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「ら」


2016年鑑賞作品

ライチ☆光クラブ
2016年 114分 日本 カラー
監督:内藤瑛亮 脚本:冨永圭祐 内藤瑛亮
撮影:板倉陽子 音楽:有田尚史
出演:野村周平 古川雄輝 間宮祥太朗 中条あやみ 池田純矢 松田凌 戸塚純貴 柾木玲弥 藤原季節 岡山天音 杉田智和


2016/2/24/水 劇場(渋谷HUMAXシネマ)
先に伝説的舞台があって、それに感銘を受けた漫画家さんのこれまたカルト的人気を誇る原作漫画があって、などとゆーことを聞けば、いつもの私なら決して手を出すことはない。
まず舞台の映画化とゆーのが、凄く苦手(舞台派の人って、舞台こそ芝居!みたいな感覚があるから……)、漫画原作というのは更にハードルが高い。尺も画角も自由な漫画は、より自由なクリエイティビティを持つから、ファンの目線は殊更に厳しくなるのだもの。
でも、足を運ばない訳にはいかなかった。てゆーか、もうこの場合はそんな出自は全部無視して、ただひとつのこの映画として語りたい(いや、理想はいつもそうなのだけど)。

内藤瑛亮監督。やはりこの人は狂ってる。いや、正しく狂っているというべきか、狂った世界を正しく描いている、などというとつまらなくなる。やはり、狂っているのだ。
そしてその世界がたまらなく好きな私もまた、狂っているのだろうか。ふと、塚本監督が出現した時の衝撃を思い出しもしたが、同じ血みどろでも新世紀的スタイリッシュな登場だった塚本監督と比して、内藤監督の血みどろは内臓でろでろ、粘度と汚物感がハンパなく、これまでの作品もそうだったけど、残酷な殺し方にかけては、これもクリエイティブと言っていいのだろうか……という容赦なさで、倫理委員会に見せたら間違いなくアウトなのだもの。

なのにこの人の凄いところは、そんな容赦なしのスプラッター(という言葉がキレイに思えるほど。血のシャワーだけじゃなくて、肉も内臓も粘液もあぁうぅ)よりも、人の感情の濃度こそが容赦ないところなのだ。
これもまた、言葉ではあまりにも足りないし、それがネガの方だけじゃなく、ポジの方にも振れているのが凄いのだ。

愛、愛があった。本作のテーマは、最後に残ったのは愛であった。信じられないけれど、そうだった。
巨大ロボットライチと美しき少女、カノンの愛の物語は、キングコングやフランケンシュタイン、新しい時代ならシザー・ハンズあたりにも思い当たる、異形なるものと聖なる少女の純愛として王道中の王道なのだが、傍若無人な少年たちの血みどろ抗争の中に絡められると、なんかもう、唯一無二のような奇跡を覚えてしまうんである。

なんか興奮しすぎて、何から言っていいのか判らなくなる。そもそもこの世界感を記さない訳にはいかない。
こういう、金属的な工場地帯とか、荒廃した近未来的な世界は、今までもなくはなかったし、それこそもともと舞台が先行していると聞けば(うっ、気にしないと言いつつやはり気になってしまう)、ありそう、ありそうと思うが、ここはヤハリ、映像世界の強みを感じてしまうし、埃っぽく、息を吸い込んだだけでぜんそくになりそうなこの町の隠れた“秘密基地”で、真逆の湿度全開血みどろどろどろが展開されているというのが、ひどく衝撃的なのだ。

はっきりと、ナチスを思わせる少年たち。14歳、という設定と、普段彼らが着ているガクランが変化したようなクラブの制服の耽美さにクラリとくる。
14歳という年齢ではない役者たちばかりなのは判っている。しかし、30すぎてしれっと中学生やってたこないだのこいでんを思えば、全然オッケーである。
いやいや、そーゆーことではなく(爆)、この場合は逆に、リアル中学生ではいけないのだ。どんなに生々しくでろでろ血みどろでも、これがダークファンタジーという虚構の美しさであるからなのだ。
特に直接の原作である漫画世界を思えば(うっ、やっぱり気にしてる(爆))、“中学生男子”というものを、経験して咀嚼した男子、そしてその若さと美しさをいまだギリギリ手にしている男子、逆にそんな男子でなければ、この“中学生男子”は描けないのだ。

一番最初に名前が来る野村周平君は、監督の前作「パズル」で怪演を見せてくれたことで記憶に新しいが、本作では一人、常識的なタミヤという男の子を演じて、つまりこの狂気の集団の中では、なぜこの中にいるんだろうと思わせるぐらいの常識的で普通の男の子で、つまり地味で、メインと言えどもなかなか難しい役どころ、なんである。
実際、中盤まで彼の存在は今一つ認識できていなかったぐらい、なんだもの。彼のネームバリューで引っ張ってる部分があるかもしれない。だって確実に主演は、彼らに崇拝されるトップ、ゼラなんだもの。

銀縁の華奢な眼鏡に、色白、冷たい漆黒の瞳、小さな歯並びの口元といい、本当に、漫画から抜け出てきたような冷血の美少年。そして彼と乳繰り合う(爆)、中世的なジャイボとの関係が最も判り易い耽美の世界で、キスにフェラまでやってのける(汗)こんな芝居は、リアル中学生にはそれこそ難しいであろう(汗汗)。
早々にオチバレ覚悟で言ってしまうと、ジャイボこそがキーパーソンで、美しいことこそが正解だと信じてやまないゼラに、ひげが生えて声変わりした自分が否定されることを恐れる彼が暴露されると、ああ、まさに、美少年世界の定番のテーマ……と思う。萩尾望都を思い出したり、してしまう。

そう、定番、なんだよね。美少年の一瞬の時期こそを真実だとするのって。
冒頭、うっかり彼らの秘密基地に迷い込んでしまった女教師をなぶり殺すシーンですっかり観客をつかんでしまうんだけれど、彼女のブラウスをひきちぎって、乳房をあらわにさせた時、他の少年たちはおおっと見入ったのに、ゼラだけは吐き捨てた。なんと醜い身体なのだと。
そして内臓をぼとぼと落として死んだ(……)女教師を見て、更に吐き捨てた。自分たちの身体にはこんな汚いものは入っている訳がない、と。
考えてみれば、この冒頭からラストは示されていたのだ。当然、彼らの身体の中にも、“汚い”内臓は収納されているのだもの。

そう考えると、彼らが自分たちの意のままに操れるロボット製作に没頭したのは、少し、判る気がする。手作り感満載の、つぎはぎだらけのロボット、“ライチ”こそが、真の主人公だったのかもしれない。
ふと思うと、このライチと、聖なる少女、カノンの純愛物語と、ゼラが率いるネオナチ的物語は、少し乖離しているように思えなくもないのだ。だって、ゼラが自分の絶対的存在に疑問を持っていなければ、それをサポートするような巨大ロボットを作らなくたってよさそうなもんなんだもの。

でもそこが、14歳の少年世界、というものなのかもしれない。ゼラが命じたのは、自分たちの福音となる聖なる少女を連れてくること。それを思えば、“醜い”大人の女、聖じゃなくて性の匂いのする女教師を惨殺したというのもつじつまが合う。
ここら辺が単なる血みどろファンタジーではない上手いところ。当然、聖なる少女も、女であり、彼女に対して性的欲望を抱くことをメンバーたちに禁止したということは、当然、少年だってそういう欲望を抱くということであり、それはゼラ自身がまさに、そうだったんだもの。

だからこそ、その欲望を抑えきれず(というか、意識的に)自慰行為に及んだメンバーを、ゼラは迷わず処刑した。
そのカラミで人質を逃がした共犯メンバーをとらえてタミヤを苦悩させる、という展開は、ゼラ自身の性的欲望をまぎらわすような感じもしたが、つまりここでは、ゼラは自分をごまかしていたんだよね。いや、本気で気づいていなかったのか……。

そう、タミヤである。ネームバリュー的にはトップに立つ野村周平君である。そもそも彼が小学生時代に仲間たちと共に“秘密基地”を発見して設立した、光クラブ。
本当に、そんな可愛い意味合いだったのだ。そこに入り込んできた転校生、ゼラによって、自分たちが持つ透明な年齢だけが持つ真実以外を排除する粛清集団になってしまった。
ところどころにドイツ語で誓いを立てる様は、彼らの美しい制服姿と相まって妙に耽美的で、クラリときてしまうのが恐ろしい。ゼラが配下たちに唱えさせる覚え書きが、数字と若さと美しさだけを信奉する透明さが、ひょっとしたら本当に世界の真実かも……と思ってしまうのが恐ろしい。

物語の中盤、タミヤが幼馴染のオリジナルメンバーと共に地上に出て(別に地下世界じゃないんだけど、なんかそんな感じがするんだもん)、幼き頃の友情を確かめ合い、今の光クラブはおかしい、間違っている、と確かめ合う最重要場面がある。
成長することを否定するなんておかしい。自分は大人になりたいと、タミヤは言うのだ。もうこの時点で、きっと彼は大人になれない、死んでしまうんだと思ってしまう。予感してしまう。
結果的にはタミヤどころか、誰一人生き残らない、まさに全滅する訳だからそんな甘ったるいことではないんだけど、この直後に、タミヤの“甘さ”をへし折るように、オリジナルメンバーのダフやカネダが彼の目の前で惨殺されるもんだから……。

ゼラを誰よりも信奉して、ロボットのために自分の目をえぐり出すまでした(!!!もうこの場面はないよ……)ニコや、ゼラのために作り出したロボットだったのに、自分がそれを作り出したことに酔って暴走したデンタク等々、もう、深すぎて、そんなひとことで済ましちゃダメなキャラばかりなんだけど、特にニコなんかは本当に哀しいから……ああ、でもまだ、メイン中のメインに行っていないんだもの!!

ちょこっと先述した、古くからの王道テーマにのっとった、巨大ロボット、ライチと彼に捕らえられてきた少女、カノンの愛の物語、なんである。
ライチがなぜカノンを選んだのか、それこそデンタクがインプットした「自分は人間」という概念から、「美しいと思ったから」。つまりもうこの時点で、ゼラの命令という認識は失われているのだ。
ゼラはしばらくそのことに気づかなかった。美しい少女を連れて来いという指示に、美を学習したライチがようやく成功したとしか思ってなかった。ライチは自分が美しいと思ったから、連れてきたのだ。人間である自分が美しいと思ったから。つまり、彼は恋をしたのだ。ああなんてこと!!

このカノンが、ライチ以外とはまったく言葉を交わさず、まるで死んだように目を閉じ続けている、というのが、後半まではなかなか判りにくい。確かにライチに世話は任されているけれど、目を覚まさなければ食事もとれない訳で、食事をとっているということは、目を覚ましているということなのに、そこらあたりは突っ込まれない。
まぁ、そーゆーことまで言っていたらさすがにヤボかなあ。何より奇跡なのは、こんな狂った血みどろ世界の中で、確かな足取りでカノンとライチの愛がはぐくまれることなのだ。

いわばライチは生まれたての赤ちゃん。こんなごつごつのガタイで、ゼラに命じられるまま、メンバーをサバ折りにしてぶっ殺すのに、と言うなかれ。人を殺すことが悪だということさえ学習していないほどの赤ちゃんなのだ。
凄い前提だ。悪の前に命令こそが至上だという価値観があるだなんて。これってちょっとした、いやちょっとしたどころじゃない社会派、かもしれない。
それこそこの世界が即座に想起させる粛清、“聖なる”ものと彼らが信じていることに準じた時に起こるこのおかしな矛盾を、これほど正確に突いているものもないんじゃないかと思う。

だから、ライチが愛するカノンからの言葉を、まるでスポンジが水を吸い取るように吸収していくのが、人間だから、という魔法の言葉で吸い取っていくのが、この血みどろ世界の中で、まさに奇跡なのだ。
カノンはライチ以外には目覚めた姿を見せない。それも何か、眠り姫のようで妙に象徴的である。カノンはライチにオルガンで讃美歌を聞かせる。この廃墟の中のどこからオルガンが出現したのか、などと突っ込んではいけない(爆)。ライチは彼女の歌う讃美歌と、その教えによってどんどん目覚めていくのだ。

讃美歌というのは、本当に上手いと思う。ゼラが提唱する数字と若さと美の定義の中には、確かに讃美歌に歌われる世界は存在しないから。
愛や慈悲や哀しみや祈りや喜びや……讃美歌は、人間の気持ちだけでできている、それこそ“純粋”な気持ちだけでできている。ゼラが信じていることもまた、“純粋”である筈なのに、彼はなぜ、そこから最も尊いものを排除してしまうのだろう!

この世界が、彼らが、家族というものから見事に排除されていることが、ひとつの大きな要素かもしれないと思う。オリジナル光クラブの幼い頃が活写されもするのに、このクラブはあくまで秘密の姿で、普通の中学生として登校する様子も描かれるのに、彼らに家族という要素は全く付与されないのだ。
オリジナル光クラブの結束を固めるために、赤ちゃんの彼らのスリーショット写真が提示されてさえも!!でも、赤ちゃんのスリーショットというのも、考えてみれば確かに奇妙だ。赤ちゃんの頃から仲良しという単純さを記号化しているだけの、ある種の不気味さがある。
だって、この写真が撮れるためには、それぞれ連れてきた親がいる筈なのだもの。そういう想念を介入させない、言ってしまえば哀しさがあって。彼らは子供として、ここに孤独に存在するしかない、そんな不条理さがあって。

そう、みんなみなしごのようだ。結局は、ライチだってきっとそうだ。カノンも。こういうシチュエイションなら探し回るであろう親はひとしずくも出てこない。ここにはただ彼らは子供のまま存在し、愛という概念も、肯定するか否定するかだけの、ひどく透明なままそこにあるのだ。
あれほどカノンから、人を殺すことはいけないと涙を流して教えられて、それを深く理解したのに、結果的にはライチは次々とメンバーを殺してしまう。それは、……カノンを自らの手で殺してしまった悲しみ、それとも、デンタクが、ライチに人間という概念をインプットした彼が、ゼラへの信奉よりも、ライチを「人間だと思っているロボット」として暴走させたゆえだったのか。

どちらにしても、哀しい。あんなに一瞬ミンチとか、頭ブシャーとか、トンでもないバリエーション殺戮でおえーとなりながらも、それこそが強く印象に残るなんて。
いや、ゼラも哀しかった。聖なる少女に吐き捨てられるように否定されて、僕が醜いだと??と、いきなりえづいて、吐いた。それこそ嘔吐なんて、彼がもっとも忌み嫌う汚いものだっただろうに。
性的衝動は汚いと言うのは簡単だけど、そんな単純なものじゃないんだ。皆がカノンを恋い慕っていた。今まで見たことのない美しい少女。思い詰めて、カノンの足を触って自慰して処刑されたダフの言葉が忘れられないのだ。「悔いはない。女の子に触れた。温かくて、柔らかかった」

メインと思ったタミヤが先に死んじゃって、してやったりの高笑いをしたゼラが、思いがけぬ真の裏切り者、愛人ジャイボの正体にうろたえる哀しさ。
裏切り者を消せばことは済むと粛清していけば、いつか誰もいなくなるのだ。ジャイボにはたったひとり、愛されていたのに、愛を否定していたから。

やっぱりこれは、愛の物語。スプラッターで、スカトロで、耽美で、少年愛で、悪魔的で、粛清的で、皆残らず、しかもミジンになって死んじゃうけど、でもやっぱり、愛の物語、なんだ……。★★★★★


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