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「お」


2015年鑑賞作品

娚の一生
2015年 119分 日本 カラー
監督:廣木隆一 脚本:斉藤ひろし
撮影:鍋島淳裕 音楽:遠藤浩二
出演:榮倉奈々 豊川悦司 向井理 安藤サクラ 前野朋哉 落合モトキ 根岸季衣 濱田マリ 徳井優 木野花 美波 岩佐真悠子 紺野千春 朝倉えりか 若林瑠海 坂口健太郎


2015/3/6/金 劇場(錦糸町楽天地)
なんだかいろんな事が、ムズムズと気になりながら観ていた。それらを後から総合して思うと、これはもう言っちゃったらオシマイな言葉なんだけど、やっぱり原作であるコミックスの尺と映画の尺では、作品としてのまとめ方というか、作り方というか、が違うんだもんなあ、という気がどうしてもしてしまった。
何度かここでは言っていることだけれど、原作、特にコミックスはキャラクターであり、キャラクターごとのストーリーであり、それらが絡み合ってのひとつの作品であるという特色があると思う。
映画はやはりまずは展開、ストーリー、あるいはクライマックスを据えての作劇であると思う。

本作が「娚(おとこ)の一生」というタイトルであることが、ずっと気になりながら、でもあった。男、ではなく女偏に男、なのだから、二人のことを指しているのかもしれないけれど、やはりおとこ、と読ませるのだから男、なのだ。
でも本作は完全に、つぐみちゃんの話、だよね。不毛な恋愛に疲れて帰ってきた故郷で出会う、穏やかな時間をくれる不思議な年上男性。彼と共にゆっくりと自分自身を立て直していく。

正直ちょっと、ありがちな女の造形だなあ、と思うのは、娚(おとこ)の一生、になってないからではないかしらん、と思う訳。未読だからアレだけど、まあ多分、原作ではおとこ、の側のバックグラウンドもじっくりと描かれているのであろう。
いや、描かれていなければおかしい。だってそれだけの、複雑なバックグラウンドを持っているんだもの。それがつぐみちゃんに比してはあまりに表面をなぞるようにさらさらと、一筆書きのように描かれちゃうもんだから、ムズムズとしちゃうんである。
一筆書きだとしても、それが彼の孤独な人生をここまで形成したってことぐらい、アウトラインだけでも判っちゃうから、なぜそれをこんなさらさらにしちゃうのよと思っちゃうんだもん。

……などとぐたぐた言っても始まらないので最初から。そう、つぐみちゃん、と言いたくなる。若いよね、榮倉奈々ちゃんだと。トヨエツ氏のキャラ上の年齢差を考えながら、なんかしっくりこないんだよなあ、と思いながら見ていた。
いや勿論、大きな年齢差、ということこそが本作の重要なポイントであり、その年齢差がどんだけ開こうが別に構わないんだけど、この二人の感じだと、榮倉奈々ちゃんは彼女の通りの年齢にしか見えない。つまり30前。

後でついついウィキなどを覗いてしまったがヤハリ、原作のコミックスでは30代半ば、なのであった。それならなんか判るのよ。50ちょい過ぎのおじさまとのこんな話が、それなりのリアリティを持って迫ってくるのよ。
でも20代だとちょっと……難しい気がする。そりゃちゃんとした大人の女なんだからエンコウには見えやしないが、やはりまだ、人生を教えてもらってる女の子、に見えてしまう。
榮倉嬢は充分、大人の女、都会の仕事と恋愛に疲れた女を、予想以上、想像以上に体現していたと思うけれど、それは彼女の本来の年齢の、その女としての素性をぶつけたということでさ。

勿論、映画に際して彼女をキャスティングした時点で、その年齢の女性として読み替えての作劇ってことだろうから問題はないんだけど、でもそうなるとヤハリ、本来の原作が持っていたニュアンスが変ってくるんじゃないのかなあ、という気がしてる。いやそれこそが映画はベツモノだということぐらいは判ってるんだけど、でもでも、一番大事な部分を読み替えちゃったんじゃないかなあ、という気もしてる。
それにトヨエツ氏の方は原作のままの年齢、そしてよりそれに近づけるためにわざわざロマンスグレイにまでして、見た目の年齢差が余計に開いてしまった感があるしさあ。

そう、つぐみちゃん、と呼びたくなるのよ……。だって本作の情報がまだ小出しにされていた頃、榮倉奈々が新境地!みたいに、やたら煽っていた記事をつい目にしちゃったんだもの。ついに脱いだ!みたいな、マスコミ試写は息をのんで見守った!みたいな。
そーさ、私はそんな週刊誌のアホ記事につい踊らされて、ついつい期待してしまったのさ。でもそれを実現できる場面はあった筈。宣材写真としてばーんと出ている足ナメ場面が一番のクライマックスだなんて、そんなそんな、その先があるに決まってるじゃん!!
いや確かにその先はある。でもハダカの背中でうつぶせになっているシーンに飛ぶなんてんじゃあ、騙された!と思っても仕方ないじゃないの……って、私は一体何を期待して(爆)。いやナニを期待してたのさ(爆爆)。誰だってそうでしょ!!

……もういい加減にしとこう。そこから離れて元に戻そう(爆)。元って、どこだ(爆爆)。えーとでも、まあ概要は言っちゃったから、結局は文句ばっかり言うことになりそうだけど(汗)。
そもそも、である。この年上男、海江田醇なんつー、スカした名前のおっさん(いやそこケチつけたら、原作の方だから(汗汗))が、つぐみちゃんのおばあちゃんの元カレという心躍る展開なんである。

でもって本作は、つぐみちゃんが都会に疲れたのか恋愛に疲れたのかよー判らんが、まあとにかく結構な会社に勤めていたらしいのに(ってあたりがほのめかされるあたりも、底辺女にとってはシャクな訳)、故郷に帰ってくる。
んでもって、祖母の家に住み着くんだけど、その離れに”勝手に”居候しているのが、この海江田。彼曰く、キミのお祖母さんから鍵をもらった、というんである。

つぐみちゃん側の事情は冒頭、さらっと、本当にさらっと描かれ、ここで私は多分、重要なカン違いをおかしていたので、後に理解がぐっちゃぐちゃになり、文字通り、頭を抱えることになるんである。
冒頭、幼いつぐみが母と共に祖母のもとに身を寄せる。ここまでは合ってる??染物を干している、そのたなびく布の下で抱き合っている男女を、私はつぐみちゃんのお母さんと新しい男、だと思って、その後ずっとそう思って作劇を見ていたんだけど、恐らく違ったんだよね。ここで抱き合っていたのは、お祖母ちゃんと若き日の海江田、だったんだよね?
え?違う??ここでの相違が大きな印象の違いをもたらしちゃうんだもの。そもそも、”幼いつぐみが母と共に祖母のもとに身を寄せる”って認識自体が間違っていたらサイアクなんだけど、ど、どうですか(汗汗)。違ったのかなあ……。

後に根岸季衣さん扮する母親がしれっと現れたことに仰天した、のは、私、つぐみちゃんがこれっきり、祖母に預けられて母親に捨てられたと思い込んでいたの(爆爆)。
その後、海江田氏のバックグラウンドともシンクロするし、ほんっとうにそう思い込んでた。だってなんで、親元じゃなくてお祖母ちゃんの家なのか明確な理由付けが、お母さんと新しい男、と見ていたせいもあって、それ以外考えられなかったんだもん。

お祖母ちゃんの回想も、遺影もやたら若いんだよね。だからこそ、え?お母さんが亡くなったんじゃないんだよね??と何度も、頭の中でぐちゃぐちゃと考えてしまった。
これって、ちょっとズルいと思う。すっかり老婆になってしまった女と、ロマンスグレイとはいえトヨエツ氏が若い頃睦み合っていた(無粋な言い方だが(爆))、てのを、観客に想像させるのはエグいと思ったのだろーか。

でもそれって、やっぱり女をバカにしてるよなあ、と思う。ハイ、早速フェミニズム野郎、出ました(爆爆)。だってさ、お祖母ちゃんの恋人だった男と孫娘が恋に落ちる、そここそが大事なトコなんだから、お祖母ちゃんの遺影をお母さんかと見まごうほどに若くしちゃったら、ダメじゃん。後からお母さん役の根岸さんが出てきたら余計にえぇっ!と思っちゃうよ。
いや、根岸さん、ゴメン(爆)。でも正直、遺影のお祖母ちゃんの方がずっと若いんだもん……それってどうなの……。

冒頭かなり早くに、入院中のお祖母ちゃんが亡くなる。お祖母ちゃんがいよいよいけないから帰ってきた訳じゃない、という一応は設定なので、この展開ってのが、微妙につぐみちゃん自身の若いが故の身勝手さを感じなくもない。大好きなお祖母ちゃんの家に身を寄せて癒されようと思っていたのに、お祖母ちゃんたら思いがけず唐突に死んじゃった、みたいに見えちゃう。
だからね、原作だったら、そのあたりは長いスパンをとっているんだろうけれど、映画にした際の作劇は、難しいんだよなあ。

原作との差異を言い出したら、しかも未読のくせに(爆)ダメってことは判ってるんだけど、どうやら”恋に疲れた”ってのも違うらしい。
そういうバックグラウンドもあったらしいが、故郷に帰ってきたことには直接関係しないし、その不倫相手が妻との関係を清算して追ってくる、という展開もないらしい。映画のために作られた展開なのだとしたら、こんなヤボ極まりない展開を作ったのかと、正直あぜんとする気持ちになる。

そりゃ判り易くドラマティックだし、監督ともう一度仕事がしたいと熱望していたという超人気俳優、向井君を迎えられたらこれ以上オイシイことはない訳だけれど、ここが一番の原作との差異だということを考えるとヤハリ、現代の大人の女をナメていると言われても仕方ないんじゃないかと思っちゃう。
不倫の恋に疲れて、それなりのキャリアも捨てて田舎に引っ込む、なんて図式に、榮倉嬢に合わせて年齢を若くしてまで合わせちゃったなんて、あんまりだよなあ……。そんなに女は恋愛バカだと思われてるんだろうか……そういう人もいるだろうけど……。

そう、それを確信したのは、その不倫相手の向井君が現れて、海江田氏とひともんちゃくあったシークエンス。彼はちゃんと妻との関係を清算してきた。
つぐみちゃんは「私は結婚したかった」と言った。その気持ちを汲んでいたからこその、最大限の決断を彼はしてきた訳だ。でも、つぐみちゃんは彼をフる。

結婚したかった、というのは、過去の私だということなのかもしれない、とも思ったが、既にこの時、お祖母ちゃんの法事に集まった親戚一同にも海江田氏が勝手に宣言する形で結婚予定、が公認されているんだから、確実な結婚相手が見つかったから、という風に受け取れなくもないんである。
巧妙というかなんなのか、「私は結婚したかった」とつぐみちゃんは言った。あなたと、とは言ってなかったと思う。言ってたらゴメン(爆)。少なくとも私には聞こえてなかった(爆爆)。つまり、女は結婚したい生き物だという風に、フェミニズム野郎の私には聞こえた訳(爆)。

だって、ここだけじゃないもの。つぐみちゃんの親友役として登場した安藤サクラ嬢。安藤サクラという説得力あり過ぎの女優に海江田との仲を後押しされちゃったらもう、完了じゃない。向井君演じる不倫相手をクサし、おじさまではあるけれど、海江田さんはイイと思う、と太鼓判を押す。
しかもサクラ嬢演じるこの岬、親友を心配してこんなイナカまでやってきたもう一つの理由は、自分の結婚報告だったりする訳であり、”女の幸せは結婚”なんつー、いつの時代よ、てな幻想がいまだにフツーに横行(特に男どもの間に!)していることを突きつけられて、暗澹たる思いになっちまうんである。
そらーサクラ嬢はプライベートでは幸せな結婚をしたとは思うが、あのサクラ嬢にそんな前時代的な結論を言わせないでほしかった!!そりゃさそりゃさ、「このあたりで手を打っとこうと思って」などと、サクラ嬢らしいライトな言い方はするけれども、でもこの台詞自体、結婚がとりあえずの幸福の条件、としての言い様だと思うもん!!

ううう、私はもう、ただの不毛なフェミニズム女(爆)。でもさ、でもさでもさでもさ、トヨエツ氏だからこそ、素敵なおじさまだからこそ、そんなことを考えずに、不倫相手なんか現れずに、心を徐々に徐々に、溶かしてほしかったのよ。そんな女心が判ってない!!
てか、判り易くモテ男だしさ……。結局は、これだけ年の離れた女と恋をするには、”枯れセン”という現代社会のフェティシズムを持ち出してさえ、お腹も出てなくて、ロマンスグレイであってハゲではなく、手足の長い、手指の長い(これこそがトヨエツ氏のセクシーさ!)、美おじさんでなければいけない、と、思われていることこそが、バカにしてるのさっ。

いやいや、それこそ、これは、原作を踏襲しているだろう、そうでなければマンガの世界は成り立たない。でもそれこそ映画にするなら……これは単なる個人的フェティシズムかもしれないけど(恥)、年の離れたオジサンと恋愛するなら、逆、だと思うのだよ。
癒され、懐に飛び込みたいのは、こんな、美しいオジサマじゃないのよ。こんなイイ男だったら、オジサマでも今後の浮気が心配だよ。こんなイイ男じゃ、年上ということ以上に立場が上から目線だよ。たとえ懐に飛び込むにしたって、恋愛は対等でありたい。フェミニズム野郎だから(爆)。
やっぱりダメだな、私、素直に甘えられないのかも(爆)。

そう、んでね、海江田氏は、実の親のことを知らなくて、里親の元で育ったというバックグラウンドがある訳ね。で、”育ての親”の死を、”戸籍上の姉”から知らされて、つぐみちゃんを伴って数十年ぶりに里帰りをする訳。
ついついすっ飛ばしちゃったけど、つぐみちゃんの元に縁戚のシングルマザーの女が、幼い息子を置き去りにするというシークエンスがあり、おっと、こんな重要なシークエンスをついついすっ飛ばしちゃうとは(爆)。
その後、捨てたと思った母親が迎えに来て、情が移ったつぐみちゃんが泣きに泣く、という重要なエピソードなのに(爆爆)。

この子に対して、ある意味厳しい態度を見せる海江田氏、それは彼自身がそういうバックグラウンドを持っていたからなんであった。でもね、それはかなーり親切に汲み取ったから。先述したけど一筆書きのようにさらーりさらりと描かれる上に、彼がその里親と数十年も音信不通だったのは、「(里親である)母親に求婚した人がいた」からだというんだから!
この台詞一発、だったよね?その後、姉夫婦の元につぐみちゃんを伴って訪れるシーンでは、そのあたりの事情をなんでかうやむやチックにするもんだから、ズルいよ!!とかなりイカってしまった。
いろんな意味で、ズルいと思う。”母親”は”女”ではない、という、それが思春期の少年がしょうがなく抱いた気持ちであった、それは判るさ。でも、その結論付けさえもせずにうやむやにしてしまうことこそが許せないんだよ。ああ、もうそういうことかと思っちゃうよ。本作のキモがさあ。

つぐみちゃんはお祖母ちゃんの染色を継ぐことを決意して始めるけれど、一方で幼馴染の二世議員に頼まれて、市役所のホームページの改善を引き受ける。
このシーンは彼女のキャリアを生かせる、つまり社会に生きる一人の人間としての女性を示す重要なシーン、と女は思う訳。
しかし、「デザインは専門じゃなかったんですけど……」みたいな、謙遜だかやる気がないんだかよく判らないぼんやりとした態度で引き受けて、一応周囲は喜ぶ、みたいなほんの短いエピソードってのが、一体何の意味があったのか、つぐみちゃんがこの地で生きていくキャラにどれだけの付与を施したのか。
所詮女のキャリアなんて、こしかけ程度の経験で手伝い程度なら、って風にしか見えないよ。

やっぱりナメられてる、女はナメられてる。ああ、気に入らない、気に入らないのよ。こんなテキトーな描写なら、いらなかったよ!! ★★☆☆☆


お盆の弟
2015年 107分 日本 モノクロ
監督:大崎章 脚本:足立紳
撮影:猪本雅三 音楽:宇波拓
出演:渋川清彦 光石研 岡田浩暉 河井青葉 渡辺真起子 田中要次 柳田衣里佳 後藤ユウミ 梶原阿貴 川島夕空 三浦景虎 稲川実代子 伊藤毅

2015/7/27/月 劇場(新宿K's cinema)
ああ、やっと来た、やっと来た!と思った。毎年、遅くとも6月ぐらいには、今年のマイベストワン候補が来た来た、と思える作品に出会えるものだが、今年はそのアタリがなかなか来なくて、ちょっとした焦りと失望を感じていた。それは日本映画に、ということかもしれないし、自分の感性に対する落胆なのかもしれないが……。
いずれにしても、こういう、いわゆる愛すべきクスクス切な映画、とでも言いたい映画がどんどん少なくなっていくことに寂しさを感じてた。本作の予告編に遭遇した時には、ひょっとしたらの予感は感じていたけれど、それがスカされるのが怖くて、平常心を心掛けた。でも、来たのだ。ようやく、一発が来た!と思った。

ああ、好き好き渋川清彦。彼が主演だということが足を運んだ第一の理由でもある。ああなぜ私はこんなに渋川氏が好きなのだろー(なぜって(爆))。
確かに劇中、女房に言われるように、景気のいいことを何度も口にしての堂々巡り、あわよくばと期待してすり寄るような、ダメな男なのだ。そりゃ奥さんに三下り半も突きつけられるわ。
でも、その奥さんが別れた後に手紙(メールだったかな?)にしたためる。「夫婦としては上手くいかなかったけど、友達としてはずっと応援してるから」子供にも会いたいだけ会わせると、最初から躊躇なく言っていた。

つまり、そういう男なのだ。ダメな男だけどイイヤツで、愛すべき男なのだ。今まで渋川清彦にぼんやりとイメージしていたベストキャラが、満場一致?の形で目の前に現れた。
だから最後は彼は一人になり、ちょっと切ないけど、みんなみんな、彼のことを愛しているんだよう!!

うーむ、渋川清彦ラブでついつい暴走してしまった。ところでこの監督さんは私は初。しかしどうやらそれなりにトウはたっているらしい(爆)。
助監督経験が豊富で、本作は監督デビューではないけど二作目で10年ぶり!とかいうタイプの監督さんは、正直なところを言うとあまり触手は動かない(爆)。映画は若いうちからばんばん撮って、才能のあるところを見せてほしい!と映画ファンとしては思うところ。

でも本作の、渋川氏演じるタカシが監督の分身的存在なのだとしたら、彼は才能よりも映画愛ゆえにサポートに徹してしまうタイプなのかもしれない。いやいやいや、そんなことを言っては失礼だ。才能はある。あるに決まってる。だって、本作の愛しさは尋常じゃないんだもの!
それに劇中、その分身であるタカシに脚本を提供している友人が言う。「お前は俺と違って才能があるんだからよ」それに対するタカシの表情は、監督自身の照れのようにも、そして自分自身の尻を叩くようにも見え、何ともほんわかするんである。

それにこの脚本というのもさ、本作の脚本はあの「百円の恋」で話題をさらったお方だって??監督さんとはお年が結構違うが、盟友だというんだから、本当に本作の中でのタカシと藤村のような関係なのかもしれない!
実際、この藤村という友人がサイコーで……とこんな具合に話を進めていくと収拾がつかないから、そろそろ軌道修正しなくちゃあ(爆)。

うおっと、やっぱり監督さんは群馬出身なのね!そうでなければこんな話は描けない、って、脚本家さんは鳥取のお人だけど(爆)。でもそのあたりこそが、監督と脚本家さんの幸福な関係なのだろうと思う。
そして、群馬愛といえばの渋川清彦である。もうその群馬愛は、中山ヒデちゃんなぞを軽くぶっ超えている。群馬映画にはもれなく出演しているのではなかろーかと思える昨今なんである。しかしここまでがっつりと、しかも主演というのは初めて??

主演、と言っても、見た目はダブル主演のようにも見える。宣材写真は、兄である光石研とのツーショットで、彼との兄弟役というのも心躍りまくりだったんである。渋川清彦と光石研が兄弟役!ああ、なんて妙なるキャスティングなのでしょう(萌)。
でも思ったよりは、兄弟二人が同等の出という訳ではなかった。考えてみれば当然だ。タイトルは“お盆の弟”つまり、やはり渋川氏主演の映画なのだもの。

タカシは映画一本撮ったものの、その後は持ち込む脚本がまるで採用されない。その一本も観た人すべてに「よく判らなかったけど……映画撮るなんてすごいね」という一律の感想なんである。しかもそれは大抵、地元での上映会での話である。
「なんで映画監督が玉村に住んでんだよ!」と自嘲気味に言うタカシ、なぜかというと、たった二人きりの兄弟であるお兄ちゃんが大腸がんをわずらって、身の回りの世話をするためにやってきたんであった。
と、いうのは、タカシの奥さんが勧めたことであった。後に、「あなたと離れたかったから」とその理由を明かした奥さんにタカシは愕然。それからはとにかく奥さんとヨリを戻すことに必死になるんである。

そんな中、ある出会いが。いつも脚本を頼んでいる友人、藤村が合コンに引きずり出す。彼自身は出会いを求めて結婚相談所にカネをつぎ込み、ついに人生初のカノジョをゲット、そのカノジョの友人だという。
しぶしぶ出かけてみたらこれが予想外の美人。……なんだけど、タカシはそれに対して個人的に心揺さぶられている風はないんだよね。予告編では、ちょっとほうっとした顔をことさらに強調しているように見せていたから、これは恋の予感??と思わせたんだけど、タカシは劇中、あくまで奥さんラブ、娘ラブを見事なまでに崩さない。

そこがねえ、すんごく好きなところだったんだよね。合コンに引きずり出される最初から、タカシはお兄ちゃんに紹介できるかも、という気持ちだったし、その後コンタクトを取り続けるのも、その気持ちのまま続いていた。
本当に、彼自身から彼女に揺らぐという感じがなかった。好ましい気持ちはあったけれど、それはあくまで、お兄ちゃんの相手として、だったんだ。

んんー、でも、離婚が決定的になった直後、その彼女、涼子からお兄さんを紹介してほしい、と言われた時は、かなりハトが豆鉄砲くらったような顔をしていたから、ちょこっとは心揺らぐ気持ちもあったのかもしれない??
確かにメッチャ好感のある美人だもんね!!演じる河井青葉は、脱げる女優というだけで私は気に入りの一人だが(爆)、ソフトな声と嫌みのない女性像とお芝居が涼子さんにピタリと合っている。
藤村のカノジョというのがまたキョーレツな女性なのだけれど、その子と親友であるということを、台詞の中のエピソードでさらりと感動させてくれるのは、これはなかなかワザな芸当なのであるのよね。

というのも、この涼子さんも実は乳がんで片乳房摘出という経験を持っていたから……などとゆー、いわゆる物語の概略をただただ話していくと、本作の魅力にちっともたどり着けないんだよなあ!
これが、映画というものの魅力だと思う。まあ映画に限らず、ではあると思うけど……キャラクターと台詞と、そのぶつかり合い、なんだよね。つまりは脚本ということになっちゃうのかもしれない……本作の、一つのテーマであるところなのだから、それを感じさせるのは大成功なのだろう。
でもその脚本に、血肉を持つ役者がのっかり、ぶつかり合うとなると、これこそが演出、ということになり、役者の魅力、ということになるんだと思う。

お兄ちゃんの看病のために両親はもう亡い実家に帰ったタカシが、お兄ちゃんから「奥さんとはどうなんだよ。料理ばっかり上手くなりやがって。私は主夫と結婚したつもりはありません、って言ってたぞ」と言われる。確かに劇中、タカシの手際のよい料理シーンと、品数の多い食卓が示され、ああこんなダンナが欲しいと世の中の奥さんたちは思うであろうに違いないのに。
かといって、お兄ちゃんの言うことも判らなくもない。やりたい仕事があるのに、それに本気にならないで主夫に徹することによって逃げている、そんな情けないダンナは願い下げだと、確かに女はそう感じる。
専業主婦は大変だと思ってるのに、専業主夫は逃げだと思っちゃうこの矛盾。まだまだ日本社会が未熟だということなのかなあ。

映画を一本撮ったけど、その後が続かない。映画のロケシーンに脚本を持ち込んだり、後輩から前売り券を恵まれたり。
いわゆる映画を作りたい人の物語、というのは、若手作家の中にはちょいちょいあって、その大抵のものが絶対的な自信とそれに伴う青臭さに彩られていて、かなり見ていられないものが多いんだけど、そこはそれ、それなりにトウのたった(爆。ゴメン!!)助監督キャリアの長い監督さんの描く物語だから、自嘲コミカルを上手いことユーモアエンタメに昇華させていて、とにかくクスクス笑わせてくれる。

そして……同時に切なくなっちゃう。クスクスには、ネイティブ群馬人の渋川氏の“だんべ”言葉が実にいい感じに後押しし、そして何よりキャラ強烈な友人、藤村がサイコーなの!
焼き饅頭屋のダメ息子、というのはタカシのお兄ちゃんの弁。この焼饅頭屋、というのが、地方の、無駄に土地が広い店によくある、無駄な小上がりを持て余しているようなところ。
カノジョがヨメに来て采配を振るうまで閑古鳥が鳴いていたことは間違いない雰囲気タップリ。串にささった焼饅頭も無駄にデカくて、それだけで笑える(爆)。
最後に泣けること言ってカンドーをもたらすとはどーしても信じられない、どうにもこうにもどうしようもない非モテ男の藤村君を隣に置けば、ダメダメ男の筈のタカシも、確かにイイ男に見えてしまうかもしれないんである(爆)。

結局はタカシは、本気で打って出る勇気がなかった、友人に脚本を書かせて、何度もダメ出しくらってクダ巻いてるのは、ちゃんとした脚本家に依頼してダメ出し食らう勇気がなかったのだと、この藤村君が喝破した時には、それまでのオフビートなユーモアがひっくり返った感じで、本当にビックリした。
藤村君は色々見栄っ張りのウソついてたことを白状して、強めのカノジョからボコボコにされて、逆に?結婚をゲットする。そうしてもう、なんか人格者になっちゃったかも、なんである(爆)。

藤村君を演じる岡田氏も群馬出身。正真正銘の群馬訛りのぶつかり合いが、ユーモラスで、そしてチャーミングで、ハートをぶるぶる揺さぶるんだよなあ!
お前は才能あるんだから、と言った後で、「有名になっても、友達でいてくれよ」と藤村君が言ったのも泣かせるが、それに一瞬、カンドーの間を置いた後で、「ヤだよ、バーカ」と返すタカシ、いやさ、渋川氏がまた、泣かせるのだ!!

おー、おー、おー、結局渋川氏ラブで、彼のことばかりになってしまって(爆)。
やはり兄弟の物語だからさ、お兄ちゃんのことがある訳よ。台詞の上だけだけど、趣味で活動している楽団の、若い巨乳姉ちゃんにちょっとクラリときていたお兄ちゃんは、その子の結婚であっさり失恋、そこで弟から涼子さんを紹介されるというくだりになる訳。
藤村君同様、いやそれ以上のキャリアでの彼女ナシなんではないかと思われるオクテお兄ちゃんが、「渡辺さんのお兄さんなら、イイ人なんじゃないかと思って」と涼子さんから紹介を請われ、まるで初恋同士のようなお見合いからスピード結婚を果たす。

ああでも、ヤハリそこでも思ってしまうのはタカシ=渋川氏なんである。ヤバい、すっかりハマッている(爆)。
いや、ね。この二人の兄弟に一人の美女でしょ、どちらかが幸せになれないのかと。どちらにも幸せになってほしい、彼女はどっちにいくのかなあと思っていたのよね。
で、涼子さんがお兄さんを紹介してほしいと言い、そこでタカシが粘らなかったから、ああタカシが一人になるのかあ、と思って少し寂しい気持ちになったんだけど、でも先述したように、タカシの奥さんへの気持ちがここまで一度もブれてなかったことに気づいたんであった。

確かにタカシは一人になってしまった。神社のお参りの度に奥さんとのヨリを戻すことを神様にお願いして、「住所を言わないと、神様は場所が判んないから」とまで律儀にやっていたのに、奥さんとも離婚になってしまった。
そして一人、数年ぶりに両親の墓参りに訪れるタカシは、でも決して不幸そうではないのだ。ちょっと寂しいけど、不幸ではないのだ。奥さんは友達としてずっと応援すると言ってくれる。娘とはいつでも、どころかしょっちゅう会ってる。

そして両親の墓に向かって、あと1本、いや2、3本、出来るだけ多く映画が撮れればいいな、などとあつかましく報告して観客をほっこり笑わせてくれる。
いわゆる業界ネタである、映画クリエイターの話は内ネタであるがゆえに、映画ファンとしてこちら側にいる観客を壁の外に置きがちになるんだけど、それが決してないのが、いいんだよね。
タカシはこちら側にいる。いまだに(爆)。でもこちら側にいてくれるからこそ、観客にとっての素敵な映画を撮って欲しいと思う。神社にきちんと一礼するタカシの、いい歳こいた律儀なかわいらしさを、映画の神様も救ってほしいと思う。

奥さん役の渡辺真起子がまたよくってね!この人はいつでも素敵だけど、相変わらず素敵だなあと思った。
別れたい理由は割とあっさりしてる。そもそも結婚に至る経過を藤村君から暴露されるんだけど、彼女の方からのアプローチの時には逃げ腰だったくせに、彼女に男の影がちらつくと、タカシが慌ててプロポーズして結婚に持ち込んだ、と。
つまりタカシは一人になりたくなかったんだと。奥さんは、離れて暮らしてのすがすがしさを確認し、娘と暮らしていくための資格も、ダンナに子供の面倒を任せたりしてしっかり取得し、一歩も二歩も前に踏み出していく。

でも娘はパパ大好きで、そのことに苦悩もしている。ダンナが時に色欲を滲み出してきたことを素早くキャッチして「セックスしようとか思ってる?ありえないから」とバッサリ。
その直前にコンドームを確認し、奥さんのブラに鼻を埋めてスーハーしてるタカシに爆笑しつつ、なんかホロリと可哀想になったりして(爆)。

離婚が目の前にぶら下がり、脚本も却下されたタカシがダメダメになって、娘を預かって公園に行っても缶ビールとか飲んじゃって目もうつろで、あーら、こらーやばいと思ったら案の定、娘ちゃんが滑り台から落下して怪我しちゃってさ。
駆けつけた奥さんがダンナが酒臭いことに気づいちゃったときには、ああ、もう、ダメなんだから、ダメ男なんだから!と思うんだけど、なんでか斬って捨てられない、愛しく思っちゃう。
でもでも、ホント、夫としても父親としてもダメだと思うけどね。いや、でも娘ちゃんがパパ大好きで、パパも娘ちゃんが大好きなんだから、それは百点満点なのか、だから愛しく思っちゃうのか!!

しかし、モノクロ、なのよね。ちょっとなぜ??と思った。コミカルな音楽もあいまって往年の名画のようで素敵だけど、このネタでモノクロにするまでの理由はそれほど感じられなかった。むしろ、今の観客を遠ざけてる気もして、もったいない感じがしたなあ。
確かにこういうオフビートなユーモアをモノクロで描くって、90年代前後にちょっと流行ったけど……(つまり監督の世代的な問題??)鮮やかなダメ男、渋川氏は、カラーで見たかったなあ。★★★★★


俺物語!!
2015年 105分 日本 カラー
監督:河合勇人 脚本:野木亜紀子
撮影:足立真仁 音楽:岩崎太整
出演:鈴木亮平 永野芽郁 坂口健太郎 森高愛 高橋春織 恒松祐里 健太郎 篠田諒 小松直樹 中尾明慶 高田里穂 富田海人 堀越太耀 池谷のぶえ 安井順平 緑友利恵 渋川清彦 寺脇康文 鈴木砂羽剛

2015/11/8/日 劇場(TOHOシネマズ錦糸町)
予想外に良かった。いや、とてもとても良かった。いや、やはり、予想外。予想外というのはヤハリ、予告編からの印象で、くっだらない(いい意味で)ナンセンスの(いい意味で)ゲラゲラ笑う(いい意味で)な映画だと思っていたから、思いっきり力を抜いて臨んだら、予想外にヤラれてしまった。
いや、こんなしつこくカッコ付きにしなくたって、実際にもその通り、いい意味でくっだらなく、ナンセンスでゲラゲラ笑う映画には違いないのだ。その点ではしっかりと、予想を期待と言い換えて応えている。
予想外だったのは、ナンセンスの中に込められた彼らの想いがホンモノで、最後にはすっかりキュンキュンしてジーンとして、涙してしまった、というところ。あぁ、まさか、この郷田猛男にヤラれてしまうとはっ。でもそれこそが、原作においても意図したところだろうが……。

全く知らなかったこの原作。別マという王道中の王道の少女漫画。出てくる高校も集英高校というのが笑える。
人気も評価も相当に集めての、満を持しての映画化だったなんて、ぜぇんぜん、知らなかった。全くアンテナ張ってない。毎度のことだがダメな私(爆)。
少女漫画は確かにその昔から、これが案外とバラエティに富んだ作劇やキャラクターを生み出してはきたものの、最近はなんだか、イケメン男子との壁ドン物語に埋没しているような印象があったのだが(といっても、それこそドラマや映画になる原作から得る印象に過ぎないのだが……)、やはりそれは、私自身の不勉強によるものなのだとゆーことを、今回痛感した。
こーゆー男の子を主人公にできる懐の深さが、本当の少女漫画にはあるのだと、あの王道の集英社、マーガレットにあるのだと、なんだか久々に雑誌で少女漫画を読みたいと思ったりするぐらいだった。

それにね!まぁびっくりしたわ。誰だろうと本気で思ったのだ。予告編で見た時にさ……。原作を読んでない私でも、剛田猛男!!の風貌にカンペキ。こんな大バジェットの拡大公開の映画だし、存在感バッチリだし、まさか無名の俳優じゃなかろうとは思ったが、まさか!!
いや、言われてみれば確かにそう、見てみれば思いっきりそうなのだが!!一ヶ月で30キロ増量!?ばっ、バッカじゃないの!!しかもそれは、剛田猛男だからデブになればいいというんじゃない。柔道も野球もゴールキーパーも砲丸投げも超人的な助っ人をこなす、そういうガタイのデカい、筋肉でデカい男にならなければいけない訳で。

デ・ニーロアプローチなどとゆー言葉を、久々に思い出したが、そういう意味ではデ・ニーロよりも凄いかもしれない。いや、久々でもない。「百円の恋」の安藤サクラ以来に思い出した。
しかもそれを、こーゆータイプの、いい意味でくっだらなくナンセンスで……(以下省略)な映画でなしえてくれるというのがたまらなく嬉しい。鈴木亮平。朝ドラでブレイクしたかなんだか知らんが、そんなのはよく知らん、私はこの剛田猛男のあんたにこそカンドーしたよ!!

キャラ的には15歳の役にはあまりにもあまりな年齢差だが、確かに実際の15歳でもこーゆー男の子はいるだろうけれども、剛田猛男!!を演じるまでの才覚のある役者はさすがに、い、いないか……。
でもいいの。それこそが漫画原作のいいところだから。本作は、漫画原作のいいところを素直に取り入れてる、いい意味で(また出た(爆))、マンガチックさをそのままに描いているところが一番、いいところだと思う。
いまどきガクランの第二ボタン!と思い、いまどき、チンピラにからまれてる女の子を助けるシチュエイション!!と思う。でもそれを、あの剛田猛男!!がやるからこそ、それこそマンガチックがナンセンスになり、胸キュン物語になるのだから、まさに漫画はミラクルなのだっ。

中学の卒業式でガクランのボタンを狙われるのは、猛男にホレてる男どもであり、その第二ボタンを死守して好きな女の子に告白しようとすると、既に親友のイケメン、砂川誠に告白しているシーンに遭遇。フラれた彼女のために自分の第二ボタンをスナ(砂川君のこと)に渡せと握らせる冒頭のシーンから、猛男のキャラが直球に表現されている。
そう、彼はホレっぽく、しかしそのホレた女の子はみな親友のスナにホレてて、ゴリラのようなイカつい外見で、心優しく面倒見のいい彼は男子には絶大な人気だけれど、女子にはその良さが全く理解されず、むしろ軽くバカにされているよーな状態なんである。

スナを演じる坂口君は、ここ数年しつこく続いているイケメン路線に素直にのっかるタイプの甘いマスク……古い言い方だが、この言い方がピッタリの男の子。猛男と親友で、他の男子以上に、猛男の良さを誰よりも判っている、からこそ、外見でキャーキャー寄ってくる女たちに少しも心を動かされないんである。
つまり、猛男のことが大好き。という点で共通する凛子という女の子が現れた時、凛子が猛男のことが好きだと判っていても、スナも彼女に好印象を持ったから、こういうクールな男の子が初めて女の子を好きになっちゃって、ややこしい三角関係になっちゃうのかな……そしたら猛男はそれこそ身を引いちゃうよな……などと思っていたが、そこはあっさり、スナはそういう女の子だからこそ猛男の相手として喜んでいるという展開で、ううむ、つまんないぐらいイイヤツすぎる……などと思う。てゆーか、私が考えるその設定は古いかな(爆)。

やっぱりさ、作品を気に入っちゃうと、それが漫画原作だと思うと、原作がどうとか気になっちゃうじゃない。漫画原作で、今も連載が続いているとか聞くと、映画化となった本作が、つまりは完結していない、完全な物語世界じゃないんだと思うと、気になる訳じゃない。猛男はなんかホレっぽい感じだし、スナがこれ以降どう関わってくるかとかあるかもしれないし……とか。
でも気になってちょこっと探ってみた限りでは、映画化作品となった本作は、二人がお互いの気持ちを確かめ合う、つまりは一番オイシイ部分だけをしっかりと抽出する、という賢い方法をとっていて、ああそれなら、と思う訳。
だってこーゆー、奇跡的にピュアな二人なら、その後、距離を縮めていくエピソードはいくらだって考えられる訳だし、それでいくらだって物語は伸ばして(爆)いける訳だもん。やっぱり重要なのは、二人が思いを確かめ合う導入部なわけなんだよね!!

で、その導入部っつーのは、さっき皮肉っぽく壁ドンとか言ったけど、まさにそれを逆手に取るような二人の出会いがニクいんである。
チンピラに絡まれている、という王道はまさにそうなのだが、そのチンピラの壁ドンの嫌がらせにドーン!と突き返して「ドキッとしたか!!」と凄む猛男はサイコー!てゆーか、その前のエピソード、猛男がいつも、困っている人を助けずにはいられない、のに、いつも怖がられて、感謝されるどころか、誤解されて怒られたりする、という、”いつものこと”を示すためのエピソードが、これがいい意味でのナンセンス、ゲラゲラ笑っちゃうんでさあ。

いきなり川でおぼれている小学生、というシチュエイションこそがな、なんで!!??とツッコむのも忘れてボーゼンとしてしまうぐらいだし!
その小学生を助けるために迷いなく川に飛び込む猛男が見事な腹ぶち(爆笑!)、しかし泳ぎは異常に早く、潜水艦かと思うスピード(大爆笑!!)、まるでジョーズのような潜伏からズバア!と顔を出す猛男の姿に恐怖にひきつる小学生は必死に逃げる(大大爆笑!!)、それを猛男は何故かバタフライで追いかける(もうお腹痛い……)。
そして、怖がって足をバタつかせる小学生を肩に抱き上げて川から上がってくる。もう、ツカミはオッケーすぎるでしょ!!

てゆーか、二人の出会いから脱線しすぎ(爆)。この女の子、女子校に通う凛子は男らしく助けてくれた猛男に一目惚れ。そして猛男も一目惚れ(爆)。
その後、手作りのお菓子を持って待ち伏せていた凛子に、猛男は一緒にいたスナにホレたんだと思い込んでしまう。
「こんなにカッコイイんだから、彼女とかいますよね」という台詞が決め手になったのは、カッコイイのがまさか自分を指しているとは思わないことと、”彼女とかいる”という台詞が自分を想定しているという予測が出来なかったからだろうと思われる。

勿論、観客側も凛子が最初から猛男のことを好きだとは思っているんだけれど、あまりにも猛男がそんな筈はないと思ってて、凛子自身もハッキリと猛男が好きだという表現をしないので、あれ、これはやっぱり彼女もイケメン好きなのかな……と不安になったりする。
しかもスナが彼女に好感を持ったりするからさ……。でももちろん、スナは最初からそれを判ってて、だからこその好感だった訳なんだけれど。

それにしても、お菓子作りが得意な女子とはね(爆)。今の時代でもそーゆーのって有効なんだ……なんか若干のムズがゆさを感じたけど(爆爆)。
まぁでも、それが生半可なことじゃなく、ハート型のマカロンまで完璧に作っちゃう、パティシェになれそうな勢いの腕前ってあたりは良いのかもしれないけどね!
猛男がそのマカロンを食べて「なんだこの食べ物はー!!!」と絶叫するシーンは、最高だったもんなあ。判る判る、マカロン初めて食べると、そういう衝撃、あるよねっ。

でも、そうかぁ、やっぱりこういう女の子じゃなきゃダメなんだ……という気は、しつこくしたりもする(爆)。少女漫画において、設定的には地味系ぐらいはあっても、基本、可愛い女の子でなければいけないというのは、今も昔も変わらないのか(爆)。こーゆー風に、男の子は変わり種があってもオッケーなのになぁ、そうかそうか……。
ふた昔ぐらい前までは、女性芸人が珍しいどころかどこかゲテもの扱い、恋とか恋愛とかと結びつかないイメージだったのが、今は劇的に変わってきているけれど、少女漫画の世界はまだ、その価値観のままのような気がする、とゆーのは、芸ではなくて恋が仕事な世界だから??でもそれこそ問題なんだけれど。

おっとっと。ついついフェミニズム野郎の方向に行ってしまう(爆)。いいじゃないの、美女と野獣、これぞラブストーリーの王道の中でも異端の王道ともいうべきスタイル。それ以上を望むのはここではヤボだって!!まぁでも、やたらと口をすぼめ気味の凛子ちゃんには若干のウザさを感じなくもなかったが(爆爆)。だから、いいんだって、そんなことは!!だってこれは、「俺物語!!」猛男こそが主人公、彼の魅力が出ていればいいんだもの!!
凛子に恋しちゃった猛男が、助っ人を頼まれた柔道の練習で、好きだー!!が、最初はダー!だけで、キダー!になって「キダ?キダって誰?」と部員たちがヒソヒソやるのにまず爆笑、最後には「好きだー!!」が部員全員の必勝の掛け声になるのには、そういうことか、ヤラれた!と思う。

サッカーのゴールキーパーやら、野球のピンチヒッターやら、砲丸投げやらのありえない助っ人パワーを見せつけるもんだから、凛子への思いで悩んで力が発揮できなくなると、とたんにパワーダウン、砲丸投げが気合十分に投げて足元にぽとりと落ちたりする場面で大いに笑っちゃう。
ほぉんと、鈴木亮平が猛男になった、なってくれたがこその作品なんだよね。彼が全力だからこそ、いわばお約束とも言えるラストシーンにググッとくるんだもの。

まあ結構すっ飛ばしてるけど、遊園地での合コンデートのエピソード、お化け屋敷で火事になって、凛子を命がけで助けたりとか、凛子が残された猛男のもとに舞い戻ったりとか、お姫様抱っこで凛子を抱えて出てきたりとか、かなり盛り上がってたのに(爆爆)。
でもさ、結局凛子はずーっと猛男のことが好きだった訳だから、こーゆーエピソードは所詮、周囲に猛男の魅力を判らせるためのそれだっただけだからさ!!

そう、本当に、クライマックスにはヤラれたのさ……。スナは本当に、賢明だったと思う。お互いの気持ちがすれ違っているのは判っていたけれど、それを自分が伝えるのは筋違い、誤解を招く可能性もあるんだってことも、充分に判ってた。
でもあまりにもドンカンな親友が、これ以上いくと本当に破たんしてしまうと判断したギリギリのところで、ニクイ演出をする。自身の誕生日のサプライズバースデーパーティーを行けないと断ることで(てゆーか、猛男が明かしてる時点でサプライズでもなんでもない……)、凛子が猛男のことを好きな証拠がちりばめられているそこここにLINEでナビするんである。

いつも作っていたお菓子やおにぎりの好みは、いつも猛男のことを思ってのことだったと、ケーキ屋さんやパン屋さんや、猛男の母親が勤める総菜屋さんに行かせるんである。
この時点で、ああ、スナ君は、ちゃんと凛子の相談に乗っていたんだ、話を聞いていたんだなあと、改めて判るんである。そこがまた、ニクいんである。
パンチパーマ気味のおかあちゃんや、猛男ソックリの剛毛眉と剛毛もみあげのおとうちゃんは若干のウケねらい気味だが、まあそこは、コミカル部分を100%受け入れているという意味でいいのかもしれない。

で、ね。先々で凛子の想いを聞かされて、(パン屋さんの渋川清彦がイイ!!)、LINEで「いいかげん気づけ」とスナから言われ、まさか、と……。いいかげん気づけ、ってイイね!なんかもう、キューンとくる!!
で、走るのだ、走る走る猛男!!もうこの前後からの猛男、いやさ鈴木亮平の、好きな彼女が自分のことを好きだったのか、かもしれない、本当か!みたいな気持ちのグラデーションが刻々と出てくる感じがもうキューーーン!とアンテナの針が上がりっぱなし。

凛子にまさかの幻聴が聞こえ、いやそれは、人間離れした猛男の声が友人たちにも聞こえ、エプロンをかなぐり捨てて、思い出の初デート(スナのバースデイプレゼントを買いに行ったデートね)の橋の上で対峙する、直球の、好き!をぶつけ合う、もう心臓躍り上がる。
ああもう、こんなシチュエイションで今さら泣くとは思わなかったよ(恥)。剛毛眉、剛毛もみあげ、イケてない感満載のゴリラ系男子を体現した鈴木亮平君に拍手を送り、そしてたまらなくこのシーンのアンタは素敵だったよ!!

ラストクレジットに、吹き出し付きでマンガそのものに描かれるコマ割りで、その後の彼らの進展ぶりが初々しく描かれる。手をつなぎたい、と言われてがしっ!と反対側の手を握り、そのまま歩くからさあ、交互になっている手を、ダンスのようにくるくるさせて悩んでいる様子とか最高にカワイイ!
そしてラストのラスト、予告編で遭遇して最も笑ってしまったあの場面がいつ出てくるのかと待ち続けていたら、ここかと!
キスの練習をスナに迫る猛男のラストエピソードは、本当に最高!手土産を持参してずずいと差し出すのにも噴き出したが、枕では距離感がつかめない、歯がぶつかったら彼女が可哀想だろ!!とスナに迫るのには爆笑!
ラップ越しなら問題ない、覚悟!とか言う台詞に予告編の時も爆笑したが、それ以上に、「(キスは)高三の秋を予定している」おっ、遅っ。なんて純情なの。今からキスの練習してるくせに。もう最高!★★★★★


おんなのこきらい
2014年 80分 日本 カラー
監督:加藤綾佳 脚本:加藤綾佳
撮影:平野晋吾 音楽:ふぇのたす
出演:森川葵 木口健太 井上早紀 谷啓吾 松澤匠 緑茶麻悠 加弥乃 富永茜 福原舞弓 巴山祐樹 牛丸亮 高木公介

2015/2/24/火 劇場(新宿シネマカリテ/レイト)
最近はレイトショーの集客度がホント、読めないんで本作もかなり余裕をもって、45分前には劇場についたのだが、既に残席ヒト桁!ビックリ!!
もーう、最近のレイトはホント、読めなーい!!一体どうしてこんなに盛り上がってるの??とオフィシャルサイトを覗いたら、もともとミュージックラボの企画からのヒットで、今回の上映もかなりのリピータが詰めかけている、らしい。

最近、このミュージックラボ企画の作品はよく聞くんだよね。K's cinema でやってたのは目にしていたけれど、なかなかこういうのをチェックするまでの行動力が失われてきている。老い(爆)。
でも、こういうのは嬉しい。だって、確実に、新しい才能の流れを作ってるってことだもの。あまりにもツマンナイところで商業映画はこごってしまっているからさ!!

タイトルからして。そして女の子モノということからして。こりゃー見逃せないに決まってる。ヒロインを演じるのは「チョコリエッタ」ではまた全く違うヒロインを演じ、間違いなく最も注目すべき新進女優であると思われる森川葵嬢である。
だってこの役、おっぱい出すより女優の度胸が試されるかもしれない、などと思っちゃう。「だって私、可愛いもの」という台詞だけでもビビるが、それが唯一絶対の価値だと信じて疑わない超性格悪い女の子。
この台詞を言う役をやってしまったら、とゆーか、もうこの台詞を言ってしまったら、自分でも可愛いと思ってるんでしょと言われて女優さんたちが必ず返す、「そんなことないですよぉ〜」というウソ100%の謙遜は言えなくなるに違いないんだもの。いや、実際可愛いんだからいいんだけど(爆)。

女の子は可愛くなければ価値がない、というのが、このヒロイン、キリコの言い分。当然職場の女子諸君たちからは嫌われまくり、しかし「あなたたちと一緒にしないでください」と傲然と言い放ち、「うるせーよ、ブス」とつぶやき言葉もカンペキな性悪女。
しかしコレが、その態度ほどには鎧は固くなく、それ以上にツラの皮が厚い女の子や、優しすぎるゆえに残酷な男子諸君に傷つけられ、クライマックスではすっかり自分が壊れてしまうんである。「可愛いだけじゃ、ダメだったみたい」と。

正直、ね。ちょっと勧善懲悪っぽいなと思ったのは事実、かなあ。まるで沢尻エリカをコテンパンにやっつける世間みたい、と思った(よく判らない例え……)。同じ女に対しては見下す態度を崩さず、当然先輩を立てることもせず、男子に対してはあからさまに上目づかいにハイトーンの甘い声を出すこの子は、まあ言ってしまえばあまりに判りやすい嫌われ女子、なんだもの。

男子からはチヤホヤされている、という設定だけど、それは後に、彼女のそんなアサハカさを見抜く正しい男子が現れなくったって、そんなにもほぼ100%の男子が彼女に騙されているなんて、思わない。
実際、先輩を出し抜いて勝手に取引先とのやり取りを進めちゃったキリコと先輩のバトルを、こりゃ困ったネ、という感じで遠巻きに男子諸君が眺めているだけなのは、つまりキリコの味方をして口を出してこないのは、先輩女史がコワいってだけじゃなく(それもあるだろうけど(爆))、やっぱりキリコが勝手をしてること、女の武器を使って勝手をしていることを、判っているから、だろうと思うもの。

キリコちゃんのキャラ設定は冒頭でしっかりと固められる。デザイン会社に勤めるキリコは、彼氏を見つけることに必死な合コンには参加せず、男子たちからたった一人でチヤホヤされるのみの席を選ぶ。
下心アリアリの先輩男子からのデートの誘いよりも、ただ一人、ネラっても落ちないイケメン、ユウトが勤めるバーに赴く。……つまりは純情乙女、なのよね。
そして、失恋が待っている。その代わりに現れた、白馬に乗った王子様と思えた男子、幸太にも、フラれる。

キリコちゃんは、つまりは、制裁を加えられるのよ。そういう印象がある。女子たちから嫌われまくっていた彼女が、当然の様に受ける制裁。
好きな男子にもきちんとアピールしているのに、”優しすぎる”彼、ユウトはそれを拒めずにセックスもし(それってつまりただのセフレ!!)、だからこそ諦めきれないキリコちゃん。

女の子だからやっぱり、セックスに愛があると信じたい気持ちがあったと思う。でも予想外だったのは、そんな女の子な発想をしない女の子の出現。「ユウトさんは優しいからセックスを断らないんだと思います。私と一緒で。」としれっとこの女子、バーのバイトに入ったさやかは言い放つんである。
後からよーく考えれば、人を好きになって、だから一緒にいたい、セックスしたい、という発想にならないこの男女のキーマンは哀しいに他ならないんだけれど、そりゃあその矢面に立たされたキリコにとっては手ひどい失恋に違いない訳で。

で、可愛いことだけが女子の武器だと突っ張ってきたその仮面を見事にはがされた、取引先相手の雑貨デザイナー、幸太。
デザイナーなんだから、クリエイターとしての矜持は当然ある筈なのに、「えー、だって、カワイイから、イイと思いますよぉ」といつもの感じで押すキリコに不快感を示す。家まで押しかけるキリコの描写に、単純にムッとしちゃう女子観客の私(爆)。

でも、彼は見事に見抜く訳。意外なことに、専門学校で一緒だったというウラワザを出すにしても、そりゃあ男子だってバカじゃないんだから、騙されない人たちだって数多くいるさあ。
でも、騙されないこと、つまり自分は彼女のことを判っているんだ、という思いやりが、結果、キリコちゃんにとって残酷な展開になる訳でさ……。

調子乗ってた女が、見事に制裁を加えられる、という、ミもフタもない言い方ではあるけど、でもそういうこと、じゃない??判ってくれた男子の愛情に一瞬救われたにしても、それが友としてのそれだと判って、更にどん底に叩き込まれる。
それでもラストは、一応立ち直って、「君、カワイイね」「ハイ!!」と返すショットで終わるんだからいいのかもしれないけど、このラストシーンには「可愛いだけじゃダメみたい」と悄然とする彼女の価値観の方向転換は正直、感じられないんだもの。

いや、感じられるべき、なんだけどね。だってこの時、キリコちゃんは欠かさなかった完璧メイクもしてないし、何よりおにんぎょさんのようにつややかなロングヘアを見事に毛先カールさせたヘアスタイルじゃなくて、精神ぶっ壊れた末にザギザギに切っちゃったショートヘア。ミニスカからすらりと生足を出していたいつものカッコでもない、ボーイッシュなカジュアルさ、なんだもの。
つまり、普通どおりしてても私は可愛い、大丈夫!という方向転換を……でもこう書いてみると、それこそヤな女だな……ととらえられちゃうと、これは絶対失敗だと思うんだけども……。

だってだって、私はさ、女の子大好きな私はさ、顔の造作が可愛かろうとそうでなかろうと、女の子は女の子であるだけで可愛いのだと、固く信じているからさ!!言っちまえば、性格の良し悪しすらも関係ないのよ。女の子であるだけで、いいのよ!!
だって女の子の季節は、あまりにも短いんだもの。それが故に、奇跡、なんだもの。

……ちょっとね、哀しかったのだ。キリコちゃんに女子として共感を持てるかとか、そういうところで女子観客を試している気もしたし、こういう女子だから幸せにはなれないでしょ、という女子目線の制裁を感じもしたし……。
そりゃ勿論、クリエイターなのだから、そんなアサハカな結論づけはしてないとは思う。実際、破れはしたけれども本当の恋と、それに真正面からぶつかって破れたことも人生初であっただろう、キリコちゃんのおんなのこの人生は、これからなんだもの!!という展望は確かに感じたし。

でもでも、……うーむ、どんなにヤな女の子でも、女子的制裁の感覚を少しでも感じてしまうのは、ツラい。女子の残酷さって、ハンパないんだもの。
表向きは女の子好き好きとか、フェミニズム野郎とか言っていても、そりゃ、コイツに制裁加えたい気持ちって、判るから(爆)、自己嫌悪の気持ちを感じちゃって、辛いんだもの。それはつまり、自分だけは判ってる人、イイ人になりたい、それこそイヤなヤツってことなんだけど……。

そうだ、つまりはそういうことなのだ。幸太はまさしくそういうヤツだったし、正体が判ればただのヤリチンだったんじゃねーの、と思っちゃう、キリコちゃんがホレてたユウトだってそうだもの。
キリコのことを判ってる。傷つけたくない、そう思って、本当のことを言わない。幸太は、彼女のウィークポイントに関してはズケズケと言ったけど、自分にカノジョがいるとか、そーゆー肝心なことは一切言わなかった。
しかも、こともあろうに、キリコちゃんがすっかり壊れて無意識に呼び出したコールに応えて彼女の一人暮らしの部屋に駆けつけ、大丈夫、大丈夫と介抱し、極めつけは、キリコちゃんが自暴自棄で切り刻んだ頭を、あたたかな陽光の下で手ずからハサミを持って整えてやるなんてこと、しちゃうんである!

あーもう、あーもうあーもう、これでカン違いしない女子がいるなら、どっかネジが外れてるんだよ!!抱きしめるより、キスをするより、介抱と髪の毛に触れることは、ずっとずっと重いことだよ!!
それこそ……性欲よりも愛情を、”カン違い”しちゃうんだよ!!何故わからないのだ!!……いや、判ってるからこそ、これまた監督さんが女子だから判ってるからこそ、この描写なのだろうけれども……。

実はこの、”優しい男子”の残酷さを描きたくての本作なんじゃないだろうかと思ったりもする。この優しい男子のカノジョさんもそうさ。キリコちゃんがすっかり幸太と相思相愛だと思い込んで、ナベの材料なぞ買い込んで訪ねた彼の部屋にいたカノジョさんもまた、一見優しそうで、こんなに残酷な女もないのだ。
当然、キリコちゃんの彼への気持ちをすぐに察して、「追いかけないの?(なぜそんなこと聞くって)女だから……」と。追いかけられないってのは、そりゃそうだ。女じゃなくたって、判る。でも、彼が追いかけたって、キリコちゃんが傷つくだけだってことぐらい、判らない筈はなく、判らない筈がないってことは、自分があの子より愛されている自信が、このカノジョさんにあるってことでさ。

うわ、うわうわうわ、判り易く嫌われていたキリコちゃんより、ずっとずっとタチが悪いんだもの!キリコちゃんが、ああいう女の人と男の人は付き合いたいって思うの、判ってるよ、とむせび泣くのを痛々しい思いで眺める。
そこまでは判ってたのに、そういう女の人の方が、キリコちゃんのような判り易いイヤな女より、ずっとずっとイヤーーーな女だってことを、判ってないなんて、キリコちゃんは実はとても純粋で、優しい子なのかもしれない、って。

女は深い。男はやっぱり浅い(爆)。ああ、そうそう、社内恋愛していた、珍しくキリコちゃんを慕っていた後輩が、その彼氏がキリコちゃんに言い寄って、ラブホでヤッちゃって、なんていうエピソードもあった。
後輩のためを思ってそれを告げたキリコちゃんに彼女は目をむいて、「もう二度と、私の前に現れないでください」と言った。

ふと、思い出した。浮気をされると、女は相手の浮気相手、つまり同性の女を憎み、男は浮気したパートナー、つまり異性の女を憎む、って。
なんか、ソンだね。どっちにしろ女が憎まれるだなんてさ。この場合、やっぱり女の方が愚かだと思う。男は単純だけど、浮気したパートナーを責めるのが道理だよ。この場合だけは、女は愚かだ。
キリコちゃんもそうだけど、ホレるとその相手は正義になってしまう。フェミニズム野郎だけど、それだけは、歯がゆい思いをしてしまう。

なんてさ。確かに色々重い作品、可愛いことを保つためにキリコちゃんは食べ吐き……しかも、自らの中を可愛いもので満たすためにショートケーキだのマカロンだのを食べては吐く、というゆがみっぷりであり。
でも基本、基本は、可愛いんだもの。葵嬢は、壊れてザギザギに髪を切っても、可愛い訳。それまでの可愛さとは種類が違って、作り上げられた完璧な可愛さから、素材の可愛さに変る訳。

それは確かに重要な変更案件ではあるが、ズルいなーっ、と思う。素材が可愛い女の子は、どうやったって可愛いに決まってるんだもの!!
そーいやー、”自分で髪を切って、それでも可愛くなる”ってのは、恐らく彼女の最初の重要なステップとして記される「チョコリエッタ」でも記されているもので、……いいよね、髪を切っても可愛い子はさ……と、女の子であればいいとか言ってたくせてに(爆)、ついついグチってしまうんである(爆爆)。

もともとミュージックラボの企画だから、不可欠な音楽とのコラボ、キリコちゃんの内的世界を、それこそ可愛い女の子ミュージックでモノローグするふぇのたすの音楽が、これは間違いなく、疑問なく、可愛い女の子!なのであった。
疑問ないってのは、難しい。女の子はいつでも、どこでも、可愛い筈なのに!! ★★★☆☆


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