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「か」


2017年鑑賞作品

南瓜とマヨネーズ
2017年 93分 日本 カラー
監督:冨永昌敬 脚本:冨永昌敬
撮影:月永雄太 音楽:
出演:臼田あさ美 太賀 浅香航大 若葉竜也 大友律 清水くるみ 岡田サリオ 光石研 オダギリジョー


2017/11/26/日 劇場(新宿シネマカリテ)
新しくバイトを始めたキャバクラで「27?ちょっとサバ読んどく?」と言われたツチダと、久しぶりに再会したバンド仲間に「今いくつだよ、27だろ」と言われたせいいちと。えっ、ええっ、同じ年の設定なの!?とまずそこに驚いてはいけないのだろーか。
だってだって、演じる臼田あさ美嬢と太賀君は10歳は離れてるじゃん。そりゃそれぞれ下にサバ読み(それこそね。実際に)上にサバ読みすれば、見えないことはない。いや、見える見えるそれぞれ27に見えるとは思うが、それが合わさると……やっぱり10ぐらい離れている男女にしか見えないのだなー。

えーっでもでも、このせいいちって彼女のツチダに完全にぶら下がってて、ツチダもせいちゃんせいちゃんと可愛がっている風が実際に年上彼女年下彼氏の雰囲気満点だったから、同い年って設定が凄く意外だったし同い年の設定でなぜこの二人??とも思ったのだけれど。
いや逆に、実際二人の関係性、立ち位置、心理状態はまさにその通りなのだから、これはネラいなのかもしれない。原作は未読だが、臼田あさ美嬢はツチダを生きていると思ったし、太賀君の青臭いせいちゃんっぷりは、もう本当にイラつくほどに愛しい。

実際に音楽好きの臼田嬢は、このツチダにきっと心からぴったりなのだろう。ライブハウスで働き、せいいちの音楽の才能にホレこんで、彼の再起を信じている。せいいちはバンドを抜けてから、そしてそのバンドがウレ線でデビューが決まってしまってから、まるでふてくされたようにスランプに陥り、働きもせずにぷらぷらしている。
いや、働きもせず、というのは、ツチダがそうさせているのだ。私が働くからせいちゃんは曲とか書いて、だってミュージシャンでしょ、と。これはツラい。てゆーか、今でもこーゆー物語が成立するんだとビックリしたりする。原作自体は20年も前なのだとしても、それにしてももっと前、昭和なイメージだよーと思うが、恋する女の考えることとゆーのは、結局大して変わらないのかもしれない。女に食わせてもらっている男がいい曲なんぞ書ける訳がないとかは、きっと思いつきもしないのだろう。

ライブハウスだけでは当然二人分の稼ぎが足りないから、ツチダはキャバクラで働きだす。キャバクラといってもゴージャス系じゃなく、同僚の可奈子が「ぼったくられた客が流れてくる店だから」と吐き捨てるような、タンクトップにミニスカートというコスプレっぽい店。
そこで入ったばかりで戸惑うツチダに目をつけたのが「お金持ってそうだから、気に入られて指名とれるようにしなよ」と先輩からハッパかけられた安原。我が愛する光石研氏である。

ツチダはやっぱりそのあたりが甘くって、店に来てもらっての指名ではなく、この男の口車にまんまと乗せられて、愛人契約結んじゃう。ブルマとか水着とかの、コスプレ系プレイである。あーあ、光石研そんなそんなぁ。
ツチダの甘さもここで露呈する。ホテルに連れてかれるぐらい、当然の予想の範囲内なのに、なんかそういうの、全く判ってない様子だったんだもの。そして「お金が欲しいんでしょ」のひとことであっさり契約結んじゃうし、彼からもらったお金をタバコの空箱に突っ込んでいたことから、後にその不審なカネをせいいちに知られちゃう。更に、過去の男に、それもかなりどーでもいい男にぐらりとよろめいちゃうあたりも、凄く、弱いんだよなあ。

ちょっと先走ってしまったが(爆)。せいいちの方はというと、こいつがかなりのヘタレで。プライドがあるんだろうけど、かつてのバンドメンバーに会えば、彼らがつまり、魂を売ったってことを口汚くののしって、せいいちをもう一度迎えようとしていたメンバーを激怒させちゃうんである。
素直になれないんである、せいいちは。彼のプライドは、言ってることは、判らなくもないが理想論であり、事実一曲も書けていない状態で言う資格なんぞ、ないんである。
ただ……先述したように、知らず知らずせいいちの“才能”とやらをスポイルしているのは、彼を愛するツチダ自身であり、「私たちはもう終わっているのかもしれない」という彼女のつぶやきは、それに気づいてないのにそれがもたらす結末を予感していることを示唆して、何とも言いようがないんである。

ツチダは、元カレ、ハギオに再会しちゃう。キャストに名前があったことも忘れかけたぐらいのところから登場するオダジョーは、さすがの強烈な印象を残す。彼の姿を久しぶりに見ただけで体が震えちゃうツチダは、それぐらい、惚れきっていたのだ、彼に。だから……今でも好きだと思っちゃうのだ。終電に急ぐハギオにすがるようにまとわりついて、ヤッちゃうのだ。
この時から既にハギオは「お前、俺のこと凄い好きだっただろ。俺はそんなに好きじゃなかった」とハッキリ言い、今のツチダなら好きになれたかも、とか言うし、もうね、もう、ダメよ、こーゆー男は……いや、ツチダだからダメなのかもしれない。こーゆー男でも、いやいや、こーゆー男は、ただただ、浮遊していくだけなのだろう。だってまるで現実味がないんだもの。

キャバクラの同僚、可奈子が偶然、ハギオのことを見知っていた。ザ・女たらしのエピソードを披露し、ツチダは笑って聞いていたけれど、まさにそんな男なのだった。
「私、ハギオの赤ちゃん、堕ろしたよ」「そんなにお前とヤッたっけ」「めっちゃしたよ。全然覚えてないんだね」まず、ハギオの返しの台詞だけで、この男のそれとなりが判るってもんである。でも彼にホレてる、いや、ホレてたのに今もホレてるとカン違いしているツチダには、そのことが判っているのか、いないのか。
「ハギオはいつかいなくなるから」ということが判っているのに、彼への想いを止められず、でもせいちゃんとは別れられない、いっそ、せいちゃんが私をフッてくれればいいのに……とか言い出す始末。

正直正直、それが現実になるなんて、ツチダも観客も思わなかった、んじゃないだろうか。ツチダの愛人事件から、せいいちは働きだした。まるで唐突に、偶然、先輩(何の、どこの先輩か知らんが)に遭遇して、配送の仕事と、かつてのメンバーが経営しているバーのバーテンと、寝る暇もなく働きだした。
ツチダとはすっかり生活がすれ違いだした。それでなくても愛人事件で気まずくなって、ツチダが元カレによろめいているなんてこともせいいちは知らずじまいだったけど……でも、やっぱり、なぁんとなく、察していたんじゃないか、って気がする。

だって、本当に彼には才能があったんだもの。音楽の才能が。正直、そこんところも疑わしく思ってた。ツチダが盲目的にせいいちにホレこんでるだけなんじゃないかって、思ってた。つまり恋する女にバカな感じでさ。
でもそこは、本当に音楽を、こういう、今を生きる音楽のことを愛している臼田あさ美嬢が演じる意味があったのだ。ツチダが信じているせいいちの才能は本物だったってこと。
まぁだからこそ、せいいちがどんなに人間的にダメなヤツでも(爆)、かつてのバンドメンバーや、新しくウレ線ボーカルとして加わったグラドルも、そしてレコード会社まで、せいいちの復帰を望んでいた訳なのだが。ツチダが男によろめきっぱなしなので、イマイチ信用出来てなかった訳。

せいいちの方が、結局は状況が見えてて、ツチダから離れていく。フッてくれればいいのに、とか言ってたくせに、ツチダは打ちのめされる。ハギオはあの軽い調子で、だったらもうこそこそ会う必要ないじゃん、ウチに来れば、と誘うが、「いつまでも好きとは限らない。そんなの判らない」と、ある意味正直に言うハギオにツチダは決死の思いで別れを告げる。
「そんなこと言ったって、町で会えばお前、ハギオー!って走ってくるだろ」憎らしい奴、憎らしい奴!!確かに再会の時、ツチダはまるで少女のようにそうやってハギオにまとわりついて、せいいちとの別れまで招いてしまった。

でもハギオはいつまで経っても、どこまで行っても、かつてのイイ男以上にはなれなくて、だってハギオが縛れない男だと、いつかは去っていく男だと、ツチダ自身が一番よく、判ってるんだもん。
恋、なのかなぁ。こういうのが。恋と愛の違いなんて、日本的な考えかもしれない。でも、このどうしようもない恋心は、愛を獲得した上でも、消し去りがたいものなのだ。思い出という大人の形に、落とし込めればいいのだけれど。

せいいちと再会する場面が、凄く好き。大好き。先述したけど、せいいちの音楽の才能はめっちゃ疑ってた(爆)。この日は、せいいちがかつて属していたバンドのライブの日。ここまでに何度も、メンバー、新加入のグラドルボーカルとも邂逅があり、相変わらず理想論をぶつけるせいいちとメンバーはぶつかりながらも、なんとなく距離が縮まってた。
バイトがあるから来ないと言っていたせいいちが楽屋にフラリと現れる。この場面、メンバーの荷物を運びこんでいたツチダが、鏡に映ったせいいちに気づく。もうドッキー!!と心臓がはねあがった、のは、観てる私(爆)。でも絶対、ツチダだって!!

ようやく曲が出来たんだ、お前に聞かせるために来たんじゃないよ、ともう感動ウルウルになりかけてるツチダの前でギターを構える。もう泣き出しちゃうツチダにちょっと困ったような顔になって、これでいいか、と楽屋の片隅に押し込んであったコンガを引っ張り出す。そして歌い出す歌は……。
ツチダの、臼田あさ美嬢の涙につられた訳じゃない。ほのぼのとしたゆるゆるとしたはるかなる情景が目の前に広がる詩と素直なメロディライン、「愛しくて、尊くて、私は泣いた」というツチダのモノローグが来なくても、一緒に泣いてしまうこの曲の、そしてせいいちの、つまり太賀君の!!てらいのない、でもめちゃくちゃ上手い、チャーミングなハイトーンの歌声に心臓をつかまされてしまう。
えーっ、えーっっ、えぇーっっ!!すっごい意外なんですけど!!“三回まわってにゃぁとなく。にゃぁ。にゃぁ。”やばっ。これがなんでこんなに心を打つのじゃ!!

二人が別れる場面は、ハギオとの別れの場面とよく似ている。お互い、違う方向に歩いていく。なのにハッキリと印象が違うのだよね。
ハギオとは、もう本当に、終わりだろう。往来で会っても、ツチダは避けると言ったけれど、ただ笑顔で挨拶するだけだろう。でもせいいちとは、きっときっとと思わせたし、思いたい心暖かなこの先を感じさせるラスト。

監督さんは、かなり最近まで苦手としていたお方(汗)。「ローリング」で圧倒され、ようやくその轍から脱却したが(爆)、本作で更に驚いた……(いい意味で)普通の映画が撮れるのねと(爆爆)。痛くて切なくて、でもこの先がきっと暖かであると思わせてくれる、これぞ恋愛映画、よね!

ところでなんで南瓜とマヨネーズなんだろう。原作を読めば判るのかなぁ。 ★★★★☆


彼らが本気で編むときは、
2017年 127分 日本 カラー
監督:荻上直子 脚本:荻上直子
撮影:柴崎幸三 音楽:江藤直子
出演:生田斗真 桐谷健太 柿原りんか ミムラ 小池栄子 門脇麦 りりィ 田中美佐子 柏原収史 高橋楓翔 品川徹 江口のりこ 込江海翔

2017/2/27/月 劇場(渋谷TOHOシネマズ)
号泣。劇場に入る前に後ろから聞こえてきた、恐らく生田斗真氏目当てと思しき若い女の子たちが、ひょっとして泣けたりして〜♪などと、まあつまり彼がトランスジェンダーを演じることを完全にイロモノとしてとらえて笑い合っていたのが、劇場を出てくる時には、もう超泣いたー、とまだ涙声で言っていたのが、そうそう、私もーっ、と心の中で大共感したのであった。
とても静かな映画だったのだが、さざなみのように静かな涙が劇場の中に広がっていくのを染み渡るように感じる127分だった。

かくいう私も、どこかでイロモノ扱いしていたかもしれない。ここではやたらとフェミニズム野郎で、LGBTのみならずバリアフリーに関心があるようなことを語っていても、ヤハリ本当のところでは現実味として受け取っていなかったことを思い知らされるのである。そう、もうポスターやら予告編やらで、トランスジェンダーというよりも、オネエ役かあなどと無意識に思っていたことを思い知らされるんである。
それこそが、今の日本の世の中なんである。オネエという言葉、というか、それは何も指していないこの無理解が、私は大っ嫌いだった筈なのに。

それにしても、驚く。これが荻上監督なのと。正直、「かもめ食堂」が頂点で、それ以降は二番煎じな感も否めなかった。彼女のインタビューで「もう癒し系と呼ばれたくない」と語っているのを見て、うわ、まさにその通り、と思ったり(爆)。
癒し系でもいいと思うのよ。それが本当の意味で癒してくれる濃度を持ったものならば。「かもめ食堂」はまさに、そうだった。舞台も物語もキャストもすべてが奇跡的な化学変化を起こした、稀有な“癒し系”だった。でもそれは、計算してできることではなくって、だからその後がなんとなーくピンとこなかったのだが。

本作は明らかに今までと違ったので、荻上監督突き抜けた!と思って驚いてインタビューなど(普段チェックしないくせに(汗))見たりしたのだが、彼女自身にもそういう意識が明確に働いていたことを知り、大いに納得してしまうのである。
そうよね、彼女は映画をアメリカで学んだのだもの。LGBTというのはまだまだ日本では新語に近くて、理解も浅い。

正直本作の描写はいささかベタな感じもしていた。心が女の子のトランスジェンダーが料理が得意で母性が強いとか(女である私自身がそうじゃないからいささか言い訳(爆))、そんな彼女を「異常」と決めつける固定観念タップリの教育ママとか、同性を好きになる男の子の苦悩とか。
でもそれだけ、日本が深い理解をしていないから、もう最初から説かないとダメってことなのだ。でもさ、凄く単純なことなのに。ただ、一人一人が違うってこと、だけなのに。

俳優専門系とはいえ、なんたってジャニーズのキラキラのスターだと思っていたので、でもってそれゆえなかなか観る機会もなかったので、リンコを演じる生田斗真氏の素晴らしさに大いに驚く。
生まれた時は男の子、ということが残りながらも、ちゃんと(というのもヘンだが)女の子である美しさ、それを演じられる役者というのは、年頃の絶妙さも含めて中々に難しいと思うのだけれど、観る機会がなかったせいもあって、生田氏というのは私の頭の中にはまったく浮かばなかった。

しかしこれが、まあ素晴らしくて。確かに彼は男性なのよ。トランスジェンダーではない。そらそーだ。つまり骨ばった骨格は男性として隠しようもない。
でも女の子なの。確かにそうなの。それは、きちんと心がけている外見はもちろんだけれど、心が女の子という内面からにじみでているものを、本当に感じるのだ。やさしげに抑えた、わざとらしくない程度の低めのボイスもイイ。まだ言うのは早いけど、この役で彼、いろいろ賞関係荒らすんじゃないかなあ。

そのリンコさんに“一目惚れ”したという恋人、マキオを演じる桐谷健太氏がまた素晴らしいのだ。彼は昨今、すっかり浦島太郎のイメージが強いのだが(爆)、それでなくても押し出しの強い、アツい印象なのだが、本作のマキオを演じる彼は、本当に、涙が出るほど、素敵な、愛に生きる、いや、愛を信じる、いやいや、ただ、好きになった人を愛するだけだから、という、とにかくもう、心にしみる男なのであった。
認知症の母親を預けている施設の介護士がリンコさんだったという縁。「もともと男性だと知って驚いたけど……」この言い方がイイ。「もとは男性」であって、今は女性、「本当は男性」とか、それこそオネエとかいう言い方したらぶん殴ってやるところ(爆)。

本作にはそれこそ、ベタなエピソードがいろいろあって、リンコさんが転んだのか頭を打っちゃって一晩入院することになるんだけど、まだ戸籍を変えてないから男性部屋に入れられちゃって、無理解な看護師に「リンコさんは女性だ、見てわかるでしょ、これは人権侵害ですよ!!」とマキオが大激怒する、なんていうシーンはまさにであり。
……恐らく、監督自身が、日本の、こういうツマラナイ縛られ方にカチンと来ているんだろうなあと思う。でもこれが、トモとの絆を深める重要なエピソードになってくるんだけど!!

そうそう、もう、興奮しすぎて、最も大事なキャラを言うことすら忘れてるじゃないのっ。監督さんが「「ユリイカ」の宮アあおいのように、後に大女優になるような」という言葉が、はぁぁなるほどと思わせるトモ役の柿原りんか嬢が素晴らしい。
かといって、ユリイカのあおい嬢とは全く違う。だってあの時のあおい嬢は、台詞もなく、哀しく、そして何かが起こっていることを体現するという、特殊な役だった。

本作のトモは、それを言葉なり、表情なり、態度なりで、示さなければならない。しかも、監督さんのこうしたキャスティング方針からいくと、それを子役演技でまとめちゃイカンのである。
キャラ弁を作ってもらったり、髪を結ってもらったり、編み物を教えてもらったり、そういう意味では子役演技でまとめたくなるベタ記号展開が結構な具合で目白押しなんだけれど、上手い具合にそれを回避できているのは、ヤハリ最も重要なクライマックスがその後に用意されている、それに向けて、演者も、演出者も、しっかと準備しているからかなあと思ったり。

トモと仲がいい、というか、トモになついている感のある、ご近所さん(幼馴染ってところか)の、カイ君。図書室から意中の先輩男子を見つめてため息をついている。
彼はゲイなのか、トランスジェンダーなのか、ちょっと判断しかねるところがある。それこそ、同性を好きだというだけでオカマだのと言われる現状を助長させる感はあると思う。でもその境目も、くっきり分けられるものではないのかもしれない。くっきり分けられる人間なんて、いないんだもの。ああ難しい。

それこそ、くっきり分かれちゃってる母親の小池栄子の厳しさが、この息子を追い詰める。なんと彼は、過剰服薬による自殺未遂を犯してしまう。
トモがカイを避けていたのは、何だったのかなあ。自分自身が母子家庭アンドお母さん恋愛体質でしょっちゅう男を追っかけて失踪、ということへの恥ずかしさが、それを皆に知られてしまう恐怖があって。
カイがトモに対して、親愛の情から自分のアイデンティティをあけっぴろげにしているのが、彼女自身がそれを出来ていないから、彼に引きずられて皆から村八分にされるのが、怖かったのか。

そう、そうよ、そもそもの展開がそれよ。トモが母親の弟である、つまりおじさんのマキオのもとを頼るのは、これで何度目かの、母親の男を追っての失踪。
まあ失踪というんじゃない、一応、しばらく帰んないよーん、と福沢諭吉を一枚置いていく、ってんだから。職場の本屋のレジにどん、とコミックスを置いたトモを見て、「またか……」とマキオはトモを案じ、姉に失望し、言ったものだった。

「今までとは違う」とトモに夕暮れの道を自転車を押して並んで歩きながら告げたのが、一緒に住んでいる人の存在。「変わっている、という言い方は違うかな……」とマキオは言いよどむ。
リンコさんの何たるかを事前情報で知っている観客側としては、トモがどういう反応を示すか、ちょっとドキドキするんだけれど、トモは大して驚かない、っていうか、判断するのはリンコさんの人となりであり、ほんっとうに、あっという間に彼女になついちゃう。

考えてみれば、そんなの当たり前なんだよね。設定とか、前提とか、これから付き合ってく人間に対してのそんな前情報が結局は何の役にも立たないことを、顧みれば判るのに、いろいろ手順を踏みたい(というか、それを偏見というのだろう)から、それを気にしてしまう。
トモはテーブルいっぱいの夕食のおかずに感動し、キャラ弁に感動し、“普通より固め”のおっぱいに感動する。それもこれも、リンコさんが精いっぱいを尽くしてくれたから。

リンコさんの母親が、またいい。田中美佐子氏はかつてはトレンディ女優だったのに、ヘタにアンチエイジングなんぞせず、年相応の好ましい老い方をしてくれた。
女の子である自分に苦悩する中学生の頃のリンコさんに、可愛いブラジャーと手作りの編み物おっぱいをプレゼントの回想シーン、ああ、これぞお母さん!
まあこれもベタといえばベタだが、「リンコを傷つけたら子供といえど容赦しないから。私は娘が一番大事だから」と眼光鋭く言い放つ田中美佐子に、「もう、お母さん!!」とたしなめるリンコ。ああ、なんかもう、泣いちゃう。だってね、「私は“娘”が一番大事だから」と言ったのよ。リンコが、と言うよりグッとくるじゃないの!!

やっぱり一番の問題は、実子問題でね。フェミニズム観点で、つまり、子供を産める女ばかりではない、という観点で、ここでは散々語ってきた。
まさにそれなのだ。リンコさんは産まれた時は男性性だけれど、心が女性、今は“工事”もして、身体も女性。でも、“産まれた時”が災いして、子供は産めない。
子供が産めない女、というのは、同じなのだ。不妊症とか、高齢とか、理由は違えど。なのに、“産まれた時”というスタートで判断され、「あなたは母親にはなれない」と、“同じ女”であるトモの母親は、言うのだ。
それは、トモの母親が、“同じ女”だと、リンコさんのことを思っていないからだ。トモを産んだそのことだけで、優位に立っていると、私は母親なんだと、思っているからなのだ。

リンコさんは、トモが可愛くて仕方ない。もともとマキオもだらしのない姉の元で苦労しているトモを不憫に思っていた。リンコさんはまだ戸籍は男性のままだけれど、“煩悩”を昇華できれば、戸籍を女性に変更しようと思っている。
それが、タイトルにもある編み物で、カラフルな毛糸で編んで綿を詰め込んだ“チンコ”を108個作り上げた暁には、それを燃やして晴れて女として戸籍を変えようと思っている。そして……「そうなったら、マキオと結婚できるかな。そうしたら、トモちゃんのママになれるかな」

母性というのは、時になんと残酷なのだろうと思う。リンコさんのこの台詞を聞いた時、きっとこれは、叶えられないだろうと、思ったのだ。それは……それをあっさりと叶えてハッピーエンドに出来るほどには日本は成熟していない(つーか、未熟すぎる)。
これを叶えてハッピーエンドにしてしまったら、おとぎ話か、あるいは、この母親を記号的にただ断罪するだけになってしまって、根本的な日本の社会の未熟さをスルーしてしまうだけになると、思ったのだ。

だから、凄く凄く哀しいけど、リンコさんの願いがかなえられなかったことに、納得がいったのであった。トモはリンコさんのことが大好きで、リンコさんのことが大好きなマキオのことも大好きで、だから、彼らが正式に結婚して、トモを引き取る、っていうの、ハッキリとトモ自身の気持ちが語られる訳じゃなかったけど、絶対絶対、嬉しかったはず。
でも……ああ、なんで、血のしがらみって、こんな、ついてまわるの。そんなに大事なの。ママが帰ってくる。まあつまり、男に捨てられて。

トモを引き取りたいというマキオとリンコ、殊更にリンコさんにひどい言葉を浴びせる。あなたは母親になれない、生理の時に教えられるのか、ブラジャーを選べるのか、と。そんなん、私は母親に教えられた記憶ないですけどー!
親に、家族に求めるのは愛であり理解であって、そんな、友達からの情報やら、今ならネットやらで調べればつらっと出てくるようなもん、全然重要じゃない、子供をなめんなっつーの!!大体、おめーはそれを教える気あったのか、それにそれは、父子家庭を完全否定してるし!!

でも、トモはやっぱり、ママのことが、好きなのか、あるいは、捨てられないのか。リンコさんとマキオが大好きでも、それは単に自分が居心地いいだけで、それがママを捨てて彼らの家族となるにはわがまま過ぎると思ってしまうからなのか。自分がいなければ、ママは一人になってしまうと思うからなのか。
一人にしてしまえ!!大人なんだから。子供は自分が幸せになることを第一に考えるべき!……そう思うけど、でも、そういうことじゃないのか……なんて家族って、やっかいなの。

それでもトモは、まず母親を帰した。最後の夜、リンコさんのお布団の中にもぐりこんで、彼女にかき抱かれて眠るトモ、その切なさ。
そうそう、そうそう、こんな、忘れられないエピソードがあった。偏見タップリのカイの母親のチクリによってであろう、「好ましくない生育環境」として通告され、児童相談所のスタッフが訪ねてきた。
あの、薄暗い部屋の雰囲気、固い表情のスタッフ、それ以上にこわばったトモ、マキオ、リンコさん。ああ、こんなことで引き離されてしまうのかと、本当に胸が激痛であった。
でも、スタッフさん(江口のりこ、きゅきゅきゅん!)は、何より子供の気持ちを優先して、ソフトに聞いてくれた。それが、「腕を見せてくれる?どこか痛いところはない?」という……ソレ前提の問診であり、言わんとするところに気づいたトモが傷ついて、リンコさんに抱き寄せられてしくしく涙を流したとしても。

その二人を目にした江口のりこが、経験あるスタッフが、全てを察してくれた雰囲気だったのが救いではあったけれど、でもトモは日本的血のつながりに縛られて、自分にとっての幸福を投げ捨ててしまうのだもの。
それを、監督さんは厳しく糾弾していると思う。トモが去って、リンコさんは彼女が残したボロボロのタオルを顔に押しあてて泣きむせぶ。そっと、マキオがリンコさんを背後から抱きしめる。……今思い出しても、みるみる涙が出ちゃう。嗚咽が抑えられないほどの号泣しちゃう自信ある(爆)。

私にはね、あんまないからイマイチ判んない部分があるんだけど……女性性がどうしようもなく持っちゃう母性、それが神様によって容赦なく奪われているというこの事実。
オネエぐらいの理解しかなかった若い女の子たちの観客が超泣いちゃったのは、“同じ女”として響き合う母性から何からいろんなことをたまらなく感じ取ったからに他ならなく。
それをね……LGBTってさ、性差は関係ない筈なのに、やっぱり男性側の理解の方が足りないよねと思い、それってなんでなのかな、優越先入観が、やっぱりやっぱり、日本(だけじゃない気もするけど)にはあるせいかなとか思い……。

タイトルでもある編み物を、マキオも含めた“家族”三人でしんしんと進める静かなシーン、心傷ついたトモにリンコさんが糸電話で、女の子同士のナイショ話をするシーン。そんなふんわりしたシーンばかりでなく、「リンコさん、手術したチンコはどうしたの」「リサイクルするのよ。中身を出して、裏返して、穴に貼るの」「すげー!(すげーすげー……(と遠くエコー(爆笑!))」なんてことも!
リンコさんが世話する、施設に預けられたマキオの母親のりりィさんが(遺作(涙)。でもこれが遺作って、なんかじーんとする)、すっかりリンコさんに心を預けていることにも胸がいっぱいになる。
そこをちゃんとシンラツに「リンコ、あんたって、強運よね。相手の父親は死んでて、母親は……まあアレじゃない(オーイ!!)」とリンコさんの母親に言わせるところもヨイのよね。しかもこのお母さん、ちゃっかり若いイケメン(料理上手♪)と綿帽子姿で結婚シーンがあるあたりが!!★★★★★


河内カルメン
1966年 89分 日本 モノクロ
監督:鈴木清順 脚本:三木克巳
撮影:峰重義 音楽:小杉太一郎
出演:野川由美子 伊藤るり子 宮城千賀子 日野道夫 和田浩治 大辻伺郎 川地民夫 桑山正一 嵯峨善兵 松尾嘉代 和田悦子 加藤洋美 楠侑子 柳瀬志郎 横田陽子 島村謙次 深町真喜子 若葉めぐみ 森みどり 西原泰江

2017/4/13/木 劇場(神保町シアター)
なんか一見、あっかるく時にミュージカルかと思うほどに歌い踊ったりして、バラなんか加えちゃったりして!さすが鈴木清順の前衛的鮮烈ハデハデエンタテインメントだわ!とか思うが、実際は何これ、凄い話、凄い話!!凄惨といってもいいほど!!女の転落物語をなぜまあこんなに、アッケラカンとさくさく描けるのか……アゼン!
まずご登場はそう、いきなりバラをくわえてる。バーのホステスになってハバネラ歌いながらバラをくわえるならまだ判るが、工場に勤める女工さんが自転車乗りながらなぜバラをくわえる(爆)。ああ、なんかモノクロなのがもったいないわと思うが、これがカラーだったらその後の展開がもっともっとえげつないだろうか。

その女工さん、河内弁バリバリの露子が主人公。演じる野川由美子、主演映画を観るのは初のような。それでなくてもあまり今まで印象がなかったが、本作にはマジでぶっ飛ぶ。
彼女は一から十までとっても明るい。悩む時もあるけど、素直で、自分の感情に逆らわない。落ち込まない。

だってね、いきなり冒頭レイプよ、輪姦よ。工場の惣領息子、ぼん(名前はあるのだろーが、彼女がぼんとしか呼ばないから)と両想いなのに、それを妬んだ露子に岡惚れしている悪ガキどもが、えいさえいさと彼女を担ぎ上げていく。
この描写がさ、まるでギャグみたいなのよ。「俺はもう10年も前から目をつけてる。シーソーから転げ落ちて尻が丸出しになったところを見てから」などとゆー、ヘンタイ直前の悪童ども、その台詞の時点では笑っていられたが、「(惣領息子にとられないために)いい考えがある」と耳打ちしたのが、いい考えって……なんというキチクな!!
その場面が描写される訳じゃないけど、描写されちゃったらこの作品のカラーは全然違っちゃっただろうけど、それにしても最初からコレかよ!!

ズタボロになって帰ってくる露子は一瞬父親の前で泣き顔を見せるが、それも母親と生臭坊主がヤッてるところを見ちゃって目が覚める。責め立てると、「本当はあんたとヤリたいって言ったのを、私が受けたんだから。金をもらってるんだから」と悪びれない母親!
そして飲んだくれの父親はそれを黙認していることにもゼツボーして、露子は「うち、大阪に行く!!」トートツー!!
しかもその言い様が、まー、明るいったらないの。妹の仙子に風呂を焚かせて入りながら、雨に傘を差しながら、シンギングインザレインじゃないけど、なんかそんな感じのドラマティック!レイプされて母親が身体売ってて、笑顔で「ウチ大阪行く!」気持ちの流れと表情が合ってなーい!!

そして露子は大阪に出る。先にホステスをしていた同級生の紹介でバーに勤めるも、最初はその奔放な雰囲気にのまれっぱなし。だって客と振付みたいに次々チューしまくるし、スカートまくって生パンツで客の肩にまたがるし、現代の目から見てもあまりの奔放さにアゼン!!
まあ露子もあっという間に染まるんだけどね(爆)。それは一人の男がキッカケだった。同じ河内が在所だと言って話しかけてきた、いかにも冴えないオッサンの勘造。

結局はさ、それはウソだったのさ。そんなことをアッサリ信じるあたりがまだまだ露子は勘造言うところの「掘りたての女の子」だったのだろう。
私はね、この勘造にちょいとヤラれちゃったのだ。次々に男が現れるけれど、最後までこの勘造が忘れられず、彼と再会して露子が幸せになればいいのに、と思った。

酔った勢いで露子は勘造と連れ込み宿に行き、彼はそこで敏感に「掘りたてやないな、先に誰ぞにかじられてましたな」と察する。そこではそう言うけれど、勘造は結局は最後まで「あんたは、掘りたてでしたわ」と言ってくれるんだよね。それが泣けるの!!
カネがなくて店に入れなくて、ストーカーよろしく店の前でたちんぼ、すっかりあか抜けたホステスになった露子は「気持ち悪なって来たわ」とソデにし続けるのだけれど、ある雨の日、びしょ濡れの彼を見かねて家に招きいれる。

露子に会いに行くために会社の金を横領してクビになって、でもその額がケチくさくて「バカねえ、横領してクビになるなら、一千万ぐらいやれば良かったのに」と本気で呆れたように言う露子に爆笑!ホンマにそう思うわ、と情けなく笑う勘造にも爆笑!
それ以来、勘造はちゃっかり露子のアパートに居座り、まめまめしく家事をこなすのである。ずうずうしいんだけど、なんか、憎めないの!!

露子にチャンスがやってくる。偶然出会った友人がファッションモデルをやっている、露子もやらないかと誘いをかけてくるんである。さっそく足を運んでみると、その席をネラっている美女が美脚を揃えてゴロゴロ、ジロリと露子をにらむんである。
しかし“先生”と呼ばれるいかにもキャリアウーマンな洋子は露子を一目で気に入って、ホステスなんかやってたら男がいるでしょ。そういうことでダメになる子がいっぱいいるの。私の家にいらっしゃい。家賃もかからないでいいでしょ、と誘いをかける。

それ故勘造と切ない別れが訪れる訳で……この時さ、露子はいつものようにあっけらかんと出来ないのよ。掃除のジャマだと座布団ごと移動させられたりする可愛いギャグにホロリとする。別れを告げられても笑顔で、こういう時がいつか来ると思っていたから、本当に幸せだった、と言う勘造に、怒ってよ、じゃないと出ていけないじゃないの!!って、涙目でさ……。
露子は勘造のこと、本当に好きになってたと思うんだ。いや、いつでも出会った男には本気になっちゃうタイプなのかもしれんが(爆)。勘造が露子にこう言われて、背中を向けたままムリに怒った芝居して、それが「いくら言われても、別れたりせんぞ!!」ていうのがさ……ウソを装って言うのがすごーくすごーく切ないんだよー!!!

と、切なくなったのに、露子はあっけらかんと次のステージに。その洋子先生は実はゴリゴリのレズビアン、それを出入りのうさん臭いけど妙にイイ男の誠二から忠告されるも、信じがたい露子。しかしめっちゃゴリゴリに迫られる(爆)。
そもそも、胸にさらしを巻いている場面に遭遇して、……あれは洋子先生、わざと見せたんちゃうん(爆爆)、露子の退路を断って据わった目でじりじり迫る洋子先生、こ、コワイ!!

……でも洋子先生と誠二がセックスしていたような描写もあり、先生、バイセクシャル??なんかさらりと、この時代には刺激的な描写を用意してくるのねー!!
でもさ、誠二は洋子先生のことを注意するようには言うけれども、凄く理解してる感じなのよね。「あの先生は、本気で男になろうと頑張ってるから」……なかなかいいヤツなんだよなあ。今の時代のLGBTに無理解な世間に聞かせたい……。

洋子先生の元を逃げ出す露子。このシークエンスもかなりドキドキ。マジでやられちゃうのかと思った……(汗)。心配して飛び込もうとした誠二の脇を涼しい顔で、ドレスアップしてすり抜ける露子。いつの間にそんな余裕があったのやら??
露子はそのまま誠二の部屋に転がり込む。アクリル板に殴り描きの絵を描いてみたり、いかにも遊び人といった感じの誠二に「どうせ、セックスするんでしょ。でも私、セックスってあまり好きじゃない」と、なぜだか彼にはそんな風にあからさまなことも素直になれるんである。いや、露子はすべてにおいて素直か(爆)。

誠二は意外にも、露子とセックスしない。洋子にキスされた露子に洗ってやるとばかりにキスはするけれども、それ以上はない。
そのキスに露子が、もうすっかりこなれた女の顔で、気持ちイイワ、てな返しをするのにはどっひゃー!!なのだけれど!……最初からあっけらかんとはしていたけれど、露子が都会の大人のしたたかな女になっていく様がスピーディーすぎて!!

そして、露子はぼんと再会してしまうんである。甘酸っぱい初恋が再燃する。彼の部屋に転がり込む。ぼんといえどもうぼんではなく、工場は潰れ彼は大学もやめている。転がり込んだ部屋は、露子も驚きを隠せないほどのボロなんである。
誠二の方が本当のボンボンだったよなー、いや彼は自分の才覚でこの生活を手に入れているんだから違うか。つまりはぼんは、自分の力では結局は生きていけないのか。

ぼんは、故郷の山を掘って温泉を当てるという夢を持っている。誠二はその話を露子から聞いて「山師か」と即座に言い当てる。まさにその通りなのだが、露子は「そんな言い方せんで」と言う。そんな言い方て。それ以外にどう言えばいいのだ。
スポンサーが見つからないことにぼんは苛立つ。そらそーだ。何の根拠もない、個人的確信だけで出資者なんて現れるもんか。見かねた誠二が露子に「金になる話」を持ってくる。つまり、金持ちの金貸しのメカケになるっつー話である。

このあたり誠二もなかなかにしたたかである。この話にどこか彼自身のメリットを感じたからこそ持ち掛けたに違いない。勿論露子もそれは判っていたに違いない。
ただ一人判ってないのはぼんであり、その話を受けてくれと言った時点でもうオマエに何を言う資格もないのに、「俺の女をメカケにしやがって」と脅しをかけて金を巻き上げようとするんである。
あ、あ、アホかー!!ぶち壊しっつーか、前提丸つぶれっつーか!!何のために露子はこんな……だから、ああ、あんなことになっちゃう!!

てゆーか、この場面のためにぼんはアホを演じたような気がするが。この金貸しのおっちゃんはヘンタイと金儲け主義がプロフェッショナルのようなお方で、露子を囲っても手出ししなかったのだ。ただ、ハダカで歩いているのを見たい、毎日それをしてくれればいいという、ありがたいようななんというか(爆)。
でもそれをぼんが怒らせちゃった、というか、それで金儲けのネタをおっちゃん、思いついちゃったということかなあ。

ある日露子は時代がかった和服とカツラをつけられて、ある一室に連れてこられた。そこに現れたのが忍者姿のぼん!パッカー!!と当てられた無数のライト!ああこの感じ、鈴木清順!!
つまりはこのしたたかなオヤジは、メカケと間男をヤラせてその様子をフィルムに収めて売りさばこうと画策したのだ。な、なんという!!商売っ気というかなんというか!!
……でもそう思うと、露子はとてもおっちゃんに気に入られていたというけれど、女として惚れられてたちゅーことじゃなかったってことだよなあ。それを考えると、ただ一人そうだった勘造が思い浮かんで……ああ、切なーい!

おっちゃんはそのフィルムを売りさばくために飛んだ飛行機がなんと事故に遭って、この世にバイバイ。誠二が露子のためにマンションの権利書を確保していたから、何不自由ない生活を続けられたんだけれど、露子は「売ってしまって!!」と叫ぶ。
ぼんが、闇社会で消されたのだ。バカなヤツ。何の力もないくせに、過信して、堕ちた。露子は誠二が即売してくれた売却金を持って故郷に帰る。
誠二はイイヤツだった。露子が「恋人としてはイマイチだけど、親友としては最高」と言うのが、凄くしっくりとくるのだ。なんだか、なんとも嬉しい言葉。男と女はセックスするしかないなんてことは、ないのだよ!

帰った故郷でまた一波乱。お父ちゃんが死んで、お母ちゃんが悲嘆に暮れている。カイショがないとくさして、他の男に身体を売っていたくせに、案外ラブだったのね、と見直したのもつかの間、これで葬式を、と露子が差し出した大金に目の色を変える。
更に、お母ちゃんの代わりに妹の仙子があの生臭坊主の餌食になっていることが明らかになり、露子は顔色を失うんである。生臭坊主が「忘れ物やどー!」とブラジャーをぶんぶん振り回しながらご登場という、もう目も当てられない状況!
仙子。まだまだあどけないような顔だちの。なのになのに、生臭坊主は「最近は向こうから来よる」と。それを彼女も否定しないのだ。金のためとハッキリ言ってよ。きっとそうでしょ。そう言ってよ!!

露子は生臭坊主を山へと誘い出す。あの温泉の話をエサにしてはいたが、自分の身体を狙ってくることぐらいは、予測していたに違いない。てゆーか、その前に露子の指に光る、いかにも高そうな指輪をネラってくるあたりが、こ、こ、このクソ坊主―!!と思うんである。エロ坊主ならそれだけで満足してろ!!
断崖絶壁、目もくらむ滝つぼ、勿論合成やミニチュアなのだろうが、見事なスリリングのカッティング、生臭坊主は滝つぼへと真っ逆さま。

露子はぶるぶる震えながら帰宅する。母親はその話を聞いてうろたえる。なんか、坊主の死にこそショックを受けているようなのが、ショックなんである!!
死んだのよ、死んだのよ、お母さん!!そう言っても、家を飛び出して探しに行く母親。……報われない死んだお父さん。露子はその戒名に手を合わし、また家を出て行った。

どんだけ強いの、露子さん。「まだまだいい男に出会える気がします!」と誠二にポジティブ100パーセントの手紙を送り、大都会で笑顔で闊歩する彼女でエンディング。つ、強すぎる!!
とにかく楽しく、たくましい女の生きざま。歌うわ踊るわ、パンツ見せるわ!もうちょっと落ち込めよと言いたいぐらい!!★★★★★


彼女がその名を知らない鳥たち
2017年 123分 日本 カラー
監督:白石和彌 脚本:浅野妙子
撮影:灰原隆裕 音楽:大間々昂
出演:蒼井優 阿部サダヲ 松坂桃李 村川絵梨 赤堀雅秋 赤澤ムック 中嶋しゅう 竹野内豊

2017/10/29/日 劇場(TOHOシネマズ錦糸町)
もう、ものすごく、圧倒された。沼田まほかる氏は今年続けざまの映画化で、この前の「ユリゴコロ」はミステリチックなところもあったから原作との違いがやけに気になったりもしたのだが(読んでもないのに……)、本作に関しては、もうそんなことを思いつく暇もないぐらいだった。
すべての役者が素晴らしいのだが、やはり蒼井優嬢のあまりの圧倒的さに言葉を失う。彼女がべらぼうに上手い役者だというのは判っているのだが、この十和子役は文句のつけようもないホームラン、久々に賞獲りにガンガン絡んでいくに違いない!と胸が躍るんである。まぁ、賞を獲るために芝居をしている訳でもないだろうが……でもこれほどの人が、なぜかここんとこ縁がなかったからさ!

まぁ、不満はある。彼女ほどの人がなぜだかおっぱいを死守すること。しかもこの役で、おっぱい以外はヌレヌレなのに、ここは、この役では、出してほしかったなぁー。
ずっとずっと、蒼井優嬢はいつ思い切るのだろ、そもそもそんなことこだわりそうにないのに……と思ってて、これほどの作品でこれほどの芝居をしてもそこはダメなのかということにかなりの失望を覚えてしまった。うぅ、でもそこにとどまってしまってはあまりにもったいないほどの力作だから、もう私の不毛な不満はここまでにする!

と、いう訳で(?)、蒼井優、なのである。彼女はとっても可愛くてイイ女なのに、なんでこうも、こういう、恋愛体質粘着体質、メンドクサイ女が似合うのだろう。「オーバー・フェンス」とかさ、こういう女優は同じ年代では彼女以外にはちょっと思いつかない。いや、演じている女優さんはいくらでもいるけれど、それを肌に密着するような浸透感覚で、ああ、やだやだ、こういう女!と思わせる人は、彼女以外にちょっと思いつかない。
不思議不思議。凄く凄く可愛い女の子なのに。いや、女の子なんていう年齢じゃなかった、もう大人の女なのだ。でもそこに、ひどく危うい少女性を持ち合わせているから、なんか混乱させられてしまうのだ。

夫の陣冶はそんな十和子を偏愛している。奥さんが可愛くて心配でたまらない。もはやストーカーよろしく密すぎる連絡と、直帰で帰って彼女のために夕食を作る。ひどく庶民的な、安かったから買うてきたで、と天ぷらをぶらさげてうどんをゆで、十和子の好きなシチュー作ってるやんか!とじゃがいもの皮をむいたり。
でも十和子はこの不潔で下品な夫が辛抱たまらんのだ。夫婦なのにセックスも拒否するぐらい。だって、他のイイ男に目が行っちゃうから。てか昔の男に未練があるから。そしてその昔の男の面影を宿す今の男にも溺れ切っちゃってるから。

たった一つ、陣冶との色っぽい場面は、十和子は他の男のことを夢想して、してほしいアピールをするのだ。「してほしいんやったら、素直にそう言えばええのに」と陣冶はしかし、指で彼女だけをイかせる。この時の蒼井優嬢の、桜色に上気した顔で息も絶え絶えのヤバさときたら!!
……なのに、「陣冶は……?」「オレはいいんや。自分でするから」えーっ!!!そそそんな!十和子は劇中、ウワキ相手の水島に、夜とはいえ外でフェラまでしちゃるのに、ひどーい!!……てゆーか、陣冶、切なすぎる……。

陣冶を演じるのが阿部サダヲ。彼にもビックリ仰天である。いや、今までそういうシリアスを演じていなかった訳ではない。でも今回は、本当に凄い。なかなか阿部サダヲの面影を探すのが難しいぐらいである。いやいや、確かに阿部サダヲなんだけど。小柄な体と声は確かにそうなんだけど。
肉体労働だからというにはあまりにも汚れすぎている陣冶、日焼けというにもムリがあるほど真っ黒で、歯も黄色く汚れてて、食事のたびに食卓で奥歯(差し歯なんだろうな)を取り出す。食事を作ってくれるのはいいが出来合いの安っぽさがなんとも言えず、外に食べに行こか、というといかにもきったない、自分で店のレンジを使ってあっためるような大衆食堂なんである。

いかにもプライドの高そうな十和子が、なぜ陣冶のような男と一緒にいるのか。確かに十和子のことをめっちゃ愛しているのは伝わってくるけれど、それこそうっとうしいぐらいの愛だし、割と早い段階でそれなりにイイ男を吊り上げるような女なんだから、なぜなぜ?と最初は思ってた。
めちゃくちゃイヤな女ではあるけれども、男好きのする、というのはこういう女のことだよな、というのを蒼井優嬢が完璧に体現していたし。

そう、めちゃくちゃイヤな女。ヒモ女でクレーマー。……女性の場合もヒモと言うんだろうか……というのこそ、男女差別かもとフェミニズム野郎は思ったりするが、フェミニズム思想からいえばちょっとねじれているだろうか。
トーリ君演じる水島と出会うきっかけとなる、時計の修理をねちこくクレーム入れる冒頭から始まり、借りたDVDが途中で止まってしまうのを「ここまで見た私の時間をどうしてくれるのかって言ってるんですよ」とレンタル店のカウンターでごねまくるクレーマー女のイヤーな生々しさ!ああ、蒼井優嬢、凄く可愛くて大好きだけど、キライになりそうなぐらい、イヤな女(爆)。

水島を演じるトーリ君にはかなり、瞠目した。奇しくも沼田まほかる氏原作に連投の彼、前作は頑張ってる感が強かった気がしたが、本作の水島の、口先だけの感じだけどこれに女が騙されちゃう感じがうわーっ!!って感じで!
クレーム入れた十和子のところに替わりの時計を持っていくも、十和子だからさ、やっぱりごねまくって、泣きだしちゃったりして、計算づくでね!つまり、その計算づくに乗っかったのかと思ったのだ、まさかのキス!「すいません、これしか方法がないように思って」だなんて!

でも違うのだ。彼は十和子よりずっとずっとウワテだったのだ。僕たちが出会ったのは運命だなんて安っぽい言葉、なぜ信じちゃうの。だからだから、ダメなんだよ、十和子!
お互い結婚している同志、でも同居人みたいな感じ、という十和子に乗っかって「同じだな……」ということが、彼発信の言葉じゃないというのがなぜ判らないの。
彼との関係が陣冶にバレ、水島の方が腰が引けて十和子を糾弾するようになってもまだ彼女には判らないのだ。彼が自分で探して選んだといってうやうやしく箱入りで差し出した替わりの時計が、露天売りの3000円しかしない安ものだったと判ってさえ!!

でね、多分、もともとの時計は、十和子にとっての大本命、黒崎からのプレゼントだったのだろう。黒崎を演じるのは竹野内豊。うわーうわー、完璧すぎる布陣!
現在の時間軸では既に黒崎は元カレというよりもずっとずっと過去の人。十和子とひどい別れ方をして……顔とあばらを折られての結末で、だから十和子の姉はひどく怒って、今でも黒崎に執着している妹を叱責するぐらいだったのだった。

姉は十和子が黒崎とヨリを戻すんじゃないかと心配しているんだけれど、あれだけ嫉妬深い陣冶が、それだけはないから、というあたりから不穏な空気が漂い出す。そして、心が弱くなった十和子がふと黒崎の携帯にかけてしまったことから運命が回り出す。
十和子には、黒崎からの甘い言葉が聞こえていた。でも、観客には、もう非現実的な空間が広がっていた。電話で話した先の黒崎は、バケーション的な白い砂浜にいて、そこに十和子も電話の先から彼に飛び込んでいく。違う違う、これは現実じゃないと一目でわかるのだけれど、十和子は、判ってない。

警察がやってくる。あなたがかけた黒崎さんは何年も前に失踪しているんですという。呆然とする十和子は、黒崎の妻に会いにいく。妻は意外に冷静に、彼は殺されているんじゃないかと言う。
そこに現れた、黒崎の妻の叔父という老人に、十和子はひどく狼狽するのだ。君の肌が忘れられないと、この老人、国枝は言った……。

黒崎が、自分の保身のために十和子の身体をこの老人に差し出し、そして彼女を捨て、十和子の逆上によって殺されてしまう、その罪を、陣冶がかぶったという、図式。判ってしまえば、なんだかすんなりと、ああそうか……と思ってしまう。それ以外にない、それ以外にないのだ、と、諦めのように呟いてしまう。
十和子の女としての愚かさ加減、そんな十和子をどうしようもなく愛しているがためにすべてをひっかぶってしまう陣冶の愚かさ加減、やりきれないのか、そのことに満足しているのか、もう、判らなくなってしまう!!

十和子はね、自分が、自分こそが黒崎を殺したことを、そのショック状態でころりと忘れてしまったのだ。あまりの事態に陣冶に助けを求めたのに、それも含めてコロリと忘れてしまったのだ。そのことを陣冶は、ああ、神様、ありがとう、感謝しますと思ったというのだ。愛する十和子にそんな辛い思いを忘れさせてくれてありがとうと。
それだけでもあぜんとするほどの愛だが、バカな十和子、陣冶が黒崎を殺したんじゃないかって、それで水島も危険なんじゃないかって、彼を問い詰め、水島の正体がバレ、十和子自身の本性も現れちゃって、思い出すのだ。今、水島にフルーツナイフ(ってあたりが、愚か!)を振り下ろしたその時と同じく、黒崎をメッタ刺しして、殺したのが自分だったんだって!!

蒼井優、蒼井優、なんて凄い女優なの。それでなくても涙が真の湿度を持つ唯一無二の女優!
だが、やばかった、このクライマックスは。愛、というのは簡単だし、何を定義して愛と言うべきなのかというのはここでもよく考えることなのだが、もう、愛というしかないと思った、陣冶の十和子への想いは。

急速に、時間が巻き戻る。陣冶が十和子を見初めた頃にさかのぼる。まさにこの時、黒崎に手ひどく捨てられた時。顔面とあばらを骨折して痛々しい姿、取引先の陣冶にお茶を出した十和子、そんな姿なのに、陣冶は一目で惹かれた。
この時にはまだ陣冶は、ちょっとは小綺麗に見えた、のは、その後十和子との生活で、彼女に見捨てられないように必死こいて働いたゆえのアレだったんだろうか。年若い十和子に、アブないと思われるぐらいのアタックを繰り返した。

黒崎=竹野内豊、水島=トーリ君の美しき男たちで一目瞭然、十和子はメンクイでしかも、ホレられるんじゃなくて、遊ばれる、っつーか、利用される、っつーか、ヤラれて終わりなのを恋愛とカン違いするようなイタい女なのだよね、つまり。
つまりつまり、うぬぼれていた十和子にとって、陣冶はどういう存在だったのか。本当はこの人だって、判ってたのに、安心感というか保険というか、そんな位置に置いていたのか。去られて初めて、この人を愛していると、判ったのか。

去られて、じゃないよ。死んでしまって、だよ!!やだ、やだこんな結末!!水島に切りつけたことで黒崎を殺したことを思い出し、それでも生きて行かなきゃいけないんだと、泣きじゃくる十和子の頭をかき抱く陣冶に、阿部サダヲに胸がキューン、どころか、ギューン!ときた。なぜ、なぜなぜ、この人だってこと、今まで判らなかったんだよ、バカ十和子!
種無しだという陣冶は、十和子との間に子供を作ることが出来なかった。今自分が死んで、十和子のお腹の中に赤ちゃんとなって入る。だからあんなつるりとした顔の男じゃなくて、本当にイイ男と子供を作れ、と言って、陣冶は高台のフェンスから身を投じるのだ。
なんで、なんでなんでなんで!!涙でぐしゃぐしゃになった十和子の目に飛び込んでくるのは、最初は数羽からザーーーッ!と飛び立っていく、「彼女がその名を知らない鳥たち」

おっぱいが見られなかったのは残念だが(爆)、間違いなく蒼井優嬢が素晴らしい、賞賛されるべき芝居、もちろん作品自体も。こんなに素晴らしすぎるから、逆に原作読む気が失せるほど(爆)。
いやいや、そんなこと言っちゃ、原作、ひいては小説に対して失礼だけど、それぐらい、もうなんつーか……素晴らしかった!★★★★★


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