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「む」


2026年鑑賞作品

無明の橋
2025年 94分 日本 カラー
監督:坂本欣弘 脚本:伊吹一 坂本欣弘
撮影:米倉伸 音楽:未知瑠
出演:渡辺真起子 陣野小和 吉岡睦雄 岩瀬亮 山口詩史 岩谷健司 木竜麻生 室井滋


2026/1/11/日 劇場(新宿武蔵野館)
渡辺真起子氏が出ているなら間違いはないというんで足を運んだんだけど、劇場に着いて、何気なくロケ地マップなどを眺めていて、あぁ、この監督さん!と知り、嬉しくなる。「真白の恋」「もみの家」の二作で、すっかり信頼に足る作家さん、との思いを固めていたから。
真摯に焦らずじっくり優しく人を見つめるドラマを作る、そして、そうか、過去二作も、そして当然本作も、監督さんの地元、富山の映画なんだね。そこにこだわっているのもとてもいい。

過去作もロケーションがとにかく素晴らしかった記憶は確かにあれど、本作はそれこそが、作品の大事なテーマそのものになっているので、ちょっとぞっとするほどの神がかった画を映し出す。
面白いなと思ったのは、渡辺氏演じるヒロインの由起子が住んでいるのは東京郊外の団地なのだけれど、その団地も、そして墓参りをする墓所も、富山をロケ地として使っているっていうことなのだ。徹底している。世界観をとぎらせないのはそんなところにも表れているように思う。

由起子は美術館の監視員の仕事をしている。団地の一人暮らし。監視員、だったのか、事務や雑用もしている感じだったから、墓参りで偶然会った叔母から、座りっぱなしでキツくないかと問われた時に、そうか、あの、美術館や博物館の隅っこに座ってる人か、と思い当たる。
その仕事は、由起子の抱えるものを後から知るにつけて、あまりにも考える時間が多くなりすぎて、辛いんじゃないかと思ったりするが、考えるなんて意識もなかったのかもしれないというか……ただただ哀しみと後悔を胸の中にいっぱいにして、この15年を過ごしていたのかと考えると……。

15年、と知ったのも、鑑賞後にオフィシャルサイトなんかを眺めたからであって、観ている時には、そんなヤボな詳細は示されない。一人暮らしをしている静謐な生活の中で、朝ごはんのちょこっとを小皿に盛って仏壇に供える、それだけで、女の一人暮らしだし、夫に先立たれたのかなとか思っていた。
墓参りに行き合ってお宅にお邪魔してお茶した叔母から、生きていれば18、今なら成人ね、と言われた時、あぁ、子供さんだったんだと思い、その時になぜか、息子なんだろうなと思ったのは、母親は息子を愛するものだから、という偏見めいた思い込みがあったかもしれない。

娘だった。3歳の時に、多分、目を離したすきの事故。これまた詳細に語られることはない。最後の最後、ようやく心の内を吐き出せる場所と人を見つけた、という中で、本当にようやく吐露する中で、なんとなく推察されるだけ。

亡くしたのは娘であり、夫の影もなく、その事情を知っているのは叔母、そして富山の霊山、立山で行われる布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)は、女性たちによる儀式。こうして考えると、見事なまでに男性が排除されている。
そもそもこの布橋灌頂会が、立山へ立ち入れなかった女性たちのための儀式なのだけれど、今なら考えられない女性差別であり、でもそれを男性たちが与えていたんだよという二重の屈辱もある。

私たち昭和世代は、そうしたもやもやは抱えてはいたけれど、でも一方で、穢れである女性性を逆説的に誇りとして受け止め、神聖なる場所を男たちに譲ってきたあの時の気持ちを思い出したりする。
渡辺氏はまさに私と同世代なので、女が踏み入れてはいけない場所がある感覚への複雑な感情、でも神とつながっているのは実は女性性なんじゃないかという自負は、根底にあるように見えた。

勤めている美術館で同僚男性がまるで、独り言のようにつぶやいた、展示されていた立山曼荼羅と布橋灌頂会。一歩間違えればわざとらしいプレゼンに見えかねないところを、まるで神の啓示に導かれたようなスタンスに見えるのがいい。
立山にたどり着きホテルまで乗るタクシーの運転手の男性はやけに饒舌で、後に定食屋で再会したりもする。霊山立山はそもそも女人禁制だったのに、押せ押せとばかりに由起子を導く男性たちは全然立山に入って行かないのが面白いというか、なんか優しくて。

本作はなんたって、この神聖な、私、まったく知らなかった、霊山に女性たちだけで入っていく儀式。その前の引導は、まぁそりゃ、男性である僧侶たちが担うけれど、白装束を着付けるおばちゃんたち、そして何より……白い布で目隠しをした彼女たちの手を引いて山道へと導くのが、地元の女子高校生たち、クラシックな紺サージのオーバースカートの制服を着た彼女たち。
これは……やはり、まぁつまり、あまり言いたかないが、穢れなき処女、といった意味合いを感じられる。そうではない、由起子のような大人の女達を導く女の子たち。

この儀式を、ちょっとした紹介VTRなぐらいに丁寧に描くから、あれ、そういう感じなのかなと思ったのだが、そんなことは杞憂だった。
儀式が終わり、由起子が出会う、手を引いてくれた女の子の沙梨、一緒に参加していた夏葉との一夜が、本作の大きなメインプログラムとなるのだけれど、果たしてこの一夜は本当に存在していたのか。

山道の中のバス停。一向にバスが来る気配がない、待合いベンチに隣り合わせた由起子と沙梨。いい道を知っているんです、と沙梨が話しかけて、この一夜の物語が始まっていく。
絶対にバスが来る気配がないこのバス停が、美術セットじゃなく、実際のものだとロケ地マップで知って驚く。まさに山の中、森の中。そして親子のような年の差の二人が、道なき道を歩き出す。

そうか……由起子は、自分が生活しているところで、信号待ちしている時に女子高生二人がわちゃわちゃしているのから、なんとなく、距離をとってた。あれは、亡くなった娘と同じ年ごろの女の子たちだからだったのだ。
そして沙梨はまさに、その年頃の女の子。ぎこちなく接していた由紀子だけれど、ゆっくりと彼女との会話が回り始めていく。

結果的に、というか、後から考えれば、というか、沙梨は本当に存在していたんだろうか、などと考えてしまう。
この一夜は、由起子が15年もの間、抱え続けてきた辛さをゆっくりゆっくり溶かしてくれた。沙梨とバス停で隣り合った時にはまだ日は高かったけれど、でもバスなんて来る気配がない山の中の非日常間がハンパなかった。

歩きませんかと言われて、歩くうちに、次第に日が暮れてゆき、遠く引きの画が多用され、お互いの顔が判別できなくなる。その中で、食事を一緒しようということになって、沙梨ちゃんお勧めの定食屋を訪れる。
そこは、前の日に由起子が満員で入れなかった店で、混んでくる時間の前ということだったにしても、そのがら空きの空間が昨日の現実と違い過ぎて夢のように感じる。
そこに、灌頂会で見かけた女性、夏葉、饒舌なタクシーの運転手も訪れて、最終的には店中のお客たちと通りゃんせを歌いながら踊りまくるという、ザ・晴れの日の楽しい一夜を過ごすのだ。

でも、というか、なんだろう……一体いつから、これは、現実じゃなかったのかもしれなかったのか。判らない、現実だったのかもしれない。あの、灌頂会が、文化教材みたいにあっさり終わったことが、確かに気にはなっていた。
その後、バス停で沙梨に出会って、夏葉やタクシー運ちゃんとともに、楽しい一夜を過ごし、女三人の夜の散歩は、街灯もない、暗くて顔も良く見えない中で、コスモスが咲いていたり、空き地をどう使うか空想したり、楽しいんだけれど、闇の中で、なにかこう……現実味がない、これは本当の時間が過ぎているの??、と確かにこの時から思っていた。

由起子が、今まで亡き娘の時間とだけ過ごしてきた由起子が、得たかった時間を、自分の中で作り出しているんじゃないかという感じがした。沙梨に対して、生きていたらこのぐらい、どころか、自分の娘が今目の前にいると思っているんじゃないかと思った。
それは……私が手を引いていたんだとニッコリ笑顔で由起子に告げた沙梨、そして、バスを捨てて歩いた長い道のり、何より……きっと由起子が誰にも吐露できなかった苦しい娘への想いを吐露させたのは、彼女に対して由起子は娘の面影を見ていたとしか思えなくて。

あの一夜が夢のようだと思うのは、その後からなんだか時間軸が狂っちゃうというか、判らなくなってしまうから。由起子は東京に帰るためにタクシーに乗って駅に着いた、筈だった。
なのにそこからまた歩き出して、どんどん歩いて、……もう見るからに賽の河原だよ、あの川は、それまでの経過では出てこなかった、でも、由起子たち女性達があの世へ渡ったその橋の下にあった川、この世とあの世を結ぶ、賽の河原。

その時の由起子は、普通の格好だ。儀式の白装束じゃなくって、現代女性のラフなパンツスタイル。そのカッコでどんどん川を横切っていく。一点を見つめている。目指す先がある。
あぁ、そこには……しゃがみ込んで石を積み上げている幼い女の子がいる。由起子は女の子を背後から抱き締める。黙って、何も言わずに。女の子も、黙って抱き締められる。振り返ることも、何か言うこともない。

そして場面が変わり、由起子たち、儀式に参加した女性たちが、霊峰を目の前にして数珠を手に一心に祈っている。いったん中盤に儀式をシンプルに見せて、その後どこか夢のような一夜があって、……時間軸、そして実際にあったかどうなのか、賽の河原と娘との再会は、この儀式の中で由起子が感じられたものだったのか。
あえてなのか、闇の中で表情も判然としないままの由起子と沙梨のじっくりと見守る散歩道が、その後、時間軸どうなってるの??という展開につながり、あぁでも、救われた気持がした、と思う。

年をとるごとに、若い頃にはピンとこなかったことが感じられるようになる。そのうちの一つが、山岳信仰、霊山という感覚。そしてそれが、かつては、いや今でも、女人禁制の壁が立ちはだかっていることに対して、本当に悔しいし、でも古代から積み上げられてきた文化や思想があるし、とすんごく複雑な思いを抱いていた。
それを本作で、ひとつ浄化させていただいた感じがした。やぼな詳細をはぶいて、女性という観点を丁寧に見つめていること、知らなかった美しい儀式、本当に神様が宿ってくる感覚が、とても素敵だった。★★★★☆/font>


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