう色気に他ならない。
だって彼、貴子を元気付けようという意図がありながらも、こんなことまで言うんだもの。
「君は僕の天使だから」
それは、彼が悩み多き年頃だった時、貴子が生まれたから。一度は就職したものの失敗し退職、生きる道を見失っていた彼は、もう一度頑張ろうと思った。
自分の居場所を見つけたいと、各国を放浪する旅に出て、そして見つけた場所が「生まれた時から一番知っている場所」だと笑った。
父親の死がきっかけで受け継いだ店だけれど、その放浪があったからこそ見つけた場所、だったのだ。
そんな経験もない貴子は、自分は甘ったるい人生を送ってきたんじゃないかと悩んでしまう。しかも今はまさに無為の時間を過ごしていて、ムダな時間なんじゃないかとまで思い悩む。
そんな彼女に、充分休んだらいいよ、と悟叔父さんは声をかける。いつまでもいてくれたらいいと。
もちろん、彼は最初から最後まで貴子にとっての良き叔父さんであり続けるのだけれど、そもそもこの場所に呼んだこともそうだし、貴子の元カレの話に憤慨して乗り込んだり、「君は僕の天使だ」と酔った勢いとはいえ(あの時手にしていたのは缶ビールだったよね?酔った勢いというほどではないかな)そんな台詞を吐いたり、なあんか、ちょおっとドキドキさせるんだよなあ。
そりゃね、何があるという訳じゃない。もちろん、そうなんだけど、あんなに愛した奥さんもいなくなって、雰囲気的にはどうやら子供もいないらしい彼が貴子に注ぐ暖かな視線が、なんとも……ね。
だって叔父と姪って、ダメだけど、そーゆー話もなくもないし(爆。私ってサイテーだな……)、内藤氏って、一見しては無害な叔父さんなんだけど(ちょっとミもフタもない言い方だが)、なんかそれだけに、ちらりとにじむ色気がミョーに気になっちゃうんだよなあ。
年相応な軽い中年腹さえもなんかステキよ!私、適度な中年腹は好きさっ。外見を気にしてヘンに鍛えているより、無防備なだけ色っぽい気がするもん。
貴子があらたに仕事を探してここを出て行くと言った時の、悟叔父さんの寂しげな表情がさらにその気持ちを加速させるんである。
でも、劇中ではまだ出て行くまではいかないんだよね。それどころかすっかりこの町が気に入った貴子は出て行くことの寂しさを口にするし、仲良くなったコーヒー店の店員で大学院生のトモコも寂しがって、ここから通えばいいじゃない、と言う。
結局は引っ越しの手はずどころか転職先も決まらないままに終わるから、ひょっとしたらこのままここに居座るかも知れないなあ、という気分は残すんだよね。
あ、そうそう、なんか周辺のエピソードはことごとくこぼしちゃったけど(爆)。店の常連さんが、志賀直哉の素晴らしさをこんこんと貴子に諭し、ついには貴子は古書店で志賀直哉の本に手を伸ばすに至ったり。
まだ心の荷物を話してくれない貴子を、叔父さんが夜ムリヤリ起こしてお気に入りのコーヒー店に案内する、そこでトモコと、もう一人の寡黙な青年と出会う。
この青年と恋の発展?と思いきや、彼はトモコに思いを寄せていて、貴子にその協力を頼んだり。
正直このエピソードは、一度は自分をデートに誘おうとしてるのかと思った貴子が(いやそれは、叔父さんがそう仕向けたからね)、彼からそんな頼みごとをされて落ち込むかと思ったんだけど、それどころか人の色恋沙汰にニンマリしてさ、すごくそれがホッとしたんだよなあ……。
かといって、トモコと青年が実際お近づきになる感じにまでは、映画の中ではいかないのだが……。
でもこの青年の、あまりな純朴っぷりが、それだけで、貴子を癒したのかもしれないと思ってね。
だって、あの貴子をフッた元カレ、実にわっかりやすく、カッコツケだったんだもん。前髪タラリのヘアスタイルといい、細身のファッションといいさ。
それは決して、この神保町には似合わないスタイルだった。貴子は最初から、この町にしっくりときた。そしてこの町に集う本を愛する人たちは、みんなそんな風に、ほっとする人たちばかりだったのだ。
決してオシャレではないかもしれないけれど。不器用で、ちょっと人見知りだったりするから、最初はちょっととっつきにくかったりするあたりもまた、愛しくて。
だからね、こんな町を見ていると、東京は冷たくて云々……などという、一辺倒な見方は、イナカモノの私ですら、激しく否定したくなっちゃうんだよね。
麗奈ちゃん扮するトモコが、貴子に別れを惜しんで、いつもダベっている(という言い方自体、死語だろうか??)。
屋上の室外機の上に座って、人に価値観を与えられるんじゃなくて、自分で価値観を作りたい、と、ある古書店の店主の有名な言葉を引用するシーンで終わるのが凄くイイ。
この言葉、イイよね。まさに神保町の古書店の存在価値を示している。この町の、小さな古書店にたった一冊だけ残された本であったとしても、そこには唯一無二の価値観が残されているのだ。
それは確かに、ブックオフの中で流れては消え去るかもしれない、刹那の古本とは明らかに違う。
それを象徴するのが、悟叔父さんがどうしても値段がつけられなくて、貴子にそれを託す一冊の本である。相変わらず、そのタイトルも内容も示されないけど、一見して「面白そう」と手にとった貴子は、いつものように窓辺でゆっくりとページをめくり、人知れず涙を流す。
そして、値段を決めた小さな紙片を丁寧に巻末に貼り付ける。一度は一人の客の手に取られるけれども、劇中では最後まで買われることはない。
彼女がいくらをつけたのか、どんな本なのか、明らかにされることはないんだけど、古書店の価値観による思いのこもった値段のつけ方も、祈るようにして客が手に取るのを見守る様も、そのひとつひとつが、本当に宝石のようだと思う。
無限の時間の中で、ささやかな自分の時間を置かせてもらえる。こんな風に暮らせたら、どんなに幸せだろう。そう思うのは、きちんと闘ってないからだ、というのは判ってはいるんだけれど……。
改めて、神保町ってやっぱり、凄いと思う!浅草やディズニーランドより、アピールする街だと思うなあ。たまらなく、行きたくなってしまった。築地もそうなりたかったけど……。★★★★☆