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「れ」


2014年鑑賞作品

0.5ミリ
2013年 196分 日本 カラー
監督:安藤桃子 脚本:安藤桃子
撮影:灰原隆裕 音楽:TaQ
出演:安藤サクラ 津川雅彦 柄本明 坂田利夫 草笛光子 織本順吉 木内みどり 土屋希望 井上竜夫 東出昌大 ベンガル 角替和枝 浅田美代子


2014/11/11/火 劇場(有楽町スバル座)
「カケラ」から久しく次作が発表されなかったんで、ネームバリューでのデビューでは次が難しいのかな……と思ったら、とんでもない意欲作を引っ提げて現れてくれた安藤桃子監督!!
しかもこれが尺もまたトンでもなく、正直「二作目でコレかよ……」と、一作目で才能を感じたのは確かなのに、なんかついついそんな気持ちで対峙したら、面白くてつるっと終わってしまった。

いや、それは語弊がある。面白くてもやはりこの長さは腰痛持ちにはかなりツラかったし(爆)、つるっとなんて終わらない。オムニバスにもなりそうな、大きなシークエンスに分かれる構成でもあるし、つるっとなんて終わらないんだけど、これを面白さで見せ切るのはやはり才能であると思った。
いや、熱意、かな。面白さ、なんていう言い方も語弊アリアリで、監督自身が言うように、この作品には彼女の怒りが詰まっていると思うけれど、映画として差し出すためにはやはり、面白さという要素は絶対に必要。

それはいろんな意味でね。判り易く言えば、ジャンルという意味にも言えるかも。
これは端的に言えば、安藤サクラというジャンルかもしれない。才能あるお姉ちゃんが才能ある妹を撮るというだけでもワクワクしたけど、こんなに愛とリスペクトがある姉妹もないもんだと思った。
後に監督のインタビューをチラ見して更に深く確信した。いやインタビューなんか見なくたって、本作だけで、二人の強固な信頼は判り過ぎるほど判るのだけど!!

そう、インタビュー、見ちゃった。引っ張られるから、普段は見ないようにしている……ということを最近よく言うような。うーむ、弱くなった、私(爆)。
でも、本作が、"自身の介護の経験から"なんて書かれてたから、えーっ!と思ったんだ。誰の介護をしてたのっ!?って。
このモティーフを得ての、取材をしての、本作だと思っていたから、それにビックリして、ついついそれを探りたくなってしまって。おばあさんの介護、ってどっちのだろう、とかまたまたそーゆー、下世話な興味を持ちたくなる(爆)。

本作の中で、介護をされている女性はただ一人で、草笛さんが演じるかつては歌手であっただろうと思われる人がそうで、まあそれは草笛さん自身のバックグラウンドをいかした設定なのかもしれないけど、ひょっとしたらここに、監督の経験が生かされているのかなあ……。
いやいや、やはり全般的に、だよな。高齢化社会になって、なったのに、確かに高齢者とそうでない人たちのコミュニケーションは薄くなった。その線引きも、あいまいなのに。

いやきっと、こうして、介護の対象になったり、あるいは本作の三人の主人公とも言うべきおじいちゃんたち……自身が、世間から見放されている、と思ってしまうと、もうその線引きのあっちへ追いやられてしまうのだと思う。
見放されるだけならいいけれど、厄介者扱いされたり、詐欺に遭ったり、するのだと思う……。

で、まあ、本作。もう「カケラ」の前から本作の構想があったとか言われると、またかよ、こーゆーこと言うの、と思っちゃうが、まあ仕方ない。これほどの思いを込められちゃうと仕方ない!
今にも死にそうな在宅介護のおじいちゃんの痰の吸入シーンから始まるから、なるほど、介護にしっかり入り込んでいる、と思う。思うが、これはいわばツカミで、シークエンスが進むほどに、そのことはさほどの問題ではなくなり、最後にはすっかり関係がなくなる。
確かにサクラ嬢演じるサワはプロの介護ヘルパーだけれど、その職を失ってからはむしろ、それ以外の経験……ヘルパー時代に蓄積した、介護される側のバックグラウンドを読み取って、するりとその人生に入り込む経験値によって生き抜く。

そう、生き抜くのだ。この最初のおじいちゃんとの”事件”によって、彼女は職を失った。
いきなり行くところがなくなったあたりに、彼女自身の事情も相当深そうに思われるのだけれど、そのことは特に触れられない。つまり家族とか、そういうところね。
そういう意味ではサワという存在は一種のファンタジーのような気もする。おじいちゃん(プラス一人のおばあちゃん)にとっての、ファンタジー。

この第一エピソードで、今にも死にゆくおじいちゃんと一緒に寝てくれないか、という、介護をする娘の申し出を受けて、物語は始まり、そして、ここではただの引きこもりだった息子(ここでは一応)が最後に登場して、見事に物語は収斂していくんである。
うーむ、めんどくさい。ここでネタバレしておかないと、やはり話しにくい。息子のように見えたのは、実は娘。一言もしゃべらなかったのは、声変わりしてしかるべき年齢だったからであろう。
でも恐らく、ほとんどの観客が、あれ?女の子だよね??と思って見ていたよな、と思う。それが明かされないまま第一エピソードから離れたからつい自信がなくなったけど(爆)、再登場したから、やっぱりそうだよね、と思った。

「おじいちゃんと寝てくれない?お母さんのおっぱいを触りたいみたいなの。私じゃダメなの。大丈夫、もう勃たないから」サワに依頼した娘のこのすべての台詞が、ラスとエピソードで見事に収斂されていく。
私じゃダメじゃなかった。そしてその危害が及ばないように、娘を男のようにさせていた。

まるで引きこもりのように見えていた娘にイライラした顔を見せていたのがどういう心境だったのか……サワに対する演技だったのか、あるいは自分がたった一人抱え込む重荷だったのか……。
勃たないにしても積極的にベロベロしだすおじいちゃんにヘキエキして逃げ出し、石油ストーブから引火して火事になってしまう。サワが命からがら逃げだした先には、この娘の首つり、それをじっと見つめる更にその娘。サワはヘルパーセンターから解雇されてしまうんであった。

で、サワは行くところがなくなる、ってあたりがね、先述したけれど、ミソなんだよね。
サワが最初に計画的に入り込む、アホの坂田師匠に言われるんだもん。家族とか、いないのか、って。
その坂田師匠が扮する、詐欺に騙されそうになっている一人暮らしのおじいちゃんこそが、家族がいるのに、その元に行っても、施設に入れられるだけ、みたいな、でも一人でいるのは寂しいから、いろいろケチつけて、自転車盗んだり、パンクさせたり、いろいろしてる訳。

おっと、この師匠の前に、電車をフラリと降りたサワが最初に出会ったのは、お金持ちの老紳士、なのね。カラオケボックスに泊まれないのかと受付とすったもんだしている。
この受付の男の子が東出君?クレジットもかなり早めに出て、期待の若手も!みたいに書かれてたけど、めっちゃワキやん!
……いやさ、あの息子じゃなくて実は娘のマコト役、土屋希望嬢がメインメインだからさ!それと同列に語られるとなあ。

まあそんなことはどーでもいいのだが(爆)。とにかくこの金持ちの老紳士にオールで付き合って感謝され、寒そうにしているサワに仕立てのいいオーバーと、こっそり握らせた一万円札で、サワの進路は決まったワケなんである。
映画の惹句でも”おしかけヘルパー”となっていて、まあそう見えなくもないんだけど、先述したように、ヘルパーとしての技術をそう発揮する場面は、ないんだよね。

二番目の津川雅彦シークエンスでは、彼の奥さんを手際よくケアして、元からいたヘルパーを驚かせるけれども、対象となるおじいちゃんたちに対しては、つまりは彼女の宿を確保するために、いわゆる家政婦的役割をこなして入り込むことを納得させる形。
そのついで?に、詐欺にあいそうなところから救ったり、虐待を受けている子供を救ったり。つまりサワの行くところには、社会の縮図が展開されている訳で。

ああ、そうかあ。だからこの尺を譲れなかったんだ。「カケラ」以前にあった構想が、どんどん出てきて止まらなくなった、そして小説になって、満を持しての映画となったから、この尺は譲れなかったんだ。
社会の縮図であると共に、最後にはちゃんと、未来を担う若者をこの縮図から連れ出して、大きな社会へと飛び出す希望が示されている。
そしてそこにはジェンダーという、これまた社会の縮図が大きく引き伸ばされて示されているんだもの。

いや、マコトはジェンダーという意味で語る存在ではない。最初から最後まで女の子だった訳だし。
でも、女の子であることを否定されて、声さえ出せずにここまで来たマコトに、性差以前のアイデンティティの問題を感じずにはいられないのだ。
この子が女の子だと知っていたら、柄本明扮するこの子の父親は、暴力だけですんでいたんだろうか……いや、知っていたんだろうか……。

おーっと、ちょっと飛んじゃった、ゴメン!でどこまで行ったっけ。
坂田師匠はもうそのまんま、ちんまくて可愛くて、見ているだけできゅーんと切なくなる。
彼は詐欺の手前で抜け出して、銀行にも預けずに貯めた1千万円を手に、サワと共に自慢の名車で旅立つ。
その先は、高級そうなケア施設。複雑な表情のサワに、その名車を進呈し、はれやかな顔でケアスタッフと共に階段を登っていく。

で、次のシークエンスは津川雅彦。津川雅彦!!監督が、サクラ嬢とレジェンドたちとの化学変化を見たい、との今回の豪華な顔ぶれなんだけど、その中でも津川雅彦のこの役柄は、実に興味深い!!
彼自身も嬉しかったんじゃないかなあ。そりゃあいろんな役柄を演じている名優ではあるけれど、基本的に重鎮的立ち位置の人だからさ。

ヘルパーさんが来ている間に見栄を張るために、勉強会があるから忙しい、とカバンを持って出かけるものの、ショッピングセンターでヒマをつぶすしかない老人。サワの標的になる訳。
この時点で着たきり雀のサワは、汗取りシートかなんかでトイレでごしごしあちこち拭いて、試供品のフレグランスをスカートめくり上げて股にまでシュッシュとやるあられもなさ。こーゆーの、サクラ嬢の感じと凄く合ってる!……なんて言ったら怒られるかなあ??

セーラー服の写真集を万引きしようとしたこのおじいちゃんの手をぐっとつかみ、セーラー服なら私が着てあげるから、という台詞の実現を、結構最後まで待ってしまった私は下世話??
海軍として従軍し、”生き残ってしまった”このおじいちゃん、なんたって津川雅彦ってこともあって、ワンカットで戦争の思いを聞き取るという、恐らく本作で、監督が最もクライマックスとしているシーンを任せていて、血走った、涙目で、戦争の情けなさ、無意味さを繰り返し問う津川雅彦は確かに名優の迫力で……。

でも正直、このシークエンスの戦争の要素は、少し浮いているように感じなくも、なかった。監督が力を入れていると判るだけに、余計に。
確かにこの年代にリアルに生きている高齢者にとっては、避けては通れない、人生を、青春を占めた出来事だけれど、介護と、家族と、孤独と……と色々入れ込んでいくと、その中で最も、はじき出されてしまう要素に思えちゃう。
なんでだろうなあ。そんな筈ないのに。全てを含め、抱えてこその、この問題提起なのに。やはり私ら世代が、それをあまりにもさっぱりと投げ捨ててしまって、この問題にも関係ないと思っているからなのだろうか??

この老夫婦の姪っ子だという人物が引き継ぎの形で表れて、サワはここを辞する。
元からいるヘルパーが「愛人に乗っ取られる」と思い込んだという、そのヘルパーを演じているのがサワ=サクラ嬢の実質のお姑さんだという面白さもある展開。
しかし「私はずっと母の介護をしていたから、あなたが二人に信頼されていたのが判るの」などと、やけに優しく物分かりの良い姪っ子さん(浅田美代子)だというのが、多少の優しすぎな感を感じなくもないけど(爆。観客は常にアクマな展開を求めているのよ)、サワはそうしてまた、次なるステージに向かうことになる。

坂田師匠にもらった名車を運転していると、最初のエピソードのあの引きこもりっ子、マコトを見かける。
黙って万引きして黙々と駄菓子を食べているマコトに、今までおじいちゃんたちにしてきたように脅迫まがいに誘い込むも、マコトはそれに屈したというよりは、めんどくさいからそのまま従う、といった雰囲気でサワを今の自分の住処に連れていく。

苗字が変わった、父の、とメモで示すそこは、つぶれた民宿というか、海の家みたいなところ。
ゴミ屋敷と化したここで、日雇いのような暮らしをする父親と、学校にも行かずにマコトは暮らしている。
確かに何も言わないけど、最初出会った時から、本だけは手放さなかった。食事の時も黙って本を読みながらもぐもぐ食べるマコトに、母親も、そしてこの父親もキレるけれど、本、というのが救いだと思ってしまう、のは古い考えなのだろうか。

だってこういう図式だと大抵ゲームとかメールとか。古い、よなあ、この感覚。少なくともメールだったら、誰かとつながっていると考えるべきだもの。
あるいはそれもすべて鑑みての、この感覚、なのだろうか。本ならば、対個人ですらない、世界のすべてとつながっている、という……。

自殺した母親も取り上げたし、この父親も取り上げる。窓からバンバン捨てちゃう。そして馬乗りになって殴って、髪の毛をジョキジョキ切り出す。
この子絶対女の子だよねって、その前のシークエンスで虐待の事実を示すために鏡の前で肩のあたりの傷を示すシーンで、そのまろやかな脂肪のつきかた、二の腕に挟まれたワキのふくらみ、でもう確信しちゃったからさあ。

だからこのシーンは、本当に怖かった。このままひんむかれて、強姦されちゃうんじゃないかって……。いや、髪を切られるだけで、それに相当する怖さがあったし、きっとそれに相当させているんだと思った。
古い感覚かもしれないけど、女の命、かもしれないもの、髪は。だって、だってさ、芝居だと判ってても、あんなに切れそうなハサミで、あのテンションで、根元からジョキジョキやるんだもん、地肌を切って血がドバーとか出たらどうしよう!とか、まるでライブを見ているような心配しちゃう。

それぐらい、さすが柄本明、恐るべき臨場感があった。正直このシークエンスは、実質の嫁と舅の演技バトルの面白さ、ってことかしらん、などとも思い、サクラ嬢が彼女の太ももをさわさわする柄本明を股でその首をふん締めて気絶させ、マコトに暴力をふるうのを引きはがしてシバキ倒すバトルが面白すぎて、拍手喝采したいほどだったんであった。
姑に舅までそろえたこのメンツにダンナを加えないのは何故かしらと思ったぐらいだったが、ダンナがいたら、こんな思い切って舅をシバキ倒せなかったかも……いや、サクラ嬢なら、そして佑君だって、そんなことは気にしないか。でも、観客が勝手に心配しちゃうの!

マコトが実は女の子だと判ったのは、……こーゆー描写はかなり見覚えがある。そう、太ももにタラーリと血筋さ。
この意味するところは二つあり、生理かレイプかどちらか。この状況だったら後者だって充分ありえただけにホッとするとともに、ガッカリしなくもなかったあたりが、クサレ映画ファンなのだ。あー、こんなクサレは死んだ方がいい。バカ!!

サワが「私は女じゃない」とどこかの時点で発言していたから、何らかの事情でそうなのだろうとは思っていたが、「私は子宮がないの」とこの時点のマコトに語り始めるのは、ちょっとメロドラマ過ぎる気がしないでもなかった……。
だって”何らかの事情”がどんな事情かも判らないし、そのことについてサワ自身がどう思ってるかも判んないからさ……。今は女が子供を産まなければいけない、ということは言えない、というか、言うべきじゃない時代。

と、私のよーな女が増えたせいもあるだろーが(爆)、まあだから、こういう設定を持ってくるなら、その意味するところ、思いをそれなりに表現してほしかった。
それはまあその、勝手な言い分なのだけれどさ。そりゃー、女にしか子供は産めないから、子供を産めない、産まない女に対して単純に風当たりが強くなるのは判るけれど、それをただ単に記号的に示されてしまうと、せっかく女同士の船出なのに、そうそう素直に納得できない気がしちゃう。それまでが、凄く凄く熱意ある描写だっただけに……。

でもとにかく、意欲作だった。何より監督は、日本社会に対して糾弾していると思う。監督自身は介護した経験があるからこその本作だったけれど、それこそさ、今の日本は、介護した経験があるかどうかで、大変さを判ってるか判ってないか、みたいな見方をしてる感があって、それはおかしいだろ、と思うところがあってさ。
監督自身も勿論、そういう、その先に立った視点で語っている作品だと思うし、だからこそ面白かったと思うし。

でも少し、”介護したからこそ”の視点から抜け出せない気がしたのは、監督さんがその経験があって作った、と知ってしまったからかもしれない。やっぱりそーゆーのは知らない方がいいね!!★★★★☆


恋愛漫画はややこしい 集まれ!恋する妄想族
2014年 81分 日本 カラー
監督:新生璃人 脚本:新生璃人
撮影:新生璃人 音楽:ツダユキコ
出演:斉藤新平 片岡華奈子 山田帆風 今野鮎莉 藤崎紫 新生璃人 琥珀うた 仁科貴 中原翔子

2014/5/10/土 劇場(池袋シネマ・ロサ/レイト)
思いがけずぽんと日程があいてしまって、ぱっと探したら飛び込んできた作品。まさしくこういうのは出会いとゆーものである。ちょっと珍妙な出会いだったかなあとも思うけど(笑)。
少女系は好きだが、若干その少女にチープ……と言ったら言い過ぎかしらん、ちょいと軽い匂いを感じたので、その前に情報を見た時にはスルーしていた、多分(爆)。観終った今となっちゃ、その予感は当たっていたかもしれなくもないのだが(爆爆)。

ただ、この映画の製作、主演の斎藤氏が、福島市出身だというからさあ。というのも足を運ぶかまだ迷って、ちらりとオフィシャルサイトをのぞいたら、福島民友に載った記事が(驚)。しかも先行上映福島フォーラムでやってる(爆爆)。
ここ、これはやはり出会いというものだろうと即決。いやー、だってさ、久しぶりだったんだもん、映画作品の情報で、原発以外で福島というのを聞くの。本当に、久しぶり、どころか、初めてぐらいの勢い。
いや、それは言い過ぎか(爆)。民友は実家も取ってる新聞だしさあ(笑)、なんかホント、単純に嬉しかったんだなあ。

この日併映された短編からのつきあいだという監督さんは、斎藤氏自身がアルバイトで貯めた20万を持って、映画を作りたいんだと持ち込んできたんだという。
……などとゆー情報は、普段は避けて通る舞台挨拶から。だってしょうがないじゃんー、この日は上映前に挨拶があったんだもん……。

つまりそれだけ斎藤氏は監督さんの才能にホレこんでの、ここまでの数年のお付き合いな訳で。それこそその日併映された短編では、衝撃のオチにホントにビックリしたし、これは確かに才能あるかも……と本作に対する期待も膨らんだのだが、そこんところはちょーっとガクリときたかなあ。
まあ、仕方ない。ネタ自体が違うんだから。でも女優さんをしっかり脱がせてくれるトコは大いに気に入ったけどっ(そこかっ)。

いやでもそれは重要よ。女優も脱がせられないで、監督なんてやるなと思う(……段々自分の基準がおかしくなってくる……)。
特に本作なんて、別に特に脱ぐ必要も、ぱんつ見せる必要も、お尻見せる必要もないんではないかと思われるのに、ばんばん見せてくれる。イヤー、嬉しくなる(なんだ、私)。
確かにこれは、もともとが男子が妄想する女子世界の物語なんだから、必要もない、訳ではない、大いに必要なのかもしれないと後から改めて思う。妄想が進むにつれ、制服もなんかコスプレっぽくなってくるしねー。

そう、制服世界は全部妄想だから、いわばコスプレだわな。
主人公は二浪して妹の少女漫画の世界に妄想トリップ、最後には三浪決定した治郎。妹からは「ニロウ、あ、ジロウだったね」と皮肉られるザ・うだつのあがらない兄ちゃん。
予備校の現役女子高生に妄想恋愛し始めてから、妹が持ってる少女漫画に勝手にリンクし始めて妄想進行爆発。
自分の年も忘れて、現役男子高校生、詰エリ学ランに身を包んで、妄想内青春恋愛に突入するんである。深夜、読みふけって誌面にヨダレをたらしちゃって「うわ、やべ」とか言いながら(爆)。

そう、自分の年も忘れて。劇中設定は二十歳だが、どー考えてもあと10は上そうな斎藤氏(全然若かったらゴメン(爆))、勿論、それがギャグとゆー部分もあるのだろうけれど、見てる限りでは割とマジにやっているような気がする(爆)。
まあ、それでなくても二浪、予備校先の女子校生たちにとっては、たった二十歳であったってキモい浪人男に他ならなく、実際「クソヤバ」とエレベーターに乗り込む寸前につぶやかれたりもする。
でもそれ止まりで、やっぱりやっぱり彼は、マジに二十歳の青年を演じているような気がする。二十歳の二浪青年が詰エリ学ランであるギャグ止まりのような気がする。

いや、しかも物語が進んでくると、妄想に誘う少女漫画作品「ラブ・タイフーン」は、“番外編”として中学生時代のエピソードをぶっこんで来るんだから、当然彼はそのまま中学生もやる訳で、そりゃあ無理極まりないのだが、やはりそこも“二十歳の二浪青年が中学生”のギャグで止まっているのが、もったいない気がする。
だってホントに二十歳なら中学生ぐらいまではまあ出来なくもないもんなあ。今の草食系男子なら特に。

だから、マジに二十歳の青年やられると、逆にイタい気がする……いやすいません、ホントの彼の年も知らないのに(爆)。
しかも見ている間中、受け口気味の口元がずーっと気になっちゃってるあたりも(爆爆)。うーん、これは別にギャグでもなんでもないんだけど。うーん、うーん。

女子たちは総じて脱ぎっぷりや見せっぷりがいいので、これは演出手腕もあるだろうと思い、ワクワクする。スクール水着に着替えるだけのシーンで、ぱんつを脱ぐのにお尻の割れ目にズームアップするのには思わず心の中でおおぅ、とのけぞった。
この作品の目的を的確に示しているとはいえ、そして瞬間とはいえ、“見せる”ということにオゴリがない、まさにこれぞ“サービスカット満載”!と、オフィシャルサイトに書いてたんだもん。はあ、なあるほど、その意味が判ったよ。

中学生シーンになったら、更に判った。大体、川の土手が舞台になるとか、金八先生かよ!と思い、何となく年代がバレる感じもし、しかもどーんと転んで大股開きのぱんつ丸見え、って昭和かよ!
しかしその見え方があまりにどーんと見事なので、いやあ……女子最高、とか思ったりして(爆)。
大体、こんなもたっとした生地の藍色スクール水着って、今もあるの?すんごく懐かしいんですけど!!なんか全てにおいて、私ら年代、40前後の萌え萌えを感じて仕方ないんですけど!!

で、まあそのう、治郎の妄想よね。冒頭でもう、妹が友人に貸していたのが戻ってきたという、紙袋にどさっと入れられた少女漫画「ラブ・タイフーン」をカップ麺をすすりながらチラ読みしている。
高校生とおぼしきこの妹との関係は、私は異性のきょうだいがいないもんで判らんのだが、こんなぐあいに思春期はドライなのかもしれん。
風呂上がりの妹とかちあって思わずクローゼットにかくれる兄ちゃんのシーンは、オーソドックスながら思わず笑ってしまう。だって妹ちゃん、しっかりと可憐な乳房を見せてくれるしさ!

こーゆーあたり、凄いと思う。だってこのシーン、別におっぱい見せる必要ないんだもの。
他の妄想シーンは、サービスしてくれればくれるほど嬉しいと思うけど、この妹ちゃんに関しては、ぶすったれたキャラで、実際美少女系でもないし(爆)つまり見せてほしいと要求されるキャラじゃないし(ゴメン!でも女の子は総じて好きよ!!)、だからお風呂上がりという設定をわざわざ作ってのチラ見せには、正直本当にビックリした!!つまり本作は、その点において充分満足させてくれる作品なのであった。確かに!!

少女漫画特有の、なかなか進展しない内容に妄想はつのり、しかも完結を前にして「買ってない。なんかぐちゃぐちゃしてきたから」と妹から言い放たれた治郎は呆然。続きを読みたくて、就寝中の妹を揺り起すまでしたのに(笑)。
夜の街にさまよった治郎が行き着いたのは、漫画喫茶。先に読んでいた女の子にガンつけて、ようやくゲットして開いてみたらまさかの途中番外編。あるある、少女漫画って、こういうの(爆笑!)。

観客思わず噴き出すが、治郎は思いがけずのめり込んで読み進める。しかも、この番外編、中学生篇は、今までの、現実と妄想を行ったり来たりの構成と違って、ずっぱり一篇を描き出す趣なんである。
もっと言ってしまえば、もはや既に治郎の視点、主観すら失われ、ここまでの治郎の妄想世界ではほんのわき役だった、治郎の恋する女の子の友達、それもグループ内のイチ女子でしかなかった子が、彼の幼馴染として現れ、中学生篇を、しっかり、すっくり、ずっぱり、描き切るんである。

なあんか、さ。監督さん、あるいは斎藤氏がかもしれない、この中学生篇をこそ作りたかったんじゃないの、という気がする。
高校生篇までは、まあ普通のセーラー服&学ランなのよ。まあそれも、今の時代には充分コスプレという気はするけれど。
それが“番外編”となった途端に、そりゃちょっとすっころんだらぱんつ丸見えだろ、という、今の時代でだってやり過ぎなぐらいの超ミニ、セーラー服だけどスカーフも何もない、もう脱ぐしかないだろ、てな簡素きわまりない七分丈上衣、こ、コスプレやろー。

んでもって彼女は古色蒼然と言いたいスクール水着に着替え、誰もいない学校のプールで泳ぎ、意味なく水中サービスシーンてんこ盛りで(いや、意味は別の意味で大ありか!)。
そこにあまりにもちょうどよく事情をよく知る同級生がやってきて、“水泳部エースだったけど、ケガでトラウマを抱え、回復しても復帰できない”事情を耳打ちする。
うーわ、うわうわ、これぞ少女漫画やなー!!二浪の彼がそれまで没頭していた、ヒロインとの初デートだの、三角関係だの、彼女の転校だの、そんなものよりもずっとずっと、真の少女漫画よ!

しかも幼馴染で、一緒にお祭りに行っても、「つきあってるなんて、そんなんじゃないですって!」で、花火の喧騒にまぎれて「好き」「え?」「……なんでもない」で、いやあ、これは、今の少女漫画でもあるの?四半世紀前とかじゃないの??(年がばれるがや……)
ホンットに、この中学生のシークエンスでは、現実の彼の世界にぜんっぜん、引き戻されないもんね!いや、演じているのは現実の年齢の彼なんだけれども(爆)。

ぱんつ丸見えにさせた彼女が、セーラー服、浴衣、スクール水着ときて、最後には彼のトラウマを直そうと海に連れだし、制服の下がいきなりビキニ!
「(いきなり脱ぎだして)焦った?」とからかい気味に言う彼女だが、ぱんつ見られて怒ってたのに、ビキニなんてぱんつのようなもんじゃん!いやもっと、エロイデザインだし!!

しかも彼女が彼を連れてきた海がまたさあ、ガンガン車が通る道路に面した、くすんだ色の波がざっぱんざっぱん打ち寄せる、風情がないにもほどがある寒々しい海でさ。
そこでエロラブリーなビキニでキャーとか走り出す彼女がなんかもう、痛々しくて、エセ中学生の彼の葛藤を待たずとも、なんつーか、なんとも言えないのよ。
この海の立地条件でコレをやるなら、ホンットに、シリアスに、迷えるティーンのヒューマン系青春ドラマよ。確かに番外編中学生妄想編からはいきなり入り込んだ感はあれど、だからといってここで着地した訳でもないし、ちょっと厳しいんだよなあ。

妄想の中で、「あなたのガールフレンドは、妹なのよ」と衝撃の発言をした母親が「ごめんなさい、ウソなの。初恋の人の娘。あなたに近づけたくなかったの」とかいう展開こそ、昨今のドロドロ系近親系少女漫画に近いものがあるのかもしれない……。
一応物語にアクセントをつけたとはいえ、これもサービス展開だったなあと思われる部活の先輩との関係(恐らく、筆おろし的なニュアンス)といい、脱ぎやら、ベタキュンやら、現実やら、もう、つまり、どこに焦点をおいていいのか判らない(爆)。
中学生篇を脱し、転校するヒロインを追うシーン、元カレの仲間から拉致されそうになった彼女を救い出す展開は、そーゆーアクションも“映画”としてやりたかっただけのような気も(爆爆)。だって、仁科貴だしねえ!

それにしても、「ラブ・タイフーン」、はなゆめコミックスそのまんまの装丁が気になるわ!あんみつコミックスだけど!
治郎が妹から借りる既刊は紙の感じがかなり古くて、あれは実際の古いコミックスを下地にしているのかしらんと思ったり、漫画ファンとしては色々想像するのが楽しい。

先述したけど、途中番外編が唐突に挟まって、完結はいつだよ?とかキリキリするのもね!それが入試当日で、入荷するまでコンビニに張るシーンは笑った!
まあだから当然三浪だが、奇跡が!「明央大志望なんですか?頑張ってください。(彼女は先に入ったから)待ってますから」奇跡!!
それまで時代錯誤な茶髪だった治郎が、黒髪に戻り、すっきりと刈り込み、なんか若くなって設定年齢にちゃんと見えて、さわやかなラスト。
来年こそ合格!と単語帳をめくる電車の中で、「ラブ・タイフーン2」の新連載広告の中吊りを発見するのには思わず笑っちゃう。どうにも完結しきらない少女漫画の性質をよく表してる!

ヒロインの子は、思わせぶりな目の見開き方や口角の上げ方が、大島優子嬢に似ている……と思うのは、あまりちゃんとあの超アイドルを見ていないから思うのかもしれない……でも本作を見ている間中、どうにもそう思えて仕方なかった。★★☆☆☆


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