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「す」


2011年鑑賞作品

図々しい奴
1964年 101分 日本 カラー
監督:瀬川昌治 脚本:下飯坂菊馬 瀬川昌治
撮影:二口善乃 音楽:松井八郎
出演:谷啓 杉浦直樹 佐久間良子 西村晃 浪花千栄子 長門裕之 北龍二 中村是好 左卜全 筑波久子 上田吉二郎


2011/8/25/木 東京国立近代美術館フィルムセンター
ラストの「一部終」にアゼン!えーっ!この作品だけで完結じゃないなら先に言っといてよお!(て、ダレにだ……)。
いやさ、確かに上映時間に比して、あれ?大分伏線残したままそろそろ終わり時間だなあ……とか思ってたら、まーさーかーのー……うう、でもこういうの、森繁の映画でも一回あったな……。「続・図々しい奴」と二つセットで完結ということなのだろー。
まあ現代で言えば、「GANTZ」のようなもんか?あれも私は二部はスルーしてしまったが……。

しかし本作の続きは凄くすごーく気になる!だって、三角関係、幼い許婚、出征後の運命、父親が残した優れた有田焼、何より城を建てるという主人公のとてつもない夢、もういっぱいいっぱい伏線が張られまくってるんだもん!
ということは、「続」の方がいわば作品としてはメインということなのだろうと思うと、もおおお、悔しい。いつその「続」に出会えるのだろう……(レンタルすればいいとか言わないでね。映画は出会いなのさっ)。
それにこれ、本作のほんの三年前に杉浦直樹でまず作られているのね。で、本作は人気テレビドラマの映画化で、谷啓の単独初主演映画だという。なんとも気になる要素が満載なんである。

しかして、谷啓なんだもの。彼だから足を運んだ。
見ているだけでほんわり癒される。なごんじゃう。タイトルどおりとんでもなく図々しい奴なのだが、図々しくても可愛いなんていうのは彼だけだろうと思う。まったくもって得がたいキャラである。
彼の筆おろしをした女郎がウフ、カワイイと顔をナデナデするのも判る。彼の隣の部屋に住んでいるカフェの女給もまたしかりである。
玄人女をメロメロにさせるこのウブさは、ヒロインである色っぽい人妻、後に出戻りの、見るからに高嶺の花さえも、ちょいとその気にさせるんである。
いや、そこはちょっと泣かせる場面なのだが……。

なーどーとー言っていたら始まらないから。てかね、谷啓が登場するまでにはちょっと間があるのだ。
最初は彼、切人の少年時代。恩人となる、旧岡山城主伊勢田家の当主、直政との出会いから始まるんである。
まず、この切人という名前が、彼が馬小屋で生まれたことから、つまりキリストにちなんで名づけられ、後に彼の許婚にされる、道端でいきなり押し付けられた(つまり捨てられた)赤ちゃんがマリヤと名づけられたなんてあたりも実に興味深く、後々の展開を感じずにはいられないんだけど、結局判らないままさ(泣)。

この作品が戦時中どっぷりに描かれていて、勇ましい戦果を伝える新聞記事がこれ見よがしに挿入されるのもまた、この一部の時点ではなにかざらざらした不安を感じるばかりなんだけど、恐らく「続」の方では、戦後も描かれているんだろうし、切人もさぞかし壮絶な人生を送っているんだろうし……ああっ、気になる!!

だからそんなことを言っていたらキリがないから(爆)。
で、なんだっけ。あ、そうそう、冒頭は切人の少年時代。亡くなったおっかさんを山の上に埋めに行く切人というソーゼツさ。しかし彼はニコニコとしていて、道路警備をしている警官を慌てさせる。
道路警備、その日その時、尊い血筋のお方がここを通ってくる手はずだったから。
それは直政の見合いを目論んでいたのだが、旧家のわずらわしさを嫌う彼は、植木職人の服を借りて逃げ出している。そこで切人と出会うという訳である。

切人の母親を埋めるのを手伝うなんていう場面なんだからこれもかなりソーゼツなんだけど、上手くカッティングされて、コミカルに描写される。
植木職人のカッコをしてるくせに、まるで非力の直政を笑い飛ばして、リッパにおっかさんのお墓を作る切人。
その盛り土の上に無造作に置かれた有田焼の置物に直政は目を見張る。二束三文で売られているという切人の父親の焼き物は、直政の目には逸品ぞろい。
ていうのも先述のように、それがどう展開していくのか、一部ではほったらかしである。
ただ、直政は、少年切人の、ふてぶてしいほどに強く、底抜けに明るい様子をすっかり気に入り、伊勢田家に書生として迎え入れる。
その途中に切人が道端で託された女の子の赤ちゃん、マリヤもまた参入するんである。

この少年時代の切人を演じる男の子が実に達者で、なかなか谷啓が出てこないナアと思う一方で、ああきっと彼がその後の谷啓なんだと察せられる。
その顔の丸みといい、憎めなさといい、じつにナイスなキャスティングなのよね!彼は実にいい仕事をしたと思うなあ。谷啓につなげるというのは、子役ながらもひどく重要な使命だもの!

谷啓だけが大人になって登場するけど、周りは変わらないまんまである。直政もいかにもいいとこのおぼっちゃんの細面のまま、直政の口うるさい母親もそのまんま。
谷啓がその都度「全然変わりませんなあ!」(ゴメン、岡山弁なんだけど、上手く再現できない)というのがひどく可笑しい。
でも設定を考えるとどうやら谷啓はこの時点では18歳とか?それもちょっと可笑しい!けど、見えなくもない可愛らしさが谷啓のスバラシイとこだ!

大人になってようやく登場する谷啓は、もういきなり東京を目指してる。
書生として学校に行かせてもらったものの、五度の留年を繰り返して中学を退学、最終目標である、城を建てたいという野望に向かって一歩を踏み出すべく、“若様”(直政のことね)のいる東京に向かっているんである。

この車中からもう谷啓の独壇場で、やたらでっかいおにぎりを食べている描写はその後もよく出てくるんだけど、まずそのツカミで笑わせる(しかもそれが谷啓によく似合ってるんだ!)。
彼はつまりキセル乗車をしていたんだろうなあ、車掌が来ると中座していた向かいの軍人の帽子とマントを失敬して、口ひげ代わりに海苔を鼻の下に貼って(笑)、敬礼して切り抜けちゃう。
したり顔の谷啓がめちゃくちゃカワイイ!
そんな様子を見て声をかけてきたのが、西村晃演じる三田村。いわゆるお上にたてつく組織に属している彼、西村晃のやたらふてぶてしく、色っぽく、しかしアヤしすぎる風貌が最高!
とても後の黄門様には見えない(爆)。このキャラ設定も、後の伏線を感じるんだよなあ。

三田村に連れられて、女郎に筆おろしをさせられる切人、いや谷啓の、女郎にカワイイと迫られて焦るウブさと、その後のニヤリと唇をゆがめてフラフラしている描写がたまらん!
後に三田村から、あの女郎はお前さんが忘れられないようだ、どんな大砲を持ってるんだと言われたりするから、実は意外にウブなだけではないのかもしれない?
確かにこの場面でも、「もう一回頼むでよう」と絶倫ぶりを匂わせる描写もあるし!?いやーん、そんな、谷啓がっ!て、何テンションあがってんの、私(爆)。
でもさあ、隣人となるカフェの女給といい、何よりヒロインの園田美津枝といい、彼にクラリとくる女は皆して、大人のイイ女なんだよね。マダムキラー、判る気がする!

とはいえ、美津枝が愛しているのは、切人の恩人、直政なんである。しかも今の時点では彼女は、他の男の妻である。
切人との出会いは、東京に出てきてようやく探し当てた直政に、勤め先を紹介してくれるという仲介としての立場。目を見張るほどの美しさの美津枝が直政と思いを通じていたんである。

と、いうことを教えてくれたのは、園田家の書生である小野田なのだが、これを演じているのが長門裕之で、私、こんな彼、つまり秀才、エリートの彼なんて、初めて見た!
髪をきっちり七三に分けて、キラリと光る銀ぶち眼鏡、そのいでたちが映し出されるや劇場内に思わず笑いが起きたのは、やはり同じように意外性にふいをつかれたから、かなあ?
同郷の切人を冷たくあしらう彼だが、美しい奥方がいけない思いを抱えていることを日記を盗み読みして知っている彼は、それを語りだすと興奮してお国ことばが飛び出すのが可笑しい。
長門氏、この場面だけの登場なんだよね。ゴーカだけど、もったいない!

この美津枝を演じるのは佐久間良子。ぽってりとした唇がやたらコケティッシュで切人が一目で呆然とするのもうなづける美しさ。
ただ、肌に吹き出物が目立つのがやけに気になる。キレイなだけに、凄く気になる(爆)。どうした、どうした、甘いものでも食べ過ぎたのかっ?

彼女の美しさは誰もをとりこにするのだが、明らかに枯れきった左卜全をもクラリとさせる場面は、左卜全のあまりにスケベな表情が衝撃と言っていいほどの可笑しさでね!
おいおいおい、いくら役柄とはいえ、こんなゆるんだ口元を見せて大丈夫か、左卜全!いやー、さすが左卜全だよ、さすがだよ!

て、どこに感心してるんだ(爆)。先行くぞ、先。
美津枝が紹介してくれた切人の奉公先は、老舗の羊羹屋、虎屋。そう、あの、とらやである!ビックリ!そりゃー、宮内庁御用達であるさね!
朝早いのなんて得意ですと切人は勇んで乗り込み、しかし朝の体操をとがめられる。この朝の体操は切人が習慣としているもの。
ふんどし姿でエイヤアと舟をこぐような動作の体操は、あまり体操として機能していない気もするが(爆)。
多少うがったことを言えば、この時点から、いや少年の頃からかな、切人がエラい人や立場に迎合しない男であることが示されているのかも。それは、切人、という名前が既に示しているのかも。
後に事業を起こし、城建設を夢見るのなら、当然ともいえる個人事業主志向。

何よりオドロキなのは、現代に至るまで堂々と老舗の看板を掲げているとらやを、多少ギャグが入っているとはいえ、その古臭いしきたりを叩きのめしていることなのよね。
いくつもの工程に分かれる羊羹作りのそれぞれに何年もの修行が必要だと言われ、切人は目を回す。
しかし彼は休みの日を使って一人で餡を作り上げ、それを店主に認めさせちゃうのね。
まさか彼が一人で作ったと思わなかったからだけど、「入って半年の自分が作りました!」と言われて店主は大激怒。
切人が「違いが判らない」という安い大福やら饅頭を判るまで食わせてやる!とつぎつぎと口につめこむ拷問。
しかし切人は認めない。違いなんて判らないと。
そこに美津枝が割って入り、私も手伝ったんだから私にもその拷問をやりなさい!と言い、事態は収まるも、切人は店を出されてしまうのね。

ていうかさ、いいの?こんな描写!だって確かに虎屋は超老舗で、高級で、駄菓子屋で売られているような和菓子と違いがないなんて、いくら娯楽映画でも、実名を出してるのに言っていいの??うわー、なんかスゲー!
しかもさ、切人はこの後、この虎屋で会得した技術で起業し、なんとまあヌード羊羹(つまり女体羊羹よ!)を考案。
しかもしかもこともあろうに軍隊に売り込み(あの、上京した時列車でマントを失敬した軍人さんよ!)、戦況が日増しに激しくなり、甘味と女体に飢えた(爆)軍人さんたちを皮切りに爆発的に大ヒット、あっという間に大金持ちになるなんてさ!

もちろんそこまでには並々ならぬ切人の努力もあったし、美津枝と直政の尽力もあってね……。
切人がさ、好き合ってる二人を会わせる算段をするのね。美津枝の方は夫と別れたこともあって結構積極的なんだけど、廃嫡となりヨーロッパにトバされる算段がついている直政はやはり弱気のままである。
そもそも自由になりたい、家から出されたいと放蕩の限りを尽くしていたのに、いざ廃嫡とされると弱気になるのが男の弱さというべきか。
確かにこの直政はもう見るからに優男でさ、美津枝を演じる佐久間良子が美しさたおやかさの中に、しなやかな強さ、だってつまり、結婚しても心の中で直政を想い続けていた訳だからさ……を持っているのと対照的なんだよね。

この直政を演じているのが杉浦直樹、ってええっ!彼こんな、若い頃美形……いやいや!今も美形か、でも知らないもんだから、スミマセン!
ていうかさ、彼がその3年前、1961年に最初に映画化された時の切人役だったってのがイイよね。
てか、本作を見ちゃうと、彼が切人っていうのがまったく想像つかない、この、反発心はあるけど反発しきれないおぼっちゃまが似合いすぎるんだもん!
で、その時の直政が津川雅彦、だって?お兄ちゃんが本作でチョイ出しているのに通じてて面白すぎ!

……おっと、ちょいと脱線しちゃったか(爆)。でさ、切人は大成功を収めるも、赤痢を出しちゃって一気に財産を失うの。
そんな彼の元に美津枝がやってくる。それ以前に肺病を患った美津枝を引き取りたいと切人が申し出てたのね。彼女の最愛の人、直政は彼らの説得も空しくヨーロッパに旅立っちゃったから……。
一度はその誘いを断った美津枝だけど、切人の心根に打たれたのと、どん底に突き落とされた彼を元気付けたいと、受け入れるのね。

主従関係だからさ、お互いそんな気はない、いや切人は彼女にホレてるけど、恩人の思い人だからさ。
それに、切人がこの部屋に越してくるシークエンスも印象的でね。
虎屋をおん出された彼は美津枝と直政の尽力で再出発するんだけど、その引越しの手伝いに、直政の母親と、切人が押し付けられて育てた女の子の赤ちゃんが成長した姿で現れるのよ。
直政の厳格な母親は彼女を切人の嫁としてしっかりと育てているんだと言い、切人は仰天。
しっかしさあ、この女の子、6、7歳ぐらいかなあ、中国の天女みたいなおしゃまなカッコして、いっちょまえに切人に女の目線使ったりして、めちゃめちゃカワイイのよ!!!
もうこの伏線が一番ヤバかったなあ。一体この子がどう切人の人生に切り込んでくるのか!

でまあ、そう。どん底の切人のもとに美津枝が来てくれて、でもその直後、切人に召集令状が来たと、国許から連絡が来る。
この日の晩のシーンが、もう、もう、もう!
切人は美津枝への思慕が断ち切れず、でも恩人の直政への忠誠心も断ち切れず、二人の写真がフラッシュバックのように襲ってきて彼を苦しめるシーン、確かにギャグ的シークエンスなんだけど、なんかもう、なんかもう、切なくて息苦しいぐらいなの!

でさ、眠れないのは美津枝の方もなの。まんじりとしてね、彼が廊下をそっと歩いてくるのを察知して、ぱちりと電灯をつけるもんだから、切人がうろたえるのが、その谷啓の背中の演技が可笑しくもあまりにも切なくって、それだけで泣きそうになるの。
だって、恐らく、この時点では、二人の気持ちは確かに同じものだった、よね?
美津枝は、あなたに出来ることはこれしかないと、私をあげますと、まあびっくりするぐらい直截な表現で、でもしっとりと布団に正座した姿は触れがたいほどの神聖さで、いくら彼女がそう言っても、とても手を出せないって感じだった。

切人がね、そんなこと出来ないからさ、彼女の気持ちだけで凄く凄く嬉しいからさ。
そして出征する自分、肺を病んでいる彼女、美津枝の方からも、これが最後かもしれない、もうお会い出来ないかもしれないと言われて、お互い触れ合う距離ですらない、切人は敷居の手前で膝をついてこぶしで涙をぬぐい、美津枝は布団にきちんと正座したまま嗚咽を漏らす。ああ、なんと日本的ストイックよ!
フクザツな事情と感情を抱えていたにしても、確かにこの時二人の体も心も求め合っていたのにさあ!

て、いうのが谷啓でマジ描写されるというのもオドロキだったし、ちゃんとギャグやユーモアも徹底した上でというのもオドロキだった。
谷啓が持っている本来の生真面目さやウブさや照れ屋さんな気質が、すべての女をとろけさせるから。そんな下地があるからなんだよね!

と、いうわけで、彼が皆にバンザイされて出征する場面でオワリ。で、二部に続く!そおんなあ!て感じなのよ。何も解決してないんだもん、もう!★★★★☆


ステキな金縛り
2011年 142分 日本 カラー
監督:三谷幸喜 脚本:三谷幸喜
撮影:山本英夫 音楽:荻野清子
出演:深津絵里 西田敏行 阿部寛 竹内結子 浅野忠信 草g剛 中井貴一 市村正親 小日向文世 小林隆 KAN 木下隆行 山本亘 山本耕史 戸田恵子 浅野和之 生瀬勝久 梶原善 阿南健治 近藤芳正 佐藤浩市 深田恭子 篠原涼子 唐沢寿明

2011/11/4/劇場(楽天地シネマズ錦糸町)
三谷監督が10年以上温め続けた企画?そ、そうなんだ……なんか私的には今までで一番……あやや。いやその、なんか笑う気マンマンで行ったからどうもあんまりって感じが……いやその。
確かに三谷節効いてて面白いんだけど、なんでだか。ああ、なんでだろ。たまたまこの回、劇場にあまり人がいなかったからかなあ。やっぱりこういうのって、周りの笑い声とかの雰囲気に左右されるから。シンとした劇場でコメディ映画を観るのって、実は結構ツラいかもしれない。
あ、そうか、それを言えばつい最近、彼の舞台をよーちゃん目当てに初めて観て……それこそぎっしりの観客の大爆笑のあの雰囲気を覚えていたから、余計にツラかったのかもしれない。

んー、でもなんでだか、ノレなかったというのは正直なところ。個人的にはなんかね、あまり面白く感じなかった。
なんでだろうなあ。三谷さんらしい、細かすぎるほどの小ネタのシャレた面白さが、今回はあまり感じなかったせいかもしれない。印象として、ちょっと大味な感じがしたよね。
大前提としての要素、そのファンタジーな設定にノリきれなかった。あまりに悪ノリが過ぎるファンタジーに見えてしまった。
落ち武者の西田敏行となると、スマートな三谷喜劇というより、釣りバカのハマちゃんの泥臭さの方に傾いてしまう。
勿論素晴らしき喜劇俳優の西田氏だから、三谷作品でもハマればハマるのだが……実際、これまでの作品でもハマってきたのだから……。

でも落ち武者となると、うーん、うーん。深津嬢が最初に彼と遭遇する金縛りシーン、「くさっ!」と顔をゆがめて言うでしょ。もうそのイメージが最後まで焼き付いちゃって、そばにいるとくさいんだとか思っちゃう。
あの台詞一発は単なるギャグ、それで笑わせる台詞だというのは判ってるんだけど、落ち武者の小汚い風貌、なんたって西田氏(爆)、どうにもこうにもそれが気になってしまう。私、心が狭い(爆爆)。
いや逆にそれをずっとギャグにしくさって、彼に遭遇する人が皆、くさっ!と言うとか、見えないのにくさっ!と言うとかだったら逆に気にならずに面白かったかもしれないのに(爆)。

うーむ、私、何言ってんだろ(汗)。でも三谷氏は……今までの、少なくとも映画での成功例で言えば、群像劇、それもかなり大人数の、の方が合っているような気がする。
本作も豪華キャスト揃い踏みではあるけど、ふかっちゃんと西田氏の二人、あるいは二人を軸にしたシーンが圧倒的に多いからなあ。
決して二人の息が合ってないという訳ではないんだけど、二人とも押せ押せで芝居するからさ。どちらかが押せでどちらかが受けじゃないからさ、なんというか……。

なんか生意気なこと言ってゴメンナサイ。でも三谷氏の醍醐味って、やはり大人数の采配にあると思う。
まあ「みんなのいえ」なんかはそうでもなかったけど、それでもその数人にバラけていた印象がある。
しかもしかも、法廷シーンにもかなりの尺を割いてるでしょ。ていうか、それこそが三谷氏のやりたかったことっぽい印象もあるし……。
法廷も結構誰かと誰かの密のやりとりになるよね。あっちこっちで口を出して収集がつかなくなるような三谷氏独特の台詞の応酬とはやっぱりなんか違ってて、面白いんだけど、いつもよりインテンポだなあという感じ。

まあとにかく、物語の話に行かなければ。確かに奇天烈な設定には違いない。
殺人事件の容疑者、無罪を主張する彼は「その時旅館で金縛りにかかっていたから」現場には行けなかったと言う。
苦し紛れのウソだと思いきや、「普通もっとマトモなウソをつくだろう」とそれが本当であろうと推測したのはヒロインの上司。
かくしてそのヒロイン、新人弁護士の宝生エミは、弁護する被告人が金縛りにあったという山奥の旅館に降り立ち、まさにその金縛りにあい、金縛りにあわせやがった落ち武者をとっつかまえ、これぞ確たるアリバイ、証人に立たせよう!とトンでもないことを思い立つ。

宝生の上司、隠れてチョコレートやらピザやらをほお張り、最後には身体を壊して死んでしまう!速水を演じる阿部ちゃんがかなりツボである。
他は殆どが三谷組とも言っていいほど常連俳優ばかりだけど、彼は多分、初参加だよね?
今まで三谷作品に参加していなかったのが不思議なぐらい、彼の、美しいのに可笑しい、美しいから可笑しい奇妙さがタマラン!
最初に見えない幽霊を受け入れたのが彼で、チョコレートを盗み食いしたりタップダンスを練習してたりなんていうところを六兵衛さんに見られてて、宝生に喝破されるシーンといい(笑)。

で、えーっ死んじゃうの!?それも宝生がノンキにベッドサイドで報告してて、白目むきながらナースコールを要求し、「そんなに悪かったんですか?」とノーテンキに驚く彼女を尻目にご臨終、ってえええ!
阿部ちゃん、予想外すぎる……いや、彼ならこれぐらいやるだろう、てか、この顔でさらりとやるから可笑しいんだよね。その点、意外に西田氏食われてるかも??

西田氏演じる六兵衛に金縛りに合わされた被告人が、KANだってのもオドロキである。
ど、どっからこのキャスティングが!?てか、KANさん?ホントに??どこの電器屋のオジサンかと思ったよ!(電器屋に他意はないが……)。
いつの間にこんなに老けちゃったの……なんかショックだなあ。

そうなの、六兵衛さんが見える人と見えない人がいるんだよね。
ドジ続きの新人弁護士である宝生が、上司の速水から最後のチャンスだと与えられたこの仕事、彼女には落ち武者、六兵衛さんの姿が見えたから、それどころかソイツをとっつかまえて証人になってください!とまで持ってく根性があったからこんなトンでもない展開になるんだけど、まあ殆どの人には見えない。
上司の速水にも、裁判長にも、宝生の恋人の売れない役者にも見えない。

あ、そうそう!宝生の恋人役、TKOの木下氏が何気にポイントだったなあ!ステキだった。三谷氏はコメディアンを意外な形で抜擢する天才だね!
彼には六兵衛さんは見えないんだけど、それを信じるのは、なんたって彼女を愛しているから、なんだよね。
匂いしか楽しめない六兵衛さんのために、いやそれ以前から彼女のために美味しい料理を供してくれる彼の姿が、まあもう、癒されまくる。
裁判が佳境に入り、不利な立場にイラついて恋人に当たる宝生に、「これ以上一緒にいると嫌いになってしまう(ごめんという言葉)もっと早く聞きたかった」とうなだれて出て行く彼がカワカワイソでさ!

おっと、ちょっと脱線してしまったかな。メインキャストの中で一人、見える人がいる。しかし途中まで、彼は見えないと言い張る。てか、見えない態度を貫き通す。
まあ、立場上仕方ない、敵方の検事、中井貴一っ。彼もまた生真面目な風貌ゆえに、コメディに転じると途端に面白くなる、得と言えば得な役者さんだけど、基本彼はコメディ向きなんじゃないかとも思っちゃうなあ。
見えてるのにその生真面目な顔で見えないフリを貫き通して、しかし、六兵衛さんが天国から彼の愛犬を連れてくると、もう理性を失い、「危ないから飛び出しちゃダメだって言っただろう!」とムツゴロウさんもビックリのワシャワシャワシャー!
勿論、他の人には見えないから、その見えないシーン、一人でワシャワシャワシャー!やってるシーンも熱演!もう背中から床にひっくり返っちゃって、ワシャワシャワシャー!……なんか、笑いながら泣けちゃった。

彼に、幽霊が見えているんだと認めさせるためだからさ、「……汚いぞ」と宝生に言いながらも、突然の事故で死んでしまった愛犬にサヨナラを言えないままだった彼は、礼を言うのだ。
そして、六兵衛さんの存在を認めて、法廷に立つって、言うのだ。
そして、自分たちは敵ではない。真実を明らかにするという点では、同志である、と言うのだ。

泣ける点においていえば、やっぱりやっぱり、動物を飼っている立場としては、これはハズせないよね、ズルいよね。三谷さんだって……それは元妻が連れてきた猫ではないの?(と禁断の話題を口にしてみる(爆))
ここからつながって、死んだ被害者を殺した犯人、宝生が睨むところの、双子の姉妹が入れ替わってて、殺された筈の妹が逆に姉を殺して、夫を犯人に仕立て上げた、という真相を暴くため、被害者を死後の世界から呼び寄せる、という展開になるんである。
……まあここまでくると、最初から、金縛りに合わされた落ち武者を証人に連れてくるというところからかなりのムチャではあるんだけど、結構ついていくのがキビしくなってくる感じが(汗)。

この双子の姉妹を演じているのは竹内結子、妹の愛人であるキザな男が山本耕史。
彼らにとって都合の悪い証人である六兵衛さんを追い払うために雇う怪しげな陰陽師、阿部つくつくの造形が……演じる市村正親が……あまりにも……ヒドい……。
ヒドいなんて言ってしまってはいけないのだろうが、西田氏の落ち武者の時点でかなりこちとら疲弊しているのに、やる気充分な市村さんが、悪霊退さーん!とリキ入れて、あーれーと飛ばされるんだもん。
これだけベテランの人にそれやられると正直、キツいよ……思いっきりワイヤーアクションやねっか。

その市村さんを飛ばす立場なのが、こちらは白づくめの衣装に反して、クールに徹してちょっとホッとしてしまう、あの世の役人さん。
演じる小日向さん、彼自身のイメージとは違って超クールで、そのちんまりした(失礼!)お身体と穏やかな容貌とギャップがある冷たさが実に良くて。
なんたって白づくめだから多分にマンガチックではあるんだけど、ちょっと、イイのよね。
フランク・キャプラ好きで、そのDVDを見せてもらう条件につられて、宝生に結構譲歩してしまうあたり、クラシック映画好きの三谷氏自身を投影しているような感じ。

地元歴史研究家で、六兵衛さんの子孫である浅野忠信がご先祖様にカンドーする可愛らしさや、何気に夫婦で出ている、篠原涼子という楽しさ(彼女は前作からの連投だもね!)。
これが結構重くていいキャスト、“見える”法廷画家が新聞にその見える様を描く、それを載せる判断をするトップこそがステキだけど(笑)。
彼が描く絵が、感動的なラストにつながっていくんだけど、こうなるとベタで、なんか三谷さんらしからぬという気がしたんだよなあ。

まあ、それほど三谷作品のことを知っている訳でもないんだけどさ(爆)。でも、そう考えると、ラストありきという気もしてくる。
最初っから、宝生は幼い頃亡くなった父親の面影を追っている。有能な弁護士だった父親の姿を追って、弁護士になった。
しかしヘボばかりで失敗続き。そこで与えられたこの奇妙奇天烈な裁判で奇跡的な勝利を収め、六兵衛さんが彼女がずっと会いたがっていた父親を連れてきてくれる。でもその時には彼女には見えていなくて……。

なんかこのまま行くと言いそびれそうだから先に言っちゃうけど、あの法廷画家の伏線というのは、彼女には見えない父親とのツーショット、いや六兵衛さんを交えたスリーショットを、この法廷画家さんが描いてくれている、それがラストだから、ということ、なんだよね。
しかして、ここまででかなーり言いそびれているけど、六兵衛さんの存在を認めさせること、あの検事に対してもそうだし、何より裁判長や裁判員たち、そしてマスメディアや一般国民に認めさせるのは容易なことではなくて……。

で、それをメンタルな方向から信じてくれるのが上司の速水弁護士であり、物理的に?自分の見えたものとして、普通に?信じてくれるのがこの法廷画家さん。
つまりはちょっとした逆転現象が起きてる訳でさ。確信的なものによって弁護しなくてはいけない弁護士さん、あるいは裁判長とかに見えてなくて、そうしたアヤフヤを糾弾する側にしっかと見えているっていうあたり、皮肉屋の三谷さんらしい描き方だよなあ。

で、最後には宝生にも幽霊が見えなくなっちゃって、裁判で使ったハーモニカや、自分自身の感覚を信じて、六兵衛さんや、彼が連れてきてくれた父親と対峙するんだけど、それを明らかなものにしてくれるのが法廷画家さんであり、なんかそれがね、ムダに感動的というか(爆)。
ちょっとこういう感じ、三谷さんっぽくないわ、なんて勝手な決めつけ?でも、父子(プラス六兵衛さん)が寄り添ってる絵がカンドー的に示されるなんて、ハートウォーミング通り越して、なんかベッタベタな気がしてさあ……。

この死んだ父親をゲスト的に演じるのが草g君。物語の冒頭から、宝生が大事に飾っている写真で出てくる。
母親のことは一切語らない上に、再会?出来た父親に「母さんが再婚したの、知ってる?」などと言う場面が用意されているのが若干、かゆい感じ。
大好きなパパのことを忘れて再婚した母親、みたいに彼女が思っていることを示唆して、弁護士として仕事してるぐらいのもういい年の女の設定としては、うう、見てられないかゆさである。
……こんな風に少しずつ、受け入れがたい部分があるのが、なんつーか、なーんとなく厳しいんだよね、きっと。

ラスト、三谷さんらしいジ・エンドの文字を、六兵衛さんが、何カッコつけてんだと、筆文字の“完”の文字を迎え入れる段に至っては、それこそらしくないなあ、と思ってしまった。
テレるにしてはめっちゃダサいよ。そりゃあ三谷さんは照れ屋さんだとは思うけど、それをスマートに隠せる人だと思ってたんだけどなあ。

それで言えば、幽霊が見える条件が、最近身近に死を感じている、人生上手くいかなくて落ち込んでいる、なんてことに置くのも、大衆小説みたいだナと思ってしまったのは事実。
まあ、第三の条件、決め手にシナモンを持ってくるという斬新さと、、真犯人の姉妹の姉に大量のシナモンパウダーを浴びせる画的な楽しさはなかなかにグーではあったが、その前段階の二つの条件が昼メロもかくやという感じで、これまた三谷さんらしからぬ、と思ってしまう。
そう、それこそ、少なくともこれまでの映画作品では、こんなこと、なかったんだよね。本作は泣ける部分に宣伝も主軸を置いてるけど、泣ける要素としてなのか持ってくるあれこれが、キビしすぎて……。
こんなこと言ったら悪いかもしれないけど、クラシックというより、古いセンスに見えちゃう。

そんな筈、ないんだけどな……。でもこうなると、ある意味確信犯的ベタなギャグキャラ、落ち武者ヘアスタイルのタクシーの運ちゃん、ザビエル型にはげててロングヘアの生瀬さんさえ、笑えなくなってしまう。
割と冒頭の登場の彼に関しては、ちょこっと笑ってはいたのだけど、幽霊が見える男がついでみたいに落ち武者ヘアの彼にギャー!という場面も、そんな笑える訳ではなかったかもなあ……。

最終的には一般世間も巻き込んでの裁判、というスリリングなんだけど、こっちがノリきれないせいか、なんかそんなワクワク出来ずに終わってしまった。
観た環境やらのタイミングも悪かったのかもしれない。もっとシンプルに面白がれれば良かったんだと思うんだけれど。
常連の戸田さんが問題の旅館の女将を演じてて、六兵衛さんが彼女をからかってチューしたりするのに気づかず真顔なのとか、そういうピンポイントで面白かったりはするんだけど、なんか、その面白さ、笑いが連鎖しない感じだったかなあ。
映画好きの三谷さんらしいフランク・キャプラの映画ネタも、宝生の父親がいつも口ずさんでいたメロディを明かす感動オチにつながるんだけど、そうなるとちょっと鼻について見えてしまった。

ラストクレジットのオマケ的によーちゃんが「勝訴を持つ男」として写真だけで登場してきたのにはオオー!
三谷氏は本当によーちゃんを気に入ってくれているんだね。それは素直に、とてもとても嬉しい。三谷氏の舞台のよーちゃんはとてもとてもステキだったしね!
ならばドラマ、舞台に続いて今度こそ映画に抜擢してほしい。んでもって今度はこんな風に破綻(!)しないでもらえると嬉しいなあ(爆)。 ★★★☆☆


スリー☆ポイント
2011年 117分 日本 カラー
監督:山本政志 脚本:山本政志
撮影:山本政志 谷康生 音楽:
出演:村上淳 蒼井そら 渡辺大知 小田敬 てっちゃん 比嘉さん 諸見里真三 ますおみさん 石原岳 BETTY 藤田直美 SEVEN SNIPE KOYO-TE 平島美香 市鏡赫

201/5/24/火 劇場(渋谷ユーロスペース/レイト)
えーっ?何これ、この構成の意味、全然判んない。切れ切れの短篇ドラマとなぜか沖縄の社会派風ドキュメンタリーが入り混じって、その短篇ドラマとドキュの間には物語も人物も何の関連性もなくて、なんでこれが一つの映画作品になるの?と、もうコンラン。

特にその“沖縄の社会派風ドキュメンタリー”がこう言ったらミもフタもないんだけどなんか……中途半端にしか思えなくて。
カメラのこちら側にいる監督が“沖縄時間”を口にしているのがそれって言い訳ちゃうの、と思えるぐらい、基地問題や戦争景気や米軍兵士へのインタビューにしてもなんかツッコミが最後まで行ってない感じで。
そりゃまあ、こういう構成だから尺的にも限界があるから“中途半端”にならざるを得ないって感じで、それならば尚更この構成の意味が判んないし……。

正直、中盤までは、もうこの映画を観たことはなかったことにしよう(爆)、こんなん、どう書いたらいいのかも全然判らんし、辛いし、と思っていたのだけど……。
後半を占めるドラマが突然まとまった尺とまとまった物語になってて、またしても???と思いながら、なんかやっと判る世界が来たと思ってホッとしてしまったので、観たことをなかったことにはしないことになった(爆爆)。

て……こう書いてても、何だこの文章、本当にメチャメチャだ。
いやいつも私の文章はメチャメチャだが、それにしたってひどくメチャメチャだ。でも本作がそうさせてしまうんだから、しょうがないじゃないかあ。

あまりにも戸惑うばかりだったので、手がかりを求めてオフィシャルサイトの解説を読むと、枠組みや制約から解き放たれたボーダレスな魅力、そこには自由な風が吹いているとかなんとか、そ、それってあんまりではないの。
そんなことが許されるのならば、映画って一体、なんなの。一本のカタルシスがあるからこそ映画じゃないの?
やりたいこと、撮りたいことを放り込んで一本の映画、ボーダレスな魅力、だなんて、それがアリなら皆やっちゃうよ。
うう、それともそんなことを思うことこそが、私の頭がカチカチに古くなっているということなんだろうか?確かにこうして文字に起こして自分のコンランを言ってみると、なんだかひどく古くさいことを言っているような気もしてきて……なんだか、もう判らない。

確かに私は、この監督さんの作品には免疫が無いかもしれない。
本作の中で、唯一のドキュメンタリーパートだからこそ異彩を放つ沖縄篇でちらりと聞こえてくる「熊楠の撮影……」云々という言葉で、あっと思った。
資金調達が上手く行かなくなり、それでも何年もスポンサーを、映画ファンにまでチラシで呼びかけてひと口何万円とかって募ってたのに、結局頓挫してしまった「熊楠KUMAGUSU」の、つまりまぼろしの監督さんかあ、という思いがあるばかりである。
実際私、ホントに彼の作品、一度も観たことないんではなかんべか?ということは、今こうして戸惑っているのも、初体験だからこその戸惑いなんだろうか?それだけぶっとんだ監督さんだということなんだろうか……?

とにかくとにかく。ちょっと悔しいからひとつひとつ思い起こしてみたい。てか、中盤まではね、沖縄篇のインパクトが大だった。ていうか、本作が、京都、沖縄、東京の三つの場所を舞台にしていることすら、私は観ている間、気づかなかった。だから、タイトルのスリーポイント、三つの場所だって。

でもさ、京都篇は更に短篇、短篇で切り刻まれていて、その短篇同士の間には、物語的にも登場人物にも関連性も共通性もなかったからさあ。
京都で共通している、と言われても、京都という土地感も全くない私にとっては、ただ都会の片隅のアラクレた若者たちの掌編としか映らなかったのだ。
そりゃまあ、西訛りが続くなあ、ぐらいは思ったけど……判んないよ、そんなの。

冒頭を飾るのは、ヒップホップ音楽を引きこもって作り続けている青年と、その彼と半同棲チックにダラダラと一緒してる女の子の話。
デジタルな音楽をパソコンの画面とがなりたてる音の中にのめり込んでやっていて、ちっとも外に出ない彼。
音楽はなんだってそうだけど、世代や時代を共有するこうした現代性のある音楽は特に、その共有する人々と分かち合わなければ意味がないと思うのに、彼はまさにその現代性のひとつである引きこもりの中で、満足している。
その彼を、彼女はなんとか外へ引っ張り出そうとする。もうそれが何年も続いているらしいことが、彼女が立ち寄るバーのママとの会話で明らかになる。
私だけが彼を判っている、みたいな、彼は大丈夫、みたいな、女の子特有の根拠のない楽観が痛々しい。

……と、こうして書いてみると、そんなカッカすることないじゃん、魅力的な題材じゃん、と思うのだが……つまり、掘り下げないんだもん。ブツリと切れてしまう、終わってしまう。
つまり、これを一本の映画にするとか、テーマを追究するとかしないまま、次に行って、しかもその次が、まるで関連性がなくてダラダラとした(ごめんなさい……だってどうしてもそう見えちゃうんだもん)ドキュだったりするから、余計消化不良感が高まってしまう。

これがね、ひとつの短篇として見たらひょっとしたら、もどかしい余韻も魅力的だったかもしれないとも思う。ヒップホップって音楽ってさ、単調なリズムをずっと刻むのに、大盛り上がり、みたいな、考えてみれば不思議な音楽じゃない。
それがね、そのもどかしさそのもののようにも思えなくもない、なんていうのは、後から考えればそんな気もするんだけど。

その後二つほど出てくる短篇も、正直印象はあまり変わらない。
ヤバイ道を踏んで久しぶりに街に帰ってきた男の子の、そのヤバイ連中を巡るエピソードと、やたら高飛車な女の子とその彼氏の、「生活費ねえんだから、人殺してでもカネ作ってこいや!3年ぐらいぶちこまれたからって、どうってことないやろ」などという、ムチャなことを言う女の子にひょっとしたら応える形で出て行った彼氏のエピソード。
まあ、こうして並べて書いてみりゃ、全然違うんだけど、何かさ……現代性とか、都会の若者の向こう見ずさとか、なんかそういうのでやたら共通しているようには感じてね。

てか、あー、こうして書いてみると、なんて陳腐な表現なんだろ、現代性?都会の若者?ううう、なんて古くさい言い方!
いや、勿論ここでは、まさにリアルタイムの若者のヤバさが描かれているんだろうと思う。
どうやら麻薬を介してヤバい道に足を突っ込んでしまった男の子のエピソードなどは、何年かぶりでこの街に帰ってきた彼と、迎えた友達との、ぶっきらぼうなイントネーションのやり取りなぞは妙に生々しいし、ヤバイことになってる、と言ってカネを無心しながら、実は友達をハメたのかもしれないなんていう展開も確かにスリリングなんだけれども……。

それでいったら、次の、高飛車な女の子とその彼氏のエピソードは更にそんな“現代性”を殊更に強調している気がする。
だって、彼女が彼氏と訪れたバーで、自分の気に入らない相手に突っかかるあまりといえばあまりの、その理由のなさ、理不尽さはヒドいんだもの。
これが、理由も判らず怒れる若者だなんて言うのなら、そりゃあんまりな気がする……共感出来るとか出来ないとか、それこそそんな陳腐なことを言ってるんではないよ。
共感が映画に必要な要素だとしてしまったら、それこそ映画は死んでしまうと思う。それは強烈に思う。
でも、彼らの気持ちや存在意義がまるで判らなかったら、それ以前の問題じゃんか、て気がするのは……それも古い頭なんだろうか?

ここに至るまで、沖縄篇は折々に挿入されている。切り込み隊長である、本土から移り住んで流浪の日々を送った男性は確かに、映画に出したいと思わせる超個性的な人物である。
何も手がかりなどなさそうな泥地を掘り出して、見事カニをゲットする展開なんぞ、カメラのこっちから感嘆の声をあげる監督ならずとも、オオー!と思うんである。
だからこそ、彼を掘り下げることもなしに、なーんとなく次に行くのが、なんだかモゾモゾとしてしまう。
まあだから、この構成じゃ掘り下げるも何もムリなんだけど、それにしても沖縄篇を彼だけにしとけば、そうしたフラストレーションももうちょっとは改善されたような気がする。

監督のカメラは全く気まぐれに、ベトナム戦争景気で儲けまくったおじいさんだの、ヤクザ稼業のタトゥー彫り店だの、失業の果ての成り行きで軍に入った若い兵士だのにゆるゆるとインタビューしていく。
監督が自嘲気味だか、テキトーにだか言うように、「俺、社会派になるのか?」という匂いはなくもない。なぜか韓国の弁護士団が基地問題に関わっているらしい横断幕を見つけてカメラに収めてみたりもするし。
戦争景気の話なんてのは、ねえ。米軍兵士を優遇して島の人を繁華街から追い出したなんてエピソードはなかなかに興味深いしさ。
でもこれを掘り下げるのなら、足りないんだよね。これが足りないから、こういう構成にしたんちゃうの、なんてげすの勘繰りをしてしまいたくなるほど。この消化不良、この歯がゆさは、意図的なのか。そうなの??

そうした沖縄篇の挿入も許さない、後半をガッツリと占める東京篇だけが、こうした構成とエピソードのせいか、あ、映画だあー、と殊更にホッとしてしまうのであった。
いやしかし、話自体はどこか心理サスペンスのような様相も呈していて、かなりドキドキとさせるんである。
「ちゃんとお父さんしてるんじゃん」という台詞から実に明快に、割り切った不倫をしていると判るやり手風のOL。
そう、割り切っている。だって彼女は、コンビニでバイトしている年下の可愛い男の子もくわえ込んでいるんだもの。

しかしそんな彼女の前に、傍若無人な男が現われる。彼は、その不倫相手と一緒にいた時に絡まれたチンピラとの間に割って入ってくれた。しかし大怪我をして、ほっときゃいい、とその不倫相手は言ったんだけど、彼女はどうにも気になって引き返し、この男を家に入れて介抱するんである。
それ以来、恩を着せてこの男は彼女の部屋にいつくようになってしまった。自分は叔父なんだと少女漫画みたいな言いつくろいをへろっとして、年下の恋人も丸め込んでしまう。

この胡散臭い男を演じているのがムラジュンで、女の方が蒼井そら。これがなんとも魅力的なキャスティングでね。
ムラジュンは最近重い役柄を枯れた雰囲気で魅力的に演じていて、凄く印象深いんだけど、本作の男は、そうした味わいも最終的にはバッチリ残しながら、最初のうちはこんな設定だからさ、なんともすっとぼけていてね、それもまた彼の魅力のひとつだから、イイんだよなあ。

そして相手となる蒼井そら嬢。久しぶりに見たけど、すっかり大人の女になっていてビックリした。
まあ確かに彼女は脱げる女優、そうした要素で呼ばれる部分はいまだに否めなくて、今回もムラジュンとなかなかに濃厚なシーンを見せるんだけど、でもそれも結構一瞬だったし、今回は彼女の芝居力を見せるキャスティングだったように思う。

ムラジュン演じる男は、今は足を洗っているかつてのヤクザ仲間からカネをせびって暮らしている。
彼自身は妻と娘を亡くしている過去があり、それをそら嬢演じる女には、事故で亡くしたと言うんだけれど、後にそれが、彼自身が関わっていたヤクザな仕事故だということが知れる。

彼女は彼に、私が奥さんになってあげるよ、と言う。ファッションから、インテリアから、喋り方から、そうなれる、自信がある、と。
彼から奥さんのことを聞き出してどんどん変身していくそら嬢は、実に見応えがある。
どんなセックスをしていたのか、というところまで聞き出して、「上になって、胸に手を当てて、爪を立てて……」と聞かれるがままに彼女に実践させ、恍惚のセックスをする場面なぞ、なるほど、これはそら嬢がキャスティングされただけあるよなあ、と思う。

次第に彼女は、あまりにも奥さんになりきるがあまりに、本来の自分を見失う。
久しぶりに訪ねてきた年下の恋人を「誰なの、あなた!」と目を吊り上げて追い出し、亡くなった娘の行方を半狂乱になって探し出そうとする。

それまでは彼女の趣向に戸惑いながらも、死んだ妻が帰ってきてくれたように思って、段々居候の生活から、夫婦のそれへとシフトしていっていた彼も、ことここに至って異常事態を察する。
必死に彼女に、もういいんだ、ありがとう、充分だと言っても、彼女は正気に立ち返らない。
次第に彼も、その異常事態の中に組み込まれていき、見も知らぬ他人の幼い娘を、亡くなった娘なのだと思い込む。
彼はまさにその時、思い出すんである。なぜ愛する妻と娘を失ったのかを。

結局は、そら嬢はあっさりと元の彼女に立ち返るんだよね。それは、彼が、元の奥さんの模倣としてではなく、本当に自分のそばにいてほしい、愛している、と彼女の本当の名前を呼んだ時の冷めた様子からしてそうだろうなとは思ったけど。
彼の中の葛藤が昇華されて、全てが終わった翌朝、まるで何事もなかったように、彼女は元のキャリアウーマンの姿に戻り、片付いていないとめげるんだ、掃除しといてね、じゃあ、行ってきます!と明るく告げる。
そういやあ、しばらく仕事に行く描写なかったよな、と思っていたら、後輩OLの台詞で、彼女が有給休暇を取っていたことが判る。
そして、彼女は落ち着いた様子でデスクに座り、新しく入った派遣の青年に熱い視線を送るんである。

今までの切れ切れの短篇とダラダラのドキュがなんだったのかと思うぐらい、しっかりとした心理サスペンスと濃厚なラブミステリで、これで普通に一本撮ってくれりゃいいじゃん、と単純に思ってしまう。
それか、あんな突っ込み足らずじゃなくって、ガッツリ沖縄社会派でも撮ったらいいのに、と。

だって、だって、だって……本当に、本ッ当に、このつながらない、関連性のない、ぶっこんだだけにしか見えない構成の意味が判らないんだもん。
そりゃまあ、ボーダレスさ。何の関連も共通性もつなげる意志も感じないんだから。これ以上のボーダレスはないだろうさ。
そしたらみんな、ボーダレス、ボーダレスとこういう映画を作ればいいの?やったもん勝ちで、これ一本だけならアリなの?そんなのないよ……。

でもこういう映画ってきっと、なぜだか、玄人さんにはウケがいいんだろうなあ……。もうそれなら、私はバカな素人でいることに誇りを持ちたいよ……。だって、判らんもん……。 ★☆☆☆☆


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