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「ら」


2017年鑑賞作品

ラ・ラ・ランド/ La La Land
2016年 128分 アメリカ カラー
監督:デイミアン・チャゼル 脚本:デイミアン・チャゼル
撮影:リヌス・サンドグレン 音楽:ジャスティン・ハーウィッツ
出演:ライアン・ゴズリング/エマ・ストーン/キャリー・ヘルナンデス/ジェシカ・ローゼンバーグ/ソノヤ・ミズノ/ローズマリー・デウィット/J・K・シモンズ/フィン・ウィットロック/ジョシュ・ペンス/ジョン・レジェンド


2017/3/8/水 劇場(楽天地シネマズ錦糸町)
なんか勝手に、全編みっちり一分残らずカラフルなミュージカルだと想像していたから、ちょっと拍子抜け。ホントに勝手な言いぐさなんだけど、好みとしてはミュージカルは頭からお尻までみっちりミュージカルであってほしい。それが無理でも、そのほとんどがそうであってほしい。
印象としては割と普通のドラマ、という気がした。いや、もっと言っちゃえばドラマ部分(という言い方は、ヘンか。その表現を通常劇にするか、ミュージカルにするか、ということなんだもの)はかなり王道、いやいや、正直ベタっつーか、昔っからあるストーリーという気がしてしまった。

だからこそ、これをみっちりミュージカルになってたらなあと思ったりする。複雑な物語はいらず、それこそ“夢のような”(というのは大手メディアのレビュー)ミュージカルの魅力に没頭出来た気がする。
私の好きな、往年のミュージカルがまさにそうだったようにさ。いいのさそれで、それでいいと思うのだが、まあそりゃどんどん時代は進化し、より複雑で、ドラマチックなミュージカルが、舞台でも映画でも現れるようになって、アメリカのミュージカルがもともと持っていた、ハッピーで単純な感じが、なかなか作れなくなっていたんじゃないかという気がしていたからさ。で、物語的には充分それが作れる要素だと思ったのだけれど。

なぁんて、ね。普段、アメリカ映画どころか外国映画もろくに観ない、去年なんて初めて外国映画鑑賞ゼロ!に我ながら右翼みたい(?)と慌ててしまって、興味あるものなら観ねば!!と足を運んだ自体。
でもこれが奇妙な偶然というか、不思議な縁というか、その数少ない外国映画鑑賞の中で、この監督さんの前作、「セッション」は観ていた。なぜかとゆーと、ピアノの先生に勧められたから。そーゆー後押しがなければなかなか機会がなく、しかもその「セッション」はトラウマになるぐらいすさまじい印象を残したので、ああ、あの、監督さんの最新作が、賞レースをにぎわす(って、「セッション」もにぎわしていた訳だけど、もっとメジャー的な意味でね)作品を撮ったなんて!!という思いも、足を運ばせる要因だったかもしれない。

あんなにも厳しい作品を撮った人が、カラフルなミュージカルを撮るなんてと思い、でも観てみると案外平凡なドラマを語るのでガックシきたりし。
「セッション」と本作の共通点って、なんだろう。そんなことを言うのはおかしいだろうか。同じ監督さんといえども、一つ一つは別の作品、独立した存在なのだから。
でも、本当に不思議なぐらいの気持ちがしたんだよね。共通点はジャズへの愛と、「セッション」の鬼教師のゲスト出演にオッと思ったところ、ぐらいかなあ。

こういう流れになっちゃったら、もうミュージカル部分の話はさしおいて。ドラマとしては、こうよ。女優志望のミア、ジャズピアニスト志望のセブ。お互い、まだまだ夢にはほど遠い状態。
オーディションに落ち続けていたミアが、友人に連れ出されたパーティーから抜け出し、ふと入ったレストランでピアノを弾いていたのがセブ。店が求めるタイクツなクリスマスソングを無視して、得意のフリージャズを弾き終り、見事にクビを言い渡されたところ。
ミアはその演奏に感動して彼に声をかけようとするけれど、クビになったばかりの彼は、彼女を無視して行ってしまう。
後に別のパーティーで、食つなぐためのバイトであろう、つまんないシロートバンドのキーボードをしている彼とミアは再会しなおすのだが……。

最後の最後に、彼らが出会った最初の時間に戻ってくるんだよね。大恋愛をした二人が、でもお互いの夢がジャマしてすれ違いになって、修復しかけたのに、5年経ってみたら別れている。
そして久々の再会、の後に、まあつまりは、妄想として。彼の妄想として、ね。でもこの妄想はひょっとしたら彼女も脳内共有していたのかもしれないと思うと、ロマンチックなのかホラーなのか判らんけど(爆)。

そう、あの時こうしていれば、というアレよ。やっちゃいけないタラレバ時間旅行。そもそも最初の出会いの時にセブが自分の不機嫌をとおして無視したりせず、彼女を抱きしめてキスしていたら、なんてゆー、ありえないありえない、あっりえないことを妄想する訳!
……まあそれまでに、先述したよーなみっちりカラフルミュージカルで進んでいたら、それも受け入れられたかもしれないが、割とシリアスに心理ドラマを進めていたのに、こりゃないよなー、と思う。ああ、単純にハッピー妄想を受け入れられないのは、ハリウッド映画を最近見慣れてなかったせいなのだろーか。

最初のタラレバを通過したら、そんなすべてがばら色に変わっていく訳でもないだろうに、見事にばら色妄想が駆け抜けるんである。
オーディションに落ち続けのミアが、セブのアイディアによって打って出た一人芝居は大盛況のうちに成功するし、それで見出されたミアはパリへの撮影にセブを同行、パリのジャズメンたちに囲まれて見事な演奏をするセブ、そして彼も夢をかなえてジャズバーを経営!みたいなさ。

着地点は同じ。ミアが一人芝居で見出されてスターになるのも、セブが夢だったジャズバーを経営するのも。でもその途中は全然違う。
一人芝居は身内だらけのスッカスカ、セブは理想ばかり語ってカラッケツでバーの夢など程遠かったところを、ミアに言われたからみたいに責任転嫁して、自分では相容れないニューウェーブジャズに身を売る。すれ違い、ケンカ別れ、もう修復不可能と思われたのだが……。

正直さ、あのスッカスカの一人芝居の舞台に、キャスティングプロデューサーがいたなんてことはあまりにも奇跡で、そもそももうちょっと友達の友達の友達でもなんでもいいから、人集める努力しなかったのかよ、と思うぐらいで(爆)。
そーゆーのって、日本人的感覚なのかなあ。日本人って、絶対こーゆー場合、もう身内はもちろん、あらゆるコネを使って総動員するよね。でも確かにそれは、身内だけで固められて、自分が表現するものを評価してもらう場所にはならないのかもしれない。そーゆーことなのかもしれないけれど。
一方、セブの方は、一見、成功したように見える。かつてのミュージシャン仲間に誘われて、今風のジャズバンドに参加する。その仲間は言う。お前がやりたくないのは判る。でも、お前のやってるところに来ているのは老人ばかりだ。若者がジャズを聴いているか?ジャズは未来だ、と。

私はね、正直、このにーちゃんの言うことの方に共感したのだ。それが、一番大きく、本作にピンと来なかった理由かもしれない。
セブが愛する古き良きジャズは、不変の素晴らしさだ。それは疑いようがない。出会った当初、「私はジャズがキライ」と言っていたミアをムリヤリのようにトリコにさせたぐらい、そういう先入観のある人もトリコになっちゃうぐらい、その素晴らしさは不変のものだ。私だって大好きだし、それを否定する気持ちはない。
だけど、このにーちゃん、キースがジャズに未来を、と思って、そういう信念でやっているニューウェーブジャズは、とってもカッコイイし、私は凄く好きだと思ったし、ジャズはどんなことも受け入れられる懐の深さこそが魅力なんじゃないの??と思ったから……正直そんな歴史もない癖に(爆)、スタンダードジャズばかりにこだわって、オレは本来こんな音楽をやる筈じゃないんだ、みたいな態度をとるセブにイラッときちゃっているのが正直なところ。

更に、そのライブを観に行ったミアにしたって、まあセブの好みのジャズのスタイルを知っていたにしたって、そんなさ、あからさまに、何この音楽、ありえないんですけど、みたいな顔をするのには、かなーり、がっかりしたなあ。
ダンサーやコーラスを華やかに配置したステージングは素晴らしくカッコ良くて、アメリカショービズの力を見せつけるものだった。それを、えー、こんなんないわ、みたいな顔されたらさ……そりゃ恋人が相容れないことをしているっていうことなんだろうけどさ……なんかさ……音楽のみならず、こうしたステージアクト、エンタテインメントを否定してるみたいに思えてしまって……。

ミアはセブに出会う前に、付き合ったばかりの恋人がいた。まだそんなに深い感じじゃなかったから、恋人とのデートから飛び出して、セブと約束していた「理由なき反抗」をリバイバル上映している劇場へと駆けつけることが出来たのだろう。
リバイバル上映とは思えないほど立派な劇場。ま、日本の名画座のイメージとはそりゃ違うが(爆)。でも後に、二人の仲が冷え切った後に、この劇場は閉館してしまう。

そもそもこの「理由なき反抗」を最後まで見切ることは出来なかったのだ。フィルムが燃えて、中断してしまった。いい雰囲気になっていた二人は、ミアの提案で、劇中に出てきていたプラネタリウムのある天文館に向かう。そこでまさに、夢のようなデートをする。二人だけでプラネタリウムを浴びて、まさに浴びて、その星空に浮かんでダンスするのだ。
あれは夢だったんじゃないかと思っちゃう。あの後、二人が愛を確かめ合いながらも別れる場面で、「昼間に見ると、最悪ね」などと言って、その建物を眺めるんだもの。

つまりこれは、映画の、スクリーンの中の、光という幻想の中の、世界だったのだろうか??でも、冒頭の高速道路でのシーンから、とにかく外での、鮮やかな色彩の服装でのミュージカルが鮮烈で、まるでウエストサイドストーリーのようだと思った。
光そのものではない感じはしていた。夜のシーンも多かったし、鮮やかな原色カラーの衣装で踊っていても、どこかで暗色がかっている感じはしていた。それはネライだったんだろうか??

やっぱり、ずっぱり、メロドラマだったなあと思う。ミアがスターへの切符を手にし、お互いがどうなるか判らないけど愛し合っている、と言って途切れて5年後になり、ミアがスターになって、他の相手と余裕たっぷりの結婚、赤ちゃんまで得ていることに心底ガッカリしたりする。
妄想で後悔するぐらいなら、あり得なくても幸せラブなハッピーエンドにしてよ。タラレバにしても、赤ちゃんになるとタネの問題になるから(爆)、人権問題になるじゃんさぁ。そもそもどうしてダメだったの。離れているから?立場が違うから??ふっるいなあ。

例えばさ、スター物語の苛烈さとかいったら、「サンセット大通り」とか、まー全然話が違うけどさ(爆)、傑作があるからさ。それを言っちゃったらナンだけど、だから余計に単純ハッピーミュージカルだったらよかったなあと思っちゃうんだよなあ。★★☆☆☆


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