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「た」


2017年鑑賞作品

退屈な日々にさようならを
2016年 142分 日本 カラー
監督:今泉力哉 脚本:今泉力哉
撮影:岩永洋 音楽:マヒトゥ・ザ・ピーポー
出演:内堀太郎 松本まりか 矢作優 村田唯 清田智彦 秋葉美希 猫目はち りりか 安田茉央 小池まり 疋田健人 川島彩香 水森千晴 カネコアヤノ


2017/3/2/木 劇場(新宿K’scinema/モーニング)
待望の今泉監督の新作。今一番才能のある監督さんだと思っているし、ずーっとブレイク前夜だと思っているのだが、なんかなかなか打って出れない感じが歯がゆい。
なぜ?なぜ?この人の圧倒的な脚本力や、その中に確実に潜むホンモノの心情、一度観たらトリコになる筈だし、そうした人がいっぱいいるからこそ、新作がかかれば観客が集まっている筈なのに。
なんてことをなーんとなく思っていたから、本作の中で「ワークショップで映画作って、知り合いだけが観に来て、身内の中で金回してるだけじゃん。それで映画監督って言えんの」という台詞がシンラツに吐かれることに、心底ギョッとしてしまった。

今泉監督がそうだという訳ではない、と思う。でも、そういう監督って確かにいるよなと、それこそ私はここでもよく“身内映画”“知り合いだけで客席を埋めている”“ロビーで挨拶ばかりが聞こえる”ということを言っていたりしたからさ……。
今泉監督も、古巣であるENBUゼミナールで映画を作り続けているというのは確かにあり、そして私のような勝手なファンが、打って出れないなんて思っているという以上に、彼自身の中にそうした歯がゆい思いがあるのかもと思ったら、……なんかギョッとしちゃって、そして、なんて赤裸々な映画を作ったんだろうと、思ったのだ。

その台詞を吐く男が主人公という訳ではない。いや、本作は群像劇だから、誰が主人公という訳ではない。
“身内”である友人の映画監督の新作公開を観に出かけた彼、梶原は、自称映画監督だが、映画を監督することにこだわって、ほかの映像の仕事を世話されても断り続けている、プライドだけは高い男。

プライドだけ、というのが、まあ彼が本当に映画監督と言えるのか、と、何を作ったということが劇中語られる訳でもないので思ったりするので……。
でもそれこそ、こういう“自称映画監督”ははいて捨てるほどいるのであろう。役者は自称すればもう役者になれる、資格なんかいらない、という、これはいわば心構えのような言葉を聞いたことがあるが、自称映画監督はなんかそれ以上に、それ以下というべきか……プライドだけが邪魔して、何者にもなれない、そんな気がして。

梶原が、その友人の映画監督の新作を観た後に参加した飲み会で、噛みついて言うのがこの台詞で、場の雰囲気を悪くしたことで皆から白い目で見られて退場を余儀なくされる。
確かにプライドだけが高い梶原はみっともないけど、でも……身内ばかりが観に来て、褒めてばかりいる、外には届かない小さな映画のこの感じ、なんか判るからさ、梶原の言うことも判るからさ……そしてそれを、今泉監督が自嘲気味に思っているのかと思ったら、なんかたまらなくってさ……。

でも、梶原や、あるいはその友人監督が、今泉監督を反映しているという感じではない。ハッキリとその分身と感じられるのは、彼らの共通の先輩である山下という、今は行方知れずの男、なんである。
ちょっとフライングして、山下の彼女が語る彼の人となりをここに記すと、「小さな映画館にかかる小さな映画だけど、ちゃんと劇場公開されている、映画監督です」というのがね……。

つまり、ハッキリ言っちゃえば東京でしか観れない映画、なのだ。いや、大阪とかほかの大都市に巡回されることもあるけど、ない場合もある。劇場公開作品というハクは、数十人のキャパしかないミニシアターで一週間、一日一回公開でもついちゃうものなのだ。
だから、地方とか、あるいは映画には一般的な認識しかない、DVDになってから観ればいいやとか思っているような、“一般”にはそれが映画監督なのか、と思われても仕方ない。
だって、どんな映画だって後でDVDでレンタルできると思っているなんて、こういうタイプの“映画監督”たちにとっては、はるか夢のことなのだもの。

今泉監督はもう一定のファンもついているし実力もあるし、そんなところにはいないとは思うけれど、でも何か……確実にこれが自嘲だと感じるのだ。
しかも、この山下という男はそうした、小さな映画を準備中にスタッフを事故で死なせてしまい(明言はしなかったけど、映画の準備のための事故だったようなニュアンス)、それまでも恐らくそうした映画監督たるものに対しての自問自答で“病んで”いたのが、完全に後戻りできない状態に陥ってしまって、ついには自ら死を選んでしまう。
梶原との関係は、山下がロケした場所を梶原がMVの仕事に使いたいと思って連絡したというシークエンスで、その携帯電話の向こうから聞こえる山下の声は、ひどく弱々しく、まさに自殺している最中、切った手首を風呂の湯につからせ、彼女に見守られながら死にゆく最中、だったのだ。

あのギョッとした台詞、インディーズ映画業界への自嘲が、今泉監督の血を吐くような独白に思えたから、この山下が今泉監督自身に見えて仕方なかった。演じる内堀太郎氏の風貌も監督自身に凄く良く似ていて、え?ひょっとして今泉監督自身じゃないよね?とまじまじと凝視したりするぐらいだった。
そのネライは確実にあった筈。山下は、今泉監督の代わりになって、スクリーンの中で死んでいったんだ、という気がしてならない。

自分の映画のために人が死んだ。信頼していた人が。それだけのことを自分はやっているとは思えない、という思いが、今泉監督自身の言葉として強烈に感じずにはいられなかった。
実際に監督自身にそんな事件があった訳ではないと思うけど(……それは判んないけど)、世の中に役に立っている訳ではない職業、みたいな、自嘲感がたまらなかったのだ。華やかに活躍しているゲーノー関係の人たちも、きっと心の底には抱えているであろう、この感覚。

だから、もう、今泉監督死んじゃうんじゃないでしょうね??なんてものすごくものすごーく心配になったりして……だって、監督の分身に本当に見えたのだもの、この山下という男が。
でも、分身はもう一人いるんである。山下という名が偽名だったことを考えると、それが、映画界と、社会と、闘い続けた武装だったと思えば、もう一人の分身こそが、生身の、というか、もしかしたら選んでいたかもしれないもう一つの人生として、素直に投影している感じがするんである。

それは、山下義人というのは偽名、本名は今泉次郎の双子の兄、太郎である。そう、苗字が監督のそれと同じにしていることも、ほんっとうに確信をいだかせたから、あの自殺シーンに衝撃を受けたのだ。
でも、その時には彼が実は今泉という名前だということは判らなかったから、同じ顔をした造園業を営む太郎が現れた時には、うわーっ!と思った。

弟である次郎がずっと行方不明であることは、物語の冒頭から示されていた。本作は時間軸の交錯もひどく秀逸で、いきなりあずかり知らぬ双子の兄弟の話題が二人の女子高生によって振られ、何?何?と思っている中で梶原のエピソードに移り、梶原が殺人事件に巻き込まれてスッカリ観客の頭から冒頭のナゾが消された頃に、再び戻ってくるんである。
もう一度、冒頭のシーンが繰り返され、そういうことだったのか……!!と観客が驚愕するこの上手さ。

梶原は、あれほどプライドの高いコト言ってたくせに、その二次会で酔いつぶれた先で、知らない間にMVの仕事を引き受けたらしく、ナゾの男、清田になかば脅されるような形で引き受けるんである。
清田はちょっとイイ男で、その部屋には彼が「家族?みたいな?」と言う女の子たちが、まるでフーゾクの客待ち状態で無表情にゲームしたり本を読んだりメイクしたりしながらひしめている。
その女の子たちに取り囲まれてボーゼンとしている梶原の画は、予告編にも使われているけれど、ちょっと見ものというか、なんとも強烈な印象を残す。
結局あの女の子たちがなんだったのか判らずじまいなのだが、この清田という男が、なんつーか、一筋縄ではいかない雰囲気はむんむんに伝わるので……。

実は梶原の彼女、こちらはしっかりした雰囲気の、花屋に勤める彼女が、心ひそかに惹かれている常連客だったりする。カイショのない梶原が、ついに別れを切り出されるのもこの男が原因だったのだが、最後まで梶原はそれを知る由もない。
まー、別れたいと思うのは当然だよね。だって、他の仕事を引き受けるよう勧める彼女に、「え?ナニ?結局カネ?映画監督と付き合ったら、一生貧乏するのは当たり前でしょ。だったら最初から付き合わなきゃよかったじゃん」とか言いやがるんだもん!!
……このあたりも身内業界への自嘲と共に、売れてる映画監督なんか魂を売り渡した単なるビジネスマンとかいうような、負け惜しみ感がマンマンでさ、そーゆーの、結構一般にも漏れ聞こえているからさ……。

そのひしめく女の子たちの中に一人、ひときわ眼光鋭い女子がいて、その子、美希が冒頭の女子高生二人のうちの一人、今泉兄弟の妹なんである。
造園業をたたむに至って、太郎は妹の先行きを心配する。美希が清田にホレていて、それを察知していたこともあり、清田の上京に連れて行かせることを決意するんである。
兄が思う以上にこの美希という女の子はしたたかというかしっかり者というか……コイツが使えないと思ったら、殺しちゃう。コップ一杯のお茶に何を仕込んだのか、イチコロ。

口では「別れたいと言われたから」と言うが、そもそも付き合ってさえいたのかどうか、思い込みの激しさなのか、とにかくあの目力が凄くて。
部屋にひしめいていた女の子たちが、喜びの声を上げながら飛び出して、くるくる円を描いて駆けまわるスローモーションがやけに美しく、一体彼女たちはどーゆー状況に置かれていたのか……最後まで明かされることはない。ハーレムだったんじゃないかと、思っちゃう。

そして、美希は居合わせた梶原を伴って、山奥に遺体を埋めに行く。美希と梶原の台詞の応酬はサイコーである。
「ひょっとして、人埋めるの初めてですか」「……そんなに日常的に人って埋められているものなんですか」「日常的に埋められていると思いますよ」
なんとゆー、非日常的なこの会話!今泉監督に感嘆するのは、穏やかそうに思わせながらハッとさせる、印象的な言葉が、それ一発で終わらずにしんしんとつながっていく、まさに脚本力に他ならないんである。そしてその中には、それだけでは終わらない、重みのある言葉がずんと残っているんだよなあ。

“日常的に埋められている”のを証明するように、もう一組の人埋め組?がいる。梶原はそのうちの一人が冒頭の友人監督であることに気づいて腰を抜かす。
美希はその穴を掘り返してみる。そして「……お兄ちゃん……」とつぶやく。スマホで写真を撮って友人の紗穂に送る。まさにその時、山下=次郎の彼女、次郎の死を見届けた青葉が「行方不明になった彼氏の故郷を訪ねてきた」最中であった。

次郎のことを思い続けているかつての恋人、つまりは元カノという存在もいる。美希と紗穂の相談相手にもなっている婦人警官の貴美子である。高校の時の元カノだから、その直後に姿を消した次郎との別離からもう10年が経っているのに、まだ忘れられないでいる。
だから青葉に対しても挑戦的な態度をとるんだけれど、青葉にとっては貴美子は、「あなたが貴美子さん……」と思わずつぶやくような存在だった。

青葉に残された次郎の最後の映像メッセージは「……あ、貴美子のことを言い忘れた……まあ、いいか」という台詞で途切れていて、それは一見、忘れるほどの存在とも思わせ、でも最後の最後に大事に思い出す、言い残すべき存在だったとも思わせ、青葉の中に忘れられず刻まれたと思われるんである。
その映像メッセージの中で、次郎は同級生の男の子に想いを寄せていたこと、その相手からもその想いを返されていたこと、そしてその彼が自死を選び、山下義人という名は彼の名であり、彼として生きていこうと思ったこと、を吐露している。

だから、事故によってスタッフが死んでしまった時、山下義人を汚したくないと、いったい自分は何をやっていたんだ、何者なんだという思いが一層彼を追い詰め、死しか解決がなくなってしまった。
青葉との同棲生活は死の直前のほんの一瞬、示されるにすぎない。朝ごはんの様子、ただそれだけ。トーストのミミを外して義人の皿にのせる青葉、自分のトーストのミミを外して、中身を青葉の皿にのせる義人。
お互い穏やかな笑みで見つめ合いながら、トーストを咀嚼する軽やかな音が響く明るいダイニングキッチン。
でも……何度となくブラックアウトでシーンが寸断され、何か暗い予感を感じさせずにはいられない。そしての、あの、“最期をみとる”シーンなんである。

いわば死体遺棄の罪を犯して、彼氏の故郷を見たくて、青葉はやってきた。いまだに子供たちが外で遊ぶことを控えている、がらんとした“りんご公園”は、だから誰かが遊んでやらなくちゃ、と美希と紗穂がセーラー服姿で滑り台に興じる場所だった。
今泉家の墓参りなど、義人=次郎の思い出の場所を次々と回る。行方不明の彼氏を心配している彼女、というフリをして。

今泉監督が福島出身だということは、知ってはいたけれど、彼の才能にホレていたから、そのことはあまり頓着していなかった。
本作でも、りんご公園に子供がいないということが、「放射能のこと?いまだに?」と語られるぐらいで、ハッキリとフクシマ(カタカナだよね、この場合は、やっぱり)どうこうと言われる訳ではない。だからこその想いが、感じられたと思う。
あのお墓は今泉監督家自身のだよね!「キリスト教のお墓って初めて見た」、そして郡山の教会、そんなバックグラウンドがあったのかと、驚く。
なんかちょうど三浦綾子なんぞを読んでいた時だったので、キリスト教の敬虔さにふと彼の作風のそれを重ね合わせて考えたりしちゃう。

もう一人の分身、太郎はとても健やかで、思い詰めて死んでいった次郎と全然違って。
だから、救われた。太郎のヨメとなる幼馴染の千代がなんともいい雰囲気で、太郎の元カノから「千代ちゃんと結婚すればいいんじゃない」と推薦されるのが、なんか判るなーっ、て思っちゃうんである。
ちなみに太郎の元カノってーのが、梶原の現カノである。そんな偶然あるか!!と思うが、それが群像劇の面白さ。
死体遺棄の罪におびえる梶原が、美希からあれほど念を押されたのに、「別れよう。いや、逃げよう」と彼女を困惑させるのが可笑しく、二人に、いや皆に、幸せになってほしいなあと思う。

キャストのほとんどが役者の名前と役名が似ていて、かぶってて、そういうところにも、自分以外にも重ね合わせている感が強く、なんかこれはね……監督自身のターニングポイントになっているんじゃないかって気が、凄くした。
覚悟というか。監督自身もキャラが強いお人だし、もったいないもん!★★★★★


台北ストーリー/青梅竹馬/Taipei Story
1985年 119分 カラー
監督:エドワード・ヤン 脚本:エドワード・ヤン/チュー・ティエンウェン/ホウ・シャオシェン
撮影:ヤン・ウェイハン 音楽:ヨーヨー・マ
出演:ツァイ・チン/ホウ・シャオシエン /ウー・ニェンツェン/クー・イーチェン /リン・シュウレイ/クー・スーユン/ウー・ヘイナン/メイ・ファン/チェン・シューファン/ライ・ダーナン

2017/5/29/月 劇場(渋谷ユーロスペース)
エドワード・ヤンという名前にハッとして足を運ぶ。彼が59歳の若さで亡くなってもう10年になるのか。「?嶺街少年殺人事件」にはとても強い印象が残っている。そこには若い、か細いほどに若いさわやかな痛ましさがあった。傑作と迷いなく言える作品だった。
その他にもいくつか彼の作品は観ていると思うが、その印象と、ヤハリそれから長い時間が経ってしまったせいかなあ、なんだか見方を忘れてしまったような、気がする。ヘンな言い方だけど。

エドワード・ヤンに心を射抜かれる柔らかな何かを、私は失ってしまった気がする。ちょっと、本作は対峙し続けるのがツラかった。どうしてそう思ったんだろう……難解な訳でもないし、淡々と受け止められるような物語だと思うのだが。
でも音楽もなく、本当にしんしんと、追い詰められるように、未来があるようでそれがまるで見えてこない二人の先行きが、エピソードを積み木のように積み重ねていく感じが辛くって、……私、こんなに根性なかったかなあと思ってしまった。

二人は恋人。なのに私はしばらくそれがピンと来なかった。男はアリョン(ホウ・シャオシェン!マジで!!若い!!!)、女はアジン(後のヤン監督のご夫人とは……そうなんだ……)。冒頭、二人でこれから住む部屋を見に来るんだから、恋人に他ならないのに、二人にはそんな甘やかな空気がまるでなかったから。後半には寄り添うような場面や、痴話げんかめいたところも出てくるけれど、なんていうか……。

幼なじみだという二人は、お互いの家族とも親しく、というより当然のように行き来し、アジンが「父親に似て来たわ」なんて言ったりするもんだから、彼らは兄弟?父親がウワキして作らせた子供とか??とかせんでいい妄想をふくらませちゃって、コンランしてしまった。
何かそれだけ……まるできょうだいのような、ラブな雰囲気が全然、なかったのだ。それが二人の関係を決定づける要素には違いなかったのだろうけれど。

格差がある。アリョンは布問屋に勤めているけれど、まあハッキリ言って風采上がらずである。アジンはバリッとしたキャリアウーマンである。部屋を借りる時も、昇進の見込みがあるから大丈夫、と言ってのける。この台詞を、特にまだまだこの時代の女性が言っては多分……いけなかったんだろうと思う。
台湾、その大都市の台北は、この時急速に経済発展していた。その中で翻弄される、過去にとらわれる男と、未来を展望する女、というのが本作のコンセプト。後から思えばひどくそれは明確なのに、見ている時には先述の、アホな思い込みがジャマしてよく判らなかったんである。
ただ……後半に行くに従って、男の方が苛立つシーンが多くなる。本当に、まるで子供のように、ダーツの勝負に勝てなくて、あくまでジョークで相手からからかわれたのにキレて大喧嘩になったりする。でもそのネタは、彼の心の深い部分に突き刺さるものだったのだ。

判りづらかったのは、その点もある。アリョンがとらわれているのは過去、リトルリーグの有力選手だったということである。たかだか少年野球、と日本ならば思うが、後から調べてみると台湾のリトルリーグは後のプロ選手につながる非常に重要な立ち位置らしい。
実際のニュース映像だという、世界大会で台湾のリトルリーグが優勝する過去映像も出てくる。そういう知識が最初にあったら、いろいろナルホドと思ったのにな……と思う部分が、いっぱいある。

義兄を頼ってアメリカに仕事で出かけたアリョンは、メジャーリーグのテレビ放送を録画したものを野球仲間へのお土産にする。元カノが日本人と結婚したこともあって東京との縁もあるアリョンは、日本野球のビデオも持っている。
それを彼の妹が、試合場面を飛ばして日本のCMを眺めては、私も日本行きたーい、とか言っているのが、きょうだいの、そしてこの当時の台湾の、台北の、男と女や、大人と若者の違いなのかな、と思ったりする。

そう、このアリョンの妹がね、後から思えば(そればっかりだな……)かなりキーマンだったんだよなと思う。
彼女は恐らく……妊娠しちゃって、堕ろす場所を探していたんだよね。明確にはしなかったけど、アジンの呆れたような言動でそれと予測できるが、この妹はあっけらかんとしていて、そしてその後、アジンは彼女とその友達たちと遊ぶようになる。

そこに呼ばれるアリョンは明らかに浮いていて、居心地悪そうで、先述したようにダーツゲームの些細なことで大喧嘩になっちゃう。
このあたりに至ると、アジンとアリョンの関係性はかなり悪化しており……てゆーか、その前から二人が心を通わせている感じは、なかった。恋人だと確信できないほどに、よく言えばストイック、悪く言えば……きょうだい、いや、それ以上に他人みたいに触れ合うものがなかったから。

不思議とアリョンの方が、アジンの父親と仲良くしているのだ。将棋仲間だったりして。でもアジンの父親は経営能力のない、いわばただだらしない父親であり、ちっとも見込みのない投資に失敗して、カネを貸してくれるのはアリョンだけ、というありさまなんである。
……アリョンもさ、金を貸してしまうというのは、同じ程度のていたらくであり、それがアジンを苛立たせる訳。
父親は急激に変わりゆく台北を見極める能力がないのにうぬぼれているし、アリョンはそこに挑む気もないのに、人情、てゆーか、見栄だけが先行してソンをしてしまう。一緒にアメリカに移住して挑戦しようと言っていたじゃないかと、アジンは苛立つばかりなのだ。

アメリカのニューヨーク、日本の東京、そこに当時の台湾の台北は並びゆこうとするだけの勢いがあり、まさに本作はその急激に変わりゆく台北を切り取るという使命を持った作品。でも、変わりゆくリアルタイムであり、そこについていけるのはむしろ女であり、そして取り残されるのは男である、という図式だったのかも、しれないのだ。
いや、アジンの母親の方は典型的な古風な妻で、だらしのない夫に何を言うことも出来ず、ただ黙って娘の進言を……唇に薄い笑みすら浮かべて聞いている。それは最初から、結婚が就職であり、アジンとは違う形の“キャリアウーマン”ということなのかもしれないと思う。

現代じゃそんなの、まさしくありえないが、キャリアウーマンという言葉自体が成立していた当時は(今では、逆にちょっと女性蔑視的表現だと思うし)、そんな風に考えることさえも、出来てしまいそう。
それが急激な経済発展で変貌を遂げつつある当時の台北に重ね合わせると、世代間や意識の持ち方の違い同士のもどかしさが、残酷なまでに際立ってくる。

なのに、物語自体は、ひどくひどく静謐なものだから、私みたいなバカはついつい眠くなってしまったりして(爆)、ついていけなくなったりするのだ(爆爆。バカ!!)。
眠い頭を揺り起こしたあたりで、なんかアジンが変わっていく。奔放なアリョンの妹とその仲間たちと、合コンチックな遊びに興じている。そこに連れ込まれるアリョンはまさしく不機嫌、仏頂面。
……それまでのアジンとアリョンが、私がピンと来なかったぐらいに決して決してラブラブ恋人じゃなかったから、こうした展開に至る二人の溝にもなかなかピンとこない私こそがバカなんだろーなー(自嘲)。

ただ、このあたりから、アリョンの苛立たしげな雰囲気は隠しようもなくなってくる。アジンの方だって、職場が買収されたあおりで仕事を失い、頼りにしていた直属の上司も色よい返事をしてくれなくて焦っていた時期だったのに。
そして何やら不倫の匂いも……。でもそれも、「ビール飲みに行かないか」「あなたはいつもビールなのね」なんていうやり取りが2、3度展開されるだけで、ホテルに行くどころかキスさえ、抱擁さえないんだから、私のようなドンカンヤローは、ただ単にこの同僚が優秀な彼女を惜しんで酒に誘っているぐらいにしか見えないんだから困ったもんだ(爆)。
うーむ、今の日本がそれだけ、ヤボなぐらいに直截な表現でしか伝えられなくなったんだろーか……。

アジンとアリョンが最後まで、ひたすらストイックで、一応一緒の部屋を借りてるのに、結婚まではけじめをつけたいとか言って泊まることすらしない。
アリョンは結婚まで考えたらしい元カノとの再会に心揺れる。突然日本語が聞こえてくるからびっくりしちゃう。この超美人な元カノは、日本人の“小林”と結婚し、舅に当たる日本人のおじいちゃんは孫にメロメロなんである。

経済発展の象徴としてニューヨークと東京が用いられるのはベタながらも、妙に赤裸々で、日本人に彼女をさらわれたアリョンと、元カノに会ったことを憤るアジン(一貫してクールだったのに、突然嫉妬に狂う!)に、経済発展って、人間関係をベタにさせるんだなあ……などと、的外れなことを思ったりする。
幼なじみの延長で、恋人のときめきもどこかに行っちゃった状態で、モヤモヤと続けていた関係がニューヨークとトーキョーと元カノでかき回されちゃうなんて。確かにこのあたりから急に目は覚めましたけど(爆)。

しかもアジンに危険なストーカーがついちゃう。そんな雰囲気にはあんまり見えなかった。若いオノコで、クールビューティーなアジンには釣り合わないタイプ、そしてそんな猛烈プッシュにも見えなかったのに。うーむ、このあたりは日本的描写を前提にするとなかなかについていけなくなっちゃう。
アジンはアリョンに助けを求める。だいぶ時間が経ってから、まるで偶然みたいにアジンとアリョンは顔を合わせる。ケンカ別れみたいになってからの再会で、……もしかしたら、これが最後の最後の邂逅かもしれない。

あのラストシークエンスはどう解釈したらいいのか。アリョンはストーカー青年に刺されちゃう。都会は車がひっきりなしに通る、ビルが林立した大都会だけれど、ちょっと外れると街灯すらろくにない、真っ暗な山道である。
血だらけの脇腹を抱えながら、アリョンは朝を待つしかないのだ。その間、かつての栄光の妄想を観る。実際のニュース映像によるリトルリーグの世界制覇。過去の栄光が子供の頃だなんて。
しかもそれはつまり、大人になる前に挫折したってことでしょ。それを“栄光”として見続けているなんて。なんて悲しいの。そして彼は………まさかまさか、死んでしまうの?まさか!救急車に乗ったもん、そんなことないよね!!

失業していたアジンはオフィスコンピューター時代の新しい時代に乗って仕事の誘いを受け、これから構築するガランとあいたオフィスに上司と共にたたずむ。それはまさしく冒頭の、ガランとあいたマンションの一室に通じ、その意味合いがこれほどに違うのかと、唖然とするんである。
だって、だってさ、アリョンは明確に、マンションからも、オフィス(という名の、社会の一角)からもはじかれているんだもの。死んでしまっても、そうでなくても、なんて言い方はよくないけれど、でも、アジンとアリョンはもうはっきりと、違う世界に別れたと思う。

大きなサングラス、洗練されたスーツ、回転ドア、アジンの周りには、あわただしながらも常に変わりゆく最先端の空気があった。でもアリョンには……。
これはこのいっときの台北でなければ成立しえなかった物語。急激に変わりゆく、過去と未来が近い場所でくっついている都会のこの時でなければ。★★★☆☆


たゆたう
2016年 91分 日本 カラー
監督:山本文 脚本:山本文
撮影:栢野直樹 音楽:中根達也
出演:寺島咲 手塚真生 木下ほうか 宮本真希 海東健 斉藤暁 芹澤興人 清水ゆみ 魏涼子 水野あや 秋山タアナ 塩山義高 後藤剛範 田谷野亮 正村徹 梨木まい 藤井佳子

2017/4/5/水 劇場(新宿K’scinema)
トランスジェンダーの話が不思議と続いた。今度は「彼らが本気で編むときは、」の逆で、FTMの彼女のお話。
そう、まだ彼女。ジュンは性別に違和感を覚えてはいるものの、男の身体になることにふん切れないというか、恐怖を感じている。自分ではないものになってしまう恐怖を。
そして主人公はジュンだけではない。もう一人、いる。ジュンの高校時代の友人で、誰の子とも判らぬ命をお腹に宿したあかり。産むつもりなどなく、ジュンに金を借りて堕ろそうとするも、ジュンが意外なことを言いだした。「だったら私にちょうだい。私が育てるから」

若干盛り込み過ぎかなあなどと思ったのは、やはりまだまだLGBTに対して特別感を持ってしまっているからかもしれない。セクシャル“マイノリティー”という言い方ではあっても、今この同じ時代に生きているひとりひとりであるということに、口では言いながらなかなか気づけないでいる。
ただ、本作は監督さんの友人であるセクシャルマイノリティーの方との話が元になっているというのだから、やはりそこがスタートであったことは間違いない。そして元になっているということは、ジュンの造形にはトランスジェンダーという設定以上に色濃く反映されているに違いない。

などと当たり前とも言えることをわざわざ書いたのは、ちょっと意外な部分がそこここに見られたからなのだ。
先述した、ひとりひとりが、それぞれに違うひとりひとりであるということ、大人と子供、男女の性差、セクシャルマイノリティー、そんなものはあるジャンル分けに過ぎず、それぞれが違うひとりひとりであるということに、これまで何度も何度もそうだよね、と思い続けてきたのに、やっぱり心の奥深くの先入観はなかなか取れないんだ、と痛感するんである。

意外、というのは、トランスジェンダーである人は、体と心の違和感に我慢ならなくて、もう、すぐに身体を変えたい、経済的や社会的な壁がなかなかそうさせないだけで、とにかく身体と心を一致させたいんだと思っていたのが、ジュンは必ずしもそうではなかった、ことなんである。
盛り込みすぎ、と感じたところは、彼らが手続きしていくそうしたクリニックでのやりとりで、若干マニュアルビデオを見ているような気分にもなるのだが、それはまた後述として……。
性差やトランスジェンダーなどはただの枠組みにしか過ぎず、自分は何者なのか、何者にもなれないのか、生きていく価値はあるのか、そもそも生きていく価値って何なのか、といった、深い議論を投げかけている気がするんである。

それにしてもこのジュン役の手塚真生嬢(嬢、と言っていいのか迷う……)は、“イイ男”である。そう言いたくなっちゃう。冒頭、カノジョに振られる場面で、ムリヤリ唇を奪うシーンにドキドキとする。ぜえーったい、ティーンエイジャーの頃女の子にもてただろうと思わせる……と書いてみて、そこがジュンのアイデンティティを揺らがせるのかなと思う。
ジュンをフる彼女、その原因はジュンが言う通り、「男だろ!」ということなのだろう。「私だってずっとこのままでいたいけど……」彼女が言うのは社会的立場ということなのだろーが、彼女はジュンを男として好きだったのか、それこそ女子校的カッコイイ女の子として好きだったのか。
下世話なことを言うのはヤだけど、ジュンは未工事だし、これだけがきっかけという訳じゃないだろうけど、工事をするためにクリニックを訪れた。ジュンが、何者にもなれないと焦るのは、好きな相手に対してそうであるということも大きいに違いなくて。

そして一方のあかりである。いかにもな不倫。彼女の前でも奥さんの話をヘーキでする男。割り切っているように見えなくもないが、絶対にいつかはバレる妊娠を言いだせずにギリギリまで隠して会い続けたあかりは、明らかに未練ターラタラである。
いや、隠してはいなかった。堕ろすから同意書にサインをしてと言った。これを機に別れりゃいーのにズルズルと会い続けた。相手はいつセックスがまた出来るのか、それしか待っていなかったのに。判ってた筈、そんなこと、見ないふりしてただけだ。

ちょっと、このあかりに関しては色々理解しきれないところがある。職場の男とも関係を結んでいる。それはまあ、セックスだけの関係だというのはひそひそと交わす会話からも明らかだが、なぜそんなことをするのかというのがイマイチピンと来ないんである。
ただだらしない女、というのなら話は判るが、不倫相手に対しては、切り捨てられない思いを抱えている感じが伝わってきて、だったら彼に対するアテツケなのかとも思うけれど、そうなのかもしれないけれど、そう感じさせるにはなんか、ヨワいんだよね……。

声をかけてくるのが職場である自動車工場と思しき場所の作業員一人だけだというのがね。ジュンに言ったような、「誰の子か判んない」というほどの奔放さを感じない。
不倫相手が「あり得ない、俺、付け忘れたことなんてないし」というぐらいなんだから、コイツがタネなんじゃないのと思うが、あかりは不倫相手に贖罪を与えたかったのかなあ……と言うにも弱いのだが。

あかりとジュンはルームシェアをしている友人同士ではあるけれども、決して仲がいい感じではない。だらしのないあかりにジュンはイライラとしているし、この赤ちゃん騒動が持ち上がってからは、あかりは当然、「あんたのせいでこんなことに!!」という気持ちがぬぐえないから、常に一触即発状態だし。
そもそもね、あかりが堕胎費用をジュンにしか頼めなかったのは、「だって私、友達いないから」、そしてそれは、恐らくジュンもそうなのだった。

後に二人が友人になった高校時代のことを回想する場面がある。「二人とも、あぶれてた。だから私、ジュンに声かけたんだよ」友達のいない同士、そして今もお互いを友達だと思っているようには見えない同士。
ひとりぼっちどうしが、今まではお互いを深く探ることもなく、利害関係で一緒にいただけ、本当は、本当の友達同士になりたい気持ちがあったのかもしれない、のに。

先述したけど、あかりが妊娠のことを隠し続けようとするのが、どーも解せないっつーかさ。恋人に対してならその女心は判らなくもないが、それにしたっていつかはバレることだし、会社に対してだってどうする気なのか……。
母子手帳を見られたセフレに、「誰にも言わないで」なんて口止めしたって、早晩判っちゃうことだろ!!ジュンに言われるまま、まあお金がないという事情もあったにせよ、堕ろさずにここまできたあかりの、その行動がなんかバカ過ぎてちょっとついていけない(爆)。それが女心の弱さというものなのだろーか、いやいや、女はこんなにバカじゃないと思うけどなー。

ジュンはトランスジェンダーの専門クリニックと思しき病院にはるばる出かけていく。はるばる、というのは、迎える医師、木下ほうかの「遠いところ……」みたいな台詞で知れるんである。
心と身体についてみっちりと聞き取り調査が行われる。同じ女である(身体だけでもね)こちとらとしても充分に判る、あの屈辱的な婦人科椅子に、ジュンは耐えられなくなる。
それがあってなのか、ホルモン治療に進むことを止められる。一刻も早く男になりたいんだというジュンを医師は「あなたに後悔だけはさせたくない」という、なんとゆーか、漠然としたポエティックな言葉でさえぎるんである。

ジュンは通販で外国製のホルモン剤を取り寄せる。いかにもあやしげな極彩色のカプセルを次々に飲む。ダメだよー!!と思う。でもこっちが心配したほどの副作用はなくって、ただヒゲが生えてくる。それにジュンは思いがけずショックを受ける。
自分じゃない自分、違うものに変わっていく恐怖、そもそも自分とは何なのか、そんな心理的アイデンティティと肉体的変化に恐怖を感じて……。

恐らく最初に純粋に思っていたこと。自分は男とセックスして赤ちゃんを宿すということは出来ない、自分の子供を望むことは出来ない。身体は女として、その可能性を持っているのに、出来ない。
それは女として否定されているのか、男にもなれないことを糾弾されているのか、そもそも人間って、子供を得なければ認められないの?……これは、これは、すんごく、私自身にも跳ね返ってくる言葉だ!!

なんとなくオチはね、予測は出来ていたの。そもそも、ジュンに押し切られる形で堕ろさなかったあかりはさ、やっぱり迷ってたってことじゃんと思うし。
だってだって、誰の子か判らないと言いつつ、不倫相手に「あなたの子だ」と告げたんなら、その堕胎費用を彼から請求してしかるべきだしさ!うーむそれが言えなかったのは、嫌われたくなかったって、ことなの?ここを突っ込んじゃあ、この物語自体が成立しなくなるんだけど、どーもムリがあるんだもん!!

まあとにかく、産むのは決定、そして、ジュンの葛藤も、まぁ、想定内。でも、私が育てたい、というだけの、ジュン自身の想いというか、心が男の自分は産めない、でも身体は女、恋人に去られたのもそういう理由??みたいな……そこまでの強い思いが上手く刻み付けられなかったのが残念だったかなあ、という気がして。
まだまだLGBT映画は少ないし、過去にあったそれはかなりハデというか記号的というか、やっぱりまだまだ未熟なものではあったと思うけど、これがね、やはりやはり、先進国であるアメリカなんかではさ、いくつもこの葛藤をしっかりと刻み付けていた秀作をいくつも思い出させるのよ。
やっぱり挙げたいのは「トーチソング・トリロジー」だわなあ!!でもやっぱり、アメリカでも、日本でもそうだけど、MTFはよく語られるけど、FTMは少ないっていうのがやっぱり、ある気がする。そういう意味では画期的と言えるのかもしれない。

そう、なんか脱線したけど、予測できたオチってのは、結局この二人で赤ちゃんを育てていくだろう、ってこと。
ジュンは、子供を育てる以前に自分自身がどうなりたいのか決心しきれず悩み、あかりももともと産むつもりはないし、ジュンに渡すってことがあったとしても、もうお腹が充分おっきくなってからも、「今からでも堕ろせませんか」と女医さんに言いだす始末でさ。

あかりは、特別養子縁組をサポートするNPOに相談するのね。これも先述した、盛り込みすぎの感があって……マニュアルっぽさが、出ちゃうんだもの。望まない妊娠をしても、簡単に堕ろさないで。その命をつなぐシステムがあるんだよ、と。
それを認知させるのはとても大事なことだし、なかなか認知されていない歯がゆさは確かにあるし。
それは日本の超実子主義、女が血がつながった子供を産まなきゃダメ!!てな(なのに、女の血だけが明らかになっている子供には超冷たいこの矛盾!!)ヒドいパワハラ、セクハラ社会において、認知させていかなきゃいけないことだとは思うのだが、とりあえずコマを置いた、だけの感じがあるよなあ。

だって彼らは結局、この選択を選ばないんだもの。選んでこその、提示だと思う。でも選ばなかったってことが、やっぱり血のつながった親が育てなさいよ、という結果を示したことになっちゃったんじゃないかと思う。
勿論、それがこういう家族の形……夫婦という形ではなく、好き合った同士という訳でもない、友人関係という中での家族の形態も作り上げることが可能だということを提示したという点ではとても素晴らしいし、お互い一人ずつだったあかりとジュンが少しずつ歩みあっていく展開は素敵だし。でも、少ぅし、つっかえる感じはしたかなあ。

ジュンが働いているバーに来るお客で、元女性で今はハゲ上がったオッサンを演じる斉藤暁が素晴らしい印象を残す。誰かを参考にするんじゃなくて、自分がどうしたいかなんだ、というシンプルな言葉こそが、全てを示している。
ところで、いくらジュンがアイデンティティ悩んでたって、それを助けるためにあかり=妊婦を海の中に入れちゃダメでしょー。それこそステレオタイプ過ぎ??★★★☆☆


探偵事務所23 くたばれ悪党ども
1963年 88分 日本 カラー
監督:鈴木清順 脚本:山崎巌
撮影:峰重義 音楽:伊部晴美
出演:宍戸錠 笹森礼子 星ナオミ 楠侑子 金子信雄 佐野浅夫 土方弘 初井言栄 信欣三 川地民夫 上野山功一 木浦佑三 伊藤寿章 高緒弘志 井東柳晴 野村隆 二木草之助 榎木兵衛 高橋明 瀬山孝司 立川博 会田為久 三木正三 山口吉弘 中平哲弥 二階堂郁夫 倉田栄三 笹木幸一

2017/6/21/水 劇場(神保町シアター)
私はいわゆるエースのジョーを観てないということを今更ながら気づいたが(爆)、でも本作の「探偵事務所23」シリーズは二作しか作られていないということだし、これは別にそれとは関係ないのかな?
ま、いいや、一番カッコイイ頃の宍戸錠を見ることが出来て嬉しい。そして個人的にお気に入りの川地民夫も(照)。わっかい、カワイイ、そしてバカでドジ、似合ってる(萌)。

私ゃー頭悪いんで、こーゆータイプの抗争モノは構図に頭抱えて判らーん!といったところなので、その辺は適当に流すので勘弁勘弁(爆)。
まあ簡単に言ってしまえばこんな感じ……暴力団二組が取引しているところに割り込んできたどこのギャングか判らん奴らが、マシンガンをぶっ放しまくって、ブツをまんまと持ち去ったんだけれど、一人ポカをやったのか、警察に捕まっちゃう。
それが川地民夫演じる真辺。もー、いかにも青臭いガキでさ、後に宍戸錠扮する探偵の田島を仲間たちに引き合わせる時、「こいつなら、大丈夫だ」と自信マンマンに言い、そして仲間たちは当然それをうのみにする訳がないというのが判るだけの青臭さ。

だってさー、自分を助けてくれたってだけで信用しちゃっている感じ、いや一応、「俺も、いい就職先を探してるから」なぁんて田島はもっともらしいことを言う訳だが、そんな都合のいい話ないでしょっての。
宍戸錠のあのライトな感じで、確かにこの組織の中にぐいぐい入り込んではいくんだけれど、幹部たちは最初から最後まで全然信用してなかった、それが当然の感覚よねー。

と、なんかついつい先走ってしまいましたが(爆)。最初、田島はポーカーかなんかやりながらこのニュースを耳にしている。踊り子のサリーに金を借りて、「倍にして返すから」と絶対ないだろ、という台詞を耳打ちして店を飛び出す。
この時にはちょっと知的で彼にホレてるがゆえに哀しい女、のようにも見えたサリーだが、後に田島に恨み言を歌にのせて明るくダンスダンス!する彼女、敵に聞かせる「愛してる」に腰砕けになる彼女、にちょいとヤラれてしまう。

つまりこの時、敵方に潜入している田島は自分の正体を知られたくない訳で、それをサリーにバラされるんじゃないかとオビオビしてる訳さ。それを実に巧みにくるみこんで、粋なショーダンスに宍戸錠がジェントルに入り込んでいく!
いやー……この時代のスターはね、なんか違うよね。凄い踊れるって訳じゃないんだけど、なんか何とも見せちゃうんだもの、クラッときちゃうよ!!

で、またまた先走ってしまいましたが(爆)。探偵さん、というよりは、本作においては、警察に、自分がおとり捜査が出来るからギャラの方よろしく、といった感の方が強い。こっちにはネタがある、と言いながら、実際は何もなくて、熊谷警部(金子信雄。若くて判らんかった……)は憤慨しかけるんだけれど、おとり捜査をするなら、百戦錬磨の田島以上の人物は確かにいない。
真辺を釈放すると見せかけて、二つの暴力団が待ち構えての最初のクライマックスは、しかし、しかし、逃げるのにオープンカーって、さあ!そりゃまあ窓ガラスなんてマシンガンなら撃ち抜けちゃうにしても、無防備過ぎないか!!……このあたりののどかなハードボイルド(なのか?この場合……)、カッコ良さ重視!!というあたりは素敵ともいえるが……。

で、救い出された真辺はあっさり田島を信用し、仲間のところに行く……前に、自分の女のところに行っちゃう。あー、甘い甘い。田島の前で趣味の悪い痴話げんか、つまりプレイとしての、ゼンギってやつ(爆)をしてお楽しみにふける真辺に田島は、悪趣味だな、お前、と苦笑い。あーもう、川地民夫、バカ過ぎて、でも愛しい、うらやましい(爆)。
でもさ、こーゆー描写があると、なんか判っちゃう。これはさ、ここにきっと戻ってくる。悲劇的な状態で、ってのがさ、判っちゃう。だって女は彼のことをホントに愛してなんかいない。それが判っちゃってるから。そして彼は女のことを本当に愛している。それが判っちゃうから……。

……先走りで勝手に暗くなりそうだから先に行こう。忘れないうちに楽しいところを。本作でサイコーなのは、この探偵事務所に出入りしている週刊誌の編集長……と言っていたような気がする、それとも売り込みに来ている記者かな?
とにかく、田島からオバサン、と言われる入江を演じる初井言栄がサイコー!女っ気まるでナシ!カネになることなら危ない場所なんて全然かまわず!それどころか色っぽいダンサーに鼻の下を伸ばしながら酒を嬉しそうに飲んでるサマはまるでオッサン!

いかにもカネに卑しそうな関西弁(失礼!)、役に立ちそうで立たない感じとか(笑)、もうサイコーなの!いやー、面白かったなあ。二組の暴力団が真辺を待ち構えているテレビ中継を酒を飲みながら眺めて、おっ、所長、上手くやったがな、なんて言いながらご満悦なところとか、彼女だけで笑える場面がいくつもあってさ!
田島の助手である堀内を演じる土方弘の弱々しい感じが、初井言栄のガサガサ加減と絶妙のコンビネーションなのだが、ヤハリ初井言栄のインパクトには勝てなかったと思うなあ。本作はこの“オバサン”がとにかく、忘れられないの!!

他にもちょいちょい楽しい脇キャラはいる。田島は身元を偽造しておとり捜査に臨んでいる。敵方は凄く疑っているから、彼の実家に一緒に行こう、なんてこともするのね。
実家はカトリック教会、父は厳格な神父、なんていうデタラメを言っていた田島がオドオドしながら連れていくも、実の父親はノリノリで神父を演じてて、息子、面食らっちゃう。これが佐野浅夫。実に楽しそうに演じていて、こっちも楽しい。

この時、敵方のボスの女を連れていく。お父さん、見るからにニヤニヤして息子をからかってる。この時にはホントに何もないんだけれど、おとーさんというのは、そーゆーことを察知しちゃうということなのだろう。
彼女が本作のヒロインであろうと思われる。笹森礼子演じる千秋。父親が経営していたガソリンスタンドを乗っ取られたことに恨みを抱いて、ボスの女に甘んじながら復讐をうかがっているという役どころだが、見るからにおぼこ娘で、まるで80年代アイドルのような可愛らしさである。
踊り子のサリーしかり、週刊誌記者の入江しかり、数少ない女性キャラがハジけているせいもあって、哀しく可憐な彼女はとっても可愛いんだけれど、インパクトに薄くて共感するのが難しい。宍戸錠が襲い掛かるなんていうサービスシーン?もあるのに、それも成し遂げられないんだもんなあ。

彼女が言うには、「畑野(彼女をかこっているボス)は私を抱けないの」だから自分は経験がないんだ、という。この台詞が何を意味するのか、彼女を抱けないのか、女そのものを抱けないのか、それとも笹森礼子という可憐な女優を守るために、落ちどころのないそんな設定を仕掛けたのか、どうもよく判らないのよねー。
もちろん彼女は組織内のいろんなことを知ってるから、最終的には田島を助ける形でスリリングなクライマックスを抜け出す訳なんだけれど……うーん。田島に盗聴器を仕掛けられた時も、それを自分自身気づいてたかどうかもアイマイな感じだったしなあ。

川地民夫は死んじゃうんだもんなあ。彼はね、やっぱり最初から最後までバカだったよね。いや、バカなんていうのはちょっとしめっぽい言い方だ。この場合は純粋に、彼はアホ(爆)。
せっかく田島があんたを助けてくれようと、こっそり耳打ちしてくれたのにさあ。女の元に行っちゃう。最初から他の男を引っ張り込んでるのだって判ってたのに、そして、自分の身を守ることの方が大事に決まってるのに……それは……判ってなかったのか。この女が銃撃に倒れるのは全然同情しないが(爆)、真辺が、バカなコイツが、何より川地民夫が死んでしまうのが本当に悲しい(泣)。

田島は何食わぬ顔で戻ってくる。腹の内を探るような、畑野とのやり取り。銃をこれ見よがしに見せつけたり、一触即発とはこーゆーことを言うのであろう。
結局田島は、取引用のマシンガンがたっぷり詰まった地下室に閉じ込められてしまう。ガソリンをたっぷり撒かれて、蒸し焼きにされる、という算段である。
そこに、あのヒロイン、千秋がやってくる。秘密が暴かれる大事な節目ごとにいる割には印象が薄いが(爆)やはりカワイイ。地下室からガソリンスタンドの床へとマシンガンをぶっ放して穴をあけ、証拠の盗聴テープを待機していた刑事たちにスローするという荒業。てゆーか、あんなに凄くマシンガンがあるのに、あんなに簡単そうなドアのカギがどんなにぶっ放しても開かないということがかなり不思議なんですけどね。それを言っちゃ、おしまいですかね。

最後にね、武器弾薬の取引におびき寄せる形で、最初に関わっていた二つの組を呼び寄せ、ガンガンやらせちゃう訳。そこに警察が行けば一網打尽でしょ、と田島が提案した訳。
警察が呼びかけても当然、ドンパチやってる間は聞く耳持たない暴力団たちに田島が、好きなだけやらせておけばいい、そうすればヤクザが一人でも減るだろう、と言うのには……ヒヤリとしたなあ。何気ない感じだったから、余計に……。そこまで特に深く考えての作劇ではなかったのかもしれないけど、今じゃ色々考えちゃうよね、やっぱり。

行き場をなくした千秋は、田島によって探偵事務所の秘書にやとわれる。うーむ、甘い、あまーい!!だって彼女は女一人生きていくぐらいなんとかできるわ、と言っていたんだから、そんな簡単に手を差し伸べるな!!
田島にホレてるって言ってたサリーのことが気になっちゃう。ちょっとオツムが弱そうだったけど(爆。あれ?最初は知的に見えるとか言ってたのに……)、ちゃんとあんたのために動いてくれたのに。キーッ!!女性の観客だったら、絶対、サリーと田島が上手くいってほしいと思う。こーゆーところは、女を敵に回しちゃ、ダメ!!★★★☆☆


探偵はBARにいる3
2017年 122分 日本 カラー
監督:吉田照幸 脚本:古沢良太
撮影:田中一成 音楽:池頼広
出演:大泉洋 松田龍平 北川景子 前田敦子 鈴木砂羽 リリー・フランキー 田口トモロヲ 志尊淳 マギー 安藤玉恵 正名僕蔵 篠井英介 松重豊 野間口徹 坂田聡 土平ドンペイ 斎藤歩 前原滉 天山広吉 片桐竜次 今村美乃 栗山英樹

2017/12/17/日 劇場(楽天地シネマズ錦糸町)
今年最後の映画はこれで決まり!なのだ!!12月はねー、とにかく身動きとれなくて、映画が全然観れなくなる、その中でどうしても!というもの、そして疲れた心と体を無条件に楽しませてくれるもの、待望のシリーズ最新作なのだっ。
えーっ、前作から4年も経ってるの??長い長い!もー、寅さん並みにやってほしい!でも大泉先生始め、龍平君もレギュラー脇役のメンメンも売れっ子だから難しいかあ。探偵さんとの無意味な?サウナシーンが楽しい松重さんと、行きつけの喫茶店の無駄に?ブリブリセクシーな玉恵さんが、個人的にダイスキです!!とにかく帰ってきて嬉しいススキノのプライベートアイ!

あ、でも監督さんが替わってるんだ。なんで替わったのかな、いやそこんところは寅さんではなく、釣りバカ的に、若手監督に機会を与えていく、なーんてことなのかも。
大泉先生と龍平君の関係性がバッチリ決まっているし、世界観も揺るぎがないので監督さんが替わった、なんて感覚は全然なかった。

そして今回の美女は、まーさーに、美女!!美女はいくつになってもその年齢なりに美しいものだが、その中でもやはり、奇跡のように美しい年代というか、瞬間というか、そういう時がある。今の北川景子嬢はまさに、その時だろうと思われる。
なんたって探偵さんは美女にめっぽう弱いという設定だし、これまでのヒロインたちも、個性は全く違いながら、そこんところで危険な依頼にも飛び込んじゃう、というところ。

その中でもこの北川景子嬢は……なんつーか、ホントにちょっと、呆然とするほど美しいし、ミステリアス、薄幸、甘え上手のように見えて素直じゃなくって、そこが可愛くて、あーもう、なんつーかなんつーか、探偵さんの心を震わせるだけでなく、観客の、それもおばちゃんの私の心を震わせるのに充分過ぎるのだっ。
彼女はコメディもきっちりやれる人だし、本作はそういうテイストが満載だが、基本、ミステリアスでシリアスで通していく。一回出ちゃったら、コメディエンヌとして再登場はないかなぁ。惜しい。

今回の依頼は、ありふれたものだと思っていた……相棒である高田が連れて来た大学院の後輩。「万年助手のくせに、珍しく先輩風を吹かせてる」と探偵さんはのんきに構えていたし、その依頼も、失踪した彼女を探してほしいなんていう……まさに、ありふれた依頼。
「お前にアイソをつかしたんだって、言ってやれよ」と探偵さんじゃなくったって、高田に耳打ちしたくなる。「でも、家にもずっと帰ってないらしいんだ」と後輩に替わって説明する高田は一見、後輩想いのように見えるが実は、探偵さんに支払われる“気持ち”の料金より高い手付金をちゃっかり取っていたことが後に明らかになる。高田っぽい!龍平君っぽい!!

もうね、これより先、物語の冒頭で、何かが起きちゃってることが示されるのね。高田の後輩、誠君が探している彼女、麗子が前田のあっちゃん。彼女は案外、よーちゃんと縁があるな……そして、案外、積極的にワキ的な役に節操なく挑戦するところがイイ。
純朴な誠君はカワイイ彼女を盲目的に愛してて、信じてて、心配している。彼が持ってる合鍵で彼女の部屋を家宅捜索した探偵さんと高田は、通帳に振り込まれている大金と怪しからぬシモのお薬を発見。こりゃー彼氏さんにナイショでワリのいいバイトをしてらっしゃるな、とアタリをつけたのが大ビンゴ。

しかし表向きモデル事務所として構えているデリヘル、ピュアハートは裏社会とつながっていて、麗子の失踪も密漁毛ガニを狙った殺人事件……でも充分大変だけど、実は毛ガニが目的じゃなくて、甲羅の中に仕込まれたシャブこそが真の物流だったとうっすら判りかけてくると、もうこれは!探偵さん、手を引きたい訳なんだけど!!

ところでこの誠役、依頼人だし、全編登場してるし、凄く印象的だし、なのにオフィシャルサイトに紹介がない!なんでなんで!!新進の俳優さんだから??えーっ、いわゆる大抜擢なんだからさ!ここは紹介しようよー!!
って地団駄踏みたくなるぐらい??麗子ちゃんを盲目的に愛してて信頼してて、結婚するんだと言い募っている、その一方で案外したたかで、探偵さんに税込み10,800円しか振り込まないあたりが面白可笑しいこの誠君を演じる前原滉なる役者さんがどーしても気になって検索かけてどびっくり!!

「あゝ、荒野」の、自殺防止運動と言いつつ、実は美しい自殺の信奉者である不気味な大学サークル主宰者を演じた彼とは!!
えーっ!!マジで!別人28号どころじゃなーい!これはビックリだ……この純朴バカな男の子と、あのキツネ目冷酷な男とが全然重ならない……いや、目は変わってない筈だけどさ、いやー……。覚えておこう、この名前。てゆーか、載せるべきでしょ、彼は!あっちゃんの恋人役なんだからさ!!

……興奮しすぎて脱線してしまった。ちっとも話が進まん(爆)。で、その麗子ちゃんが恋人に隠れてちゃっかりバイトしていた、モデル事務所を隠れ蓑にしてデリヘルやってる店を切り回していたのが、今回のヒロイン、マリだった。
麗子のことを調べるために潜入した探偵さんは、コワモテの男たちにボッコボコにされそうになるんだけれど、マリの一声で助けられる。勿論、その一連の流れも、最初から決められていたに違いない。

探偵さんとマリは、遠い昔面識があった。たった一度、だから探偵さんはなかなか思い出せなかった。濡れた子犬のように震えて、若いのに世捨て人のようになっていたマリ。
回想シーンとして示される、マリを可愛がっていた先輩娼婦のモンロー、探偵さんのスリーショットに挟まれる、若き日のマリ=北川景子嬢は、スッピン風メイク、目を覆うほどの長い、茶髪のすだれ前髪(時代を感じる……)、たったそれだけで、もうどうしようもなく無力で無防備な少女に見えた。

その時マリは、宿した赤ちゃんをどうやら……幸せになる筈だったのに、だから絶望の淵にたたずんでいた。そんなことは知らず、その時探偵さんがかけた何気ない、モンローさん言うところの、「テキトーだけど、たまにはいいこと言うのよね」という、まさにその通りの言葉を言ったのだった。
「他人からはくだらないようなことでもいい、命を燃やせるようなものに出会えれば。お前のようなヤツが案外カンタンに「出会っちゃった」なんて言うんだよ」と。

そう、探偵さんはなーんにも知らずに、美女に弱いから、助けてと言われちゃったから、引き受けちゃうんだもん。無口でぶっきらぼうながらも無敵の相棒、高田が、あーもう!!と壁に向かって悶える探偵さんを見て「引き受けるってさ」と通訳するのが、もー、龍平君っぽくてたまらん。
そうそう、今回はね、高田との別れも??みたいなジャブがかまされるのさ。グータラで万年とは言え、あの北大の大学院の助手という立場にいる高田は、そうは見えないけど(爆)優秀には違いなく、「寂しくなるが、しっかり頑張って吸収してこい」と担当教授に言われ、しっかとうなずき、身辺整理などしている。
探偵さんも誠からその旨を聞くんである。ニュージーランドの酪農を学ぶために北大を離れる、と。そらーそらー、ニュージーランドに留学すると思うだろ。かなり、動揺してしまった。こーゆーことでこのシリーズを幕引きするってことなの??って!!

で、劇中、そんな気持ちを引きずりまくって、探偵さんも相棒に頼らずにとか殊勝に思ったりして、餞別を男らしく奮発したりしたのに、「お前、ニュージーランドの酪農を学ぶんじゃなかったのかよ」「学んでるよ。ニュージーランド人に。ハイ!パトリック!」「ここ江別だぞ。札幌に通えるべや!俺の餞別返せや!」「一度出したのは引っ込められないんだろ。使っちゃったよ、札幌競馬場で」
あー、最高、最高!良かったー、これでシリーズ幕引きっていう意味なのかと思ったからさー!!しかも江別、大泉先生の故郷ってのがね!

個人的な想いで脱線してしまった。まだ全然、メインに行ってないし(爆)。
密漁毛ガニをめぐる殺人事件。そこにいた筈の麗子の失踪。この殺人はマリによるもので、マリはパトロンである元締めの男を欺いてシャブをかすめ取っちゃった訳。

自分で売りさばけるルートもない彼女がなんでまたそんな無謀なことをしたのか……。こんなヤバいことに首を突っ込むつもりはなかったのにさあ、探偵さんはついつい……で、マリのことを探るため、先述した、かつて一緒に働いていた、伝説の風俗嬢、モンローを訪ねる。
彼女は今や漁港の定食屋を切り回し、漁師の夫と、その間に産まれた可愛い子供と幸せな生活を送ってて、「このモンローさまが、このざまよ」と笑う彼女に、「今が一番きれいですよ」と言う、スッキリと言う、探偵さんのスマートさがたまらん!!

マリが、このパトロン、めちゃめちゃ極悪非道なヤクザを欺き、そうまでして大金を手にしたかったのは……。あの時、探偵さんに言われた言葉。「命燃やせるもの」を「私、見つけたよ!!」と麗子は叫んだ。その叫んだ場所は、シャブと現金を交換する緊張の……でも、めっちゃ人!人!!人!!!
なぁんと、日ハムの栗山監督と札幌市長のトークショー場面!!!うわー、うわうわうわー、もう札幌全面協力どころじゃないぐらい全面協力!(?)。栗山監督!!!市長はよく知らん(爆)。ショッピングモールに人が鈴なりになっている中、マリはくるりと振り向いて探偵さんにニッコリと笑いかけて、言うのだ。「私、見つけたよ!!」と……。

マリがシャブと交換してゲットした大金(これを守り抜くアクションもドキドキ!マギー最高!!)を届けてほしいと願ったのは、難病の女の子の元だった。誕生日が同じ、てっきりマリが産んだ子供だと思った。パズルが合った、と思った。なのに……。
「自分が産んだ子でもねぇのかよ!!」マリはモルヒネを持ち歩いていたぐらいだから、恐らくガンか……入院していた病院で出会った、亡くしてしまった子供と同じ日に産まれた女の子。命燃やせるものが出来た、あんな満面の笑顔で。それが、「自分が産んだ子でもねぇのかよ!!」……。

本当はね、あんまりそーゆー、難病とかの“感動ポルノ”は好きじゃないさ。ただ、……命燃やせるものって、何かなぁと考えて、それこそ自分が産んだ子、という言葉があっさりと吐かれる、そうじゃないのに、命を燃やした麗子。
だってあの時、探偵さんは、他人から見たら、どんなくだらないことだっていいんだ、と言った。くだらない、ことが、他人の子供に命を燃やす、と言ってしまったら、かなり語弊があるだろうと思う。
でも、難しいな。麗子は自分が産んだ子供のことにこだわっていたからこそ、この子に残したいと思ったに違いない、本当は、そういう実子至上主義はキライだ。不治の病で死ぬとかもキライ。でも、やっぱり、皆健康で、血は関係なく子供たちに愛情を注ぐ、なんてことは、奇跡に近いぐらいのファンタジーなのだろうか……。

あー、早く、次が観たいな、観たいなー。また四年とか待たされる訳??動けるうちに、動けるうちにさ!!やっぱ50とか60になったらキツイもん。失礼??★★★★☆


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