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「の」


2016年鑑賞作品

の・ようなもの のようなもの
2016年 95分 日本 カラー
監督:杉山泰一 脚本:堀口正樹
撮影:沖村志宏 音楽:大島ミチル
出演:松山ケンイチ 北川景子 伊藤克信 尾藤イサオ でんでん 野村宏伸 鈴木亮平 ピエール瀧 内海桂子 鈴木京香 佐々木蔵之介 塚地武雅 笹野高史 宮川一朗太 仲村トオル 三田佳子


2016/1/27/水 劇場(丸の内TOEIA)
しまった、私、「の・ようなもの」観てない!!それで本作を観ていいのかなあ……と思った訳じゃなく、観てるような気がしたまま足を運んじゃって、結果後からチェックしてみたら観てなかった、みたいな(爆)。
私みたいなテキトー人間ならそうなるけど、観てないから……と足を運ばない人もいるかもしれない。なんかあっという間に上映回数が減っているのだもの。

小心なのでついついそのオリジナルのお話なんぞをチェックしてしまったりするが(爆)、「の・ようなもの」を観ていなくたって全く問題なく楽しめるのであった。
落語家のようなもの、ね。それはきっと、オリジナルと同じだよね。そうでなくてはいけない、映画はね。それにこれでオリジナルを観たいと思わせる効果もあるのだから。
でも客足はちょっと……気になったかなあ。やはりタイトルから、それを観てなくっちゃ敷居が高い、という雰囲気はあったもの。

監督さん、聞いたことないお名前と思ったら、森田監督にずーっと助監督でついていて、映画の監督は今回がお初であるという。んなもんだから結構なお年。ここから初監督でどういう道を進むのかなあと思う。
森田監督へのオマージュのような本作だからこその、きっと彼自身も企画の立ち上げに参加しているからこそのデビューなんだろうけれど、監督は作品を積み重ねてこそだと思ってるから……。時々若さだけのつっぱしり監督にイラッとすることもあるけど(爆。おばちゃん……)、やっぱり、ここから監督業始めるの?などと思っちゃったり……。

でも意外と多いのかもしれないなあ、映画黄金期をかすった感じで入った方々は、助監督を経なければ監督にはなれない!みたいな感じで、結局ずーーーっと助監督で……経験も積まずにいきなり映画作っちゃうようなワカモンを苦々しく思っているのかも、とか勝手な想像ばかり膨らんだり(爆)。

いや、だって、見事に森田芳光印、だったからさ。それこそオリジナルを観てない私が言うのも説得力ござらんけど(爆)、一応ここ十数年はチェックしていたからさ……。
オフビート、というのが妙に流行った頃に森田芳光作品に関してもそんな言葉を使ったような覚えがあったけれど、そうではなくて、確かに森田芳光リズムとでもいうものだったのだ。オフビート流行りが去っても、森田芳光リズムはそのままであり続けた。
愛してやまない「間宮兄弟」なぞはそれが本当に判り易い形で出ていて、そこで女優開眼し、森田監督を敬愛してやまない北川景子嬢が本作でもそのからりとした森田リズムを見事に表現しているのは何とも嬉しいんである。

そう、見事に森田芳光印だった、からこそ、この監督さん自身のカラーがあんまり見えないというか……でも本作はそうでなければいけない映画であり、逆にそうじゃなかったら、私ここで怒ってたかもしれないんだから、矛盾してるよね(爆)。余計なお世話だってのね(爆爆)。
そう、素直に、もし森田芳光が生きていたらこんな映画を作ったかもしれない、というつもりで観てみよう……。森田作品に松ケンがギリギリセーフで滑り込んだのは、本当に嬉しかったのだ。
森田芳光リズムの究極を作り上げて、彼は天国へと行ってしまった。急逝、本人もビックリの突然の死だったと思う。失楽園やらなんやらといった、それなりにずしっとくる話題作も手掛けていたのに、最後の最後は見事に森田印だったのだもの。

で、なんかそんな周辺のことばかり言っていると進まないから(爆)。これは一本の映画として語りたい。
松ケンはマジメ一徹な修行中の落語家、志ん田(しんでん)。もう30にもなるけどそのマジメさゆえに一向に目が出ない。亡き師匠の十三回忌の一門会に、スポンサーの御夫人のご機嫌をとるため、もうずっと前に蒸発してしまった志ん魚(しんとと)なる兄弟子を探してこいとの命を受ける。
雲をつかむような情報を頼りに、実家やら別れた嫁のところやら、あちこち探し回る志ん田。
灯台下暗し、東京谷中の墓地で見つけたものの、志ん魚は、自分は師匠と共に灰になった。スポンサー御夫人のために作ったネタ「出目金」も一緒に(棺に入れて)灰になった、と言うんである。

この志ん魚がオリジナルでも主人公で、役者さんもそのままの伊藤克信、すみません、私存じ上げてなかった……。彼を35年後再び主役として担ぎ出すために、客引きの主人公とも言うべき松ケンを設定したのだと思われる。
そして、松ケンはそういう役どころにイヤミなく、肩ひじ張らずすんなりハマる役者さんであり、そーゆーところが私が彼を愛するゆえんであり、売れっ子役者さんという以上に、きっと森田監督もだからこそ彼と仕事をしたんじゃなかろうかと思うんである。
小学生が作文を読んでいるようなヘタクソ、と師匠からも師匠の娘からも言われる志ん田が、同じようにうだつがあがらなかった見も知らぬ兄弟子、志ん魚を見つけ出し、ムリヤリの筈なのに不思議なウマの合い方で共に落語を上達させていく様が、とてもほっこりと素敵なんである。

実家やら、別れた嫁のところやら、を二両列車ばかりでぷおーんと訪ね歩くさまは、松ケンが滑り込んだ森田監督の遺作「僕達急行 A列車で行こう」の雰囲気を思い出さずにはいられないんである。つまり本作はデビュー作に対するハッキリとしたオマージュと、森田監督自身が好きだった世界を詰め込んだ遺作の主演俳優と共にその好きだった世界もちゃっかりと盛り込んでいるあたりが、なんともいとおしいんだよなあ。

だって結局は近場で見つかっちゃうんだもの、志ん魚兄さん(笑)。そしてそこは谷中ののんびりした雰囲気で、きっとあの、メッチャ存在感のある古木の杉の木とか、まだ井戸が残されているとか、クールジャパンな見どころが数多く活写されているんだろうけれど、志ん魚兄さんも志ん田も、その雰囲気ですっかり溶け込んでいるからさあ!
こういうのって、とても嬉しいと思う。これはちょっとやそっとの役者さんじゃできない芸当なのだ。スミマセン、伊藤氏のことは存じ上げてなかったんだけれど(爆)、でも松ケンとの新旧のコラボはとてもほっこりとお似合いだったなあ。

ちらっと先述したけど、ヒロインである北川景子嬢が、イイよね。超絶美人なのに、からりと可笑しい独特さ。ほとんどデビューと言ってもいい「間宮兄弟」で森田監督がそれを見抜いたかのように(見抜いていたんだろうと思う)、その魅力が花開いていた。
本作でも、本当に、森田監督が演出しているかのような感じがしてさあ……。からっとしたとか、男勝りとか、女王様チックとか、そういう女の子キャラっていうのはいくらでもあるし、女優さんがイメチェンを図る上でよくあることなんだけど、違うんだよね。あの森田監督独特の奇妙な可笑しさがそのまま北川景子嬢に、そうあの時から乗り移っている感じ、そしてそれは、確かに彼女自身のチャームにもつながっている感じ。

志ん魚の探索に面白がって参加したり、正義感が強くて志ん魚の降板にめっちゃ憤ったり、というのは、よくある描写だと思う。凡百の女優さんなら「男勝りの女の子」として演じられるんだと思う。ちょっと、違うのよ。何が違うと言われると本当に微妙なトコなんだけど……。
張り込みの墓場に幼馴染の蕎麦屋を出前で呼びつけたり、アハハハと笑ってバンバンしばいたり、ああ、なんか上手く言えないけど、計算のない感じというか、アッケラカンというか、なんともイイ訳!
志ん田は実はそんな彼女にホレている……というのは、志ん魚がそれを指摘するまで観客である私も気づかなかったぐらいなんだけど(爆)、てへへ、と照れるでもなくそれを肯定する志ん田にドキュン!傍若無人な彼女にイヤな顔しか見せてなかったのに、もう!

でもでもとにかく、松ケンなのよ。真の主人公をあぶりだす客引き主人公と言えど、松ケンなのよ。志ん魚を見つけ出し、なんとか一門会に引っ張り出すために、勝手に同居して志ん魚の便利屋稼業を強引に引き継ぎ、「出目金」を思い出して稽古して一門会で披露してください!!と。
志ん魚はメーワクそうなんだけど、でも本当は落語が好きだから……。突然の蒸発には記憶喪失が絡んでいたとか、ウソかホントか、そんな話もあるんだけど、お約束通り、志ん魚が出るか出ないか、でドキドキのクライマックス!それまでは結構のんびりと進んでいたのにねえ。

そもそも志ん魚を引っ張り出すってのは、スポンサーの御夫人のお気に入りだったってことがあって、この御夫人ってーのが三田佳子。こーゆー、浮世離れしたセレブリティ、ぴったり!マジでやってるんじゃないだろうかと思うぐらい、「志ん魚ちゃん、キャー」みたいな、少女みたいに喜ぶ様とかさ!
彼女の顔色に一喜一憂して、スポンサーを失うぐらいならと志ん魚をハズしにかかる兄弟子たちに戸惑う志ん田、激怒する夕美、という、なんとなくクライマックスと幸せなオチが想像される単純さではあるけれど、三田佳子がバツグンだからなんか見せちゃうよなあ。

志ん田がまるで、志ん魚の若い頃を想起させるような、二人とも落語は大好きだけど不器用なタイプで。
途中、志ん魚が発見したことで兄弟子たちも喜び、谷中の住人達も落語家だったの!!と盛り上がり、古き良き銭湯で寄席を催すことになるのね。でも相変わらずヘタクソな志ん魚はお客たちをタイクツのるつぼに陥れてしまって……。
だからこそ、せっかく探し出した志ん魚を一門会の舞台からハズそうという結論に、至る訳なんだけど、そこからなぜ、志ん魚が満員のお客さんを、そして何よりスポンサーの御夫人をしっかり満足させるほどの高座をつとめられたのか。

稽古の成果と言っちゃったらそのまんまだけど、それまでだって稽古は詰めてた訳だし、古典ではなく創作なら違うのかも、と兄弟子たちは希望的観測を口にしていた訳でしょ。
てことはここで披露したのは、”苦手かもしれない”古典落語。で、一門会で披露したのも、ずっと稽古していた創作落語の「出目金」ではなく、古典落語で、兄弟子たちは青ざめた訳だしさ。
志ん魚が若き志ん田に自分の創作落語「出目金」を譲り渡し、古典で会場を盛り上げ、兄弟子たちが号泣、てのは感動的だけど、この辺のツメは若干、甘いような気もする、かなあ。

でもまあ、私の見たいフツーのまっさらな、カワイイ松ケンが見れたからそれでいいか!こういうフツーの青年って、簡単そうで、いっちばん、難しいのよ!一見そう見えても、イケメン色が一ミリでも出たらもう、ダメなんだから!!★★★☆☆


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