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「ひ」


2017年鑑賞作品


2017年 102分 日本 カラー
監督:河瀬直美 脚本:河瀬直美
撮影:百々新 音楽:
出演:永瀬正敏 水崎綾女 神野三鈴 小市慢太郎 早織 大塚千弘 大西信満 堀内正美 白川和子 藤竜也


2017/6/9/金 劇場(丸の内TOEIA)
この題材にはとても心惹かれるというか、凄く興味があるというか。映画における音声ガイド。日本のバリアフリーはひどく遅れていて、日本映画の字幕つきでさえ、ほとんどなされていない。
音声ガイドに至っては、全く聞いたことがなかった。パッと頭に浮かぶのは、NHKの朝ドラとかの副音声解説。民放では……やってる?やってないような。結局その程度。
で、だから、何もラブストーリーにすることもないような気もしたが、そこはそれ、映画だから……。でも永瀬氏とヒロインの綾女嬢じゃ、かなーり年が離れているよなあ……親子ほどとは言わないにしても……。

まあとにかく。そこはそれ、河瀬監督だから、問題提起以上に映画的映画にこだわりまくる。今回は……見えていない人の見ている世界、見えていない、などとひと口に言ってしまうこと自体が、無知の証明(爆)。
それこそ聴覚障害者にも様々な段階や症状の違いがあることがあまり知られていないように、視覚障害にも全盲から弱視から視界が狭くなっているとか、いろいろあるのが全然知られていないこと。

永瀬氏が演じる中森は弱視で、そしてその症状が徐々に進行しつつある。だから彼は、全盲である他の視覚障害者から言わせれば「中森さんは、見えているから……」と言われちゃうんである。
ドキリとする。ひょっとしてここにも小さな差別が起こっているのかもしれないと思う。いや、ただ単に公平な感覚を述べているだけだ。つまりそれすら、きちんと知識がなければできないこと。

その台詞が出たのは、メインテーマとなる映画の音声ガイドをつける、現場にて。モニターとして集められた数人の視覚障害者たちの中で、どうやら中森だけが弱視、つまり他の人たちから言わせれば“見えている”状態、らしい。
他の人たちが若干控えめに、つまり健常者に対して恐れ入りますが……的な感じで意見を述べることに、中森は最初から激しくかみついていた。「つまりはそれ、君の主観だよな。そんなの、いらないんだよ。」
他の人たちだって核の部分では彼と同じことを思っていたと思うんだけれど、あまりの激しさになだめるように、「中森さんは見えているから……」という言葉が出てしまう。

物語のほぼほぼ冒頭部分になるこの場面は、後から考えても本作のまさにキモとなっている重要な場面である。それこそホントに“見えている”観客である私も、尾崎(綾女嬢)のつける音声ガイドは喋りっぱなしで、丁寧だけど、役者の芝居が見えない(この場合は、聞こえない、とは言いたくない。大きな意味で、見えない、と言いたい)なあと漠然とながらも思っていたのだ。
だから、中森の噛みつきにドキリとした。ああそうだ、こっちが自由に感じたいと思っていることを、こう感じなさいと誘導してしまっている。誘導どころか、強制、教育とさえ言っていいかもしれない……つまり、いわゆる、上から目線というヤツなのだ。

音声ガイドの難しさを痛感する。こんなぶつかり合いを何度もして、中森だけでなく他のモニターたちもきちんと直截に、厳しい意見をぶつけてくる。
一番ガツンときたのは、映画の作る大きな世界観を、ガイドの膨大な言葉が殺してしまうほど残酷なことはないと、ちょっと言い回しが正確じゃないかもしれないけど、そういったことをズバリと言った女性の言葉だった。尾崎は思わず涙をこぼしたが、それはまさにその通りだから……。

でも、なんて、それこそ、残酷なのだろう。きっと尾崎は、言葉が彼らを助けると、思っていただろう。私だってそう思っていた。言葉に全幅の信頼を置いている。
そうでなきゃ、こんなサイトはやってない。自分の言葉の力の弱さにウンザリするばかりだけれど、それでも言葉の力を信じていたのに、言葉がすべてを殺してしまうと言われて、でもその通りだと思って……凄く凄く、ガクゼンとしたのだ。

やはりそれは、いわゆる五体満足ってヤツに甘んじているからなのだろう。五感の内のたった一つを失われているだけ、しかもそれを補うために発揮される彼らの想像力は尋常ではないのだと、上司であり、この音声ガイドをつける映画の主演女優である智子は言う。
音声ガイドをつける会社の上司が主演女優……つまりは、そうした関わり合いでなければ、今の日本では音声ガイドがつけられる映画なんてものさえ、存在しないのだ。
劇中ではあくまで、藤竜也演じる主演兼監督が、自分自身の世界観を大切にして映画を撮った、というスタンスを貫いているけれど、それだけじゃ音声ガイドをつけるという企画は通らないのが、今の日本の現状な訳で……。

えっ?小市さんが、この智子の夫なの??見てて全然、気づかなかった(爆)。凄く穏やかに、いわば空気を読んで、若い尾崎の音声ガイドの道筋をつけてくれる、素敵中年(爆)。あー、素敵素敵としか思ってなかったから、そんな関係性に全然気づかなかった(爆)おいおい。
尾崎は、キツく言う中森とケンカしちゃうのね。視覚障害者の想像力は長けているから、とアドバイスされたこともあって、中森に対して、想像力がないんじゃないんですか、とトンでもないこと言っちゃう。席を立とうとした中森に「逃げるんですか」とまで……。

でもこの時ね、私は凄くグッドグッド!と思ったのだ。ケンカってーのは、最も純粋に、お互いが対等である証拠。理解することは努力すればできるかもしれないけど、ケンカするほどにお互いが対等の立場で向き合うことは、これは簡単なことではない、相当難しいこと。
少なくとも中森に対してだけは、尾崎は対等にぶつかり合った。他の人たちには、まだそれは出来てなかったのはなぜだろう……そこにラブの兆候があったからと言うのは簡単だけれど、そういうことじゃない。中森が尾崎の図星をついたから、だからこそだと思うんである。

そういう思いがあるから正直、中森がかつて有名カメラマンだったとか、視力を失って、今、苦しい状態にあるとか、そういうメロドラマチックな部分はそんなに興味がある訳じゃない。
確かにドラマの後押しとしては、大きい。中森は今、エンジニア的な在宅ワークをしている。書類の拡大機や音声ソフトを使ってバリバリと仕事をしている。
電話や留守電のやり取りから、彼が頼りにされているのがよく判る。それでもそれは、中森が本当にやりたい仕事では、ないのだ……。
そして一方で、弱視が進んでいる彼は、時間の感覚が判らなくなる。夜だと思って受注先にかけた電話が、「朝ですよ」と言われてガクゼンとする。
「また徹夜したんですか?凄いなあ」と言う相手は、……まあ当然、気を使った、のであろう。そしてここでハッキリと示される。光、光なのだと。

尾崎の方は、上司からもらった中森の写真集に魅せられる。それこそそこには、心をグッとつかまれる光が閉じ込められている。大喧嘩した中森と、不思議と偶然の出会い。これは、運命というヤツなのだろうかと思う。
尾崎は、あの写真集の場所に連れて行ってくださいと請うた。中森は頷いた。連れていく。弱視の中森は運転ができない。尾崎が運転して、夕日が落ちる海辺へと向かう。
連れていく、という意味を考える。私は、物理的な意味ばかり、考えていた。まさに、車の助手席に乗せて、地図かナビで目的地を設定して、“連れていく”ことしか、その意味をなさないと思っていた。そうじゃないのだ。彼が経験したその場所に、彼が共に行くこと、それが“連れていく”ことなのだ。

中森はその前に、ちょっと辛い出来事を経ている。後輩たちはどんどん華やかな仕事をしている。やはり、憐憫の目を感じざるを得ない。
それにしても、酔って汚物で滑って転んでしまった中森の、放り出された大切なカメラを黙って持って行ってしまうなんて、そして、もうやめなさいよと、大先輩に向かってたしなめるように言うなんて、そんなの、そんなのあるかなあ。ちょっとこの部分は、いくらなんでもという気がしたが……。

なもんで、この場所に来た時、中森はそれもあってか、大事なカメラを、その後輩からようよう奪い返したカメラを放り投げてしまう。驚く尾崎。そしてまるで沸点に達したように、中森の頬を挟んでキスし、中森も驚きながらもそれに応え、……つまり、二人の想いはここで決定的になるのだけれど。
ただ……この場面??と思う。この後、上司の前で「一番大事なものを捨てなくちゃいけないなんて……」と涙を落とす尾崎に彼女は、「……中森さんのこと?」と察する。才能あるカメラマンであった中森にとって、一番大事なもの、カメラ、そしてそれが象徴する視覚。
でもそれをここで肯定してしまったら、本作のメインテーマは壊れてしまうのだ。だから、凄く、怖かった。

正直、それが払拭された訳ではない。音声ガイドについては中森はじめ、モニターのメンメンのすべての賛同が得られた訳じゃなく、宿題を持ち越したまま、試写を迎える。
ただ、その前に実現した監督へのインタビューが、これはかなり前半部分のシークエンスだし、尾崎に明確な何かを与える訳じゃないんだけど、凄く、大きいんだよね。

つまり、監督が言っていることも、中森と同じだったから。藤竜也が演じるからさ、とても優しげな監督で。私、この人の照れくさそうに笑う感じが大好きでさ(爆)。
尾崎が「未来への希望に満ちた表情」と描写したラストシーンに、笑顔ながら首をかしげるのね。決してこれはダメだとか、こうした方がいい、とは言わない。だって、彼は、認知症の妻を抱える一人の男を、ただありのままここに放り出したことを見てほしいと思ってるから。
でもそれを、「観客には、希望を持ってほしいんです」とかたくなな瞳で訴える尾崎、それに対して、監督は否定しないし、ただ優しげにそうか、とばかりに微笑むばかりなのが、ああ藤竜也ッ!と思って(萌)。
時間切れになって、でも尾崎は、中森や他のモニターさんたちや、上司のアドバイスもあって考えて考えて、素晴らしいラストガイドをつけたのだ。

「彼の視線の先には、光」

それまでは、その視覚を頼りに歩いていた中森が、ラストでは白杖を手に歩いている。歩道橋から彼を見つけ、「そこに行きます!」と叫ぶ尾崎に、「来なくていい。そこに行ける。」と中森は言う。あとなんかエモーショナルなことを言っていたような気がしたが、忘れた(爆)。
まあとにかく(汗)、ラブストーリーはそんなに重要じゃないのよ。最初は犬猿の仲だった二人が近づいていくのは確かにドキドキとはするけど、でもそんなにね。
ただ、ところどころに散りばめられるドキリとする言葉と、視覚障害をリアルに描こうとした画作り、役者の表情に肉薄したクローズアップに、感情を絶えずフルに揺さぶられる102分だった。★★★☆☆



2017年 137分 日本 カラー
監督:大森立嗣 脚本:大森立嗣
撮影:槇憲治 音楽:ジェフ・ミルズ
出演:井浦新 瑛太 長谷川京子 橋本マナミ 梅沢昌代 金子清文 中沢青六 足立正生 原田麻由 鈴木晋介 高橋諒 笠久美 ペヤンヌ 福崎那由他 紅甘 岡田篤哉 早坂ひらら 南果歩 平田満

2017/12/6/水 劇場(楽天地シネマズ錦糸町)
なんかちょっと、ラショーモナイズかもと思った。
いや、私はやたらとラショーモナイズと言いたがるところがあるんだけど。
でも、森の中、野獣のような男に犯されている女。駆けつけた恋人に私を救うためにコイツを殺してと言った。恋人はそうとった。でも後に女は、私はそんなことは言っていないという。そもそも本当に強姦だったのか。女は進んでセックスをしていたのじゃないのか。
寄せて考えてしまうせいかもしれない。でもなぁんかやっぱり、そんな感じがした。

ただ、ここでの恋人二人はまだ中学生。時間が止まったような離島。コンドームを灯台守のじいさんからこっそり手に入れるような、そんな、言ってしまえばのどかな島。そこで起こった強姦事件と殺人事件。
ラショーモナイズを引きずるが、未喜が宿泊客の男に森の中で犯されていたのは、解せなかった。男の言うように、ついていかなければそんなところには入れない。イヤな客がいる、そう信之にささやいていたのに。助けて、と言ったのは、殺して、と言ったのは、思いがけず恋人にその現場を見られてしまったから、なのか。

事実などは、所詮どうでもいいことなのかもしれない。
とにかく、信之は男を殺した。そしてそれを、信之を慕う下級生の輔が見ていた。下級生と言っても、こんな小さな島だから、学校には数人の生徒しかいない。
お互い近しいけれど、でも輔が父親から激しい虐待を受けているのを、どうすることも出来なかった。いや、輔が大丈夫、というのを周囲が真に受けて、というか、心配顔をこしらえることで済ませていた。大人も子供も、である。

輔は信之を慕っていた。それは25年後再会した時もそうだった。そうだったからこそ……こんなことになった。
あの殺人をネタにゆするような形になったのは、ノブニイが大好きだったからなのだ。たとえ自分を顧みてくれていなかったとしても。父親に虐待される自分を救ってくれなかったにしても。

これはひょっとしたら、壮絶な片思いの物語なんだろうか。

信之に扮するのは井浦新、輔に扮するのは瑛太君。意外にもこれが初共演?それでこんながっぷりよつとは……いやだからこそ究極にスパークしたのかもしれない。
あの罪は、思いがけない形で消された。直後に島を津波が襲った。島は灯台守のじいさんだけが残り、何もかもがなくなった。なくなったと思っていた。少なくとも信之と未喜は。
あの時、輔が死体の写真を撮っていたことなど、知る由もなかったから。

死体の写真が証拠であるという前提で25年後の話は進められるのだけれど、この点だけはちょっとピンとこない部分ではある。首を絞めた跡がある、それが信之がやったもの、という整合性はつきようがないだろうと思う。
あの日、夕食後家を飛び出したから??でも目撃者は共犯者である未喜しかいないのだ。輔とてその現場を見ていた訳ではない。

25年後の二人は、その立場は大きく違っている。市役所に勤め、美しい妻と一人娘と共に幸せな生活を送っている信之は、誰が見ても勝ち組である。
一方の輔は日々真っ黒になりながら工場で溶接系の仕事をしている。テレビもない一間のアパートはザ・貧困層だ。そこにやってくるのは意外な人物。その、信之の美しい妻。この年若い男に溺れて、娘を保育園に預けている間、セックスに汗を流しているのだ。

最初、そんな偶然あるかーい!と思ったら、偶然などではなかった。役職のついている信之はその名前が新聞に載る機会があった。
まさにストーカーだ。自宅までつけていって、奥さんを誘惑した。まんまと引っかかった、のは、この奥さん、……愛されていないという自覚がやっぱり、あったのかもしれない。

橋本マナミ。演じているところは初めて見る。一人娘を変質者に犯される、その時自分は年下の男とセックスしてた、ということもあり、全編においてかなりキーキーとヒステリックで、まぁそりゃ仕方ないんだけど、ちょっとうるさいなーという印象(爆)。
信之は心の中は波立っているんだろうが、きっと以前からこの奥さんとの意識の違和感を感じていたんだろう、冷酷なぐらいの冷静さで、だったら君は僕にどうしてほしいんだ、どうしたら満足なんだ、と、責めるでもない諭すでもない淡々とした口調で言う。

普通に考えるならば、この奥さんの言うように、「あなたって……信じられない」ということなのかもしれないが、このキーキー対応に、いやーダンナの言うことの方が正しいような……とか思っちゃう、のはヤバいよなー。
自分に何の対策もないのに、しかも自分に非があることをなぐさめてもらいたいのか、隠そうとしているのか、旦那にキーキー言い立てる奥さん像が、凄くイライラしてさぁ……。

もう一人のキーマン、今は“ミステリアスな女優”として過去を封印して生きているのがハセキョー扮する未喜である。マネージャーと思しき南果歩がかなり印象強烈で、そして彼女が未喜がどんな女なのかを最初からしかと言い当てているんである。
あなたみたいにカン違いする男はたくさんいるのだと。未喜はそういう女なのだと。

信之は自分こそが最初の男だし、なんたって秘密を共有しているのだし、未喜のために人を二人も殺した、という自負??があって、妻と娘のいる家にも帰らず、バスローブなんぞ着て高級ホテルで未喜の帰りを待っているというていたらくなんである。
えーえーえーっ、井浦新がそんなヘタレになっちゃうのーっ(涙)。でも、そうなのだろう。結婚もしたけれど、彼はずっとずっと、未喜だけなのだ。それじゃ奥さんはあんまりだ。
娘もあんまりだが……娘にはつばき、という名前がつけられていた。それはあの島で毒々しく咲き誇る赤い花。まるで血のように……島のことを信之が忘れられる訳がない、捨てられる訳がない、未喜との秘密がそこに眠っているんだもの。

輔は。まるで彼は、子供のままのようだ。信之を脅迫するのも、確かに狂気には満ち満ちているけれど、幼稚で、行き当たりばったりで。未喜に送りつける写真と書きなぐったような脅迫状なんて、なんだかクスリと笑っちゃうような幼さ。
輔の元に金をせびりに来る、こんな大人になってもまだ怖くて仕方のない暴力父親にそそのかされる形での脅迫だった。輔が信之の奥さんを誑し込んだのは、ただただ、信之に近づきたかっただけで、脅迫なんてことは別に考えていなかった、のだよね??
ノブニイに近づきたくて奥さんとねんごろになるなんて……同じ女を抱くことで共有する気持ちを得たいなんて……危ない、危ないよ、片思いどころじゃないぐらいの強烈な恋心じゃないの。

このクズ父親は結局、自然死してしまうが、写真を手に入れたい信之は輔に、俺が殺してやるから、とけしかけていた。この時からイヤな予感がした。やたら冷静で、輔のことを気にかけている風を装いながら、一方で脅しつけたり、計算が行き届いている信之には、輔が彼に抱いている愛情は届いていないのがやっぱり判っちゃうから。
信之は、信之は……やっぱり未喜だけなのだ。昔から、今でも。それは輔も何度も口にする。あの女だけなんだろうと。信之は決して肯定はしないけれど。だってしちゃったら、今の家庭、今の人生を否定することになる。殺人者としての自分を肯定することになる。

「待ってた気がする。」

信之と輔が、それぞれ別の相手に言った言葉だった。同じ言葉を。信之は未喜に。輔は信之に。
最初にその台詞を言ったのは輔の方だったのだから、信之はそれを自分も言うという、言ってしまうという予感の中で繰り返したのかもしれない。
最初から信之は、輔を埋めるための穴を掘っていたのかもしれない。いやきっと、絶対に、そうだろう。輔の父親のために掘った穴だと、お前に見せてやりたいと、そう言っていたけれど、違うだろう。

信之にとって輔は……ただ、うっとうしく邪魔な存在にしかすぎなかったんじゃないの。所詮は下級生。自分を慕ううっとうしいガキ。輔の父親が死んだと聞いた後も、そのまま穴を掘り続ける信之に、確信めいた気持ちになる。
なんて、哀しいの。そして輔もそれを判ってた。信之が振り下ろしたスコップに血だらけになって穴の底に横たわりながら、これを待っていた気がする、と輔は言ったのだ。
手にかけられるのを待っていたなんて。大好きな相手に殺されたいなんて。 強烈な片思い。ぞっとするほど。

何度も何度も、グシャリグシャリと骨が潰れる音が続く。返り血を浴びる信之。こんな井浦新は初めて見るから……かなりショックを受ける。自分のために輔を殺したことを知った未喜は「信じられない。幼なじみじゃないの」と叫んだ。
何を言う。輔を疎い、会いたくないと言っていたのはお前じゃないか。いや、そんな彼女の態度を信之は曲解、というか、彼的には彼女の気持ちを正確に汲んで、殺してほしいのだろうと思って、殺した、のだ。私はそんなこと言ってない、と未喜は叫んだ。あの時も、あの時も言っていない、と。

ああ、ラショーモナイズだ……。
中学生だったあの事件の時、彼女は確かに殺して、と叫んだ。それは信之の妄想の中の過去回想だったのだろうか?
現在の時間軸では、そんな露骨なことは確かに未喜は言ってない。言ってないのを信之が汲んだ、勝手に解釈した。でも確かに信之の言うとおり、彼女はそれを望んでいたのだろうか??

判らない、判らない、もう元通りなんて戻れないよ!そう思うのに、輔を地中深く埋めて、信之は妻子の元に帰ってくるのだ。
途中、妻への反撃を妄想の中で何度も飲み込みながら、彼はいつわりの人生をそのまま続けようとしている。

のどかな島の風景に、そぐわないような爆音音楽がひどく心をささくれだたせる。のどかな筈なのに、まるで忌々しさしか感じない恐ろしさ。★★★☆☆


光と禿
2016年 62分 日本 カラー
監督:青木克齊 脚本:青木克齊
撮影:玉田詠空 音楽:クリトリック・リス
出演:スギム 岸井ゆきの 樋井明日香 武田航平 柴田杏花 竹内海羽 金井勇太 石田法嗣 空美 小沢真珠 伊東祐輔 中西麻梨香 ひなつけんた 谷手人 小見美幸 渡部直也 ワンデー櫟原 桜まゆみ

2017/4/22/土 劇場(新宿K’scinema/レイト)
最近佳作を生みだし続けているムージックラボ。実際のイベント時にチェックすることはなかなか出来ないが、そこで評価を得た作品の単独公開は嬉しい機会。一週間のレイトはなかなかキツいが、しかし足を運んで良かったと思えるのが楽しい。
こうした小さな企画を定着化していって、作り手も演じ手も様々な才能を採掘していくのが凄くいいなあと思う。60分程度の尺も垣根が低くていいのよね。それにエンタテインメントとしてまとめあげる手腕が試されると思う。エロを交えて60分がピンクや青春H企画ならば、音楽交えて60分がムージックラボ。日本映画って面白いな。

とにかくタイトルがイカしてる。光と禿。この語呂に思いついたらもう勝ちな気がする。
そしてそれを体現する禿側(爆)、クリトリック・リスなどとゆー、とんでもない名前で活動するスギム氏が、そのままの名前で出演。いやー、その昔にはセックス・ピストルズやオナペッツに驚いたもんだが、それを超える衝撃のネーミング。これは女子にはなかなか言いづらい(爆)。
実際に劇中、ヒロインの友人が、言いにくげに、だから聞こえなくて何度も言う羽目になって、しまいには「クリトリック・リスだよ、クリトリック・リス!」と半ば絶叫気味に言うのには爆笑!うーむ、エロネタは古今東西なんでこんなに笑っちゃうんだろう(爆)。

脱線した。そう、クリトリック・リスことスギム氏。奇しくも続けざまに限定レイト公開が続き、「そうして私たちはプールに金魚を、」の方を先に見ていたが、そちらはあくまでチラリな脇役出演。それにしてもこの特異な才能が突然続けざまに、先鋭ポップな映画にとりたてられる偶然はどうしたことだろう。偶然じゃないのかも。
何だろう、この目が離せない魅力は。単なるオッサンなのに(爆)。ステージングは下ネタ満載のオゲレツなパフォーマンスなのに、何かなんともチャーミングで、一緒にイエーイ!!と言いたくなっちゃう。

だから、当て書きではないかと思っちゃうぐらいなのだ。盲目の少女との、淡い恋物語……までもいかない交流物語である本作は、だからラブストーリーというには未満過ぎるし、いわゆる障害者との触れ合いというには淡すぎて、ヘタしたら中途半端に空中分解しそうな危険があるのに、彼の猪突猛進キャラでなんか見せちゃうのだ。
正直、芝居が上手い訳でもないと思うし(爆)、パフォーマンスにはドギモを抜かれたけど、素の部分(まああくまで劇中での、だけど)ではただのオッサンだし(爆)、何がそんなにと言われたら……ああ、私はクリトリック・リスにヤラれたのかっ??

二人の出会いはそれこそベタベタな偶然。もう光しか感じていない視覚障害者の梢が白杖で歩いているところで、転んでしまう。そこに行き合ったスギムが助け起こそうとしたら、「触らないでください!!」そこへ梢の友人の友梨がやってきて、「触られた?このヘンタイ!!」と憤然と彼を振り切って行っちゃう。
しかし後に梢から、「え?痴漢じゃない?」そう聞いて友梨は謝らなきゃいけない!と彼を探しだす。ミュージシャンをやっているというスギムに梢が興味を抱き、音楽を聴きたい、ライブに行きたい、と発展し……。

ハンディキャップを題材にすると、難しい部分は多いと思う。今は感動ポルノという言葉も一般化するほどに、単純に使えるネタとして取り込める時代ではなくなった。
しかも本作はホロリとはさせるけどどっちかというとコメディだし、見た目の印象よりはかなりチャレンジングだったんではないかと思う。

クレジットから察せられるに、視覚障害に関するデータ収集もかなり綿密に行っていると思われ、そうした部分で引っかかる感じがない。友人の友梨が梢のネガティブな考え方に、厳しく接しているというのも、一歩間違えるとかなり道徳的な印象を与えそうだからちょっとヒヤリとしたのだが……。
友梨が介護関係の仕事をしているという設定もそれを助長しそうな気がしたんだよね。だから理解があるし、だから厳しい、みたいな。でも友梨の仕事内容とか特に詳しく描写される訳でもないし(尺の問題があったのかもしれんが)、そんなつまんない印象を与えることはなかった。

のは、ヤハリ、クリトリック・リスの衝撃があったからだろうと思われ(爆)。クリトリック・リスであることを知る前には、友梨は梢が外に目を向け、コミュニケーションを図ろうとしていることを応援しているんだよね。その時点ならば、そうした危険な道徳ヒューマニズムが発生しそうな予感もしたのだが……。
梢は、スギムの音楽を聴きたいと言う。彼はつい見栄を張って、ギターが弾けるとか言っちゃう。そこで登場するのが、かつての音楽仲間で、今はサラリーマンしているイケメン君、桐島。彼をネタに、「桐島、子供出来たってよ」等々、クスリと笑わせてくれるあの大ヒット映画パロディを、オリジナル音楽で聞かせてくれるのが楽しい。

もうね、この時点で、判っちゃったんだよね。梢には絶対、バレてるに違いない、って。カラオケボックスでひとしきり披露した後、「ハグさせてください」と梢が言った時、彼女は、目が見えないから、それで相手を認識するんだ、みたいなことを言っていたけれど、あれは絶対、ギターは違う人だと、それをしかと確認するためにそう言ったに違いないのだ。 「言い出しかねて」を思い出さずにはいられないんだなあー。
かの作品では、香りが決定打になっていた。それは確かに重要な決定打だろう。でもそれだけじゃなく、音の聞こえてくる方向や風向きや……とか様々な情報が、五感のうち一つだけ失われた彼女にとって、すべてが研ぎ澄まされる結果となるのだ。まさしく、なめてもらっちゃ困る、てなもんなんである。

てなわけで、梢はスギムのライブに行きたいと思い、スギムも彼女のためにライブをやりたいと思う。しかしてスギムはその過激なパフォーマンスゆえに機材をぶっ壊して、その借財を返すまでは出禁となっている。
スギムが借金を申込みに行ったのは……ええ、エンコウ相手じゃなかったのか(爆)。観客にずっとそう思わせていたからさ、観客側も彼のことを今一つ信用できずにここまで来ていたのに、ず、ズルイー!!
「いいじゃないか、あと30分ぐらい」の台詞が、そーゆー意味じゃなかったなんて、そーゆー意味にしか見えなかった、彼が(爆)。だってしょうがないじゃない、クリトリック・リスなんだもんー!!

そらーこういうご職業だから、養育費もままならなかったらしい。ようやく手渡した養育費を、「娘から借金するのかよ!!」……おっしゃる通り……。
しかし一緒にいた友人がオッサンの心意気にカンドーして、貸してあげなよ、と進言。ライブ会場には別れた妻も「どれだけ禿げたかと思って」と来場。なんとそれが小沢真珠!この友人といい母親といい、この尺で出してくるには描き込みが足りない危険性があるのに、それを見事に咀嚼させてみせちゃう。ちょっとそれが、凄いと思うんだよなあ。

動画でクリトリック・リスの過激なパフォーマンスを確認した友梨は、こんなの梢に見せる訳にはいかないと思う。でも、見せる、なんである。即座に梢はそれに食いつく。クリトリック・リスなる名前であることをようよう言って、観に行くのを止めさせようとするも、梢は「友梨には私のことは判らないよ」決裂してしまう。
確かにそれはそう、かもしれない。でもそれは、決して決して、健常者と障害者のそれではないと言いたいし、そういう意味だと思う。
ただこの時点では、二人ともその枷があったと思う。それは決して、ただ友人同士である筈の二人の間には決して決して、あってはならない、ある訳がないことなのだ。

それを明確に示した訳じゃない。そんな“道徳的”なことを示した訳じゃない。ただ、友達だから、ただそれだけだと思う、友梨が、一人ライブハウスに向かっている梢の元に駆けつけたのは。「遅いよ」「ごめん」息の合った漫才のような明るいツッコミ合い。
ライブに駆けつける。股間に電飾を施したパフォーマンスは確かにオゲレツだけど、愚直なまでに、土着的なまでにまっすぐな言葉は、心に響くのだ。ハゲをネタにした歌は、ひょっとして本作のためのオリジナル??見えない梢には言う必要ないとも思われるけれど、それこそ彼女はすべてが“見えて”いるのだもの。

年も離れているし、恋な感じを強調する訳でもない。唯一、桐島君が「ホレましたね」と何度も念を押すように言うだけで。
この、桐島君とライブの後でへべれけになる(なったのは、スギムの方だけ)公園のシーンは、大好き。いろんな要素が、詰まってる。
家族を持ったのに売れない音楽を続けて、それを手放さざるを得なくなったスギム、早々に音楽に見切りをつけたけれども、この頼りない“パイセン”から頼まれると断り切れず、それどころかなんかパイセンラブな桐島君。

桐島君はデキ婚で、いわゆる平凡な幸福を目の前にしている。だから、一瞬「まだ俺、音楽できますかね」とパイセンにつぶやいても、彼の行く道はスギムとは違うのだ。
……趣味で音楽続ければいいとかね、まあ言うさ。世間的にはね。でもそれは違うのだよね。この二人の分かれ道がここにあって、それが胸に突き刺さるのだ。
世間的には桐島君の生き方の選択が“正しい”のだろう。家族に迷惑もかけず、ほどよいところでブレーキをかけてる。でも桐島君は、それが“正しい”訳ではないと判ってる。スギムも判ってる。でもどうすることも出来ないのだ……。

ただ二人のコミュニケーションを示すだけで充分に秀作だと思うけれど、スギム氏が何ともチャーミングなので、この先を夢想してしまうんだよなあ。梢を演じる岸井ゆきの嬢の、微妙にめくれた上唇の感じが妙に蠱惑的で、スッピンみたいでまるで少女のようなのに独特の色香があって、なんともドキドキしてしまった。
盲目を演じる焦点を合わせない瞳がさらにその蠱惑を掻き立てる、なんて言ったらいけないかな。でもホントに!
正直、友人の樋井明日香嬢の方が美少女だったりするし(爆)、スギム氏の娘役や母親役の小沢真珠とか美女目白押しなのに(爆爆)、岸井ゆきの嬢のファニーな魅力に心奪われてしまうのだよなあ!★★★★☆


ひかりのたび
2017年 91分 日本 カラー
監督:澤田サンダー 脚本:澤田サンダー
撮影:西田瑞樹 音楽:狩生健志
出演:志田彩良 高川裕也 瑛蓮 杉山ひこひこ 萩原利久 Lilme 川崎誠司 宮本なつ 鳴神綾香 山田真歩 浜田晃

2017/10/16/月 劇場(新宿K’scinema)
インディーズの中で、深く重いテーマに挑戦する作家さんたちが次々と出てきて驚く。これもそのひとつ。
小さな田舎町の土地を外国資本に売り飛ばす不動産ブローカー。ああ確かにそんな社会問題を目にしたことがあったのに、そしてその時には確かに憤り、憂い、日本はどうなっちゃうんだろうと恐れもしたのに、またしてもすぐさま忘れてしまうのだ。
あのニュースを見た時から何年経ったのだろう。きっと今、その浸食がじわじわと現れ始めているに違いないのだ。

モノクローム。現代の映画でその選択をする時、時に自己感傷に浸るような傾向があることも少なくない。でも本作のモノクロームは、この作品に対する正しい選択としてのそれであったように思う。感傷的というよりは冷徹、起こっていることと感情をクリアにして見つめていく。
時に肌が粟立つような人の心の冷たさにぞくりとし、高校生の男の子と女の子の二人乗りに、その優しさに胸がきゅっと締まるような心地がし、幼い子供を亡くした母親の涙、理想と打算の間に揺れる老人の哀しさにやりきれなく思い……それらはすべて、色のついた絵ではドラマティック過多になってしまうのだ。
鳥の目、いや、神の目、いやいや、それらを超えた時空というものの目が、すべてを公平に見つめている、そんな気がする。

不動産ブローカー役の高川裕也氏が、すべてのかぎを握る凄い印象を残す。いまだに「凛凛と」を思い出すというのは、今の活躍の彼に対して失礼だろうか(爆)。そうかそうか、彼も無名塾だったんだねー、こんな風に役者として年を重ねていけたら良かったのに、田中実も(涙)。
などと関係ないことに行ってゴメン(爆)。物語の冒頭、高川氏演じる植田は前町長と山の中を散策している。散策、というにはなかなかに不穏な空気が漂っている。
ここであらかた彼らの関係性とこの町の事情が明確にされる。植田は不動産ブローカー。穏やかな物腰をしながら、土地や雇用問題や何やらで外の資本と深く濃くつながっている。町の皆に蛇のように嫌われまくっている。

恐らく人口流出が止まらないであろう田舎町が直面する、自治体としての維持の問題に、先述した外国資本、というか、外国人による買い占め、つまりは、村が村でなくなり、町が町でなくなり、極端に言えばいずれは国が国でなくなるかもしれない、侵犯、侵食、いやもう、乗っ取り、植民地支配ぐらいな気持ち。
都会に出ていけばいいやと思っている若い人たちが少なからずいる一方で、ここでしか生きていけない、ていうか、故郷だから、そのことを憂いて、憤っている人たちとの当然、バトルになる訳で。

悪役みたいに描かれるし、実際そうなのかもしれないけれど、植田は結局、一介のサラリーマンに過ぎないんだよね。後に彼の客第一号として登場する、山田真歩扮する道子との会話、「どうして植田さんはこの仕事をやってるんですか」「私にはこれしか出来ないから」「そんなことないでしょ」そんなことない、というのは、ありきたりな言葉に思えるけれど、実は真実をついていたんじゃないかと思ったりする。
つまり彼は一介のサラリーマン、自営としてやってる訳じゃない、やりたくて立ち上げてやってる訳じゃない、だから他の業種、他の仕事も出来るでしょ、と言っているように思えたのだ。

でも植田は、いわば叩き上げというか、きっとこの仕事でずっとずっとメシを食ってきたんだ。そういう、日本的なサラリーマンしがらみをついつい考えてしまう。
ただ、この土地には彼しかいない。営業所は植田一人で、嫌われ者だからガラスが壊されたりしている。会社とか企業という雰囲気を感じさせない、孤立無援。でもやっぱり彼はサラリーマンなのだ。物語の最後には、「次は別の担当者が来ますから」というんだもの。それで、それで……。

ああ、このまま行ってしまいそうになったが、もう一人の主人公、というか、こっちがまさにピンのヒロインよね、というのがいるんだから。
志田彩良嬢演じる奈々、高校三年生。父子の二人暮らし。つまり、離婚した後彼女は父親と暮らす選択をしたということなのだ。日本の社会事情としてはひどく珍しいことだ。とりあえず母親が子供を育てるべきというマッチョな思想がいまだに横行しているのだから。

そのあたりの事情というか、奈々の気持ちが実際どうだったのかは特に明確にされる訳ではないのだが、ただ奈々はこの土地にとどまりたいと思っている。
父の仕事の都合で転校を繰り返し、そして父の仕事の特殊性で、イヤな思いを繰り返してきた。本作の中では自転車を壊されたという描写だけにとどまるが、それだけでも充分その厳しさは察せられる。

救いは、学校生活や友人関係、そしてちょっと淡い恋心かもしれないと思うような理解ある男の子との関係性が穏やかに過ぎていくところなのだ。
それでも奈々は本当に心を許し、すべてを見せている訳ではないのかもしれないと思わせる静けさは常に横たわっているんだけれども。

キーパーソンが、ちらと先述した山田真歩である。道子は町の皆が嫌いまくっている植田を、あの人はいい人だと言い、密な相談事などもしているようである。
後に明らかにされるが、この土地に来た植田がなかなか仕事が上手くいかない中で、その最初のきっかけを作ってくれた人物なんである。道子は家を売り、他の土地に住んだ後で離婚した。
そこには深い事情が絡んでいた。幼い息子を事故で亡くした。息子のおいたを叱責して外に出したことを、道子は深く悔やんだ。このたびの来訪は、再婚することになった彼女の、息子への鎮魂の旅だったのか。

この物語の最大の衝撃は、道子の息子の事故に、植田が関わっていたことを奈々に告白する場面である。関わっていた、というのは、正確ではない。実際に植田が手を下したとか、そんなんじゃない。ただ、夜の路上をさまよっていた、顔見知りの幼い男の子を、植田は直感が働いて声もかけずに見逃した。何が起こるかが、そしてそれが自分の仕事にプラスになるってことを、まるで神の啓示のように、判ってしまった。
あの時この子をピックアップして送っていったら。それはまさにタラレバだ。そりゃ、植田のせいではない。でも、彼自身の中でそれがすべて見えていた。この土地にとどまりたいという娘の奈々にそれを告白した植田は、あまりに正直すぎたのか、それはやはり娘への愛か。

故郷、という問題は常に横たわり続けている。それはその言葉が持つ甘美な印象とはかけ離れている部分もかなりある。よそ者を排除し、自分たちを守り続けたいためだけだったり、する訳だ。闘う力もないのに、ただ侵略者を憎むことが故郷への愛だと信じているような。
どこの地方でも都会、判りやすく東京への若い人の流出は問題である。生まれ育った土地があるのに、なんてことはほとんど問題にされない。そこにいると、大切なものは見えにくくなるもんなんである。

進学はしない、卒業後はここで仕事を見つけて働きたい、と言う奈々に父親は猛反対する。そんなつぶしがきかないことをするな、お前も暮らしたことのある東京にいずれは戻る、そこで大学に行けばいいだろうと。
奈々はかたくなに首を振り続ける。同級生の男の子、公介から言われた言葉が頭をよぎる。「植田には実家がないようなもんだから」さらりと言うが、これはかなり重い言葉だ。やはり転勤族の親を持った私も判らなくもない感覚だからぐさりと来る。

でも私はそれでも、両親のいるところが実家だという感覚があった。でもいまや離婚が珍しくなくなった日本社会において、両親がいるところ、というのが難しくなってしまった。そしてその片親は、人に嫌われる仕事をし続けているのだ。常に、追われているのだ。心休まる実家など、ある訳がない。
故郷を自分で定め、自分で決定した奈々、それは、これからの社会に対してものすごく新しいアイデンティティの示し方であるように思う。奈々は口数少なく、父親の植田ほど物語の中で大きく動きを見せる訳ではないのだけれど、この決定がなされるだけで、本作の大きなモティーフになっているんだと思う。

それで言えば対照的なのは道子であり、そして道子の幼馴染である優子である。優子は恋人を連れて故郷に戻ってくる。父親を亡くしたばかりであり、この“実家”の売却を執拗にけしかけてくる植田をまさに蛇のように毛嫌いしている。
でも優子だって都会から恋人を連れ帰ってきたということはこの土地から離れていたということだし、実家は売らないと言いつつ、ここに移り住んでくるかどうかはまだ判らないというのだ。

それならまだ、道子の方が数段、潔いというものだ。自分が土地買収のきっかけのようになってここを離れたことを、道子は優子や前町長の前でわびるのだが、そんなことはおかしいのだ。彼らは故郷というさびついた看板を後生大事に守っているだけで、本当に故郷のためになるべく動いている訳では、ないのだもの。
……こんなことを言うと、それこそ故郷のない人間の言うことだと言われるだろうか??でも、人がいてこその故郷であり、生活してこその故郷であり、それが失われているからこそ、外国の投資に狙われる脆弱さを持っているのではないの?

ああ、なんかやばい、故郷のない人間のひがみ発言になってしまいそう(爆)。違うの。私はずっと憧れ続けてきた。実家というもの、故郷というものに。それがない人にしか、この気持ちは共感してもらえないだろう。
そして案外と、その仲間は多いものだ。だからこんな問題が起きた、というのは直截に過ぎるかも知れないけれど、でも一端は担っているように思えてならないのだ。

前町長も、ついに自分の家土地を手放す。植田の用意した書類に苦々しげに判を押す。選挙のために投じた資金が借金となり、どうにもならなくなっての決断は、ずっと農業を続けてきた彼が、政治に手を出してしまった、つまりそうして土地に安楽に根付こうとした結果だというのは何たる皮肉かと思う。
最後まで植田に毒づいていたのに、もうここで植田はお別れ、次は他の担当者が来ると言われて急に狼狽するイナカの老政治家の姿がいかにも哀れなのだ。皆に知られないように引っ越しできるのか、その手続きをしてくれるのか、お前がなぜ来ないんだ、この馬鹿野郎、みたいな……。
よそ者として、侵食者として、あんなに忌み嫌っていたのに。植田がそれを振り切るのは、決して冷酷なだけの顔ではなかったように思う、と思いたい。彼は娘を愛する人間なのだ。それは確かに、間違いないのだもの。

それをふんわりと示すエンディングが心に染みる。奈々がアルバイトをしている洋食屋さんに来ている植田。テーブルに着いたなり、居眠りをしている。
心に重い大きな仕事を終えて疲れたのだろう。奈々にあの事実を告白したことも大きかったに違いない。目を覚まして水を倒してしまい慌てる姿は、いつも落ち着いている父親とはかけ離れている。
ふと娘と目が合う。照れくさそうに微笑み合う父と娘。これから先、二人は離れてしまう、んだろう。故郷がなくても実家がなくても、でも親と子であることは変わりない。それで充分じゃないの。★★★★☆


ビジランテ
2017年 125分 日本 カラー
監督:入江悠 脚本:入江悠
撮影:大塚亮 音楽:海田庄吾
出演:大森南朋 鈴木浩介 桐谷健太 篠田麻里子 嶋田久作 間宮夕貴 吉村界人 般若 坂田聡 岡村いずみ 浅田結梨 八神さおり 宇田あんり 市山京香 たかお鷹 日野陽仁 菅田俊

2017/12/16/日 劇場(楽天地シネマズ錦糸町)
ビジランテ、というタイトルの意味が劇中で明らかになるのかな、とぼんやり思っていたが、そうではなかった。いや、そんなことは頭から吹っ飛んでいた。痛い、怖い、やだよーっ、と身をすくませながら観ていた。
この監督さんは出世作を見逃しちゃったし、その後もなかなか機会がなくて……。うわー、こんな怖い作品を撮る人なの、と。凄く、野心的。虐待、政治、ヤクザ、外国人への偏見、暴力、レイプ、隠蔽される殺人、エトセトラエトセトラ……もう盛り込みすぎちゃうかというぐらい。

で、ビジランテ、というのが自警団という意味だと、今こうして書く前に知るんである。自警団、次男の二郎が政治家としての地場固めのために活動しているあれだけのことで?と一瞬思い……そこで勃発する、実にイヤーな事件の数々と、長男も、三男も、いや登場人物のそれぞれが、実にイヤーな“自警”をしていると、それが人間社会なのだと、そういうことだったのかもしれない、と思う。
イヤーな事件というのは、この自警団が遭遇する、中国人たちが多く集まる集落と近隣とのトラブル、自警は異邦人を排除することなのだと、偏見というよりかたくなに信じる日本人の若者。
先に手を出したという理由で発展する暴力と報復、放火、暴行、それを「これで一掃できましたな。先に手を出したのは向こうなのだから、温情ある?処置で?頼みますよ」と、特に何事もなかったようなしたり顔で言う政治家たち……、うわ、うっわ、怖い、怖すぎる!!

……なんかいきなりワキエピソードから入ってしまったが。そう、これがワキと言っちゃえるほど、もうもう、本作は重苦しくて、救いようがないのだ。
なんとまぁ、トリプル主演である。ダブル主演というのは聞いたことがあるけれど。三兄弟。ギャグかと思うぐらい単純な命名。一郎、二郎、三郎。

物語は幼い三人が鬼のような父親から逃れて、見るからに寒そうな夜の川にざぶざぶ分け入っている場面から始まる。追ってくる父親に怯えてぐずぐずしている弟たちにイラつきながら、長男は岸辺にたどり着く。
必死の思いで埋めた缶の中に収められたそれが、この時には見定められなかった。現在の時間軸になり、物語が佳境に入ると、それが、子供たちに虐待を尽くした鬼畜父親の、その首に突き立てたナイフだということが知れる。

それは、母親が死んだ時だった。特に示されないけど、彼ら幼い子供たちにとって唯一のよりどころであったであろうと思われた。
執拗な暴力から逃れるように、長男の一郎は家を飛び出す。中学生ぐらい、だっただろうか。ギリギリなんとか、自分の力で未来を切り開ける年だ。ただ、その下には、それが出来ない弟たちが残った。呆然と兄の背中を見送る二郎と三郎。

そして、いきなりぱーんと、時が飛ぶ。あの鬼父親の葬儀である。取り仕切っているのは父親の地場を受け継いで政治家をしている二郎。驚くことに地元の有力者だったんである。家庭の事情と政治家の力量は関係ないとはいえ、いやこういうところから、作家の切り込む並々ならぬ意欲を感じるんである。
三男が現れる。堅い政治家である次男とは全く違う、デリヘルの雇われ店長。父親のことを深く憎んでいた彼は、通夜にも葬儀にも納骨にも顔を出さず、二郎から小言を食らう。

いや、二郎としては弟を呼び出したのは、遺産相続の話、それも政治家としての自分の地盤を固めるために、誘致するアウトレットモールに必要な土地として、なんとしても自分が相続したいから、その相談に呼びつけたということなのだった。
なんていう雰囲気はない。二郎はいかにも気弱で、鬼父親のことを深く憎んでいたのは同じだろうけれど、その恩恵を受けることでしか生きられない、いや、逆に言えばしたたかにそれを選び取って生きてきた男なのかもしれないと言える。

そんな中に、予期せぬ来訪者。飛び出したっきり行方も知れない長男、一郎が現れるんである。うっかり言い忘れていたが、二郎が鈴木浩介、三郎が桐谷健太、一郎が大森南朋、とても兄弟とは思えない(爆)、三つのベクトルに分かれまくっている三人なんである。
気弱ながらしたたかなのかもしれない(なのかもってあたりが重要)二郎、強がっていても実は一番心が弱いのかもしれない三郎と違って、この長男の一郎というのは……得体が知れないのだ。

いわば裏切り者。弟たちを見捨てたということが彼をやさぐれた男にしたのか、それとももともとこういう男なのか。フラリと帰ってきて、いつのまにやら土地の公正証書をゲットしてあの土地は絶対に売らないときかない。
弟たちは死んでも近づきたくない忌まわしき実家に平気で住み込み、しかも女を連れ込んでバッコンバッコンやり、次男が店長をつとめるデリヘルから女の子を呼んで、レイプ、いやもうこれはレイプ&傷害と言うべきではないか、という鬼畜なふるまいに及ぶんである。
たるんで黒ずんで薄汚い一郎を演じる大森南朋に戦慄が走る。あんなにあんなに、色気のあるイイ男なのに、しっ、信じらんない!!

でも一郎は、なぜあんなにあの土地に執着したのだろうか。彼の言う、ご先祖さんが守り抜いた土地的な言いぐさは、あれだけ父親を憎んでいた彼にはあまりに似つかわしくな言葉だった。父親ではなくその前の祖父とか、そういうことだからなのかとも思ったが、なんともピンとこなかったんだよね。
そこが長男の長男たる感覚なのかとも思ったし、これが忌まわしいと思えるほどに土着の、ここに産まれて“しまった”地方都市の物語だということこそがその要因として大きいのかなとも思ったけれど……なんかピンとこなかったんだよね……。

だって二郎がこの土地を欲しがるのは保身のためだし、三郎は元から父親の遺産なんか願い下げだし。
でもそれは、彼らがこの土地に縛られ続けていたから、なんだろうか??出て行ってしまったからこそ、一郎は自分をつなぎとめるための、いわば血をつなげてきた意味合いの土地に執着したんだろうか??

この土地に誘致されるアウトレットモールは、住民たちからはちっとも歓迎されていない。それがなぜなのか、というのが明確に示されないのがちょっと不満が残る。
地元のためという名目のもと、金ぴかの美味しいアレコレが政治家たちの懐に入るというのが、こうした生臭い誘致事業の常なのかもしれないが、それは裏に隠された部分であって、なぜ住民たちが歓迎してないのか、てゆーか、怒号が飛び交うディスカッション場面が背中越しに示されるだけで、全然判んないんだよね……まぁ、政治家たちの陣取り合戦の物語にそんなことは必要ないということなのかもしれない。そうかもしれない。

政治家とヤクザは常に絡み合う。それが今やファンタジーであるかもしれないと思っても、こうした地方都市が舞台になっていると、妙にリアリティを感じる。
長男の登場によってアウトレットモールに必要な土地の相続が難しくなった二郎は先輩政治家から叱責され、出世コースからの脱落をほのめかされる。

そしてその先輩政治家……いかにも老練、したたか、な嶋田久作が連絡をつけるのが、……これは二郎とつながりがあるって、知っていたのかなあ。三郎の兄貴分である地元のヤクザ、なんである。
だから当然、三郎に指示が行く。お前の兄貴だろ、相続を辞退させろ、出来なければお前の店の女の子たちはコンテナに詰めて海の底だぞ、と。うわ、うっわー、こんなクラシカルな脅し、あるの!コンテナに詰めて海の底!埼玉、海ないのに(爆)。海って言ってなかったかなあ、そういう問題じゃないか(爆爆)。

三郎はすっごい、店の女の子たちから慕われているんだよね。三郎ちゃん、なんて呼ばれて。まぁ、ナメられてるのかもしれないけど(爆)。
コンテナに閉じ込められて死ぬような思いをして、三郎ちゃんに見事救出された後も、「……ほら、三郎ちゃん、来てくれたじゃない。1000円」。「5000円ね。後で払ってよ」なんてさ(笑)。そんなやり取りをしている間に、三郎ちゃん、殺されかけてたのに!てか……彼は、助かったの??

一郎がぜんっぜん土地を手放す気がないもんだから、三郎は兄貴にヤキ入れられ(やだー、あれやだー、テーブルの上の手を、箸でテーブルの下まで貫き通す……ヤダ!!)、血だらけになって二郎に、一緒に一郎兄ちゃんを説得しようと訴えても、二郎は保身が大切だから……。
いや、ここにはもう一人、キーマンがいる。今回の芝居でかなりザワつかせているマリコさまである。ふっくらとした輪郭は童顔といっていいほどだが、だからこそくえない女を映しだす。

彼女は夫を手のひらで転がす女。夫の二郎だって、きっとそのことは充分判っているだろう。自分のために、大物政治家に身体を差し出しているだろうことだって、あんなにロコツにドアをノックしたらそりゃあ……。
てゆーか、まるでアメリカのファーストレディよろしく、二郎の行く先々にしかも幼い息子を伴って、清楚な着飾り加減で現れる彼女は、日本の感覚としては少々、どころかかなり異様に映る。当然、他の政治家たちの家族なんぞは登場してこないし。ここだけ、彼らだけ、アメリカ映画みたいなんだよなあ。

一郎は横浜から借金の取り立てにも追われてて、土地がらみの地元のヤクザも交えての抗争になる。シビアな、いわゆるビジネス的な抗争だと思って見ていたのに、ヨソモンの、どこの組だ、みたいに、いきなり暴走族同士みたいなメンチの切り合いになっちまうもんだからかなりボーゼンとする。
しかも、二郎に対しては先述のいったーい仕打ちの上に、店の女の子を人質にとり、心身ともに容赦なかったのに、一郎に対しては凄みをきかせるだけで、殴るでもない、逆に一郎から「靴を脱げ」と言われ続けて、あぁ?なんだテメ、ぐらいで終わるってのは、なんなんでしょー。いやそらー、念書を書かせなければいけないということであっても、なんでこんなに甘いの……。

んでもってヨソモン同士の抗争に移っちゃって、しかも信じらんないことにウッカリこのヤクザが拳銃ぶっ放しちゃって、撃ち合いになっちゃって、一郎含めて味方もやたら死亡て!オイー!……これは、笑っちゃいけないの。シリアスなの。ホントに?
これを黒幕の、政治家(ていうか、秘書って感じかなあ。手を汚す役割っていうか)の嶋田久作に連絡が入ると、ヨロシクネ、みたいな感じで何事もなかったことにされちゃう。

兄を目の前で殺され、そしてその死体をどことも知れず運ばれていくことに怒った三郎は無謀なアタックをし……先述した、死んじゃうのか、ひん死でも生きていてくれるのか、という状態に陥る。
二郎は、この事態を耳打ちされ、つまり自分の保身のための、土地争いのために、兄が死に、弟の安否まではこの時点では判らないけれど……この時の、アウトレットモールの実行委員選抜の挨拶の、誰もその異様な涙の理由が判らない、緊迫感は、見てられなかったなあ……。

あの幼い頃、虐待を受け続けていた父親に一矢を報いるべく、長男が父親の首にナイフを突き立てた、ということになっていたんだけれど、三男が長男を説得するために来てくれと、次男の元に来た時、「刺したのは、お前だよ」と言い放った。のは、本当のこと、だったの??
これはかなり衝撃の事実??で、三男の心の傷を長男が負っていたのだとしたら……だから、三郎は裏切られて憎んでいた筈の長男の死にあんなにこだわったのかなあ……。

実は、本作に足を運ぶ動機の大きな一つは間宮夕貴で、期待にたがわぬ見せっぷりであったが、それは彼女にとっては全然フツーのことであって、そうじゃなくて、キャラクターというか、なぜ彼女が、一郎から一度逃げ出すほどにヒドイ目に遭っているのに戻って来たのか、つまりそれぐらい愛していたっていうことなのだろうが、それはぜんっぜん、納得できなかったよね。
なれそめも、どういう経過でこういう関係になったかも、お互いの関係性も、レイプにしか見えないようなバックで突っ込むセックスをあらわに見せるだけで、しかもシャブ中の一郎から逃げ出す訳でしょ。……こーゆー男から愛情とカン違いして逃れられないなんていうのは、昭和も遠き時代になって、もうさすがにないでしょと思うのだが。いやそういうキリッキリの男と女を、メッチャ見せてくれるのなら、それは見たいと思うけれど!!★★★☆☆


ひばり・チエミの弥次喜多道中
1962年 85分 日本 カラー
監督:沢島忠 脚本:鷹沢和善 高島貞治
撮影:山岸長樹 音楽:米山正夫
出演:美空ひばり 江利チエミ 千秋実 香山武彦 堺駿二 山形勲 田中春男 加賀邦男 河野秋武 夢路いとし 喜味こいし 中村時之介 中村錦司 大丸巌 片岡半蔵 尾上華丈 東千代之介

2017/4/16/日 劇場(神保町シアター)
わぁ、楽しい楽しい、なんて楽しいの!ムチャクチャで痛快で、美空ひばり、江利チエミの二人がもうなんて可愛いの!!いやー、やられまくった。
私世代にとって美空ひばりはもはや大御所、羽飾りいっぱいつけて「川の流れのように」歌う人(爆)、江利チエミに至っては物心ついた頃にはもう亡くなってたし。
ひばりさんの映画はいくつか見ていたし、若い頃には可愛いのは知ってはいたが、江利チエミとコンビを組んだ本作はなんてゆーか、女の子映画、ああこの頃もまさにそれがあったと。おきゃんという言葉は今の女の子には当てはまらないことを考えると、ああもう、このおきゃんな魅力がたまらなーい!!

そうだ、ひばりさんは八重歯だったのだ。これがこんなに少女っぽく可愛く感じるなんて、やっぱりまだまだ私はひばりさんの可愛さを知らなかったのだ。
そして江利チエミの傍若無人なコメディエンヌっぷりときたら!!!現代に変顔とゆー言い回しがあるが、まさにそれよ。一瞬の“変顔”のなんと可笑しくもチャーミングなこと!!

コーフンばかりしていても話は進まない。これは、これはさ、もはやミュージカルだよね。そりゃそうよね、ひばり・チエミだもんね。
二人はお江戸の芝居小屋の下足番。今日も今日とて舞台の真似っこをして六助爺さん(堺駿二。最高!)にどやされる日々。
芝居が跳ねてどーっと客が下足札を我も我もと差し出し、二人がキャーッ、モーッとばかりに右から左、左から右へと全力疾走よろしく下駄を持って走り回る、この圧倒的なスピード感、すさまじいスリリングからもう、鷲掴みにされてしまう。そして驚くべきことにこのスピード感とスリリングは全編通してずーっと、ずーーーっと、落ちることはないのだ。なんということ!!

あまりの忙しさにグッタリ倒れている二人の元へ、捕り物のお役人が押し寄せてきたからびっくり仰天。乞食坊主なんて入れてませんよ、下駄以外は預かりません!とコンビネーションばっちりに交互にタンカを切る二人の可愛さにノックダウン。
そしてお約束とばかりにいつのまにやら潜んでいた乞食坊主こと法界坊が「助かったぜ」と現れてヒー!とビックリする二人の可愛さ!!……ていう描写にいちいち言及していたらマジで進まないのでこれ以降は割愛しよう……。
とにかく二人一緒のコンビネーション芸と言いたくなるこの感じが、面白くて可愛くてたまらないのよ。不思議よね。全然タイプ違うのに。でもこの年頃のおきゃんさが通じていて、それが奇跡のケミストリーを起こしているんだろうなあ。

この法界坊を演じるのは、そらー私でも知ってるさ、の大スター、東千代之介。
法界坊は仮の姿で、実は麻薬密売の悪党どもを一網打尽にするべくおとりとして動いている、筆頭与力の秋月七之丞。んーん、お約束。

彼が助けた形になった、麻薬密売組織の悪党どもが差し出す怪しげな紙包みに「気持ちよくなる薬??あらそうお?」とばかりに単純にとろけそうな顔で受け取ろうとする江利チエミに爆笑!!ひばりさんも七変化な表情を見せるけれど、江利チエミにはかなわない気がする!!
実際役どころも、“近眼(ちかめ)のお君にあわてんぼうのおとし”という役どころで、眼鏡(といってもこの時代だからかけるタイプじゃなくて、手に持って目に合わせるタイプ)が手放せないお君は時に引き気味の時もあるんだけど、そんな彼女をかばって突っ走り気味のおとしが、声もイイ感じにドスがきいてて(爆)、サイコーなんだよなあ。

この密売団と役人との捕り物に巻き込まれる形になる二人、もうこれがサイコーで。それなりにスタントは使っているんだろうけれど、舞台の仕掛けや何かを存分に使って、時に宙づり、しかも上下運動なんども!!のすさまじさに口アングリ!!
てか、この年の頃のこの二人なら、これぐらいのことやってのけそうな感じがあるんだよなあ。だって身のこなしは敏捷だもの。さすが歌手、それもめちゃくちゃ才能のある歌手、というリズム感。二人してピョン!と飛び跳ねるだけで、めちゃくちゃ躍動感があって、めちゃくちゃ可愛いの!

そうそう、忘れないうちに(爆)言っておこう。二人はともに才能ある歌手だけれど、ひばりさんは演歌の雰囲気も含んだ歌謡で、チエミさんはジャズを含めて洋楽の雰囲気がある、気がする。無知なんで、少ないイメージなんだけど。
勿論二人は歌いまくるんだけれど、最も印象的なのが、二人、同じ人を想う気持ちを、全く違う雰囲気と旋律で同時に歌うシーン、ひばりさんは河原の土手の上、チエミさんは土手の下、秋の夕暮れすすきをかきわけ、ひばりさんはしっとりと、チエミさんは陽気そのものに歌う。
言ってみればひばりさんは演歌歌謡、チエミさんはジャズ歌謡、といった趣。そしてこの二人の全く違う歌が、重なり合って、シンクロして、ハーモニーともまた違う、一曲に仕上がっていくミラクルにキャーッ!と思う。ああ、ああ、この奇跡を目に出来るこの幸せよ。こんなハチャメチャなコメディなのに!!

麻薬団の捕り物に巻き込まれる形で、牢屋にブチこまれる二人。暴れまくって奉行の片山にひどいたんこぶをこしらえちゃったもんだから、それ以降、この片山は“下足番のあの二人の娘”を麻薬団よりも恐れるようになるという(笑)。
千秋実、なのね!!わぁ!すっごい、こんなコミカルなの見たことあったかな。二人に遭遇するたびに、たんこぶはさらに大きくなり、そして二重にもなるという(笑)。二人を恐れるのは秋月もそうなんだけど、行く先々で遭遇する二人にギョッとして逃げ出す片山がとにかく可笑しくてさ。

そう、行く先々で。捕らえたのは小物ばかりだったから、組織を一網打尽にするために、その中でも幹部の男を信用させるために牢破りをして、上方へと向かう秋月。このシークエンスで二人が巻き起こす騒動も可愛くてハチャメチャで最高なのだが、もういちいち書いてるとキリがないので割愛(爆。……だんだん疲れてきた……)。
二人が巻き起こす騒動は時に絶妙に早回しがなされて、ちょっとしたサイレント映画のようにね、その使い方も絶妙なんだよね。同じぐらいの背丈の二人がチャカチャカチャカーッ!と動き回る様を早回しでやる、最高に可笑しいの。書かないと言ったけど、ここまで来たら、書いちゃう(爆)。
二人は、このまま牢を出たら傷がついてお嫁に行けなくなる、感謝状ぐらい貰わなくちゃ!!と、解放されたのに出て行くもんか!と闘って、チャカチャカチャカーッ!とね、で、牢屋にまたちょこんと座る。その早回しと、ちょこんのオチが最高で、可愛くて、もうやんなっちゃう!!

かくしてでっかい感謝状(ホントにでっかくて、笑っちゃう!!)をゲットしたものの、麻薬団に関わったという理由で、芝居小屋との関りを恐れられてクビになっちゃう。
そして二人は、ならば弥次さん喜多さんになって旅に出ようと!なんでそうなるのかよく判んないんだけど(爆)。「もう女じゃないんだもんね」とことあるごとに二人涙するが、それはあなた方が勝手に決めたことでは(爆)。

そして別にそういうつもりでもないのに、なぜか行く先々で法界坊に身をやつした秋月と配下の片山に遭遇しちゃう。そしていつのまにやら彼らが追っているトップのトップ、超黒幕の和泉屋も登場してくる。
上方なまり、おつきの男がすれ違う女に片っ端から声をかけるようなエロ男、主人の方は穏やかな風貌だが義足が気味の悪さを演出する。
なあんて現代で言っちゃったら問題だけれど、最初は判らないのよ。しかしあの調子でお君とおとしがキャーッと逃げ出した先で、バーン!と旅籠の別の部屋に飛び込み、布団の中から妙にリアルな作り物の足をつかみだし……ギャーー!!みたいな(笑)。

この“あの調子”ってーのは、相棒のいびきで眠れぬお君がまず飛び出した先で、同じく片山のいびきで眠れなかった秋月に遭遇、そっと抱き寄せられ「娘に反って江戸に戻りなさい」と耳元で優しくささやかれた。そしてこれがおとしも同じ繰り返し(笑)。
近眼のお君も至近距離で彼の顔を見る、というあたりがドキドキだが、至近距離だから当然それが、二人が悪党だと思っている法界坊だと判っちゃう。ギャー!!とばかりに逃げ出す二人は双方ともに可笑しいが、やっぱりチエミさんが一枚上手かなあ。

んでその後、二人は同じ相手を想っていると知らないまま、男として生きていく決意をした筈なのにアッサリ娘の姿で彼に会いに行く訳。
先陣を切るチエミさんの、彼に有無を言わさぬ思い込み1000%のマシンガントークに爆笑!さいっこう!こ、こ、これは、現代のコメディアンたちにも見てほしいよ。超絶嫉妬するんじゃなかろーか、いや嫉妬さえもできないかもと思うぐらい!!

その後にひばりさんの番なので、かなり分が悪いというか(爆)。ただこの時点に至ってくると、最初は同じ感じでおきゃんな二人娘という感だったのが、段々パーソナリティーの違いが出てくるというか。
二人仲良し同士だからきゃんきゃん元気だけど、一人ずつになると、ひばりさん演じるお君の方は実は近眼をコンプレックスにしていることも手伝ってちょっと内気で、中に抱えるタイプなのかもと。その点、チエミさんはもう最初から最後まで一ミリもたがわない、期待を?うらぎらぬハチャメチャぶり!!あーもう、可愛いんだなー!!

京都までたどり着き、ついに悪党どもの根城に肉薄する。ここまで偶然のように二人が秋月一行に遭遇し続けるってーのはもはや奇跡に近いのだが、そんなことを突っ込むのはヤボの極みというもの。とにかく二人におびえ続ける片山=千秋実を堪能できるだけでもいいではないの。
その最後の捕り物、豪華な反物がずらりとぶらさがる秘密の部屋、その前にお腹がすきすぎてフラフラになったお君とおとしが、染めた反物を干しているのか、とりどりの反物が広げてある河原に迷い込み、それをまといながらケンカする。

反物にとらわれて動けなくなるとかいう様も実に巧みで、そして美しい反物に嘆息する娘心がとっても可愛くて、そしてお腹がすいて動けない状態で、反物にくるまりそこで寝てしまう二人がとっても愛しくて……。
二人がこの最重要場面に居合わせることが出来たのは、このシークエンスがあってこそだろうが、うーむ、出来すぎているとゆーか!別にいいけど!!

あの義足の黒幕おじさん、穏やかながらも凄みのある感じ、岸部一徳みたいな雰囲気。山形勲。知らんなあと思ってたら、めっちゃ名のある素晴らしい役者さん!観てる筈なのに!!……すいません、これからはちゃんと認識して観ます……ああ、こういう自分がホント、イヤ。

お互いの想い人が同じということを知ってどうなるのかしらんと思ったら、「同じだったのねー!!」と感激の抱擁。えっ、ええっ。
そして江戸に帰ってきなさいとその想い人から言われていたし、すべてが大団円になった時にも、お礼の意味で再びそう声をかけられたのに、いーえ、帰りません。ここに残るんだもんネーッ!とばかりに顔を見合わせる二人。

えー、ナニナニと思ったら、京都の芝居小屋で下足番をしている二人。舞妓さんの履物を預かって、そのはんなりとした風情に、いいわね京都は、とご満悦の二人。
芝居大好きで芝居をマネしちゃうのは同じで、それを楽しげに見ている若い娘衆、ケチをつける下足番の爺さんはあれ、同じ顔……堺駿二、兄弟て!江戸と京都で芝居小屋で同じ下足番て!そんなうまい具合にー??

水増しの酒でしこたま酔っぱらったり、憧れの花嫁行列に自身の妄想を重ねたり、言いきれない面白エピソードがいっぱいなの!!
あ、これは言っときたい。法界坊が実は筆頭与力の秋月だったと知って、その凛とした風貌に驚いたおとし、「わぁ、びっくり、七面鳥みたいね!」それを言うなら七変化だろー(爆笑!)と思ったが、そもそも七面鳥の名前の由来がそういう意味合いから来ているのか、知らなかった!でも七面鳥、って言うかなー、やっぱり爆笑ポイントだよね!★★★★★


ひるね姫 知らないワタシの物語
2017年 110分 日本 カラー
監督:神山健治 脚本:神山健治
撮影:田中宏侍 音楽:下村陽子
声の出演:高畑充希 満島真之介 古田新太 釘宮理恵 高木渉 前野朋哉 清水理沙 高橋英樹 江口洋介

2017/3/29/水 劇場(TOHOシネマズ錦糸町)
タイトルを検索した時、パクリなどというワードがくっついてきたのは、ひょっとして夢ネタというのがメガヒット作のアレとかぶったから??いや実際のところはそんなネットネタは探ると底なし沼だから見なかったけど、確かにアレの後には分が悪かったかもしれない。夢と現実がどんどん近づいてくる感じも確かにちょっと共通するような気がしたし。
山深い地方、というのもちょっと……まあでも最近は、実写でもアニメーションでも積極的に個性的な地方を舞台に探すようになったから、そこまで言うのはアレなのかもしれないけれど。

(後から、パクリ疑惑は「パシフィック・リム」と知る。しかし観てないから判らん……)

舞台は岡山、倉敷の緑豊かな場所。主人公は寝てばかりいる高校三年生の女の子、ココネ。最近、同じ夢ばかり見る。同じ、というか同じ舞台の夢が、物語で進行している。
彼女が子供の頃から父親に寝物語に聞かされていた機械の国、ハートランドで、ヒロインはエンシェンという小学生ぐらいの女の子。それはココネ自身であり、彼女と行動を共にする相棒のバイク野郎、ピーチは父親であり、その他、その後登場する重要人物たちが物語の中のキャラクターを担っているんである。

ちなみにちょっとだけ近未来の設定。2020年、東京オリンピックの三日前。本当にちょっとだけの近未来で、こういう設定を選ぶのって逆に勇気いるような気がしてドキドキする。
確かに自動運転はサワリが始まったという感じだが、東京オリンピックまで完全自動運転が本当に完成するのかとか、ココネの幼馴染の大学生、モリオが自分で開発したようなSNSの3Dの……なんかよく判らんが、見た目はちょっと見たような気もする仮想現実3Dマシンではあるのだが、なんつーか、だって、たった3年後の“近未来”を予測する訳でしょ!そんなん大丈夫なのとか思っちゃうのは、完全文系のメカオンチのひがみだろーか。

ココネは父子家庭。母親は彼女が幼い頃に事故死したと聞かされている。詳しいことは何もわからない。
父親のモモタローは車の修理工場を営んではいるものの、代金は野菜で受け取っちゃったり、車の改造にいそしむばかりだったり、家庭の懐事情は見るからに苦しそう。

ココネとは仲が悪いという訳ではないのだが、会話もなく、近くにいるのにLINEで会話する、これが現代家族というものか。そう、仲が悪いという訳じゃない。ココネからは積極的に発信するのだが、車オタクのオラジャー(オラオラなジャージを着ている)親父は寡黙なばかりで、文字上でやっと交流できる感じなのだ。
現代社会で良かったね、という感じ。それを肯定するためなのかもしれない。SNSだのネット社会はとかく老年世代に批判されがちだからなあ。

突然、父親が逮捕されてしまう。何が何だか判らない。そしていかにもアヤしそうなひげ面の男がウロウロ。父親から「あれは悪い男だ」と指摘されないまでも、いかにも悪人、って判っちゃう。
夢の世界でもそんな展開が進行している。まだ現実世界には現れていない、エンシェンの父親であるハートランド国の王。
はっ、そうだ、エンシェンの父親であって、ココネの父親ではなかったのだ。もうこの時点で多くの人が気づいていたんだろうなあ。私は、気づかなかった。おーい、なんで気づかねーんだよ。

エンシェンの相棒、てことは、彼女の理解者とゆーことじゃないか。エンシェンが小学生ぐらいの年齢設定で、もう青年であるピーチとかなり年が離れているように見えたから、錯覚してしまった。
青年であって、今の親父の年じゃない。てことは、せいぜい数歳の年の開きなのだ。なぜ私はそのことに気づかなかったのか!!!

ココネの母親、イクミは、後半に至るまでかなーり謎に包まれたままである。写真に残されたイクミはかなーりイケイケな感じで、“亡くなった母親”という要素から浪花節日本人が想像する母親像からはかけ離れているのが新鮮である。
後に明らかになるところによると、大手自動車メーカ、志島自動車創業者の令嬢であり、海外留学を経て志も高く人望も篤い才媛で、画期的な自動運転システムを提案するも、頭のカタい父親に一蹴されてしまう。
過去の栄光と因習に縛られている、いかにも日本的企業に失望したこともあってなのか、イクミはモモタローと劇的な恋に落ち(たんだろうなあ。明確には示されないけど)、駆け落ち状態で結婚、それ以来志島とは音信不通になった、という過去があったんである。

んで、そのイクミの開発した自動運転システムを持っているのが当然モモタローで、彼はそれを自分で完成させて、地域のお年寄りたちに無償で提供している。
ここがキモであり、観ている観客にも確かに引っかかる部分なんである。このシステムを手に入れて志島自動車を乗っ取ろうとしている“ひげ面の悪人”渡辺は確かに私欲にまみれたクソヤローなのだろうが、かつてはイクミが志島自動車という企業のために開発したシステムを、配偶者という立場を利用して(とゆーふーに見えるわな)自分のものにし、完成させてしまったモモタローは……それで利益を得ていないというのが逃げ道になっているだけでさ、逮捕されても仕方なかったんじゃないのと思ったり……。

とゆーのは後に、観客の気持ちを代弁するように、会長側についてココネとモモタローを助けてくれる志島自動車の社員たちも口にすることなんだけれど。
なんかさ、全然事態が判らないまま、なぜモモタローが捕らわれたのか判らないまま、事情が明らかになるのもかなりスローリーなので、いくら渡辺がいかにも悪人ヅラしてても、すんなりモモタローやココネを応援する気になれないんだよなあ。イクミの正体もなかなか明らかにされないし……。

で、そのシステムが入ったタブレットを、会長が訴えているとウソをついて渡辺が警察まで手下みたいに動かして、手に入れようとするんである。
この、警察との関係もよく判んない。なぜ警察は渡辺の言いなりになるのか。利害関係があるようなことは匂わせるけど、正直よく判んないなあ。

事態が飲み込めないながらも、お父さんはそんなヤツじゃない、とココネはこのタブレットを守り切ることを決意。
一度は奪われたものの、たまたま帰省していたモリオを強引に引きずり込んで奪い返し、渡辺から脅しをかけられるものの、その時には亡き母が志島の令嬢だということが明らかになっていたので、ならば私は孫、直接おじいちゃんにかけあうから!!という展開になるんである。

それには、モモタローが亡き妻の遺産を見事完成させた自動運転システムを搭載したサイドカーが大活躍する訳。ちょいちょいココネは眠りに入り、その度に夢の中で魔法を使って事態が進展。
巻き込まれたモリオも、彼だけはその姿のまま夢の登場人物となり、最初は夢の中でも「覚めたら、忘れてる。俺は現実主義者だから」と冷たいくせに、覚めても覚えてるとなると、「お前、寝ろ!夢の中では魔法が使えるんだろ」とうながす素直さなんである。

でも正直、夢の中で魔法を使って現実に進展している、というまでのシンクロは感じられなかったけどね……。次第に近づいてくる感じは確かにしている。でも……。モリオがモリオ自身だったのは、エンシェンがココネではなくイクミであったからで、イクミにとって知った顔の人たちは、その年齢のまま、つまりモモタローも青年のまま登場している、とこういう訳だったのね。
ココネが東京へと向かう新幹線の中で夢に落ち、エンシェンが自分ではなく母親であったことを悟って以来、つまり夢の中でエンシェン=イクミが死んでしまって以来、エンシェンではなくココネ自体が夢の中でも活躍するようになるんである。
だからこそ、どんどん現実と夢が近づいてきて、もはやどっちがどっちか判らなくなり、たった一人、志島自動車に乗り込んでいったココネが非常事態に陥った時、モリオが「あいつまた、寝たのか!!」ということになり……。

てーのは、モリオも夢の中に入ったことを自覚している、ということなんだけれどね。夢の中の王国、ハートランドで、エンシェンは災いの持ち主。彼女は魔法で仕事詰めの国民を解放したいと思っているのに、それ自体がまがまがしいものとして受け取られ、現れ出でる“鬼”は彼女のせいだと思われている。
その鬼と、国の威信をかけたロボットが闘っている。遠隔制御のこのロボットはまるで、とゆーかまんまエヴァンゲリオンのよう。正直この鬼とロボットの闘いは、すんごくメインに据えられてはいるものの、意味するところがよく判らない。

エンシェンの持つ“魔法”がイクミの提唱する、過去にとらわれない未来へ発展する技術、といったようなものだと思うのだが。エンシェンのせいで現れ出たとされるのが鬼だとしたら、鬼は一体どういう存在?
でもエンシェンもハートランドが開発したロボットを積極的に使って、この鬼を倒そうとしているしなあ。ハートランド側が保守的に腰が引けているのを尻を叩くような感じで。

異形のものと遠隔制御ロボットの対決は、近未来モノには魅力的な題材だがイマイチ理解できない感じがあった。あ、そうそう、夢の中でも現実でも、タブレットを使って指示を与え、それが凄く漠然というか、人間的な文学的指示でね、ロボットに意志、いや、意思かな、を与えようとするのね。
それこそが未来的に究極の目標ということなのだろうが、夢の世界ならファンタジーで魅力的だったけど、近づきつつあったとしても現実世界とまで上手くシンクロしたとはちょっと思えなかったかな……。

なんか言いそびれていたが、エンシェン、そしてココネの真の相棒はぬいぐるみのジョイである。そもそもこのジョイが「お母さんの」だとココネが言ってたんだから、エンシェンがココネではなくイクミであるということもここからすんなり気づいても良さそうだったのに!!(歯噛み)。
このジョイの存在で、孫の存在すら知らされてなかったらしい会長がココネの存在を認識する。「心の羽と書いて、ココネと読むの」それは、志島自動車のスローガン「心根があれば、人は空も飛べる」という言葉を基にしたことは、明らかなことだった。

途中、自動運転でココネとモリオが到達したのが道頓堀だった、ってのはなぜかしらん?★★★☆☆


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