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「お」


2012年鑑賞作品

黄金を抱いて翔べ
2012年 129分 日本 カラー
監督:井筒和幸 脚本:吉田康弘 井筒和幸
撮影:木村信也 音楽:平沢敦士
出演:妻夫木聡 浅野忠信 桐谷健太 溝端淳平 チャンミン 西田敏行 中村ゆり 青木崇高 田口トモロヲ 鶴見辰吾


2012/11/15/木 劇場(TOHOシネマズ錦糸町)
井筒監督の念願の映画化ということよりも、売れっ子作家、高村薫のデビュー作の映画化ということよりも、ノンストップクライムアクションということよりも、気になってしまうのは「悪人」以来妙にシリアス路線をひた走っているぶっきー君のあり様。あ、いや、途中の作品観てないからか(爆)。
まあともかく、うーん、彼はそのチャーミングな端正さこそが魅力なのになあと思い、本作の中では終始仏頂面(クールな無表情というよりは……)の彼にだんだんと疲れてくる。

うーん、だってさ、その中に緩急がまるでないんだもん。シリアス一辺倒の中にもちょっとしたユーモラスがほしいワなどと思うのは、これが井筒作品だからそんな期待をしちゃうのだろうか??
もちろんそのあたりは桐谷君あたりに任されているのだろうと思いつつ、桐谷君もそれを出し切れてるとはなかなか言えないしな……まあ仕方ないのかもしれない。話が話であり、今まではオリジナルにこだわってきた井筒監督が珍しく挑んだ、それもホレ込んで挑んだ原作モノなのだから、そうそうぶっ壊しも出来まいし。

でも、あの有名な高村薫の、それもデビュー作となったら、相当昔の作品になるだろうし(調べる気がないあたり……(爆))、そうなると当たり前に携帯もない、という時点からかなり作品世界は変わってくると思うのだが、そのあたりは井筒監督が改変したのかなあ?
だって、北朝鮮の情勢や日本との関係だって相当変わった、よね?んー、でも、かの国は時間が止まっていて、今も昔もこんな感じ、なのかなあ。そうかもしれない……。

とか言いつつ、私恐らく、いや多分、いやいや確実に、どんな話か判ってないよな(爆)。ものすっごく平たく言っちゃえば、男たちが大銀行の地下に眠る金の延べ棒を強奪する話なのだが、そして後半はまさしくそのドキドキで見せるのだが、中盤はかなりフクザツに、それぞれの過去や組織がらみでグチャグチャするんだもの。
んでもってその間にバンバン人が死んじゃう。チームを組んだ6人とその周辺の家族やらのうち、死んだり怪我して姿を消したのは一体何人?
最終的に計画が実行される段になると、たった三人、しかも一人は銃で撃たれて大怪我してるし(あ、それがブッキーね)。

で、そう、黄金を強奪する話、なんていうそれだけ単純に聞くと、まるでハリウッド映画かルパン三世か、なんて明るいエンタメを予感してワクワクしちゃう。
実際、この計画のリーダーである、浅野忠信扮する北川兄は、007とゴルゴ13は欠かさずチェックしてるけど、これはなんていう銃だ?なんて、北のスパイのモモ君に無邪気に聞き、オレはでっかく楽しくやると決めてんだ、と、まさしくルパン三世のノリで計画をノリノリで進める。ルパンみたくは出来ないから、なんてお気楽な台詞もまざってくるあたり、半ばそれもやりたいんじゃないかと思っちゃう。

ハリウッド映画なら、それこそオーシャンズなんたらあたりなら、無邪気にやっちゃいそうである。でも日本人はマジメだから(爆)、そのあたりのリアリティはマジメに追究しちゃう。
それがゆえに、どんどん日本的になり、北朝鮮であり、実の兄を殺しであり、まぶたの父であり、その父の懺悔の首吊り自殺であり、なんてことになっちゃうんである。

メッチャ日本的……西田敏行が実はぶっきーの父親で、最後に全てを悔いて首を吊るオチ的なクライマックスで、思わずいろんな意味がこもったため息が出ちゃったよ。
多かれ少なかれ、こういうオチって、日本映画でよく見るよなあ、と。黄金強奪なんて浮かれた設定でも、結局はこうなっちゃうのって日本だなあ、と。

で、またしても思いっきりオチバレ……どころか、ワケの判らないままそうなっちゃってるけど(爆)。
だからね、私は恐らく、絶対、確実に、中盤の展開、組織のカラミ等々は判ってないのよ。北のスパイとか、公安とか、二重スパイとか、過激派の部品調達とか、もう全然ダメ、ホント苦手。男の子が好きそうな世界とか言い訳して、逃げちゃう(爆)。
そういやあ、桐谷君扮するエンジニアの野田が、彼はそういう意味では一般ピープルで、ちょっとこんなアホな私の感覚に近い気もする。

ちょっとした偶然の出会いで北川兄に引き入れられたんだけど、彼がぶっきー扮する幸田に言う台詞が印象的なのね。
「あんたはやっぱり、違う世界に住む人間だ」ちょっと言い回し違ったかもしれないけど(汗)、まあそんなようなことを、言う訳さ。
で、ぶっきーはあの仏頂面を通す。なんかやたら、ずーっと汗ばんでテラテラして(爆)。あの感じも、何かね、男くささを演出してるのかなあ。若干うっとうしかったけど……。

まあそんなことはどうでもいいんだけど。で、ね、そう、なんか脱線しまくりだが、前半と後半は、だから結構単純にワクワクしたんだよな。
北川兄が無邪気にブチあげる、まさにルパン三世みたいなぶっ飛んだ計画。変電所を“甲子園一杯分”の爆弾で(勿論冗談)ぶっ飛ばして大阪の街を混乱させるという、思わずワクワクしちゃうような計画だった。
で、それが実行される後半、つまりクライマックスには確かにハラハラドキドキさせて楽しいんだけど、中盤がね……。それはここまで私がメチャクチャ言い訳してきたことなワケだけど(爆)。過去だの、北だの、二重スパイだの、イヌだの、公安だの、あー、ワケ判らんっ。偶然計画を聞いてしまったがゆえに仲間に引き入れることになる、ギャンブル依存症の北川弟の存在が、一番ワケ判らん。

てか、彼の存在は実にベタにチームの結束を乱す、つまりはガキのトラブルメイカーなんだけど、彼が入り浸る賭博場、そこをしきるチンピラは、見た目以上にあちこちとコネがあるのか、実力があるのか、単にしつこいのか、彼らと執拗に関わり、北川兄の愛妻と愛息をぶっ殺し(しかも、ご丁寧なことに、愛妻のお腹には新しい命も宿っていた)、事態をごちゃごちゃとかき回す。
この中盤は、いろんなごちゃごちゃが次々に起こるもんで、ていうワケだからでもないのかもしれんが、シーンごと、シークエンスごとのフェイドアウトが多く、かなり説明的な雰囲気で、“ノンストップアクション”のハラハラの気分からは若干遠のくような。しかも私、理解不能状態だし(爆)。

西田敏行演じる、“じいちゃん”がね、相談役というスタンスで、かつてエレベーター技術者だったから銀行のそれにも通じていて、大きな力になるんだけどさ、モモを公安に売っちゃうワケ。
それがね、なんでなのかもイマイチ判らないし(まあ単純にカネだったのか、単純に聞かれたから答えたのか、ってのも、ヘンか)、それが発覚してチームは危機に瀕しまくるのに、ちょこっと警告しただけで、その後もじいちゃんをチームに迎えたままなのが、アタマの悪い私にはよく判らない……。
えー、だって、ウラギリモノじゃん。これ以降だって裏切る可能性おおいにあるのになんで??これじゃまるで、ラスト、実は幸田のまぶたの父親だったというオチのためにとっといてたように思えちゃうのは、やはり私の頭が悪いのかなあ……。

愛妻と愛息を殺されて、獣のように吠えた北川兄がしかし落ち着くと、「ひとりに戻ってみるとせいせいするから不思議なもんだな」なんて台詞を吐く。仲間に気を使わせないためと判っていても、なんとなく気持が遠のいてしまう。浅野忠信は、そうした含みを込めるタイプの人じゃないから余計に(爆)。
彼の妻の中村ゆりに濡れ場があると耳にして思わず期待したが(爆)、パンツ脱いでバックで突っ込む数秒だけだった。うーむ、お尻も見えてないのにあれが濡れ場なんだろーか。それならおっぱい出してくれた方が、キスシーン一発の方がよっぽど……って、私、サイアク(爆)。

台詞の面白さは、あるんだよね。それはヤハリ井筒監督だなあとは思う。それともこれは原作ならではなのかな。
北朝鮮のスパイ稼業から足を洗ったがゆえに追われる立場になったモモに「脱藩したんだろ」という北川兄に幸田が「……坂本龍馬かよ」なんて返す場面など、思わず微笑んでしまう。
原作が発表された当時とは比べ物にならないぐらい日韓の文化交流が進んでいる今、モモを演じるチャンミンを、それこそ今なら最後のクライマックスまで絡める展開にしそうなもんだよな、などと思う。

正直、モモが途中で死んでしまうのは、その死に方もやけにロマンティックだったので、えーっ、と思ってしまった。
幸田のまぶたの父が神父をしていた、そして幸田が幼い頃火をつけた教会。モモの追っ手との銃撃戦で傷を負った二人、モモが日本を出る前に食べたいと言っていたバッテラを二人でほお張りながら朝を迎えたら、モモが冷たくなっていた、という……。
二人傷を負ってから、ここまで逃げてくる時点で実はかなり見ているとムリを感じて、二人ブルブル震えるのもずーっと続いて、うーん、芝居もタイヘンそうだなどと思っちゃうのがツラい(爆)。

んでもって、この後ぶっきー君は更にずーっと、ずーっとその芝居を続けなきゃいけない訳でさ。弾はとったが骨が損傷しているという状態、モモからもらったモルヒネが助けているものの、つらそうな芝居を続けつつ、結構力作業もやらざるをえない描写が続くと、見てるこっちが、その芝居の方にツラくなってくるんだよね。うめき声もバリエーション必要だよね、とか(爆)。

この計画が実際に実行されるまでに、地図を元にいろんなシュミレーションしたり、作業服にエンジニアのロゴをミシンで縫いつけたり、そんなこまこましたことが、なんか、楽しかったんだよね。緊迫はしてたけど、それこそ北川兄が言うように、大きく楽しく、言っちゃえば、文化祭みたいな、さ。
だから、本作が実際楽しかったのは、前半、計画を練っている時まで、だったのかもしれないなあ。男の子が考える、お祭り。
後半、数々の難関を突破して、爆破しまくって、本当に金の延べ棒にたどりついた時、瀕死の幸田に北川兄が、こんなんじゃ終わらねえぞ。次はピラミッドか、ルーブルのピカソか、なんて、まんざら冗談じゃない口調で言う。この時、一気に前半の文化祭的お祭りの楽しさに戻った。
いや、北川兄は、演じる浅野忠信は、そのスタンスがずっと変わってなかったように思う。多分、ただ一人だけ。彼が言いだしっぺで、リーダーだったんだもの。

兄、兄とばかり言っていたけど、ギャンブル依存症の弟は今をときめく溝端淳平君。愛妻と愛息を亡くした時より、弟の重傷に接した時の方が取り乱しているように見える北川兄が、女としてはなんとなく哀しい。うーむ、結局妻は他人なのか(爆)。あんな台詞も言ってたし(爆爆)。<p> でまあ、なんだっけ。そう、こんなんじゃ終わらねえぞと言ったって、幸田は死んじゃう訳だしねぇ。死んじゃうのかよ……と正直、思った。一体何人殺してんだよ、と。
最後の最後、幸田=ぶっきー君が首吊りした父親を、いや何より、聖書に挟まれた彼の幼い頃の、両親に挟まれた写真を目にして慟哭した時、ああ、これぞぶっきー君よと思わずホッとしたんである。くしゃっと泣かなきゃぶっきーではないさあ。

しかしちょっと浪花節過ぎねぇかとはさすがに思ったけど……首吊り死体のワキに置かれた、聖書の間に挟まれた家族写真て。火サス並に判りやす過ぎ。
“じいちゃん”がずっと自分の罪を悔いていたのは同情するけれど、あんないかにも、こういう事情だから判ってくれよ、みたいに“証拠”をおいとくなんて、客観的に考えたら一気に冷めちゃう。
サムライなら判んない様にしといてよ。それを突き止めるのは、偶然か、執拗な調査によってかにしてほしい。あんなあざといやり方で泣くなよ、ぶっきー君。

しかもアンタの死に方もつまんないじゃないの。せっかくお宝を手にしたのに、瀕死の身体でムリして屋上から曲芸めいて墜落してさ、もっと慎重にすれば、助かったのに。生きてこそ、命あってのモノダネよ。
北川兄が、なぜか昼日中に、しかも海とかじゃなくて川だかお堀みたいなところに毛布にくるめた死体を沈めて終わり。ひと目につくよなあ……しかも、死体って、そのままだと腐敗したらガスが発生して浮いてくるよね……とてもそんな処理をしているようには見えなかったが(爆)。

幸田が北川兄の紹介で短い間勤めた職場の、事務の女性二人が私的にはツボだった。
一見冷ややかで無表情なんだけど、彼にかかってくる電話に「タラバの押し売り?年末になると来るのよね」なんて気にしたり、皮をむいた焼き芋くれたり、彼が辞める時になると、控えめにだけど哀しそうにして、ちょっと早いクリスマスプレゼントなんていって可愛いギフトバッグに入れた手袋をくれたり。
ちょっと、判るんだよなあ。私も佐藤仁美嬢ぐらいな感じだからさ。興味を持ちすぎるとメイワクかなと思いながらも、若い男の子は可愛く、しかも、何か事情を抱えてそうだと余計に気になってしまう、この感じ。判る判るー。報われない母性本能(爆)。★★★☆☆


王様とボク
2012年 84分 日本 カラー
監督:前田哲 脚本:やまだないと 前田哲
撮影:板倉陽子 音楽:吉岡聖治
出演:菅田将暉 松坂桃李 相葉裕樹 二階堂ふみ 中河内雅貴 松田美由紀 村田駿介 上田瑠星 青木勁都 二宮慶多 藤田健心 菅家有都

2012/9/25/火 劇場(シネマート新宿)
凄く惹かれる題材だったんだけど、うーん、なんだろう、なんだかなあ、個人的にはしっくり来ない。原作者やまだないとの高名はよく耳にする、かなり前になるけど映画化作品「フレンチドレッシング」は……でもあれは、私記憶から消してたな、このサイトをやる前に観てて、メモを探したらクサしまくってた(爆)。まあ作品も違えば監督も違うんだし関係ないけど、でもひょっとしたらそんな相性もあるのかも?

いやでも本作は、題材、設定自体は凄く惹かれたのだ。6歳のまま眠り続けて、心は子供、身体は青年。いや、その身体は年齢にしては少年から青年の間のような華奢さは、眠り続けていたからか、なんてあたりも萌えるしさ。これがもっともっと眠り続けて、身体がオジサンになってたらミもフタもない……などと言ってはいけない(爆)。
まあともかく、少年の心に更に純粋無垢な子供の心が宿る、だなんて、オトメが大好きなパターンだし、実際、少女マンガの設定としてこれほどのものはない。

そういやあ手塚治虫は「ガラスの脳」で眠り続ける少女を描いていたが、私、映画化版でしか見てないけど、まるでその眠り続けた時間を短縮して駆け抜けるかのように、中身がどんどん成長していく、というフィクションのマジックを見事に使っていた。
でもリアルな話としては、こういう事態が本当にあり得るならば(今の医療技術なら、充分にあり得る話)、そんな上手く行く訳もなく、心が子供のまま、成長した身体をもてあます、訳なんだよな。
そのもどかしさ、幼い頃の友達、一緒に遊んでいたモリオだけがそんな悲劇にあってしまった友達間、家族間の気まずさ、色々、魅力的な要素が満載なのに。しかも脚本に原作者のやまだないと氏自身が参加しているとくりゃあ、これ以上理想的なこともない筈なのに。

多分にファンタジックな雰囲気、特にクライマックスからラストにかけては、ファンタジックどころか夢の中の出来事のような雰囲気になるのは若干の唐突感だが、それも“今の時代に合わせて”の原作者の意向なんだろうか??
原作は1992年、何気に20年も前なんだね。1990年代が20年も前だということ自体に動揺を隠し切れないが(爆)、その時にはヴィヴィッドに感じられたことが、現代ではそうじゃないかもしれない、という恐れがあったんだろうか……そんなことないのに。

まあ全般的にしっくりこない感はあったんだけど(爆。あくまで個人的にね)、クライマックスからラストの妙に“映画的”なファンタジックが特にそれを感じさせたんだよなあ。
12年を経た友情、しかも罪悪感を伴ってのそれは、充分現代にだって通じるべきリアルにヒリヒリするものじゃないのかしらん、と思う。
モリオに誠実に相対しようとするミキヒコは無論判るが、仲良し三人組のもう一人だったトモナリが、ダンマリ、ボンヤリのままなのは解せない。

いや、判るよ、トモナリは何も判らないまま目覚めてしまったモリオや、純粋にトモダチ、ユウジョウを信じてモリオに突っ走るミキヒコに、そんなカンタンにいくかよ、という気持ちを抱いているんだろうと思う。そんなトモナリの気持ちの方が、世間的な汚れた大人には共感しやすいよ。
でもトモナリに関しては演出も、役者の芝居も(爆)、かなりのほったらかし感……。決して演じる彼がヘタな訳じゃないと思うんだけど、後半、いきなり、何キッカケ?てな感じでトイレの中でこっそり泣き出されても、困っちゃうんだよなあ。

なんか思いつくままにつらつら言いすぎ?ちょっと整理しないと……。まあ、何気に書いてるけど、そう、12年経って突然目覚めた幼稚園時代の友人、モリオ。物語の冒頭は、残り二人のうちの一人のミキヒコが、もう一人のトモナリの家でバースデーパーティーを開いてもらっている平和な場面から始まる。
ていうか、その翌朝で、ミキヒコはカノジョと屋上に敷いたお布団の中でイチャイチャしている。つまり18歳のお誕生日と共にお互い結ばれた、てな感じ。
キャー!とも思ったが、後にちょいと気まずくなった彼らの会話を聞いてみると「したかったんだよ、ホントに。でも……」なんて。だから出来てなかったのではないかと思うが、オフィシャルサイトの解説では、結ばれた、と書いてるんだよね、んん??

そんなところにこだわるのは俗物??でもここって重要だよね。だってまだ成人じゃないけど、もう高校は卒業して、大人と言ってもいい年齢。そんな時に心は6歳のモリオが目覚めるんだもの。
ミキヒコは無邪気に喜び、恋人のキエもキャー!!と喜ぶ。トモナリは無表情を崩さず、トモナリママは大人の戸惑いを見せる。
トモナリママは、何かみんなのママって感じ。いや、そんなおふくろさんって感じじゃなくて、皆のトモダチ、恋人。松田美由紀が可愛くって、こういう感じ、ピッタリだなと思う。若くてピチピチ二階堂ふみ嬢よりもチャーミングでキュートなんだもん。

うう、ふみ嬢はとても可愛いと思うし、とても素敵な女の子だと思うんだけど……キャラ的にダメなの、こういう感じ。キエ、と自分を呼ぶ時点でどんなに可愛くてもドン引きだし、やーだー、キエも友達だもーん、キエ、知ってるもーん、みたいな(いや、ニュアンスがね。そういう台詞があった訳じゃないけど(爆))の、耐えられないの、私(爆)。
うう、このキャラはどんな可愛い子がどんなキュートにやっても難しいと思うぞお。原作からそうだったのかもしれんが、それこそ20年経ったんならもちょっと考えてほしい(爆)。

それこそこのキエもそうだし、ミキヒコもそうなんだけど、家族構成、家族問題が見えてこないのも物足りなさの一つだったように思う。
本作が、モリオの不幸な事故によって、彼の家族は崩壊してしまい、12年後の奇跡の目覚めがニュースになるぐらいだったのに、モリオのそばに家族はおらず、ママに会いたい、おうちに帰りたいと泣きじゃくるモリオがあまりにも哀れなのだ。
先述したような、少年〜青年の身体に子供の心という萌えもありつつ、でもやっぱり大事なトコはそこなんじゃないの、と思うからさ……。

ミキヒコの両親は離婚したらしい、それは目覚めたモリオに会いに行って、なんたってニュースになっているような患者だから叶わず、騒ぎになっちゃって、連絡される先がウチだと面倒だからと、ミキヒコはトモナリママに来てもらったのね。
んでもってキエもさ、ミキヒコがバイトしている店を経営しているお兄ちゃんは出てくるけどなんか微妙で……と思うのは単にかんぐりすぎだろうか?
とにかく、これが子供の物語である以上に家族の事情が切ない物語であるにしては、それを自身で抱えているからこそモリオにシンクロして会いに行くミキヒコ、なのに、なんかバックでぐずぐずとアイマイに言われても……と思ってしまう。

本作の客寄せパンダ……いやいや(汗)、有名どころとして観客を引っ張ってくるのは、ミキヒコを演じる桃李君で、エキセントリックな役どころのモリオよりも、彼の方が難しい役どころであるように思う。
大事な友達には違いないけど、自分は大人になってしまって、会話もかみ合わない。いや、モリオの方は変わらず人懐こくトモダチしてくれるけれど……みたいな。

施設に移されたモリオは、地元の小学生三人組とトモダチになる。それこそ、かつての彼らみたいな仲良しさんたちだが、かつての彼らが幼稚園生であり、小学校の校庭に忍び込んでブランコに乗りつつ、友達100人作る、いや、200人、300人!大人になったら好きな女の子にチューできるのかなあ、なんて言い合ってたことを考えれば、この小学生たちは6歳のモリオにとってはかなりセンパイの感覚だと思うのだが……。

モリオの役は、いわずもがなの難しさ、なんだよね。これは、それこそマンガの中でなら、オトメが単純にキューンときちゃう。この子を抱きしめて、守ってあげたい!と思う。
でも実際の俳優が演じるとなると……当然、だが、実際の役者の中身は6歳の子供じゃない訳で、それを演じようとすると、これはどんだけ芝居上手くても、やっぱり難しいよ。
これを言っちゃうと差別的に聞こえそうでヤなんだけど、……知的障害みたいに見えちゃうんだもん。ゴメン、ゴメンね、つまりそれだけどちらにしても純粋ということなんだけど、でもさ、でもさでもさ……。

友達を守ることが人間として大切なことだとミキヒコは考え抜いた末に決断して、せっかく合格して通っていた大学を辞めてしまう。キエは一度はそれに怒り、てことはキエともお別れなの?と傷ついた顔で言う(この言い方がだからさ……“キエとも”“お別れ”だよ??耐えられん……)。
でもミキヒコの心のうちを知るとキャー!と抱きつき、そんなバカなミキヒコがだから好きなんだよ!!と、こりゃー、彼の方にお別れする気持ちがあったとしても、ムダそうである。つーか、この時、ミキヒコはキエからそう言われて「……ゴメン」と言った訳だし、つまり別れたかったのでは(爆)。

しかしさあ、ミキヒコが、いくらモリオを気にしていたとしたって、なんでそれで大学を辞める必要があるのか、説得力のある理由が今ひとつないというか……。
だって彼を養うためのバイトなら大学行きながらだって出来るし、大学出といた方が、それこそモリオを守るという決意を貫くためには絶対に必要じゃん……うう、私、つまんないオバチャンになってる??
でもね、こういう猪突猛進な純粋さが愛しいものとして通用するのは、ギリギリ15、6歳ぐらいまでだよ。大学に入ってるってことは、それがコレから先の人生に有用だと思ったからでしょ。
学問にまい進したいと思ってるなら、「ほとんど行ってなかったし」なんてことにはならない筈だしさ。なんかね、そういう細かいところで、ちょこちょこと気になっちゃうのよ。オバチャン臭いんだけどさあ……。

結局、ミキヒコはモリオと一緒に住んで、彼を守るなんてことは出来ないままに終わる。ていうか、なんかそう、先述したように、クライマックス(ていうのも微妙な雰囲気である)あたりから、実際の感覚を避けたような展開になる。
そもそもこのタイトル、大きくなったら王様になるんだ、と友達になった小学生三人組に宣言して、日本には王様なんてないよ、と笑われたモリオは、意味も判らず高らかに笑った。
ミキヒコが19歳のバースデーを迎えたモリオを救い出そうとする、その無邪気なパーティーの様子は、もはやミキヒコの幻想だったと思うんだけど、金紙で作った王冠を頂いて無邪気に笑うモリオは幸せそうな“王様”そのものだった。

王様、即座に思い浮かぶ“裸の王様”そういうことじゃないんだろうか、それは言いすぎだろうか。現実に生きていけなくて、周りは腫れ物に触れるようで、それは友達として救い出そうとしているミキヒコですら、きっとそうなのだ。
そうなることが判っていたから、トモナリはそんな無邪気に手を出せなかったんじゃないの、なんてことをムリクリ思うほどの描写がある訳じゃ、ないんだけど。

ミキヒコの運転する大型バイクの後ろに乗って、はしゃいでいたモリオ。オートバイというのも絶妙で、お酒は成人しなきゃ飲めないけど、バイクは16でとれる。車だって18でとれる。モリオもミキヒコもトモナリも、まだ、まだ、まだまだ……コドモ、なんだよね。
物語の始まりは、彼らは高校生だった。ミキヒコは予備校に通ってて、トモナリは、なんだろ、なんか勉強する気もない感じでプラプラしてるのも判んなかったけど、え?引きこもりって、訳じゃないよね??この辺もねー、なんかわかりづらい。私がバカなだけなのかな(爆)。
とにかく、彼らはまだまだ大人じゃないのだ。確かにモリオの中身は6歳だけど、身体も、ずっと眠ったきりのせいかミキヒコたちより華奢だけど、でも、彼らとの違いって、一体、なんなの??

ラスト、どこともしれぬ深い闇のトンネルの中で、横倒しになったバイクのそばに倒れていたミキヒコ、キエからの携帯の呼び出しで目覚める。「どこにいるんだろう……」。
ミキヒコの幻想の中で、にぎやかなパーティーの中、王様のようにふるまっていたモリオは、実際は人知れず一人、19歳になり、せっかく友達になった小学生三人組に「最近、出てこないよな、アイツ(ミキヒコ)が来てからだぜ、アイツのせいだぜ」と心配されているのに、ただ一人、孤独に一人。
夜もふけて、深くふけて、とん、と裸足でいつものように外に転がりだし、その闇の道を、どことも知れず、歩いていく。

これはね、やっぱり難しいよ。一見、ふわりと甘く、ちょっと苦い、てな物語だけど、それだけに難しい。100パーセント厳しい物語の方が、まだストイックに追い詰められるもの。
それぞれのキャラに相当の芝居力が必要だと思う。桃李君は今をときめく子だし、それぞれヘタという訳じゃないけど、でも、難しいよ……。
マンガってさ、超絶理想的な世界を実現できるから。画がある分、小説よりも、役者にとって困難だと思う。原作は未読だけど……原作ファンはどうだろ、どう思うんだろ。 ★★★☆☆


おおかみこどもの雨と雪
2012年 117分 日本 カラー
監督:細田守 脚本:奥寺佐渡子 細田守
撮影:音楽:高木正勝
声の出演:宮崎あおい 大沢たかお 黒木華雪 西井幸人 大野百花 加部亜門 林原めぐみ 中村正細川大木民夫 片岡富枝 平岡拓真草平 染谷将太 谷村美月 麻生久美子 菅原文太

2012/8/7/火 劇場(有楽町 有楽座)
号泣。ラストクレジットでぐすぐす泣き続け。私は独女なのに、それでも女ならうっすら母性はあると信じたい(爆)。だからきっと、本当にお母さんな女性たちは、もっともっとズドンと感じるに違いない。
ああでも、監督さんが言うとおり、花は普通の女性、いや、普通の女の子。母親になった経験などない、普通の女の子。それは、さずかるこどもがおおかみこどもだからこそ、余計にそう。
知識もなければ、周りに助けを求められないという点で、彼女は確かにこどもたちにとってお母さんでありながらも、ずっとお母さん未満、普通の女の子であり続けるのだ。
だからこそ、私のような独女にもズシンとくるし、監督の抜擢したあおいちゃんの声がピタリとはまるのだ。

そして最後に、中学生の制服姿の雪の隣に収まるスーツ姿の花の笑顔に、そこまでずっとモノローグで物語を進行してきた娘の花に応えて「この12年間は、まるで御伽噺のようだった」というその台詞とその写真に、すとんと母親になった彼女を見たような気がした。
子供たちが独立して、もう誰もいなくなった、がらんとした、相当がらんとした家の中で、静かに暮らす彼女は、ようやくすとんと、母親になった、気がした。

だってきっと、花は、こどもたちの父親であるおおかみおとこの彼のこと、死んだ後もずっとずっと、恋し続けていたに違いないんだもの。
おおかみおとこ、彼、としか、言われてなかったっけ?画の中には遺影がわりの免許証も映し出されるし、名前を呼んでいた様な思いもしたが、違ったのか。

おおかみと人間が交わった最後の末裔。いや、花が彼の子供を産んだのだから、その最後は引き伸ばされた。
彼は人間として生きていくことを選び、だからこそ免許証という、実にはっきりとした人間の証明だって残していたのに、最後はおおかみおとこ、いや、狼として死んでいった。
つまり人間としての彼は、この世から忽然と消えてしまったのだ。それを知っているのは花と子供たち二人だけ。

ディズニーの「美女と野獣」、野獣の姿に閉じ込められていた彼が人間の姿に戻るんだけど、あの時女子同士で言い合っていたのが、野獣の時の方がカッコ良かったよねーっ、ということなんであった。
本作のおおかみおとこの彼は、人間の姿もかげのある雰囲気で充分カッコいいんだけど、やはり彼の本領(なんて言い方はおかしいだろうか?)はおおかみおとこなんであり。

だからこそ、劇中人間としての名前も与えられないんであり、そして、やっぱりやっぱり、おおかみおとこ、狼の姿、狼の造形が、たまらなく素敵だったから、ゾクゾクしたから。
その姿のまま、花と抱き合い画面下に見切れていく、まあそのう、つまり、そういう場面も、冷静に考えれば、結構スゴい展開と思うんだけど、女子的に、ちょっとヤラれた感じなんだもん。
いやいや、どういう願望アリなの(爆)。でもそれこそ、「美女と野獣」の時のあの感慨と、ちょっと共通するものがあるかもしれないなあ。

あのね、この映画の製作情報が流れた時、あおいちゃんとおおかみおとこ役の大沢たかおのアフレコが公開されたからね、私はてっきり、この二人が主人公、メインで物語が展開されるんだとばっかり、思ってたの。
よく考えてみりゃー、タイトルからしてこどもたちが主人公であるぐらい見当がつくのにさ。でももしそこに見当がついていたとしても、彼が死ぬなんてこと、予想だにしてなかったのだ。

つまり、私はスッカリ、おおかみおとことの恋物語だと思っていた訳、ハズかしながら(爆)。でも全て終わってから思えば、それもまた間違ってなかったような気がする。当たらずとも遠からずというか。

クライマックス、息子の雨を追ってさまよう花が見る、夢のような幻想のような、お花畑の中。ずっと見守り続けてきたよ、というおおかみおとこの胸に顔をうずめる花。
お母さんとして二人の子供を懸命に育ててきても、やっぱりずっとずっと、彼に恋する気持ちのままだったことを、ここでも示してる気がして。

そう、死ぬなんて、思いもしなかった。それまでも狩猟本能の片鱗を見せていたのは、あくまで、つわりに苦しむ花のためにキジや南下を獲ってくるためだと思っていたけれど、ひょっとしたら違ったのかもしれない。
おおかみと人間の交じり合った彼は、どちらかを選択しなければいけなかった訳だけど、ひょっとして、ひょっとしたら、彼はその選択を、誤ったのかもしれない。
そんなことを思うのは哀しすぎる。だってそうでなければ花と出会わなかったし、雪も雨も生まれなかった。だけど……。

そう、タイトルが、弟の雨の方が先なんだよね。それがどうしてかなあと思っていたんだけど、最初はひ弱で甘えんぼだった雨が、どんどん、どんどん、お父さんに似てくる見事な描写で、そういうことか、と思った。
そして雨は、お父さんは選択しなかった、狼として生きる方を選んだ訳で、それは、何か、お父さんの、本当に選ぶべきだった道を継いだような気もして。
だから、雨の名前が先に来るし、お父さんだし、花の恋する、名前も与えられず、人間にはなれなかったおおかみおとことの、運命の恋物語、なのだ。

だってさ、私、そう、言ったけど、まさか、おおかみおとこが死ぬと、思ってなかった。
あるどしゃぶりの日、帰ってこない彼を心配して、乳飲み子の二人を抱えて飛び出した花が目にしたのは、用水路の中に目を見開いて息絶えている狼の姿の彼。
つわりに苦しむ花に滋養をつけさせようと、キジを仕留めた時と同じように、彼の身体には鳥の羽がいっぱいくっついていた。
もう引上げ作業が行われていて、恐ろしく大きな“死骸”の彼は、清掃員によって、清掃車のあの、ローラーの鉄の中にガシャンと入れられた。

私、私、この場面があまりにもショックで。その後花が、自分ひとりでこどもたちを育てていく決心をして奮闘していく訳だけど、かなりしばらくの間、あの画がこびりついて、なかなか物語に戻って来れなかった。
あの見開いた、狼の、獣の目、死んだ、目。引き上げられる時、すっかり脱力して巨大に伸びきった四肢、無造作にゴミ収集車のローラーの中に消えていく、彼の身体の入ったゴミ袋……ショックでショックで、しばらく物語に帰って来れなかった。

その間、可愛い盛りに育った二人の子供は、しかしまだおおかみに変身するコントロールが出来てなくて。
子供のおおかみの造形なんてさ、子供っていうだけで、そしてアニメの子供っていうだけで、もうキャピキャピだし、おおかみ、つまり子供の動物なんて、キャピキャピの二乗じゃん。
あのショックな場面が頭にこびりついている間、そんな、いかにもアニメチックなこどもたちをぼんやりと眺めていた。
でもそれは、ひょっとしたら、それもまた、ひょっとしたら、計算だったのかもしれない。

おおかみこどもだから、ウッカリ健診も受けさせられない。乾燥剤を食べてしまって嘔吐した時、「小児科?動物病院?」と二股に分かれた道で真剣に悩む場面なんか、よく考えりゃちょっとクスリとさせられもするんだけど、彼女の真剣さにつられて真剣に見てしまう。
健診なども受けてない、夜中に遠吠えはする、ついには虐待を疑われて、花はこどもたちを連れて、人里離れたところに引っ越すことを決意する。つまり、人の目の届かないところでひっそりと暮らそう、と。

そこからこそが、本作のメインなんだけど、随分ここまで割いちゃったな(爆)。つまり、私にとっての思い入れがココだったということなのかもしれないけれども……。
でもね、むしろ、その“人里離れたところ”でこそ花が、そしてこどもたちも、人との交流を深めていくというのが、まあいかにも道徳的ではあるのかもしれないけど、本作の重要な部分でさ。

田舎の暮らしに憧れてやって来るようなリタイア組は、その不便さに早々にネをあげて帰ってしまう。そんな例をいくつも見てきたから最初、土地の人たちは冷ややかである。すぐに、コンビニもカラオケもないと文句言って帰ってしまうよ、と。
でも花にとっては、ここが最後の砦。廃屋同然の大きな一軒家を必死に修理し、自給自足しようと畑を耕しだす。
しかし作物は枯れ、病気にかかり、一向に実らない。花は人を避けて暮らしているから、移動図書館の本で調べるしかない、と思っていたんだけれど。

花に農業を伝授する、いかにもガンコなひねくれ老人って感じの韮崎、声を当てる菅原文太がピッタリすぎる。
とりあえず外用のアイソの良さは用意している花とは、見た目的には対照的なんだけど、実はかなりソックリな気質があるような気がする。
あまり人との付き合いが上手じゃない。でもその人の良さは周囲の認めるところである。こうと決めたら突き進む。悪く言えばガンコだが、良く言えば根気強い。
韮崎老人が半ばイジメのように、ほとんどスパルタのように指導する畑作りに、花がくらいついていくシーンは、その何よりの象徴である。

そしてそして、何より本作が素晴らしいのは、雨と雪が成長していく過程が、見事に描かれていること、なんだよね。
まあそれなりに、ありがちな手法も使われてるさ。こんな田舎の小学校、恐らく学年一クラス、横並びの学年ごとのクラスを、横移動するたびに、彼らが成長していく。
小学校に行きたい、絶対におおかみの姿にならないから、と自ら道を切り開いたお姉ちゃんは、色々苦労しながらも、友達を作り、活発に学校に溶け込んでいく。

しかし弟の雨は、友達が出来る様子もなく、いじめられ、いじめっこをお姉ちゃんがぶっ飛ばし、そして次第に弟は来なくなり……という描写を、そのベタな手法ながら、鮮やかに、最短の尺で見せる。
こういう部分にムダに入れ込んじゃってどっぷり描くような映画を最近見てウンザリしたんで(爆)、やあっぱ、こういうトコに上手さが出るよなあ、と思う。
そう、もうこの時点で二人が、人間を選ぶのか、おおかみを選ぶのかは、決定したようなモンだった。

それでも、大きなキッカケはある。だってそれまではお姉ちゃんのほうが活発だったし、野生動物を捕まえるのももっぱらお姉ちゃんの雪の方。弟はトカゲが張り付いているだけで、ブルブル震えていたくらいなんだから。
でもある日、狩りに失敗して冷たい冬の川に落っこちて流され、危うく死にかけてから、彼は変わった。彼にとっては失敗ではなく、成功しかけた、という感触だった。

それまでめそめそと泣いていた彼は、どこか遠くを見つめる透徹したまなざしを持ち、学校の勉強よりも、この大自然に興味を示した。のは、花が自然科学員の仕事を始めたことがもうひとつのキッカケだった。
そこに保護されていた年老いたおおかみに、雨は強く惹き付けられた。野生の経験のない、外国の動物園から流れてきた老おおかみに、寂しそうだと、お父さんはこんな風じゃなかった?と問うた。全然違ったと花から聞かされ、良かった、と心底安堵したように言った。

日本のアニメはジブリを筆頭に里村の描写はオハコだし、そのリアルな穏やかさの中にファンタジーを入れ込むのも同様にオハコだけど、本作の設定も確かにファンタジーなんだけど、雨がどんどんその中に吸い込まれていく、母親の花の手から、観客の手からも離れていくのが、凄くセンシティブなスリリングで、ファンタジーなどと切り捨てられないものを感じる。
あれえ?お姉ちゃんと弟、等分の筈だし、尺も等分なのに、なんでだろう。なんか弟にウエイトを感じるのは、それはやっぱりやっぱり、先述したけど、雨がどんどんお父さんに似てくるからだと、思うのね。

お父さんであるおおかみおとこは、仕事の合間に大学の講義にモグリで入って勉強するような人だった。その向学心、知識欲が彼を人間として生きる選択に向かわせたのかと思ったんだけど、でもどうだろう……。
そういう部分も雨はお父さんに似てると思うのね、学校をサボッて、お母さんの職場の自然科学館に入り浸り、後には森の中に“先生”と慕う、森の主の老キツネに教えを請う。

お父さんであるおおかみおとこも、本当のところは、同じだったんじゃないかという気がする。その一途な心を、人間を選択する方向に振り向けてしまっただけで。だから雨は、やっぱり、お父さん、なのだ。
雨が、たった10歳で、森の中で生きることを選択する場面は、お母さんの花にとってはツラ過ぎる。彼女の言うように、人間としての10歳はまだまだ子供で、でも彼の目はもうすっかり、大人の男……ではなく、大人のおおかみ、なんだもの。

……すっかり弟君の方に気持ちが行ってしまったけれども、雪もまた、どれもこれもハズせないエピソードばかりである。
ていうか、彼女はお姉ちゃんだから、弟に先んじて全てを切り開いていく。彼女を見てると、私自身のお姉ちゃんを見ている気がする。その強さが。
彼女の無邪気さ、奔放さ、押さえのきかなさ、つまり子供らしい全ての要素が、人里はなれてひっそりと暮らしていこうと思っていた花の計画を打ち砕いたし、それがまさに、雪の人生を切り開いていくことになる。

あのね、私、正直、韮崎のおじいちゃんには、本当のことを言うのかな、と思っていたのね。ていうか、いっそのこと?この村の人たち、少なくとも作物のやり取りをしたり、生活のあれこれを心配してくれたり、「この辺は若い母親がいないから」と自然と結束力が固まるママ友たちには、本当のことを言うのかな、と思った。
そう思ってしまうこと自体が、この設定に対する認識の甘さ、つまりは童話的なファンタジーだとどこかで思っている甘さだということに、結果的に気づかされることになるんだけれど。

そう、結果的に、雪の秘密に気づく、そして雪も彼にだけはと告白するのは、たった一人。転校生というシチュエイションが胸キュン過ぎる男の子、草平である。
鼻がきくのか、雪に「犬飼ってない?ヘンだな、ケモノ臭いんだけど」と言われてショックを受けた雪は、ゴシゴシせっけんで手を洗い、そして草平のそばに近づけない。
この最初のエピソードで私、こんなに鼻がきく彼もまた、おおかみおとこの血筋とかかしらん、と胸ときめかせたが、それこそマンガチックな妄想であった(爆)。
雪は草平を避け続け、彼はそれに納得できずに雪を追いかけ、追い詰められた雪はついに、禁断の、おおかみの姿を現してしまう。そして、草平にケガさせてしまう。

草平の母親はいかにもバリバリキャリアウーマンといった感じで登場、モンスターペアレントよろしく花と雪を糾弾するんだけど、草平はぽつりと言ったのだ。ケガさせたのはおおかみだと。
終始黙りこくったままの雪が、母親の車に乗り込んだ途端、小学校の6年間、頑張って隠し続けてきた秘密を、お母さんとの約束を破ってしまったことに、ぼろぼろ涙をこぼして謝るシーンがね……。
彼女が、それまで全然外の世界と接してなくて、つまりおおかみこどもとしての彼女が、同級生たちとのギャップにどんなに苦労してきたか見てきたから、彼女の切なさ悔しさもどかしさ、不安、恐ろしさ、いろんな思いがどわーっと伝わってきてさ、女の子だから、同じ女の子(の時もあったのよ、私もね!)だから、すんごい、ズキューンときちゃってさあ!

草平君は実に出来た男の子でね、つまり彼はあの時、全てを判ってた訳。花はそれをうすうす感じていたから、あれ以来学校を休んでいる雪を気にかけて、学校通信やら給食のコッペパンとみかんやら届けてくれる(うっわ、キューン!こんなん、今でもやってるの!)彼を好意的に迎える。
あの時彼が言っていた「おおかみにやられた」という台詞の真意を確かめ、彼の真意も推測し、この子なら大丈夫と、花は思った、んだろうなあ。

その直感はどこから来るのか、女のカンなのか、母親のカンなのか。草平が花の立場と同じ、というのとはちょっと違うように思う。確かに雪と草平はお互い憎からず思っている雰囲気はあるけど、でも雪の方がそれは殊更な気もする。
草平はね、雪の秘密を知っても、胸のうちにしまっておける、つまり男気のある男、という立ち位置であり、彼らはまだ小学生ということもあるし、それ以上の関係にはいかない気がするんだよなあ。まあ、それは判らないけど……。
ここで重要なのは、理解してくれる人を得ることであり、だから私、花が、少なくとも韮崎のおじいちゃんにはホントのことを言うのかなと思ったのが、それでさ。

でも、雪が草平にそれを告白するシーンは、めちゃくちゃセンシティブで、死にそうにときめいた。
シチュエイションもいい。暴風雨で授業が中断、体育館に集められた児童たちは、親からの迎えを待っている。来ないのは、再婚してお腹に子供がいて、「俺、いらないんだって」と草平が言う彼の母親と、雨の突然の巣立ちに狼狽して追いかけていった花だけ。
「このまま、迎えに来なかったら、このまま、学校に住んで、どうやって生きていくのかなあ」「食べ物は給食室の残り、中学生だってウソついて、新聞配達でもすればいいよ」
明日になれば普通に学校が始まるし、先生も友達たちも来るのに、そんなことさえ思いつかないかのように交わす、可愛らしいと言い切るには切なすぎる二人の会話。

皆が知ってて草平にはナイショにしている、なんて前提の、彼の母親の再婚話が広まってることぐらい、草平はちゃんと知ってて、雪にだけはそのことを話してくれる。
雪はそれを受けて、ずっと本当のことを話さなきゃいけないと思ってた……と、暴風雨に揺れるカーテンに、おおかみの血筋の姿を見え隠れさせるんである。

男の子の雨も勿論そうなんだけど、ヤハリ、同じ女として、雪が無邪気な幼女から、少女になり、大人手前の女の子に変化していく様は、本当に素晴らしく、見てて息苦しくなるぐらい。
本当にきれいになるし、しっとりとなるし、その中に説明の出来ない感情がギュッと詰まってる。
揺れるカーテンにおおかみの血筋、人間のままの姿、が交互に現われるのは、まあ言っちゃえば上手すぎる手法だけど、この時のしっとりと“女”な雪、それを受け止める、まだまだ男の子だけど、しっかり男気のある草平、ああ、こんなぐっとくる青春シーン、なかなか見れないよ!

草平は雪の秘密を気づいてたし、誰にも言わない、とまっすぐに瞳を据えて言ってくれた。雪は真珠のような涙をぽろぽろこぼして、ありがとう、と言った。なんて、なんて、美しい場面。
理解者、なんだよね。恋人である必要は必ずしもない。なんて設定に、若い頃の私はえーと思った「ターン」なんて映画を思い出し、今ならそれが判る気がした。
恋人である必要もなければ、近所のコミュニティだのなんだのという必要さえない。
もっとずっと、遠く過去の記憶を思い出した。子供の頃夢中になって読んだ、児童文学の巨匠、佐藤さとるのコロボックルシリーズ、人間ではない、でも人間の要素を持っている存在への理解と言ったら、まさに本作と同じ。

その最初は、理解者の二人が男女で、後に夫婦となるトキメキがあったけど、その後はごくごく幼い子供であったりもしたし、ホント、関係ないんだよね。
相当にうがって思えば、全てのことに対して。どんなに幼くても、理解者になることは出来るし、それは学校の勉強とかは、関係ないと。

雪と雨が、学校に行くことにこだわって殺し合いかってなぐらいの取っ組み合いに発展したり、そもそも、彼ら姉弟のお父さんであるおおかみおとこが学問にいそしんでいたことを思うと、なんか、なんとも言えないというか、私らが高等教育と思って受けているものってナンなのとか。……こんな夏休み娯楽映画に、クソマジメなこと言っちゃ、ダメ??

ああ、でも。でもなんだか、なんともはや、泣けちゃったんだよなあ。一面の雪原の中、家族三人すさまじいスピードでゴロンゴロン転がって、ヒヤヒヤするぐらいで。
で、最終的に、皆して大口開けてアハハと笑う。あの、奥歯の先まで見える開けっぴろげな笑顔も、日本アニメーションの伝統だよなあ、と、思う。実際、日本人がそこまでの笑顔をするのやら(爆)なんて。 ★★★★★


おとなのけんか / Carnage
2011年 79分 フランス=ドイツ=ポーランド カラー
監督:ロマン・ポランスキー 脚本:ヤスミナ・レザ/ロマン・ポランスキー
撮影:パヴェル・エデルマン 音楽:アレクサンドル・デスプラ
出演:ジョディ・フォスター/ケイト・ウィンスレット/クリストフ・ヴァルツ/ジョン・C・ライリー

2012/2/20/月 劇場(日比谷シャンテ・シネ)
正直、時間つぶしのような感じで入ったんで、外国映画自体、観るの久しぶりだなあ、なんだけど、うー、あちゃー、これって選択間違ったかも(汗)。
ていうか、ポランスキー監督だからと思って……。ポランスキー監督は一時めっちゃ見ててさ、確かにしばらく彼の作品から離れてはいたけど、新作が撮られているのかどうかさえチェックしてない有様だったけど……。
ええ?ポランスキー監督、いつの間にこんなん!?みたいな。情念の個性派監督だったじゃん、こんな舞台劇みたいなの撮る人だっけ??と。

と、思ったら、やっぱり舞台劇なんだね。脚本も、ポランスキーも関わってはいるけれど、ベースはやはりそれを使っているみたいだし。どうりで彼のカラーじゃないなと思った(いや、今は変わっているのかもしれんが……)。
会話劇、でタイトルどおり大人のけんかであり、二組の夫婦がそれぞれの子供同士のけんかに首を突っ込んできて、なんかそれぞれ冷静を欠いて興奮してくると、夫婦同士の不満が爆発してきて……みたいな感じなので、筋というものはない。
会話がどんどんエスカレートしていく面白さ(というか怖さ)にあって、こういうのが一番残して置きづらいんだよな(汗)。
だって、怒涛のように展開する会話のディテールはとても覚えてらんないじゃん(爆)。見てる時は脚本の上手さを感じるもするけど、書き残すのは、難しい。まさに芝居を見ている感慨は残るんだけど。

ていうか、ていうか……うう、頭にこびりつくのはケイト・ウィンスレットの噴水ゲロ(!)と、ジョディ・フォスターのキンキンにヒステリックな恐ろしさ。もうその二つがほとんどトラウマのように襲いかかり、み、見なきゃ良かったかも……と思うほど。
結構劇場内は笑い声が上がってたんだけど、噴水ゲロはともかく(?)、ジョディ・フォスターのマジ怖さで、私はなんか、笑うどころじゃなかった。
その場内の笑いは、彼女の潔癖さを時に笑いのめすものでもあったんだけど、笑えないよう、そんなんしたら、本当にこのヒステリックに殺されそうだもん。

ジョディ・フォスターはね、けんかした子供の、暴力を振るわれた方、歯が二本折れて、一本は神経も損傷しているかもしれない、とことさらに言い募る母親なのね。
彼女は、というか四人ともども最初は冷静を装って、なごやかに、にこやかに、平和的解決をしましょうという雰囲気で、まあ、そんなのあっという間に壊れるだろうことはアリアリに判るんだけどね。
ジョディ・フォスターが特にこの雰囲気、つまり、被害を受けたのはこちらだけれども、寛大にあなたたちをお迎えして、手作りのお菓子にエスプレッソまで出しておもてなししてますのよ、みたいな感じでさ、もうその後、大爆発するのが判るのは、ジョディ・フォスターの噴火前の静けさがあるから、なんだよね。

でね、私、ジョディ・フォスターを久しぶりに見たせいかもしれんけど、こんなにヒステリックだったかなと思って……。
いや、昔からこういうストイックな雰囲気はある人だったし、この理詰めの母親、最初から相手を許す気なんてない母親のキャラはピタリといえばピタリなんだけど、コワすぎるよ……。
言ってしまえば彼女、マジに演りすぎなんだもん。こんなこと言っちゃうとミもフタもないけど、コメディなんだからさ。

シニカルでも笑わせることが基本にある場合、その役を本気でリアリスティックにやることは、ここでは失敗につながるような気がしてしょうがない。
もうね、なんたってジョディ・フォスターだからさ、オスカー級のマジさなんだもん。彼女がね、平凡すぎて毛嫌いしている夫から、ジェーン・フォンダを継ぐ女だとか揶揄される場面、リアルにジョディ・フォスターって感じでうえっと思ってしまった。

まあ正直、ジェーン・フォンダのことはよく知らんが(爆)、男は、正しすぎる世の中を良くしようとする女(だいぶ言い回し違うとは思うけど)は好きじゃない、好きなのは官能的な女だ、と夫が言うのはまさにむべなるかな、なんだよね。
青筋と首筋たてまくって、「あなたがスーダンの悲劇を知ったらそんな風に言えないわよ!」みたいに、ピリピリの状態で泣き出すジョディ・フォスターは、彼女自身のような気がして、鉄の女のヒステリーって感じがして、気が滅入っちゃう。
ジョディ・フォスターだって、やわらかい役をやれば可愛い人なのに。
てか、ここでは、いくらキッツイ役でも、コメディと言うことを鑑みて、もうちょっと抜く芝居をしてほしかった。コワいんだもん、ホントに。

まあ、そんなことは私の勝手な言い草なのだろうな。確かにジョディ・フォスターは上手かったのだし……。
でもそういう意味では、そこんところをきちんと理解して演っていたんじゃないかと思われるのは、暴力をふるった側の子供の母親であるケイト・ウィンスレットである。
ジョディの夫の言う官能的な女がまさにピタリと来るのが彼女で。
確かに彼女も子供のことをクソミソに言われ、それに対して夫は真剣じゃないし、次第に激昂を抑えられなくなってくるんだけど、噴水ゲロ(!)なんて本作の最大のユーモアだし、スコッチで酔っぱらう様も色っぽくてキュートで、ジョディ・フォスターのキリキリに比してなんかホッとしちゃう、のよね。

ここでそれぞれの夫婦の職業なんぞしるしておこうか。ジョディ・フォスター扮するペネロペは、作家と夫から紹介されているけれど、アフリカの歴史に関する共著をちょっと出している程度らしい。
アフリカの悲劇には人一倍思いがあって、夫から悲劇が好きなだけだろうとか言われると、先述のように青筋立てて激昂するんである。

ペネロペの夫は金物屋さん、なのかな?会話から察するに、言葉の残酷さで相手夫婦を追い詰めるような知的なイヤミさを持つ妻と違って、よく言えばおおらか、悪く言えば大雑把で無神経。
なぜこの二人が夫婦になったのか不思議なほど。その軋轢も後々大いに噴火するんである。

ケイト・ウィンスレット扮するナンシーは投資ブローカー。夫は弁護士で世間的に有名な花形の訴訟を抱え、この話し合いの最中もひっきりなしに携帯にかかってくる。
悪びれもせず携帯に出まくり、お菓子を食べながらふがっとブタっ鼻を鳴らして笑ったりするもんだから、ムカつく男ではあるけれど、彼もまたコメディに対する立ち位置がきちんと見えているように思う。
ペネロペの夫も母親からひっきりなしに家電にかかってくるのにいちいち対応するシーンが後半多発するので、外部との接触を断ち切れない男のアホさという可笑しみがなんとなく共通してきて、笑えるものがある。
うーん、やっぱりジョディ一人がおいてかれている、ていうか、彼女一人がマジになりきりで浮いちゃってる感じがどうしても私は、したかなあ。

で、そう、噴水ゲロの話。見るからにそのままゲロのような、実においしくなさそうな手作りコブラー(お菓子の名前らしい)が原因。
最初こそ着地点を求めて話し合っているつもりが、特にペネロペの側がそんなつもりがさらさらないことが次第に明らかになってくると、まあ暴力をふるった方、怪我を負わせた子供の方が分が悪いこともあり、ナンシーの方は次第に追い詰められちゃう。
夫はあんまり真剣に考えてないみたいなんだけど。なんたって携帯出まくりだし。

で、ナンシー、次第に気分が悪くなっちゃって、ペネロペがこともあろうに、コーラを飲んだら落ち着くわよ、とか勧めちゃうの。
バ、バカ!逆だよ!ああ、このとき私は、噴水ゲロを確信してしまったの。
そんな場面があることも知らんかったけど、つい最近、「名作ホスピタル」でしょこたんが、炭酸を飲むとすっきりするかもと思ったと、同様の経験を語ってたからさあ!ああ、あれだ、噴水ゲロだ!と。

ほ、本当に噴水なんだもん。あれ、口の中に含んで吐き出したにしては、やけに上手く噴水になったな、って感心するところじゃないし!
ペネロペが自慢げにテーブルに並べていた画集たちがゲロまみれ。この画集に関しても、「学校で足りないところは補っているの。ギャラリーに連れて行ったり。文化こそ平和だと思うの」なあんて、まー、お上品なお母様っぷりを発揮なされてさ。
でも画集がゲロまみれになればもう鬼のようにギャーよ。まあ当然とも言えるけど、でも「もう絶版なのよ!ああ、フジタまで……」この場合、フジタと言われてもいつものようには日本人としてあまり嬉しくない……。

しっかし凄いゲロだったよなあ……あまりに凄いゲロだったんで、もうこの場面が最後の最後まで頭から離れなくてさ。
だってペネロペはゲロまみれになっても画集をあきらめきれずに、夫がコロンをかけてドライヤーで乾かせば、とか言うと、それなら早くやって!とせかしまくり。
ヤダよう、ゲロがかかった本にコロンをかけて乾かして、そしてとっとくのなんて……。

まあもうゲロの話はやめとこう。うう、でも結構このゲロは最後まで引っ張るのよ。
夫たちがスコッチを持ち出すと、彼女たちも飲みだして、ナンシーはいつ噴射してもいいように、今度はバケツを抱えながら飲んでるんだもん。おいおいおいおいー。

夫たちはね、結構、途中仲良さげになったりもするのよ。
ペネロペの夫がうっかり言いかけたように、男の子なんて子供の頃はけんかしてナンボ、俺もあいつをボコボコにしたもんだよなー、なんて言いかけて、キッと奥さんから睨まれる。それはナンシーの夫も同様である。

神経がどうこうというのはアレだとしても、歯が二本折れてしまったというのが母親の闘争心?に火をつけたんだろうが、それにしてもたかが子供のけんかである。
そういやあ、「まるで子供のけんかじゃないか」という言い方が、つまらないことで言い合いをしたりすることを指すことを思えば、彼らはある意味進化した子供のけんか、それが「おとなのけんか」という日本タイトルにしてみたのは確かに秀逸かもとも思われる。

でもさ、これが男の子同士ではなくて女の子同士だったら、きっとペネロペ、いやナンシーにしたってこんなに火がつかなかったよね。
あ、そうか、その場合はきっと、父親同士の方が火がつくんだな。でもそれだと、こんな風に映画になるほどのいやみや駆け引きや、ついには夫婦間の問題まで持ち出す“舌戦”にはならないに違いない。
ていうか、それより前に、女の子同士なら、その子供同士のけんかが、単純な暴力沙汰(という言い方もヘンだが)にはならず、この大人たち顔負けの陰湿なものになるような気もする?ああヤだ(爆)。

ペネロペはナンシーの息子のことを、武装して襲っただの犯罪者だの、にこやかな話し合いの段階からやけにイヤな言葉を持ち出すもんだから、ナンシーのみならずペネロペの夫までやめとけよ、とたしなめるぐらいなんである。
ちょっとしたライターということもあろうな、言葉で追い詰めるというのが、彼女のプライドなのかもしれない。
ここんところがまさに、「おとなのけんか」の大人たるゆえんなのかもしれないな。
難しい言葉を武器にするというのは確かに子供には出来ないけど、逆に子供っぽい発想のような気もしてしまう。

過熱して、矛先が自分たち夫への不満にまで発展する妻たちにうんざりし、子供の頃の武勇伝やスコッチや葉巻で、それこそ少年のように盛り上がる夫たち。
ペネロペの夫のお母さんからの電話に、ナンシーの夫が出てみたりなんて場面も。まあそれは、ナンシーの夫が副作用を糾弾されている新薬企業の弁護士をつとめていて、その薬をこのお母さんが飲んでいる、なんていうくだりがあるからなのだが。

でもね、けんつく一方の女たちも一瞬ね、共感を分かち合う場面もあるのよ。
それは携帯を離さない夫に以前からのイライラが募りに募って、酒の力もあいまって、ナンシーは夫の携帯を取り上げ、チューリップを生けた花瓶にドボンと落としちゃう!
イエーイ!と快哉をあげるのがペネロペ。男ってホントにおもちゃが好きよね、それをとりあげられるとホラあのとおり。何も持たない男の方が素敵だわよとか、そんなことを言って勝ち誇って。
確かに携帯をとりあげられた途端、迷子のように体育座りのナンシーの夫、か、かわいそ過ぎる。
同情したペネロペの夫が、かいがいしくドライヤーで乾かしてみたり、メモリーを取り出そうとしてみたり。「今日はドライヤーが活躍するな……」ホントに(笑)。

もう最後の方になるとさ、酔えない、酔えないとペネロペは青筋立てながら泣き続け、私ひとりがまともな人間なのに、惨めな気分にさせられて!とか言い出すもんだから、ナンシーももうチューリップを蹴散らかしてキレまくる。
ていうか、アンタ自身が言うように、なんでここまでここにい続けるの、ってそれを言っちまったら舞台劇にはならんが(爆)。
でもね、観客は、いや誰もが思ってる、こんなおとなの、親のけんかなんて何にもならんと。特に当事者である子供がそう思ってると。

いやね、このこどものけんかがね、単なる暴力の問題じゃなくてね、チクるとか、グループの問題とか、子供社会にも付きまとう大人のイヤな部分も絡んでくるから、うちの息子をチクリ屋扱いしないで!とか、だったらそっちはなんでウチの息子の名前を出したのよ!とかもう、ドロドロなの。
大体反省はしてるのか、無理やり謝りに来させても無意味だとか、子供に責任能力はあるのかないのかとか、またしてもそういう小難しい言葉を引っ張り出すもんだからイライラ度も高まるしさ。

でも、そう……誰もが思っているように、子供同士のけんかは、それが親たちにとってどんなにわが子が不利に見えて理不尽でと思っても、子供同士で解決するしかなくて。
それが、おとなたちが決裂したラストシーンがブラックアウトすると、ラストクレジットに重なる形で、フツーに話をしている少年二人はおそらく、この当事者たち、だよね?

で、その二人のカットに入る前に印象深くアップになるのは、ペネロペの夫に捨てられた筈のハムスター。
そうそう、娘が可愛がっていたハムスターをうるさいから、嫌いだから、とあっさり捨てたことをにこやかに話すペネロペ夫妻にナンシーがドン引きしたところから始まっているからさ。
つまり、こどもの気持ちを本当に考えてなんかいない、こどものために繰り広げているこのけんかは、つまり大人のプライドを守るためだけのことだと、いうことなのかもしれない。
てか、ハムスターを捨てるエピソードはほんと、ナイよね。ナンシーじゃなくたって、観客全員ドン引きだもの。同等に語られている筈のこの四人だけど、この冒頭でどうしたってナンシー側に気持ちがついてしまう、よなあ。

あー、しっかししっかし、ジョディ・フォスター、マジ怖すぎる。なんか心配になっちゃうよ。ケイト・ウィンスレットが肉感的な分、やせぎすなのも怖いしさあ……。 ★★☆☆☆


女真剣師 色仕掛け乱れ指
2011年 分 日本 カラー
監督:田中康文 脚本:田中康文
撮影:飯岡聖英 音楽:
出演:管野しずか 佐々木基子 山口真里 池島ゆたか なかみつせいじ 牧村耕次 那波隆史

2012/5/13/日 劇場(銀座シネパトス/第24回ピンク大賞)
2011年度ピンクベストテン第二位作品。今回の上映作品の中で、私的には一番好きだったかもしれない。
それというのも、力の入ったベスト作品、過去の記念碑的傑作が目白押しの上映で、最後から二番目のこのあたりになるとかなり疲労度が高く、ここで押されたらもうばったり行ってしまいそうなところに、救われた、なんてこともあったかも。

いや勿論、なんたって二位作品なんだから、本作の傑作度だってハンパない訳なんだが、作家の思いがずっしり伝わってくる他作品と違って、プロフェッショナルなこれぞプログラムピクチュア、軽やかなエンタテインメント。
いや、軽やかと言ってしまったら、こんなにキリリと渋く重厚に演じている役者たちにそぐわないんだけど、なんと言ったらいいのか、この壮快さ、痛快さ、スタイリッシュなカッコ良さ!
あー、なんかホント、藤純子の女博徒モノとかさ、そんなことまで思い出しちゃったなあ。

将棋の世界、真剣師と呼ばれる、プロではなく裏の世界で博打としての将棋を打つ棋士たち。この真剣師という存在はエンタメ系時代小説とかでちょくちょく見かけたりもし、なんだかワクワクとする。
ヒロインが孤児で、凄腕の棋士に育てられてワザを叩き込まれたなんていうのも、いかにもそれっぽいし、「最初はスキンシップだと思った」という師匠のお触り、そのせいで彼女が長考に入るとエクスタシーを感じ始めてしまい、妄想の中で絶頂に達する、なんていう設定も、ピンクならではと言えばそれまでだけど、お色気路線の軽いB級エンタメならありそうな気もする。

しかし本作の凄いところは、そのピンクならでは、B級エンタメならありそうってことを、めっちゃマジに真摯に描写しちゃうところなんだよね。
ピンクにエロは不可欠。そしてそのエロの要素もマジでいいんだけど、こういう設定なら、なんかコミカルな方に行きそうじゃない?だって長考の最中にエッチな気分になって妄想の中でイッちゃう、なんてさ!

でもめちゃくちゃ、マジなの。美しいひたいに粒の汗をいっぱいに浮かべながら、その美しい顔で内面の絶頂を押さえ込んで、誰もが驚く妙手を繰り出す真希。
演じる管野しずか嬢は今回新人賞を受賞していて、作品数が減っているとはいえ、新人女優デビューをウリにしているピンク映画の中で新人賞はやはり価値があり、その中でも、数少なく新人賞をとった女の子たちの中でも、バツグンに上手くて、素敵だったなあ。

この日ね、一番最初に受賞者として登壇したのが彼女だったのよ。もう一人の新人賞をとった女優さんが遅れていてね、彼女がシックな和服姿で登壇した。その姿がとても素敵で、オッと思ったんだよね。
和服で来る女優さんもいなくはないけど、こんなにシックにキマった人はなかなかいなかった。恥ずかしそうにしてたけど、可愛らしさの中に感じるクレバーさがとても素敵だった。ああ、スクリーンの中のこの人を見たいな、と思って、見たらドンピシャリだったから、凄くそれが、大きかったのね。

長考の最中にエクスタシーを感じても、その時に義父に“スキンシップ”をほどこされていても、スキンシップだから。
義父とセックスしている場面は出てこない。それこそピンクなら出てきそうなもんだけど、義父に対しては真希はあくまで尊敬、畏敬、感謝、大好きなお父さん、なんである。それがセックスの方向に倒錯することがないのが、イイ。
入り口がそれだから、真希は長らく、セックス、まあいわゆる普通?のセックス、好き合った者同士のセックスということを体験してない、んだよね。

彼女の現実のセックスとして最初に提示されるのは、義父の借金を返す手立てとして、義父のライバル、ダルマの提案に乗るシークエンス。賭け将棋で100人斬りしたら、もう一度戦ってやる、と。
そう、もう一度。義父が借金なんかする訳ない!と噛み付いた真希と対戦したダルマは、彼女をコテンパンに打ち負かし、彼女のプライドはズタズタになった。

ダルマの監視下の元、賭け将棋を始めた真希は、最初のうちはやはりなかなか勝てなくて、陵辱されたりもする。……このあたりこそ、いかにもピンクなんだけど、それまでは尊敬する義父に守られて、妄想の中だけのエクスタシー、“スキンシップ”程度の、つまり前戯あたりで終わっていた彼女が、ひょっとしたら、ひょっとしなくても初めてのセックスが負けの屈辱の上の陵辱、と思うと……なんかたまらないんだよ。

だからこそ、本当に彼女が望むセックス、クライマックスの情熱のセックスが、心打たれまくるのだけれど。
そう思うと本作って、ピンクだし、キッチリカラミ要素は踏襲してるけれど、メンタル的にはめちゃくちゃストイック、ガマンにガマンを重ねて、一気に噴出させる!女子的にはこれは、タマランのである。
うっ、女子的にと本音が出てしまった。正直に言うとですね、言うとですね……本作の最大の稼ぎ頭、女子のハートを熱くさせるのが、今回男優賞も獲得なされた、那波隆史氏なのっ!もーう、メチャクチャカッコ良かって、セクシーで!!!

私は邪道モノだから、こういうイベントとか一般劇場に企画としてかかる時にちょっとだけ観てるだけだけど、それでもここ数年、彼の存在感は凄いと思う。
今回が二回目の受賞、最初の受賞の時も、覚えがある。その時も、カッコイイなあと思ってたけど、今回壇上に上がった途端、うわー、イイ男……と見とれてしまった(爆)。
共に男優賞をとった、こちらは常連、なかみつ氏とは全然タイプが違うんだよね。寡黙で(ゴメン、なかみつ氏のおしゃべりは、大好きだけどさ(笑))、穏やかで、優しげ。でもスクリーンの中ではむせ返るような男の色気とオーラ!

彼はね、西の男なのよ。まるで仁義なき戦いのような濃ゆい広島弁で、ダルマのところに客人としている、敬一。まさに“わらじを脱いでいる”の。
この設定もしびれたなあ。まさに、まさに、黄金期の侠客モノそのもの!しかもそれに彼がしっくりはまる色気なの!ただ単にコワモテだけじゃない(そう、スクリーンの中ではコワモテなんだよね。舞台上ではとても優しげなイイ男なのに)、たまらなく、むせ返るような、色気なの。

真希との出会いは、アンダーグランドの賭け将棋の場で、真希が倒した棋士の女房が逆恨みして襲い掛かってきたところを間一髪助けてくれたんであった。
その時真希は、恐らくひと目で、陥落してしまったに違いない。ダルマの客人とは知らず、いつものように分納金を収めに行った先で、彼に遭遇した。

賭場での和服姿じゃないから、気づかれなかったのかもしれない、と再び敬一と遭遇するようにとりはからう女心が、彼女自身が気づいているのかいないのか、ってあたりが微妙絶妙なんで、余計にグッとくる。
客人らしく真希には紳士的に対応する敬一は、手慰み程度に対戦に誘ってくる。真希は、完敗しちゃうのね。敬一はこれはお遊びだから、でもよくやりましたよ、とこれまた紳士的に対応。
後から考えると、真希が100人斬りを達成してダルマと対戦する時の予行演習をしてくれた訳で、一体そこまでしてくれる敬一はナニモノ?と思うのだが、ナニモノかどうか、示される訳でもない。
ただ、真希が、西へと帰っていく敬一を訪ねて、自分を抱いてくれないかと言い、こんな、フィジカルは勿論、メンタルも濃厚に濃厚に濃厚なセックス、心も身体もドキドキするセックスはなかなか見られんよ!というシーンを繰り広げてくれるんである!

いやー、いやー、いやー……。この提案をした真希が、ゴメンナサイ、と一度辞しかけたところをバッと腕をとり、「そういうの、キライじゃないけん」と囁く敬一、いやさ那波氏、去りかけた女の腕を取って、なんてまあいわばベタなんだけど、ベタということは、それだけ望まれてる描写ってことさ!
いやー、いやー、いやー、このカラミは、カラミなんてカルい言い方はしたくない、エッチシーンなんてのもイヤだ、真っ当に、セックスという言葉を正しく使いたいよ。

これはね、ピンクというものなら仕方ないのかもしれないとずっと思ってたんだけど、例えばパンツはいたままでも女の子の大股開きのアップは必須のように入れられるとか、その上からのナメナメとか、実際のセックスではありえないような前戯や、おっぱいとかそういう各要所でのお約束的なテクニック場面てのがね、好きじゃなかったからさあ。
それこそこれは、この次に上映されたこの日最後の上映作品で、ピンク映画が求められる観客として女はおよびでないこと、そのことを散々糾弾されることを思うと……ホントあれ、ヘコんだから(爆)、なかなか言いづらいんだけどさ。

本作の、この、管野しずか嬢と那波隆史氏のセックスは、本当に、本当に、ほんっとうに、ドキドキした!!テクニック的なところで場面が停滞することがなく、まさに求め合う、流れるような、いや、流れるなんていう優しい表現じゃない、求める、求める、先に、先に、急流が追いかけてくる、みたいな。
勢い余ってベッドから転げ落ちるぐらいの激しい急流。いや、転げ落ちなくてもいいけど、いやでも、転げ落ちるのもめっちゃドキドキ、良かったわぁ(超絶照)。

長年のパートナーとの愛を感じるセックスの素敵さとは違うんだけど、愛がない、と言っちゃうとアレなんだけど。
でも、求め合ってても、もうきっと二度と会うことはないと二人とも判っている、フィジカルもメンタルもこの一瞬に爆発した、それを二人とも大人として、判ってて、爆発させた、セックスなの。
それって、恋、恋ってことだよね。若い頃の青春の恋じゃなくて、大人になってからの、この一瞬だと判ってるからこそ、切なく燃え上がる恋。

先述したように、真希がこれまで、好きな人とセックスをするという、めちゃくちゃ基本のことをしてこなかったのかもしれない、ということを考えると、余計にドキドキするんだよね。
しかも翌朝、去るのは真希の方なんだもの。彼とのセックスで妙手を得た(なんたってリアルセックスから得た妙手だもの!)の礼をメモに書き残したのを見て、彼が笑いながらつぶやく「東は怖いのお」という台詞。
ダルマに対しても同じこと言ってたけど、この感じはやっぱり違うの、何とも色っぽくて、めっちゃ萌える!!

その後、ダルマとの対決に見事勝利したり、義父の借金と言われてたのが実はダルマとの勝負に勝った賭け金で、余命いくばくもないこの老義父から真希の行く末を託されていた、なんて重要な回想があったりもするんだけど。
んで、ダルマを演じるミスターピンク、池島ゆたか氏の、目の回り真っ黒メイクの重厚さも押さえておきたいポイントなんだけど、もはや私の頭の中は那波氏としずか嬢の濃密なセックスでいっぱいで(爆)。

やっぱり、どんなにピンクの奥の深さが素晴らしいとか言っても、女にとっちゃ、イイ男にはかなわないのよー。
しかも若い訳でも、いわゆるイケメンというわけでも(いや!何ていうの、イイ男と今で言うイケメンてのは違う訳でさ!!)ないんで、イイ男ってのは、女の心をとらえるのは、こーゆー男だと、判ってほしい訳さ!!
はー、ドキドキした。軽いエンタメで救われたとか言っといてずっぽり浸ってたんじゃん。ヤダね、もう(爆)。★★★★☆


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