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「こ」


2020年鑑賞作品

恋する男
2019年 84分 日本 カラー
監督:村田信男 脚本:村田信男 佐向大
撮影:マチェイ・コモロフスキ 音楽:井出泰彰
出演:小木茂光 佐々木心音 出口亜梨沙 鵜飼真帆 黒木映莉花 赤松由美 YUMIKA 平山綾栞 松井勇人 上西雄大 工藤俊作


2020/8/2/日 劇場(東京都写真美術館ホール)
なんだか往年のフランス映画にこういうのありそうだなあと思ったのはあながちハズれてはいなかったらしい。今回が56歳にして初監督の(こーゆー企画は最近よく聞く……)村田氏はずっと良質なヨーロッパ映画の輸入に携わってきた人なのだという。なるほど。そういう人ならこういう映画を作りたいと思うだろう。

しかして日本人でこれが成り立つのか。イヤミでも呆れもせずに出来るのか。なかなかギリギリの線だったとは思うが、周囲の誰もが、観客の誰もが、このイイ年こいたオッサンをバカだねー、と、いわば高みの見物出来る視点と、なにより演じる小木茂光氏の絶妙さにあるのだろう。
これまでこういう役での彼を見たことがなかった(私が見てなかっただけかも……)のが不思議なほど、このバカなオッサンが愛しく可愛くバッチリである。すべての女どころかすべての男にも出し抜かれていることにも気づかずに、そう考えてみればカワイソウだけど、幸福な男、なんである。

いきなり、その小田がリストラされるところから始まる。もう最初から酔いどれおじさんで、今日も隣席の女性部下からブレスケア的なものを手渡されている。
しかし最初から、この部下に憎からず思われていることが観客には丸わかりである。小田は気づかないんである。肝心なところでドンカンなんである。もし、この時彼女の気持ちに気づいていたら、この愛しくもバカバカしいすべてに出し抜かれる物語は生まれなかった訳である。
いわば布石である。最後の最後にこの女性部下に再会してヤッちゃう場面でそれが明らかになった時、最後の最後に打ちのめされる結果になるんだけれど……。

とにかく、リストラである。親しい同僚、アキタ(だったと思う名前、多分……)からそれを告げられる。お前から言われて良かったよ、と強がるともなく言う。こういう人懐っこさが小田が男女隔てなく好かれる部分でもあり、そして……出し抜かれる部分でもある訳である。
アキタは小田に、独立はしないのか。独立するなら自分は税理士の免許を持っているから手伝わせてくれよ、とお愛想でないことが観客にもよく判る親身さで言う。本当にそんな風に思わせるような小田はチャーミングなヤツなんである。
だから……何度も言うのはヤメにする。小田に関わるそれぞれの人たちは、本当に真剣に親身になって関わっている。小田自身が一番、テキトーに受け流していたことに自分で気づいていなかったからと思われるんである。

周りからおだてられる形で、小田はホントに独立しちゃう。“おだてられる”までの過程で、10年ぶりに出会う大学時代の先輩がいるんである。10年ぶりなのに、その先輩、斎門はかつての記憶をよみがえらせたかのように、小田への愛をハンパなく放射する。
離婚して今は一人だという小田にイイ女を紹介しろと部下に厳命する。「オレは小田の女を抱きたいんだよ」とその愛の方向性としてワケの判らないリクツを言う。……まさかこの戯れのような台詞が凄いクライマックスを用意しているとは、さすがに思わない。

斎門先輩のおかげで、小田の翻訳会社は軌道に乗る。斎門先輩が自分の愛人の雅美を助っ人として差し向けたからである。しかも、小田の恋人候補として。「奥さんにバレそうになったからですか」と笑いながら聞く雅美もスゴいが、それをあっけらかんと肯定する斎門は更に凄い。
「雅美は、俺より小田に合うと思うんだよ」こんな台詞、体のいい別れ話にしては酷すぎると思うのに、なぜだか雅美ちゃんは笑って受け入れるんである。このあたりも通常の日本映画ではあり得ない、フランス映画的小粋な恋愛駆け引きである。
雅美は斎門とべったりとした恋愛関係ではなかったのだろう。斎門が自信をもって小田の手助けとして差し向けるだけの仕事のデキる女であり、実際雅美は頼りない小田に母性本能感じちゃったのかホレ込んじゃって、自分から仕掛けてそーゆー関係になっちゃうんである。

しかし困ったことに、この時小田には本命がいる。本命っつーか、それこそタイトルからなる“恋する男”の本領発揮のバカである。明らかにビジネスのホステスにマジ恋しちゃう。私はよく判らんが、なんとなく観る限り、かなりの高級クラブで、独立したばかりの小田がここに通い詰めるのが、大丈夫なの……と外野ながら心配しちゃう。
その心配が的中し、税理を見てくれているアキタが追徴課税がトンでもないことになるだろうことをアドヴァイスするくだりがあり、ほーらー、と思う。だから小田も、これがビジネス恋愛だということを頭の片隅では判っているのに、一目惚れしちゃった瞳ちゃんのつかず離れずの手練手管に溺れてしまう。

素人臭さを上手いことにじみださせるこの瞳ちゃんは、外野から見ればかんっぜんにプロのキャバ嬢で身体を売り渡さずにしっかり仕事してる、つまりは素晴らしき女優であり、だからこそ斎門の事務所に所属してタレントとしても有望な片りんを見せてくる訳で。
……この時点であれっと思わなかった小田と、私も(爆)バカだったということだ。

瞳ちゃんはソムリエになりたくて、学校に通いながらホステスの仕事は週3度だけ、そして関西なまりが柔らかく、水商売は性に合ってないコなのだと小田は有頂天になってしまう。バカだねー。あんなに可愛くておっぱい大きくて、んな訳ないじゃん(爆)。
いや、そこんところは確かに真相は判んないよ。小田のようなおバカさんの男子目線では、彼女はあくまで真面目な女の子、勉強のために水商売をしていて、自分が強引に行けてないからなびいてくれないのだと、クラブのママさんや先輩ホステスから囁かれてその気になっちゃう。……いややっぱりバカだな。金を落とさせるために決まってるやんか(爆爆)。

キスも許されず、その理由をおずおず聞くという言語道断に、「緊張していたから」「初めてだったのに。ヒドい、小田さん」それを信じるか、フツー……。
でも想像していたより衝撃の結末。まず斎門が突然死んでしまう。その後、瞳ちゃんが斎門の子供を妊娠しているという!!ここが一番あぜんとした場面ではあったが、同じクラスの衝撃が、小田が都合よく恋しちゃう同時進行の女の子たちに次から次へと現れるんである。

瞳ちゃんと雅美は完全に同時進行であり、雅美は斎門から促されたとはいえ自分から小田を押し倒したようなもんであったのに対し、瞳ちゃんは結果的に小田の完全片想いに終わった訳であった。その正確な画が小田に見えてなかったからこそ、すべてに出し抜かれる結果となる訳さ。
でもここは、愛することと愛されることのどちらを幸せとして選ぶかという大命題が存在しており、女は男に愛される賞味期限を常に意識している哀しき生き物だから、それはホンットに重要な問題として抱えているんだけれど、男はねー、判ってないから。

この設定を男女逆には、少なくとも日本ではムリであるから。経済力と女をはらませるタネが女のそれと真逆に持っている男、……特に経済力はいまだに今の日本では、まだまだ男に優位であるという歯がゆさを更に追加して考えてしまうと、そんな男がホンット判ってないことに、女たちが逆襲したくなるのもむべなるかなと思うのだ。
てゆーか、いまだにこんなことやってるのと思うが、最初に感じた、“往年のフランス映画みたい”というのは、今じゃ通用しないということだと思われ。

こーゆーと女の打算だと言われるだろうけど、やっぱり愛されることが大事なのよ。愛してくれた雅美が一番だったろうと、観客側は(少なくとも女の観客は)思ったろう。
不用意に瞳ちゃんとのツーショット写真をカメラに残しちゃって、すっかりおかんむりの雅美の誤解を解くどころか、そもそも瞳ちゃんが本命だった小田は、雅美を愛していると言いながら、本心はあっちからアプローチしている雅美が保険みたいな感覚が無意識的にでも絶対あったに違いない。
それが言葉の端々に……聞いてるこっちがハラハラするぐらいにじみ出ちゃってて、とーぜん怒りまくってる雅美にそれが感じられない訳がなく、決定的な別れを迎えてしまうんである。

あー、もう、もったいないもったいない。仕事が出来て、可愛い酔いどれで、でも酒に強くて翌日はピシャッとして小田を叱咤する、こんな女の子、なかなかいないよ!!おっぱいでかくて素人臭さをウリにしている瞳ちゃんにすっかり騙されちゃって、バカかお前は。
最後の最後に最大のチャンスがあったのに。斎門が死んで、ケンカ別れ状態だった雅美と小田は葬儀で会えた。まさにチャンスだったし、感傷的になったこともあってか、あれだけ大喧嘩して別れたのに、次のショットではベッドの中にいる。

小田の方から別れたくないアプローチをしたのに、雅美が打ち返してきた結婚というワードに、「もう一度結婚したくない訳じゃないよ」「雅美とならいい夫婦になれると思う」というあいまいな言い回ししか返せないのだ。
小田はそれをこれから留学へと旅立つ雅美への思いやりだと思っていたのかもしれんが、最大のチャンスを逃した上に、つまりはそこまで本気じゃなかったと雅美に思われたって仕方がないのだ。

その後、スカイプで連絡を取り合い、ラブラブに見えた一方で、瞳ちゃん妊娠の件で心揺れ、自分が瞳ちゃんと子供を引き取り面倒を見る、という夢みたいな妄想にとりつかれる。口説いていた時と同様に、瞳ちゃんがビジネスライクに話をかわしているのになぜ気づかないのだ。バカ!!!だから雅美みたいなイイ女を逃しちゃうんだよ!!
雅美は、愛されることこそが幸福だと、気づいてしまったのだ。愛した小田はそれに気づいてくれなかったのに。実に幸せそうに、私を愛してくれる人と出会った、と満面の笑顔をスカイプに残し、あっさりと別れを告げるんである。

瞳ちゃんは最後までのらりくらりとしながら、実家に帰った。そのほんの三か月後に、幼なじみだというイケメン彼氏とのウエディング写真を送ってきた。まるで悪びれず、お世話になりました!と添えて。
あぜんとする小田とすれ違ったのが、冒頭の、好意を寄せていた女性部下。飲みに行き、そのままホテルのベッド場面。イケなかった小田を気にしないでとなだめながら、「私、小田さんのこと好きだったんですよ。」と打ち明ける彼女は、つまり小田が、自分となぜヤッたかを、それだけの理由があったのかと、糾弾しているように見えるのは、女だから、なのだろうか……。

「私、結婚するんです。アキタさんと。」アキタ!!最後の最後の打ちのめされである。もういくらなんでも学習しろよと、無意識に保険をかけて、イケそうな女子を天秤にかけて、全部出し抜かれて、バカじゃないのと。
なのにコイツは、これだけイタイ目に遭ったのに、いきつけの居酒屋で……いつもナヤミを聞いてもらってる常連のおっちゃんがいる大衆居酒屋で、明らかに異質な、フラリと入ってくるにはおかしい、ホットパンツからすらりと生足をのぞかせて一人で入ってきて、小田の隣にドン!と座る女の子に、「ここ、初めて?」と話しかけるのだ。ああ、蜘蛛の巣にかかった哀れなコバエ……。

瞳ちゃんの小田への本心は、結局最後まで判らなかったんだよなあと思い返すと、小田が瞳ちゃんに真剣に片想いしていたことが主軸だったから、あながち小田の都合よさを責めるばかりなのは可哀想なのかなと。
だから、もったいなさすぎなのよ。瞳ちゃんに恋しちゃったことが、すべてを狂わせたと言えるけど、どうなのかなあ……。★★★☆☆


恋や恋なすな恋
1962年 109分 日本 カラー
監督:内田吐夢 脚本:依田義賢
撮影:吉田貞次 音楽:木下忠司
出演:大川橋蔵 瑳峨三智子 宇佐美淳也 日高澄子 天野新二 薄田研二 毛利菊枝 山本麟一 柳永二郎 原健策 月形龍之介 小沢栄太郎 加藤嘉 松浦築枝 玉喜うた子 明石潮 河原崎長一郎 五条恵子 高松錦之助 尾形伸之介

2020/7/8/水 録画(東映チャンネル)
なるほどこれは……4Kリマスターにされるだけの傑作だわ!なんと不勉強ながらこんな傑作があるとは知らなかったわ……。
物語は人形浄瑠璃の不朽の名作を下敷きにしているとあるが、データベースに乗っかってる物語とは細部というか、人物の描き方が結構違っているので、最終的には映画ならではの落としどころをしたんじゃないだろうか。

驚くべきは構成の大胆さ。時に時空を飛び越えたかのような黄金の野原の中で大川橋蔵が美しく舞い(素晴らしい舞い。やはり素養があるのだ……)、ぱたりと彼が倒れ込むと幕がバサリと落ちて、現実世界の中に放り出される。
白狐は面をかぶった人間たちによって演じられ、なるほど人形浄瑠璃の趣をここに色濃く立ち昇らせる。一方で狐が駆けてゆく様はシルエットのアニメーションで描かれるという斬新さ。

クライマックスは全くの舞台装置の中によって演じられ、あたかも歌舞伎座か演舞場の客席で芝居を見ているかのよう。しかも舞台がぐるぐると回転する!ここ、これは……!!
人形浄瑠璃を下敷きにしている、ということが様々なインスピレーションを自由自在に羽ばたかせ、それなのに様式美という言葉が即座に浮かぶほどの夢のような美しさなのだ。なのになのに……物語はあまりに痛ましく哀しく、胸がつんざかれるほどなのだ。

いつとも知れぬみやびやかな時代。美しい、あまりに美しい大川橋蔵演じる保名は天文学者の加茂に師事している。兄弟弟子の道満と共にどちらが跡を継ぐか、というのは、実際にそれに執着していたのは、道満に肩入れしている色ボケ後室だけではなかったかしらんとも思われる。いや、口が過ぎたが(爆)。
少なくとも本作における道満は、それほど卑怯な人物には映らない。てゆーか、彼自身が本当はどう思っていたのかをあえて明確にしていない感じがする。あくまでこの色ボケ(失礼)後室が若い愛人をくわえこんで、自身も安泰でいたいがためだったようにしか見えない。

いや、もう一つある。加茂には子供がいない。この後室との間に出来なかった、ということであろうと思われる。羊の方羊の年羊の時に産まれた女を迎えるべしとの神のお告げに従って、長年探し続けて、榊という娘を遠い村から迎えたのであった。
つまり、この榊の娘婿になる男が跡継ぎとなるのが順当である一方、勿論才覚や人徳もそれに沿うものでなければならない。道満もどうやらホントは榊に恋していたのがアリアリだし(だから色ボケ後室は嫉妬して暴走したんだし)なんとかいいとこ見せようとして空回りしちゃうあたりは憎めなくもない感じがする。

そもそもこの色ボケ後室にからめとられている時点で気の毒な気がする(うーむ、どうも私はあのオバサンが、オバサンという同族嫌悪で見てしまうらしい……)。だって加茂が道満を資格ナシと斬って捨てたのは、それほどのことかとも思ったんだもの。
京の町に白い虹が現れ、赤い光が血のようにあたりを染め上げるまがまがしいオープニングはインパクト絶大。いかにも凶事の前触れのようだ、その占うところを加茂に打診してくるのは明らかだったのに、道満がそれを「売り込んだ」ことに加茂は怒って、特に何もしていない保名を後継に指名してしまうのだから、ちょっと加茂が軽率じゃないの……と思っちゃうのは、恐らく女たちの、自分が愛する男の運命の攻防が、これほどまでに激しいとは思わなかった甘さにあったのかと思われ。

榊は、自身を探し出した保名ともうその時から心を通わせていたのだろう。ちなみにこの時点で“双子の姉”だという解説が明かされているから、これは絶対に妹が登場する。姉とソックリの存在として、ということは、姉はその時この世にいないんだろうな……ということを即座に予想させちゃうのはまあなんというか、この双子ネタっていうのは日本の伝統文化的なところがあるからなあ。
とにかく後室が悪女というか毒女で、自分の夫であるのに私利私欲にとりつかれて手下を使って夜盗のせいにして自分の夫をぶっ殺しちまう。この凶事を占うのが誰になるのか、跡継ぎは誰なのかという議論に移り、この不明瞭な事件が闇に葬られてしまうあたりがまあ、古典劇だなあという気がする。

こんなことになるとはゆめ思ってなかった加茂が、遺言を残していた訳もなく、後室と榊がそれぞれに愛する男を押し、さらに天皇側には後室の係累もいたりするもんだから、話がややこしくなる。
いや、そもそも後室は天皇側のお達しには関係なく、もう邪魔者はめんどくさいから、とばかりにリアルに虐待する。榊への虐待がかなり独創的で、首に弓をひっかけて弓を射り、その度に悲鳴を上げるというものなのだが、イマイチ悲惨さが伝わらなかった。なんだろう、あれは……。
しかもその後、彼女は死んでしまうのだ。いやなぜだ。そんな死んでしまうような衝撃は……いやそれこそ、そもそもの物語にあった自殺が行われたのか??いやでも、ただばったりと疲れ果てたようにたおれた姿が死んでしまっていて、という描写だけで、そうとも思えなかったし……。

で、保名は、気が違ってしまうんである。愛する榊をしっかり確認した筈なのに、だからこそ激怒して後室と道満がイチャイチャしているところに乗り込み、炎の中に後室を倒した筈なのに。……こっわかった。この時のこの色ボケババア(あ、進化しちゃった)の断末魔の顔は。ここだけ石井輝男のようであった。
保名は自分たちを陥れるために彼らが隠した秘伝書がやっぱりここにあったことを、つまりやっぱり騙されていたことを、頓着していない。もうすっかり正気をなくしてしまって、これさえあれば、榊どのと一緒に幸せになれる、と有頂天である。彼女が死んでいるのを、目の前にしているのに!!

いやでも、榊を死なせてしまったことを詫びに、彼女の郷里に行く旅に出ていたというテイなんだから、心のどこかでは判っていたのだろう。しかし観客側には彼が何のためにさまよっているのか、そもそもいきなり黄金の草原の中で舞い始めるし、ハラハラしながら見守っている感じなんである。
しかし、ひどく美しいのだ。保名は榊の遺品である色鮮やかな朱のうちかけを半身にまとって舞う。そしてさんばら髪であの端正なお顔立ちだから、本当に美しい女人のようなんである。

うつろな目をして黄金の草原の中舞い踊り、ぱたりと倒れると幕がバッサリと落ち、いきなり陽の光まぶしい現実とつながる。
そこに現れるのが、榊の双子の妹葛の葉とその両親、家来たち。保名の尋常ならざる姿に自分の娘、そして姉が非業の死を遂げたことを感づいたのに、彼らは幼子のように気がふれてしまった保名こそを不憫がるんである。泣けるんである。

ここまでもかなり舞台様式が入り込んできたけれども、こっからは容赦なしである。最も心打たれたのは、先述したとおり白狐が面をかぶって演じられるシークエンス。つまらない迷信のために白狐を生け捕りに来た京の歴々から保名は狐を救う。しかしこの時、人間の婆に化けているから狐だと気づかない。
この婆をあばら家まで送って、心優しい保名、そして葛の葉に白狐一家はいたく感激、どうやら保名が追われる身と知って、老爺狐は孫娘狐に、守ってやるように指示するんである。決して道を踏み外すなよと言いおいて。

もーこう言われたら、踏み外すに決まっとるやんか!!と思いつつも、「あんなきれいな人に化身して、人らしくふるまえるなんて」と無邪気に喜ぶ孫娘に、そのいじらしさに老爺狐は思わず涙するんである。
当然だがこのシークエンスはすべて、狐の面をかぶった役者によって演じられており、動かない表情の筈なのに、日本の能狂言の能面の素晴らしさが語られるように、実に豊かな表情に見えて、でもこのシュールな美学で、異世界の魅力に取り込まれてしまうのだ。

そして、そう……二人の夫婦生活。舞台装置の中でしみじみと描かれるつかのまの幸福。
そもそもこうなっちゃったのは、もちろん孫娘狐が保名に本気でホレちゃったこともあるだろうが、葛の葉(=榊)に化身した彼女に無邪気にくらいついちまった保名、当時らしい控えめな描写とカッティングで逃げたけれど、どうやらあの一発で子供が出来ちまったことが何よりの原因だろうなあ……うーむ、想像するとなかなかエロティック。

そして二人の幸せな生活が、しかし明らかな舞台装置の中で描かれるというのが、後から考えればこれは絶対に意味あることであり。孫娘狐は当然、これがかりそめの幸福だと判っていた。だって、自分自身じゃなく、化身としての彼女を保名が愛してることは判りすぎるぐらい判っている訳だから。
これってこれって、あまりに辛い!!自分じゃなく、他の誰かだと思って愛されているなんて、それでも彼のことを愛しているから、それでもいいと、思うなんて!!しかも彼との間の愛の結晶を、狐に戻って去ってゆく彼女は、人間の彼に託してしまうのだ。なんて悲しいの!!

正直、ここで終わってしまうのは意外だった。だってそもそもが、都で屈辱的な仕打ちにあった保名が、決定的な証拠である秘伝書を探しに出て、それを手にしたのだから、後室は死んじまったけれど、道満の暗躍をぶち破るための展開が当然用意されていると思ったら、なかった、のだ……。
最後に愛されたのは、狐の妻だった。かりそめの姿だったけど、真の情愛は介抱され、子をなし、一緒に暮らした彼女と共にあったのだ。もう、政治的な、欲望的な云々はどーでもいいのだ。彼らの出会いの象徴である黄蝶と白蝶の舞、狐火の舞、浄瑠璃の朗々とした口上、なんかもう、魅せられまくってしまう。 ★★★★★


河内山宗俊
1936年 82分 日本 モノクロ
監督:山中貞雄 脚本:三村伸太郎
撮影:町井春美 音楽:西悟郎
出演:河原崎長十郎 中村翫右衛門 市川扇升 山岸しづ江 助高屋助蔵 坂東調右衛門 市川莚司 瀬川菊之丞 中村門三 市川笑太郎 中村楽三郎 沢村幸次郎 沢村章次 中村進五郎 山崎島二郎 沢村比呂志 清川荘司 高勢実乗 鳥羽陽之助 今成平九郎 宗春太郎 原節子 衣笠淳子 三好文江

2020/1/10/金 劇場(神保町シアター)
原節子のデビュー作(じゃなくて、現存する最古のフィルムということだったらしい)ということだけで足を運んだものの、現存していることだけでも貴重だと言われる山中貞雄監督作品のフィルム状態、というか音声状態はかなりズタズタで、台詞がほんっとうに聞き取れなくて、人間関係やら、展開がどうなっているのか、頭の中で自分なりに補完しつつ見るも全然自信なく、鑑賞後ウィキペディアに詳細にストーリーが載っていたことに心底安堵する。ふー、ありがとうございます。ようやく全貌がつかめた(爆)。
ウィキでの厚遇から判るように、それだけ貴重だということなのだろう……28歳で亡くなったという山中監督は、お名前は存じてはいたものの、ほとんど観る機会がなくって……今回の特集もちょっとかすっただけで終わってしまった。惜しいことをしたかもしれない。

ところでこの河内山宗俊というタイトルからデータベースを探ると、本作以前の恐らくサイレント時代にも何度となく作られており、歌舞伎とか講談とかで有名なお話だったのだろうかと想像したり(調べろや)。タイトルロールを演じているのが 河原崎長十郎。知ってる知ってる!と思ったが、私が知ってたのは彼の息子の河原崎長一郎だった(爆)。
歌舞伎役者なのに歌舞伎を演じずに生涯を終えた人なのだという。ひゃー、そんな人だったのか。 お若き頃の彼はボケボケのモノクロの中でも美丈夫と言いたい二枚目(イケメンなどではない)。彼の役どころは賭場の主人といったところなのかな?一階がちょっとした飲みどころになっているから、それがカクレミノの賭場なのかもしれない。
悋気の強いおかみさん、と思っていたが、解説によると情婦なのだという。奥さんじゃないのか……だからあの悋気が切ない結果を引き起こしたのかと思うと、なるほど納得がいく。

しかし宗俊はなかなか出てこない。まず出てくるのは、河原崎氏と盟友だという、中村翫右衛門扮する市之丞である。地元のヤクザ、森田屋の用心棒としてショバ代の取り立てを行っているのだがかなりいい加減で、どうせオレの懐にはびた一文入らないんだから、という台詞も取り立ての相手からの受け売りで繰り返すのには思わず噴き出しちゃうし、その台詞を繰り返して取り立てないただ一人の相手が原節子扮する甘酒屋の娘、なんである。
弟と二人っきりでけなげに生計を立てている彼女、お浪のその弟は無頼(なるほど、当時はそういう言い方か。不良、じゃなくてさ)に憧れてフラフラ遊び歩き、今日も行方知れずである。この弟こそが大問題で、けなげなお浪を奈落の底に突き落とすんである。

タイトルロールだし先に名前は出るけれど、宗俊と市之丞、つまり河原崎氏と中村氏は同等の重きを置かれた立場と役柄であり、しかして美丈夫と風来坊という好対照のキャラが、実に楽しいんである。
物語自体は次第にシリアスな展開になっていくんだけれど、それを知らない間にすっかり意気投合した彼らが会話も成り立たないぐらいにへべれけになって、金が底をついて飲み屋の親父が取り立てについてきたのに、更に飲みなおすぞ!と言って親父の目を白黒させるあたりはサイコーである。そう、その間にのっぴきならない事態に陥っているのに、である。

ちょっと一休み。それにしても原節子のデビューである。その特徴のある喋り方ですぐに彼女と判るものの、ヤハリこちとらのイメージとしては「東京物語」近辺の、女性としての人生のさまざまを経験した姿の彼女であり、まだ顔つきが定まってさえいないような可憐な女の子である彼女に、そうか原節子か、ひやー、と感慨深しなのである。この子になら男はついつい贔屓してしまうのは判るが、つまりそれが引き金になったとも言えるんだよね。
彼女自身は何の邪気もない。真面目な娘で、真面目じゃない弟を心配し、行方を追って河内山の賭場を訪れる。そこでいらぬ嫉妬を彼の情婦のお静から受けるんである。

このお静がすっかりヘソをまげて、あんたが甘酒が好きだとは知らなかったよ、とこたつに当たって身じろぎもしないシーンには思わず笑いつつ、なんだか彼女の方に肩入れしちゃう気持ちになる。
だってそれぐらい、お浪ちゃんは男たちがかばい立てするのも無理がない無垢なお嬢さんで、彼女が心配している弟が生意気にも偽名なんぞ使ってここに出入りしていて、なんだか問題を引き起こしていること等々も、すべてすべてお静さんが気に入らない気持ちが、なんだか判るんだもの。

まるで売女みたいな言葉を投げつけて、それまで何を言われてもニコニコと返していたお浪さんの顔が我慢しきれずに歪んで外に飛び出すのとか、めっちゃスリリング。
なんかさ、当時の女優さんって、弟のことを心配して来ててもニコニコしたままの台詞でさ、当時っぽいなーと思いつつもやっぱりヘンな感じがしたんだけれど、それが崩れる瞬間がだからこそ、めっちゃスリリングで、しかもそれは、弟を心配していることよりも、自分が下等な女だと蔑まれたことへのショックの瞬間であるっていうのが、その後彼女が弟が起こした事件のために、遊里に身を落とす事を考えると、なんか凄いなって思ってさあ。

この、弟、広太郎である。バカである。身の程知らずとはこのことである。偽名を使って宗俊の賭場に出入りし、彼に気に入られて遊里に連れてかれて、見栄張っちゃってガバガバ酒飲んだらオエーである。バカである。
しかしてそこで、幼馴染の三千歳に出会う。このバカは、彼女を救い出そうとか思っちゃう。近々、森田屋に落籍かされる予定だったんである。ただ逃げ出すだけではどうしようもないのは当たり前。彼女の方が度胸が据わっていて、一緒に死のうという話になる。

もうこの時点でイヤな予感はマンマンである。広太郎にそんな度胸がないのは顔つきを見て判るからである。しかも女の子の方だけ死なせちゃうとか、あり得ないし!その後自分で死ねっての!
おめおめとお姉ちゃんのところに帰ってきた時には、えーと、80年以上前のことであるが(爆)、スクリーンの中に乗り込んでいって、ぶっ飛ばしたくなる(爆)。

激怒した森田屋は、しかしお浪がいい玉だと見て取って、収支がつくと判断する訳。あ、ひとつ言い忘れていたエピソードがあった。広太郎がサンピン侍からちょろまかした小柄を売り飛ばし、殿から拝領したものなのにとこの老侍が慌てふためくエピソード。
老侍と知己の市之丞が、そらまぁ、切腹しかないですなぁ、と袋手でノンビリとひとごとそのもので言い放つのには再三笑ってしまう。そういう気楽な魅力が本当に際立つ中村氏。でもラストには、ラストにはさ……!!

三千歳を落籍くための三百両を弁償しろと、森田屋は広太郎、とゆーか、お浪に詰め寄る。ヘンな話である。三千歳が死んじゃったのなら、その三百両はそもそも成立しない筈じゃんかと……。でも、追い詰められちゃう。
ややこしいのが、悋気を起こしたお静の存在で、かくまっていたお浪を敵の手に渡してしまう。敵の手ってゆーのが、これまた自分の欲を突っ張らかしちゃった配下のお調子者で、そーか、確かにあれは加東大介!名前が当時、違ったんだねー。ピンはねするつもりでこっそり間に入って広太郎と交渉するハズが、あっという間に親方側にバレちゃうアホさ(爆)。加東大介っぽいわー。

でもさー、だからさー、結局結局……ものすごい悲惨な結末になってしまう。個人的には宗俊にホレきっているからこそ、オトメのような悋気を起こしてしまったお静さんが、女たる誇りを取り戻すために、お浪さんの追手の前に気丈に立ちはだかって、ぶっさぶさに刺されて(!!)息も絶え絶えに、お浪さんの行く先を宗俊に告げて、彼の腕の中で息絶えるシーンが、たまらんのである。
その後、市之丞も宗俊もぶっさぶさなのだが、それはまぁ、予想してたから、どうでもいいというか(爆)、チャンバラ、死にゆく様式美を見せる場だと思うからさ。お静さんを演じる山崎しづ江は、実際にも河原崎氏の奥様だったという……。そうなんだ……長一郎氏のお母さんが彼女なんだ。美人で色っぽいお母さん……。

観てる時には全然聞き取れないし、どうしようかと思ったが、なんか後から色々思い返すと、凄い作品を見てしまった気がしてくる。90分もない中にこれだけの物語が詰まっているのも驚嘆だし……えっと、言い忘れてたけど、お浪さんを救うために高貴なお坊さんに化けてカネをだまし取る場面とかもあるしさ!
なるほどそのために老侍から小柄を盗むエピソードがあったのかと。ただコメディリリーフなのかと思ってた(爆爆)。笑わせられる場面が沢山あったのに、なんか最終的には死の美学みたいな哀しき美しさになっちゃうのが、うわーと思って! ★★★★☆


子どもたちをよろしく
2019年 105分 日本 カラー
監督:隅田靖 脚本:隅田靖
撮影:鍋島淳裕 音楽:遠藤幹雄
出演:鎌滝えり 杉田雷麟 椿三期 斉藤陽一郎 ぎぃ子 速水今日子 金丸竜也 大宮千莉 武田勝斗 山田キヌヲ 上西雄大 小野孝弘 林家たこ蔵 苗村大祐 初音家左橋 難波真奈美 上村ゆきえ 木村和幹 外波山文明 川瀬陽太 村上淳 有森也実

2020/6/14/日 劇場(渋谷ユーロスペース)
まさに同じ劇場に、子どもたち、という語が含まれるのさえ偶然にも重なり、何百倍も呪われたがごときパワーのある作品がかかっちゃっているのがだいぶ分が悪い気がする。実際は2か月もの休館を余儀なくされたから、公開時期がかぶる筈ではなかったのだろうけれども……。
もはや今は子どもたちの世界にはいじめは絶対に存在していることであり、映画の中で描かれる時、いかに残酷に、陰湿に(それは実際のリアリティとどこまで重なっているのかは当然、当事者でなければ判るべくもないのだが……)描写するかを競っているようなところがあって、時々本来の、その映画が描きたいテーマがなんなのか置き去りにされるような気もして、かなり食傷気味の感は、あるのだ。でもそれだけに、ヤハリおざなりの描写であると一瞬でも感じてしまうと、急にウソくさく感じられてしまう。

本作は、うーんと、本作は、まずモリモリ盛り込み過ぎで、ありえない偶然が沢山ありすぎだし、そして残念なのが、かなり言いにくい言い訳のような感じでだらだら書いちゃったそこ、なのだ。
いじめの描写が……うーん、こんなことを言う自分がキチクのような気がして仕方がないが、生ぬるい。てゆーか、子どもたちの芝居が微妙。いや、“いじめの芝居”が微妙、と言った方がいいのか。

いや、違うな。なんか古臭い感じがするのだ。いじめる言葉、いじめる方法、ウッカリすると昭和な気さえ、してしまう。勿論充分残酷ではあるんだけれど、かなり使い古された感じがする。
言いたかないけど、文科省さんの考えそうなイジメ方であり、なぜか女の子一人が不自然に混じっているのも、ヘンな男女平等な目配せを感じる。

んでこの女の子が町の有力政治家の一人娘で、いじめっ子チームの男子たちに「私の誕生パーティーに来ない?簡単なパーティーだから」と誘うに至っては、誕生パーティーって!それこそ昭和だ!!しかも小学生レベル!!とか思ったら、予想に反してなんと、地元有力者たちが一堂に会する、政治色がぷんぷんする“パーティー”だというオチ。

しかしそのパーティーが、貧乏くさい飾り付けをそっけない会議室に施し、立食ですらない、立ってドリンク飲むだけという……。
しかもそのシーンの大人の役者たちの芝居が一番ヒドかった。「どうやらデリヘルがこの町に出来てるらしいですよ」とまことしやかに事情通が声を潜め、「デリヘルですって??売春じゃないの、犯罪じゃないの!!」とヒステリックなおばはんが叫び、市長候補の奥さんに「ねえ、デリヘルがこの町にあるなんて!!」とさも悪魔が降臨したかのごときの興奮ぶりである。芝居もヒドけりゃ内容の時代遅れにはあぜんとするばかりである。

劇中で言われるとおりデリヘルは合法として、いわば性犯罪の抑制に役立っているのは誰もが認めるところであろう、そんなこと今さら言うかという話だし、どの町でもフツーに存在するし。
勿論その中には違法な行為をサービスしたり、あるいは客から強要されたりということはあるだろうが、デリヘル=売春と昭和な芝居で騒ぎ立てるこの“パーティー”の場面で、もうかなりの気持ちが離れてしまった。

……なんか支離滅裂になってしまった。そもそもの話はそう、子どもたちが、逃げられない子どもたちが、闘うことも出来ずにいるということである。
二人いる。いじめっ子といじめられっ子の関係である。いじめっ子グループに属する稔は、連れ子同士の再婚家族の中で、自分の父親が義理の母親と自分に暴力をふるい、義理の姉ちゃんにはどうやら性的暴力を……ていうのは、酔って姉ちゃんに抱きつくシーンが一回示されるだけで、オフィシャルサイトの解説に書かれているようないつもレイプされているなんて感じはないし、そんなことだったら彼女はこのお父さんを連れて家を出ないだろうと思う。
おっとオチを言っちゃったが、少なくともお姉ちゃんは、自分の母親の前夫、そして連れ込んだ男たちにレイプを受けていたのは事実である。

実にその最初は14歳の時であり、母親はそれを見て見ぬふりをした。母親は男に依存する女。フツーに働いて自立しろよと思うが、それが出来ない女がいるということなのだ。
自分を捨てる男をわざわざ選んじゃうような。そして自分をカワイソがっちゃうような。それが自分の子供に害が及んでも、「私の気持ちなんて判らない!!」とか子供に吠えちゃうような。

稔たちいじめっ子グループにいじめられている洋一は、母親が出て行ってしまい、父親と二人暮らし。父親はデリヘル嬢の送迎運転手で、重度のギャンブル依存症。デリヘル店主に金を借りてはパチンコにつぎ込み、泡と消え、たまに勝ってもスナックの女につぎ込み、家はゴミ屋敷。
一応息子には食事を作ってやったりするが、鍋にぶっこんだインスタントラーメン。給食費も修学旅行の積み立ても滞納され、それも店主に借りた金を増やそうとパチンコにつぎ込むが失敗、ついには店主から300万の金額を突き付けられるんである。

……フツーに考えて、いったん消費者金融で借りて返して転職した方がまだマシだと思われるが、つまりは気軽に金を貸してくれるこの店主に彼は甘い考えでいた訳で、本当にクズ男、なんだけど、自分一人で生きて行ってるんなら、どうクズに生きたって、自由なんだよね。
最後の最後に、言ってはいけない言葉だと判ってて息子に対して、「お前さえいなければ、自由に生きられた」的なことを言って首を絞めかかるのがまさしく本音だが、でも一方で、たった一人、自分のそばにいてくれる人間、というのも事実。

それはいじめっ子の稔の方もそうで、彼にとって義理の姉ちゃんという同志がいるから洋一とはだいぶ違うのだが、ただ、この義理の姉ちゃん、優樹菜は、家族に金を入れるためという名目ではあるけれど経済的に自立しており、そこから一歩、抜き出ている。
今の義父に実際性暴力を受けていたのかどうかは本作の描写からは判断しづらいが、彼女がこの義父に対してちょっと不憫がった発言をしたり、結果的には血のつながらないこの父親と一緒に家を出るという描写のために、そこんところをぼやかしたんだとしたら、あまりにも甘い。
レイプする義理の父親の方が、それを見て見ぬふりをする実の母親よりマシだという境地を、観客に思い知らすだけの覚悟がないということだもの。

いわばネグレクトである洋一側の描写は、もー、こーゆークズ男を演じさせたら天下一品の川瀬陽太だから。仲良く三人家族で映っているフォトフレームがあるくらいだから、決して最初から破たんしていた家族ではなかったんだろう。
しかし母親が出て行った。息子に、必ず迎えに来るからと一筆書いていったから、洋一はそれを信じて父親との生活を耐え続けている。

恐らく父親は、そのことを薄々感じていたんだろう。こんな、同情めいたことは言いたくないけど、父親が息子に、お前さえいなければ、という言葉を吐く前に、息子がさっさと父親を捨てていればよかったのだ。
判ってる。それが大人の論理だということは。どこにだって助けを求められるというのが大人の論理だということを。でもならば、この作品中にも、“どこにだって助けを求められる”その手段を示すべきなんじゃないか。正直言って、今の子供はこんなツライ目に遭ってますよ、なんて、もっと先鋭的な若手作家が散々描きつくしているし、それ以上に現実世界で私たちは知っている。

何よりイラッとくるのは、“そこには大人側の問題”という視点で、ギャンブルやアルコールや恋愛の依存症が描かれるが、この描き方では大人の言い訳にしか見えないということなのだ。
勿論そこには原因があり、結果がある。それは判ってる。でもそれを尺の限られた映画の中で、上手くつなげて描こうというのはヤハリ無理がある。大人の言い訳、あるいは子供社会の描き込みの希薄さにしか感じられない。

そもそも、稔の姉の優樹菜が洋一の父親が送り迎えしているデリヘル嬢であるとか、優樹菜の上客の一人が市長候補の娘の誕生パーティーに出席しているほどの地元有力者だとか、他にもいろいろ、ありえない偶然が多すぎる。まあそりゃ、いかにも地方都市、シャッター商店街という設定だからなのだろうが……。
洋一は、自殺してしまう。それは、稔が家庭のことで鬱積して、それを洋一にぶつけるがごとく、学校に来なくなった洋一を訪ねて執拗にドアドンドンして、ついには裏に回って石を投げてガラス窓を粉砕した。しかも何度も何度も……。その直後の、川への飛び降り自殺だった。

稔はこの時には反省というか、覚醒というか、姉と父に去られて、強く生きろとメッセージを残されて、混乱した中で、自分がいじめて、保身のために仲間と共にいじめて、追い詰めた洋一を本能的危機感で探していた。
なんでそんな都合よく川岸に血だらけで流れ着いた洋一を見つけられるのかしらんとチョイと思うが、その後のラストの展開こそが、本作が一番示したかったことなのかもしれない。

洋一の父親が喪服姿で涙ながらに会見する。おめーが追い詰めたくせに。ガスも電気もとめられて、息子の首を締め上げた挙句、言っちゃいけない言葉を言った。「お母さんは俺たちを捨てたんだよ」その後いくら後悔して息子を抱きしめても、遅かった。
自殺した最大の原因はイジメではなく、父親の言葉だったのだ。いくらいじめられても、いつかお母さんが帰ってくることを心のよりどころに彼は生きていたのだから。

稔はもちろん、そのことは判っていたに違いないけれど、名乗り出る。自分がいじめていた。自分のせいで、洋一君は死んだのだと……。
他の三人は、しらじらしい芝居で言い逃れをしたが、彼らは一生、洋一やその父親の亡霊にさいなまれて生きていくのだ。

この一点だけは、本作のスッキリと良かった部分だった。あまりに盛り込み過ぎて、子どもの問題に大人の言い訳を言いまくっちゃう印象で、判ってるよ、そこに原因と結果があるんだからこそだということは。でも言い訳にしか聞こえなかったんだよなあ……。
この尺とこの描き方では、納得させるには難しかった。何より子供の芝居の拙さ、パーティーシーンの大人芝居のクサさが決定的で、こんな意欲的な問題作なのに、それですべてが台無しにされてしまった。★★☆☆☆


この世で俺 僕だけ
2013年 109分 日本 カラー
監督:月川翔 脚本:松瀬研裕
撮影:木村信也 音楽:ゲイリー芦屋
出演:マキタスポーツ 池松壮亮 野間口徹 デビット伊東 高橋努 千葉雅子 菊田大輔 ガンビーノ小林 駒木根隆介 南明奈 鈴木拓 羽場裕一 矢島健一 佐野史郎

2020/5/24/日 録画(チャンネルNECO)
マキタスポーツと池松君という化学変化こそがネラいたくて、このキャスティングでの作品作りになったんじゃないかとさえ思ってしまうほど、年齢はもちろん役者としての在り方というか、芝居の作り方というか、すべてが対照的、どころかお互いねじれまくっているこの二人が、まさにがっぷり四つに組むというのが本当に面白い。そしてそこに挟まってくるのが赤ちゃんだというのも。
赤ちゃんを媒介にした誘拐アクションコメディ。なんとなくこーゆー話は見たことあるような気がするが、赤ちゃんは難しい。確かにキャラとしてはとても強いし、面白いのだが、アクションをこれだけ詰め込むとどうしても人形に見えてしまう場面がある。そして残念ながら本作はそれがひどく多いのだ……。

それが、例えば、“トラックから抱いたまま飛び降りる”というシーンとか、仕方ないとは思いつつ、そこはカットの割り方とか、引いて撮らないとか、やり方があるんじゃないかと思うし、一番気になったのは、カーチェイスの車中のシーン。ずっと赤ちゃんをなだめている池松君、赤ちゃんはいっかな顔を見せず後ろ姿のまま微動だにせず、そこにいかにもアフレコ当てましたという鳴き声が響き渡るというのがかなり長い尺で続く。
それが前半、つまり物語に引き込む部分であり、この赤ちゃんに感情移入すべくの段階なので、とても残念に思う。こんなんなら年齢引き上げて、芝居の上手い子役使った方がヴィヴィッドになったんじゃないかという気がしちゃう。

……まあそこは確かに物語には関係ないところなんだけど、いやそんなことはない、この赤ちゃんによってマキタスポーツ扮する中年男、博は自分の娘を救えなかったことを想うし、池松君扮する甲賀は男で一つで育ててくれた父親のことを想うのだからやはり重要に違いないのだ。
しかしてこの基本的設定部分も判りにくいというか、あえて明解にしていないのかもしれないけれど、疑問に残る部分はある。

博は今独身生活。しかしこの赤ちゃんが突然舞い込んできた時に慣れた手つきでミルクを作る描写で、彼に子供がいて、でも今はいない、その事情はなんなのか、と察せられる。
「この町にはいないよ」と言うから離婚して妻子が離れたのかと思いきや、「娘の異変に気づけなかった」という台詞が後半に用意されていて、あれ、あれれ、もしかして娘は彼の過失で死んじゃったの??とも思うが、明確にはされない。

かなりもやもやとした気分が残る。だって後半に突然そんな重要な意味合いを思わせる台詞を吐くけど、それまではずっと、ああきっと、離婚して妻子と離れちゃったんだな、と思わせるぐらいの状況説明だったから。
その割には妙に暗くて自分を追い込んでるな、とは思っていたけれど、それだけで、そして後半の台詞一発だけで結局真相は判らず、結局なんなんだよー!!と……何もかもを赤裸々にさせたがるのは観客側の悪い癖なのかもしれないが……。

それで言ったら、甲賀側はさらに判らない。現在、父親との関係はすっかり隔絶されている。見る限り父子家庭っぽい。なぜ父子家庭になったのかは、甲賀の場合はそれさえ明らかにされない。そして今なぜ不仲なのかということも全く判らない。
ただ単に思春期の反抗期と言うには激しすぎる、と思うのは、甲賀が不良グループ(なんか死語だが)に属していて、それはまるで警察官の父親へのあてつけのようで、というのは、彼の父親が警察官だから、どんなに不良行為(死語……)を行っても学校側は彼を処分できないというシークエンスがあるから。

そんなこともないと思うが、なぜだか甲賀はそれを試すように、父親を困らせるように、不良グループとカツアゲとかしちゃって。なのに父親とはすっかり没交渉で、背中を丸めて晩酌している父親の姿を一瞥するだけで。
普通に考えて思春期の男の子と父親なんて確かに大して口もきかないってのがフツーなのかもしれんが、この状態は完全に冷戦、なにか決定的な原因がなければこんな状態にならない、だって甲賀は父親への当てつけのように悪ぶっているんだから。

なのに、判らないのよ。それがなぜなのか。父親がなぜこんなにしょぼくれているのかも判らない。息子が誘拐犯に(陥れられて)なってしまって、そらみろとばかりに署内で冷遇される雰囲気になるのが何かの原因があるのか、なんか甲賀親子に関しては思わせぶりな雰囲気を付与されるばかりで、実際の親子関係の真実がいっかな、見えてこない。
恐らくだけど、この事件に巻き込まれた時に甲賀がよりどころにする、幼い頃におまわりさんのカッコをしたお父さんから言われた言葉……「お前が正しいと思うことをやりなさい」というのを、この異常事態の中で、家族の絆ってヤツを強く印象付けるために、意味なく(爆)父子を不仲にさせたような気がしてならないのだが……。

なんて周辺状況ばかりを言っていても仕方ない。そもそもなぜ赤ちゃん誘拐なのか、ですよ。この街はいわゆるシャッター商店街。それはどうやら、強引な地上げでこの状況に陥らせた、カネにまみれた政治を行っている市長の思惑にあるらしい。再開発反対!!という貼り紙がむなしくヒラヒラ舞う。
この悪徳市長を演じるのが佐野史郎で、彼を糾弾し、新しい市長に立候補しようとしているのが野間口徹。野間口氏演じる大熊議員の赤ちゃんが、誘拐される訳なんである。大熊を引きずり下ろすためにヤクザを使って市長が画策したんである。

そこになぜ、中年男と不良少年が絡んだのか……これぞ映画的ありえない展開。ここは本当に、映画的、ってこういうこと、という魅力がある。
博は先述したようなしょぼくれた背景があるから、会社でも理不尽な仕事や残業をやたらと引き受けて自らを追い込んでいる生活を送っている。甲賀は自分自身をどうしようもなく、仲間たちと特に欲望もないのにカツアゲして、コンビニ前にたむろして、なんて生活を送っている。

交差しようもない二人が、それこそコンビニ前で交差してしまった。ヤクザの車がコンビニに急停車した。下痢で飛び込んだんであった。博はなぜか、なぜだか……いや、その朝に見たテレビの占い“普段とは違う行動”が、いやいや、その前からきっと、彼自身の中に、ここから抜け出したい思いがあったのだ。
ヤクザの車に発作的に乗り込んで、走り出す。ちょっとその辺を走り回るだけの気持ちだったんだと思うが、これがとんでもない事態を引き起こす。
それを見ていた甲賀が、バイクで追いかける。これまた、なぜそんな義侠心が働いたのか、これは運命としか言いようがないのだが。この車の中に大熊議員の娘ちゃんである赤ちゃんが誘拐されており、まさに町の政治戦争に巻き込まれてしまう訳で。

不良グループ仲間や、彼らを心配するジャージ女教師など周囲にイイ人ばっかりで、そもそもなんでこんな気のいい男の子たちがカツアゲとかしてんのかもよく判らないが、彼らが通っている学校の気風なのかしらんとか思う一方、教頭に呼び出されて説教食らってんだからそれも違うかとも思い……。
ただ、形式的な“不良グループ”であり、“不良少年”であり、それはこの展開のために設定されているだけで、彼らがなんでそんなことしてんのかの納得が全然いかないってのも甲賀の背景と同じく、なんかもやもやしちゃうのだ。

そんなこと考えずに、彼らの気のいい友情を楽しめばいいんだろうと思うけど、でもカツアゲはねえ……そんなことせずに、なんちゃって不良(せいぜいコンビニの前にたむろするぐらい)であれば、特段考えずに済んだのだが。
でもそれは、赤ちゃん誘拐、逃亡、何かとお金がいる、という状態になって、同じ相手にカツアゲしちゃう、でも博が「絶対返すから」という、そして赤ちゃんのために彼のマフラーも失敬するという、ちょっとクスリとくるシーンのために必要だった、のかもしれない。
が、そう考えるとクライマックスの作劇のために練り込まれ方の薄い設定のまま見切り発車してしまった、感じがしちゃうんだよなあ。

それでも、もう最初に言っちゃったように、なによりマキタスポーツと池松君という、この二人を組ませるか!!という面白さにはあらがえないのだ。どちらかとゆーと、池松君が彼自身の個性を殺されて(いい意味でね)、マキタスポーツ氏の強烈さに引っ張られた感はある。まぁ、年の功、ですかね!!
タイトルは、この赤ちゃんを救えるのが、俺(池松君)僕(マキタ氏)だけ、というところからきている。クライマックスの二人の殴り合いの後をオープニングに持って来て、時間軸を戻してのスタート、である。池松君は柔道をやっていたのだろうか?マキタ氏相手だけじゃなく、その後の無数の相手をバッタバッタと背負い投げで倒していく見事さなのだ。

ところで、市長は警察にもワイロを渡しているし、土建屋がカクレミノになってるヤクザがこの誘拐事件に携わっている。そもそも、出来心で車を盗んだ博、追いかける甲賀、思いがけず後部座席から聞こえてくる赤ちゃんの泣き声、それが段ボールに入れられていた、というところから不穏のメロディーが鳴り響く。
自分が父親だというヤクザはろくに抱けないどころか、娘の性別さえ知らない、もう博は、トンでもない事態に更に自分を巻き込むことを承知で、この赤ちゃんを守ろうと、逃げ出す。甲賀も巻き込まれる。巻き込まれる、というか、そもそも彼は自ら首を突っ込んだのだ。何か予感、運命、そんなことを感じたに違いない。

赤ちゃんの父親である大熊議員、これもまたちょっと、違和感がある。別にいいのよ、今の時代、父子家庭だってあるでしょ。でも、父子家庭、とも言わない、何の説明もなしに、この子の母親は出てこない。
ただ単に父子家庭なのか、とも思うが、母子家庭より事情が聞きたくなる父子家庭、しかも政治家という表に出る職業、甲賀の父子家庭も説明なきままだったこともあって、そんなことは大した問題じゃない、今の時代では、と作り手側は思っているのかもしれんが、明らかに乳飲み子(ミルク飲んでるもんね)の赤ちゃんが、公的な職業についている、市長を糾弾している議員という立場の人の子供さんで、その母親が出てこないというのは……やっぱりやっぱり、気になっちゃう。日本的な感覚なのかもしれないけれども……。

そうね、日本的な感覚が邪魔しちゃうのかもしれない。でも、そういうところを丁寧にしなければ、いけないとも思う。
カーチェイスで大熊議員が死んじゃったらカンタンだったのに、とまで悪辣なことを言う金満市長が、彼の娘ちゃんが自分のところにウッカリ来ちゃうとすっかりおー、ヨチヨチになってメロメロになって、ボコボコになりながらたどり着いた博と甲賀にアッサリ赤ちゃんを渡してしまうってのがさ。

市長の家族状況とか、親子関係とか、それこそ博にちらりと示されて想像されるような非情な過去もなく、ただ単に、“市民に糾弾されるほどの金満市長”なだけで、ザ・悪徳で、だから赤ちゃんを誘拐とか、ライバルが死ねば良かったとかヘーキで口にするのに、赤ちゃんをすっかり抱きっきりになっちゃってさ、なんかもう、いいよ、って感じでさ。
そらまあ、博と甲賀は、「そんなことしても、君たちは誘拐犯のままだよ」と市長の言うとおり、連行される訳だけど、そもそもここまでムチャした彼らがそんなことを気にしてたらこんなムチャはしてないことは市長が判ってない筈はなく、自分自身の失脚を自覚したからこその……まあでも、そんなことは今更、それこそどーでもいい訳だけど。

市役所に討ち入りしてからの、無数の敵を少数の仲間たちで突破していく、まさにザ・クライマックスシーンは、だからこそ気合を入れ過ぎたのか、無数vs少数のスリリングを表現するには尺をさきすぎて、アクション待っちゃってるよね、なんか疲れてるよね、都合よくマキタ氏がすり抜け過ぎるよね……みたいなツッコミどころがかなりあって。

そして市長室の前、人数がぐっと絞られ、単にアクションというよりも心理アクションと呼べるような、せっかく静寂の空間が用意されている場、大熊議員、博、甲賀が、デビット伊東氏演じるヤクザの親分さんにかわるがわるボッコボコにされて、市長の部屋まで行き着けないシークエンスが、長くて冗長。
この場面では一番重要な人物の大熊議員がノックアウトされたまま動かず、博や甲賀のファイトシーンの間もそれこそ人形のように横たわっていてさ、うーむうーむ、どうなのこれは。だったら彼、この場面にいらなくない。見切れる人形の彼が気になりまくるんですけど!!と思っちゃう。

その前の、仲間たちと共に市役所を突破するアクションシーン、各部署、各階を無駄に丁寧に描くもんだから、まあ長いし、緊張感が途切れる場面がどうしても目につくし、それ必要??と思っちゃう。
それに、博と甲賀は必死こいて階段で敵を蹴散らせながら行くのに、なぜだか大熊議員だけは、ハッ!みたいにエレベーター発見してしまうとか、なんなの、それとか思ったりさ。

ああ、そういやー、博はもともとパンクミュージシャンで、その信念が彼の行動に結びついている訳だが、それも正直あんまりどうでもよかったかな……。それがピリッと結びついていたら、違ったかもしれないけど。★★☆☆☆


今宵、奇跡が起きる温泉で。(温泉情話 湯船で揉みがえり)
2020年 分 日本 カラー
監督:竹洞哲也 脚本:小松公典
撮影:創優和 音楽:與語一平
出演:きみと歩実 新垣智江 千葉ゆうか 佐倉萌 吉田憲明 モリマサ 細川佳央 山本宗介

2020/10/26/月 劇場(テアトル新宿)
今回竹洞作品が複数作チョイスされていることを知らなかったから、思いがけない連投で狂気乱舞。そして号泣。……めっちゃ泣いた。不意打ちだった。
それにしてもこの原題には思わず笑っちゃったが、上手いこと言うわ、とも思う。「黄泉がえり」はまさにそんなお話だったものなあ……(ああ、竹内結子)。

もうオチバレで言っちゃうと、冒頭貸し切り温泉の中で後ろから抱きすくめて来た彼氏に「本当だったでしょ」と言い、「ああ」と返す彼氏、この彼女はもう、死んでいるんである。黄泉がえりである。
冒頭のこの台詞が印象付けるように観客に向かって差し出されるので、ここに帰ってくるってことは……と割とすぐに予測できるのだが、そしてそれは悲しい結末に他ならないのだが、それまでの家族、恋人、そしてそれら愛しい人を失った者同士の魂のぶつかり合いが本当に体当たりで、涙があふれて止まらんのだ。

正直言って女優陣はピンクあるあるでややつたない芝居かなとも思うのだが、周囲の手練れ役者がそこはしっかりと支える。ことに、ここ数年の竹洞作品を支えまくっている細川佳央の、喪失感でだけ出来上がっている男の悲壮感がたまらない。
そして、ヒロインの両親のラブラブっぷり、娘めっちゃ可愛いってな家族の超仲良しっぷり、笑って泣いて、そして泣いて泣いて泣いて……最後には胸がいっぱいに幸せになる。そう、「幸せにね」という母親のメッセージに号泣!!

……どうも先走ってしまう。先述のように冒頭にまずなぞかけのような現在の時間軸でのシークエンスから始まる。
ただただ普通にラブラブカップルの温泉旅行のように見えていた。いや、二人の薬指には指輪があった。新婚旅行、というにはさびれたトコ選ぶな、ぐらいに思っていたところで、あの会話の応酬があり、え?どういう意味?と思ったところで展開が切り替わる。

彼女、明日香が就職が決まり、両親に家族での温泉旅行をプレゼントしにここに来ている、という設定である。
駅から徒歩20分にぐったりし、「本に載ってた」というウエルカムドリンクも豪華な料理もことごとくスカされ明日香は意気消沈しているのだけれど、両親は娘の優しい気持ちだけで大満足している。

てゆーか、この家族がもう、見ててニコニコしちゃうぐらいメッチャ仲良しで、つまんないギャグを繰り広げるお父さんに母と娘で呆れてみたり、部屋のテーブル使って卓球に興じるとお母さん本気になって乳丸出しになったり、さびれた温泉宿だから何もやることなくて、旅日記に書き込んだネタにツッコミいれたり。
特にお父さんがめっちゃイイの。ちょっとアンジャッシュの児嶋さんみたいな雰囲気の役者さんで、私、多分初めて見たなあ。すんごくいいの。娘ちゃんとの仲の良さがほんわか伝わってくるのも、明日香を演じるきみと歩実嬢のちょこっとつたない芝居を彼のオーバーアクト気味の愛情ある芝居で包み込む感じ。

んで、明日香が自分は違う部屋を取り、両親を水入らずで、と気を利かせた時の「娘にシモネタ言われるのキツいぞー!!」とおどけてみせる様にまずほっこり。そして、娘の想いにこたえる形で久しぶりの夫婦のセックスに及ぶのだが、それもどぎつくなくてイイの。
まあ、R15版でソフトにされているのかもしれんが、なんつーか、久々だったかもしれないけれど、いつだってそういう気持ちは持ち続けているぐらいの穏やかなラブっぷりを、もうすっかり大人の娘を持っている両親に感じる滋味あふれるセックスで、凄くイイの。
後に彼らが地震でボロアパートがぺちゃんこになって死んでしまう、という運命を聞くと、余計に……。

だから次の時間軸では、愛する両親に突然死なれた明日香が悄然と、思い出の温泉地を訪れている。その彼女の顔つきを見て、話しかけてきたのは明日香たち家族が泊まっていた旅館の仲居。
この時、明日香はこの仲居と恋人が空き部屋でこっそりズコバコやっているのを盗み聞きしている。この時にはいかにもピンクやなー、と思っていたが、その恋人は……その時からあやしかったけど、この時点でもう亡くなっているんである。
この仲居さんは当時の自分と同じ顔をしている明日香にピンときて声をかける。死のうとしているでしょ、と。自分もそうやって声をかけられたのだ。力を授けられた。死んでしまった会いたい人に会えるよと。

いかにもマユツバものの話。でも仲居さんの真剣な説得で、ウソでも両親に会いたいと願う明日香は、その力を授けられるのには大変な準備が必要だと言われ、酔拳みたいな奇妙なポーズをとらされたり(これは爆笑!)一晩中あらゆる項目を暗記させられたりする、のだが、これは結局全然必要ないものだった。
その後に現れた、やはりヤバい目を持つ青年にはあっさり力を受け渡すもんだから明日香は、えーちょっとー!!と仲居さんに食ってかかる。

多分、明日香のヘタレっぷりをホントに心配してて、でも鍛え上げて、明日香が自分と同じ気持ちを持つ人間に感応して、私より先にあの人を助けてあげてほしい、と訴えたことで、もう明日香は大部分大丈夫、と思ったんだと思う。
あるいは……なんかね、この二人は、親友になったと思ったのね。結局明日香はこの後死んでしまうにしても、仲居さんが自分の本名とリングネーム(!!)を告げ、「私、結婚するの。相手はプロレスラー。二人ともヒールで試合出るから、見に来てね」と言って明日香が笑顔でうなずくあのハッピーな約束が忘れられないのだ。

結局それが叶えられたのかどうかすら判らない。けれどもあの時明日香は、これまで両親を失った悲しみで死のうとばかり思っていた気持ちを、同じ気持ちを持っている他人を思いやり救い出すまでの強さに転換させてくれた彼女との出会いで、本当に180度変わったんだと思うんだなあ。
そしてこの仲居さんも、その力を授けてくれた人に同じ思いを抱いていたに違いなく、そして明日香が先を譲った青年もまた……。

この青年、細川佳央はマジやばい。彼が本作の最大のキーマンと言いたいぐらい。
突然愛する彼女を失ってしまった彼は、実に10年もの間、彼女が不慮の事故に遭う直前に彼に残した留守番電話のメッセージを消せずに聞き続け、この温泉宿にやってくるんである。

10年、彼は、それを待ち続けたのだろうと思う。周囲の心配だって、判っていただろうし。10年経っても自分の喪失感も哀しさも消えないなら、もういいだろうと、死ぬより苦しい生を生きてきたのだから、もういいだろうと、思うことを、誰が責められようかと思う……。
こんなギリギリの精神状態の人に、果たして会いたい人に会わせる方がいいのか、否か……。そもそも彼はこの地に死にに来ている。もう顔を見れば一発である。会いたい人に会わせて、ピンクだからセックスも出来ちゃうし、その後彼がどういう選択をするのか……。

心配でドアの外で様子をうかがっていた明日香と仲居さん。鍵がかかっている筈のドアがすーっと、開いた。明日香が恐る恐る入ってみると、まさに青年が首を吊ろうとしている!セックス出来ても幽霊には自殺を止めることは出来ないらしいのだ……。
つまりこの恋人さんは、恋人に死んでほしくなくて、外で聞き耳たてているのを知ってて、ドアを開けた。明日香には恋人さんは見えてない。でもそこにいることが判ってる。彼女が開けてくれたんだよと必死に言い募る。

……もうこの時のね、細川氏の、マジで死ぬんじゃねーかという、死なせてくれよ、もう死なせてくれよ!!と絶叫する悲痛さ、それに引きずられる形で涙で顔をぐしゃぐしゃにして彼女が見えてるんでしょ、ドアが開いたんだよ!!と叫ぶ明日香。もう……涙が止まらねー!!なんである。

彼女と二人きりにしてほしい、という青年を心配しながらも、信じて、部屋を後にする明日香。そして翌朝、仲居さんがあられもなく浴衣をはだけた明日香の寝姿を写真に撮ってる。あららら、カワイイピンクのレースのブラとおパンティ。
明日香は慌てて青年のことを聞くと……「もう帰ったよ。お礼を言ってた」そして、一度力を授けられれば一年に一度何度でも使えるその力を、返していった、と言うんである。何度でも、死んでしまった彼女に会える力を、彼は返していった。もうそれだけで涙ドバーである。

だから、明日香は両親に再会することができる。まるであの旅行がそのまま続いているかのようだった。通常、お風呂場で出会えるはずだったのに、のぼせるぐらい待っても出てこない。ガッカリして部屋に戻ると、本当に、あの旅行の続きみたいに両親がいた。父親は待ちきれずにビールを冷蔵庫から出しかけている図までおんなじ。
その再会の瞬間こそ涙ながらに親子三人抱き合ったけれど、その後はホントにあの旅行の続きのように他愛ないシークエンスが続く、それがまた、いちいち心にしみるのだ。

母親から、かつての夢はそば屋さん、なぜなら父親と出会ったのがバイト先のそば屋さんだったから、というエピソードを聞いていた明日香が、用意できたのがカップそばだというショボ可愛さ。
あの思い出の旅行で、明日香がショボい料理に責任を感じて意気消沈していた時に、箸を使わずにご飯が食べれるぞ!とつまんないワザを繰り出して女たちを呆れさせていたのと同様、ここでもこのチャーミングなお父ちゃんは、割りばしが足りない?大丈夫!と取り出したのはなんとまあ、旅館の備品の歯ブラシ!

「だって一本しかないよ」「ふっふっふ、柄で食べようと言うのは素人考え。こうするんだ!!」と歯ブラシの毛部分で意気揚々とそばをすくって食べる得意げな父親に女二人はあきれ顔。……なんでこんなシーンがなんでムネアツになり、泣けてきちゃうのか。こんなアホな父親が、愛にあふれてると思っちゃうのか。

どうやら時間切れは、温泉であったまった身体が冷える頃らしいのだった。明日香は当然、その時間切れの頃合いを判っていたに違いないのだが……。そのまま眠りにつく。
母親は、最初に明日香が連れてきてくれた時に、父と娘の他愛ないやりとりをつくづく眺めながら、旅日記に「幸せ」と書いた。その言葉に「にね」と書き足して残した。
号泣。その後、明日香は死んでしまうけれど、きっときっと、愛する人と過ごした時間は、母親の言葉を守ったことなのだろう。

明日香の恋人(夫?)は、力を手放してない。一年に一度。また来年、と言っていたと思う。それを想うと切な怖い感じがする。深読みしすぎかもしれないが……。★★★★★


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