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「お」


2008年鑑賞作品

おくりびと
2008年 130分 日本 カラー
監督:滝田洋二郎 脚本:小山薫堂
撮影:浜田毅 音楽:久石譲
出演:本木雅弘 山崎努 広末涼子 余貴美子 杉本哲太 峰岸徹 山田辰夫 橘ユキコ 吉行和子 笹野高史


2008/9/24/水 劇場(丸の内ピカデリー@)
本木雅弘。この人は、自分が必要とされる作品をかぎ分ける能力があるみたいだ。何年かごとに、きちんと評価される作品に吸い寄せられるように出ている。しかも、彼の魅力が最も発揮されるような作品に。
というか、この企画自体、本木氏からの提案だったという。そういう意味でも、やっぱり彼は凄い。いや、原作のなにがしかがあるわけじゃないのか、とは思っていたけど、まさか彼自身のアイディアだったとは。

本木氏以外は、以前この監督と仕事をした役者たちが顔を揃え、万全の布陣で挑む。そういう意味でも、監督がこの企画に乗り気だったのが伺える。
ことに、本木氏とは年が離れている広末涼子嬢を妻役に据えたのが監督の一声だったというのも、涼子嬢ひいきの私には嬉しいんである。
本作でも、最初のうちはぎこちないような表情を見せるんだけど、でも私はそれも含めて、独特の表現をする彼女が好きなのだ。そしてきっとそれは、監督も同じなんだと思って!

そして、いわば、日本の伝統文化がテーマであるこの映画が、世界の映画祭でグランプリをとった、世界の人のハートを打ったことが、本当に嬉しいし、ヒットに結びついたのも嬉しい。
だって、賞をとったとはいえ、賞をとったってヒットしない作品はあるんだから(いや……タイミングの問題はあるけど。同じモントリオールグランプリだったのに、奥田作品もすぐに公開していればねえ)

本木氏の修行僧のような静謐さは、なんといったって天下一品だ。“修行僧のような”と常々思っていたのだから、人の死に関わる仕事につく男は、そりゃピッタリに違いない。
しかし、不思議なことに、僧は尊敬されても、彼の就いた仕事は尊敬されない。それどころか後ろ指を差される。いつもは理解ある妻でさえ、彼に触れられそうになると顔をゆがめて、「汚らわしい」と悲鳴のように叫んだ。

ここが、この物語のひとつの分岐点である。
本作は、そこを折り返し地点として、その折り返しの場面から少々の時間が経って、もう彼がすっかり納棺師としての仕事をそつなくやり遂げるようになっている場面から始まっているんである。
その時点では、美女だと思って敷布の下からそっと拭き清めていたたご遺体が「アレがついてます」なんて戸惑う、少々のユーモアさえ漂わせて。

そう、彼、小林大悟の就いた仕事は納棺師。そんな名称の仕事は初めて知った。いや、もっと人生を重ねていけば、この仕事を目の前で見ることがあるのだろう。
私はまだ幸いにも、死の儀式を最初から最後まで見届けるほど近しい人の死に遭遇したことがないから。
いや、それは幸い、なのだろうか。その仕事を目の前にしたことがないから、意外に世の人々はそうした人が多いから、ただ“死体に触る仕事”というイメージだけで、蔑まれてしまうんじゃないだろうか。
実際、私だって、そうした仕事、をただ頭の中に思い浮かべるだけなら、そんな風に単純に思ってしまうだろう。いくら高給がもらえるからって、いや高給だからこそ、いやらしい、汚らわしい、死神の手下だぐらいに思っちゃうのだろう。

でも、同じ死体に関わる仕事なら、ならば医療関係者はどうなのか、それこそ僧はどうなのか、葬儀社や火葬場で働く人たちはどうなのか。
実際、火葬場で働く男は出てくる。彼はその職を、最後の最後まで明かさない。仲の良かった銭湯のおかみさんが死んだ時、初めて仕事をしている姿で現われた。
きっと彼も、汚らわしい仕事についているヤツだという目で見られていたんだろう。だから、ことさらにノンビリと、まるで隠居でもしているような風情で、銭湯の常連でいたんだろう。ひょっとしたら彼の仕事のことを知っているのは、そこのおかみさんだけだったのかもしれない。
でも、彼はこの仕事に誇りを持っている。何百人と見送って、確信した、死は門なのだと彼は語る。ここで終わりで消えてしまうのではない。ただ潜り抜ける門なのだと。だからまた会おうなと声をかけるのだと。

なんて境地を大悟が聞けるまでには、まだまだ先は長いんである。
ちなみにこの銭湯のおかみさんっていうのは、彼の高校時代の友人のお母さんなんだけど、友人は古きよき銭湯を継ぐ気はないし、大悟の仕事を知ると、よりによってそんな仕事、と眉をひそめ、友人としての距離をおこうとさえ、するんである。
まあ、大悟はどうやらこの土地では、いわゆる郷土のスター的存在だったらしいから。

故郷に帰る前、大悟はオーケストラでチェロを担当していたのね。客席はガラガラだったけど、彼自身はやっとありついたアコガレのオーケストラにヤル気マンマンだった。
そう、やっとありついた、だったのだ。大悟が音楽を愛するほどには、自身に才能はない。それは認めたくない事実だった。
だけど、売れない楽団がアッサリ解散して、後には見得も手伝って購入した高価なチェロだけが残って、彼はにっちもさっちもいかなくなって、田舎に帰る決心をしたのだ。
都会育ちのカワイイ妻、美香は、いつだって大悟の応援団だった。ウェブデザイナーの仕事で彼の夢を支え続けた。そして田舎に帰るということは、その職を捨てるということなのに、それにも彼女は首を縦に振るんである。
正直、こんな理解ある妻がいるのと思うんだけど、でも彼女が唯一首を横に振る場面が、彼の人生の最も決定的な部分なことを考えると、女はやはり、人生の大事な場面を直感で判っているんだろうなって。

この妻を演じるのが、ああなんか、こんなお年頃になったのねと思う涼子ちゃん。ま、銭湯のおかみさんから「こんなめんこい子もらって」と言われるように年が離れている雰囲気はあるものの、なんか隔世の感を感じるんである。
そうそう、だって彼女が、滝田作品のヒロインだった時、清らかな女子高生だったんだもの。
でもあの頃から彼女は割とチラミセ程度には意欲的で、今回もホレボレするほど平らな下腹部を見せてくれる(あんな下腹は信じられん……)。
それは、初めての仕事で死後二週間も経ったデロデロのおばあちゃんの遺体とベトベトの部屋に嘔吐しまくった大悟が、求めた温かい肉体だった。
つーかその前に彼女が用意した食事が、シメたばかりのニワトリで、盆の上には生々しく、目を閉じた首までのっかっていたせいなんだけど。

でもさ、一方で美香は生きたタコはどうしようも手が出せなかったりするんだよね。
こんな具合に、締めた鶏やら釣ったタコやらをご近所さんにもらうんだけど、死んでさばかれている鶏がどんなに生々しくてもヘイキなのに、生きているタコはダメなのだ。
そして、川に放しちゃうんだけど、あれ、いくら川が海につながってるっつったって、いきなり川じゃ、死んじゃうよな……。
そういうあたり、人間のソレに対しては、死んだものは穢れてて、みたいな意識があるのに、おかしなもんである。 人間と人間以外の生物に対する絶対的な差別感。

それを、それまでは、この職に就くまでは考えたこともなかった大悟が、感じ始める。
最初こそ彼も、仕事の内容を聞いて臆した。旅行会社かとカン違いしていたのだ。求人広告に書かれていたのは“旅のお手伝い”なんていう惹句だったから。
でもその前に「安らかな」とついているんだから、その時点でおかしいと思わなくちゃいけないよな……。
実際は、“旅立ちの”お手伝い、の誤植だったというオチは、この作品が根底で獲得しているギャグ、ユーモア感覚のほんのサワリである。
いかにもアヤしい社長はろくな面接もせずに履歴書もほうり捨て(笑)、いきなり片手(50万)くれるという。なんたって失業状態の大悟は、仕事内容もろくに聞かないままなのに、その高給に断わることなど出来なかったのだ。そりゃ……あの理解ありすぎる妻に負い目があるから。
そう思うと、理解があるっていうのも、過ぎると罪なのかなあ……なんても思っちゃう。
そりゃあ、ここまで好きだからの一念で彼を支え続けている奥さんに対して、そんなことを言うのは酷なんだけどさ。

でもそれを言ったら、大悟が死に目に会えなかったお母さんだって、そうだったのかもしれない。
さらりと語られる彼のバックグラウンド。喫茶店をやっていた父は、ウエイトレスの女とデキて出て行った。母は、その店をスナックにして女手ひとつで大悟を育て上げた。そのどちらも、彼には苦々しい思いが残るのだ。
いや勿論、母に対しては感謝の念が大きいに違いないんだけど、ただ、死に目に会えなかったことは、本当にどうしても間に合わなかったのか、それとも……みたいな含みが感じられてしまうのだ。

それは、大悟自身が認めたくなかったことを、妻の美香がアッサリと喝破してしまった、そのことを、そう、彼はきっとどこかで気づいていたんじゃないかと思う。
「お義母さん、ずっとお義父さんのことが好きだったんだね。だってそうじゃなきゃ、こんなにキレイにレコードとっておかないよ。すぐ捨てちゃうよ」
音楽好きの父親がコレクションした膨大なレコード。その中には、幼い頃にムリヤリチェロを習わされた、両親の前で披露した曲も含まれていた。
今や大悟は生活のためにチェロを手放してしまったから、実家に置いてあった子供用のチェロを引っ張り出して、弾くしかないのだ。
だけどそれは、彼に思いがけない平安をもたらす。そのひとつは……チェロのケースにこっそりとおさめられていた、握りこぶし大の、ごつごつとした小さな石の存在。

こうして思い返してみると、案外とストーリーテリングがしっかりしていることに今更ながら気付く。
いや、滝田監督は、もともとしっかりとしたエンタメの人で、その中で青春や人情や、時にはこんな哲学さえも不可分なく入れ込めてしまう人な訳で、そんなことは判っていた筈なのに、その豊かな手腕、バランス感覚に改めて驚かされてしまう。
だってね、見ている間は、とにかく深い死生観や思想に、浸かっていたのだもの。本木氏が死生観にどっぷり浸る役者だというのもそうなんだけど、雪深い田舎町の、死者の魂やそれを導く仲介者がいると信じられるような、この山形の土地の雰囲気もそうなんだけど。
そして大悟が、最初こそ彼もまた一般的な感慨と同じように穢れた仕事だと思っていたのが、愛する妻に軽蔑されても、赤ちゃんが出来て戻ってきた彼女に、子供はきっといじめられるよ、と諭されても、それでも辞める気が起こらなかったのは。妻への愛よりも強い、この仕事への思いは。
それは、この映画を観に来た観客だけに贈られるプレゼントなのだ。

親なり兄弟なり子供なり、それぐらい近しい人が亡くならないと、目の当たりにすることはない納棺師という仕事。
だからこそ知らないうちは、先入観と偏見で彼らを軽蔑しまくる。
でも彼らがその仕事を辞めないのは。辞めないどころか、誇りを持って続けているのは。
その仕事のお世話になる人は、必ず判ってくれるからなのだ。

一番顕著だったのが、ウッカリ遅刻してしまったある葬儀。イライラしながら待っていたその夫は、お前ら死んだ人間で食ってんだろ、と毒づいた。それはまさしく、世の偏見をダイレクトに示した言葉だったのだ。
それはとりもなおさず、大悟がこの仕事を辞めようかどうしようか、最初に壁にぶちあたっていた時だった。
美香が、大悟の机の中からDVDを見つけてしまったのだ。彼が最初にした仕事、納棺の一連をガイドする業者向けのDVDで、こともあろうに彼は遺体役に扮し、白塗りしてオムツをつけて、社長に身体を拭き清められていたんだもの。
この場面は、その撮影風景からもう、爆笑しまくりで。白塗り姿でくすぐったさと気持ち悪さを必死にこらえている本木氏の表情もそうなんだけど、ひげを剃られるために泡を塗りたくられて、遺体のはずなのに鼻の穴から泡がひくひくいってるトコとかさ!!
まあ、それはおいとくとして……とにかく、美香がもうそれでキーと反発しちゃって、彼に触れられるのもイヤがって、実家に帰っちゃってて。

でね、この葬儀だったのだ。遺影を仰ぎ見て、社長は生前をイメージしながら丁寧に死に化粧を施し、その最後に、奥さんが使っていた口紅はありませんかと聞いたのだ。
何を言い出すんだという顔をした夫を尻目に、その後ろに座って涙をこらえていた娘が、すばやく立ち上がって、金色の小さな口紅を持ってきた。社長はそれを丁寧に押し戴き、紅筆を使って唇に差した。
遺影の、穏やかな微笑みそのままの死に化粧。娘は母親に呼びかけて号泣し、夫は、必死に声をこらえながらも、妻の美しい死に顔に慟哭した。

そして、帰りかけた社長たちを呼び止めて、頭を下げるのだ。失礼なことを言ったと。アイツは今までで一番キレイだったと。
この台詞には、ヤラれた。一気に涙が噴きこぼれる。
そしてささやかなお土産にと、自家製の干し柿を手渡してくれる。
これが、この仕事に誇りを持つ一番最初の出来事で、この夫を演じるのがいかにも厳格な山田辰夫だから余計にグッときて、干し柿っつーのもまた絶妙なアイテムで、胸が熱くなってしまうのだ。
だってだって、このダンナさん、こんなカタイ顔して、奥さんのこと、大好きだったに違いないんだもの。それがにじみ出てるんだもの。

近しい人の葬儀でしか出会えない仕事だからこそ、それに出会ってしまえば、その仕事の誇り、崇高さ、人に与える幸福が、何ものにも変えがたいことが判る。
それを支えに、普段どんなに後ろ指差されて、辛い思いをしても、誇りを持って仕事ができる。
なんかまるで、殉教者のような趣。それを真に理解しても、それでもこの仕事、私なら出来るだろうかと考えてしまう。
それは、こうして映画で見てしまえば、公然の評価だから、でもそうじゃなければ。

なんかね、社長が初めての社員採用の大悟を直感で決めたというのがね、演じるのが本木氏だっていうのもあるんだけど、なんか、判る気がするし、そしてうらやましい気がしたんだ。
愛してもらって当然の人に愛してもらえないバックグラウンド、そして、無償の愛を届けてくれる音楽、その音楽を愛した父へのわだかまり、母の死。
社長は、長年連れ添った夫人の死によって、この仕事を始めた。最初の仕事で、愛する妻を精一杯の思いで送った。
社長のヨミは当たってた。たとえ妻が実家に帰っても、大悟はこの仕事に残った。それは社長のそのエピソードを聞いたこともあるだろうけれど……何かね、あのクリスマスの夜、事務所で、社長と彼と事務員の上村さんとで過ごしたあのささやかな夜が、ここに集まった三人がそうした運命に導かれている気がしたんだよね。

社長は、食べ物もまた、ご遺体だと言った。辞めようとしていた大悟に勧めたフグの白子の炭火焼は、ことのほかの美味しさで、「美味しいんだよな、困ったことに」というのが口癖だった。
このクリスマスの夜も、山盛りのフライドチキンに、もはや仕事のあとでもすっかりヘイキになってかぶりつきながら、大悟は社長に聞いてみた。
「美味しいですか?」「困ったことに!」
そして、何かクリスマスっぽい曲を、とリクエストされて大悟が披露したのは、アベマリア。
敬虔な空気が流れる。中でもなんだか、涙を流しそうな顔で聴いていたのは、上村さんだった。
彼女は、かつてホレた男について、幼い息子の手を振り払って流れてきたのだ。縁あって、社長の仕事にホレこんた今、この仕事についている。
そんな過去は、大悟に、行方知れずだった父親の訃報が届いた時に知れるんである。

当然、そんな男は関係ない、一緒に逃げた女に面倒見てもらえばいいだろ、と大悟は吐き捨てるんだけど、事情を聞いてきた美香は、お父さん、ずっと一人だったみたい、と告げるのだ。
正直、その言葉を聞いた時はズルいと思った。だからって、逃げた女と上手く行かなかったからって、孤独に死んだからって、こいつを許せと言うのかと。

しかし、当然そんな具合に頑なになる大悟に、思いがけず上村さんが意を決したように言うんである。行ってあげてと。
そして自分の過去を暴露した。捨てた子供に、会いたいに決まってる。でも会えない……それは、自分がそんな事情で子供を捨てたならという前提がなければ推測出来ない気持ちで、だから当然大悟も、ただただ父親を身勝手なヤツだとしか思ってなかった。それはある意味、子供の当然の権利ではあるんだけど。

でも、せっぱつまった上村さんの言葉に、ふいを突かれた気がしたのだ。認めたくないのに、認める必要なんてない筈なのに。
そんなシチュエイションで駆け落ちした相手と、その後も永劫に続く確率なんて、どの程度あるのか。むしろ、こんな風に苦しんでいる人の方が多いんじゃないか。
そこまで考える必要はないのかもしれない。訳も判らない幼い子供をキズつけたことこそを重要視するべきなのかもしれない。でも、……そうではないラストに、監督の優しさを、すんごい優しさを感じたのだ。

大悟は父親の死に目にも会えなかった。母親の住所に電報が届いた。なぜ今更……彼は当然、最初は拒否する。
でも、銭湯のおかみさんが亡くなったのに際して、初めて夫の仕事を目の当たりにし、納棺師としての彼の仕事を認めた美香と、子供を捨てた過去のある上村さん、そして何より、妻を自分の手で送った社長に後押しされて、向かうのだ。
社長はサンプルの棺を「どれでも好きなのを持っていっていいぞ」と言ってくれた。そおんなこといわれたら、一番高い総ヒノキ彫りを持ってくに決まってるじゃない(笑)。
殆んど無縁仏である父親の遺体は、流れ着いた漁村の荒っぽい葬儀屋に機械的に処理されそうになるんだけど、噛み付くようにそれを阻止する夫をサポートして、妻が言う。
「夫は、納棺師なんです」
その誇り高き言いっぷりには、ホレたなあ。

チェロのケースに入っていたごつごつとした石は、父親が教えてくれた石文だった。まだ人間が言葉を持っていなかったころ、自分の気持ちを石の印象に託して交換するコミュニケーション。
それはまるで、言葉ではないコミュニケーションである音楽と似ている。父親が愛した音楽に。
でも石文のやりとりは、一度だけで終わってしまった。その後すぐに、父親は出て行ってしまったから。ぼやけて思い出せない父親の顔。

その、年老いて死んでしまった父親の、こわばった手の中からポロリと落ちたのは、幼い大悟が河原で、考えに考え抜いて選んだ小さな白い、まろやかな丸みの小さな石だった。
ぼやけていた父親の顔が、にわかにハッキリと大悟の眼前に開けてくる。
彼は、涙を落としながら、父親の身体を丁寧に拭いた。念を込めるように、組ませた両手を握ってその胸に置いた。
それを涙を浮かべながら、黙って見つめて笑みを浮かべている美香。
彼は、父親に渡したあの石を、彼女の手に握らせ、そして新しい命の宿ったおなかにそっと当てるんである。
二人の、幸福そうな笑顔といったら!

やっぱりあの、銭湯の常連の、実は火葬場で働いていたおじいちゃんのエピソードが好きだったなあ。
おかみさんから、一緒に銭湯をやってくれないかと言われていたという。それを彼は、「私は燃やすのが得意ですからね」なんて冗談めかして言って、でもそれはきっと、この彼が一番おかみさんの頑張りを判っていたからなのだろう。
今更ながらにその事実に直面し、母親の遺体が炎に包まれるのを見守りながら慟哭する息子は、それでもきっと銭湯を継続することは出来ずに、言っていたようにマンションにでも建て替えてしまうのだろうし。
このおじいちゃんが言っていたのだ。橋の上からぼんやりと鮭の遡上を眺めていた大悟に。
「生まれた場所に、帰りたいんだろうの」
その願いも叶わず、ぷかりと浮かんだ鮭の“遺体”が押し戻されていく……。

死と同じく目には見えないものとして、象徴的に語られる音楽というものを、そのチェロを、本木氏が見事に演奏している姿も感動的だった。
いや、勿論演奏は吹き替えにしたって、やっぱり弦を抑える手の動きがね、モロに動いていない役者さんとか結構、いるんだもん。そういうのってやっぱり、ガッカリしちゃうし。
ユーモアと感動がゴールデン比率で、爆笑する場面もあるのに、一方では号泣してしまって。
沢山のキスマークで送り出される大往生のおじいちゃん、なんていう葬儀もあって、ああ、いいなあ、これってもはや、哀しみではなく祝祭のようだよねと思ったり。
こんな美しい儀式で旅立てるこの国を、誇りに思いたい。★★★★☆


男の花道
1941年 73分 日本 モノクロ
監督:マキノ正博 脚本:小国英雄
撮影:伊藤武夫 音楽:鈴木静一
出演:長谷川一夫 古川緑波 渡辺篤 神田三朗 佐々木浩一 春風曽代子 市丸 汐見洋 丸山定夫 鳥羽陽之助 高勢実乗 沢井三郎 坂東橘之助 山本礼三郎 鬼頭善一郎 嵯峨善兵 深見泰三 清川荘司 真木順 柳谷寛 永井柳筰 横山運平 光一 原文雄 千葉早智子 沢村貞子 藤間房子 清川玉枝 三谷幸子 山根寿子 伊藤智子 一の宮敦子 一の瀬綾子 戸川弓子 伊達里子 谷間小百合 音羽久米子 三條利喜江 鈴村京子 矢口陽子

2008/1/26/土  東京国立近代美術館フィルムセンター(マキノ雅広監督特集)
某データベースを引いても、56年の再映画化版しか出てこない。それだけレアな作品を見られたということだけど、これも戦後再編集された短縮版。ああっ、なんということ!こんなに面白い映画なのに、短縮されたとは!つまりその失われたフィルムはもはや観ることは出来ないということ?あああ……。
実際、56年のデータベースを見るに、本作の方はずっとシンプルな物語の作りになっている風。切られたのが物語の部分なのか、場面をつままれたのかは判んないけど。

ああそうなの、もう面白かったのよー!やはりね、古川ロッパが見たかったのよ。しかしね、彼にお腹いっぱい笑わされる一方で、両主演とも言うべき一方の長谷川一夫は、古川ロッパのコミカルにちっとも影響されることなどなく、最初から最後までしっとりとシリアスなのよ。
この対照がね、凄いの。大体古川ロッパと長谷川一夫という顔合わせ自体が凄いと思うけど、既に「家光と彦左」という作品(見逃したっ!)で成功したのを受けて本作が作られたというんだから。

冒頭シーンは実に印象的。お江戸に向かう芝居一座の行列がふと止まる。くっきりと浮かび上がった富士。太夫も見て御覧なさいよ、と言われるも従者はいや太夫は……と口ごもる。すると駕籠の中から降りて見ます、との声。しっとりと現われ出たるは水も滴る女形姿の長谷川一夫。
中村座のスター、歌右衛門役である彼は、当然最初から最後まで、このたおやかなる女太夫のお姿。正直カメラが寄っている時は、モノクロとはいえ白塗りの下のひげの剃りあとやあごのたるみが気にならなくもないのだけれど、その柳腰、顔の動かし方から、しなやかな指先の動き、そして柔らかな声や喋り方までが、う、美しい……まるで上質な絹糸で身体全体が出来ているかのよう。
当然、後半にはあでやかな舞台での踊りも堪能できる。そう考えるとやはり、この作品の主役は長谷川一夫の方なのかなあ。

んで、ちょっと話が飛んだけど、太夫の目には富士山は映らないのだ。富士山がどの方向にあるのかも判らない。慌てた従者が、太夫、こちらですよ、もっと右、と声をかける。そのくっきりとした富士と、不安げな太夫の対照が鮮やかで印象的な導入場面。

その一行を見送っているのが眼医者の土生玄磧と助手の男(多分、嘉助)。恐らくこの印象的な導入場面の前が切られてるんじゃないかと思うんだけど……玄磧は「やはり私の言ったとおり、あの太夫はめくらだ」と言うわけね。それを太夫に問いたださなければ気がすまない、と。
それを助手の嘉助は必死になって止める。そんなこと、太夫が自ら認める訳はありませんと。きっと先生の言うとおり、それでいいじゃありませんかと。しかし玄磧の気は収まらず……。
観ている時は気づかなかったけど、ここでいきなり玄磧がこんなに憤っているのもやはりヘンなんだよね。後に玄磧が太夫の眼を診る時、大阪で彼の芝居を見た玄磧が、この太夫はめくらだと言ったことで藩主の怒りを買い、禄まで奪われた、という説明があるから話の流れは判るものの……まあ判るから切られちゃったのかもしれないけど。

玄磧たちが宿に着いてみると、お給仕の手も足りず、彼らは自分たちでごはんをよそって食べている。という、愚痴っぽい感じだけで妙に可笑しい古川ロッパ。一体誰が泊まっているんだろう、まさかお大名と同宿出来る訳もないし……と思っていたら、くだんの中村座御一行だったんである。
太夫と読み合わせをしようと部屋に入ってきた従者は、彼がもう行灯の明かりすら判らなくなっていることに愕然とする。倒れこむ太夫に焦って、眼医者は、眼医者は!と叫んで部屋を飛び出す。
ここで登場する、慌ててカン違いのリレーをする一群は恐らくロッパ一座だと思われ、さすがのチームワークを発揮。大変だ、眼の医者だ、あ、木庵先生だ、早く呼んで来い、あ、しまった、木庵先生は目の医者じゃなくて馬の医者だ!とまあ大騒ぎ。玄磧が無事太夫の眼を処置した後にその木庵先生が登場して、まったりと馬の治療をしようと用意しだすオチまできっちりと描かれ、もう大笑い。

で、その太夫の眼の処置の部分が最初のクライマックス。呼ばれた玄磧=古川ロッパの独壇場。太夫の眼を覗き込んで、こりゃ半年前から段々と悪くなりましたな、と一発で言い当てた彼は、コレを治せるのは二人しかいない。一人は長崎の名医。今一人は……ともったいぶる。
周囲の者たちが、それは長崎よりもっと近くにおりますのかな、沼津あたり?いやそれよりももっと近い……と玄磧がニヤニヤとじらす、そのオチは読めるのに、古川ロッパのしてやったりの顔が可笑しくてたまらない。「それはな、今目の前にいる、このワシじゃ」吹き出しちゃう。読めてたのにー。読めてたからこそか。くそっ。

しかし玄磧、お金はいくらでも出すからどうか太夫の眼を治してやってくれ、という台詞に過剰に反応、何でもカネで解決する、その態度は好かん!と憤然とその場を去ってしまう。
それはこの場面だけではなく、後に江戸での生活でも玄磧は患者たちからカネを一切受け取ろうとせず、代わりに差し出される野菜やらおかずやら酒やらで日々の暮らしを立てているのが描かれるので、そういった義侠心の強いお医者さんであることが知れるのだけれど、それが後半、大事件を引き起こすわけで。

一度はそんな風にして太夫の部屋から立ち去ってしまった玄磧だけれど、気にならない訳はない。従者が慌てて玄磧の部屋にやってきて、なんとか太夫を診てやってくれないかと平身低頭頼むのだけれど、一度ヘソを曲げてしまった玄磧はウンということが出来ない。玄磧が席を立ったのを見計らい、嘉助が従者に、心配することない、先生は診てくれるから、俺に任しとけい、と請け合うんである。
で、こっからの玄磧と嘉助の、狐と狸のばかしあいというか、腹の探り合いというか、かけひきの場面が秀逸でさ!

何たって嘉助はこの単純な先生の性質を知っているから、このままじゃあの男、首を括っちまうんじゃないでしょうかねえ、なんて知らん振りして言ってみたりして、でもカネで解決しようとする態度は許せませんよねえ、と玄磧の台詞を何度も引き合いに出して空惚け、逡巡する玄磧と眼が合うと、ねえ、と二人して頷き合うのには爆笑!
口ごもり気味に、やっぱり可哀相かねえ、私のせいで首を括られちゃ、私が義がなかったと言われるじゃないかと、なんとか嘉助に賛成してもらおうと顔色をうかがうロッパの、あれってアドリヴも相当入ってるんじゃないの?そうとしか思えない!

しかもね、ここ、驚きのワンシーンワンカットなのよ!凄い緊張感。凄い緊張感なのに、凄い可笑しい!
で、ようやく「私のせいで死なれちゃかなわない」ってんで、太夫の部屋に急ぎ向かう玄磧に「まったくイイ先生だぜ、こたえられねえや」と嘉助がしてやったりの破顔一笑になるのには、こ、コイツー、面白がってたな!とまたしても爆笑!いやー、ロッパはほんっと面白いなー。

で、太夫の治療をするのだが……それがなんと、手術なんである!ずらりとならべられた痛そうな手術道具……え、ええっ、麻酔とか、あるの?映画なのに、それに切る場面が映される訳でもないのに、なんか首がすくんでしまう……。
廊下でも鈴なりになった人たちが、固唾を飲んでなりゆきを見守っている。あ、ちなみにこの頃に馬の医者の木庵先生がご到着あそばされているわけで(笑)。

しばしの後、「やった、成功した!」と玄磧は喜びの声を上げる。しかし包帯をぐるぐる巻きにした太夫の目が見えるようになったのを確認出来るのは一週間後、暗いところから徐々に眼を慣らしていくと、太夫は目の前で振られている蝋燭の光にハッとする。「先生、明かりが!」
かくしてめでたく光りを取り戻した太夫、玄磧はガンとして治療代を受け取らず、「私は太夫に金をくれてやったんじゃない、私の医術を差し上げたんです。いつか太夫が自分の芸でお返しをする時があったら……」と言い残して、一足先に江戸へと旅立ったのであった。

で、ここからが後半。江戸でも中村座の芝居は大当たり。太夫=中村歌右衛門の女形は大評判となっている。大入り満員の初日に、太夫は客席に玄磧が来ていないかと探させるんだけれど、そこに彼の姿はない。
玄磧は何をしているかというと……いや、この江戸でも町の人たちから信頼される眼医者として暮らしているんだけれど、何たって禄を取り上げられ、患者からも治療代を取らないもんだから、台所を任せられる嘉助の苦労は並み大抵ではなく、しかし嘉助は先生のことを慕っているからそんなことはおくびにも出さず……夜中にコッソリ起き出して、駕籠かきのバイトをしているんである。
そのことを玄磧は気づいて……夜中、こっそり寝床に帰ってきた嘉助に、ぱちりと目をあけて、天井を見上げたまま言うわけ。仕官することにしたから、禄は一石ニ扶持、以前よりずっと少ないけれども、二人で充分やっていける、だから……もう駕籠は担いでくれるな、と。涙にくれる嘉助。

しかしこの禄にありついた藩主ってのが、ちょっと傲慢なお殿様でさ、芸者の席にお抱えの医者も呼んで、幇間よろしく医者たちにもちょいと踊ってみせろと強要するようなヤツなのよ。
玄磧は医者としての誇りから、そんなことは出来ないと突っぱねる。同僚の医者が何とか玄磧をなだめようとしても、聞かない。そんなヘタな踊りを見せるぐらいなら、ホンモノの踊りをここで見せてやる。中村歌右衛門をここに呼ぶ!と言ってしまう。
お、おいおいおい、玄磧、何で突然そんなこと言うの!観てるこっちも突然の展開に焦る。だって太夫はその前の場面で、お得意さんのお座敷に出てくれないかと言われたのを、木戸銭を払って自分の芸を見に来てくれているお客さんにそれでは申し訳がたたない、恐れながら歌右衛門の芸は舞台に見に来てほしいと願いますときっぱりと言って、そのことで彼の評判はまた上がったのだもの。

一方の玄磧、もう引っ込みがつかなくなり、もし一刻の間に歌右衛門が来なかったら、ここで腹を斬る!と言ってしまう。とんでもないことになった……しかも今は歌右衛門は芝居の真っ最中。そのことをニヤニヤと藩主から告げられると、あ、そうか……とマヌケな顔になるロッパに吹き出しつつも、ええ、どうするの!と見ているこっちは気が気ではない。
嘉助が急ぎ、芝居小屋に駆けつける。何とかこの手紙を太夫に見せてほしい、先生の一大事なんだ!と。

どんな事情かは判らないが先生の大事だと、あの従者が舞台の歌右衛門に手紙を届ける場面がまた素晴らしくてさ!たおやかに踊っている太夫の後ろに、そそくさと出てくる黒子姿の彼(爆笑!)、必死に太夫に囁きかけ、手紙を手渡す。
戸惑う太夫、しかし踊りの振りに合わせてさりげなく手紙を読み出す。どうも読みづらくて、今度は床に倒れ掛かるような振り付けに変えて、手紙を広げて読み出すと……その内容がトンでもないことに気づいて、もはや踊りにごまかすこともせずに、釘づけになって読み進める……。これを長谷川一夫が徹頭徹尾マジメにやるもんだから、逆に可笑しくてさあ。
異常を察した観客からはブーイングが飛び交い、慌てて幕が下ろされる。何とか先生の危機を救いたいと申し出る太夫なんだけど、何たってお座敷には出ないと断言した直後だったから間が悪い。茶屋主は怒るし、観客も座布団を舞台に投げ込んだりして収拾がつかなくなってる。それでも、太夫は全てを振り切る覚悟を決め、観客たちに説明するために舞台に出て行った。

ああ、この場面がね、泣けるのよ。血気盛んなお江戸の客たちはもう騒ぎまくっちゃってるの。それを花道にまで走り出て、「しばらく、しばらく!」となんとか静め、ことの起こりから諄々と説明していく太夫。
今、私の芸をお見せ出来ているのも先生のおかげ、その先生を助けたいんだとお客さんにたおやかに、しかし涙ひとつ見せずに説明する太夫に、見てるこっちが涙出ちゃうわけ。
でね、やっぱり「座敷に出ねえって言ったくせに!」みたいな荒くれモノのヤジも飛ぶんだけど、「かまわねえ、歌右衛門、行きな!」と誰か一人が言うと、さざなみのように後押しする声が連なりあい(泣けるわー)、太夫は辞儀をしながら急ぎ花道を駆け抜ける。太夫が去った後は、賛成派と反対派とがあちこちで取っ組み合いのケンカ(笑)。うーん、なんかこういうのさえ、華やかでね。火事とケンカは江戸の花ってね!

太夫の説明に時間がかかってたから、玄磧の方はと気が気ではなかったんだけど……しかしそこは古川ロッパである。こんなギリギリの状況を、笑わせてもたせてるんだから!
もう時間が来て、腹を斬るしかないとなり、着物の前を出して腹を出した時点で、そのたっぷりとしたお腹に思わず笑みがこぼれる。そして脇差しを「ご免!」いざ突き立てようとするんだけど、つんと突いただけで「いてててて」お、お約束なんだけど、うっかり吹き出しちゃう。
その後一体何回、「ご免!」「ご免!」と繰り返したことか(笑)。全く踏ん切りがつかないナサケナイ玄磧に笑いすぎて涙が出ちゃう。
そしてついに「ゴメンー!!」と咆哮し、カットもそれまでのベタ撮りからアップであおるような角度に変わり、すわ!と思ったら、いきなりカットが変わると、脇差しをあっさり自分の前に置き、ニコニコしている玄磧の前に、駆けつけた太夫、という場面に変わってるの。おいおいおいー、またいきなりだな!その間はどーなってんの!

涙ながらに再会を喜び合い、そして玄磧のためにお殿様の前で踊る太夫。襖が全て開け放たれたお座敷で、踊る太夫を一目見ようと人々が鈴なりになっている。
お座敷で踊らないという誇りはどうした、と問い掛けるお殿様に、「誇りはいつか、捨てなければならない時があります。その捨て時を選んだにすぎません」と。
感じ入った彼が杯を取らせようとすると、恐れながら舞台でお客様を待たせておりますので、と辞する太夫。いやー、カッコイイ。まさに男の花道!男の……ていうのはちょっとはばかられる気もしないでもないけどっ(笑)。

すんでのところで助けられたのに玄磧ったら、さっき踊ってた同僚医者に「もう幇間のようなマネはするなよ」などと余裕タップリ。幸せな人だ……。
お殿様は太夫の潔さに心打たれ、さあ、皆で中村座に繰り出そうぞ!と声を上げる。ワッと湧き上がる一同。
そしてカットが変わると、あでやかに踊る太夫を二階の桟敷から満足そうに見つめている玄磧。何とも気持ちのいい大団円。

ああ、それにしても古川ロッパの自由奔放のユーモラスにはヤラれる。そして伝説の長谷川一夫を見られたことも嬉しい。この超対照的な二人でまとめ上げてしまうマキノ監督の手腕よ!★★★★☆


小原庄助さん
1949年 91分 日本 モノクロ
監督:清水宏 脚本:清水宏 岸松雄
撮影:鈴木博 音楽:古関裕而
出演:大河内傳次郎 風見章子 宮川玲子 清川虹子 飯田蝶子 田中春男 清川荘司 杉寛 鳥羽陽之助 日守新一 鮎川浩 川部守一 石川冷 尾上桃華 坪井哲 高松政雄 倉橋享 今清水甚二 高村洋三 佐川混 加藤欣子 徳大寺君枝 赤坂小梅

2008/11/14/金 東京国立近代美術館フィルムセンター(大河内傳次郎 伊藤大輔監督特集)
もー、めちゃくちゃじんわりしたわー。上映終了後、会場を後にする玄人風観客のおじさま方が「こんなに上手い役者だとは、驚いた」と語り合ってた。未熟な映画ファンの私も、やっぱり大河内傳次郎といえば今回のプログラムで何本か観た、チャンバラで見せる、豪快な、ま、言ってしまえば大味な役者さんなのかと思っていたから、大いに共感。
小原庄助さんとして村の人々に愛される、というか、あまりに人が良すぎてソンばかりしている彼の、愛しさ、そして切なさ。それがあまりに過分なもんだから可笑しさまでがこみ上げて、更に切なさが倍増するというこのお人。
笑いながら見つつも、ずっと心がキュンキュンいってしまう、本当に、愛すべきキャラなのだよなあ。

ところで私、これって実在の人物伝なのかと思ってたら、違った。
劇中「小原庄助さんだなんて呼ばれてその気になって……」という台詞で、どういう由来で小原庄助さんなんて名乗るようになったのかしらん、何か語呂でも?と思っていたら、彼がその小原庄助さんそのものではなく、民謡に歌われている“酒で身上潰した”小原庄助さんになぞらえられている、ということだったのね。
私はその民謡のことを知らなかったから(いやでも、聞いたことはあるような)すぐにピンとこれなかったのが残念。予習しとけばよかった。
いやそれにしても、それでタイトルがズバリ「小原庄助さん」だなんて、本当に小原庄助さんのことかと思うじゃないの、ねえ。
その“本当の”小原庄助さんというのも実在したのかどうなのやら、墓とかもあったりするものの、結局は謎らしい。うーむ、気になる。

とはいえね、おちょこによく描いてあるじゃない、酒徳利を抱えて、でっぷりとした腹を出していい気持ちになってる“小原庄助さん”がね。呑み屋でおちょこの“小原庄助さん”にはちょいちょい出会ってたから、やっぱり親近感はあったわけでさ、だから今回のこのタイトルに飛びついたのだ。

本作の“小原庄助さん”は、本名は杉本左平太。立派な門構えの広々とした屋敷はいかにも名家を思わせるし、ちらちらと挿入される紋所は、まるで葵の御紋を想起させるような厳かなもの。彼がさらりという「家柄」なんて言葉以上に、相当な血統だと思われる。
たった一人ではあるけれど、通いのばあやもいるしね。しかしこのばあやも、かつてはたくさんの奉公人でさばいていたのに、今は自分たった一人になってしまったとごちる。
左平太がいよいよにっちもさっちも行かなくなった時、“旦那様”である左平太に、「子供の頃いじめられた時も、吉原にのめりこんだ時も、かばって差し上げたのに……」などと言い出して彼が目を白黒させる場面が可笑しい。今や借金で首が回らなくなっている左平太の、名家をしのばせるただ一人の存在、なんだよね。

まあ、そんな展開はまだまだ先なんだけど。そう、小原庄助さんはあくまで通称。でも冒頭、「杉本左平太というより、小原庄助さんの家はどこですか、と聞いたらすぐに判るでしょう」というナビゲートから始まり、子供たちはその民謡、「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで……」と口ずさみ、ばあやは首を振りながら「あー、もっともだ、もっともだ」と相槌を打つ。またこのタイミングも絶妙で、思わず吹き出してしまうのよね。

ばあやが頭を痛めているのは酒飲みということよりも(まあそれも、かなりの部分を占めてはいるんだけど)、人のいい彼が、頼まれればなんだって寄進してしまうことなんである。
まず最初は「野球チームのユニフォームが出来た」と青年たちが訪ねてくるところから始まる。記念写真を撮るから先生にぜひ着てほしい、というと相好を崩した左平太さんは、着るんなら野球をしたいと言い出し、嬉々としてグラウンドへ。
しかしいきなり金的をくらい(!)悶絶。青年たちが慌てて駆け寄り、彼をムリヤリジャンプさせ(生々しいな……)、四肢を抱え上げて運び出すのには大爆笑!しかもそれら一連が、絶妙の距離感を保った引きの場面で示されるもんだから更に可笑しすぎる(笑)。
でもって左平太さん、子供たちに「僕らにも野球のユニフォームを寄付してよ」と言われると、「野球はいかん。危ない。何か他のを考えろ」と即答するのにも、噴き出しちゃう。

子供たちとのシーンは、なにかと可笑しいんだよね。左平太自身がどこか子供のような感覚があるからだろうと思われる。
いつも古ぼけた(という感じ……)ロバに乗ってノンビリと移動している左平太、木の実を取ろうと高い木に登っている子供たちを心配して、「降りてきたら、野球のユニフォームを作ってやるから」と声をかけている間に、他の子供がロバに乗って走っていってしまう(笑)。それをコラー!とばかりに追いかけるへっぴり腰が愛しくてね(笑)。
それもまた絶妙の引き、なんだよなあ。この映画は引きの場面の名場面ぞろいかもしれない??

そうなの、左平太さんは、もう何かと寄付しちゃうのよ。次に現われ出るは、彼に何台ものミシンを寄付してもらった、現代ならキャピキャピとでも表現すべきかと思われる、スカートを翻して、ブラウスの胸元もさわやかな若い女性たち。
農村であるこの村では、かなり進歩的と思われる。後に、農村における進歩的文化、を掲げる村長候補が出てくる展開を考えると、これって結構キッチリとした布石かも、と思えるんである。

彼女らの先生として招かれている、超進歩的女性の“マーガレット中田”のいっかにも西洋かぶれってなその名前と大仰な振る舞いが可笑しくて!さすが清川虹子師匠である。
「もうじき昼時ですがお構いなく」「奥様はお料理がお上手だそうですねえ」とあまりに判りやすい要求に(……さすがは清川さんだわ)「支度するってことだね」とおっとりと構える杉本家の方が、やはり名家の余裕かも。
しかし左平太さんは十数台のミシンの騒音に耐えかねて、彼女たちを友人の和尚の寺の本堂に移動させてしまう。和尚のお経とマーガレット先生の指示が超意地の張り合いで叫びあいになる可笑しさに、たまらず爆笑。
それに足踏みミシンの騒音が重なって……これが進歩的農村の文化なのね??

奥さんがまたステキでさあ。彼女は、ラストシーンで感動をもたらしてくれる人でね。一度はこんなふがいない左平太さんから彼女の兄が実家に連れ戻しちゃうんだけど、ふりきって左平太さんの再出発に戻ってくる奥さんなのね。
そのラストはまだ後述なれど、それを確信させる、とても理解ある奥さんなのよ。いや、理解あるという言い方は、いかにも良妻という強要的な表現でアレなんだけど……。
そういやね、この二人には子供がいないよね。そのことには全然触れないけどさ……。ていうか、左平太さん自身がまるで子供のようだからさ。彼の人の良すぎる散財に、奥さんは身を削っている訳で、それでもこの呑ん兵衛ダンナを愛しているのが凄く、伝わるんだよなあ。

いや、彼女自身、この苦しい生活にそこまでハッキリとした意志は持ててなかったかもしれない。実際、破産状態になった彼の元から、心配した兄によって実家に連れ戻されるのに否と言えなかったんだもの。
でも、なんか、観てると判るんだよね。これがハッピーなラストにつながるのが。なんと言ってもまず示していたのが、最初に借金取りの紺野が訪ねてきた場面で、左平太さんが「お前、これないのか、これ」とでっぷりとした腹を叩いて(!!チャンバラスターの大河内傳次郎がこんな腹になってしまったとは!)「ヘソクリだよ」促がすのに対し(ど、どうなの、これって)、「もう何度も差し出しました。さすがにもうないですよ」としかし冷静に言い、だらしないダンナにシャツとズボンを着させるのがなんともさあ。

ああきっと、私はこんなにガマンできない。きっとあっという間に三行半をつきつけてしまうと思いつつ、左平太さんがあまりに頼りないからなんかその愛しさにクラっときちゃって、奥さんがすんごい理想の女性に見えちゃうのよね(爆)。
こんなバカで頼りない男を、一から十まで世話してみたいと思わせちゃうあたりがさあ、偉大なわけ。
やっぱり女は、正方向と逆方向の支配欲を満たされたいと思っているのかもしれない。男に支配されるばかりに反発する一方で、愛する人になら支配されたい、かしずきたい、それが、旦那様としてはかしずく相手な一方で、自分が財政なり生活なりを支配しなければ成り立たないというのは、実にまさに究極の完全な萌え、決定版だよなあ。

寄付が重なれば、いくら名家といえど財政は傾いてくる。というか、もう最初っから、訪ねてくる金貸しから逃げ回る左平太さんなんである。
しかしその取り立て担当の青年、紺野も、自転車でえっちらおっちらやってくる描写からしてなんか切ないものを感じさせるのよね。“お茶代わり”と出される酒に、いやいやこれは!と拒みながらも、結局は飲んじゃって、もう帰ってるだろうと和尚のところで時間を潰していた左平太が戻った時には、すっかり酔いつぶれて寝ちゃっているというあたりが(笑)。
このお茶代わり、というのはことあるごとに出てくるのよね。囲碁で勝つために、手元の酒がなくなったのを見計らって、小僧にさりげなくお替わりをすりかえさせたりする。
酒飲みの弱点をメッチャついている訳でさあ、この小僧も癇のつけ方から堂に入り過ぎだろ!丁寧にフタまでついているあたりが心憎い。

もー、この時点で私、ああ、小原庄助さん、いやさ左平太さんはわれらが同志、メッチャ友達になりたいわと思ったもんね。
いやまあ、苦しいながらもまだ見栄を張れていた冒頭の頃は、酒樽の栓をキュッとあけて“お茶代わり”を供していたものだけれど、次第に村民と同じく酒屋からビンに詰めてもらうようになる。後半には、所有していた立派な酒樽が、ホコリをかぶって転がっている切なさなのよ。
でもね、やっぱり最後まで左平太さんは“お茶代わり”を貫いたんだよね。それは彼が背負っている御紋よりもずっとずっと、彼の誇りだったんじゃないかと思って、それが酒飲みの後輩にとって、すんごく素敵!と思えたのだ。

そうそう、左平太さんはなんせ名家の出だから、何度となく仲人を頼まれててさ、もう飽きたとかいうんだけど、そりゃあそういう席は酒も出るし(爆)、景気よくたくさんの村民を呼ぶもんだから、“お茶代わり”が大好きな彼の仲間達はいそいそと出かけるのね。
しかし“こんな時勢ですから……”と、いそいそ、しずしずと箱膳を仲居たちが運んできた上に乗せられていたのは、なんと、一切れのカステラとコーヒー!
「コーヒーはお替わり自由ですから」などと自慢げに言う主催者の言葉に“お茶代わり”が大好物な左平太さんと仲間達は呆然。
当然、バスで帰ってきた(バスってあたりがね……)左平太さんは、「何か忘れ物をしていませんか。落とし物と言うか……」と、仲間達を我が家に招待するんである。ああー、判るわあ、この言い様。
だけどそれでゾロゾロついてくる人数は尋常じゃないんだけどさあ。そりゃあこれで“身上潰すももっともだ”だわよねえ。

こんなエピソードもある。この田舎町に見切りをつけて街に出て行った娘を、なんとか連れ帰ってきてくれないか、という。最近は左平太の窮状ぶりが知れ渡っているのか、あまり頼みに来る人もいなくて、それはそれで寂しいと、ばあやと奥さんがしんみりと話していたところへ、そんな話が持ち込まれる。
出かける用意を申し付ける左平太に、ばあやは「引き受けちゃったよ」とつぶやくのには、その間があまりに絶妙なので噴き出しちゃう。ほおんとこのばあやは、左平太を幼い頃から見ていたっていう空気を醸し出しているんだよなあ!
んでもってその娘は、彼女の親が“悪い男に引っかかっている”というのとは意味合いが違って、そのヒモ男を従えているという雰囲気なんである。彼女はこんな田舎に見切りをつけていて、東京に出ようと画策している。
「東京ならカンタンに稼げる。左平太さんはマジメすぎる。ヤミをやりたいなら、左平太さんにも紹介するよ」とこともなげにいうのだ。

ヒモ男である彼女の恋人もちょっと切なくてさ、類は友を呼ぶじゃないけど、彼女を連れ戻しに来た筈の左平太さんと意気投合しちゃうのよね。
自分は彼女にホレているから、本当は左平太さんに連れ戻してもらった方が良かったんだ、その間に自分はマトモな人間になれるから……と、行きつけの焼き鳥屋でひとしきりグチる。
勘定を払おうとした左平太さんに「オレが誘ったんだから!」と凄み、ダンスホールへと連れて行く。そこであのマーガレット女史と遭遇し、ブンブン振り回されてダンスをする左平太さんがサイコーに可笑しいんだけど(笑)。でもここでの重要な出会いはもう一つあったんである。

それは、この物語のクライマックスというべき、村長選挙。ダンスホールを経営する次郎正がここで左平太さんに遭遇し、村民に信頼篤い彼に応援演説を頼みにくるのね。
次郎正は左平太さんが村長に打って出るという情報を得て接触を図ったんだけど、その時点で彼はそのことを知らず、次郎正の応援演説を引き受けてしまう……この料亭での場面、ケチな(というか、まあ普通の金銭感覚を持ち合わせているというか)次郎正がザルの左平太さんの呑みっぷりにしきりに警戒して仲居にもういいから、と再三注意するのが愚かしくも可笑しく、ますます左平太さん=小原庄助さんが好きになっちゃうのよ。
左平太さんは、今夜の払いは自分につけるようにと既に女将に話をつけている訳で、やあっぱり、イイ男の条件はこういうところにあらわれるんだと思うわよね!いや、それでスッカラカンになって首が回らなくなるとしてもよ。
決め所なんだよね、重要なのは。セコいところでコチョコチョするんじゃなくて、っていうね。まあ、とはいうものの、こーゆー人に添い遂げるのは厳しいとは思うけどさ。

でも次郎正は、既にこの時点で左平太さんに見抜かれていたけど、全然、ダメダメだったんだもん。
村の文化水準を高めることを第一に掲げていたけれど、この貧しい農村に必要なのは、左平太さんの言うように、託児所や、幼稚園。そういうこれからの子供たち、そしてそれを生み育てる母親を支えるものなのだ。
それを酔いどれの左平太さんに言われて、勿論第一にそれを考えてます、という次郎正の浅はかさが切なくて、その後左平太さんに突っ込まれるたびに、“第一”が増えていっちゃうんだもんなあ。
真に左平太さんは、村長となるべき器だったと思う。金銭的なことにはあまりに無頓着だったけど、それだけに真に透明な視線で民の苦しみを見てとっていた。だからこそ寄付を惜しまなかったし、それによって人々が喜ぶことを無常の喜びにしていたんだよね。

それだけじゃ、ホントただのバカな人みたいなんだけど……でもね、次郎正に応援演説を頼まれた左平太さんが、ぎっしりつまった大観衆の前で、たくさん“第一”がある、というのを、何度もメモを見ながら、つかえつかえ、最終的には超皮肉っぽい演説に仕立て上げたのはサイコーだったよね!
それでも次郎正が村長に当選はしてしまうんだけど……。でも、ことの全てを村民に明かして、左平太さんを村長に推そうとした人たちに頭を下げ、左平太さんは、親友の和尚を替わりに立てる。戸惑いながらも地味に選挙戦を戦い抜き破れる和尚さん。しかし悄然と各地に貼ったポスターをはがしている和尚さんに左平太さん、「おめでとう!」「ムリヤリ村長に押して、落ちて、まだおめでとうとは、もうイイカゲンにしてくれ」「次郎正が選挙違反でつかまったんだ!」!!!ちょー、唐突な展開に大爆笑!つーか、左平太さん、最初からそれ狙ってた訳じゃないよね??

なんてこともありつつ、しかし、もう左平太さんの借金ものっぴきならなくなってさ……いつもは“お茶代わり”でごまかされてきた紺野青年にさすがに左平太さんも気の毒になって、先祖代々の名品を全て放出して裸一貫になることを決意する。
その時も例にもれず“お茶代わり”を召していたし、それまではどこかぐずぐずに左平太さんのもとで呑んだくれることを楽しんでいたような紺野青年は、動揺してしまう。
だってなんたって、あの厳かなる三つ葉の御紋である。しかしまあ……時代はそんな古びた威光から既に大きく前進しているのも明らかな訳で。
しかしせめて、古道具屋に売り払うんではなく、左平太さんを愛した村民の手によってオークションを開きたいと、彼の後押しによって村長になった和尚によって提案されるんである。

ありがたい申し出だった。でも左平太さんはその間、いたたまれなくて、花街で飲んだくれてた。自分を指した民謡「小原庄助さん」を朗々と歌っているのは、当時の売れっ子芸者、赤坂小梅。デカイ顔とたっぷりとした声量が、凄まじい存在感である。「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで……」それがなんとも切なく響く。
そのお座敷に、取り立て屋ながら左平太さんに心酔していたのが明らかな紺野青年が訪ねてくる。無事借金をチャラにするだけの成果が出て、本とロバだけはそのままに、という左平太の望みも受け入れてくれていた。本は村民のために、ロバは子供たちのために。本の中には「小原庄助伝」などというものもあり、クスリと笑わせる。
紺野青年は、左平太さんの妻が兄に連れられていってしまったことを恐る恐る告げる。左平太さんは、妻にまで去られてしまったとどこか自嘲気味につぶやくけれど、それがあまりに切ない表情で、もう、ズルイ!とか思っちゃうのだ。ダンナさんを愛していた彼女はきっと戻ってくると信じてはいたけれど、でもこの時点では切なくて、切なくて……。

閑散とした屋敷に一人、左平太さんは酒を飲んでいた。そしたらね、突然物音が。「どうやらお見受けしない顔だが」などとノンキなことを言う左平太さんに、その二人の男たちが襲い掛かる。と、と!左平太さん、見事な投げ!いつもノンビリな左平太さんだけど、柔道のワザだけはホンモノだったのだ。しかしそれもまた、この場に及んでは何とも切ない可笑しさがこみ上げる。
「君達はドロボウか。もうちょっと早く、三日前だったらガラクタでも何かあったのに」としみじみ、すまなかったなあ、みたいな口調で言うのがいかにも左平太さんらしくて爆笑!

「見るところドロボウの初心者か」「はい、初めてです」「ならば仕方ないな」オイオイオイ、なんか間違ってるぞ!しかもうなだれている青年二人を「ま、あがんなさい」と手招きし(ちょっとー!)「こんな夜にうろついていたら、警察に捕まってしまう。朝まで(酒を)やろうじゃないか」……左平太さん、らしすぎるわ。
恐縮して正座したままかしこまる青年二人を前に、食べていくのなら(生きるためなら)農民でもなんでも、出来るだろう。と諭すでもなく、自分に言い聞かせるように語りだす。そう、左平太さんはこの家柄にジャマされて、生きるために働くことすら出来ず、こんなことになってしまったのだもの。
職業選択の自由って、すんごい大きな意味を持っていたんだなあ……。

でもそれってつまり、こうして家柄も何も放り出すまでにすっからかんになれば、逆に自由になれるってことだったのかもしれない。
見事すっからかんになった左平太さんは、一人青空の下、かばんひとつで歩いている。するとそこにね、そこに……奥さんが追ってくるのよ!これには感動!
振り返る彼に、彼女は少し、臆したような顔をして立ち止まる。この時の左平太さんのなんともいえない表情にはヤラれたなあ……。「何をやってるんだ。早くしなければ列車に遅れてしまう」それを言われた奥さんの表情にも、ヤラれたなあ!
愛する旦那様の元に、迷わず駆け寄っていく奥さん、そして二人、新天地へと歩いていく姿には、ああ、ようやく二人は、夫婦としての時間を獲得出来たのかなあ、なんて思って、それまでの切なさもあって、じんわりと幸せがこみあげる。

メイクもなんにもしない大河内傳次郎はただのオッチャンで、でもその素の人間臭さが、メチャ素敵。もうすっかりファンになってしまった!★★★★★


俺たちに明日はないッス
2008年 79分 日本 カラー
監督:タナダユキ 脚本:向井康介
撮影:山崎裕 音楽:
出演:柄本時生 遠藤雄弥 草野イニ 安藤サクラ 水崎綾女 三輪子 熊井幸平 歌川椎子 府金重哉 制野峻右 ダンカン 田口トモロヲ

2008/12/16/火 劇場(ユーロスペース)
今年はタナダユキの新作が二本も観られた素晴らしい年♪「百万円と苦虫女」が女の子の苦悩ならば、こっちは男の子の苦悩。いや、女の子の苦悩も充分に描かれてはいるけど、いやいや、やはりやはり、男の子の苦悩でしょう。
それをまさしく体現する、柄本兄弟の弟君。それにしてもお兄ちゃんの柄本佑が現われた時は、まさに柄本明のDNAを色濃く感じる特異な風貌とオーラにドギモを抜かれたけど、弟君はことに風貌の点から言えば更に強烈(爆)。すでにその強烈さは、父親さえも越えていると思われるほどなんである(爆爆)。
いやー、でも、そもそも役者っつーのはこういう子がならなくちゃいけないよね。むやみやたらにジャニーズ系ばかりを撒き散らしちゃいかんよ。まあそりゃー、私だって美しい男の子は好きだけど(暴発)。

しかし、タナダユキ、柄本弟以上に印象的だったのは、原作として一体何度その名を目にしたのかと思うほど、映画化が目白押しのさそうあきら、なんである。
作家が重松清なら、漫画家さんはさそうあきら。もうバンバン映画化されてて、しかもそのどれもが本当に様々、色とりどりなのには驚かされる。
あ、でもしいて言えば、人間の本質に根ざしている、って感じはあるかなあ。子供であること、性の問題、生死の問題、青春というもの、芸術への本能、情熱、そんな、臆してしまうほどの直球勝負。
原作漫画に関しては全てにおいて未読なんだけれど、こうも続くとさすがに気になってしまう。読むとしたら、どれから読んだらいい?

さてさて。そのモテモテのさそうあきらの原作とタナダユキが組んだならば、なんである。ていうか、タナダユキが男の子のモンモンとした青春を撮るっていうこと自体に興味シンシン。
あ、でも「月とチェリー」はあったし、そんなに意外でもないのかもしれないけど、ヤハリ女性監督が男の子のモンモンを撮るのって、興味あるよね。いや、そんなこといったらホント差別マンマンなんだけど、でもさあ、男性監督が想像だけで撮る女の子のモンモンって、ぜんっぜんリアリティないことが多々あるじゃない、全てとは言わないけど、ほとんどだと言いたいぐらい。
ここで描かれる男の子のモンモンが、どれほど男の子諸君の共感を得るのか凄く知りたいなと思うんだけど、これは合格点ちゃうんかなー、と勝手に推測。

だって、モンモンとするのが、柄本弟だっていうだけで、リアリティマンマンだもん(爆)。古くさい官能小説を音読しながら歩き回る。うう、モンモン。
いや、しかし彼、比留間は割と女の子に対してイケイケで、その強烈な風貌をネガティブにとらえている訳ではないんだけど(ゴメン!だってあまりにも強烈なんだもん……)、あ、でも違うか、逆か。比留間は彼女、友野に対して本気で恋してたから、それを「ヤリたい」という言葉で武装して、友野に対して弱みを握ってるから、というのを言い訳にして、自分の恋心を隠してたんだよね……。

更に、友野のその弱みというのが担任教師との不倫関係であって、「あんな中年、大したことないんだろ。俺の方がギンギンだぜ。一日に13回(だったかな)もオナニーしたんだから」などと、それってつまり、そういう自慢の仕方しか出来ないって、ドーテーだと告白しているようなもんでさ。
そりゃー、彼女だって、「あんたって、本当にバカよね」と嘆息するぐらいしか出来ないんである。
しかも、その何度ものオナニーに耐えた自慢のブツは肝心な時に役に立たなくって、「どうしたんだよ、オレ!」と比留間は焦るばかり。あああ、少年よ(涙)。

友野が不倫している教師、吉田が田口トモロヲ。身体が弱い彼女は、体育はいつも見学、太陽の光に弱いためいつも日傘をさしていて、そりゃあ、クラスで孤立するのもむべなるかな、なんである。
逆に、そうした孤立した子が逆に目立って、モンモン男子、比留間のハートを揺さぶったのもむべなるかなで……いや、彼がハートを揺さぶられたのは、彼女が吉田とホテルから出てきたのを目撃したからかもしれない。それこそモンモンを刺激されちゃったのかもしれない。

だけど、内気なめがねっこ美少女の友野を、どこか深窓の令嬢のように恋い焦がれていたことは想像に難くない。
比留間が友野とセックスしようとして、最初にやったことは、メガネをはずして「……きれいだな」とつぶやいたことだったのだ。彼の頭の中だけで想像していた素顔が現われた瞬間。
そして多分その素顔を、吉田先生は独り占めにしていたんだという思い。……しかし、めがねを外したら美少女なんてメチャメチャ王道なマンガ的フィクションだけどねえ。

比留間は吉田のことをクソミソに言っていたけれど、多分太刀打ち出来ないことは判ってたと思う。
こんなシーンが印象的で。終業式の日、倒れた友野を、囲む皆。カットが替わると、倒れた彼女を見下ろしている比留間と吉田先生。いやいやいや、それまで彼女を放っておいたのかよー。でも可笑しくも妙にずんとくるシーン。
そして保健室で、つんと拗ねる友野をくすぐって笑わせ、薬を飲ませる吉田先生。そんなイチャイチャを比留間は覗き見、もうどうにもたまらなくなって吉田先生を校舎の影でぶん殴った。そんなことしたって、勝てないのに。

この物語は比留間だけじゃなくて、彼の友人たちのモンモンエピソードも並行して描かれる。原作も複数のタイトルがクレジットされているし、実際に「俺たちに明日はないッス」なのは、比留間だけなのかもしれない。
結構イケメン気味の峯のエピソードが最も好きだったかもしれない、と思うのは、恐らくこれが一番少女マンガ的だからであろう(爆)。
どの辺が、と言えば、女の子、ちづがあり得ないほどウブなことと、男の子、峯がハンサムでイケイケを装っているのに、実はそれは強がりで、純朴なところであるところ。

女の子があり得ないほどウブって言っちゃったけど、でもそれこそ高校生ならセックスしてるぐらい当たり前みたいな、現代のまことしやかな常識感の方がヘンなんであって、生理のことも知らず、生理が来たってことは、それはヤラれたってことなんだと思い込んでいる女子だって、ひょっとしたらいるかもしれないんである。
モンモン男子の方が、セックスの知識は勿論、女の子の生理の知識まで妙に詳しいあたりの方が、更にリアリティがあるかもしれない(爆)。
実際、生理ってすんごい個人差があるし、心と身体のバランスが揺れ動く青春期は特に不安定で、私だって高校生の時分なんて全然安定してなかったしさ、ちづのように、この年になって初潮がようやくくるのだって全然、珍しくないんだよね。

セックスの知識も全然ないちづに請われて、成人映画館に連れて行く峯。いたたまれない彼と、ただただ興味津々の彼女。
突然明るくなった劇場にうろたえて、ちづの手をとって逃げ出す峯。ちづは「あんたも、ああいうの、やったことあるんだ」と感慨深げにつぶやき、「じゃあ、やってみようよ」とこともなげに口に出す。 峯は更にうろたえて、バカじゃないの、お前、と彼女を置き去りにするのだが、彼がうろたえていた理由は、更に深いところにあったんであった。

ちょっとオドロキだったのが、このちづを演じている安藤サクラが、奥田瑛二の娘だっつーことである。彼女が主演した彼監督の作品は観てないんだよね。だってさー、娘をヒロインにするなんて禁じ手じゃん。
しかし、小沢まゆをハダカにしたことをやたら責任感じてた彼が、娘がハダカになったことを了承したっちゅーのは……。
まー他の作品観てないから、案外バンバンハダカになってるのかもしれんが。

そしてもう一人の友人。いつも比留間にダッチワイフ代わりにされている!?ふとっちょの安パイである。彼のふくよかなオッパイ(……)をバックからモミモミしながら、巨乳の女の子、秋恵をからかってモンモンをはらすのが、彼の日常だった。うう、なんて不毛なんだ(涙)。
しかし、比留間も安パイも共に不毛だと思われたのが、このふとっちょ君に関してはアンビリーバボーな展開が待っているんである。この秋恵から思いを寄せられたのだ。イケイケ友人たちの使いっぱしり状態だった彼が、一気に経験者に(爆)。
この時点でl秋恵がいわゆるデブ専だというのは読めたけど、それを実際に知ってしまった安パイが思わずもらすひと言にはついつい噴き出してしまう。
曰く、「僕の身体が目当てだったんでしょ」どっひゃーん!そんな表現、男の子が言うの初めて聞いたわ。

でもそれってさ、映画のみならず、様々な媒体で女の子たちが発してきた言葉でさ、美少女だったり、彼女のように巨乳だったり、あるいは好かれたいがために身体を供する女の子たちが、苦しげに吐露してきた言葉なわけでさ…… まあ、私はどれにも当てはまらないけど(爆)。
果たして安パイが、あるいはこの作品自体が、今までそれを言わされてきた女の子たちの気持ちを真に理解していたかどうか、てトコなんだよね。

あ、でもそれは、それこそ「お前とヤリたい」と言い続けて、結局果たせなかった比留間のエピソードに返って行くのかもしれない。
彼は、つまりはそうした「身体が目当て」という理論で武装して、友野への思いを隠してた。でも、「お前と」って、ちゃんと言っていたんだよね。それを彼女がちゃんと聞き取っていたかどうか。
比留間が友野とヤるために、遠い海岸の街まで出かける、その前に立ち寄った大型ショッピングセンターで、買い込むコンドームより、彼女が嬉しげにかごに入れるビーサンの方が印象を強くする。
そして友野は海岸の町についた途端、靴を投げ捨ててビーサンに履き替え、♪誰もいない海、二人の恋を確かめたくて……あ、恋じゃなくて、愛だ、と口ずさむのだ。

おっと、脱線。このふとっちょ君は、こんな巨乳美少女にホレられたことで舞い上がって、彼女のためにヤセる!と一時は決意する。だけど秋恵は「心が大事でしょ。私のおっぱいがこれ以上大きくなったらキライになる?」とささやいて、彼の胸に顔をうずめた。
しかし秋恵がデブ専だったことを知った安パイは、彼女の「誰でも最初は外見から入るでしょ」という言葉も耳に入らず、ショックでヤセてしまうんである。
そして当然、ヤセてしまった彼に彼女は見向きもしないわけで……うー、キビしいっつーか、なんつーか(爆)。
これってやっぱり、外見をまず重視する男たちへの復讐譚のような気がする(爆)。あるいは逆に、男たちが、女も男の外見を重要視するんだと決め付けているあたりもさ。

あのイケメン君、峯とウブな彼女、ちづが、恋を成就させてしまったんである。
彼女とのスリリングな出会いに興奮した彼が、ついつい友人たちに酔った勢いで(コラ!)その話をもらしてしまう。
学校でからかわれまくったちづは怒り心頭、峯と一時はケンアクになったものの、逆にそれが二人の距離を急速に縮めるんだから、男と女はワカランもんである。
成人映画の一件から、ちづは経験への欲望を峯の友達たちに振り向ける。それを知った峯が逆上、「お前、何考えてんだよ。もっと自分を大切にしろよ。初めては好きな相手と……」「じゃあ、してよ。好きだからしてよ」

このシーンは予告編でも遭遇してたけど、いやいやいや、グッときたなあ。予告編ではイケイケに見えた彼が実はドーテーだってことも知らなかったから、余計にグッときた(爆)。
実際さあ、そんな高校生ぐらいで当然経験してるべきとか、アホらしいと思うんだけど、今の高校生は(いや、考えてみれば、私らの頃からそういう雰囲気はあったかも……)そんなプレッシャーに常にさいなまれているのかもしれない。

全然経験あるヨと構えていた峯が、ちづの一糸まとわぬ姿に(いやー……ホンットにフツーの女の子のヌードで、すんごい、生々しい)ただただ縮こまるばかりでさ。ゴメンって言って、自分が経験がないことを告白するの、胸にせまったなあ。
またこのシーンがさ、部屋のくらがりの度合いが絶妙でさあ、更に、彼女が(恐らく)成人映画で学習した騎乗位を果敢にトライし、(恐らく)全然挿入されないうちに、峯が全身ガクガクと震わせて達しちゃうのがまた、そのウブさが(そう、彼こそが、ウブいのよ!)キちゃってさあ、たまらんかったわあ。

このウブなちづは確かに経験がないからこそ、そんなダイタンなことが出来た訳だけど、担任教師との不倫関係にあった友野はすべてを知っていた。だから比留間に対して「あんたって、ホントバカだよね」とクールに言い放ち、彼に弱みを握られてる、なんて理由じゃなくて、恐らく……もっと全然、違う理由でだったと思うんだよね、彼の言いなりになったのはさ。
それがどういう理由か、明確には推測出来かねるのは、彼女自身も明確に判っていなかったからなのかもしれない、と思ったりする。
不倫関係に対する不安、といったらカンタンだけど、そんなカンタンじゃない気がする。友野は比留間に、先生とつきあっている理由として、大人だもん、と口にするけれど、比留間が恋のライヴァルとして吉田先生にガチンコでぶつかると、ガチンコで返してくるように、彼は決して大人ではないのだ。

でも比留間はそれを知ったからこそ、先生も恋に必死なんだと知ったからこそ「俺らと同じガキじゃん」と知ったからこそ……勝てないと思った。
卒業式の日、教師を辞めて夢を探す、君たちに勇気をもらったからだ、などと言う吉田先生に、理想ばっかり言いやがって、ふざけんなと殴りかかったのは、それが大人の発言だったからなんだよね。

友野が果たして吉田先生の大人な部分と子どもな部分と、どちらに対して思いを寄せていたのか。
妻とは別居状態、友野と結婚を考えている吉田先生と「本当に結婚するのか」という比留間の問いに、彼女は沈黙を守ったままである。
彼女の気持ち、判る気がする。
女はつまりは欲張りだからさ、吉田先生のことは愛していると思うけど、若いだけの性欲バカにも愛されたいと思っちゃう、んじゃないのかなあ。
それは双方、気持ちと身体のどちらかに、あるいはどちらにもウソをついていて、それを二人のどっちかで埋められるんじゃないか、みたいに思っちゃうんじゃないかって。
結局は、皆素直になれなくて。
自分もそうだってことに気づいた時、本当の“明日”が訪れるのかもしれない。

そしてちづにあらたな命が宿り、峯は入り婿になるべく、彼女の家の金魚問屋を継ぐべく、修行を始める。
セックスの経験もなかった彼らが、色々、色々あって、お父さんになる経験はただ一人。めちゃめちゃ落ち着きまくっている峯が、カッコイイ。
子供の名前をミネフジコにしろという比留間に「みんな、そう言う」という落ち着き払った彼が、やたらステキなんである。
私は常々、男は40からだと思っておるのだけど、その40男の色っぽさを、彼は既に身につけたような気がしてさ。それはオジサンになったってことじゃないのよ!

ブレザー制服はキライだけど、夏服の白シャツとボトムだと、その違いも気にならなくなる。
夏の白シャツ、太陽を反射して汗も輝く白シャツは、さわやかさとモンモンを同時に感じさせる最高のアイテム。★★★☆☆


俺たちフィギュアスケーター/BLADES OF GLORY
2007年 93分 アメリカ カラー
監督:ウィル・スペック/ジョシュ・ゴードン 脚本:ジェフ・コックス/クレイグ・コックス/ジョン・オルトシューラー/デイブ・クリンスキー
撮影:シュテファン・チャプスキー 音楽:セオドア・シャピロ
出演:ウィル・フェレル/ジョン・ヘダー/ウィリアム・フィクトナー/ウィル・アーネット/エイミー・ポーラー/ジェンナ・フィッシャー/クレイグ・T・ネルソン/スコット・ハミルトン/ナンシー・ケリガン/サーシャ・コーエン

2008/1/30/水 劇場(渋谷シネマGAGA!)
いやあ、これはね、最初からキワモノだということが判っているもんだから、うーん、どうしたもんかと。観に行くべきか、観に行かざるべきか。
フィギュアファンの私が一体どういう気持ちを持つのか、ひょっとしたら悪ふざけしすぎだと憤慨するかもしれないと思って、もしそうだったらヤだし自分の洒落っ気のなさに落ち込んだりもするかもしれないし……などとまたしても事前に考えすぎてしまうのが私の悪いところ。何も考えずさっと観に行けばいいのさあ。

まあ、もう、全くもってよくぞここまでやったもんだと、拍手喝采を送りたいほどのアホアホ加減。
なんたってその体形からして、フィギュア選手として有り得なさすぎる。ウィル・フェレルの腹回りのたるみは、フィギュア選手として追放されて酒びたりになってからなら判るけど(実際そういう説明はされているけれど)、スター選手として登場した時から既にでぶでぶなんだもん。
それを判ってて、ギャグにしているんだよね。大体、この体形でセックスアピールするってのがキモチワルイし(いや、ギャグなのよ)、ワイルドをウリにしてるってのが失笑モノで(だからギャグなんだってば)、困ったなあという感じで観てるこっちは笑うしかないのだった。

そして一方の王子様キャラのジョン・フェダーはといえば、こっちはこっちで、いやー、あなたにこのキャラはビミョーでしょう、というルックス。
確かにキレイな金髪だけど、大きめの歯は出っ歯気味だし、なんたってその出来てない身体がナヨナヨすぎて。
彼がレースフリフリの衣装のお尻に孔雀の尻尾までつけて、しかもしかも手には白い鳩を隠し持っている(!)という演技には爆笑。
ナルシストが失笑を買うのはこういうパターンという究極を突き詰めてて、ある意味イタイのよね。

で、この二人に別にモデルがいるという訳ではないとは思うんだけど……フィギュアのシングル男子に対してのある種の(偏見めいた)イメージを、臆することなくビジュアル化した感アリアリなのよね。
特に王子様キャラのジミー・マッケルロイを演じるフェダーは、まんまジョニー・ウィアーを連想せずにはいられない。そのレースフリフリ、青を基調にした上下一体の衣装もウィアーそのものだし(いや、あんなにバカっぽいデザインじゃないけどね)。

そう考えると、一方のワイルド系、チャズ・マイケル・マイケルズを演じるフェレルはライザチェク?と想像出来なくもない。いやライザチェクは、あんな締まりのない身体じゃないけど(爆)。
まるでウィアーに対するイヤミみたいに、いつもいつも黒一色のつまんないコスチュームで、俺様って感じのアピールと男らしさを強調するためなのか無意味な無精ひげが最近どうもなあとも思うし(いや、素晴らしい選手なだけにさ……以前はそんなことなかったのに)。
そんな二人をモデルにしているのかも?などと勝手な想像をしてドキドキしちゃうんだわ。

いやでもそれを想像すると、ホントにもっと楽しく観られるかも?だってそんな二人が、犬猿の仲の二人が、よりにもよって男子同士のペアを結成しちゃうんだもん!
両極のタイプながら、それぞれイイ男のウィアーとライザチェクがそんなことしたらどうしよう……と頭の片隅で萌え萌えの想像をしつつ、しかしスクリーンに現われるのは、こんな具合に双方共にズレ気味のナルシスを抱えた二人なのであった。
冒頭、二人がフィギュア界を追放される試合は世界選手権で、二人が同点一位、ニ位と三位がそれぞれ韓国とスウェーデン(多分)というチョイスが何故だったのか気になる。いや別にどこでもいいんだけど(爆)。
女子ならともかく(しかも今なら。旧採点法時代のココではそれもムリがある)、男子で韓国って、ちょっとありえなくない?

氷上のロックスター、チャズ・マイケル・マイケルズ(ウィル・フェレル)と氷の神童、ジミー・マッケルロイ(ジョン・フェダー)、二人が同点一位をとった世界選手権の表彰台、もともと超仲の悪かった二人はそこで取っ組み合いのケンカをし、二人はシングル男子選手としての権利を剥奪された。
チャズは子供相手のアイスショーの仕事をしているけれど、同僚の女性スケーターたちをはべらせたり、酔っ払ってリンクに出て着ぐるみの中で吐いたり(もう、サイアク!)問題ばかり。
一方のジミーは、スポーツショップで働いているんだけど、スケート靴のマジなアドヴァイスに子供やその母親にウザがられる始末で。

しかもジミーには選手時代からストーカーと化したファン、ヘクターがいて。それがまた、男なんだけど(爆)。ウィアーにもいそうだよな、こういうファン……中性的な美しさを持つ男子選手にまとわりつく男のファンってさ。
ヘクターは実にキショイ一方で、ことあるごとに彼を救うんである。
ヘクターはジミーに、シングルとしての権利は剥奪されたけれど、ペアなら可能だ、と告げる。またスケートで生きていける可能性を見い出して喜び、ヘクターに礼を言うジミー。
ヘクター、ニヤリと笑って「いつか殺すから」と指を差し、立ち去るのがコワすぎるんだけど(笑)。しかし思いがけない救世主なのだった。

当然ジミーは、ペアになってくれる女子選手を探すんだけど、大会の登録まで時間がない。元コーチに相談しても、もう諦めろと言われるだけだし、スケートクラブに行ってみたらあの宿敵、チャズに遭遇するしで散々。
しかし、ここに足を運んだことがジミーの運命を変えた。お互いの人生を狂わせた相手に再会して、リンク上までもつれあって取っ組み合いのケンカになったところを、テレビカメラが捉えていたのだ。
それをニュースでたまたま見ていたコーチが、二人のアクロバティックな動きを見て、二人こそがペアになれる!と確信する。
この時の絶妙なストップモーションは、番組の編集なのかコーチの脳内編集なのかは定かではないんだけど、あまりのバカバカしさに爆笑。単なるテレビ放送の筈が、番組が終わって彼が巻き戻して見るシーンがあるのが、ギャグにもならないし、どうにも解せないのだが、しかし可笑しい。うーむ、とっさに録画したのかな?

ペアは男女でなければならないという規定はないと、コーチは牢獄にブチこまれた二人に告げる。当然、冗談じゃない!と反発した彼らだけれど、リンクに戻れる唯一の手段だということで、しぶしぶ承諾するわけね。
そしてここからラストに至るまで、スポーツモノの王道、最初は反発していた二人が目的を同じうすることで徐々に心を通わせていき、最終的には最高のパートナーとなるという筋になるのだけれど、その過程がとにかくアホらしすぎるのだっ。

冷凍工場の床に水を撒き散らして凍らせただけのおサムイ(それこそ寒い……)リンクで練習を始める二人。とりあえず何とか形にして、付け焼き刃で出場した選考会。
「男子ならではの演技」と言って披露されたのは、股間をつかんでのリフト(痛いって!)、お互いに上下逆さまになるリフトではお互いの股間に顔を埋める形になって(オゲレツすぎだろ!)、二人ともコレ以上ない苦々しい顔をし、極めつけは、開脚して股間をぶつけあうフィニッシュ(痛い上に、スケベ過ぎるって!)。
などといったどーにもキワモノ演技だったのだが、なぜか絶賛を受け(笑。会場が盛り上がるのは判るけど、評価までが絶賛なのは……どうなの)、国際大会に出場することになる。

それまでにはもっと形にしなければならない。コーチがとりいだしたるは究極の必殺技。そのあまりの危険さゆえに国内では禁止され、彼はひそかにある国にそのワザを持ち込んだという。
ある国?と思っていたら、流れ出したビデオ映像に登場したのは無数の軍隊の行進(あっ!)そして、無表情に拍手するキムジョンイル!(ひえっ!)
あまたの群衆の前で、屋外のスケートリンクで(寒いからねえ……)披露された、これは男女ペアの演技。遠目に撮影されていて、二人の表情は全く判らない(ま、つーかCGだけど)。
ありえない高さにツイストリフトされた女子選手が高く高く舞い上がるのを落ちてくる間に、男子選手の方がこれまたありえない高さでバタフライジャンプをかまし、……つまりタイミングが合わず、男子選手のエッジで女子選手の首を直撃、二人が無事着地したと思いきや、女子選手はばったりとひざまずき、血まみれの首がゴロンと落下!ひっ!

この時には二人がどんなワザをしたのか、リアルスピードだから即座には把握できず、一体何が起きて彼女の首が落ちたのか、ってゆーか、いくら北朝鮮を持ってきたってシュールすぎでしょ!という衝撃で(シャレにならん!)、口アングリしたまましばらく固まってしまう。
い、いやー、いくら北朝鮮だからって(という言い方自体、キケン極まりないけど)い、いいのか?
だけどこのワザを北朝鮮に持っていったとコーチが言った時「そこしかないよな」としたり顔でチャズが頷くのが、ここはさすがにギャグにならなくってさあ……コワすぎ!

そんなキケンなワザに、二人は挑戦することになる。コーチはこれが男女のペアだったから失敗したんだ、男子同士のペアだったら大丈夫だと言うんだけど、なんたってその女子役の方を務めるジミーは、ほぼ女子なナヨ男子なんだもんねえ。
この練習の時、天井から吊り下げられたマネキンの首が次々に切断されて、リンクに首が散乱するのがコワすぎるんだけど!うー、ナンセンスにしてもヤバすぎでしょ!

男子ペア、しかもかつてのスター選手、伝説と化した世界選手権表彰台での醜聞と、話題のネタにこと欠かない二人。今は信頼関係が出来ている、と胸を張るチャズに記者がツッコむ。「あの時あなたはジミーに対して「俺のチンコの糸くずの方がマシだ」と言った」とまで。……全くもう、オゲレツにもほどがあるって!
そんな彼らをマークしているのが、ペアの王者として君臨してきたウォルデンバーグ兄妹。双子の姉弟ペアというのが微妙にキモチワルイ。
なんて言ってゴメンね。でもさ、ペアならまだいいんだけど、たとえばアイスダンスとかで、きょうだいって、なんかキモチワルイって思ってたもんだから、彼らがいわゆる悪役だってことに、ついつい心の中で拍手喝采を送っちゃったりして。

彼らには他に妹がいる。この妹は両親が事故死した時、一人生き残ったということで、兄と姉に対して距離感があり、二人に意識操作させられてこきつかわれているとゆー、まるでシンデレラのような女の子。
彼女、ケイティもスケートをやっていたんだけど、こんな状態になってしまったからもう辞めて、二人のマネージメントみたいなことをしている。
マネージメント?とゆーより、スパイ。思いがけない強力なライバルが現われたことで、彼らはケイティにチャズとジミーの偵察に行かせるのね。しかし彼女とジミーが思いがけず恋に落ちちゃったことで、事態はそううまく運ばなくなる。

兄妹は、これぞ敵のヒミツを知るのに絶好のチャンスだと、ジミーからケイティにかかってきた電話の際、やけにエロエロな台詞を伝授する。一方のジミーといえば、合宿生活を送っていたチャズから、これは彼生来のエロエロな気質を伝授させられ、しかし二人ともそのエロエロをあくまで生真面目にやりとりするもんだから、ちっともエロエロじゃないんである(笑)。
そして冬の寒い中、震えながらカキ氷を食べるデート(なぜ冬にカキ氷なんだ……)。ケイティの方はジミーのキスに大きく口を開けて答えるのだけど、彼はキスの仕方すら判らない。このシーンは可笑しいんだけど、やけに生々しいんだよなあ。

それではと兄妹は、ケイティにチャズの方を誘惑するように仕掛け、女好きの彼はセクシーな彼女のアタックに危うくくじけそうになる。
しかしなんだかチャズ、この頃にはパートナーであるジミーにやけにラブラブな感じになってるから(アブない(笑))、何とか踏みとどまるも、彼女のオッパイをつかんでいる場面をジミーに見られてしまうのね。それをチャズは「彼女のオッパイとちょっと握手していただけだ」などと苦しい言い訳をするんだけれど、それが通じるハズもなく……。
てゆーか、ケイティがチャズを誘惑しに出向いたのが「セックス依存症」のカウンセリングディベートの場であり、出席しているメンバーの誰もがヤリたくてムラムラしてるってのがまずヤバすぎなんだけど(笑)。
しかしその場は指導者の目が光ってるから動けず、終了後たまらず建物の外の、つまり屋外で早速ヤリだすメンバーがそこここに……おいおいおいおい、これってこのエーガに関係ある展開なのかあ!?

で、チャズがケイティのおっぱいと握手している場面に遭遇したジミーは、ショックで飛び出してしまう。
相棒を裏切ってしまったことにショックを受けたチャズの方は、夜中じゅうジミーにゴメンナサイのメッセージを入れ続けるのが……おいおいおいー、なんだかいつのまにか二人ラブラブになってるんですけど!とゆーか、チャズの方の一方的な片思い?いやいやでも、それってどーなのよ!?みたいなさ!

ジミーは放心のままスケートリンクに辿り着いてるんだけど、夜中じゅう電話をし続けたチャズの方は寝過ごして、慌てて会場に駆けつける途中に……兄妹ペアのシュトランツ兄の方につかまる!
監禁されたものの、壁中に展示されているスケート靴のエッジで縄を切って抜け出すチャズ。気づいた彼との追いかけっこが、もうナンセンスながらも最高!

氷の張った川をスピードスケートさながらに猛スピードで駆け抜け、氷を破って川に落っこったかと思いきや、潜水しながら履いていたスケート靴のエッジで氷を割って抜け出し(さらっとやってるけど、有り得ないでしょ!)スケート靴のまま会場のある複合施設にたどりつくと、スケート靴ではつるつるの床をつかめなくて生まれたての小鹿のような状態(笑)。二人してフラフラになりながら、群集をなぎ倒して行く。
んでもってエスカレーターに乗る場面が笑える!あのエスカレーターの階段の溝にスケート靴のエッジが挟まって、そのままのポーズで動けなくなっちゃうの!もー、ホンットに細かいんだから!

しかしこのショッピングセンターの追っかっけっこの場面で、一番ひえっと思ったのは、着ぐるみのマスコットキャラに矢じりをシュートしてしまったことである。
てゆーか!射撃の弓を持って追っかけること自体、アブなすぎでしょ!
無表情のにこやかなマスコットが矢を受けて倒れる場面、そして後にそのマスコットが矢が刺さった状態で警官を伴い、あいつだ、とシュトランツを指差す場面、もー、シュールすぎて笑おうにもどーしよーって感じなんですけど!

ジミーの方はといえば、きったない男子トイレに監禁されてしまう。彼の助けを呼ぶ声に驚いて少年が倒したゴミ箱に、手錠のカギが捨てられていた。くるくると飛び出したトイレットペーパーの先にあるそのカギを取るべく、シミーは舌で必死にそのトイレットペーパーを引き寄せる。
その上には血がにじんだバンソウコウやら、噛み終わったガムなんかもあってさあ……うう、吐きそうになるほどにきったない。
しかしそれほどの試練だから、彼がチャズのことパートナーとしてホントに大事に思ってること、判るのさ!

チャズをじりじりしながら待っている間、ライヴァルのウォルデンバーグ兄妹の演技が始まる。
これがまた、さいっこうにバカバカしくてさ、ジョン・ケネディとマリリン・モンローに扮しているんだけど、マリリンのナゾの死の場面を勝手な解釈で演じてる訳。
マリリンが睡眠薬を飲んだり、そしてフィニッシュにはそれを吐き出したりするのを、くるくると滑りながらスローモーションでワザの検証をするフィギュアならではの映像に爆笑。
し、しかしさ、小道具は競技会ではダメではないの?うっ、それを言ったら鳩を飛ばしたり手から火を燃やしたり、ありえない小道具使いまくりだけど!

さて、時間ギリギリ到着したチャズ、会場のロープ?を滑車でつたい、観客をスケート靴のエッジで蹴り飛ばし(死ぬって……)、リンクに降臨!
演技を始める二人。見事なペアジャンプに拍手喝采、順調に演技は進んでいたんだけど、ウォルデンバーグ兄妹がこのままでは負けてしまうと、妹の方がリンクサイドで真珠のネックレスを引きちぎり、その真珠ですっ転んだチャズが足を負傷してしまう。
これでは自分をツイストリフトで投げ上げることが出来ない!と、とっさに役割チェンジを提案するジミー。
失敗したら首を切り落としてしまう程の危険なワザ。しかしお互いにもう揺るぎない信頼関係が出来ている二人は……チャズの無精ひげをジミーのエッジが多少かすってしまうニアミスはありつつも(このスローモーションのクロースアップのバカバカしさには大爆笑!)見事伝説のワザを成功させるのだっ!

そして見事優勝!駆け寄ったケイティをジミーは抱き寄せ、キスを交わす。「キスが上手くなったわね」とニッコリするケイティに「チャズに教わったんだ」!!!一体どうやってっ!?
更に笑えるのは、会場に駆けつけていたあのストーカー、ヘクターである。かつてジミーが着ていた、青色ヒラヒラレースの衣装を着て観戦してる!
そして、一人部屋でジミーとチャズとコーチのフィギュア人形(フィギュアスケートと掛けてるんだろうな……)で遊んで、満足そうな彼。アブない……。

実名の選手がゾクゾクと出てくるのにはもー、ホンットにワクワクした。ナンシー・ケリガンのお尻をチャズが触り、ドロシー・ハミルやブライアン・ボイタノが神妙な顔で審議員を務める。台詞ではクリスティ・ヤマグチも出てくるけど、なぜか翻訳されなかった……。
極めつけは、チャズが脱ぎ捨てて放り投げたパンツをキャッチし、喜びのあまりキャー!!!と熱狂してパンツを振り回しながらチャズの名前を叫ぶサーシャ・コーエン!こ、コーエン、素敵過ぎる……。
でね、フィクションだから、選手名もフィクションなんだけど、彼らと同じグループで滑る最後のペアの名前に思わず釘付け。日本からの出場ペアに「SUGURI/TOMITA」の文字!
村主さんは判るけど、トミタって、誰っ!?しかも村主さん、ペアにされてるし!ううう、彼女が例え引退してもペアは……やらんだろうと思うが。

男子同士のペアって、アイスショーでは確かにあるけど、やっぱりコミックペアになるんだよね。マジでは出来ないよなあ……でも逆に女子同士なら出来そうかも?なんてまた私、相当お耽美考えてるけど……(ベルばらみたいに!)。★★★★☆


女と海賊
1959年 90分 日本 モノクロ
監督:伊藤大輔 脚本:伊藤大輔 八尋不二
撮影:宮川一夫 音楽:伊福部昭
出演:長谷川一夫 京マチ子 木村功 三田登喜子 弓惠子 毛利郁子 倉田マユミ 田崎潤 千葉敏郎 舟木洋一 小堀阿吉雄 堺駿二 河津清三郎 若杉曜子 伊達三郎 羅門光三郎

2008/10/29/水 東京国立近代美術館フィルムセンター(大河内傳次郎 伊藤大輔監督特集)
過去に他の監督さんで映画化された時と、特にオチをかなり違えているというので正直そっちの方は気になるのだけれど……というのも、ちょっと錯綜気味な気がしたからなあ。
まあ、主人公が女という存在そのものに対して心揺れ動くことが影響しているせいもあるんだけど。
この海賊船で最も年老いて、頭目も一目置いている老人が信じている西洋の宗教、その違和感は更にラスト、奇跡の炎をこの船に降臨させるというところで頂点に達し、ええ!?一体この話は、何、布教活動?とまで思ってしまう。
でも一方で、海賊たちは襲った船の男たちを皆殺しにし、女どもをよってたかって慰み者にするというんだから、それを神様という慈悲深い存在を登場させることによって、観客が引くのを和らげようとしたのかなあ……それにしてもなんだかどっちつかずで、どうも居心地が悪いのよね。

そうなのよ。海賊である彼らの所業は、そんな具合に正直かなり引くものはあるのよ。
ていうか、海賊の映画だなんて、ちょっと、ビックリした。海賊っていうと、それこそパイレーツオブカリビアンじゃないけど、西洋のイメージだからさあ。
しかもその船に乗っている、女嫌いの頭目は、あでやかな美男でならした長谷川一夫。なんとなく立居振舞も日本舞踊のような品の良さが漂っていて、とても、極悪非道の冷酷な頭目には見えない。何か哀しい過去があって、女嫌いになってしまった薄幸の色男にしか見えないのがツラいんである。
……ひょっとしてどっちつかずなのは、その一番は、彼のキャラ自体だったかも。彼が命じているとはいえ、女たちを手ごめにしまくっているのは部下たちだけで、彼は絶対に女に手を出そうとしないから、イイ人に見えるとまでは言わないけど、女にとってはなんか気になる存在に映ってしまうんだもん。

しかし、“男は皆殺し、女は手込め”というのは、そのものは見せないまでも、やはり心がヒヤリとするものを感じる。むしろ、そのものを見せないから、余計にそう感じるのかもしれないとさえ思う。
しかも、「しかし女の命は決してとらない」っていうを、まるで慈悲深いことのように言うのも逆に引っかかってしまう。命はとらないんだから、一夜もてあそばれるぐらい大したことないだろ、殺される男に比べれば、てな視線が、恐る恐るながらもハッキリと提示されていることに、ヒヤリとするんである。

しかしいくらなんでも、それに対しては反論は用意されている。一人の女の登場によって物語が展開する場面に置いてである。
女が汚されるのは、命をとられるのと同じ、いや、それよりもむごいことなのだと。女であるというだけで、男の慰み者にならなければいけない、それをガマンすれば命が助かるんだからいいじゃないかという言い草そのものに、立ち向かう一人の女によって、彼らが女々しく言い訳しながら犯してきたことが、一気に否定されるんである。

いや、一人の女、の前に、もう一人の女がいる。この海賊船の頭目が女嫌いになった原因の女。この一人の女にソックリだった女、である。
この設定自体に若干のベタさを感じもするが、むしろいまだにそうした「過去の女と瓜二つの女」という設定がまかりとおる現代こそが、ベタなのであろう。
それに多分、ソックリだと思っているのは彼だけであって、実際はそんなに似ていないんじゃないかと思う……というのは「トーマの心臓」(「11月のギムナジウム」の方だったかな)でそんな解説をしていた人がいたように思うが、自分の心の中に常にそのファムファタルが存在していたものだから、通常彼の前に現われる女たちとは違った形で現われた女が、似ていると思ってしまった思いがどんどん重くなっていったんじゃないかと思ってしまう。

というのは、確かに演じるのは双方京マチ子であり、一人二役、同じ顔であるハズなんだけど、これが見事に、顔が違って見えるぐらいに、違う印象で演じ分けているんである。頭目がハッとした時点でも、え?とにわかに気付かなかったぐらいだった。
この伊藤監督特集では、彼の作品というよりはむしろ、京マチ子の印象の違いにこそビックリする。
それこそ私にとっての京マチ子は、頭目を惑わせた色香たっぷりの太夫、綾衣のイメージである。「遙かなり母の國」で少女少女した京マチ子にビックリしたので、ああこれこそ私の知ってる京マチ子だ、となんだかホッとしたのもつかの間、ソックリの顔をして現われたのは(でも私は、あまりに印象が違うから、最初ピンとこなかったんだけど(爆))、男を手玉にとるのに長けた太夫ではなく、世間のことなどまだ全然知らない、大店の娘だった。店の使用人と恋に落ちて駆け落ちをしかけたところを、ウッカリ海賊船に紛れ込んでしまったのだ。

羅生門でラショーモナイズという言葉を生み出したほどに、鮮烈に女の二面性を見せつけた京マチ子が、しかしそれ以上に、全くの別人格を鮮やかに演じているのには驚嘆する。太夫と大店の娘という衣装の違いもあれど、太夫の彼女がお歯黒をしているせいもあって、本当に印象が違う。
勿論、そんな太夫に入れ込んでしまって、同僚に騙され公金横領の罪に陥れられてしまった、蔵屋敷の勘定方を勤めていた庄五郎と、海賊の彼とも、月代をそりあげたマジメな武家だった頃と、極悪非道の海賊の頭目である今とでは全然違う、ハズ、なんだけど、あんまり印象が変わんないんだよね……。
それは、彼の根底にあるかたくなさ、マジメさが、変わってない、結局は同じ一人の人間だからであり、一人二役の京マチ子とはスタンスが全然違うからだろうけれど。一人の女に裏切られたぐらいで、こんな道に迷い込んじゃうんだからさ、海賊となった今だって、つまりはウブな男なわけよ。

でもそう考えると、一人二役であり、二人の女は全く別人格であり、ことに駆け落ちの途中でウッカリ海賊船に捕らえられてしまったお糸は清純なる乙女だったわけでさ。
でもそんな彼女さえも、この短い時間で、女であること、男であること、愛した筈の男の情けなさ、女というだけで味わわなければならない屈辱を飲み込み、絶望にさらされながらも、毅然として立ち向かうのが、カッコイイんだよね。
それは、たった一人の女に裏切られたことで、たったそれだけで悪行の限りを尽くす海賊に身を落とした庄五郎に対するアンチテーゼのようで。
いや、勿論、そうだったと思う。このスタンスがあるからこそ何とか、観客が引きまくっていた海賊の悪行も、こなれるってもんで。

いや!そういう意味では、むしろ宗教なんぞを持ってこない方が良かったのかもしれない……。ああそうか、そこが違和感だったのかなあ。
強い女こそが、神なのよ。そういう決着にしてくれた方が、スッキリしたと思うなあ。
お糸が家を捨てるまでにホレこんだ筈の男が、命が惜しいばかりに、彼女の操を差し出した。いや、二人が助かるために、歯を食いしばってその屈辱に耐えてくれないかと、彼が彼女に頭を下げたなら、事態は違ったんだろうと思う。辱しめを受けるぐらいなら二人で死のうと言う、オトメならではのことを言う彼女を説き伏せるだけの、二人で幸せになる気持ちがそこまでちゃんと、あったなら。

当然、なかった訳だよね。しかもコイツは最初から、自分だけの命ごいをしたのだ。本気でサイッテーな男だったのだ。確かに見た目はヤサ男。それだけに彼がヘコヘコして、正体がバラされるとオロオロして、逃げ惑うのが、腹が立つを通り越して、情けないすらも通り越して、もう哀しくなっちゃって。
こんなどーでもいい男を相手にするのもいいやって感じになっちゃって頭目が差し向けたのが、背が低くて背むしの、自分は女に相手にされない、と思い込んでいる豆太夫。演じるのが堺駿二でね、ザ・小粒俳優、まさにピッタリなのよ。なんたってその頭目が美男俳優、長谷川一夫なんだもん。
小男ってだけでも悲哀があるのに、それに加えて背むしも背負わされた哀愁の小男に、私はコメディリリーフとしてだけでは見ることが出来なかった。何だか、長谷川一夫以上に悲しく見えた。しかも彼が対峙させられたサイテー男は、死んでしまうんだもの……。

なんかこれじゃ、主人公の長谷川一夫に不満タラタラみたいな感じだけど、確かにそういう面は否定し切れないものはあるけど(爆)。
でもね、一概にそんなばかりじゃないのよ。一番グッと来たのは、彼がお糸をモノにしたいと、それどころか“一夜の妻”にするために結婚の儀式の真似事まで厳かに執り行って、それに対して彼女が反発し、彼を懐剣で殺そうとして、女であるという存在について先述のように血を吐くように訴えかけた場面の後。

彼はこの時女という存在を、漠然とではなく一人の人間として、そして自分自身の男という存在に関しては恐らく初めて、考えたんだと思うんだよね。
むしろね、女に対しての考えより、男としての自分に逡巡していることが、これまでの悪行をスルーしているみたいでシャクなんだけどさ(爆)。
でも、そんなことをツユとも考えず、大店の娘がクソ大事にしている操なんて大したものじゃないわと、差し出せば命が助かるんだわと考えていたあのサイテー男に比べれば、数段、マシかもしれないと思うわけ。
……なんか、難しいね、そう考えるとさ。難しいから、決着がつかないから、最後には追及されにくかった西洋の神様(当時は特に)に神がかりなセントエルモスファイアー(!)まで登場させて、収めちゃったのかなあ……。

あのね、なんか釈然としない理由はもうひとつあるのよ。この海賊船には紅一点、小金っていう娘がいるんだよね。どうやら幼い頃にこの船に拾われたらしく、男勝りで、帰港した色町では、美青年と間違われて、というか、女と判明した後も「もったいなーい!」と、それ以上に芸子たちにモテモテなぐらいでさ。
少女マンガ的な、萌え萌えなこのキャラが生かされないままだったのが、すんごい残念なのよ!
幼い頃からこの船に乗ってるから、女嫌いの頭目は勿論、部下の海賊たちにも女扱いされていない。でも彼女は頭目にホレてるし、ホレてる以前に、主たる彼には絶対服従、っていう、もーこれ以上ない萌えがある訳じゃない。
それなのにそれを“彼女には手を出さない”という一点だけで処理し、でもそれは女ギライで他の女にも手を出さないんだから同じでさ、ようやくお糸というライバルが出てきたと思ったら、結局彼女にも手を出さないし。

それどころか小金はギリギリまで拒んでいたこの船からの離脱を、どんなきっかけか全ッ然判んない状態で突如承知して、お糸と共に、追っ手のかかる海賊船から脱出を図るんだよね。
女嫌いの頭目に恋心を自覚し始めた、男勝りのまま成長した少女、なんて、少女マンガだって絶対ほっとかない萌え萌え萌えな設定なのにさあ!
あー!もったいない!なんで恋敵ともいえるお糸に付き従う形で船を離れちゃうの。この船は、あんたが幼い頃から世話になっている、つまりは生まれ故郷のようなもんなんでしょ?
正直、彼女に関しては、頭目に恋して、身体も女のソレを獲得しているのに、地獄の陵辱を受けている女たちに、サラリとした目線を注ぐばかりなのが解せないんだよね……結局彼女は、真に経験をしていないから、その屈辱を理解していないということなのか……でもならば彼女がなぜこの作品に存在しているのか、なんか立ち位置が判んないんだよなあ。というか、ホント、もったいないと思うばかりで。

それを補うかのように、陵辱される女たちの中には、もう開き直って、開けっぴろげな女もいるんだけどね。
一夜自由にされるだけで解放されるなら、殺された男たちよりマシじゃないかと。せいぜい楽しもうじゃないかと。
でもそれって、ことに後半のセリフは男の側の価値観であり、それによって許しを得ようとするのが返って女側に反発を招くのは必至でさ。楽しめるのは、それが楽しめる立場だからであって、後述のように、女はそれが、死ぬよりもむごいことなのだ。
ただ、この後半の展開を念頭において、この凄惨な場面をムリクリコミカルにしようとしたのかは、正直疑問だし、後半があったとしたって、やっぱりムリがある。
いまだにそうだけど、やはり根本的に大きな誤解があることを感じざるを得ないし、こんな風にギャグ的に仕立てられると、それを女のたくましさだと笑い飛ばせと強要されているようでさあ……。

女はウソつきであり、クセモノであり、役者であり、腹に一物持っていると言われるのなら、それはこーいうことだからよねと思っちゃうのだ。
なんかね、この、いろいろ逡巡して、着地点も価値観も定まらないところに、男と女の永遠に埋まらないミゾを感じてしまう。
どーでもいいと突き放したっていいのに、考えれば考えるだけ、哀しくなってしまうのだ……。★★★☆☆


音符と昆布
2007年 75分 日本 カラー
監督:井上春生 脚本:井上春生
撮影:中村夏葉 音楽:村山達哉
出演:池脇千鶴 市川由衣 石川伸一郎 島田律子 宇崎竜童

2008/4/22/火 劇場(渋谷Q−AXシネマ)
公開から大分経っているのに、この作品の存在を知らなかった。タイトルの不思議な可愛さと、なんたってお気に入りの千鶴嬢が出ているということで慌てて足を運ぶ。
この監督さんは初見。しかも過去の作品のタイトルも、やはり存在すら知らなかった。うーむ最近はことに情報アンテナがダメダメになっているらしい。いけない、いけない。

で、そのタイトルの不思議な可愛さに、作品のカラーもピタリとリンクしてる。
パステルカラーのカラフルさがふんわりと満ち満ちていて、時には画面がPVよろしく分割されちゃったりなんていう遊び心もあって実にカワイイのだけど、これがアスペルガー症候群という自閉症のひとつをモティーフにしていて、あらら、それをこんな作品のカラーにしちゃっていいのかしらと一瞬思う。でもそれも、一瞬で終わってしまう。いいのだと思う。

実は、この映画を観る前にそういう障害のことも知らなかったので、思わずネットでべったりと読み続けてしまったのだけど、結局いくら調べても判らない感覚の方が大きいし、より壁が増幅することも大きいように思う。言われているように、自閉症という言葉の響きからくる思い違いや偏見も(実際、私もかなり誤解があった)いまだ大きいし。
だから、病気モノだからって深刻に撮らなければならないなんてこと自体が、あまりのヘンケンというものなのだ。そして病気モノをこんなにふんわり可愛く撮っちゃう、というか、撮ろうと思うこの監督さんの心臓の強さにも心惹かれるものがあるし。

それを、超ナチュラルさを漂わせながら、しかし綿密な芝居で体現した千鶴嬢の実力ってなもんだろう。
千鶴嬢演じるかりんはある日、たった一人の妹、ももの前に突然現われる。妹は姉の存在を知らされていなかったから、しかもかなり風変わりな姉なもんだから、拒絶することさえ忘れてただ呆然とかりんを引き受ける。
ももは作曲家の父と二人で暮らしていたんだけれども、もともと家を空けがちの父はその日も不在で、彼女はメールで「お姉ちゃんがいるなんて、聞いてないよ。どういうこと?」と若干当たり散らすんである。
父はメールの向こう側で微笑みながら、彼女は確かにお前と同じ遺伝子を持つ姉であると、「かりんは、百聞は一見にしかず、まずは体験しなさい」と意味深なことを言ってくる。

そう、姉がアスペルガー症候群という障害を抱えていることを、父は知らせなかった。最初から壁を作らせないようにと思ったのかもしれない。
というか、このお父さんはナルホド音楽家のセンスと言えばまあ、いい言い方だけど、感覚だけを信じているようなイイカゲンさがあって、ま、こういうお父さんだから娘たちを信じられるのかもしれない。
結局姉妹二人で大変な思いをしたからこその、素敵なエンドになったのに、父親はノンキに「姉妹は素晴らしい」なーんて言ってるんだもん。

実際、最初のうちは、かりんの風変わりはそういう性格なのかなと思うぐらいで、脳に障害があるというほどには思わなかった。
でも、モノが系統的にきっちりと並べられていることにひどく固執し、それが崩されると「とてもイライラします」という感情を隠さない。単語をひとつ言うと百科事典のごとく詳細な説明が口をついて出たりする。母親のことを「妙子さん」と名前で呼んだり、「小さい頃、妙子さんが私を誘拐しました」と母側に引き取られたことをそんな風に表現したり。
そして何より……しいたけの戻し汁を捨てられることに異常な拒否反応を示し、床に倒れてひきつけのように泣きわめくのだ。

後に明らかになることなんだけど、しいたけの戻し汁とかりんの母親の死には、あくまで彼女の頭の中だけでなんだけど……密接な関係があった。
しいたけの戻し汁を捨ててしまったことを咎められた直後に、彼女の母親は死んでしまったから。

しいたけの戻し汁、それは、昆布茶漬けに入れると美味しい、とまずこの姉が主張したことだった。家に入ってくるなり、「昆布茶漬けを一杯もらいたいと思います」と言った。しかも不思議なことに、その時ちょうどももと、一泊して朝を迎えた彼女の恋人が食べていたのが昆布茶漬けだった。
かりんはきちんとイスに座り、昆布のグルタミン酸としいたけのグアニル酸の相性の良さを嬉しそうに教授した。そんな彼女を妹とその恋人は驚いて見つめるしかなかったんである。

昆布茶漬けにはとにかく執着があって、乾いた昆布しかない時には、「蒸気の出るアイロンありますか」と言うから何をするのかと思ったら、まあなんと、昆布にアイロンをじゅーっと……でもそんな風変わりなことするのが、またなんとも面白いというか、カワイイんだよなあ。
そう、むしろ妹のももより、その恋人の聡の方が先に彼女に興味を示すんだよね。面白い、と言って。
「劇団詐欺師」の脚本家であるという彼は、もう最初からちょっと変わったことに興味を持つ性分なのかもしれない。
最終的にはかりんが一個落としてしまった“音符”を再生する立て役者になる。
それはまさに映画的な美しい場面なのだ。

それにしてもちーちゃんである。この、ちょっと間違うとイタい女の子を、彼女自身のふんわりとした可愛さを十二分に発揮して、ただただ彼女に目を惹き付けさせずにはいられなくするんである。
彼女ももう26歳(そんなんなるのか!)、この間見た刑事ドラマでは子持ちの女刑事なんぞを颯爽と演じていて、いやいやちーちゃんも大人になっちゃって……と思わず目頭がアツクなっちまったもんだが、その26歳、もう充分大人の彼女が、そんなこともどこへやらの可愛さを、テレもテライもせずにやってのけることに驚嘆しちゃうんである。

いや、これは確かに26歳の大人の女のイタさは出ているに違いない。物事をストレートに受け取ることしか出来ない、推測や変更に対応できないある種の純粋さは、26の女というキーワードで考えれば「空気が読めないイタイ女」に変換できてしまうのだ。
でもそれを、ちーちゃんは鮮やかに童女の純粋さとして顕わしてしまう。
突然戸口に立っていた、ワンピースに麦藁帽子姿、大きなバッグを抱えて両足を踏ん張って立っていたあの姿。手に握り締められた、「困ったときはここを訪ねる・妹のももがいる・父より」と書かれた五線紙をまるでお守りのようにして、勇気をふりしぼってたった一人の妹に会いに来た彼女の決心を、痛々しいほどの決心を、後から考えれば抱きしめてあげたいぐらいに切実に感じるのだもの。
それがもう、このメンドくさい女の子をもう、ひたすら可愛く見せてしまうんだもんなあ。

で、一方の、妹のももは、まあ正直、市川由衣嬢はあまり大したことはないんだけど(ゴメン!だって私はちーちゃん派なんだもん……)確かに妹で、姉より年若いんだけど、なんというか老成してて、こんな姉が来たことでも呆然とはするけれどそれほど取り乱しもしないし、案外すんなりと受け入れてしまう。
のは、父とたった二人で暮らしてきた孤独の経験が、心のどこかでこんな家族を待ち望んでいたのかもしれなくて。

ももには生まれつき嗅覚がない。それでも頑張って、今はフードコーディネーターという仕事についている。キッチンには瓶詰めにされた色とりどりの食材が、所狭しと並べられている。
この家自体は昭和の雰囲気そのままの、ガタついた木造の古いアパートみたいな造形なんだけれど(一軒家だけど)、その暗いひんやりとした空気の中を抜けると、陽の光が柔らかく差し込むキッチンがあって、そこにカラフルに並べられた光を反射したガラスの瓶の数々が、この作品のパステルカラーの楽しさをまず真っ直ぐに伝えて来るんだよね。
そして、彼女たちの着ている服も、ちょっとありえないぐらいカラフルで。
と言うか、窓から干している洗濯物が、と言った方がいいかもしれない。赤、黄、青……ざっくばらんに干されていたそれを、かりんはきっちりと色別に分けて干していく。それを見上げて聡は、「なんか、楽しくない?」とのほほんと笑うのだ。

かりんが、推測が出来ないというのがね、この障害の特徴みたいなんだけど、例えばこう。小さい頃の話をするかりん。
「妙子さんは、私に「かりんちゃん、掃除出来る?」と言いました。私は出来る、と言いました。でも妙子さんは私に掃除をしてほしかったみたいなんです。私は掃除が可能という意味で、出来る、と言ったんですけれど……」と、万事この調子なのだ。
それが理由で幼い頃いじめられることもあったらしいのだけど、「どうやらそれがいじめだったらしいです」と本人は大人になってようやく気づくといった感じなのである。

でも、その回想シーンは凄まじい。だって、かくれんぼで「三万回(ちょっと違ったかもしれない)まで数えなきゃいけないんだよ」と言われて、それがイジメだと判らず、本当にそうだと思って、朝までかかって彼女はその数を数えてしまうんだもの!そうだ、そういうことなのだ、この障害は……。
そして、朝になって帰ると、彼女の母親、妙子さんが台所に仰向けに倒れていた。
かりんは、二日経ってから、いつも困った時にかけている電話相談室にかけた。「妙子さんが、台所で二日間寝たままなんです」
それを後に彼女は「妙子さんは大理石になった」と表現する。彼女にはそれが、母親に起こった異変だと察することが出来なかった。いつもと違うことが起こることに対する対応が出来ないゆえの、あまりに悲惨な悲劇。

そんな具合に、かりんは自分が推測が出来ないという欠陥を抱えていることを、自覚もしている。
私は友達がいないから、と言うかりんにももは、「男は?」と意地悪く聞いてみると、かりんはさらりと「それは、推測するに恋人のことですか?セックスフレンドのことかと思いました」と言ってのける。ももはなんだか見透かされたような顔をして気まずく黙ってしまうのだ。
でも、そう、こんな風にかりんは、自分の推測の精度を必死に上げようともしているんだよね。それが普通の人間に近づくためなのだとでも思っているかのように。
そして最後にはももが「確実に推測の確率がアップしてますね」と、父親に囁くまでになる。

でも、普通の人間?それって一体、なんだろう……。
かりんと何度となく衝突するもも。かりんが大事に飼っていた金魚を、こんな丸い金魚鉢で飼っているなんて、光が一点に集まって、拷問だとももが言ったりしてケンカになる。そして何より自分の苦しさをかりんがあっさり判ったような口を利くから、ももは本当にイライラしてきちゃうのだ。
「君って、本気にさせるね」ももは苛立ちをそう表現して憤然と出て行ってしまう。この言葉を額面どおりにかりんは受け止めたのだろうか。それとも……。
思えば誰かにこんな風に本気になってぶつかったことって、あっただろうか。
小さな頃から他人に嫌われることに怯えてばかりで、そう推測ばかりしていて、逆に本気の気持ちがどういうものかを、忘れてしまったように思って、ドキリとした。

かりんが突然、そらんじるこんな台詞にドキッとしてしまう。
「普通って、難しい。それは他人に合わせることではなくて、自分に合わせること。あなたは浮気だっていうけど、私にとってはセックスしている時が一番ラクなの。ちょっとヘンでも、セックスしている時ってそういうものでしょう」何ごとかとももは隣にいる父親の顔を見ると、父親はポツリと、「母親の口癖そのままだ……」と言うんである。
……どうやらももの知らないところで、壮絶な夫婦や家族関係があったらしいのだ。

でも、どんなに衝突しても、疎ましく思っても、泣いても、ももは、施設から電話がかかってきた時、姉がここにいるとは言わなかった。

かりんは母親に、ももは父親に引き取られたけれども、ひょっとしたらかりんは父親の、ももは母親の能力を引き継いだんじゃないかと思う。
ももは、嗅覚がきかないという障害を抱えながらも、フードコーディネーターになった。それは、しいたけの戻し汁を昆布茶漬けに入れると美味しい、とかりんに教えてくれた母親の、母親らしい食べ物に託した愛情。
そしてかりんが音楽を、奇妙な形であるとはいえ愛しているのは、作曲家のお父さんの血に他ならないもの。

かりんは、楽譜が読めない。ポラロイド写真で撮ってきた街灯の写真を音符に見立てて、それを順序良く並べて音楽を作る。そしてそれは、子守唄なのだとかりんは言った。たった一人の妹に聞かせるための子守唄……。
ケンカした翌日の朝、ももと並んで顔を洗いながら、「私のたったひとりの妹ですから」とゴシゴシ石鹸の泡で顔をこすり続けながらかりんは言った。
なんだか教科書通りのような言葉で、しかも自分よりずっと子供っぽい彼女に言われて、それをホントにこの人判ってるのかしらと思わなくもないけど、なんかももは、ちょっと、泣けてしまったのだ。そして私も泣けた(爆)。

ももは知らなかったけど、父親はずっとかりんの、この音探しに付き合っていたらしいんだよね。
“音符”が一枚なくなったことで、半狂乱になったかりんのことも父親はよく覚えていた。その写真の構図も詳細に覚えているかりんが、その絵を車のフロントガラスに描いてしまったことを苦笑交じりに思い出す。
そう、かりんは恐るべき記憶力で、その写真の、撮った時の場所や構図を正確にしるした。それを見てももは驚嘆する。彼女が幼い頃住んでいた家から見えていた風景だったのだ。
その家は、火事になってしまった。いずれは取り壊される予定だったからと父親は言ってくれるけど、恐らくそれは嗅覚のないももが、ガスを閉め忘れたせいだと、彼女は自分を責めていた。
そして一方のかりんは、ももの嗅覚がなくなったのは自分のせいなのだと言う。自分がこんな(障害を持っている)だから、ももは親にかまってもらえなくて、何かウィルスに感染でもしたのが手遅れになったのだと。

お互い知らないところで自分を責めて、それが不思議に、姉妹を知らずに結びつけているのが切なくも、温かい。
ももは、かりんのなくした音符を見つけてあげたいと思った。もうその場所には家もないし、街灯もない。でも高速道路がつっきるその構図に、きっとかりんはこだわっているのだし、別の場所の別の街灯ではダメなのだ。
そこであの、劇団詐欺師、聡の登場である。今はだだっぴろいゲートボール場と化したそこに街灯を立てるために、彼は一世一代の芝居を打つ。
くしくもその場所でゲートボールをしていたのは電力会社の元経営者たちOBだった。“世界的デザイナーによる、東京イルミネーション計画”なるものをもっともらしく聞かせて、この場所に街灯を立ててしまおうという計画。

でもね、それを、こんな小芝居をね、人生経験を踏んできたこのおじいちゃんたちは、見抜いてたんだよね。

街灯を立ててくれることを約束してくれた彼らは、「この年になると、人に騙されることも何とも思わなくなるんだよ」と突然言うもんだから、見透かされていることを知った彼はただ黙り込むしかないんである。
それでも、「ここに街灯が必要なんだろ?」との言葉に、彼はしっかりと頷く。何も理由を聞くわけでもない。でもきっと、大切な事情があることを、人生の先輩は汲み取ってくれるのが、優しい。

歓声を上げて、撥ねるようにして、街灯に走っていくかりん。それを微笑みながら後ろからついてくるももと父親。
構図をにらみながら、何度も何度もシャッターを切るかりん。時にはももや父親をジャマにしたりして。もうそれが、夕方暗くなるまで続くんである。
一足先に帰った父親は、その中の一枚、姉妹二人が街灯の下で仲良く並んで立っている一枚を、写真が吊り下げられたあいている隙間に差し込み、満足そうに笑う。
その頃、ももは、たった一人の姉を抱きしめていた。驚き、固まるかりんにも構わずに。なんだかもう、とってもいい笑顔で。

「すももも、ももも、もももももー!」と叫んでケタケタと笑うかりんに、ももは「ダジャレ女!」と苦笑しながら、しかし今度はきちんと笑顔を作って叫ぶ。「ももはもも!」
そうだ。そしてかりんはかりん!

この映画がふんわりとラブリーに見えながらも、きちんと団体のバックアップをもらっていることが、実はちゃんと本質を捉えているからなんだろうと思う。
病気としてじゃなくて、一人一人が違う人間だということを、違うように感じ、モノが見えているんだということを、この正直でピュアな女の子、かりんが気づかせてくれる。ももに、そして私たちにも。★★★☆☆


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