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「お」


2020年鑑賞作品

叔母と女子大生 密室の吐息(青春のささくれ 不器用な舌使い)
2018年 93分 日本 カラー
監督:竹洞哲也 脚本:深澤浩子
撮影:創優和 音楽:與語一平
出演:川上奈々美 竹内真琴 美泉咲 細川佳央 安藤ヒロキオ 櫻井拓也 岡田貴寛


2020/5/17/日 録画(日本映画専門チャンネル)
竹洞作品はいつもロケーションがとても魅力的で。今回も切ないラストシーンはしんしんと雪が降ってて、また監督の故郷青森で撮ったのかしらん、などと夢想する。
大半の舞台となる山深き田舎町もまたしかりで、本当にこんな素晴らしいロケーションは一般映画でもなかなかお目にかかれない。

そこに引きこもってくるのは失恋したての大学生、大智(だいち)である。親にも引き合わせようっていうぐらいにまでの関係だった恋人は、具合が悪いとドタキャンの上、心配して訪ねた大智の目の前で浮気が繰り広げられているんである。それにしても鍵もかけずに浮気相手とセックスすんなって話なのだが……。

彼が引きこもったのは叔母の家である。タイトルはここからきているんだけれど、叔母はほぼほぼ関係ない。いやなくはないか、彼女に裏切られたショックを、叔母の不倫に見出してしまうんだから。
でもここはヤハリ、原題である“青春のささくれ”である。あるいは一度R15版になった時につけられたという(こういう場合は、最初の脚本タイトルである場合が多いが)“つないだ手をはなして”である。
ヒロインはこれから登場なのだ。あの裏切りの元カノではない。たった一人、道に迷いながらこのド田舎にやってきたのは、大智のサークルの後輩、千夏(ちか)なんである。

この時点で、大智はなぜ彼女が自分のところに押しかけて来たのか、ピンときていない。いや後に回想シーンとして彼女から告白されていることも明示されているし、「先輩のためならなんでもする」とめげずに居座り続ける彼女が自分のことが好きだってことは判ってはいるけれど、ピンときてない。
それは彼自身が失恋から立ち直っておらず、そもそもその痛手で一人になりたいからこんなド田舎まで来たんであり、でもピンときてないのは……なぜ彼女が自分のことが好きかが、判ってないからなんである。

なぜだなんて、好きに理由もないといえばそりゃその通りなのだけれど、それにはきっかけというか理由というか、千夏が大智に恋に落ちた場面があった。
それが、一年前のサークル合宿、同じ場所(えらく広い家だが、どうやら民宿をやっているということらしい)で彼に言われた言葉、だったんである。

この場面は、まるで今の状態を予測させるかのように、合宿とか言いながら他の学生たちは出てこない。予算不足といったらそうなのかもしれないけれど、意図的に思える。この時の二人きりを、一年後に再現するというのが。
そして一年前のことを大智は全く覚えておらず、千夏はずっとずっとそれを支えにし続けてきた。

「笑っていた方がいいよ。その方が人に好かれる」それ以来、千夏は実践し続けてきた。てゆーことは、彼女はもともと(もしかしたら今でも)引っ込み思案な女の子なのだろう。でも笑顔を味方に頑張ってこれた。
そして、「人に好かれる」その人、は、先輩である大智にそう思われたい、ということだったに違いなく。

大智がこの家に到着した時に、叔母が仲良さげに話している一人の男を紹介される。「便利屋の上田さん」である。もう一目見ただけで関係があるよな、と思わせられるのは、何もこれがピンクだからという訳でもないように思う。
叔母さんはこの田舎町には不自然なほどバッチリメイクにふりふりファッションで、そこらへんはピンクあるある不自然なのだが、いいように解釈すれば、仕事が忙しくてなかなか帰ってこない夫と、だからこそ愛情が高まり、そして餓(かつ)えて、女度を持て余しているというか……。

大智に対して夫とのエピソードをのろけたっぷりに幸せそうに披露する彼女が、上田と昼日中から関係を持っていたとしても、決して夫を愛してない訳じゃない、むしろ愛しているから……と思わせるのは、なかなかの凄腕、脚本の力かなあと思う。
上田はどうせヒマしてるだろと大智を便利屋のバイトに誘い、つまりは家から追い出してこの人妻と一戦交える訳で、それを、大智を押しかけて来た千夏は当然目撃する訳で。
上田と千夏の間に奇妙な協定が成立するんだけど、それはお互い……実らぬ片想いを認め合っている協定だったのかもと、後になって思うのだ。

そうなんだよね……千夏の一途な片思いは実らない。観客はこのケナゲな女の子をどうしても応援しちゃう。でもでも……なんていうのかな、あまりに稚拙というか、芸がないというか、ただただ、「先輩のためになりたい」「先輩のためなら何でもする」と言い募るばかりだから、大智はただただイライラが募るばかり、それに彼女の存在が外に知れても困るし。
むしろフラストレーションがたまる中、叔母と上田の浮気場面を目撃してしまった後、発熱して寝込んでしまう。裏切られた元カノのことも当然フラッシュバックしたであろう、献身的に看護しようとする千夏にイライラをぶつけ、服を脱げといい、脱げといったくせになんで脱ぐんだよと当たり散らす。

そしてこの台詞は言ってはいけない……「なんでいつも笑ってんだよ。おかしいんじゃないの??」おめーが言ったのに!その言葉を支えにずっとずっと、千夏は生きてきたのに。
なのに彼女は言えないのだ。あなたにそう言われたからとは言えないのだ。それは、そのことで救われたのに、自分は先輩を救えないことに打ちひしがれているからに違いないのだ。

自分の身体を投げ出せば、先輩を救えるのならと、性急に突進してくる大智を歯を食いしばって受け止める。大智は呆然とする。
「初めてなら、そう言えよ」「すみません……」
でも、それを知ってすら、大智の千夏への仕打ちは変わらないのだ。クチでしろ、ヘタクソだな、濡れてないなら自分でしろ、感じてるフリぐらいしろ、もう……キチクである。あんまりにヒドい……。

大智のバイトの先輩がいる。御木本(みきもと)である。社長の上田が言うとおり、彼もまた、「適当に仕事すればいいんだよ」と大智をけん制する。仕事は時間が過ぎるのを待つこと。「そんな一生懸命にやられたら、後が大変じゃん。周囲に合わせるってこと覚えないと、社会に出て苦労するよ」。
大智は恐らく内定は決まっている4年生、といったところなんである。だからこそ、失恋ごときに没頭できる訳である。失恋ごときに、などと言ってしまったのは、彼がこの“ド田舎”で遭遇する誰もが、大智の失恋なんてものともしないような辛い恋愛問題を抱えて、でもそれを表に出さないでいるからなのだ。つまり、大智は甘ちゃんなのだ。

御木本は大智が千夏に愛されていることをうらやましがる。表面上のうらやましがり方ではなく、飲もうよといって大智の元に乗り込む。それは……一見あっけらかんと人生をテキトーに流しているように見える御木本が、愛した相手に愛されない苦悩を抱えていたところに、自分を愛してくれる相手がいるのにそのありがたみも判らんワカゾーにカチンと来たからに他ならないんである。
御木本の事情は会話からそれなりに想像はされたけど、具体的な描写は一発のみ。相手から怒りの筆跡で「受け取り拒否」された郵便物を手にした、そのワンカットのみである。

いつもヘラヘラと、やる気のない先輩ってだけだった。カワイイ後輩が来てるんだ、いいなー、というからかいだけのように思えた。なのに、大智が酔いつぶれている間に、二階にこもっている千夏を襲った。
大智が言いもしない、「俺にくれるって言ってたよ」という台詞、そして「いつも笑ってるって言ってたのに。みんな嘘ばっかり!」というあたりは既にもう、彼自身の中の、他の愛憎あふれる誰かを想定している訳で。

御木本はね、大智に言ったのだ。「大智君は、死ぬほど人を好きになったことがないんだね」と。
確かに彼は、冒頭手ひどい失恋をするし、なんたって親に紹介するぐらいの気持ちの恋人だったけど、そう言われれば、もう就職も決まって、大学に行く必要もない状態で、まるで渡り鳥の骨休めのように田舎にこもる、そういう場所があることさえ、甘ちゃんだったのかもしれないと。

酔いつぶれた大智が目を覚ました時、御木本は階段を下りてきたところだった。「やっぱりお前に返すよ」そもそもくれた覚えもないが、慌てて大智が階段を登ると、無残な状態の千夏がいた。
これはさ、これは……レイプに他ならない。それを、好きな人の指示だと信じて身を呈し、笑えと言われてむりやり笑ったなんて、あまりにもひどい、耐えられないよ。

大智もここでさすがに自分が引き起こした非道を思い、それまではセックスの時ですら目を合わすことのなかった彼女を、浴室の洗い場で、こうべを垂れ、なるたけ優しく洗いながら、でもどうしていいのか判らない。
狭い浴槽に二人してつかりながら、ようやくここで、千夏は一年前の思い出を語る。大智は自分が思わせぶりなことを言ったんじゃないかと恐れるが、そうじゃない、そうじゃないんだと。むしろ千夏は大智に自分を見つめなおす言葉をもらったんだと。

そして、二人は時間差でこの田舎町を後にする。千夏がまず先に出て、“協定仲間”の上田と遭遇し、先輩と行きたかった海に向かう。冬の海に裸足になってキャー!!と入っていく。
大智は見送ってくれる叔母と駅のホームにいる。お互い、知り知られていることを判っているけれど、それに触れることはない、のは、大智が、叔母がそれでも叔父を愛している、愛しているからこそ……ということを、この短い失恋引きこもりの中で、なんだか悟ったからかもしれない。
あるいは、「叔父さん、早く帰ってくるといいね」という台詞に叔母が絶句気味に頷いたのは、彼女の夫に仕事が忙しいという以上の何かがあるのかもしれないという気持にもさせたりして。

なんといっても出色は、ラストシーンである。大智は社会人になっていて、雪降る中、千夏の姿を見かけるんである。ちょっとスカートが短すぎるが(爆)その格好から思しき、今度は彼女が就職活動なのだろう。
そして彼らがファストフードのコーヒーを手に腰掛けるその場所は、合宿後に千夏が大智に声をかけた、つまり大智の失恋直後の、千夏が決死の覚悟で告白した、その場所なんである。

大智は千夏にすまない気持ちでいっぱいで、でもごめん、という言葉を発する前に彼女から制される。「謝らないでください。謝られるようなことをされたと思ってないから」
ちょっとウソ入ってるよね。謝られたら、ミジメになる。自分の想いを否定されたことになるから……でもそこにはプライドがあるって、ことなのだ。

彼女の気持ちを汲んだのだろう、それでも食い下がって、富山のためになんでもしたいんだ、という大智に、なんでも……と千夏はくいついた。なんでもする、その言葉を必死につむいで、何度彼に冷たく却下されただろう。あの記憶を観客は思い出してしまって、ブルッとくる。
しかししかし!なんて素敵な女の子だろう!!ハイ、と手を差し出す。ああ、この作品のもともとのタイトルであり、千夏が先輩に恋に落ちた、サークル合宿のひとこま!大智もきっとそう思って、笑顔で手を差し出しかけると、千夏はその手をグーにして、大智のみぞおちをえぐるようにパンチ!!

「これでおあいこです」とニッコリする千夏に、大智も遅れて笑顔になり、でも降りしきる雪であり、ああ、この二人は、結ばれないんだ。
でも、千夏だけの片想いだったから、大智は彼女に対してすまないと思っている感情だけだったから、でもそれは千夏にとってはかえって辛くて、だからこそ、“おあいこ”なんだ。降りしきる雪の中で。なんてなんて、切ないんだろう!!

東京ってそんなにいい?という御木本との会話に、立ち止まってしまう。大智は、遊ぶ場所や買い物が選べるからととりあえず答え、御木本は、ここだって車でちょっと行けば必要なものなんでもあるしな、と興味なさげに応える。
本当に、そう思う。私は何故、今東京にいるのだろうと、世界中がオンラインでつながる今は、本当にそう思う。どんどん、東京、あるいは世界中の大都市の意味がなくなっているように思う。

カップ麺ばかりの先輩を心配しながら千夏が作るのがカレーとか、大智の頭をナデナデするのかと思いきや、寝ぐせを直すんですとか、つれない大智の「別に」という台詞を「ベツ煮」と変換してレシピを必死に探したりする千夏のケナゲさに涙がこぼれる。
何より千夏の、「一人になっちゃダメなんです」という台詞は、先述したけど、彼女自身にきっときっと、そういう語られない事情があったんだと思うから……。★★★★☆


おらおらでひとりいぐも
2020年 137分 日本 カラー
監督:沖田修一 脚本:沖田修一
撮影:近藤龍人 音楽:鈴木正人
出演:田中裕子 蒼井優 東出昌大 濱田岳 青木崇高 宮藤官九郎 田畑智子 黒田大輔 山中崇 岡山天音 三浦透子 六角精児 大方斐紗子 鷲尾真知子

2020/11/10/火 劇場(TOHOシネマズ錦糸町オリナス)
正直なところを言うと、私はちょっとイライラしながら観ていた。平均寿命の差と、夫の方が年上のことが多いこの年代、夫に先立たれる確率の方が圧倒的に大きい訳なのだが、その後女性は一人を楽しみ、自由に生き生きと生きて行く、そんな例が数多く語られていたし、私自身もそうだと信じていた。むしろこんな、湿っぽく孤独を抱え込んでいる“おばあちゃん”がひどく古臭くさえ思えて、こんな風に女が思われたくない、とまで思った。
だけど……そうじゃなかった、のか。この物語、原作が発表された時、これは私の物語だと数多くの読者の共感が寄せられたのだという。残されても女は強く自由に生きて行く、と思っていたのは、フェミニズム野郎の私の幻想だったのか。

そうかもしれない。実際は言えない孤独を抱えているからこそ、これは私の物語だと、数多くの読者が共感したのだろう。彼女たちは表面的には、強く自由に生きているように見せているのかもしれない。
本作の桃子さんのように、判りやすく孤独に、行くところと言えば病院と図書館だけ、という生活はしていなくても、表面上アクティブにしていても、実は抱える想いは桃子さんと大差ないということなのかもしれない。私がイライラするのは、そう、桃子さんがわっかりやすく一人、味気ない生活をあえて送っているように見えたからなのか。

私は子供の頃から、結婚というものが女性に対してなんらメリットがないとしか思えずに生きてきた。それは恐らく、こういう人生の終盤も予想していたからに違いない。人には必ず別れが来る。先に死んじゃえばいいけれども、死なれたら、一人になってしまうのだ。
子供なんてアテにならない。そう、本作の桃子さんのように、遠く離れた子供は、距離だけじゃなく心まで離れてしまうものなのだ。カーディーラーの青年が「遠くの子供より近くのホンダです」と冗談交じりに言ったのは、あながち冗談でもないのだ。

そしてそのイライラは……ああ、だって、私の母親とばっちり同年代、なんだもの。演じる田中裕子サマの実年齢はもっと若いけれど、設定としては、……もうばっちりなんだもの。
私の母親も夫に先立たれた。長く闘病したから心構えは出来ていただろうけれど。そして私の母親の場合は、近くに何くれと気にかけてくれる友人もいるし、努めて人と交わる場所に出かけるアクティブさも持ち合わせている。まさに、私が“イライラしない”タイプの夫に先立たれた妻、なのだ。

けれど……私の母親もこの物語に共感するのだろうか。子供二人と距離は離れているけどそんな心の距離は離れてないと思っていたけれど、それはこっちの勝手な言い草だったのだろうか。
外の人間関係にも積極的に出かけていくのは、一人になってしまう怖さを埋めるためなのだろうか。本当は孤独を抱えて、桃子さんのように誰ともかかわらずに生活したいと思ったりしているのだろうか。そうかもしれない、と思うと途端に怖くなる。

桃子さんには彼女だけに見える“寂しさ”1、2、3という存在がいて、彼ら(なぜか彼女よりぐっと若い青年たちなのだ。しかもそれぞれ違った年代の。)は「おめはおらだ」と話しかける。つまり、桃子さんが主体的に言えない、客観的に誰かから言ってほしい心の声の存在たち、ということなんだろうと思う。
彼らは時にジャズセッションをし、時に節分の豆まきに興じ、時に桃子さんの夫とのなれそめを冷やかす。まるで親友のように、幼馴染のようにそばにいる。そりゃそうだ。自分自身なのだから。産まれた時からそばにいる自分自身。誰よりも親しい存在。

でもそれを、判ってないからこそ孤独に陥るのだろうか。こうして自分自身を第三者のようにそばにおいて、茶飲み友達のようにのんびりと喋る桃子さんを見てそう思う。
自分自身っていうのは、最も判らない存在だというのは常々思うところである。自分は一体どんな人間なのか。自分が思っていると“思っている”ことは、それこそ思い込みなんじゃないか。
他人からどう思われているかというよりも、怖い問いである。一番近くで自分を見て来た夫に死なれたら、もう誰にも確認できない。そう、確認できるのは自分自身しかないのだ。

なんか哲学的な話なのかも、いやそれそのものだろうという気持になってきた。そりゃそうだろうなあ。芥川賞、なんだから。
桃子さんの若い頃を演じるのは蒼井優嬢。田舎での強制的な見合い結婚から逃げ出して東京に出て来た桃子が、住み込みで働くそば屋で出会ったのが同じ郷里の夫だった。同じ言葉が聞こえてきて、すぐに桃子さんのアンテナが振れたのだ。

田舎を嫌悪して東京に出てきたのに。新しい女になるんだと心に決めて飛び出したのに、懐かしい田舎の言葉を喋る青年と恋に落ち、結婚した。
新しい女の生活どころか、田舎で結婚しても大して変わり映えはしなかったであろう専業主婦の生活に入ったと思しき桃子さんの末路がここにある訳で。

桃子さん自身が、自分は新しい女だと思っていたのに、と自嘲するように、私のこのイジワルな言い方はあながち間違ってもいまい。
まさに子供の頃の私が、……言いにくいけど自分の母親や、いや当時はそれが殆どであった、専業主婦という選択に、女の人生が死に至るぐらいに感じていたことと、桃子さん自身が考えていたことはそんなに遠くないんじゃないかと思う。

私の母親に聞いたことはないので判らないけど、専業主婦という選択は当時はあまりにも当たり前で、その当たり前が、子供の目から見て私は、自分の将来がそうなるのかと思ったら、自分が失われるだけのような気がした。
専業主婦という“仕事”は、一日中働きづめなのに、稼いでないくせにと罵倒される、割に合わないこと千パーセントの奴隷的立場だ、とまで思っていた。
いや、今もちょっと思っている。いまだにそういう風潮が色濃く日本社会には残っている。桃子さんだって、そのことに苦労しただろう。だから“夫に先立たれて悄然としている”ことにイライラするのか、私は。

桃子さんの夫は遺影では当然、ちゃんとおじいさまの落ち着きだけれど、語られるのはもっぱら、若き青春、恋していた時の姿である。演じるは東出君。蒼井優嬢との共演は、そのすぐ前に観ていたのが「ズパイの妻」なので、あまりのキャラの違いになかなか心の整理がつかなくなる(爆)。
東出君はちょっと、ヤバいね。ここ1、2年で急激に演技開眼した感じがある。一見無害な端正な美青年のように見せて、その魅力を存分に発揮する本作のようなキャラではうっとりさせるし、一方では……という恐ろしさをこの二作で思い知らされて、もちろん蒼井優嬢もそうなんだけど。はあああ、という感じ。

桃子さんは太古の、絶滅した恐竜やらなんやらの歴史が好きなんである。冒頭のCGアニメーションにはビックリする。違う映画館に入っちゃったとマジで思って、モジモジしてしまった。
かなりの尺を使って、恐竜が跋扈していた時代を紹介する。そしてその後も、桃子さんは自作のノートに、図書館で借りた図鑑やらテレビでやってればすかさずメモを取っては、壮大な歴史ノートを作っているんである。

このかなり特異な趣味に関しては、まあ様々な解釈というか想像をしてしまうんだけれど……。夫に先立たれてからの数年、その前の数十年、それも古代の歴史に比べれば米粒みたいなもんだ、という、ありがちな考え方なのか。あるいは単純に、子供のように、ロマンに魅せられるのか。
そういえば桃子さんが図書館から借りるのは、小学生向けのようなカラフルな図鑑ばかりだった。それを丁寧にスケッチしている桃子さんを小学生男子がじっと見つめている、なんていうほほえましい場面もある。

この図書館で、本を返すたびに、受付の司書の女性に、太極拳だのなんだのと誘われる。「楽しいわよ」と結びに決まって付け加える彼女は、桃子さんが病院と図書館を行き来するだけで、恐らく個人的会話をほぼしていないことを見抜いている、のだろう。
心配しているのは……なぜだろう。彼女自身がそういう状況にあった経験がある、というのはありがちな想像だが、執拗に誘うその繰り返しに、なんかシンパシイというか、それこそ友達になれそうな、そんな気持ちを持っているのかな、などと思ってしまう。

年を取ってから、それこそ、こんな風に70を過ぎてから、友達って出来るのかな、という不安がある。学生時代の友人は確かにその後も永続的につながれる存在だけれど、それこそ距離と心のへだたりがある。
遠くの子供より近くのホンダ、それ以上に、近くの友人なのだけれども、これが最も、難しい問題である。個人的には、そんなムリして個人的つながりを持たなくても、きちんと地域の福祉とつながっていれば、ともかく孤独死で腐乱死体だけは避けられると思っちゃいるが(爆)、それは独女のままここまできちまったヤカラの言い分だからな。

桃子さんは若い頃、東京に出て来た、とは言っているが、今住んでいるのはどうやら埼玉である。それもわりと郊外で、ちょっと雪が降ったりすると雪かきからなにから、にっちもさっちもいかなくなったりする。
オレオレ詐欺だって油断ならない。ホンダ青年が来ている時にちょうどかかってきた電話にはそつなく対応していたが、それは経験があったからだということが後に示される。実に250万をだましとられていたんである。
それを娘ちゃんが、……そんな目にあった母親を憐れむのではなく、「お兄ちゃんには出すくせに。だからオレオレ詐欺なんかに引っかかるんだよ」と、自分の娘への習い事にカネを援助しない母親を罵倒するんである。

私はお姉ちゃんとの二人姉妹だから、男兄弟を持った経験がないので判らないけど、ただ……私ら親世代、ザ・昭和の親世代は、戦後のイケイケ時代を過ごしたとしても、やっぱり親の親、その価値観を引きずっているから、家父長価値観はぬぐえていない。長男、はぜえったいに動かせない価値観なのは、判る訳で……。
その“長男”が本作の物語上、登場しないのが、原作は未読なので判らないんだけれど、ちょっと、私的には嬉しいというか、腑に落ちるというか、そんな気がした。

これはヤハリ、女の物語なのだ。どの年代の女も共感する生きづらさの物語。本作に登場する男ドモは、桃子さんの代弁者であり、過去の美しい回想であり、“かかりつけ医”という名のいつもの薬を処方するだけの医者だったり、……まあ書き連ねていくと、どんどん価値が下がる訳。
実際の生身のオトコは総じて役に立たない……あ、ホンダの青年ぐらいだわ。ホントに、近くのホンダは大事。そういうの大事だと思う。

最初のイライラを、また思い出す。こうしていろいろ考えの軌道修正をしてみても、やっぱり私のイライラは修正できないのだ。
女はこんなに弱くない。病院と図書館の往復で時を過ごしたりしない。テレビだけが友達じゃない。女は老若関係なく好奇心旺盛で、生きたい気マンマンで、多少苦手でも人間関係つなぐことが生きて行く術だと理解しているんだよ!!
……てか、私がこの後、それを実践しなければ、このイライラは解消できないのだ。やったるで、オラ!!★★★☆☆


音楽
2019年 71分 日本 カラー
監督:岩井澤健治 脚本:岩井澤健治
撮影:音楽:
声の出演:岡村靖幸 前野朋哉 竹中直人 駒井蓮 平岩紙 坂本慎太郎 芹澤興人

2020/1/27/月 劇場(新宿武蔵野館)
なんかもう!なんか凄いけどそれをどう言葉に表していいか、判んない!!客観的事実……7年もの間たった一人でこつこつと、しかもすべて手描きで作り出したアニメーションという、想像を絶する背景を語るべきなのか否かさえ、そんなことはもはやどうでもいいような気がしたり。
恐らくだけど、作り手さん自身、そんな事実を元に賛辞されようなんて思っちゃいないだろうと思うし。なんていうかさ……本能のままの欲望というか、その荒々しい力がそのまま作品そのものにドシャッ!と現れているから。

映画といやー、発表するところが決まってるとか、どっかに応募するとか、商業映画なら公開が見えているとか、誰かに褒めてもらおうとか、そういう成功欲スタンスがないと作るのが難しい、以上に、作られないものかと思っていた。
だってこれは、そういう無欲のスタンスで頭に思い浮かぶような、学生のお祭り的製作ですらない。作者の暴走気味の欲望が、7年のこつこつに恐るべきエネルギーで溜まっていって、音と声を入れて爆発!したような!そんなまがまがしさをも感じさせる素晴らしきエネルギーなのだ。

原作が、あるんだね。しかしこれが“原作”の漫画作品として成立していることを想像するのはなかなか難しいものがある。映画作品となった本作にしたって、その土着的とも言いたい単純性、原始的な荒々しさに口アングリって感じなんだもの。
ストーリーを言うだけムダのような……。いつの時代よと思うような、昭和的な、70年代的な、とりあえず不良、みたいな。オッサンみたいな不良三人組は、一応高校生なのだろうが、どっか空いてる教室でも陣取っているのか、だだっ広い部屋でマンガ読んだりゲームしたり。

しかしなぜか周囲に恐れられていて、特にリーダー格の研二がそうで。他校の不良グループに意味なく襲撃を企てたり、逆に呼び出しを受けたり。
しかし意味がないのだよ。襲撃を企てるのに場所が判んなくて引き返しちゃうし。それでめんどくさくなっちゃうし。そのグループから逆に呼び出された時にはなぜか急に音楽に目覚めちゃうし!!

……ホント、ストーリーを言うだけムダな気がしてきた……。そもそもなんたって原作は漫画なんだから、彼らが唐突に思い立ってやり始める“音楽”がどういうものなのか、聴こえていなかった筈。
しかし、当然音楽的素養もなく、譜面を買うとか耳コピするとかいう考えも浮かばず、ただ手にした楽器をドジャーン、ダカダカ鳴らすだけ、という恐るべき原始スタイルを突き付けて、観客のドギモを抜く。しかし、きっと、原作で示されている描き方を再現するならこれしかない!ということだったんだろうと思う。

しかも楽器は学校から勝手に持ち出したのがドラムとギター、ベースに至っては路上のケンカの時にミュージシャンから預かったそれをそのままちょろまかしたものだってんだから恐れ入る(ギターとベース逆だったかも。とにかく区別がついてないってこと)。
ただジャカジャカやるだけなのに、それまで漫然と日々を送っていた彼らの心に火が付く。楽しいと思う。学内のフォークバンドと交流し、音楽そのものの魅力に目覚めていく。しかし、その実力はフォークバンドとは異なり、彼らはいつまで経ってもドジャーン、ダカダカである。このままどうなるのかと思っていたら!!

この原始的な音楽への楽しさって、本当に原始的な……原始人までさかのぼるようなそれではないかと思っちゃったりする。だからこそ衝撃であり、技術は雲泥の差であるフォークバンドのメンメンが、その原始的な欲望をぶつける彼らの音楽(と言っていいのかどうか……)に打たれてしまうんである。
このフォークバンドの音楽はまさに懐かしの70年代雰囲気、歌といいテクニックといいバツグンに上手いが、そののっそりとした内気なキャラクターそのままに(みんな長髪&メガネで目の表情が見えない)、人の心を打つまでには至らない。いや、研二の心は打ったんだけど(爆)。

フォークバンドのリーダー、ギターとリードボーカルの森田が、路上ライブで豹変するシーンがとてもいい。四畳半フォークから突然、ビジュアル系ロックに変貌し、シャウトしまくるんである。
むしろ、研二たち古武術(バンド名)よりも森田たち古美術(バンド名……)の変貌の方が効果的である。森田の変貌を知ってか知らずか、研二は突然、飽きた、とバンド活動を放棄してしまうのだが……。

もう一人、ね。彼らのところに気安く出入りしている、わっかりやすくスカート長くてパーマで、ああ、不良少女!でもなんだか純朴!!研二からボーカルを頼まれた時の頬を紅潮させるところがカワイイ亜矢が、紅一点の魅力をブチかます。
彼女は一見、いかにもな不良少女だし、他校の不良グループと接点があったりするのだが、実はフツーに乙女というか。そもそも女友達とはフツーに付き合っているし、表面はワルぶってるけど極めて普通にいい子って感じ。正直言うと、彼女のボーカルでの演奏が聴きたかった気もするが、まさかの展開で研二が豹変するものだから!!

舞台は、古武術、古美術が双方参加するロックフェスティバル(というには、町のイベント的な感じだが……)である。
森田のビジュアル系ハードロック演奏に観客が、そしてスクリーンのこちら側の観客もまず口アングリでギモを抜き、しかし途中、あれは機材のトラブルに過ぎなかったと思うのに、音が途切れて、森田は突然、凧の糸が切れたように元の気弱な彼に戻ってしまう。膝を抱えてしまう。

そして、突然バンド解散宣言をした研二はいまだ会場には現れない。それまでは純粋に音楽(音楽、ですよ、絶対!!)を楽しんでいた他の二人だが、そもそも研二に引っ張られる形でここまで来たのだから、足がすくんでいる。
当の研二は他校の不良グループに阻まれている。手にしたベースを躊躇なくたたき割る。手にしたのはまさかの縦笛である!!その縦笛を手に、不良グループを巧みにかわして、会場まで駆けつける。

足がすくんで窮地の二人の元に天使のようにひらりと舞い降りる!!そしてその縦笛のインプロヴィゼーションときたら……!!しんっじられない!天才!!どこで習得、てゆーか、もう神からもらった才能としか思えない!!!……この縦笛、誰がやってるの!!
そしてそこに、落ち込んでいた森田とあと二人のメンバーも飛び入りし、シャウト、ドカドカドジャーン、素晴らしきギターテクニック、すべてが混然一体となって、奇跡のパフォーマンスがしかも、延々と続く!!

……勿論、原画を描いている時から監督さんの頭にはその音楽が鳴り響いていただろうが、あるいはそれぞれ頼むべきミュージシャンが浮かんでいたのかもしれんが、それにしても!
……ああ、実際のライブシーンから原画を描き起こしたんだって、てことはこの時点で監督さんの頭の中にあるものを再現してもらって、描き起こしたということか。なるほど!もうどこまでが先の見えないこつこつで、どこからが奇跡のコラボレーションなのかわっけ判らんけど、とにかくこのライブシーンは凄い!!

バンドやろうぜ!と言って学校からちょろまかした楽器を運ぶ、横断歩道を渡るシーンが、そりゃアレよね、と誰もが判るその画が、堂々と宣材のメインになっているのがイイ。きっとビートルズなんて聴いたこともないだろうに。
技術も才能もないかもしれないけど、音楽に雷のように打たれた、高校生のいっときだけかもしれないけど、そのケミストリーがたまらなく愛しい。
研二は気まぐれで、負けず嫌いだから今後古武術を続けるか判んないけど、研二が離れた時にも続けていた、スネ夫とジャイアンみたいな二人が、森田たちと今後も続けていく先が示唆され、まあ研二は亜矢とディズニーランドにデートに行くらしく(爆)、青春のありかが純粋に、宝石みたいに昇華されまくっている。オッサンみたいなのに(爆爆)。★★★☆☆


女の警察 乱れ蝶
1970年 85分 日本 カラー
監督:小沢啓一 脚本:中西隆三
撮影:横山実 音楽:鏑木創
出演:小林旭 青江三奈 水野久美 夏純子 松本めぐみ 牧紀子 喜多野純 麻生れい子 佳川ヨコ 内田良平 内田朝雄 三田村元 郷英治 マイク・ダニー 北原義郎 丸山修 酒井三郎 千代田恵美 太田とも子 北城寿太郎

2020/6/7/日 録画(チャンネルNECO)
おーっ。小林旭ときたか!冒頭から白いスーツをビシッと着た、旭様の男ぶりにホレボレとする。
そこは瀬戸内海航路の船の上。七年ぶりに再会した銀座のママ、悠子とのかつての関係は彼らが絡めた視線ですぐにそうと推測される。「俺は君と一緒に店がやりたかったんだぜ……」なぜそれが果たされなかったのか。
これはシリーズものだから、あるいは前作とかにその答えがあったのかもしれない。ただなんとなく、二人ともが、もたれあう性質を持たない一人で生きていくタイプの人間で、似た者同士だから惹かれ合ったのかもしれない。

悠子は、好きな男と細々と店を切り盛りするタイプじゃないのは、その押し出しの強い、いかにも銀座のママという貫禄たっぷりな雰囲気から見て取れる。そして篝(かがり)もまた、そんなところに収まる器量じゃないのはなんたって小林旭だから判る。
篝は銀座のホステスをまとめ上げる役職と言うのか、悠子はそれを“女の警察”と呼んだが、言葉は悪いが女衒のような感じなのかな。ただ女の子たちの世話と責任はしっかりと持つ、みたいな。

篝はその中の一人の女を探していた。写真を悠子に見せる。知らない女の子ね、と彼女は言ったが、篝は多分、この時点で彼女がウソを言っていることに気づいていたと思う。
その写真の女は水死体によって発見され、その後も篝が世話した女たちが続々と失踪するんである。莫大な支度金がフイにされたと、店のオーナーたちが篝にねじ込んできて、彼の面目は丸つぶれである。

いやそれ以上に、行方不明となった女の子たちのことを何より篝は心配する。引き抜きなら他の店に出ている筈だが、ただ姿を消してしまうのだから。
次第にキナくさい情報が篝の耳に入ってくる。カントリーというクラブが関係しているらしいこと、関西にトバされているらしいとか、万博の利権が関係しているらしいとか。カントリーはあの悠子がママをやっている店なのだ。探りを入れても悠子はのらりくらりと交わすばかりなのだが……。

万博、かあ!なるほど、製作年度の1970年は万博の年なのだ。日本が戦後の経済成長期のイケイケに打って出た最大のイベントであり、それこそ東京オリンピックもあったが、日本はイケてる!と確信をもって打って出たという意味ではオリンピック以上の意味があったかもしれない。
そして、神聖なるスポーツの祭典ではなく、万博という、ビジネスチャンスが生臭く跋扈しそうなこのイベントにネタを絡ませてくるというのは面白い。

総会屋、イマイチ私はこの種の人たちのなんたるかが判ってないが、まあとにかく万博にビジネスチャンスをかぎつけ、海外の商人を招き入れ、“接待”する。
接待っつーのはいかにも日本的感覚だと思うのだが、アメリカ人に通じるのだろうか……。あっさりヌード写真集をめくってよだれをたらし、この子がイイねとか言わせるけど、今の時代ならこんなん言わんわ、とか国際問題になりそうだが……。

とかいう展開はまだまだ先の話だったわ(爆)。篝は銀座から締め出しを受ける寸前まで追い詰められ、手向かうもボッコボコにされ病院送りになる。そこで出会った弱視の少女が、まさに篝が手掛かりを求めていたあやしげな男、黒木の妹だったんである。
黒木はこの総会屋、醍醐に弱みを握られて汚い仕事を強いられているが、それに唯々諾々として従っているのは、その弱みってのが、妹の恋人を“殺して”しまったこと(事故なのだが、彼はそう言ってやまない)。その事故を、醍醐に有能な弁護士をつけられてもみ消してもらっちゃったことなのであった。

屈辱だが、黒木がそれに従っているのは、このショックで妹の視神経が打撃を受けてほとんど見えなくなり、その治療代を欲しいがためなんであった。
黒木の妹に対する、贖罪だというのは判るにしてもちょっと粘着質に異常なまでの愛情は、ヘンな妄想を起こさせる、のは、勝手な妄想なのだが……。

ただ、黒木が、篝のところから手当たり次第に奪ってきたホステスたちの中で、一人の女に執着し、自分の手元に監禁してレイプさながらに自分のものにしたりするシークエンスが、ちょっと不自然というか、妹に対する執着を緩和するためなんじゃないかと思っちゃうのは、このホステスが逃げ出しても、全然平気でいることなんである。
そのことが、醍醐のお付きたちに逆に不信感を抱かせ、わざと逃がしただろうという展開になるのだが、そのためだけなの??とか思って……。

ホステスたちを軒並み引き抜かれて、でもとにかく自分の店を意地でもオープンさせ、敵との闘いに備えるんだ、という篝の元に、まるであつらえたようにイカした女の子がやってくる。
実はこの子、礼子とは篝はすれ違っている。悠子がママをやっているカントリーに押しかけて来た時に、篝もまた門前払いを食っていたから。

礼子は水死体で見つかったホステスの妹であり、姉の死の真相を知りたくて、篝の元にやってきたんである。そのことを言えない表情を正直に表す彼女に、あえて篝は聞かずに雇い入れる。長年ホステスたちを世話してきた彼には、信頼できる女の子という直感が働くんだろう。
礼子が口では経験している女ぶって彼を誘うのを、「震えてるじゃないか」と制し、下着姿の彼女の頭を優しくなでて、その唇に軽くチュッとフレンチキスして去っていくのがあああああ、セクシーなのにジェントルで、たまらーん!!

本作に出てくる女性陣は、基本水商売ということもあって顔立ちもメイクも衣装もハデだし、それぞれなかなかにパンチが効いているのだが(70年代当時のエロカワイイファッションが素敵だし!)、女性がそんな風に強気に出て行け出した時代だけれど、一方でやっぱり立場も何も弱くって、ていうのが、それぞれの女たちにそれぞれの事情で見え隠れするのよ。

篝の信頼する部下、四郎が手配したメイがまた、そうした女の悲哀を象徴している。混血(当時の言い方で言えば)である彼女は見た目ハデだし、四郎からホステスに誘われても「あたし、飽きっぽいしさ。日本だって飽きてるぐらいなんだから」という言い方はいかにもはすっぱなのだが、四郎から「それならホステスして、金をためてアメリカにでも言ったらいい」と言われると、「アメリカは大嫌い」と吐き捨てる。
そう、彼女の父親はアメリカ兵士、恐らく会ったこともないのだろう。ただ……写真はロケットペンダントの中にある。ロケットペンダントというのも懐かしい。

メイは醍醐たち一味にさらわれてしまうのだが、いけにえとして差し出される、その相手が写真の中の男だったよね??
そんな偶然あるかいと思い、彼が知らずに娘と×××しちゃったなんてまさに身の毛もよだつ出来事なのだが、物語の中ではそのことを明らかにはしないから、あれ、私の見間違いだったかなと思って……いや、あの顔立ちは絶対そうだと思うんだけど……そうでなきゃ自殺しようとまでは思わないよなあ。

醍醐たちはまさにキチクなんである。“接待”に、かき集めた女の子たちをいけにえに使うため、恐らくクスリを打ってもうろうとした状態の女の子たちのあられもないヌード写真を撮ってファイリングし、秘密パーティーの客たちに選ばせるという趣向を用意している。
黒木の妹は兄の仕事の間待たされているという状態で、このファイルを見てしまう。まったくの盲目だと思っていたヤツらは、これは捨て置けないとこの妹もいけにえに祭り上げるんである。

それに気づいた悠子は篝に決死の覚悟で連絡するのだが、愛人である醍醐に見つかってしまう。
ひっどい、ありえない、葉巻をその頬に押し付けられる!!そして黒木の妹が凌辱される様をがっちり拘束した状態でムリヤリ見届けさせるという、なんというキチクさ!!

悠子の電話が入った時、黒木は醍醐からの命で篝の命を頂きに行っていた。そんな殺伐としたさなかでリンリン鳴る電話をとっちゃう篝もなかなかだが、電話に出ている間は攻撃をやめる黒木もなかなかに紳士である(爆)。
その電話で、妹が危機にあることを知る黒木。贖罪の気持ち以上に、異常なまでに妹に執着していた黒木、妹をナンパしてきただけの男を殴りつけたりさ。まあ妹ちゃんも無防備過ぎて、話しかけて来ただけなのに!!とか言うあたり世間知らずだが、なんかこの兄妹の関係は、悲惨な事故、視覚障害、誰も信じず兄妹二人きりのヤバイ閉塞感といい、破たんする予感がマンマンなのだ。

結局はコマに過ぎなかった黒木はあっさり醍醐たちの子分に殺されてしまい、敵ながら事情が判るごとに心情を寄せて来た篝はここでまさに、激昂する。鬼になる。ハレンチなパーティーに子分の四郎と共に乗り込む。
まさにここからは、ザ・日活アクションである。騒ぎを聞きつけて駆けつけた警察官たちも、醍醐の周りを固める屈強な男たちに投げ飛ばされて役に立たない。

卑怯にもこそこそ逃げ出す醍醐とボディーガードを、篝は追いかける。なんかちょうどよくボロボロの軽トラがある。なんかちょうどよく、ガソリンタンクが積んでいる。なんかちょうどよく、穴をあけられるバールが載せてある。おーい、ちょうどよすぎないかー。
しかしこのクライマックスは凄い、引きの画で、炎の輪に包まれた醍醐とボディーガード、炎より真っ黒い煙が凄くて、引きのワンカットだから、心配になっちゃう生々しさで、えっ、えっ、大丈夫なの、死んでないよね??危なすぎる!!と……。すげーなあ……さすが黄金期の日活アクションだよ……。

上背がある小林旭のアクションは重みがあり、例えば千葉ちゃんが繰り広げる華麗なアクションとは違って、生身の男感がある。だからこそ、色っぽい女との出会いと別れも、充分にリアリティ、なんだよな。
結局また、悠子とは別れるのだ。お互い好き合っているのは判ってるのに。悠子は故郷の別府へ行くと言い、一日でいいから来てねと篝に言い、思い入れたっぷりの抱擁とキスをして、別れる。

篝がまたしても彼女と道を共にしなかったのには、ひとつの大きな理由がある。「見捨てられない可愛い妹が出来た」からなんである。黒木の妹。いわば自分のせいもあって命を落とした黒木の妹。そらまあ義侠心あふれる篝が見捨てられる筈はない。
でもまあでもまあ……フェミニズム野郎としてはどっちにしても何となくもやもやした気分は残る。この妹ちゃんをただただ守って彼は生きていくのか。妹ちゃんを自立させる道筋をつけられるのか、と。……この当時は、男が女を守るべきという価値観が、薄らぎ始めたかもしれないけど、まだまだ常識だった時代だろうからなあ。★★★☆☆


「女の小箱」より 夫が見た
1964年 92分 日本 カラー
監督:増村保造 脚本:高岩肇 野上龍雄
撮影:秋野友宏 音楽:山内正
出演:若尾文子 川崎敬三 田宮二郎 岸田今日子 江波杏子 千波丈太郎 町田博子 小沢栄太郎

2020/3/6/金 劇場(角川シネマ有楽町)
若尾文子は脱がなくても、きっちり和服を着こんでてもエロいと、コサキンが熱弁していたのをふと思い出したが、これはまさしくのエロである。冒頭、入浴シーンから上がってきて、そのむっちりとした肢体を、後ろ姿とはいえ見せてくれるのにはナマツバである。バストトップは見せないものの、絶妙にふくらみを見せる横乳が逆にひどくエロい。
そしてこれはヤバい、お尻のエクボである。ヌードを見せる女優さんというのは巨乳であっても全体的なスレンダー感がある人が多いから、このむっちり感、お尻のエクボには息をのんでしまう。浴槽に浸かっている時のお顔が白いファンデーションきつめのバッチリメイクってあたりが時代だが、このきっちり化粧した女のなまめかしさっていうのは、まさにこの時代、そして若尾文子だと思うんである。

その若尾文子と絡むのが田宮二郎ってんだから、想像しただけでよだれが出そうである。若尾文子が扮するのはモーレツサラリーマンと結婚してしまったことによって、一人寝を強いられている寂しき人妻、那美子……というとそのまんまエロ映画な趣だが、でも結構、直截にこのテーマは打ち出すよね。
勿論家に一人っきりで寂しいということもある。しかも夫はザ・家父長制度の染み付いた男で外に働きに出るのも許さない、せめて子供がいればとも思うが、子供が出来ないのは、彼女自身に問題がないのは親友の女医さんに診てもらって確実なので、どうやら夫に問題があるらしいがこんな状態、こんな夫だから病院に行ってもらうというのは絶望的である。てゆーか、そう、もう半年も夜の生活だってご無沙汰だし……とういうのを、めっちゃ赤裸々に打ち出すから、結構おおっと思ってしまう。

この親友の女医さんってーのが最高で。小さな個人病院のシーン、まずあのまたおっぴろげの器械を映し出し、女ならここに乗った時のハズカシメを頭に思い浮かべずにはいられないし、那美子も終始悲痛な表情を崩さない。
それに対してアッケラカンと、だったら男をヒッカケに行きましょうよ、私行きつけのところがあるんだから!!とバーに引っ張り出し、自分は若い外国人のカワイイ男の子とシケこんじゃって、那美子を置き去りにしちゃうという奔放さ。
しかもこういう映画における女医、という思い浮かぶ美女的イメージとは全然違ってて、メガネにボーイッシュでサバサバした女学生みたいな感じがたまらなくチャーミングなの!!

てな具合に本作は、ヒロインの若尾文子を食い気味の女たちがどんどん出てくるので、油断ならない。
まあその前にダブル主演とも言うべき田宮二郎、石塚である。女医さんが連れて行ったバーを経営する凄腕だが、実は那美子の夫の勤める会社の株を買い占め、乗っ取りを図っているというやり手実業家である。彼に言わせれば古い世襲体制で積み上げた実績や可能性を潰している幹部たちに対し、素人なことは承知で立て直しを図りたいという、いわば野心である。
いくつものバーやクラブを経営しているという点ではプロの実業家だが、いわば水物の商売で軽んじられているというフラストレーションが、誰からも認められるような名のある会社を手中にしたいという、まさに野心である。

那美子の夫は、石塚が着々と株の買い占めを行うことを阻止する役目を会社から仰せつかっている。この役目を無事果たせれば、昇進も見えてくる。大株主に日参してはへこへこ頭を下げるのが彼の仕事であり、しかしツメが甘いんである。情に訴えるだけで、そのほころびに、気づいていない訳ではなかったと思うのに、救い上げず、かっさらわれる。
「あんたのような下っ端ではなく、幹部が説得に来るべき」という重要な言葉を確かに聞いているのに結果が得られたことだけに満足するあたりである。いかにも小物である。

情報源として石塚の事務所の女を情婦にするが、これも石塚にまんまと利用される。妻が夫の不貞を知って憤然としても、妻は夫の所有物と言って開き直る。
しかし妻が離婚を言い出し石塚との密通も認めると途端にうろたえて、泣きつき、縋り付き、しかし「おあいこだから」と石塚と密通して買い取った株を売らせろと迫るという愚かぶり。もう口アングリである。

……夫のあまりのヒドさに、展開を無視して少々筆が滑ってしまった。それまでにいろいろ、いろいろ、あるんだからさ。
先述したようにかの若尾文子でも食われるような女が次々と現れる。那美子の夫の情婦になるのが江波杏子で、“事務所の女の子”な若さなのだが、なんと言っても江波杏子だからエロエロさがハンパなく、事務所スタッフで引っ掛けている男が既にいて、この男に嫉妬されて彼女は殺されてしまうのだ……。

そもそも那美子の夫は彼女について、かなりナメてかかっていたところがあったと思う。ちょっとかわいがってやったぐらいに思っていたところが、金銭的にも立場的にもそれ以上のことをしれっと要求してきたところに、濡れ場を妻に踏み込まれる体たらく。
しかもその後、殺人の容疑までかけられるのは、まさに彼女をナメてかかった結果に他ならないのだもの。

そしてそして、なんと言っても岸田今日子である。ああ、若い頃から、最期の瞬間まで、岸田今日子はザ・岸田今日子だったのだと改めて思い知る。彼女、洋子は石塚と長年のパートナー関係。バー「2・3(トゥースリー)」のマダムを任されている一方で、石塚の金策のために数々のカネモチを色仕掛けで落とし、金を引き出させる役目を請け負っている。
それもこれも、彼女が真実石塚にホレているからである。石塚だってそのことを了解してなかった訳でもなかったろうが、これもまた、ナメてかかっていたのかもしれないと言わざるを得ない。今更愛する人が出来たからって、今までありがとうといって、高額の手切れ金を渡したって、逆にそれは、あまりにもみじめだ。もうこれは、彼を殺すかライバルを殺すかしか、ないではないか。

……だから、ちょっと、ラストは驚きながらも、どこかで予測はついていたかもしれない。でも、それ以前に、石塚が自らの野心を捨てて那美子との恋を選んだことがかなり意外だった。
洋子が言うように、そして那美子も判ってて、夫との関係に疲れていたからその胸に飛び込んだように、石塚は仕事の野望を何より優先する男で、女を真実愛することがない男だと。当然那美子にだって、株を買い占める手段として近づいたことは明らかだったのだから、当然そうなのだと思ったし、田宮二郎の冷たい美貌はそれを裏付けて余りあるものだったし、それが途中変貌したようにも正直思えなかったからさ……。

洋子がそう断言してまで、でも私とは離れられない仲だと、結婚の約束をしているんだと、てゆーか、そもそもここまでの関係が事実婚のようなものなのだから、捨て身ではあっても、洋子はある程度の自信は持っていたのか、いや、捨て身でしかギリギリの勝ち札にはならないと思ったのか……。

那美子は夫と石塚の板挟みになる。夫婦げんかをして、家を飛び出し、一度は兄の元に身を寄せるも、この兄貴がまた、夫に輪をかけたザ・昭和男、家父長制度に縛られた価値観の男で、男の甲斐性だの、結婚に愛なんて感覚は青臭いだの、妻は我慢して夫に従うのが当然だの、あまりにもベタな理不尽を言うので、令和の観客からは思わず失笑どころか、フツーに笑っちゃう声が上がったぐらい、なんである。
当時はどうだったんだろう……恐らくこーゆー価値観が、ホントにフツーに受け入れられていたんだろうなあ。失笑さえ、起こらなかったんだろう。彼女に同情しつつも、でも夫婦って、結婚って、仕方ない、こーゆーもんだよねと、受け止められていたんではないだろーかと考えると……。

そう考えると、本作に登場する女たちは、新しい時代への過渡期をそれぞれに体現しているように思える。恵まれた経済状態の専業主婦である那美子は立場上は一見、古いタイプに見えるけれど、夫からの愛、セックス、社会生活への渇望と、現代であれば当然の主張がまだまだこの当時はナマイキなインラン女と言われるようなところに、自分を貫いた女であるし。
女医さんはまさしく、自立した女。明言はしなかったけど、この日本という国における結婚という制度が、自立できる女にとって何のメリットももたらさないことをよく判ってて、自らの力量で人生を謳歌している。

殺されてしまう事務所の若い女の子は、純粋に愛してくれる彼氏より、金づるになり得る中年男をパトロンに選ぼうとする。
そして哀しき女、洋子は……愛した男のために自分の身を汚しまくり、その男に捨てられる、というところまでは昭和的だが、どんな高額の手切れ金を提示され、真摯に謝罪されても、そして彼女の行為が愛より束縛として相手を苦しめていることが判っていても、凶行に及んでしまう、というのが、岸田今日子が演じるから、もう、凄まじくてさ……。

殺しかける。いや、殺そうと明確な意志はあったに違いない。でも石塚は虫の息でとどまる。洋子が呼んだのは闇医師である。とにかく動かしたら死ぬと言われる。
那美子の方はというと、逃避行に出るはずの石塚が待てど暮らせど来ない。かくまっている女医さんは、あんた、騙されたんじゃないのという。
そこに電話がかかってくる。洋子からの、ワナの電話である。こんな状況でも那美子への想いを覆さない石塚への意趣返しに、子飼いの男たちに那美子を暴行させようという!!……顔面蒼白であの厚い唇をふるふるさせている岸田今日子が恐ろしくてたまらない。

つかみかかる石塚。動いたら死ぬんだと言われてたのに。ああ、そういうラストかと、身を固くしてその結末を待ってしまう。洋子の首を絞めて殺し、電話口に出た石塚はもう息も絶え絶えで……女医と共に駆けつけた那美子は、血だらけになりながら彼を抱きかかえ、その冷たい唇に何度も何度も熱い接吻を浴びせるのだ。その血だらけの身体にさえ、セックスの時のように唇をはわせるのだ……。
冒頭既に示された、欲望が満たされないむっちりとした裸体を見せた若尾文子が、しかしラストは、きっちりと着込んだ和服を、しかし愛する人の血に染まって、何度も何度も、何度も何度も……。

今もまだ、つまらぬ家父長制度の価値観にのんびり浸かっている日本男子諸君に、ぜひぜひ観てもらいたい映画である。この時代からなんだから、もう日本女子は、ガマンしないよ。★★★★☆


女必殺五段拳
1976年 77分 日本 カラー
監督:小沢茂弘 脚本:鳥居元宏 松本功 志村正浩
撮影:塩見作治 音楽:上柴はじめ
出演:志穂美悦子 ミッチー・ラブ ケン・ウォーレス 鈴木正文 荒木雅子 田淵岩夫 山田良樹 大矢敬典 五十嵐義弘 岩尾正隆 ニー・セトラ クロード・ギャニオン ハル・ゴールド 汐路章 笹木俊志 志茂山高也 川合伸旺 片桐竜次 田中浩 サンダー杉山 岡島艶子 前川良三 酒井努 井上誠吾 友金敏雄 畑中伶一 南方英二 渡瀬恒彦

2020/5/10/日 録画(東映チャンネル)
わー!!観てみたかったんだよーっ、志穂美悦子さまのアクション映画!!まずオープニングクレジットで見せるキレッキレの空手で男子門下生(時々女性もまじっとるが)をぶんぶんやっつける悦子さまにマジにほれぼれする。宙返り溶かしちゃう。さすがJACの女王様!!

始まりの感じはコメディ映画かというような雰囲気。悦子さまは呉服問屋のお嬢様で、振袖着せられて青びょうたんみたいな“銀行エリート”相手にタイクツなお見合いに飽き飽きしてる。
丸々太ったお父ちゃんは婿養子なのかな??“東北の小学校出たきりのでっち上がり”とか奥さんにやり込められて小さくなってるけど、このお見合いから逃げ出す娘の手助けをしちゃう。
その後も、ことごとくこのカワイイ娘の言うこと聞いちゃう。時にはトンチンカンなやり方に笑っちゃうこのズーズー弁のお父ちゃんは、ほんっとに、この娘、菊を目に入れても痛くないらしい。

さっそく、キーマンになりそうな雰囲気ありありの二人が登場する。白色系の妹、黒色系の兄、異父兄妹だというミッチーとジムである。同じ道場の門下生で菊が妹のようにかわいがっているのがミッチー、でも後の立ち回りを見ると、ジムもまた空手の使い手なのは明らかなのだが。
いずれ沖縄に帰ってレストランを開くのが夢だという彼らは、後に語られるところによると、幼い頃から彼ら二人だけ、であった。異父兄妹、ということは、米兵を相手にしていた母親だったのか、そしてその母親はどこに行ったのか……。

パパが違う、しかも白人と黒人、ということを、白と黒、ケダモノみたいに見られていじめられ、まさに文字通り石をぶつけられた子供時代。
回想シーンは当時のボー読み芝居の子供たちとはいえ、あまりに辛く哀しい。ジムはミッチーを必死に守り抜いた。その延長線上で……今、金のために悪事の下っ端に手を染めちゃってるんである。

だから、その“悪事”が先行して描かれる。お決まりの麻薬だが、なんとまあ、魚の腹の中に隠されて運ばれるんである。
途中、トラックの中で腹を掻っ捌いて取り出していくのだが、えーっ、あれどうやって隠したの??まさか魚に飲ませた訳では……あ、そうか、口から腹ン中に突っ込んだということか……つまんないことが気になるー。

それを密偵していた麻薬捜査官が相手に知られて殺されてしまう。その死体を検分に来た麻薬捜査官、高木。キャーキャーキャー!!渡瀬恒彦ー!!もみあげ凄し!!
ところでこの高木は菊のお父ちゃんの親友の息子さん、という関係性であり、お父ちゃんは元からその男っぷりに惚れ込んでいて、菊に目合わせたいと思ってたんである。

なんたって武道狂いの菊だから、母親が持ってくるようななまっちろいエリートが似合わないのは、娘かわいいお父ちゃんなら先刻承知で、もしかしたら娘以上に持ち込まれる見合いに不満があったのかもしれない。
しかして麻薬捜査官ってことは極秘職務であり、お父ちゃんは警察に勤めている、と単純に思っているだけだから、めっちゃ大事な、もう危機クライマックス!!の時に、「京都じゅうの警察に電話かけたってん」でも捕まらない、ってあたりが、あー、のどかなお父ちゃんでマジカワイイ。

ちょっと話が先走ってしまった。んでね、その麻薬ビジネスは、なぁんと、映画撮影所を舞台に繰り広げられるんである。“ハリウッドの大物プロデューサー”として大物役者と引き合わされるが、実はこここそが麻薬密売の本拠地。石膏で作った仏像の中に流してきた麻薬をいったん隠し、美術品としてアメリカに運ぶという寸法である。

高木たちは、仏像の中に隠された麻薬を発見し、まず古美術屋を捜索し始める。粗悪な石膏作品とはいえ、その創作ノウハウはどこかにある筈だという訳だったんだろうが、割とアッサリと行き当たる。
ただ、相手はタヌキでのらりくらりとかわされる。アメリカ本国から来た麻薬Gメンの顔さえ判れば、我々の方で消してみせましょう、と撮影所の悪辣なヤツらはしたり顔である。
見つかっちまうんである。しかもマズいことに、通訳として駆り出されていたのがミッチーなんである。一方で、この麻薬ビジネスの下っ端要員にジムがいる。そんな偶然、あるかい!!

菊はなんたってお嬢様だから、要人たちが集うお茶会みたいな、お着物の会に駆り出されたりするのね。そこには撮影所のメンメン、勿論麻薬ビジネスのメンメンもしたり顔で顔をそろえている。麻薬Gメンを賓客として送り込み、護衛に当たっていた高木がウッカリ菊のお父ちゃんと顔を合わせちゃったから話がややこしく……いや、展開するんである。
お父ちゃん、菊に似合いの婿だとひそかに思っていた相手に偶然出会えて大喜びである。菊はまだ、これが運命の相手だと判ってないから、はぁ……って感じである。高木の方は当然、職務があるから気が抜けず、テキトーにあしらっている。お父ちゃんだけがちょっとカワイソウである(爆)。

で……ここでジムが、麻薬Gメンを襲う役割を担っていて、ジムを見かけて不審に思ってあとをつけた菊が、その殺戮場面に遭遇するのね。高木も駆けつける。当然、ジムを取り押さえようとする。菊、それをジャマする。なんでだ、おい。そりゃジムは旧知の仲、信頼しているのは判るが、その目でハッキリ、彼がナイフを突き立てたのを見てるのに。
いくらなんでもこれはないと思ったし、特にこの場面のことを後悔する展開もないのだが、でもやっぱり責任を感じたのか、それ以降は高木に協力する、いや、ミッチーのために、という言い訳がやっぱりあったから、その辺はやっぱりちょっと、素直じゃないのよね。

菊だって、高木に心惹かれてない訳じゃない。お父ちゃんが言うように、それまで見合わされてきた青っ白い男たちとは違う。空手ではないけれど、実践の喧嘩殺法はさすが実地で鍛えられているだけは、あるんだもの。
ただ……菊が、二人のために自分を使ってほしいと懇願した時、高木はまず、「君のお父さんに、君と付き合ってくれないかと言われたんだ」と先制する。勿論断ったでしょ、といなす菊に思いがけず彼は、「いや、受けた」と言う。ハッとする菊。
「男には負けたくないと言っているようだけれども、男っていうのは女の優しさに惹かれるもんなんだ。亭主にうまい料理を食わせ、子供を立派に育てる。それが女の幸せってもんじゃないだろうか。女は所詮女だ。たまには男の言うことも信じてみなよ」

はーいー??……あまりにもアゼンとしたので、思わず巻き戻して全文完全採録しちゃったよ(爆)。しかもこの台詞に悄然としてうなだれる菊、って、意味判んないんですけど(爆爆)。
うーむ……時代ということもあろうが、それにしてもあまりにもカビが生えまくった価値観にアゼンとするし、なんたって本作の主人公の志穂美悦子さまは空手の達人として、男に負けたくないどころか、負けたことすらないんじゃないのと思うぐらいなのに。
なんでそんなこと言うの、と思うが、結果的には……つまりは……高木の結末が、この台詞のバカバカしさこそを裏付けたのかもしれんとも思うが。

結末、うーん、結末……。ちょっと悩みながら進む。ジムは結局下っ端のコマに過ぎなかったし、顔を見られたし、殺されてしまう。が、一縷の望みをつないで必死に時間を稼ぎ、妹と逃げようと、あるいは妹には金を残そうと、するのだが……。
で、もう、ミッチーは涙涙で、先述のような屈辱の過去を菊たちに初めて明かして、優しかったのはお兄ちゃんだけだと、絶対に仇を討つんだと、心に決めるのだ。

菊はこの妹の想いを汲みとった上で、なんとかその先を封じようとするのだが、ミッチーは一人討ち入りし、撮影所に拉致される。菊は、そもそも撮影所がアジトになっていることが判るまでに時間がかかる。高木は相変わらず彼女を門前払いにするし……。
アヤしいことは判ってる骨董美術屋の前に、路上でアクセサリーを売るフリで、ヒッピーファッションで乗り込む。この時、お父ちゃんが、「呉服問屋の娘がヒッピースタイルだけは勘弁してくれ」と懇願するのに、「似合うとるやろ」とイケイケな悦子さま。似合うてます!!

エキストラのお小姓としてすんなり撮影所にもぐりこむ菊。うーん、そこは簡単すぎないか。だって撮影所に入るには厳しいチェックが必要なのが再三描かれていたのに。まーいいか。似合ってるし。オネエな役者から言い寄られるのも納得の美少年だもんねー。
そして道具室の中に縛られているミッチーを見つける。そっから先は、なんたってミッチーも使い手だから、思う存分の空手VS撮影所だからね、時代劇殺法の異種格闘技戦、ってのが、面白い。勿論、狭い道具部屋に大人数入り乱れてのアクションだから、いろいろ倒して邪魔したり、槍振り回してみたり、使えるものが沢山あって、楽しいの!!

なんとかミッチーを逃がして、菊は捕らわれてしまう。だあって、卑怯だよ、飛び道具なんだもん(古い言い方だが……)。
菊は急ぎ高木を呼ぶようにお父ちゃんに頼むが、先述のようにヒミツの麻薬捜査官である高木はなかなか捕まらず、ようやく到着した時には、丸太に括りつけられた菊のオマタをのこぎりが今切り裂く寸前!!なんだこの、ちょっと萌える展開!!

ここからは、渡瀬恒彦さまの男らしいアクションも存分に発揮されるのだけれど、勿論解き放たれた悦子さまがまた更に素晴らしいのだけれど。
あ、言い忘れたけど、お小姓の姿から、どんどんジャマなものを脱ぎ去っていって、かつらを脱ぎ去り長い黒髪をなびかせ、上衣を引き裂き、ついにはすべてを脱ぎ去ったその下は、女性的なドレッシーデザインを残しつつのカンフースタイル!素敵!!

だからまあ、悦子さまのアクションの美しさに見とれるばかりなのだが、なんたって多勢に無勢、そして相手はずる賢いから、手下たちに闘わせて、上層部は逃げを打つ。
それに気づいて、高木は後を追う。車に追いつくために近道と作業用の台車を猛スピードに走らせて飛び乗り(怖すぎ!!)車の前に横付けする直前に飛び降りる(うわ!!)。

そして格闘の末……撃たれて……ウソでしょ……。駆けつける菊、そんな動かさないでよ、死んじゃうよ、救急車呼ぼうよ!てかそもそも、高木は一人で乗り込んだのか、ようやく聞こえてくるパトカーの音。アホか!!
「死なないで、死なないで!!」とぶんぶん動かす菊に、白目をむきながら揺らされる高木でいきなりの“完”て!マジか!!死んじゃうの?生きてるの?教えてー!! ★★★☆☆


女ゆうれい 美乳の怨み
2017年 86分 日本 カラー
監督:山内大輔 脚本:山内大輔
撮影:田宮健彦 音楽:Project T&K
出演:佐倉絆 涼川絢音 友田彩也香 竹本泰志 櫻井拓也 ケイチャン 浅場万矢 須藤未悠 須森隆文 加山なつこ

2020/7/23/木 録画(日本映画専門チャンネル)
ピンクではちょいちょいあることなんだけど、全然シンプルな物語に見えて、とりあえずセックスを消化して行っているように見えて、ドーン!とひっくり返される。後から思えばシンプルに思えたあのシーンもあの台詞も、すべてにつながる、すべての伏線があったんだ!!と思える緻密な脚本。この尺の中にこれだけのカラミをしかも5組も6組も組み換えで入れてきて、で、この、この!!
見た目はガッツリホラー映画。メイクからカッティングからかなり本格的。川岸をさまようスーツの幽霊は須森隆文氏で、遠目からすぐ彼と判る、あの異様なガイコツ骨格。確かにこの役のためだけに彼を起用したくなる……。

後から考えれば一体真のヒロインは誰だったのか。中盤までは「死んだ人が見える」と言うユウだと信じてはばからない。宣材写真も彼女がピンだし、なんたって死んだ人が見えるんだから、彼女が展開を引っ張っていくのは確かである。
でも終わってみれば……ひょっとしたら主人公はミチル?いやマリ??いやいや、やっぱりユウ??……つまりは何人もの女たちが男たちに翻弄され、傷つき、時には殺されてもしまう。これは悲しき女たちの復讐の物語と言えるのかもしれない。

冒頭は、ミチルである。豊かなロングヘアーが美しい友田彩也香嬢は、近年のピンクでよく主人公を張る人だから、そりゃ彼女が主人公でちっともおかしくないし、序盤は彼女でかなりの尺を割いているのだからそうかなとも思わせる。
結婚直前の婚約者と彼の部屋で本日もしっぽり。しかしその帰り道、ミチルは夜道でぽつんと大道芸をしている赤いピエロを見る。赤い風船、赤い衣装、赤いバルーンアート。そのピエロは口元に笑み(てゆーか、メイクで口角あげてる)を浮かべながら、奇妙なガニマタ歩きでミチルに近づいてくる。

どー考えてもかんっぜんにITだが(観てないけど)、やや雑な造形が逆に妙に怖い。ミチルは自宅に戻ってからもヘンな気配で眠れず、はっと目を開けると天井に赤い風船が浮かんでいたりする。しかしそれも一度部屋を出て戻ってみると消えている。しかしどうにも気になって、ブラトップにセクシーショーツ姿でうろうろする。
このカッコはその後、同じ目に遭うユウもまた継承しており、それに気づいた時はあらあら、監督のご趣味かしらね、などと含み笑いをしたが、とんでもなかった。男が重なる女の重なりが、次第次第に陰惨な展開に重層的に関与してくるのだ。

クローゼットの中に折りたたまれるように隠れていたピエロに心底ゾッとする。その後のピエロによるレイプシーンは、なんかいきなり人間になっちゃったな、という感じで、正直言うと見ている側にはそんなにそれは怖くないんである。
ミチルはその後、自宅の窓から呆然自失のまま投身自殺を図り、死んでしまう。そしてユウはそのミチルの姿を見るんである。最初は喫茶店、その後は自宅。そしてピエロが現れ、ユウもまたピエロに犯される。

ユウは行きつけのカウンセリングの先生に相談する。ミチルがピエロをあやつっているのかもしれない。実は私はミチルの婚約者と秘密に付き合っていたから、と。
先生は、「死んでいる人間が生きている人を操れるなんてことあるのかな」と疑問を呈する。するとユウは、「霊感が強い人が操られてしまう話は聴いたことがあります」と返す。
この台詞だけならあまりに直截で、ザ・謎解きという感じだったかもしれない。しかしその後にユウは付け加える。「でもあのピエロはこの世のものではなかったかもしれない」と。

結局、あのピエロが何者だったのか、いかにも意味ありげに登場するし、ヒロイン二人を凌辱するし、最後の最後にも引導を渡すような形で現れるし、キーマンには違いないのだが、ヤハリヤハリ、それこそ客寄せパンダならぬ客寄せピエロ、だってまんまITなんだもおん、と思う。
そう、本作はピエロはあくまでまき餌であり、本当に怖いのは人間の愛憎と、そして……生きているのか死んでいるのか判らない、今見ている現実の筈の世界が、妄想か乗っ取られた意識の上に成り立っているのかもしれない、という怖さなのだ。

ユウは両親に虐待されて育った。今でも腕に無数のリストカットの痕がある。そしてカウンセリングに通い、先生に恋をし、受け入れてもらって結婚した。……どこからがマリに成り代わってしまっていたのか。あるいは最初からか。……スミマセン、もうネタバレしないと話が進まないんだもん。
ユウとマリはミチルの同僚。ミチルの婚約者だった准也とユウがこっそり付き合っていたことを当然マリはこの時知らずに、後に川岸で一緒にお弁当をつかっているところで、「実は今、准也さんとつきあってるの」と言った。「だって、彼氏は……」「別れた。もう不倫は卒業」
この台詞を軽く聞き流していたことを後に後悔することになる。だってだってだって、まさかその不倫相手が重要な人物として登場していただなんて思わなかった。よくあるもん、ピンクの中では不倫も何もなんでもありなんだもん!!

そもそもユウと准也の付き合い方が異様である。ユウは准也とミチルがセックスしている声を、なんと台所の流しの下で隠れて聞いているんである。ミチルが帰った後に流しの下を開けて、帰ったよ、と准也が囁く場面には驚愕である。どんなプレイやねんと。
しかしてユウはむしろ「ミチルって、ホントに凄い声だすね」とか言って、「ミチルとした後なのに、スゴい!!」と負けず劣らずの絶叫を響かせるんである。

一体ユウって、結局どんな女の子だったんだろうと思う。中盤までは、マリに乗っ取られたなんて判らないから、ユウはあくまで傷付いた女の子。ミチルが見えちゃって、ピエロにレイプされちゃって、みたいな。
そしてカウンセリングの先生に告白して、思いがけず受け入れてもらえて、結婚にまでこぎつけて、……思えばこんな展開が不自然だと気づくべきだったのだ。ついつい、まあピンクだから何でもありだろと、そう思って後からその浅慮をなんど後悔したことか、学習能力なさすぎ!!

そう、そんなピンク的、あるいは恋愛映画的ムリをあっさり通す訳もなかった。ユウと先生との幸せな結婚生活にかなりの尺を割くもんだから騙されそうになったけれど、でも頭の片隅に引っかかっていたのは、先生とセックスすることだけで、先生が、「もう死んだ人は見えなくなっただろ。治ったんだ。カウンセリングは終了だ」と言ったことだった。

いやそれよりも、観客に決定的に示した描写があって、さすがにそれがずっと心に引っかかっていた。准也と付き合ってるとユウに告白したマリが、大量の処方薬を服用していたこと。
それをユウは見るともなしに眺めているのだが、カウンセリングにかかっていたのはユウの方だった筈。マリに関しては単に同僚で、(この時にはユウが准也と付き合っているとは明かされてないから)、ミチルの死後に准也と付き合ったという告白をしている女の子、に過ぎなかったから、これはどういう意味を持つの……とずっと気になっていた。

結局ユウは、カウンセリングに通っていたことすらなかったのだろうか。あの結婚生活は結局、マリの妄想だったということなのか。ミチルの幻影とピエロのレイプに悩まされたユウは、その傷ついた心を投げ出すように先生にアタックするけれども、これまでユウの物語だと思っていたカウンセリングの先生との物語が、クライマックスで実に巧みにマリにすり替わって、えええっ!とビックリちゃって……。
ユウとマリを演じる二人は、別に似ている訳ではないとは思うのだけれど、“もう一人のヒロイン”ミチルのロングヘアと比すれば、肩より短いショートボブのユウと、肩より長いセミロングのマリ、そして今風のアイメイクの濃さや、もちろん年恰好、すり替わった時にさえ、あれ?なんか違う……とスルーしそうになったぐらいだったのだ。

マリが不倫相手、と言っていたのはこの先生。そして不倫は卒業、とミチルの喪失にかこつけて付き合いだした准也とも、それ以前から二股かけてたユウとバッティングして(またしても流しの下!)、修羅場になった。
しかしその後、特になんの理由もなく、マリがユウに「あの時はごめんね」と訪ねてくる場面が用意され、その後の会話もなくバチッと場面が変わる。その時も、雑だなあと思ったぐらいだった。まさかあのシーンこそが重要な転換点だったなんて思わなかった。そう。ユウは“死んだ人が見える”子だったのだ。あの時既にマリは、死んでいたのだ!!

本当に、すべてが用意周到で、怖いのに心底感心してしまう。カウンセリング室でのセックスだって、あれ?女事務員がお茶出してたのに、そんな不用意な……やっぱピンクだとそのあたりはテキトーかな、と、ピンクだからテキトーなんて一度もなかったの判っている筈なのに、私、バカ!!
この女事務員は奥さんであり、美人でセクシーだけど倦怠期で、こんな美人でセクシーなのにしんっじられないことに、彼女とのカラミシーンはないんである。でもこの奥さんと別れられないもんだから、ユウとマリは不幸になるのだ。

川岸でユウが先生にプロポーズされるシーンと、マリが先生に殺されるシーンは同じ衣装であり、二人が先生とセックスするシーンのキスの態勢、首に腕を回して引き寄せるやり方も同じ。ユウが先生とセックスするシーンで、口の動きと合わないような、ヘンに遠くから喘ぎ声が聞こえたようなのも、私の勘繰り過ぎじゃなかったのかもしれない!!
「霊感が強い人は、死んでいる人間に操られる」同じ衣装、同じメイク、ちょっとだけ長さの違う髪型、そして……豹変するゾンビメイク!!怖すぎ!!

ラスト、ともにこの世のものでは亡くなったユウとマリが、同僚時代と同じく制服を着て川岸の階段で、ゾンビメイクでお弁当を食べているのはちょっと笑ってしまう。
しかし二人が見守っているのは共通の敵、准也が今付き合っている女の子に惨殺される様である。「死んだ人間に生きている人間が操られる」この女の子もまたピエロを目にし、多分ヤラれて、正気を失った。

男の目に女の子たちがどれも同じように、重層的に見えてくる皮肉と悲劇、ある意味女の子たちが共通の敵として男をとり殺す恐ろしさ。ホラー描写が徹底しているからこそあぶりだされる女の純粋な情念が恐ろしい。★★★★☆


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