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「に」


2014年鑑賞作品

ニシノユキヒコの恋と冒険
2014年 122分 日本 カラー
監督:井口奈己 脚本:井口奈己
撮影:音楽:ゲイリー芦屋
出演:竹野内豊 尾野真千子 成海璃子 木村文乃 本田翼 麻生久美子 阿川佐和子 中村ゆりか 藤田陽子 並樹史朗 田中要次


2014/2/18/火 劇場(渋谷HUMAXシネマ)
なんとなく原作者の気持ちが気になって、いつもならそこは一番チェックしないようにしているところなんだけど開いてしまった、のは、この原作者さん、「センセイと鞄」の人だよなあ、と気づいたから。
現代文学に明るくなくって、話題になったものもとんと読んでいない無知の恥ずかしさなんだけど、映像化されていたこともあって、それは読んでいた。
不思議なことに、その映像化された方は見てないんだけれど……というのは私にとってはとても珍しいことで、映像化されていることを頭に置きながら読んだ「センセイと鞄」はとても良かった。

で、本作に対峙、原作者のことなど知らず、監督さんの前作「人のセックスを笑うな」の印象が心に残っていたから足を運んだ訳なんだけど、自分の中で曖昧な気持ちがもこもこと巣食っていたので、何か手がかりがほしいと思って、原作者さんの名前を見たら川上氏で、ああ、と思って言葉を覗いてみたのだった。
とてもほめていて「井口監督の映画は、じたばたしてしまうほどいつもいいのですが」……いつも?そんなに作品あったかなあ……と思ってチェックしてみると、少なくとも商業映画は本作が三作目。
私は「人の……」しか観てないんでアレなんだけど、それで“いつも”かあ……とふと引っかかってみたりする。そんなのって、イジワルな見方かな。

いや多分私自身が、その一作しか観ていなかった「人の……」の残った印象が、当時最も旬であった松ケンと永作さん(いや今も旬だが……今は評価が定着した、という意味でね)であり、松ケン好きであり、その距離の近い芝居にただ単にドキドキしちゃっただけかもしれないという気がしてきて(爆)。
いやいやそんなことはない。蒼井優嬢と忍成君のアドリブ演技も超ドキドキしたけど!!

……つまり、私の中の少ない知識、というか印象では、井口作品のステキなところは、男女の近い芝居のドキドキさ加減。それも生々しくなく(それこそ、前作なんてセックス、なのに)、どこかオトメの幻想を守っているところ。
それは、「センセイと鞄」しか読んでいないけれど、少なくともその作品を書いた川上氏に内包する部分でもあるのかもしれないと思ったりもする。
それだけに、男と女が一対一ではないものが、どう表現されるかという興味にも移る訳なんだろうけれど、……オトメの幻想だからさあ。やっぱりどこかで、一対一の幻想に比較してしまっているのかもしれない。

確かにこの主人公、ニシノユキヒコは、彼を語る年上の女、ササキサユリ(阿川さん、ピタリだわー。女優にやらせたら、これはダメだったかもしれない)の言うように、どんな女でもコロリと好きになってしまう、その当時は女同士で衝突しても、後には戦友として女同士も仲良くなってしまうような、そんなチャーミングな男、なのだろう。
そんな男、こうして文字に起こしてみれば、私のよーなフェミニズム論者は頭から湯気を出してイカっちゃうようなところなのだが。

でもきっと、そんな男をそれこそオトメの幻想のもう一つの人格で夢見ているようなところもあって、それをこそ原作者の川上氏は的確に描いているのだろうし、演じる竹野内氏が意外なぐらいそれを体現しているのは、確かに確かなところなんである。
意外?意外といっていいのだろうか。ドラマとかあんまり見ないけど、彼はシリアス系の俳優、だよね?喜劇に挑戦しだしたのは、ここ2、3年だったように思う。
「謝罪の王様」よりずっといい。彼自身の中にある、イイ男なのにチャーミングという部分をピュアに引き出した喜劇の才能。
でもこの喜劇の才能は、ここで真に開花した、とまでは難しいところ。確かにとても、イイんだけれど。
うーん、私は何を言いたいんだろう。がっつりラブラブを見たかったのか。まあそうだ、それはそう。がっつり喜劇を見たかったのか。まあそうだ、それもそう。がっつり人間ドラマを見たかったのか。まあそうだ、それも……。……難しいな。

本作は、ニシノユキヒコが不倫相手の夏美(麻生久美子)にフラれるところから始まる。そして、そこから幾年経ったのか、見てる限りでは同じ時間軸のような経過描写に見えたけど、でも幾年か経ってるんだよな。
車にドカンとぶつかってあわれ死んでしまったニシノユキヒコが、「死んだら会いに来る」と約束していた夏美の元に現れる……と本人は思っていたんだけれど、そこにはもはや彼女はいなくって、美しく成長した娘が男やもめの父親と二人暮らしていた。

娘は母親が出て行った先はニシノユキヒコのところだと思い込んでいたのだが、ニシノユキヒコはモテるけれどフラれ体質。死ぬまで添い遂げる女に出会えなかった、むしろ可哀想な男。
夏美さんはニシノユキヒコをフって、更に夫よりも娘よりも一緒にいたい相手を見つけて行ったのかなあ。そのあたりは、明確ではない。
ラスト、ただいまと帰ってくる声が彼女のような気もしたし、そうではなくて新しいお母さんなのかもしれないとも思う。
これを男性観客が見たらどう思うのかが気になる……。この件に関しては何を言うこともなく、娘の昼ご飯にでっかいおむすびを作ってくれている夫、田中要次の不憫さに、男性たちはどう思うのか……。

そう、やっぱりこれは、女性の理想の物語なんだよね、きっと。こんなイイ男でチャーミングな男が、「あなたは誰も愛さない気がするから」と女からフラれ続けるなんて、そんな男と一時でもラブラブになるなんて、そりゃー、女の理想に違いない!
いやね、予告編とかあるいは宣伝、あるいはあるいは、タイトルの印象もあったかもしれない。もうこのプレイボーイのニシノユキヒコが、女たちの間を次々渡り歩く物語だと思ったのよ。
まあそうとも言えるけど、原作は知らんけど、少なくとも映画である本作では割と焦点が絞られている。
オノマチちゃん演じるマナミが今カノで、本田翼嬢(私、多分初見!)が元カノで、双方と等分にイチャイチャするんである。

いや、ニシノユキヒコはこう見えて?モラルは判っている男で、元カノを部屋に入れても、一泊の温泉旅行に出かけてさえも、元カノだから、一線を超えない。
てか、その前に、部屋に入れるな、温泉旅行に出かけるな、というところなんだけれど、それは確かに、女側の線引きなんだろう。

男の線引きは、一線を超えるか超えないか。まずこの表現が古いけど(爆)。そこのあたりは上手いと思うが、まあそれ以外にも女が何人か出てきちゃうからなあ。
そこんところが、決まった尺の中で気持ちの切り替えを迫られる、映画というメディアの難しいところで。

それ以外の女、がそれほど出てくる訳じゃないのよ。阿川さんは語り部の位置づけだしね。
古い映画のうんちくを語る、っていうのは個人的には好きじゃないけど……。映画はうんちく語りだすとキリがないんだもん。
映画は、その作品を好きかどうか、愛してるかどうか、それで充分、それだけが大事だと思うんだもん。
……ていうのはうんちく覚えてる頭がない私だけの意見(爆)。でもレーガン大統領は知ってたけどね!(自爆)。

まあとにかく、“それ以外の女”は、マンションの隣の部屋に住んでいるビアンカップルの璃子ちゃん&木村文乃嬢のみ、と言っていい、よね。
あ、プラス、猫のナウ。明確にはしてなかったけど、ナウも絶対女の子に違いないのだ。
ベランダ越しにしのんできてソファで毛づくろいをしているナウに、「……誰ですか」と固まるニシノユキヒコ=竹野内氏に思わず噴き出す。こういう間合いや風情が、コメディの才能を感じさせるのよ。

イイ男の外見、寡黙な雰囲気、妙にイイ声、それらが、シリアス100パーセントからくるりと裏返った時の面白さ、それにどっか天然入った穏やかなチャーミングが加わるんだから最強よ。
それこそ繰り返して言っちゃうけど「謝罪の王様」は、あくまで彼のシリアスのギャップしか狙っていなかったよね。それじゃダメなのよ!

おっと、脱線してしまった。だからビアンカップルよ。成海璃子&木村文乃のビジュアルだけでも萌え萌えだし、天真爛漫でストレートな気質の昴=璃子ちゃん、慎重そうでバリア張ってる感じのタマちゃん=文乃嬢、というのもピタリで、おっとこれは、そーゆー場面も見られるかしらん、というゲスな期待はあっさり裏切られた(爆)。
まあでも、文乃嬢が寝入っている璃子ちゃんの髪の毛を愛しげになぞっている場面だけできゅーんと来たし、充分想像を喚起させるものはあったんだけどさ!!

本能のまま行動する、といった感じの昴は、ナウにならうように、というか、彼女自身がナウにけしかけている感じで、ベランダ越しにニシノユキヒコの部屋に入り込み、まさに猫のようにすりすりと彼になつく。
ニシノユキヒコも気安く二人の部屋に出入りし、猫と昴と一緒に添い寝したりする。
そんな彼に当然相方のタマちゃんは反発するんだけど、最終的に、彼女は彼と寝てしまう。それも、「なんで私と寝たの?」「だってタマちゃん、僕のこと好きでしょ。」……うーん、そりゃないよ……。

そりゃまあ、そういう話だよ。ニシノユキヒコは、どんな女性も惹きつけてしまう、だけどフラれてしまう、そういう男だと。
でもビアンカップルの場合、そしてここでの描写の限りでは、タマちゃんの方から欲情してた。だからこその、ニシノユキヒコのこの台詞であり……。

まあそりゃ、ビアンだってバイセクシャルということもあるだろうが、そういう感覚の分かれ目まではなかなか難しいとは思うけど、ビアンカップルで、あれだけ昴を大切に思ってて、彼女が酔っぱらって寝ている隣のリビングで、男とヤるのか、そうなのか……いや、判らない。
バイとはそういう感覚もあるのか……いや、つーか、バイだとさえ、ここでは明言してないし、それこそオトメの理想、妄想としては、美しきビアンカップルは、バイなんかじゃいけない、二人だけで愛し合ってほしいと、ちょっと思ったり(爆)。

昴のように、猫が庇護者を求めるように、すりすり近寄っていくのは、いいのよ。彼女自身に危機感がないから。
いやでも、昴も「一緒にお風呂に入ろう」とか無邪気に誘ってたもんなあ……いいのか、いいのか?これはビアン的に!
判らない……別に男を敵視する訳じゃないとは思うから、うーん、無知なもんで、難しいなあ……。

ビアンはビアンであってほしいと思うのも、オトメの理想かしら(爆)。
でもやっぱり、オノマチちゃんよね。なんかうっかりビアンカップルに気をとられてしまったが(爆。だって、猫のナウがまたもう、可愛いんだもん……うちののえちには負けるけどっ)、回想の形とはいえ、今カノなんだから、当然一番の重要度である。
ネットニュースでちらと読んだ、二人に任せたらキスしちゃったというラブラブシーンは、はあもう、しっかりすっかりドキドキさせてもらいましたっ(爆)。
ひと気のないオフィスっつーあたりがまた、いいわよねー(恥)。オノマチちゃんは芝居でもこういうシーンで高揚すると、本当にばら色にお顔から首から耳まで染まるから、ほおんと、セキララなのよねっ。

ニシノユキヒコ=竹野内氏に「恥ずかしいの?」と聞かれて照れ笑いでこっくりうなずく、それだけで彼女の身体の中心のうずきまで感じてしまいそうで、キャーッ。
いやいや、そこまでは言い過ぎ?でもでも、彼の家に今日行くのか、行かないのか、という会話に発展する、まさにオフィスの恋なのだから、そこは当然!!
そこんところはさ、温泉旅行にまで連れ出して、早く部屋に戻ってセックスしようよ、とあからさまなことを口に出す元カノよりも、不思議と、いや当然というべきか、今、の生々しさなのよね。

で、それは先述したけど、オトメの妄想の美しさ。汚くないの。でも、設定は彼女が「3つ年上の上司」って、サユリさんが解説してたよね??えーっ、それは実際の年齢差も含めて、ちょっとムリある……。
しかもマナミはどんどんニシノ君に抜かれていく、雑用ばかり頼まれる。恰好だけはマニッシュにパンツスタイルにキメているのに、それが彼の元カノのカノコちゃんの、フェミニンな魅力に対比される。女というものは……みたいな。
というのは、原作当初ではアリだったのかもしれんが、悲しくも今でも充分アリなんだろうが、なんかなんか、もう、こういう描写は女としては、見たくないの!!

こうした、ニシノユキヒコのこれまでの変遷をサユリさんから聞いているのは、冒頭に登場した不倫相手の夏美のお嬢さん、みなみ。
夏美とニシノユキヒコの別れの場面で、ニシノユキヒコと同じバナナパフェを食べ、彼から犬の小さな置物をプレゼントされて、今まで大切に?持っていた。
幽霊となった彼が現れて、今でも持っていてくれたんだね、と手に取ったことで、みなみちゃんは思い出したのだ。
王道のセーラー服を着て、ニシノユキヒコのお葬式へと向かう。そこで母親の姿を見つけ、サユリさんからニシノユキヒコの女性遍歴を聞き、バカじゃないのと言いながら、きっと次第に惹きつけられている。

普通のお葬式ではない。大体、大豪邸だし、なんかゆるゆるとした楽隊がゆるゆると音楽を奏でている。
女ばかりの参列者は、確かに黒一色だけれど皆ファッショナブルなデザインで、語り部のサユリさん=阿川佐和子のかっちりとした和服の喪服が、語り部としてのキャラづけのようで、それはそれで面白くないナ、などと思っちゃうぐらいなんである。

その中で、学生としての正装とはいえ、カジュアルなリュックも背負っているセーラー風姿のみなみちゃんは、やはり闖入者に違いなく、ある意味、この中で、唯一ニシノユキヒコと寝ていない(いや、サユリさんも寝ていないのだろうか、いや、きっとサユリさんも寝ているに違いない)女であり、それがセーラー服=明らかな処女性アイテム、というのはベタ過ぎるかなあ?

彼女はサユリさんに問われて「男なんか好きにならない」と処女そのものの発言をしてサユリさんに苦笑される。こういう描写は、ちょっとマッチョリズムな気もしないでもない。
いずれ男にハメられる、あるいは逆にくわえこむだろ、みたいな、卑猥な上から目線、とまで言ったら言い過ぎだろうか?
確かにみなみちゃんの発言はおこちゃまだけど、本作の中でビアンも描いている訳だし(先述のように疑問はある訳だけど)、今はね、色々と、ある訳だからさ。
いずれは本能のまま恋をし、セックスをするだろう、という流れが100%じゃない時代だからさ。

……難しく考え過ぎただろうか??これが一対一の男と女の物語だったら、可愛らしい肉欲ファンタジーでも(なんだそりゃ)、そんなに考えなかったと思う。
キャストは皆素敵だったけど、うーん、なんていうか……。こういう多キャスト、オールスターキャスト映画って、絶対、完全な満足がないんだよね。いろんな意味で、分散されちゃう。
作り手にとっては、物語としても、役者をさばくにしても、とてもやりがいがあるんだろうけれど、やりがいが完成度につながるとは限らない、ていうか、まず、ない。

主人公はニシノユキヒコだけど、結局は女の子たちの物語だからこそ、余計に不満が残る。だって女の子が大好きだから、女の子たちに幸せになってほしい。
実際、ニシノユキヒコをフることによって幸せになったのかもしれないけど、少なくとも本作では彼が主人公だから、そうした示唆がやんわり示されていても、それは彼自身が女たちを幸せにした、というキャラづけにしかすぎないんだもん!★★★☆☆


偽大学生
1960年 94分 日本 モノクロ
監督:増村保造 脚本:白坂依志夫
撮影:村井博 音楽:黛敏郎
出演:若尾文子 ジェリー藤尾 藤巻潤 村P幸子 船越英二 岩崎加根子 中村伸郎 伊丹一三 三田村元 大辻伺郎 森矢雄二 松英郎

2014/7/2/水 京橋国立近代美術館フィルムセンター
今回の増村保造監督特集、二本目の鑑賞。あまりのコワ面白さにテンションあがり、いつものよーに書く前に某データベースにざっと目を通したら、たった一つあるレビューが★1でえーっ!
人の意見に左右されやすいので(汗)普段はレビューは読まないのだが、焦って他を探ると、なんだやっぱり評価高いじゃん……ホッ(爆)。

でもこーゆーのって、困るよなあ。マイナーな新作映画なんかだといかにもなサクラレビューが手放し賞賛したりしているのはあるけど、こういう有名監督の作品、そしてデータベースも結構有名どころ、そこにぽつんとたったひとつにしたって載っかってるレビューが最低点っていうのって、私みたいなアホだったら、これは観るに値しないのか、と思っちゃうかもしれないじゃない。地球上、その人だけの、意見なのにさ。

まー、そんなことを言ってしまったら、それこそこのサイト自体成立しない訳なのだが(汗汗)。
でも本当に面白かった。コワ面白かった。時代性もあるけれど、このギュッと詰まった内容が、94分という尺に収まってしまうあたりが、当時の映画の、そしてもちろんこの名監督の優秀さだと思った。

ところでその、焦って探ったレビューで目をかすめたのは、原作者の大江健三郎氏がソフト化や放送を認めていないということ。えー、なんでなんだろう……。
原作は未読だから何とも言えないのだが、そんなに気に入らない何かがあるんだろうか。とてもとても素晴らしいと思うのだが……。
しかし大江氏も、増村氏も、本作の舞台となった東大出身とは恐れ入る。東大の人が、それほどに頭のいい人が、こんな凄いクリエイターになっちゃうなんて、神様は才能を与え過ぎだっ。

とゆー、ヒガミは本作の主人公、東大、いやさ劇中では東都大学の、偽大学生として事件を巻き起こす大津こそが痛感したことであろう。そんな人物を実際に東大出の優秀なクリエイターが描くというのも、そう何度も繰り返したくなるほど、凡人にとっては皮肉に思えてしまうんである。
大津は地元では秀才で通っていたと、彼自身のモノローグによって語られる。田舎では優秀、ならば東大、花のお江戸の最高学府、彼なら出来る、故郷に錦を飾る。ああう、地方出身者にとって判り過ぎる図式。
勿論、東京も、いや東大、いやいやこの場合は東都大学だが、そんな甘いもんではないのだ。まさに大津は、そして彼の両親も井の中の蛙だったのだ。
しかし父親はもうこの世にはいなく、いわば父の残した願いだというのなら、そこからは逃げられない、というのも田舎者には痛いほど判る話なのだ。

まあ、私はそんな優秀からはハズれていたから、あくまで傍観者として判るだけの話だが(爆)。
それにしてもジェリー藤尾。ちょっと前歯のすきっ歯が気になるが、明らかにバタくさい(当たり前だ)彼が、田舎者の突進根性の威勢のいい新入生、というのはまあ何とも……いくら白黒でも……(いやそれは……)とか思ってはいたが、段々と彼の狂気が尋常ならざるものになってくると、そんなことはさすがに気にならなくなってくる。

冒頭は、大津が浪人した末、またも東都大学の試験に落ちた場面から。田舎で貧しい商売をしている母親にマタオチタ、の電報が打てず、合格したとウソの知らせを送ってしまう。
下宿している中華料理屋の夫婦も喜んで、彼が連れ込む“歴史研究会”の先輩たちに大量のスタミナメシを作ってくれる。
その歴史研究会ってのは、この時代の、急先鋒な学生運動のメンメン。そのリーダーが逮捕された喫茶店に大津が居合わせたことがコトの始まりだった。

リーダー、空谷のことづてを、この歴史研究会に伝えることを頼まれた大津は、その前から金ボタンの学生服を着込んで東都大学に通ってるフリをしていたんだけれど、本格的に大学の、この歴史研究会に入り込み、活動を始める。それも意気揚々と。
最初に歴史研究会のメンメンに空谷が連れていかれた時の様子を話すように言われた時から、空谷は粛々と連れていかれていたのに、警察に殴られただの、抵抗しただの、自らの武勇伝のように生き生きと、というか、何かにとりつかれたように語るもんだから、イヤな予感はしていた。
ある意味この時からもう大津は、ちょっと狂っていたのかもしれないなあ。

狂っていた、だなんてカンタンに言うべきじゃないのかもしれない。本作のテーマを考えれば、一体誰が狂っていたのか、嘘を言っているのは誰なのか、正義はどこにあるのか、何もかもが曖昧模糊となってくる。
そーゆーあたりが、いかにも頭のいい人の考えそうな作劇ではあるのだが(爆)それを生身の人間が演じると、こんなにも怖くなるのかと思う。

いやしかし、メインの、しかもきっかけの人間であるのに、このリーダーの空谷は怖くない。彼だけは最初から最後まで冷静で、全てが見えている。
ただ、そういう意味では人間臭くなく、ズルい人間であるともいえ、こうした団体のリーダーであるということは、どこかに政治家の匂いも感じ、なるほど政治家の資質はそういう部分であるかもしれない、と思う。
空谷を演じているのが伊丹十三でうわっと思う。そうか、俳優の伊丹氏は観たことなかったかもしれない(とかいうこと、ここで書いてそう、記憶力悪いんで(爆))。
伊丹十三じゃなくて、キャストクレジットは伊丹一三だった……色々知らないことが多いなあ。

そう、学生運動なんだよね。もう私世代になっちゃうと、大学生にそういう匂いは感じられない。いや、優秀な大学にはあるのかもしれないが(爆)、でも、ないよなあ。
大学に何しに行くのか、という葛藤や議論は今も昔もあり、それを、学問をするためだと言いきれないあたりが今も昔も日本の恥部だと思うんだけど、この時代、少なくとも本作の中では、二つにはっきりと分かれていた。
難なく最高学府に入った学生たちの余裕や自信がそうさせたのか、自分たちが世界を変えると信じて疑わないひと方。そこまでは言わないまでも、保守政治を変えさせる、と具体的に言っていることが逆に、彼らの自信をまさに具体的に物語ってる。

一方で、この最高学府に浪人しても届かなくて偽学生としてもぐりこみ、偽だから余裕も自信もある訳もなく彼らに対する尊敬と、いや、卑下があるだけ。
そんな大津は誰よりもこの学生運動に奮闘し、まさに先輩たちから持ち上げられる位置に昇格したけれど、それも冷静に見ている空谷がいなかったからだ。本当に信念をもって、余裕と自信をもって活動していたら、あんな風ではない、と空谷ならば即座に看破したであろう。
いや、彼も、喫茶店にいた大津を「君は東都大学か」と学ランだけで判断したんだから言い切れないものはあるけど、でもやっぱり、伊丹十三は違ったんだもの。

偽学生だとバレてから、歴史研究会の寄宿室での監禁がはじまる。これこそが本作のメインであり、狂気の始まりである。
ところでここまででウッカリ言いそびれていたが、ヒロインは若尾文子、なんである。
歴史研究会の紅一点。ホントに彼女一人が女の子。しかもこの絶世の美女。いろんな意味でキビシイーッ。いや、他にも女子はいたような気はするが、いたかな……いやいたか……とにかく時代的にも少ないし、若尾文子が美女すぎるから……。

でもこの時はまだ若尾文子はそれほどエロではなく(爆)、まあ役柄ってこともあるが、ストイックな理想を信じる女子学生である。
それというのも、彼女の父親が伝説の闘士で、それによって軍部に暴行を受けて盲目同然になってしまったという、そんな家庭に育っている。
彼女の姉は父親の弟子である東都大学の教授に嫁いでいたが、あからさまな名誉欲でコイツは金持ちのお嬢との縁談に傾き、落ち目の恩師の娘に三行半を突きつける。
コイツは歴史研究会の顧問でもあったんだけれど、まあそんなヤツだから監禁も見て見ぬフリ、睦子(若尾文子ね)のアリバイ工作にも協力し、裁判でも「素晴らしい芝居だったよ」と皮肉を言われるほどしれりとウソをつく。
それに対して歴史研究会、以下東都大学エリート学生たちも拍手喝采を送る恐ろしさ!!

おっと、なんかコーフンのあまり、ついつい先走ってしまった。そうそう、若尾文子、若尾文子だってばよ。
彼女はさ、偽学生=スパイじゃないかと疑われ、流れで監禁することになってしまった大津に対して、その時点になれば冷淡ではあるけれども、常に迷いがある、のは、やはり女の部分を残しているからなのは否めない。
悔しいけれども、それがこーゆー場合の女の役割でもある。いや、美女だからなおさら(爆)。

だってやっぱり、大津は彼女に岡惚れしていたからさ。それもホント、判りやすい岡惚れなの。いかにもな、田舎学生としての岡惚れ。
その岡惚れっぷりは、東都大学への憧れや、東都大学生としての、つまりエリートとしての学生運動、つまりつまり、ほかの凡百の学生運動とは一線を画した、警察だの当局(ってのが何なのかはよく判らんが)だのに一目置かれてる、あるいは煙たがられていることへの憧れと、ほぼイコールであるように思われる。
だから、何か、モヤモヤとするんである。睦子はこんな父親の元に育ったんだから理想に燃える闘士だし、大津からの好意も闘士として受け止めていたし、そんな色恋沙汰、女っぽさってことはないんだけれど、でもやっぱり、キャラとして女なんだもん。しかもほぼ紅一点の。

男たちが、その理想を理想として純粋に置きたいがために、嘘をつくことを、時に敵を欺くための戦略として崇め奉る置き換えをする、逆説的というか、矛盾というか、まあハッキリ言っちゃえばバカでしかないんだけど、やっぱり彼女はそこんところのバカさが見えているからさ。
でも男たちにとっては、彼女の貫きたがる“正義”や“正直さ”こそが、幼く、愚かなことな訳。ああやはり、男と女は相容れないのはそこな訳。

そして、大津は、純粋すぎるのかしたたかなのか、とにかく勝ちたいためにバカになったエリート男たちにもなれず、当然睦子のような頭のいい女にも近づけない。
こんな愚かなところに憧れずに、地元で自分のなすべき力を発揮していれば、彼等よりももっともっと日本を動かせる人物に慣れていたかもしれないのにさ、大津は……。

大津が偽学生とバレて、学生たちによって監禁されてからは本当に、見てられない。
それまでは、理想過ぎるにしても、彼らは真正直で、学生の純粋さがあった。でも大津というニセモノが紛れ込んできたことで、ただ大津は人間としての純粋さがあってそれが、机上の純粋さだけで動いていた彼らと違ったからなのか、ガタガタと崩れ始めてしまう。

本当に、単純に、監禁場面のキツさ。椅子の下に空き缶を置いて、垂れ流しさせる。オメーラがそうしてるのに、「ここに入ると小便臭くて、寝られやしない」と顔をしかめる。
大津はスパイじゃないと訴えるものの聞き入れてもらえないから、それを認めて警察に頼まれたとか言ってみるものの、当然すぐにバレて、余計に話がややこしくなる。
次第に、見張っている彼らの方が参って来て、「俺たちの方が監禁されているみたいだ」などと勝手なことを言い出すからアゼンとする。これがエリートの考え方なのかと……。

しかしそう思っていたのは序の口だったということが明らかになる。見張りに疲れ切った睦子と木田は他の部屋でなんかイチャイチャしだす。
てか、木田は見た目甘いマスクだが、彼が一番自己顕示欲、というか、ハジをさらしたくない気持ちが強いアホで、じゃあコイツを解放したらどうなるんだよ!とばかり言って、解決策の一つも考えようとしない大アホ。
それでいて睦子とチュッチュして太もも探り出すし(爆)。あの感じでは、あの後ヤッちゃって、その間に決死の覚悟の大津に逃げられたってところであり、逃げられたことが判っても、疲れからかヤッちゃった放心からか特に驚かず、冷静に証拠隠滅を図る当りが……こーゆー人がホントに政治家になるのかもしれない……。

一方、決死の覚悟で逃げ出した大津は、警官見て更に逃げ出して、捕まって、でも警官は事情を聞いて味方になってくれるのかと思いきや、……でもこの時点で大津が、もういいんです、もう家に帰りたい、と訴えていたからさ、やっぱりこれは、本能だよなあ。
正義なんて、真実なんて、結局は明らかにされないことを、彼はもう……いや、本能じゃないか、もうここまでの血を吐くような経験で突きつけられていたから。
いわば彼がついた嘘なんて、可愛いもんだったじゃないと。東都大学の学生になってみたかった。そんな気分を味わってみたかった、と。

正直に言うことで監禁から解放されると思いきや、更なる監禁が待っている、というのは、大学でも警察でも同じで、それは巧みなウソをつく奴らが、集団で、それが後々の正義だと信じる奴らが、包囲網を敷いているからなんである。
保護という名の監禁、そして精神鑑定の末の入院という名の監禁、そうなると観客から笑いが漏れるぐらいになるのだが、正直私は笑えなかったなあ……。

ウソで固めることで結束の方も固まるエリート学生たちの笑いと拍手の鋭い音声が、うん、拍手の鋭い音声もキツかったけど、笑いだな、あの笑い……明らかに理不尽な主張を仲間たちで盛り上げる拍手の、プロ的な鋭い音の高い拍手。
そう、政治的なアレよ。やっぱり男社会だなと思ったし、その中で正義に苦悩する睦子に本当に苦しみを感じたし。本当に狂ってしまったのか、それとも狂った振りをして抗議しに来たのか判然としない大津の姿にも慄然とした。

だってだって、わざわざ老母を連れて来て、息子が迷惑かけてスイマセンとか泣きながら謝罪して、でもその間、彼は何を考えているのか、ほのぼのと笑顔を見せているんだもの!
それが狂気なのか、母親が言う、神の道に進んだからなのか、判らない、判らない!

大津が先導するバンザイにしらけた顔で従わない生徒たちに、空谷がうながす。バンザイ三唱。空谷は、彼だけはただ一人何もかも知っているような風だけど、だからこそ怖い。
空谷はいつも、大事な場面で席をはずしていた。逮捕されたあの最初のシークエンスでさえ、そうだ。投獄されている場面すらないのだ。
何かといえば、党本部との打ち合わせにカバンを持って出かけるけれど、その先の場面はないのだ。ああ、政治家、彼は政治家だ。

そしてそんなカリスマ政治家に凡百政治家の群れが付き従い、その中には気が狂ったような大津のような先導する一人がいて、むしろ彼こそが群れをまとめ、役目を終えると狂った場所へと帰っていく。
真実を訴えると木田に言った睦子、木田に、世の中には新鮮なニュースがあふれてる、所詮三流週刊誌ぐらいにしかとりあげてもらえないさ、と言われても、曲げなかった。
所詮、そうなのだろう、ひっそりとでも真実が訴えられ、ひっそりとでも真実が確定されても、所詮新鮮ではなく、三流どころでしか扱われないのだろう。

あの、学生たちの勝ち誇った拍手喝采の音の恐ろしさ、部室にピンポン台を置いて娯楽室にした単純な偽証にカンタンに騙される警察、いや、騙されたフリだったのか、もうすべてが恐ろしい。
これを駄作扱いするなんて信じられない。てか、なぜ大江氏はこれを外に出すことを許さなかったのか……名画座上映のチャンスのみとは、それだけ名画座にかかる率が高くなるという皮肉とは。知らずに観たのはなんというラッキー。これは傑作だよ!!★★★★★


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