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「ね」


2018年鑑賞作品

猫は抱くもの
2018年 109分 日本 カラー
監督:犬童一心 脚本:高田亮
撮影:清久素延 音楽:水曜日のカンパネラ
出演:沢尻エリカ 吉沢亮 峯田和伸 コムアイ 岩松了 藤村忠寿 内田健司 久場雄太 今井久美子 小林涼子 林田岬優 木下愛華 蒔田彩珠 伊藤ゆみ 佐藤乃莉 末永百合恵 柿澤勇人 益子寺かおり 中尊寺まい 澤山璃奈 西原有紀 樽見麻緒 長谷川佳奈 高嶋莉子


2018/6/27/水 劇場(角川シネマ有楽町)
犬童監督であれっ?と思ったのは初めてだなぁ。うーん、どうしたんだろう、犬童監督。こんな、まぁなんつーか、口幅ったいけどつまりその、幼稚な……(爆)この手法にかなり戸惑う。
猫たちが擬人化されるのも勿論そうなんだけど、正直それが一番猫好きにとってはしっくりこないんだけど。でもそもそもが、舞台の上で演じられているというテイをハッキリと打ち出しているという、基本ベースにあるこの手法が、どうにもこうにも違和感アリアリだった。フィクションなんだから。そもそも猫が自分を人間と思い込んでいるんだから。

思い切ってのその手法はポップで、場面転換もなるほど舞台だからそのまま階段降りたりして、思いっきりカキワリの舞台装置の中で彼女の逃げた先での人生が語られて、ある意味思い切ってていいのかもしれないけど、ヤハリヤハリ、本当に起こっていると錯覚するようなドラマが見たいのよーっ。
でもやりようなのかな。判んない。そういやぁ、「ドッグヴィル」なんてものもあったではないか。太刀打ちできる訳もないが。

原作がどうなっているのかは判らないんだけれど、そもそも、猫を擬人化しなければ良かったような気がどうしてもしちゃう。
人間サイズになった(とゆーか、人間がやってる)猫だから、キャットフードも特大をざらざらざらっ。こっそり猫の良男を飼ってる倉庫の箱は巨大、窓ガラスを割って飛び込んでくる野球ボールはバスケットボール大。主人公の妄想癖も手伝って、女の子印の幼稚さがマンマンだと思っちゃうのはいけないのかしらん??

そもそも、そう、そもそも、よくぞエリカ様がこの仕事をチョイスしたと思う。それが一番の意外である。勿論実力のある役者さんなんだから何をやったっていい訳なのだが、彼女にとっては歯ごたえがないというか、甘口すぎるような気がどうしてもしちゃう。
元アイドル、それもユニットの端っこなんて役を彼女がやる日がくるなんて、それこそエリカ様と呼ばれるようになってからは、想像だにしていなかった。ツンデレのデレ抜き、というキャッチフレーズにやや彼女たるところを残してはいるものの、ユニット復活でバラエティ番組に出ても、奥の方から引っ込み思案のように戸惑っているだけだなんて、エリカ様らしくなーい!いや、役だっての、役だっての……。

歌が上手い、というのが意外にキャスティングの決め手だったのかなぁ。あれは吹き替えじゃないよね??紆余曲折を経て、最後には結婚式場の歌手(という訳ではなく、イベント向けの歌手ということなのかな)になった彼女は、それまでは、とにかく歌を歌えるためなら何でもしていた。それこそ枕営業も。なのにあっさりユニット解散となってからは、なんの道も開けなかった。
何にも知らない街に逃げ込んで、レジ打ちのアルバイトをやっている今も、歌手への夢をあきらめきれずカラオケ通い。そして倉庫でこっそり猫を飼っている。

なんか、時間軸ぐだぐだでオチバレで書いてすみません。いつものことだが、今回は特にヒドい(爆)。
うーむ、混乱してるのよ。だって犬童監督だし、グーグーがあったし、猫映画を任せれば問題ないと思ったんだもん。

いや、考えてみれば、グーグーは猫を介した人間ドラマ、だったのだ。グーグーはあくまでも純粋な猫としての猫、言葉を喋ることもなく、擬人化されることもなかった。そこが実は、原作ともハッキリと違ったところだったのだ。だからこそ猫映画として、猫として魅力的だったのだ。
本作の猫は……猫じゃないんだもん。人間役の役者たちで演じられちゃう。良男を演じる吉沢君、売れない画家ゴッホの飼い猫、キイロを演じるコムアイ嬢をはじめ、ねこすて橋のたもとに集結した老若男女な猫たちがすべて、役者で演じられちゃうんだもん。
主要な猫だけならともかくそこまでやられちゃうと、うーむ、言っちゃ悪いけど、中学か高校の演劇部の芝居を見ているような気分(爆)。いや逆に、演劇部に失礼かも(爆爆)。

いいかげん、物語の方に行こう。で、その元アイドルの沙織である。職場で同僚と交わることもなく、淡々と仕事をこなしてレジ成績一番にうっかりなっちゃったりする彼女の心の支えは、倉庫でこっそり飼ってる良男である。
ロシアンブルー。和猫の雑種がいっちばん可愛いと思っているこちとらにしてはかなりガッカリな設定だが、思えばグーグーもペットショップでの出会いだったのだから、と気を取り直す。
つまりそうして、ペットショップという存在の意義というかなんたるかというか、あるべきなのかどうかということまで含めてあぶりだすという意味合いもあるのかもしれない。多分、グーグーだってそうだったもの。グーグー以外は、とにかくノラを保護していたものなぁ。

時々過去がバレることもあって、ストレスフルに暮らしていた沙織。良男と共に彼女の支えとなっていたのはその妄想癖。年下のイケメン上司とシャンパンを酌み交わす妄想とか、いかにも女子っつーか、少女漫画的である。

基本ベースがそうなんだよね。
元アイドルっていうのも、実はもっと、突っ込んだ厳しい描き方をするのかなと思った。くだらないバラエティ番組のために一度だけ再結成させられて、ズタボロに傷ついて帰ってきて、ゴッホに、当時、自分がいかに頑張っていたか、たったワンフーレズをどれだけ練習したか、たかがアイドルだとみんな見下しているんだろ、とエリカ様のすんばらしい芝居で見せる場面はあるのだが、口だけ説明だよなー、という気がしちゃう。

ほんの数年で解散してしまうアイドルユニットというのは、それこそ星の数ほどあるのだろう。近年はそうしたアイドルをネタにした映画も数多いので、その中の厳しさを、まぁそれこそネタ的に盛って描いてくるので……当然ながらの、メンバー同士の内紛、嫉妬、イジメ、等々……それが本作は全然ないから。
解散したのも何でなのか。潮時というか、売れなくなっただけなのか、今も頑張って活動しているメンバーに自分の現状を言えない沙織が彼女たちとどんな関係にあったのかさっぱり判らないというか。

そこまで判りやすくなくてもいいのかもしれないけど、すくなくとも数年でも密に過ごしたメンバーなのだからと思っちゃう訳。
最終的に、沙織の歌の上手さを認めていた元メンバーがピアノ伴奏を担当する形で相棒となって夢を再び追いかける訳だが、彼女との信頼関係とか、他のメンバーとの関係とか、全然うっすらで、物足りないどころの話じゃないんだよなあ。

そして、ゴッホである。本作の目玉キャスト、峯田和伸氏である。沙織の勤めるスーパーで万引きをした女子高校生の叔父として呼ばれて登場するが、彼のキャラクター付けはすべて沙織の妄想によって行われる。
「色盲で黄色ばかり使っているのよ。猫みたいに」などという妄想の後、彼女の妄想通りにコトが運ぶので、これはヤハリ……彼も含めて姪っ子の女子高校生も、すべてが妄想だったのか、そう思う方が自然なのかと、なかなかに戸惑うんである。

往年のアイドル大集合!的な、安っぽいバラエティに傷ついた沙織が、フラフラとゴッホの元を訪れる。ボロボロの彼女を受け止め、それどころか、彼女だけが、自分だけで知っている苦しい過去をゴッホはすべて、知っていてさ……。
これは何、これはナニ!!??と思っちゃう。実は沙織が当時飼っていた猫の化身??とかも思ったが、そーゆーことも出てこなかったし、後にとある喫茶店で見かけた姪っ子の女子高校生も追いかけた先でふっと姿を消したし、それも含めて、すべてすべて、沙織の妄想だったということ??

つまり彼女は、自分を理解してくれる人に渇望してて、それが妄想となって現れたのかなあ。
だとしたら、そもそも猫、いらないじゃん、いらないじゃん!実際、キイロも良男も、そう思って一時、彼らの元から離れちゃうし……いや、キイロ自身はそもそも存在していたのかどうかも……。

なんかそんな具合で、後半結構飽きちゃって(爆)眠くなっちゃって(爆爆)、良男との感動の再会(これも妄想だろうけど)が、よく判らないままラストに突入しちゃった。
本当の?良男と再びめぐり逢い、ずっと口約束だった、「一緒に暮らせる部屋」に引っ越して、新たな生活をスタートさせる。クリスマス、雪降る窓辺で待ちわびているのはオスの人間じゃなくて、オスの猫であり、外の沙織と目が合うと、ぱっと玄関に飛び出していくのだ。あー、猫や猫や。
「男はあんただけでいい」と沙織が良男を抱きしめて涙を流したシーンは、猫と人間は違うし、この場合は悪い意味で使われてるよなーとも思ったが、実際問題、猫だけでいいのだ。

あーでもゴッホはホント結局なんだったんだろう。沙織を一歩踏み出させるための存在とか??
いきなり頼まれもしないのに彼の前で脱いで、ヌードを描いてもらうシーンはやたら煽情的で、エロティックで、絵の具だらけの武骨な彼の手が彼女の身体のラインを確認するように滑り、それを覗き見ている良男の目はまんまるで(これは人間の方ね)、凄く印象的なんだけど、そこからねんごろになるという訳じゃない。
すべてをさらけ出し、自分自身を見つめたい、見つけ出したいという、これまた彼女の妄想、というか願望が生み出したものだったのか。

途中、ずっと沙織と一緒にいたいと、倉庫から飛び出す良男、そこはアニメーションになっているんだけれど、そこだけ浮いてるんだよなあ。川を渡り、溺れかけ、ということがあるから実写では難しいということなんだろうけれど、だったら擬人化もせず、はじめからアニメでやった方がよっぽど……と思っちゃうさ。
猫、人間、アニメ、分断され過ぎなんだもん。結局はね、沙織が苦悩から抜け出すドラマだけ。だけ、っていうのもナンだけど、猫が効果的に関与しているとは思われないもん。

キャストクレジットで名前を見るまで、藤やんが猫役で出ていることに気づかなかった。ビックリ!!★☆☆☆☆


寝ても覚めても
2018年 119分 日本 カラー
監督:濱口竜介 脚本:田中幸子 濱口竜介
撮影:佐々木靖之 音楽:tofubeats
出演:東出昌大 唐田えりか 瀬戸康史 山下リオ 伊藤沙莉 渡辺大知 仲本工事 田中美佐子 長内映里香 大西武志 玉川蓮 DJ RYOHEY 梅舟惟永 岡部尚 兼重淳 キンタカオ 望月美里 西山真来 本間淳志 小林達夫 枝元深佳 中山求一郎 深谷和倫 森三恵 三塚宏昭 加藤隆 谷五郎 田名部真理 滝口ひかり 滝口きらら 高森敬太 高木達也 金沢歩 米村亮太朗 占部房子 村上かず

2018/9/4/火 劇場(ヒューマントラストシネマ有楽町)
そうかそうか、あの五時間超のハッピーアワーで話題をさらった監督さんなのか。各方面で激賞されていたけれども、どーしてもその尺に腰が引けて、観ることが出来なかった。瀬々監督の四時間超でもう私は限界だ(それだって、きっと今はムリだ)。
だから“商業映画デビュー”で遅ればせながら瞠目してしまったのがやっぱりちょっと、悔しいけれども。なんか凄かった。恋愛映画としてのドキドキはきっちり抑えながらも、なんかホラーだった。

そもそも恋愛というのはホラー並みに怖いのかもしれないと思った。自分の心がどう動くのか、自分自身さえ判らない。
クライマックス、朝子のとった行動は、いわゆる、常識的に言えば、考えられないことだ。でもそれが恋で、でも本当に愛している人は実は違ったのだと、彼女は気づいてしまうだなんて!!

ああ、なんか衝撃で、上手く言葉が紡げない。そもそもは人気作家さんの小説。相も変わらず未読だからウッカリなんと言うことも出来ないのだが、でも“過去の恋人とそっくりの今の恋人”だなんていうことが、字面ではなく実際にその人として立ち現れると、こんな衝撃的なことは、ないのだ。
いや、単純にソックリなんだったら、いわゆるフツーの一人二役だ。古今東西、恋愛映画において、そして不思議なことにヤハリ男子側がソックリが二人、というのは、結構ある話だ。少女漫画なんて定番のひとつじゃないだろうかとも思う。

でも、似てないのだ。いや、そんな訳はない。東出君が実際に、一人で二役をやっているんだから、同じ顔なんだから。だから朝子は戸惑い、突き放し、だけどどうしようもなく惹かれたのだから。
でも全然、違う人に見えた。というか、物語の冒頭、まず麦(ばく)として現れる彼が、東出君にどうしても見えずに、あれ、私違う映画に入っちゃった訳じゃないよね……と本気で思ったぐらいだった。

いろんな役に挑戦してきている彼ではあるけれど、今までは、何かこう、役に頑張っている、という感じがちょっとしていた、ような気がする。
でもこの麦には息をのんだ。勿論、無造作なパーマや雪駄(ビーサン?)履き、くるぶしのみえるラフなパンツといった、マジメな東出君イメージとは真逆の、いわゆるキャラづくりとも言えるものはあるのだが、それを全部飲み込んで、ひどくコケティッシュで(セクシーというべきなのかもしれないが、こっちの方がなぜだかしっくりくる)、本当に驚いてしまったのだ。

だから後に、麦とそっくりの亮平として現れる東出君に、全然ソックリじゃないじゃん……むしろ、顔がソックリなことに気づいたあなたがエライ、とか思うぐらいだったのだ。
亮平は、今までの東出君と近いイメージ。まっすぐな好青年。コテコテの大阪男というのは新鮮だが、私は朝ドラ観てないからなぁ。

とにかく、麦と朝子のなれそめは鮮烈だった。なれそめ、というのは後に麦が遠縁の岡崎に語った言葉だが、そんな使い古された言葉がこれほど似合わないことはなかった。朝子は牛腸茂雄の写真展に訪れる。そこにいたのが麦で、朝子は最初から彼に目を奪われた。
彼の後をついて行って、学生たちが花火に戯れている場面を挟んで、光線と爆音と煙が一瞬やむと、二人は見つめ合い、歩み寄り、名乗り合い、キスをした。「そんななれそめ、あるかい!!」と岡崎が叫んだのも無理からぬことであり、朝子の友人の春代は「あれはあかん、絶対にやめとき」と確信をもって忠告した。

牛腸氏の写真、あの双子?の写真は見た覚えがあり、そしてその写真にシャイニングを真っ先に思い出して、ゾワリとした記憶も同時に思い出し、そして、本作の展開を思うと、このゾワリは間違ってなかったかなぁ、と思う。
少なくとも私にとっては、本作はかなりのホラーだった。麦が魅力的であればあるほど、彼の存在が怖かった。そもそもなぜ麦がこの写真展に足を運んでいたのか。彼がそういうアーティスティックなものに興味があるようには思われない、のは、後の展開を見れば当然感じること。

それどころか、麦はあまりにも現実性がないのだ。まるで夢のような男なのだ。パンを買いに行ってくる、と言ってふらりと一晩帰ってこなかった時、岡崎は、そんなことはしょっちゅうある、一週間や二週間帰ってこないことがある、と平然としていた。
この時にもう、確信した、のは、春代の確信めいた言葉があったせいかもしれないけれども、きっと、いや絶対、コイツは一週間や二週間のノリで、何年も朝子の前から姿を消すだろうと。そして何年も経った後に、一週間や二週間のノリで、ただいまと言うだろうと。

いや、予告編でそんな雰囲気があったかな(爆)。でも、麦には百パーセント、そういう雰囲気があった。だからこそ友人の春代は心配し、やめときと言い、でも彼女は、恋が止められないことも知っていたから、あのクライマックスでも……ていうのはまだ先!
春代を演じる伊藤沙莉嬢はここんとこ一番気になっている女優さん。ハスキーボイスとさばさばした雰囲気がとても魅力的。いわゆるヒロインの友人役としてパーフェクトだが、それにしても個性的で、今後主演作とか見てみたい。

麦に去られたショックで、朝子は友人との連絡も一切断って、東京に出てきた。というのが判るのは、後に春代と再会した時なのだが。朝子はいわば、麦を振り切るために東京に出てきたのに、麦にソックリな亮平と出会ってしまった。
ふわっとした現実味のないような麦と違って、仕事にアツい情熱を注ぐ亮平はファッションはもちろん、雰囲気がとにかくまるで違って、先述したけど、これでよくソックリと判ったなぁと思っちゃったのだ。
後に麦がモデルから俳優へと人気者になっていて、髪を切った姿は、そら当然同じ東出君なのだからソックリになり、亮平も各方面で言われるようになることで、朝子の秘密を知ることになるのだが。

朝子が東京に出てきて出会う友人マヤ、そして亮平の同僚クッシーとのシークエンスがこれまた、素晴らしいんである。山下リオ、瀬戸康史、共にとても先鋭的で、素晴らしかった。
リオ嬢が演じるマヤは、今はまだ再現ドラマぐらいにしか仕事がないけれども、舞台の芝居に情熱を燃やしている。瀬戸君演じるクッシーは、かなりの皮肉屋で、この四人での“合コン”で、マヤにマジの演技論でぶつけちゃって、チェーホフでさ!

これはさ、監督自身の凄い思い入れを感じたなぁ、それとも実際に原作であったのかな??でもでもさ、このシークエンスは、ちょっとした本作のエポックメイキング、リオ嬢と瀬戸君のぶつかり合いが、めちゃくちゃスリリングだった。
俳優、芝居、舞台、マジな思い入れが、観客にビシバシ伝わって、そして……当然この二人は、……なるよねーっ!とワクワクしたものだ。

朝子は、友人たちにも元カレがソックリだったことを告白したし、友人たちに止められても、それを亮平に言うんだと悲壮な決意を固め、実際にそれを実行し、彼からオッケーだってもらったのだ。
それも亮平は、知っていた、というのだ。まさかその後、麦が朝子の前に現れるなんて、そんなこと予想しなかった……訳じゃない。先述したように、この自分勝手なファンタジックコケティッシュ男は、朝子の前にさらりと現れるに違いない、そう思っていた。

実際にそうなった訳なんだけれど、なんかそれは、ひどく現実味に欠けていた。今や人気者になった麦が、突然朝子と亮平が暮らす部屋のドアの前に立っているだなんて、ドアを開けたらいるだなんて、そしてソックリなのに、やっぱり明らかに麦だなんて、これは、もう、もう、ホラーなんだもの!
それにその出来事が朝子の妄想だったかのような処理がなされるから、そういうことか……と思っていたら、マヤ、クッシー、春代が二人の結婚を祝ってくれているレストランに現れる。マジ、マジ、ホラーだよ!

しかも、必ず朝子のところに戻ってくるから、という台詞は、一体何年前?その約束果たしたでしょ、とばかりにさしのべた麦の手を、こともあろうに、こともあろうに、朝子は、朝子は、つかんで、走り出して、二人とも携帯も何も放り出して、「実家が北海道にある」という麦の車に乗って行ってしまう!!

この時の麦は、髪も切って、格好もモデルらしくパリッとしているから、亮平、つまりイメージの近い東出君と確かに似ていた。東出君と似ていた、なんていう表現はおかしいが、でもそうとしか言いようがない。だって似ているのは、写真として切り取った顔立ちだけで、現れた瞬間から空気が違うんだもの。
本当に、東出君にやられた、と思った。しかし最もやられるのはむしろこの後。朝子はこの逃避行を、やり切ることが出来なかった。
むしろ春代が「やりおったな」と好意的(というか、諦めと言うべきか)のLINEを送ってくれたことが意外なぐらいで、最初からこのファンタジー男の先行きなんてなかったのかもしれないけど、でも彼が本当に朝子のことを愛していてくれたなら、どんなに得手勝手でも、違ったかもしれない、と思った。

朝子が亮平を愛していることに気づいて、百パーセントムリだと判ってても、でも戻るしかない、と告げた時、麦はまるで、まるでまるでまるで、頓着しないんだもん!あ、そう、てな具合。いや、冷たいんじゃなく、笑顔で。
つまり彼は、ただ単に、朝子との約束を果たすために連れ出しただけ、必ず朝子の元に戻ってくるから、という約束を果たしただけ。そうなんじゃないの、だって好きだとか愛してるとか、言ってない、言ってないんだもの。そしてあっさりと北に車を走らせる。一体、一体、彼は本当に、現実の、生身の人間だったのか。

被災地の支援活動で知り合った地元のおっちゃん(仲本工事!イイ感じ)に頭を下げてお金を借りて、亮平の元に戻る。この時、おっちゃんは、絶対に男は許さないと言った。朝子もうなずいた。何度も何度もおっちゃんは、バカなことをしたな、と言った。
亮平の元にたどり着く。何より衝撃だったのは、彼が、猫を捨てたと言ったこと。二人で飼っていた猫。お前が先に捨てたんだからな、俺にそんな気持ちの余裕はない、と吐き捨てるように言った亮平の台詞に、そりゃ当然、何も言うことなんかできない。でも私はこの時にかなりのショックを受け、愛する人に裏切られると、猫を捨てるのか……と思っちゃって、観点が違うが(爆)、でも結果的に亮平は捨ててなんかなかったことを知って、めちゃくちゃホッとしたのであった。

それでこそ心優しき亮平なのかもしれんが、それが当然なのかもしれんが、でも恋にこんな形でやぶれたら、それこそ猫を捨てちゃうのかもしれない。朝子は一瞬ショックを受けた表情はしたけれど、自分の報い、当然、と受け止めて、探し回って……あの、暗い緑の草むらの絶望的な感じ、そして引きの画面で、一見のどかに見える田舎の風景で、朝子が激怒する亮平を必死こいて追いかける、走る、走り続ける場面、忘れられない。

でもさ、あれもさ、結局は猫を捨てることなど当然できなかった亮平にとっては、朝子のことを思い切れなかったこととイコールで、いまいましかったに違いないのだもの
。芝居でもさ、あんなリアルに裏切られた女の子に激怒している東出君、ていうのは想像もつかなかったから、もうホントに死にそうな感じで、麦役のエキセントリックさに驚いていたけれど、本当の本質の、本作での彼の素晴らしさは、この普通の男の絶望的な苦悩にあったのだと思う。

ヒロイン、朝子役の彼女は初見で、なんというか、影のあるみずみずしさ、といった時空を超えたような魅力。撮影当時10代!マジすか!彼女が言うとおり、大恋愛してたすよ、生涯一の大恋愛、映画でしてしまって、もうどうするの!★★★★★


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