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「ほ」


2021年鑑賞作品

ボクたちはみんな大人になれなかった
2021年 124分 日本 カラー
監督:森義仁 脚本:高田亮
撮影: 吉田明義 音楽:TOMISIRO
出演:森山未來 伊藤沙莉 東出昌大 SUMIRE 篠原篤 平岳大 片山萌美 高嶋政伸 ラサール石井 大島優子 萩原聖人


2021/11/7/日 劇場(池袋シネマ・ロサ)
当り前のことかもしれないけれど、もはや昭和ではなく、平成を懐古する時代になってしまったんだという感慨を覚える。
でも確かにそうだ。主人公の「ボク」(役名はあるけれど、タイトルロールでもあるからやはりこれがしっくりとくる)の設定年齢は私世代。バブルやその崩壊や、がむしゃらにかけぬけてきた社会人になりたての頃やらが、まるで一緒なのだ。

演じる森山未來氏が“今46歳”というこの主人公の年齢より10は若いことを思ってアレっと思ったが、その時点でまるで違和感がなかったから特に考えもせずに対峙していくと、そうか、そういうことなのか。彼はどんどん若くなる。いや違うな。言い方間違えた。時代をさかのぼって語られていく。
そうなると、起点となる時点での彼は二十歳そこそこであり、今30代後半である森山氏がその起点をまるで違和感なく演じているのも後から考えれば愕然とするほどの驚異的なことなのだが、それは今、この年齢である、そして森山未來だからこそできた離れ業の振り幅だったのか。

原作も、こんな風にどんどんと時間がさかのぼる描き方なのだろうか。それとも起点から始まって今の時代へと語られているのだろうか。
いや、さあ。少なくとも映画でのこの描き方が、凄い、と思ったから。今、46歳の時のボクから巻き戻っていくと、ところどころで、あっ!という答え合わせがなされていくのが、ゾクゾクするほどの快感というか、なんというか。

ボクは、あの頃はそんな言葉もなかったが、ザ・ブラック企業に勤めている。イケイケだったテレビ業界の下請けも下請け、再現や差し込み文字の映像データを作る仕事である。
単価激安をさらに叩かれる、「請求書三割削って持ってこい」という横柄なプロデューサーの台詞、「人間の八割はゴミで、後の二割はクズ」という旧友の台詞、テレビ画面に映し出された、雀荘で拳銃をぶっ放したヤクザ青年の顔、そして何より、「普通」という言葉が、価値観が、ボクやあらゆる彼女の口の端にのぼっては消えること……。

その始まりは、原典は、これだったのかと、ああ!とハッとさせられる巻き戻しの世界。見事に巻き戻っていく。だだっ広い事務所で、コロナの影響で出社しているのは数人というところで、現代風の薄型パソコン、キーボードも紙のように薄い。
しかしどんどんと時間がさかのぼるごとに、きちんと型落ちしていき、私が最初に苦労してセッティングした、あの、あの、ブラウン管型、奥行きひろーい、画面が凸レンズのようにせり出ていて、映像がチカチカするようなパソコン。

発注はファックスで、激安単価を際限なく引き受けちゃう社長の方針で、気が狂いそうになるぐらい延々と吐き出される発注書で足の踏み場もない状態。
そんな時にボクは、後から考えれば、ただひとつの、唯一無二の恋をしていたのだ。あの恋、あの彼女を、どうして失ってしまったのだろう。

その彼女が伊藤沙莉嬢である。これまた絶妙である。実年齢でいえば森山氏とは10は離れているのだが、先述のように森山氏が振り幅の広い年齢を見事にさかのぼっていく、その起点で出会う彼女と、彼女の実年齢でバチッ!と合わさるんである。
なんとまあ二人の出会いは、雑誌の文通コーナーである。私の子供の頃の時代にはかすかにあったかなと思うが、ホント?90年代にも、あった??

犬キャンというペンネームに反応し、ボクは彼女に手紙を書いた。それを後押ししたのは、洋菓子工場で同僚だった七瀬である。
時間が巻き戻るもんだから、七瀬がまず登場するのはゲイバーのママとしてであり、後に、ボクとの関係がこの工場での同僚時代にあったことが知れ、さらに、七瀬がボクのことを好きだったことも知れるんである。ボクは多分、なんとなく、薄々ぐらいには、七瀬の気持ちを察してたんじゃないかなあと思うのだけれど……。

最初の方の時間軸で、若干オチバレ気味に、かつての彼女との最後の別れの場所を、ボクは回想している。20年という月日はそりゃ変わるに決まってるんだけれど、東京、それも渋谷だ原宿だっつーんなら、目まぐるしく変わった。原宿はあんまり判んないんだけど、かつて通いまくった渋谷シネマライズのあの頃の姿が映し出されることに、心臓ショックを受けそうなぐらいに衝撃を受ける。
ええ、えええ!!どどどどうやって。多分それ以外も、原宿ラフォーレとかも、駅の姿とかも、見事に当時を再現しているのだろう。ど、どうやって……。オバちゃんは今の映像技術が一体どうなっとるのやらさっぱりわからんわ(爆)。

でも、ああでも。原宿は判らんから、シネマライズが私にとってはズドーンと来たんだけれど、90年代から21世紀に突入したあたりの東京のカルチャー、私はただ映画を観たくて周囲が恐ろしくて目線を落として徘徊していた感じだったけど、でも、それでも、あの頃の独特の、とんがったカルチャーを共有出来ていた最後の時代というか。
昭和の時代は、皆がすべての流行やカルチャーを共有してた。平成になると、世代や趣向によってそれが分割されたけれども、まだゆるやかで、共有の気持ちは、後からこんな風に回顧すると、凄くあったんだなあと思う。

令和になり、コロナにもなり、これはいいことだと思うんだけれど共有を強要される時代ではなくなった。無数無限のカルチャーから、自分自身の価値観で好きなものを選び取れる素晴らしい時代になったのだ。
だから……平成から昭和を回顧する時の甘酸っぱさとは違う感覚がある。上手く言えないけど、好きな人の好きなことに、合っていれば安堵、一喜一憂、もし違ったらと思って怖くて言えないとか、LGBTQなんて言葉もない時代、多様化なんて価値観は夢また夢の中で、七瀬がオカマキャラに紛らせて抱えている苦しみなんて、考えもしない平成の時代、だったのだ。

その平成の時代に、最初で最後のような恋をして、ラブホテルでプロポーズをした明け方、別れたきりの彼女だった。その後、何も連絡が取れなくなった、ということなのだろう。
ボクはその後、セクシーなバーテン娘を経て、それなりに結婚までを考える彼女にまで行きつくが、上手く行かない。最後は仕事の忙しさにかこつけてほったらかしまくり。いや実際目が回るほど忙しかったにしても、それこそ最初の彼女に対しては、突然ドライブ旅行行こうなんて言うわがままも、聞いてあげてたじゃないかと。
それは当時、同じくエネルギー満タンだった同僚がいたから、なんだけど。またしてもでっくんに驚かされる。でっくんだよねと見ている間中思っていたぐらい。彼はどうしちゃったの。芝居の神様に呪いをかけられたのか!

間をはさむ、セクシーバーテン娘、実は違法なデリヘル嬢であるスーはまさに、バブリーな象徴。
一番新しい時間軸でボクと結婚するか否か、私の時間を返してといった、ヤボな修羅場を繰り広げる、大島優子嬢演じる彼女はまさに、まさにまさに、なんとなく浮かれてやり過ごせた平成時代から令和時代に抜け出た、現実の女性、という気がする。

ああでも、そんなこと、カンタンに言っていいのか。いつの時代も、こーゆータイプの女はいたじゃないの。結婚する気なかったんでしょ。私の時間を返してよ、みたいな。
彼氏を引き合わせる、てな具合に、お母さんと共にオシャレなカフェで待っている、そこに、忙しい合間を縫って、慌てて駆けつけるボク。かつてなら。愛しい彼女との約束を、いくら忙しくたって、なんとか作り出したろう。それこそ、同僚の助けもあったろう。

同僚はこのブラック状態をパンチ一発で抜け出して、今やオンライン塾で成功している。ボクはいまだ、下請けでこき使われているブラック企業で働き続けている。
でもなんとなく、なんとなく、上の立場になっている感じはある。ただ、かつて彼が上司から言われてぶんむくれていた台詞を今、ボクは後輩に言っている。上司のように頭をはたいて言うような暴力的な感じではないけれども。

ただそれは、コロナのずっと前、ノストラダムスがはずれて、彼女にフラれて、惰性でこのヒドい制作会社で働き続けてて、震災があって……ぐらいの時である。ボクはうっかり、そんな尊大なバブリーを引きずった上司になりかけた気がする。
でも震災があって、一緒に入った同僚がバブルの象徴であった尊大な得意先であるプロデューサーをぶん殴って辞めて、お前だって同じ気持ちだっただろうと言われてそうなんだけど、ボクは辞めることが出来なくて、今もとどまっている。

コロナを経たということもあるにしても、リモートで仕事を進めることで、冷静な打ち合わせ、パワハラ、モラハラな行為がなしづらくなり、なんとまあいい時代になったんだろうとめちゃくちゃ思うし、ボクはきっと、後輩たちに、自分たちが経てきたそんな理不尽な思いをさせたくないという気持ちは当然あるのだろう。
一瞬、あったけどね。まさに、上司、社長から言われたまんまを、彼も若手に行っていた。個性を出そうだなんてしなくていいんだ。フツーにやれ、フツーに、と。

それはボクが、ずっとずっと、愛する彼女と出会った頃からモヤモヤと悩んでいたことだった。彼女は、大丈夫だよ、だって君、面白いもん、と言ってくれた。
そもそもその彼女の推薦で、菓子工場でくすぶっていたボクは、思い切って映像制作会社に飛び込んだのだった。拍子抜けするほどあっさり採用されたってことは、単なる人手不足であり、その後、頭の上にキラキラの、華やかな世界をチラ見しながら、ボク自身は地味で搾取されまくりの理不尽な仕事に粉骨砕身していくんである。

物語の冒頭は、長年続いたバラエティ番組の終焉の、打ち上げパーティーなんである。ボクはまさに末端を汚しているという気持ちでそこにいる。後から思えば、伸びっぱなしの髪をうっとうし気に何度もかきあげるのが、その後も何度も繰り返され、この時点での彼の苛立ちというか、どことも知れない自分、といった感覚が色濃く刻印されている。
この、バブルの終焉からもだいぶ経ってからの、なんか燃えカスみたいなパーティーでの様々な空虚なやり取りと、その後の答え合わせの妙味、その後描かれる、どうやら原作発表時にはエモいと評されたのが、なるほどと思うんである。

ボク以外はつまり、上手いことやってる訳さ。元カノは、消息不明だけれど、ボクに、普通なんてクソだという価値観を植え付けて消え去ったぐらいなんだから、女の子は男に養われてたまるかっつープライドは絶対あるし、ラブホテルでプロポーズされたことへの悔しさをバネにきっと、力強く生きているだろうと思う。
違法な風俗嬢として摘発されたアンニュイなスーは、ボクの保護心を刺激しただろうけれど、結局彼女に何もできなかった。

最後の彼女がいっちゃんキツかったが、まあ同じ同性としては、結婚を前提としたり、ちらつかせたり、責めたりするのはヤだと思うし、女の風上にも置けんと思うが、まあでも、それは、事情に寄るからなあ……。におわせたり、期待させたりしたら、やっぱり駄目だとは思うけど、それは、受け取る側の都合のよさの方が強いのかなと思うし……。
私はね、ヤなの。結婚する気なかったんでしょとか、私の時間返してよとか、最悪。てか、こんな腐った言葉、今の女子は言わないと信じてるんですけど(爆)。判らないけど……。

冒頭、そしてこの場面に戻ってくる、何より心打つシークエンス。酔っぱらったボクと七瀬が、生ごみの中にどーん!!と転がり込んで、あの、心打つ、八割はゴミ、二割はクズ、という答え合わせをする。そこでボクは、でも一割ぐらいはいい人がいる気がするんだよねと、戯れのように言う。
それは、冒頭ですでに示されているんだけれど、すべてが、すべてが示されて、懐かしの狭い画角からワイドに戻ってきて、あ、冒頭のシーンだ、戻ってきた、と思って、まったく同じ会話、同じ台詞を耳にするんだけど、付け足された一パーセントのいい人がいるかもしれないって言葉が、すべての答え合わせをした後に聞くと、二度目なのに、まったく違って聞こえる。なんてなんて、グッときちゃうんだろう。

カルチャーの変遷を見事に描写し、それを生きた役者人、特に森山氏の素晴らしさ。昭和の女にとって平成が懐かしいと言われるツラさはあるものの、それが、昭和の時代とは違う、単なる懐かしさや回顧ではない価値観を認められていることに、驚きと嬉しさを感じるばかりなんである。 ★★★★☆


僕と彼女とラリーと
2021年 105分 日本 カラー
監督: 塚本連平 脚本:塚本連平
撮影:音楽:
出演:森崎ウィン 深川麻衣 佐藤隆太 田中俊介 小林きな子 有福正志 小林涼子 よしこ 竹内力 西村まさ彦

2021/10/10/日 劇場(池袋シネマ・ロサ)
今年の11月、実に公開の来月に舞台となる豊田市での国際ラリーが控えているとあらば、ぜったいにこの公開時期を逃す訳にはいかなかっただろう。てゆーかあまりにもギリギリで、恐らく本来ならこのラリーに客を呼ぶべく余裕を持った公開時期をもくろんでたんじゃないだろうか。
あるいは撮影だって。撮影がコロナ禍にぶつかったんだとしたら、相当大変だっただろうなあ……まあ事情は全然知らないので、ずっと以前に撮っていたのかもしれないけれど。

製作はメーテレだし、舞台は車の街豊田市。だけど豊田市は自然豊かな里山でもあるんです!と情感たっぷりにPR動画を編集している美帆の場面から始まるという、バリバリのご当地映画である。
劇中、幼なじみの二人が最後にすれ違った場所として、桜の咲き乱れる側の橋、紅葉の紅葉の側の橋が描かれ、それはつまり、春と秋、二度桜が満開になるという奇跡の美しき風景が、これでもかとふんだんに活写される。ちょっとそのものすぎてハズかしくなるぐらいである。見事な段々畑が広がる様を上空(今はドローンがあるから、こーゆー風景を撮るのもお手の物なんだよなあ)から撮ったりね。

確かに豊田市といえば車のイメージで、それなりに大都市で、という印象だったから大いに意外ではあったけれど、それをPR動画やら、二人の思い出の場所やら、ことさらにドローン撮影で見事に示し、さらに追い打ちのように美帆が「凄いとこだね」と感嘆の声を漏らすというおまけ付きで。
まあそりゃここは大河の母の実家の町であるから彼女は訪れたことがなかったから、というのはあっても、あれだけ風光明媚な豊田市を宣伝しまくっているんだから、地元愛が強けりゃ近隣の土地にも明るいんじゃないかと思うけどなあ。

美帆を演じるのはもはやイオンシネマのヒロインと言えばこの人、といった感じになってる気がする深川麻衣嬢。主演の大河は森崎ウィン君である。彼の名前を見て、足を運んだような感はある。センスの鋭敏な彼が選んだ作品ならという気もしたのだが……まあとにかく。
大河は売れない役者をしている。オーディションでいい感じに芝居しているところに電源を切り忘れた携帯に父親から電話がかかってくる。切り忘れていたのは彼の責任なのに、その後何度となくかかってくる父親からの電話にいまいましげに放置し、居候の友人の前でついにキレてしまう。

この時彼が言い放った台詞の感じでは、本当の父親じゃないくせに、ぐらいのニュアンスを感じるぐらいのケンマクだったのだが、それぐらい、憎んでいた父親、ということだったらしい。まあ判りやすく、家庭を顧みず、母親が寂しく死んだ時も間に合わなかった、てことなのだが、ちょっと弱いかな、という気がしてしまう。いやいやいや、ごくごく幸福な家庭に育った私が言う資格もないが、こんなに兄弟そろって怒り心頭になるぐらいなら、他の女にうつつを抜かしているとか、母親に暴力をふるっているとか、それぐらいのレベルを思い浮かべるじゃない。

大河の父親は、ラリーに没頭、相棒のドライバーと共にメカニックのレジェンドと呼ばれるほどに、国際的ラリーで活躍した。今は地元に帰って、小さな自動車工場を立ち上げて細々と……に見えるが実は、地元では、いや世界的にも有名なメカニックエンジニア。国内中からレースカーやアンティークカーのメンテナンスの顧客があるからこそ、この小さな工場は成り立っていた。
当然地元でも有名人だから、テレビ局?制作会社かなあ、番組を作っている美帆は、幼なじみの父親というよしみを利用したこともあろうが、何度となく取材を重ねた。膨大な量の取材テープが思わぬ形でその後、役に立つことになるんである。

本作のホームページのストーリー解説では、大河は大学に進学したことになってるけど、劇中では彼は、専門に行った後に小さな会社に就職したものの生きがいを見出せず、その後役者の道に進んだと美帆に語っている。そして彼の兄、実に佐藤隆太とゆービッグネームを迎えたこの兄は、名古屋でエリート銀行マンになっている。
兄弟ともども好き放題やって、大好きな母親を寂しい思いにさせた父親を憎んでいるのだが、少なくとも進学の金まではお世話になってるんだよねと思い、特に兄は、今の立場からするとそれなりにいい大学に行かせてもらったんだよね、と思ったり……。

大河の設定が恐らく最初の設定から専門学校に変えられているのが、彼が父親にそれなりに反駁する材料になっているのかなとも思ったが、その専門がなんの学校だったのか、そもそも役者になりたいと思っていった学校だとは思いにくい、小さな会社に就職したというんだから。ちょっと設定が甘い気がするんだよなあ。

久しぶりにかかってきた父親からの電話にひどく冷たく応対し、その後突然死んでしまった報を幼なじみの美帆から受けて、愕然としたまま大河は故郷に帰る。
そこには父と共に小さな修理工場を営んできた、見るからに不器用な従業員たちがいて、兄は、この工場は父親の信頼で成り立っていたんだから今後は厳しいと、冷徹にたたむ決断を言い渡すのだけれど、大河は躊躇する。

まあハッキリ言って、浪花節である。客観的に見て、兄の決断は妥当である。ただ、そう、浪花節、なんである。こーゆー判りやすい図式、久しぶりに見た。不器用な従業員たちは亡き社長に恩義を感じている。同じく不器用な弟は、父を憎みながらも、父を慕っている彼らに自分とのシンパシィを感じてる。
兄は判りやすいエリート、現実的に計算し、それは彼が今築いている家庭においても同じ。葬儀に来ているのに、一人息子のピアノレッスンの時間を嫁は気にしているんである。

あまっちょろい役者なんていう遊びにウロウロしている弟に、浪花節に傾いたことに冷たくあしらう兄は、そもそも彼らは共同体だった筈、母親を愛するがゆえに、同じく父親を憎んでいた筈なのに、この共同体感覚が、父親の死によってすっ飛ばされるのも解せない。
父親の得手勝手によって、兄弟の道も分かれたのならば、その過程も見せるべきなのではないのか。幼き頃の回想とこれまでの経過を診る限りでは、兄弟は結託して父親を憎むという図式になる筈なのだが。

兄はエリート街道、弟はヤクザ街道、そこに溝があるんだとは思うけれど、その生きる道の違いにおける兄弟の溝がすっぱり省略されているから、なんか変な感じがしちゃうのよ。彼らが仲たがいする理由はないんだもの。ヒドい父親を糾弾する同志な筈なんだもの。
決裂するのは、父親が残した小さな工場をつぶすか否かの点であり、この時点で兄が、役者なんていうフラフラしている弟を、父親の血を引いているがごとくケーベツしている感情で突き放す、ってなら判るんだけれど、台詞上ではそんな感じではあるんだけれど、それまでの過程ではあくまで、双方父親を憎んでいた、母親を愛していたが故、という経過しか語られないからさ。同志になるならともかく、こんなに疎遠になるのかなあ。

それは私が、幸福な姉妹関係を営んでいるからそう思うのだろうか。男兄弟っつーのは、同じ価値観を有していても、こんなもんなんだろうか……。てゆーか、親子関係、兄弟関係、かなり表面的な描写で対立させる図式で、こんな具合に腑に落ちないという感じが強いんだよね。キャラクターの掘り下げというのはとても難しいことだとは思うんだけれど……。

工場を存続させるために、それまでは一人スターがいたから成り立っていたのを、一見無力に見える一人一人の、小さなことでもいいから才能を、得意なことを見つけ出していこうという展開は、とてもいいと思う。いいと思うが、逆に言えば、これまでは社長さんは自分一人の実力の元に、不器用で生きづらい人たちを、“雇ってやってた”てことなんだよねということが露呈されるのだ。
劇中でそんなことは言わないけれど、社長さんの存命の頃の描写で、人と接することが苦手な事務員の女の子が、一生懸命に電話応対をしていたのを取り上げられて、社長さんからムリしなくていいからね、と声をかけられるシーンで、違和感を感じていた。

その後彼女は、こんな私を雇ってくれたと感謝の気持ちを述べているけれど、この工場を立て直すためのラリー参加のために初めて発揮される彼女のパソコン、ネットに関する尋常じゃない実力を、これまで発見されず、ただただ雇ってくれてありがたい、というスタンスだったんでしょ。
それは、老眼で作業が遅いけれど腕に自信ありのおじいちゃんエンジニアや、まだまだ技術には自信がないけれど、営業力、若さゆえの作業の早さには自信があるあんちゃんもそう。

つまりはさ……彼らは感謝という名のもとに飼い殺しにされていたように見えちゃうのよ。図らずも突然死という悲劇、そして、漏電による火事ですべてを失って、ようやく彼らの実力が、火事場の馬鹿力そのもので発揮されることになるんだけれど、それがね、なにか、社長に囲われていた時には発見されなかった、庇護のもとに感謝を強要されていた、とまで言ってしまったら言い過ぎなのかなあ。でも、そう見えてしまうのだ。

それは、大河もまた、同じである。こんな事態に遭遇しなければ、彼は売れない役者を漫然と続けていただろう。冒頭に受けたオーディションの1次を突破したというシークエンスはあるものの、その時大河はかつての彼女である美帆との出会い、父親が残した夢であるラリー、火事によって何もかも失ってしまったと思いきや、だからこそ百パーセント出発できるというスタンスを得て、人生を急カーブする決心をするんである。

亡くなった父親の親友、ラリーの相棒として世界中を回っていたという宮本武蔵(本名)、演じるは竹内力氏である。ちょっと面白い企画だなと思うと参画している彼の製作会社、今回は竹内氏自身も役者として参戦。
かつては国際ラリードライバー。久しぶりに大河の父親と組んでラリー参戦しようとした矢先の親友の死に、泥酔して号泣しながら乗り込む。工場の倒産危機を、ラリー参加で話題を呼んで乗り切ろうという大河のアイディアに参戦、そもそも飛ばし屋であった美帆をドライバーにして、操縦役として大河、二人を鍛え上げるんである。

このシークエンスこそが、本作のポイントっだったんだろうと思う。そもそも、レースとラリーとの違いこそである。車の街、国際レース、国際ラリーに参戦してきた矜持。この違いが理解されていない歯がゆさこそが、本作の成り立ちであったんじゃないかと思われるほど。
テニス、卓球、理解されている筈のラリーが、自動車のそれとしては、なぜか認識されてない。スピードだけではない。タイムだけではない。帰ってくることが重要なのだ。それは約束であり、対話である。
それをはっきりという訳じゃないんだけれど、この不器用な作品の中で、構成といい、描写といい、なんか歯がゆい本作の中で、ラリーという言葉を理解し、解説し、最終的にそれこそを求めて突っ走るラストに、ようやくほっとした感じ。

クラウドファンディングで工場の存続を図るものの、劇的な、宮本弁護士が奔走したクラシックカー保持者の顧客たちを集結させて、ギリギリまでの資金を調達させたものの、兄が提示した期限と金額に達しない。でもラリーには出ようよ、こんなに支援してもらったんだから、と。
うーん、いろいろと、いろいろと、ピンとこない。そもそも竹内氏演じる宮本弁護士は、なんたって弁護士なんだから、こーゆー、兄弟間の遺産トラブル請け負いますよ、と、まあ父親の親友という立場で号泣しながら現れたにしたって、立場としてはそうじゃない。そもそも彼が自分自身の想いでもって親友の工場を継続させたいと思って、資金のかき集めをしてさ。
それがほんの少し足りない。ほんの少しはおめーが出せばいいんじゃねーの(爆)。ほんの少してのが、金額が見えないからビミョーだし、そもそもコイツはそーゆー時にこそ、ということで、弁護士の名刺を兄弟に差し出したんじゃないのかなあ。

すんなり感動するには、なんとなくもやもやすることがちょいちょいあるのが惜しい。
ラスト、大河は美帆にプロポーズ、大河の兄は弟のレースを見に来て、大河の甥にあたる兄の息子は、メガネっ子でいかにも秀才君だけど、ラリーに夢中、シングルマザーの美帆の息子と仲良くワクワクスタートを待っている。すべてが、幸福にだけあふれてる。楽しく素晴らしいラストではあるのだが……。 ★★★☆☆


菩提樹 リンデンバウム
1988年 90分 日本 カラー
監督:山口和彦 脚本:内藤誠 桂千穂
撮影:奥村正祐 音楽:加藤和彦
出演:南野陽子 神田正輝 竹本孝之 柳沢慎吾 藤代美奈子 比企理恵 結城しのぶ 入江若葉 林美穂 鈴木瑞穂 松原千明 神山繁

2021/8/8/日 録画(日本映画専門チャンネル)
原作は未読だけれど大和和紀と聞けば、その絵柄が鮮やかに想像される。南野陽子氏といえばアノ代表作といい漫画原作との相性の良さは本作でもいかんなく発揮されている。まさに正しき80年代アイドル映画である。
劇中、彼女の相手役の一人、森次が言う「あしながおじさん?なんだその少女漫画みたいなネーミングは」などという台詞を待たずしても、まったき正しき、少女漫画原作のアイドル映画なんである。

相手役の一人、という言い方にしちまったのは、80年代アイドル映画のヒロインは、モテモテであるからである。
真の相手役はそのあしながおじさんである早坂助教授。演じるは神田正輝。後の結婚相手となった松田聖子の映画といい、この当時の神田正輝はちょっと年上の素敵なおじさまとしてのアイドル相手の需要が相当に高かったことが想像される。

この当時の彼の実年齢で38歳。実際のキャラの年齢は判らないけれど、大学生のヒロイン、麻美にとっては、親子ほどとは言わないまでも、恋人とするには年齢差が大きく、だからこそのあしながおじさんなんだけれど。
でも劇中、麻美を演じる南野陽子氏は、さすが後の実力派女優への道を想像させる、大学入学したての少女から、大人の女の陰影を見せてくれるから、神田正輝相手でも充分、おっ、と思わせるんだよね。
でもダメ。だって、早坂があしながおじさんになったのには、決してそういう相手にはなれない理由があるから。

てゆー、理由のあたりがいかにも少女漫画なのだが、ちょっとそれは置いといて。先ほど言及した、“相手役の一人”森次を演じるのが竹本孝之。
うわ!ああ、竹本孝之だ!か、カッコイイ……。甘さとクールさが絶妙にブレンドしたこのルックス、アイドル役者とは一味違う存在感である。ああ、確かにそう、そうだったなあ……。

森次は一度社会人になって、もう一度医学部を受験しなおしたという苦労人。しかもそのために勘当されて、お金持ちの美女が経営する会社の用心棒兼運転手で生計を立てている。
その金持ち美女の家に半居候する形で家賃も浮かしている、というのは、その美女のかなーり説明的台詞によって物語も後半になって判明する。

麻美と森次の出会いは入学式の日、彼とぶつかって持っていた紙袋の中身をバラまかせてしまって(このあたりが少女漫画である)、かき集めて渡したものの、一つだけ渡しそびれた口紅、という展開からである。
新入生の男子が女性化粧品を紙袋いっぱいに持っていたという説明は、結局は最後までなされないんだけれど、この美女の経営している会社の商品とか、そういうことだったんだろう。

だから最初から森次は、麻美のみならず同級生たちを下に見る傾向がある。ハタチ近辺の数歳の差は確かに、価値観も何もかも、子供と大人ほどの差が生じてしまうのは確かにある。
でも、そうやって麻美を子ども扱いするところが、おばちゃんたちの目からはあんたこそカワイイ男の子だわね、と見えちゃうんだけれど。

てゆーか、基本的な設定をいろいろすっ飛ばしてしまっているけれど。麻美は葛城さんという女性にここまで育てられてきた。
幼い頃、両親が事故で他界、親戚の間をたらいまわしにされていたところに現れたのが謎のあしながおじさん。あしながおじさんから派遣されたのが葛城さんで、彼女の支えによって麻美は見事、医大に合格したんであった。

医者になるというのは麻美が、無医村で尽力していた両親を尊敬していたことが第一だけれど、入る大学を指定されていたのは、そのあしながおじさんによってであった。かなりの難関だったらしいが、見事パスしたんである。
……後々色々明かされると、あしながおじさんも、麻美の父親の親友だった学長もこの大学の指導者なのだから、ホントに実力でパスしたのかよ、と、ヤボなことを思ってしまう。だって医者になる彼女を見守るだけなら、どの医学部だっていいじゃない。そもそも罪滅ぼしに援助するっていう気持ちだけだったんだから。うーむ、でもそれじゃあこの物語自体が成り立たないしな(爆)。ムズいなー。

そりゃまあ、原作自体の尺や深さに、映画となった本作が追い付いていないことはたっくさんあるに違いないと推測される。そらあるさ。往々にしてある。
未読なのに勝手なことを言うの、許してね。でも想像できちゃうんだもの。先述したけれど、森次が金持ち美女のヒモ状態になっていることを、彼女の説明的台詞で明かしたりする部分が一番判りやすいさ。

麻美は寮生活に入って、理解ある友人にも恵まれるし、柳沢慎吾氏なんていうさいっこうの布陣を張って、麻美に気があるものの、友情の方が強い、愛すべきお調子者、というキャラクタ―も登場するのに、通り一遍で、いかにももったいないんだよね。
超マジメな子や、医学部家系に産まれてとりあえず医大には進学したという子や、興味あるバックボーンの子たちがさまざまいるし、彼女たちは後々、麻美の苦悩にすっごく心配してくれるのに、描き切れていないのがいかにも惜しい。

てゆーか、描き切れていないことが想像できるから惜しいんであって、だったらもう、出来ない部分はすっぱり切っちゃってくれた方が良かったと思っちゃう。
だって本作はあくまで、麻美とあしながおじさん、つまりは麻美が失った愛する家族と、それにつながる物語、なのだもの。

それで言えば、最も気になるのは葛城さんである。演じるのは、そうか、松原千明なのか!!圧倒的に大人の女。
でも結構後半まで、その大人の女たることを示すことはなかった。あくまで麻美の後見人。あしながおじさんが誰かをただ一人知っている人。それがどういうことなのか。結局は早坂助教授が死んで、喪服姿の麻美と葛城さんが対面する場面になるまで、ハッキリしなかったのだ。

いや、明確に葛城さんと早坂氏の関係が説明される訳じゃない。でも少なくとも葛城さんは、ぜったいに、ぜえったいに、早坂氏を愛していたに違いなく、それは麻美が早坂氏の臨終場面にただ一人立ち会えたことにハッキリと嫉妬を示すこの場面で明らかなんである。
うっわ、うわ……これが、この女の対決が、バシッと描かれていたら面白かったのに。実際、ここに至るまでの南野陽子氏の女への変貌はそれに値するものだったのに。もったいないなあ!!

でもしょうがない。何度も言うが、これは80年代正しきアイドル映画なのだから。でも、原作が少女漫画だからといって、あなどってはいけない。少女漫画、描き手も読み手も、表面上はつくろいながらも、中身はドロドロの欲望を持つ女、なのだから。
麻美は冒頭はいかにも少女である。あしながおじさんに無邪気に感謝している。しかし、社会人を経験しているちょっと年上の同級生、森次に接すると、あしながおじさんというのはもしかしたら、エロな意味でのそれなのかもと苦悩する。不潔よ!!とか言い出す。

少女ゆえの純情とも言えるけれど、それが自分の身に起こることを想像できるだけの大人になっているとも言える。医者になりたいならそんな甘ったれたこと言いなさんな、と葛城さんから言われて黙り込んでしまうのも、受験勉強の厳しさ、自分では作り出せない授業料、唇を噛んでそれらを天秤にかける程度には大人になっている。
せめておこずかいだけはと、夏休みにアルバイトに出かけるのは成長かもしれんが、そもそもそれまでアルバイトを一切していない、そしてこの夏休みのアルバイトも葛城さんの紹介で、結局はあしながおじさんの姪っ子の家庭教師ってんだから甘すぎるが。

なんかこうなると、案外コイツ、両親を亡くしたという苦労を前面に出して、結構したたかにやってんじゃんと思っちゃうし、そう見られても仕方ないとも思うが、まあなんたって80年代アイドル映画だからさ。

タイトルにもなっている、菩提樹っていうのがロマンティックさをかきたてる。本来は知の象徴、しかしロマンティックなイメージが強いということを、早坂助教授が麻美に、これまたザ・説明台詞で語る。
画としては最高に美しくロマンティック。大学構内にまず学生たちの憩いの場としてそびえたっており、後に麻美が早坂助教授があしながおじさんだと知る場面で、遠い北海道の地、麻美の父親がかつて無医村を駆け回る医師として奮闘していた場所にあって、彼が手ずから絵にもしたためた菩提樹、である。

早坂助教授は末期のガンにおかされてしまい、もともとの約束……麻美が一人前の医者になってから正体を明かす、というのを前倒しして、彼女に会う。その、彼女の両親を早坂氏の起こした事故によって死なせてしまった地の、菩提樹のある場所で。
早坂氏が好きになっちゃって、告白するも玉砕して、ゼミにも居づらくなったところにこの事実に遭遇、一瞬狂喜したものの、愛する両親の命を奪った事故を起こした本人だということを明かされ、取り乱し、彼をぶん殴り、もう置き去りにしちゃってさ、大学も休学しちゃって、誰からも距離を置いて、なんかぼんやりバイトとかしちゃって、彼女、どうしようもなくなってしまうのだ。

この時の南野陽子氏、そしてそれを諫める森次=竹本孝之氏のシーンが良かった。お互い、なんとはなしの気持ちを抱いてはいても、なあんにない。言葉も行為も、なあんにもない同士だったのに、ここでいきなり、麻美が早坂を愛してること、森次が麻美を愛していることを、何の前提もなく、いきなり斬り込んで、そうだろうと、突きつけてくる。何それ!超萌えるんですけど!俺はお前を愛してるとか、突然言うか!!

正直、ガンで死ぬとかゆー設定でシメるか、というさ、ガンを持ち出せば大抵収まるみたいな、そーゆー傾向ってまあ、あるじゃない。それはあんまり好きじゃなかったけど、当時のロマンチック設定だからこそ実現出来たのかもしれない、本人の希望で、在宅で治療を打ち切っての最期、というクライマックスは良かったかもしれない。
息も絶え絶えの中で、早坂氏は償う相手であり、愛する相手であり、そして何より教え子である相手の麻美に、自らの肉体を使って、痛み止めの注射をさせるという実習を教授する。皮下注射だぞ、間違ったら死ぬんだぞと、そもそもあんた、瀕死じゃんかとツッコミも入れられない超マジな場面。

80年代アイドル映画ではあるあるなのかもしれん、あらゆる、コンプライアンス無視しまくりの、ルール違反まくり。学校での実習の場でないところで学生身分の彼女に注射を打たせる。
劇中、明らかに未成年の(ストレート合格だから)麻美が学生仲間たちと酒を飲んじゃう場面もそうだし、ああ、おおらかな時代だったんだなあと思う。

うーむ、どうやって締めよう(爆)。一番もったいなかったと思うのは、慎吾ちゃんの面白さが、まあったく拾われずに終わっちゃったことかなあ。誰からもツッコまれることもなく、ただ一人ワーワー言ってるだけで、ウケることもなく何もなく、終わってしまった!!!めっちゃもったいない!! ★★★☆☆


炎の肖像
1974年 96分 日本 カラー
監督:藤田敏八 脚本:内田栄一
撮影:山崎善弘 音楽:井上尭之 大野克夫
出演:沢田研二 秋吉久美子 地井武男 大門正明 中山麻理 原田美枝子 中島葵 五條博 神山勝 白井鋭 影山英俊 賀川修嗣 薊千露 井上堯之 大野克夫 岸部おさみ 速水清司 田中清司 内田裕也 佐野周二 悠木千帆 朝丘雪路

2021/9/19/日 録画(日本映画専門チャンネル)
なんという、不思議な映画だろう。ジュリーであってジュリーでない、いやまったきジュリーなのか。人気絶頂のまさにその頃の罪深き程美しいジュリー。
相変わらず有名データベースのあらすじは全く違うので、最初の筋立てはベタな恋愛のもつれなんぞだったのかと思う。それに比べれば、確かに恋愛のもつれはあるにしても、ずっとドライである。
解説では二郎となっているけれど、劇中はそのまんま、沢田研二であり、井上堯之バンドであり、かまやつひろし!内田裕也!!なんである。実にライブ場面が尺の半分は占めるかと思われるのは、まるでちょっと物語のついた尺の長いミュージックビデオのようでさえある。

これよりずっと後に吉川晃司氏が自分の分身、民川裕司を演じたシリーズがあり、それもまたふんだんにライブ場面が使われていたが、ひょっとしてそれは、本作からなにがしかの影響を受けたのかしらん、などと夢想する。
しかもかのシリーズより、本作はほんっとうに、まんま沢田研二で、まんまジュリーなのだ。ライブ場面といい、彼が信頼するバンドメンバーとの関係、レコーディングの白熱した議論といい、ドキュメントを観ているような錯覚に陥る。

冒頭、“ジュリー”は野次馬の女の子たちにキャーキャー取り囲まれながら、インタビューを受けている。インタビュアーの姿はカメラのこちら側にいるのか映されない。だからジュリーがキャーキャー取り巻かれながらお喋りをしているだけのように見える。
そしてジュリーが受け答えしているのは、本作のこと、この映画がどれぐらい自分自身なのか、ということが要点であり、彼は60%は確実、とまで答えている。
まあライブシーンが半分ぐらいもあるのだからそりゃそうかも知れないと思いつつ、しかし何とも不可思議なのは、本作を紹介するかの如くこの冒頭から、特に分断されることもなくするりと、その彼がそのまま描かれるように始まることなんである。だから、ジュリーであるのか、いやジュリーはジュリー、でも本物のジュリーと……ああややこしい!!

もう便宜的にジュリーと言っちゃうけど、インタビュ―で答えていた(一応現実の)ジュリーは、不良時代があって、今は優等生時代かな、と語っていた。
その不良時代から始まる、というスタンス。悪友にボッコボコにされて、腐れ縁の恋人(と言うより、セフレぐらいな感じ)の女と退廃的なセックスをする。画家なのか、美大生なのか、彼女の絵をくさすジュリー。その後、その女、絵里(ヤだなあ、私と同じ名前だよ)は、ばらまかれた画材の中で、死んでいる。列車に飛び込んだらしいんである。
その後、ジュリーは一人の女の子の訪問を受ける。その時、居合わせていたのが、田舎から出てきたいかにもうだつの上がらない父親である。

父親、佐野周二だったんだ。若い頃の映画は割と観る機会があったが、こんな風に白髪になって、ジュリーの父親とは、ちょっと恐れ入っちゃう。ジュリーは父親や旧友の前では関西弁のフツーのお兄ちゃんで、これが彼の素なのかなと一瞬思い……いやいや、本作はジュリーであって、ジュリーでない、二重三重の罠が仕掛けられているんだから!!と思いなおす。
でも父親とのシーンは面白い。突然訪ねてきたのには困っているけれど、イヤがってる風はなく、むしろ父親が地元か実家か、とにかく居づらい環境に置かれていることをそれとなく心配している。つまりなんつーか、生きるのに不器用な父親らしいんである。詳しいことは何も語らないんだけれど、くだけた関西なまりで喋る父と子の会話が、何とも言えず哀切である。

そして父親が連れ込んでしまった女の子が、なんとまあ、秋吉久美子であり!!顔立ちがまだ定まっていないんだけれど、その声と喋り方が今に至るまで全く変わってなくて、うわー!!と思っちゃう。
彼女が連れてきている友達、絵里の妹であるひろが原田美枝子なのには、まったくピンとこなかったのに。原田美枝子はまさに、まさに姿も声もなにもかも、まだ出来上がっていない、少女以前の少女。すっげぇもん見ちゃった。

ジュリーはライブ場面ではまさに、まさにジュリー、なんだけど、物語場面では、地元のヘタレ不良時代を引きずった、なのに現実はロックスターで、ファンである女の子に弱みを握られてからまれて、みたいな二重構造である。
秋吉久美子演じるきりこは、友達の姉がジュリーにもてあそばれて自殺した、という義憤にかられたテイでやってくるが、どうなんだろう。友達自身がもともとジュリーのファンだった。姉がそのジュリーにもてあそばれて死んだという事実に義憤を感じたのか、あるいはきりこ自身もジュリーのファンだったのか……。
ひろに会ってくんなきゃ投書しようかと思ってた、と挑戦的に言うきりこに、ジュリーはムリヤリキスする。まだ全く顔の定まっていない、秋吉久美子というよりただただ生意気な幼い少女が、ジュリーの唇に組み伏せられることに衝撃を覚える。カメラもドキュメントタッチに揺れ動く。

ジュリーは、俺はジュリーだジュリーだ!!と街中で喚き散らしたりする。大スターなのに、わざわざそんなことを叫んだら逆に、おかしな人、みたいに遠ざけられる。
素顔はまだまだアイデンティティが確立していない関西のヘタレ不良崩れのお兄ちゃん。女の扱いも先述の通りヘタクソで、哀れ死なせてしまうありさま。
絵里の妹、ひろに関しては、きりこが気を利かせたのか、三人で会う筈がドタキャンし、ジュリーはひろを持て余したのか、ボートで沖合に出て、わざとエンジントラブルみたいなこと言って、助けを求めた漁船を乗っ取って、彼女を置き去りにしちゃう。ひっど!!唖然としている船頭さんに、あいつを捨てたんや、と助けてやるように言い捨てて、逃げ去ってしまう。

ただ悪ぶっているようにも見える。判らない。ただ、ジュリーが一人、不思議に心許す人物がいる。ある時、自分を拾って載せてくれたトラッカーである。
なんとまあ、地井武男であり地井さんは北の国から以降の温厚な彼のイメージが強くて、ワイルドなトラック運転手、だけどお人よしで豪快な、なんていうのはなかなか想像しづらかったなあ。なんか青木崇高みたいな雰囲気。

彼とメシを食った、ドライブインなんていうオシャレなもんじゃない、単なる路肩の定食屋といったところ。その時は止めてあったオープンカーに無断で乗り込んでトラックに追突させちゃって、持ち主に追いかけられてそのまま逃げだしてしまった。
ひろを置き去りにしたその足で、あのおっちゃんに会いたくなって偶然再会した悪友と共に向かう。客の忘れ物の化粧道具でべたべたにファンデーションを塗り、かりそめの女になってみたりして悪友と盛り上がるが、どんなにジュリーが端正なお顔をしたそんじょそこらの女より美しいとしても、やっぱり、女の化粧道具で塗りたくった顔は不気味であり、彼はやはりただただ……スターであることに上手くはまれてない、関西のお兄ちゃんなのだ。

再会したトラックおっちゃんは、どこともなく逃げたがっているジュリーを快くトラックに乗せ、身重の奥さんをピックアップするところまで送ってくれる。
かつて名の知れたボクサーであり、対戦相手を死なせてしまって引退、身重の奥さんは対戦相手の妻であるという、ソーゼツな過去をあっけらかんと語り、ジュリーを下ろして奥さんを助手席に乗せた後は、もうさっそく運転席でズッコンバッコンである(爆)。
愛し合う二人を、ジュリーは覗き見る。外は南東北特有の、重たく湿った雪が降っている。ジュリーは、まさかこんなところにジュリーがいるだなんて思いもよらぬ地方都市の商店街を、無造作にそぞろ歩くんである。

立ち寄った食堂の店員はああやっぱり、樹木希林氏だよね!!彼女の旧芸名をハッキリ把握していなかったから、クレジットで、あれ?違ったかな……と一瞬不安になったが、やっぱりそうだったよね!「ジュリー!!」と身もだえしていた伝説のドラマは、ということはそれより後なのか。内田裕也氏が本人役で出てたりもするし、なんだか胸が熱くなってしまう。
ラストシークエンスはこれでもか、といった感じで、ジュリーオンステージである。当時さながらの、ラインダンスやらマーチングバンドやらサーカスめいた演出まである中でバーン!!と登場、それらをイジリながら観客をヒートアップさせる、今じゃ考えられないスター、アイドル、アイコン、もうなんつーか!!

ジュリー、だったのだろうか。冒頭で語っていた60%はどこまでのことだったのか。白や水色のブリーフいっちょで、それほど筋肉のない中性的な細身で、これぞジュリー!!といううっとうしげな長髪パーマで。
時にまったきスターであり、時にいじめられっこの関西のあんちゃんであり、時に兄貴分に甘える頼りなげな少年であり、時に女を沖合に置き去りにする残酷な色男である。

でも本作が、特にラストシークエンスにしっかり尺を確保して、さながらプロモーションビデオかの如くに、ジュリー!!のライブ!!!の魅力を存分に見せつけて、その興奮さめやらぬままにゆっくりとクレジットが上がってくるという構成で終わっていることを考えると、やっぱりこれは、これはこれは、ミュージシャン、アーティスト、スター、どう言ったらしっくりくるのかは判らないけれど、その軌跡をこそ、記録するのが目的なのが一番だったのかなあと思う。
ラストのそのイベント的場面にそうそうたるメンメンが集まり、内田裕也とのセッション、かつてのメンバー、のっぽのサリー(岸部一徳!!)との共演(ノースリーブ白一色、今の彼からは考えられん……)とかもう、感涙するしかないオンパレードなのだ。

そらまあ当時は、後年それがどんなに感涙ものになるかなんてことは判る訳もなかったにしてもさ……。
今はなかなかお目にかかれない、絶対的スターを映画という形で当時の熱狂をそのまま封じ込める映画という手法に、衝撃と感嘆を禁じ得ない。ヤバいぐらいに美しく罪深いほどのセクシー色男、不世出のスター、ジュリー、沢田研二の奇跡よ!!★★★★☆


ホリミヤ
2020年 83分 日本 カラー
監督:松本花奈 脚本:酒井善史
撮影:伊藤麻樹 音楽:
出演: 鈴鹿央士 久保田紗友 鈴木仁 岡本莉音 小野寺晃良 マーシュ彩 さくら 曽田陵介 井上祐貴 河井青葉 木村了

2021/2/14/日  劇場(池袋HUMAXシネマズ)
おおう、これもまたメディアミックス、アニメ先行で劇場版とテレビドラマが同時進行とは。映画はだいぶ短い尺に収まっているが、学園ドラマ、友情物語でもあるのだし、これはアニメやテレビドラマ向きなのかもしれないなあ。
「蜜蜂と遠雷」で衝撃的デビューを飾った鈴鹿央士君をその後初めて見る。ドラマとかには出ているのかな??あの美少年っぷりにはドギモを抜かれたもんだが、本作の彼はたくさんのピアス穴を隠すために、いやそれ以前に自分自身を消し去るかのようにうっそうとした長髪に顔を隠しているもんだから、その可愛いお顔がちっとも判らず、うーん、もったいない!!
実にラストクレジットで、“その後映像”の中で、すっきり髪を切って明るい笑顔を見せる宮村に堀が驚く場面でようやく、その本来の愛くるしい美少年っぷりを見せてくれるのだが、あまりにももったいない!!

堀さんと宮村君で、ホリミヤ。物語の冒頭は、宮村君の幼き頃の記憶から始まる。幼稚園かな小学校低学年かな、三人か四人一組になりなさいという中に、彼は一人、誰にも入れなかった。それは中学校にあがってもそうだった。私もそういう時期があったから、この描写だけで胸がぎゅっと搾り上げられた。
しかして宮村君はその心の中にパンクな個性を持っていて、横っ腹には派手なタトゥー、唇にひとつ、両耳に四つ五つずつのピアス穴をあけている。中学時代に安全ピンであけたというそのエピソードからも、彼が抱えた暗黒から抜け出るために思い切ったことをする精神力を感じて驚くんである。

ちなみにその事実を知って驚くのは堀さんである。彼女は学内きっての優等生。成績も一番だし、頼りがいがあり、外見も可愛くて、性格も良く、非の打ち所がない。そんな彼女がなぜ宮村君とお近づきになったのか……。
それ以前に、つまりは出会う前に(いや、クラスメイトだから出会っては、いるんだけど)本作は二人のモノローグによって進んでいくんだけれど、二人とも同じ価値観を持っているのだ。所詮、表面上だけでは人のことなんて、判らないと……。それを宮村君はネクラでオタクに見える風貌、堀さんは非の打ちどころのない優等生として世間的な評価を下されているのだが、それぞれに全く違うパーソナル、つまり秘密を抱えていた訳で。

堀さんは、友達から放課後のカラオケやアイスクリームに誘われてもまっすぐ帰る。それは、両親が共働きで、彼女が幼い弟の保育園への送り迎え、家事全般を担っているから、なんである。
その弟が迷子になったのを送ってきてくれたのが宮村君だったのだが、堀さんはしばらく彼がクラスメイトだということに気づかない。最初は、危ない男に誘拐されたのかと思った。宮村君はピアスだらけでパンクなファッションをしていたから。まさにそんな風貌の男に連れ去られた、なんて目撃情報もあったから。
しかし、「えええ!宮村!?」堀さんは驚愕と共に、「すっぴん見られた……」と突き落とされる。うーむ、今の女子高生は校内でさえメイクがマストなのか……素顔こそが可愛いのにもったいないなあ……。

そこから二人の秘密が共有される。何より幼い弟が宮村君になつきまくっている。それを理由に宮村君は堀さんの家を頻繁に訪れるようになり、まるで家族のように穏やかで、気兼ねのない時間を過ごすようになる。
弟が触媒になっているというのが、イイ。この若い二人だけで、秘密を共有してしまったら、そっから先は大抵一足飛びに恋物語になってしまうものだが、弟君が挟まることによって、それ以上の可能性が広がっていくんである。

まずは、友達たちである。堀さんと宮村君が親しそうにしているのを見て、堀さんに岡惚れしている透君がまず心穏やかでなくなり、宮村君に接触する。結局はお互い堀さんを好き同士だから、付き合ってるのか、好きなのか、好きと言われたらどうするのか、みたいなぶつかり合いの中ですっかり仲良しになっちゃう。
なんたって宮村君はタトゥーが透けるのがバレないために、真夏でも冬服を着ていてうっそうとした長髪に伊達メガネ、彼らからしてみればネクラオタク変わり者、だったもんだから、透君はまず、その正体を知ってびっくり仰天、そして、「面白いヤツだな」とすっかり仲良くなっちゃうんである。

意外、というか、急に胸キュンがやってくるシークエンスは、宮村君と透君が仲良くなったこと……つまり、タトゥーや伊達メガネのことを、堀さんだけが知っている事実をほかの人に知られたことを、堀さんが激高するってこと、なんである。
透君からコクられた時に知った事実だというのが、なんか透君、キノドク……と思っちゃうが。だって彼がコクったことはまるで意味なく、捨て去られちゃってるんだもん。その後も返事も何も、進展なく捨て置かれてるし。哀れな……。宮村君と堀さんが急接近するためのキッカケ作ってくれちゃっただけって存在(爆)。

でもその後もしばらく、二人は気持ちを確認し合わない。なんかねー、お互いコンプレックスを持っているっていうか、特にやっぱり、宮村君の方かなあ。僕なんて釣り合わないよ、みたいな。でもその言い方にこそ、堀さんは怒ったんだけどね。釣り合わないって何よ。そういうこと、二度と言わないで、と。
それは、堀さんが自分自身の弱さ、外に対しては優等生の鎧をつけてるけど、そうじゃない自分を宮村君が発見してくれているということを、その宮村君がちっとも判ってない!!というジレンマだったと思うんだけれど、そこは彼女も不器用というか、そこまでちゃんと明確にぶつけてないからさ。この時点で二人はお互いを、充分に意識し合ったとは思うけど、もう一歩が踏み出せない感じで。

いかにも学園ドラマ的な、一つの事件がある。堀さんと幼馴染である生徒会長から頼まれた事務仕事。マスコット的生徒会役員の女の子が、書類を紛失したことを、私は堀さんから受け取ってない、とあからさまなウソをつき、一触即発の状態になる。
このウソ少女がいかにも自分自身で可愛いという自負があり、そう見られているというプライドがあり、目の下にクマを作るぐらいこの事務仕事に忙殺された堀さんが、濡れ衣を着せられて防戦一方なのがさ、単純すぎて。このあたりは、生徒会長といい、この美少女といい、アニメやドラマでは充分に描かれるキャラなのかなと思って。
もったいないぐらい、急に出てきて急に収束する感じなんだもの。特に生徒会長は、幼い頃に堀さんに相当蹂躙されていたらしく、「落ち着いたと思ったのに、あんな子分を従えて……」とブルブルするぐらいでさ。そのエピソード一言で終わらせるのはもったいなすぎる。

あんな子分、というのは、宮村君のことである。彼が紛失した書類を発見して突き付け、生徒会長に頭突きをかましたんであった。この事件が決定打となって、宮村は一目置かれるようになる。
その矢先、堀さんが熱を出して学校を休む。うーむ、これは学園ドラマには必須のパターンよね、と思う。いつもおうちにお邪魔しているとはいえ、堀さんの病床にしれっと座り込んでいるのには、おいおい、鍵かけてなかったのかよ、まさか合鍵まで渡してるわけじゃないよね??と心の中はツッコミの嵐である。

熱でぼんやりしている堀さんは、普段は押し隠している不安な幼い少女のような自分自身をさらけ出してしまう。泣きながら、行かないでと叫ぶ。
宮村君は、泣き疲れたように眠ってしまった彼女の背中に向かって、何でもないことのように、好きです、と言った。ようやく、ようやく。

それまでにも、布石はあるのだ。ふっと二人きりになった。宮村君は実家がケーキ屋さんで、継ぐ気持ちで、お菓子作りの修練にも励んでいる。手作りのケーキをふるまう。
隣同士に座る。教室での話題の延長で、手相を見たりする。堀さんが、宮村君の手の大きさに驚く。そりゃ男子だしとは思うのだが、対等に気安く口をきいていたし、決してごっついタイプじゃない彼が、手を合わせてみたら……めちゃくちゃ男っぽい大きな手をしているのだ。
これは、見てるこっちも意外だった。超美少年の外見からは意外なほどの、男っぽい、ごつい大きな手で、それだけで胸キュン必至であった。しかも、手と手を合わせた後に、なんか、なんとなく、なんとなくな訳ない!!お祈りつなぎしちゃう!!

これはそれ以上の意味があるに、決まってるでしょ!!でもホント、イライラするほど、なかなかそこから進まない。
堀さんは寝てるテイの背中にコクられたことで、どうしていいかわからず、熱は下がったのに学校に行けない。恐る恐る登校してからも、宮村君から逃げ回ってしまう。
宮村君もコクったものの自信がなくて、中学時代の友人にその悩みを吐露したりする。突然現れる、チャラ男なこの親友もまた、映画の短い尺にもったいない魅力的なイケメン君で、突然現れて突然去っていくような感じなんだけど、本作の登場人物の中で一番、宮村君を理解しているんだろうことが、ひしひしと感じるからさあ。

彼らを急速に後押しするのが、それまでは共働きだからと一切登場してこなかった堀さんの両親で、続けざまに、まるで唐突に現れるんである。まずお母さんが登場、あんなに忙しくて送り迎えは私の担当、と堀さんが言っていたのに、何の説明もなしにフツーに息子を迎えに行って帰ってくる。
そして、単身赴任だと言っていたからフツーにサラリーマンかと思っていたが、どー見てもヤクザな商売、いやその、表現系、かな??それこそ宮村君に通じるようなパンクな印象で現れ、娘である堀さんから手首を決められてイテテテ、とギブするような、想像と全く違ったお父さん!
そして、単身赴任という言葉から想像するような、あんた一人で行ってきなよ、みたいな冷たさではなく、奥さんとの久々の再会に、お互い瞳ウルウル、ラブラブに再会を喜ぶのには、なんか、なんか、すべてが予想外!!

それにしても堀さんはなぜ、進学調査の提出にあんなにも悩んでいたのだろう。その追い詰められっぷりもまた、宮村君との距離を縮めたのだが、瀟洒な一戸建てに住んでるし、大学進学するに躊躇するような経済状態には見えないのになあ……。そのあたりは映画の尺では難しいというところなんだろうか……。

そんでもって、突然登場したこのパンクでライトな父親が、彼氏なんだろ?とあっさり禁断の領域に土足で踏み込んだことが、逆にこれ以上ないキッカケになった。
宮村君に、正直な気持ちをどうしても言えずにいた堀さんが、「そうよ!文句ある!?」と父親へキレ気味に言ったことで宮村君への答えとしたのが、そのテレ気味が可愛くって、たまんなかった。
キスどころか、ハグさえ遠い、メイクやら、ピアスやらはガッツリやってるのに、手をつなぐのにさえ、どんだけ時間かかってるの。タトゥーもピアスも、メイクもこなす、そこんところは武装完ぺきなのにさ!

現代はだからこそか、萌えポイントがさ、恋愛初心者なのに、自分自身の鎧は妙に大人に背伸びしているのが可愛いっつーか、なんつーか。
つかやっぱり、央士君は顔見せなきゃね!もったいないわ!!★★☆☆☆


劇場版ポルノグラファー〜プレイバック〜
2021年 107分 日本 カラー
監督:三木康一郎 脚本:三木康一郎
撮影: 小宮山充 音楽:小山絵里奈
出演:竹財輝之助 猪塚健太 松本若菜 奥野壮 小林涼子 前野朋哉 吉田宗洋 大石吾朗

2021/3/10/水 劇場(新宿ピカデリー)
ドラマの劇場版というのは、そのドラマを見ていない観客にとってはなかなか難しいものがあるもんである……。
もちろんドラマを見ていなくても判るように、冒頭部分で二人がどういうキャラでどうやって出会い、恋人になって、今どういう状況なのか、ということをまとめて見せてはくれるものの、やはりそこまでの経過にこそ視聴者が心を寄せているという前提のもとにどうしてもなる訳だから。
ならばそこを突破するのは何かと言えば、それは当然、役者さんたちの芝居、魅力になってくる訳なのだが……。

どうも奥歯にものが挟まったような言い方になってしまうから、もう早々に言ってしまうと、その芝居が、もー、ダメだった。いやそれはね、個人的な好みの感覚であって、批判している訳じゃないからカンベンしてね(逃げ腰)。
正直すべての登場人物の芝居が大きく、舞台かと思うほど大声でキレ、突然キレ、うーむこういう、判りやすさを感情に表出する手法は久々に見るなあとヘンに冷静に思っちゃう。

しかし、それはまだいいのだ。私がもう生理的にダメだったのは、ダブル主演のうちのお一方、官能小説家、理生を演じる竹財氏のやたらもったいぶった台詞回し。
何これ、小説家先生のキャラクターを設定してんのかしらんが、めっちゃ気持ち悪い!不自然極まりない!!てゆーか、芝居ヘタクソにしか感じられない!!ともー、身もだえしまくる。

決して芝居ヘタクソとゆー訳ではないと思う(爆)。やたら冷静に取り繕ったスローモーな台詞回しから解き放たれた、感情をぶつける時には、ああ、普通の芝居だ、良かった……とホッとしちゃうんだもの(爆爆)。
これはさー、演出の問題なのか??こんな芝居のつけ方をしたのは演出側の問題なのか??せっかくさ、その端正な風貌は、冷静ぶって、自分に素直になれない理生センセにピッタリなのに、なんでこんな芝居させるのかなあと、もう最後まで居心地悪くてしょーがなかったんだもん。

我慢して、それには目をつぶって進めるしかない(爆)。官能小説家、理生と当時は大学生、久住君との出会いは、自転車に乗った久住君と理生センセが激突、腕を怪我しちゃったセンセを助けて久住君が口述筆記をしたことが恋の始まり。
本作でもそれを繰り返すように、理生は今度は左腕を怪我しちゃうのだが、後に久住君に言い訳のように「今度は利き腕だよ」と言うのを聞くと、どうやら久住君との時は利き腕じゃない方の怪我だったのに、つまり口述筆記をさせるまでの必要はなかったのに、久住君にホレちゃったから、そういうことになったということなのかな。

しかしなんつーか、いまどき原稿用紙にペンで書く作家さん、まあいなくはないのだろうが、そういうこだわりがあるという描き方をしている訳でもないし、正直、パソコン打ちなら片手がダメでもなんとかなりそうだから、この設定は成立しないからそれを言ったらおしまいなんだけどさ。
でも原稿用紙にペンで書く、あるいは遠距離恋愛である久住君との関係を保つのが古風な文通であるということを、その世界観を納得させるだけの描写が正直感じられなくて、それってすごくもったいないなと思って。

だって現代の小説家が手書きにこだわること、電話やメールはもちろん使ってても、ホントの気持ちは手紙に託したり、この最後の台詞は実際に会って言おうと思ったり、っていうのって、すっごく素敵な考え方だと思うのにさ。
その価値観に対するこだわりが、感じられない、この物語を成立させるためだけに古くさいアイテムをしれっと盛り込んでくるとしか思えなくてさあ……。

理生センセは田舎の実家暮らしである。なんつーか、いい歳こいて、である。久住君に対して積極的に出られないのは、彼は大切に育てられた一人っ子、社会人として独り立ちしている、一方自分は先の見えない生活力のない男。自信がない、とかなんとか、ビックリするぐらい甘えたことを、言うんである。
あんな気取って作家先生やってるくせに(爆)。まず実家出ろよ(爆爆)。

彼には妹がいて、結婚して娘ももうけている。お兄ちゃんのワガママに親があまあまなのが彼女にとってはガマンならない。めっちゃ判る。一匹狼気取るなら、一人で生きてけよ、と言いたくなるもの。
しかしこの妹ちゃんもまた、感情爆発キレまくりの芝居があまりに激しく、腰が引けるんである。本作の登場人物はたいていそうなのだが、この妹ちゃんが最も激しい。気持ちは判るが、激しすぎてビックリしちゃう。もうちょっと声を抑えてくれと言いたくなる。

理生はたまらず家を出る。しかし中途半端な家出である。てゆーか、こんないい歳して家出って(爆)。
久住君との思い出のラブホテルを電車の窓から眺めやり、一人でふらりと入ったところで、痴話げんか、とゆーより金を返そうとしないクズ男にかみついているゲキレツ女の修羅場に行き会う。
止めようと割って入ったら、彼女がクズ男に振り下ろしたバッグが理生を直撃、転倒し、利き腕の左を怪我してしまうんである。

デリヘル嬢ってとこかな、と思っていたら、思いがけずシングルマザーのスナックのママ、である。病院に駆けつけて頭を下げたまだあどけないお顔の息子ちゃんが後に語るところによると、店の客と次々に寝ちゃっているようなお母ちゃん。
しかし不思議とふしだらな感じはなく、このしっかり者の一人息子に頼り切っているような甘えたちゃんなところはあるものの、シングルマザーとして一人立っているというプライド、人間としての弱さを自覚してこそのタフさが、ただ弱いばっかりの理生を奮い立たせることになるんである。

家出して行き場のない理生は、この母子が切り盛りする住居兼スナックの空き部屋に居候することになる。そこに、どう探し当てたもんだか、久住君が訪ねてくるんである。こーゆーあたりがかなりテキトーな描写だなと思うのだが……。
久住君は連絡が取れなくなった理生を案じて、彼の実家に電話をしてみたら、家出したと知る。でもその事実だけである。どこをどう調べて理生の居所にたどり着いたのか、ムリだろ……と思っちゃう。

だって久住君は今やもう社会人であり、彼が理生に食ってかかったように、なり立てほやほやの新入社員が、休みを、しかも連休を取ることがどんなに大変なことかってのは、想像するに余りあるし。
連休、ってことはほんの2、3日でしょ。それで何の手掛かりもなしに、”中途半端”なところにいる理生を何故探し出せるんだよ……。

正直あまりにも理生があまちゃんだから、あのスローモーな作家先生口調で久住君と相対しても、世間を判ってねーのはおめーだろ、と冷めた目で見ちゃう。
スナックのママ、春子さんはさっすが酸いも甘いも経験しまくったパイセン、一目見て二人の関係を察知する。
久住君はここに到着したとたんに、自分とセンセの甘い思い出であった口述筆記を、センセがママの息子ちゃんにやらせていたことに激怒するんである。息子ちゃんにとってはいいメーワクである。

春子さんが倒れてしまう。腸閉塞での入院。しかしその病院での看護師たちのヒソヒソ話から、春子さんが院長の愛人で、息子ちゃんが二人の息子だということが明らかになる。
てゆーか、このベタなヒソヒソも、どーだかなーと思っちゃう。プライド持って看護師の仕事してる人たちに怒られるわ。患者さん家族のプライベートにヒソヒソって、一番やっちゃいけないことだろ。昼メロかよ、とか言ったら昼メロに怒られるだろ……。

春子さんは、つまらないプライドで久住君とケンカ別れした理生を叱り飛ばす。いや、優しく説得する。
理生はホント、プライドが邪魔してるクズなのよ。自分の弱さに酔ってる。春子さんはタフだからと、彼女の努力を判りもしないで、決めつけてる。

でも春子さんは怒りはしなかった。私だって弱いよ。タフじゃないよ。タフになるんだよ。そう言った。愛する人のために。
春子さんにとって、今はそれは息子ちゃんなんだろう。凄く判る。客を食い荒らして、その都度ときめきは得て、そういうあたりが“タフになってる”素敵さなのだ。

理生はようやく目が覚める。春子さんの見舞いに来たサンダル履きのまま、久住君のいる東京へとローカル線に飛び乗る。
電話に出てくれない。かつて三角関係になった編集マンからかけてもらう。
髭面のやたらイイ男の編集マンが真顔で、俺たちが恋人になる可能性はあったのかな、と理生に問う。理生は、ないね、と即答する。編集マンは、「(久住君は)優良物件なんだから、ちゃんとつかんどけよ」と送り出した。

まあそっからは、ラブラブファイアーであるから、ヤボなことは言いっこなしなんだが……。特記すべきは、久住君は理生さんと呼んでいたのに、理生の方は久住君の下の名前を呼べてなかったことにある。プライドが高い理生センセならではである。
「姿を消される側」の苦しみを判ったか、と久住君から責められ頭を下げる理生が、その贖罪の証のように、おずおずと、春彦、と呼びかけるのには胸キューン!となる。もちろんその後のベロベロチューがあるからだけどね!(鬼畜腐女子……)。

でもやっぱり、ラストである。久住君は晴れ晴れと、理生センセが家出したきりもやもやな実家に行って関係回復しようよ!と呼びかける。久住君は理生の家族に好かれているから、もうそのあたりはあっという間である。
でもなんたって、キスより先がお預けだった二人はヤリたい気持ちマンマン。触るだけ、というのがエスカレートして……。
夜中目が覚めて、理生が、あのセンセな上から目線だった彼が、久住君の胸に抱かれて涙を流した。立場が逆転、いや、ようやく平等になった。

そして二人、疲れ果てちゃったのか、翌朝、理生の妹が大声あげて起こしに来ても目が覚めない。
妹ちゃん、裸の二人が幸せそうに抱き合って寝入っているのにハッと息をのみ、幼い娘の目をかくして、そして……。
でも、堅物のお兄ちゃんの幸せを一瞬で感じ取った感じで、ふっと口元に笑みを浮かべたのが、良かったなあ。それまでの過剰キレ演技にかなり引いてたから余計に……。

ホント、あのセンセ口調は絶対失敗だったと思うわ。まあ全般的な大仰な芝居にも疲れちゃったけど。ドラマの世界観だったということなのかなあ……。★☆☆☆☆


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