home! |
誘惑は嵐の夜に
2016年 99分 日本 カラー
監督:いまおかしんじ 脚本:いまおかしんじ
撮影:田宮健彦 音楽:ビト
出演:高樹澪 石川優実 永岡佑 松永拓野 ぶっちゃあ 丸純子 春田純一
でも本作は、去年の作品やご本家のように、男と女の身体の入れ替わりじゃない。母と娘、女と女である。自分の性じゃない身体で、自分と同性の相手とセックスしちゃうという、去年の作品の、「転校生」アダルトバージョンとでもいった感じとは全然違う。
まぁありていに言えば、お母さん側が娘の、つまり若い女の身体を手に入れて、娘の彼氏のみならず、ちょっと気になっていた石売りの青年ともヤッちゃうという、そこはやっぱりちょいとピンク寄りな風味がある。
でもこれが、父親と息子だとエグすぎて作品として成立しづらいと思うのは、ちょっと差別的感覚かしらん。
それこそピンクでは初老のおじさんが若い女性とセックスするなんてことは当たり前に描かれているのに、それが、ガワは若い姿だが、実は中身はおじさん、という設定を想像すると、それはヤだなぁと思っちゃうのは……女の勝手な感覚なんだろうな。
だってそれが、本作のように女ならば、つまり自分だったらということを想像して、ちょっとウットリしちゃってるんだもん。
女と女の入れ替わりではあるけれど、「転校生」オマージュはしっかり押さえてる。最初の入れ替わりは落雷によるけれど、元に戻るそれは、ちゃぁんと階段落ちである。
そして何より、娘、康子がアルバイトしているスナックが「ラベンダー」!!これは、ラストクレジットで、撮影協力として実際その店名なことが知れると、更にムネアツなんである。転校生と言えば大林監督の尾道三部作、「時をかける少女」はハズせないでしょ!ということに違いないんだもの。
物語の始まりは、佐和子と謙三夫婦のシーンから始まる。居眠りをしていた佐和子、謙三は大きな花束を抱えて帰宅。
何も言わず、ベッドにもぐりこむ夫、花束には長年お疲れ様でしたというメッセージカード、つまりこの日が謙三の定年退職の日だったんである。
なぜ言ってくれなかったんだと言い募る佐和子に、ふてくされて花束をゴミ箱にブチ込む謙三。どうやらここに至るまでにも、夫婦の会話は減っていたらしい。
娘の康子と入れ替わって、康子はそんな愚痴を母親から聞くことになるのだが、夫婦がもうずいぶんとセックスしていないことを驚く娘、というのは、そんなリベラルな感覚の娘って、いるかなぁ。私が昭和の感覚だからなんだろうか……もちろん、いつまでも夫婦はラブラブで、その年齢なりのセックスをしていてほしいと思っているけれど。
ところで石を売る青年、というのも、これはあれですか、「無能の人」ですか??そんでもって康子の恋人はうつ状態にあるミュージシャン、まぁその、語弊があるかもしれんが、クズ男に惚れちまうのは母と娘、同じ遺伝子を持っているからなのかもしれん。
すみません、少なくとも娘の彼氏、満をクズ男というのは正しくなかった。心の病気を発症しているのだから。
そのこともあって康子と満はケンカ別れしてしまって、母と娘が入れ替わった後に、仲直りセックスに突入せんというシークエンスで、満が意を決してザラザラと飲んでいた錠剤は、精神のお薬だったのか、バイアグラ的なものだったのか……。
無事ことをなした後に、薬を飲みすぎたとトイレでゲーゲーする満。なぁんか彼は……そもそもが凄くセンシティブで、そして心の病を抱えてて、恋人の康子のことをとても愛しているし、彼女の心配をありがたく思っているからこそ、それに応えられないこと自分が辛い。そうした描写をとても丁寧に紡いでいる。
康子は彼のために、バイトしているスナックでライブが出来ないかと奔走するのだが、それをありがたく思ってはいるけれど、彼の精神状態では積極的な、やる気を見せるリアクションがとれないのだ……。
康子はそれが彼の病のせいだと判っている筈なのに、ヤハリ今までの積み重ねもあって、ここでケンカ別れしてしまう。
セックスが上手くいかないことも直前に示されていた。ストッキングを破いたら興奮するかも、と彼がおずおずと提案し、ぎこちない演技をつけながらやってみたけれど、というシークエンスは、お互い思い合っているのに上手くいかない若い恋人同士の切なく滑稽な頑張りがあって、この時はふと笑ってしまうばかりだったんだけれど、後からじわじわと胸に来るんであった。
そして、母親側である。こちらの方が、ばっちり私世代なので、まぁ結婚経験はないけれど、なんだかより判ってしまう。佐和子はカフェでパートはしているけれど、それまでは専業主婦だった感じである。それは、一人娘の康子からの叩きつけるような台詞、ぬくぬく主婦やってたお母さんには会社のことなんか判んないでしょ、という台詞から痛烈に示される。
これはね、これは……言っちゃあかんよ。ぜえったいに言っちゃあかん台詞。専業主婦であることを良い妻良い母親として推奨し続けてきた昭和の時代は、その一方で、三食昼寝付きのラクな立場だと、蔑んできた。
冗談じゃない。24時間365日休みなく、しかも無休で働き続ける、これは訴えていいレベルだと、私は子供の頃から思っていた。まさか、私が大人になってもそれがいまだに継続しているとは思いもしなかったが、ようやくここ最近、解消されつつある……にしても、まだまだである。
佐和子はめちゃくちゃ私世代なので、本当にまだまだ、ボランティア主婦の孤独と疎外感があるんだなぁと、私はそこから逃げてしまったなぁと思うんである。
だからこその、それに対照となる夫。もう最後の世代だと思いたい。モーレツ社員、会社に居場所がなくなったら、毎日どうしていいか判らない、だなんて。
そんなの、私の親世代で終ったと思ったが、それこそ親世代のことを思って、今も少なからず残っている、閉鎖的な日本社会の、家族としての生きづらさを描いてくれていると思う。
そういう視点で言えば、石売りの青年の自由さは、彼らの羨望のまとであると思う。彼ら、いや、佐和子にとってか。客観的に描かれるこの青年は、一方で拾った財布から金を抜き取りラッキーとつぶやいたり、佐和子からおめぐみを頂戴した時もそう言っていたし、何か、何か……佐和子から見ているピュアな、ほっとけない、母性本能を掻き立てるだけの、そんな単純な男子ではないのだけれど、でもまぁ、そんな風に言うのも酷かなぁ。
そりゃ財布はそのまま交番に届けてほしいとは思うけれど、それこそ生活に余裕がある人の言い分だ。夢を追っていたらビンボーになってしまった、というシンプルなスタンスを、いつからこの社会は許容できなくなっているのかと思う。その先で成功した人たちは受け入れるけれど、その他はバッサリと排除する社会になっている。
佐和子はこの石売り青年、そして娘の康子の彼氏とセックスしちゃったりして、そこらへんはいかにもピンク的展開だけれど、でもやっぱり重要なのは、コミュニケーションがとれていないままだった夫との関係性に尽きる。
個人的には、ほんわりとでもいいから、この夫婦のセックスを見たかった気がする。もちろん、セックスだけが夫婦のコミュニケーションツールではないし、それこそさ、年若い満だって勃起しないことに悩んでて、その一点で愛する二人が断絶しちゃうだなんて、良くないこと。
でも、挿入だけがセックスじゃないし、夫婦になり、子供をなして、年をとっていくと、セックスだけじゃなく、愛のコミュニケーション自体が、はぁ?そんなのありえないでしょ、ぐらいになっちゃう日本が、哀しいなぁと思っているからさ……。
いまおか監督ならば、ピンクの良き伝統文化を、一般商業映画でも描いてほしかったと思っちゃったから。若いカップルのシークエンスでは充分に描写してくれてたけれど(中身はお母さんの場合もあれど)、そうね、お父さんとお母さんの、ちょっとでいいから、エロなふれあいが見たかったなあ。
でもまぁ、康子と満の関係性が、ゆっくりゆっくり、時に母親の佐和子が代わりにセックスしちゃったりしながら、修復していってくれたことが、最も良かったのだと思う。
満を演じる永岡佑氏が、これまたいまおか作品でつい先日も遭遇して、全然違う役柄で、繊細に演じ分けていて、いまおか監督に愛されているなぁと思う。
心の病を抱えた、しかも職業は安定しないミュージシャン。昭和世代のこちとらは、ついつい先入観で、いもしない自分の子供のお相手として、こりゃないわとか勝手にジャッジしちゃったりして。
違う、違うんだよね。それを、描くのがそもそもだったのかもと思う。安定した定職についている人なんて、一人もいない。定年を迎えて、途端に自信を失ってしまった謙三、ずっと専業主婦で、夫や娘からバカにされていると傷つく佐和子、理不尽な会社に見切りをつけるも、その先が見えずに不安になっている康子、心を病んでしまって、愛する音楽を再開できない満、写真を仕事にしたいと学校に通うも、お金が無くなってプーな生活をしている石売りの青年、……全員苦しんでるやんか。
誰か一人でも、大抵な物語では誰か一人でも、彼らを救えるキャラクターがいるもんだが、でもこれが、現実なのだ。誰もが思い悩んでいることが。その中で、違う人生を歩めたらという夢をかなえてくれるのが本作で、まぁ大抵エロ、セックスだけどね(爆)。
でもそれは、重要なことじゃないかなぁ。性欲は、文化を享受している人間においては、性愛という、愛の気持ちを伴う、文化的欲望だと思う。そう信じてる。だからこそ、エロ文化が成立し、熟成しているのだと思ってる。
やっぱり、佐和子と謙三の夫婦セックスが見たかったなぁ。ピンクでは珍しくないけれど、ピンクで活躍したいまおか監督と言えど、一般映画ではそれはなかなかかなわないのか……。★★★☆☆
でもそこにこそ、偏見があったのだ。後半、雪子の彼氏、広大が本音を吐露する、雪子がラップをしている姿を見たくなかったと。彼は音楽が好きだと言っているのに、そしてこんなに年若いのに、そこにはひとつのフィルターがかけられていたんだろうと思うと……。
でも雪子は、きっと彼氏の頭の中にもあった、ラッパーのイメージじゃなくて、本質としてのラップが彼女の人生に深く共鳴していて、なんていうか、やっぱり普通の女性なのだ。
普通、という言い方は違うのかもしれない。ただ、雪子は小学校の先生という仕事に誇りは持っていると思うけれど、なんだかいつも自信なさげである。彼女の同僚たちはそれなりに先生としてのキャラが立っていて、ベテランの女性教師、大迫先生は神キャラ、ジャージ姿の男性教師は脳筋、若い後輩女子は早々と結婚を見据えていたり。
この神キャラとか脳筋というのは、子供たちがこっそりランキング付けした落書きで、その中に雪子は入っていない。雪子と同じ苗字の先生が、雪子先生じゃない方、と入れられている。雪子先生と呼ばれているのは、その同じ苗字の先生の方が、先に行っているのだと彼女は思っていたのかもしれない。じゃない方、生徒の印象に残らない先生、そんな風に。
ところでこの作品は、実際の教師たちへの取材を基にして作られたのだという。そして監督さんも教員免許を持っていて、小学校の先生になることを考えていたのだと。
そうか、だから、小学校の先生とラッパーという、外から見るとまじり合わないように見えるものが、普通に生きてる、懸命に生きてる、人間であることは変わりないということが、最初から見えていたからこそのこの物語なのだ。
仕事終わりにサークル活動的に参加しているラップ、巻き込まれる形で参加する中盤のラップバトル、そして後半の、自らの意志で参加するバトルともども、雪子は正直ヘタクソだ。スキルはとてもとても、見られたもんじゃない。
でも彼女は音楽を愛していて、ラップが大好きで、当たり前のことなのだ。でも世間的にはそう見えていないことは判っているから、雪子はそれを職場では言えずにいる。彼氏は知っているけれど、彼の前では披露していなかったんだろう。もし披露していたら、違う未来が待っていたかもしれないのに。
彼氏、広大を演じるのは渡辺大知氏。いつまで経ってもチャーミングな彼がそのまんまの魅力で演じる広大は雪子をちゃんと愛していたし、彼女との齟齬はほんの少しのすれ違いだっただけなのだと思うから、ラスト、雪子が彼との別れを選択し、そのことが人生を前に進んでいくことだとするのが切なくもある。
二人の齟齬は、お互い最後の最後の本音を言えずにいたこと、それが相手を慮ってのことだと思いこんでいたこと、それはお互いの思いやりから来ていること……だというのがあまりにも切なく、ここから話し合っても行けたんちゃう??と思いたくもなるけれど、でもやっぱりこういうのって、タイミングなんだよなぁ。
それにしてもいまだに29歳女性の結婚あれこれ問題って、あるの??いまだに??まぁ確かに、お子の授かりということを考えるとあれだけど、そういうことじゃないでしょ。いまだに行き遅れとか言われるのかなぁ。
でも本作の本質はそこじゃない。雪子が奔走する、奔走する、という言葉は上手く当てはまらないな、彼女は、自分では先生としての自信が持ててないみたいなんだけれど、とても素敵な先生、言っちゃえば、こういう先生がいたら良かったと思っちゃうほどの先生。
人気者で明るくて、クラスのスター生徒たちとわちゃわちゃ盛り上がるような先生がフューチャーされがちなのが、学校という閉じた空間でのピラミッド構造だけれど、そこに入り込めない、それこそ普通の、普通と言いたい。
自分では底辺と思って落ち込んでる子たちに目が行き届ている、いや、気づいている、アンテナが察知しているこういう先生が、最高の理想なのよ。なかなかいない、てか、いない。私の学生生活の中ではいなかった。
だから、神キャラと呼ばれる厳しい女性教師、大迫先生が、雪子先生はきちんと気付けていると言ってくれたのが、そうだよ、そうだよ!!と嬉しかったのだ。
体育の授業で元気のない女子が生理だと察知したり、給食が食べられなかったりテストの問題を解かずに影絵をしている女子にも叱責せずに、彼女にだけ聞こえる音量でコミュニケーションをとったり。
女の子に対しては同性同士だから気づきやすいかもなとも思ったが、雪子がその、普通さゆえの地力を発揮したのは、不登校になっている男の子への粘り強い訪問だった。
いや、雪子自身は粘り強いとかは思っていないだろう。むしろ、ただ訪ねて声をかけるしか出来なくて、それこそ彼の父親から後に言われるように、気の利いたことも言えなくて、ちょっとイヤミにも聞こえる、訪問することは義務なんですか?と言う父親に、返す言葉もなかった。
でも雪子は、生理の女子や給食が食べられない女子へと同じように、苦しんでいることを気づいてしまったから、そうしたら見てみぬふりは出来ないのだろう。それは、正義感というより、彼女自身の、なんて言うのかな……教師的本能というか、そう、こういう感覚を持っている先生を望んでいたように思う。
不登校の男の子の父親は在宅ワークで、母親は外に働きに出ているのか、会話の内容からはそんな感じである。これまでの凡百の作品では、こういう図式が描かれると離婚して、父親が子供を持て余しているとかいう風になるのが、そうじゃない。
一見、雪子に対して冷たそうに見えるこの父親だけれど、不登校となった息子だけれどピアノに夢中になって、そしてオンラインゲームやチャットで学校の友達とつながっていることも把握していて、それを雪子に教えてくれるんである。
教えてくれるという優しい感じじゃなく、そういうつながりも今の子はあるんじゃないんですか。学校に行かなければいけないのかという問題提起を、一見皮肉っぽく、でも確かにそうだよなと思わせる温度感で伝えてくれる。
この男の子、類君とのシークエンスはかなりの尺を使って、丁寧に描かれる。類君は自分自身でも、なぜ学校に行けなくなったのか明確な答えが得られていない。歯の矯正をからかわれたことかなと吐露するけれども、今もオンラインで友達とつながっている彼が、彼自身、正直判らない、自分の気持ちが判らないんだというのが、凄くリアルだなと思って……。
父親が、登場はしないけれど彼の奥さんである類君の母親と、沢山本を読んで、正解を探したけれど、と語り始める。雪子に対して、あなたは何も気の利いたことを言わない、と、そしてこの日、雪子が勇気を振り絞って類君に問いかけた、自分自身の弱さをさらけ出したことも、腹を割って話せば出てくると思いましたか、だなんて、めっちゃ皮肉めいたこと言う。
でもそりゃそうだ、彼と奥さんは、本だけじゃなくいろんな方面に助けを求めて、でも答えが見つからなくて、今は息子を信じて見守ることだけだったのだろう。
でもね、類君が部屋から出てきた。何よりいいのは、この時父親が、演じる池田良氏がめちゃくちゃイイ男なんだけど(爆)おやおや、あの言葉が刺さったかな、なんてことをなんのしがらみもなく、さらりと言ってくれて、で、夜の学校に息子と雪子先生を送り届ける、運転席でひっそりと目頭を押さえるのが、めちゃくちゃグッとくるの!!
何より、ここからのクライマックスである。雪子のラップは、あ、そうそう、言い忘れていた訳じゃないんだけれど、彼女は帰郷した長崎で、ラップバトルに挑戦したんであった。それは、サークルのように楽しんでいたラップが、思いがけずイベント的なバトルに巻き込まれた時、相手の手練れラッパーが、テクニックだけじゃなく、本当に人生を本音を骨身を削ってぶち当たってきて、雪子はこてんぱんにやられてしまったのであった。
ディするというラップ文化に臆していた雪子だったけれど、それは自分自身の生き方に責任をもって挑んでいくという姿勢であって、雪子はその覚悟が出来ていないことに直面してしまう。
長崎に帰郷し、特に明確に語られてはいなかったけれどどうやら母親が早くに亡くなっていて、今は父親が一人で暮らしている。
父親の手料理を、お母さんの味だ……と驚く雪子に、土井善晴先生のレシピ本を差し出すのはちょっと笑っちゃうけれど、奥さんが土井先生を好きだったというのはもちろんそうだけれど、こういう部分にもね、そんなに深刻に考えるなよと、案外シンプルなんだよと、言っているような気がする。
雪子が挑戦した長崎でのラップバトル、彼女のせいいっぱいのファッションとメイクで挑んで、正直とてもとてもつたない、ハラハラするものだったけれど、それまでの、いわば腰が引けた、言い訳みたいなものではなく、今の自分を、必死に分析して、客観的な視点も努力で獲得して、凄く胸を打たれた。
相手は地元ラッパー、めちゃくちゃスキルがあるし、前半はきっちりと雪子をコテンパンにしてきたけれど、彼女の言葉に耳を傾け、煽って鼓舞して、本当の言葉を引き出し、雪子にとってのパーフェクトなパフォーマンスになった、このクライマックスは、とっても良かった。こっそりお父ちゃんが観に行っている可愛さも良かったし。
不登校のピアノ男子、類君も素敵だったが、彼と友達だという、最初に雪子が直面する男子の母親もなかなかに強烈で、でもこれもね、一見モンスターペアレントに見えるんだけれど、そうじゃない、話し合いたいんだと、そしてその結果をしっかり出しているのが凄い、いいんだよね。
まだ前半のシークエンス、一見して圧の強い母親、音読の宿題の感想を親に書いてもらう、きょうだいが多く、親が共働きの状況では、たとえ10分でも難しいのだと。
雪子にこの状況を、学校への電話が通じなくなるからと、仕事終わりに乗り込んでくる母親に、まさに乗り込んでくる、という感覚でビビリまくっている雪子に、話し合いたいんだと言った、責めたいんじゃなくて、というこのくだりが、めちゃくちゃ重要で、そしてそれがまさに、物語全般に行き渡ってくるんだもんなぁ。
個人的に好きだったのは、年代が違う三人の同僚女子先生が、お互いのプライベートをさらけだす、いわば女子会を楽し気に開催するシークエンス。ちょっとね、甘いかなとも思うんだけれど、お互いの本当の苦しみを、におわす程度なのがね。でもそれが、女子の強さなのかもしれないと思う。
ちょっと、ちょっとだけ、聞いてもらうけれど、本当に解決できるのは自分だけ。夜の音楽室に招いた類君と魂のセッションをして、めっちゃ観客も心動かされ涙し、でもその直後、雪子が広大にさっぱりと別れを告げたのは驚いたし、もったいない!と思ったけど、でもこれこそが、女子の強さなのかもしれんなぁ。
そう、もういろいろ書き足りないことを思い出しちゃってやっとだけど、本作のクライマックスはなんたって、類君のピアノと雪子先生のラップのセッション。最高オブ最高。まじで魂のぶつかり合いで、涙が止まらんかった。
その後、児童たちの発表会に類君がビデオ参加して、ピアノを披露したところも泣いたなぁ。思いがけずいい映画に出会えたことに感謝。★★★★★