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「ひ」


2020年鑑賞作品

美姉妹・犯す
1980年 70分 日本 カラー
監督:西村昭五郎 脚本:佐治乾 瀬山節雄
撮影:山崎善弘 音楽:甲斐八郎
出演:風祭ゆき 山口千枝 江崎和代 内藤剛志 田浦智之 上月左知子 白山英雄 坂本長利 森洋二


2020/8/14/金 録画(東映チャンネル)
近年、緻密な物語構成のピンク映画にすっかり慣れ切ってしまっていたので、あまりにもシンプルで、てゆーか物語などないに等しいのではないかと思われるほどストレートな運びにかなりボーゼンとしてしまう。
こんなレイプだけで成立しているような映画が、成人映画とはいえど通ってしまうなんて、男性の観客しかいないという感覚が当時はあったのかな、とも思ったが、このシンプルな構成、つまり男と女、セックスの優勢と劣勢、身分の格上格下、そうした、人間の構造のアレコレがハッキリと示されてることに気づくんである。

むしろ今だと、この当時よりは女性の立場も向上したし、こんな無体にレイプされ続ける描写がまかりとおるような時代ではないけれど、でもだからといって、セックスにおける、恋愛における、そして身分の格上格下だって今の時代でもなくはない。
それが“緻密な物語構成”の中に埋もれているのかもしれないと思うと、このまっすぐな、強引ともいえる構成が、ものすごく優れているのかもとさえ、思えてくる。

タイトル通り、美人姉妹である。しかも自分たちから箱入り娘だとモノローグする。いや、それをモノローグしているのは和服の似合う古風な姉の方である。着ている服装、ヘアスタイル、風貌、どれをとってもハッキリ対照的で、最初から姉はもしかしたらこの時点でまだ処女であり、妹は絶対経験あるな、てことさえ、判っちゃう。
それは仲良く連れ立って帰ってきた彼女たちが、着替えにそれぞれの部屋に入り、妹ちゃんがブラウスの下いきなりおっぱいぽろり!ブラジャーしてなーい!!というところで妙に確信めいたことを思う。

劇中の会話からお姉ちゃんは大学を卒業しているらしいが、その後はいかにも家事手伝いという名目の何にもしてない贅沢暮らしで、時に生け花なんぞたしなんでいるというザ・お嬢様。
妹ちゃんの方は自室でセル画を仕上げ、アニメ制作会社に持っていく描写があるから働いている、しかもクリエイティブな、という対照的差はあるが、その届けた制作会社で泥のように寝ている社長がいて、「ようやく締め切りに間に合わせた。朝までかかって、みんなの出社は昼過ぎだな」という台詞を聞くと、この妹ちゃんはやっぱりここでもお嬢様扱いであり、なんたってお嬢様なんだから働く必要すらないと思われる。
「一週間風呂にも入ってない」この社長とさっそくヤッちゃう。恋愛というより彼女の奔放さを示しているようであるが、意外に本気だったらしい。後に、この社長との子を宿していることで苦悩する場面が用意されているから。

しかしメインはお姉ちゃんの方である。この姉妹の父親が経営している本屋のアルバイトに入っている清が、彼女たちの家の空き部屋に下宿に入ってくる。うら若き箱入り姉妹が生活しているところに性欲マンマンの青年を下宿させるだなんてありえんと思うが、田舎にきょうだいたちを残して夜間大学に通いながら真面目に働く清を両親がそもそもすっかりお気に入りで、そんな鬼畜レイプ野郎だなんてちっとも思ってないんである。
いや……清自体もそんなつもりはなかった、というのが最初の本心だったかもしれない。そらまあそういうお年頃だし、バイトしてる最中、洋ピングラビアを盗み見たりしていたけれど、まさか自分がお姉さまをレイプし、レイプしまくり、最後には妹交えて3Pすることになるなんて思ってなかっただろう。

最初はふとしたきっかけにすぎなかった。いや……最初からネラっていたようにやっぱり思える。シャワーの使い方がイマイチ判らないから教えてくれだなんて、いくらなんでもワザとらしすぎるもの。
濡れたタイルに滑ったお姉ちゃんを抱き留めて、思わず唇を奪ったところから話は始まった。その時の無礼を二人きりになった時に詫びたところまでは良かった。それをお姉ちゃんがいかにもお高い態度でたしなめたのがマズかったのかもしれない。

清はその化けの皮をはぐかのように、最初のレイプをした。そしてこの最初のレイプの時にはまだ、ハッとしたようになって、すみません、すみませんと言っていたものだったのだが、二人きりの機会を見つけるごとに、それがどんな隙間の時間……母親が買い物に出た隙とか……であっても、「俺は見つかったって、かまわないんだ」と言ってやまない。
このヤケクソ度加減はなんだろう……。なぜ昼間の学部に行かなかったのだと言われ、自分たち家族がこことは違って貧窮していること、下に幾人もの弟たちがいることを、姉妹の両親たちは、だから清君は偉いのよと称賛してはばからない訳なのだが、彼にとっては、それがまるで姉妹の前で自分のふがいなさを凌辱されているような気持ちになったのかもしれない。

だってまるで、飼育されているロバのようだもの。朝早くから本や雑誌の引き取り、店内作業、その後に夜は学校……いくら、頑張ってると褒められたって、空腹でガツガツ与えられたメシを食う自分のことをクスクス笑いながら優雅に眺めている美しき姉妹に対して、思うところがなかった訳はないだろうが、なぜそれが、お姉ちゃんだけに特化してしまったのか。やはり妹ちゃんはまだ、自分の立場に近いと思っていたのだろうか。
実際、妹ちゃんから中絶費用の相談を受けた時、清は自分のなけなしの貯金を差し出し、不安がる彼女に付き添って病院まで行った。そして関係を持った時も、お姉ちゃんに対するヒドいレイプとは違って、とても優しいセックスだった。優しいセックスできるんじゃん……と思わずつぶやいてしまったほど。

一度関係を持ってしまうと、妹ちゃんもこんな経験後で気が弱くなってるから、清にもたれかかるようになる。居間で二人テレビを見ながら手でチョメチョメするなんて暴挙に出て、思わず妹ちゃんが声をあげてしまうなんていう危険も冒す。
風邪気味だと偽って妹ちゃんを部屋まで連れていく時でさえ、ぱんつずりおろしてお尻丸見えにして手を突っ込むというやりまくりである。そして妹ちゃんの自室でくんずほぐれつしている様子を、お姉ちゃんが覗き見てしまうんである。

ここまでうっかり言い忘れていたが、清を演じるのは若き日の内藤剛志氏で、キャストクレジットで名前を発見したとたんびっくらこいたが、確かにお顔はそのまんま内藤氏なんだけど、本当に貧相な貧乏学生といった風貌そのもので、今の貫禄のあるベテラン役者である彼の雰囲気とは似ても似つかない。
時々ロマポルやピンクで若き日のベテラン役者さんに出会ってビックリすることはあるが、知らなかった分衝撃が大きい。こんなに耳が大きかったんだとか思ったりして……。

清はお姉ちゃんに妹ちゃんとのセックスを見られたことで、更にキチクなことを思いつく。てゆーか、この時点までは妹ちゃんに対してはひたすら優しい清君だったのに、「あんたの姉さんともヤッてるんだ。今度3人でやろうぜ」といかにもナイスアイディアを思いついたように言い、妹ちゃんが絶対ヤだ!と拒否するも、拒否したからなのか……この時から妹ちゃんに対しても、お姉ちゃんに対するようなキチクな態度を取るようになるんである。
誰に見られても、どうなってもいいんだ、という強硬な態度をとりつつ、用意周到に見つからないように、隙間時間を使って美人姉妹を3Pの快楽に陥れるように見えたのだが……。

閑話休題。清の同僚のエピソードがちょっと、ほっこりする。ヒステリックな女上司にいつも叱られているその同僚はついにキレて、辞めてやるよ!!と出て行ってしまう。
ある日、倉庫に在庫を探しに来たその女上司を待ち構えている同僚、お決まりのレイプなのだが、一応彼女自身に服を脱がせていく優しさ?はある。

いかにもぼさっとしたメガネ女子の彼女、毛糸のパンツやらどどめ色のタイツやらに武装されて、失笑しかけたところに、「お前、パイパンかよ!!」それだけで彼がカンドーしちゃうのもどうだかと思うが、まさにそれだけで二人がすっかりラブラブになり、キッツいメガネ上司だった彼女が清言うところの「キレイになりましたね」とまでに変身するんである。
いや、ただたんに化粧がケバくなってファッションが悪趣味になっただけのように見えるが、でもこれが幸せな恋愛ということなんだろうな……同等の位置を見つけたのだよね、二人は。

結局清はそれを得ることができない。確かに3Pは達成した。でも……この当時の3Pの定義(?)がどーゆーものかは判らんが、女子二人男子一人なら、フェミニズム野郎のこちとらは、女子二人がお互いを気持ちよくさせる場面は不可欠だと思っていて、それをフェミニズムを判ってる男子が快く(どっちの意味でも、快く)眺めていて、そして一人の男として二人の女を気持ちよくさせる責務がある、と参戦する、みたいなさ。

全然、だったよね。ただ交互に女にツッコみ、一応もう片方の女を手でいじってはいるものの、ツッコまれてない方の女は休憩中みたいな風は否めず……。
そもそもレイプ満載、セックス満載で突き進んでいく本作だから、次第にムリが生じるというか、清一人がレイプの形を崩さずに姉妹二人にツッコみまくるという3Pなので、しかも尺をかなり割くので、だんだん彼らに、特に清演じる内藤氏に疲れが見え始め、いやでも、それは計算づくの芝居か。

だってすっかりどろどろに疲れ果てた清がマッパで床に放り出され、それをパンイチでおっぱい丸出しの姉妹が仲良く手を取り合って笑いながら眺めているんだもの。
これはつまり、……形勢逆転、ということ??それまでこの貧乏学生に凌辱されっぱなしの、世間知らずのお嬢様だとバカにされっぱなしの二人が、男の精力をすっかり吸い取って、あー、さっぱりした!!ということなのだろうか。
私が見たかった姉妹のビアン描写は見られなかったが、ラストはこの姉妹が、雰囲気の違った筈のこの二人が、おそろいのセーター、ペアルックで腕を取り合って歩いているというのは、なかなかである。

時代というものは、やっぱり凄く感じるなあ。母親が和服姿だったり、常に女が男に給仕してたり。
一番衝撃だったのは、レイプ場面にやったら軽快な音楽がかかることなんである。そらまあ処女であっただろうお姉ちゃんが清によって次第に女を開発されて行く、ということなんだろうが(私はこれ、納得できないけど)、レイプを肯定するようなあっかるい音楽かけられるのにはさすがに閉口した。 うーむ、音楽ひとつで印象って全然違ってくる……てゆーか、この場面、内藤氏の顔が超怖くて、つまり彼は、これがレイプだという気持で芝居しているのが判るから、この音楽のチョイスどうなの……と思ってしまうのだ。ああ、時代、時代の違いか。

しかして伝説の女優、風祭ゆき様は素晴らしく美しかった。特に、清が妹とヤッてるのを覗き見るあの時のお姉ちゃんのショック受けた顔が一番美しかったなんて、それってつまり、こんなレイプされまくりだったのに、清に惚れていたってことなのか。そんなそんな……。★★★☆☆


his
2020年 127分 日本 カラー
監督:今泉力哉 脚本:アサダアツシ
撮影:猪本雅三 音楽:渡邊崇
出演:宮沢氷魚 藤原季節 松本若菜 松本穂香 戸田恵子 堀部圭亮 根岸季衣 鈴木慶一 中村久美 外村紗玖良

2020/1/28/火 劇場(新宿武蔵野館)
見目麗しき男子二人の写真に鼻の下のばして足を運んだら、とんでもない!てっきり腐女子大興奮の映画を期待……していた訳じゃなかったさ、だって今泉監督作品だもんね!!
でもまさかこんな骨太の作品だとは思いもよらなかった。あらゆるものを詰め込み過ぎたんじゃないのと、事前に知っていたら心配になるぐらいだったが、考えてみれば同性愛の問題においてそれらは確かにすべて連なるものたちなのだ。
なのにワレラ腐女子たちは美しき男子のラブストーリーにばかりキャーキャー言ってたんだから(猛省)。それはそれで素敵だとは思うが、でも、驚いたなあ。まさか裁判の場面まできっちりと描くとは……。

どういう経緯で本作が作られたのかは判らないけれど、岐阜のフィルムコミッションで、きっちり実際の土地を舞台に、キャストにはIターンを世話する役所の人間も出てくるし、移住してくれる人募集!みたいな意図は、絶対に本作の製作にはあったと思われる。
で、そこで同性愛者であることを隠して隠遁生活を送りに来たような迅と、後に彼を訪ねてくる元カレの渚が、しかも子連れでやってきて生活し始める、というのを、見た目的には高齢化が進んだ、つまりかなり保守的と想像されるこの土地を舞台に、しかも公式的立場で製作した、というのが、ものすごく意味あることだと、思ってさ!!
でもでも、迅がカミングアウトした時に地元のおばちゃん(根岸季衣。素敵!)が発した、「この年になると、男も女も関係なくなる」というシンプルな台詞が示すように、そもそも田舎だから保守的だとか、排他的だとか、まあなくはないとは思うけど、それ自体が偏見だったのかもしれない、と思わされたのだ。

冒頭は、腐女子を鼻血タラーリさせる美しきラブシーンから始まる。紗がかかったような美しき光線の中、目覚める裸体青年二人(キャー!!)。それ俺のセーターだろ、俺の方が似合うもん、だったら迅も俺のを着ればいいだろ、だなんて、もう鼻血ブーブーなイチャイチャを繰り返した後、唐突に渚は、別れよっか、と言うのだ。何の理由も言わず、本当に唐突に。
この時交換したセーターが、何年も経ってからお互いの気持ちが変わらなかったアイテムとして登場するのが、厳しい展開が続いた中間地点で腐女子をキュンと満足させてくれるから、なかなかやりおるのである。上手いんだよなあ、そのあたり。

渚が唐突に別れを告げた明確な理由は明かされないけれど、そもそもドラマがこの前にあったというのだから、そこでその理由が言われたのかな??どうやら、未来が見えないから、ということだったらしい。痛い。痛すぎる。
ストレートの恋人同士だったら、言葉上はそういう理由も言うかもしれないけど、彼らが感じるその意味合いとはまるで違う。そういう意味では渚はいち早くその先の人生をどう構築すべきかを、……自分を殺す形で思い描いていて、この時点で迅は大好きな恋人と一緒にいられることしか考えてなかったから、もうメッチャショック受けちゃって、いきなり田舎に隠遁しちゃう。
しかも特に仕事もしていない様子だから、何?彼は金持ちのお坊ちゃん??よく判らないけれど……。

そこへ渚が、こともあろうに子連れでやってくる。つまりは彼は結婚し、子供を得て、しかし離婚して元カレの迅のところへとやってきたんである。
なかなかの衝撃の展開だけれど、ゲイの人が自分を殺して女性と結婚し、子供をもうけ、そのままかりそめの自分を抱えて生き続ける、という話はよく聞く。勿論、渚と結婚した玲奈との関係のように、ゲイだと告げられるまで彼女が気づかなかったほどに二人の関係が、少なくとも女性側からは恋愛と取れるぐらい相性が良かった、セックスも出来た、という例もあるのだろうが、それ以外もきっと、数多くあるのだろう……。

どっちにしても、愛して結婚した筈の夫からゲイである自分を隠して生きられないと告げられた玲奈のショックは、彼を愛していたからこそ大きい。
そしてここで面白いのは、玲奈こそが経済的大黒柱で、渚は主夫に徹していたということなのだ。愛する娘の親権を争う時に、これがものすごく面白い(と言っちゃなんだが)展開になるんである。

本当にね、なんで世の中にはこんなにもシングルマザーがあふれているんかいなと常々思っていた訳よね。それこそいまだにこの日本では、経済的優位は男性の方にある。それはハラの立つ事実だけれど、イコール、女が子供の面倒を見るべきだ、という価値観の元に親権が決められているという、この古色蒼然の価値観。
むしろ経済的に余裕のある親の方が育てろ!!とか思っちゃうが、このケースでは、子供の面倒を見ていたのが夫の方であることが、なぜか二重に不利になり、経済的にも余裕がない、そもそも子供は女が育てるべきだ、という、矛盾アリアリな要素で妻側の弁護士(堀部圭亮。ヤな感じ!!)が責め立てるんである。

ああこれが、日本なんである。そしてゲイカップルに育てられる子供は不幸だと言うんである。ああこれが日本……だけではないのかもしれない。どうなんだろう。そういう点では先進国のアメリカあたりはどうなんだろうか。
それはそれでも、偏見はたくさんありそうなお国だが、思わず「トーチソング・トリロジー」なんぞを思い出してしまう。血がつながってなくても、自分たちの子供を持ちたいと思うのは、同性愛者だからかなと単純に思っていたが、本作で渚が「血のつながっている子供を持てるなんて思っていなかった」とそこにこそ執着を残すのが……勿論娘ちゃんを愛しているんだろうけれど、少し、切ないなと思ってしまった。

娘ちゃん、天真爛漫な空ちゃんが、まさにキーマンである。パパもママも大好きだから辛い立場なんだけど、見事な柔軟性で突然の田舎暮らしにも溶け込む。
空ちゃんは二人のキスシーンを見てしまう。うっわ、これはヤバい、もうその後の展開が予想されちゃう。予想通り、空ちゃん、地域の人たちにバラしちゃう。バラす、という感覚ではないのだ。ただ彼女は、大好きなパパと迅君が、お互い大好きだからキスしてたことを、シンプルに言ったに過ぎないのだ。

その思いが通じたから、特に迅に通じたから……彼は決心がついたのだと思う。正直言えばそれまでは、空に対しても子供に対する人見知りみたいな感じで、持て余しているような迅だったのだけれど、パパの大好きな人、とまっすぐになついてくる空ちゃんに、心を開かざるをえないという、ね、感情の描写を焦らない、ゆっくりと追っていくのがとても素敵だと思う。

空ちゃんが言うように、パパとママは嫌い合った訳じゃない、好きという気持は種類は違うにしても持っている、そしてパパと迅君は好き合っている。だったらみんな一緒に暮らせばいいじゃない!!という結論は、とてもとても純粋で、そうできたらいいよね!!と言ってぎゅっと抱きしめたいと思うぐらいで……でも出来ないの。出来たらいいけど、大人は出来ないの。それこそ、共産主義的価値観にあったなら、出来たかもしれないなあ……。

所有欲、プライド、何より譲れないアイデンティティ、それらが、間に存在する子供の所有権を左右する。モノじゃないのに、子供がそれに対して言う権利もないというのは……親権、というのは、まさに子供をモノ扱いする所有権だと痛感する。
だって、あの裁判の場所に、空ちゃんは呼ばれない。どっちに行きたい、なんて残酷な問いはされないけれど、逆に、空ちゃんの素直な思いをこの公式の場で吐露することさえ、出来ない。同性愛者の排斥、差別も辛い描写だったけど、思えば子供もまた、それ以上に辛い立場に置かれていないか。

根岸季衣さん演じる、おしゃべりなおばあちゃんも、迅の野菜と狩りをした肉を物々交換してくれるおじいちゃん(鈴木慶一!)も、生きたいように生きればいい、というスタンスは一緒である。ただ、おばあちゃんはコミュニティのみんなの気持ちを総括して、しかもなんでもないように言い、おじいちゃんは、迅と二人きりの時、これまた何でもないように言うけれど、一対一というとっておきのスタンスで言う。
おばあちゃんは住民に向かって説き、おじいちゃんは迅本人に向かって問う。性別という単純なくくりにしたくはないけど、キャラクターの差異とも言えるとは思うけど、この役割の違いが、なんか、グッと、きたんだよなあ……。

渚の元妻側も、深く掘り下げられる。女としては、彼女の立場も心打たれる。女としてはさ、男と張り合って仕事を頑張って、主夫を担った夫の存在が大きく、もしかしたら、私たちは新時代の理想の夫婦、というぐらいに思っていたかもしれないし、実際、こういう形が普通になってほしいと、女側としては、思った。
でも、親権を争うという段になって、女親だから有利、そしてゲイカップルを差別する戦い方、親権を得るには折り合いの悪い母親に頼るしかない……ああもう!
まあ正直私は、理解ある両親のもとに育ったので、結婚すらしてないけど、こーゆー場面になったらきっと協力してくれたと思うが、そしてそんなことが当然だと思ってしばらく生きてきたんだけど、そうじゃない親子関係を知る機会があって、けっこうショックで……。

しかもそれがさ、本作の中では、迅や渚の親族関係に関しては語られなくって、玲奈の保守的な母親に絞られるじゃない。単純にさ、ゲイのカミングアウト、親兄弟に対して、みたいなことを単純に想像していたところがあるから、そうではない、ゲイというアイデンティティを考えもしてない、しかも親という立場の人間の恐るべき冷淡さがね……。
てゆーか、その前から玲奈とは折り合わない関係にあったらしいから余計なのだけれど、渚と親権を争いつつも、玲奈が、同性愛という価値観に対して、娘の影響もあって、やっぱり少しずつ考えたのかなあという感じもして……。

もうだから、本当にてんこ盛りなの!!あ!渚側の弁護士の戸田恵子も素敵だったなあ!法廷シーンは本当にスリリングで、アメリカ映画を観ているみたいだった。実際、日本映画ではリアリティという点でも、予定調和というか、ここまでやらないよね、という慎重さが足かせになっている感じがする。
結果的に、元妻が責められることに耐えられなくなった渚が、和解を申し出る。それは、親権を渡すと言うも同然で、本当に悲しくて、裁判所を出た公園で、渚が迅の胸に顔をうずめて号泣するシーンが胸に迫る。

母親を手助けに一人子育てを始める玲奈が、しかしなかなか上手くいかず、ラストシーンは空ちゃんを連れて迅と渚の元を訪れるシーンで終わるのが、なんとも言い難い。
パパに見せるんだ!と練習していた自転車を張り切って乗り回す空ちゃんを、遠く遠く引いた、ドローンのように引いた視点から見つめる親子プラスパパの恋人のラストは、様々な予感と、ちょっとの不安と、でもきっと大丈夫!と、彼らに託す希望を感じさせた。★★★★★


必殺女拳士
1976年 81分 日本 カラー
監督:小平裕 脚本:松田寛夫
撮影:仲沢半次郎 音楽:菊池俊輔
出演:志穂美悦子 倉田保昭 天津敏 佐藤京一 大塚剛 石橋雅史 苅谷俊介 斎藤一之 南雲勇助 大前田武 高月忠 西本良二郎 小松方正 佐藤蛾次郎 加藤嘉 大泉滉 武智豊子 相馬剛三 亀山達也 沢田浩二 河合絃司 千葉治郎 岡田京子 千葉真一

2020/7/19/日 録画(東映チャンネル)
志穂美悦子さまと倉田保昭さまの美技を堪能できる明解な一作。お師匠様の千葉ちゃんは割と早々に姿を消すのだから、あとはこの若い二人に任せた!とゆーところだろう。
しかしシンプルながらなかなかにシュールな始まりである。1966年ニューヨーク、とバーン!とクレジットが出てくる国際派!凶悪事件が後を絶たないことで護身術としての空手が採用され、その空手師範のポストを巡って千葉ちゃん扮する沖縄空手の桧垣と剛武館総長の二階堂が激突する。

いや、そもそもは実績充分の桧垣を市警のロバート沖崎は強く推薦していたのだが、汚い根回しで二階堂が売り込んできていたことから話がこじれる。
てゆーか、穏当に話し合いで、と市警側が留保していたのに二階堂が果し合いという名の元に、こっそり殺し屋三人を手配して、桧垣を亡き者にせんとしたんである。

この場面、かっんぜんに西部劇である。意味もなく強風が吹き、戸がバッタバタである。廃教会でもあるものか、割れたステンドグラスなんぞが施されたりして、なかなかに攻めた美術である。
桧垣は幼い娘と共にその決闘場に現れる。彼自身は果し合いに応じるつもりなどない、日本人同士で泥仕合してどうする、と相手を説得するために来たが、なんたって欲得のためには相手を殺してもいいと思うぐらいの汚い相手である。

しっかしこーゆー公的なポストを得るのに、根回しはともかく相手を殺しちゃそりゃあまりにもとも思うが。
まあ結局片目をつぶしただけで(だけ……でもないが……ナイフぶっ刺して放置しないで……)殺しはしないものの、後の展開でも自分たちの利権のジャマになるものは容赦なく消すし、それってハタから見れば誰が差し向けたか火を見るより明らかじゃんと思うのだが……。

まあとにかく。この時父が卑怯な手口でやられるのを間近で見ていた幼い娘こそが悦子さま扮する由美である。
母親亡きあと父親が野心を持って娘を伴い単身渡米した、というなかなかの下敷きがあり、こんな目に遭ってその後は貧民街暮らしで、由美は隻眼の父親に空手を厳しく仕込まれて育つんである。

その手始めが、買い物かごを頭に乗せてうさぎ跳びで階段を登っていくというパンチ効いた場面。転んでしまったところをアパートのおばちゃんがまあ可哀想!と手伝おうとする、それを厳しく叱責する黒眼帯で階段の上から見下ろす千葉ちゃん!
幼い娘への空手の特訓はカットがさっと差しかわって妙齢の女性、悦子さまになる。「おれを二階堂だと思って本気で来い!!」あの時確かに幼き目に二階堂と三人の殺し屋の顔は目に焼き付けて復讐する気持ちはあったけれど、空手なんてキライ!!と日記に書き連ねているのを父は見てしまう。てゆーか、あんな判りやすく枕元に日記を置くな、いや、そもそも日記は見るな、どっちもうかつすぎるあたりは幸福な時代……。

娘の青春を奪ったという自覚はあったらしいが、でもこの、空手なんてキライ!!という気持はその後由美から感じられることはなかったし、それどころじゃなかったいうのはあるけど、わざわざこんなシークエンスを用意するなら、それへの葛藤を描いてくれなくちゃなあとも思ったが、さすがにこんな妙齢の美女に、父親の仇をうつことにまっすぐ向かうってのは、ムリがあるとでも思ったのかなあ。そんなことないんだけど……。

しかし父親が死んじまったのは、それこそ由美が本気でかかって父親をぶっ飛ばしちまったからではないだろーかとも思われるが、それこそ本望だったのかもしれない。
父親は娘の青春を奪ったことを詫びながらも、自分を推薦してくれたロバート沖崎氏も非業の死を遂げた。彼のためにも二階堂を倒さなければならないのだ、と告げて息絶える。
で、由美は東京に向かう訳だが、確かにこの時きちんと台詞で残しているのに、私はぜんっぜん、このロバート沖崎氏のことが頭にないまま見進めてしまった。名前が頭に入ってれば、倉田氏が沖山、と称していたってすぐに気づいたはずなのになあ。

そう、倉田保昭氏扮する沖山は、本当は沖崎。彼もまた父の仇を討つために空手の腕を磨いて、正体を隠して二階堂の主宰する剛武館に弟子入りする。はた目から見ても彼の実力は道場の誰よりも上であるが、沖崎は二階堂の自尊心を上手くくすぐり、イヌにもなれるという態度で様子をうかがっている。
倉田保昭氏は、この自粛期間中の東映チャンネルですっかりヤラれてしまったオトコである。はあぁ。めっちゃカッコいい。まさに和製ブルース・リー。和製ドラゴンと呼ばれていたのか、そうか!!

決して大きな体ではない。小柄だけれど、華奢ではない、締まった筋肉がしかも細すぎない感じが、たまらない!!顔つき、ヘアスタイル、ストイックさ、ああすべてが、ホレてまうやろー!!である。
悦子さまとは同じ仇を共にする同志であるし、共に妙齢なのに、一ミリも色っぽい雰囲気なぞにならないところが素晴らしすぎる。

道場破りよろしく二階堂を訪ねて来た由美を見た時から、まだ正体が判らないながらも沖崎は彼女の実力を、そのすり足だけで見て取ったし、桧垣、という名前で即座に志を共にする相手だと知る。
まず敵の目をくらますためもあってだけれど、正当に、命をも賭した一騎打ちの闘いを挑み、きちんと負けて、剛武館から追われる。後に剛武館からはわざと女に負けたかと言われ、それを否定もしなかったけれど、そうではないと思う。同じファイターとして、そんな失礼な真似をする訳がない。ただそれをわざわざわからん相手に説明する必要がないだけだ。

由美が父親のお骨を抱えて帰ってくる前後のシークエンスはなんとなくほっこりする。あれは父方なのか母方なのか、おじだという和尚様のお寺に身を寄せる由美。ぐーたらテキヤの蛾次郎さんがいて、お寺に蛾次郎さん、もうまんま男はつらいよの蛾次郎さん!て感じで嬉しくなっちゃう。和尚様は笠智衆じゃないけれども(爆)雰囲気はそんな感じなんだもの!!
その正体も知らずにスリを働いた由美から追いかけられて、強くて美しい彼女にスッカリ惚れ込んでしまった彼が、鼻血を出して渡されたハンカチを思わずかいでしまう場面とか、由美と共につい噴き出しちゃう!!

テキヤ連中がヤクザ連中にショバ代吊り上げられて困ってケンカになる展開があり、蛾次郎さんから泣きつかれて由美が立ち回ったことからその後も付け狙われる。なんとまあ、いかにも獰猛そうな大型犬を何匹も仕掛けらる!うわー……闇のパープルアイ(思い出したくない……)。
それだけでも恐ろしいが、その大型犬に次々に襲われながら、見事な空手技で投げ飛ばし、犬たち全滅。いや、死んだわけではなかろうが、犬に襲わせるのもやっつけちゃうのも、現代じゃコンプライアンスで絶対ダメ……。
悦子さまは、マント姿が美しい。剛武館に道場破りよろしく乗り込む時も、バッサー!!みたいなマントをくるりと回してはおって去ってゆく姿がカッコよすぎる。

剛武館が政治家との癒着も絡んで空手の世界選手権大会を主催する。世界中から腕の覚えアリの選手が集まってくるに違いない、それを剛武館の選手たちがぶっ潰し、名をあげることで、近年高まっている若者たちの空手志願をまだ後進で今まで苦戦していた剛武館に集め、それは政治家への支持母体にもつながっていく、という算段である。
今の感覚ではなかなか考えにくいが、当時は若者の政治への関心も今よりずっと高かったということなんだろうと思う。しかして、先述の通り“世界中から腕に覚えアリの選手”を軒並み闇から闇へ葬るという、判りやすい手段に出る。

それに使うのが、桧垣を消そうとした時の殺し屋三人と思えば、あら、随分トウの立った三人をいまだに使うのね、と確かにこの時点で思う訳。だって由美の年恰好から考えれば軽く10年は経っているということでしょ。
ことにその中でも白髪の殺し屋さんは、足が不自由なフリで近づく感じが印象的だが、足じゃない部分で不自由を抱えていることを隠すための戦法ではなかろうかと徐々に判ってきたり。

耳、じゃなかったのかなあ。目が見えない感じの彼は、とにかく耳の情報、音の情報に頼っていたところに、ある時鈴の音だったか、鐘の音だったか、音響爆弾のように彼を襲って、どうしようもならなくなった、のを、由美は見逃さなかった。
三人の殺し屋の中で一番の強敵と考えていたこともあったかもしれない。風の流れと、音。最終的に丈の高い立ち枯れた草むらの中で、あらゆる五感を駆使して無数の敵と戦う由美と沖崎は、ことに由美とこの白髪で盲目の殺し屋さんとの対決は、色彩や音声や……ひどく印象的なのだ。

由美は彼らに襲われてバッキバキに折れてしまった片腕に、父親の戒名の板を巻いてこの闘いに臨んでいる(なんとムチャな……)。幼い娘時代のフラッシュバックのような回想のシーンもスローモーションや色あせた色彩が使われていたけれど、それはまあ、ありがちというか。
今、この時、対決する相手との、色を失って、音も失って、穂先に突き刺した無数の鈴の音が聞こえるこのスリリング!!

引きの画だったりもするけど、この二人ならスタントを使うってことはないだろう、結構な崖から宙返りして下の地面に飛び降りる、美しいシルエットの場面とか、悦子さまと倉田氏のありえない美技にいちいち嘆息するばかりなの。
そらあ時には、いやいや、あれブロック塀の筈なのにやけに薄いな!!とか思うことはあるよ。ちょっとコントっぽい美術だなとかはさ。でも急に、そんな風に超本気になってビックリするのよ。死んじゃうよ!!てことをするのよ。
悦子さまが宙返りしてそのまま相手の首に足を巻きつけてドサリ!と垂直に倒すところとか、凄かった。あれ、そのまま首折れて死んじゃうそうだもの。ここまでアクションを徹底していながら、バッキバキに折れた腕を父親の戒名板が守るとゆーあたりは、いかにも日本的浪花節だよね!!

決して前髪乱れない悦子さまと、締まった小柄な筋肉の倉田氏にうっとりする一作。こんな本物のアクションスターは今は望めないのが寂しい。 ★★★☆☆


VIDEOPHOBIA
2019年 88分 日本 モノクロ
監督:宮崎大祐 脚本:宮崎大祐
撮影:渡辺寿岳 音楽:BAKU
出演:廣田朋菜 忍成修吾 芦那すみれ 梅田誠弘 サヘル・ローズ 辰寿広美 森田亜紀

2020/11/2/月 劇場(新宿K's cinema)
ポスターなどの宣材写真に使われているのが、実際は顔面パックをしている状態なんだけど、ミイラか、顔中に傷を負って包帯ぐるぐる巻きにしているように見えて、もんのすごくゾッとするビジュアルで、うっわこれは、コワそうだけど観なあかん!!と思った。
実際は劇中のワンカットで、本当に単に顔面パックをしているだけなのだが、写真に使われた、妙にズれてボケている感じ、そしてモノクローム、すべてが異質というより異物感というか、ひたひたと何かが押し寄せてくる感じ。

そして見終わってしまえばあのカットを宣伝ビジュアルに使ったのは、ひどく意味深長なのだ。もうオチバレで言っちゃうが、この世の中から自分という存在を消したくて、彼女はヤミの整形手術を受ける。本当に、ブラックジャックにかかったかのように、全く違う顔の女に生まれ変わる。
倉庫のような場所で受ける手術、顔に無造作にマジックで書かれるメスを入れる線などがひどく恐ろしく、顔中ぐるぐる巻き包帯なんてヤボなカットはないんだけど、なんかひどくそれを想起させるのだ。

最初は、なんでモノクロで撮るのかなあと思った。時々意味なくモノクロで撮ってくるインディーズ作品があって、スタイリッシュに見せたいためだけみたいに感じて萎えてしまうこともあったから、その手合いだったらヤだなあと思っていた。
しかし、ヒロインの愛がたどる描写がそれぞれに空虚で、奇妙な虚無感が漂っていて、それは普通にカラーで見てたら、まあこういう生活あるんじゃないの、と思うところを、あれ、何かヘンだ、ヘンかもしれない、と神経をカリカリと引っかかれるように感じ始めるのだ。

愛は姉妹四人と母親、そして叔母と暮らしているという図式。父親の影はない。そして、在日コリアンということらしいが、その情報もかなり唐突というか、確かにコリアンタウンで暮らしているし、愛が何とはなしに眺めているような在日コリアンのドキュメンタリー番組とかはあるんだけれど、彼女たちの生活に殊更にそれを示すものはない。
だから彼女がネットにエッチ動画を流された被害を届けた時に、担当官から唐突にパクさん、と呼ばれることにえっ、と驚くのだ。演技学校でもバイト先でも、日本の苗字で呼ばれていたから。
本名の他に日本の通称名があるということを、ここで唐突に示される。そしてそれは、在日さんのフツーであるだろうが、私たちが案外知らないところであろうと思う。

うがった見方になるけれど、本作の惹句、「私が増殖する」ネットで拡散される私かもしれない私じゃないかもしれない私、という恐怖が、日本社会における在日外国人という名でくくられる区別という名の差別から始まっていると言っているように感じてくる。
愛が、自分が在日であることを特に言うこともなく、言う必要もない環境なのかもしれないけれど、言いたくないのか、隠しているのか、そもそも問題にもしていないのか、などと考えてしまうのは、そうした問題に無知であることに委縮したり、身構えてしまうザ・日本人の愚かさなのかもしれない。

愛の通っている演技学校の空虚さと言ったら、ない。指導する主宰者はどんな経歴があるのかしらんが、漠然とした演技論を受講生に繰り返しぶつけて、もう一回、もう一回、と容赦なくやらせる。
一人の男子受講生が爆発する。正直ガイヤから見ても彼のバリエーションの乏しさは明らかだったが、そのことについて愛も含めた受講生たちが議論になるんである。そもそも女に甘い、彼の指導方法について腑に落ちないと噴出する。

愛は特に言葉を発さない。彼女はこの演技学校にしても、バイトにしても、熱心さが感じられない。バイト、は、オンラインセックスのあれがそうなんだろうか。それともあれは、彼女が個人的にやっていたことなんだろうか。
バイト先での描写がかなりあいまいに処理されていたから、それもひどく気になるところである。客引きで着ぐるみのうさぎだのなんだのを着て呼び込むのだが、何を呼び込んでいるのか判然としない、のは、私が見逃していたのかなあ。
昔はテレフォンセックスと言っていたが、なるほど、今は声と顔が同時にコミュニケートできる時代だもんねえ、と、本作が製作された時にはコロナなんてこともなかっただろうが、妙に象徴的に感慨にふけったりする。

しかし本作はそんなノンビリしたことじゃない。愛が遊びに行ったクラブで出会った青年。愛はそんな、遊んでる風でもなく、この時も演技学校の仲間に誘われた先で、ぐらいなことだった。その青年の“家”についていった。
もうこの時点でお互いセックスする気はマンマンで、お互い合意の上なら行きずりの一度きりであったって、別に責められることじゃない。大人同士、なんだから。彼のマンションのソファで、ソファってあたりがいかにも行きずりセックスだが、まあとにかく、欲望を満たし合う。それでいい筈だった。
愛はこの時、青年の肩越しにこちらを向いておかれているレトロなカメラを見つけていた。その時に予感があった筈なのに、そのまま身をゆだねてしまった、のだ。

そもそも愛はなぜ、あの動画を発見するに至ったのかというのも、彼女自身の欲求不満なのか、直感だったのか、かなりシークレットな動画サイトに見えたのに、と思うが、それこそが、彼女が警察にまで届け出ることを躊躇させたことであり、そもそも彼自身に問いただすことが出来なかったのもそうなのか。
なんと愚かな。彼は、これが演技なら、オスカー受賞なみの、どうしたの?という表情を崩さず愛に応対するから、彼女は何も言えない。

しかし動画サイトにアップされる動画は、更に接写のアングルでなまなましいバージョンが追加されてくる。たまらずもう一度彼の部屋を訪れると、見も知らぬ外国人男性二人が顔を出す。部屋はそのまま、あの時のままなのに。
呆然とする愛を心配するかのように声をかけてくる彼らに適当に言葉を返して、その場を去るしかない。結局警察に届けた愛が聞かされたのは、違法民泊所として使われていた場所だったということ。

警察から紹介された、性被害者の会に参加してみても、これもまたひどく空虚でウソくさい。モノクローム映像がその感覚をぴりぴりと押し上げてくる。
この会の会長として場を仕切る女性がサヘル・ローズ嬢で、彼女の名前をキャストクレジットで見た時から、一体どんな役で登場するのかと興味津々だった。

一見して、彼女は、被害に遭った参加者たちに当然同情的だし、吐き出すことで、そして同様の経験をした人たちと共有することで、傷ついた心を治癒して行ける、と信じているように見える。一見して、である。しかし、かなり早い段階で、その、一見して、参加者たちに対して、同情的で、寄り添っていて、理解者である、というのが、仮面ではないかと観客、そして愛に感じさせるウソくささが隠しようもなくなるのだ。

これは本当に不思議で……サヘル嬢自身がことさらにそんなウソくさい演技をしている訳ではない。意識はしているだろうけれど。もしか他の芝居の場面で見たならば、真摯で思いやりのある会長さんにしか見えないのだ。
だけど、彼女に促されて語る参加者たちの“経験”は、彼女に誘導されるがごとくまるで逸脱せず、誰もが相似形、どころかおんなじ体験をしているかのごときで、確かにその体験はヒドイものなのだけれど、共有することこそをこの場での最優先としているゆがんだ状況に気づいてしまうと、サヘル嬢の慈悲深いお顔がなんと歪んで見えてしまうことか!!

そもそも、一夜限りの相手の青年、忍成君である。ああ彼の、めっちゃ端正だけど、どこか、唇なのかお鼻なのか、目付きなのか、なんかどこかね、微妙に歪んだようなトコがあって、それを彼自身の卓越した芝居に重ね合わせると、まさに「リリイ・シュシュのすべて」の時から発揮されている、悪魔的な男に見事に変貌してしまうのだ。
しかも本作では、悪魔的な男、というのは、彼が姿を消してから付与された、いわば空虚なイメージである。愛と実際に関わっていた時は、フツーにちょっとイイ男で、あら、一夜を過ごしてもいいかしらん、といった程度である。
しかし彼はやはり……底知れぬ恐ろしさがある。実際の芝居シーンではそんな恐ろしさは見せないのに、姿を消した途端、サイコパスかストーカーか、あるいは実際には存在していなかった恐怖の何物かなのか、なんてまで変貌する。

ネット上にバラまかれた映像をどうしようもなくなって怯えたということはあるにしても、警察側で削除要請は出しているのだし。まあ……拡散は無限だから結局はね、ということはあるにしても、でも愛が恐れている対象が、最初はネット拡散だったところから、少しずつ、少しずつ、ズレていった感じがある。自分の後にひたひたと忍び寄る視線。一体あの青年はそもそも存在していたのか、とか。
街中に張り巡らされた監視カメラが、あの男の目に見えてくる。そして、愛は、家族や仕事や役者への夢や、すべてを放りだして、パスポートとクレジットカードと有り金全部をつぎ込んで、違う自分になることを選択するのだが……。

そ、そこまでする!?とはさすがに思った。家族もいるのに……と思ったが、あの女くさいひしめいた家族の中で、愛だけが確かに、浮世離れした感じがあった。
役者の夢を抱いて東京に出たものの帰ってきてしまった彼女に対して、妹たちはただ無邪気に、東京に遊びに行くから安い宿を教えて、だのとキャピキャピ相談したり、していた。
私がいたのは神奈川だから、とそっけなく言い放った愛は、神奈川もディズニーランドのある千葉も東京と一緒やろ、と言う妹たちの無邪気さとは明らかに異質だった。

劇中で特に示されはしなかったけど、解説を見ると愛の年齢設定は29歳。結構キツいトコである。ヤミの整形手術で別人として人生をやり直すてな決断をするぐらいの年齢である。
ザ・フツーのOLとして勤めている様子が描写される。ザ・フツーの恋人とイチャイチャしている。手料理をふるまい、アイス買ってきてくれるはずだったのに!と痴話げんかし、一緒にコンビニに買いに行き、パピコを半分こし……ただただラブラブだった、はずなのに。

愛する恋人の横で目が覚める。鏡に顔を写す。かつての自分とは完全別人の自分をぼんやり眺める。はっと、気配を感じたように横を向く。鏡の中の彼女の、ハダカの肩にするりとどこからか這い出たように、男の手が置かれる。置かれる!!その手を無防備に眺めた一瞬でカットアウト。うわああああーーー!!!

……あーもう、マジやめて。最後の一瞬でホラーやんか……。年のせいか、ホラーはマジ怖い、若い頃のように見られないよ……。
いやあなんつーか、意識して説明をせずに観客を試すように連れて行く。イジ悪いわー!と思いながら、このモノクロームの、リアルと不条理を行ったり来たりの、絶対入りたくない世界観に、首筋がただただゾゾゾと戦慄するばかり。★★★★☆


人妻そして社長秘書… 〜SEXで始まる快適なビジネスライフ〜(人妻社長秘書 バイブで濡れる)
2001年 62分 日本 カラー
監督:渡邊元嗣 脚本:波路遥
撮影:飯岡聖英 音楽:
出演:時任歩 水原かなえ 林由美香 ささきまこと 十日市秀悦 熊谷孝文

2020/4/29/水 録画(東映チャンネル)
2000年代に突入しているとはいえ、20年も前になるとさすがに隔世の感がある。そもそも新東宝というの自体が懐かしい。
いや今も存続はしているらしいけれど、ほぼほぼ聞かないよね……ピンクの製作本数も作り手や女優さんの個性も百花繚乱と言いたい時代だったこの頃、まず頭に上るのが新東宝作品だったもんなあと考えると、本当に……。

そしてピンク映画と言えばフィルム映画の最後の砦、いまでもフィルムで作っている、っていうのがピンク映画が古き良き撮影所スタイルさえも残す上での大前提であったことを思うと更に隔世の感が。
そう、まず画の一発目で、フィルムの手触りというか画触りというかうっわ、なっつかしい!!と思ってしまったのだもの。
とにかくクリアな映像時代になった今や、フィルムの質感は古ぼけて受け取られてしまうのかもしれない。そうだよね、いまや昔の映画もデジタルリマスター版とかいって、とにかくクリアに生まれ変わらせちゃうんだもの。

前置きが長くなったが……だから本当、懐かしい感じがしたんだなあ。ピンク映画としての定型も妙にキチンとしているような感じがして、それも心くすぐるものがあった。
まず夫婦。倦怠期。オフィス。不自然な超ミニのタイトスカート。今はほとんど見かけない腕時計に男のプライドを乗せている感じ。若い子は単純に趣味が悪く、オジサンはとりあえず金ぴか(多分総じてロレックス)。

社長はとりあえずエロオヤジ。同僚もとりあえずエロ女子&男子。給湯室でのセックス、それを覗き見てオナニー。ああ定型、安心感。……と思っていたところに突然官能をつかさどるチャイナドレスの美女が舞い降りるという不条理さも、ザ・フリーダムなピンク映画のある種の定型。
そしてそれはピンク映画の終焉は彼女が逝ってしまったからかもしれないと思わせる、伝説の女優、林由美香様なのである。

由美香さんも久しぶりに観た気がしたなあ。ヒロインの時任歩と共に当時のザ・アムラー眉が懐かしすぎる。細眉に整えるための剃り跡が見えちゃうあたりの甘さも懐かしい。
由美香さん扮する官能の天使?福俵満子(当然、マ〇子と読み間違えるくだりは繰り返される(爆))もまずなぜチャイナドレスかというのに特に意味はない設定の甘さも良き。
しかし、くるくる肩の上で回すピンクの傘が、単なるナイロンの雨傘で、マジックテープの止めとかだらんと見えちゃって、うーむこの場合はチャイナドレスに合わせたレースの日傘チックなものとかさ、なんかやりようがあったんじゃないかと思うが、その辺は予算のないピンク映画だから仕方がないのか、うーむうーむ。

なんか全然物語をすっ飛ばしているが、さしたる物語はまあないもんだから(爆)。先述したように倦怠期の夫婦、夫がリストラされ、専業主夫として働きに出る妻を見送る。専業主夫でもあんなベタな胸当てエプロンは当時でもしないと思うけどねぇ。
物語の冒頭はまず夫婦のセックス。それなりの手順だが、夫が勃たない。こういう状態だから仕事で疲れているんじゃなく、この立場に対する男としてのプレッシャーか(今だって男女平等は程遠いんだから、20年前ならなおさらである)とも思われるが、意外にそのあたりはそれほどには追及されない。タイトルからしても、奥さん側のオフィスでのモンモンがメインとなるせいもあったとしても。

オフィス。これまた。ブラウン管型のパソコンに卒倒しそうになるぐらいグッとくる。私がこのサイトを始めた頃の時代と完全に合致するからさ(そしてその頃と体裁を変えることが出来ずに今に至る……化石……)、もう涙が出るわ、いろんな苦労を思い出して、懐かしくて(涙涙)。
考えてみれば、年齢的には劇中のヒロインの時任歩や由美香様と変わらず、こんな風にパソコンを目の前にぱちぱちとブラインドタッチ(死語!!!)するOL(これも死語だろうな……)はアコガレであった。就職浪人したからねぇ……。

また脱線してしまった。てなわけで、ヒロイン茜は社長秘書として就職したばかり。セクハラが基本だと同僚から囁かれボーゼンとするところから始まる。
そもそもセクハラという言葉が、当時はハヤリ言葉ぐらいに受け止められていて、だからこそピンクにアッケラカンと登場するし、マジなテーマとしてはまだまだ昇華されてなかったんだよなーと懐かしく述懐するんである。
とーぜん、パワハラという言葉どころか、モラハラもマタハラも言葉以前にそうした価値観も存在していなかった時代。平和だったのかなんなのか。

ところでさ、昭和じゃないのよ、もう平成の時代なのに、何何、このボカシの雑さはなんなの。これは……CSとかそういうテレビ映像に際してはヤバいと思っての処置なのか、こんな、画面の大半がボカシなんてシーンもあって、こんなん、そもそもエロを見に来た成人映画館の観客さんは怒るでしょ!!
……これはどういうことなんだろう。いくらなんでもこんな、まるで「愛のコリーダ」に科せられたボカシの嵐みたいなことではない気がする。劇場にかけられた時には規制が緩かったんじゃないのかなあ。

だってさ、今はさ、ヘアぐらいはそんなに言われないじゃん。このボカシの嵐は……だって、悶々としたヒロインがスカートの上からイジイジするその手元さえ、ボカシなんだよ!!スカート透かして映るかっての!!
映像ソフトにした時が割と昔で、もうめんどくさいから全体ボカシにしちゃえ!!みたいな、ことだったのかなあ……画面80%ボカシはヒドすぎるだろ……。

……などと、いろいろ隔世の感をホント感じる。だってだって、本作のキモとなる、つまり、ヒロインの性愛、つまりは情愛を覚醒させる、官能の天使が持ってくるバイブ、バイブよ、あんなん、今やティーンエイジャーだって判るわ!てなヤツにまでボカシをかける。マジか……。
あれにかけちゃったら、そもそも本作は成立しないのでは……。しかしてそんなことにばかり気になっちゃたらホント話が進まないから。

てゆーか、正直前半は、先述したようなザ・ピンク映画の定型が盛り込まれていて、ちょっとタイクツしてしまうようなところはある。
後半になって急に凝縮して物語が発展するような感はあるのだが、そんな前半の中でも、ザ・コメディである本作の、そしてピンク映画であることを存分に発揮するシークエンスなぞはやはり嬉しくなるんである。

官能天使からもたらされたバイブは寸止めで、モンモンとしているところにエロハゲ社長が突然現れる。しかもバイブを「中に入れて隠す」モジモジて!ありえーん!!
おっぱい丸出しで慌てて逃げ惑うヒロインの歩嬢、机を挟んであっちに逃げるかこっちか、みたいな攻防戦が可笑しくて、ついにエロ社長に捕まっちゃうのもアクロバティックで可笑しくて、き、気持ちいい……と崩れ落ちるのまで可笑しくて、というのは、書いててもこれはかなり、凄いことなんじゃないかと改めて思えてきた。

だって私は筋金入りのフェミニズム野郎。女をバカにしている!!とすぐに言いたくなるヤローなのに、時任歩嬢が上手いってのもあるだろうが、つまりは女側がこの場の主導権をきちんと握っていて、決してエロ社長にヤラれるってんじゃない、コメディとして、コント場面として素晴らしい出来になっていて、笑っちゃったんだよなあ。

こんな超美女で超ミニスカートで社長秘書なのに、「私、夫以外とは……」と言いつつヤっちゃって、落ち込むってのがピンク映画のステキなところである。
そしてステキなのは、そんな彼女の夫はさえない風貌といい立場といい、現実社会に即していることなんである。これはヤハリ、観客であるおっちゃんたちの需要に合わせてのいい意味での矛盾であろうと思われる。

つまり二人とも、新婚時代の「ただ見つめ合ってしまう」幸せを忘れているけれども、でもやっぱり愛し合っているんだということをお互いどう示していいのか、悩んでるってトコなんである。
ことに先に官能天使に寸止めバイブをもたらされた奥さん側は、モンモンが頂点に達し、すやすや眠っている夫を見下ろして全裸でオナっているという、ショーゲキの画ヅラすら登場するんである。

夫側は、この官能天使に、自分が隠しているエログッズをことごとく掘り返されて狼狽する。その中にその官能天使、由美香さん自身のグラビアが登場しちゃうというのが笑っちゃうし、当時、というか、この夫の青春時代のアイドルという設定だから、ずっとセクシーアイコンであったことを示す、当時の証拠としても興味深いんである。
当時も、そしてグラビアであどけない姿を見せる過去も、由美香さんといえば、そのペチャパイなのに男子にいかにエロを感じさせていたか、というのは、とっても興味深い題材だったからねぇ。

なんかいろいろ脱線してしまうが(爆)。この夫が隠していたいろいろのエログッズ、当時から青春時代をさかのぼってだから、エロビデオがVHSだというのにも泣きそーになるが(爆)、まさかの、博物館行きではないかと思われる、ビニール製で空気を入れるシステムのあのダッチワイフとは!!
あったかねぇ当時、ダッチワイフはさすがにもうなかったんじゃないの……。今年の映画の「ロマンスドール」を思い出すと、まさにまたしても隔世の感が……。

今はそうでもないだろうけれど、まだまだ20年前は、性や性愛に関しての発言の自由度が相当低かった時代であったと思う。
官能天使福俵満子、というより、ここは林由美香という伝説の女優が台詞としてでも言うからこそ、大きな意味を持つ名言が数々あるのよ。

「女は幾度も官能を感じて美しくなる。その喜びを忘れた時から女は女でなくなってゆくのです。」
「(バイブの寸止めに対して)フィニッシュは人間の手で。人が人を必要としなければ世界は滅びます。」
「(寸止めのバイブに文句を言った茜に)セックスの喜びも機械に頼るようなら、今日と明日で二人(同僚の男の子とエロ社長)とセックスした同僚の方が人間的では?」

……ある意味、ピンク映画でなければ発せられないメッセージだったかもしれないとも思い、そして最後の最後、官能天使が彼女に送った言葉が、もう素晴らしくて、額に入れて飾りたいぐらい。
エロ社長に自分の欲求不満を取り戻されたことに落ち込んでいた茜なんだけど、「100歳の時幸せな人生を送っていたら、今日は生きる喜びを取り戻した記念日」だよと言って、つまり、愛する夫と愛し合う日々を取り戻せば、そのきっかけになった人や事象がどうあれ、問題ないよ!と。

ああ、ピンク映画のこのフリーダムな価値観が、すべての世界を溶かしてくれると思っちゃう。
本当にね、前半は、もう定型のザ・ピンク映画で、やっべ、このまま内容ないまま終わっちゃったらどうしようと思ったんだけど(爆)、後半急速に凝縮されて、もうさあ、夫婦の愛の物語なのよ。
恋人同士の時代の気持ちをお互い思い出し、これまた今は見かけない床に敷かれた懐かしい綿布団でゆっくりと、お互いを慈しみ合うセックスをする。

過去のピンクを見る時、クレジットでコーフンするのも楽しみのひとつ。企画 福俵満、ってのは由美香さんの役どころに通じてニヤリとさせるが、今観てコーフンするのは、監督助手 城定秀夫!であろう!!
いまや現代ピンク映画の担い手の彼が、助監督ですらない、助手という位置で奮闘していた20年前を思うと……めっちゃ感動するわあ。 ★★★☆☆


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