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「あ」


2017年鑑賞作品

あゝ、荒野 前篇
2017年 分 日本 
監督:岸善幸 脚本:港岳彦 岸善幸
撮影:夏海光造 音楽:岩代太郎
出演:菅田将暉 ヤン・イクチュン 木下あかり モロ師岡 高橋和也 今野杏南 山田裕貴 河井青葉 前原滉 萩原利久 小林且弥 川口覚 山本浩司 鈴木卓爾 山中崇 でんでん 木村多江 ユースケ・サンタマリア

2017/11/23/木 CS放送
いつの間にやら前編が公開されてて、もう上映機会もわずかだった。オーノー!と思ったら、公開中にもかかわらずCSで“全六話”で放送されるという。うーんうーん、こういう時代になったのだなぁと思い、迷ったが、結局楽な方を選択(爆)。
通常の自分ならば前後編あるというだけで選択肢から外しそうになるほどめんどくさがり屋なのだが、寺山修司、ヤン・イクチュンという名前にどうしても捨てきれなかった。菅田君は若干出過ぎのような気もするが(爆)、確かにこの若手の中では頭一つ抜けて凄い役者には違いない。国籍だけでなく、年の離れた役者二人の化学反応にも興味があった。

前後編で公開されているというんだから、全六話の内まずは三話までを鑑賞。寺山の原作は未読だし、大胆に改変しているということなのだから、もう最初からそれは頭から振り払って観ようと思ったが、ボクシングというのは当然、寺山よねと思って、やっぱりついつい気になる。いずれ原作を読んでみようとは思うが……。
ヤン・イクチュンは、そんな寺山の匂いがする役者、というか、男。そんな気がする。なんとはなしの田舎臭さ、朴訥な感じ、でもその中に鋭く熱いものを持っていて、それを自分の理性で抑え込もうとしている感じ。
「息もできない」以来、ちょくちょく日本映画に呼ばれるのが、そういう交流が嬉しいと思う。それは、あの作品が間違いなく日本の映画ファンの、クリエイターたちの心を打ったからに他ならないから。

ヤン・イクチュンはどもりのある韓国と日本のハーフという役柄。ちょっとなるほどと思ってしまったりする。日本語に不自由はないけれど、言葉は上手く話せない、というのだったらキャスティングにも不自然はないもの。
……などと思ってしまうのはいけないのだろうか??でも難しいよね、ハリウッドに進出というとかいう話になると必ずネイティブ英語の壁の話になるんだもん。

まぁ、それはおいといて。で、その彼が演じるのは、日本人の父親と共にただれた暮らしをしている床屋さんの建二。で、菅田君が演じるのが、登場は少年院出所直後、振り込め詐欺グループの仕事を再開しようとしたが仲間から断られ逆上する新次。二人はあやしげな、というか軽いノリでボクシングの練習生を勧誘している堀口の元に身を寄せる。というのも、二人とも、もう行き場がなかったから。
新次は“友達”ももういない状態だったし、建二は酒ばかり飲んで暴れる父親をもう扱いきれなくなっていた。新次には家族もいなかった。父は自殺し、母に教会に捨てられた過去があった。つまり二人は、親に捨てられ、親を捨てたという者同士。

この物語が、東京オリンピック後だというのを解説を見て初めて知る。えー、そんな年代のこととか、言っていたっけ……。その意味合いは正直あまり判んなかったけど(爆)。
新次は捕まった時に仲間の一人を半身不随にした、裕二を憎んでいる。裕二は今、足を洗ってプロボクサーとして日々過ごしている。半身不随にした相手にも「許してもらった」と神妙な顔で言うのが、新次のカンに触るんである。
それだけ、誰かを憎んでボクシングをやる意味と動悸が彼には充分にある。建二の方は、誰かを憎むということがどうしてもできない。対戦相手を偵察に行って体よく追い払われ、写真をじっと眺めても、臆するばかり、なんである。堀口が二人のために雇った老練のトレーナーからも、建二は怒られてばっかりである。一方新次は華々しいデビュー戦勝利を飾る。

このあたりが、後編でどうなるのかなぁ、とちょっと不穏に感じる空気である。なんたってヤン・イクチュンだから、その中の熱い空気がこのままでは済まされない雰囲気がビンビンに伝わる。
新次は凄く、判りやすいのよ。そこんところを実際に若い菅田君もまっすぐに表現している。触れればやけどしそうな、怒りと憎しみでパンパンになった男の子。
それなりの過去もあるけれど基本は単純、純粋、出会ってヤリまくって金を持ち逃げされた女の子、芳子に再会し、怒りながらも「じゃぁデートしてくれよ」なんて申し込む、人生を変えて、ボクシングに打ち込もうと思う、彼女もまともな人生を送ってほしいと願う、そんな、これまでの過程を思えばちょっと信じられないぐらい、ひとまずは更生の気持ちにまっすぐに向く男の子なんである。一方でかつての仲間を殺すほど憎んでいるにしても。

この芳子を演じる木下あかり嬢、えー、ぜーったい観たことある、どこでどこで!と思ったら思いがけない作品だった。彼女がデビューだったという「ヤギ、おまえのせいだ」あれか!!!併映作品だったのになぁ!ああ、こういう時、頑張って足を運んで良かったとホントに思っちゃう。
ヤン・イクチュンが出ているせいでもないけれど、なんとなく韓国風味の女の子の顔かなぁ、なんて思って見ていた。それが薄幸そうだけれどむやみに強くて明るい、みたいな、独特の雰囲気を出してて、イイんである。臆せずおっぱい出して、菅田君とガンガン絡むのが小気味いい。女優はこうでなきゃネと思う。

建二の方は、臆病と言えるほど優しいから逆に怖い、怖いんだよなあ……。彼が“捨てた”父親は、その後自殺志願のホームレスとなって、怪しげな(これはハッキリと怪しげ)大学サークルの研究対象として拾われちゃう。
自殺防止を恭しく掲げてはいるけれど、その主催者の男子学生は明らかに自殺を、美しく、弱き者が強き者に対抗する唯一の手段としてとらえているアブない目をしている。このキツネ目の感じが怖いなあ。本気でこの活動に参加している女子学生をカウンセラーめいた言葉巧みにヤッちゃうあたりとか、なんか凄く、怖いんだよ!!

で、自殺志願者をあつめて、公開自殺イベントを画策する。彼自身、弟が自殺してその遺品が自動自殺装置であるドローンだとか言ってるが、実は「弟さん、生きてますよね」と女子学生に暴露されるところで震撼する。
彼は、死にたい死にたいと言いながらちっとも死なない人間たちに苛立っていたんじゃないのか。本当に、本気で死にたいと、それも、彼の掲げる“強き者に対抗するための唯一の、美しい手段”として、積極的に思っていたのは、彼だけだったんじゃないか。本当の意味で、死にたい、という思いは、それほどの強い思いは、そういうことでなければいけないと、彼は言いたかったんじゃないか。

結局は怖気づいてみんな死から逃れ、集まった観客から罵倒されて、その中で彼は公開自殺を決行する。この場面がこの前編作品の中で、最も衝撃的な場面である。もはや、菅田君もヤン・イクチュンも忘れちゃう(爆)。
このエピソードは前編で終わりなのかなあ。これはとっても現代を象徴するエピソードだよね。まるで予言するように……ついこの間、自殺サイトで出会った人間を何人も殺したという事件が起きたばかりなんだもの。本当に、予言したみたいで……。

新次は自分を捨てた母親に再会する。こんな偶然あるのかと思う。……というのは、映画を観てれば折々感じることではある。その母親が勤めている先の社長がボクシングジムの経営者で、この社長がのぞき趣味でオナッているところに遭遇してイジリ倒した、なんていうのも、そんな偶然あるのかよ……と思ってしまう。
まぁとにかく、このムダに色っぽい秘書、つまりこのエロ社長とも当然関係を持っているとクソ判っちゃう京子さんが、新次の母親、なんである。最初はエロ社長に伴われてつまらなそうに試合観戦に来た彼女が、自分の息子と判ってそれ以降、痛々しいほどに献身的に息子に尽くそうとする。それを冷たく払う新次。それも後半、どうなるのか。

もちろん、スクリーンで観たかったとは思うが、この多チャンネル時代に感謝。さて後編はどうなるのか!★★★☆☆


あゝ、荒野 後篇
2017年 分 日本 
監督:岸善幸 脚本:港岳彦 岸善幸
撮影:夏海光造 音楽:岩代太郎
出演:菅田将暉 ヤン・イクチュン 木下あかり モロ師岡 高橋和也 今野杏南 山田裕貴 河井青葉 前原滉 萩原利久 小林且弥 川口覚 山本浩司 鈴木卓爾 山中崇 でんでん 木村多江 ユースケ・サンタマリア

2017/12/3/日 CS放送
えーっ!ちょっと待ってちょっと待って、このラストはダメでしょう!いや、ダメじゃないのか、でもそんなそんな、そんなことって、うっそー! ……と、もうオチバレ必死の書き方をしてはいけない。ああでも、このラストに向かっていかなければいけないの。哀しすぎる……。

前篇、後篇とあるとヤハリどうしても比重は後篇の方に重く重く傾く。こうして後篇を(とゆーか、残り三話を)見てしまうと、前篇はこのラストに向かっていく哀しき前フリに過ぎないという気がしている。
新宿新次とバリカン建二、この二人はもうこうなったら恋人以上の思いで結ばれていたのか。同志、ライバル、尊敬、信頼、どの言葉も当てはまらない。こぶしを交えて、肉体をぶつからせて、血だらけになって初めて、彼らの絆が証明されるのか。

絆、という言葉ももう昨今は使い古されて、価値が薄くなっている気がする。劇中それよりも頻繁に使われるのはつながる、という言葉。それもかなり使い古されてきてはいたと思ったが、それをラストにこういう形で示されると、それこそ激しく殴られたようなショックを受ける。
建二はそんなに新次が好きだったの。それはこの形でしか出来なかったの。新次もきっと同じで、建二の望みをかなえる形で……。

あぁ、どうやってたどり着いたらいいのだろう。後篇の物語は、新次と建二の別れが中盤に訪れ、そこから先は加速度的にあのラストへと転がっていく感じ。
ただ、本作にはかなり社会派な部分があって、前篇では自殺防止を掲げながら自殺という美しき抵抗を実践した、大学生たちのショッキングなシークエンスが並行して描かれていた。後篇では、そんな風にリーダーに突然去られた残りの学生たちの姿がぽつりぽつりと描かれ、一方で、徴兵がイヤなら介護につけという法案が若者をゆるがし、デモ行進が行われていたりする。

この法案に関しては、前篇の時点でちらりちらりと聞こえていたような気はする。建二の父親が自衛隊員で、派兵先でのパワハラで隊員を自殺に追い込んでいる。それが新次の父親だったという、ありえないほどの偶然の縁(これが本作の中には蔓延していて、ちょっと興ざめしちゃう部分でもある)。
自殺防止活動をしていた学生は、一人は建二の父親の面倒を見つつ、自衛隊に入ろうと考えている。一人は、自殺したリーダーの子供をお腹に宿し、流産してしまうという場面を建二が病院に運び込む。

前者の彼は、建二の試合に末期がんで余命いくばくもない父親を、デモ行進の中をかき分けながら連れていく。後者の彼女は、建二に想いを寄せ……たのかどうかは判らない、ただ単に、感謝の想いなのか、試合を見に来てその後、彼と“つながろう”とした。内気で臆病でどもり持ちの建二は、童貞だった。
なかなかに可愛い彼女。なのに彼は、おどおどと拒否したのだ。「あなたとは、つながれない」えーっ!なんでーっ!!と思ったが、出来ない、じゃなく、つながれない、という言い方にふと引っかかった。まさかそれが、あんなラストにつながっていくなんて。

ああ、とどまろうとしても、ついついラストが見えているもんだから。落ち着け、私。
新次の方はその闘争心が上手く作用して、試合も決まっていく。前篇から持ち越したのが、少年院にブチ込まれた際の因縁の相手。自分の仲間を半身不随にするまでボッコボコにしたヤツが、「許してもらったから」と善人ヅラしてボクサーとして成功しているのがぜえーったいに許せない、リングの上で正当に?ブチ殺す!!と誓っている裕二。
まず、この彼との対戦、ボクシングというより完全に挑発、ケンカ殺法のそれに、本当に殺してしまうかも……とハラハラする。後から思えばこれは完全に、前フリ、だったのであった。

そんなこと言っちゃったらもうオチバレバレだが(爆)、ボクシングをボクシングとして愛し、闘うのならば、ホントに憎い相手をリング上でブチ殺すことは、やっちゃいけない、というか、出来ないのだ。
負けを認めて去っていく裕二に「これでいいのかよ、本当にこれでいいのかよ??」と新次は噛みついた。彼の言葉の真意を上手くかみ砕くことはできないけど……半身不随にした相手に許しを請うて、金をためてスポンサーになろうとするためにボクシングをやっている、メチャクチャ美談だけど、なんだか違う、絶対に違う、そんなのはボクシングじゃない!!判んないけど、判んないけど……。

ひょっとしたら、そういうあたりが、ボクシングの魅力、なんていったらすっごく薄っぺらくなっちゃうけど、なんていうか、神髄というか、なぜ殴り合うのか、そこに何があるのか、というのを、原作の寺山修司も、そして本作も、追究しようとしているのかもしれない、と思う。
ここに出てくる登場人物は、肉親の愛に薄い人ばっかり。親に捨てられ、親を捨て、たった一人、この新宿という荒野に生きている。そんな一人一人が孤独の魂を持ち寄ってひと時のぬくもりを得ているけれども、でもやっぱり、一人、なのだ。

新次の恋人、恋人、にまでなり得ていたのかどうかさえアヤしいかもしれないと思う芳子。3.11後、仮設住宅に足が不自由になった母親を置いて飛び出してきた。
その時はいていた靴を携え、新次と建二と共に海に向かう。新次とだけじゃない、ってところが、そういうことだったのかなぁと思う。新次とは身体だけじゃなく心も分かち合ったとは思うけれど、でも多分、やっぱり違うのだ。

それは、新次の孤独もまた彼女には判り切れないのをどうしようもなく自覚してしまうから、そういうことなのだ。すべてを完璧に分かち合える訳ないのに。そうでなければ恋人だの夫婦だのになんてなれない。判らない部分もあるよね、と思わなければ、とても無理だ。
なのになのに……なんでこんなに純粋に追い求めるの。どこで芳子は彼の元を去ろうと思ったの。ただ一人になる。それだけなのに。

新次は建二の父親が、自分の父親の仇だと母親から知らされ、会うことになる。建二とバトルになるのかとヒヤヒヤしたが、父親と息子は違う、建二が苦しんでいることも汲み取って「関係ないよな」とつぶやき、建二の勤める床屋でマッサージをしてもらう場面が、なんかしみじみ胸に迫る。やっぱりさ、この二人は相思相愛なのだよ。だからこそあんな結末を迎えてしまうのだが……。
建二は結局、自分の父親が新次の父親を自殺に追い込んだことは、知らないまま、だったということなんだよね?もしそれを知ってしまったら、どうだったんだろう……。

兄貴兄貴と慕ってくる新次のことを、建二は本当に好きだった。本当に、まるで、恋するぐらい。闘争本能むき出しの新次の方が最初は完全に有望株で、建二はその才能を認められながらも、「チャンピオンになりたいんだろ?……でもそのためには新次に勝たなきゃダメか。ムリか」と言われちゃうぐらい。
新次との仲の良さ、建二の内気さ臆病さが、まさかそんな結末になるとは、思いもしなかった、のだ。

ボクシングジムが、閉鎖されちゃうのね。二代目の若いオーナーが、見限っちゃう。でもこのオーナーは、建二にはホレ込んじゃう。それこそまるで恋のように、ケンちゃん!と試合で声をからしたり、しちゃう。このしょぼくれたジムを潰して、建二を元日本チャンピオンが経営する立派なジムに移籍させちゃう。
なぜそんな誘いに建二が乗ったのか。それは……「新次と闘いたいから」同じジムにいると、そーゆーのも物理的に無理になるのだろうか。でもそれ以上に、新次と“つながる”ために、離れた感じが凄くして……。なんかちょっとエロティックかも!と思うぐらいの気持ちで……。

別れの手紙を、行きつけの、建二が一番落ち着く韓国居酒屋で、まっさらな便せんにしたためる。涙をこらえながら、でもこらえきれずにぽたぽた落としながら。
その前のシークエンスで、自分の思いをぶつけたノートを、黙って火にくべていた。絵の得意な建二は、新次のスケッチを何枚もそこに残していた。本当に愛のある、愛のある……。それもだまって破って、火にくべてしまう。何、何何何、これって、めっちゃ愛やんか!好き好きやんか!新次のこと、めちゃめちゃ愛してるやんか!!
新次との対戦をリクエストして、ボクシングで勝つためには相手を憎まなければ勝てない、壁いっぱいに新次の顔を荒々しく描いて、憎む!と書いて、シャドウボクシングして……でも、どんなに荒々しく描いても、それはたまらなく新次でさ、愛にあふれているのよ。

だからね、つまりね、この試合で新次は、もうボッコボコに建二を……言ってしまえば、殴り殺してしまう、訳。
ジムの閉鎖が決まった。コーチの堀口(ユースケ・サンタマリア、めっちゃ良かった!)も、トレーナーの馬場(でんでん)も、最後の日、静かに片付け、後にした。最後の試合。今の時点では、建二の方がずっと強い。新次に勝ち目はない筈だった。なのに……。

途中から、観客がすっといなくなる。誰もいない会場で、静寂の中で、そして建二の心の声だけが聞こえる中で、スローモーションで、凄絶な打ち合い、というか、新次が建二をただただ殴る、辛い辛い何分かが続く。観客もいないし、まるでファンタジーみたいだけど、でも死んじゃう、死んじゃう!!と思って見てられなくて、やめてやめて!!と思う。
野獣のようになった新次からのこぶしを、建二はただ、ただただ、受けるのだ。建二の心の中のカウントは70を超え、80を超え、90を超え……どうして止めないの、誰も止めないの!!だってここには誰もいない。誰もいない!!

……現実に戻ってくるまで、凄く時間がかかった。建二にホレこんだあの二代目が、必死にタオルを投げ込んだ。でももうろうとしながら建二は立っている。
二代目の意向でジムをたたみ、もう高飛びするしかない状態の宮本(高橋和也)が、「最後までやらせろ!!」と叫んだ。建二は立ち上がった。新次の最後の一発が見舞った。そして……。

新次は、介護施設で働かせてもらってて、そこももう閉鎖直前だったんだけど、おばあちゃんが、亡くなった。その遺体をおぶって、新次は歩いた。そのシーンの時は、亡くなっていたとは、よく判らなかった。病院に運ぶのかな、と思った。
でもストレッチャーに横たわると、顔まですっぽりと白い布で覆われてしまった。ドキリとした。この時、もう予感があったかも、しれない。

試合後、白い布で覆われるストレッチャー。うっそでしょー!!と思い、血だらけで呆然と控室の椅子に座り込んでいる新次にカメラがシフトする。
この時の顔は、表情は、一体、一体……。本当に殺したい相手は殺せなかったのに。大好きな相手を、……その想いを汲んで、ぶち殺した??そんな……。

菅田将暉、ヤン・イクチュン、国籍のみならず、年代がかなり違うこの二人の化学変化にドキドキしっぱなしだった。見事に肉体が変わっていく様にも本当にワクワクした。★★★★☆


暁の追跡
1950年 93分 日本 モノクロ
監督:市川崑 脚本:新藤兼人
撮影:横山実 音楽:飯田信夫
出演:池部良 杉葉子 水島道太郎 伊藤雄之助 田崎潤 野上千鶴子 江見俊太郎 三原純 菅井一郎 島田友三郎

2017/2/19/日 劇場(神保町シアター)
久々にモノクロ映画を観たせいか、めちゃくちゃ眠くて途中のかなり重要な経過をすっ飛ばす。ああ、ショック。
そうか、あの時池部良扮する石川は転職のための就活をしていたのか。で、殺人現場を目撃する、と。その殺人が、彼が関わった麻薬密売につながる、と。ああなんて重要なところをネムネムしてしまったのか。もう、クヤシーッ(涙)。
なんたって新藤兼人脚本ということに惹かれて、そして池部良主演で市川崑!なぜ私ネムネムになってしまったの(涙)。

石川は復員したてのおまわりさん。繁華街の交番勤務。まだスクリーンが狭いほどの時代、池部良の美男っぷりには実にホレボレとする。
この彼が後には貫禄をたたえて苦み走ったシブ美中年になるとはねえ、と思うほどの水も滴る美青年。どちらにしても美しいことには違いないが。
物語中盤、恋人(杉葉子)と海水浴デートなんてする場面もあって、スリムな海パン(不思議と古臭くない。デカパン型の海パンよりずっとイケてる)姿の鍛えられた身体に更にほれぼれとする。あー、やっぱり池部良はステキ!なんである。

彼は子持ちの警官の家庭の事情に同情して、夜番を替わってやり、規律を重んじる先輩の山口(水島道太郎)に、感情を優先するな、とクギを刺されたりする。
彼とは最後までこうした、警察官とはどうあるべきか、という部分で対立するが、それだけ警官であることに誇りを持っているという点では似た者同士であったのかもしれず、……山口は悪漢の銃弾に倒れるのだけれど、それだって、紙一重で、そうなったのは石川の方だったのかもしれないのだ。

……などと、感傷的になるのはまだ早い。そもそもちゃんと観れてなかったくせに(爆)。
前半しばらくは、おまわりさんライフといったものがちょっとコミカルに活写される。財布をすられたので帰りの交通費を貸してほしい、といういかにも調子のいい男とか。
思わず笑っちゃったのは、「おまわりさんは大変ですねぇ〜」みたいにご機嫌に絡んでくる酔っぱらいに抱きつかれてチューされまくる池部良!!もー、噴き出した!連れにずるずる引きずられても笑顔で去っていく酔っぱらいにも、ばしゃばしゃ顔を洗いまくる池部良にも爆笑!

んでね、一人の男が連行されてくる。取引現場を押さえたらしい。ちょっと見張っててくれと先輩に言われた時点でイヤーな予感がして、それが的中。
脱兎のごとく逃げ出した男、舟木を石川は必死に追う。高架を登ってまで逃げようとする男、迫りくる貨車。……そりゃあもう、な結末である。石川は自責の念と、目の前でぐしゃぐしゃになった肉体の記憶にうなされるんである。

そして、なんたってこーゆーまっすぐな気性のおまわりさんだから、同僚からはやめとけと笑われながらも、この男の家に焼香に向かうんである。
迎え出たのはいかにも疲れた感じの女房と、死んだ舟木の妹。いかにも貧民街といった感じのところで、女房はダンナに死なれたショックというより、稼ぎ頭を失ったショックという感じで、石川に対しても、はぁ、どうも、ご丁寧に、といった雰囲気。

噛みついてくるのは舟木の妹である。奥からフラフラと出てきた浴衣姿の彼女は、いかにも病弱でござい、といった風情。一家ともども、薄々は気づいていたんじゃないかと思う、この妹の台詞から察するに。
「ちょっとぐらい悪いことをしたからって何なの。本当に悪いヤツはノウノウとしているのに。今頃贅沢をして、人殺しだって平気でやっている」
そう、絶対、もうこの時点でこの妹、は知っていたよね、お兄ちゃんが何をやっていたかなんて。だってその後、生活を支えるために密売人の後を継いだんだもの。
てなことも、ネムネムでよく判んなかったんだけど(爆)。警官に嗅ぎつかれたから黒幕に殺されたのかしらんぐらいに思ってた(爆爆)。

麻薬、ってゆーか、劇中では毒薬、みたいな感じで語られていたような気がするけど。きちんと難しい名前も付与されてさ。
石川は舟木の妹から「弱いものをいじめるだけで、本当に悪い奴はつかまえない」みたいに責められて、恐らく彼の中でそれはなんとなく思うところでもあって、だからもう警官なんて辞めたいと思ったりして。

そうそう、労働争議の騒ぎに駆り出されるシーンが凄く象徴的なんだよね。おまわりさんとして弱い者の味方になりたいのに、こういう時には強者の側について弱者を排除しなければならない。
そもそも警察官は公僕、民衆のために働くべきではないのか、と思ってしまう矛盾に苦しむ石川。
で、転職活動をするにしても、でもそれって、結局はその問題から逃げ出している、ということなんだよね。恐らく彼もそれを薄々判っていたからこそ……何か乗り気になれなかったのだ。恋人との結婚話があるにしても。

一方、お気楽な同僚はちゃっかり転職しているんだけれどね。でもその原因は、拳銃を誤って撃っちゃって新人警官をケガさせたこと。ウッカリすぎる(爆)。
石川は同僚を慮って免職させないように頑張るんだけど、当の同僚はいい機会だったよ、とばかりにキャバレーのペット吹きにあっさり転身している。
そういうあたりが石川とは全然違う。もともと理想で仕事をしていないということもあったのだろう。本作が警察の全面協力のもとに作られているというあたりが、ちょっとこうした部分に露骨に出ている感じもするが、でも面白い。

舟木の妹と電車の中で偶然行き会う石川。この辺からネムネムがやってくるのでイマイチ判然とはしていないが(爆)、彼女を気にかけた石川に、でも彼女はもちろん応えることは出来なかった、という図式だろう。
逃げるように去っていく彼女を見失う石川。しかしその後、石川を訪ねて彼女はやってくるが、タイミングの悪いことに彼は非番中(転職活動中)。そしてその直後、彼女は殺されてしまう。石川に懺悔の手紙を残して。

石川は全貌が見え始めた麻薬密売組織を追い詰める捜査に参加したいと願うが、まだ下っ端の彼はそれが叶わない(てあたりも、後から調べて知った次第(爆))。
印象的なシーンがある。鍛錬をするためであろう、道場で柔道の乱取りをやっている。石川は捜査に参加したいと直談判するが、聞き入れられない。犯罪を撲滅することなのか、弱き者を救うことなのか、警察官のやるべき仕事はどっちだ、ということで山口と口論になり、つかみあいになる。山口は石川に、そんなことを言うなら牧師にでもなって、辞めてしまえと言う。石川は激昂し、警察官は辞めない、と言う。

彼らひどく対立しているように見えるけれど、言っていること、というか、清廉な理想の高さはひどく似ているように思う。
犯罪の中に弱き者がいる、それをただ悪として排除するのか否か、確かにそんな風に考える石川は青二才かもしれないけれど、山口だってそれを全く否定している訳ではないだろうと思う。ただ、立場上、信念上、それをハッキリと打ち出せないだけで。

捜査は大詰めになる。重要参考人である、八郎なる男が浮かび上がる。最終的にひどく耽美的に凄惨な姿で登場することになる彼は、確かに悪党だったのかもしれないけれども、彼もまた、弱さのために巻き込まれた被害者だったのかもしれない。
色白で二重瞼、肉厚な唇、という証言で描きかえられていく似顔絵はどんどん色男になっていく。最初に「写真を持っている」という情報で見せられたのが子供の頃の家族写真だったのには思わず噴き出したが(こーゆーところが上手いのよね)、だんだんとリアルな似顔絵になっていくのが、実にスリリングなんである。

この八郎という人物はどういう位置関係だったのだろうか。すみません、ネムネムだったもんで(爆)。だって最終的にアジトをつかんで追い詰めて、やたら派手にドンパチやってくるのは、とても色男とは思えない(爆)、なんつーか、ボスというにも貫禄がない男なんだもの。
でも結果的には彼がボスだったのかなあ。時は暁、そうこれがタイトル、モノクロだから余計に暗くて眠い(爆)。
でも人が寝静まった空気の中、大量の警官たちが息をひそめて集結し、三々五々、一味を追い詰めていく(とゆーか、ヤラれまくりだけど(爆))のは緊張感が張り詰める。
そしてこのボスが隠してた大金を取りに行った先に、八郎が包帯姿で監禁されている(ということだよね?)。俺も連れて行ってくれとすがりつく八郎を鎖で締め上げるキチクボス。でもその時に山口が入ってきて……。

ちょっと時間を巻き戻す。石川は自分のせいで舟木が死に、一家が困窮していることに責任を感じ、女房が働ける仕事を見つけ出してくるも、もう夜逃げした後である。
そして次にこの女房が登場するのは、八郎の似顔絵を見せるために警察に呼び出される時で、もうちゃっかり再婚していて、やつれた雰囲気は相変わらずだけど、つまりそれは、あの時も、ダンナの死にやつれてたんじゃなくて、もともとやる気がないっつーか、他人にぶら下がって生きることしか考えてなかったと思しき雰囲気なんである。
はぁ、はぁ、とばかり答える感じも変わってないし、もう帰っていいですかね、とはなからもう、死んだダンナに関わることなど、興味もなにもないって感じなのだ。

結婚は、生きていくための糧。そんな感じ。その一方で、若いカップルである石川とその恋人、中華屋の娘の友子はまぶしいぐらいに現代的で未来にあふれてる。
石川はやっぱりあの時代の男だから、男は女を養うべきと思ってるのか、安月給の警察官、しかも理想に失望しかけて転職活動なぞしだすのだけれど、いざ彼女がいい転職先を見つけてきた頃には、やっぱり警察官を続けたいと思い始めてる。
そもそも友子自体は最初から共働きする気マンマンで、それを渋る彼に、古いわネ、などとたしなめる頼もしさだったのだから。
こんなカップルが輝ける未来の日本、であった頃が懐かしくもいとおしく、まだまだ男が女を養うべきのマッチョ思想は未だ失われておらず、共働きとなっても大黒柱は男だという思想のまま、女はプラス子育てに家事に苦労しっぱなし、なのよねーっ。

……おっと、フェミニズム思想でうっかり脱線してしまった。でさ、この八郎がなんかなんとも耽美的哀しさ、なんだよね。結果的にボスだって警察官を何人も殺した後、逃げた先のレンガが崩れて圧死、という実にスペクタクルな結末をたどるのだけれど、八郎は……あれは検索してたら鉛中毒という説が出てくるんだけれど、どこでどうやって??
どちらにしても、色白の美青年(ホントに!)の彼が、包帯ぐるぐる巻きで、こと切れた彼のそれをはずしてみたら、片目が醜く崩れてしまっている、でも元が美青年だから妙に耽美的に美しくて。

そしてこんなところに幽閉されて、助けを求めて、でも死んでしまう。悪人だったけど、弱き者、であったことを考えると、何か、何か……。
ひん死の彼を見つけた石川、その前に先輩の山口の遺体を発見したことで、どこか冷たく八郎を見下ろしていたけれど、悩んだ末に、水を汲んで彼の口元に持って行った。でもその時には、もう、八郎は息をしていなかった。

すべてが終わる。朝日が昇る。納豆売りの少年の声が響き渡る。この日常の世界には何の関係もなかったかのように。★★★☆☆


At the terrace テラスにて
2016年 95分 日本 カラー
監督:山内ケンジ 脚本:山内ケンジ
撮影:橋本清明 音楽:
出演:石橋けい 平岩紙 古屋隆太 岩谷健司 師岡広明 岡部たかし 橋本淳

2017/3/19/日 劇場(渋谷UPLINK/レイト)
「映画を愛する人の多くが、舞台作品の映画化に対してアレルギーを持っていることを私も知っています」ぎくぎくぅ。えっ、それって私のこと言ってる??そうヒガミ爆発しちゃうぐらい、そーゆーことここでは散々言っているからなあ。
でもちょっと違うのよ。いや違くないけど(爆)。つまりはそれは、舞台作品を映画化する人、つまり舞台人が心の中に持ってる、舞台の方が格が上、みたいな意識が透けてみえちゃうからなのよ。
あー、それこそヒガミ爆発。もう映画が新しい芸術だなんていうのもあまりに古すぎる言い方なのだろーが。

でも、この人は違うかも。「ミツコ感覚」「友だちのパパが好き」で、まさに映画のマジックを存分に見せてくれた頼もしくもキテレツな才能は、そういう舞台至上主義の感じとは違っていた。
だからこそ、普段は避けてとおるような思いっきり舞台の映画化、それも映画化の方に向いてるからとかじゃなくて、もう思いっきりザ・舞台だと思わせる作品でも、この人ならと足を運んじゃったのだろうと思う。

だって宣伝の最初から思いっきり岸田賞の映画化とおーきな文字で、もう堂々と、誇らしげに(爆)。
実際、彼は映画と舞台の客層の違い、そうしたアレルギーを承知の上で、プライドを持って叩きつけて来たんじゃないかなあ。面白いものは、舞台でも、映画でも、面白いんだと。

確かに本作は思いっきり舞台の映画化。こらーザ・舞台だわと思う。でも悔しいことにメッチャ面白く、きっと舞台よりもリアルに、テラスの奥の世界も感じられる。
舞台は同じ、テラスのみ。でもヤハリそこが映画の強みで、豪華な邸宅のテラスの奥の、宴の後のけだるさが、この会話劇の騒々しさと対比して生々しく想像できる。
食い散らかされた豪華な料理や、専務の奥さんが嫌っているセレブ夫人や、離れのシャワー室や、そんなものが彼らの会話の端々から伝わってくる。

だってさー、これ書くのが凄く難しいよ。何が起こる訳じゃない。つまりはセレブ客たちのつまんない意地の張り合いというかさ。見栄の張り合いならまだ判るが、これはもう、なんと言ったらいいの??
とにかく登場人物を紹介するところから始めよう。まず登場するのは、名前よりも勤めているトヨタでまず紹介され、覚えられてしまう、なんだかカワイソーな田ノ浦君。
斉藤夫人に一目惚れ?なのがホントだったのか、その彼女からも一向に名前を覚えてもらえず、「あのトヨタの人」「あの童貞っぽい人」と言われる切なさ。普通そうでなんとも忘れられない印象を残す初見の役者さん。やたら泣き上戸なのもツボ。

その斉藤夫人、はる子。演じる平岩紙に瞠目する。こんなキレイな彼女は初めて見る。本当にセレブ人妻みたい。なんか思いっきり失礼なことばっかり言ってるが(爆)。
そういやー、同監督の「友達の……」で彼女の印象が凄く変わったことを思い出した。これまではどちらかというと庶民的な、親近感を持てる、フツーの、って感じの女性像、ブスとは言わないけど(爆)、決して美人じゃない、みたいな。

でも「友達の……」で、凄く女を感じて、本作では、男性陣みんながその白い腕にトリコになる、いや白い腕だけじゃないが、つまりそんな、ちょっとコケティッシュなご夫人!
ホスト家の息子が患者で、合コンしたことがあるという意外な関係(彼女は歯科衛生士)で、セレブ風から急にくだけるギャップも妙に色っぽく、本当に平岩嬢の魅力にくぎ付け!!

そのはる子にメッチャ対抗意識を燃やす、ホスト夫人の石橋けい氏はもう圧巻。監督のミューズであり信頼があついのは確かなのだが、もう彼女ですべてが語られると言ってもいいほど!
胸の谷間がくっきりとあらわなドレスで、劇中の男女のみならず観客もそのポイントばかり見ちゃうでしょ(爆)。「あなた、あの谷間に指を入れてみたいって言ってたじゃない」とはる子が夫の言葉を暴露するのを待たずしても、誰もがあの谷間に指入れてーなーと思ったに違いなく(爆)。

ザ・舞台作品ということもあって、すべての登場人物がそれなりに舞台演技って感じはあるんだけど、石橋けい氏はいわばそれを、確信犯で300%ぐらい張ってやってる。平岩嬢とのバトルは実に見ものなのだが、平岩嬢がマジ演技で凛々しくカッコイイのに対して、石橋氏のトンデモ大仰演技がサイコーで、とにかく彼女で回っちゃう。
実際、よく考えてみると会話はバカバカしくって、何言ってんのという感じなんだけど、石橋氏以外は割とマジ演技なので、それを石橋氏がぶっ壊す、という図式が凄く面白い。
はる子の白く美しい腕に嫉妬して、でも自分を卑下して、「ほら、全然違うでしょ!」とわざわざ並べて見せて、バンザイまでしてみせて、ああわきの下まであらわにしたむっちりとした二の腕!!キラリとした眼鏡もイイ。もう、石橋氏、最高なんですけど!!

ついつい石橋けい氏にコーフンして、人物紹介以上に筆が滑ってしまった……。で、筆が滑ったついでに言うけど、ホンットに、それだけの話なのよ。そうよ、はる子の白い腕がいかに美しいかという、それだけの話(爆)。
そこから派生して、はる子さん自身が美しいんだと、それを認めなさいよと専務夫人は食ってかかり、はる子は腕を褒めてもらっているだけで、本当に美しいのは奥さんの方だ、とムキになる。この応酬でガチケンカになるって、どーゆーこと(爆)。そして男たちも固まりまくる、って!!

男たち、そう、男たちよ。思えばその周囲の男たちが様々な風を巻き起こすのだ。
はる子の夫はこのパーティーに、専務へのおべっかをつかいに……と言ってしまったら言い過ぎかもしれないが、まあそういう意味合いで夫人を連れてきている訳。フォーマルという意味合いで、最近上手く行ってないところをなだめすかして。
最近上手くいっていない、というのは、クライマックスの、もうびっくり仰天したシークエンスで明らかになるんだけれど、なんとなくそんな気配は感じている。

はる子の色白を褒められた夫は、「まあ、色白は七難を隠すと言いますから」とふっと言う。夫としての謙遜と周りはフツーにとるが、後でそのことにはる子は食ってかかるんである。
奥さんと先述のようなまあ言ってしまえばくだらないことで口論になったり、専務のセクハラを暴露したり、こういう場に来るセレブ妻としては暴挙をやってのけちゃうのは、腹に据えかねたというには説明しきれない、夫への不満があったに違いなく……それがまさか、あんな理由だったなんて!!

ああ、あんな理由を言いたくてたまらないが、とりあえず、全員を紹介しないと。そのセクハラ専務は文学おじさん。ふたこと目には川端か谷崎を持ち出す。女性の美しい腕を貸し出すという耽美文学ではる子と盛り上がるが、それが後にあからさまなセクハラになる。
中盤に登場する息子が、父親のエロジジイぶりを暴露、自分の同級生もその手口で口説き、書斎でヤッちゃったとまで言っちゃうもんだから、うわべはとりつくろうもまさに冷凍状態!!

専務が、皆の注意が他にいっているすきに、はる子の白い腕をナデナデしながら、「今夜、貸してくれませんか?」と迫るエロエロぶりには、いやー、サブイボがたったね!
後にはる子はそれを見ていたくせにと夫を責め、夫は見ていないと言ったが、果たしてそれはどっちが正解か。まー夫はこの時点ではすでに専務の息子に夢中だったから、ってあーっ、いっちばんクライマックスの面白いところをネタバレしちゃったーっ!(いつものこと……)。

気を取り直して。地味ながらポイントポイントで展開を止める、そして仕切り直しにさせる、あるいはひっくり返す、「以前は90キロあったが、病気をして胃をほとんど切って痩せて、今日は酒も飲めないし固形物も食べられないが、顔色をよくするためにファンケルのファンデーションを塗って参加している」とゆー、もう、気使うわ!!とゆーもう一人の斉藤さん、下の名前で呼ばれる雅人さんも忘れてはいけない。
斉藤夫妻と同じ苗字ということが最初の内はどちらの斉藤さんとか、いかにも舞台チックなやりとりで笑わせるものの、何度もぶっ倒れる彼に、もう帰んなよ……と言いたくなるのに一向に帰らない彼に、なんか笑いがこみあげてくるんである。

しかもみそっかす同士だからなのか(爆)、トヨタさん、もとい、田ノ浦さんと妙に仲良くなる……っていうのは、明確には示されず、テラスじゃなく、中に入って飲みなおしましょうというシークエンスで、その中の様子が語られる中で示されるというのが、なんとも絶妙でね!
雅人さんがずっと巨漢だったこと、その、太った時と今の痩せた状態しか見ていないこと、だから何か、現実の彼だと思われないこと……それでなくても観客側は今の彼氏か見ていない上に、何度も何度もぶっ倒れて、最後の最後には動かなくなる!ええ、まさか!!

さてさて、そろそろクライマックスに行こうか。はる子は何度も怒りを飲み込むも、グラッパなんていう強い酒を立て続けに飲んじゃってついにキレて、専務のエロを暴露して、先に帰っちゃう。夫は建前上は営業的に一人だけ残るけれども、その本当の目的は……男女どちらもイケると会話の中で判明した、専務のイケメン息子なんである。
あの会話の時、明らかに目の色が変わってさ、あれ、はる子さんは気づいてたんじゃないの、てか、上手く行ってなかったってんだから、そーゆーことも判ってた?いやいや、だったらラストあんなに驚かないか!!あーもう、あまりに衝撃的だったんで、なんか先走って、言っちゃう!!

いや、今時ゲイに驚くなんて、そんなこともないんだけど、そんなほんのりした予感しかなかったところで、斉藤夫が専務息子にアプローチをかける様があまりに鮮やかすぎて、えっ、えっ、ちょっと待ってーっ!!と心の中で絶叫しちゃうんだもの!!
外から帰ってきた息子、シャワーを浴びてノースリにダボパンのダルダルなカッコというのがいかにも無防備で、でもその無防備が危険だと思う相手が想定できてなかったから、完全にノーマークだった。
斉藤夫が彼の腕をさすり出した時……当然それは、彼の妻の白く美しい腕のことで再三盛り上がり、ケンツクやりあいまくった後だったから、一瞬、ジョークかと思ったのだ。

それが、片腕のみならず両腕をさするで終わらず嗅ぎまくり(!)「オリーブの匂いがする、こっちも」そして、専務息子からのリクエスト!で自分も脱ぎだし!!なんか当然の流れみたいにキス、キス、濃厚キッス!!ほんっとうに、ビックリしたー!!
しかも息子、「どこか行く?今でしょ」と言い、父親のエロネタをジョークにして二人クククと笑う。衝撃!!
いやその……全然珍しくないさ、でもなんか、なんだろ、そういうパーソナリティーを隠していて、セレブ会話して、グラッパなんてよく判んない酒飲んだりしてさ、それが突然だったから、あー、ビックリしたー!!

この関係がバレない訳はない。どうバレるのかなと思っているのをはぐらかすように、あのイケイケ専務夫人が斉藤夫に迫ったり、テラスの中と外との往復をしたり、ハラハラしている間に携帯を忘れたとはる子が戻ってきたりして。
ああ、どうなるのと思っていたら、テラスから丸見えの部屋のベランダに、全裸でいちゃつきながら躍り出てチューしまくって部屋の中に消えていく専務息子と斉藤夫!あぜんとする専務夫人とはる子!あぜんとする観客である私!!すげー、すげーすげー、あの全裸男子の美しさ(いやその!)、だってきっとその時、雅人さん死んでるのに!(だよねー、あれ!!!)

……あー、面白かった、けど疲れた(爆)。まーその、レイトだったしな。後から思い返してもザ・舞台だし、会話劇の面白さ以上のものがあったかと言えばなかなかにアレなんだけど(爆)、言葉遊びというか言葉いじりが出てきがちなのも舞台の、私があんまり好きじゃないトコだしねー……(プディングて、みたいに笑うとかさ。つまり、プリンだろ、ってこと。これだけ言うとよく判んないな……)。
でも、ほんっとうに面白かった。最後、“撮影中、たまたまいたムササビ”にラストクレジットを任せるのにも爆笑!こーゆーあたりはホンット、監督さんのセンスだと思うんだよなー。★★★★★


ある落日
1959年 94分 日本 モノクロ
監督:大庭秀雄 脚本:大庭秀雄 光畑碩郎
撮影:長岡博之 音楽:池田正義
出演:岡田茉莉子 森雅之 高橋貞二 朝丘雪路 伊藤雄之 奈良真養 草島競子 大塚君代 渡辺文雄 志賀真津子 伊久美愛子 町田祥子 三谷幸子

2017/8/20/日 劇場(神保町シアター)
不倫モノという言葉がチラッと見えただけで妙に足を運ぶ気になったのは、なんか最近、ゲーノー界の不倫と、それを日本中すべての人間が裁判官のように、いや、神が罪人を罰するように攻撃しまくる様に、なんだかなぁ、と思うことが多々あったからである。
まるでかつての“自己責任”の嵐の時みたい、と思うほどに。あの時も、あまりの世間の、こっちこそが正しいんだ、お前らが間違っている、というすさまじい雰囲気に、思っていることも言えない圧せられる感じがあった。

だから今こうしてここに書くことも、一方的に不倫擁護とか言われる気がして気が進まぬのだが、でもやっぱり、おかしいと思うんだもの。余計なお世話だよね。言ってしまえばたかが紙切れ一枚の契約が噛んだだけで、ただの恋愛の三角関係とは違ってしまうだなんて、おかしいよなあ。ただの恋愛だよ。結婚してたってしてなくったってさ。
最近、渡辺淳一氏の著作と、彼が言ったという言葉の中に、やはりそういう世間の風潮を嘆く一語があって、そうそうそうだよね、渡辺氏ならそう言ってくれると思った!!と思ったもんである。大作家の彼みたいに上手く言えないのが歯がゆいけれど。

とまあ、前置きが長くなってしまった。ただ、ヤハリ、不倫を物語として描くと、どうしたってこうなっちゃうんだよなあ、という思いは禁じ得ない。
不倫という言葉を課せられてもそれは一つの恋愛であるという気持ちはあるけれど、それが成就する物語っていうのはまあ……お目にかかれない。世間にはそれこそそれもあるに決まっているだろうが、それを物語にして仕立ててしまうと、世間的には許されないということなのだろうか??

ヒロインは、まー、美しき岡田茉莉子。私はほとんど彼女を見る機会がなかったんじゃないだろうか??ショートカットというにはかなりもったりと毛量が多いが、それでも首筋がすっきりと見えるそのヘアスタイルは、美しいお顔立ちにまあよく似合うこと似合うこと。
お相手となるのは森雅之。不倫の相手としては完璧すぎる(爆)。物語の最初から、二人は人目を避けて都会から離れた場所へと旅に出て逢瀬を重ねている。軽く20は離れている間柄だが、岡田茉莉子の美貌と、森雅之の締まった身体の美中年ぶりで、まったくもってお似合いである。

後に語られるところによると、二人の出会いは彼女、三名部清子の兄の葬式である。兄の勤めていた会社の社長が小杉だったんである。
この三名部清子という女性は、小杉からもそうそう名前で呼ばれる場面はないし、彼女に想いを寄せることになる男たちも皆、三名部さんと呼ぶものだから、なんか、三名部さんなのよネ、と思う。

これはなかなかに重要な要素かもしれないと思う。この時代だから彼女は再三、縁談を持ち込まれている。そもそも小杉から就職をあっせんしてもらった時も「2、3年したらお嫁さんに行くでしょうが、それまで社会を見ておくのも悪くはないでしょう」などと言われ、彼女も笑顔で頷く、そんな時代なんである。
まだ二人が関係を持つ前は、小杉も彼女を心配して縁談を持ち込み、「あまり贅沢を言っていると、誰もいなくなりますよ」なんていう彼の言葉に彼女も得心顔でうなずいたりもしていたものだったのだ。そういう時代。

結婚しなければいけない。結婚するのが当然。結婚時期を逃してしまったら、女はこの先生活していくことさえできない、それが当然のように語られた時代。
だから、現代で語られる不倫モノとは大きく違うのは……彼女はいつかしなければならない結婚のために、彼と別れなければならない、ということなのだ。

これは現代においてはかなり理解しがたい前提条件だろうと思う。そりゃ今だって全然男女の待遇は平等じゃないとは思うけど、それでも今なら、結婚の前に社会勉強をしておくのも悪くないとか、早く結婚しないと大変なことになるとか、そんなこと、いやー、さすがに、言わないよねえ。
しかもこれは、女に対してだけ語られることなんだもの。あーやだやだ、この時代に生きてなくて良かった(爆)。いや……私が子供の頃はまだそういう空気はあったかな。だから私は怖かった。何が何でも結婚はしなければいけないのかと思って、怖かった。だから今は幸せ(爆)。

そういう女性の意識の過渡期にすら、この時代には至っていないと思う。三名部は、小杉と別れられないけれど、「男が50までの勝負というなら、そこまでにするわ。その後でも私はまだ若いもの、大丈夫」なんて言う。つまりその後でも結婚のお相手が見つかるぐらいの若さだと言っているんであり、仕事をして生きていけるから、とは決して言っていないあたりが、ああ、不幸な時代だなあと思う。
三名部はタイピストから始まって、いまやその英語力を生かして渉外部で働いているぐらいだからキャリアウーマンと言ってもいいと思うんだけど、そういうことはぜんっぜん頭にのぼらないらしいのは……ヤハリ時代というものなんだろうなあ。

なんたって三名部は美人だから、社内の男性社員からも思いを寄せられ、その時に彼女は小杉への想いを自覚するのだが、なんといっても大きな存在は、物語の冒頭から三名部とツーショットで登場する建築家の蓑原である高橋貞二。
えー、私この人知らなーい、どこか小林桂樹をほうふつとするような誠実ととぼけた感じが合わさった、役者、って感じのお人。若くして事故死していることを知ってビックリである。あぁ、私には知らない役者さんがまだまだたくさんいるのだなあ……。

三名部から個人住居の建設を頼まれたことで、二人は出会う。依頼者、小杉であり、出資も当然、そうであろう。でも都心から離れて不便な寂しいところに居を構えようと思ったのは、三名部自身の気持ちではなかったのだろうか。
一人ならアパートの方が便利ですよ、と至極合理的で進歩家の蓑原は言うし、実際そのとおりだと思う。三名部は一人になりたい、というか、一人になるいつかを思っていたに違いない。
それは、出資者である小杉が「家は持っておいた方がいいだろう」という程度の……つまり、彼女の将来を、その程度でしか支えられないということにしか思いが及ばない、男の想像力の欠如にもよるだろう。

蓑原には若く闊達なフィアンセがいる。いかにもいい娘!って感じの女の子。三名部に惹かれた彼がひどく正直に彼女にそのことを告白するっていうのが、そしてそれをマジメに受け入れるフィアンセの方も、なんて青く、健全なのだろうか!!と思う。
このフィアンセはやはりその後気になったらしく、三名部の人となりを知るために会社に赴き、こっそり後をつけて小杉と一緒のところを目撃する。明るく、あっけらかんと「あれは、普通の関係じゃないと思うの。諦めた方がいいと思うわ。今なら許してあげるわヨ」だなんて!

ああ、あなたは、あなたたちは、人をどうしようもなく好きになった時に、何の障害もないことが当然だとでも思っているのか、と思う!!
だって、おかしいじゃないの。結婚こそしていないから、フィアンセ持ちでも蓑原が三名部に惹かれてしまうことが“許される”なんて。それともそれは、関係を持つまでには至らなかったから許されるの??そういうことじゃないと思うけど!!

……若干取り乱してしまったが。つまり私が言いたいのはそーゆーことで、原作者である井上靖氏だって、きっとそういうことだと判っている筈。
だって、殊更に蓑原に青臭い台詞を吐かせ続けるんだもの。好きになってはいけない相手を好きになる気持ちは抑えるべきだとかさ。そうでなければ人間生活の秩序は保たれないとかさ。

ケッ!!てなもんよ。秩序を守るために人間は生きてるんじゃないよ。ああでも、そんな台詞は、小杉からですら出てきていた。結婚は必ずしも好きになった人とじゃなきゃいけないものじゃない。それでうまくいく訳ではない、と。
それは図らずも、結婚というもの自体を否定……とまでは言わないまでも、つまり、人間社会を保つために必要な制度の中で暮らすために、妥協しなければならないこともあるのだ、と言ってしまっていることに他ならない。

そりゃ、小杉はその現代社会に実業家として生きる男だし、病身で療養中の妻に対してだって、愛情はあるに違いない。ああそこが、難しいところでさ!違う種類の愛が、同時に発生することは、決して珍しくもなく、責められるべきことでもないと思うのだが、それが特に、結婚という契約が噛んでしまうと、さあ……。
三名部は、そういうことはきちんと理解していると思う。複雑な気持ちはあったろうが、奥さんに対する嫉妬ということは感じられなかった。申し訳なさ、とも違う、ただ好きになってしまったから、というのは、凄く凄く、納得のできる感情だった。だってそれでしかないもの。それでしか、ないじゃない??

小杉は事業を失敗してしまう。徐々に傾いていって、ついに債権者から追われる立場になってしまう。その時にはもう、蓑原は三名部への想いを断ち切って、健康的なフィアンセとの結婚に向けて動き出している。
三名部と小杉は別れを決意したものの……小杉が行方をくらましたことを知った三名部はいてもたってもいられず、彼の行方を捜しまくり、その助けを蓑原から借りるんである。
誰も推測できなかった小杉の行方を、親密な交際の中の会話の手がかりから、三名部は探り出す。信州の山のふもとに息をひそめているところを、蓑原と共に見つけ出すんである。

このラストシークエンスは、たまんなかったなあ……三名部によって見つけ出された小杉の一瞬の表情、それを「死ぬぐらいの気持ちだったが、君の顔を見た瞬間、生きていてよかったと思った」と言ったあの一言がすべてを表している。
別れた後、どうしようもなくお互いが必要だと悟ったのに、分身が引きはがされるほどの苦悩なのに、物語にすると、不倫の二人は決して、幸福な結末を迎えることは許されないのだ……。そして、それがね、すべてを白日の下にさらけ出されてしまう現代と重なるのだ。

劇中、二人の関係を知った蓑原に三名部は、決して他の人には言わないでください、今まで誰にも知られずに来た、私はいいけれどもあの人が辛い思いをするのが耐えられないと、言った。お互いそういう気持ちで、逢瀬を重ねてきた。
確かにこの関係は、生活や人生が分かちがたい結婚という契約関係では得られない、いわばお互いにとって楽しい時間だけを重ねた甘い関係と言える。でも、それしか出来ないことこそが辛いのだもの。
まあ多くのいわば都合のいい不倫モノにならって、本作も奥さんが二人の関係を知らないこと、夫を一点の曇りもなく信頼していること、というのがあるからこそ成立する物語なのだが、だからこそ辛い、といったらそれこそ甘すぎるのだろうか??

蓑原と二人のシーンから始まるから、彼と結ばれるのかと思った。でも彼は、あっけらかんと可愛いフィアンセとの結婚を決め、三名部の再出発にまた立ち会うけれども、ただそれだけ。
小杉との決定的な別れにどん底に突き落とされた三名部は、よっぴて蓑原と線路沿いを歩く。朝焼けを迎え、キレイ……とつぶやいた。二人の後ろ姿の後に長く続く線路の道行。それでエンド。仕事も辞めてしばらく母のもとに身を寄せると言った三名部に、人生の幸福は訪れるのだろうか??判らない……。

ただ、言えること、というか、言いたいこと。
愛はただ、そこにあるもの。不倫かどうかなんてことは、まるで意味をなさない。★★★★☆


暗黒女子
2017年 105分 日本 カラー
監督:耶雲哉治 脚本:岡田麿里
撮影:中山光一 音楽:山下宏明
出演:清水富美加 飯豊まりえ 清野菜名 玉城ティナ 小島梨里杏 平祐奈 升毅 千葉雄大

2017/4/19/水 劇場(TOHOシネマズ錦糸町)
作品自体には全然関係ないことでも、やはりついつい気になってしまう。これで清水富美加嬢は見納めなのかな、などと。そもそも朝ドラを観ていた訳でもないので、映画だってこれが彼女を見る初だし、つまりマトモにお芝居を見るのはこれが初めてなのだもの。
作品のテイストやキャラクターのせいでだろう、かなりのわざとらし感が漂うが、天真爛漫そうに見えるその奥に翳っているものが確かに見える気がして、……それは現実の彼女とは、そりゃ関係はないんだけれど。
しかし皮肉よね。宗教が理由で引退した彼女が、ミッション系のお嬢様学校のお話が最後の(と思ったら結構他に何本もあったが)お仕事だなんてさ。

まあ、宗教なんて関係ないんだけれど。ミッション系というのはただただイコールお嬢様学校、セレブ校というだけ。
更に言うとそのハコもあまり関係なく、自らが主人公になりたい女子たちの、表面のお嬢様感、キラキラ感とは全く違う二面性、三面性、いやもっともっと……があぶりだされる“イヤミス”(とゆーのは初めて聞いた。イヤな気分になるミステリーだとか)なる物語。

富美加嬢はダブルヒロインの内の一人だが、陰のヒロインというか裏のヒロインというか、学園のマドンナ、文芸サークルの女の子たちのヒロインはもう一人の主人公、飯豊まりえ嬢扮する白石いつみであり、富美加嬢扮する澄川小百合は彼女の親友という立ち位置。
文芸サークルの副会長という立場、全てにおいて白石いつみの理解者という名の引き立て役、そして彼女自身がそれを望んでいたのだ。この中でたった一人、本当にいつみのことを、美しく傲慢ないつみのことを、崇拝していたから。

さらりと先走ったが(爆)。この物語はまず、そのヒロインたる白石いつみが既に死んでいるというところからスタートする。謎の死。屋上からの転落死。手にはすずらん。自殺か他殺かはたまた事故か。すずらんには何の意味があるのか。犯人、あるいは自分を追い詰めた誰かを特定しようとしているのか。
疑心暗鬼に駆られている文芸サークルのメンメンが定例会に集まる。進行役は亡き会長から引き継いだ副会長の澄川小百合。怪しげな闇鍋からスタートし、会員たちが「白石いつみの死」に関する自作の小説を朗読していく、という趣向。
小説と言いつつそれは、学院内で自分たちに向けられた疑惑の目、この中の誰かが犯人なのではないか、というのを告発し合うという、女のドロドロが既に発露した、もうイヤミスじゃないの、と思われる展開だったのだが。

そらまあ、それだけでは済まないだろうとは、思った。二人目の小説の朗読で既に矛盾点が発覚、つまりこれは告発という形をとりながら、やはりあくまで小説、フィクション、女の子はうそつきだから、罪のなすり合いかな、と思った。最初はね、そんな風に単純に。
いやでも、二人目の段階で、表面上は皆にあがめられている白石いつみこそがクサいな、ということはもう、やっぱり、感じたかなあ。彼女たちの告白の中でいつも白石いつみは苦悩している。メンバーの誰かが彼女を陥れていて、それを告発している読み手が彼女を救いたいと思っているという図式が正しく貫かれているのだ。

それってつまり、すべての女の子たちにそう思い込ませる手腕を持つ、大ウソつきのカリスマ女王様なのかっ、と胸躍らせたのだが、それこそが単純な見方だったということなのかなあ。んーでも(はい、早々にオチバレ)、彼女たちの弱みを握って服従させ、自らが主人公の世界を謳歌する、だなんて、なんかそんなの、真の悪女じゃない、つまんない!!と、オチを聞いて思っちゃったなあ。
つまり彼女たちがいつみにかしずいているのは、全然本気じゃなかった訳でしょ。それで物語の主人公になって気持ちイイとかいうのって……バカ系悪女っていうか(爆)。本当に女王様と思わせて、騙して、誰もそのウラに気づかない、そんな真の女王様を想像していたから、ちょっとオチにガックリ来ちゃったのだ。

まあ、最初から行こうか。今話題の平愛梨嬢の妹さん。メガネ地味系女子の二谷美礼はこの学校に憧れて一生懸命勉強して特待生として入学したビンボー女子。生活苦から禁止されているアルバイトをしていることをいつみに告白、ならば私の家で妹の家庭教師をしなさいよと言ってくれるいつみ。
いつみが何か苦しんでいることに気づく美礼、親とも衝突しているよう。いつみは美礼にだけ、と打ち明けてくれた。女子高生作家として注目されている高岡志夜が、自分の父親と関係があると。ゲランのミュゲの香り。それはすずらん。いつみがすずらんを握って死んだのは、志夜を告発しているんだと。

二人目は小南あかね。サロンのキッチンの主といつみから呼ばれて、もおー、と可愛らしくふくれていたウェーブのかかったツインテールがおにんぎょさんみたいな女の子。
そう、正直文学が好きとかいう感じはしない。あかねは小料理屋の娘で、女である自分が継げないことで、反動から洋食、お菓子作りに熱中している。小説の中に出てくるお菓子を作っては、皆に提供して喜ばれているんである。
あかねが疑っているのは一人目の朗読者、二谷美礼。ビンボーな彼女がいつみの家から盗みを繰り返しているというのである。それを苦しげにいつみから告白され、彼女を守りたいと思うあかね。いつみがすずらんを握って死んだのは、美礼が盗んだいつみの大事にしていたすずらんのバレッタを指しているのだと。

三人目はブルガリアからの留学生、ディアナ・デチェヴァ。やけに日本語流暢ねと思ったら、「お母さんが日本人」……ありがちな設定。いつみがブルガリアにホームステイに来て知り合い、ディアナを留学生として招待してくれた。あ、言い忘れていたけどいつみは学院の経営者の娘。それだけでも羨望の的だが、太陽のように光り輝く存在で、学院中からあこがれられているんである。
ちょっと脱線するが、そんないつみを演じるのが飯豊まりえ嬢、正直それほどのインパクトがなかったので(爆)。このキャラクターのイメージだと、10代の頃の沢尻エリカ嬢とかいいよなあと思うが、それは後の変貌を予測しちゃうからだろうか。
確かにあからさまな美貌という訳ではない、ふんわりとした優しさが豹変するというギャップの怖さはあるかもしれないけど、でもその展開の時には既に富美加嬢に食われちゃってるし(爆)。

で、脱線しました。ディアナね。彼女はまさにいつみを崇拝しているからこそ日本に来た。いつみが目をかけているあかねを怪しんだ。なぜって、いつみが体調を崩しはじめたのは、あかねが作るお菓子が原因じゃないのかと、思ったから。いつみに出すお菓子だけ特別感があったり、したから。
いつみはこのサロンを自分の卒業と共に閉鎖しようと思っていた。でもそれを、実家の料亭が火事に遭ってここのキッチンこそが聖域だったあかねには耐えられなかった。だから毒をもったのだ……そう、ディアナは考えたのだ。

……このあたりぐらいから、どうもおかしいわね、という雰囲気が漂い始める。一人目の朗読者のあたりでは、それなりのリアリティがあったのが、なんだかファンタジーかホラーの小説を読んでいるような気分になってくるのだ。
そしてその印象を決定づけたのが次の朗読者、女子高生作家として華々しくデビューした高岡志夜の、「軽い文体」を大事にした、なんか女の子エッセイみたいな雰囲気の告発。ディアナが女吸血鬼で、呪いのくぎ打ちを行ってて、そのせいでいつみが衰弱していき、死体の首筋にも赤い二つの穴があった、と。
おいおいおいおいー、である。ここで決定的に、彼女たちの告発小説がウソ、つーか小説なんだから当然フィクションであることが確定したよね、と思っちゃう。もう少し騙してくれても良かったと思うんだけどな。プロ作家の書いたものでそう思わせちゃうんなんて……いやそれこそが、一つのキモではあったのだ。

志夜が賞を獲ってデビューした小説は、知られざるフランスの小説のパクリだった。美礼はお年寄りのボランティアを隠れ蓑に、フェラでバイト代を稼いでいた。あかねの実家の料亭が燃えたのは、彼女の放火だった。ディアナは自分が留学したいがために、双子の姉を崖から突き落とした。
そんな弱みをいつみに握られ、脇役に徹することを強いられた彼女たちは、解放されたいと願い、残酷な計画を立てたのだ。教師と禁断の関係にあったいつみが妊娠したことを嗅ぎつけ、親に進言、破局、中絶に追い込んだのであった。

いつみ=飯豊まりえ嬢と、今を時めく童顔王子、千葉雄大君の、ふんわり描写だけれど一応キスとかセックスとかのエロシーンは、若く美しい二人だから、かなりのサービスカット(爆)。この二人の関係を澄川小百合だけは知っていて、応援している。
……ここまで、進行役に徹し、赤裸々(のように聞こえる)小説の感想をサラリと端的に言うだけの澄川小百合=清水富美加嬢であって、彼女がこれだけで終わる筈はないんだから、どんでん返しなり、爆弾を落とすなりするのは、当然彼女よね、というのは読める訳でさ。

親によってムリヤリ中絶させられ、先生とも別れさせられたいつみは絶望のどん底。しもべたちに裏切られたことこそが一番のショック。そりゃあんなロコツなやり方で服従させたら裏切られるに決まってると思うのだが(爆)。
つまりは、表面上だけ服従していた四人と違って、小百合だけが本当の服従者だったのだ。親友という立場を獲得することによって、対等な理解者であると、ひょっとしたら彼女自身が読み間違っていたのかもしれない。所詮は四人と同じ服従者だったのに。しかも強いられてそうしているのではない、真の服従者だったのに。

でもだからこそ主人に裏切られると怖いのだ。小百合が信奉していたのは、まさに傲岸な女王様たる白石いつみだったのだから。そのためにはいたいけな少女たちを踏みつけにするいつみの手助けをするのなんて、当然のことだった。
ただ誤算だったのは……いつみを喜ばせたいから、ただそれだけの理由で(ということに、この時小百合は気づいていないんだろう)、いつみと先生の橋渡しをしたことだったのだ。
結局, 恋してしまえば女王様もただの女、「生姜焼きを美味しいと言ってくれたの」「こういうのが本当の幸せってことだと思うの」などと“平俗”なことを言ういつみにひどく落胆し、すずらんの花で煮出した紅茶で殺してしまう。……そんなに即殺効果があるとは……。

転落死した筈のいつみが本当は生きていて、この定例会で復讐を行う、それが本来の筋書きだった。少しだけ、軌道が狂った。……少しだけ??
少なくとも四人の女子にとっては、かしずくのがいつみであろうと小百合であろうと大した違いはないだろう。もう骨身に染みた筈。この学院生活をしもべとして乗り切ればいいだけ、相手が誰であろうと。
彼女たちが企てたクーデターの理由は「女子高校生の、この時間こそが大切」たった一年か二年を待てない理由をそう説明した。それはまさしく正しく、そして……それこそ女子高校生の傲慢なアイデンティティなのだ。

フツーに、いつみの死体はどうしたのかしらんと思ってしまう。闇鍋つっても、そんな食えねえよなとか(爆)。まあつまりはファンタジーということなんだろうが……。★★★☆☆


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