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「ま」


2014年鑑賞作品

舞妓はレディ
2014年 135分 日本 カラー
監督:周防正行 脚本:周防正行
撮影:寺田緑郎 音楽:周防義和
出演:上白石萌音 長谷川博己 富司純子 田畑智子 草刈民代 渡辺えり 竹中直人 高嶋政宏 濱田岳 中村久美 岩本多代 高橋長英 草村礼子 岸部一徳 小日向文世 妻夫木聡 松井珠理奈 武藤十夢 大原櫻子 徳井優 田口浩正 彦摩呂 津川雅彦 パンツェッタ・ジローラモ 瀬戸朝香 加瀬亮


2014/9/21/日 劇場(TOHOシネマズ錦糸町)
大がかりな商業映画なら当然、その企画から製作の大変さはある訳だから、プロダクションノートなど読んでしまえばその凄さで、ついつい点が甘くなっちまうこともあるので、なんにつけてもスルーするようにしているんだけれど。
それでも今回、ついつい読んでしまったのはヤハリ、このヒロインのことを知りたい!と思ったからであった。
まあ私は名前もお顔も物覚えが悪いものだから、どっかで散々見ててもお初!と毎回思うようなトコがあるが、それならそれで、彼女がこの大抜擢にどう道筋をたどってきたのかが、知りたかった。

それ位、近年まれにみる、まさに無名からの大抜擢、それも誰もが知る監督さんの新作に!という、スター誕生物語のトキメキがあったから。
そしてこのもじりのタイトル通り、田舎娘からレディへと成長していく(というか、育てられていく)トキメキが、その登場の、見事な田舎娘の風情からカンペキだったから!

東宝シンデレラ出身で、ワキながら大河だの「おおかみこどもの雨と雪」だの「だいじょうぶ3組」だのと、それなりに有名どころで顔見せしているんだから、これが全くのオドロキの大抜擢という訳ではない、やはり現代はそこまでシンデレラストーリーという訳にはいかないかあ、と思いつつも、でもヤハリ、本作での彼女の登場のインパクトを思うと、やはりやはり、マイフェアレディ、いやそれ以上!と思ってしまうんである。

日に焼けたような赤いほっぺに、一度も手入れしたことないに違いない愛しき太眉毛。女の子はホント、眉毛ひとつで一気に変わることを痛感させられる。
そして肌のお手入れもまさしくで、日焼け(雪焼けというイメージかもしれない)ほっぺが、舞妓の修行の屋内生活で雪白肌になり、そしてめでたく舞妓となった暁には当然、虚構の世界の白塗り肌になる訳で、女の子が決定的に変わるアイテム、眉毛と肌の無造作を最初に差し出すのは、基本とは言うものの、さすがなんである。

でも、東宝シンデレラはやはりさすがだよな。いや、そう言いつつ案外打率は低いんだけど(爆)。
でも長澤まさみを輩出しただけで大きく名を上げる東宝シンデレラ、まさみちゃんが合格した時も、えーっ、なんでこんな垢抜けないガキ(ホントにその時はそう思ったんだよ!!)が??と思ったのが、プロの見る目というのはすさまじい、こんな大輪の花になるなんて思っても見なかったんだもの!!

しかし本作のヒロイン、上白石萌音嬢に関して言えば、まだその、垢抜けなさが残る段階での本作への抜擢、それはまさに、磨き上げられていく少女という設定があるからこそ。
実は長年温めてきた企画がここまで実現しなかったのは、「主役の少女を待つためだった」という監督の言葉を、彼自身、都合のいい宣伝文句のようだと言い、まあ確かにそんな気もするけど(爆)、ついついそれにうなずきたくなってしまうのだっ。

でもまあ、よくある文句……「実はウン年前から」「あのヒット作の時には既に構想が」「心にずっと引っかかりながらも実現せず」というのには、映画ファンとしてはついつい、うーむと思ったりしてしまう。
監督の心に引っかかりながら、別の映画を作っていて、そんなことも知らずに、映画ファンは現時点で製作された映画に心を注ぐしかないという、何か片思いの切なさのような、恋愛のウラギリのような気持ちについついなってしまう。

まあ、そんなことを言ってしまっては仕方ないんだけれども(爆)。だからプロダクションノートを見るなっての(爆爆)。
でも、企画当初からイメージキャストだったという富司純子、そう考えると、20年前ならもっとドンピシャリの年恰好だったかもなどと思ってしまったりもする(爆)。
いや、年取り過ぎだという訳じゃないが(爆爆)、彼女の娘で、この花街唯一の舞妓である百春=田畑智子が三十路手前であることを考えると、実際の富司純子のお子たちの年齢、それに見合う彼女の年齢……ウム、やはり20年前の監督のイメージキャスト、それが正しかったかなと(爆)。

まあ、そうは言っても、じゃあこの女将役に彼女以上に適任の女優がいるのかと言われれば、なかなかに難しく……やはりこれだけの和服女優のキャリアと、なんてったって梨園の妻のキャリアは伊達ではないもんなあ。
富司純子、舞妓映画と言うとふと深作作品の「おもちゃ」なんぞを思い出すのだが、あの作品でも富司純子は女将であった。

もう15年も前だから、まさに周防監督がイメージしていた頃の富司純子であり、その役柄だったんだよなと考えると、そしてあの女将の役柄を考えると、あの頃の富司純子で本作を作っていたら、当然、違うものになっていたような気がする。
だって、当時ならまだまだ(爆)彼女に色っぽい設定も用意されていたんだもの。

そう思うと、それを替わりに担っているのは、監督の奥さん、芸妓の里春姐さんとして、そしてこの夢のミュージカル映画をけん引するダンサーとして貫録を見せつける、草刈民代氏であるのかもしれん、と思う。
百春は早く芸妓になりたいのに、この花街のただ一人の舞妓だから、なかなかなれない。三十路手前にもなって舞妓でいることが恥ずかしいと思ってる。
京都かぶれのイタリア人(ジローラモ(笑))からも、こんな年くってて舞妓の筈がない、と言われてしまう。こういう制度というか文化を、舞妓をアイドルとして見ている、おじさんに夢を見せてくれるアイドル、と定義するのは、なるほど、こんなところに日本のアイドル文化の根幹があったのか、と感心したりするんである。

つまり、逆に言えば芸妓こそが大人のイイ女。アイドル文化の需要側である男たちに反して、供給側の女が渇望しているのは芸妓なんであるというのを、案外さらりと示しているのかもしれない、と思う。
実際、草刈民代はとてもカッコ良く、長年彼女に言いよってきている風情の高嶋政伸との掛け合いミュージカルシーンなんて、さすがの迫力!
日本舞踊姿からふすまを開け放つと突然、シカゴもかくやというキラキララメからおみ足スラーリ、見事に開脚、なダンスは、まさにまさに、彼女のためにダンナが用意したようなモンだもの!!

うーむ、なんかぐるぐる回ってなかなか本題に行けない、いつものパターン(爆)。大体、濱田岳君の台詞に言及しといて、彼が師事する教授、大メインのキャストを言い出さないなんてッ。
長谷川博己が周防作品に登場するのは、かなり嬉しいかもしれないッ。もともと舞台、ミュージカル畑の彼が、映画作品でいつかそれを発揮する日が来るであろうとは思ったが、周防作品とはなんと嬉しいこと!

山出しの少女が舞妓になることに賭ける、その成長に力を貸す、つまりマイフェアレディにおけるヒギンズ教授の役回りだけど、なんたって舞妓だから、彼が力を貸す部分はほんの一部、その訛りの矯正の部分だけ。
むしろ春子が悩まされるのは言葉以外の部分……そもそも正座すら出来ないところから始まるんだから、日舞やら唄やら、全てのおけいこが本当に大変!
正直見ている限りでは、訛りの矯正がそこまで根本的に彼女を悩ませるというほどには感じられない……かもしれない……。

確かに展開的には、そのプレッシャーで声さえ出なくなるんだし、確かに確かに、アイデンティティの根本のところではあるんだけど、習う相手の教授はいつも優しいし、何より春子はこの教授に恋しちゃっているんだもの。いつも授業は楽しそうなんだもの。
ミュージカルシーンもこの教授がらみの部分が圧倒的に多いしさ……。他の稽古や日々の流れが厳しいだけに、そこらへんの気持のバランスを感じ取るのが難しいんだよなあ。

そう、訛りの矯正。山出しの少女……てのは実は、その出自にヒミツがあって、それがいかにも映画的なヒミツなんだけど、まあそれは後述ということで。
なんと鹿児島弁と津軽弁のミックス!津軽弁だけならヒアリングの自信があったが(ヒアリングだけで喋れないけどっ)、鹿児島弁ミックスとなると、キビシイッ。
ところでこの設定、そもそもは津軽弁オンリーの筈が、ヒロイン抜擢の萌音嬢の出自を生かしたんだという。くっそー、津軽弁負けたっ。いや、鹿児島弁オンリーになった訳じゃないからドローかっ。

いやいや、そーゆー問題じゃない……てか、いくら半分はネイティブでも、ミックス弁はかなり大変に違いない!
言語学者である教授が、彼女の言葉にワクワクしちゃって、そして京都弁を教え込む先生となる。彼自身がヨソモノとしてこの京都でちょっくら肩身の狭い思いをしていて、という、よく耳にする京都あるあるがあったりして、観客の興味をそそる。

そう、京都といえばちょいと排他的なイメージ……ことに花街、お茶屋遊び、一見さんお断り、なんつーことになるとね、余計によ。
オリンピック決定から殊更に叫ばれだした“おもてなし”が、実は基本のところは、こんな具合に結構条件厳しいんデス、てなことを、世界に配信しちゃうのかもしれない??

そうだよ、だって世界の周防作品だもの!!当然、世界マーケティングに乗せられてるだろうが、本作の最大のテーマでありミステリーとも言いたい、言葉のニュアンスはどうクリアしているんだろう?音の感覚だけで伝わるんだろうか……と勝手に不安になってしまったり。
言語学者のセンセは、最先端機器を駆使して、京ことばの柔らかさをパソコンに取り込んだ音声認識のギザギザで示してみたりする訳。

日本人ならさ、京ことばが他の言葉と比べての柔らかさは判るんだけれど、と思いつつ、でも津軽弁、鹿児島弁、そして基準?ていう訳じゃないけど東京ことばが一つの軸となると、こ、これは難しいよな……と思っちゃう。
個人的に津軽弁びいきだから余計に、京ことばが柔らかで、それ以外は一様に処理される感じになるのは、ちょっとヤだなあ、と思っちゃうからさ……。

でもまあ、基本、ファンタジーだから!あまり細かいことを言うのはそれこそ興ざめなんだろうし!
監督自身、最初は彼の得意とする、専門世界をリアルに表現することを目指したのが、その奥の深さからいい意味でのファンタジー転換になったというし!
そもそもの起点となった、舞妓さん不足から、京都の生まれ育ちにこだわらずに全国から募集というニュースが、このマイフェアレディの物語を作り上げた訳で。実際に、こういうバイトさん舞妓もあるのかなあ、ありそうな気がする。どうなんだろう。

劇中語られる、京都、舞妓さん、芸妓さんの歴史からすれば、それがこのファンタジーのための話ではなく(ではない、と思うんだけど)、真実の話だとすれば、京都ネイティブこそが舞妓さん、ではない訳で。
貧しい生活で娘を売ったりなんだりの、先の物語。時代モノではよく聞く話で。

純粋な春子を心配して、教授の助手の西野君は「伝統だの文化だのって言うけど、結局はお酒の相手をする水商売だよ。僕は好きじゃないし、君には似合わない」と言う訳で。
そのあたりはホント、なんともアンビバレンツでさ、先述したけど、お酒の酌をしてくれる、おじさんにとってのアイドルなのよね。しかも、ふところの豊かなおじさんに限定されるという哀しさ。

なんだかまとまらなくなってきた(爆)。やはりこれだけは記しておかなきゃ大事なこと。
舞妓さん、芸妓さんたちを支える男衆、演じる竹中直人のアヤしさギリギリのチャーミングな粋さ!
そう、アヤしさギリギリ(笑)。大きなわっかのカギをジャラジャラ言わせて、女たちに信頼されていることをアピール。アヤしい(笑)。
でも、彼が言う、宣言する、誓う、舞妓さんになったら、お世話します、芸妓さんになっても、ずっとお世話しますよ、という、こんな幼いおぼこ少女に対する誓いが、グッとくるの!

そして竹中直人、ベテラン芸妓役で渡辺えり、このカップリングとくれば「Shall we ダンス?」!エンディングのおばけ(花街のイベント)シーンでは、まんまの二人で映画ファン感涙!
セルフパロディというより、ここまでくればセルフオマージュ、そんなことが出来る監督はなかなかいませんぜよ!

春子が見事舞妓さんになってからは当然、それまでの苦労が実って、ボロなんて見せないんだけど、舞妓さんになっていく過程……姐さん、男衆たちの手によって鮮やかに変身していく過程で、彼女が春子ではなく小春になり、春子の部分を完全に捨て去ったように、失ったように見せて、なにがしかの寂しさを感じる、のも、計算のうちなのかなあ。
勿論もう訛りもなく京ことば完璧、舞も完璧で、こんな田舎娘が舞妓になんてなれないと言っていた常連客の舌を巻かせる。
もちろんもちろん、彼女の努力と周囲のあたたかく厳しい指導のたまものなんだけど、このかすかな寂しさはなんだろう……。舞妓になるって、つまりこういうこと、ってことなのかな。

それを和らげるようなワンエピソードはある。最後まで彼女は教授への恋心を失わない。
途中、声が出なくなった彼女を元気づけるために、僕も鹿児島出身だと、鹿児島弁で語りかけたセンセ、それがウソだったことを知ってさえ、である。
そんなセンセに対して、また声が出なくなった!という芝居を打って、「騙されはった」とほほ笑む小春は可愛いけれど、やっぱりもう、プロの手練の片りんであるし、その後、「それでもセンセが好き!」とミュージカルの中で言ったとしても、春子の部分を残していたとしても、やっぱりやっぱり、もう、舞妓の小春、なんだよね……。
ここのところが、「マイ・フェア・レディ」に似ていても決定的に違う部分で、プロフェッショナルで、ちょっと寂しいけれど、だからこその、「舞妓はレディ」なんだろう、ね。

そういやー、女将の昔の恋物語、つまぶっきーが相手の映画スター、カキワリがノスタルジックに演出するファンタジーで素敵だった……なんてあたりも書ききれなかった(爆)。
ちょっとね、尺も私的には長かった(爆爆)。監督の20年分の思い入れ分なのかなあ。★★★☆☆


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