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「ち」


2012年鑑賞作品

痴漢満員電車
1976年 60分 日本 カラー
監督:稲尾実 脚本:
撮影:笹野修司 音楽:芥川たかし
出演:中野リエ 東祐里子 小川レナ 小森由加 久保新二 長友達也


2012/5/13/日 劇場(銀座シネパトス/第24回ピンク大賞)
久保新二氏を初めて観たのはヤハリ、ピンク大賞の上映会で、それもまた痴漢電車モノであった。という訳でモハヤ私にとっては彼は電車で痴漢する男。イヤイヤ(爆)。あ、でも本作は痴漢よりは覗きの比重の方が大きいし、まあとにかくヘンタイなんだけど(爆)。
それにしても久保氏の、このマンガチックな風貌は本当にもう、一見しただけで噴き出してしまうほどに可笑しい!
本当にこんな顔の人がいるんだね、って、かなり失礼!?で、その顔で更にオカシな表情で、オカシなことするんだもん!!

痴漢モノ映画を観てここに書くたびに、実際は本当に許されざることで、女にとって辛くて不快で恐怖以外の何物でもなくて……。
とか毎回言いたくなっていたんだけど、本作に関しては、ていうかもう、ここまで来たらさすがに免疫がついた訳でもないが、とにかく本作はアホらしさが沸点に達しているのでもうどうでもいいっていうか!

てか、そう、先述したけど、実際に電車での痴漢シーンが示されるのは冒頭だけなんだよね。ある意味、これでクリアしたからいいでしょ、みたいな。久保氏扮するサラリーマンが、しんねりとセーラー服の女子高生のパンツの中をまさぐっている。
ほどなくして別の方向から「痴漢よ!!」の声が。ちょいとトウのたったマダムが胸倉をつかんでいるのは、まだケツの青そうな青年。
久保氏はまるで刑事かなんかみたいな権威をふりかざしながら、騒いでいるマダムをなだめすかして、青年の腕をつかんで電車を下りる。
お、お前こそが今まで痴漢やってただろ!と思い、その調子の良さに爆笑!

ところで久保氏の役名を思い出せないので、このまま久保氏でカンベンしてね(爆)。青年の方の役名は判るんだけど。だって、山下君なんだもん(爆爆)。
まあとにかく、久保氏は山下君を線路沿いの公園に引きずり出して、君は初めてか?いかんよ、あんなことでは。いや実は僕も同じ趣味でね。同志を見捨ててはおけんじゃないか。
そうですか、あなたも!嬉しいなあ!みたいに二人がガッチリ握手するまでのそのやたらのテンポの良さと、握手するか!てなアホらしさにまたまた爆笑!
同好の士が見つかったことで盛り上がった二人は、ていうか久保氏が、ぜひともチカンマンユニオンを作ろうではないか、と言い出す。ち、チカンマンユニオン!(爆笑!)どこまでもアホらしい視点に脱力し続けちゃう!
しかもその提案に山下君が「いいですね!」と、まるで草野球のチームを作るようなピュアな喜び方をするのも可笑しい。

更にここに、久保氏が電車の中で痴漢していた女子高生が割って入ってくることがオドロキなんである。
いや、それこそがピンク映画というべきか。なんたって本作は、“現存する最古の 深町章(この時は稲尾実)監督作品”という触れ込みなんだから!(スゲー)。

この女子高生、まゆみ(だったと思う。間違ってたら、ゴメン)はアッケラカンと、「話聞いちゃった、私も仲間に入れてよ、オブザーバー(!)としてでもいいからさ。オジサン(と言っていたかどうかも微妙だが(爆)、久保氏のことね)のフィンガーテクニック、しびれちゃった。学校で痴漢が流行ってるのよ。あのスリル、たまんないって。中には電車の中でホンバンやっちゃった子もいるのよ」等々、信じ難いことを次々と口にするもんだから、こっちは笑うのもしばしば忘れて口アングリ!学校で痴漢が流行ってるって!!
突然の女子高生の闖入に尻込みしていた二人だけど、久保氏の方がフィンガーテクニックにしびれちゃった、の言葉にコロリとやられて、彼女が仲間に入ることを了承するんである。

会社に戻るという久保氏と別れて、まゆみと山下君は、その後ホテルに行くのね。でも山下君は、公園では「こんなに硬くなってる」状態だったのに、いざとなると勃たないの。
「裸の私を目の前にして」とまゆみはおかんむりだが、山下君は「服を着てくれないか」で、電車で痴漢している状況を作り出して見事に勃起、「話しかけないでくれないか。電車の状況を再現したいんだ」(笑)
とまあ、そんな具合でね、これってある意味バーチャルセックスだよね。現代の草食系男子と、何となく通じる感じもあるというか。

山下青年は予備校に通うために(てことは、浪人生か。タマってんなー)上京して、兄夫婦の家に居候している。
兄はストで泊り込むような熱血サラリーマンで、山下青年は兄嫁の風呂を覗くのがもっぱらの趣味(爆)。
兄嫁の方も心得たもので、風呂場のドアは隙間を開けておくし、どっかで下着ドロをしてきた(!)義弟をやんわりと責め立てて、ならば私を、と導く。
青年、割とキッチリ相手出来てるじゃないの、おいおいおい、痴漢や覗きじゃなきゃ、勃たないんじゃなかったんかよ!

思えば山下青年は電車で触ってたのもマダムだったし、久保氏の奥さんのレズビアンショーを覗かないかと誘われて見た、その相手が偶然(にもほどがあるけど!)この兄嫁で、山下青年はその久保氏の奥さんにホレてしまうしさ。
でも残念ながら山下青年とその奥さんとのカラミはないんだけど……ていうか、本作はかなり唐突な終わり方をしてて、なんか消化不良っていうか、この続きの作品があるんじゃないのかなあ、という気もしてね。

そうそう、レズビアンショーである。このチカンマンユニオンはメイン?の活動よりも、こうした寄り道が多いんである。
まゆみを交えてまず開催したのは、「春だから、公園でのアベックも花盛り」ということで、覗き、というよりおジャマ大会(爆)。
カーセックスを覗いて、そーっとドアを開け(!)女の子のどっちかの穴(爆)に舐めた指を突っ込む、なんて大会である(どんな大会だ)。
次第にそれもエスカレートしてきて、アウトドアセックスしてるカップルに、三人がそれぞれサービス(だよなー、あれは。)して、気づいた男に(気づくの遅い(汗))怒鳴られると、慌てて逃げ出す。その三人以外にも、茂みから何人も逃げていくのが、凄い可笑しい!

で、まあ、そう。久保氏はあんなに美人の奥さんがいるのに(ホント、美人!)、道ならぬエロがお好きなようで、山下君の兄嫁に「女性用避妊具のセールスマン」を装って近づき、まんまとモノにするんである。
てか、このアイディアはまゆみのもので、兄嫁はこのエセセールスマンが、友人の夫だって知ってたんだけどね。
このシーンも、セールスに来た彼に「間に合ってます」とか言いながら、夜の生活に「満足してない」とかあっさり答え、アソコのサイズを正確に測らなきゃいけない、とか無体なことを言う久保氏にかすかに戸惑いを見せながらも簡単に股開いて、リアル感を実感するために、“セールスマンのサービス”のセックスもあっさり受け入れちゃう!
そらまあ彼女は久保氏が友人のダンナだってことを最初から判ってたっていう後付があるにしても、このあっさりしすぎが、まあピンクだからにしても、妙に可笑しくてね!

一方で久保氏の奥さんは、友人がダンナと浮気している、と思い余って興信所に依頼に来る。
興信所のジジイが、ダンナに浮気された奥さんたちを30年間癒している。信頼と伝統だ(!!信頼と伝統って!!)とか言って頂戴するのはまあ、ピンク映画っぽい展開だけど、このジジイが久保氏を調査し、これまた“同好の士”であるとチカンマンユニオンに仲間入りを志願するのには、アゼン!
ていうかこの場面、ジジイが久保氏に声をかける梅が丘駅前(リアルだなー)のシーン、背景で救急車が来てて、これは何か、物語に関係あるのかと思ったら、そのままスルー!
救急車の周りを取り囲んでいる近所の人っぽい感じとか、まんま生々しいんですけど!と、撮り直さないんだ……スゲー!

……まあそれは、いいんだけど。で、週に一度のチカンマンユニオンの集まりである。
紅一点のまゆみが遅れている。その間の雑談で、ジジイが、「私の娘も、まゆみと言うんですよ」あっちゃー、またしてもありえない偶然ですか!とこの時点で判っちゃう。
父と娘の顔合わせでの修羅場(でも笑っちゃうけど。だって、娘の頬を殴るほどに激昂する父親こそが、チカンマンユニオンに加入してんだもん(笑))に唖然とする久保氏と山下青年、で、チカンマンユニオンは解散だな、で映画がバッ!と終わるって!

あまりの唐突さに、彼ら以上にこっちがアゼン!えー!何何、このあまりに唐突な感じ!そ、それはなくない!?
いや、正確に言えば、それなりの着地点というか、〆は用意されている。
公園の中で、キックボード(ではないけど。そんなん当時はないし。なんか似たような乗り物)に乗ってる女の子を、自転車でニヤニヤ、いやニコニコ追いかけてる男の子(幼児と言ってもいい男の子に対して、ニヤニヤは言いたくない、さすがに(爆))を眺めやリ、久保氏が、跡を継ぐ者はいるとか、そんなことを言って、山下青年もさわやかな笑顔で。

でエンドは本当にこの子供たち、無心な女の子を、ニコニコ男子が執拗に(爆。ホント、しつこくぐるぐると)追い掛け回しているシーンでカットアウト。
マジで!いいの、ホントに!これって、教育上かなりヨロシクないのでは!!ていうか、ホント唐突だし!!ビックリ!!!

とにかく久保氏が、可笑しくて可笑しくて。公園の空中はしごわたりみたいな遊具をハンモック代わりにして昼寝していて、山下青年から声をかけられて、隙間から落っこちそうになるとか、何気ない描写だけで可笑しくてたまらない。
基本サラリーマンの筈なのに、チカンマンユニオン結成以降は更に仕事やる気なく、スーツすら着なくて、赤いスカーフをなびかせた黒づくめにサングラスみたいな、アニメチックなカッコをさっそう?とするのも可笑しいしさ!

ところで新東宝、ピンクといえば新東宝、傑作良作佳作衝撃作を量産してきた新東宝が、この深町監督も名作を残してきた新東宝が、ピンクを作らなくなっちゃったんだね。
私はいつでも邪道で、一般劇場にかかる時に観に行ってばかりだったけど、いつもあのチャッチャラーの音楽とカラフルだけどピントが合わないような新東宝ロゴこそが、ピンク映画、だった、のに。★★★☆☆


父の初七日/父後七日
2009年 92分 台湾 カラー
監督:ワン・ユーリン/エッセイ・リウ 脚本:エッセイ・リウ
撮影:フー・シーイン 音楽:ドゥ・ドゥージ
出演:ワン・リーウェン/ウー・ポンフォン/チェン・ジャーシャン/チェン・タイファー/タイ・バオ

2012/3/12/月 劇場(銀座シネパトス)
予告編で感じたよりは、マジメな印象だった、なんて思うのは、一見タブー視される死や葬儀を題材にした映画でコミカルな秀作が割と日本にはあるから、そのイメージがあったせいかもしれない。それこそ近作では「おくりびと」とかね……。
本作の予告編での映像は、いかにもそんな、コミカルさばかりを集めていたせいで、観ている間は何となくその場面を待っているような感じもしたのはもったいなかったかなあ。
実際の本作の魅力は、もっとしみじみとしたところにあったんじゃないかとも思うのに。

とはいえ、日本の葬儀(といっても地方ごとにも大分違うけど)以外はせいぜい、アメリカ映画あたりのそういう場面を見る機会ぐらいしかないんで、隣国なのに新鮮な驚きでいっぱいである。 面白いのは、当事者である若い兄妹でさえ、そうらしいことなんである。
でもそれこそ日本でだって、田舎で大家族で、親戚のみならず近所のお葬式にもちっちゃい頃から接している、みたいな図は、現代ではなかなか難しいから、大人になってから初めて葬儀に出席して戸惑って、それが身内のそれだったりすると、同じように右往左往するかもしれない。
ただ、日本の葬儀は基本的にはしめやかなり、という感じだし、正直今は葬儀会社が全部お膳立てしてくれるし、遺族は静かに悲しみにくれていればいい、というのとは、大分違うのよね。

なもんだから、都会に出てキャリアウーマンとしてバリバリ働いているアメイも、地元に住んでいる兄のダージですら、そのお祭り的葬儀に戸惑う。
葬儀を取り仕切るのは叔父のアイーで、彼は昔からこの道士という職業に憧れ、年若い頃から修行に入ったというほどの筋金入りである。
道士、というのも、なんか私らにはかつての香港映画で聞いたような覚えしかなく(それも多分、違うし)、派手な身なりや打ち鳴らす小さなシンバルのようなものや、時に歌いだしたり、なんかもう、全てが新鮮な驚きである。

彼のパートナーである妙に美人(ヘンな言い方だけど、なんかそれがしっくりくる)アチンが、泣き女から楽団を率いる指揮(というより、バトントワラーみたい)から、セクシーダンサー(……これが葬儀に関係するというのが……)からこなすというのが、アイー以上にシュールな可笑しさで、それを彼女が非常なる努力によって獲得した、という解説が更に可笑しさを増すんである。

泣き女、っていうのは、聞いたことがある。私、なぜかそれ、韓国の風習だと思ってたけど、共通するものなのかな?
劇中、娘であるアメイもアイーから指示されて、決まった時間に棺に駆け寄って泣くシーンが本作の最もコミカルなところ。
時に食事中に声をかけられて、口からごはんこぼしながら泣いたり、歯磨きの途中、歯ブラシを握ったまま泣いたり。

ていうか、泣いてないんだよね、あー!お父さんー!!と叫んでつっぷしてるだけで。つまり、儀式のひとつ。
お父さんが死んで、哀しくて、言われなくても泣きたい筈なのに、パフォーマンスとして決まった時間に泣かなきゃいけないという異常事態に、彼女は泣きたいのに泣けないまま、この狂乱の時を過ごしていく訳で。

おっと、ちょっと脱線したけど、つまりそうした異常事態の代役としての泣き女、なのね。胸にマイクをぶら下げて、次はおじいさん、次はお父さん、と確認しながら、ずるずるとはいずって泣くアチンは、「私はプロだから、涙は流さないの(だから、化粧は落ちない)」と言うのにはアゼン!
だって、逆じゃないの?涙を流すのがプロなのでは……。と思った矢先に、アメイが、泣いてしかるべきの娘のアメイが、とても泣けるような状況じゃないこの描写を見せてくるから、……なるほどなあ、と思った。

よく言われる、葬儀は悲しみを乗り越えるために、その間気を張って頑張っていられるために、必要な身内のための儀式なのだというけど、日本のそれなんて、生ぬるいもんなのね、と思う。
これは確かに……お父さんが死んでしまったのに、突然芝居の舞台に即興で上げられるようなもんだもの!

このお父さんとの日々は、しずしずと回想で示される。都会で働くアメイは、なかなか帰って来れなかったし、そのことを、まあ、責められるじゃないけど、言われる場面もあるのね。これは私なんかにも結構イタいシークエンスではあるんだけど(彼女みたいな英語もバリバリのキャリアウーマンじゃないけどさ(爆))。
それでもお父さんとの日々は、あたたかく、甘酸っぱい。彼女もお兄さんも、いわゆる親に対する反抗期も、まあなかった訳でもないだろうけれど、少なくともこの回想では示されない。
このお父さん、若くして亡くなってるんだよね。彼女たちの年恰好からもそうだろうとは思ったけど、50何歳かで。

しかも父子家庭。兄妹がぽつぽつと語るところからは、お母さんが亡くなってから結構経つらしい。
なもんだから、恋人を作っても良かったのに、なんていう会話も出てきて、親父には看護師の恋人がいたんだ!なんて展開もあって、こらー映画的じゃん!とドキドキさせるんだけど、その件に関してはとてもストイックなの。
ひっそりと葬儀に現われたその恋人さんは、そういう役回りにしては決して美人じゃないし……ってヘンな言い方だな、つまりなんか、こういうのって、先入観よね、若いナースをナンパしたなんてさ、思ってるから……。

本当に、きわめてフツーの女性がひっそりとやってきて、お兄ちゃんのものもらいを消毒して眼帯を貼ってくれて、薬箱の中の、お父さんの処方箋に目を止めて、これをひとつくれないかと、申し訳なさげに申し出る。
兄妹は、いくらでも持ってってください、あっちにあるあれも……とかせかせかと気をきかせるんだけど、彼女はひっそりと、おくゆかしく、これだけで充分です、と。
……なんか、ホント、ストイック、なのよね。父親の恋人が葬儀に来た!なんて要素、いくらだってドラマティックにもコミカルにも出来るのに。
でも、この兄妹のうろたえぶりは確かにコミカルではあったけどさ。何か、じんとする雰囲気の方が強くて。

微妙に脱線したけど(爆)。そう、お父さんとの回想である。割と近い時間軸では、里帰りしたアメイが、お父さんとお兄ちゃんがやっている屋台でのシーン。
日本の感覚では、お祭りの時とかにしか現われない屋台、ブロマイドを売ってたり、射的をやらせたりするところで、キャリアウーマンのアメイとはかなりのギャップがある。
それでも彼女は楽しげに里帰りしてて、パンプスを脱いでくつろいている彼女に「靴がないのか。これをはけ」とお父さんが自分のくたびれたサンダルをはかせて、自分は裸足で歩いていくシーン一発が、凄く、表しているんだよね。
靴がなくてここまで来た訳がないのにさ。でも彼女も素直に従うし……。

後に、もっともっと昔の時間軸、アメイが学生時代、お父さんとバイクの二人乗りをする回想が一番、甘く、胸に迫ったかなあ。
模擬試験の結果の話なんぞをしているあたりは、アメイがいかに優秀だったか、でもその結果を見てもよく判らんと言っているお父さんの、いい意味での無頓着ぶりが良くてね。
お兄ちゃんにナイショで、評判の店の肉ちまきをあげたりするところとか、イイんだよなあ。しかも、「これが誕生日プレゼント?」レジ袋に無造作に入った肉ちまきひとつ……いいじゃん、いいじゃん!
後ろに乗せていたアメイに教えてやるからと運転をさせて、キャーキャー言いながら走っていくシーン、それは、アメイがお父さんの遺影のキャンバスを背負って走っていくシーンに重なっていって、なんとも、じんわりとくるんである。

この遺影に関してもひと悶着あり、「自然な写真がいい」というもんだから、大好きなカラオケしている写真が選ばれ、しっかりマイクを握ってカメラ目線なもんだから、「歌手のポスターかよ」と即却下。えー、全然いいと思うけどなあ……。
合成写真を作るために、眼帯をしたお兄ちゃんがスーツを着て、マイクの代わりに花束を持ち、ブルーバックにポーズを決める場面はなんとも微笑ましい可笑しさ。指示を受けるたびに、うつろに目線を漂わせるお兄ちゃんがヨイ!

このお兄ちゃんも、そして兄弟同然に割って入るいとこのシャオチュアンともども、最近ありがちの、イケメン、美女だらけのアジア映画とは違う、フツーの若者のリアルがイイんだよなあ。
あ、でも、シャオチュアンだけは、ちょっと美形だったかもしれないけど(爆)。やっぱ、そういうのって必要かしら(爆縛)。
でも、シャオチュアンは、まあ身内ではあるけど、傍観者、第三者的視点、なんだよね。

そうそう、あの腕利きアチンが、なんかホステス的にどっかの集まりで美声を聞かせて、ちゃっかりこの葬儀にお偉いさんを呼んでいるんだけど、このお偉いさん同様、「どっかではつながっている」程度の、ゆるい感覚。
誰かの嫁さんのお父さんの、弟の云々、みたいな、聞いてもよく判らないつながりで、でも、確かにつながってるんだけど、みたいな。
そりゃあシャオチュアンはもっと近しいけど、実は感覚的には、自分の親じゃないし、そんなに変わらない気がするんだよね。
……というのも、彼の最初の登場シーン、この葬儀に出席するのは面倒だけれど、卒業制作でこれを撮れればオッケー、という感じな訳。もう見ためも態度もなんかチャラいしさ。

そう、このシャオチュアンはビデオをかまえて、しかめつらしくダージにインタビューなど試みる。お父さんが亡くなって今どういうお気持ちか、なんて、つまんないことこの上ない質問をする。
ダージは言葉に詰まり、それは妹に聞いてくれ、という彼にすまなかった、とシャオチュアンは言うけれども、その妹であるアメイはダージの心境にさえ達してない状態。
そもそも、お父さんの臨終の場でさえ、さっさと遺体が病院から出されて、確定された死亡時刻、これでいいですよね?とテキトーな感じに念押しされたけど、病室の時計とは全然違ってたような??
もう最初からコンランの種がまかれてて、彼女はそれどころじゃないのさ。

良き日を選ばなくてはいけないために、納棺の日、告別式の日、かなり間があくことも衝撃だし、その間の保存のための冷蔵庫が調達されるのも衝撃。
あの世で使うための紙のお金を夜どおし燃やし、紙の車に紙の家、先に記した決まった時間に泣くこと、決まった儀式というのは基本美しいけど、それが極まると滑稽になっていくこの矛盾が可笑しい。
そういやあ、日本だって初七日、四十九日というしきたりはあるのに、それを一日のうちに短縮するという、神をも恐れぬ短縮があっというまに根付いてしまって、本来なら、こんな“狂乱”があった筈なのに、と思う。

都会に暮らすアメイの元に仕事の電話がかかってくるシーンは確かにある。一回だけだけど。
その時、暑さのために缶飲料のタワーが爆発してしまうというハプニングに重ねあわされて、コミカルに処理される。
ああ、この作品のテーマはそこじゃないんだなあ、と思う。

そういやあ、色恋沙汰はもうひとつ、あるんだよね。アイーはシャオチュアンの母親と恋人同士だった過去がある。しかし彼女は都会に憧れて旅立ち、花形職業の美容師として成功、しかも玉の輿に乗った。
傷心のアイーは後にアチンと出会い、葬儀事業を起こして成功する訳だが、どうもこの過去の恋人に未練があるらしい。
と、思っているのは、映画青年のシャオチュアンだけかな?でも、やけに意味ありげに恋人同士の過去が示されるんだよね。

しかもなぜか梶芽衣子の「恨み節」がバックグラウンド。な、なんで、なんでー(汗)。ビックリしたよ、マジで。そんな、恨み節ってほどの内容でもないのに(汗汗)。
アイーとシャオチュアンの会話シーンで「ワカリマシタ!」なんて日本語が出てきたり、アメイとお父さんのデュエットが、歌詞は台湾語だけどまんま吉幾三の「酒よ」だったり、驚きがいっぱい!
特に「酒よ」に関してはラストクレジットにも見つけられなかったから(見逃したかなあ)、吉さん、このこと知ってるの、と思わず心配になったり(爆)。
だってなんか、すんごいおなじみの曲みたいな感じで使われていたからさあ……台湾ならそんなイケナイことはしないとは思うけど(爆爆)。

でも、ホント、台湾は日本に親しみを持ってくれているのを感じて、あたたかい気持ちになるよね。ありがたいことだ。
最後のシーンだって、あちこちを飛び回る仕事に就いたアメイが(転職したと思しきシーンが挿入されるんだよね……ひょっとして、この休暇のせいでなんだろうか……)、お父さんの死のことを突然感じて、ようやく実感して、涙するのが、東京の空港のロビー(だよね?自信ないけど……モノローグ的には)なんだもの。

都会に住むようになってからはなかなか帰れずにいたけど、お父さんへのお土産は、いつも外国で買ったタバコだった。
男どもが線香の代わりにタバコを二本吸って、一本を供えるシーンがあって、病気をしている時には吸えなかった、今は思う存分吸えるだろ、というのがあってね。
タバコを吸わないアメイ、それは女だから、というのは今は古い見識かもしれないけど、でもやっぱりそういうのがあって、彼女は今の今までお父さんの死を実感できずにいたのがそのせいなのだとしたら、何か哀しいけど。

でも、ふと、異国の地で、それを思って、ロビーで、それこそタバコを吸っている男たちの隣で泣きじゃくり、モノローグで、飛行機に乗っても泣き続けた、というのが、ああ、なんか、リアルに、胸に迫るのだ。
葬儀の間はもう何がなんだか、ちょっと驚いたのは、彼らが普段着のまま、それこそセーターにジーンズみたいなままだったというのもそうでね。
何か、頭巾みたいのをかぶればオッケーで、弔問客もみんな普段着なのよ。だから余計に、区切りがつかない感じが、リアルなんだよね……。

まるで、クストリッツァ映画みたいな、絶え間ないリズムの音楽が鳴り響くインパクト。
今の時間軸では亡くなっているお父さんが凄く魅力的でさ、だって年齢的にも男ざかり!なんか見たことある気がしたのは、ジャッキー映画にも数々出演しているということだからかなあ。
脳裏に焼きつく、スーツで花束を持つ、合成写真のお父さん。本当は、カラオケ写真のお父さん。
お父さんとしてしか思えない娘、あるいは娘時代から年をとってしまった女の私は(爆)、凄く凄くこのお父さんが、今はいないお父さんが魅力的で、ならば自分のお父さんはと、自分のお父さんもきっと、と、思いをめぐらした。 ★★★☆☆


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