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「ゆ」


2013年鑑賞作品

ゆるせない、逢いたい
2013年 107分 日本 カラー
監督:金井純一 脚本:金井純一
撮影:清村俊幸 音楽:吉田トオル
出演:吉倉あおい 柳楽優弥 新木優子 原扶貴子 中野圭 ダンカン 朝加真由美


2013/12/2/月 劇場(新宿武蔵野館/レイト)
デートレイプという言葉自体初めて聞いたし……というあたりで、私はまったくもってダメなのだろう……。
ベタに、レイプといえば見知らぬ輩に襲われること、つまり夜道を歩くな、知らない人に気を許すなぐらいの古すぎる認識しかなくって、ホンット私って世間知らず。

そのネタ自体ももちろん衝撃だったけれど、まず何よりこの新しい才能の素晴らしさに衝撃。本作の前の短編で、もうあふれるほどの才能は明らかだったけど、そこで見せた少女のみずみずしさ、彼女たちが生活する自然風景のみずみずしさ、そのキラキラがそのままに、このシリアスなテーマにあふれていたのだもの!
本当に、ビックリした。彼女の思いが本当に透明でキラキラして、これが恋だと、こんな目にあわされても彼女自身、そして観客にも納得できるだなんて、相当の力量がなくっちゃ、出来ないよ!!

いや、それだけじゃない。彼の方だって。ヒロイン、はつ実より少し年上の少年、彼のしたことはレイプ、鬼畜な所業だけれど、彼の心もまた恋だと観客が納得しちゃうだなんて、本当に本当に相当の力量がなくっちゃ、出来ないよ!!
レイプの果ての二人の別れが切ないだなんて思わせるなんて、相当の相当の力量がなくっちゃ、出来ないよ!!

勿論そこには、綿密なリサーチがあり、勿論役者の真摯な芝居があり、そして何より、監督自身の丁寧な作り込みと演出があるのだろうと思う。
デートレイプというものが、彼らのように心のすれ違いから起こった不幸な出来事(などと女の側からカンタンに言っちゃいけないのだが……そう言わせるほどの力量が……しつこいか)だけではなく、もっと深刻で卑劣なことだって、あるだろうと思う。いやきっと、その方が多いだろう。

レイプは女性を精神的に殺すと言われる。その通りだと思う。なのにその上に相手が知り合いだったり友人だったり、それどころか恋人だったりする訳だから、その心が乱れ、引き裂かれ、混乱し、悲嘆にくれ、自己嫌悪や周囲からの心無い視線も通常の?レイプ以上にあるだろう……もう想像するのも恐ろしい、女としては、考えたくない。

そう考えれば、ひょっとしたら本作の作劇は甘いと言われるのかもしれない。でもそれこそ、私のような無知な輩にとっては、デートレイプというものが起こるという、ことの発端をつかむことにもなるし、それにやはり……こういうケースって、あるんじゃないだろうかと思う。
観客に納得させるだけの繊細な経過と心理状況を積み重ねて積み重ねて、苦しみぬいたはつ実がそれでも、彼に会いたいと、どうしても会いたいんだと、親友に吐き出したシーンは、素直に青春のラブを感じて心をぎゅっと掴まれてしまった。

頭の中を駆け巡る、彼との楽しい時間と、会えなくなってしまった時間と、そして、あの恐ろしい瞬間……何度も駆け巡り、観客にも味わわせ、そして、それでもはつ実は彼に会いたいと思った。
そして観客もそうだろうと思った。でも、それが最後だということは、はつ実は勿論、彼も、そして観客も判っていたんだ……。

なんか興奮しすぎて、全部すっ飛ばしてしまった(爆)。いやあ、なんか、もう、新しい才能に、新しい素敵な才能に出会うと、本当にもう、ワクワクしてしまう。
特に私は、女の子を可愛く撮ってくれる人にヨワいし(爆爆)。久しぶりに出たなあ、少女映画のマエストロ候補。

本当に女の子たちがキラキラしてるの。はつ実は陸上部に所属していて、長い髪をポニーテールに結って、さらさらとなびかせながら、ほっそりと長い手足をラブリーな袖なしシャツとショートパンツに包んで、柔らかな陽光で満たされた広々としたグランドを駆けるの。
あー、たまらん(爆)。何何、いまどきの陸上部女子は、みんなこんな、スラスラスラリと美しくほっそりとしてるのかっ。その点はリアリティとは違うのかもしれんが、女の子好きには、まったくもって、たまらんっ。

しかも女の子同士のほわほわした友情が、これまたたまらんのだ。それも、女の子の甘い汗が漂う、この陸上部において、小さな恋人同士のようにじゃれ合う様がたまらんのだっ。
グラウンドを周回する部員たちが駆け抜ける時だけ慌てたように「ファイトォ」と声をかけ、それ以外はベンチや地べたに座り込んで、誰とメールしてたのだの、最近いいことあったでしょだの、私だって秘密があるもんだの、どーでもいいことをつつきあいながらしゃべるのがたまらんのだっ。

……と、バカみたいに女の子好きが萌えている中でも、だからこそはつ実にとっては辛いことが沢山ある。いいことあったでしょ、と言われるぐらい楽しそうなのは、わざとそうしてるのだ。
今までは大好きな隆太郎とメールするだけで、楽しそうな自分は自然にあふれ出てた。でも悲しい事件を挟んで、意識して明るくするようにして、自分を偽っていたのに、「いいことあったでしょ」なんて言われる……。

でもそれは、一見悲しいけど、通常とは違うってことを、見抜かれたとも言える。それを言ったのは、はつ実の親友だったから。
はつ実が陸上をやめるって言ったこと、誰より怒ったのが彼女だったから。どこか幼い子供っぽさを残す、への字型の口元がなんともたまらん、この親友。あーもう、女の子って、素敵っ。

……なんてはしゃいでいる場合ではないのだ。だって本作は、デートレイプがテーマ、なんだから。
そしてそれを犯してしまったのは、きっとはつ実にとって、初恋というのは大げさかもしれないけど、初めて付き合った、みたいな、そんな存在だったんだろうと思う。
いや、付き合う未満だった。お互い好きだどころか、つき合おうって言葉もなかった。

でも、未満であり、いずれ自然にそうなるだろうという雰囲気は濃厚だった。
確かにキスどころか、手をつなぐことさえなかった。でも、自転車の二人乗り、ゲームセンターでプリクラを撮ったり。
極めつけは隆太郎が夜のグラウンドにはつ実を呼び出して、「貸し切りにしたんだ」とガチャンとライトをつける。そして二人、無邪気に走る。これが、つき合ってない二人じゃなくて、なんなのと思う。

けれども、でもまだ、未満だったんだ……。はつ実の母親はとっても厳しい人で、部活なんかやめて受験勉強に集中しなさいとか言うし、友達との放課後の楽しい時間に車で乗りつけて、暗くなって心配だからと拉致のように娘をお迎えしてしまう。
心配の延長線上で与えた携帯電話で、はつ実が隆太郎とやり取りをし出し、予備校に行くとウソをついていたのを突き止めると、携帯を見せなさい、と鬼の形相。こっ、コワーッ!
隆太郎とのやり取りを隠すために、はつ実は携帯を折ってしまい、彼と連絡が取れなくなってしまった。そして事件が起きた。
……これは、誰が、何が、原因と言うべきなのか、追及すること自体が、無意味なのか。

隆太郎が、両親に捨てられた施設育ちだとか、はつ実が、新しく建てた家に本当は両親と三人で暮らす筈だったのに、直前に父親が事故死してしまったとか、そういうのは優しい設定だとは思うのよ。
あるいは、はつ実の母親が、以前からなのか夫の死によって娘と二人になってからなのか、一人娘を大切に思うあまりに、箱入りどころか籠に入れるほどに厳しく囲い込むようになったというのも、ね。

あるいは、その母親が弁護士だというのも……それも、離婚問題に悩む女性のケースを扱うような、ザ・女性弁護士、てなキャラだってことも。
チラリと仕事の様子が示されるのが、夫に離婚を切り出せない顧客との対話シーンで、後から考えるとちょっとありがちかな、とも思う。
確かに仕事柄、こんな目にあってしまった娘を、苦しいだろうけれども、警察に届けて、訴えるべきだ、と考えるのは、仕事柄だからだろうと思う。
それこそ最初にはつ実が反応したように、そんなことするのヤメてよ、と思うのが普通の感情であり、後にはこの母親だって、無駄に傷つくことはないのだからと、はつ実を裁判や対話の現場から遠ざけようとするんである。

いやでも、ここんところが重要なのかな。相手の罪と償いだけを求めて、あとは、はれ物に触るように被害者を遠ざける。それこそが、被害者のためであり、自分の愛情だと思ってる、というのが……。
こうやって、ある意味ベタに示されなければ、あるいは“優しい設定”で示されなければ、観客側……ていうか、おバカな私は、確かにそう思っていただろうと思う。だってだって、女がレイプされたんだよ!?と。
加害者と会いたい筈ないじゃん、話したい筈ないじゃん、顔も見たくない、死んでしまっても飽き足らない、と、思った、どころか思うべきだと、思っていた。

でも……そう、“優しい設定”にほだされると、頑なになってしまうことで、見えなくなること、何よりこのデートレイプという問題が、解決されないということを、見事に示した。
レイプ、とただ言ってしまうのならば、どうしても拒否反応がある。幸か不幸か時代は色々進んで、ただ強姦、と言えなくなってしまう状況を作り出す社会になってしまった。中にはこんな、切ない事例もあるだろうと思った。
いや、切ない事例じゃなくても、本作が、いや何より作り手が、ここまで繊細に作りこんで演出して語って、大切なこととして示したかったのは、本作のクライマックス、加害者と被害者の対話、なんだよね、だよね!!
ラストクレジットで、そのまんまの名前がついてるNPO法人が参画しているのを見て、本作の真摯さに素直に心を掴まれたのは間違いじゃないと思ったし、そこまで観客を連れて行った監督は、やっぱりやっぱり、只者ではない力量だと思った。

いやもちろん、役者もそう。そうそうそう、このはつ実ちゃんの手入れのしてないほわほわしたまゆ毛の可愛さと、ぽってりした唇は見覚えがあるっ。
ツクリはさておいて少女たちには萌え萌えだった「スクールガール・コンプレックス 放送部篇」の、ワキの中でも一番手だったもんっ。
そして親友の子も「放送部編」かあ!正直彼女はあんまり印象に残ってなかったけど(爆)、でも本作では良かったなあ。だってだって、女の子の親友!ってのはもうそれだけで私は萌え死にしちゃうのさあ。

はつ実の事情を「××のお兄ちゃんが警察官だから……」と知るってのは、おいおいおい、警察官は当然守秘義務だろ、妹に漏らす時点でアウトなのに、同級生から本人まで伝わるって!とこれはさすがに唖然としたが、うーむ、これ以外に彼女が親友の事情を知る手立てはなかったんだろうか……いや、別に明確に知る必要もなかったような気がするけど。
だって私は、悩めるはつ実と色々衝突して、最終的にははつ実が母親に思いをぶちまける場に居合わせるだけで、女の子友情、最高だと思ったもん!!

だってさ、その前に、もうこれは、お約束だのベタだの言うのもジャマなような、川で水かけっこのシーンで、キュンキュンでしょ!
そしてそこではつ実は誰にも言えなかった思い、隆太郎に会いたい思いを吐き出し、それを母親に言うために、親友の彼女はついていく。
濡れて冷えた身体を一緒にお風呂に沈めて、「背中の毛が濃いの」なんてカワイイ秘密をはつ実に告白する彼女がカワイーッ!
てか、女の子二人が、せまっちい湯船に二人収まってお湯の掛け合いっことかするの、たまんないーっ!……うーむなんだか、本作が深刻なテーマの映画だということをちょいちょい忘れてしまう……。

そう、深刻なテーマの映画なのよ!ここまで女の子にかまけてうっかり言いそびれていたが、実は私が本作に足を運んだのは、すっかりオトナになっちゃった柳楽君を見てみたい、そんな単純な理由だった。
あの「誰も知らない」以降、ちょこちょこ作品があったけど、デビューが鮮烈で結果を残し過ぎちゃったがために、予想通りの低迷(などと言っちゃいけないか。最初が凄すぎたから……)だったからさ……。
あまりにも久しぶりに見る彼は、面影なさすぎるほど、見る影がなさすぎるほど(あれ、これはちょっと表現間違ったが……でもそれぐらい、違ったってことよ!)、男、になってて、胸ドキュズキュバキューンだった。

いや確かに、その印象的な目元はそのままではある。あるけれども、印象的が100倍ぐらいの濃さになってる!し、当たり前だけどガタイも、そして何より固く厚く詰まった肉体の男度が濃厚過ぎる!!
ちょっとシャイな印象は何となく引き継いでいるけれど、それはあくまで本作で、孤独な者同士出会ったはつ実とのシンパシイではあるだろうけれど、柳楽君の、繊細さはいい感じに残して思いっきり“男”になった姿には、それだけで泣きそうになってしまった。

何より何より、本作はクライマックス、“大人”が同席しているとはいえ、そう、同席しているのに、大人の顔が思わず赤らんでしまうほどに、純粋な恋心をぶつけ合う“被害者と加害者の対話”に本作の真骨頂があるんであり。
当然責められる一方の隆太郎=柳楽君の、その鬼畜行為を「好きだったからだよ!!」の絞り出す一言で観客に納得させてしまうキリキリの切なさがたまらなくて、素晴らしくて、や、柳楽君、成長しちゃって……。とそれだけで落涙しそうになってしまう。

もちろん、そんな一言で許される筈はないから、それまでに描写は尽くす。
当然、母親側からのアプローチは熾烈である。娘を思う母親、何より女としての気持ちも含めて、というのは、正直ありがちだとも思ったし、このクライマックスの対話における、母親の理解を促す安全パイのようにも思ったけれど、でもそれでもいい、安全パイでもいい。
だって、娘の思いを知って、大好きだった思い、彼も大好きだった思い、でも結果こんなことになってしまって。
二人が十代だってこともあって、別れなくちゃけなくて、そのやり取りを、血のにじむような若い二人のやり取りを目にしたからこそ、いや、からこそ、というか、こんな辛い思いを娘と共にして、辛い中でも最良の答えを得られるケースなんて、きっとないだろうと思う。

それこそこれは、綿密なリサーチによる“優しい結果”だと思う。好きだったからこそ苦しかった思いを、何度も苦しい中断を経て分かち合い、でも、それでも、この事件を経てしまったら、もう二度と会うことはない。
「もし偶然会ってしまったら、どうしたらいい?」それはもしかしたら、隆太郎は一縷の望みをかけて問うたのかもしれない。それに対するはつ実の言葉は、残酷だったけれど、最高に愛、だった。お互いに好き同士なのに、と観客を号泣に叩き落とした。

「もし、偶然に会ってしまったら、目をそらすの。そういう約束をしておけば、それで約束を守った、って思える」なんて、なんてなんてなんて!!
お互いを思うから、好きだったから、大好きだったから、約束を共有し、もしもの出会いの悲しさも、約束の結果だと、思えるのだ。

でも、“好きだった、大好きだった”からなのだ。この時点では、だった、と言ってはいるけれど、それは半ば未練の言い方。今の時点で大好きだと言いたい。でも、今後言えないから……。

見守る大人がいるから、頭を下げて別れるしかない、筈だったのが、はつ実が弾かれたように飛び出して、それがスローモーションで、隆太郎の背中に飛びついて、……そう、あの頃のように、二人乗りの自転車で、ドキドキしながら背中に顔をうずめた時のように。
帰宅が遅くなることを自転車がパンクしたと、厳しい母親に嘘をついた時のように。ああ、それだけなら、甘酸っぱい恋の思い出だったのに、これが永遠の別れになってしまうなんて。

このはつ実と隆太郎の別れのシーンも、勿論ひとつのクライマックスだったんだけど、実はその後こそが、観客の、っつーか、おばちゃんの私の涙をそそった、ってあたりが、更に切ない幕切れだったのかもしれない。
はつ実の母親がね、隆太郎が少年院行きにならなかったことに唇をゆがめて悔しがり、はつ実には何もかも伏せて裁判や隆太郎との対面に足を運んで、母親としての思いを吐露する。
それは、確かに、娘を愛する母親としては当たり前の行為であり、今までの映画なら、というか、今までの社会なら、それだけで、傷ついた娘を思う母親のカンドー物語、で終わり、だったんだろうと思う。

でも、娘こそがアイデンティティであり、娘はそのアイデンティティを見極めるまでに、こんな熾烈な経験をこんな若さでしたんだから当然時間がかかり、でもそれを、血のにじむ思いで、血を吐く思いで、一生に一度の覚悟でそれに臨んで、獲得する。
何より、相手への思いの深さを、親として以上に同じ女として共感したであろう母親の涙と、振り切った娘との深い抱擁とお互い号泣しあうラストシーンは……。
なんていうかさ、いくら言葉を尽くしても、上手く言葉にならないのよ。なんでこんなことが、こんな女の気持ちが、男性監督に判るの!!!勿論綿密なリサーチ……でも、なんか、悔しいほどに、てか、悔しい!でもでも、……泣いたなあ……。

ラストのラストはね、親友に陸上部復帰を晴れやかに宣言するはつ実、そのすがすがしい朝の登校シーン。
本作の中盤まで素直に感じていた、キラキラの青春が、途中粉々にぶっ壊されてからは、まさかそれが再び獲得されるなんて思わなかった。
いやでも、ちょっと思っていたかもしれない。だって彼女が苦しんでいる途中も、女の子のキラキラはやっぱりどこか、変わらなかったんだもの。

それがね、凄いと思う。本作が残酷なリアリティを発揮しながら、思いの純粋さ……それは、若い二人だけではなくって、隆太郎を信じて見守る保護司や、はつ実の母親でさえも、その思いを“純粋”だと感じることが出来たから。
大人になって、自嘲気味にやさぐれても、どこかで、いつまでもどこまでも、10代の頃と気持ちは変わらないもん、と思う気持ちがある。
こんなシリアスなテーマにそんなこと思うのはそれこそ甘いかもしれないけど、そんな青臭いことを信じられたら、って。★★★★★


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