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「よ」


2010年鑑賞作品

蘇りの血
2009年 83分 日本 カラー
監督:豊田利晃 脚本:豊田利晃
撮影:重森豊太郎 音楽:TWIN TAIL
出演:中村達也 草刈麻有 渋川清彦 新井浩文 板尾創路 マメ山田 市鏡赫 大嶋宏成 櫛野剛一 村上マサト 鈴木卓爾 松岡恵望子 松岡璃奈子


2010/1/19/火 劇場(渋谷ユーロスペース)
いやー、信じていたよ、信じていたよ!世の中には、一度罪を犯してしまった人が復帰するのを良しとしない、厳しい人もいることは知っているけれど、才能のある豊田監督がこのままいなくなるとは思ってなかったよ。
しかも豊田監督が姿を消す前に発表した作品が高く評価されていたから余計に……彼の才能を潰させまいとする人たちが必ず彼を支え、復帰してくれると信じていたよ!

それにしてもその復帰作は……かなり意外なものであったのは事実。前情報を入れないままだったので、前提の物語を理解しないままではあったけれど、何か神話からヒントを得たのだろうなという感触はあった。
ま、テルテというヒロインの名前の時点でピンときてなきゃ私、ダメダメだけれど(爆)。小栗判官。うん、私、専攻が日文なんだから絶対授業でやってる筈なのだが(爆爆)。
テルテ姫の名前は聞いたことがある。しかしこんな物語だっけ……ガキアミという言葉すらはじめて聞いたような。私授業で寝てたかしらん(爆爆)。

作品解説でも、そして監督自身の言葉でも「生きている限り何度でも甦れる」というテーマは、今回の監督の復帰のこともあいまって、確かに大前提のテーマであろうとは思うのだが、もっとシンプルに、もっと単純に、そして……そう、それこそこの監督の作品で、こんなまっすぐなハッピーエンドになっていることに驚いたように……これは「愛」がテーマになっているんじゃないかと思った。
のは、タイトルクレジットがね、タイトルの「り」と「の」が重なり合って、それが「愛」の字に見えたから。偶然かなと思ったけど、偶然じゃなかったかもしれないなと思ったのは、その、ちょっと照れてしまう程にまっすぐなラストシーンがあったからだったのだ。

キャスト陣が、豊田組とも言える常連俳優が集結しているのも、この復帰作を皆が支えている感じがしてとても嬉しい。マメ山田氏なんて、豊田作品のいわばトレードマークだもんね。
ことに準主役となる渋川清彦氏はほおんとに、豊田作品でチャームな魅力が花開いた人。ある意味、豊田作品でなければ花開いていない気もしないでもないけど(爆)。でも、なんかそういう意味でも嬉しかったなあ。「女に病気をうつされて、ふぐりがカボチャぐらいになってしまった闇の大王」なんて、彼のようなある程度のチャーミングさを持っていなければとてもシャレにならないよ。
でも女に手を出しまくっている彼は、誰からうつされたか判らず、手をつけた女を全て殺しちゃったってあたりがそれこそシャレにならないのだが(爆)。

おっとっと。主人公の登場を忘れていた。復帰作にこの人を持って来るか!と驚いた中村達也。なんかいつまでもトンがった印象があったけれど、いや今でも変わらずにトンがっているけれど……ハダカを見せる機会のある本作、お腹こそ出ていないけれどお肌の張りや筋肉の独特の落ち方が、彼の年を如実に感じさせてしまってちょっと哀しい……いや、まだまだ全然若いけどさ!

で、彼が演じるのが孤高の按摩、オグリ。地の果てのように寒々しい岩々がそびえたつ地、闇の大王に請われて訪れたことで、彼の運命は変わった。
そう、それこそそれまでは、彼が語るとおり、流れ者で、自分の腕だけを頼りに、どこかに留まらず、誰にも頼らず生きてきた。
「呼ばれればいつでも参上します」というオグリに、「だから呼んでるだろうがよ!」と大王に凄まれてこの地に留まることになったものの、超ワガママものの大王は自分の言いなりにならない彼を疎んじたか、毒入りの酒を飲ませて彼を殺した。
……いや、大王はひょっとしたら、テルテに逃げろと忠告したオグリに気付いていたのかもしれないなあ。

おっと、ところでね、本作の大きな特徴、というか魅力は、まるで即興的にさえ思える(いや実際、映像に即興的につけたのかもしれない)ドラミングを基本とするその音楽でさ。
勿論、そのドラムは、主役を張る中村達也の手によるものに他ならない。
ちょっとこれには唸ったなあ。まあ私はその方面の音楽には詳しくはないんだけど……即興的でありながら、そして彼の基本はロックでありながら……凄く、洗練されていたのだ。
いや、こんな言い方をすると、まるでロックが泥臭いと単純に思っているみたいだけど(爆)。
パンキッシュのようでそこまで壊れてなくて、ジャズのような底に感じる定型もなくて、だけど計算されてて、でも計算されてなくて、みたいな。
それがこの、神話を元にしながら野心的に展開する本作に、本当にピタリだったんだよね。大人の不良性、計算された傍若無人。この音楽、というかドラミングこそが本作を引っ張っていたと思うなあ。

で、話が飛んじゃったけど。どこまでいったんだっけ?
あ、そうそう。オグリがいったん死んじゃったところね。で、彼はいわゆる三途の川てなところ、だろうなあ、あそこは。そこで、なんか門番みたいな人に、天国と地獄どっちに行くか?と問われるのだ。
この問い自体オイオイと思うけど(いや、だって、選べるなら普通さ!)、しかも「オグリさんなら天国に行ってもええよ」とスイカにかぶりつきながら言う門番って!

それを演じているのが板尾氏だからミョーにリアリティがあるんだよなあ。
私、彼を初めて観たのが超つまんないと思った「ワースト☆コンタクト」だったから、それ以降“ツマンナイ映画に出てた役者”のイメージがなかなか払拭し切れなかったんだけど、「空気人形」でようやく……ま、そんな話はどうでもいいって。
かくして、オグリは現世に戻ってくるんである。彼は「老いた母親もいるし、自分は手に職もあるから大丈夫」だと言ったけれど、まさかガキアミ(手足が動かせず……)になってしまうとは思わなかったから。
しかもそれを、門番も教えてくれないんだもんー。彼が言うのは「ソレでいいか?」だけ。ソレの意味が判らず、「ソレ?」とオグリは何度も問い返すけれど、「ソレやがな!」と門番は繰り返すばかり。
“ソレ”つーのはつまり、その姿勢のまま動けなくなって戻ってもいいか、ってことだったのね。

かくしてオグリはあごに片手を添えた、まるで芥川の写真みたいなカッコで現世に甦る。
まるで動くことが出来ない彼をまず拾ったのが、マメ山田扮する和尚。彼の言いっぷりだと、どうやらオグリがどんな経緯を辿ったのか判っているような感じだったなあ。

そもそもオグリは、何を思って現世に帰ろうとしたんだろう。
いや、確かに老いた母親をほっとけない気持ちはあっただろうけれど、彼の風情(何たって中村達也が演じているんだから)から見れば、現世が「地獄よりひどい」というのは門番に言われなくても判っていたような感じがあるしさ。
しかしこれを、門番の彼が言うってのも……。しかも「天国はラクでいいで」て……テキトーすぎだろ!
ま、それはさておき。そうか、現世は地獄より地獄……なんかその言葉に、ついつい納得してしまうんだよなあ。
それにさ、言葉に反してオグリは劇中の時点では郷里に帰ったりもせず、しかも再度死んで再度蘇る訳なんだもん!

オグリはテルテと再会する予感があったと、やっぱり思ってしまう。勿論、偶然二人は出会ったのだけれど。
オグリの忠告を彼の死後ようやく受け入れ、テルテは非道な大王の元から逃げ出した。その時、大王の病を治すための怪しげな薬を行商に来ていた男は、天狗の鼻の骨だの天国のハチミツだのといかにもマユツバものを携帯していたけれど、「一度死んで甦った」という彼ならば、ひょっとしたらあながちデタラメでもなかったかもしれない。
オグリを連れて逃げているテルテにヨコシマな心を見せる、懲りないこの行商人を演じるのが新井浩文で、片目だけしか出していないのにそのただならぬオーラは彼にしか出せない。
この人の、一見ひょうひょうとも見えながら決して近寄ってはいけないような殺気は、本当に恐ろしい。

途中、大王に追いつかれちゃうんだよね。ふぐりがカボチャほど腫れてるんなら、大人しくしてろっての。
大体なんでこんな非道な主人に皆仕えてるのか……他に腹心もいないようなのに、ならばみんながハブにしちゃえばコトは簡単なのにさあ。
でもそれが、独裁政治の恐ろしいところなのかもしれない。担ぎ上げている君主がどんなに非道でどんなにバカでも、この君主が非道でバカだと共感し合う同志を探すこと自体が、恐怖であるという不条理。君主以外の皆がそう思っているに違いないのに。

これが、独裁政治の正体なんだよね。ザ・ハダカの王様なのに、誰もがそう思っているのに、自分の身に災いが降りかかる恐怖で言えない。本当に、こんなバカバカしいことってない。
まさに、そのバカバカしさを、「ふぐりがカボチャみたいに巨大に腫れた」闇の大王、っていうアホらしい設定に込めているんだよなあ。
テルテを探す大王をみこしに担いで運んでいるっていう描写が、みこしに担ぐってのがね、実に言い得て妙っていうか、言い、じゃないか、示して妙っていうかね。上手いなあと思って。

そして大王はついに裏切り者のテルテを追いつめ、斬り捨ててしまう。
この場面、追いつかれたテルテが、身体が動くようになって小船に乗り込んだオグリを、その小船を必死になって送り出して、自らは大王にバッサリ斬られるっていう……スローモーションなのよ。
多少ベタな気はしたけど、でも、霧雨のように血が噴き出し、凪いだ湖面が血の赤にゆっくりと染まってゆき、動かなくなったテルテが水面を漂う、ていう一連のカットは、確かにスローで見たいと思わせる、様式美と言いたい美しさだった。

そして……まだ満足に身体が動かないオグリは、ただただ流されていくしか手立てがなく、そしてついに辿り着くのだ。
あの、行商人から聞き出した、復活の湯。

本当はここに、テルテと共に訪れたかった。しかしテルテは死に、オグリが一人で、ほうほうのていで辿り着いた。
血の様に赤い湯につかる。湯に全身を浸す……そして、それこそスローモーション。獣のように叫び、水面を叩き、その間の圧倒的なドラミング。中村氏の鬼のような形相。そして。

いきなり、画面が変わるのだ。あの行商人さながらに、オグリは顔を布で隠して、壺の中の煮え立つ湯を不老不死の湯だと言ってかしずいている。
夢なのかと思った。あまりに唐突だから。

オバカな大王はアッサリその話に乗り、壺の中を覗き込むと……オグリがギラリと光る太刀を振り下ろし、大王の首を斬り落とした。何をするのだと慌てふためく家臣の前で、オグリは不敵に微笑んで、自らの首の後ろに太刀を当ててゆっくりと押した。
!!??何それ!いや、何それはここから!
ほんっとうに、ビックリした!超確信犯的なCGの使い方!斬り落とされた二人の生首が、赤く燃えたぎる湯の中で壮絶なバトルを繰り広げる、って!?

この画だけで非日常もはなはだしいのに、二人がお互いの口元に噛み付く(まあ、噛み付く場所がそこぐらいしかないから……)のが、ミョーにエロティックに見えるってのも!
だって、しばらくそのバトルを繰り広げた後、大王の家臣によって引き上げられるのが、すっかり黒ずんだ二つの頭蓋骨……、ホンット、ディープキスよろしくお互いの口に噛み付いたまんまくっついている状態なんだもん!
「これはどちらが大王様だ?」「上の方だろ」「どっちが上だ?」……極めてバカバカしい会話を繰り広げる中でも、そう、こんな非道な王様が死んだ後でも、上下にこだわる家臣ってのが……改めて君主政治の恐ろしさを感じたなあ。

そして、あの奇蹟のハッピーエンドである。二度目の蘇りで思う存分やってのけたオグリが、甦りの湯からゆっくりと顔を出すと……その手に華奢な手が握られているのだ。
メッチャ予測出来過ぎ!テルテに決まってる!
しかし正直、豊田作品でこんなまっすぐな、お伽噺みたいな(いやそもそも神話をベースにしてるんだけどさ)、いや、もっと言ってしまえば昔の少女マンガ的なハッピーエンドが待っているとは思わなかったなあ!

何はともあれ……お帰りなさい、豊田監督! ★★★☆☆


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