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私はいったい、何と闘っているのか
2021年 114分 日本 カラー
監督:李闘士男 脚本:坪田文
撮影:神田創 音楽:安達練
出演: 安田顕 小池栄子 岡田結実 ファーストサマーウイカ SWAY 金子大地 菊池日菜子 小山春朋 田村健太郎 佐藤真弓 鯉沼トキ 竹井亮介 久ヶ沢徹
ヤスケンの奥さんが小池栄子というのもピッタリ。大泉先生のお相手もそういやつとめていたが……。幸福な仲良し家族が微笑ましかったので、次第に明かされる意外過ぎるソーゼツな彼らの物語にかなりビックリする。
ヤスケン演じる春男は心の中では始終モノローグ、というか心中独り言をぶつぶつと唱え続けている男、つまり、外見からはことなかれ主義で、波風を立たないことこそが重要事項で、腰が低く、怒ったりなんか絶対しないような男なのだけれど、彼自身は常に心の中で何かと闘っているのだ。
でも、最後の最後、「俺はいったい、何と闘っているのか……」とタイトル通りのことを今度は声に出してつぶやいてしまう。
こういう人、いるなと思う。いや、自分かも知れないと思う。心の中ではめちゃくちゃ議論してるし、罵倒してるし、弁解してるし、正論をばちこんと相手にぶつけている。でもそれは、声に出さなければ何一つ相手には伝わらないことなのだ。
春男はそれを、判ったつもりで判ってなかったのかもしれないが、ただ彼の家族は何より彼の味方である。そしてそこにも実は秘密がある。
春男は地方の、地元民に愛されるスーパーの主任。かなりなキャリアを積んでいるのに万年主任。店長になるだけのベテランだし、その店長や部下やパートのおばちゃんたちからの信頼も厚いのに、なぜか店長になれない。
そのなぜか、がなんとなく判ってくる。あくまでコメディタッチで進んでいくからなんとなく笑って見ちゃうけれど、次第に核心に迫ってくる。彼が周囲を慮って、気を配って、誰も傷つけない方法を必死に考えて、選んだ方法が、彼自身の評価を下げ、誰も傷つけないどころか、その当人を傷つける結果になったりするのだ。
ホントこれもねぇ……身につまされるというか。判るなあというか。スタッフが内引き(万引きを内部スタッフがすることをこう言うんだね)していた事実を公にせずになんとか収めるため、彼女になんとか気づいてもらおうと、レジ打ちをしている彼女をじっと監視する。
結果内引きは収まるが、彼女自身はノイローゼになって退社してしまう……。春男はなぜ彼女に話を聞かなかったのか。
事情がある、というのは勝手な推測だ。介護のバイトをしている彼女が生活がままならない知り合いのお年寄りの買い物をレジを通さずに品物を渡していたのだと。そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれないのだ。
仮にそうだとしても、それは間違った正義感、店に損失を与えて自分は損をせずにいい顔をしているだけ。そこを春男はきちんと??るべきだったのだ。
と、いうのは、客観的に、そうじゃない立場で見ているから言えること。実際は、春男の年頃になるとことさら、こんな具合に及び腰になるんじゃないか。
春男は決して悪い上司じゃない。実際皆に慕われているし、誤発注で大量に届いたそうめんを、正直に自虐的にさらして、見事売り切るなんていう荒業をオープニングでやってのけ、そらあ店長から、「伊澤君はこの店の司令塔だ!」と称えられるのもまんざらおだてでもないと思う。
なのに、それだけの実力があるのに、なぜ店長に押されないのか。周囲も皆、当然そうなるよねと思ってるのに。
そんな矢先、その店長が突然死して、いよいよ、と思ったところに本社が派遣してきた店長は、まったくやる気の見えない、協調性という言葉を知らないんじゃないかと思うような、とらえどころのないひょろひょろした青年。この時点では、なんでこんな男を店長にして、春男が店長になれないのかと、観客であるこっちも不思議に思った。
でも次第次第に、なんか判っちゃうのだ。いい意味で言えば、店長ってのは言い方悪いけどお飾りで、すべての責任をとればいいだけの存在、だからすげ替えがしょっちゅう出来る、という点で、だからこそ春男は店長になれなかったのかもしれないのだ。でも……。
ちょっとどうもゆがんだ物語の進み方してるので(爆)。そもそも、そもそもですよ。春男の仲良しほっこり家庭ですよ。
冒頭は、ぽっちゃり息子の野球の試合。レギュラーをとるために春男が張り切って用意したのはなんと、流しそうめんセット。しかしそこにフライボールが直撃して全壊。息子や観戦に来てた奥さんに娘たちの反応から、パパのこーゆー空回りな感じはいつものこと、らしい。
だからこそ家族はパパを愛してる。出世できないことも含めて。店長になれるかもということで一喜一憂するのを、家族でそれを共有するだなんて、親の仕事は遠い大人の社会のこと、と思っていた昭和世代のサラリーマンの父親を持っていたこちとらとしては、ちょっと信じられない光景である。
ただ、先述したように、この家庭にはちょっとした秘密がある。ちょっと、どころじゃないかもしれない。上の姉妹二人と下の弟でがくんと年の差があるのは、この夫婦のたどった、尋常ならざる軌跡があるからであろうと思われる。
上の姉妹は、奥さんの連れ子である。でも二人とも、初婚である。そのことをプロポーズの時、春男は冗談交じりに彼女、律子に言う。ああそんな風に、冗談めいて、言えればいいのだよ。職場でもどこでもさあ。
バスの中で偶然知り合った時、すでに律子は乳飲み子を抱えていた。それが長女、小梅だった。むずかる赤ちゃんにあめを差し出した春男に、律子は娘に何をするの!!と目をとんがらせ、誤解が解けた時、春男はこの人を離したくないと思った。
でもその後、律子はもう一つの命をお腹に宿し、彼女の両親もそんな娘を、という臆する気持ちでいたものの、春男は、この時の春男は、今の春男に比して見れば考えられない決断を下した。誰かの気持ちを慮るとか、波風を立てないとか、ことなかれとか、考えなかった。そりゃ、ぶるぶる震えるぐらいな覚悟は強いられた。でもそれを、あの時の春男は乗り越えたのだ。
それがあったから。それを知ってるから、子供たちも知ってるから、どっかかみ合わない情けないパパだと思いつつも、愛してやまないのだろう。
ただそれをね、あの時は出来た勇気をね、今の春男が持てずにいるのが大問題だということだと思うのだ。
今の春男は様々な重大ごとに直面している。店長の急死によって副店長となり、送り込まれた役立たず店長を支えること、知己に品物をタダで渡しているスタッフの問題、娘の結婚、娘たちの実の父親に会わせるか問題エトセトラエトセトラ……。
このすべてが、結局彼自身では解決できないんだよね。いや、春男は真摯に対応したとは思う。彼なりの考え方で。その“彼なりの考え方”がまさに、タイトル通りの空回り。
なぜ春男は、家族やスタッフを信じ切れなかったんだろう。春男のことを心配して、信頼して、励ましていた家族やスタッフの姿が、ずっとずっと、描かれていた。
不思議なことに、それにこそ観客も不安になった。甘やかされている訳じゃないけど、彼に必要なのは理解ある周囲じゃないのかもしれないとは、思った。でも何が正解だったのかな、あるいは、人と人とが信頼しあって解決するなんていうことこそが妄想なのかな。
春男に好ましく接してくれていたスタッフたちは、最後の最後、春男がこの支店を去ることになる時には誰一人姿を見せない。一人のスタッフをかばったことが、本社からにらまれ、そのスタッフにも重荷を負わせ、その結果のコレである。
家族はほぉんと、彼の味方なんだよね、ずぅっと。年頃の姉妹。劇中でもどんどんきれいになっていくのが判る岡田結実嬢演じる長女、小梅はこの夫婦の出会いのきっかけになった赤ちゃん。ガタイがよく、収入もよく、感じもよい彼氏を連れてきて、いろいろ妄想トークしていた春男だが完敗である。
そしてこの長女&次女のわだかまりである、律子の故郷であり、実の父親がいる沖縄への旅。沖縄にはよくある苗字である金城、下の名前と合致したのが、奇跡、三人して乗ったタクシーの運転手だったんであった。
映画の尺の中ではなかなか難しい始末の仕方だとは思うんだけれど、ただ、二人の連れ子、しかも一人はお腹の中、ついこないだヤッたか、みたいな下世話な気持ちを第三者にはそりゃ起こさせちゃうわな。
そういう状態での春男の決心に、今の春男の及び腰っぷりを見ると、マジかと思うけど、でもそんな春男だから信頼されるし、その信頼が離れる局面があっても、ホントに信頼される人には信頼されるし、不器用だけど、そういう男なんだよ、って。
そう、同僚の中で、たった一人。真に最後まで理解してくれた人。シンラツな若い女子社員、高井さん。常に見透かされているようで春男は苦手意識を持っていたけれど、大事な局面では相談や同席を持ちかけていたし、信頼していた人物であることは間違いない。
演じるファーストサマーウィカ嬢がとても素敵で素晴らしく、見てる時にはえ、この人誰??とマジで判らなかった。気配を消して春男を常に驚かせ、空気を読んだり嫌われなくない気持ちでがんじがらめになっている春男に、ビシビシシンラツな言葉を浴びせるんである。
もっと自分のことを考えた方がいい、というのは、彼女に言われ、自分を慕ってくれていると思っていた後輩の金子君からも言われる言葉で、でもその意味合いはなんか大きく違う気がするのはなんでだろう。
二人とも、春男のことを慕っていたし尊敬していた。金子君はその気持ちをダダもれにしていたけれど、高井さんはひたすらクールだった。下世話な言い方だけど、高井さんは春男のこと、好きだったんじゃないかなあと思う……。
最後までそんな雰囲気さえ出さずに、誰も来なかった春男の最後の出勤日に、彼女だけが現れて、力士みたいに朱色の手形を色紙にバン!と押して、本音はこっそり色紙の裏側にしのばせて。
「努力をしても報われない人がいる。でも、成功する人は皆努力している」相田みつを?と問う春男に、長州力です!!と返した高井さんには笑ったし、なんか泣けちゃったよなあ。
ラストシークエンスは、春男は妻の実家から、律子は夫の実家から帰ってきた、夕暮れ時の川辺である。まるで青春映画のように、ことに春男が心の中でばかり唱えてきた気持ちを、彼に救われたラブラブ奥さん律子が、あおりまくる。
やっぱり、やっぱり、声に出さなきゃダメなんだよ。伝わらないんだよ!!というのを、メチャクチャシンプルなこの価値観を、泣ける形のラスト。ヤスケンと小池栄子氏の夫婦がとっても可愛らしく素晴らしく、グッとくるものがあった。★★★☆☆
それはまるで、みつ子はイッちゃってなんかいない、狂った女じゃない。自分で結論を出すために立体的に議論を組み立てて、その中で悩んで考えているんだと観客(そもそもは小説なのだから読者)に念押ししているようにも思える。
そんな念押ししなくてもいいのに。判るのに。だってやるもん、あるあるだもん。いやもちろん、あるあるだからこそ共感するのだが、それをちょっとした荒唐無稽のような見た目にしてマジックを振りかけると、なあるほどこんなスリリングな女の子活劇になる訳だ。
みつ子を演じるのはのん嬢。おひとり様を楽しむ31歳独身女。バリバリのキャリアウーマンでもなく、どちらかといえばプチお局様だと自嘲するような感じ。
あくまで仕事は食い扶持を稼ぎ、休日をおひとり様の様々な体験、イベントを盛り込んで、充実してたわー、と満足して居心地のいい一人暮らしの家に帰ってくる。Aとの会話も女子トークそのものに平和である。そう、多田君という年下男子が現れるまでは。
林遣都君演じるこの多田君との恋愛模様に、長らくおひとり様であったみつ子が混乱しまくる、というのが予告編から受けていた印象だったのだが、実際の本作は、もちろんそれはそうなんだけれど、恋愛ドタバタで押し通す訳ではなかったのが意外であった。
プロローグとエピローグにそれを置いているから、確かに印象としては多田君との恋の進展とも見える。けれど中盤に、親友を訪ねてのイタリア旅行を挟み、その間はほぼ多田君のことは脳内から外れているばかりか、Aの存在も消し去られたように出てこないので、まるでここに一本の他の映画が紛れ込んだような、違和感じゃないんだけど、不思議な感覚にもなってしまう。
そしてこのイタリア旅行だけでなく、多田君とのエピソードが関わらない、みつ子とAの、まあつまりみつ子自身の、焦って恋愛をしようとして自爆し、自信を失ったA(いやつまりだからみつ子自身がだけれど)が姿を消す、という過去データが示されたりもする。本作はみつ子の、遅い遅い青春成長物語なのだ。
色々私も遅かったから(爆)、そしておひとり様歴ベテランさんだから、めっちゃ判る判ると思いつつ、とっちらかり独女としてはのん嬢は可愛すぎるし(爆)、部屋もオシャレに片付きすぎだし(爆爆)、恋活もしてないのにセクシー下着を常につけているのかはよく判らんし(爆爆爆)。
おひとり様ライフをポジティブに積極的に楽しんでる様子はまるで流行雑誌(とゆー言い方が古いのだ)から抜け出たようだし、昭和の独女としては、これでおひとりさまだからさ、とか自嘲気味に言うなよな……とひがみっぽく思っちゃうのは正直なところである。昭和だからな……平成から令和になっちゃたしな……。
職場に仲良しの先輩独女がいて、演じる臼田あさ美嬢がまたサイコーなのだが、この図式、なんか見たことあるなと思って。同じ大九監督の前作、これは仲良しの後輩女子だった。どちらも、仲良しの彼女がいるからこそ、特段仕事に打ち込むというタイプの人間じゃなくてもやっていけてるんだよね、という、よく言えば恵まれた環境。
意地悪く言っちゃえば、こんなんで許されているから女はナメられるし、こっから先こんな勤務状況じゃ、おひとり様を謳歌し続けられるというのはキビしいんじゃないのと、いろいろ、いろいろ、辛酸をなめた末にアラフィフの今こそおひとりさまの気楽さの幸福をしみじみ感じているこちとらとしては思っちゃう。
フェミニズム野郎だからごめんなさいね。でも、いまだに、いまだに、日本とゆー国における女子は、闘わなければ平等な幸福は得られないのだ。
さらりと描かれ、この人を肯定するか否定するかというぼんやりとした感じで描かれる、ヘッドハンティングでこの会社に来た片桐はいり氏演じる澤田女史の存在を、なぜぼんやりとしか描けなかったのか。みつ子も先輩のノゾミさんも到底澤田女史の域に行き着けなくて、嫉妬することすらできなくて、ぼんやり、はぁ凄いな……と、今後の自分の行き先も大して考えずに思ってる。
それこそがリアルなのかもしれんが、すごく、歯がゆい。ノゾミさんもみつ子も、おひとりさまの真の怖さを判ってないと思っちゃうから。
みつ子は澤田さんを、おひとり様女子の最上級型として、雲の上の存在みたいに思ってた。好きか嫌いかなんてことを言うことさえはばかられるような。
しかしふとした時に、彼女がおひとり様じゃなくて、結婚していることを知った。
バリバリ働くキャリアウーマンがおひとり様じゃないことを意外に感じるということこそが、うっわ、この令和の時代に、30そこそこの若い平成世代が(なんか年号言うごとに年食ってる感じするわ)、いまだにそんな価値観なのかと思うと、この日本という遅れに遅れた国に改めて暗澹たる思いを抱くんである。
ちょっと時間が前後してしまった。みつ子がこの事実を知る前だよね、イタリアに旅立つのは。
結婚してローマで暮らしている親友、皐月というのが、なんとまあ、橋本愛嬢。誰もが思う、あまちゃんコンビであり、二人が親友役としてスクリーンの中にいるだけで胸がきゅっと締め付けられる感傷を覚える。
皐月とはずっと連絡を取り合っていたし、ローマから送ってくれるお酒をみつ子は堪能し、Aにさっさと寝なさいと咎められたりしていた。
皐月は一歩先に行ったまぶしい存在だと思っていた。ここにもちょっとした嫉妬があったのだ。でも誘いに乗ってローマに渡ってみると、皐月もまた、みつ子と同じく、自分の枠から一歩も出られない恐怖にも似た歯がゆさ苦しさに闘っていたことを知る。
お互いに、ある意味でお互いを過大評価していたのだ。うらやましい。自由に生きてる。そう思っていた。連絡を取り合っていて、仲良しでいた筈なのに、実はそんな誤解が壁を作っていた。
やっぱり直接会わなきゃダメなんだ。直接会って、皐月が妊娠していたことさえ彼女はみつ子に言えてなくてみつ子は驚くし、咄嗟におめでとうも言えないまま休暇の時間が過ぎる。
ある雨の日、二人どこにも出かけず、お互いをスケッチしようという、濃密で繊細な心理のキャッチボール場面が忘れられない。この二人だからこその、静かなのにたぎる炎を投げ合うような、静かな涙が熱く燃え上がるような。
どこにも行けない、どこにも行けないんだよ。こんな遠い外国まで来たのに、孤独な少女みたいな大人女子二人が、泣き笑いしながらお互いをスケッチし合うのだ。
みつ子は病的に飛行機に弱くって、このイタリア旅行も死ぬ思いでたどり着いた。Aのアドヴァイスは大好きな大瀧詠一の「君は天然色」を大音量で聴け、ということだった。
この場面のドキドキワクワクはなかったなあ。飛行機の客室内に爆音で、なのに軽快に流れる「君は天然色」。夢のようだった。
そして後から思い起こせば、ここからAは一時姿を消したんだった。ローマでの日々、皐月の家族との楽しいクリスマスパーティー、年越しの花火、カフェでお茶したり、遺跡を見に行ったり。
Aと会話することは一度もなかったのだ。そしてそのことにみつ子はまるで気づかないようにいたけれど、これはとても大きなことだ。だからこそこのシークエンスが一本の別の映画のように思えたんである。
旅行から帰ってしまえば、前述した、過去の失敗を思い出して落ち込んだりもするし、先輩のノゾミさんの恋模様に巻き込まれる形で多田君との仲が急接近したりもするし。
ふと、あのイタリアのシークエンスはなんだったんだろう、異質だったよなと思いもするんだけれど、あの時だけAが自然な形でいなかった、Aがいなくなったことに動揺した時もあったことを考えると、Aがいなかったことに気づきもしていないあの時間が、みつ子にとってやっぱり何より大きかったのか。
多田君から告白される形でお付き合いがスタート、それまではちょっと見栄も張りつつ料理できる女子力をアピールしつつだった中で、でも相性の良さというか、恋する緊張感の中でも、楽しく過ごせる相手同士だという感覚は得ていたものの、なんたってみつ子はネガティブ女子だからね……。
付き合う、というハッキリとした条件がついちゃうと途端に固くなってしまって、初めての小旅行で、レンタカーのトラブルが自分のせいかと縮こまっちゃったりして、なんかもう、痛々しくて。
でさ、やっぱりさ、初めてのお泊りデートだと、やっぱりやっぱり……そーゆー雰囲気とゆーか、それはお決まりでやんなきゃいけないみたいな、多田君の方もヘンな義務感で部屋に入った途端みつ子を抱き寄せちゃって、みつ子はパニくっちゃうのだ。そんなんじゃないから、って、言っちゃうのだ。
そんなんじゃって!やっぱりここはヤッとく場面なんじゃないの、あーでも、そーゆー定石な感じは確かにヤだ。判り合ってないし!!!とか、Aが、Aが出てこないから、そうだ、そうだと思って!!
みつ子は、お酒用の氷をとってくる!!と部屋を飛び出す。泣きながら、吠えながら、Aに訴える。帰りたいよ。どうしたらいいか判んないよ。多田君のことが好きなのは確実なのに。なのに……。
突然、海岸が現れる。ざっぱーんと波が打ち寄せる。そこに登場したのは、適度にぽっちゃり男子のA、扮するは前野朋哉。みつ子に扮するのん嬢が「……ちょうどいい……」とつぶやくのには噴き出す。
確かに男子なんだけど、みつ子と比してお兄ちゃん的な年上感覚、ぽっちゃり感覚、のどかなお顔立ちといい、ちょうどいい感が満載なのだ。
自分自身として会話していたということに関しては、声の通り完全に男性だし(通常のAの声は前野氏じゃなく中村倫也氏)中性的でさえないけれど、そのふっくらとしたおふくろ感が、全方位感を見事に体現していて、特に大した説得してないと思うんだけど(爆)、みつ子がすべてに納得しちゃう感覚がめっちゃ納得しちゃうんである。
海岸から目覚め、みつ子はホテルの部屋に戻る。当然、相当に心配して出迎える多田君と、改めて好きだよという思いを伝えあい、ゆっくりと進んでいこうと多田君はみつ子に想いを伝えた。
着衣のまま、手を握り合って、膝をくの字に曲げて向かい合ってひとつベッドでぐっすりと眠って朝を迎える。ああこれから、たくさんのドキドキの愛と幸福が待っているのだよ。最高じゃないの!!
独女の描写に関しては、まあその、正直憐れみを感じちゃったかなあ。一瞬理解を示されたりするから余計にイラッとしたかも(爆)。全然楽しく暮らしてるんですけど!!と言うごとにドツボにはまるのが悔しくてたまらんわ。★★★☆☆