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「て」


2013年鑑賞作品

できる子の証明
2013年 76分 日本 カラー
監督:原田裕司 脚本:原田裕司
撮影:音楽:
出演:相田淑見 徳井唯 松田祥一 竹田尚弘 寺十吾 馬場泰光 原田悦嗣 三浦景虎 大高洋子 中谷唯 菅野みなみ 香取剛 高木悠衣 阪東正隆 伊藤公一 ほりかわひろき 村田啓治 鈴木拓也 小林晶 山田竜也


2013/5/21/火 劇場(ポレポレ東中野/レイト)
いつものように全っ然前知識なく足を運んだんで、短編作品では注目されている監督さんの、これが長編デビューだというのは当然知らなかったんであった。
新鋭さんに出会えるのがこの青春Hシリーズの楽しみではあるが、こういう作風であるという予備知識があったらもっと楽しめたかも、などとふと思い、いやいやいや、……私、どんどんダメになってるなーっと思う。こうした不意打ちを楽しめた時代が恋しい(遠い目)。
こういう作風、だなんてそれこそこれが初見なのに言うべきでもないけど、その短編で注目されたのは“インパクトのあるキャラクターの特異な性癖”“突飛な行動の面白さ”であるというんだから、きっと、やっぱりそうなんであろう。

難しいのは、これが青春Hシリーズ、エロが前提で、まあそれを入れてればなんでもOKというクリエイターにとっては寛容な企画が、実はこういう場合案外難しいのかもしれん、ということ。
エロにロマンスを求めてしまう女子としては(そう、女子的にはいくつになっても、さあ!)、どんな物語でも、どんな世界観でもいいから、そこんところをついつい期待してしまう訳で、この企画で琴線に触れた作品たちは、やっぱりそこをまず押さえていたものが多かったように思う。

本作は……とりあえずそれはない、というか、割とハダカもカラミもふんだんに出てくる割にはエッチな感じがあんまりないというか……。
あ、そうそう、ハダカの方がふんだん。だって物語の中盤から、舞台は山ん中のさびれたストリップ小屋になるんだもの。
でもそこまでヒロインが行き着いても、この女の子は結局脱がない。脱がないのか……。

などとガッカリしてしまったのは、最後まで、本当に最後まで、このヒロインが脱ぐのを待っていたから、だなんて、どういう期待だ(爆)。
でも企画が企画だしさあ、確かにいかにも脱がなさそうな庶民的なお顔はしてるけど(言い様が悪いが……清楚というんじゃなくて、脱がなさそうなお顔としか言いようがない(爆))、だからこそ彼女が脱いだ時こそがインパクト(と後から監督さんの作風を知ってしまえば、余計に思う)なんじゃないのかなあとも、思ったから。

彼女は冒頭から恋人に潮吹きを強要されて(うーむ、この文章は書いてみてもヘンだが、実際に作品の中で見てみてもヘンなのだ)るのだから、パンツは脱いで、恋人に指を突っ込まれてアンアン言ってる場面から始まるんだから、これは期待できそうと思うのもムリないのではないかと思うんだけど(……なんか言ってるうちに、我ながらイヤになってきた)彼女は潮吹きに至らず「なんでだよ、お前んちって、潮吹かない家系?」と訳判らん逆ギレされる。

この恋人はわっかりやすいクズ男、舞台の脚本を書いてるとか言って、彼女がバイトしているコンビニでタバコを万引きさせ、銘柄が違うとキレる。
「顔合わせだから出ない訳にはいかないだろ」と飲み会代を無心し(貸して、なんて言ってるけど、返す訳、いや今まで返した訳、ないよなーっ)、そして挙句の果てには女を持ち込んでヤッてるところに帰宅した彼女が遭遇。

言うにことかいて「エチュードだよ。なっ。」そんな彼氏にボーゼンとするばかりで何も言えない彼女に、この女の方がイラついてぶん殴る図式が一番、一般的描写だった、というあたりが、本作の特異性をしめしてるかもなあ。
ずるずると居続けのこの女と彼氏に、腐った肉だのロールケーキだのをぶっこんだ、恐ろしい鍋を作り、しかし自分が毒見させられてピーピーになる場面で、この前半戦で、このヒロインに肩入れしていいのかどうか悩むところなんである。

と、悩んでいるうちに、この子いきなり高飛びするからさあ。高飛び?それはちょっと言い過ぎ??でも、ちょっとそう言いたくなる飛躍。
タクシーに飛び乗って、人のないところに行ってください。お金がないから身体で払いますと言うからまたしても期待するが、やはりそこも、アンアンとタクシーの天井にピストン運動の頭を何度もぶつけて、いたたた、と言うだけで。
まあ、そのアホさ加減が彼女の愛しいところなんだろうけれど、なんか彼女が脱ぐのをずーっと待ち続けているからさ(それが間違っていたのか……)。

いい温泉があるから、ゆっくりしようよ!と言ってくれたこの運ちゃんは、案外いい人だったんじゃないかと思い、温泉、温泉旅館、しっぽり、そしてロマンスとベタな連想ゲームをして期待した向きをアッサリかわす。
タクシーを降りてフラフラと山の中をさまよった彼女は、ノグソをしたところをキノコ採りに来た風変わりな青年に「キノコを撮ってるから」と堂々と盗撮され、橋の上から身を投げようとしたところを(欄干が高すぎて、またぐのに苦労しているのが可愛い)、通りがかった熟年ストリッパーの女に助けられる。
ストリッパーだと知れるのはその後のことで、ここらあたりからお決まりの、時間の組換えパズルが始まる。私、頭悪いから、これが実はちょっと苦手で(爆)。

結局、実質的には、この熟年ストリッパーこそがヒロインたる存在だったんじゃないかなあ、などと思う。
余命いくばくもないワガママなダンナを抱え、太り過ぎて痛めた膝にサポーターをして、4、5人の“常連”を相手にストリップする日々。
なれなれしい新人ストリッパーが彼女のウェットティッシュを使ったなんていうささいなことで取っ組み合いのけんかになるような、寂しいプライドがすりきれて放り出されているような虚しさ。

このダンナが再三口にする「あいつは昔、イイ女だったんだ。踊りも上手くて……」と言うのには、あきらめかけたエロ→ロマンスを期待しかけたが、残念ながらそれはならなかった。
それを、この物語は、というかヒロインに対して違う形で使われた。

クズの恋人にも、彼が連れ込んだ女にも何にも言えずに飛び出したこのヒロイン、そんな詳細を語った訳じゃないのにすっかり見抜いたこの熟年ストリッパーは、いつも逃げてばかりなんでしょ、立ち向かってみなさいよ、と叱り飛ばす。
どうやって……と弱々しくつぶやく彼女に、見せてやるわ、と、いつもは×××の特殊技術で、紐につらなった小旗を出して見せたり、習字をしたためて見せたり、したのが、踊りを見せるんである。その痛む膝を情けなく、何度もがくりとつきながら。

……と、いうのをカンドー的に見られれば良かったのかもしれないんだけど、やっぱりこれは、ダンナこそが見たいと言っていたことだったからさあ。
このダンナがこの場で見て、感動の涙のひとつも流すのなら、などと考えてしまうこと自体があまりにもベタで無粋、なのだろうなあ。
この展開、流れ、キャラクター、そして後に知ることになる監督さんの作風からすれば、確かに違うのかもしれない、と思うもの。

ただこの旦那さんがウッカリいい表情を見せる、母性本能くすぐる系の、ちょっとイイ男だからさ。
妻とのかつてのロマンスを甘やかに回想する、もう現実から離れてしまった“クズ男”は、同じクズ男でも、ヒロインの恋人とは全然、違うんだもん。
死ぬ前に、妻の踊る姿を見て、ようようでもいいからセックスして、愛し合って、ほしかったなあ……。

それでいえば、結構思わせぶりなキャラ作りだったのに、と消化不良な人物がもう一人。ヒロインのノグソを写メに撮った、奇妙なキノコ汁をふるまう青年である。
この登場シーンの、キノコに対する奇妙な愛情、そのキノコ汁のせいで、それでなくてもあの鍋でピー気味だったヒロインがさまよい出た外で、ドラム缶にはまって抜けなくなって、その中でうんこダダ漏れになってしまって(さらりと書いてしまったが、ただならぬ!!)、てゆーか、その前にヘロヘロ状態で舞台に出て客の前でうんこしちゃうし!

……なんか結構トンでもない話だった気がしてきた、ていうか、脱がない代わりにトンでもない状況を背負わされている彼女が、スゴいかもしれんという気がしてきた。
で、この舞台のうんこを片づけているうちにスカトロに目覚めてしまった青年、って、どーゆー設定!

なのに一応、彼はこのストリップ小屋を守るために、コワイ借金取りのお兄さんにボコボコにされてもめげないの。
なぜそこまで……という理由がカンドー的に語られたりしたら、……と、なんか書けば書くほど、私ってホンットベタだよなーっ、とイヤんなっちゃう。
うぅ、でも女子ってそういうもんよ、となんでも女子のせいにしてはいけない……。

でもさ、奇妙さで言えばこのキノコ採りストリップ小屋オーナー青年こそが、そのバックグラウンドが知りたいナンバーワンだったからさ。
なぜか妙に子供たちに慕われている(つーか、なつかれてる、つーか、同列、以下に見られてる、つーか)ていう設定に至る経過も気になるしさ。
そういう意味で言えば、ここに出てくるすべてのキャラクターの、なんでこうなった(なっちゃったのか)という経過こそが気になり、それをすっ飛ばしていることが、それこそがもったいないような気がしてさ……。

本作のエロ要素、そしてタイトルにつながるのがね、先述もしたけど、潮吹きなのよ。なんでだかヒロインの恋人がこだわってる、潮吹き。
潮吹きを世に広めたという触れ込みのカリスマAV男優のDVDを熱心に見て、指先シュミレーションに励む彼。
連れ込んだ女の子はアッサリ潮を吹き、そこに居合わせたボーゼンとしているヒロインがその潮をかぶっちゃう、なんていう場面も用意されている。

そのDVDによって解説される潮吹きの原理や、水分をよくとると潮吹きしやすいとか、最近観た秀作ドキュメンタリー「セックスの向こう側」で解かれていた仕組みにもきちんと準じていて、つまりセックステクニックをテキトーにおちゃらけて組み入れている訳ではない、んだけど、でもこの要素はなかなかに微妙、なんだよね。
ここで語られるGスポット、そこからつながる潮吹きが、そのアクションの派手さ、男性のテクニックを判りやすく誇示できる現象であるということこそが、少なくとも本作においての重要事項になっていると思うからさ……。

彼がこのテクニック習得にこだわっているのは、非生産的クズヒモ男だからだし、恋人であるヒロインがそれに応えたいと、イタイイタイと苦しみながらも“実験台”になっていた訳だし。
彼のもとから逃げ出した彼女が、様々な経験を経た上で、山の中まで追いかけてきた(いや、金を無心に来た(それも、連れ込み女と遊ぶための金!!!!!))彼に、「今なら出来る気がする」と、山の中の小さなバス停で、彼の指を突っ込ませる。

見事に潮を吹く。通りがかった自転車通学の純朴男子中学生が衝撃を受けている。
そして彼女は、彼が迎えに来たのに、潮吹きまでしたのに、背を向けて歩き出す。
金を無心に来たくせに、正義感ぶった顔で、帰るぞ、と手を差し伸べた彼に、私は今、ストリッパーなの!と言い放ち、言い放ったけど、テカテカのアイドル衣装で、奇妙なダンスを踊りながら、お立ち台から落っこった。
とてもストリッパー、踊り子の器量じゃないけど、「できる子」になった彼女はもう、彼のもとにも、それなりに住みやすい都会(都会だったのかどうかも……中規模都市といったところだったのかも)にも戻らないだろう。

最後の最後にタイトルクレジット、そこに潮吹き後の彼女がドヤ顔(は言い過ぎか。晴れ晴れとした顔で)カメラのこちら側にずんずん歩いてきエンド。
潮吹きが“できる子”だっつーのは、うーん……まあこれを深刻に受け止めちゃったら、イタいフェミニズム女史だわな。とは思いつつ……。
あ、でも、これで男子を満足させて、これが女子的満足ではないんだ、という意味での晴れ晴れとした別れだと考えれば、確かに溜飲は下がるんだけどね!

Gスポットも潮吹きも、正直男子的幻想としか思えない、と言ってしまったら、イコール不毛女の烙印なのかも??
うー、でもそのあたりの食い違いが、男と女のすれ違いであり、それこそ、そこんところを詰めて展開してくれたら、トキメいたのに、と思っちゃうのは、不毛女の勝手な妄想かなあ、やっぱり(爆)。

不意打ち、奇妙な可笑しさ愛しさ、熟年ストリッパーの寸胴胴体の身につまされっぷりとか、色々魅力的な部分はありつつ、少しずつ消化不良。
でもそれが、なんか気になる消化不良なの。この監督さんの次の長編が見てみたい。待ちたいと思う。なんかモジモジする気持ちなのさ!!★★★☆☆


転校生
2012年 20分 日本 カラー
監督:金井純一 脚本:金井純一
撮影:田辺清人 音楽:
出演:森川葵 増田璃子 藤原倫己

2013/12/2/月 劇場(新宿武蔵野館/レイト)
普段なかなか短編までは観る機会がなくって、今回は「ゆるせない、逢いたい」の併映ということで……。でも正直、それでも一本計算で書くのめんどいから飛ばそうかなと思っていたのが、とおんでもなかった。何というみずみずしさ!
いやさ、実は「ゆるせない……」に関しても特に期待してた訳ではなかった。新人監督さんのデビューは抑えとかなきゃ、ぐらいの思いよ。
タイトルもなんか甘ったるいし、青春ラブストーリーかしらぐらいに思っていたから(情報を入れてなかったからさ)。

しかしこの短編を観ることが出来て、もうそれで俄然、期待が高まった。この人の作品なら間違いないに違いない(間違いないに違いない?ん?ヘンかな)。
結果、青春ラブストーリーなんて“甘ったるい”もんじゃなかった、その長編商業映画デビューも素晴らしかったのだが、この20分の短編でもう既に、明らかに才能があふれているんだもの。もうひと目で、判っちゃうんだもの!

短編を観る機会が少ないこともあって、短編で才能って判るもんなのかな、などと思っていた私はほんと、ホンット、バカだった。判る。判り過ぎる。
映画小僧にありがちな、カッティングやらカメラワークやら、印象的な台詞やら、血のりやら特殊メイクやら、そんなことが何もなくても、そこにあふれ出る、もうあふれちゃうものがあるのよ!!
芸人さんやら俳優さんやらにいきなり全国配給長編映画撮らせる前に、短編でテストさせろよ!と、もうなんかコーフンしてしまう(いやまあ、短編撮ってからの芸人さんやら俳優さんもいるのだろうが……)。

そして、「ゆるせない……」にも通じる、監督自身の故郷ではないかと思しき筑西市ののどかなロケーションと、そしてこれまた通じる少女のあぜんとするほどのみずみずしさ。
重たい紺サージの膝丈セーラー服に白ソックスだなんて、私たち世代には感涙、感涙、感涙よ!!今でもこんな、“時をかける少女”な制服あるの!
しかも、転校生、リサが着ているセーラー服は、容子たちこの学校の制服とよく似ているセーラーだけどちょっと違う。セーラーのラインの有り無しだけの違い、っていうのがまた何とも絶妙でさ。
転校生だからあからさまに違う制服じゃない、ってのが、殊更にドラマチックにせず、だけどそこには少女のリリカルなドラマが始まっているのよ!!

そう、もし全然違う制服だったら、それこそ今風の、ベストにチェックのミニスカートなんていう制服だったら、こんなにも心ときめかなかったかもしれない。
なんだろう、この感じ。それこそ転校生の、異邦人感っていうのは、制服が介在してくる中学、高校時代になると更に高まるんである。だからこそ、時をかける少女も胸ときめくんである。
そう、時をかける少女といえば転校生、という訳ではないが、やはり「転校生」とバチッとタイトル聞くとどうしても思い出す、大林作品。
おいおい、やりやがるな、と思ったところを、この20分の短編は、鮮やかに駆け抜けてくれた。ホントにおおげさじゃなく、あの「転校生」に勝るとも劣らないときめきをくれた。
少女と少年ではなく、少女同士、というのが、より私の萌えにピタリときたのかもしれない(爆)。

転校生、っていうのは実は、転校していく生徒を指すんであり、入ってきた子は転入生なのよね、と、まあ二回だけだけれど転校経験がある私は思ったのだが、それさえも計算済みだった、ということなのかもしれない。
“転入”してきたリサは、ほんの一週間で“転校”していく。まさに転校生、だったんである。
転校生という響きの方がよりビビットで異邦人感が強いのは、去っていく人はこの時間から消えてしまうからなのかもしれない。本当にあの人はここにいたのか、と。

転入初日、いきなりリサは、「誰とも仲良くなれないと思います」と先制パンチをかました。慌てる若い男性担任と、静まり返る教室。
ただ一人、興味津々で見つめていたのが容子だった。本作の冒頭、つまり20分の作品の“ツカミ”は、容子が文化祭の演劇のヒロイン役に多数決投票で選ばれ、「やりたくないです。だって結局顔だけじゃないですか」と言い放ったシーン。
容子は担任から委員長と呼ばれていたし、彼女が言うように、この多数決は“嫌がらせ”だったのかもしれない。委員長の任も、そうだったのかもしれない。
「顔だけじゃないですか」と言い放つ彼女が皆に嫌われるのは判る気はするが、大人になってくると、明らかに顔の造作が整った女の子が、カワイイねと言われるたびに謙遜することの方がイラッとするんであり、そう、大人の目から見ると、彼女の正直な苛立ちは、信頼できる子だと感じてしまうんである。でも当然、クラスの中では村八分である。

その中に飛び込んできたリサは、自分から村八分にする要素を作り出す。誰とも仲良くなれないなんて冷徹に言い放った子に、誰も近づく訳もない。
実際、リサは一人静かに本を読んでいる。それがカバーのかかった本、というあたりがまた妙に気になるところなんである。
後々それが、映画の原作となってて、その映画を容子と観に行こう、という話になるから、ただ単にメンドクサイことになるのを避けているのかもしれないけど、本を読んでる少女、というと、ありがちに文学少女、太宰かトーマス・マンか、まあ判んないけど(爆)、なんかそういう方向に行きがちじゃない。
でも、映画になる原作本を読んでいた。リサは決して、内向的に閉じこもる少女じゃないのだ。
ただ、人生を達観してて、どうせここもじきに離れる。友達なんか作ってもすぐに別れてしまう。別れてしまえば、忘れてしまう。それは自分だけが悲しい思いをする、と、もう先回り先回りして考えてる感じがしてさ……。

容子は当然、そんな事情も知らないから。クラス中に無視されていたってこともあっただろうけれど、でもきっと、女の子の感覚でバチッときたんだろうと思う。
ニコニコと付きまとう容子にリサは本当にうっとうしげに、ついてくんなよ、と繰り返す。この「ついてくんなよ」の台詞が実に印象的にループされて、最後にはうっと涙をこみ上げさせるのだ。

容子は「顔だけ」発言するぐらいだから、冷たくされてもへこたれるようなキャラじゃない。
リサから「無視されてるよね。でも私は違うから」と言い放たれても、楽しそうにニコニコとリサについて行き、「私の家、その先なんだけど。ついてくんなよ」と口真似し、学校では「トイレに行くけど。ついてくんなよ」と可愛い挑発。
その後、リサが単独でトイレに立つためだろうな、席を立つと、「どこ行くの?」とニコニコまとわりつく。つ、強いぜ、容子。
容子だってリサと同じく、友達なんて必要ない、ってキャラだった。あの「顔だけ」発言が物語ってた。でも容子は見つけちゃったのだ。友達になる女の子を。

リサは容子に「そんなんじゃないから」と言ったし、実際、そんなんじゃない、んだろう。傷つかないために、孤独を選んだのだから。
でも容子がリサに心を開いてしまったのは……。やっぱり、この時出会うべくして出会った友達、なんだよ。
リサは最短だと言った。まさか一週間とは思わなかった、と。リサが入った玄関は古い一軒家だったし、一体彼女がどんな理由で、そんなにも転校を繰り返しているのかは、判らない。
でも、孤独を選んでいたリサが、しつこく、でもニコニコ楽しそうにつきまとってくる容子の「お姉ちゃんがそっくりノートに残してる宿題の答え」につられる形で彼女の家に行ったのは、決してそのあんちょこの理由なんかじゃない。そんなことを理由にする子じゃない。
ニッコニコの容子に対して、まったく笑顔を見せないリサが、ぶっきらぼうな言葉の先で、徐々に徐々に氷を溶かすのが本当に嬉しくって!本当に、ときめいちゃって!!

だって、原作本が映画になったのを観に行こうと思う、と容子を誘うのが、誘い言葉とはわっかりづらい、わっかりづらい、もうもどかしいったら!これってさ、まるで恋のやり取り!とか思ってさあ!
「初日に、ポップコーンでも食べながら見ようと思ってさ……」と言う容子に、屈託のない笑顔で「私も行こうかな」と返す容子に、リサがようやくちょっと微笑んだような……いや、あまりにもかすかで。
リサのこの、友情を期待しない態度が本当に切なくて、だからこそのラストシークエンスの、切なさ大爆発なんだけれども!!

「顔だけ」発言の容子だけど、実際とても可愛い。ぽってり唇がたまらない。
リサの方が、笑顔を見せないと特に、クールビューティといった感の、いや、それよりもハッキリと地味、って感じの(爆)子なんで、余計に際立つ。
女の子二人が何とも絶妙な感覚で、二人、ベッタリ友情ではなく、それ未満、いや、この後きっと続く二人の友情もベッタリ友情はないだろうと思う。とてもステキなんだ。

そう、この後もきっと続くと、思いたい。土曜日に一緒に映画を観に行く約束をしてたのに、リサが急に反故にして、容子は怒った。思えば、これが初めてのケンカだった。
ケンカっつーか、リサが、映画になったらつまんないかもしれない、とか曖昧な理由で反故にしたから、容子は怒った。
当然だけれど、リサはその時傷ついた……本当に途方に暮れた顔をしたのだ。女の子、って、本当に素敵。

この後の、思いがけない突然の別れを、第三者である担任からの報告で、クラス全員で聞くというメにあっても、でもそれでも、リサにとっては容子、容子にとってはリサなのだ。
別れの挨拶を短く済ませたリサは、まっすぐに容子の目をとらえて、「ついてくんなよ」とキメた。容子は一瞬呆然として、そしてあたり気にせず笑い出した。
……希望的観測かもしれないけれども、きっときっと二人は、再会できる。再会できなきゃ、やだよう!

リサは校舎をあとにする時、ふと振り返る。まぶしそうに。容子はあのキメ台詞に幸せな笑いが止まらなかった、自身もリサとの友情は変わらない、と思ったんじゃないかと思う。
ていうか、観客自身がそれを熱望している。どうかどうか、リサと容子はずっとずっと友達であり続けますように、って。でもそんなことは判らない。判らないけど……。ああ!★★★★★


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