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「み」


2017年鑑賞作品

ミックス。
2017年 119分 日本 カラー
監督:石川淳一 脚本:古沢良太
撮影:佐光朗 音楽:末廣健一郎
出演:新垣結衣 瑛太 広末涼子 瀬戸康史 永野芽郁 佐野勇斗 森崎博之 蒼井優 山口紗弥加 中村アン 久間田琳加 神尾佑 平山祐介 斎藤司 佐野ひなこ 鈴木福 谷花音 平澤宏々路 関太 真木よう子 吉田鋼太郎 池上季実子 生瀬勝久 田中美佐子 遠藤憲一 小日向文世 水谷隼 石川佳純 伊藤美誠 吉村真晴 浜本由惟 木造勇人


2017/10/30/月 劇場(TOHOシネマズ渋谷)
まーこれは、ガッキーちゃんの可愛さを堪能する映画だわね。今一番可愛い女の子なんじゃないのかしらん。もう女の子っていう年齢ではないのだが、大人の女の可愛さ、ではなくやっぱり純粋に可愛い新垣結衣。
こんなに背が高かったんだね。宣伝に回るそこここで、自分の背の高さのコンプレックスを語っていたが、あんまりピンときてなかった。しかし卓球台の前に立つスラリと長い手足に茫然!
確かにいまだに日本人文化というのは、ちっちゃい女の子がカワイイみたいなところがあって、日本人好みのファッションは彼女のようなステキなスタイルの女の子が逆にもたついて見えるようなところがあるのだが、まーそれが、まぶしい太ももをすらりと出したこの卓球ユニフォームになると、そして汗だくでボールを追いかけるそのまぶしさが、ああ、やべっ、萌える萌える!

しかしてこれは、もうコメディ直球でネラってきているのであった。ちょっと剛速球過ぎて、そのスピードに追い付けないぐらい(爆)。特に各選手のプレースタイルをストップモーションでババッとクレジットするのは、面白いんだけど早すぎて全然読み取れない(爆)。ああ、これは私が年寄りだからなの〜。
ガッキーちゃん扮する多満子(たまこ、という音の響きがカワイイ。やはりこれは、ピンポンの玉をイメージしたネーミングなのだろーか)は、元天才卓球少女。……という宣伝文句だったが、回想される少女時代(というより、幼女時代)の多満子は決してトップをとり続けられていた訳じゃない。
フラワー卓球クラブを経営する鬼コーチ(真木よう子。目力がこの鬼にピッタリすぎる……)である母親がビシビシ指導し、泣きながらそれについていく姿が、すべての日本人、そして中国人もかも、に想起される、あの“天才卓球少女愛ちゃん”を想起させるから、そういう宣伝文句になったのかもしれない。コスチュームからヘアバンドまでソックリだもの、これは完全にネラいにいっているのは確実。

でも多満子は愛ちゃんにはなれなかった。トップを獲れなかったし、卓球をやめて普通の女の子になりたいとずーっと思ってた。そこに母親の死。
病床でもあの目力で「本当は卓球続けてほしいけどね」と手を握られたものの、母親の棺に“思い出の品”としてユニフォームもラケットも、更にピンポン玉をザザーッ!と流し込んじゃう(爆笑!)。父親の小日向さんが「蓋が閉まらなくなっちゃうよ……」ってそこじゃないでしょ、ツッコミどころは!!

てなわけでめでたく多満子は“普通の青春”を取り戻し、日本の流行の歴史をひも解くかのごとき、ガッキーのコギャルスタイル(てゆーか、あれはヤマンバまで行ってるかも……)まで見られるという贅沢な試み。
こういう遊び心も含めて、ガッキーちゃんは、普段は寡黙そうな感じがするのに、柔軟な役者としての姿勢を持っているというか、豊かにハジけてくれるのが見ていて楽しい。だってこんな可愛い女の子にヤマンバなんかやられたら、もう、ね!

本当にガッキーちゃんは、豊かな表情を持っているんだなあ、と驚くんである。ドラマを見る機会があんまりなかったせいもあるけど、不遜な言い方ながら、見直したわぁ、なんて(爆)。
多満子が地味なOL時代を送っていた時に企業お抱えの卓球部のキラキラスターとして登場した江島(瀬戸康史)と付き合うことになる。しかしあっという間に彼のミックスダブルス相手の愛莉に寝取られちゃう。
このシーンの「うわー!!」という顔、すっかりやさぐれて退職し、二日酔い状態で故郷への電車に乗る据わっちゃった目、予告編はじめとして宣伝に数多く採用されるその豊かな表情は、コメディエンヌとしても超キュートな女優としても百点満点なのだっ。

彼女のお相手となるのは、元プロボクサー、しかし落ちぶれて妻子にも捨てられたハギこと萩原久。演じるは瑛太君。挑発にヒゲをはやし、今までなーんとなくあった清新なイメージを一新している。
多満子とは故郷へと帰る電車の中で出会う。二日酔いの多満子がハギの服の上に盛大にゲロった(場面はオフだったのが、ちょっと残念……)というインパクト大の出会いである。

その後、もはや茶飲み友達たちの遊興場と化していたフラワー卓球クラブに参加している彼と、多満子は出会うこととなる。ハギがプロボクサーだったことが明かされるのはだいぶ後になってから。最初の全日本で全員がボロ負けしてから。
ハギは奥さんがウワキしていたと早とちりして彼女の上司をぶん殴り、前科者となってしまい、離婚にまで至ってしまった。今でも奥さんと娘さんの写真を持ち歩き、指輪も捨てられず、未練がましい気持ちを抱えたまま、冴えない上司にどなられながら土木作業員なんぞをやっているんである。この冴えない上司が斉藤司氏だっつーのは、ウレ線狙うフジテレビらしいって気がするけどねー。

フラワー卓球クラブのメンメンもなかなかに個性派が揃っている。プチトマト農家で絶対美味しくなさそうなプチトマト大福なんぞも手掛けている夫婦、エンケン氏と田中美佐子氏夫婦は、試合で自分たちと写る息子と思しき写真を掲げているからなんかワケアリと思うのだが、劇中ではそのことは明確にされないんだよね。単に故郷を離れたというには深刻そうな雰囲気で、死んじゃったんじゃないか……などとも思うが、明らかにはされない。
この年齢の夫婦にしては、二人して卓球クラブに通って嬉々としてミックスを組むとか、凄いラブラブなのも、そういう事情があるのかなあ……などと勝手に推測したくなるところがあるんである。

多満子をお嬢と呼び、つまりは幼少期からの卓球仲間っぽい弥生は今や、大病院の内科医を夫に持つセレブ妻。しかし元ヤンで、今もその片鱗を隠せずにいる。
演じるは広末涼子嬢。私は彼女の独特の表情の作り方が、麻薬のように好きなんである。クセがあるんだけど、ハマっちゃう。
夫人会とも言うべき超セレブリティ雰囲気満載のランチパーティーの堅苦しい雰囲気に、必死に出来る妻をセルフ演出して固まりまくっている弥生が、すべてを突破して、堅い夫も突破して、物語の最後には、セレブ夫人たちをタコパに巻き込み、「あ、ピザ来た、ちょっと奥さん、出て!!」などと自らの自分を取り戻すまでになる。
彼女に限らず、ここフラワー卓球クラブに集うメンメンは自分の殻の中に閉じこもりまくっていたのが、単なる趣味の卓球クラブだった筈が、全日本を目指すことになって、あらゆる壁をぶち破っていく、んである!!

多満子が元カレへのウラミツラミで、卓球クラブの立て直しという名目からミックスダブルスで全日本を目指すことを宣言、物語のかなり早い段階で挑戦してくるので、あれれれ?と焦る。え?だってここがクライマックスじゃないの。いやいやいや、いくらミックスダブルスが出場組が少ないからと言ったって、ムリがあるだろ、と思ったら、まあそうよね、歯が立つわけがなく、惨敗。
このザ・コメディで、最初から一年のスパンをかけてやっていく覚悟で描いていくと思ってなかったから、油断していた(爆)。今や美男美女のスターカップルとしてもてはやされている江島と愛莉に打ち勝つために、「来年、あいつら潰すぞ」とハギは多満子に宣言、多満子も涙ながらにうなづいた……のは、この時、元カレである江島と現カノの愛莉に「アイツ、イタイ女」とクサされたからなんであった。

正直言うと、恋愛模様の描写は、コメディだからという言い訳?をさしおいても、ちょっと描き込み不足だったかなぁ、という気はしている。
江島は弥生とのペアが上手くいかなくなって、多満子に頭を下げに来る。君こそが必要なんだと、真剣な顔で言う。確かに都合のいい男ではあるが、結構しつこく、卓球クラブメンバーの憩いの場である中華料理店にも押しかけてきて、マジモードなので、これはそういうことなのかなぁ……と思いかけちゃう。

ただ、弥生の側の感情の変化が微妙というか……「江島さんと(ペアも恋愛の関係も)やり直したい、」と言うのが全日本予選の五日前、ハギと妻子との復縁を予感したから、みたいな作劇が、恋愛と卓球と、人生の選択肢とか仲間との絆とか、なんやらかんやら考えると、えぇ、そんな簡単なこと!?と驚愕しちゃう。
だだだって、ここまで一年かかってるんだよ。超強力コーチも見つかって、死ぬぐらいの練習を重ねてきたのに。ハギの再就職の面接の日が試合の日だってことが発端となったにしても、それに関して彼の意見は聞いてないじゃないのー。

結果的に、ハギは妻子とヨリを戻す訳じゃなくって、ハギの元妻が再婚するにあたって、元ダンナに人生を立て直してもらわないと具合が悪いから、という理由だったというのが判明するんである。そーんな理由ならそら試合の方を優先するわなと思うし、それが試合をスキップするまでの深刻さになるっていうのが、……まぁ、単なる感情の行き違いだったとしても、なんつーか、なんつーか、スッキリ来ない訳!
それに正直ここまでで、多満子とハギの間に恋愛感情が産まれるような雰囲気でもなかった、本当に、いい意味で、ダブルスの相手としての、パートナーとしての切磋琢磨の気持ちで見ていたから、それも、ねぇ。

あ、そうそう、この中華料理店よ。味の調節が出来ない激辛麻婆豆腐を作る店主が森崎リーダーだということに、ラストのクレジットを見るまで気づかなくてショック!でもピッタリ!「(調味料の量を)間違えたかもしれないー!」という台詞を途中でカットアウトされるとか、超森崎さんっぽい!
そしてその店員が蒼井優。いや、そうだろうなとは思っていたが、アップにもならないザ・脇役、本当に蒼井優嬢??と何度も目を凝らしてしまった。間違いない、あああの両お団子が似合い過ぎる。中国語なまりも可愛すぎる!!
「ナショナルチームの強化選手から外れたから、私たちヘタクソ」という言葉に多満子たちが目を見開くシーンから、地獄のような特訓にスライドしていくスリリングが最高!ああ、蒼井優可愛い、中国娘、似合い過ぎる、もう。江島を追い払う時、塩まくんじゃなくて、「ラー油まいとけ!」(爆笑!)最高!

クライマックス、結局地方予選で江島たちスターカップルに破れ、夢の全日本には行けない、というのが、良かったと思う。ギリギリでハギが多満子を迎えに行って、チューして行くぞというとか、ベタにしても余計すぎる気もしたが、白熱の決勝戦は凄く凄く、興奮した。
それをつないだエンケン&田中美佐子夫妻、ヒロスエ&佐々木優馬君カップルの奮闘も良かった。あの破れ方、コートの角に当たって落ちるボールはぜぇったいに、こないだのリオの女子団体準決勝の愛ちゃん、そして試合が終わっての抱き合っての頭なでなでは、これもすっごい話題になった石川&吉村ペアの試合後のアレでしょ!!頭なでなで、ヤバいもんなー!!
本作は彼らはじめ、そうそうたる日本レジェンド選手が多数チョイ出演していて、その点でも相当に楽しいのだっ。★★★☆☆


三つの光
2017年 100分 日本 カラー
監督:吉田光希 脚本:吉田光希
撮影:志田貴之 音楽:
出演:池田良 鈴木士 小宮一葉 真木恵未 石橋菜津美 後藤剛範 森下サトシ 佐々木大介 鳥越ゆみ 尾藤亜衣 小野孝弘 柴山美保 田中隆三

2017/9/25/月 劇場(新宿K’scinema)
この監督さんの作品は過去に一作だけ、観ていたのだなあ。そのことを事前にチェックしていたら、ひょっとしたら本作は足を運ばなかったかも(爆)。ある意味、それだけ相容れないインパクトだったのだから、存在感は間違いなくあったのだろうが……。

本作に関しては、うーん、正直、ホントに、どうしようと思うぐらい意味が判んなかった。凄くドラマチックのようにも思えるのだが、物語のキモとなる音楽がどうしても意味が判らない。
前衛的と言ってしまったら親切すぎると思う。ただ集まった人たちが音を出して収録して重ねてトラッキング?とかして?これが素晴らしい音楽だよと出してくる。
その“スタジオ”となる場所を「ここは凄い場所だったんだ。あらゆる人が集まってくる。有名な人も何も出来なければここでは意味がない」みたいな、なんか伝説のスタジオです!みたいに胸を張って言うのだけれど、音楽を作り上げているようにはどーしても思えない。

このメインの場所でのやり取りに、この監督さんは実はとってもよく音楽が判っている人だからこうなるのか、それとも真逆で、なんつーか文学的アプローチみたいになったらこうなるのだろうかとか、もう、すっごく悩んでしまった。
しかもそのうちの一人、日々、子供が出すような不協和音を鍵盤で奏で続ける女の子は、実際に音大出身のピアノ弾きさんだというんだから本気で頭を抱えてしまう。
これが本物の音楽ということなの?音楽は、皆で作り上げていくものであって、ただストレス発散みたいに出した音をサンプリングだかトラッキングだかでごちゃごちゃ調節することではないんじゃないの??

私、もしかしたらすっごく古いことを言っているのだろうか……そうかもしれないが、とにかくここに固執していたら話が進まないので最初からトライしてみる。
主要人物、というか、主役は四人いる。最も印象を刻むのは、この伝説のスタジオを盲信している横暴で自分勝手な男、Kである。そうだそうだ、「恋人たち」の彼だ、そう思ってはいたけれど、エリート弁護士の役をイケメンの風も漂わせながら演じていたあの時とガラリと違って、ひげ面にだらりとした格好、人を人とも思わず、自分が王様、てな男をまー、むっちゃムカつく感じで演じる彼、池田良氏に衝撃を受ける。本作のただひとつの(爆)収穫は、彼の鬼気迫る芝居であると言いたいぐらいである。

そのKに尻を叩かれる形で音楽を作り上げるための人集めをするテニスインストラクター、マサキ。マサキの生徒であり、テレホンアポイントメントとして働きながら夫とすれ違いの生活を送っているミチコ。そのミチコが「私たち、友達じゃん」という鳥肌の立つ台詞でつながっている、保育士をしているアオイ。
アオイが一番最初に登場する人物であり、この“四人の主人公”の中で、最もメイン度が高いと思われる。先述した、不協和音ピアノの動画を夜な夜なネットにアップしているという暗黒女子は、婚約していた恋人が他の女の子に言い寄られてはらませて、結果裏切られちゃったというソーゼツな過去を持つ。それはかなり後になって描写されるのだけれど。

そう、このエピソードはかなり、凄かった。いわば寝とった形になるその女の子は、「私の気持ちを正確に伝えたいから」と、目の前にいるアオイのことを見もせずに謝罪の言葉をふんだんにちりばめた手紙をボー読みし、乙女チックなイラストを差し出すという、背筋も凍るワザをやってのけるんである。
時間軸的に言えば、物語が始まった時にはこの事態はもう終了している筈なのだが、アオイがうつうつと時を過ごしている理由が、なかなか明かされない。ミチコがそんな“友達”を心配して喫茶店に呼び出して話を聞いたりしちゃうと、「誰かに会うたびに励まされるの、辛いんだけど」とアオイはつぶやく。

考えてみればこれほど直截に言うってことはミチコはそれだけ気兼ねのない相手とも言えるのだが、ミチコがそれに返して言うのは残念無念、「だって私たち、友だちじゃん」なのであり、この二人が“友達”として相容れる瞬間は結局、なかったということなんだろうなあ。
あの謎のスタジオで最終的にはやりあっちゃって、「私の気持ちをなんでミチコが勝手に推測して言うの」てな感じで決裂しちゃう。……ていうのは最後の最後なので!大分先走った!!

私的には実は、案外ミチコの方がシンクロ……まではないけど、その心情が理解できる部分が、あったかもしれない。
テレホンアポインターの仕事は、夜間なのだろうか、ミチコが帰ってくるのは明るい日の光の中で、出勤しようとしている夫とすれ違うこともある。その夫は、家にいると日がな一日、なんだろう、あれは……テレビゲームとも違う、仕事?モザイクを構築しているような、なんかそんなこと、やってて、まー、見事に会話は、ナシ!!

んでもってテニススクールで教わっているマサキと不倫関係、というほどドロドロしてない、まあつまりセフレ的な関係にある訳。ドロドロするのかなあと思っていたら全然なので、セフレかぁ、と後から思った次第。
別にだから物足りないというんでもないが、この二人の肉体関係がお互いの人生というか生活にどう作用していくのかなと思ったので、何にもないからちょっと拍子抜けするぐらい。それこそそういう考え方が古いのかなあ、そうかもしれないとも思うが……。
夫とのすれ違いの生活に寂しさを感じて、みたいに位置づけしたがるのは確かに古臭いのかもしれないとも思うが(そーゆー感じはない。少なくとも、感じられはしない)、ミチコとマサキのこの関係が、あのスタジオに持っていくだけのことだとしたら、何もセックスまでやらせる必要あるのかな??などと頭の古いオバチャンは思っちゃう訳。

ミチコが学生時代以来だというフルートを奏で、ミチコに連れられてきたアオイは動画にアップしているのと同じような、心のままの不協和音を静かに奏でる。
このさびれたスタジオ(てか、ほぼただの倉庫)に置かれたピアノは当然調律なんぞしていなくて、素人耳にもひどい狂いっぷりで、当然アオイは、あ……と戸惑い、Kが悪い悪い、調律してないから。見た目は問題ないんだけど、音狂ってるねー、みたいにあっさりと言う。
……これをどうとらえていいのか本気で迷う。正確な音階など真の音楽には意味がないと言いたいのか、そしてそれを、自分の中の音を見つけるためにあがいているアオイも是としているのか。

……いやぁ、いくらなんでも、それは。だって収録した音をひどくこだわってあれこれ調整しているのに、一番最初の音がデタラメなのを気にしないなんて、そんなことありなの。
だってこの“スタジオ”は伝説なんでしょ。いろんな有名な人も無名の人も来て、有名な人だって、何も出来なかったらそのまま去ったというぐらいの場所なんでしょ。そーゆー場所では狂ったピアノも音楽だと言いたいのだろうか。
それはちょっとカッコよくも聞こえなくもないが、でもそりゃないわ。音楽を愛していたら、それはないわ。不協和音は、ベースが正確だからこそ出来るものなのだ。デジタルピアノで不協和音を弾いて癒されているアオイが調律の狂ったピアノに「あ……」で済ますなんて、そりゃないよ。一体本作は、音楽をどうとらえて表現しようとしているのか、ほんっとに判らない。

中盤からかなりいきなりな感じでもう一人、参画してくる。シンガーのアヤである。彼女のマネージャーだか、いやあれは事務所の社長ぐらいのエラそう加減な男がくっついてくる。確かに鼻につくオッサンだが、彼の言う、ギャラの配分とか、制作して外に出すスケジュールとかは、フツーに考えて、一般的に、常識的に、そらまあ気にするところでしょ、と思う。
そもそも彼らがなんでこの“スタジオ”に紛れ込んできたのか。Kが鼻高々に言うように、ホントにかつては有名スタジオだったのを聞きつけて来たのか。

アヤは、指示待ちであることをKから皮肉られて、この時はこのオッサン、タイキと共に去っていったが、自分だけの判断でまた、訪れる。そして尊大なKの挑発に乗る形で、ツイッターでつぶやいている自分の言葉を朗読し始める。
朗読、なのよね。歌じゃなくて。散々、音楽に対する云々を語ってたのに、突然相田みつを的な(爆)。いや、相田みつをならまだいい、こういうつぶやきって、もうなんつーか、コントよ。聞かされた側が困惑して、はぁ……とつぶやいちゃうような。
ウチの歌手を勝手に連れ出して!みたいに乗り込んでくるタイキオッサンは、このシュール(だと思う……)な物語の中では、まるで奇跡的に俗世間にいる人。どこでもドアで飛び込んできたみたいな違和感がある。

アヤのつぶやきを得て自信満々な“作品”を構築し、Kとマサキとで各所に売り込みを開始する。まじですか、と衝撃を受ける。え、これって、ギャグじゃないよねと(汗)。当然のようにハイハイと門前払いを受けて、二人が本気で憤るのには更に衝撃を受ける。え、本気でまじなんですかと(汗)。
あー、判らない、ホントのところは、どこにあるの?この音楽がホントにいいと、作り手側は思っているの?ホントに?いやいや……。

街中のスピーカーをジャックして流すことまで、しちゃうんだもんなあ。東京の繁華街の騒音に負けちゃう、っていうのは、なんつーか甘美な敗北感だが、それ以前にどこで流したって誰も聞き入らないだろ、と言ってしまってはいけないの?
この音楽(?)に本気だなんてことを前提にすること自体がついていけなくて、どうしたらいいのか、ほんっとに判んない(爆)。

タイトルになっている三つの光は、かなり序盤にKがオーロラの説明をしている、アレなのだろーと思うが、それが物語上の実際にそれほどうまくリンクしているようには思えない。誰と誰と誰?あるいは何と何と何?ベタでもいいから、心に響く“音楽”なり“つぶやき”を作ってからにしてほしい。
個人的にはピアノの調律が狂ってる時点で言語道断。いやきっと、本作はさ、音楽はどーでも、良かったんだよ。だって最後の最後に丁寧に紡がれるのは、ミチコと夫との突然の和解(?喧嘩してた訳じゃないけど……)であり、Kにずっと虐げられてきたマサキの反乱であるんだもの。アオイは一体、何がしたかったのか判らんけど(爆)。

画だけは、やけに魅力的なんだよなあ。凄くストイックな色味。透明な群青と青とシルバーが沈殿しているような。
ラストの、Kがマサキに突き落とされるシーンの縦の画角、何をするでもなく居続けるアオイと、自由を求めて訪ねてきたアヤの目の前で行われる、ある種惨劇は、なにかポカンとした印象を、縦に置き換えたひどく鮮烈な画角に刻んで終わる。
画作りはひどく上手い。上手いとは思うんだけれども……。平たく言えば、つまんない、つまんないんだよー!!★☆☆☆☆


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