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「ふ」


2023年鑑賞作品

二人静か
2023年 103分 日本 カラー
監督:坂本礼 脚本:中野太
撮影:鏡早智 音楽:
出演:西山真来 水澤紳吾 ぎぃ子 裕菜 伊藤清美 佐野和宏 川瀬陽太 小林リュージュ


2023/11/6/月 劇場(新宿K's cinema)
10歳から実に9年間監禁されていた少女、あの衝撃の事件がテーマとして盛り込まれていることに心臓が跳ね上がる気持ちだった。主人公夫婦が出会う、なにか事情がありそうな妊婦の女性。童顔で、まるで少女のような面影。
主人公夫婦、雅之(水澤紳吾)と涼子(西山真来)は5年前、5歳の娘が行方不明になり、それ以来ずっと、チラシ配りなどして情報提供を呼び掛けている。その活動に声をかけてきたのが、妊婦の莉菜(ぎぃ子)だったのだった。
彼女の事情はだいぶ後になってから判るのだが、それが、実際にあった事件、9年間監禁されていた少女、だったのだった。

そうと知る前に、涼子がその事件の詳細……その少女が受けたであろう暴行……を読み漁っていたのは、もしかしたら自分の娘もそんな目に遭っているかもしれない、と思ったからなのだろうか。まるでそれに引き寄せられるように莉菜が出会うというのは、運命の皮肉なのか。
というか……私は本当にヒヤリとしたのだ。雅之と涼子は本当に辛いだろう、そんなことは百も承知なのに、莉菜の事情が明らかになると、心のどこかで、子供の行方不明事件はよく聞くからなあ、などと思っていたことに気づくから。

よくある事件、それをモティーフにした夫婦の物語なのだと、どこか心で案配して見ていたことに気づき、慄然とするのだ。
9年間監禁された少女、その間に何があったのか、涼子が読んでいたのが実際の事件のものなのかどうかは判らないけれど……調べてみようかとも思ったが、引きずられてしまいそうだったので……大なり小なり部外者の私たちはあれこれ俗な想像をしていたではないか。

それに比する形で雅之と涼子の夫婦は、辛い経験をしているにもかかわらず、ある種普遍な一つの夫婦の物語に見えてくる、見えてきてしまう。
雅之は小さな編集部に勤めているのだけれど、部下の女の子が見た目は清楚なのに妙にはすっぱで、私パパ活やってるんですよ、××さん(雅之の苗字忘れた……)世代のせいで私たちが苦労しているんですから、と言い放つ。
雅之は、違うよ、俺たちは氷河期世代なんだから……と弱々しく反論するも、なんとなく彼女とそんな仲になってしまい、そのあたりから彼はぽつりぽつりと吐露しだす。妻とはずっとやってない。娘が行方不明になってからじゃなくて、娘が産まれてから、つまり10年間セックスレス、なのだというんである。

なんとなく聞き流してしまった自分をぶん殴りたくなるぐらい、これは重要な告白なのだった。娘が行方不明になってから夫婦間がぎくしゃくしたんじゃない。
結婚してから娘を授かるまでなかなか上手く行かず、「出し入れするだけ」のセックスに心が削られていった過去を雅之がむせびながら告白する長尺のシークエンスに至って、実際にあった事件やらに引きずられていたけれど、そして、幼い子供が行方不明になってしまった夫婦の葛藤の物語かと思わされていたけど、確かにそうなんだけれど、二人の破綻はその前から起こっていたのだ。

その事実が、娘が行方不明になることであぶりだされたのだとしたら。そして、それでもこの夫婦がそれに気づかぬフリをして……その方がラクだから……行方不明の娘を探し続ける夫婦としての形だけをなんとか保っていたのだとしたら、キツすぎる。
その二人に突破口を、風穴を開けるのだとしたら、私たちの記憶にある、あのヒドい事件を持ってくるぐらいのインパクトが必要だったのかもしれない。

雅之たちの元に、あて先人不明の、ひらがなで鉛筆書きの幼い筆跡で、明菜(娘の名前)は死んでいる、という手紙が定期的に届く。
莉菜の素性が明らかになるシークエンスで、彼女が監禁中に家族の名前を忘れないようにとノートに繰り返しひらがなで書いていたものが出てきて、筆跡が似ていたのか、鉛筆でひらがなだからそうと思ったのか、涼子はあの手紙が莉菜のものだと思って糾弾するのだが、実際は……違うよね??
手紙の下書きが残っていたとかいうんじゃないし、涼子の早とちりだとは思うが、そうなると差出人不明の悪意は、顔の見えない悪意は存在していて、それが世間というヤツなのかもしれないけれど、胸が悪くなる。

莉菜の夫役の川瀬陽太氏が泣ける。実際の年齢的にも、設定的にも親子ほどに離れている印象だが、そうでなければ、こんな過酷な経験をした莉菜を支えられないと思う。
でも莉菜は、決して怒らない、優しいばかりの夫に、不安を抱く。だから、涼子たちに近づいたのか。これはアイデンティティの不安だったのだろうか。

明菜ちゃんは生きています、と繰り返し繰り返し莉菜は涼子に言った。だから絶対にあきらめないで、と。
行方不明というだけで、誘拐か事故かも判らないのに、莉菜は最初から、誘拐だと決めつけて、相手の男から連絡はないんですか、といきなり言ったのだった。相手、男、それは自分自身に起こっていたことなのだと、後から判るのだ……。

娘の明菜が行方不明になったのは、涼子の父親に預けた時なのであった。なんとか牧場、と言っていた、自然牧場アミューズメントパーク的な場所だと思われる。
この父親を演じているのが佐野和宏氏で、病気で声を失ってから、本作の坂本監督をはじめ、彼を尊敬してやまないであろうクリエイターたちが、しっかりと、そのキャラクターでなければ演じられない役柄をオファーして、佐野氏がいなければ作品自体が成立しない、とまで思わされることに、本当に胸が熱くなる。

本作での佐野氏は、そんな具合に娘から憎まれ、娘の夫は立場上、自分たちが頼んだのですから……と訪ねた時には舅のマッサージなどをし、そして本人はもはや恍惚の人状態、彼らが言っていることが判っているのかいないのか。
……こういうのってさ、コミュニケーションがとれているのかいないのか、っていうのがさ、ここ最近観た作品で立て続けに思うところがあって。事故に遭った恋人とコミュニケーションがとれなくなる「アナログ」とか、相模原の障害者施設での殺傷事件をテーマにした「月」とか、本当に、立て続けに、あったから。

涼子の父親は、恍惚の人のように見えている。確かに。涼子の母親は、それを裏付けるような夫の奇行をため息交じりに話したりする。その時点ではこの母親は、恍惚の人になってしまった夫に対してウンザリしているように見えなくもなかった。
でも違ったんだよね。いろいろ、すべてが、辛いながらも明らかになった後、ぶつけ合った後、涼子が実家に戻ってしまって、雅之が姑である涼子の母親と接触してからのシークエンスは、こういう事態になってようやく、まず婿と姑がゆっくり話をすることができたように思えたから。

でも、娘の涼子と父親とは、……なんたって預けた娘を行方知れずにさせてしまった父親なんだから、涼子は父親に対して憎しみしかない……かどうかは、かなり難しいところなのだが。

娘が行方不明になって5年、いや、実は、娘が産まれてから10年のセックスレス期間そのものが夫婦の断絶であった。あの事件があってからお互い酒を飲まない筈だったのに、次第にキッチンドランカーになり、床に倒れていることさえある妻、明菜のことを忘れているでしょうとくってかかられて、もう限界だった。
涼子をムリヤリ場末の居酒屋に連れて行き、笑っちゃうほどバカでかいお銚子で日本酒をバカバカ飲み、雅之は吐き出したのだ。愛のないセックス、その先にようやくできた子供の喪失、どこから夫婦の愛は失われていたのか。

後半は、涼子と莉菜のロードムービー、莉菜の夫から牽制されていたのに、涼子が莉菜を半ば誘拐するぐらいの勢いで、旅行きに誘い出す。
莉菜が行きたいと言ったのは……こともあろうに、自身が監禁されていた場所だった。ひっきりなしに飛行機が飛び交う轟音に最初は怯えていたけれど、じきに慣れましたと語った。田舎道で急スピードですれ違う車にビクビクする莉菜、そんな風に誘拐されたのか……。

涼子は、莉菜を拉致する勢いで旅に出て、何かをつかみ取りたかったのだろうか。莉菜が、明菜ちゃんは絶対に生きていますと言い続けていたのは、それは結局、莉菜がかつての自分に、いつか見つけ出してくれると言ってあげたかったからなんじゃないかっていうのは、事実が判明してしまえば、そうだろうなと思ってしまうから。
この二人の関係性が、確かに危ういけれど、結局は双方のパートナーである男子、大抵保守的である男子によって、危ない相手だから会わない方がいい、という判断で遮断されるっていうのが、そういう結末で終わっちゃうのが、だから男はね!!と思っちゃったりもするけれど。

本当にこの女子二人は会わない方がいいの??濃密なロードムービーを経過して、そういう結末に至るのは、あまりにさみしすぎると思うのは、シスターフッド好き、ユリ好きだからなのだろーか(爆)。
涼子のダンナ、雅之が、演じる水澤紳吾氏が、涼子を演じる西山真来氏のすらりとした体躯に比して可愛らしくちんちくりんで(爆)、仲を修復してのキスシーンといい、男女逆転しているようなバランスが可愛くって。でもその後のセックスは、やっぱり涼子側の葛藤がまだくすぶってて上手く行かないのが切なすぎて、苦しすぎて。
これじゃぁさ、雅之が苦しかったと吐露していたけれど、出し入れするだけのセックスの方がまだましなんじゃないかと思っちゃったりする。

イキきれなかったセックスで終わった雅之と涼子は、この後どうなっていくのだろう。夫婦生活を続けるのか、娘を探し続けるのか、セックスをするのか、するとして、そこに心は、愛は、あるのか。
子供を持つ問題も大事だけど、そもそも夫婦って、なんなの。苦しい、本当に見ていて苦しかった。★★★☆☆


ブワナ・トシの歌
1965年 115分 日本 カラー
監督:羽仁進 脚本:羽仁進 清水邦夫
撮影:金宇満司 音楽:武満徹
出演:渥美清 下元勉 ハミシ・サレヘ ハイディ・ギダ サミエル・K・アンドリウ マウルディ・スレーマン アレキサンダー・アウグスティ セエハ・ハィデオ ビビ・ヤ・セイハ ギルバ・ハイディ ウィックリフ・マシンデ エロ・バシュケエダ ダウイテ・ダラベ シク・クウ・バシュケエダ ソンパウロ・サム

2023/9/17/火 録画(日本映画専門チャンネル)
知らなかったー、寅さん以前の渥美清氏に、こんな野心作があったなんて。監督の羽仁進氏のお名前は存じ上げていたが、いや、「不良少年」を観た記録は手元に残っているんだけれど、なんせ30年近く昔だから、記憶がなくて……。
この作品は凄いなぁ、凄いなぁ。事実を元にしているんだというけれど、それを映画に、アフリカの地元の人たちを演者として使って撮り上げるなんて!

寅さん以前の渥美氏の出演作品は何本か見ているけれど、その中でも特筆に値する異色作であり、渥美氏はもともとアフリカに興味があったために出演を快諾したという。
そうだよなぁ、羽仁監督は商業監督というよりインディペンデントなイメージがあるし、喜劇役者の出自である渥美清氏となんて、思いもよらないもの。そして出演後はよりアフリカの魅力にとりつかれ、何度も来訪しているとか。ならば本作は渥美氏の人生に、決定的に影響を与えた重要な作品ではないか。

渥美氏が演じるのは、片岡俊男という男。彼の仕事は地質調査のために学者さんたちが赴く前に、アフリカの地に彼らの拠点となる住居施設を作ること。
意気揚々と当地に到着するも、手伝ってくれる筈のプロフェッサーは風土病にかかって意識不明の重体のために、日本に送り返されたという地元医師の手紙と、住居建設のための地図が残されていた。
たった一人で右も左もわからぬアフリカの地に放り出され、途方に暮れながらもなんとか目的の地にたどり着き、食堂で一人の日本人と行き合うんである。

船の中でひと通りのスワヒリ語は学んだんですがね、と語る俊男はつまり、当地に行けば一緒に仕事をする日本人がいるのだし、日常生活に困らない程度の簡単な会話が出来ればいい、ぐらいに思っていた。
仕事で来たのだからまぁそれは当然で、俊男が特段悪いとは思わないけれど、結果的に、そうした意識でいるからこそ、世界平和は成り立たないのだ。

いきなり飛躍しちゃったが、いや、本当に。本作の中で語られるのはそういうこと。
仕事に行き詰る中で俊男はアフリカの黒んぼなんかには判りっこない、なにがポレポレ(ゆっくりいく)だ、とジタバタするのだが、争いを好まず、話し合いで解決をはかり、焦らずゆっくりと、生活を、愛情を育む彼らこそが、ずっとずっと、先進国から乗り込んできた輩たちより上等なのだということが、しみじみと判ってくる。

だからこそこの地に、実に10年以上住みついているという大西氏、なんである。俊男が食堂で出会った日本人。すっかり心細くなっていた俊男が、どうやら日本人らしい、と声をかけたらまさしくそのとおりで、しかも船中、彼の著書を読んでいたんである。それを聞いて大西氏は、あれは失敗だった、本なんか書かなければ良かったとつぶやくが、その真意は明確にはされない。
大西氏はマウンテンゴリラの研究者としてこの地に住みついているのだが、俊男が感銘を受けたその著書はどういうものだったのか……この地の魅力、それが人間の、生き物の、生命体の根源であることを、本なんかでは説明できない、むしろ凡俗に陥れてしまった、というような気持だったのか。

大西氏を演じる下元勉氏、私初見だと思う。経歴を追ってみると舞台俳優として活躍されていた方らしい。お髭を生やした精悍なオーラがあり、一目で惹きつけられる。
不安がり、つきまとう俊男に、君のような若い人でも、日の丸の旗をしょわないと仕事が出来ないのか、と、口調は穏やかながら辛辣なことを言う。大西氏は出会いのこの場面と、その言葉に奮起して頑張ったが行き詰まり、再び彼を訪れる後半の場面の、総合的には短い尺しかないのだけれど、とても重要で大きなインパクトを残す。

たった一人でプレハブを作らなきゃいけない、そんな途方に暮れた状況で、最初に声をかけてきたのがハミシだった。結婚したてのラブラブの奥さんを伴っていた。
二人一緒に働けないかというのはかなえられず、奥さんは白人の農場に仕事を求めて二人は別れた。この時点でイヤな予感はしていた。

オチバレで言っちゃうと、奥さんは働いていた農場で事故に遭い、死んでしまう。まるで不良品を突っ返されるようにハミシの元に遺体が送られてくる。この時、ハミシの仲間たちが、夫婦一緒に雇ってくれるところがどこもなかった、と語る。俊男は悄然と、自分もだ、とうなだれる。
俊男のところで夫婦一緒に雇ってあげられていたなら。しかし俊男はかつかつの資金でやむを得ず……でもそれでも、彼ら現地の人間から見れば、きちんとした服を着て、日本では車に乗っていた(俊男はそうじゃないと答えたけれど)日本人は金持ち、なのだ。

ハシミが市で、新妻にプレゼントするアクセサリーを、ほんの10円20円を根気よく値切るのを、俊男はしびれを切らして、俺が払うからと言うと、妻へのプレゼントだから、自分が買う、とハシミは譲らなかった。その金が前借りしたものでも、という厳しさであってもだった。
ハシミには最初から最後まで、俊男は教えられっぱなしだった。穏やかに見える象でも、そのとおり道をきちんと避けなければ危ないこと、それを命令だ!とか言って突っ切らせたことでハシミは怪我をしちゃうし。
その怪我を必要以上にアピールすることにイラつく俊男だけれど、ハシミはそうして外部の人間ときちんと交渉もし、仲間を集め、統括するのだ。なのにザ・日本人の俊男は、仕事が思うように進行しないことにいら立ちを深めてしまう。

キッカケは、順調に見えていたプレハブ建設が、一度大きなトラブル、壁が落ちてしまって、逃げ出した彼らにイラッとしたのか……危険だから当然なのに。
良かった良かった無事で、とばかりににこやかに会話する彼らに更に苛立つ俊男。のんびりとねじを締めている少年に当たり散らし、驚いて怯える少年を追い詰め、間に入ったハシミを苛立ち紛れに殴ってしまう。

この場面、追い詰められた少年の恐怖の表情が胸に迫り、でもそれでもこの少年が、こんな風に理不尽に責められるのはおかしいと、ハミシに訴えたことは大きかったと思う。
俊男は徐々に彼らと関係性を深めてはいたけれど、この時点まではまだ、下に見ていた。自分がボスなのだからと、命令を聞かないなんておかしいと、怠け癖があると、心の中で罵倒していた。
そんな俊男にハシミは子供の受けた理不尽に凛として対応し、そして殴られ、彼らはしっかり倫理的に決断して、俊男の元を離れていく。報告を受けた村の長老は俊男に、この村を出て行ってくれと勧告する。最初は殴っただけで、と弱々しく心中で反論していたものの、一言もない俊男はたった一人になってしまった。

そして、こうなって、大西氏を訪ねていくんである。自分が取り返しのつかないことをしてしまったことを、恩師に報告する手紙をしたため、限りない後悔はしても、どうすることもできない。
どこに行ったともしれない大西氏を必死こいて探す。この時点でもはや俊男は、すっかりスワヒリ語で地元民たちとコミュニケーションを図れるようになっている。
後に大西氏の進言で地元の小学校の校長先生に相談に行った際、英語で話してくれた校長先生に、いや、スワヒリ語で、と彼は言った。英語より、スワヒリ語の方が彼の身に沁みついていたのだった。

訪ねて行った大西氏は、そのアドバイス以外には、特段授けることもない。ここで彼はただただ、絶滅直前のゴリラを見つめ続けている。この森の中に、たった一組の親子、父親、母親、子供の家族ゴリラがいることが判っている。でもその姿を見ることができない。糞や巣の跡は、既にそこを出て行って数か月あとなのだ。
そしてある日、死骸を発見してしまう。お父さんゴリラ。もう白骨化していた。この広い広い森の中に、たった三匹の家族ゴリラが、もしかしたらこの森の中の最後のゴリラが、息絶えていた。

なぜ死んでしまったのか、恐る恐る俊男は問いかけるけれど、大西氏はあまりにも、あまりにも、哀し気な顔で俊男を振り仰いだまま、何も言わなかった。
その原因は……判らないけれど、なにか、聞きたくない。大西氏はその原因について、なにか確信めいたものがあったように感じたから……。

次の朝、大西氏は姿を消していて、先述の、校長先生に相談するように、とのアドバイスが残されている。本当に、ほんの少しの出演だったんだけれど、大西氏を演じる下元氏は強く印象に残る。
最後の最後、俊男がこの地を離れる時、彼と出会った食堂を訪れると、ゴリラの写真と、その記録書類が残されている。自分が1年経っても戻らなかったら焼いてくれと、店員に預けて行ったのだと。

ついつい先走ってしまったが、これはかなりすっ飛ばした先のシークエンス。大西氏のアドバイスを受け、小学校の校長先生に相談に行き、俊男は裁判にかけられることになる。
裁判と言うと大仰だけれど、粗末なあけっぴろげで埃っぽい建物の中での、いやでも、これが正式で、物事をしっかりと決める重要な場所なのだ。

ハミシはいつものように、穴だらけのボロボロの衣服で現れて証言した。でもね、この衣服は、元の形を想像すると、いわゆる西洋服、ボタンがついたシャツであり、それをハミシは穴が空こうが、ボロボロに破けようが、大事に大事に着ていたということなのだ。
奥さんに対する愛情たっぷりで、俊男に人懐っこく、市で見せたように自身のプライドをしっかりと示せる男。子供たちへの気配り、そして裁判で証言した、トシの下でする仕事は面白い、と証言したまっすぐな瞳に心打たれる。

荒れ地に日本人のためのプレハブを建てるという仕事、それが後の彼らにとって果たして有用な経験になるのか、それは判らない。
でも確かにこれまで彼らにとって得られなかった得難い経験であるのは間違いなく、日本に帰る俊男に祝宴を張ってくれた彼らに、俊男は一人ずつ、その得意分野を評価し、感謝する。

壁づくり、壁づくり、電気工事……それは、俊男が毒づいた、牛のウンコで作った家に住んでいる彼らにとって、想いもかけない才能の発露だったろう。でもそう……それが後の彼らにとって役立つかは、やっぱり判らないのだ。
判らないけれども……あの裁判の時、トシのところでする仕事は面白いと、その理由こそがすべての答えだと、まっすぐな瞳で言ったハシミが、忘れられなくて。

劇中、彼らの独立運動の様子が描かれる。広大な地の中に人もまばらなこの地で、こんなにも人が集まっている、と俊男が驚愕する。
1965年、この時はこんな具合だったか、と思う。着任した時にはあおっちろく、土地の少年から、白人だろう、ほら、自分と比べてこんなに白い、と腕を並べて言われた俊男だけれど、最後、彼らに送られる時になると、もうすっかり真っ黒に日焼けし、肌の色の相違なんてなくなっちゃってる。

というか、この時代は、黄色人種、というのが、白人社会には蔑視される形で認識されていただろうが、アフリカの地では、黒い肌の自分たちと、そうではない肌の人たち、白い肌の人たち、という区別しかなかったのかと思われる描写で、ちょっとショックを受ける。
それだけ、黒人社会に対する白人社会の弾圧がすさまじいという一つの証拠でもあるし、今更だけど、この時代に、その間に挟まる黄色人種が、もっともっとできたことがあるんじゃないかという思いもする。

ハミシは海を見たことがなかったんだろうか。俊男を送って、海辺まで車を走らせてくれた。
海のずっとずっと向こうにジャパンがある。海の水は塩辛いんだよと俊男は教えてあげると、ハミシはコカ・コーラの空き瓶に海水をつめて、持って帰るよと笑った。

渥美氏がアフリカを舞台にした映画に出演していたこともビックリだし、羽仁進監督の野心、現地住民たちの起用、それがわざとらしくならず、ナチュラルに、時間をかけて丁寧に演出したんだろうと感じられる。
広大な景色、キリンやシマウマ、象たちのマジな映像、その中で先進国な建造物のプレハブでさえ、汗水たらしてたて上げたそれに、パチンと蛍光灯がともる時の感動と、それを引きの画で映し出す、暗闇の中の人工物の神秘的な美しさ。

実に半世紀以上前、今はどれだけ、こうした現地のカルチャーが残されているだろうと考えたり。でもきっと、きっときっと、その地に暮らす人たちの、本質的な宝物は、失われていないと信じたい。★★★★★


プリンセス 恥じらいの初夜 (恋するプリンセス ぷりんぷりんなお尻)
2016年 70分 日本 カラー
監督:吉行由実 脚本:吉行由実 北京八
撮影:小山田勝治 音楽:柿崎圭祐
出演:羽月希 加納綾子 和田光沙 老田亮 ジョリー伸志 さらだたまこ 吉行由実 マサトキムラ 白石雅彦 織田歩 鎌田一利 草刈香乃 岡元あつこ

2023/4/17/月 録画(日本映画専門チャンネル)
さっすが大ベテラン吉行監督じゃなきゃ、こんなうそくさファンタジー(いい意味で!)を迷いもせず、臆面もなく(いい意味でね!!)描けないわ。
てか、そうか、そうかそうかそうか!これって「ローマの休日」、なのか!観終わって、いろいろ反芻して、んん?王女が出版した処女作コミックのタイトルは「王女の休日」と名付けられ、そして彼女が恋したのは、平和維持活動の一環として地雷除去パフォーマンスを行っていた彼女を取材していた記者であり、そうかそうか!まんま「ローマの休日」やん!
吉行監督は「ローマの休日」をやりたかった、てか、やったのか!!……気づかないぐらい、あまりにもある意味スゴい、リアリティの真逆の、マンガチックというのも漫画に対してはばかられる(爆)思い切りの良さだからさ(爆。どうも言い方をどう選んでいいか……)。

いや、これは確かに、いい意味でのマンガチック。こうしたマンガチックさを、時には求めたくもなる。だってあの「ローマの休日」は、王女と記者の切ない恋が、ほんのひとときのデート、プラトニックな想いのままで、その身分の違いで、カメラのこっちとあっちで、永遠にお別れする。もうそれしかない。
なのに本作は、セックスしちゃうし(爆。まぁピンクだから……)、切ないお別れしたのに二年後、と、んん?と思ったら、「公務を頑張ったし、あなたもいい記事を書いてくれたから」と、彼を拉致(!)して、ナバリア王国で強制結婚!!しかもそれを、彼もまたオッケー!とばかりに喜んじゃう。なんじゃこりゃ!!

いや、ある意味その突き抜け加減に喜んじゃってるのよ、ホントホント(ホントか??)そんでいきなりオチまで行っちゃってどうかと思うが。
本作は、ツッコミどころ満載というか、むしろそれだけで出来ていて(爆)、だからツッコむのはむしろヤボじゃねーかと思わされるあたりが凄い。うーむでも、臆せず行こう。

ナバリア王国の王女、マルゲリータは、意に染まぬ結婚に絶望して、海に身を投げようとする。その海岸に落ちていた日本のレディースコミック。
……これは、海の果てから打ち寄せられたということかしらん。北方領土に日本のものがいろいろ打ち寄せられているみたいな(爆)。でもそうだとしたら、本なんて、もうぶっよぶよになっていると思うが……そっからツッコみだしたらもう後が大変なのだが。

大西洋のど真ん中に位置するナバリア王国の王女であるマルゲリータは当然、日本語は読めないものの、セックスどころか恋も知らない彼女は、その赤裸々な内容に魅せられてしまう。そして見守るマリア様の頭上がぴかーん!と光って、そうだ日本行こう!!みたいな!
つーか彼女は、そのレディコミを読んで以降、夢の中で顔も見えぬ青年とまさに夢のようなキスを交わす。それが後に出会う運命の相手、西原、てことは、実際に出会う前に夢の中で出会っていたということ??
ザ・ファンタジーだからまぁいいけど、ツッコミどころ満載ファンタジーの中で、ここだけ乙女の夢っつーか、ツッコむには可愛らしい、これは保持してあげたいエピソード。だって西原だって、そんな夢の感触を共有していたからこそ、マリアに運命を感じていた訳だし。

おっと、マリアというのは日本に来てからの偽名。日本に行って漫画家になりたい!!と、レディコミから夢妄想、運命の相手が日本にいる、的な雰囲気だったのが、レディコミにこそ魅せられて漫画家になりたい、ってこと……には感じられなかったけどねぇ。
父親(王だわな)を説得する経過は、それこそ漫画紙面によって示される。これがまた上手いというか。本作の設定がそもそもマンガチックだから、この手助けがめちゃマッチしてるのよね。
それもね、宮殿での、父親である王とか他の侍従たちとか、ラストの、1000人もの招待客がいるという結婚式も、そんなん用意できる訳ないから(爆)しれっと漫画紙面ですり替えられる。まぁ、その漫画を描いて用意しなくちゃいけないんだから、それはそれでとても大変なんだろうけれど。

いっちばんのツッコミどころは、海岸で拾ったレディコミは当然、日本語が読めないから判らなかった、そんなマリアが、日本に渡ったらめっちゃネイティブ日本語、それどころかボディガードとしてついているエミリもめっちゃネイティブ日本語。
さらにそれどころか、マリアの正体がバレて一時身を寄せるところのお手伝いさんは吉田さん(爆)、一時的な、日本人で信頼できる人を雇ったのかと思いきや、ナバリア王国に帰った後もフツーにお仕えしている、あなたは何者(爆爆)。

何よりさすがにこれはツッコまずにはいられねーのは、こんな極秘おしのびなのに、警護がゆるゆる(爆)。
エミリは王女様が橘先生(吉行監督自ら演じる、海岸に落ちてたレディコミの作者、つまりマリアの憧れの人)のアシスタントから帰ってくる直前まで同僚の警護男子とズコバコ。まあそれはピンクだからいいとして(爆)、その後も全然、ぜんっぜん、警護している様子は見えない。

あとから言い訳のように、どんなバカなことをするか見ていたとか言うけれど、彼らからしたらどこの馬の骨とも知れぬ男子の一人暮らしの部屋にいわば連れ込まれた(実際は、マリアが泥酔して介抱されたんだけど)のを、その密室がどうなっているかも判らずに外から“見守る”ってのは、いくらなんでもじゃないのぉ。

まぁだから、警護じゃないわけ。話し相手(爆爆)。だって冒頭のシークエンスではさ、エミリは、もしマリアに男が出来たら、ボディガードという自分の立場上、セックスしている様子も影から見守っていなきゃいけないとか言ってたのに、全然してないしさ(爆)。
もう爆しか言わんわ。ホントに、確信犯としての、ゆるゆるさだよね。こんなん、ツッコむだけムダだっていう、そこじゃないんだっていう。

そう、そこじゃないんだろう。実は案外、深いところもあるマリア、いやさマルゲリータ王女は、世間知らずのお嬢様だけれど、平和維持活動にはマジである。真剣である。
でもそれが、外から見れば、特に実際に危険地帯に飛び込んでいる西原からすれば、ただのパフォーマンスに見えてしまう。地雷を除去して安全になっている場所で、地雷を除去している、という、パフォーマンス。

でもマリアは知らなかった。本当に自分は地雷除去をやっていると思っていた。マジか、と思うお嬢様、ってゆーか、お姫様的発想なのだけど、その事実を知ってマリアはエミリに詰め寄るのね。
エミリは、だってあなたは嘘が大嫌いだから、だから言わなかったのだと言う。それは、つまり騙していたのだというに他ならないんだけれど、嘘の中に真実があるというかさ、実際に危険な目には合わせられないけど、平和維持活動に真剣なマリアを、その気持ちを国内外に伝えることが、マリアの意志に沿うことだから、優秀な部下たちだということなのだ。

西原は、マリアがマルゲリータ王女だと気づかず、バーで出会った彼女とその件で口論になる。実際、その場に記者として取材していた彼は、カメラの中の写真を見直し、マルゲリータ王女が、その表情が、本当におびえながら、実際はない地雷を除去していることに気づく。
てか、これだけまじまじと見返してて、マリアがマルゲリータ王女だと全く気付かないのはどーなのよ。だってまんま同じ顔じゃん。まぁそれは当たり前だけど、後に西原が弁解するように、だって地味な漫画家にしか見えなかったとか言うが、地雷除去パフォーマンスの彼女も、迷彩服、それに合わせてハデなメイクもせず、まんま、まんまなマリアだったじゃんさぁ。

このあたりの甘さは、ツッコみたくなくても、ツッコミたくなる(どっちやねん)。マリアの正体は、編集者の八木が暴くことになるのだが、このあたりもかなりぼんやりとしている。
最終的に、スキャンダルをネタに上手いこと話題を作ってコミックスをバカ売れさせてウハウハ、という八木を、エミリが、黒幕を吐かせることも含めて締め上げる、というシークエンスに至るのだけれど、黒幕が誰とか全然解明されないし(爆)。

だって、国家的な問題なのにさ。身分を隠して日本でお忍び漫画家修行をしていた王女様をすっぱ抜き、その話題性でがっぽがっぽ。単純にその事実だけなら、ビジネスチャンスのためならなんだって、という風にも見えるけれど、エミリが八木を締め上げた時、そのバックに彼に依頼した黒幕がいる、という言い方をしてたじゃん。
王女のスキャンダルなんだから、まさに国際的暗躍とか思うじゃないですか。ないんかーい、全然その後その点スルーって……だったらそんな、思わせぶりなこと言わんで欲しい……。

八木に関しては、かつての同僚であった西原に対してのキャラ設定という趣もあっただろうけれど、つまり対照的に悪役にするために、取って付けた感がヒドかった(爆)。
マリアの漫画を売るために彼女のスキャンダルもまた売り飛ばした、という最終的な悪役ではあるけれど、マリア自身は自分の漫画が世に出たことを喜んでいたし、二年後、故国でも出版されて大きな反響を得たんだし、むしろ八木さんは恩人ちゃうん、と思っちゃう。

橘先生のもとでアシスタントをしていたマリアをスカウトした八木は、そんな下心があったにしても、そして馴れ馴れしく肩を抱いたり、デートに誘ったり、キスしちゃったりはしたけれど、エロエロには至らなかったしなぁ。
まぁ、西原のことを女たらしのろくでなしみたいに吹き込んで、それは自分自身のことだったのに、ってのはあるにせよ、そのウソが、あっさり明かされるのが、しかも家政婦の吉田さんからというのが謎過ぎるもんなぁ。

この吉田さんはそれこそナゾにキャラ立ち過ぎなんだもん。赤い髪にべたべたの口紅、おっきなげっ歯類系の歯をむき出しにして、あっら、やっだー、みたいな(爆)。
心がこもったカレーライスにマリアが感激するとか言われても、彼女一人をお世話するのに、食事にカレーライス一皿、思いっきり手抜きじゃん……と思っちゃうのは貧乏性かしらん……。

まぁこんな具合に、ツッコミまくれるのが、楽しいのさ!!そういや、西原を演じる老田亮氏の、腹筋が美しい、ムダなシャワーシーンとかが妙に気になったが。だって本来のピンクの需要からしたら、いらねーっていうとこだもんね。
R15版として再構成という公開スタイルが定着し始めた当時の、オリジナルとのギャップを、オリジナルを観てもないのに、勝手に想像しちゃって、面白かったり。つまりあれは女子への需要だったのかしらん??★★★☆☆


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